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2012-04-23 第180回国会 参議院 行政監視委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十四年四月二十三日(月曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  三月十九日     辞任         補欠選任         藤末 健三君     風間 直樹君      山崎  力君     高階恵美子君      寺田 典城君     中西 健治君  三月二十一日     辞任         補欠選任         中西 健治君     寺田 典城君      山下 芳生君     大門実紀史君  三月二十二日     辞任         補欠選任        はた ともこ君     櫻井  充君      中山 恭子君     片山虎之助君      田村 智子君     山下 芳生君  三月二十三日     辞任         補欠選任         宇都 隆史君     丸山 和也君      片山虎之助君     中山 恭子君      大門実紀史君     田村 智子君  三月二十六日     辞任         補欠選任         小見山幸治君     林 久美子君      丸山 和也君     宇都 隆史君  三月二十七日     辞任         補欠選任         櫻井  充君    はた ともこ君      林 久美子君     小見山幸治君  三月二十九日     辞任         補欠選任         中西 祐介君     赤石 清美君  三月三十日     辞任         補欠選任        はた ともこ君     蓮   舫君      赤石 清美君     中西 祐介君      長谷川 岳君    三原じゅん子君  四月二日     辞任         補欠選任        三原じゅん子君     長谷川 岳君  四月三日     辞任         補欠選任         蓮   舫君    はた ともこ君      宮沢 洋一君    三原じゅん子君  四月四日     辞任         補欠選任         風間 直樹君     広田  一君     三原じゅん子君     宮沢 洋一君      谷合 正明君     山本 博司君      山下 芳生君     大門実紀史君  四月五日     辞任         補欠選任        はた ともこ君     大塚 耕平君      広田  一君     風間 直樹君      山本 博司君     谷合 正明君  四月六日     辞任         補欠選任         大塚 耕平君    はた ともこ君  四月九日     辞任         補欠選任         森田  高君     自見庄三郎君  四月十二日     辞任         補欠選任         大門実紀史君     山下 芳生君  四月十三日     辞任         補欠選任         自見庄三郎君     浜田 和幸君  四月十七日     辞任         補欠選任         西村まさみ君     櫻井  充君     はた ともこ君     友近 聡朗君  四月十八日     辞任         補欠選任         櫻井  充君     西村まさみ君      友近 聡朗君    はた ともこ君  四月二十日     辞任         補欠選任         秋野 公造君     竹谷とし子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         福岡 資麿君     理 事                 行田 邦子君             ツルネン マルテイ君                 難波 奨二君                 白  眞勲君                 松村 龍二君                 寺田 典城君     委 員                 足立 信也君                 風間 直樹君                 小見山幸治君                 鈴木  寛君                 徳永 エリ君                 轟木 利治君                 那谷屋正義君                 西村まさみ君                はた ともこ君                 岩井 茂樹君                 宇都 隆史君                北川イッセイ君                 高階恵美子君                 中西 祐介君                 中山 恭子君                 長谷川 岳君                 義家 弘介君                 竹谷とし子君                 谷合 正明君                 田村 智子君                 山下 芳生君    事務局側        常任委員会専門        員        青森 昭継君    参考人        作家        元経済企画庁長        官        大阪府市統合本        部会議特別顧問  堺屋 太一君        兵庫県知事    井戸 敏三君        慶應義塾大学総        合政策学部教授  浅野 史郎君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○行政監視行政評価及び行政に対する苦情に関  する調査  (行政改革行政役割分担に関する件)     ─────────────
  2. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ただいまから行政監視委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、山崎力君、藤末健三君、森田高君及び秋野公造君が委員辞任され、その補欠として高階恵美子君、風間直樹君、浜田和幸君及び竹谷とし子君が選任されました。     ─────────────
  3. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事寺田典城君を指名いたします。     ─────────────
  5. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 行政監視行政評価及び行政に対する苦情に関する調査を議題といたします。  本日は、行政改革行政役割分担に関する件のうち、国と地方広域自治体基礎自治体役割分担について参考人方々から意見を聴取した後、質疑を行います。  御出席いただいております参考人は、作家・元経済企画庁長官大阪府市統合本部会議特別顧問堺屋太一君、兵庫県知事井戸敏三君及び慶應義塾大学総合政策学部教授浅野史郎君の三名でございます。  この際、参考人方々に一言御挨拶申し上げます。  本日は、御多忙のところ当委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。  参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、堺屋参考人井戸参考人浅野参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず堺屋参考人にお願いいたします。堺屋参考人
  6. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) ありがとうございます。堺屋太一でございます。  まず、私は、地方制度時代的な変遷について申し上げたいと思っております。  日本地方制度は、明治維新以来、中央集権型につくられてまいりました。徳川時代には徳川幕府という緩やかな中央集権体制があり、そこに三百諸侯が自治をするというような形になっておりました。この社会というのは、何よりも社会の安定、徳川幕藩体制というのは社会の安定を大事にするという制度でございました。社会の安定のためには生活の利便であるとか生産性の向上であるとかそういったものは一切犠牲にすると、そういう仕掛けになっていました。  そのために、わざわざ東海道には橋を造らない、大井川には橋を造らない。それぐらい不便にしておくと西日本のものが関東に入ってこない。あるいは船は帆柱を一本に制限する。そうすると、ヨットをやっておられる方はお分かりでしょうけれども、逆風のときには非常に船が危険で進まない。したがって、上方のものがなかなか江戸に届かない、下らない現象という、上方のものが下ってこないという現象を起こす。そのことによって各地域産業を維持しよう、人口の移動を制限しようと、それで身分社会を守ろうとしていたわけです。  それを、明治維新のときに逆に中央集権を徹底いたしまして、日本全国一つ共通市場にしようといたしました。この明治以来の中央集権制度が太平洋戦争後もどんどんと強化されてまいりまして、一時は、終戦直後は地方分権知事さんなんかも公選制になるという制度がありましたけれども、その後は、財政の面と人事の面と権限の面と、三つの面で中央集権を非常に強くいたしました。  この中央集権を強くした前提になったのは規格大量生産という思想です。日本近代工業社会になるためには規格大量生産を徹底しなきゃいけない、それで全国規格を統一するんだ、これが私たちが一九六〇年に通産省に入ったときからの大政策であり、それに基づいて国土政策外交政策、あるいは金融政策地域政策、全てを行いました。  まず、日本統一国家規格大量生産の国にするためには、北は北海道から南は沖縄県まで統一的な情報を流すんだというので、情報発信機能東京一極に集中しなければならない。そして、東京から流した情報で全ての地域が同じ形の製品をつくる。北は北海道から南は沖縄県まで同じテレビを使う、同じ自動車が走る、同じ規格の道路を造る、同じ規格学校を造るという規格大量生産を徹底させました。そして、それを裏付けるために、情報発信東京都に限ると。  したがって、雑誌は東京に持ってこなければ売れないような取次店東京一極集中政策。トーハン、日販は東京にしかつくらさない。大阪で印刷した本を尼崎市で売るためにも必ず一回東京へ持ってこなきゃいけないという制度にいたしました。そのために、大阪で作っておりました「エコノミスト」も「Voice」も全部東京へ移転する。  それから、電波の方の発信も、初めに民間放送ができたのは大阪の新日本放送でしたが、テレビをつくるときには、世界に類例のないキー局システムというのをつくりまして、キー局東京にしか置かさないと。関西地方で出すのは関西二府四県と三重県の伊賀地方と徳島県だけとか、随分きれいな区分けをいたしまして、全国放送東京からしかやらないと。そうすると、全国的な話題、全国的な文化というのは東京でしか発生しないというような仕掛けにして、東京集中を大変な費用と権力で集中したわけです。  ところが、一九八〇年ごろからアメリカ人類文化が変わりました。多様な人類文化が出てきた。その近代工業社会前提となっていたのは、物財が豊富なことが人間の幸せだ、物の豊かなことが人間の幸せだという思想だったんですが、八〇年代、あのベトナム戦争やいろんな事件、地球環境問題なんかが出まして、満足の大きいことが人間の幸せでないかという議論が生まれてまいりました。これは、私がいち早く申し上げた知価革命現象でございます。その結果、人々の満足は多様であると、こういう議論が生まれてまいりました。  そして、そこから出てきたのが、お手元資料に書きましたニア・イズ・ベター思想、近いところで決める方が正しい、よりいいんだという思想であります。この知価社会になりますと、満足の大きいことというのは非常に多様である。ある人は赤い色がいいと思い、ある人は青い色がいいと。ある人は丸いものがいいと言い、ある人は角いものがいいと。規格大量生産で物をつくるよりも、それぞれの人の満足を満たした方がいい。  また、人生の生き方も変わりまして、満足が大きいときには欲しいときに手に入れた方がいい。だから、先にローンで借りて後でお金を払った方がいいという思想が広がって、アメリカ辺りでは八〇年代に比べますと現在はGDPに対する家計の借金が三倍にもなっているというような状態で変わってまいりました。  この二十世紀になりまして八〇年代までの近代工業社会物財の豊かなことが人間の幸せだと信じた社会が崩れてまいりました。このため、物財生産量を拡大する規格大量生産は昔は好まれたんですが、最近は中央集権全国一律に規格を定め全国一斉に流通をさせるという制度は崩れてまいりました。その典型的なのは旧社会主義国でございまして、ソビエトなどはもう全国一律で生産拠点一つにしておりました。日本も八〇年代まではそれを目指して地方制度も決めてまいりました。全部を東京中央官庁で決めるという制度をやってまいりました。  それが、この知価社会になりまして、満足が大きいことが人間の幸せであると考えたものですから、消費者の身近で考える方がいい、ニア・イズ・ベターという思想が生まれてまいりました。  人間は、自分お金を使うときには人のお金を使うよりも利口である。確かに私どもも、自分の財布に入っている十万円を使うときは大変慎重になります。それが会社のお金になればかなりだだくさに使うし、市町村お金になればもっと緩やかに使うし、国のお金になりますともう百億ぐらいはへっちゃらで使うと。もう、十万円足りなくなったら大騒ぎをする主計官が、思い付いたら千億ぐらいすぐ金を付けるというような事態が当たり前でございますね。だから身近なところで決めた方がいいと、こういう思想になりました。  これに併せて地方制度を考え直そうというのが今の私たち考え方であります。地方制度は、このような時代的変化を反映して改善すべきだと考えております。すなわち、住民の身近なところで身近な基礎自治体が決定すべきだ、そして実行すべきだと。基礎自治体にできない広域的なことは広域自治体、広域的な行政や大型の事業、基本的な自治体の間の調整、そういったことは広域自治体でやる。国は、国独自の仕事、外交であるとか防衛であるとか、あるいは通貨発行マクロ経済であるとか通商交渉であるとか、これは自治体でできませんから、こういうことをやるべきだと、これが理想形態ではないかと思っております。  ところが、日本官庁では、自治体に任せたら誤りを犯すのではないか、あるいは途方なことをやるのではないかというような地方不信感というのが非常に依然として強くあります。これは、規格大量生産のときに地方だけ違う規格をやられたら困るんじゃないか、規格大量生産で効率よく生産することができなくなるんじゃないかという心配から起こったことでございますけれども、今やそういう事態ではありません。  それで、そこから起こってきたのが、この日本全体にございます国民軽視といいますか国民蔑視習慣、そして、試験で合格した人は偉いけれども民に選ばれた人は大したことないという、こういう習慣が生まれてしまいました。したがって、軍人とか官僚とかそういう試験で選ばれた人に権限を与えて、それで非常に中央政府の能力を過剰に吹聴することになるわけであります。  第二には、地方自治体には制度あるいは事業選択権が与えられなかったということがあります。まず第一に国が何をやるかは補助金を付けることで決めてしまう、それに地方裏負担をしていると。だから、何をやるかというのは大体中央選択をする、これを永年やってきたものですから、地方自治体の方には事業選択する方法を考えるという習慣がなくなってしまいました。それをもって、習慣がないから、経験がないからできないということをもって、中央官庁地方政府の水準が低いというような考え方を吹聴をしております。  したがって、これからのあるべき姿、二ページ目でございますが、これからのあるべき姿といたしましては、まず消費者優先政策、そして納税者優先の政治をやっていただきたいと考えております。  私たちは、消費者の利益を優先し、そういう行政を考えております。そのためには、行政供給者、これは公務員のことであります、は努力し、研さんを積んでいただきたい。また、教育供給者、これは教師学校でありますが、これは努力をしていただいて、教育消費者である生徒保護者のために配慮してもらいたい。したがって、良質の教師を育てなければならない。ちょっと教師の中で劣る人を首にするのはかわいそうだと言っておりますと、それに習った生徒はもっとかわいそうであります。現在、大阪府では約一〇%の人が中学校一年生になって一桁の掛け算ができません。これは九九を知らないんです。三年生、四年生で九九を習わなかったら、中学校まで習いません。そうすると、九九を知らないと一般生活にも就職にも差し支えますから、非常に生涯困るんですね。だから、三十人の生徒のためには、やはり先生によく研修をし、努力をし、不適任な人はやはりそれなりの努力をしてもらわなければいけないという考え方になっております。  それから、町のつくりとしまして、公共事業にも合理性を持たす。しばしば、公共事業赤字でいいんだという、むしろ黒字のものは民営にして公共事業赤字でいいんだという思想がありますが、私たち考え方では、公共事業黒字でなければいけない、黒字でないものはやはり大衆、市民に受け入れられていないものだという考え方を持っております。私自身も、日本万国博覧会以下数々の事業をやりましたけれども、一度も赤字にしたことはありません。だから、必ずこの経済性を重要にしなければならない。市民に愛される文化事業公共事業をやるべきだということです。  三番目には、安全、明確、楽しさの町づくりということです。地方自治体の運営する市民生活の安全、行政の明確さ、これが絶対に必要だと考えております。  最後に、その最後のページの図を見ていただきますと非常に分かりやすいんですけれども。ちょっと次の大阪都構想は飛ばしまして、その図を見ていただきますと、四ページでございます。  現在の地方制度というのは、明治以来の制度でございまして、(1)の形です。これは、国というのが大きく上に乗っかっておりまして、部分的には国民生活の根底に至るまで食い込んでいます。これは明治時代には五省七権と言ったそうですが、これが食い込んでいる。そして、府県任命制でございまして、僅かに市町村というのは農村共同体の形を取っていた。  これが、大都市制度が発達してきたものですから、大阪市や名古屋市や東京都などもこうなったんですが、この大都市大阪市と書いてある部分が府県の分を食い込んで凸形になりました。この結果、大阪市が権限を持ったのは結構なんですが、横に見ていただきますと、国と大阪市と府県との三重行政になったんですね。したがって、市民は、ある行政について、市に行ったらいいのか府に行ったらいいのか分かりません。しかも、大阪市は現在人口二百七十万人、職員の数が四万人、そして予算が四兆円ぐらいありまして、学校の数は六百ぐらいある。一人の市長では目が届かない。基礎自治体としての機能を果たせないんですね。何か、例えば災害が起こったときに市長のところへ伝わるまでには大変時間が掛かってしまいます。あるいは、街路について、市長がどこの街路と言われても御存じないことが非常に多い。そして、行政区というのは、役人でございますから自分の上司の方ばかり見ているという形になります。  これを第三の大阪都の形にしたい。これでは、特別行政区と書いてある、人口三十万から五十万ぐらいの特別区に分けまして、大阪市を十ぐらいに分けまして隅々まで目の届く基礎自治体を完成させると。そして、大阪都というのは、広域自治体相互調整基礎自治体調整に当たる。例えば、現在でございますと上海事務所というのがありますが、これは大阪上海事務所大阪上海事務所と同じビルに二軒並んでおるんですね。こういうような二重行政をやめて、そういう対外的なことは大阪都がやると。そして、それぞれの地域街路でありますとか、福祉でありますとか医療でありますとか、あるいは災害対策でありますとか、そういうことは区民に選ばれた公選区長区議会がきちんと見る、そういう制度に変えようということであります。  これを更に徹底していきますと、第四の地域主権型道州制。国のやることは国の権限で、これは防衛とか外交とか、皇室の問題であるとか、通貨発行とか通商交渉でありますとか、あるいは国際的犯罪防止でありますとか、十六項目ぐらいに限られておりますが、それをやっていただいて、そして現在の国土交通省のこと、文部科学省のこと、経済産業省のうちの通商部門を除くこと、あるいは厚生労働省に関する事項、農林水産省に関する事項、それから総務省に関する電波監理に関する事項、そういうことは道州に任せていただくと、こういう制度にすれば非常に効率的になるんではないか、こう考えている次第でございます。  どうもありがとうございました。
  7. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ありがとうございました。  次に、井戸参考人にお願いいたします。井戸参考人
  8. 井戸敏三

