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2012-03-19 第180回国会 参議院 行政監視委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十四年三月十九日(月曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  三月五日     辞任         補欠選任         田城  郁君     小見山幸治君  三月六日     辞任         補欠選任         江崎  孝君     徳永 エリ君  三月八日     辞任         補欠選任         義家 弘介君     青木 一彦君  三月九日     辞任         補欠選任        はた ともこ君     大久保 勉君      青木 一彦君     義家 弘介君      宮沢 洋一君     赤石 清美君  三月十二日     辞任         補欠選任         那谷屋正義君    はた ともこ君      赤石 清美君     宮沢 洋一君      山下 芳生君     大門実紀史君  三月十三日     辞任         補欠選任         大久保 勉君     那谷屋正義君     はた ともこ君     林 久美子君      大門実紀史君     山下 芳生君  三月十四日     辞任         補欠選任         林 久美子君    はた ともこ君      岩井 茂樹君    三原じゅん子君  三月十五日     辞任         補欠選任        はた ともこ君     林 久美子君     三原じゅん子君     岩井 茂樹君      秋野 公造君     草川 昭三君      田村 智子君     大門実紀史君  三月十六日     辞任         補欠選任         風間 直樹君     藤末 健三君      林 久美子君     外山  斎君      高階恵美子君     山崎  力君      草川 昭三君     秋野 公造君      大門実紀史君     田村 智子君  三月十九日     辞任         補欠選任         外山  斎君    はた ともこ君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         福岡 資麿君     理 事                 行田 邦子君             ツルネン マルテイ君                 難波 奨二君                 白  眞勲君                 松村 龍二君                 寺田 典城君     委 員                 足立 信也君                 小見山幸治君                 徳永 エリ君                 轟木 利治君                 那谷屋正義君                 西村まさみ君                はた ともこ君                 藤末 健三君                 岩井 茂樹君                 宇都 隆史君                北川イッセイ君                 中西 祐介君                 中山 恭子君                 長谷川 岳君                 宮沢 洋一君                 義家 弘介君                 秋野 公造君                 谷合 正明君                 田村 智子君                 山下 芳生君    事務局側        常任委員会専門        員        青森 昭継君    参考人        元内閣官房副長        官        古川貞二郎君        東京大学大学院        法学政治学研究        科教授      森田  朗君        大東文化大学法        学部政治学科教        授        東田 親司君     ─────────────   本日の会議に付した案件参考人出席要求に関する件 ○行政監視行政評価及び行政に対する苦情に関  する調査  (行政改革行政役割分担に関する件)     ─────────────
  2. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ただいまから行政監視委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、田城郁君、江崎孝君、高階恵美子君及び風間直樹君が委員辞任され、その補欠として小見山幸治君、徳永エリ君、山崎力君及び藤末健三君が選任されました。     ─────────────
  3. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  行政監視行政評価及び行政に対する苦情に関する調査のため、参考人出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  6. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 行政監視行政評価及び行政に対する苦情に関する調査を議題といたします。  本日は、行政改革行政役割分担に関する件のうち、行政組織制度改革について参考人方々から意見を聴取した後、質疑を行います。  御出席いただいております参考人は、元内閣官房長官古川貞二郎君、東京大学大学院法学政治学研究科教授森田朗君及び大東文化大学法学部政治学科教授東田親司君の三名でございます。  この際、参考人方々一言御挨拶申し上げます。  本日は、御多忙のところ当委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。  参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、古川参考人森田参考人東田参考人の順にお一人二十分程度意見をお述べいただき、その後、委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず古川参考人にお願いいたします。古川参考人
  7. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 御紹介をいただきました古川貞二郎でございます。大変失礼でございますが、着席のまま御説明をさせていただきたいと思います。  まず、このような機会を賜りまして深く感謝いたします。  私どもに与えられたテーマ行政改革制度改正制度の問題、行政制度の問題ということでございますが、必ずしも御趣旨に沿うかどうか分かりませんけれども、私が感じているものを率直に申し上げたいと思います。時間は二十分以内ということでございますので、一応レジュメを用意いたしましたので、レジュメに沿って申し上げたいと思います。  御案内のとおり、中央省庁再編から十年以上が経過しております。改革の意義、目的につきましてはもう御案内のとおりでございますが、内閣機能強化、それから大くくり再編による縦割り行政弊害打破、それから透明性効率性簡素化というようなことが目的であったと思いますが、今日なおいろいろ課題が多いというふうに思っております。  私は、合算しまして約十五年にわたりまして、内閣参事官、それから首席内閣参事官内閣官房副長官といたしまして総理官邸に勤務いたしております。特に、副長官といたしまして五代の内閣の下で八年七か月勤務いたしておりまして、その間に特に感じたものというものについて申し上げたいと思うんですが、それは行政組織ないしはシステム自体人材運用の三位一体の重要性でございます。  望ましい行政を展開するためには、行政組織自体が優れているということは当然といたしましても、それを担う人材そして運用いかんによっては相当程度この成果が左右される、まあ生きもすれば死にもするというふうな、そういう実態があろうかと思います。どんなに優れた組織であっても、それを担う人材に人を得ず、運用がよろしくないと、国民のために良い政というものは実現しないのではないかなということを実感しておるわけでございます。  まず、そういったことを前提といたしまして、行政組織についてでございますけれども、先般の再編内閣官房強化ということが一つであったわけでございます。一言で申し上げれば、国政の重責を担う総理大臣がいかにリーダーシップを発揮できるか、そのための体制づくりというものがこの内閣官房に関しては重要であろうと思うわけでございます。つまり、内閣官房は、総理の文字どおりの手足といたしまして、国政総合戦略拠点であるわけでございます。  先般の改革では企画立案権明確化などが図られたわけでございますが、戦略性を持って機動的に動くということが望ましいことでございますので、内閣官房の在り方は、総理官房長官のお考えとか、あるいは運営次第というような側面もあるということを申し上げたいと思います。  具体的な内閣官房強化といたしましては、官房長官補政治任用化、それから総理補佐官の増員、これは三人から五人、それと、再編よりちょっと前でございましたが、少し早めに内閣危機管理監が設置されたわけでございます。  なお、官房長官は、橋本内閣までは政治家国会議員の方と行政出身の二人体制、それが小渕内閣から政治家国会議員の方がお二人と行政出身一人という三人体制に変わっております。  さらに、重要なことでございますけれども、総合戦略拠点としての内閣官房でございますが、これを補佐する知恵の場といたしまして内閣府が設置されたことでございます。具体的には、経済財政諮問会議とか総合科学技術会議というそういった、その他にもございますが、そういったものがいわゆる知恵の場として戦略拠点としての内閣官房を補佐すると、こういう仕組みであったというふうに思います。  課題といたしましては、主として運営の問題であろうかと思うわけでございますが、指揮命令責任体制明確化ということが一つあろうかと思います。東日本大震災などの対応、これは中におりませんのでひょっとして誤解があるかも分かりませんが、外で見ておりますと、この指揮命令責任体制が不明確であるということが見受けられたわけでございます。何々本部とか参与とかの方がたくさん総理官邸に入られたやに承っておるわけでございますけれども、私の経験その他で考えますと、総理官邸内閣官房というのは、総理官房長官を中心に少数精鋭体制、そして指揮命令系統責任関係がより明確であるというのが望ましいのではないかと思うわけでございます。  二番目は、危機管理体制強化ということでございますけれども、一つは、危機管理体制強化のために設置された危機管理監の姿が、東日本大震災対応に当たりましてはほとんどその姿が見えなかったような感じがするわけでございます。私は、政治主導ということでございますが、危機管理監という専門のそういう職種につきましては、これを使いこなしたら、もっと使いこなしたらいいんではないかというふうに思うわけでございます。  なお、もう一つ問題は、危機管理体制に関しての問題は、国家危機というのは、大きく、国防上の危機とそれから自然災害あるいは大事故、そういったものがあるわけでございますが、国防上の危機につきましては、現在の仕組みでは、内閣官房副長官補、安全保障担当担当をしている、総理官房長官指揮下担当しているわけでございます。  ただ、初期におきましては、不審船等々で見られますように、国防上の問題につながるものなのか、重大な事件、事故、重大な事故ということで終わるのかというようなことが不分明でございまして、国防かどうか、そういった不分明な点がございますので、内閣危機管理監安全保障担当の副長官補役割といいますか、その点については更に整理する必要があるものというふうに感じております。  次は、内閣情報体制でございますが、情報というものは、御案内のとおり、多元的に集めて一元的に管理することが鉄則でございます。的確、迅速性と、それからもう一つは、重大な情報問題でございますから守秘が必要でございます。私は、そういった点で、この内閣情報体制というものは更に検討して工夫を凝らしていく必要があるのではないかというふうに考えております。  それから四番目は、内閣総理大臣補佐官内閣補佐官ということでございますけれども、現在の仕組みは、内閣補佐官ではなくて内閣総理大臣補佐官ということでございます。これは非常に大きな違いがあるわけでございまして、内閣補佐官ということになりますと、各省大臣内閣府の各大臣との権限を整理する必要があるということでございます。  そういうことで、行政改革におきましては、内閣総理大臣補佐官、つまり総理大臣の目であり耳であり鼻であると、そういうようなことで、専門職経済だとか外交とか防衛とか、そういった専門家ということを総理の言わば耳目として置くということが趣旨であったと思います。もちろん、政治家の方が、国会議員の方が補佐官になられることは一向に差し支えないわけでございますが、本来の趣旨内閣補佐官ではなく内閣総理大臣補佐官としたところが一つの特色であったというふうに思います。  次は、内閣府の関係でございますが、内閣府につきましては、内閣官房を助けて内閣重要政策に関して各省の施策の統一を図るための企画調整を行う知恵の場としての位置付けでございます。それからもう一つは、賞勲行政国民生活行政などの実施事務というのが内閣府の役割でございますけれども、率直に申し上げまして、内閣府の仕事が多様過ぎまして、府としての一体性に欠ける状態になっているということでございます。  それから、特命担当大臣が今現在八人、八つ特命担当があるというふうに伺っておりますが、大変安易と言ったら語弊がありますけれども、たくさん簡単に任命されている嫌いがありまして、内閣官房特命担当と合わせると相当の数に上っているということでございますが、特命担当大臣を置く場合には、各省との関係など組織運営上の原則を明確にする必要があるのではないかと思っております。そうしませんと、特命ということで、対外的には、国民的には非常に重要政策が進んでいるかのように見えるわけですけれども、各省庁権限との関係で、逆に責任の所在が不明確になってくるというような嫌いもございますので、そういった点が指摘されようかと思います。  それからもう一つは、再編の目玉であった経済財政諮問会議等重要政策会議が活用されていない状況でございます。もちろん、経済財政諮問会議に代わって国家戦略会議代替機能を果たすということであろうかと思いますけれども、十分果たしていないのではないかと。また、総合科学技術会議は、例えば今回の原発事故に活用されているかどうかいささか疑問ではなかろうかというふうに思います。  次、総務省でございますけれども、総務省政府全体の組織定員管理人事行政行政評価等々、ここに書いているような巨大官庁でございます。  内閣府との関係につきましては、内閣府に調整事務の全てを担当させ、また実施事務担当する外局の多くを内閣府に設置するということとなりますと、内閣府の組織が膨大なものになって、総合調整機能に支障を来すおそれがある、こういうことから人事組織管理、それから行政監察事務等については総務省に担わせるというふうなこととされたわけでございます。  ただ、課題といたしましては、これも率直に申し上げますと、自治省、それから郵政省、総務庁と、行政内容が異質過ぎる三省庁を統合したことは論理必然性に乏しいのではないかと。分野が違い過ぎて組織体としての統一が大変難しい状況になっておりますので、特に自治関係郵政関係は非常に異質でありますので、こういった点については、時間が掛かるかも分かりませんが、しかるべき時期に見直すということも必要ではなかろうかというふうに考えております。  それから、行政役割でございますけれども、政と官の役割分担で、これも本当、原理原則的なことを申し上げまして恐縮でございますけれども、右肩上がり経済時代は、いわゆる毎年増える所得、果実をいかに適正に配分するかということが行政の中心的な役割であったと思うわけでございます。右肩上がり経済というものが終わってまいりまして、もう新たな国民のニーズということは出てまいるわけでございますから、それにこたえるためには法律改正をする、あるいは制度改正するという、こういった力仕事が必要になってくるわけでございます。まさにこの力仕事というのは政治仕事でございまして、政治主導というのはある意味でいうと今日当然であろうというふうに思います。  それでは、行政公務員はどうなのかということでございますけれども、これは、行政専門知識を活用して政治に対しまして選択肢を提示するということとともに、政治がある政策について方向を決めた、政治が決断した場合にはその政策を忠実に執行する、そういった役割公務員にある、行政官にあろうというふうに思うわけでございまして、政と官は相互信頼に基づく役割分担に応じて両輪相まって行政を遂行していく、国家国民のために遂行すると、こういう役割ではなかろうかというふうに思います。  それから、次は四辺回路と、まああえてこういう新しい言葉を使っておりますけれども、私は、やはりいい政が行われていくためには、総理と各閣僚、それから官邸における総理官房長官事務担当の副長官等、それから各省における大臣等政務三役と次官官房長局長等事務方、それから官邸における事務担当長官各省次官、この四つの回路というものが相互信頼に基づきまして情報とそれから対処方針共有するということは、いい政を行っていくためには絶対に必要なものだというふうに感じているわけでございます。それが必ずしも十分ではないというところは一つの問題かと思います。  それから、事務次官会議のことでございますけれども、これはもうつとに言われていることですが、改めて申し上げますと、事務次官会議役割というのは大きくは三つございまして、一つは、法案総理等方針に違わないかどうかの確認行為でございます。例えば年金法改正とか有事法制とかというような重要な法案閣議総理が初めて見るということはないわけでございまして、中身については十分総理が了解し決断されたものを法制局法案の形にして、それが違わないかどうかを確認していたと。それは閣議という政府としては最終、最高の決定機関の前にそういったことが事務的にチェックをしていたということで、それが官僚が主導しているというふうな誤解がなされたかと思うんですが、その法案等確認行為一つ。  それからもう一つは、総理官房長官指示伝達システムであったわけでございます。伝言ゲームに見られるように、一人一人にものを話しますといろいろ違ったニュアンスでものが取られるわけでございますけれども、一堂に各省事務方のトップが集まったところで、総理官房長官指示官房長官が伝達する、守らなければどうして守らないかということを釈明させるというような、そういう指示伝達システムであったわけでございます。  それからもう一つは、情報対処方針共有システム。といいますのは、次官会議が終わりますと、各省に戻りまして、次官幹部を集めまして、そして次官会議では自分はこういうことを案件話したよと、それから各省では主な案件こういうのがあったよということを幹部に伝える。それから、幹部は、局長等は今度は翌日なりに各課長を、局内の課長を集めて次官からこういう話があったよというようなことで、そういうことを通じて各省庁幹部が、自らの省務はもちろんのことでございますが、各省庁の動きを承知する仕掛けになっていたわけでございますが、これがなくなったことによって、情報対処方針が新聞、テレビその他で見るような形になって、共有システムというものが壊れたということがございます。  それから、事務次官会議は、明治十九年以降、法律根拠がない組織にもかかわらず、百二十三年も有効に機能してきたわけでございまして、これを民主党政権は、発足に当たりまして、事務次官会議が恐らくは官僚主導の象徴だとみなされたかと思うんですが、議論もされることなく、つまり法律根拠がないわけでございますから、これを廃止しようと言えばすぐ廃止できる、そういう意味で廃止されてしまったと思います。  私は、事務次官会議は政と官をつなぐ役割を担うものでございまして、最も有効な政治主導手段になり得るというふうに思います。名称は問わないけれども、是非何らかの形で復活、今も連絡会議は行われているようでございますが、復活する必要があるのではないか。その場合、今までは、本来官房長官主宰者でございましたけれども、大変多忙ということで、その指示を受けて行政出身の副長官司会進行役を務めていたわけでございますが、四、五十分でございますので、官房長官自らが名実共に主宰すると。そして、各省庁政治主導という、がっちりとそれを、各省庁を掌握して政治を行うという、極めて有効な手段であろうと思います。  最後でございますけれども、昨今、公務員を取り巻く環境は大変厳しいものがございます。これは時代の要請であり、例えば給与を下げるとかそういったことはある意味で当然としても、厳しい中にあっても公務員が誇りと使命感というものを持って公務に専念できる環境づくりということを御配慮お願い申し上げたいと思います。  以上、簡単でございますけれども、御説明を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  8. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ありがとうございました。  次に、森田参考人にお願いいたします。森田参考人
  9. 森田朗

