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参考人(
緒方貞子君) 本日は、
参考人として
出席させていただき、ありがとうございます。
この
参議院ODA特別委員会におきましては、毎年のように
参考人として
出席させていただき、本当にありがとうございます。御
関心といろいろ御
協力を心から御礼申し上げます。ちょうど私、就任して以来八年六か月
たちまして、
JICAからの退任をさせていただきました。
理事長就任中は、いろんなこともございましたが、
皆さん方の御
理解と御
協力において本当にいろいろな
仕事をさせていただいて、
JICA一同、
大変皆様方の御
関心に厚く御礼申し上げたいと思います。
在任中の
時代的な背景と申しますと、やはり
グローバル化というものが非常に進んだ
時代だったと思います。そして、その
意味では、
国際協力、
国際協調等が重要であるということが
現実にもまた
理解の上でも進めさせていただいた
時代というふうに考えております。
ただ、
グローバル化によって新しいいろいろな課題ももちろん生じました。運輸、交通、
情報通信技術の
発達、そういうものが
国境を越える
時代、これが私が
仕事をさせていただいた
時代の大きな特色であったと思います。ともかく、人やお金や、特に
情報がすごい
スピードで
国境を越えていくと。それに対して、これは
経済成長のチャンスとしてとらえもいたしましたが、それとともにリスクも当然たくさん生じました。
感染症、これも
国境を越えてどんどん広がります。環境の汚染もございます。また、犯罪、
テロ等もやっぱり
国境を越えて
世界中に広まった
時代であったと考えております。
それと同時に、一番私
ども事業をしながら痛感いたしましたのは、非常な
スピードで進歩していく一方、特にいろんな
格差が生じると。その
格差の拡大というものにどういう形で対応していったらいいのかということで、大変いろんな、考えさせられもいたしましたし、また
開発援助のいろんな調整をしなきゃならないということも痛感いたしました。
何と申しましても、
国内、国家の中においていろんな
格差が出るわけでございます。そういたしますと、その内部に、
国内における社会的な違い、そしてまた
経済的な違いからくる
格差が顕在してまいりますと、いろんな形で対応が求められると。その
現実にも随分直面いたしました。
特に昨今、
情報革命によりまして、実態というものがすごい
スピードで伝わっていきます。これが、
流動化、
複雑化ということから、特に
通信技術の
発達の、ツイッターとか
フェイスブックだとか、そういうものが
人々の目の前にあらゆる形で
格差が分かってくると。そういたしますと、不安というもの、不満というもの、
両方とも非常に広がったわけでございます。
これについては、昨今
アラブの春として知られたわけですが、これも、
チュニジアにおける
教育を受けて高校まで行ったような若い人が
仕事がなくて
野菜を売る、その
野菜を路上で売るのがいけないといって取締りを受けると、それに抗議をして
焼身自殺をしたというようなことから非常に広まったんですが、これ、私
たち援助をする者にとって非常に大きな教訓を与えさせられました。
教育には随分
努力いたしましたが、それに伴う形で就業というものがつくれたかどうかと、こういうことを非常に感じまして、私も
最後の出張の
対象としてエジプト、それから
チュニジア等へ回ってきたわけでございます。
ですから、どういうふうにこれから対応していくかと。簡単に申しますと、やはり
人々に焦点を当てた形で全ての
事業はしていかなきゃならないと、それを痛感いたしました。
また、
地域的には、今
アラブのことは申し上げたんですが、それと同時に、大きく
JICAが
支援の
対象として広げてまいりましたのは
アフリカでございます。
日本も、
アフリカ植民地独立以来、いろんな形で内戦が続き、貧困が集中してくる、そういうようなこともございまして、
支援は増やしてはまいりましたんですが、特に
TICADの、今回、近く五回目になるわけですが、
TICADに対する非常に集中された
事業そしてまた
関心、そういうことに幸いいたしまして、そういう形で
事業は増やしました。
アフリカにおいては、私が参りました二〇〇三年度から昨年まで入れてまいりますと、
技術協力においては一四%だったのが
技術協力全体の二〇・九%にまで
アフリカが広がりました。
無償援助につきましても二五・六%が四二・八%になる、ほぼ倍になりました。特に円借につきましては、これは
アフリカではどこまで伸びるんだろうというような疑いは、あるいは疑問は持っていたんですが、実は一・八%だった円借が一〇・七%にまで増えました。つまり、
経済成長を遂げた
アジアの新興国はこれはもう相当どんどん
経済的に進んでいますが、そういう
成長をしてきた
アジアの
国々とは、特にこの中国の場合はそういう話合いもさせていただいたんですが、
協力者として、一番必要な
アフリカ等へ
事業を展開していくと。そういう結果が今申し上げたような数字として出てきたわけでございます。
もう
一つ、意識的にいろいろ強化を図ってまいりましたのは、やはり
アフリカにおきましても、
アジアはかなり安定はしてきていたんですが、特に
アフリカ等においては、やはり
紛争、
植民地解放から独立したけれ
ども、それがただ平和的に全て進んだわけではない。いろんな