    参考人井戸敏三君) 兵庫県の井戸でございます。また、関西広域連合連合長も兼ねております。どうぞよろしくお願いいたします。ただ、これからの話は、どちらかというと、知事とか連合長立場ではございません、井戸立場でお話をさせていただきますということを御了解いただきたいと存じます。  お手元参考資料を整理させていただいていますので、この筋立てに従いまして説明をさせていただきたいと思います。私はかなり堺屋先生の弟子であると自称しておりますので、相当共通的な認識があるかもしれませんが、それはお許しをいただきたいと存じます。  まず、分権自立型行政システムを構築しなくてはならないということでありますけれども、今EU諸国が金融不安で相当痛め付けられておりますが、しかし戦後ずっとヨーロッパで優等生だったのはドイツであります。日本優等生の一人としてかなり評価を受けてきたわけでありますけれども、この二十年、デフレで経済を脱却できずに悩んでおります。私は、何が違うのかといったときに、ドイツの場合は敗戦の際に徹底的に分権化しました、構造的に分権化しました。日本は逆に傾斜生産方式を取るなどと象徴されますように、徹底的に中央集権化しました。中央集権優等生分権優等生ドイツ日本だったわけです。その中央集権優等生が一九八五年から以来、大変大きな試練に差しかかって現在に至っていると、こういうふうに大きな流れ、理解した方がいいと思います。  それは、(1)に書かせていただいているような、分権が求められる幾つかの背景があります。  一つは、堺屋先生も触れられましたが、標準一律の発想から多様性への価値観多様化が随分進んできているということです。それから、中央集権構造東京一極集中構造では対応できないという限界が見えてきたことです。特に災害や大震災、あるいは危機に対してどうするのかということが答えがありません。それから、サプライサイドからデマンドサイドへと書かせていただいておりますように、物が不足する時代供給側が支配をいたしますが、物があり余ってくる時代消費者選択に合わせていかざるを得ません。成熟社会というのはそういう社会なはずです。また、地域社会への価値をもっと優先していこうではないか、先生のおっしゃっておられる地域優先という発想にもつながるのではないかと思います。また、少子高齢化への対応というのは、多様な対応があります。地域の特性に合わせた対応をすべきです。セーフティーネットを張らなきゃいけませんが、実情に応じた対応の自由度がなくてはなりません。  そういう意味で地方分権が求められているのではないでしょうか。  国と地方との役割の基本原則は、もう言うまでもありません。外交防衛通貨、司法など、国は役割を純化すべきです。地方はその他の内政全般を担う、そういう構造にすることが基本なのではないでしょうか。基礎的自治体である市町は住民に身近なサービスを担い、県は広域自治体として広域調整や専門的・先導的分野のサービスを実施していくようにすべきだと考えます。  三番目で言っていることは、権限と財源と責任を一致させないといけないということであります。  結局、行政分野ごと、制度ごとに今、国、都道府県市町村がそれぞれ分担し合ってしまっているんです。一番卑近な介護保険制度は、制度構築を見ても、半分は保険で半分は公で持つわけですが、その公の半分を国が持ち、その残りの半分を県と市町が持ち合っています。ですから、みんなかかわり合っている形になっているので、誰が一番責任を持っているのか。現場サービスの責任は市町村だと言いながら、直ちに県が助けないからいけないんだという話になります。県が助けないからいけないんだと言われるから制度が悪いんだという話になっていくわけです。  そういう形で、融合型システムだと私は言っていますが、融合型システムを変えていかないといけない、自立型システムに変えていかないといけないということなのではないか、このように思っております。  あと幾つかの点は現状説明なんでありますが、地方財政が恒常的に赤字になっているということはもう繰り返すまでもありませんけれども、平成二十四年度の地方財政計画で見ましても、財源不足額が十三・七兆、一六・七%になっている。ここ十年、黒字化したことはないということを念のためにグラフ化させていただきました。  続きまして、地方財政の状況でこの十年比較いたしましたときにどうなっているか。真ん中の丸印がありますが、地方一般財源総額は、平成十五年五十八兆から、平成二十四年は五十六・五兆、約二兆減っております。つまり、ほぼ横ばいか縮減されているわけです。ところが、社会保障関係費は十三兆から二十二兆、九兆円増えております。一般財源横ばいなのに社会保障関係が九兆円増えている。これを何で埋めてきているかというと、それは単独施策を縮減して見直してきているからなんです。こういう実態をいつまで続けられるんだろうかというのが、今の我々が当面している課題であります。  社会保障・税一体改革の課題として整理をさせていただきましたが、社会保障関係費の地方単独事業費は総額六・二兆円だ、これは国会にも資料として提出されたはずでございますが、一方で二兆六千億円が今回の一体改革で積算されておりますけれども、あと残りに対する対策は十分とは言えません。しかも、まだ増強していく必要がございます。  あわせまして、社会保障の中身についての見直しをもっときちんとしていただく必要があるのではないか、こんなふうに考えています。  例えば年金制度なども、受給資格期間、議論になっていますが、短くする。あるいは高齢者であっても、つまり六十を超えても、負担能力のある人からは年金掛金を取る。そして、高齢者であっても高所得者には年金あげない、それくらいの割り切りが必要なのではないか。  あるいは医療保険制度ですと、どの医療保険に所属するかによって負担が違います。協会けんぽ、健保組合、共済組合、国保、国保組合、それぞれのどれに所属するかによって負担が異なる。こんなおかしな制度はない。というのは、医療サービスは一律で受けます、社会保険診療報酬制度、一方で負担の方はばらばら、これはおかしいのではないでしょうか。  あるいは介護保険制度もそうです。例えば余りにも高過ぎる介護という問題とか、あるいは高所得の高齢者の利用料金の負担をどう考えるかとか、あるいは二号被保険者の範囲を、四十歳以上になっていますが、これをどうするかとか、いろいろな考え方はありますが、やっぱり見直さざるを得ないような状況になっているのではないでしょうか。  そのことを是非国会の場で、特別委員会つくられるようでありますが、その場で議論してほしいな、こう願っております。  七番目に、地方税財源の充実と地方交付税の確保ということを申し上げました。地方税財源、是非よろしくお願いしますということでありますし、地方交付税の確保をどうぞ、地方を維持するための不可欠な財源でありますので、その点につきまして触れさせていただきました。  私は、将来的には、現行の地方交付税原資であります国税と増強される地方税を再編した地方共同税というものをつくりまして、これの財源調整は、第三者機関、地方団体等がつくります第三者機関に委ねるという、そういう方式を構築すべきだと考えております。  広域自治体の在り方に入らせていただきます。  三ページでございますが、今、関西広域連合が発足いたしました。一年四か月ほどでございますけれども、それなりに機能をし、評価を受けているのではないかと考えております。  まず、この広域連合をつくりました第一の目的は、関西全体の広域行政を担う責任主体をつくろうということでございました。例えば防災ということを考えましたときに、防災は、各都道府県市町村ももちろんそれぞれ役割に応じてありますし、国も果たさなきゃいけませんが、東南海・南海地震というような広域災害に対しての対応すべき機関がないという実態にあったわけであります。広域防災を関西全体として取り組む、主体的な取組を進められる主体をつくろう、責任主体をつくろう、これがある意味で関西の広域行政を展開する機関をつくろうという第一の目的でございました。  第二の目的は、国の出先機関の事務の受皿をつくろうということでありました。国からは常に、分権を主張し国の事務を移譲しろといいましたときに、都道府県をまたがる事務はどうするんですか、誰が担うんですか、そんな機関がないじゃないですかというのが常に根源的な反論でございました。その反論を許さないぞというのが第二番目の理由でございます。また、地方自治法では、国から、都道府県の入っております連合ならば、ダイレクトに事務を移譲することができる規定が定められております。その規定を活用する、つまり連合から国に対して移譲を要請する、そのような目的でございます。  三番目に書かせていただいておりますのは、象徴的な我々の込めた意味でございまして、今まで分権社会をつくれ、つくれと国に要請するばかりでございました。しかし、今回我々は、自らが関西全体として取り組める関西広域連合をつくり上げたわけでございます。主体的に今の現行制度で取り得る施策を取って受皿づくりをしたわけでありまして、単に国に要請し続けているのではなく、我々が我々自身の責任でもってそのような機関をつくり上げた、ここのところを是非評価していただきたいと考えております。  執行体制としての特色は、補完性の原則をベースにしながら、府県だけではなかなか達成できないような広域行政に限って進めていこうではないかということが第一。第二は、業務首都制度を導入することにいたしました。つまり、全部の事務をその関西広域連合の事務局で行うという体裁を取らずに、広域防災ですと兵庫県が主たる役割を取る、観光・文化ですと京都が主たる役割、広域産業ですと大阪、広域医療・徳島、環境保全・滋賀、職員研修・和歌山、資格試験大阪、山陰ジオパーク・鳥取というような業務首都制度を採用しております。このために肥大な組織をつくらないで済んでいる。各県の既存の組織を兼務形態で活用しているということでございます。  組織としては、現行制度上は独任制でありますけれども、一人で運用するには大き過ぎるということもございますので、各府県知事により構成される委員会制を規約でもって採用いたしております。連合議会は構成府県の議会から選出された議員によって構成し、全員で構成する常任委員会一つつくっております。また、理事会も設置いたしております。四ページの上の表はそのような動きを整理したものでありますが、併せまして、幅広く住民から意見を聴取するための協議会を設けさせていただいて、年に二回開催をさせていただいております。  この中で、七分野への取組につきましては、これまで一年間掛けまして分野別の広域計画を作り上げてきました。今年度はこの広域計画の実施計画作りを推進し、対応力を増そうといたしております。  国の出先機関対策でありますけれども、我々は丸ごと移管を主張しております。権限お金も人員も全て一切広域連合に移していただいたらどうでしょうかとしております。  その狙いは、本来ですとふさわしい事務を仕分しまして、そしてそれに応ずる人員を配置しまして、それに対応するお金を付けて、そしてそれぞれ移譲するというのが本来なんですが、今まで、戦後六十年間、その主張をし続けてきましたけれども、いつもその仕分の森に迷い込んでしまって出口が見えなくなってしまうというのがこれまでの経験でありました。だからこそ、今回はもう何も議論をなしにみんないただこう、いただいた上で料理は我々がさせてもらいましょうというような発想で丸ごと移管を主張させていただいております。  第一弾として、経済産業局、地方整備局、地方環境事務所の三事務所を取りあえず受けて、第二弾として、例えば地方農政局などを、地方運輸局などを受けていこう、こういう形にいたして協議を進めさせていただいております。  若干誤解がありまして、例えば今回、近畿整備局なども大変活躍いただきましたので、そのような意味で近畿整備局などの機能がなくなってしまうんじゃないかというような誤解があるのですが、丸ごと移管ですし、我々は機能をなくそうと言っているのではありません。五ページの上に書いておりますように、住民ガバナンスの強化ですとか、二重行政の解消ですとか、縦割り行政、総合行政とのつなぎですとか、こういう見地から要請をしているということを是非御理解いただきたいと思います。  首都機能のバックアップ構造の構築についても提案をいたしております。細かい説明は省略しますが、是非、国会や各府省庁の事業継続計画、BCP、これを制度化していただきたい、このことを要請させていただきます。  時間がだんだんなくなってきたんですが、道州制でございますが、私は大変問題のある制度だと思っております。  道州制の実像がはっきりしていません。どうも府県の在り方だけが議論されて、国の統治機構全体の議論が進んでいません。現在、道州制について議論されているときに、各省再編法制などについて、あるいは国会機能の見直しについて触れられたということを聞いたことがありません。また、そういう意味での合意形成ができるのかという疑問があります。あわせまして、府県合併をさせるだけの国の行政改革や財政再建の手段に使われてしまうのではないかというおそれもあります。また、道州制というようなコンパクトな仕掛けをつくりますと中央支配が徹底する、そういうおそれがあるのではないかと考えております。また、財政や自治立法権などについての担保をどうするのかとか、あるいは住民の意思の反映をどのようにしていくのか、小さなところは切捨てかとか、あるいは、道州がいわゆる憲法で保障されている地方自治の本旨の観点からいって本当に地方自治体と言えるんだろうかというようなことが問題になるはずであります。  広域連合は、府県の存続が前提とされています。道州は、府県を廃止して複数府県の規模の道州を設置するもので、実質的には私から見ると国による強制的な府県合併、府県が嫌だと言っているだけではないか、こういう感じをいたしております。  広域連合が機能すれば道州は要らないのではないか、こう思います。  あと、適正規模を考慮した基礎自治体の在り方についてであります。  大都市制度につきましては、大都市が基礎的自治体と言えるのかどうか。横浜三百七十万、大阪二百七十万、名古屋二百三十万、これだけの規模で基礎的自治体と言えるんでしょうか。しかも、公選首長は一人。区には議会がなく、区長も選挙で選ばれておりません。民主的コントロールが機能すべきとする住民自治の観点から課題があるのではないでしょうか。災害発生時とか危機管理だとか、区民への説明責任などを果たし得るような体制をつくる必要があるのではないかと思います。  したがいまして、適正規模を考慮した大都市制度の在り方を検討すべきではないかと思います。  あわせて、基礎的自治体の在り方についても検討すべきです。小規模な市町村に対しての県の補完措置というような制度も検討に値するのではないかと思います。  特に大きな大都市につきましては、都制を活用することが考えられると思います。サービス行政は区に、そして区は議会と公選区長を持つ。そして、インフラ整備や広域行政は都が行う。都制は現に架空の存在ではありません、地方自治法上の制度であります。  特別市構想というのが指定都市から、政令市から提案されておりますけれども、指定都市を特別市にしたとしても基礎的自治体機能をどう考えるかという問題に逢着します。これに解決を図るために特別区をつくって区長と区議会を置くのだとすれば、全く都道府県を増やすのと同じことになってしまうのではないでしょうか。  そういうために、私はやはり、三層制の構造を変えれば何とかなるということではなくて、国と地方との事務分担や財源の再配分をきちんと行うことが基本なのではないか、そして広域行政には広域連合などの制度を活用することで対応できるのではないか、このように考えている次第でございます。  少しオーバーしました。どうぞよろしくお願いいたします。
  9. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ありがとうございました。  次に、浅野参考人にお願いいたします。浅野参考人
  10. 浅野史郎

