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水島参考人 水島でございます。
私は現在、
法政大学で
テレビ報道論などを教えている
人間ですけれども、二年ほど前までは
日本テレビにおりまして、
ドキュメンタリーの
制作、あるいは
テレビニュースの
記者をやっておりました。さらにその十数年前になりますと、
札幌テレビという
地方局でやはり
記者あるいは
ドキュメンタリーの
制作をやっていたり、あるいは
海外特派員として外から、
BBCであるとか
海外の
放送局の
報道のありようなどを眺めてきました。
そして現在は、
大学の
教員をしながら、
テレビ報道に物申すという形で、
ヤフーニュースなどで、今の
報道はちょっとまずいんじゃないかというようなことを時折発信しておりまして、最近ですと、
日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」の第一回
放送が、
子供、特に
児童虐待を受けた
子供に対する
加害性があるんじゃないかというような
議論を巻き起こして、つい数日前も、
虐待防止学会などと
一緒にシンポジウムを開いたりというようなことをやっている
人間です。
ですから、今回の
法改正そのものについて子細に詳しいわけではありません。ただ、自分の経験から、今
地方局がこうなっている、あるいは
NHKの
報道の中がこうなっているに違いないというような
見解は持っておりますので、
皆様の
議論のお役に立てればと思って、本日、参りました。
若干
インターネットもやっているものですから、現在、ここでの
議論がどういうふうに一般的に捉えられているかなども、
最初にちょっと触れさせていただきたいと思うんです。
二年ほど前に
大学教員になって私はびっくりしたのは、今の
若者は新聞は見ないだろうと思っていたんですね、当然読まないんです、授業で、あの
ニュース見たと言っても全然わからない、あの
報道を見た、記事を読んだと言っても反応はないんですが、実は
テレビも見ないんですね。
テレビの
ニュース、ましてや
ドキュメンタリーなんかほとんど見ていない。話題になったバラエティーは見るけれども、それもユーチューブで見るとか、そういう
感じなんです。
つまり、何を言いたいかというと、ここでの
議論が、
皆さんが熱心に
議論をしたり、あるいは、私はOBですけれども、我々のような
テレビ制作者が一生懸命
番組をつくっても、実は今の
若者には届いていない。
若者はこっち側にいるんです。
ネット、ほとんど
ヤフーニュースだとかそういったもので
情報を得ていろいろな
判断をしている。そういう
状況にあるということを
大づかみで把握していただければというふうに思います。
彼らはやはり
ネットの言説というか、
先生、
テレビ時代に何をあおってきたのとか言うんですね。
テレビってあおるものなんですかと逆に聞き返すと、そうじゃないんですかみたいな、非常に根本的な
議論になってしまうというか、非常に悲しいことなんですけれども、つまり、真っ当な
ジャーナリズムだと思って
制作者だとか
報道記者は頑張って日々伝えているわけですが、それが、全く見ていない、届いていなければ、ほとんど意味がないに近いわけです、彼らに対しては。
つまり、そういったことを考えていくと、
放送法改正の
議論も、彼らに、次の世代にいかに届かせるかということも、
一つの
視点としては大事ではないかというふうに考えております。
特に、言うまでもありませんけれども、真っ当な
ジャーナリズムというのは
民主主義の
基本にあるわけですし、
国民の知る
権利のベースにもなってくるということですね。これは
与党、野党を問わず、国会で
皆さんが一生懸命
議論をしても、それが
国民に届かないとなってしまうと、
日本人の頭の中がどんどんメルトダウンしてしまうという、そんな
時代が来ているのではないかというふうな
基本認識を私
自身は持っております。
今回の
議論、
放送政策に関する
調査研究会などの
議論も見ていると、しょせんこの
業界の
延命措置をどうするかというような
業界内部の
議論に終始している嫌いが、まあ、そればかりとは申しません、もちろん
先生方が一生懸命やっていらっしゃるのは承知しているところでございますけれども、ややそういう部分があって、むしろ、
ジャーナリズムとしてどういうものを伝えていかなきゃいけないのかということや、
国民の知る
権利にどう応えていくのかというような、もっと
大づかみのところを考えていくべきではないかというふうに
感じております。
その中で、私
自身大事だなと思っているのは、やはり
放送局というのは、
地域ごとに免許をもらって、
地域の
文化、
地域の
人たちの知る
