○
藤崎参考人 開善塾
教育相談研究所の
藤崎育子と申します。
本日は、どうぞよろしくお願いいたします。
民間で、
学校を一年も二年も休んでいる子どもの
家庭訪問をしまして
学校復帰、あるいは、二十代で引きこもった青
少年の
社会復帰、就労
支援を、訪問相談を中心にして二十年ほどかかわってまいりました。そのため、きょうは、
いじめについて、特に
いじめから不登校になった
子どもたちの問題等についてぜひ話をさせていただきたいと思い、やってまいりました。
まず、今、
日本の
いじめ問題、大津事件をきっかけに、
先生方、
教育委員会が必死になって取り組むようになったこと、また、
社会的にも、また国会の場でも積極的に取り上げられること、これは私自身は非常にすばらしいことだと思っています。
ただ、その反面、実は
現場で危惧されることは、一相談員として感じることは、形だけの指導にどんどんなっていっているのではないかということです。
例えば、子どもの
言葉を、そんなことを言っちゃだめでしょうとか、ちょっとじゃれていたら、それがまたいけないことだということで、
先生方の方がかなり神経質になっていて、
いじめ問題が起きたときに、本質的な、なぜその子は
いじめるのか、あるいは、なぜその子はいつも
いじめている側のチームの中に入ってしまって集団
行動しているのか、また、
いじめられている子も、なぜ
いじめられているのか、
先生方が一人一人の子どもを深く
理解しないで、形だけ、とにかく目に見えるところで注意をして、なくそうというふうに、特に、解決能力の低い
学校というのはそういう傾向があるのではないかと思います。
また、私自身がこの二十年間強く感じていることは、例えば、一年、二年休んだ子どもが、きっかけは、クラスの中で、ある女の子でしたら、一部の女子
グループから
いじめられる、例えば、朝行ったときに、何でこいついるのとか、デブとか、臭いとか、そんなことをぼそっとつぶやかれるだけで、もうその子にとっては
学校が安全な場所とはならなくなってしまって、そして自然に
学校を休むようになる。
ところが、そういった
現場を担任が押さえていないために、不登校になった、あるいは、特に、正直言いまして熱心でない担任の
先生の場合は、この子の
家庭はこんなような問題があるから
学校に来られないんじゃないかというふうに
家庭の問題とすりかえていく、そういった現象がよく見られます。
結果的に何が起こるかといいますと、
いじめられた、あるいはクラスの中で村八分にされているということを子どもはよく見ています。そういった子どもが
学校に来られなくなっても、それが自然なことであって、実際に
いじめを受けた子どもが不登校になっても、それは普通なんだと、見ている
子どもたちがそれを自然に受け入れるようになっていくことではないかと思うんですね。
それで、私自身が今強く感じていることは、とにかく
日本の
学校の中の
いじめといった問題を、子ども、
先生、そしてその
いじめ問題を契機に子どもを育てていく
教育を実現するためには、教員の資質向上、これが一番の問題ではないかと思っています。
例えば、私が、一年ぶりに
学校に、そういった
いじめをきっかけに不登校になった子どもを連れていったときに、たまたまはだしで行ったら、一年ぶりに来た子どもに対して、えっ、何で靴下はいて来ないのと
先生が言ったり、
先生の中では、その子がどんなつらい思いをして
学校に行けなくなったかということが、もう一年も二年もたっていれば抜け落ちてしまっている。
今、
教育の中で不登校という
言葉が使われていますが、この不登校という
言葉にも問題があるのではないかと思っています。
非行から
学校に行かなくなった子どもも、病気の子どもも、
いじめから
学校に行けなかった子どもも全て不登校と一くくりにされてしまうと、やはり、教員の中では問題意識としてだんだんそれが消えていく、時間がたてば、毎日
学校に来る
子どもたちが中心になっていきますので、どうしても、目に見える子どもとの毎日が続いていくと思います。
いじめ問題に特化することで、
一つやはり考えていかなければいけないことは、例えば、ある
学校で三十六人不登校の
生徒がいたんですが、この
学校は、対教師
