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参考人(
山崎亮君)
studio—L、山崎です。どうぞよろしく
お願いします。(
資料映写)
大阪からやってきました。
コミュニティーデザインということを仕事にしておりまして、元々は建築や公園を設計するという仕事をやっておりましたけれども、どうしても、よく箱物と言われるように、形は造ったけれども、その後中身をどう使っているのかということが気になってしまいまして、設計だけやるというよりは、市民の力で
公共建築だったり
公共空間を使いこなしていくという
プログラムを考えたいというふうに思いまして、独立して今の事務所をつくりました。
結果的には、市民の力で
公共施設を使いこなそうと思っていたら、使いこなしている
人たち同士がつながって何かいい
コミュニティーができてきたなということに気付くようになりまして、今は自分の仕事を
建築家と言わずに
コミュニティーデザイナーというふうに言うようにしています。
横文字で恐縮ですけれども、前に書いてあるとおり、副題「
コミュニティー・エンパワーメント・バイ・
デザイン・シンキング」と書いています。やればやるほど、
コミュニティーエンパワーメントとか
コミュニティーワークという、福祉とか
社会教育とかそっちの分野にすごく近づいていったので、やっている内容を、
デザインの視点から
社会福祉だったりとか人の
つながりをつくっていくというのを自分の仕事にしようということで、日本語でなかなかうまく書き方が分からなかったので英語のまま表記をしております。
今日いただいたお題は
次世代へつなげる
まちづくりということで、我々がかかわっている事例を幾つか御紹介する中で、
次世代あるいは
地域社会ということに対してお話をしたいなというふうに思います。
まず、タイトルで
共生社会・
地域活性化に関する調査ということで、特に、
次世代へつなげる活力ある
地域社会ということで、赤色にしてある
次世代と活力と
地域社会というのはまさに我々が今取り組んでいる内容でもありますので、この三つについて幾つかのお話をしていきたいと思います。
まず、
地域社会というところは英語で
コミュニティーというふうに言われるんですけれども、今、
コミュニティーという
言葉自体が複数の意味を持つようになってきているなというふうに感じていますので、そのことからまず御紹介したいと思います。
新しい世代、
次世代は
コミュニティーをどうとらえているかということなんですけれども、これ、一番、二番と書いていますが、一番の方は、いわゆる今まで
地域社会と呼ばれていた
コミュニティーですね、地縁型というふうに言ってもいいかもしれません。同じ地域に住んだ縁で結び付きますという、これはもうかなり古い歴史がありまして、
自治会、
町内会、
婦人会、
老人会、
子供会、これはみんな同じ地域に住んでいるからつながろうというような
コミュニティーだと思います。
一方で、
テーマ型の
コミュニティーというのもかなり生まれてきているなというふうに思っていますね。これは右側にちょっと
横文字でFBと書いていますが、例えば、
フェイスブックの
コミュニティーといったりミクシィの
コミュニティーといった場合の
コミュニティーというのは、全然同じ地域には住んでいないけれども、でも興味が同じ
人たちが何となく集まっているとか、
NPOも、
サークル活動、
クラブ活動も、ひょっとしたら鉄道が好きだとか、同じ地域に住んでいないけれども同じ興味で集まっている
コミュニティーというのがあるというふうに思います。
往々にして、一番の方の
コミュニティー、つまり地縁型の
コミュニティーというのは若干最近元気がなくなってきているなというのがありますね。二番の
テーマ型の
コミュニティーの方はむしろ物すごく数が増えているような気がします。だから、地域を元気にしていこうと思ったときに、今までだったら、やっぱり
自治会をどうするか、
町内会をどうするかという話が多かったんですが、これ、うまく二番と組み合わせていかないと、もう今は高齢化しちゃっていますとか、マンションの住民でなかなか
町内会に出てきてくれないですという人を誘い出すというのも相当難しくなってきているなという気がしますので、興味の対象に合わせた
テーマ型の
コミュニティーと、一方で、地域を守っていく地縁型の
コミュニティーのミックスをどういうふうにしていくのかというのがこれから大切になるんじゃないかなというふうに思います。
そんな視点で、幾つか、
