○安念
参考人 ただいま御紹介いただきました中央大学の安念と申します。
本日は、こうした
機会をいただきまして、まことに光栄に存じます。
以下、本案、すなわち
電気事業法等の一部を改正する
法律案に対して、基本的に賛成する
立場から
意見を申し述べます。
基本的に賛成とは、多くの部分に賛成するが全部に賛成するわけではないという意味であります上に、賛成すべきか反対すべきかについて私の知識をもってしてはどうにもわからないという点も多々ありますので、私の賛成というのはそういう甚だ頼りないものでございますので、その点をお断りしておきます。
本案は、一九九〇年代から続いてきた
電力自由化の総仕上げではないにせよ、中間決算というよりは、むしろ第三・四半期決算というべき位置づけを与えられるものと存じます。
電力自由化において先行した欧米諸国の経験に照らしましても、
電力自由化は大体において、もともと垂直統合されておりました
電気事業のうち、川上の
発電と川下の
小売における
参入を
自由化し、一方、必然的に自然独占となる送配電部門は、
小売、
発電部門に対して中立化させると同時に、料金
規制その他の接続条件の
規制をして
政府が監督するという形態をとっておりまして、多分、
電気というものが、例えば送電が要らないというような夢のような新技術が発明されない限りは、これ以外には
電力自由化の大きな道筋というのはないと存じます。
本案に即してみますと、
電気事業を川上から順に
発電事業、送配電
事業、
小売事業に分けまして、
発電事業については届け出制、送配電
事業については許可制、
小売事業については登録制をそれぞれ採用しているわけでございまして、これまでの欧米諸国の道筋におおむね倣ったものでございます。したがって、本案が成立するといたしますと、
電力自由化は八分どおり実現されることになると考えてよろしかろうと存じます。
この点に関連いたしまして、送配電部門の中立性
確保は
電力システム改革のいわゆる第三
段階において法的分離の形で完成されることとなっておりまして、その旨の規定が、昨年十一月に成立いたしました
電気事業法の一部を改正する法律附則十一条二項に規定されております。
しかし、同項ただし書きにも機能分離でもいいんじゃないかみたいな書き方がなされておりまして、中立性
確保の要するに手段でございますから、どうしてもどちらかでなければならない、特に法的分離は確かにわかりやすいというメリットがあるのは私もそのとおりだと思うんですが、どうしてもこれでなければならないと力むほどのことではなくて、できるだけコストが安くて有効な手段であればよいというふうに考えております。
私が本案の実現しようとする
電力自由化に基本的に賛成する理由は、いかなる業態においてもそうであるように、イノベーションは
自由化を必要条件とするからです。
確かに、
電気事業は成熟産業です。大
規模な
発電所で生産した
電気を送電線で
需要地まで運び、配電線で各
需要家に届けるという形態は、十九世紀の末に、マンハッタンのダウンタウンにあるパールストリートというところに
発電所を
建設してこのモデルを確立いたしましたトーマス・エジソンの時代から根本的には変わっておらず、今後も
見通し得る近未来には大きな変化があるとは思われません。しかし、
発電部門においては、より高効率で
環境負荷の小さい
電源の開発を目指して
競争が促進されると思います。
また、イノベーションは、何もこうしたハードの技術体系についてだけ生ずるものではございません。
アメリカのビジネス雑誌でフォーブスというのがございますが、その日本版の二〇〇三年に「世界を変えた創意と革新八十五年の軌跡」という特集記事がございました。そこで挙がっております数十の二十世紀の偉大なイノベーションの中には、もちろん、コンピューター、
原子力発電、それから携帯電話、ワールドワイドウエブ等が入っているのでございますが、一方で、スニーカー、タッパーウエア、三点式シートベルトというのも入っております上に、さらにラルフ・ネーダーが主導した消費者運動というのも入っております。
ここは、アメリカ人の視野の広いところだと私は思います。つまり、ハードからソフトまで全部がイノベーションである、何も先端技術にかかわるものだけがイノベーションではないというのは、よく言われることではありますが、非常に重要なことだと思います。
要するに、
競争が
導入されることによって、売り方の
競争、売り方の工夫というのが大いに展開されるのではなかろうかと
期待しております。つまり、
電気というのは均質な商品でございますけれ
ども、それに
付加価値をつける、こういう
競争が盛んになるのではないかと思われます。
さらに、各企業の自由度が高まりますので、企業間の離合集散が大いに進むであろうということも