    参考人森田朗君) 東京大学森田でございます。本日は、このような意見を述べる機会を与えていただきまして大変光栄に思っているところでございます。  私は三十年余り研究者を続けてまいりましたが、私の専門行政学、広い意味での政治学の一部に当たる学問でございまして、これまで行政組織あるいは公共政策あるいは地方制度などについて研究をしてまいりました。また、研究者の立場からではございますけれども、一九九五年から始まりました地方分権改革、その後の橋本内閣のときの行政改革、さらには、その後の国立大学法人化等の実際の改革にもかかわってまいりました。  本日、資料としてお手元にあると思いますけれども、私の論文資料とさせていただきましたけれども、それらの論文橋本内閣行政改革の後でそれについて執筆したものでございます。本日は、その論文で取り上げたようなテーマではなくて、これからお話しいたしますのは、その後の社会環境の変化をも踏まえて、我が国において九〇年代以降展開されてまいりました地方分権改革を含む行政改革全般について意見を述べさせていただきたいと思っております。どういうことを述べるかということにつきましてはお手元に簡単なメモがあるかと思いますけれども、初めに、これからお話しいたします行政改革というのはどのようにとらえているかということについてお話をさせていただきたいと思っております。  行政改革という場合、広い意味では地方分権改革であるとか内閣制度を含む統治構造の変更、改革意味している場合もございます。また、狭い意味になりますと、政策を所与として、それの手続であるとかその合理化のための方策、これを行政改革と呼んでいる場合もございます。ただ、世界の多くの国で言われております行政改革、そして我が国もそうだと思いますけれども、そのとらえ方といいますのは、財政状況がだんだん厳しくなってくる中で、行政活動の効率化あるいは財政的な効率化をいかに図っていくのか、政府のスリム化をどうやって達成していくのかと、それが大きな課題ではないかと思っておりますので、以下では、そのような財政的な効率化、政府のスリム化、そういう方面から焦点を当ててお話をさせていただきたいというふうに思っております。  これから申し上げますのは、これまでの我が国における行政改革がそういう観点から見た場合どのような特色を持っていて、そしてさらにどのような課題を持っているかということでございます。  初めに、極めて初歩的なことを申し上げて恐縮でございますけれども、行政サービス、政府の活動に必要な財源が不足してきたときに取り得る方法というのは基本的に三つしかないと思います。  一つは、増税等の方法によりまして財源を増やすこと、二番目は、逆に供給するサービスの量、質を下げていくこと、そして三番目は、そのサービスを産出する過程をできるだけ効率化していくというこの三つでございます。  今日申し上げることの結論を先取りして申しますと、我が国の場合、この三番目の効率化による改革をこれまで目指してきたというふうに思います。しかしながら、この方法には当然限界があるわけでございまして、これまで行政改革と称されている改革の多くは、むしろその行政活動の形態を変えたり、あるいはそれを外部化する、アウトソーシングにするとか、要するに、ちょっと言葉は悪いかもしれませんけれども、付け替え、外出しのやり方、そうしたやり方が中心であって、それが実質的な意味での財政的な観点からの効率化、減量化が進んでいるかというと必ずしもそうではないのではないかと、そのように感じているところでございます。  まず、物事を考える出発点として、レジュメの図のⅠを御覧になっていただきたいと思いますけれども、これは極めて一般的な話ですけれども、行政活動といいますのは、一定の行政組織がそれを担い、そしてそれは一定数の公務員がそれを、仕組みを動かしていくと、これが一般的な姿になるわけですし、それに対して必要な財源を予算で手当てしていくということになるわけです。当然のことながら、その財源とサービスとの間にギャップが生じた場合には、サービス水準を維持するために予算を増やすという方法を取るか、あるいは、そうでなければこの活動そのものを縮小していく、それに伴って組織も改廃といいましょうか行いますし、公務員の数を削減していくと、これがある意味でいいますと一番原型になるわけでございます。  しかしながら、我が国の場合には、どちらかといいますと、その図Ⅱに書きましたけれども、こうしたサービスの在り方というものと組織の形態というものと公務員制度ですけれども、これが必ずしも連動していないように思われます。全くとは申しませんけれども、余り連動しておらず、別々に改革が行われているという気がしているわけでございます。  それぞれ自律的な形で改革が行われているわけでございまして、更に申し上げますと、サービスの本体はなるべく変えないまま、組織の形態を変更したりあるいは公務員数の削減、それが行われてきたというふうに思います。もちろん、サービスの質、量を変えずにその産出過程を効率化する余地はまだあるということは間違いないと思いますけれども、現在の財政状況等を勘案した場合に、これまでのやり方でいいますと、これ以上の効率化というのはなかなか難しいかもしれませんし、また、それをあえてやりますと、国民生活にとって実質的なサービスの質の低下を招くような可能性というものも否定できないのではないかというふうに思っております。  そこで、行政組織改革、また公務員制度、そして地方分権の改革についてそれぞれお話をさせていただきたいと思います。  行政組織に関連して申し上げますと、かつて国鉄であるとか電電公社に見られたような民営化が実施されました。これは大変大きな改革の効果をもたらしたというふうに思いますけれども、こうした形での公的部門の民営化が効果を示しますのは民営化してもそれが事業として成り立つ場合でありまして、今日ではそのような可能性のあるケースというものは非常に限られているのではないかと思います。  また、橋本内閣行政改革のとき以来進められてまいりましたのが、省庁の統合再編と独立行政法人化等の外部化でございます。省庁の統合再編は、統合によって仕事量全体の縮減を行うということを期待されたものというふうに思われますけれども、実際に何が生じたかと申しますと、総務部門につきましては一元化されることによって縮小が進むかもしれませんけれども、それまでの部分の仕事につきましては余り変わっていないのではないかという気がしております。例えて言いますと、多数の部屋のあるマンションの幾つかの壁を抜いて大部屋を造ったわけですけれども、住んでいらっしゃる住民の数も、その床の面積もそれほど変わっていないというのが現実ではないかと思います。  独立行政法人化につきましては、国の現業部門をまさに外部化したというふうに言えるわけでございますけれども、独立行政法人がモデルといたしましたイギリスのエグゼクティブエージェンシーという仕組みは、主として行政内部におけるルーチンワークを行っているような部門、それの効率化を目指す仕組みであったわけですが、我が国の独立行政法人の場合には、そうではなくて、むしろそうした組織を国という法人の外に出して、新たな独立した法人とするということに重点が置かれたというふうに思っております。  更に申しますと、その対象になりましたのが、計測がしやすい、また効率化がしやすいルーチンワークを行っているような組織ではなくて、研究機関等の非常に効率化のメカニズムが働きにくいような組織が対象になったと思われます。したがいまして、結果として、見かけの上はともかくといたしまして、実質的には、それほどのサービスとか組織の縮小がもたらされたかといいますと、これは少し疑問に思っているところでございます。  次に、公務員の定員管理についてですが、個別的な領域はともかくといたしまして、総数としては行政サービスの総量とは必ずしも連動することなく削減が行われてきたのではないかと思います。確かに我が国の場合、終身雇用、年功序列制度が強固であるため、弾力的な増減を行うことができないということは間違いないと思います。また、行政の縦割り構造が非常に強固であるために、定員を流動化するということも困難であると、このことも否定できないと思います。  しかしながら、行政サービス、活動の量に応じてその定員の増減というものが必ずしも認められなかったために、いろいろと不都合な事態も生じてきていると思います。  例えば規制緩和によって許可制を届出制に変更したような場合、それによって競争が促進され、プラスの効果が期待されるわけでございますけれども、他方におきましては悪質な業者が市場に参入するという可能性も否定できないわけでございまして、それを防いで規制緩和のメリットを出すためには、やはりかなり強固な、強力なモニタリングの仕組みが必要であると。そのためには、まずそれに必要な人員というものを充てることが必要になるわけでございますけれども、我が国の場合にはそうした増員というものもしてこなかったということ、その結果、幾つかの国民が被害を被るようなケースも出ているような気がいたします。  国家公務員法の対象となる公務員の数といいますのは以前からかなり削減されてきているわけでございまして、人事院の資料によりますと、平成十二年、二〇〇〇年ですが、この年、百十三万人だった公務員が、平成二十三年、昨年ですが、これは六十四万人にほぼ半減しているようです。特に一般職の公務員は八十二万人から三十四万人に、四十八万人も数字の上では減っております。  しかしながら、これら削減された公務員の多くは、独立行政法人であるとか、私もそうでございましたけれども、国立大学法人の職員に身分が変わったものでありまして、実質的に削減はそれほど多くないというふうに思われます。  そのほか、行政改革の方法についてもう一言触れさせていただきますと、十年ほど前に政策評価の制度が導入されました。これは、政策の実施する事前あるいは事後的にその効果を評価し、あるいは予測して無駄な政策を排除しようという仕組みでございますけれども、現実にはなかなかその評価を行うということの技術的な困難もございまして、膨大なペーパーワークがなされている割には大きな効率化の効果というのは現れていないように感じております。そのため、事業仕分のような別の作業というものが行われたとも考えられるわけです。したがいまして、政策評価の在り方そのものも、これ自体を評価の対象として見直していく必要があると思っております。  また、次に、レジュメにも書きましたけれども、行政におけるIT化、eガバメントとかいろんな言い方をされておりますけれども、これについても一言触れさせていただきたいと思います。  こちらの方は、私自身は、大規模に導入されますと非常に行政の効率化あるいは行政改革に資するところが大きいと思われます。それゆえに、先進諸国の多くでは積極的な導入というものを今検討しているところでございます。我が国の場合には、そのIT化による効率性の向上を図る場合の前提となります国民ID制度、マイナンバー制度というふうに名前が付いたようでございますが、これがようやく実現が検討される段階に入ったところでありまして、先端を行く先進諸国と比べますと一周ないし二周遅れの感があると思っております。  私自身は、こうしたものにつきましては、個人情報の保護に十分な手当てをした上ででございますけれども、より積極的に推進する必要があると思っておりますし、その場合には、もう一つ大きな壁、すなわち各省の縦割りの構造というものを克服する必要もあると思っております。  さて、次に、行政改革と密接に関連しております地方分権改革について述べさせていただきます。  地方分権改革は、憲法で定められております地方自治の本旨の実現を目指して、国、すなわち中央政府が持っている事務権限を地方自治体に移譲すると、そういうものとして考えられております。  しばしば、行政改革と地方分権は車の両輪というふうな言い方もされてきましたように、両者を一体としてとらえ、地方分権によって国もスリム化すると、そのようなことも言われてまいりました。これは、行政改革といいますのは、要するに国、中央政府をスリム化することであるという発想に基づいているわけでございまして、それは、官から民へという形での行政改革と、中央から地方へという地方分権改革がセットで考えられると。要するに、行き着くところは、小さな中央政府というものを目指すということかと思います。  しかしながら、その場合には、地方、国、合わせたパブリックセクター全体としてどのような形での行政改革が行われているかということは必ずしも明らかではございません。もちろん、両者で重複する事務につきましては簡略化が進むというふうに考えられるわけですけれども、事務本体はどうなのかということについては必ずしもはっきりしないわけです。  そもそも、一九九五年に地方分権改革が始まった当初には、既に我が国の地方自治体は先進国の中でもかなりの多くの事務を担っていることから、そこでの改革目的は、国の事務を地方へ移管する、移譲することではなく、当時存在していた機関委任事務制度であるとか補助金の要綱による国の地方に対する規制をできるだけ減らしていく、地方自治体の自由度を高めていく、自由に政策をつくる自己決定権を拡充すること、これが目的というふうに考えられていたと思っております。  しかしながら、その後、地方分権改革が進むにつれまして、次第に国から地方へ事務そのものを移譲したり、あるいは国のブロック機関の地方への移管というようなことも言われるようになってまいりました。その結果、現状は地方分権という名目の下に地方への事務の移管が行われ、それが国の事務のスリム化、効率化として位置付けられているのではないかと、そういう感じもするわけでございます。  当然、その場合問題になりますのは、地方においてその事務を担うために必要な財源の問題ですが、これにつきましては、二〇〇一年に始まりました地方分権改革推進会議において三位一体改革に取り組んだわけですけど、これも成功せず、一時自主財源として税源移譲ということも主張されましたけれども、これも結果は自治体間での税収の格差の拡大に結び付く、そのため、それ以後は余り進められていないようでございますし、また財政調整制度であります地方交付税制度の抜本的な改革というものも進んでいないように聞いております。  したがいまして、最も重要と思われるこうした地方財政制度改革が先送りされたままの状態になっているわけでございまして、結果は多くの地方自治体、特に農村部の地方自治体が高齢化、人口減少に加えて非常に厳しい財政状況に置かれているわけでございます。そうした自治体が確実な財源保障のないまま多くの事務負担を担うということになる、そうした可能性に今直面しているのではないかと思います。  ところで、こうした地方分権の考え方ですが、世界の多くの国では中央集権的な形態によって、第二次大戦後、二十世紀の後半におきましては国が成長してきたわけでございますけれども、こうした中央集権的な体質そのものが問題があるということから、地方への権限移譲、分権が望ましいと考えられ、補完性の原理その他の考え方に基づいて分権が進められてまいりました。我が国でも、今日までできるだけ多くの事務権限を地方自治体に移し、地方の決定に委ねることが望ましいと主張されてきているように思います。  そして、地方分権の議論においてしばしば言われますのが、中央政府役割というのは外交とか国際関係、あるいは通貨であるとか国全体の基盤的な制度の整備、そして国全体の産業政策その他の政策、計画に限定して、それ以外の事務はできるだけ地方に委ねるべきであるという見解、これもしばしば耳にするところであります。  しかしながら、現代の社会は十九世紀の社会とは格段に違っているわけでございまして、何が大きく違っているかといいますと、地域間の交流というものが非常に拡大しております。また、地域の自立性というのは相対的に減少し、地域間の相互依存関係も増大しております。これは、むしろ国境を越えて、国際化によって国境を越えた地域間の依存関係の拡大にもつながっているのが現状だと思います。したがいまして、都市部と農村部というように、現代の社会におきましては地域がそれぞれ異なる役割を分担し、相互に依存し合って全体としてのシステムというものを形成していると考えられるわけです。  そして、そこにおける中央政府役割というのは何かといいますと、まさに豊かな地域の富をそうでない地域に配分して全体としてバランスの取れた発展を図るというごとく、システム全体の観点から地域間、セクター間の調整、再配分の機能を果たしているというふうに考えられます。もちろん、過剰な集権的システムには問題があることは否定できませんけれども、こうした調整機能を無視した分権の議論といいますのは、むしろ格差の拡大、地方の疲弊に結び付くのではないかと危惧するところでございます。  したがいまして、分権化もこうした現代社会の特質を踏まえて進めていくことが必要であると思われますし、行政改革も国、地方を合わせた行政サービスの総量を財源との関係でどのようにコントロールしていくのか、そういう方向で議論を進めていくべきであると思っております。したがいまして、今や財政の現状と正面から向き合って行政サービスの在り方を持続可能性という観点に立って見直していくことが必要ではないかと思います。  申し上げるまでもなく、我が国は超高齢化、人口減少の時代に入りました。これからは、これまで我が国の富をつくり上げ、税収を上げてきました都市部が急速に、しかも大規模に高齢化してまいります。そのような時代には思い切った発想の転換が必要ではないかと思っておりまして、右肩上がりの発想を捨て、必要な部分に重点投資をすることはもちろん重要ですけれども、国や地方自治体の将来の状態をしっかりと見据えてサービスの規模を適正化する、いわゆるダウンサイジングという、そうした発想を取り入れることも必要ではないかというふうに思っております。  御依頼のありました趣旨の項目の中には今の意見陳述でお答えしていないところもございますけれども、これは後の質疑のときに御質問があればお答えしたいというふうに思っております。  私の意見は以上でございます。どうもありがとうございました。
  10. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ありがとうございました。  次に、東田参考人にお願いいたします。東田参考人
  11. 東田親司