紛争も伴ってきた
場所が多かったんですが、そういう
紛争においては誰が一番危険にさらされるかと申しますと、
人々なんです、一般の普通の
人々。ですから、どうかしてこの大きな変化という中では、
人々に注目して、
人々の危険というものを意識して対応していくということを随分
試みてまいりました。そういう形では、いろんな形で安全の対策というものは工夫しなければならなかったのでございます。
平和構築支援とよく呼ばれますが、国が独立し、あるいは独立した中でいろいろな新しい方がリーダーとして出てくる、そうすると、その
実施体制は多様でございます。そのような
実施体制が多様な中でどうやって一番
効果的な
実施体制、
平和構築をしていくかというと、やはり
人々の安全、
人々への
恩恵の波及、そういうものを意識してやっていかなきゃならない、これは
JICAがここ十年近くの間に一番意識して
試みてきたことでございます。
例えば、
アフガニスタンの
復興におきましても、あるいはイラクも戦争から平和へのあの過程において、随分私
ども、新しく水だとかそれから電気とか大きい
事業をしなきゃならなかったんですが、そういうことをなるべく早くすることによって
人々が
恩恵に触れることができるということを
試みました。
特に、
アフリカでは
スーダンに最近
自衛隊の
施設部隊も出ていただいたんですが、
スーダンのジュバというところでは、これは
ナイル川の
ブルーナイルと
ホワイトナイルと言われているのが合流します、非常に大事なところなんですが、
紛争の結果、ようやく
人々が帰ってきたというようなところに
波止場を造りまして、これもほとんど
JICAの
職員の
手仕事のような形で、銅板の板を持ってきて造ったんですが、そこが、
人々が帰ってくる、あるいは
食料品が対岸から来る、そういう大きな
役割を果たすことになりまして、だんだん
南スーダンの
復興の
中心的な
場所となっていく。
その中で、
JICAが
自分たちの
手仕事の形で造った
波止場が
一つの
契機になって今や
中心的な
南スーダンの都市になる、そしてまた、その
重要性から
政府の方からも
自衛隊の
施設部隊を出してくださるというふうなことも出てまいりました。
そういう形で、いろんな形で
復興に、またそして
復興を
中心とした、
復興を
最初の足場としました
経済開発への
努力ということを
アフリカではかなり広くやってまいりました。また、この点は引き続き、来年の第五回の
TICADでは大きく発展ができるように、
先生方の御
理解と御
支援を
是非お願いしたいと思っております。
こういうようなやはり
試みといいますのは、
人々を大事にして、
人々中心、
人々への
恩恵ということを
中心として考えてきたのでございますが、この
人々に対する保護とその
能力向上、これは
技術協力の面からかなり広くやってくることができました。でも、
技術協力だけではなかなか
効果というものが一気に広がらない。そういうところからこの円借というものが私
どもの
事業の
対象の中に入ってきて、このJBICと
JICAの
統合というものの成果がこういう形で非常に現れたということは大変幸いでございました。大きなチャレンジだったんですが、やはり
人間を
対象として考えながら、
技術協力から、それがいろんな形で、円借まで含めた形での大きな
支援の形が取れるようになったことは、私も、この八年間の間でよかったなと思うことを
一つ挙げよとおっしゃいましたら、多分この
統合がうまくできたということを御報告できると思います。
こういうふうな形で、
日本のやっぱり
仕事としての
ODA、そういうことを通しての
世界の、特に貧しい
地域、
人々に対する
恩恵が広まったということは、
先生方の非常な御
支援と御了解をいただきまして、ともかくあるところまでは進めることができたと思います。ですから、非常に広く、そういうことになると
地域的な
事業ということに広めていくことができたと思うんです。そういう、
人間を
対象にしながら
地域に
恩恵を広げていく、そしてそれを通して
アジアの
国々、そして
アフリカの
国々、そしてまた今
アラブ連合の
国々にもだんだんではございますが
影響力を発揮していくことができたと。まだまだ今後も、
援助潮流の中でこういう
アプローチというものがどこまで生かされていくかということを
試みながら進めていきたいと考えております。
それから、あくまでも
平和構築、そして弱い
人たちを
対象とした
人間の
安全保障の
アプローチ、そういうことを私
ども心掛けてきたんですが、
世界的にも、
世界銀行におきましてもワールド・ディベロップメント・リポートと、昨年度出しましたんですが、世銀が
脆弱国の
支援を重要であるという意識を持ってこういうリポートを書かれたのは、
JICAが
試みてきたと同じような線で
両方相互に裨益するところが多かったと思うんです。そしてまた、こういう形でもう少し私
どもの
経験というものを、
国際協力事業の現場において得た知見をこの
報告書あるいは
政策提言という形で広くこれからも
皆さんに
理解していただくようにしていきたいと考えております。
従来、
国際協力事業というものは、私
たちとしては、一番
援助の
対象となっている
裨益者、
人々、
国々、
地域ということを
中心に考えてきたんでございますが、昨今やはりこういうことをやっている
欧米、
世界銀行の例を今お出ししたんですが、