都市部での事例と、それから中山間、
離島地域で我々がかかわっている事例とをお持ちしました。
最初の
兵庫県立の
有馬富士公園という公園、これは県立の公園で山の中に造っちゃった公園なんですけれども、
有馬富士という、
有馬地方、
有馬温泉の方にある富士山みたいな形をした山の麓にある公園です。
この公園は、少し違っているのは、
パークマネジメント、公園を運営しようという考え方が入っているという点ですね。今まで公園というと、そこに
ブランコや
滑り台を造って、
ハードを造ったらそれでオープン、後はもう勝手に来て遊びなはれという感じが多かったんですけれども、ここでは、地域の
NPO団体や
サークル団体の
人たちを誘って回って、八十団体ぐらいの方々が今、公園内の各所で活動をしてくれています。この方々が
ファンをつくるんですね。森の
音楽会をやる
チームもいるし、水辺の
生き物の
観察会をやる
チームもいます。
こういう
人たちが毎週のようにここで活動すると、その活動に参加したいという
人たちが二十人、三十人集まるようになってくる。これは例えがいいかどうか分からないんですが、公園に遊具をいろいろ置いていくというのとほとんど同じような感覚で、
コミュニティーの団体の方々を、配置していくというと言い方がおかしいんですが、いろんなところで活動していただく。この方々の人の魅力で公園の来
園者数を増やしていこうというようなことを計画しました。
実際、我々は、だからそれぞれの団体に話を聞きに行って、その活動、面白そうだからうちの公園でやってくださいと言って誘って回るというところからスタートしています。この後、公園の
運営方針をどうするのか決める会議をやったり、市民の方々で
ルールを作っていく、公園の中でやっていいこと、悪いことというのを
自分たちで
ルールを決めていくというようなことを公園の中でやっています。
今、もう十二年目ぐらいですかになっていて、ちょっと、写真に示すような、林の
道づくりとか、水辺の
生き物を観察する会だったり、和紙と
竹ひごを使ってたこを作って
たこ揚げをしようという
チームだったりが来ます。それぞれの団体はそんなにたくさんの人を集めるわけではないんですが、この
人たちが週末になるとやってきてはいろんなことをやっているということで、また、ああ
久しぶりとか、今日は何してくれるんというような話で会話が発生するということになりますね。
市民活動団体さんもよく悩んでいるのは、
自分たちの活動のメンバーが固定化してしまって、どんどん高齢化して数が少なくなっていって、そのうち解散してしまうということが多いんですが、この公園で活動すると、例えば
天体望遠鏡の
人たちが
マクロ探検隊ってやっていますけれども、百人に一人ぐらいは同じく
天体望遠鏡が趣味だという人が現れたりして、そこで新しい仲間になってくれる人が出てきたりします。普通に公園でいきなりこんなことをやり始めたらちょっとおかしい人かなというふうに思うんですが、でも、やっぱりこういう
関係性をつくることができる公園だというのがもうウエブにも載っていて、カレンダーになっていて、今日は何時からどこの団体がどんな活動を園内のどこでやるかというのが示されているというのが、少し人と人がつながるきっかけになっているのではないかなというふうに思います。
この公園は、
野球場でいうと大体十五個分ぐらいの広さがありますので、
園内各所でいろんな活動をすることができるというのが特徴だと思います。年間来
園者数は、
おかげさまで、オープンした年が四十一万人でしたけれども、五年後に六十九万人になりまして、去年の数値が出ましたね、七十九万九千人だったということなので、約八十万人ぐらいまで増えてきています。これは、我々が何かしたわけではなくて、この
コミュニティーの
活動団体の数が増えたこと、それから、
活動頻度が増えたことによってそれぞれの
人たちが公園に
自分たちの
ファンを呼び込んできてくれて、この
人たちが、毎週末とか週に二回活動している団体もいますので、そういう
人たちがいろんな来園者を呼んでくるということになります。
つまり、いわゆる
ハードで、
滑り台を造るとか
ブランコを造るといって人を集めるのもいいんですが、やっぱり
ブランコだと、何か言っても、
ブランコですから、おう、
久しぶりと言ってくれませんので、その辺りが、人であるということ、人が活動をブラッシュアップしたり、ちょっとずつ変化させてくれるので、公園に毎月のように通うという
人たちが出てきているんではないかなというふうに思います。
