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参考人(
山田太雲君)
皆様、こんにちは。本日はこのような
機会をいただきまして、本当にありがとうございます。
私の
発言内容に関しましては
荒木先生の
資料の次にございまして、その後、こういった
参考資料ですね、ちょっと
カラーの
資料も付けてございます。
私からの
お話としては、
国民からの
ODAに対する
理解や
支持、
参加に関して、特に
震災後の文脈でどう考えたらいいのかということに関して
お話しできたらというふうに思っておりまして、まずは、国内外での様々な
期待であったりとかそういったものと、今の
日本の中での
ODAの
説明のされ方というものが若干ずれていないかということをまず
お話をさせていただきます。それで、その後、ではどういう形で
日本は今後
ODAを戦略化していくべきなのか、位置付けるべきなのかという
お話をしていきたいというふうに思っております。
まず、簡単に私
自身の御紹介をさせていただきますと、
オックスファムという
NGOが一九四二年に、元々
イギリスで始まった
団体、まだ戦中だったんですけれども、に始まった
団体で、その後七十年間
活動をしてまいりました。
日本を含む十七の
団体が国際的な連合体をつくっておりまして、
世界九十か国以上で数千の
NGOと
協働をしながら
活動してきております。
活動内容としては、特に
途上国における
緊急人道支援、それから長期的な
開発支援、またそこから出てくる様々な
政策提言ですとか
世論喚起型のキャンペーンといったようなことを展開をしております。
私
自身は、その中で特に
途上国の
保健医療や
教育分野向けの
ODAの量と質の改善と拡充ということを特に
日本政府に対して働きかける
仕事をしておりますが、組織全体としては、こういった
ODA以外の
開発課題も包括的にかかわっております。あと、
国連やG8、G20といった
国際会議の場では、私
自身、
オックスファムの
国際チームの一員として
活動しておりまして、そういった場で、ほかの国の
政府であったりとか
市民社会、
NGOがどういった
議論を展開しているのかということについてふだん慣れ親しんでいる
立場です。そういった観点からコメントさせていただけたらというふうに思っております。
まず、国内的な
ODAの
議論についてなんですけれども、
震災の前から必ずしも
ODAに対する
支持というのは高くなかったというふうに思っております。
資料一を御覧いただきたいんですが、
カラーの
資料の一枚目をめくったところにございますが、
財団法人の
国際協力推進協会といったところが
国際協力に関する
調査というものを行っておりました。二〇一〇年の
調査を見ますと、その
調査に答えた人の回答を見ると、
ODAに何を
期待するかというところで見ると、貧困や
保健、
教育、水、
子供、
災害といったような、いわゆる人道的な
分野というものへの
期待がすごく高いということが順序としては出てきています。しかし、
ODAと聞いて何をイメージしますかと聞かれると、
経済インフラ、無駄、腐敗の助長といったようなネガティブ、ネガティブじゃないものもありますが、そういったイメージがあると。じゃ、
ODAを使うべきではない、必ずしも不要ではないと思う
分野があるとしたら何ですかと聞かれたところ、
科学技術、
文化交流、
経済成長、
インフラといったようなものが出てくると。
量的な
部分についてはかなり誤解がありまして、
世界最大の今でもドナーであるという
理解であったりとか、予算の中でどれくらい使っているかに関しては、分からないという
意見が実は一番多かったんですけど、必ずしも正確に一%前後ということを当てているわけではないということですね。
そういったことを総合しますと、
ODAに
期待をしている
分野に
ODAが必ずしも行っていなくて、しかも、実態よりもすごくたくさん出しているというふうに思い込んでしまっていますから、これ以上出す必要は、特にこれだけ
経済状況が厳しい中では、出す必要はないんじゃないかという
意見が大勢を占めるというふうに至っているのではないかと思っております。
それから、国内で例えば
事業仕分が二年ほど前にございました。そのときに、
政府側の
説明などを聞いていますと、まあそこだけではないんですが、いろんな場面で出てくる
説明というのが非常に、若干私どもから見て内向きじゃないかなと思うような
説明がございます。国益に資するんだ、それから
支持や感謝がもらえるんだ、それから国内
企業も裨益するんだと。結果としてそういったことはあるかもしれませんが、そういったものが非常に
中心となる
説明になっていて、一方、
国民の多くの方というのは、
企業がスキャンダルが起きたときにも非常に厳しい批判をしますけれども、営利
企業ではない非営利の