    参考人浅野史郎君) 浅野史郎です。  現在は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス総合政策学部教授をやっております。その前、二〇〇五年までは宮城県知事、三期十二年務めました。さらにその前は、厚生省、今はなき厚生省、厚生労働省で二十三年七か月、霞が関官僚をやっておりました。  今日は、もう私は基礎自治体ということだけに絞ってお話をしたいと思いますが、基礎自治体こそ自治の本流という結論を書いたところを一枚のレジュメにいたしました。その中で、特に現今の論点になっている中で基礎自治体の在り方みたいなものをちょっと論じたいと思います。  そもそも自治体というのはどういうことか。これは教科書から取ったわけじゃなくて、私の感覚で書いたようなものですけれども、そこに暮らす住民が、近隣と一体感を持って定住する空間。ここでちょっと強調したいのは住民ということですね、住民。例えば、東京都というと石原知事。石原知事東京都の地方自治体の長ということであって、自治体とは何かというのは、本当は住民の集まり、これが自治体だということが結構大事なことだと思っています。  近隣と一体感を持って定住する空間、この一体感というのもキーワードだと思っております。その一体感というのは、コミュニティーとしての仲間意識、歴史の共有、伝統文化の共有、言語世界、方言なんかの一致、自然環境としてのまとまり、こういったものから生じるという、これが一体感の背景にあるわけですね。  自治体はもちろん、基礎自治体と言っているのは市区町村ですけれども、都道府県もあるわけですが、その中で基礎自治体の特性というのは都道府県と比べてどういうことかというと、当然ながら、基礎自治体というのは府県に比べて人口、面積が限られています。それだけに、自治体住民としての一体感にはより強いものがあると。別な言い方では、自治体意識が強いと。さっきも井戸さんからお話があったように、横浜市三百七十万、それと東京都青ケ島村は百六十人です。どちらも基礎自治体で、同じ、同段には扱えませんけれども、共通のところはあると思います。  次に、3で四点にわたって基礎自治体の在り方ということから見た論点をちょっと論じてみたいと思います。  まず、東日本大震災の被災地の復興ということです。  実は私は宮城県知事ですから、私のかつての知事をやったところが大きな災害を受けました。すぐに救援に駆け付けていただいたのが関西府県連合の井戸さんのところの兵庫県が宮城県担当ということで対応していただいて、大変有り難いと思っています。  実は私は、そういうところでありながら、三・一一以来、被災地に一歩も足を踏み入れておりません。というのは、御覧になって分かるように、昔の私を知っていれば分かるように、頭はどうなったんですかと。髪の毛がなくなりましたが、これは加齢化現象ではなくて、病気、病気というのも大変厄介な致死性の高い成人T細胞白血病という、ATLという大変厳しい病気になって、そして、それを骨髄移植も受けて今、一応復帰したということですけれども、まだ免疫が弱いと。感染症になるとこれは本当に致死性の肺炎を起こす可能性があるということを抱えている状況なので、主治医からは被災地は駄目ですと、もう感染の危険性でいっぱいだからということで、一歩も踏み入れていないのはちょっとじくじたるものありますけれども、そういう状況でございます。この頭には放射線照射二十シーベルト、マイクロシーベルトにすると二千万マイクロシーベルトを受けているわけですから、こうなるのも当たり前で、なかなか復興が成りません。余計なことでした。  その東日本大震災の被災地の復興ということを考えたときに、ここで基礎自治体が出てきます。やっぱり復興の担い手というのは基礎自治体です、中心は。計画を作る、どういう形でこの町を復興していくか、まさにこの町ですからね。それは、基礎自治体がその計画を作り、そして実際の復興事業もやっていく。ただ、もちろんお金がありません。お金がありませんから、それは県なり国なりから支援してもらうこともある。人手が足らないという部分もあります。それは支援してもらう。ただ、実際に復興をどういうふうにしていくかという計画を立てる、それからそれを本当に実際に実行していくというのは、これは基礎自治体という集まりでやるんだというふうに思っています。  実際に、やはり今回、特に復興という段階において基礎自治体一つのまとまりとなって対応していると思います。  その際に、僕もよくは、今何とも評価、ちょっと実態も分からないんですが、あの平成の合併で、特に大規模に合併した、十か町村一緒になったというようなところも今回被災しました。合併した方がよかったのかどうかというか、そこのところが、もちろん自治体ごとに違うんですけれども、いろいろあると思います。  合併した方がよかったというのは、それだけ人材というのが投入できると、ここに。もし一つ一つ小さいところだったらば、ちょっと対応がし切れなかったということがあるかもしれません、あったと思います。ただ、デメリットというか問題点の方は、合併したので、昔の自治体とは縁もゆかりもないというか、全然土地カンもないし人間関係もなかったというのが、今度はその新しい合併した基礎自治体として被災対策にも当たったわけですね。それはちょっとうまくいかないところもあったということはあります。  それをどういうふうに評価するかというのはこれからちょっと検証していく必要はあるだろうと思いますが、基本的には基礎自治体というのが中心ということなんですね。  ここに書いていませんけれども、その際にというか、ちょっと気になっているということ、これは分権といったらいいんでしょうか、今回の復興対策においてもやはりそこのところについて私はちょっとまずいなと思われるところが感じられました。それは一括交付金です。  一括交付金というのになったと。つまり、一応何に使ってもいいよというふうなもので、災害復興のために使う。そして、それを復興庁というのがまとめて、そして各省の縦割りということを排してやると。大変いいように聞こえますけれども、この前、平野大臣がちょっとコメントしているのを聞いて問題点に気が付きました。  実は、私の後任の宮城県知事が、復興庁できて、それ一括交付金といったけれども、復興庁は、そういうようなことで勝手にやってくれでなくて、査定官庁だと。駄目と言われるとかということ、また金額もぐっと減らされたりということの不満を呈していましたけれども、それだけではないと思います。  特に気になったのは、そうやって査定をするというか、それは、やっぱり復興の事業として不要不急のものはやらない、お金も付けないということをおっしゃったんですね。それは違うでしょうと。  つまり、今この非常時に、実際に被災してもう復興を急がなくちゃならないというときに、不要不急のものを出してきますかということなんですね。特に基礎的自治体って、基礎自治体の一番前線にいるところで、そこで本当に被災の悲惨さを、自分たちも被害を受けながらやっているときにこの事業が必要だというのに、不要不急なものをやるわけないじゃないですか。つまり、優先順位というのは復興庁が付けちゃいけないと。いいも駄目も、焼け太りとかと言われていることもあるようですけれども、それはあるはずがないじゃないですか。  ということで、そこもある意味では自治体というのを信用していないということの、別にこの被災のときだけじゃなく、復興の事業じゃなくても、昔からの霞が関体質で物事を言っているんじゃないかということなんです。本当にちょっと考えてみれば分かることであって、最前線のところが復興のために必要だということで優先順位を付けたものが、あなたそれは不要不急だよということを言うことは全くおかしいということですね。  それから、地方議会の役割ということについてですけれども、私は今、慶應大学で地方自治を論じていますけれども、自分の経験からいっても、地方議会というのは何か全然役割を果たしていないというか、学生に聞いても全然知らない、そんなものあるんですかみたいな感じなんですね。それについては私も危機感を持っています。どういうふうにしたらいいんだろうかということもちょっと考えていますけれども、私は、実はこれが、今この被災して復興というときにこそ地方議会の役割というのは大きくなると。だから、むしろそれを奇貨としてというか、本当は、地方議会が生まれ変わるというか、こんなことをやっているぞということを示すいい機会だというふうに思っているんですね。実態は違います。  というのは、今回被災した人の、個々人のというか住民のニードというのはいろいろまたがっているわけですね。それを、じゃ、どういうふうにしてくれというときに、行政だけだと、それは例えば首長は一人ですよね、そこに持っていってもとても聞いてくれないというか。議員というのは実は複数いるわけですよね。本来の仕事というのはないんです。ないというか、住民の中に入って住民のニーズというのを吸い上げるというのが本来業務なんですね。  まさにこういうときに被災地で住民の声を聞いて、一人一人の議員が、そしてそれを議会という一つの二元代表制という中にあって、それを一つの意思にして、こういう事業をやろうということを議会から提案をすると。それは、民意の反映ということからいうと、多分、首長レベルというか、行政レベルよりももっと現実感があるというふうに思っています。これで議会がちゃんと役割を果たせる、そして住民のこういう意見を聞いてということで、民主主義が機能するということになるんではないか。災いを転じてというか、こういうときにということですね。  ところが、実態、ちょっと幾つか聞いてみたんですけれども、浅野さん、駄目ですと、議会は。こういうふうになったのかと聞いたら、議員が、全部とは言いませんよ、ある自治体ですけれども、議員が住民の中に入っていかないと、被災住民の中に。何でというと、入っていくと、これやってください、あれやってくださいと言われて、こっちが困ってしまうので出ていかないと。全くちょっと私の期待と反対のことが行われているというのもありながら、しかし、本来、そういうことで議会が再生するチャンスというふうにとらえることもできるんじゃないかと。その場合の議会というのも、基礎自治体の議会というのが中心だと思います。  二番目、原発再稼働の地元として。  これ、今まさに福井県の大飯原発三号機、四号機、再稼働するかどうかという喫緊の課題になっているわけですけれども、その際に、今、本当に手続論からいっても、政治が決めるとか政府が決めるというんではないんですね、実態は。地元自治体関西電力と安全協定を結んでいますから、当然、再稼働をするかどうかというときには自治体の同意を得なくちゃいけないんですね。これは手続上もそうなんです。いや、そういう同意を得る法律上のあれはないんだというふうに政府でおっしゃっていますけれども、関西電力との関係においては、まさに関西電力が再稼働のボタンを押すわけですから、そのときに自治体の同意がなければ動かないはずです。動けないはずですね。  その場合に、またさっき言った自治体というのは、おおい町長じゃないんですね。おおい町長は、おおい町というところを代表するだけの存在ですから。形式的には、おおい町長がうんと言う、福井県知事がうんと言うというのが同意なんですけれども、実態というか政治的なことをいえば、住民が反対がすごく大きいというときに、じゃ、そこの首長が、はい、いいですと、再稼働についてですよ、ということからいうと、住民意思が確かめられている。実態、じゃ、住民意思は住民投票でやるのかといったら、それはなかなか難しいと思います。  そこでまた地方議会が出てくると。これはもう本当に目の前のことなんですけれども、おおい町議会どうしているのか、福井県議会はどうしているのか、動いているようですけれども。そこで、本当は住民は、陳情とか要望とか、あれは議会に持っていくべきだと思っています、住民の代表ですからね。そこで、いろんな住民の複数の意見を得て、また複数の議会が議論を経て同意するかどうかとかいうことについて決めるべきです。ここでも地方議会というのが役割を果たすいいチャンス、チャンスというか本当は義務なんですね、と思っています。  若干政治的なあれからいえば、よく言われているように、今も選挙、どこかほかのところの選挙で原発賛成派とかなんとかというのが選ばれたからというんだけれども、それは違うんですね。違うというか、それだけがイシューじゃないんですから。その人が選挙で選ばれたら、自分がやろうとしている方向が住民に認められたというのは、これは大阪での選挙のときも私同じように思いましたけれども、いろんなことで住民は選んでいるわけですから。実は、そういう今度、個別のあれについて住民の意思はどうかということは、議会が実は代表して、議会としてのあれを出すべきだと。その都度その都度、選挙のときだけじゃなくて、判断できるわけですからね。この原発再稼働の問題もそんなふうにとらえるべきではないかと思っています。  余計なことですけれども、今、被害地元というあれがあります。この前も京都府知事さんがテレビでおっしゃっていましたけれども、それからほかの人も、政府も電力会社もこの例えば夏の電力需給についての数字を言っていない、ちゃんと、これは本当に大変だ大変だというのは単なる脅かしじゃないか、そこのところの数字をもって説明してくれと、そうじゃなかったらうんと言えないというのは、これはちょっとおかしな議論だと私は思っています。  おかしな議論というのは、つまり、じゃ、本当に客観的にというか、本当にこれ足らなくなるんだと、このままで行ったら、再稼働しないとというふうになったらば、大飯原発の再稼働についての安全性についてちょっと不安があるけれども、心配だけれども、本当にこうやってもう客観的に見て電力が足らなくなるということなんだから、必要性についてはもうちゃんとみんな分かっていることなんだから、じゃ、再稼働しますかって、ならないですね、これ。まさに今、あそこの再稼働ができるかどうかということの判断基準はただ一つ、安全性の確認なんですよ。それを住民も同意をしていくということだけなんです。それは決して電力需給の逼迫かどうかの関数ではありませんということを、ちょっとここの議題とは違いますけれども。  三番目、大阪都構想ですね。  大阪都構想については、私も面白いというか、地方側からこういうような大変大胆なというか、枠組みの組替えということを発想したということは非常に大きな意味があると前向きにとらえています。  ただ、私は、ここは一点、自治体とはというか、基礎自治体のことについての議論なので、そこでいうとちょっと首かしげるところがあるということなんですね。つまり、今大阪都構想で行われているというものは何かというと、大阪市が今二十四区あるのが八特別区に再編され、堺市の七区が三特別区になり、あと、豊中とその辺の大阪の市が区になって、二十の特別区になるんですね。これは、既存の自治体のぐちゃぐちゃというか、を再編成するわけです。それは、しかも自治体住民から言い出したことでもなくて、言わば上からというか、そういうふうにやられると。  自治体というのは、一番最初に言ったように、一体感があって、そして歴史的にもずっとつながっているところなんですね。だから、簡単にというか恣意的にというか、そういうふうに再編していいのかどうか。市町村合併というのはありました。市町村合併のときには、当然、最終的には住民の理解というのが、それは議会も入ってですけれども、そういうことで同意されて合併が成ったわけですから、今度はそういうふうになるのかどうかということですね。  だから、大阪市民にしてみれば、大阪市ということに対して一体感を感じ、そこに誇りを持っている人にとっては、八区にわあっとされてしまうということ、それが問題です。  それから、実態上は、財源、固定資産税と、それから住民税の法人分というのが大阪都に召し上げられるというか、ということになるわけです。つまり、固有の財源を、元大阪市というか区になった、そこのところが行ってしまう。これは実は、分権の方向で上から下へというのか、それの逆なんですね。だから、自治体の在り方ということからそこはどう考えるべきかと。  これは、私は、我々がどうこう言うべきじゃなくて、住民が決めればいいんです。だから、必ず大阪都構想成るときに、国会で法律を決めればそれでということではなくて、手続としても何らかの形で、住民投票にかけるかもしれません、なければならない。住民が決めて、いや、それでいいよというならそれでいいんですということは言いたいと思います。  最後、道州制。  お配りしている資料の中で、私の「エコノミスト」の二〇〇六年で、いい道州制と悪い道州制があると書いて、その結論のところで、私は、いろいろ書いたけれども、道州制推進論者ですというふうに言ったんですけれども、今は変わりました、あれから六年たって。非常に懐疑的です、いろんな意味で、ちょっと時間がないのであれですけれども。  まず、基礎自治体ということからいうと、当然、道州制になれば、基礎自治体の再編がもう一回起こります。つまり、平成の大合併、あれだけやって、やったばかりなのに今度は三十万規模にしなくちゃいけないんですね。基礎自治体の数を減らしていかなくちゃいけないということをやるんですか、やれるんですかということです。  それから、これについては、市町村合併のときと違って、住民側の方の意欲が全くありません。全くありませんと言ったらあれですけれども、道州制、そんなの何という感じなんですね。合併のときは自分たちの問題としてとらえました。そして、市町村合併は、それぞれの市町村がせっぱ詰まり感があったんですよ。このままじゃいかぬと。それが政治的なパワーになって、いろいろ障害があったけれども乗り越えてというか、合併ができたんですけれども、道州制の場合、今のこの秩序のままじゃどうにもならないという切迫感というのはちょっと感じられないです。道州制の方が良くなるらしいなということでは、これだけ大変な出来事ということを乗り越える政治的なパワーは得られないだろうと思っています。  以上です。
  11. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの意見の聴取は終了いたしました。  これより質疑を行います。  本日は、まず各会派一巡で十分ずつ質疑を行います。その後、午後四時ごろまでを目途に自由質疑を行いたいと存じますが、質疑の時間が限られておりますので、委員の一回の発言は三分程度となるよう御協力をお願いいたします。  参考人方々にお願い申し上げます。御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願い申し上げます。  また、質疑の時間が限られておりますので、簡潔な御答弁をお願いいたします。  なお、質疑及び御答弁は着席のままで結構です。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  12. はたともこ