    参考人東田親司君) まず最初に、このような機会を与えていただきまして心から感謝申し上げたいと思います。  私自身は、総務庁という役所に長く公務員として勤務しておりまして、その後、現在の大学に移って研究活動に入っておりますので、二つの経験に基づきまして僣越ですが申し上げさせていただきます。  お二人のお話を伺っていますと一部重なる面があろうかと思いますが、お許しいただきたいと思います。  最初に、私のレジュメ、項目だけで恐縮ですけれども、最初に中央省庁について申し上げたいと思います。  まず、そのうちの大規模省、これは具体的には国交省と厚労省についてでございます。  今世紀初頭に行われました中央省庁改革における省編成の基本方針をここでまた振り返ってみますと、目的別の省編成、それから大ぐくり編成、利益相反性への考慮、それから省間バランス、省間の相互調整などの原則があります。しかし、現在、十年以上が経過した時点でその実態を見てみますと、大ぐくり編成に重点が置かれて、目的別の編成や省間バランスの観点がやや弱かったのではないか。分かりやすく言えば、中央省庁の数を減らすことを重視し過ぎた結果、大臣のコントロールの範囲を超えた大規模省ができているのではないかというふうに考えます。  例えば、再編後の省庁の内部部局の数で見てみますと、平均しますと一省平均約七局でありますが、その倍近くの局数の大規模省があります。  最多の十三局となっている国交省について見てみますと、国土の総合的な開発利用とそのための社会資本の整備が主たる任務になって発足しておりますけれども、社会資本を利用する陸海空の運輸事業者等への指導監督まで所管しておりますため、一人の大臣の統括範囲としては無理があるのではないか、もう少し省間バランスに配慮して、二人の大臣の所管に戻してもよいのではないかというふうに考えます。  二番目に局数が多い十一局の厚労省につきましては、雇用の確保、労働条件の整備と社会保障の向上とが主たる任務とされ、政策の在り方として少子高齢社会などに対応した労働政策と社会保障政策との統合、連携強化などが求められて発足しております。今日では年金と雇用との連携の問題など再編目的を大いに発揮すべき状況になっているという見方は当然できますけれども、今後、年金行政、少子高齢化対策、雇用行政がそれぞれ国民生活の上で更に重要性を増し、国民の関心も一層高まることを考慮すれば、むしろ社会保障と労働行政とに分割して、それぞれ責任を持つ大臣を置き、両行政調整の過程を外部に出すことで国民的議論の俎上にのせる方が適当なのではないかというふうに考えます。  次に、内閣官房内閣府について申し上げます。  内閣官房内閣府につきましては、先ほど古川元副長官からお話がありましたように、何々本部とか何々会議と呼ばれる全政府的な組織が置かれたり、内閣特命担当大臣が多数任命されておりまして、それに伴って事務局や担当室も置かれて、組織、人員が肥大化しております。  例えば組織について見てみますと、内閣官房のホームページでは現在活動中の各種本部や会議が九十以上ありまして、本来の約八百人の定員のほかに七百人以上が併任で常駐しているというふうに聞いております。また、内閣府本府には二十以上の担当室が置かれ、本来の約二千三百人の定員のほかに併任が四百人以上いると聞いております。それから、特命担当大臣が現在八人おられまして、その下に副大臣大臣政務官が多数おられますので、指揮命令系統は極めて入り組んだ複雑な状態になっておりまして、国会でも肥大化が問題視されております。  このような組織の肥大化と指揮命令系統の複雑化を解決するために、政府内の調整にかかわる元々の役割分担がどうなっていたかというのを振り返ってみたいと思います。  基となった行政改革会議の報告書では、政府内の調整に関して、内閣官房内閣府、各省の三類型の調整を組み合わせて機能強化を図るべきことを提起しております。三類型の調整を簡単に申し上げますと、まず各省行政目的達成のための調整権が各省にありまして、その上に、担当する主たる省を特定することが困難な課題について内閣府が必要な場合には特命担当大臣を置いて総合調整を行うこととされ、そして最後に、内閣官房総理の活動を直接補佐する立場から最高、最終の総合調整を行うこととなっております。  こうした三つの分担基準で現状を見たときに、まず各省調整に委ねてよいと考えられるものまで内閣官房内閣府に集約されていると思われますので、次の二つの原則で内閣官房内閣府の調整の在り方を見直してはどうかと思います。  第一の原則は、内閣特命担当大臣の在り方についてですが、特命事項の内容から見て、主たる省を特定することが困難な課題は引き続き内閣府が担当しますが、それ以外の、本来、主に所管する大臣がいる場合にはその大臣調整の主役にするということであります。例えば、少子化対策は厚生労働大臣に、宇宙開発は文部科学大臣に、郵政改革は総務大臣調整の主役になるべきだと思います。その際、必要があれば、これら主に担当する大臣特命担当に発令してもよいと思います。こうした措置によって、現状では内閣特命担当大臣と主に所管する大臣の二人が関係大臣になっていて、その間の役割分担が明確でなく、指揮命令系統が複雑化している状態が是正され、簡素化が期待できます。  第二の原則は、内閣官房内閣府に置かれる事務局や担当室についても、内閣全体の総合的、戦略的な方針企画立案機能を担う役割にかかわる場合や主たる所管省を特定できない場合だけに限りまして、その他のものは最も関係する省の担当部局が全政府的な事務局の役割を担うことです。例えば、地域主権戦略会議の事務局は内閣府ではなく総務省に、障がい者制度改革推進本部の事務局は内閣府ではなく厚生労働省にという具合にすることです。そうした視点で内閣官房内閣府の事務局や担当室を点検いたしますと、組織簡素化と併任者の整理が相当できるのではないかと考えます。  現状が肥大化、複雑化している背景には、私の推測ですが、主たる担当省が政府全体の調整の主役となることに対して他の府省が納得しない場合があること、あるいは特定省が調整の主役になるよりも政府中枢での取組姿勢を見せた方が政治的な効用があるなどの判断からきていると考えますけれども、今申し上げた二つの原則で見直しを行いまして、可能な限り内閣官房内閣府のスリム化を進めることで政府内の役割分担明確化し、政権中枢の簡素で迅速な指揮命令系統を確立すべきではないかと考えます。  三番目に、総務省についてでございますが、総務省は、中央省庁改革基本法で、「内閣及び内閣総理大臣を補佐し、支援する体制強化する役割を担うものとして設置」というふうに書かれております。主に管理的業務の調整を担う役所として設置された経緯があると考えます。しかし、発足後、本来所管すべき郵政改革公務員制度改革行政改革などの調整課題内閣官房内閣府の所管となりまして、設置後の性格が曖昧になった面があると思います。先ほど述べました内閣官房内閣府のスリム化を図る原則からすれば、郵政改革公務員制度改革行政改革などは総務省の所管に戻すことが考えられます。  しかし、この場合、考えないとならないのは、国家公務員制度改革基本法が既に成立しておりまして、それに基づき内閣官房内閣人事局が設置され、それに伴って総務省の担っている人事行政に関する機能、これは人事管理とか組織・定員管理だと思いますが、これも必要な範囲で内閣官房に移管することが法律で規定されております。そのことを考慮いたしますと、今後の総務省の在り方は、人事行政関係する機能は内閣官房に移管し、総務省はそれ以外の機能を所管することが原則になろうかと思います。その際、内閣府にも必ずしも内閣府でなければならない業務以外のものも所管されていると思われますので、内閣官房内閣府、総務省の三者の役割分担は一体的に検討しなければならない課題だと考えます。  次に、大きな二番目で、公務員制度改革でございます。  そのうちの(1)公務員の給与と労働基本権について申し上げます。  現在、一般行政事務を遂行する公務員に労働協約締結権を認めて、給与等の勤務条件を労使の話合いで決定しようとする政策が提案されておりますが、公務員の給与は労働基本権の制約の下での代償措置により民間給与の平均水準を確保するというこれまでの仕組みを根本から変えるものでありまして、慎重な対応が必要と考えます。  一般に、公務は業務の成果を計量的に測定し難いものが多いなどの特殊性があることや、公務員を希望する者は、経済的な対価よりも公的、社会的な貢献に生きがいを感じて職業選択してきた者が多いと思いますので、これらの者の労働の対価である給与等の勤務条件は、当事者が交渉により決定するよりも、社会一般が認容する水準に収まるようにする仕組みが望ましいと考えます。その点で、現在の労働基本権の制約とその代償措置である人事院勧告制度は特に問題はないと考えられ、あえて労働協約締結権を付与してまでして当事者の交渉に委ねることのメリットが何であるのかが不明であります。  国家公務員制度改革基本法第十二条では、「政府は、協約締結権を付与する職員の範囲の拡大に伴う便益及び費用を含む全体像を国民に提示し、その理解のもとに、国民に開かれた自律的労使関係制度を措置するものとする。」と規定しておりますが、協約締結権の付与に伴う便益及び費用等の全体像がこれまでに国民に分かりやすく提示されたとは思えません。便益については、公務員への労働協約締結権の付与が国民にとってどういう便益があるのか不明ですし、費用については、労働協約締結権の付与に伴う副作用がどの程度国民生活に影響を与えるのか提示しなければならないと思います。  その点で、平成二十二年版の公務員白書におきまして、人事院が、主要諸外国においては、協約締結権は認めるが、争議権は制約し、その代償措置として仲裁裁定制度を設けるという例は諸外国にはないとしていること、それから、かつて我が国に存在した三公社五現業においてそのような制度がありましたけれども、法律や予算の統制等により当局側が当事者能力を失い仲裁裁定による決着が続いた結果、労使交渉が形骸化して労使関係は安定せず、大規模な労使紛争が繰り返されたことなどの警鐘を鳴らしております。  公務員の労働基本権は公務員制度の根幹であり、その変更は公務の能率や公務の受け手である国民生活に大きな影響を与えますので、公務員一般や国民一般に理解されるよう慎重に対応すべきと考えます。  また、関連しまして、東日本大震災の復興財源の確保のために国家公務員給与の臨時的な削減措置が行われることになりましたが、これを恒久的な措置にすべきというような意見も一部にあるようですが、公務員の給与を制度的に民間平均値よりも低いものとすることは不合理であり、あくまで短期間の臨時的な措置にすべきと考えます。  さらに、公務部門が率先して歳出を抑制すべきことは分かりますが、なぜ人件費削減率が二割なのかは不明でありまして、こうした公務員の基本的な処遇にかかわる重要な制度が合理的な説明がないまま政治的な判断で変革されていくことは、公務員制度の安定性を損ない、現職公務員の士気に影響し、公務員志望者数の減少や質の低下を招来するおそれが強いと考えます。  次に(2)として、幹部職員の人事について申し上げます。  国家公務員制度改革基本法の規定による内閣人事局の設置が具体化して現在提案されている国家公務員法の一部改正案が成立いたしますと、各府省の幹部職員人事に対して、総理又は官房長官から、内閣重要政策を実現するために内閣全体の視点から適切な人材を登用する必要があると判断するときは、任命権者に対し、幹部職員の任免について協議を求めることができることとなっておりまして、一言で言うと、内閣からの府省幹部人事への関与が強化されることになります。  これによって、幹部職員の所属府省への帰属意識が薄らぎまして、縦割り行政の是正に寄与することが期待されておりますが、他方では、一般職公務員である府省の事務次官以下の幹部人事が恣意的な任用に陥るおそれが出てくると考えます。例えば、政権交代があった際などに、前政権時代の府省幹部は原則交代してもらうといった安直な考えで政権中枢からの関与が行われる可能性があります。  特に国家公務員法の一部改正法案では、審議官クラスから事務次官までの幹部クラスが一グループとみなされて、極端な場合には、事務次官から審議官に異動させられても、現在は降任となりますが、新しい仕組みの下では降任にならず転任になりますので、事実上の降任が行われやすい状況になりますので、十分な注意を払う必要があります。  恣意的な任用を防止するためには、中立的な機関が人事任用を監視しつつ必要な是正勧告を行うことや本人へ転任理由を開示すること、それから、事実上の降任である転任も不服申立ての対象として中立的な機関が是正勧告できるようにすることなどが必要ではないかと考えます。  (3)として、再就職について申し上げます。  現在の政権では公務員の再就職のための役所側によるあっせんが一切禁止されておりますため、多くの公務員は定年まで在職しております。このため、在任期間の長期化により組織の新陳代謝に問題が出たり、独立行政法人の役員ポストの公募が現職公務員の出向により有名無実化したり、処遇のための専門スタッフ職等のポストの増設などにより人件費が増嵩したりなどの弊害が出るとともに、新規採用を大幅に抑制しなければならない状態になり、公務員としての人生設計を描いている学生等に大きな衝撃を与えております。  確かに、再就職を野放しにすれば、民間企業等との癒着、出身府省への帰属意識に伴う縦割り行政の弊害の発生、それからOBのいる企業や団体との随意契約や助成などによる非効率な公費支出などが発生するおそれがありますが、他方で、全面的な再就職のあっせんの禁止は、人件費の膨脹、組織の新陳代謝機能の低下、公務員であった者の能力の未活用などの弊害を招き、さらには、先ほど申したように、若者の公務への貢献の夢の実現を狭めていることは重大な問題があると考えます。  完全無欠な解決策は見当たりませんし、また高級官僚の天下りが行政への信頼を損なう大きな要因になっていることは否定できませんが、他方で、全面的な再就職のためのあっせんの禁止が、良い面だけでなく副作用として無駄の発生や組織の活力をそいでいる面もあること、そして若年者の雇用にまで影響を与えている事実も国民に知ってもらい、その上で総合判断をしてもらう必要があると思います。  私個人は、再就職の抑制に伴う長所短所を比較すれば現状は大きな問題点を内包しておりますので、例えば、官民の癒着を引き起こしそうな営利企業への再就職は原則禁止としつつ、独立行政法人や公益法人などの現在現職公務員が出向している準公務部門への再就職については、個々の再就職者の能力の活用が公益に合致しているという採用理由を開示して認めることとし、その代わり、OBから役所側への働きかけや役所側から特定の法人への優遇措置などを禁止したり、またその監視を徹底することが一つの解決策ではないかと考えます。  なお、再就職に関連して、現在、行政機関の特定ポストや独立行政法人等の役員の公募を行う場合がありますが、公募は言うまでもなく応募者の能力や適性を公平に判断すべきでありますのに、過去の経歴に公務員経歴があるというだけでマイナスに評価される場合があるという声も聞きますので、一層公平に運用いただくよう要請したいと思います。  最後に、早急に是正すべきと考える当面の改革課題について二点申し上げます。  (1)国・地方間の人事交流についてであります。  国家公務員と地方公務員間の人事交流は、相互の仕事を理解し今後の地方分権を進める上でも有用な仕組みと考えます。  総務省資料によりますと、平成二十三年八月時点で、国から地方へ千七百十二人、地方から国へ二千九十三人が出向しており、大きくとらえますと同程度の数の交流が毎年なされております。しかし、国から地方への出向者の約半数が課長級以上のポストに就任しているのに比べて、地方から国への出向者のうち僅か二人しか室長以上のポストに就いておらず、交流のレベルは大幅な不均衡になっております。  特に、地方自治を所管する総務省は三百八人の出向者の七一%、公共事業を所管する国交省は四百八十五人の出向者の六二%が都道府県や市町村の課長以上の要職に就いております。逆に、地方から国への出向者のうち室長以上の者は二〇〇五年ころには十五人前後で一%ありましたが、最近では二人で〇・一%と減少しております。  国、地方間の人事交流を対等なものとすべきことは、地方分権推進委員会の勧告を受けて政府が平成十年に閣議決定した地方分権推進計画に盛られている事項であり、直近では平成二十一年三月三日の採用昇任等基本方針閣議決定で、相互・対等交流の促進を原則として、交流ポストの長期固定化により生ずる弊害の排除に配慮しつつ、地方公共団体との人事交流を進めるとうたっておりますが、実態は程遠くむしろ悪化している状況も見られ、早急な是正が必要であります。  この問題は、国だけでなく受入れ側の地方にも責任がありますが、特に地方分権や地方財政に大きな影響力を持つ総務省や公共事業予算を持つ国交省を始めとする中央省庁が地方公共団体を出先機関や指定席のように見る姿勢を改めることから始めなければならないと考えます。  閣議決定が有名無実化し、非対等で長期固定化し、ひいては地方公務員方々の士気にも影響を与えている現状を見ますと、国と地方の人事交流を適正化する法制的な措置も必要ではないかと考えます。例えば、国と地方公共団体との間の人事交流に関する法律を作ったり、あるいは、提案中の国家公務員法の一部改正法案では官民人材交流の活発化の措置が規定されておりますので、これと並べて国、地方間の交流についてのルールを追加規定するなどして、各省任せにしない方法を考えていただきたいと思います。  最後に、時間がなくなりましたので、統合省庁でのスタッフ職について簡単に申し上げます。  中央省庁再編の際には省庁数を減らすことが重視されたため、統合省庁では幹部ポストが減少することへの代償措置として主に大臣官房にスタッフ職が多く設けられております。事務次官級、官房長級、それから官房課長級などに複数のポストが用意されておりまして、統合した数の省庁の分だけあるように見られます。これについては、既に十数年経過しておりますので、もう整理合理化してよろしいのではないかというふうに考えます。  ちょっとオーバーいたしまして、申し訳ありませんでした。
  12. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) ありがとうございました。  以上で参考人方々からの意見の聴取は終了いたしました。  これより質疑を行います。  本日は、まず各会派一巡で十分ずつ質疑を行います。その後、午後四時ごろまでを目途に自由質疑を行いたいと存じますが、質疑の時間が限られておりますので、委員の一回の発言は三分程度となるよう御協力をお願いいたします。  参考人方々にお願い申し上げます。御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただくようお願い申し上げます。  また、質疑の時間が限られておりますので、簡潔な御答弁をお願いいたします。  なお、質疑及び御答弁は着席のままで結構です。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  13. ツルネンマルテイ