暴力、校内
暴力も非常に盛んでした。そしてまた、
先生方は、特に喫煙問題で右往左往という状態で、三十六人休んでいる子どもに対しての注意というのは、もう出てこないので、例えば喫煙だ、万引きだ、そういった対応に時間が割かれてしまうということで、手を打たなくなっていくんですね。実際そういった人数が
教育委員会にちゃんと報告されているかというと、十二人、三分の一ぐらいになっていたりして、やはり統計というものを簡単に信用してはいけないなということも感じたんです。
そういったところで、私自身がその
学校に、相談室登校に子どもと一緒に登校したりするんですが、例えば、廊下を歩くだけで、その子に対して目で威嚇してくる女子
生徒がいたり、男子
生徒がぼそっとブスと言ったりとか、ところが、
先生方はそこのそばを通っても余り感じない。
また、
体育の時間で、その子だけにパスが集中したり、あるいはパスが全く行かなかったり、そういうような、教室、授業の中でさまざまな現象が起きているのに、やはり、きちんと指導する
先生はそれを見ていて、どこでこの子をどういうふうに指導していくかというのを考えるんですが、見守りましょうということで、これぐらいは子どもの成長に欠かせないようなかかわりなんだというふうに、どんどん見過ごしていく
先生というふうに変わっていくわけですね。
ですから、不登校に関して言えば、
いじめられて不登校になることを、熱心で
生徒指導にも真剣に立ち向かう
先生は、あり得ないと言います。ところが、
いじめというものはあって当たり前だ、その子が
学校に戻れないのもやはり仕方がないんじゃないかという
先生方は、適応指導教室あるいはうちのようなところで面倒を見てもらえてよかったですで終わってしまうわけです。
こうなったときに、
いじめられて苦しい思いをした子どもが
学校に戻れなくても、引っ張ってくれる
先生がいないわけですから、当然、そういった不登校という数が減らないというような
現状があるのではないかと思います。
いじめ問題に特化されますが、実際には、
学校現場で、校内
暴力も
非行もまた薬物問題も、とにかくいろいろな問題が起きています。そしてまた、その校内
暴力の中でストレスを感じた
生徒たちが、次に
自分より弱い子どもを
いじめていくというように、
いじめのターゲットというのもどんどん変わっていきます。
ですから、そういった中で、私自身は、複合的にこの
いじめ問題に取り組んでいく国の政策というのを実は心から望むわけです。
というのは、大津の問題、第三者
委員会ができまして、報告書を見せていただきましたが、実は三月まで神奈川県藤沢市の
教育委員をやっていましたが、これは本当に人ごとではないというふうに思いました。
例えば、
学校を信頼していたら、
学校に余り立ち入らないようにしよう、
学校に任せようという、信頼するということはとてもいい
言葉なんですが、やはり無責任体質を生む。また、
教育委員も厳しく事務局に対して言っていくと、事務局を信頼していないというような、そういった構造がどんどん重なっていきまして、結局は、今、一番解決能力が下がってしまっている、
先生と
生徒の間での信頼
関係が完全に崩壊している
学校に関しても、外部から助けもない、あるいは
調査もない、そういった
現状があるわけです。
実際これができるのかわかりませんが、私自身としては、国が即応集団というものを、
生徒指導チームですね、そういったものを組織して、その
学校現場に派遣する、そんな対策があればいいのではと思います。
例えば、これが法令で可能かどうかわかりませんが、市町村教委は、県教委に相談しても、その間、時間がどんどんたっていきます。また、保護者の
立場からすると、市町村教委、都道府県教委というのは同じような
立場に見えてしまうわけですね。でも、例えば、都道府県から推薦のあった人物で国がチームをつくって、そしてそこの
現場に、解決というよりは、そういった
先生たちを指導する、あるいは
支援する、相談に乗る、とにかく
先生方の精神衛生を図っていって、
子どもたちに対応する勇気と元気を回復させる、そういったものに対して国が取り組んでいただけたら、孤立感を感じてしまう、また、裁判を起こさなければ、あるいはマスコミに頼らなければ真実が明らかにできないと悩む保護者の強い味方にもなるのではないかと思うわけです。