    ○はたともこ君 民主党のはたともこでございます。  今日は、参考人先生方、大変有意義なお話をありがとうございます。事前にお配りいただいておりましたこの資料も読ませていただきまして、今日のお話と資料と踏まえて、まず三人の先生方に伺いたいと思います。  大阪維新の会と堺屋先生が提唱されておられる大阪都構想、そして井戸先生連合長をされていらっしゃる関西広域連合、さらに浅野先生が、今ちょっと懐疑的だとおっしゃいましたけれども、良い道州制、悪い道州制、これを事前に私読ませていただきまして、なかなかちょっと整理が付きにくかった部分がございますが、民主党政権は地方主権を掲げておりまして、まず国の出先機関を廃止して、予算、人員を都道府県なりあるいは広域連合なりに一年以内に移管するということについては、様々な構想があっても中央省庁の官僚以外は一致できるところではないかと私は考えておるんですが、先生方の御意見をまず伺ってみたいと思います。
  13. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 基本的に国の出先機関を地方に移管していただくことは非常に賛成です。現在、特に国の出先機関につきまして、特に高級な部長級、局長級の方々が単身赴任になっておりまして、非常に地域の実情を御存じない方が多くなってまいりました。私どもの古巣であります経済産業省などを調べましても、任地で散髪をしたことがない、医者に通ったことがない、子供を学校へやったことがない、背広を買ったことがないというのがほとんどでございまして、地域経済に実際に生きていないと。したがいまして、できるだけ早い機会に地方に移管していただいて、そして地場に根付いた方々経済文化を主導していただくのが有り難いのではないかと思っております。
  14. 井戸敏三

    参考人井戸敏三君) 先ほども説明いたしましたように、我々、関西広域連合、国の出先機関の仕事を移譲を受けるために積極的につくったというのが、広域事務を行うことと併せてのもう一つの大きな柱でございます。しかも、我々の手で受皿をつくったというものでございます。  本来的に、実をいいますと、全部の出先機関の引受けをしたいと最初から申し入れてもよかったんですけれども、国との協議の間で全面戦争をするわけにはいかないぞということもありまして、第一段階として、同じような動きをしております九州ブロックと相談しまして、三つの機関をまず第一限的に受けようということにしております。  三・一一があって以来、危機管理のときに機動的に動けるのかというような懸念を随分指摘受けているのでありますが、我々は機能は全部引き継ぐのでありまして、やめてしまうわけじゃありません、出先機関の仕事を。そしてしかも、法定受託事務として受けますので、国としての統制力は十分柔軟に認める、そういう方向で考えております。  そのような意味で、是非、応援をしていただきたいと思います。
  15. 浅野史郎

    参考人浅野史郎君) 私も、出先機関の廃止というか、それを機能として広域連合に持っていくということは望ましいし、可能だろうと思っています。  その際に、これは広域連合でもできますということではなくて、そちらの方がうまくいきますということを客観的にというか、説得力あるように、相手方ですね、相手方はどっちかというと抵抗する側ですから、それから県民、国民に対してこの方がうまくいくんですよということを説明する必要があると思います。  そうなると、というか、何でもかんでもではないと思います。今出先機関がやっていることについての機能を全てではなくて、そこの中で、今言ったような判断の中で、これはむしろ出先機関ではなくて府県連合で受けた方がうまくいくというか、それが適当だということについてのみに限定していくことが必要だと思います。  ただ、実態としては、出先機関はそういう権限とか何とかではなくて、人の問題で、結局首切られるんじゃないか、そこで出先機関を廃止されたら俺どこに行くんだというので、それは、多分機能をもらうと同時に人ごともらって、まあ身分を変えなくちゃいけませんけれども、国家公務員であるということに誇りを持ってきた人が宮城県の職員になるのは嫌だというのも実際あると思いますよ。だけれども、それは乗り越えなくちゃいけないと。ただ、そこの抵抗はあるということなので、政治的にはというか実態的には難しい部分もあると思いますが、乗り越えるべきだと思います。
  16. はたともこ

    ○はたともこ君 それではもう一つ堺屋先生に伺ってみたいと思います。  大阪都構想は、先ほども少しありましたけれども、地域主権型道州制の先駆けとなるものであるというふうにおっしゃっているかと思うんですが、なぜ先に大阪都構想があるのか、同時並行で議論することはできないのか、また、大阪都構想が進まなければ一体どうなってしまうのか、教えていただきたいと思います。
  17. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 今、浅野参考人からお話がありましたが、大阪都構想は既に四十数年練りに練った構想でございまして、大阪の中の各地域でそれぞれの違いがございまして、中央区の辺はこうだとか東成区の辺はこうと、随分議論議論を重ねてようやく到着した議論でございます。決して大阪という大きな都市が一つ基礎自治体としての意識を持っているわけではございませんで、万国博覧会以来、様々な議論経済界でも住民の間でも団体の間でも徹底的に論じられ、それができなくて困っているということが続いてきた構想なんですね。  まず第一に、やはり大阪市というのは基礎自治体として規模が大き過ぎるだけではなしに、様々な違った伝統が寄せ集まっています。  その中で、例えば地下鉄のようなものは大阪市が直接やっておりますが、これが府域には出ません。大阪市の地域というのは二百二平方キロで、一般の、普通の基礎自治体より狭いぐらいでございますが、その中でしか地下鉄が走らないから東京のように相互乗り入れがなかなかできないと。あるいは、大阪市がかなり大きな団体になりましたので、大阪市立大学と大阪府立大学ができるとか、大阪市の水道局と大阪府の水道局ができるとか、もう様々なことがあります。  市長知事が話し合って解決すればいい、そこへ商工会議所の会頭が入ってとかいうようなことを四十年間何回となく繰り返してきて、それでどうにもならないという実情があります。それで、今はまず大阪市を大阪都に、大阪市と大阪府を一緒にいたしまして大阪都構想にして、大阪市の地域をそれぞれの特色を持った、それぞれの地域で共通の特色を持ったところに分けていくべきではないか、そういうような議論になりました。  また、住民の意思の反映でございますけれども、これも非常に違います。  例えば東京でございますと、私自身がこの震災の後で節電のためにLEDに替えようというようなことを新宿区や渋谷区に言いますと、すぐに区会議員の方、区長の方が反応しましたけれども、大阪市の場合には、大阪市役所に上るのに一年掛かって依然として上っておりません。そういうような非常に遠い団体になっているんですね。だから、もし災害が起こったときに、区長さんというのは役人でございます、現在の区長は役人ですが、それから大阪市の市役所に行って、そして区には災害対策部署がございませんから、区役所にはありませんから、市役所へ行って云々するのに非常に時間が掛かる。そういうような様々な不便が積み重なっております。したがって、まず喫緊の問題として大阪都構想を実現したいということです。  大阪都構想というのは道州制に至る一つの道程かもしれませんが、あるいは道州制まで行かないでも、大阪都として一つの完成形といいますか、暫定形が成り立つだろうと考えております。
  18. はたともこ

    ○はたともこ君 どうも先生方ありがとうございました。  終わります。
  19. 中西祐介

    中西祐介君 自由民主党の中西祐介でございます。  本日は、もう三名の参考人先生方、本当にありがとうございました。地方分権あるいは地方自治のエキスパートという、日本の中でももう著名な先生方の御講話、二十分少々でございましたけれども、それぞれじっくりと更に伺いたかったなというふうな思いでございます。  簡潔に質問をさせていただきたいと思います。  まず、私はちょうど徳島の選出でございまして、井戸知事もお隣で、大変徳島でもお世話になっておりますが、やっぱり週末ごとに地元に帰ると、非常にもう人口減少あるいは企業の流出、あるいは地域の疲弊というものを目にするわけであります。その中で、これからの分権の姿といいますか、自治体の在り方ということをこういう機会で勉強させていただくのは非常に有り難いと思っております。  三名の先生方にそれぞれ一問ずつ御質問をさせていただきたいと思っております。  まず一つ堺屋先生に対してでございますけれども、もう堺屋先生はきっての道州制の推進の論者でございます。そうした観点から、道州制に対して、あるいは分権に対して、自主性であるとかあるいは多様性を認めるとか、一極集中の打破ということは私も非常に共感をするところでございますけれども、その上で、道州制に移行するに当たってやはり欠かせないのが、日本のこの国土、あるいは経済規模の自治体がそれぞれある中で、財政調整の重要性が非常にこれはもう避けて通れない議論だと思っております。仮に、大阪あるいは中京都、東京、またいろんな地域あると思いますが、明らかに例えば四国のエリアなんかは現状として財源が少ないというふうな状況でございますので、道州制に移行した場合の財政調整の有効な方策について具体的に御提示をいただきたいと思っております。  二つ目は、井戸知事にお伺いをしたいと思っております。  広域連合ということで、非常に現状の仕組みの中で具体的な、現実的な取組を進めていただいていると思っております。その上で、これから日本が抱える課題としては、今、我々も、地域ももちろんそうなんですが、社会インフラの更新ということが大きな地方財政にとっての課題になってくると思われます。ちょうど四十年代に最大二十四兆円ほど積み上げた公共投資の更新が、今後やっぱり三十年間で、一年間単独で平均で、大きい年は十五兆円ほども更新に掛かる可能性があるというふうな調査もございます。  その中で、関西広域連合が県をまたぐ受皿として考えた場合に、その財源をどこから捻出するのかと。この井戸知事の提言の中で、地方共同税の創設ということもあろうかと思いますが、もう兆という大変大きな財源になろうと思いますので、その確保の仕方ということをどのようにお考えなのかということをお伺いしたいと思います。  そして三つ目が、浅野参考人にお伺いをさせていただきたいと思いますが、浅野参考人は元々知事を御経験されて現場のことも熟知されているというお立場で、今は現場を離れられているというお立場の中で、現在、関西広域連合の在り方、また道州制の議論が進んでおりますが、これからの分権の理想的な姿について、もう一歩踏み込んだお話をいただきたいというふうに思います。  よろしくお願いします。
  20. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 道州制を施行する場合、大変重要なのはこの財源調整の問題です。  まず、道州制にする場合には国税と地方税を全部一回見直しまして、大体は、国税が全体の三分の一、道州税が三分の一、基礎自治体税が三分の一、残り十分の一は道州間調整財源に充てるというような配分になろうかと思います。  問題は、その次なんですが、問題は、八百兆円を超えると言われる国債を誰が持つかという問題なんですね。仮に、国税の税収を三分の一にいたしますと、国債を持ち切れないという問題が起こります。そこで、やはり現在の国有財産、これは国道から河川堤まで含めて、これをやはり道州にある程度現価で買ってもらう。この現価というところが大事なんです。そういたしますと、首都圏とか大都市圏は非常に多くの債務を引き受けることになります。過疎地帯は非常に少なく、時価ですから、時価ですから非常に少なくなる。  これは、国鉄が六つに分割いたしましたときに、国鉄の資産のうちで大きな部分を東日本や東海、JR、西日本が持って、九州や四国あるいは北海道は少なかった。これが現在、多少差はありますけれども、それぞれが運営していただいている原因なんですね。  それを正確にやりますと、地方と、中央といいますか、関東地方との格差が劇的に変わります、劇的に変わります。したがって、地方は、この財源調整によって、非常に豊かなとは言えませんけれども余裕のある、自由裁量の財源を持つだろうと思います。  特に消費税につきましては、これは全額やっぱり地方税に振り替えるとか、そういうような具体的な税目の分割が必要です。地方努力をして地方が税収を増やせる、そういうような税収はやはり地方に持たすべきなんですね。そういう意味では、消費者に密着した消費税というのは地方税にふさわしいだろうと思います。  この税収をいかに分割するか、それから税の徴収は道州が一元的にやる、そういうような仕方をいたしますと、諸外国に見られるように、地域格差は、現在の制度と違いまして、非常に縮小してくることが計算上明らかになっています。それでもまだ絶対的な差が出ますから、その部分は、国が関与しないで、道州間の協議によって道州間調整財源を使用すればいいだろうと思っています。  更に詳しくは、問題になりますと、各道州の道州債の発行の問題あるいはその返済の問題、それに対する国の保証の問題等々が出てまいりますけれども、私たちの研究ではいずれも解決可能でございまして、非常に地域格差の縮小に、道州制は決定的な地域格差の縮小に役立つと考えております。
  21. 井戸敏三

