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野田参考人 岩手県は
釜石市長の
野田と申します。
きょうは、このような機会をいただきまして、まことにありがとうございます。
釜石市ということで、今回の
東日本大震災におきまして大変大きな
被害をこうむりまして、本当に今日まで
皆さん方の温かい御支援と御協力をいただきながら、震災の
復旧復興に努めてきたところでございます。
震災から二年が経過をいたしまして三年目に入ったところでございますが、改めて振り返ってみますと、震災当初、
通信も途絶えて外部の情報が全く閉ざされた中にあって、最初に全体的な
把握の情報をいただいたのが、国土交通省の東北整備局の徳山局長さんという方が仙台におられるんですが、その方からお電話をいただきまして、闇屋のおやじだと思って、何でも必要なものがあったら言ってくれ、こういう話をいただきまして、そのとき初めてほっと胸をなでおろしたというふうに、今改めて思い出しているところでございます。
岩手県におきましては、北は久慈市、南は陸前高田市までの十二の
市町村が震災で大きな
被害をこうむりましたけれ
ども、その中でも大槌町とかあるいは陸前高田市というのは大変大きな
被害をこうむっています。もちろんそれぞれ大きな
被害をこうむっていますが、その
被害の程度がやはり違うわけでございまして、そうした中にあって、十二の
市町村が結束をいたしまして、同盟会をつくって、国あるいは県に要望活動を展開してきたという経過もあります。その会長を私がさせていただきながら、この国会でも被災地の現状を報告させていただく機会もいただきました。
その中で、振り返ってみますと、やはり何といってもさまざまな制度の壁がありまして、何かをやろうとするとどうしても法的な壁にぶち当たって、なかなか前に進めない。それを破るために、今度はまた財源が必要だと。そうした制度の壁、あるいは財源の確保をするためには、それなりの
専門的な知識のある人材がやはり必要だということで、この制度の壁とそれから財源の確保、そして人材というところ、この三点がそろわなければ前に進めないということでございまして、今日まで我々が取り組んできた多くの時間が、実はこの三点に尽きております。
本来であれば、被災者の
皆さんの暮らしの再建あるいは住まいの再建に正面から向き合っていかなければならないわけでございますが、どちらかというと、こうしたところの方に時間と労力を割いてしまったなというふうに感じているところでございまして、正直言って、へとへとに疲れているという
状況でございます。
しかしながら、これは釜石市としてもそうなわけですが、例えば先ほど申し上げました、
被害の大きかった大槌町とか陸前高田市のようなところにおきましては、これはもっと大変な
状況にあったと言えると思います。
ですから、同じ被災地におきましても、被災の程度が違うことによって、その
課題がどうしても薄まってしまう部分があるのではないかなということで、大変危惧をしています。
と申しますのは、今まで何度か我々が要望してきた中にあっても、やはり、いわゆる最悪の
状況、一番劣悪な
状況のところに視点を当ててもらわなければ、今回のこの震災の教訓にはなり得ないのではないかな、こう思うわけでございます。
これについては、例えば今回の
災害対策基本法の
改正におきましても、国の代行という制度が新たに設けられたところでございまして、これについては大変評価をしなければならないと思いますが、ただ、それにつきましても、
災害復旧の代行に限らず、市のいわゆる通常事務あるいは
避難所運営等、そうしたところにも国の積極的な支援体制が必要ではないかなというふうに思うわけでございます。これは、先ほど申し上げました、特に大槌町さんとか陸前高田市、そうした一番
被害の大きかったところの首長さんたちが、そのことを震災当初から話をしておりました。
ただ、この十二の
市町村の中では、頑張れば何とかできるという市もありまして、結果として全体のその
必要性というのが薄まってきたような感じがするわけでございます。ですから、今回の新しい法整備に当たっては、最悪の
状況、最悪のシナリオを想定したものが必要ではないかということをまず訴えさせていただきたいと思います。
それから、
皆さんのお手元に資料を配付させていただきましたが、これは同盟会として国にさまざまな要望をさせていただいた、その一覧表でございます。項目だけでございますので、具体の中身がちょっとわかりづらいところもあろうかと思いますが、きょうお渡しいたしましたのは、六回ぐらい要望活動を展開してきた中身が、震災当初はやはり燃料の問題とか