期待されます。折から、ごく最近のことでございますが、ゼネラル・エレクトリックがフランス重電大手のアルストム社の一部門を買収する、さらにそこに横から、横からと言っては失礼ですけれ
ども、東芝も参戦するというようなことがございまして、なかなかおもしろい展開ではなかろうかという気がいたします。
日本の既存の
電力各社は、いわゆる一般
電気事業者でございますが、国内的にはいずれ劣らぬ大企業ではありますが、諸外国のエネルギー産業との比較でいえば、最近ではむしろ小粒であるという感じがいたします。今後、
燃料の獲得
競争が世界的に激化するであろうことを考えますと、強力な総合エネルギー企業が、産業政策によってではなくて、
市場における自由な
競争の中から育っていくということが
期待されるのではないかという気がいたします。
ついでに申しますと、
電気に関する最大のイノベーションは、むしろ
電気の生産側よりも利用、使用の側から生じたと思います。もともとは電灯にしか使っておりませんでした。しかし、今日の
電気通信における
電気の使い方の驚くべき展開を見ますと、むしろ
自由化によって
電気の新たな用途の開拓というのが
期待されるのではないかと思います。
エジソンは偉大な発明家でございましたが、彼が先ほど申しましたパールストリートの
発電所をつくった当時、彼が
電力を何に使うかということで強く推奨したのは、交流電流を利用いたしました
電気椅子による死刑の執行だったのでございます。これから見ると百数十年、
電気の使用法というのは驚くべき発展を遂げたと思いますし、これからの
自由化によってますます発展するのではないかと
期待しております。
最大の眼目は
電気料金でございますが、
電気料金の値下げが実現するかでございます。それは私は、しない可能性も十分ある、むしろ値上げされる可能性もあるだろうと思います。
足元で
電気はいわば品薄でありまして、どんな商品も品薄であれば値段が上がるのが当然、このように私は考えます。そして、あくまで自由な
競争のもとであれば、今よりも価格が上がってもそれはそれで仕方がないと私は考えております。人為的に抑制するよりも、上がるものは上がればよいし、そうなると今度は新規
参入のインセンティブも出てまいりますので、その方が自然で健全な姿だと私は思っております。
ただし、いかなる業態にも当てはまることですが、新規
参入がふえてプレーヤーの数がふえれば、当然、価格が下がるというわけではないことを今申しました。ある財の供給量に変化がなければ、プレーヤーの数だけふえましても、供給に要する総コストがふえてしまって、社会的にはかえって不経済になるということもあり得ることです。要するに、供給量がふえなければならない、あるいは供給可能性がふえなければならないのでして、これによって初めて、
需要家は価格の低下という目に見える恩恵を受けることができることになると思います。
私の申し上げたいことは要するに原発を再
稼働することが必要であるということでございますが、この点、最近マスコミなどでは、
電力各社が原発の再
稼働の申請をしているという極めてミスリーディングな言い方をしていることを大変遺憾に思っております。
現在、
電力各社が申請しておりますのは、原子炉設置変更の許可、工事の計画の認可、それから保安規定の変更の認可の三種類の許認可の申請でございまして、これは原子炉の運転の停止とは論理的には何の関係もございません。つまり、現在の申請及び原子力
規制委員会における審査と原子炉の
稼働とは完全に両立するのだということでございます。できれば、当
委員会においてそのような見解を表明していただけると大変ありがたいと存じます。なぜなら、これは当
委員会が可決をなさった法律の解釈なのでございますから、御自分がおつくりになった法律の解釈を公にして何らはばかるところはないのではないかと、私は僣越ながら考えております。
非対称
規制が存続するもののようでございます。みなし
小売電気事業者、本案附則二条二項に定義がございますが、現在の一般
電気事業者の
小売部門のことでございます。このみなし
小売電気事業者には当分の間、
供給義務、本案附則十六条、それから料金
規制、本案附則十八条が残ります。
地域独占という保護を奪われたのに義務だけ残るのは不平等ですし、実際問題としても、非対称
規制はやめどきというのが大変に難しいと言われております。さらに、
規制料金下ではそれよりも低廉な価格を提供できる
事業者しか
参入できず、新規
参入意欲をかえってそぐことにもなりかねません。
これらの非対称
規制は第三
段階の
改革で撤廃されるものと
理解しておりますが、しかし、昨年十一月に成立いたしました
電気事業法の一部を改正する法律附則十一条四項によりますと、この先ももっと料金
規制は残るやに見える条文がございまして、私はこの条文の運用について非常に危惧をいたしております。できる限り非対称