    参考人井戸敏三君) なかなか難しい質問なんですけれども、まず、我々やろうとしているのは丸ごと移管ですので、例えば近畿整備局に約一兆円の財源が付与されていますけれども、これをそのままいただく。しかし、それはほかに流用できるかというと、そういうお金ではありません。現在、近畿整備局が行っている事業を連合の名前でもって事業を執行していくということになります。  そのような意味からすると、お尋ねの社会インフラの更新などの財源に回る話ではありません。したがって、社会インフラの更新などをどう考えていくか。これは、まず長寿命化という対策を講じていくべきだろうと思っています。アセスマネジメントという言葉がありますように、長寿命化、更新しないでも早めに手を打てば、三十年が五十年、五十年が七十年に延びる、このような対策を講じていく必要があるのではないか。  そのときに、やはり、今非常に公共投資財源としての地方債の活用が制限されております。もっと地方債の活用を考えていいのではないか。これは一時、余りにも公共事業に依存し過ぎているのじゃないかという批判から随分非難をされ、そして地方債の活用、その償還財源に対する事業費補正制度という交付税制度が非難されました。ある程度モデレートな形で一定の枠の中で活用していくべきではないかと、こう思っています。  それから、将来的なインフラ整備の仕組みとしては、私は、有料道路などの制度はもっと活用していいのではないか、あるいはプロジェクトファイナンスの仕掛けをもっと活用していいのではないか、このように思っております。つまり、市民ファンド型の公共投資の仕組みというのをもっと考えていくべきだと思います。  そして、将来的な財源調整の仕組みとしては、どうしても、今の地方交付税制度を更に発展させた、先ほど提案しましたような地方独自が調整できるような共同税制度を考えるべきだ、しかも、それは国税の一部、そして地方税の一部を拠出する仕掛けとして検討をしていくべきだ、このように思っております。  現在、過疎地域においては、過疎債などの活用が非常に上手に行われているところと行っていないところによって地域振興に差が出てきています。私は、なぜ過疎債などが上手に行われているところが元気になっているか。それは、支出の自由を持っているからです。選択の自由を持っているからです。ですから、やはり選択の自由が持てるような仕掛けを構築していくべきだ、そのように思っています。
  22. 浅野史郎

    参考人浅野史郎君) 地方分権というのは美しい言葉なんですよ。つまり、美しい言葉というのはどういうことかというと、反対はできない、何かいいものらしいということ、これが直感的にみんな、特に国民、住民というのはそういうふうになるんです。  例えば、任意の人に、地方分権というのはあなた賛成ですか反対ですかというと、賛成だと言うんですよ。何でというと、いや、分からないけど、浅野さんがいいって言っているからじゃないですかとか、そんな程度のものなんですね。実は、これは現役のときから、知事やっているときから感じていましたけれども、地方分権ということについての、今言ったような住民はどう考えているのかということについて、ちょっとここでは二つの誤解というか偏見というのがあって、これまた真反対の方向なんで、ちょっとコメントしておきたいと思います。  一つは、実は地方分権というのは美しい言葉だから反対はできないんだけど、大多数の人は無関心です。なぜかというと、これは見方として、それは単なるコップの中の嵐でしょうと、嵐というか、の戦いでしょうと。つまり、国と、そしてしかも自治体じゃないんです、国と例えば知事の間で権限と財源をめぐって引っ張り合い、綱引き合戦やっているんでしょうと。そんな綱引き合戦、赤勝ったって白勝ったって、全然興味がない、どっち勝ったって関係ないやということで、非常に冷ややかにというか、自分たちに関係ないものとして見ているというのが一つの偏見ですね。  もう一つは、その逆です。地方分権というのはすばらしいものだと。これが徹底すれば何が起こるかというと、この過疎の町でも全然、特にこれは東京との、東京羨ましいなというのとの対比の上でいつも言われることなんですけれども、うちの町も繁栄すると。地域おこしのために地方分権というのは是非必要だというふうに、これは過度な期待なんです。片や無関心と過度な期待。  私も地方自治の授業を大学でやっていて、問題出したんですよ、学生に。高校生に対して君が、分かるように、地方分権が進むとどうなるかというのを高校生に分かるように説明しろというのを問題に出したんですよ。みんな今の後段です。地方分権になれば地域はバラ色になる、こういうふうになるんですよと。それは僕はびっくりして、自分のちょっと地方自治の授業、一体何やってきたんだと思って、模範解答というか、あなた方違うよというのを後からやったんですけれども。  さように、地方分権ということについての過度な期待という中で、例えば、実は反対のあれもあるわけですね。  地方分権というのは、実は、はっきり言えば格差をつくることなんですよ。中央集権というのはとにかく全部公平にということで、格差をなくすという方向でやっているのが中央集権の真面目な官僚の考え方なんです。別に権限が欲しいというんじゃなくて。それは住民も是としているわけですよ、差を付けられるのは嫌だと。だけど、分権というのは、今度はその地域ごとに、中央のそういうくびきから離れてというか、利益誘導から離れて自由にやるということなので、これは、らしさができるということで、それは違いをつくるのが地方分権のむしろ趣旨なんだということを分かった上でというか、地方分権についての対応というのは決まってくると思います。  ただ、今思っているのは、今の段階で地方分権どうですかということに対して、住民は興奮しません。興奮しませんというか、わっ、すごいな、やろうということになりません。だから、ちょっとここ難しいんですけれども、実際地方分権ということで何か進んだときに、あっ、こういうふうに変わったよということを住民が実感するということの積み重ねをしていくことによって、これだけ分権というのが進んだらこれだけ幸せになったと、だったら、もっと進んだらもっとなるんじゃないかというふうにやっていかなくちゃいけないんじゃないかと。単なる理屈と説得だけじゃできないかなというふうには思っています。
  23. 中西祐介

    中西祐介君 大変にありがとうございました。  もう長年議論されているこの分権議論、もう総論賛成各論反対ではなくて、やっぱり進めていける方策を現場から是非これからも勉強させていただきたいと思います。  もうそのキーは、間違いなく地方自治体の自主財源をいかに確保できるか。今、国全体でもそうですが、経済のパイをどう大きくするか、あるいはどうすれば税収が増えていけるかという観点が非常に大事かなと思いますので、是非現場の御提言も今後とも勉強させていただきながら進めていきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  24. 谷合正明

    谷合正明君 公明党の谷合です。  今日は三人の参考人先生方の皆さん、本当にありがとうございます。  まず、私も道州制に関連した質問をさせていただきたいと思います。  御承知のとおり、公明党も地域主権型道州制というのはもうマニフェストに掲げております。また、私が委員長を務めております公明党の青年委員会でも、二〇三〇年にはこれしっかりと地域主権型道州制への移行を目指していこうというところまで掲げておるんですね。  ただ、道州制自体、新しい議論でもなくて、よく文献調べてみますと、昭和二十年代後半、昭和三十年代後半の地方制度調査会でもこの種の議論がございました。当時から、国から地方への行政事務の再配分、あるいは地方財源確保のための税源移譲、それから地方間の不均衡を是正するための地方交付税の在り方、国の出先機関の地方への吸収、また大都市問題、基本的に五十年たった今も同じような議論をしておるわけでございます。  ですから、百年河清を待つような議論にしてはいけないとは思いますし、先ほど堺屋先生が、練りに練った五十年で、練りに練ったという話もありましたが、具体的にこの分権の姿をしっかりと移行していかなきゃならないんだと思っております。  それでは質問させていただきますが、三人の参考人の皆様に共通の質問でございます。それは、ナショナルミニマムについてどう考えるのかということであります。特に社会保障、年金、それから生活保護、医療保険などのナショナルミニマムについて、国、県、あるいはこれは道州、広域連合ととらえていいかもしれませんが、そして基礎自治体、それぞれの役割と責任はどうあるべきなのかと。また、ナショナルミニマムについて、国ではなくて道州が主体となった、あるいは広域連合が主体となったナショナルミニマムというものはあるのかと。ナショナルミニマムの定義付けの問題もあるかもしれませんが、この辺りについての御見解をお伺いしたいと思います。
  25. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 今御質問がございました道州制についての議論は、以前の議論、昭和三十年代、四十年代の議論と、現在言われている、公明党さんがお出しになっていただいている道州制の議論とは全く違うものであります。  以前の道州制の議論というのは、府県の境が小さ過ぎるからこれを合併しようというのでございました。したがいまして、例えば近畿地方では、近畿二府四県を合併する案もあれば、大阪、奈良、和歌山と三県だけ合併する案もありました。どのように都道府県の分け方を考えるかということが当時の主題でありました。  今、私たち、私たちと言うたらおかしいですが、公明党さんやみんなの党さんがお出しになっている、また多くの政党が御賛成になっているのは地域主権型道州制でございまして、まず国の制度を変えることが大事なんです。ここがポイントなんですね。国が今やっている多くの制度、特に、農林水産省であるとか国土交通省であるとか文部科学省であるとか経済産業省であるとか、そういう各住民生活に密着したところを国がやっている、これを道州がやることにすると。そして、国の制度は、私の図にもありますように、国は国だけの、外交であるとか防衛であるとか通貨発行であるとかマクロ経済だとか通商交渉であるとか、これだけに限定すると。だから、今回の道州制の一番の問題は、道州を合併することよりも国を改革することが重要なんですね。  先ほどの財政の問題の一番のポイントは、国の集めたのをどう分けるんじゃなしに、それぞれが自分で財源をつくる、したがって、問題は、現在の国債をどう分けるかによって決定的に変わってくると、こういうところにあるわけです。  そういう立場でこの道州制を考えますと、やはりナショナルミニマム、まあナショナルミニマムという考え方自身が中央集権のがんじがらめの考え方でございまして、むしろ各地域でそのミニマムが違ってもいいのではないかという気がいたします。例えば外国でございますと、最低賃金制度地域によって相当に格差がございます。それは、物価も違えば生活様式も違います。同じように、物価の水準だけではなしに、同じようにタクシーに乗っても、東京は二千円掛かるところを地方へ行ったら八百円で行けるというところもあります。そういうような、それぞれの地域に密着したものをつくると。  それからもう一つは、国の制度として、高度成長の間に日本の国を中央集権に完全につくり上げたんですね。例えば報道に関して、情報発信に関しては東京都に集中するということは決めました。したがって、雑誌を発行するのにも全部東京へ一回持ってこなければ発行できない。日販、トーハンを東京に集めまして、大阪で印刷した本を尼崎で売るにも東京へ持ってこなきゃいけない。それから、テレビも、全部キー局東京に置かねばならない。金融機関、金融機関なんかも、全部東京へ入れるためにどれほどの努力を財務省、大蔵省がしてきたか。銀行協会をつくって、銀行協会の会長は東京に本店がなければなれない。住友銀行と三和銀行はしない。あるいは、日本生命は東京へ移転しろと。どういう圧力を掛けてきたか。その結果、東京に集中した。証券取引所も同様でございます。貿易取引も同様でございます。そういうことをまずやめようと。だから、ナショナルミニマムよりも地域マキシマムをいかに育てるかということが大事だろうと思うんですね。  福祉であるとかあるいは生活保護であるとか、そういうものにつきましては、各地域、道州がやはりうちの地域はこれだけの最低保障はしますよというのを決定すべきだと思います。そう言いますと非常に不安を感じる人がいるんですけれども、それは、中央官庁が決めたら安心だけれども地方のお役人が決めたら不安だという中央官庁優先主義があるんですね。私は、地方のお役人、道州のお役人が道州の議会とミニマムを決めていただければ、決してそこに住んでいる人をおろそかにするような基準は作らないと思っています。それぐらいの皆さん常識を持ち、愛郷心を持ち、人間愛を持っていただいていると、そう信じています。  だから、国でなきゃいかぬということは一切ないと思うんですね。問題はだから財源をどうするかでございますが、先ほど申しましたような財源調整をいたしますと今よりもはるかに偏りがなくなる、私どもの試算ではそのようになっておりますので、うまくいくんではないかと期待しています。  ただ、問題は、やはり八百兆円のうちで相当数を国が持ち、道州も持たなきゃいけない。現在財政を悪くしてしまったことのツケは、国にも各道州にも残ってくるだろうと。これはやむを得ないことで、いかにしていくかというのは別途財政問題として考える必要があろうとは思いますが、その点を解決いたしますれば、ナショナルミニマム、人々の基本的人権は守れるだろうと。もしそれを守らないようなところがあれば、勧告をするような制度、これは国というよりも道州会議で勧告をするような制度をつくればいいのではないかと考えております。
  26. 井戸敏三

    参考人井戸敏三君) 私は、いずれにしましても道州制ができることを前提とするようなコメントは絶対にしないと、こう思っておりますので、道州にどんな役割をセーフティーネットで果たせられるかとお聞きいただいても、これには答えを持ち合わせておりません。道州制をつくること自身が問題だからなんです。  それで、広域連合としては、広域連合というよりも、セーフティーネットを張るということは、これは重要なことだと思っているんですね。例えば年金というようなものを道州単位とか都道府県単位で独自につくらせるか、これはちょっと難しいんじゃないんでしょうか、制度としては。しかし、徴収だとか、どういう形で加入を進めるかとか、そういう意味での役割分担というのは当然にあってしかるべきで、年金は全部国の仕事だから全部国の機関でなくちゃやっちゃいけないんだみたいな縦割り主義を徹底させてしまっているところに今問題が生じてしまっているのではないでしょうか。  例えば兵庫県でいいますと、西宮に事務所があるんですが、その管轄は丹波篠山まで入っています。丹波篠山の人が西宮の事務所まで出かけていって年金の自分の受給手続をしなきゃいけない。物すごい複雑なんです。私も六十五になったとき、もう参りました。こんなことが現に行われているということが実際問題としておかしいんですね。手続なんかは市町村の窓口でやれるようにしてあげたらいいんです。そういう意味でのセーフティーネットの張り方の仕掛けが余りにも縦割り過ぎているということをどういうふうに考えるかということを、もっともっと議論していただきたいと思います。それは社会保障の制度に特に目立つわけです。社会保障の制度に特に目立つわけです。  それから、私は、やはり国はセーフティーネットの仕掛け自身に手を抜いてしまってはいけない。どんな分権社会が来ても、国としてはセーフティーネットに対しては責任を持たなきゃいけない。責任を持つ分野をどこまで持つかということをきちっと決める必要はありますが、それ以外のことは任せますが、持つべき分野というのはきちっとしておく必要があるのではないか。年金にしても医療にしても、介護保険の骨格的な仕掛けというのは持たなきゃいけない。  ただ、先ほど言いましたように、融合型になり過ぎていますので、制度の運用が国の責任なのか、実施主体の責任なのか、それを助成している都道府県の責任なのかみたいなところが曖昧にされてしまっているところが問題がある。もっと責任分野というのを明確にしていく必要があるのではないか、このように考えております。  アメリカ合衆国でも、国全体としてのセーフティーネットの仕掛けを持とうとしてオバマは苦労しているわけですね、医療制度などについては。そういう意味で、そこを逃げてはいけないのではないか、そのように思います。  ただ、一律どうすればいいのか。私は実を言うと、仕掛けのつくり方として、国は枠組み法を作る、その枠組み法に従って各都道府県なり市町村自分の条例でもって具体の実施条例を作っていく、そういう役割分担をすることによって随分違ってくるのではないか、そのように思っています。上書き権を認めてもいいし横出し権認めてもいい、それはそれなりに自分の責任でやれよ、しかし、枠組みとしては、セーフティーネットに関しては、国は責任を持った枠組みをきちっとつくる、それを混合型にしない、このことが大事なのではないか、こう思っています。
  27. 浅野史郎