こんなことをやっていたら、
百貨店を再生してくれないかという依頼を受けるようになりました。これが
自分たちの仕事だというのは依頼を受けるまで分からなかったんですが、
鹿児島県の
鹿児島市の
中心市街地ですね、
真ん中の部分にあった
三越百貨店、十層なんですけれども、地下一階から九階もある十層の
三越百貨店が撤退するということになって、撤退した跡に
地元資本で
マルヤガーデンズという
百貨店をつくるという相談を受けました。
そのときにお話ししたのは、是非とも各階に
有馬富士公園みたいに、小さな、公園とは呼ばなくていいんですが、空いた
スペースをつくりませんかと。そこに、さっきの事例のように
NPOとか
サークル団体が毎日
日替わりでやってくるという仕組みにしたらどうですかというお話をしました。つまり、ちょっと薄くて見にくいかもしれませんけれども、各階には
テナントが全部入っているんですが、その中、一区画だけは
ガーデンと呼ぶ空いている
スペースを必ずつくって、ここに椅子を並べておくだけだと
買物客が休むだけになるんですが、ここに、さっきの
有馬富士公園みたいな感じですね、地域の
NPO団体や
サークル団体が入ってきて、活動すると。
するとどういうことが起きるかというと、もう今既に
デパートには買物に行きませんという人が圧倒的に多いんですね。郊外型のイオンやジャスコに買物に行くとか、インターネットで買物をするという人の方が圧倒的に多いはずです。この御時世に
デパートにこんな
テナントが入りましたと有名ブランドを入れても、来ないものは来ないだろうということで、だったら、今まで
デパートに来なかった層が
デパートに来る仕掛けをつくらなきゃいけないんじゃないかということで、この
NPOとか
サークル団体の
人たちが毎日
日替わりで、今二百二十団体が十個の
ガーデンを使っていますけれども、平均すると一
ガーデン当たり二十二団体が毎日
日替わりで使いこなしているということになります。
これは
マルヤガーデンズの外観ですね。中で活動している方々が、例えば左上、アーティストの
作品展をやったり、
写真展をやったり、
外遊びを紹介したり、右下なんかは、これは分かりやすいかもしれませんけれども、屋外の
生き物の
観察会みたいなことを説明している奥に、ちっちゃくて恐縮ですが、
ラコステというふうにお店が書いてあります。ここの区画も、普通はお店に貸していいはずなんですけれども、あえて空けておいて、
ラコステとかラルフローレンとかジルとかマックスマーラとか、周りに普通にお店がある中にこういう場所を用意しておいて、ここに毎日
日替わりで
市民活動団体が来ている。
すると、乳がんの
問題意識を持った
人たちが
勉強会をやる、帰りにちょっとお茶をして帰るとか、こんなものを買って帰るという流れができたり、あるいは逆に、買物に来た
人たちが、例えばセーブ・ザ・チルドレンさんみたいに
子供たちにということを会話している、あるいは話をしているところに参加して、ああ、今子供ってそういう問題を抱えているんだということを普通の
買物客の人が知って帰ることになる。それぞれがばらばらにやっているとなかなか
相乗効果を生まなかったことを、
デパートの中でやるということで新しい
つながりが生まれてきているのではないかなという気がしています。
ちょうど来月三周年になるんですけれども、
おかげさまで順調に売上げが伸びているというふうに聞いております。これはやっぱり、今二百以上の
NPO団体がかかわる
デパートということですから、市民からすれば、
民間企業だけど、なくてはならない
デパートになっているんですね。地域にとって買物できる公民館みたいになっているということです。こういう公共的な役割を民間が担うことというのは、非常にこれからの
地方都市の商業にとっては大切なんじゃないかなという気がしますね。
よく言われるとおり、
近江商人の三方よしの思想、売手と買手がいいだけではなくて、やっぱり世間が良くないといけない。地域にとってなくてはならない
商業施設になるかどうかが、これからの
人口減少社会ではもう一度大切な視点となってくるのではないかというふうに思っています。
都市部の最後の事例だと思いますけれども、延岡駅、宮崎県の延岡
駅周辺の
プロジェクトにもかかわっております。今の
マルヤガーデンズが言うなれば最初の公園を垂直に積んだような形になっているとすれば、延岡駅は
有馬富士公園がそのまま
駅周辺に
ぱかっと当てはまったというような感じかもしれません。