    ○ツルネンマルテイ君 民主党のツルネンマルテイです。  三名の参考人の発言は、私にとって非常に参考になりました。勉強にもなりました。本当に感謝しています。  私からの質問は、まず森田参考人一つ、そして東田参考人一つ、時間がありましたら、それと似ているような質問を、同じ質問を古川参考人にもしたいと思います。  地方分権について、それに関連して一つの提案というか意見を聞きたいんです。瓦れきの処理の問題、これは、東日本大震災でできた瓦れきの処理を地方自治体に法律によって義務付けるべきという声も最近マスコミではよく出てきます。これを森田参考人がどう思っているか。  その背景をちょっと説明させていただきます。マスコミでも、私たちもよく分かっていることは、最近、政府が地方自治体に瓦れき処理を受け入れるように要請していますが、これは強制的ではない、あくまでもお願いですね。そうすると、なかなかそれにこたえてくれる行政が余り多くないということは事実です。もしこれを法律で定めることできるかということ。しかし、これは地方分権の理念に相反するかどうかということは一つの問題であります。  さっきも話が参考人の方からありましたけれども、この中央政府、小さな政府の中で、かといって国が果たすべき役割は相変わらず非常に大きいんです。例えば外交とか防衛とか通貨とか司法の問題、あるいは、全国的に一致して定めることが望ましい問題は、これは公正取引の確保とか生活保護基準とか労働基準などなどがあります。  そして、次は、私はこれは今の質問にはかかわっているんじゃないかなと思いますけれども、全国的な規模で、若しくは全国的視点に立って行わなければならない施策及び事業の実施が、例えば公的年金とかエネルギーの問題とか宇宙開発とか、などなどがありますから、このようなこと、今の瓦れきの問題はどっちかというと全国的な問題でありますから、これを国の方では法律を定めることを参考人がどう思っているかということ。  続けて、次の質問も出します。  東田参考人には、いわゆる天下りのことに、今もさっきは再就職のところで触れましたけれども、私たちにあらかじめ配付されたこの参考の中では、六十三ページ、六十四ページでは天下り問題には結構細かく書いてあります。その中では、デメリットというのはもちろん今触れませんからこれは皆さんよく分かっているんですけれども、メリットもあるというふうな言い方がしていますね。  例えば、天下りを一定程度認めることの必要性は、そして先生が次のようなことを言っています。第一に憲法で保障された職業選択の自由の確保というのがあった。あるいは、公務員であった者の能力が活用できるという問題もあります。そして、こうした問題は、天下りは全てが悪とか駄目というふうにとらえるべきではないと先生が言っていますね。  私は、さっきも少し答えはありましたけれども、一定程度認めるとしたらどのような条件で認めるべきでしょうかというのが私の質問。  それで、これに対して古川参考人も、やはりこの本の中で、一つのインタビューの中ではこういうふうに書いてあります。これは三ページの下の方にはありますけれども、天下りは根絶してもいいんですが、職員が安心して職に専念できる体制をいかにつくるかという問題が残りますというふうな発言があります。その後は、例えば先進国ではこういう問題は、その退職の問題は余りないということでありますけれども、もしこれを先生は今もそう考えているんなら、どのような体制をつくる必要があるでしょうかということです。  この三つのその順番でお願いします。
  14. 森田朗