権利に資する、あるいは
地域の問題を全国に発信していく、そういう機能をどう守っていくかという
視点ではないかというふうに
感じております。
その上で、大事なこととしては、やはり
仕組みの
議論がかなり多いわけですけれども、
原則をどう徹底させるかということの
議論が、特に
NHKの
会長問題なんかの
議論に関しても、あるのではないかというふうに思っております。
言うまでもありませんが、
放送法第一条第二項には、「
放送による表現の自由を
確保すること。」というようなこと、あるいは第三項には、「
放送が健全な
民主主義の発達に資するようにすること。」という大
原則が掲げられているわけでございますけれども、そういった問題に照らして、今般の
放送法改正がどのような
影響があるのかという
議論をぜひ進めていただければと思います。
特に、
NHK会長問題については、この場でもかなり
議論になっていることは承知しておりますので特に触れませんが、ただ、むしろ
制度よりも
中身の問題、
中身というかルールの問題ですね、
原則。
経営と編集との分離というのはどうあるべきかということ、あるいは、
制作者の
内部的な自由というのはどうあるべきかという
議論をもっと深めていく必要があるのではないか。そうでないと、どうしても属人的な話に終始してしまって、かなり
発展性がないなという気がいたします。
一つは、今回の
放送法改正においては、
国際放送というのも
一つのポイントになっておりますが、私
自身、
海外にいた
時代に、
イギリスの
BBCの
ワールドサービスをあちこちで見てきたわけですね。
イラク戦争であるとかアフガンの
戦争であるとか
湾岸戦争の折に、やはり
BBCというのは各国が注目している
放送局で、アメリカの
メディアも、あるいは
地元の
メディアも見ている。
それはどうしてかというと、やはり
戦争のときに、
加害、
加害というか参加している、
イギリスが参加しているときに、
従軍取材のリポートもあるわけですが、
他方で、攻撃される側の
イラク国民の
取材も
BBCはやっていたり、その辺の
バランスが非常に世界的に信頼されているということがあるのではないかというふうに私
自身は
感じております。
日本においても、そうした
国際放送、仮に
NHKワールドがそういった信頼をかち得るためには、やはりそういった
バランスのいい
中身の担保といいますか
確保をかなりしていった上で、歴史を積んでいって初めてそうなるのではないかという気がいたします。
NHKについて言うと、私、現在は、
テレビ報道に物申すというふうに申し上げましたけれども、今の
会長が赴任する前から、かなり
そんたくが始まっているんですね。つまり、
会長がこうしろと言って命令して、何か
放送が
影響を受けるということではなくて、私も、民放ですけれども組織にいた
人間ですのでわかるんですが、何となくそうしないとまずいよねという空気でみんな変えていっちゃうんですね、
放送というのは。
その
そんたくが、明らかに
NHKの場合は、例えば
ニュースウオッチ9なんかで、卑近な例で言えば、昨年の天皇誕生日での天皇陛下の
日本国憲法への言及をあえてカットするとか、そういった不自然な
報道があったり、あるいは
参議院選の公示二日前に、サミットでの
日米の
非公式会議があったという映像をあえて入れてくるタイミングの不自然さとか、あるいは
特定秘密保護法案の
与党合意を、
ホット炭酸という特集の後でごくわずかだけ触れるとか、いろいろな不自然さが目立つようになってきました。これは、ずっと
ニュースを見ていた
人間として
感じるところであります。
これは、ひょっとすると
政権党の
方々にはちょっと不愉快に思われるかもしれませんけれども、逆のケースもあるわけですね。つまり、これがまた
政権交代になると全く逆のことがその都度
NHKで繰り広げられると、やはり
国民にとってはまずい
放送だろう。つまり、政治の
影響を受けない形で公正な
報道が行われるというのが本来あるべき姿だと思うんですけれども、そういった点が、現在、私
自身が日々
ニュースをチェックする中で痛感しているところであります。
特に
国際放送については、
NHKの
内部の話をさりげなく聞くと、もっと
日本が誇るべき国だということをアピールするような
報道をしろ、それは当然だと思うんです、そういう
放送があってもいいと思うんですが、
他方で、他国に対して非常に非寛容なことをおっしゃっているようなことも耳にします。
やはり、
会長御
自身が、例えば
消費税のアップの
ニュースのときに市民のインタビューを入れる必要があるのかないのかというような小さなことに口出しをし出すと、現場は萎縮して、先ほどの
そんたくをどんどんするようになってしまう。これは本当に