活動若しくは公共益のための
活動とされているものが、そこに自己利益みたいなものが入ってきていると非常にそれを偽善、欺瞞というふうに感じる
傾向がすごく強いんじゃないかというふうに思います。そこは、
NGOに対してもそういった声が若干あるときがございますし、そういったことを考えたときに、
政府の
ODAの
説明というのが、若干そこの
国民心理というものに配慮が行き届いていないんじゃないかということがございます。
ただ、
国民が
国際協力、
途上国への
支援に対して完全に背を向けているかというと必ずしもそうではなくて、例えば、これは
海外の話になってしまいますが、二〇〇八年の
アメリカの大統領選でオバマさんが大統領選に立候補されていたときに、演説が非常に話題になりました。CDがたくさん売れたということもありましたけれども、やはりああいった、今の
世界、社会が非常に行き詰まってしまっている、それに対してみんなで協力して乗り越えていこうじゃないかというような、ある
意味高潔な演説といったものに対してはまだポジティブに反応する、そういったものに飢えているという感情があるのではないかというふうに思います。そういったものをどう
ODAの
議論をするときに刺激することができるかということを考えていけたらというふうに思っております。
震災後なんですけれども、こちら
資料の二番目になりますが、最近電通が発表した
資料で、
震災後、
世界とのきずなに対する意識というのは高まったかという質問に対して、かなり高まった方が多いんですが、その後一年たって下がってしまっているんですね。上から七番目ぐらいに
世界とのきずなというのがございます。ただし、被災地などで
お話を伺っていると、やはりハイチであったりとかスマトラ沖での津波、ああいったものの大変さというものがすごくよく分かりますということをおっしゃる被災者の方もそれなりにいるということは
NGOなどからも聞いております。
あと、この一年間のメディア報道なんですけれども、
震災に対する
海外からの応援があったときには非常にそこは大きく報道されたんですが、
タイで似たような被害、洪水で起きたときに、報道されたのは主に
日本企業の被害の実態ということで、特に
タイ国民の状況というのは余り報じられなかったんですね。ニュージーランドの地震からつい先週一年たちましたが、これについても、邦人が二十八人死んだあの地震という形で、必ずしもニュージーランドの人々の取組、努力というものが報じられているわけではないということで、この内向き
傾向というものはメディアの
影響力が少なからずあるのではないかというふうに思っております。
そうはいいながら、
日本の多くの方にとっては、この
震災をきっかけにかなりやはり
日本の将来について不安を感じているところだと思いますし、そういうところで、遠くの人のための助けというのは若干後回しにならざるを得ないんじゃないかというのが偽らざる多くの方の感情ではないかと思います。そういうところから考えますと、恵まれている我々から恵まれていない彼らに対する
支援というような
広報というか、売り込み文句というのはなかなか通用しなくなってきているんじゃないかというのが正直なところです。
それから、
世界の状況に関しましては、二〇〇〇年代に入ってから
国際社会の開発の合い
言葉になったのがミレニアム開発目標という
国連の共通の目標でございました。これは、
世界史的に見れば、
世界から貧困をなくそうという、そういった目的のために各国が力を合わせる
最初の、
世界初の
プロジェクトだったというふうに言えると思います。また、その二十年ぐらい前から、実は
途上国が多くの債務を抱えている中で、特に
教育分野や
保健分野への
政府支出が削らされたといったことがありまして、それが、多くの人たちが亡くなるであったりとか
子供たちが
学校に通えないという状況があって、それが内戦につながるというようなこともございました。
そういった状況に対して
世界の反省もありまして、MDGs、ミレニアム開発目標が共通目標になったわけですけれども、この十年間、多くの前進がございました。
資料の三の方にも
関係してきますが、実際に五歳未満児の年間死亡件数も大きく減りましたし、九〇年代には
アフリカなどではHIV、エイズが物すごく猛威を振るって、平均寿命が三十代、四十代にまで落ち込んでしまうような国がたくさん出てきたんですけれども、薬に対するアクセスというものも飛躍的に伸びました。こういったこの十年間の努力で、適切な
政策とそこに十分な資金を付けることができればMDGsの達成は可能だということが、二〇〇〇年代後半に入って
国際社会は自信を付けるに至ったわけですね。
ところが、これからラストスパートだというところでリーマン・ショックが起きてしまい、雰囲気がかなり変わってきたと思います。まずはその
経済危機が
世界中を直撃しているわけですけれども、特にその中で貧困国が影響を受けておりまして、IMFなどは次に何かショックが起きたら