野球場十五個分ぐらいある広さの公園。これ何も公園じゃなくてもできるんじゃないかというのが発想ですね。池がなくてもいいし、森がなくてもいい。ここの中に
商店街があって、
商店街の
空き店舗で活動している人がいてもいいんじゃないかということで、この
野球場十五個分ぐらいの大きさを
ぱかっと駅周辺に当てはめてみるとどれぐらいの大きさになるかというと、これぐらいになりますね。全く同じスケールで出すと、駅の中で何か活動している人がいてもいいし、
駅前広場で何か活動している人がいてもいいと。
真ん中に道路が上から下まで通っていますけれども、ここに幸町
商店街という
商店街があります。この幸町の
商店街の
空き店舗を見付けて何か活動している人がいてもいい。
先ほど、公園の中で年間八十万人ぐらい外から人が来る場所になったという事例を紹介しましたが、ここが全く延岡の
セントラルパークだ、公園だと思えば、空き地、
駐車場、
空き店舗、これ全部活動できる場所ですから、要は、市民の
活動団体の
人たちを誘って、ここで活動しませんか、何曜日に何時からどんな活動をどこでやりますかと
話合いを進めていくだけで、ここが擬似的な
有馬富士公園のような空間になっていくんじゃないか。八十万人の方々、ここへ、
中心市街地に来て帰りにちょっと買物をして帰るというような人の流れを生み出すことができるんじゃないかなということで、また、地域の
NPO百団体回って話を聞いて、駅前で活動しませんかとずっと誘って回るというところからスタートしました。
最初の年に六十団体から応じてくれて、何かやったろかということで集まってくれたんですが、今三年目ですね、百三十団体ぐらいが今はワークショップに来てくれるようになりまして、
自分たちの団体はどこでどんな活動をやるかという
話合いを今進めていってくれています。
それから、
公共空間を使ったりしますので、そのときの
ルールであったりとか、あるいは、どんなクオリティーの活動をすればお客さんがたくさん来てくれるかというのを今
NPOの方や
サークル活動の方々と一緒に
話合いをしているというところです。
駅前の模型ですね。この模型を使いながら、みんなでどこで何時からどんな活動をやるかという話をしているところですね。
先ほどの
デパートの事例、
マルヤガーデンズの事例でもよく分かったんですけれども、
市民活動団体の方々が何か活動するのに対して、お店の方々がそこに何か一緒にやろうということが起きてくるんですね。
例えば、
コミュニティーシネマという、地域の映画好きの方々が
モンゴルの
若手映画監督が撮った映画を、これは余り大きな
シネマコンプレックスでは上映されていないような、マイナーだけど非常にいい映画だというのを映画上映するようになると、実は地域の本屋さんが
コミュニティーシネマとか
モンゴルとかに関する本を集めてきて、そこで映画を見た後すぐに買えるようにするとかですね。あとは、映画を見た後、映画の感想を話し合う会というのをやるんですが、そこにちょっと、
モンゴルの映画だったらアジアの感じの料理を出すというレストランの方が来たり、そういうふうに商売と
コミュニティーの活動が一緒になって楽しい状況をつくり出してくれるというのがよく分かってきましたので、今、延岡駅の周辺でも、
商店街の方に、こんな市民活動やるとしたらどんなことを提供できますかという話を聞いているところです。
ちょうど
商店街の
人たちが二年たってようやくやる気になってきてくれたので、百三十集まってくれている
市民活動団体の方々と
商店街の方々で
中心市街地をどうもう一度元気付けていくかという
話合いを続けているところですね。
ここからあと五分は、家島と海士町という、逆に、中山間、
離島地域のお話をしようかなというふうに思います。
家島というのは兵庫県の離島ですね。瀬戸内、姫路の沖合にある離島なんですけれども、この離島で、地域に入ってよそ者が地域の魅力を探るという、探られる島と呼んでいるんですけれども、ずっと探り続けるという
プロジェクトをやりました。秋、季節のいい秋に一週間ぐらい、東京や大阪、京都、広島、福岡、いわゆる
都市部にいる方々ですね、ここに旅行に来るかもしれないという
人たち三十人に集まってもらって、この方々に島の魅力を探ってもらいました。探った魅力を毎回、毎年十六ページの小さな冊子にして、これを島の方々に配るのと、それから島の外の方々に配って、家島の魅力ってこんなところにありますよという広報誌を作るということを、いわゆるプロを入れないで市民の方々だけでやりました。家島の内部の方々と外から来た方々と一緒にやったということですね。