    参考人浅野史郎君) 社会保障の問題、これはナショナルミニマムとは別に、具体的に言うと、年金、医療保険、介護保険です。いずれも保険です、これ。ですから、保険ですから、それどこが責任というよりも、母数の大きい方が安定するわけですね。そして、だから国がやるというのが適当で、各県にやるとか道州で道州ごとにやるというのは保険制度としては余り賢いやり方ではないということで、必然的にそれは国でやるということになるというふうに思っています。  それから、これもナショナルミニマムじゃないんですけれども、例えば教育の機会均等なんというのは若干ちょっとナショナルミニマムに似ていると思うんですけれども、私が知事時代知事会で三位一体改革、そこの中で特に問題になったのは義務教育の国庫負担の廃止、二兆五千億なんですね。それをめぐって実は知事会の中、一つにはまとまりませんでした。思い出しますけれども、文部省出身の加戸愛媛県知事とこういうふうにやって、浅野さんとかと言ってやり合って、これを廃止するというのに賛成した人の名前は全部書きます、歴史に名前を残しますというようなことまで言われて論争したんです。  そのときに、私の論点はどういうことかというと、加戸知事がおっしゃったのは、教育というのはまず機会均等もあるし絶対やらなくちゃいけないんだと。つまり、だからそれは国庫負担というのがあるのが担保しているというふうに言うんですけれども、本当にそうでしょうかと。  例えば、教育だけじゃないんですけれども、国庫負担がないというんだったら、多分義務教育のいろんなシステムというかその内容も各県なりが決めるということになると思います。そのときに、じゃ、宮城県は四十人学級でやる、山形県は三十人学級でやるというようなことになるとすると、必ず言われるのは、議会で、知事、山形県は三十人学級でやっているんですよ、何で宮城県は三十人学級にしないんだとか、そのほか、例えば教育ということの内容についてほかの県と比べられるわけです。それを、大事な問題であれば、ないがしろにしてというか、それでえへへと笑ってはいられないと、これは政治的な現実ですね。  だから、これは教育の問題に限りません。いろんな施策について、特に隣の県、福島県にだけは負けたくないと、兵庫県には負けてもとかというのがあるから、そういうとき比較されるということになるんです。  それは結果的にナショナルミニマムというか、自分のところだけいろんな行政レベルを低くするということを許さないというか、政治メカニズムというほど大げさなものではありませんけれども、そういうことは実際知事をやっていて何回もそれは感じて、かなり意識して、意識して、施策を作る、予算を作るというときに、ほかの県の動向とかいうようなことで、別に国がこれだけの基準でやれと言われるより前に、そこのところで働いているということが実際の中での地方自治のありようだと思っています。
  28. 寺田典城

    寺田典城君 寺田でございます。よろしくお願いします。  御三方、御参考人、本当にありがとうございました。その節は井戸さんとか浅野さんにも大変お世話になっており、浅野さんのお元気な顔を見てうれしく思っております。  できますれば、御三方、三人早く国会にでも出ていただければもう少し変わるんじゃないかなと思うんですが。私は政治の社会に入ったのは、一九九一年、平成三年なんですよ。民間の企業の経営者でしたけど、なぜ立候補したかというと、要するに、行政コストが余りにも掛かり過ぎる、税金の無駄遣いやめようよという形で入りました。それと、広域行政やりたいと。ということはなぜかというと、小さな市町村とか市というのは、これから人口減少社会の中で人のポストがみんな決まってしまってがちがちの閉塞感の形になっちゃう可能性が強いんです。現にそうなっていると。ですから、新しい血を入れるというのは、私は広域行政、町村合併、その当時から進めようということでしてきました。  それで、二〇〇〇年に御承知のとおり地方分権一括法が通って、二〇〇五年ですか、合併特例法ができて、二〇〇五年には、平成十七年ですね、三千二百が千八百ぐらいまでの市町村合併も進んだというような経緯がありますね。  その中で、私が市長時代に体験してきたのは、何を感じたのかというと、中央集権型の重複行政って物すごくコストが掛かるんです。県からは資料出せ、国からはこれを出せって、みんな県と国に言っていかなきゃならぬと。これはやはりある面では分権型の社会にしなきゃならぬということですから、私は市長になってからは分権論者です、率直に言って。道州制論者でもあるし。ですから、二〇〇五年なんか、町村合併した後は、北東北三県はもう二〇一〇年には一緒になろうよというところまで話は進んできておったんですが、ある面では頓挫したと。小泉さんの三位一体改革から含めていろいろしてきたんですが、今頓挫しているような状況なんです。  その中で、今、大阪都構想だとか、それはよく分かります。例えば、神戸だって大きな都市で、仙台だってそうなんです。県と政令市というのは大体権限が似通っている面ありますから、ある面では一体化するというかなるというのは考えられることだと思うんで、政令市の、何というんですか、区で直接選挙させるというような制度だったら私はもっと身近な行政やれるんだろうと。ですから、このことは堺屋先生もお考えになっているのはすばらしいことだと思うし、神戸だってやれるんじゃないか、仙台だってやれるんじゃないかと。神戸市とそれこそ兵庫県はどんな感じですかというと、意外とある面では、俺の市役所の方がたくさん仕事しているんだというような感覚を持っていらっしゃるところたくさんあります。  それで、それはそれとして、堺屋先生には、何というんですか、今は国の財政というのは、借金だらけというか、借金で賄っておりますね。地方は結構プライマリーバランス取れているんですよ。その重複行政を廃止して行政コストを下げるということのキーワードというのはどうなのかと。  それを一つお聞きしたいことと、浅野さんはよくコミュニティー、コミュニティーと言っていらっしゃるんですが、私は規模が大きくなってもコミュニティーはできると思うんです。ただ、私は、六十九市町村、秋田県はありました。だけれども、私は町村合併論者ですから二十五まで一生懸命進めたんですが、三千人の町も二つ三つあります。ですから、それはそれとして認めて、頑張れよという形でやってきたんですが、いずれにせよ、このまま行けば日本の国も二、三年とか四、五年にIMFのお世話になるんじゃないのかななんというぐらい心配している国政の財政状況なんですが、どうやったら地方行政のコストを下げて、また国も下げてやっていけるかという、その辺を御三方からお聞きしたいと思います。
  29. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 大変難しい議論でございまして、行政コストがなぜ高まっていくかということは非常にいろんな要因があります。  一番の要因は、国の官僚というのは、行政コストを上げたいという、非常にそういう意欲に燃えておるんですね。私も二十年、通産省、今の経済産業省の役人をしておりましたけれども、どこの官庁へ行っても、新政策というのは、次に何を新しいことをするか、何を追加するか、削ることよりも追加することに熱心でございます。ある官庁が、例えば私の経験したので言うと、ガスパイプラインを造ろうとすると、運輸省がすぐ、あれは輸送施設だから俺がやるんだというようなことで、どんどんと二重三重行政が膨らんでまいります。  官僚は、賢くもなければばかでもない、聖人でもなければ悪人でもない、ごくごく普通の人であります。したがって、何よりも役人の望むところは、自分の仲間で評判のいいことなんですね。自分の仲間で評判が良くなるということは、自分たちの組織の力を強くする、組織を大きくする、そしてできるだけ競争をなくするということです。だから、常に役所の予算を大きくし、人員を増やし、そして、する仕事を大きくする、何かやることがないかと毎年新政策で考えているんですね。これを削る圧力というのは、中央官庁あるいは官僚組織からは出てまいりません。  したがって、私は、やはり消費者主権を確立しなきゃいけない。消費者が、納税者が政治を尊ぶようにしなきゃいけない。納税者が、消費者が担当するということは、身近に決めるということです。遠くなればなるほど、役人が、専門家が決めます。したがって、先ほど最初に申しましたように、ニア・イズ・ベターという、身近なところで決める方がいいのではないかと思います。  また、人間は、自分お金を使うときは他人のお金を使うときよりも利口だと言われております。日本は、高度成長、さらにその前の明治維新以来、国が賢くて何でも決める、民は愚かで失敗をする、地方に任すと失敗をする、国民に任すともっと失敗をすると、そういう発想でございましたから、寄附制度なども非常に厳しくなっています。  アメリカでは、一年間に二十兆円、普通の寄附がありまして、ほとんど文化予算、教育予算の大きな部分はこれで賄われております。例えばハーバード大学とかいうような有名な大学も、ほとんど寄附で大変なお金持ちになっています。日本は、寄附制度は非常に厳しくて、私も何度か寄附いたしましたけれども、寄附願というのは、私の方が、出す方が国に寄附させてくれとお願いせないかぬようになっておるわけですね。それで、寄附したら、土地など寄附しますとまた税金が掛かるような仕掛けになっている。人々の善意を、もっとコミュニティーにおける善意を発揮したらいい。  善意を一番発揮できる方法というのは、基礎自治体浅野先生がおっしゃるように基礎自治体をしっかりさせること。その次は、地方自治体広域自治体をしっかりさせること。そういう順番でやってまいりますと、かなり国の予算は削れるだろうと考えております。  道州制になりますと、各道州が最良の考え方を取り、そして、道州の調整によりまして、財政調整によって基礎自治体が運営されるということになりますと、それぞれに厳しい市民の、住民の目が行き届くものですから、無駄なことは自動的に削られる。そして、同時に、各道州あるいは各市町村の間の競争ができます。だから、保険制度にいたしましても、保険が一社でいいかどうかという議論がありますけれども、大きい方がいいというのは担保の理論ではそうでございますけれども、競争の理論ではやはり幾つかに分かれている方がいいんではないか。  そういうことを考えますと、やはりまず体制としてこの道州制を導入すること、その以前に、大阪都のような、基礎自治体をしっかりさせることが重要ではないか。それが住民の意見を反映し、住民の好きなことをやり、かつ採算性の取れる公共事業が増えてくるんではないかというふうに考えております。
  30. 井戸敏三

    参考人井戸敏三君) 行政コストを下げるポイントは、どれだけ断る能力があるかどうかですね。結局、既存施策というのはどうしても惰性的に継続してしまいますから、それをどう整理できるか、この能力があるかないかでもう行政コストは大いに下がります。新規施策はいろんな必要がありますが、これも厳密に評価をする、それでないとやらない。行政コストを下げる二本はこれじゃないかと、こう思っているんですが。  もう一つ付け加えさせていただきますと、現地性のあるものはできるだけ現地に近いところにやってもらう。  私ども県民局が十ありますが、五百六十万で八千四百平方キロですので、県民局十ありますが、ハード、ソフトの細かい事業は県民局にもうどんと委ねております。大体一億から二億ぐらいのお金を各県民局に配っています。県民局長に自由に使えと言っているんです。それからもう一つは、小規模な道路や河川やため池などの整備については独自の枠組みをもって具体化を現地でさせます。そのような意味で、それらは絶対に有効に使われます。  問題は、やっぱり県全体の骨格的な事業を推進していくときにどれだけ、言わば入札の仕組みなども含めまして、合理性のある仕掛けで運用していくかということになるのではないかと思います。これは目が、堺屋先生じゃありませんが、届きにくくなればなるほど効率性に欠けてくる。これ当然の原理ではないか、このように思っております。  あわせまして、ちょっとだけ。今回、社会福祉施設に対する指導監督権限が全部市町村に移っちゃったんです。ところが、指導監督権限を全部移されても困る市町村もあるわけです。そんな実態もありませんし。そうすると、私は再委任を受けろと今指導しているんですけれども。つまり、原則的な考え方はいいんですが、一律の発想はやはり現状に合わないことが出てくる。ですから、原則とそれから現状との調和というのはやはりきちっと考えていく必要があるのではないか、こう思っています。  それから、神戸と兵庫県との関係は、なるほど十七年前の震災前は大変犬猿の仲でございましたが、震災後はそんなこと言っていられませんので、役割分担きちっとして、これは県、これは市という形で推進を図らせていただいております。また、震災復興の借金をお互いに抱えていますから、しばらくの間はそういう意味で大丈夫じゃないか、こう思っております。
  31. 浅野史郎

    参考人浅野史郎君) 行政コストが掛かると、今の仕組みでは、ということなんですが、それは無駄ということですね。無駄ということを考えると、それは行政コストということよりも、その無駄な事業をやるということの方がもっと無駄として大きいんです。  どういうことかというと、私が現役時代地方分権ということについて論議するときに、何か地方分権というとぱあっと広がって、何だか知らないけれども権限、財源というのが地方に来るというのが地方分権というんだけれども、私はもうたった一つ、そのときは補助金の廃止なんですよ。我々と言ってもいいかもしれません、当時、三位一体改革を一生懸命やっていましたから。補助金の廃止なんですよ。出先機関の廃止とか国の直轄事業の廃止とかというのは余りアジェンダとしては大きくなくて、補助金の廃止。で、その補助金が悪なんですね、それは、地方にとってというか、悪というのは。いろんな悪があって、行政コストが掛かるというのもそうです。面倒ですよ、事務手続が要るし、とかということもあるんですけど、一番、分権という観点から、分権というのは何かというと、地方が自由にやると。自由にやるということは選択をするということなんです。その選択というのは、事業をやるやらないということよりも、実はいっぱいある、やらなくちゃならない事業はごまんとあるわけですよ。それを、五万を三万にするとかいう、それは優先順位ということなんです。  実は補助金の存在というのは、地方が独自にやる、その優先順位をやるのに対する偏見、何というんですかね、邪魔なんですね、余計なものなんです。それはそうですね。補助金というのは一番問題なのは縦割りなんですよ、本当に縦割り。施策ごと、省庁ごとの縦割りじゃないですよ。補助金、老人福祉施設整備費補助金という補助金があるんですから。補助金一般があるんじゃないんです。老人福祉施設整備費補助金というのをもらってきたら、それは老人福祉施設を造るためにしか使えないんですね。そうやってそういうのを、こっちの補助金もらう、こっちの補助金もらう、こっちの補助金もらうというときに、じゃ、それをどの施策を優先してやるかというときに、だから補助金付くものをやろうかとかいうことになっちゃって、そこが目くらましになっちゃうというか。  で、優先順位。その優先順位を実はどうやって付けるかというときに、じゃ、知事が予算のときにこっちでと言う。だけど、本当のメカニズムは議会も通じて住民がそれを選ぶべきなんです。つまり、そうやってここの自治体における優先的な事業は何かということを選べるということにする。実はそれは民主主義というわけですよ、税金の使い方なんですから。だから、地方分権というのは実は民主主義にとっての必然的なツールなんだというふうにも思いました。  そこで、補助金ということだけにやっているんで、それで、どんなにバラ色になるのかといったって、そんなバラ色にはならないんだけど、でも、逆に言うと、今の仕組みでいうと、その優先順位で政治なりあれをやっていくということが非常に、できないとは言いませんよ、物すごくそこに対して障害があるということ、それを取っ払わなくちゃいけないというのが補助金は悪だというもののあれだったんですね。  それ、実は知事の間でもいろいろあって、いろいろこうやれああやれとか、補助金には必ず補助金交付要綱というのがあって、例えば老人福祉施設整備費補助金をもらって造るあれには、玄関をこことここに造って、一人の人の部屋の面積はこのぐらいにしてという、それでなかったら補助金出ないということになっているんです、自由度がないとかいろいろありますけれども。そこの中で一番大きいのは、縦割りの、それを取っ払った中での優先順位を自治体というのが住民ぐるみで選んでいけるという仕組みに対する、補助金の存在というのは、物すごい桎梏になるということです。  それから、コミュニティーの話というか基礎自治体の大きさの話だと思いますけれども、私も合併やってみて、とにかく合併は善だと思ってどんどんやってきたので、ちょっと反省しています。福島県のあそこなんかのように合併しない自由というのもあっていいと思うんです。  ただ、そのときに何で合併を進めたかというと、これからいろいろ行政需要が出てきたりするときに小さなところではとてもとてもやっていけないということなんで、そうすると、井戸さんのところでも話があったと思いますけれども、それは実は県なりが再委託を受けるというか、その仕事の一部を県が代行してやる。  実は、だんだん合併とか進んでいったときに、県の役割って何なんだということを言われているんですよ。僕は県の役割というのはある意味では経過的な存在だというふうに思っていますけれども、それは道州制に行くという意味じゃないですよ。ということで、その経過は多分百年ぐらいは続くんだと思いますけれども。それは、小規模の、弱小というか、行政的な能力とか、それがどうしても規模が小さいために十分にできないというところについては県がそれに対して代行というか、やっていくと。そういうことを担保していって、小さな基礎自治体でも存在し得る、無理やり合併なんかさせないということが正しい道ではないかなと今はちょっと思い直しています。
  32. 寺田典城

