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参考人(
窪田順平君) ただいま御紹介いただきました
総合地球環境学研究所というところから参りました
窪田と申します。短い時間ですが、少し
中央アジアの水、特に
環境問題にかかわって報告をさせていただきたいと思います。
私、それほど
中央アジアと古くからかかわっていたわけではなくて、ここ六年ほど、この
地球研というところの
環境を
研究する
プロジェクトをやっておりました。私
どもは、特に
環境問題の
背景になっている、ここでいうと、歴史的な問題ですね、文化的な
背景、特にこの
地域は多
民族、多文化の
地域であるということを理解しないと
援助等々もままならないということがありまして、その辺も含めて報告させていただければというふうに思います。
それで、今日の
話題、簡単にこんなふうに用意してございます。(
資料映写)
まず、概要を少し説明させていただきます。それで、それから水の
環境問題、
清水先生も御報告されたとおり、ここの問題はある
意味では
国際問題に尽きると言ってもよいかと思います。ただし、
アラル海の問題だけではなくて、他の流域の問題もございます。時間の許す限り少し報告させていただきたいと思います。
それから、
環境問題を考えるときに、やはりこれから
温暖化の問題というのが避けることはできません。
中央アジアの場合でも、むしろ水が少ないところだからこそ、その
影響が強く出る
可能性があるというふうに考えております。その
部分を少し述べさせていただき、私見ではありますが、
日本がどういうことができるのかというところまで行ければというふうに思っております。
中央アジア、
御存じのとおり、カザフ、
ウズベク、
キルギス、
タジク、トルクメン、五か国ですが、やはり今、
清水先生の
最後にもございましたが、
中国の
プレゼンスというのが非常に大きくなっております。そういうことがあったわけではないですが、文化的にも、そういう
意味では
新疆ウイグル自治区というのはかつて同じところにあった
地域というふうに考えて、私
どもは、
中央ユーラシアという言い方をしておりますが、そこで
研究をしてまいりました。
この
地域、モンゴルから、それからアフリカまでずっと、
中央ユーラシア大陸の
真ん中に
乾燥域があるわけですが、ここの
部分だけは高い山があって、そこの
氷河で、そこから
河川が流れてくるという
特徴があります。ですから、
中央ユーラシアというのはそういうところだというふうに理解してもらってもいいかもしれません。
さて、それで、出てきた
河川は海につながってはおりません。砂漠のど
真ん中で湖になって、そのまま消えております。この湖、ここ百年ほどの
変化傾向を
幾つかの湖で出しておりますけれ
ども、特に一九五〇年前後、六〇年前後から、
アラル海だけではなくてたくさんの湖が急激に低下しています。これほとんど同じ問題で、
上流側で
農業開発をやったことによって湖の縮小が起きています。ですから、
アラル海問題というのは決して
アラルの問題だけではなくて、この
中央ユーラシア全て、
中国から様々な、
カスピ海のところまでつながっています。ただ、
カスピ海はちょっと違っておりまして、これは後でできれば述べさせていただきたいと思います。
これは
アラル海の写真、七〇年代以降、急激に小さくなりました。これは二〇〇九年八月ですが、一番上にあるのを小
アラルと呼んでいますが、そこを除いてほぼ干上がりました。
それで、先ほど申し上げたとおり、なぜ干上がったかといえば、
農業開発をやったからです。ですから、あらゆる
環境問題がそうなのかもしれませんが、ここでは特に
農業という人の生存、それから
国家の収入、特に
ウズベク等々ではそれを支えている
部分です。ですから、ある
意味では、この
環境問題を解決しようと思うと、
国家の
政治、
経済、
社会構造あるいはその人々の暮らしに踏み込まないと解決ができないという極めて深刻な問題です。単純に
技術を持っていけば解決するという話ではございません。
さて、過去はどうなのかという話を少しだけさせていただきます。
アラル海、急激な最近の
変化が問題になっていますが、実は歴史的に見れば、何回か干上がったという経緯を持っています。近いところでは十二世紀、ちょうどチンギス・ハンがこの
地域を征服した
時代ですけれ
ども、このころに一回、完全に干上がったという
経験を持っています。この右下にある写真は底から見付かった当時の遺跡です。
それで、こんな遺跡が見付かって、そういう
意味では極めて面白いんですが、ここで何を言いたいかというと、この
地域の
環境変動というのは非常に大きい、特に水に関して非常に大きいということです。これは