    参考人森田朗君) お答えいたします。  瓦れきの処理に関連してですけれども、最終的には法律によってその処理を自治体に義務付けるということが可かどうかという御質問だったと思いますけれども、私は、基本的にはまず要請をすべきだと思いますけれども、やはりそれで問題が解決しない場合には、法律的な処理といいましょうか、法律によってそれを義務付けるということもあり得ると思っております。  理由を申し上げますけれども、地方自治は大変重要な権利でございまして、憲法上も認められておりますけれども、あくまでもあれは日本の国の言わば主権国家としての国の枠内で認められている権限、権利であるというふうに思っておりまして、それをどう解釈するかは法律の解釈の問題になりますけれども、それが全てに優先するという原理ではないということです。当然のことながら、我が国の政府としては、我が国全体がどこに住んでいる方にとっても健康で文化的な生活を保障するような形でその国の形をつくっていくということについての責任もあると思います。  したがって、その両者をどうバランスを取るかということですけれども、やはり今回の場合でいいますと、国がそれだけの役割を果たすということは、そこの被害を受けた被災地の事情を考えた場合にはやむを得ないかなというふうに思っております。  もう一つの理由といいますのは、平時の場合に同じことが言えるかどうかということは必ずしもそうは思いませんけれども、少なくともその災害の後であって、これは国を挙げてそれに対応しなければならない事態であるというふうに思っておりますので、そのときには平時と違う形での対応というものが許されるのではないかと。そのために、国全体を見渡している、国土全体を見渡している国の責任というものもあるのではないかなと思っております。これは、地方自治の考え方、基本的にはある地域についてはその自治を尊重するという地方自治の考え方とは必ずしも抵触するものではないというふうに思っております。  更に一言申し上げますと、今後そういう問題が更に深刻になってくるという可能性もあるわけでございまして、それはやはり福島第一原子力発電所の事故の以前からそうですけれども、例えば最終的な高レベル核廃棄物の処理の問題であるとか、そうしたことについては、これはなかなか自治体間の調整だけでは処理できないというふうな気がしております。  ただ、もう一点申し上げますと、国がある意味でいいますとその辺は法律できちっとやることはやむを得ないと申し上げましたけれども、地方との間での様々な調整仕組みというのについては、これは一段と配慮をし、その仕組みを考えていく必要があると思っております。  以上でございます。
  15. 東田親司