今日は御紹介しませんけれども、これ実は、この冊子の中に入っている写真は、いわゆるガイドブックに載っているものと全然違うんですね。
都市部の
人たちが行って楽しいと思うところを撮っていますから、例えば家島の畑の一番端っこに
冷蔵庫がぽこっと屋外に置いてあるとか、こういう写真が面白いと思ってみんな写真撮るんですね、たわいもないことですが。
都市部から行った
人たちが見ると、やっぱりトマトとかキュウリを収穫したらすぐ
冷蔵庫に入れたいから
冷蔵庫を置いてあるのかなと思うんですが、当然屋外ですから電源なんか入っていないわけですね。何でこんなところに
冷蔵庫があるんだろうと、
ぱかっと冷凍のところを開けるとスコップが入っていますね。冷蔵のところを開けると、くわとか鎌とかが入っています。
農機具小屋に使っているんですね。
離島は
廃棄処分のお金が高いですから、捨てようと思ったものを最後まで使い倒してから捨てるんですね。じゅうたんなんかも、古くなってもやっぱり雑草が生えてこないように屋外の地面に敷くと。こんなこと、たわいもないけれども、楽しいわけですね。
都市部から来たら、何でこんなところにこんなのあるんだろうと。こんなのばっかり写真に載っているということですね。
一年目、二年目は島の
人たちに怒られました。私らの恥ずかしいところばっかり写真を撮って何でこんなものを冊子にするんやと言われましたが、三年目ぐらいからこの冊子を持って
観光客が来るようになるんですね。あの畑の横の
冷蔵庫ってどこにありますかと聞くような
人たちが出てくるわけですよ。すると、島の
人たちが島の外の
人たちが我々をどう見ているのかというのがだんだんだんだん分かってきて、名所旧跡を発信するのもいいけど、そういうのはもうどこにでもあるから、むしろうちの
島ならではのものをどう発信していくのかということを気付くようになってくる。
総合計画を手伝ってくれと言われたので、
総合計画策定を手伝ったときも同じく、やはり島の外の
人たちが
自分たちの生活をどう見ているのかというところからスタートさせました。島で初めての
NPOですね、法人が立ち上がりました、二〇〇七年に。
NPO法人としての活動を今は続けていて、島の特産品を販売して、利益が出たら、島の広報を作ったりとか福祉タクシーを走らせたりということを十三人のおばちゃんたちが一緒になってやっていますね。
NPOという言葉は、島の
人たちはほとんど知らないですね。
NPOというのは何の略か、さっぱり分からないと。まあこのおばちゃんたちの
チームの名前だと思っていますね。
NPOというのは何の略か分かんないけど、最後のOは多分おばちゃんのOだろうというふうに思っていますね。だから、島の
人たちは最近このおばちゃんたちは全国的に有名になっていると思っています。
NPOと昨日もテレビで言ってたぞとか、国会でもおまえらの話ししてたぞと話をしているそうですが、面白いからそのままにしておこうと思っています。家島は、
NPOってまだ七千人ぐらいの
人たちが何を意味しているかは分からないという島ですね。
この
NPOいえしまというのは、先ほど特産品を作っていましたけれども、この利益を町の広報を作ったり
コミュニティーバスを走らせたりするお金に回しているということで、今はコンシェルジュを養成して、島を案内できる、さっき言った島の外から見て面白いと思う箇所を案内できる人を育てたりしているということですね。
最後、海士町というところです。島根県の離島ですけれども、海士町で行った
プロジェクトは、ここは最初に
総合計画を住民参加で作ってほしいというふうに町長から依頼されましたので、そこで、じゃ市民百人に集まってもらって
総合計画の素案を作りましょうという
話合いからスタートしましたが、行政に対する要望や陳情だけを言うんじゃ駄目ですというふうには市民に最初に百人に言いましたので。提案型で発言してくださいと、私たちは町に対してこんなことをやります、だから町はここをやってくださいというふうに、必ず自分が何するかを言った上で町の施策を提案するというふうにしてくださいという
話合いの仕組みにしました。
これで
総合計画を二冊作ったんですね。通常は本編だけ作るんですけれども、ここでは別冊を作りました。別冊は市民の側のマニフェストです。私たちが二十四個こんな活動をやると言いましたということをちゃんと表明して、これを実際にやらなかったら島の
人たちからいろいろと批判を受けるという、そういう内容にしましたので、もうやると言ったことは実際に活動し始めました。ひと
チームや産業