    寺田典城君 どうもありがとうございました。  時間超過して申し訳ありませんでした。
  33. 山下芳生

    山下芳生君 日本共産党の山下芳生です。  私からも道州制についてお三方に、時間が限られておりますので、簡潔にお答えいただければ有り難いと思います。  私は、道州制は究極の地方切捨てになるのではないかというふうに思っております。なぜなら、基礎自治体の更なる大合併を前提とせざるを得ないからであります。  しかしながら、日本という国は、国土、自然、それから人口の分布、あるいは生産活動や経済活動の在り方、あるいは文化活動の在り方など、真っ平らで均一に形成されているわけではなくて、それぞれの地方ごとに多様で多彩な顔があるというふうに思っております。それを三十万規模に無理やり再編することが果たして可能なのか、またそんなことをやっていいのかという思いがあるからです。  例えば、私は大阪に住んでおりまして近畿を中心に活動しているんですけれども、近畿二府四県には今百十一市、それから七十二町、十五村、合わせて百九十八市町村があります。この中で三十万人以上の人口を持つ自治体は十四市しかありません。滋賀、京都、奈良、和歌山はそれぞれ県庁所在地しか三十万人以上の自治体はありません。近畿二府四県合わせますと二千八十九万人の人口ですので、これを三十万で単純に割りますと約七十の自治体で事足りるということになりまして、そうしますと百九十八から七十ですから、百三十ぐらいはもうなくなっていかざるを得ない、なくしていくと。しかし、私は、そんなことをやっちゃったら大変なことになるんじゃないかと。  奈良と和歌山の県境に下北山村という村があります。人口は千二百十二人、多分四百世帯ぐらいだったと思いますが、私行ったときに、四百世帯だけれども、やっぱり山の中ですので、それは一つ完結した自治体でありまして、その四百世帯でどうやって人口を維持し、産業を維持し、人がいなくならないようにするか、やっぱり村役場の人、村長さん中心に一生懸命考えて、毎年十人新たに赤ちゃんが生まれるような施策をつくって、そのためには産業を興し、農村留学で都市から子供さんを連れた若い世代が移ってくれるように、そして仕事の場も確保されるように、物すごく努力されている。そして、そういうことは、どこか遠いところに役所があってやるんじゃなくて、やっぱりそこに住んでいる人々から選ばれた村長さんを中心に施策を練り上げてこそできるんじゃないかなと私は思った。もしここに村役場がなかったら、恐らくここはもう住み続けることはできないんじゃないか、国土を守ることはできないんじゃないかと思ったんですが、そういうことが道州制で機能が維持されなくなっていくんじゃないかと、これ危惧するんですが、お三方、いかがでしょうか。
  34. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 道州制についてちょっと誤解があるようでございますが、道州制は必ずしも基礎自治体をそういう一定の規模にしようということは考えておりません。道州制の中でも基礎自治体は大小あっていいと思っております。  問題は、道州が、今、浅野参考人もおっしゃいましたように、自らプロジェクトを選べると、そういう状態になることなんですね。道州制と基礎自治体、道州をつくって基礎自治体をつくるということですが、基礎自治体の規模を一定にしようという考え方は必ずしもありません。ただ、各基礎自治体が一定の事務、一定の行政をやらなきゃいけない、例えば保険の行政もやらなきゃいけないし、いろんなことをやらなきゃいけない、そういう場合には、一部事務組合を活用するということも申し上げております。  したがって、離島であるとか山奥であるとか、私も奈良県に家がございますのでよく行っておりますけれども、そういうところはそれなりの部分は独自にやっていただいて、できないところは、例えば保険なんかは余り人数が少ないとできませんから、そういうところは一部事務組合をつくっていただくというような方策も取れる。  つまり、道州制の一番のポイントは、地域地域によってそれぞれの一番最適性を選んでもらうというところにあるのでございまして、国が何かを一律にするのを全部廃止しようという、全部ではありませんが、廃止しようというところにあるのでございまして、ちょっと誤解のないようにその点は解いていただきたいと思います。  それから、先ほど浅野参考人が申されましたことですけれども、道州制の一番ポイントは、プロジェクトをまず基礎自治体が選ぶ、まず基礎自治体が選ぶんです。そして、基礎自治体相互調整を道州が行うという二段構えなんですね。  だから、現在では、全部国が補助金を付けた、それは自動的に府県が分担をし、市町村が実行するようになっています。それを、選択をまず市町村がする。市町村がしかねるような広域のもの、例えば河川、利根川はどうするとか、そういう大きなことになってまいりますとそれは広域自治体が行うと、こういうことなんですね。だから、あくまでもニア・イズ・ベター、一番近いところで決めるのがいい、だけれども、近いところだけでは決められないものは道州に上げて相互調整をしていくんだと、そういう発想なんですよ。だから、まさにおっしゃるように、特定の自治体があれば、そういうところの意見は生かしていきたい。そして、そういうところが財政的にあるいは人材的にどう成り立つかということも考えていきたい。  ただ、大きな問題は一つありまして、道州がそれぞれに権限を持って事業を選ぶとなりますと、それだけの技術的な人材が必要になってまいります。したがって、余り小さな道州をつくりますと、それだけの人材がそろわなくなる。例えば、ある種の技術、建設技術の人材がずっと局長さんまで行けるようになれるかどうか、あるいは特定の科学技術の面で審査ができるかどうか。そういうことがございますので、余り道州自体は小さくできない。だけど、基礎自治体はそれぞれにやって、それで共通のことでできないことがあれば一部事務組合などいろいろの方法を取っていただければいいんじゃないか。その点、共産党にも御理解いただきたいと思っております。
  35. 井戸敏三

    参考人井戸敏三君) まず、道州制の問題点は、国が行き詰まっているから道州制という発想なのか、地方分権の受皿として道州制なのかというところを整理しておかないとこれ駄目なんですね。私流に言うと、国が行き詰まっているから道州制だという視線が全然出ていない。だから、地方の都道府県だけを合併させれば何とかうまくいくんじゃないかという発想に短絡してしまっているのではないかというふうに思っているのが一番の問題点なんです。  それから、今のような状況の議論の中で道州制を論ずると、連邦国家的道州制にならない、きっと地方支配の道具にしかなってこない、そういう意味で非常に懸念を持っています。  それから、もう一つ言わせていただくと、道州のような大きな規模になったときに、府県単位ぐらいのやっぱり地方支分局が要るんじゃないか、そうなってくると、その地方支分局の構成どうするんでしょうか。それだったら、もし知事とか議会も置くんだったら、それよりも我々がやっている広域連合の方がよほど効率的なんじゃないか。つまり、広域的な必要性があるものについてのみ認めてつくっていくわけですので、それの方が望ましいのではないか。  私たちが広域連合をつくりましたときの一番最初の議論は、道州制の一里塚なのか、道州制とは異なる仕掛けなのか。これは一応、橋下当時の大阪知事も含めて、一里塚ではない、関西広域連合は広域行政の主体、それから出先機関の受皿としての役割を果たすんだという共通理解でスタートしているということを申し上げておきたいと思います。  あわせまして、地域の問題点、解決するのが非常に難しいんです。平成の合併で、合併した方はそれなりに中心性が増して力を得つつあります、地域としての。された役場所在地は閑散たるものなんです。例えば、二千人ぐらい毎日来ていた人たちの動きがもうせいぜい百人前後になってしまっています。それをどう活性化するかということで、私ども、計画を作って応援をする、集まりやすい施設を整備するのだ、助けるというような制度をまちなか振興事業というような格好でつくっているのですが、これもつくってもなかなか動きません。  という意味で、大きな自治体にすれば辺境部分も何とか引きずっていただけるんだという発想はどうも平成の大合併の反省として違うのではないかというふうに実感を今しているところであります。
  36. 浅野史郎

    参考人浅野史郎君) また持論を繰り返すことになるのかもしれません。  道州制というのはやっぱりちょっと必然性がないというか盛り上がりがないということと、それから、実際にそれを実現するときに本当にプラクティカルにうまくいくのか。だから、おかしいというのは、本当は理屈じゃないんですね。理屈じゃないところも大事だと思います。  市町村合併は、明治期には七万あったのが明治の大合併で一万五千になって、昭和の大合併で三千五百になって、平成大合併で千七百になったと。だから、市町村はそうやって融通無碍というか動いてきたんですけれども、四十七都道府県体制というのは明治以来全然変わっていないんですね。だから、それは我々のもう歴史の中に入ってきているということなので、冗談のように聞こえるかもしれませんけれども、道州制になったら甲子園大会どうなんだと。八チームだけで戦って、最初から準々決勝があってみたいになっちゃうんですね。いや、それは、そちらの方を言うんじゃなくて、我々の帰属意識みたいなものがあるわけです、一人一人の。それはずっと明治から続いているということもあって、こういうのを保守的と言うんでしょうね、頑迷なる。でも、それは大事なことなんです。  それはなぜそういうふうに言うかというと、これを実現するには政治的な物すごい障害があるんですよ。市町村合併はさっき言ったようにせっぱ詰まり感があったというんですけれども、道州制ということになる必然性、せっぱ詰まり具合があるかと。しかも、我々首長経験者とかなんとか、いわゆるプロみたいなのはあれでしょうけれども、一般の国民が、いや、道州制でなきゃ駄目だというようなことまでやっぱり思わないと。市町村合併のとき、さっきも言いましたけれども、それぞれの市町村は嫌々ながらも、このままじゃ本当に壁にぶつかり感がある、財政もたない、行政的なあれに対応できないということで目をつぶっていったんです。だから、そこから後もいろんな議論があったときにも、合併という目標に対しては一応まとまって政治的にもいったということであれだけ実現できたわけですね。  道州制というのには、合併ということより、これは実は上からの決められ方なんだけど、それは大きな抵抗があると思います。  これまた冗談のようですけれども、そういう政治的なあれの中で市町村合併でもありましたけど、例えば、じゃ中国州で、岡山が州都になるのか広島が州都になるのかということで醜い争いというのが何かあるかもしれません。これは僕はそこが問題点だと思って、十年前のサッカーの日本代表だと言っているんですよ、シュートがなかなか決まらないというふうに、まあくだらない話ですけれども。これは実際問題で、こういうことを実現していくとき、今も例ですけれども、州都をどうするかということも例ですけれども、いろんな乗り越えるべき点あるときに乗り越えられるのは、それを望んでいる人たちがどれだけの思いとせっぱ詰まり具合があるかということなんですね。ちょっと理屈と違ってしまったんですけれども。そういうことで、そうすると、道州制、賛成か反対かということで僕は言うんじゃないんですよ、本気かということなんです。  さっきおっしゃったのは、僕も言って、三十万というのも、まあ三十万でもいいんだけど、私は決め方が、いわゆる法律でこう決めてしまってこういうあれにすると、これは自己矛盾というか論理矛盾なんです。地方自治のためにその道州制をやるんでしょう、それを上から決めてどうするんですかみたいなところもあるんですね。まあそんなところです。
  37. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ありがとうございました。  これより自由質疑を行います。  参考人方々にお願い申し上げます。  大分議論に熱が入っておりまして、それぞれの御答弁大分長くなっておりますので、簡潔な御答弁をお願いをしたいと思います。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。  足立信也君。
  38. 足立信也

