○冨岡
委員 おはようございます。私は、自由
民主党の、長崎出身の冨岡勉と申します。
きょうは、海の
環境について、特に、私
たちが抱えます有明海、諫早湾問題等を勘案しながら、
環境省そして
農林水産省に対して
質問をさせていただきたいと思います。
私、きょうは資料を用意しておりますので、後ほど
説明しますが、この
委員会でも、諫早湾問題というのは
一体何だったかなと思われている方も随分多いと思います。それで、その
説明を兼ねてやってまいりますので、どうぞ御清聴をお願いしたいと思います。
諫早湾といいますのは、資料一に示しますように、このカラー写真ですが、ちょうど東京湾に匹敵するぐらいの湾で、長崎、佐賀、福岡、熊本に囲まれた内海でございます。
諫早干拓
事業というのは、昭和二十七年に長崎大干拓構想として、戦後の食料不足を解消する目的でスタートされましたけれども、昭和五十七年に漁業
関係者との
補償等を経て、昭和六十一年に、優良農地の確保、そして防災という面を目的として干拓
事業が着手されました。そして、実に着工から二十二年を経、二千五百三十億円の巨費を投じ、
平成二十年三月に完成した
事業でございます。
なぜこういうことをやったかというと、昭和三十二年に諫早に大水害が起こり、六百名以上の死者を出しました。高潮とかゲリラ豪雨の被害から身を守るために、あるいは、海水の逆流を防ぐ樋門といいます、小さな河川に小さな門、樋門の開放を深夜、早朝を問わず行ってきました。眠れぬ夜を過ごしてきた周辺住民は、潮受け堤防、一番外側の堤防、これはもう今道路になってバイパスがわりに使われていますが、これを潮受け堤防と呼びます。外側の潮位というのは、有明海は非常に干満の差が大きい海でございまして、干潮と満潮との差が六メートルにも及ぶ地点がございます。
そういった状態というか自然
環境の中で、潮受け堤防を常に標高マイナス一メートル、いわゆる流れ込む水を引いてあるような、ちょっと言えば陰圧で引くようなそういう池をつくってやって、洪水のとき大量に流れ込む水をそこで一旦受けとめ、大潮のとき、これは逆流してきますから、そういうときにも洪水にならないように調整している池でございます。
そういうものが完成した結果、水田や道路の冠水が起こらなくなり、豪雨のときにも安心して眠れる夜を迎えられるようになった、そういう地点でございます。
ちょっと資料の一を見てください。ただ、ここでちょっと見ていただきたいのは、有明海全体に占めるこの海水面の面積はわずか三%であること、そしてここに、上空から見てわかるように、ノリひびというんでしょうか、養殖のノリが盛んにつくられている地点でもありまして、これが有明海の二〇%に及ぶ海水面を使っているところであります。
資料の二をごらんください。これが今
説明しました状態の図でございまして、締め切り前は、人家、そして、地先干拓といって、ずっと干潟を干拓して農地をつくっていた
地域でございますが、小さな堤防がありまして、そこを越えて、例えば昭和六十年八月の台風十三号のときには、何と潮位が三メートルを超えまして、水田が冠水したこともございました。
これが、資料二の左下を見ると、締め切り後はこの潮受け堤防により遮断され、同じような潮位、三メートルを超える潮が満潮時に押し寄せてくるんですが、見事それを防ぐことができ、冠水から免れるという状態が、今ほとんど被害が発生しない状態になっております。
また、営農の面では、資料三を見ていただければと思いますが、この六百六十六ヘクタールに及ぶ優良農地は、二毛作というんでしょうか、いろいろな野菜、果物類をつくって、有効耕地利用率は、全国平均九二%のところを、一・七倍、ほぼ二回土地を使えるようになっております。耕作物にしましても、二万一千トン余りの収穫を認めるようになってまいりました。
また、資料四でございます。これは、干潟で非常に魚介類が豊富にある。貝柱をとるタイラギ、そしてアサリですね。タイラギも前は大変よくとれていたんですが、今、ようやくそれが復活しようとしています。
また、資料五。これはカキですね。華漣という名前がついておりますけれども、コンクールで
日本一のカキを生産するようになりました。
何が申し上げたいかというと、当時、私も、この干拓
事業が始まったときは、干潟が本当に死んでしまう、ムツゴロウ裁判等も見ましたけれども、これは大変なことをやっているんじゃないかなと思っておりましたけれども、現状を見る限り、営農も防災面も非常にうまくいっているという認識があります。
そして、県民、特に諫早市というのが一番のこの影響をこうむる市でございますが、諫早市の住民の方は本当に安心して眠れるようになった。夜中、早朝に起きて樋門を閉めるようなこともしなくていいというようなことをおっしゃっておられます。
ところが、こういう状態があるにもかかわらず、実はいろいろな訴えが出てまいりました。
資料を見てください。今度は資料の六ですね。
平成九年に潮受け堤防が締め切られました。皆さんテレビでよく見られたように、とんとんとんとんと鉄板が海水の中に打ち込まれていき、干拓
事業が最盛期を迎えるわけで、これはギロチンという
言葉で、海水性の生物を殺してしまうようなイメージを強く持たれたと思います。
確かに、そのときはそういう
意見もございましたけれども、実は、この潮受け堤防を締め切った、それが原因だということで、佐賀の漁業者の皆様から訴訟が起こります。その理由は、締め切ったために海流の速度が遅くなり、ノリ等が被害をこうむっている、したがって、直ちに潮受け堤防を撤去し、もしくは、潮受け堤防の中の水を出し、全開しなさいというような訴えが起こされました。
資料六を見る限り、よく見てみると、確かにこの緑色のノリ類の生産は減っております。減っておりますが、このときにはいろいろな工事が行われ、いろいろな原因が取り沙汰されたんです。私も、これを見る限り、あれはやはりまずかったかなというようなそういう疑念を持った時期もございますが、次の資料七をごらんください。
実はよくよく見ると、ノリ類は、その後も増産というんですか、豊漁が続きます。そして、
考えてみるまでもなく、魚類や貝類は、この門とは
関係なく減少を続けていることがはっきりするわけでございます。つまり、訴訟の前提に立った潮受け堤防の締め切りは、こうして見ると
関係ないのではないかということが言われるようになりました。
しかしながら、常時開門を認める福岡高裁の判決に対し、
平成二十二年十二月に当時の菅直人総理
大臣が、実は、
環境アセスメントをちゃんとしなさいといういろいろな
意見があって、そのアセスメントの
調査中に、結果が出ないにもかかわらず、福岡高裁の判決を受け入れてしまった。
地元はびっくりしたわけでございます。
そこでまず、当時の農水省、
環境省を含めて、有明海の漁業不振は諫早湾の締め切り堤防が原因だ、そういった訴訟に対して、あるいは高裁判決に対して、菅元総理が高裁判決を突然受け入れたことに対して当時はどのような対応をとろうとされていたのかをお尋ねしたいと思います。