国民にとってもよろしくないことなものですから、そのことはやはり、どういう
仕組みがベストなのかということを
委員会等で
議論していただければというふうに思っています。
もう
一つは、
NHKの
インターネット活用業務の拡大について、方向性としては、私
自身、間違っていないというふうに
感じるわけですね。ただ、先ほど申しましたように、今の若い
人たちが、
ネットの方を見て
テレビを見ていない。
ネットの方には、例えば先ほど
大谷参考人がおっしゃったような
NHKスペシャルとか、すばらしい
報道の蓄積があるにもかかわらず、それを、有料じゃないと見せられないとか、あるいは同時にそれが見せられないとか、いろいろな制約があるために、なかなか、若い
人たちの教育であるとか、あるいは彼らが
情報を得るところに役に立っていないという現状があります。
インターネットというツールが今拡大する中で、それをどう使っていくかというか、むしろ
放送は、通信、
放送という、送り方について
議論をしていますけれども、既に
インターネットというツールで
中身はじゃんじゃん出ちゃう
時代に入っているので、送り方にこだわっていることがもうかなり
時代おくれで、そこをやっている限り、どんどん、みんなはこっちを見ているのにこっちの
議論ばかりしているみたいな、そういう現象が続いていくのではないかというふうに私は危惧をしているところです。
ですから、この点については、同時配信も含めて、どんどん
NHKが先鞭を切り、あるいは民放も参入していって、早くこちらの
ジャーナリズムとして
国民に発信する、あるいは知らせるツールを広げていくということは大事だと思います。
そうなっていくと、では、地方ローカルは困るじゃないかという
議論があるのも承知はしておりますけれども、一方で、よくよく話を聞いていくと、地方民放の
経営者の中にも、もうそういう
時代だ、それをやって、
地域からも発信できるという
地域の発信の、例えば
キー局がやる
放送の中に
地域枠を設けるとか、そういう形で十分手当てがつくはずだ、むしろ
ネットに乗りおくれていること自体がやはり
時代にそぐわないというようなことではないかというふうにおっしゃる方もいるのは事実で、そういう話も私は聞いております。
他方で、民放のいわゆる
認定持ち株会社であるとか、あるいは隣接する県域で同じ
放送をするというような
地域の枠を取っ払う形の
規制緩和については、私
自身は、やはり本末転倒であるというふうに考えております。
というのは、私、現在、
テレビのギャラクシー賞の選奨
委員というのもやっているんですが、やはり
地域から出てくる
番組というのはすばらしいものが多いわけです。本当に
日本の
ジャーナリズムとは、
地域の本当の山奥の過疎地でこんな日常があるというようなところに、今、
日本の
社会はこうなっているのかというようなことを
感じさせるものがあるんですけれども、そうしたものがなかなか
ネットには上ってこないという問題もあります。
結局、今、例えば民放というのはどうなっているかということをごく簡単に御説明しますと、現時点においても、
キー局から社長あるいは副社長なんかが
地方局に天下るというか、そういう傾向がかなり促進されています。
その結果、どうなっているかというと、
地域発で朝の時間帯に
地域情報番組をやっていたのが、非効率的だからやめちゃおうと言って新しい社長さんがやめるとか、そういうことが続いていて、何かこう金太郎あめみたいに、東京の
ニュースを受けていればいいんだというような、そういう
放送局も出始めている。このことは、
地域の
多様性ということを守っていく
放送法のあり方から考えると、逆の現象が起きているわけで、それを
規制緩和していくということになりますと、ますますそういったことへの歯どめがきかなくなってしまう、そういう問題があります。
やはり、
地域の
放送、あるいは
情報の寡占化をどうやって防いで、
放送の
多様性をどう守っていくかということは、この
総務委員会でぜひ
議論をしていただいて、守っていただくべきことだろうというふうに思っています。
私
自身は、やはり
テレビや
ラジオというのは公共の財産だと思っています。そのつもりで
制作者はつくっておるわけですね。
ジャーナリズム、あるいは
地域にある問題を、こういうものだというふうに世に問う。それをぜひ広い形で、例えば我々のような
大学教員がすぐアクセスできるような形で、無料で見られるとか、あるいはそれを守っていく、
制作体制を守っていくような、そういうあり方を、ぜひ
放送局の体制の中で今後も維持していただきたいというふうに考えております。
雑駁ではありますが、私
自身の
意見陳述は以上でございます。どうもありがとうございました。(拍手)