    参考人東田親司君) 私に対するお尋ねは、いわゆる天下りに関して一定の認められる場合というのはどういう場合があるのだろうかという趣旨のお尋ねだったと思います。  現在、あっせんが止められておりますので公務員はほとんどの方が定年までおられるわけですけれども、その結果どういうことになっているかといいますと、例えば私が公務員をやっておりました十数年前まででしたら、上に行くほど徐々に辞めて再就職していきますので、年齢別、階層別の人員構成がピラミッド型になっているわけでございますね。それが、辞めていく人が少なくなりましたので、膨らんだネギ坊主型といいますか、あるいはもっと極端に言えばずんどう型、日本語で言えばそういう形になりまして、言わばスリムな指揮命令系統ができていない。もっとはっきり言えば、専門スタッフ職などをつくることで人件費が逆に多く掛かっている面があるというふうに思います。  私、天下りは全く禁止すべきでないということを言うつもりはありませんで、それはやはり天下りによる弊害というのはありますから、これは禁止するということは分かるんですけれども、今のように全面的に認めないというのは行き過ぎなんではないだろうかと。認めることによって、スリムな指揮命令系統というのが一つ、それから人件費もそんなに掛からないと。  それから、もう一つやはり強調したいのは、公務員の経験を長くやった人間というのは、やはり民間企業に勤務していた人に比べますと、公平性とかあるいは利害対立するものを調整する能力とか、そういう仕事が割と多かったものですから、そういう公平性とか調整能力のようなものを生かすことが国のためにいいことになるんではないか。その証拠に、現在、現職公務員が在職中独立行政法人や公益法人の役員になっていくというのは、これは認められておりますので、その認められている理由は、恐らく公務員のそうした能力が生かせる分野だというふうに考えて独法や公益法人はいいよというふうにしたんだと思うんです。  それから、私のような理論を言っている学者先生は余りいないんですけれども、ちょっと特異な意見かもしれませんが、民間企業に対する再就職は私は原則禁止すると。その代わり、独法や公益法人については原則認めるといいましょうか、先ほどちょっと幾つか条件を言いましたけれども、この人はこういう理由でこの法人に行った方がいいんだということを世の中に明らかにして行ってもらうというようなやり方をしてはどうだろうかという提案をした次第でございます。
  16. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 天下りといいますか、再就職の問題だと思いますので。  一つは、公務員は志を持って公の仕事をしたいということで入っておるわけでございまして、就職するときに将来天下りをしようとか、そんなことを思って入った公務員は一人もいないと思います。ただ、現実に、最近は結婚とかが遅くなっておりますので、五十代、四十代、あるいは四十代の終わり、五十代になってきまして子供がまだ大学に行っている、学校に行っているとか、それから妻子に対する生活の責任もあるというようなときに、年金に結び付くまでまだ時間があるというようなときに一体どうすればいいかと。それは、安心して働ける体制をつくるべきだと。  そのときに私が思うのは、直接営利に関係するようなところはもう全面禁止してもいいんですけれども、そうでないものについては基本的には認めると。その代わり、事後の基準として、事後の基準といいますか、事後にもしも弊害のあるような、一定の基準を設けて、弊害のあるような動きをする人については、これは厳正に処分すると、こういう基本的には信頼するということが必要ではないかと。そうすることによって、公務員は公の仕事をしようと思って入ってきている、志を持っておるわけでございますから、私は、信頼されれば信頼に大きくこたえるんではないか。そうでないと、安心して今仕事ができない、それから公務員になる人もだんだん減ってくる、こういう非常に私は不安な気持ちでおりますので、是非、再就職の問題はきちっとしていただきたい、信頼していただきたい、かように思います。  以上でございます。
  17. ツルネンマルテイ