アラル海に流れ込むシルダリヤという流路沿いの遺跡の跡、何というんでしょうか、時期的にどの時期にどっちにあるというのを示しているんですが、実は大きく
河川が振れています。
アラル海に要するにシルダリヤが流れ込んでいなかった
時代があるわけです。そういうのに応じて、
農業集落もその時々で位置を変えているわけです。そうやって、この人たちは長い間、この
地域の自然に適応してきたわけです。
一方、当然、遊牧というのがこの
地域の大きな生業なんですけれ
ども、遊牧の人たちも、これはどの
時代にどの場所に草原があったかというのを復元したんですが、これ十三世紀が一番乾いていた
時代、十七世紀というのは一番湿潤だった
時代なんですが、随分草原の位置とか広さが違うんですね。こういうのに適応するためには、
一つの場所にいたらやっぱり死んでしまうわけです。だから、集団として何をしていたかといったら、位置を変えていた。
だから、今の
時代ではなかなかこういうことは受け入れられませんけれ
ども、この
地域のそういう
意味では伝統的なものというのは、一か所にとどまって
環境に耐えるということではなくて、
環境に応じて場所を変え、そして生きてくる。ですから多文化、多
民族の社会ができ上がっているわけです。これをきちんと理解しないと、
中央アジア、
中央ユーラシアではなかなか話が見えてこないという
部分があるのではないかと思います。
それで、若干まとめます。
それで、近代以前というのは、やはり気候変動が非常に大きい
地域、これは私たちのように
日本に住んでいるとなかなか分からないわけですが、人々は移動という形で、ある
意味では非常に流動的な社会でした。ところが、
ロシアそして
中国の間でこの
地域は二分されていきます。いわゆるグレートゲームの
時代ですね。そのころから後、社会主義が入ってくるわけですけれ
ども、一九三〇年代から計画
経済というのが始まっていきます。その中で一番結局問題になるのは、そういう流動的、多
民族の社会の中で、
経済的、生態学、文化的な境界といわゆる
政治的境界が不一致である、それによって起こる様々な問題というのが
環境問題だと、それは
アラル海もその
一つだと思います。
アラル海問題を理解するときに
一つ大事なことは、
アラル海が干上がるということは計画上想定されていました。決して計画がずさんだったわけではありません。ソビエト連邦は干上がらせるつもりで干上がらせました。これは、ですから、ある
意味では当時の
政治と、それから科学者も加担していました、そういうことをすればこういうことが起きるのだと。私たちの要するに選択によってこれが起きたのだと、誰かのせいではなくて人間のせいであるということを私たちは忘れてはなりません。
九〇年代以降、
ソ連邦崩壊と
独立、市場主義
経済への移行、先ほど
清水先生が御説明されたとおりでございます。いわゆる
国内河川から
国際河川に変わり、中央政府による
調整機能が喪失して、
状況は完全に
アラル海の場合に固定しています。ですから、そこはなかなか解決ができないというのが正直なところです。
ただし、様々な問題がまた新しく出てきています。
氷河に
依存した
河川だというふうに申し上げましたが、それに対して気候変動が
かなり強く効いているという
可能性がございます。
それで、
アラル海の話。これが
アラル海と、それから、今日
お話ししている
地域を大体示したところです。
アラル海に二本赤い線を引いてございますが、
シルダリアと
アムダリアという
河川が流れ込んでおります。これ沿いに、ちょっと見にくいです、余り色がきれいではありませんが、茶色っぽい砂漠を示した中に緑の
部分が少しございます。これがかんがい農地でございます。これが一九六〇年代以降非常に拡大したわけですが、簡単に言うと農地を広げた分だけ湖が小さくなるわけです。ですから、降ってきた雨がこれはその流域でまた全部大気に戻っていくんですけれ
ども、単純な計算で、農地を増やせばそれだけ湖が減るわけです。だから、全く
影響なく
農業をやるということはできません。そこは、ですからどちらかを私たちは選ばざるを得ないわけです。そこを少し理解をいただきたいと思います。これがその
ソ連時代に開かれた農地です。
それで、現在の
アラル海、その一番北にある小
アラルというのだけ。ここに
シルダリアという一本の
河川が流れ込んでいるんですが、ここに
ダムを築いてその水だけを、要するに広く拡散させずに一部に集中させて保全するという方策が取られました。
カザフスタンが主としてやっております。
国際的な
協力もやっております。これ、随分効果が出ました。
かなり魚も戻って、生態系もよく復活しております。ただし、この場所に限られていると。これ以上は恐らくなかなか難しいというところです。
それから、ほかにも