規制は早期に撤廃すべきである、このように考えております。
副次的な論点でございますが、スト
規制についてちょっとだけ申し上げさせていただきます。
現在、
電気事業の
事業主及び従業員は、
電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の
規制に関する法律によりまして、要するにストライキが禁止されております。本案附則五十条はこの法律の文言を改正しておりますが、結果は
現状と変わらないもののようです。スト
規制は時代おくれでして、実効性にも乏しいと思われるので、反対します。少なくとも早期に廃止すべきだと思います。
なぜかと申しますと、今どき組合が本気でストを打つという構えの会社があるとすれば、それは、非常に経営者の腕が悪くて、職場にも不満が満ち満ちているということだと思うんです。そうした
状況のもとでストだけ禁止をいたしましても、社員はどうするかというと、会社に出てきて働かない、それだけのことでございますので、こういう
規制をしても私は意味がないと思います。
ちなみに、この法律ができましたのは昭和二十八年のことでございまして、しかも、法律自体に、制定後三年たったら存廃について国会で議論するということがわざわざ書いてございます。制定後六十年たちました。この間、
電気事業と並んでもう
一つの
規制対象である石炭鉱業の方は、法律に先んじて事実上国内から消滅いたしました。この法律も消滅してよろしいのではないかと私は思います。
東電の問題でございます。直接の関係は本案とございませんが、しかし、間接には私は大きいと思います。
現在の東電は、こう言ってはなんですが、生殺しのような状態と言ってよろしいと思います。国は、過半数の株主、支配株主でございます。国が過半数の株主になった以上、みずから経営
責任を負うべきでございます。私はそう思っております。要請とか指導をするのではなく、自分で
責任を負うべきでございます。それから、
電気事業法がございますから、
電気事業法に基づいて強制力のある処分をすることもできます。要するに、国は前面に出る、つまり、法律に基づく権限をきちんと行使して、自分で
責任を負うべきであるというふうに私は思っております。
原発の問題も東電の問題も本案と論理的に関係がないだろうという御指摘があるのは私もそう思いますが、しかし、関係がないのはあくまでも論理的にであって、実際問題として、東電がふらふらと言っては失礼ですけれ
ども、そういう状態、原発は立ち上がらないという状態で
電力自由化をしてみても、例えて申しますと、横綱と大関が全部休場している大相撲みたいなものでして、甚だおもしろみがない。要するに、ユーザーにとって受けられる
利益は甚だ限定されるものとなると思います。
したがって、東電問題と原発の再
稼働の問題とは、別に私は、
電力自由化を進める上での前提条件だとまでは申しませんが、少なくとも同時並行的に解決しなければならないことは確かであるというふうに考えております。
競争促進の見込みがあるのかということが最大の問題でありましょう。もちろん保証はございません。自由というのは全て保証がないことをいうのでございますから、当たり前のことでございます。しかし、兆候はございます。特に、東電のこのたび
経済産業大臣の認可を得ました総合特別
事業計画を見ますと、例えば供給区域を越えて顧客を獲得するという極めて旺盛な企業家精神が満ち満ちておりまして、大変な窮境にありながらこのような精神を発揮することに私は非常な感銘を覚えた次第でございます。保証はないが兆候あるというふうに言ってよろしかろうかと存じます。
時間を超過しつつありまして、申しわけございません。
最後にこう申し上げます。
電力自由化の行方にバラ色の未来図が描けるわけではありません。それには大きな
リスクがあります。
電気料金は高どまりするんじゃないか、送電線、連系線、周波数変換所などに十分な
投資が行われないのではないか、今までうまくやってきた給電指令がうまくいかないのではないか等々、心配の種は尽きないところでございます。しかし一方、
改革をしないことにも大きな
リスクは伴います。つまり、起こり得たかもしれないイノベーションのチャンスが失われるからでございます。
つまり、どっちにしても大きな
リスクがあり、それは定量的に比較可能なものではございませんが、その上で進むべきか退くべきかを決めなければならない。このようなことを決められるのは、官僚とか専門家とか有識者とか、そういう人々ではありませんで、ただひとり、選挙された、全
国民を代表する政治家によってしかなされないのでございます。一有権者として、本案について、国権の最高機関にふさわしい熟議がなされますことを心から
期待いたします。
御清聴いただきありがとうございました。(拍手)