途上国の社会開発の予算は削られてしまうだろうというふうに言っております。
また、食料価格の変動というものが物すごく大きくて、
日本では円高の影響でそれほど感じておりませんが、
途上国の飢餓人口がまた十億人を突破しようとしております。これが
資料の四のグラフになりますけれども。この食料価格の乱高下に関しましては、元々化学肥料に頼った食料増産といったものがかなり
限界に来ているといったことですとか、気候変動の影響が増えてきている、元々
途上国の農業セクターが物すごく疲弊してきたというような状況がございました。
こんな状況で、
資料の六にちょっと飛んでしまいますけれども、実は飢餓人口、十億人と言われる飢餓人口の中で半分ぐらいが
途上国の小規模農家なんですね。農家の
方々がたくさん飢えているという非常に逆立ちをした状態になってしまっているという中で、食料価格がこれだけ変動するから、特に食料を輸入に頼っている国が多くの
途上国の土地を買い占めるというような動きが出てきています。これは実は
日本の食料
安全保障にも非常に脅威になってきているということで、どうやって、この荒れてしまった状況に対して各国が自分さえ良ければというふうに動いてしまいますと、
日本も含めてですけれども、特に
途上国が非常に厳しい状況に追い込まれてしまうと。どうやったらもう一回この危機的状況の中でグローバルガバナンス、多国間の協調というものを取り戻すのかというのが今の課題になっているかというふうに思います。
こういった中で、若干MDGsからは
国際社会の開発の軸足というのは移りつつあるんですが、最近多く
議論されるようになってきているのがG20ですね、G20の中で
議論されている。どうやったら
世界経済がもう一回成長軌道に乗せることができるのかといった
議論が大体前面に出てきているのではないかというふうに思います。
経済成長というのは
途上国にとっても非常に重要なんですね。ただ再分配をすればいいというものではなくて、例えばニジェールという国を見ますと、平均所得が一日一ドルぐらいですから、これを、所得を全部平等にしてしまっても皆さん物すごく貧しいままであると。つまり、
経済を成長させなければいけないというのは
途上国にとっても当てはまることなんですけれども、じゃ、マクロ
経済を成長させれば貧困問題が解決するかというと、そうではないんですね。
ブラジルとペルーのこの二十年余りの実績を見ますと、ペルーは三・九%年間平均で成長していますが、貧困人口も増大してきています。それに対してブラジルは、成長率は二・五%と若干低めなんですが、貧困率を半減させるということに成功しております。
こういったところから、
経済成長に貧困層をいかに
参加させることができるのか、また成功の果実をいかに貧困層に還元することができるのかというのが非常に重要になっておりまして、この間、特に
経済危機の勃発以降、多くの国際機関などもかなり研究を進めてまいりました。
世界銀行によりますと、
経済成長が実際に貧困削減の効果を持つには、その社会にそもそもどれくらいの平等が達成されていたかによるという試算を出しております。IMFは、不平等を放置してしまうと貧困削減効果が減るだけではなくて長期的にはその国の成長の見通しすら下げてしまうということを訴えております。私ども
オックスファムの方でも、不平等の克服をするためには五本柱があるのではないかというふうに考えております。所得移転であるとか、
教育、
保健医療への普遍的アクセス、累進税制、女性の権利の向上、それから土地改革といったことを申し上げております。
こういったことを考えたときに、
日本は、じゃ、どういうふうにその
ODAをとらえるのかなんですけれども、まず、相互依存をこれだけ強めた
経済の中で、
世界経済の中で、一国の問題は
世界中の問題であるということをまず認識する必要があるのではないかというふうに思います。今後、二十年後、三十年後の
世界を見据えたときに、今はアジアの新興国の成長にかなり
日本の
経済も支えられているところがありますが、じゃ、ポスト新興国はどこなのかということを考えたときに、もしかしたら
アフリカかもしれません。そういったときに、
アフリカの多くの人々が字の読み書きもできない、病気になったら亡くなってしまうという状況では、
日本の
経済にとっても実は非常に不安を抱えるわけですね。そういったときに、じゃ、今
日本ではしきりにその助ける余裕があるのかというふうに
議論されがちなんですが、助けないことによる
日本にとってのコストというのは長期的に見たときに大きいのではないかというふうに私
自身は思っております。そういうことで、
日本経済の長期的な投資という観点からとらえていただければというふうに思っております。
今後の
日本の
ODAに対する提言なんですけれども、
一つは、今申し上げた不平等であったりとか貧困を是正する、そういった形で