幾つか
国際河川がございます。
中国の
動きがやはりなかなかこれから大事になってくるという
意味で、
中国と
カザフスタンの間に二本
国際河川がございます。一本がイリ川と言われています。バルハシ湖という湖、これ、これでも瀬戸内海ぐらいあるんですけれ
ども、ここに流れ込んでいる湖。それから、ここには出ておりませんけれ
ども、現在の
カザフスタンの首都に、アスタナに流れ込んでいるイルティシュ川というのがございます。二本とも
中国からカザフへと流れ込んでおりますが、二本とも非常にこれ水争いになっております。
中国とカザフの
関係というのは原則的に良好ですけれ
ども、水問題はこの二国間の唯一のとげなのかもしれません。
それで、このイリ川も実は
アラル海での、何というんでしょうか、農地
開発の
影響を強く受けています。当時、
アラル海の流域というのは米をたくさん作っていたんですね。それを綿花に換えていくわけです。そのために、やっぱりどこかで米を作らなきゃいけないということでほかの
地域が選ばれて、このイリ川も
開発されたということになります。これ随分、バルハシ湖の百年ぐらいの水位
変化ですが、この一番
最後の一九七〇年以降、水位が低下しています。これは
ダムを造ったことによる水位低下で、実はバルハシ湖も干上がるのではないかというふうなおそれがあって、先ほどの
アラル海と同じように途中で締め切ろうではないかというようなことがやはり起きました。
幸い、これは実は
カザフスタンの
農業経済が
市場経済化の段階でほぼ、何というんでしょう、壊滅したといいますか、九〇年代の
独立、
市場経済化のところで完全に
農業が一回失速します。約半分に生産高が落ちるんですが、その結果としてこの湖は回復しました。ですから、
農業をやめたことでこの湖は救われたわけです。ただし、その農民は大変苦しんでおります、要するに収入がなくてですね。この
地域における水問題というのはそういうものだというふうに御理解いただければいいかと思います。
これは、その下流側での
農業開発の様子です。衛星写真ですが、赤いところと白っぽいところがございます。赤いところがこれ水田なんですが、この白っぽいところは塩が噴き出してしまったところです。ですから、
乾燥地で
農業開発をやると塩害の問題というのは避けられません。はっきり言って、こう言うと反対する人がおられますけれ
ども、私は無理だと思います。避けられないと思います。はっきり言って、これは避けられない。ですから、それはよっぽどうまくやらないとうまくいかない。こういう、何というんでしょうか、
アラル海もそうですが、湖に近い平らなところで
農業をやると必ずこうなります。もう少し山際の扇状地とかいい場所でやれば何とかなるんですが、そこの問題が非常に強くあります。
ダムのこれは
影響を詳しく示していますが、先ほ
ども言いましたとおり、これは
日本の
ダムとは違うんですが、
ダムの水面からの蒸発というのが非常に強く来ます。ですから、カプチャガイという
ダムを造ったんですが、それが、バルハシ湖の水位を減らした
影響の半分は
ダムを造った水面からの蒸発です。これは
アラル海でも非常に強く言われています。ですから、下流側で水量の
調整のために
ダムを造ると、その分、水を失うということがこの
乾燥地では起きます。これは
日本とかでは起きません。
日本とかでは、
ダムからも蒸発するんですが、ほかの状態と比べて
変化がないんですね。これが、だから
乾燥地の
特徴です。だから、
乾燥地で
ダムを造ることは水を失うことと言ってもいいのかもしれません。
さて、それから
最後、
カスピ海の話です。
これは、
カスピ海、全く違う種類の
国際問題として、
カスピ海の中に実は国境線をどういうふうに引くかということが非常に強く問題になっています。要するに、湖の底に眠っている
資源をどこがどうやって取るかという問題になっておりまして、これを海として見るか、それから湖として見るかで
国際法上の解釈が違いまして、各国間の争いに今なっています。
カスピ海は唯一、そういう
意味では
中央アジアでは水位が急激には減少しなかった湖です。周期的に
変化しているんですが、ところが、皮肉なことに、一九七〇年代、八〇年代に
カスピ海が一旦水位が低くなったんですね。そのときに
カザフスタンが沿岸で油井ですね、
石油を
開発、
石油用のリグを立てるんですね。ところが、その後で水位が上昇してきて、その油田が水につかってしまったんですね。それで、これ油の流出事故が起きまして、非常にここは大きな問題になっております。
ちなみに、湿地帯条約でラムサール条約というのがございますが、そのラムサールというのはこの
カスピ海の一番南岸にある、イラン領にある湿地帯の名前です。ですから、ここは非常にそういう