    ○ツルネンマルテイ君 ありがとうございました。
  18. 北川イッセイ

    北川イッセイ君 自由民主党の北川イッセイでございます。  今日は三人の先生方、大変有意義なすばらしいお話聞かせていただきました。もう本当にありがとうございます。それぞれに大変微妙な難しい問題で、一生懸命先生方のお話聞かせていただいたんですけれども、なかなか分かりにくい点もあると、こういうことでございます。  特に、縦割り行政の弊害、それから省庁の壁をなくすというようなことは、もう随分以前から言われておるわけです。私は、特に省庁に縦の線と横の線があるとすれば、縦の線というのは、これは守りのいろんな行政仕事、これは十分にできると思うんですが、攻めの仕事というか、そういう前向きの仕事というのはなかなか進展しない。  例えば、一つの例を申し上げますと、経済産業省という役所があります。ここは、前向きの仕事をやっていこうとすれば、今現在非常に経済がグローバルになっていますから、当然外務省との関係も出てきます。そして、新しい仕事ということになれば、これは厚生労働省のそういう管轄の福祉の関係仕事、こういうものも出てまいります。また、新しい仕事、新しい産業という意味では環境省の仕事も当然関係してくるというようなことで、これは経済産業省の仕事というのはもう経済産業省だけでけりの付くものじゃないと。  ただ、守りの話はできますよね。でも、その攻めの商売をどういうふうに進めていくのか、日本の経済どう進めていくのかという話になってくると、これはやはり省庁の壁を外してやっていかないとこれはできないと、こういうふうに思っているんですね。  そういう意味で、省庁の壁をなくしてやっていかなければいけない。これはもう今までから言われているわけで、それの調整内閣官房内閣府でやれと、こういうことに今なっておるようなんですが、果たしてそれで十分できているのか、私はもう大変疑問に感じるんですね。これは、そういう内閣府、内閣官房でやれというよりも、むしろ国家戦略として国家戦略スタッフというものがしっかりおって、そこでいろんなそういう戦略を進めていくということが大事じゃないのか。  そういう意味で、今の内閣府ですとか内閣官房ですとか、そういう形で果たして本当にやっていけるのかどうか、そこらの点をちょっと再度お話しいただけたらなというような思いがしております。  それからもう一つは、公務員制度の話なんですが、先ほどもちょっとお話出ていましたが、幹部の一括人事というような話も出ていました。  私はむしろ、前に行政改革推進法が成立したとき、あるいは行政改革推進本部ができたとき、私はもうそのときも思っておったんですが、これは幹部の一括人事というよりも、むしろ公務員の一括採用という方が有効じゃないのか、これは将来、省庁の壁をなくしていく一番の根本になるんじゃないかというような思いがしておりました。  当然、それぞれの公務員を志望される方は、自分は財務関係仕事をしたい、自分は経済産業の仕事をしたい、そういう志を持って入ってこられる、これは当然のことです。ですから、その思いは当然生かしていかなければいけない、こういうふうに思うんですが、しかし、省庁の壁を外して、そして国家のために、国のために尽くすんだと、こういうような基本がやはり必要だというように思いますね。そういう将来のことを考えた場合には、省庁の個別採用よりも、むしろ国家として一括採用でやって、そして将来に備えるということが非常に大事じゃないかなというような、そういう思いがいたしています。  今どなたに質問するかということは申し上げていませんが、それぞれ皆さんお話しいただいていますから、それぞれにまた御答弁いただけたらというように思います。  それから、森田先生、独立行政法人についてお話ありました。これについて、大学、特に大学研究所ですね、こういうところの独立行政法人で、今現在はどういう状況か分かりませんけれども、逆に利益がすごく上がるということが考えられるわけです。これから新しい研究、新しい技術、新しい商品、そういうものがその研究所の中でどんどん生まれていく場合があるわけですよね。これの場合に一体どう処理したらいいのかという、そこの問題ですね。これ、海外の事例があればまたちょっと教えていただけたらなというように思います。  いろんな問題ありますけど、時間がありませんから、それだけひとつそれぞれに御答弁いただけたらと思いますので、よろしくお願いします。
  19. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 北川委員、まず内閣官房内閣府の役割、そして公務員の一括採用についてはそれぞれの方にお答えいただいて、最後の独法については森田参考人にお答えいただくということでよろしいですか。
  20. 北川イッセイ

    北川イッセイ君 はい。
  21. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) じゃ、それではそういうことで御答弁をいただきたいと思います。
  22. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) まず一点目の縦割りの議論でございますけれども、世上よく縦割りの弊害と言われるものには少し誤解もあると思います。各省庁それぞれの設置目的が違うわけですので、それぞれ、例えば社会保障でいえば、厚生省は社会保障を充実させると、しかし財務省はそれはお金が足らないからどうだというふうな、そういうそれぞれの役所の立場での議論があることは私は当然だと思っておりますが、それが幾らか過ぎて弊害だと言われている面もあります。  それからもう一つは、現実に先生おっしゃるような弊害の事態もございます。これに対してどういう対応をするかということの一つでございますが、それは一つ内閣官房のやっぱり調整機能を強化していくというやり方が一つ。それから、私自身、八年七か月の副長官のときにやってまいりましたのは意識の改革ということで、各省庁のこれはという人材をできるだけ内閣官房ないしは内閣府の方に勤務させる。そのことによってオールジャパン的な意識が芽生えるということがあり得るんです。それで、また役所に帰っていく、それぞれの元の役所に帰りますと、やはり少し違った意識になっていく。非常に地道でございますけれども、これはもう縦割りで、それぞれの役職の目的もありますし、志が違う人たちもございますので、私は一挙に解決は難しいと思いますが、調整機能を強めることと、できるだけ人事交流、特に内閣官房内閣府に持ってきて、オールジャパンの意識を、これはという人材を、できるだけそういう人の層を厚くすると、これが一つでございます。  それから、公務員の一括採用ということでございますが、これはどこまで本当に、私は基本的には賛成ではございません。なぜかというと、やっぱり志を持って入ってきている。私は、一言で言いますと、長崎県庁に最初は入って、そして厚生省にもう一回再度挑戦してきたわけでございますが、多分、厚生省でなければ長崎県庁にいたかと思うんでございます。やはりどうしても社会保障行政やりたいということで厚生省に入ってきた。  したがって、そこの辺の思いを、公務員の思いを、一括で採用して、そうすると、本当はどこどこの省に行きたいという人の優秀な人材があるいは公務員に来ないかも分からないという問題もありますので、一括ということは、縦割り云々ということであれば、そういう見地から言われることが多いんですけれども、私は現実には非常にいかがかなという感じをいたします。これは感想でございます。  以上でございます。
  23. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 森田参考人、三点まとめてお答えください。
  24. 森田朗

    参考人森田朗君) 御質問の内容が多いので、なるべく簡潔にお答えしたいと思います。  まず最初に、縦割り行政仕組みでございますけれども、縦割り、お役所の縄張争いその他の縦割りというのは、各国でお役所があるところは全てあると思います。ただし、我が国のような強固な形での縦割りというのはちょっと世界で類を見ないような気がしております。  その一つの理由は、今もお話ありましたけれども、やはり人事システム各省で完結しているということでございまして、なぜそうなっているかということのもう一つの原因といいますのは、日本の場合には、やはり各省法律によって設置をされているということだと思います。多くの諸外国の場合には、内閣が替わって政策が変わるごとに、言うならば一番その政策の実施に適した形での省庁再編ということがかなり行われているような気がいたします、まあ全部とは申しませんけど。  そういう意味でいいますと、例えば幼児教育に関して幼保一元化で今大変な問題になっておりますけれども、そうした問題については新しいお役所をつくって対応するとか、国際化とか高齢化、ITとか、いろいろと各省間で領域をめぐって争ったケースがございますけど、そうした問題についての対応というのは日本ほど先鋭な形で見られるところはないように思います。その意味でいいますと、お役所のつくり方から少し考える必要があるのかなと思います。  それから、人事システムにつきましては、確かに国全体で一括採用、最終的には私は一括採用が望ましいのではないかと思っておりますけれども、現実の問題としては、それがいきなりできるかというと難しいところもあろうかと思います。ただ、現在の仕組みといいますのは、言うなれば入省から墓場までと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんけど、そうした形での人事システムというものが組み立てられている、最近少し変わってきましたけど、そのことが非常に意識、アイデンティティーも含めてお役所の縦割りの構造というものを強化しているのではないかと思います。  したがって、今、古川さんがおっしゃいましたように、それぞれやりたい目的があって入ってきていると。私の教え子でもやはりこれは社会保障行政に一生をささげたいという学生がおります。そういう学生は是非それを所管しているお役所で生涯頑張ってもらいたいと思いますけれども、例えば一括採用をして、数年間各省を回って、その後自分の道を選ぶという方法もあるのではないかと。それがまた新たなお役所の編成の在り方に適した形でそこのエキスパートを育てていくというやり方もあるのではないかなというふうに思っております。  そして、縦割りをどうするかということについては、少し長くなるかと思いますので、ここでは省略させていただきます。  三点目の独立行政法人、特に国立大学法人とか独立行政法人の中でも研究機関の場合、利益を生んだ場合どうなるかということですけれども、これは現在の場合ですと、利益を生んだ場合にはたしか剰余金という形でいいますと国庫に入るということになっていたかと思います。  独立行政法人の仕組みについて申し上げますと、これは、ある意味でいいますと、民間では成り立たないような形、しかし国でやるには適していないものを担当するというお役所ですけれども、少なくともそこで効率化を図り、そこで働いている特に研究者の人たちが、利益といいましょうか、自分たちの収益を上げるような形でのインセンティブを持つような、そうした仕組みというのができますと、もっと研究とかそうした意味でのモラールが高くなるのではないかなというふうに思っております。  以上でございます。
  25. 東田親司