途上国の成長を支えるといったところに
ODAの目的をしっかりと位置付ける。
ODAというのは
民間資金と違って公的資金としての強みが大変ございます。そこを非常に活用していただきたいということと、今までかなり自己完結型で
日本の
JICAやコンサルが活躍するという形が多かったんですが、もっとほかのアクターの力を活用する、協調する形の
援助に切り替えていただいてはどうかというふうに思っております。
若干、
外務省が
政策を作って
JICAが実施をするという今の体制、それから、
ODAには実はほかの多くの省庁が予算を持っているというこの体制ですと、なかなか一貫性のある開発
政策ということをやることが難しくなってきていますので、中長期的にはやはり
イギリスのDFIDのような独立した省庁を、専門の省庁をつくる必要があるのではないかと思います。
それから、
国民の
支持、
理解の回復というところに関しての提言なんですけれども、まず、私
自身が国内での
広報のされ方を見ていて非常に違和感を持つのが、
日本人を主人公にしたものがすごく多いんですね。もちろんそういった話も必要だと思うんですが、開発の主人公というのはあくまでもその国の人々であるということを申し上げたいというふうに思います。
実際に、ケニアのナイロビのスラム街を私が訪れたときに、非常に貧しい人たちが毎日お互いを傷つけ合いながら暮らしてきていたのを、みんなで話し合って、そうではなくてみんなで支え合うという形で生活様式を変えるというような場面を私
自身も見てきました。そういったところから、
途上国、自分の国の
政府に、行政に対してもこういった
政策を導入してほしいというふうに訴えているような人々もおります。また、内戦が終わって民主化をするような
国々も
アフリカの中で多く出てきていますが、そういった新しい国づくりに燃えている官僚の
方々、指導者の
方々も大変多くございます。こういった人たちをまず主人公というふうにとらえて、その人たちを助けるということが
ODAの目的であるということを強く訴えたいというふうに思っています。
これは、彼らを一方的に助けるということではなくて、先ほど申し上げた
日本の未来への投資であるということを考えると、実は担い手は彼らですけれども、考えようによっては
日本の将来
政策、戦略を支えるパートナーでもあるということが言えるのではないでしょうか。そういう
意味では、我々の
お金だからあの人たちに与える余裕がないというような形ではなくて、もう少し
世界規模で
一緒に
協働作業をやっていくということが訴えていけるといいというふうに思っています。
震災後、
日本全体ではやはり内向き志向が強まっておりますが、被災地に入ると、私どももスリランカで津波の被災をされた女性の方をこの度、石巻にお招きしたんですけれども、そこでは、その石巻の女性の方が、東京の
NGOにも話さないようなつらい体験であったりとか、これからどういうふうな不安を抱えているというようなことをこのスリランカの被災者の方と
お話をするというようなことがありました。また、陸前高田の中学生たちは、
タイで洪水が起きたときに義援金を集めるというような動きもありました。
こういった被災地から生まれてくる国際連帯の気持ちといったものを、是非政治の力で全国規模に広めていただきたいというふうに考えております。
最後に、
広報なんですけれども、実は今、一番問題は、
ODAに対する
支持が低いということだけではなくて、国際課題に対して
国民一人一人が触れる、それに対してどういうふうに自分たちがかかわっていけるのかといったことを考える
機会が非常に少なくなっているんじゃないかというふうに思っております。
そういったことを考えたときに、
広報をすれば
ODAの
支持が高まるということではなくて、もう少し国際課題について勉強する、知ってみる、そういったところから始めなければいけないのではないか。
これに関しては、実は
NGOなどが全国各地の先生方と協力をしながら開発
教育といったものを非常に頑張ってやっております。ただ、規模の面で非常に
限界がございまして、是非ここは行政とも協力をしながら公
教育の中にも取り入れることができたらというふうに思っております。
ただ、開発
教育というのは
広報ではございませんで、問題を掘り下げる、自分たちとの
関係を考えるといったものですから、その中では当然
ODAに対する批判的な
議論も出てくると思います。ただ、批判も含めて
議論がなければ関心がそこに高まりませんので、まずは関心、
議論を起こすことが大事で、そこからより良い、より多くの
ODAを出していくべきだという世論の醸成を図っていくべきではないかというふうに思っております。
大体そういったところで、私からの報告は以上とさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。