それで、この第三者機関、
調査だけでなく、
支援、指導、相談ができるような即応集団ということをぜひ提案させていただきたいのと、きょうは
いじめ問題ですので詳しくはお話しできませんが、やはり、この
日本の国の未来をしょって立つ子どもを育てるための教員の養成、採用、研修、この三本立てを国としてもう一度見直しを新たにしていただきたい。
免許状更新講習に関してはいろいろ批判もありますが、実際には、
先生方が今新しい知見を、特に
教育関係の情報を仕入れていかなければ、例えば
発達障害の子どもに関しては、変わっている子ということで済ませてしまって、
暴力問題とか
いじめ問題、不登校が起きても、そこで
先生方が知らなかったばかりに対応できずに子どもが
学校に行けなくなってしまうというような状況が生まれてきます。
ですから、免許状更新講習というものが、いかに
先生が新しい情報を持って
生徒の前に立てるかという、非常に大事なものではないかと思うわけです。
先ほど
少年院の話もありましたが、先日も、ある
少年院を視察したところ、その院長
先生が、担任の
先生が面会に来て、ジュースを一本買ってその子に渡して、短い面会時間だけれども、それだけでその子どもが情緒的に落ちついて、いい顔になりました、そういったことがあるんですよというお話をされていました。
これは、全ての子どもにとって、教員の資質向上と言いましたが、担任の
先生がどのような存在であるかによって、その後の成長、あるいは大人を信用できること、そういった面全てにおいて変わっていける、また、それが
教育ではないかと思います。
ですから、私自身、厳しいことを言わせていただきますと、そういった子どもと一緒にいることがつらい、学級経営がもうしんどいという方は、やはり教員という仕事には向いていないというふうに、どこかの時点で仕事を変えていかなければいけないのではないか。
ただ、二十年やっていましても、初めて
家庭訪問をするときは私自身すごく緊張します。また、ぶり返した子どものところに行って口をきいてもらえないときは、非常に落ち込みまして、二十年の経験が一瞬にして飛んでしまいます。そのときに何をするかというと、やはり、本を読んだり、あるいは
自分の上司にスーパーバイズを受けたり、いろいろな人
たちの
意見、アドバイスを聞き、また、
発達障害の専門家に、この子はこんなことなんだけれどもどういった
治療があるんだろうかということを常に相談し、また
勉強するということ、その繰り返しなんですね。
ですから、だめな
先生が、ではずっとだめかというと、やはり子どもと向き合いながら成長していってくれることが大事ではないかというふうに思います。
最後に、例えば、
先生方の中で、たくさんいるんですが、私の尊敬する一人の
先生が、中
学校長を退職して、今地方で
柔道塾をやられているんですが、その方が、体が大きくて強い子には
自分の力の強さの怖さを学ばせたい、それから、小さい子には、わざがあれば決して負けない、力を使うことではないけれども、そういった、体で教えていきたいということをおっしゃっていました。これは、
柔道でも何でもいいと思います、教員が子ども一人一人に何を伝えていくかということではないかと思います。
最後に、
体罰についてですが、
体罰を見ている子どもも傷ついているということが挙げられます。
部活動で
体罰を見て萎縮して、また、荒れている先輩
たちからちょっとパシリのようなことを言われまして不登校になった子がいましたが、その子が親に相談したところ、その
体罰問題が明らかになったわけですね。ところが、結果的にその子が責められました。その子が言わなければ顧問が責任をとらされることなく、県大会、今強い強豪チームになったのに、その
先生を追いやることになってしまったと。
これはやはり全く違った問題だと思います。正しいことを言って、もしその子どもがスポイルされるようなことであれば、もうこれは完全に
教育の場ではないと思います。
ですから、またぜひ国の中でそういった問題に取り組んでいただけたらというふうに思います。
ありがとうございました。(拍手)