欧米諸国、特にヨーロッパの
国々、あるいは
アジアの
国々とも多少
試みていますが、こういう
事業をする
国々あるいは
事業体とももっと
協力してこの
影響力というものを広めていかなきゃならないんじゃないかと。
援助潮流というものをつくっていく
役割ということを意識するようになってまいりました。
また、そういうことを意識する大きな
契機となりましたのは、実は
東日本大震災の
被災国としての
日本に対する、いろいろな
開発途上国はもとより、それから
先進国も、広い
世界からのいろんな
支援を
経験いたしまして、やはり本当にこの
世界は持ちつ持たれつなんだなと。私
どもも
援助できることはたくさん
援助すると、しかし私
どもが困っているときには、やっぱり
援助を受ける国であり
人々であるということを非常に痛感いたしました。
援助を受けることによって、さらに、
援助をするときの
考え方、
アプローチ、そういうものがまた、習ったことが非常に大きかったと思います。
ですから、
国際協力に対する
国内、特に
震災後のいろいろ
経済においても、それから生活においても厳しい状況にある中で、何とかこれを進めるということに広く
努力を、
努力を広めていくことができたんじゃないかと思っております。その点、
先生方の御
理解とそれから御
支援は非常に大きなものであったというふうに
お礼も申し上げたいと思っております。
国際協力の
実績は、あげるだけじゃなくてもらうんだと。あげたりもらったり、それが、連携がこの
世界全体をより良くしていくのだということを誠に強く感じた私の八年半でございました。
ODAの
予算的には、一九九七年をピークとして年々減少しております。その
予算の面から見ると、
実績的には
日本の場合は、昨年度、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスに次ぐ第五位の国になっております。これは私としては、
実績を幾ら上げても、
効果を幾ら上げたとしても、やはり
協力の
量そのものがある程度減っていくというのは
日本としては大変残念なことでもありますし、
世界的な
期待、これは被
援助国も、それから
援助をしていらっしゃる
国々からも、
日本がもっと広く今の力を持って更にこれを倍加していただけるといいという声はやはりよく聞こえてまいります。
そういうこともあって、
先生方の御
理解をいただいて、そしてまたその御
理解の下に、
ODAについては、やはりこれが私
たちが内的にも国際的にも生きていく一番非常に大事な
ツールであるということで、
是非後押し、あるいは先に立っていろいろ御推進していただきたいというふうに考えているので、
最後にひとつ
お礼として申し上げたいと思いました。
この世の中、やはり今、
世界は非常に
グローバル化しているというふうに申し上げましたのですが、
グローバル化している
世界というのは
相互依存の
世界なわけでございます。ですから、
相互依存の
世界においては、
相互依存を更に深化する、そして拡大していくと、それしかよりいい
世界をつくっていく
方法はないんだろうと思うんです。
ただ、何と申しましても、
効果的にやること、無駄を省くこと、そういうことは
重々JICAとしても
職員一同強く意識しながら働いてまいりました。ですから、私
たちとしてはそういう形で、
世界の中で最も
事業を
効果的にやっている、それと同時に、
世界の
人々のために役に立っている国という形で
日本の将来というものを
世界的に認められるように
是非ならなきゃならないし、なりたいというように私も考えてまいりました。
ですから、やはり
日本としては、私
どもはやっぱり、
軍事力を持って立つ国ではないということを国民も
政府も決めているわけでございますが、やはり外交、
開発、そういう
ツールを持って
相互依存の
世界で大きな
役割を果たしていくのが
日本であり、いける国が
日本であるというふうに痛感いたしました。ですから、その
意味では外も内も
一つの
考え方ということでまとめていきたいというふうに心掛けてまいりましたし、私もその八年半をそういう形で
努力の一端を担ぐことができて非常に幸いだったと思っております。
国際協力の
事業からたくさんのことを学びました。いろんな形で
国内でも
事業をしておりますし、
震災が起こりましたときに一番
最初私
どもがいたしましたのは、
日本に来ているたくさんの
開発途上国の研修生なんですが、約千名おりましたのを、一人一人の
安全確認を
最初にいたしまして、
最後まで安全だということを確認して、本当に大きくほっとしたのを覚えております。そしてまた、その多くの
方々は
日本のためにいろいろな、パレスチナの子供が絵をかいたのを送ってくださるとか、本当に考えたこともないような広い範囲の
方々から
支援をいただきました。
そして、私
たちは本当にそれにこたえる形で、
JICAとしては、
グローバルに役に立つ人材を育てていく、そしてまた役に立てるような部署においてみんな働くようにすると、そういう形で
国際協力機構としては
事業を
試みてまいりましたが、ますます
先生方からいろいろな御
指導をいただきまして、また御
協力をいただいて、大げさに申しますと、
日本と
世界をつなげる大きな
仕事としての
ODA、
国際協力の
事業ということに御
支援をお願いしたいということで、御
挨拶に代えさせていただきます。
ありがとうございました。