食料の問題とかから、徐々に
復旧復興に向けた
課題が出てきたということでございまして、要は、時間の経過とともにそうした地域の
課題が違ってくるということでございます。
したがって、それぞれのステージ、段階に応じた支援策をどう講じるかというのが非常に大事なところではないかな、こう思っております。
今回の震災では、我々も全く初めての
経験でございました。国においても多分初めてのところがあったと思います。ですから、目の前に見える
課題を解決するためにたくさんの時間と労力を費やす、それが解決したと思うと、また次の新しい
課題が見えてくる、その繰り返しで二年も経過をしてしまったという感じがします。
だけれ
ども、これは
皆さんが一生懸命やったわけなんですね。我々も頑張りました。県の職員の
皆さんも頑張りました。国の
皆さんも頑張りました。だけれ
ども、その一生懸命頑張ったものが、では、結果として被災者の
皆さんに評価されているかというと、やはりそうはならない。それはなぜかというと、やはり全体の
仕組みがそうなっていないということではなかろうかと思います。
ですから、今回の我々のこうした
経験、体験を十分に酌み取っていただいて、全体的な大きな視点の中で組み立てをしていただきたいなと思います。我々は今どこの位置にいるのか、そしてまた、被災された
方々についても、今、国がどういう支援策をしているのかということが目に見える形で、そして次の展開が見える、そういうスケジュール感のある支援体制を構築すべきではなかろうかと思っております。
そのためにも、今回の震災では、
災害対策本部が震災から三カ月後の六月に設立されました。
復興庁はその次の年ということでございますけれ
ども、少なくとも
災害対策本部は震災直後に早く設立をしていただきたいと思いますし、また、その場所はやはり現地もしくは現場に近いところに設置をすべきだろうと思います。そして、
災害対策本部あるいは
復興庁については、できるだけ現場で即断即決ができるような、そういう権限を持った組織であってほしいな、こう思っております。
先ほど申し上げましたとおり、何かを決めるのにも国との協議の中で莫大な時間と労力を費やしてきた。それは、それを費やすだけの
市町村の力があればできるんですが、そうでないところは、そのこと自体が大きな、大変な負担になっているということでございます。改めてそのことを申し上げたいと思います。
それから、代行ということで、先ほど申し上げましたとおり、今回の代行制度は評価をさせていただきたいと思いますが、そのような
状況の中で、やはり最悪の
状況を考えますと、例えば十二の
市町村全部が首長がいなくなる、あるいは職員がいなくなるということも想定すべきだろうと思います。ですから、単なる
災害復旧の代行のみならず、
市町村の主体性を尊重しながら、国として
最大限の、自治事務まで代行するような、そういう制度、
仕組みが必要かと思います。
それから、具体的な
避難行動のあり方でございますが、当釜石市におきましては、児童生徒が、常日ごろの
避難訓練あるいは
防災教育の成果といいますか、
津波に遭遇しながら、高台を目指して安全に
避難をしたという話が全国に発信をされておりまして、この
避難訓練あるいは
防災教育の重要性というのが盛んにうたわれているところでございます。
一方では、例えば、釜石市におきましては、
防災センターという建物がございまして、その
防災センターという名前がまず一つ、
住民の
皆さんにとって
避難場所として誤解されるような場所だったということと、そこで
住民の希望に沿って、
避難場所ではなかったんだけれ
ども避難訓練、仮の
避難場所として訓練をしてしまったというふうなことから、実は多くの
住民の
皆さんが犠牲になったという例がございます。
したがって、
避難場所の指定、
避難場所とはどこにつくるべきかというのは、非常に大きな反省点として我々は捉えております。
それから、今回の震災で、六十五歳以上の多くの高齢者の方、あるいは体の不自由な
方々が犠牲になったという例があります。その
方々の多くが、実は、宮城県沖
地震を想定しておりましたので、その
津波の浸水想定区域外の、いわゆる安全であると称されているところに住んでいた
方々が犠牲になっている。
こういうことを総合的に考えてみますと、我々としては、行政の責務は当然あるわけでございますが、それ以上に、やはり
住民自身の責務ということも大きく取り上げていくべきではないのかなということを強く反省しております。行政としてやるべきものはきちんとやらなければなりませんが、同時に、そこに住んでいる