    ○足立信也君 民主党の足立信也でございます。お三方、本当にありがとうございます。  誤解を恐れずに申し上げますと、民主党のここ十年ぐらいで、当初はやはり地域主権そして道州という形、基礎自治体と道州という形を推奨する動きも相当ありましたけれども、その後はやはり変化してきて、道州制というものはやはり無理があるなという感じになってきたと私はとらえておりまして、その大きな理由が、先ほど浅野さんおっしゃったように、地方分権というのは私は格差の容認だと思うんですね。それに対して我々が、まあ自民党の方は怒られるかもしれませんが、地域主権と申し上げたのは、熟議の民主主義で、そこに選択権選択していくんだと。ある意味、格差の是認なんですね。しかし、その後何が起きたかというと、構造改革、規制緩和等で格差が広がった。これに対して、国民としてはかなり何とかしなきゃいけないという思いが出てきたんだと思っているんです。  それと、今、一般会計と特別会計合わせて二百二十兆、社会保障で百八兆ですよね。これは社会保障を支えるのが本当に大事な分野になってきた中で、先ほどの範囲の問題になりますけれども、道州というものに移行できるのか。やっぱり市町村を補完する都道府県というのが大事になってくるんだということだったと思います。  それからもう一点は、道州制というのは、やっぱり基礎自治体の自立がなければならない話だと思いまして、これは数の問題だけではないんですけれども、しかし三十万ないしは二十万以上は数は必要であろうと。つまり、昭和の大合併のときも、市町村国保で国民皆保険になった後必要になってきた。平成の合併も、やっぱり介護保険等々で基礎自治体のところの範囲がある程度必要になってきたんだろうと私は思っています。  そんな中で、堺屋さんにまず質問なんですが、大都市問題で大阪都構想というのは私は理解できます。しかし、今ここで、都道府県をなくして基礎自治体と道州であるという道州制を同時におっしゃられることが極めて理解しにくいんですね。ある意味矛盾にもとらえられるんです。  そこで、先ほどちょっと言及ありましたけれども、都構想、大阪都構想と道州制の関係、先ほど、少し今までとはトーンが低い感じで、将来本当につながるかもしれないという程度の言及をされましたけれども、その関係を御説明願いたいなと思います。  それから、井戸知事には、先ほど、やっぱり格差の是正等で私は基礎自治体を補完する都道府県だというふうに考えているんですが、例えば医療保険制度は格差是正のために一本化すべきであるというふうにおっしゃいました。これは、先ほど浅野さんがおっしゃったように、社会保険というのは保険者機能というものが必要であって、必ずしもそこで全部一本化というものが、保険であれば保険者機能をどう生かすかという考え方が大事だと思うんですね。それに対して、年金というのは保険者機能がない話です。これは医療保険を一本化ということを主張されるのであれば、年金は当然のことながら保険者機能というのが問われないので、これは当然一本化、一元化すべきであるという考えなんでしょうか。そこをお伺いしたいと思います。  浅野先生につきましては、元気なお顔を拝見できたので、もうそれで十分でございますので、ありがとうございました。
  39. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 道州制と大阪都構想の関係につきましては、まず私たちは焦眉の急である大阪都を実現したいと思っております。大阪都の行き着く先として道州制というのが遠い、遠いというか、一つの理想型として存在すると思っています。  といいますのは、現在の地域構造、ずっと戦後やってまいりました地域構造というのは東京一極集中型でございます。それは、国のあらゆる権限を用いて東京に一極を集中する、そして国の三つの機能情報発信機能経済、産業の中枢管理機能文化創造活動は東京一極に集中する。これは昭和十三年ぐらいに決めた政策にのっとっておりますけれども、まずそういう戦争統制のときの発想からそういうものは出てまいりました。  そして、まず金融取引であるとか、あるいは各大企業の本社機能東京に集中する。そのために各業界に全国機能全国団体をつくらす。例えば電気事業連合会とか銀行協会とか貿易振興会とか、いろいろなものをつくらせて、その本部事務局は全部東京に置かねばならないと決めたんです。  私が通産省に入りましたときには、一九六〇年ですが、その政策の真っ最中でございまして、大阪にある繊維業界の全国団体をいかにして東京へ持ってくるかというのが大論争でございまして、局長室には、日米繊維摩擦のときにも、敵は米国にあらず大阪なりなんて看板が出るほどの勢いでございました。そういう物すごい力で東京へ集めたんですね。銀行協会もそうですし、紡績協会もそうですし、名古屋にありました陶磁器輸出協会も、京都にありました伝統工芸振興会も、全部東京へ集めたんですね。その次に、情報活動も許認可制で、テレビ東京でないと全国放送はできない。広島カープの放送も、広島球場でやっても東京テレビ局が行かないとできないと。あるいは、その次に文化創造活動、これは特定の文化、例えば歌舞伎座というのは東京にしか造らさないとかいうようなことを延々とやってきて、東京へ集中させたわけです。  この状況をまずしっかりと踏まえますと、やはり地方分権というか、日本の均衡ある発展のためにはこの制度をやはり緩めなきゃならないという気がいたします。それで、行く行くは道州制にして、各道州がそれぞれに特徴ある発展をフォローできるような可能性を残さなけりゃいけない。  これは、各省それぞれの官僚の方々は無意識のうちにずっと六十年間の伝統でそれをやっておられると思いますけれども、何かすることになれば、それはまず東京でやる、東京以外でやらさないということが芽生えております。今もそれは続いているわけですが、このことをまず考えてもらいたいと思います。  それから、それで一九九六年には、首都機能移転の法案ができました。首都機能移転基本法というのができまして、余りに東京に集中しているから、国会等移転基本法という法律ですが、それができまして、どこかへ移すと。これはやっぱり、今、浅野参考人がおっしゃったように、その場所を言った途端に潰れるんですね。だから、州都を言ったら道州制が潰れるというのはもう常識でございまして、どこでも、どこの国でも、どの例を見ても、州都の議論をすると道州制は潰れるということになります。だから、その場所は一番最後まで言っちゃいけないというのが、普通、こういう地域改革の経験とか本とか、あるいはメルボルンからキャンベラをどうしてつくったとか、オタワをどうしてつくる、あるいは最近のネーピアをどうしてつくったとかブラジリアをつくったとかいうのを見ますと、ことごとく書いてあるのはそれなんですね。だから、州都の話を出されると、これは確かに難しくなるというのは事実でございますし、またそれを意図して出す人もいます。  それから、地域の伝統と道州の問題、行政文化の問題を混同している話が多いんです。例えば今の甲子園の野球もそうですし、地域文化、これは長年の経験によりまして都道府県別、まあ府県によっても分かれているところはありますが、それは地域文化として振興しなければいけないし、大切にしなければならないと思います。道州制にしたからといって甲子園が八つになるとか、そういうこととはまた別の問題として考えるべきではないかと思います。  問題は、やっぱり御指摘のとおり、基礎自治体としてやらなきゃいかぬ仕事、これをどうやって小自治体でやっていくか、これは道州制があろうがなかろうが絶対にある問題なんですね。保険制度は余り人数が少なかったら成り立たないとか、あるいは学校の運営とか、そういうことになると必ず起こってくる問題です。そういう場合には、やはり一部事務組合をつくるとか、あるいは市町村連合をつくるとか、そういうような知恵を出していただく。それでも自分たちだけでやりたい、アメリカなんかでもやっぱり三百人ぐらいの村がありますけれども、自分たちだけでやりたいという人がいれば、それはそれだけの苦労をしてやっていただくことになっていいのではないかと。  つまり、道州制というのは一切国が一律のことを押し付けないという制度なんですから、それぞれの道州によって選んでいただく。道州によって選んでいただくということは、基礎自治体によって選んでいただく。つまり、住民の意見を先にして官僚の意見を後にするという制度なんです。ここをまず最初にはっきり認識していただかないとこの議論は進まないだろうと思うんです。  今の大阪都の議論も、各地域大阪基礎自治体をある程度小さくいたしまして、ひょっとしたら大阪の中で特定の地域だったら数万のところができるかもしれません。そういう特色を生かした地域をつくって、そしてそこで公選の区長さんそれから議員さんを選んで、その地域の住民の意見をまず聞くと。で、広域自治体は、そうしますと都心の豊かなところとそうでないところができますから、そういう調整をするとか、そういう共通の事業をする。そして、国際的な都市間競争、これには広域自治体でないと対応できません。そういうものは広域自治体でやっていくと。それをやってみて、更にもっと大きな地域でやった方がいい、例えばドイツなんというのは十ぐらいになっておりますけれども、あれぐらいにした方がいいということになれば今度は道州になって、道州が都市間競争に乗り出していくと。こういう段階だと思うんですね。  だから、まずは大阪都構想というのを実現していただいて、それでその上で道州制をどうするかというのをやはり研究してもらいたい、一遍に二つの問題を混同しないで、一つずつ解決していただきたいと思っております。
  40. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 堺屋参考人、なるべくたくさんの方の質問を受けたいと思いますので、簡潔な御答弁お願いいたします。
  41. 井戸敏三

    参考人井戸敏三君) 医療制度の場合は、診療報酬制度が、サービスの方が一元化していますから、それとの見合いで基本的に医療保険もお金を負担する方も一元化すべきなんじゃないかと。ただ、その負担の単位は、保険者は一本でいいんですが、負担の料率を決めるときの単位は適切な単位にしてもいいのではないか、こう思っております。  年金については、基礎年金で生活できないんですよね。私なんか、六十五歳を超えましたから年金もらっていますが、基礎年金、六十八万円です、年間。六十八万円ではとても生活できません。だからこそ、二階建ての厚生年金制度を必ずつくらなきゃいけない。だとすると、必ずセーフティーネットで二階建てをつくるのならば、それの負担は、同じ所得のある人は同じ負担がされればいい、そういう仕掛けにする必要があるのではないか。年金だって、ですから、今ばらばらですが統一した方が望ましいのではないか、このように思っています。三階部分、これは自主的な制度ですから、三階部分についてはそれぞれがそれぞれの所属でお考えになればいいと、こういう話ではないか。  医療制度だって、今の診療報酬制度以上の高度医療を受けたいんだったら、例えば外国で受けたいとか、それを保障するので相互扶助の保険があったっておかしくない、そんなふうに私は思っています。ただ、基本的なセーフティーネット部分は統一すべきだ、負担も給付も統一すべきと、こう思っています。
  42. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 長谷川岳君。
  43. 長谷川岳

    長谷川岳君 自由民主党の長谷川岳ですが、先ほどありがとうございました。  堺屋先生に伺いますが、先生の文章を読ませていただくと、究極としての地域主権型道州制等がございます。私は北海道地方に住んでいますから少し感じることがありまして、今発信をしている知事あるいは政令指定都市の首長さんというのはやはり東京大阪、名古屋が中心であります。やはり自動的に人が集まる、税収が集まる、そしてビジネスがしやすいという環境です。  北海道の場合は、百七十九市町村あるんですが、地方の場合は三割が一次産業従事者、二割が建設業関係で、大体、就業人口の五割で一次産業、建設業関係が占めているような状況であります。  私たちはやっぱり、どうしても大阪都構想あるいは参考人地域主権型道州制のお話を聞くと、これは人が集まって税収が集まってビジネスがしやすいという、そういう大都市版の非常にシステム変更にすぎないんじゃないかというところを感じることがあります。だからこそ、逆に、じゃ、地方版の地域主権型の道州制というのはどのようにお考えかを伺いたいのが一点。  それともう一つは、大阪の場合は特にエネルギー、食料という部分について、これは私は、原発も含めて、中央集権だから大阪はエネルギーや食料というのはその地域からの供給で保たれていると思うわけです。だからこそ、じゃ、この中央集権だからできたエネルギーや食料を今後、これを否定することによって自給をしていくのか、あるいはそうではなくて、地方として、地方とタッグを組んでどのような形でエネルギーや食料という部分についてお考えを持っているのか、そういったことも含めて伺いたいと思います。  よろしくお願いします。
  44. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 食料、エネルギー、特に食料につきましては、各地域がもっと独自の特徴あるものを作っていただきたいと思っています。食料が日本の重要な輸出産業になっていただきたいと考えています。  私は、一昨年、中国博覧会で日本産業館をやりまして、青森リンゴを売ったら物すごい高い値段でたくさん売れました。そういう輸出産業、今のカロリーを自給するというんではなしに、いいものを輸出産業にするようなところを育てていただければいいんではないかと考えております。  もちろん、大都市は食料やエネルギーは自給できません。したがって、地方との関係を深くしていかなきゃいけないんですが、同時に、より多くの地方でできるような再生エネルギーを大いに普及したい、そういうようなエネルギー政策についても近く案を出す予定です。
  45. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 他に御発言の委員はありますか。  山下芳生君。
  46. 山下芳生

    山下芳生君 二回目ですけれども、先ほどもう一問、是非とも堺屋参考人に聞きたかったんです。  実は、堺屋さんが経済企画庁長官のときに、もう十数年前ですけれども、私、何回か質問をさせていただいております。今日は再びこうやって質問することができて光栄です。  堺屋さんは橋下徹大阪市長を政治の世界に導かれた一番のブレーンだと承知しておりますが、この大阪の問題なんですけれども、先ほど大阪都構想についてはいろいろお話しいただいたんですが、今その大阪市でどういうことが起こっているかということなんですが、もう御存じかもしれませんが、四月五日に、橋下大阪市長が発足させた改革プロジェクトチームが大阪市の施設・事業の見直し試案を発表いたしました。物すごく多岐にわたる見直し案なんですが。  例えば、七十歳以上の市民が市営地下鉄、バスを無料で利用できる敬老パスというのがあります。これは今、大阪市民の高齢者の方にとっては、これがあるから大阪市に住んでいて良かったと思えるんだというぐらい自由に地下鉄、市バスに乗れますので、お友達と一緒に出かけることができる。これ、もしなくなったら、まあ今度、橋下さんは半額負担など幾つか提案しているんですけれども、出歩くのができなくなったら健康にもちょっと、引きこもって影響があるんじゃないかという声も出ております。歴代の大阪市長もこれをなくしたいということをやってきましたけれども、もう物すごい大きな老人会などの反発で守られてきた制度であります。  それから、新婚世帯への家賃補助の停止。これは私が青年運動のときに是非やろうじゃないかということで実現されたものが、停止されようとしております。  それから、市内二十四区それぞれ今プールがあります。それから区民センターもありますけれども、これを要するに大阪都構想に合わせて二十四区から八ないし九か所に、あとはもう閉鎖しちゃえということまで提案されております。  これはそれぞれ市民の判断になるんでしょうけれども、私が是非聞きたいのは、昨年のダブル選挙で橋下維新の会の方々がどういう主張をして選挙をやられたかと。私テレビでもちょっと紹介したんですけれども、だまされないでください、大阪維新の会は、大阪市をばらばらにはしません、二十四区、二十四色の鮮やかな大阪市に変えます、大阪市は潰しませんという宣伝をいたしました。それから、敬老パス制度を維持しますということもはっきり書かれたビラをまいておられました。  実は、私が堺屋経済企画庁長官と論戦させていただいたときの一つのテーマが消費者契約法でありました。不実の告知というのをしちゃならない、これはクーリングオフの対象になるよということでしたけれども。残念ながら、橋下市長が今大阪市でおやりになっていることは、選挙のときに言ったことと違うことがやられようとしている。それぞれの中身については市民の声を聞くことで判断されればいいと思いますが、選挙のときに言ったことと違うことをやるというのは、これは不実の告知にもつながっていく、クーリングオフの対象になるんじゃないかと、こう思っておりますが、ブレーンとして何か一言おっしゃっておられるのかどうか、こういうことをどう思われるのか、是非お伺いしたいと思います。
  47. 堺屋太一

    参考人堺屋太一君) 私は橋下市長でございませんのでお答えする立場にございませんけれども、ただ一つ申し上げたいのは、大阪に二十四の行政区がありまして、みんな同じにすると、これは国の場合もそうなんですけれども、情報格差をなくするというのは、結局、特色をなくするということだったんですね。東京情報を全部に、全都道府県に植え付けるという形になります。その結果、テレビのドラマを作るときに、鹿児島のドラマを作るのは、阿佐ケ谷で撮影したら通りは同じだと、同じ看板が出て同じ人が通っておるというような状態になったんですね。  やはり、大阪も二十四区にそれぞれ公会堂は造るんじゃなしに、立派な公会堂のあるところもあれば、小さな公会堂が幾つもあるところもあれば、その住民の住み方、通勤の仕方によって特色あるものを造っていこうという発想なんですね。だから、決して大阪を潰すんじゃなくして、また財政の問題もありますから、ただ、したいこともできないことはいっぱいあります。そういうことを勘案しておやりになっているんだと思うんで、私がちょっとそれに一々答弁するのはいかがかと思いますので、これぐらいにしておきます。
  48. 山下芳生

    山下芳生君 また引き続き注目をしていきたいと思います。また機会があれば聞かせていただきます。  ありがとうございました。
  49. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ほかに質疑のある方は挙手をお願いいたします。  風間直樹君。
  50. 風間直樹

    風間直樹君 委員長、私、参考人への質疑ではなくて、もしお許しをいただければ委員長にちょっと提言させていただきたいことがあるんですが、よろしいでしょうか。
  51. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) はい、どうぞ。
  52. 風間直樹

    風間直樹君 実は、この行政監視委員会委員会の運営の方法、持ち方をちょっと提言させていただきたいと思います。  昨年からこの委員会委員として活動させていただいておりますが、この委員会は名前のとおり行政府を監視する委員会であります。したがいまして、政府、行政府が行っている行政内容について、立法府、国権の最高機関の立場からそれをチェックしていくというのがこの委員会の責務であります。  この間の委員会のテーマ立てを見ておりますと、非常に有意義なテーマなんですが、行政府を監視するという趣旨から判断したときに果たしてこの委員会の趣旨に合うのかどうかという、こういう意見もあるやに聞いております。  そこで、今後の委員会の持ち方に関しましては、是非、委員長の御指導の下、理事の皆様で御協議をいただければ有り難いと思いまして、その点を提言させていただきたいと思います。
  53. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) その点につきましては、後刻理事会で協議させていただきます。  ほかに今日の参考人方々に御質疑がある方はいらっしゃいませんでしょうか。  他に御発言もないようですので、本日の質疑はこの程度にとどめます。  この際、参考人方々に一言御礼申し上げます。  本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後三時四十九分散会