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風間直樹君 私も調べてみて初めて知ったんですが、合計十一回でございました。敗戦直後から朝鮮戦争の前後まで計十一回行われております。
この
内容自体、公開はされていませんので、当然国民の前には明らかになっていないわけでありますが、この会談の通訳を担当されたのが外務省等の職員でありました三人の
日本人であります。奥村勝蔵氏、寺崎英成氏、そして松井明氏と、このお三方が通訳を担当されています。当時の
我が国が置かれた
状況に鑑みて、やはり非常にデリケートな性格を帯びる会談であったわけでありますので、この会談記録を取ること自体、時にGHQから
日本側は
制限をされたこともあったようであります。
最終の方の会談通訳を担当された松井明氏が書き残しているんですけれども、何らかの記録を取ることを
考えた、司令部の命令とはいえ、終戦後の歴史をつづる必要はいつかは生じよう、そのときまで秘匿の方法はないだろうか、家宅捜査を受けても分からないように縁の下に隠し場所をつくったと、こういう記録を残されています。それだけGHQによる記録を取るなという指示も非常に強い指示だったのでありましょうし、
日本政府の中でも、当時の様々な文書を見ますと非常にいろいろな思惑が働いたようであります。
実は、今回の
安倍総理の靖国参拝がなぜこの昭和天皇、マッカーサーの会談と関連をするのかということなんですけれども、今から申し上げることは私の推測なのですが、恐らくこの十一回の会談の中に含まれた
内容というのが、国内外の当時の情勢をめぐって多岐にわたるということがあったと思います。
例えば、
一つは、太平洋戦争をめぐる昭和天皇の御
認識、あるいはマッカーサー元帥の
認識、そして
日本国内の当時の治安の問題、さらに共産主義の脅威と
日本の国防、そこに果たす米軍の役割といった問題、また戦争直後のアジアにおける沖縄の位置付けに関する問題、さらに朝鮮戦争の戦局の見通し、そして
日本の安全保障体制の在り方と、こういったことが、様々な文書に目を通しますと、恐らくこの計十一回の会談の中で話し合われたようであります。
ここからなんですが、恐らくこの十一回の一連の会談を通して、こういった今列挙をしました
内容を二者が話をされて、その結果、今日に生きる我々が現代史として知ることの以上に、これらの会談が戦後
日本のいわゆる戦後体制の骨格をつくったのではないかと、私はそのように感じるに至りました。
そうなりますと、
安倍総理が就任された直後、特に第一次政権の頃によくおっしゃったと思いますが、戦後レジームからの脱却というフレーズをよく使われました。このフレーズは、
安倍総理が意図されているかどうかは分かりませんけれども、実は、この昭和天皇、マッカーサーの一連の会談で方向付けられた
我が国の戦後体制、これを、この範疇を超える可能性があるものとして国内外に受け止められる、その可能性を否定できないのではないかと私は感じております。
今日は、
岸田大臣に
一つ御提言を申し上げたいんですけれども、この文書は、この
外交防衛の
委員会室にいる我々の中で閲覧できる人物は限られております。
外務大臣である
岸田大臣、そして
安倍総理、恐らく、すべからく
日本国の総理
大臣と
外務大臣は外務省の金庫に保管をされているであろうこの会談記録を読む必要があるのではないかと私は思います。その上で、この靖国の問題を始めとして、様々な
外交方針を思索されるべきではないかと思うのですが、
大臣の御所見をお尋ねできればと思います。