意味でも重要な場所ではあるんですが、なかなか
国際的にも難しい問題になっております。
それから、ちょっと時間が来ておりますが、少しだけ
お話しさせてください。これから地球
温暖化でどうなるかという話です。
氷河で
河川が支えられていると申しましたが、今その
氷河が非常に縮小しております。これは、一九七〇年から三十年間に何割
面積で減ったのかということを示しておりますが、場所によって違いますが、大きいところでは一〇%、二〇%の
氷河が
面積が縮小しています。
氷河がどういう
意味があるか。
氷河の水そのものが
河川になっているわけではなくて、
氷河に降っている雪も併せて来るんですけれ
ども、これが要するに失われると、
氷河は天然の
ダムのように、一時的に水を貯留して、要するに雨の少ない時期にたくさん流してくれる。それは、例えば十年、二十年といった変動もありますし、季節的な
部分もありまして、ある
意味では非常に優秀な天然の
ダムなんですが、それがなくなると要するに急激な洪水が起きたり、渇水に悩まされたりということが予想されます。
それからもう
一つ、
氷河湖の決壊の問題というのがございます。これは今ネパールとかブータンとかでも非常に大きな問題になっておりますが、
氷河が縮小したところに湖ができてしまうんですね。それが、あるとき土手が解けてしまうと一気に流出するということが起きます。先日、和歌山の方で起きた天然
ダムのことを思い出していただければいいと思いますが、それと同じものが要するに山の中で突然起きる。山の中の方は地元の人でも余りよく知りませんから、気が付いたら突然こういう洪水、あるいは土石流なんですが、それに襲われるということがブータン、ネパールでは非常に大きな問題になっておりますが、
中央アジアもそれが増えているということがございます。
さて、
最後、まとめさせていただきたいと思います。
それで、どこに問題があるのかという話はもう既に申し上げました。多
民族、多文化な社会であるということをよく理解する必要があるということと、
農業という生存あるいは
国家を支えているもの自体に
環境問題の原因があるということ、そのほかにも、当然公害型の
環境問題も多数ございます。その辺も深刻なんですが、やはりその
農業をめぐる問題というのが一番大きいのかなというふうに思っております。
何ができるか。私は
研究者ですので、割と、
一つは、やはり
ソ連邦崩壊による科学
技術の弱体化というのが非常に気になります。それから、何というんでしょうか、気象、それから水文と言いますが、
河川関係ですけれ
ども、そういう観測データのネットワークというのが
ソ連時代にはきちんとあったんですが、非常に優秀なネットワークがあったんですが、それが今崩壊しています。実は、これ面白いんですが、各国でどれだけ川の水が流れているのかというのを今対立があるからといって表向きは情報をお互いに流していないんですが、彼らは元々同じ学校で育った人たちです。ですから、実は困ったときには今情報を流し合っているんですね、
河川関係の人たちは。ところが、その世代がもうそろそろリタイアします。若い人たちは
独立国で育っていますから、それがありません。したがって、これからそのネットワークの問題が非常に大きな問題になるというのが
一つあるんじゃないかというふうに思っています。
それから、先日、
カザフスタンで
アラル海についての公開シンポジウムというのを向こうの東大みたいなところでやったんですが、実は彼らはそれほど
アラル海のことをよく知っていない。もう
アラル海の話もそういう
意味では二十年前の話になってしまったんですね。その
意味では、やはりその
環境教育というのをきちんとしなきゃいけないんじゃないかなということを強く感じております。
それから、先ほど
清水先生も言われました、やはりこの
地域の
農業を改善するということが
環境問題とも強くかかわっております。
それから、
最後に申し上げましたとおり、
温暖化の問題、
氷河湖等々の問題が重要になってくる
可能性があります。これは衛星写真を解析することで
かなり有益な警戒
システムができます。今、JICAの支援を得てブータンとかでそれをやっているはずなんです、やっているんですが、私の知り合いが、同じようなことが多分ここでもできるはずで、これは非常に私はさっきの観測ネットワークと併せて是非、
日本が支援していただきたいところだと思います。
それから、
最後に、やはりこの
国際的な水問題、簡単には解決しませんが、
日本が、
中国も含めてですけれ
ども、多国間での
調整、
協力の中である一定の役割を、限定的ではあると思いますが、根気よく続けていくということが非常に大事だと思います。
どうも、ちょっと時間を超過して申し訳ございませんでした。これで私の報告を終わりたいと思います。