住民の
皆さん、あるいは国民と言ってもよろしいかと思いますが、国民の責務あるいは
住民の責務というところを強く考えているところでございます。
特に、今までの例からしますと、どうしても、国、県あるいは
市町村の
防災計画あるいは
防災指導に依存した形が続いてきたのではないかと思います。ですから、他に依存することなく、みずから常に危機意識を持ってみずからの安全を確保する、こういう意識を醸成すべきだろうと思います。それは、想定にとらわれない判断力というものが必要になってきますし、また、逃げるということの重要性をまず確認するということでもあろうかと思います。
今回の三・一一の大きな教訓の一つは、こうしたいわゆる
減災という考え方ではなかろうかと思うわけでございまして、この
減災とはどういう意味なのかということも改めてきちんと明確に示しながら、国民の
皆さん、あるいは
住民の
皆さんに強く訴えていくような、そういう視点に立った基本法であるべきではなかろうかと思います。
そういう中で、今回の基本法の中にも、
減災の考え方など、
災害対策の理念を明確にしたということでございますけれ
ども、改めて、その理念そのものとともに、その理念を国民の
皆さんが共有する、その理念を効果的に、そして積極的に周知広報を行うということまで踏み込むことが必要ではなかろうか、こう思っております。
この件についてもう一つお話を申し上げれば、先ほど
住民の責務という話をさせていただきましたけれ
ども、やはり、みずから率先して逃げなければならない。例えば、行政としては、
避難指示、
防災行政無線等でそういった指示を出すわけでございますが、そうした情報を受けたらば、
住民はやはりみずからの安全を確保するために逃げるんだ、こういうことをきちんと明記すべきではなかろうかと思います。
それから、これに関連いたしまして、先ほど
防災マップの話をさせていただきましたけれ
ども、こうした
防災マップの作成に努めるということも今回の
改正案の中に盛り込まれているようでございますが、この
防災マップをただ単につくるということではなくて、先ほど申し上げました、
防災マップは安全マップということになりまして、非常に
危険性をはらんでいるわけでございます。ですから、
防災マップをつくるという作成の過程、すなわち、
住民による過去の
災害の検証などに視点を当てながら、
防災意識の啓発につなげるような、そういう過程を大事にするということ、これもまた明記すべきではなかろうか、このように思っているところでございます。
次に、大
規模災害からの
復興に関する
法律案についてでございますが、今回の震災を契機に、新たなこうした
法律案が制定されるということでございまして、我々としては、今回の震災の非常に大きな教訓の一つとして、大変評価をさせていただきたいと思っております。
これについては、先ほど
新潟県の
泉田知事の方からもお話がありましたけれ
ども、まずは
復興に当たりまして、先ほど、我々の一番の
課題が制度の壁とそれから財源という話をさせていただきましたけれ
ども、今回、五省四十事業ということで、限られた制度の中での事業を進めていかなければならないということでございました。したがって、この五省四十事業という枠にはまらない部分につきましては国の方と何度も何度も協議を重ねていかなければならない、こういう点がございまして、先ほど申し上げたとおり、我々としてはへとへとに疲れてしまうという
状況になっております。
改めて、
市町村が、あるいは県でもいいと思うんですが、県あるいは
市町村が自由な裁量で使えるような交付金であってほしい、こういうように思うわけでございます。
自治体が責任を持って執行して、万が一不適切な使い方が判明した場合は返還をさせる、そういう制度設計の方が、現場の
課題に速やかに
対応でき、
復興のスピード化が図られる、そしてまた、
地方分権の流れにも合致するものではないか、このように考えているところでございます。
最後に、一つだけ提案を申し上げたいと思いますが、今後、高い確率で大
地震、大
津波の
発生が想定されておりますし、風
水害等も全国で頻発している
状況にございます。今回の震災では、国においては予備費を全額吐き出したとも言われていますが、予備費だけではやはり限界があると思います。こうした大
災害時に速やかに対処できるよう、国として大きな額の
災害対策基金を積み立てておくべきではないかというふうに考えているところでございます。
以上で私の発表とさせていただきます。本日は、まことにありがとうございました。(拍手)