チーム、暮らし
チーム、環境
チームという、それぞれの
チームが今はそれぞれ
まちづくりの活動を実施しています。だから、計画書を作るだけじゃなくて、その後の活動を
自分たちでもやっていくということが大事だということをやっていますね。
あと、百人の
人たちが今活動していますが、残り二千人以上の方々がいますので、集落を回って限界的な集落だと言われているところを支援していくような、総務省さんの集落支援員の制度を使わせてもらって、今集落支援をしています。この方々、養成講座をやって、集落支援員といっても、今まで別の仕事をやってきた方ばかりですので、その方々が集落を支援する方法というのを学んでいただいて、今は集落に入って聞き取り調査をしたり将来予測をしたり、どんなことをやればこの集落がまた元気になるのかということを実際に実行に移していくということをやっています。
ちょっと早口でしたけれども、最後、まとめとさせてもらいます。
次世代・活力・
地域社会ということで、
次世代、
コミュニティーの定義は今二種類に分かれているという話をしました。
テーマ型で、
デパートに入ったり公園に入ったり、自分の趣味の活動をやるんだけど、これが
地域活性化につながっているという場合と、それから集落の方々の元気をどういうふうに取り戻していくのかという、この二種類の
コミュニティーをうまく混ぜ合わせていくということが大事だと思います。
もう一つ、活力ですね。
次世代は何を活力だと認識しているのか。我々と我々以下の若い世代は、活力とか活性化というのが、売上げが増えること、給料が増えること、景気が回復することというふうに余り認識していない人が多いんじゃないかと思います。むしろ、単純な言葉で、気持ちがわくわくするとか、何かやる気が起きてくるとか、楽しいということ自体が活力だというふうに思っていることが多いんじゃないかなというふうに思いますね。だから、高度経済成長時代とはまた違う発想力が、僕はこれを不景気ネイティブと呼んでいますけれども、もう物心付いたときからずっと不景気で、不景気が当たり前だというふうに思っている世代からは全く違う活力とか豊かさというのが発想されてくるんじゃないかなというふうに思っています。
これは、例えば、現状、景気回復してくれれば売上げが上がって、給料が増えて、そうしたら大きな車が買えて、友達や家族が乗っていろんなところに回っていけるんじゃないか、おいしいものを食べたりしたら、家族のきずなが増えたり、友達との
つながりが増えるんじゃないかというふうに考えるんだったら、そんなに遠回りして幸福を獲得しようとしなくても、もう車とか景気とか関係なく、みんなで持ち寄って御飯食べたら、それで
つながりできるじゃんという、かなり手っ取り早い幸福論というのを信じている
人たちが多いんじゃないかなというふうに思います。
これ、一番下に、それならもう寝てますというのは、江戸の小ばなしですね、三年寝太郎みたいな。若い者がずっと寝て、仕事してはどうだと言われて、仕事したらどうなるんですかと若い人が老人に尋ねたら、仕事したら金がたまるじゃないか、金がたまったらどうなるんですか、金がたまったら金持ちになって寝て暮らせるじゃないか、じゃもう寝てますというふうに若い人が言うという、要するに、今、目の前でできる幸せがあるんだったら、景気が回復しなきゃそれができないとか金持ちにならなきゃできないと遠回りしないで、近道の幸福論をやっていこうというのが地域づくりで若者が目指していることなんじゃないかなというふうに思います。
自分たちがやりたいことと
自分たちができることと、そしてそこに地域が何を求めているのかということをうまく組み合わせれば、楽しい活動をできる範囲でやっていたら地域の方々からどうもありがとうと感謝されてうれしくなる、これでまた更に活動を続けていきたくなるということが今の地域づくりの中で重要なことなんじゃないかなというふうに思っています。
最後ですね。それを通じて、要望陳情型から提案型の市民をどんどん増やして、やればやるほど楽しくなってくる、地域も少し良くなってくるというようなことをやっていかないと、これから財源が縮小していく、経済もこれから大きく上向くということをなかなか展望できないような時代の中で、もう一度市民力を活用したような施策を展開していかないとこの国のそれぞれの地域の良さというのが出てこないということになるんではないかなというふうに思っております。
ということで、少し早口でしたけれども、以上でこちらからの報告は終わりにしたいと思います。
どうもありがとうございました。