    参考人東田親司君) 私自身、公務員の経験が長かったものですから、その経験に基づいて主に申し上げたいと思いますけれども、まず縦割り縦割りということでマスコミで批判をされるわけですが、実際は、確かにけんかはしょっちゅうするわけですけれども、それは必ずしも自分たちの縄張意識を守りたいというレベルの低い意識で争っているのではなくて、やはり自分は、国家公務員ですけど必ず所属している組織があるわけですので、その組織に忠実ならんとして、その組織に害のあるようなことが起きたらそれは当然困るから文句を言っていく、調整を進めるということでありまして、マスコミでは役人の縄張意識はけしからぬというふうに大体すぐ書かれるわけですけど、決してそういうレベルではないんじゃないかと。ちょっときれい過ぎるかもしれませんが、ある意味で日本人の勤勉性からきている面というのがあるのではないかなというふうに思っております。  それで、そのような、仮に日本人の勤勉性というのがどうして発生するかといいますと、確かに、御指摘のとおり、人事権が各府省にある、内閣とか総理大臣とかにあるわけではなくて個々の大臣人事権を握っているところに原因があるんだというのは、それはそのとおりでありまして、人間でありますから、自分の人事権を握っている人に評価されたいと思って、自分を採用してくれた省庁のために一生懸命尽力するわけですね。したがって、そこをなくして一括採用にする、あるいは内閣採用にするというようなやり方が考えられるじゃないかというのは、論理的にはそのとおりだと思います。  その際考えないとならないのは、個々の法律、特に、実定法で主務大臣というのが大体決まっているわけですね。業務を遂行する過程で、主務大臣法律上の権限を握っておりますので、人事権を仮に内閣が持つということはその大臣人事権が薄まる、あるいはなくなるということを意味しますから、業務の指揮監督権と人事権とがずれた状態が発生するというところが大きな問題になるんだろうと思います。  ですから、今回提案されている公務員制度改革でも、各府省の大臣人事権が全部吸い上げられるというふうにはなっておりませんで、原則は各府省大臣人事権を引き続き持つ、しかし内閣全体の立場から適当でないと思われる人に対しては総理官房長官意見を言うことができるというふうにしているわけですが、そのような調整的な措置に現在した理由は、やはり業務の指揮監督権と人事権を分離することはできないというところを配慮した結果なのではないかなというふうに私は思っております。  以上です。
  26. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 森田参考人、先ほど三点目の質問で海外の事例はという御質問があっておりましたので、簡潔に御答弁いただければと思います。
  27. 森田朗

    参考人森田朗君) 大変失礼いたしました。  海外の事例と申しましても、日本の独立行政法人と同じような形の仕組みがどの程度あるかちょっと私存じておりませんので、申し訳ございませんけれども、適切にお答えしかねます。
  28. 秋野公造

    秋野公造君 公明党の秋野公造です。  今日は古川先生、そして森田先生、東田先生、お忙しいところ本当にありがとうございました。各先生方に一問ずつ御質問を申し上げたいと思います。  まず古川先生には、危機管理監のお話ありました。東日本の大震災におきまして、せっかく内閣官房に準備をされたこの仕組みが生きてこなかったというのは非常に残念な話だったと私も思います。そう考えると、危機管理監内閣広報官も、そして情報官も内閣総務官も本当に表に出てきていたのかといったような問題もあるんじゃないかと私自身は思っておりますが、こんなことが二度とあってはいけないと思います。その意味では、何かやっぱりきっちりとした仕組みをつくっておかなくてはいけないと思います。その意味では、まずどうしてこのような形で危機管理監が動かないような仕組みが起きてしまったのかということ、それを防止するために何らかの仕組みを担保することというのは可能であるか、お考えをまずお聞きしたいと思います。  それから森田先生には、先生の行政サービスを落としてはいけないというお考えに非常に賛成の立場から、独立行政法人、先ほど御質問ありましたけれども、私も非常に国民生活に対しては物すごく重要な役回りを果たしている存在だと思います。大学だけではなくて、例えば医療でありますとか、あるいは住居でありますとか、国民のセーフティーネットを維持している独立行政法人などが効率化を求めるということは当然のことではありますが、そうはいっても、もうけを上げなくてはいけない存在なのか。もうけを上げて、それを目標まで持たされて、そしてサービスを下げるということを私は心配をしますけれども、先生のお考え、独立行政法人はもうけをどんどん上げていくような立場で、それもセーフティーネット、医療や住居といった国民の弱い立場からももうけを上げていくような仕組みで働いていくべきなのかということ、御見解をいただきたいと思います。  それから東田先生には、公務員制度の労働基本権につきましてのお話、もう非常に興味深く伺いました。私は、この東日本の震災もそうですし、あるいは新型インフルエンザなど、国難のときに先頭に表に出てくるというのはやはり公務員方々だと思います。自衛隊の方々の働きなど、そういったことを考えたりしたときに、こんな労働基本権みたいなこういう論議をすることが公務員の文化というもの、そういったものを変えやしないかということをちょっと危惧をしています。先生の長い公務員の経験を生かして、こういったものが公務員の文化というものを変えることについて、御感想でも結構でございます、教えていただけたらと思います。
  29. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 危機管理に関しての管理監についてのお話でございました。  平成八年に危機管理監が設置されたと思うんですが、その危機管理監役割は二つございました。一つ危機の予防ということで、世界でいろんな重大事故、事件が発生する、それを情報を収集して、それを蓄積し、マニュアル化して日本のいざといったときに役立てるような、そういう役割一つと、それから現実に大きな災害が発生したときの言わば現場指揮と、そういうふうな二つの役割があったわけでございます。  第一の役割については、私は、東日本大震災の今回の経験を十分に情報を掌握してこれから生かさないかぬと。マニュアルはあったと思うんですが、十分機能していなかったんじゃないかと思いますので、これはそれを期待する。  それから、現場指揮に関しましては、これは仕組みというよりも、恐らくこれは総理とか官房長官がいかにこの危機管理監を使いこなすかと。また、危機管理監は、全てのノウハウ、自分を中心とする危機管理監の配下がいますから、あるいは各省庁の連携体制が取れていますから、それを挙げて総理官房長官の補佐をする、徹すると、これが必要だったと。私はその後者についてどこまでどうなったかが分からないんですけれども、少なくとも私が思う危機管理監の動きではなかったと。その点は残念だったと。そういうことでございますので、是非今回の経験を生かしていただきたいと、予防と現場処理に生かしていただきたいと、こう思います。
  30. 森田朗

    参考人森田朗君) お答えいたします。  初めに少しお断りしておきますけれども、先ほどの私の意見陳述がやや誤解を招いたのかもしれませんけれども、私自身は何をしてもサービスを維持すべきだと言うつもりではなくて、サービスを維持するためにはそれだけの資源投入が必要ですし、それが難しい場合にはやはりサービスの方を見直さざるを得ないのではないかと。これまでのやり方の行政改革ではなかなかやっていくことが難しいのではないかというのがメッセージでございます。  独立行政法人がもうけてはいけないのかというお話だったと思いますけれども、基本的にこの独立行政法人という仕組みの場合には、もうかるところならば民営化すべきだし、元々成り立たないところであれば国が直接やるべきものという考え方だったと思います。ただ、現実に独立行政法人になっているものにはいろんなものが入っておりますので、そこは必ずしも一律に語ることはできないかなというふうに思っております。  御質問に対してお答えしますと、もうけを出してはいかぬのかと言いますと……    〔秋野公造君「先生、ちょっといいですか。もうけを要求されなくてはいけないのかという意味です」と述ぶ〕
  31. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 秋野さん、指名を受けてから発言してください。
  32. 秋野公造

    秋野公造君 済みません。  ちょっと済みません。独立行政法人はもうけを要求されなくてはいけない存在かという、先生、質問でございます。
  33. 森田朗

    参考人森田朗君) お答えいたします。  もうけといいますのが、明らかに例えば配当を配るような収益を上げるということだとしますと、それは要求されていないと思います。しかしながら、効率化は要求されているわけでございまして、効率化を進めた結果ある程度収益が出るとしたら、それは、一部は留保できますけれども、国の方に返納するという仕組みになっていると思います。その意味でいいますと、非常に経営がしにくいところでございますけれども、逆にそういう仕組みを入れることによって、直接一般会計から支出するよりは効率的な形でのサービスの運営ができるであろうと、そう考えられてつくられた仕組みであるというふうに理解しております。
  34. 東田親司

    参考人東田親司君) 私に対する御質問は、公務員経験者として、労働基本権を今回のように改正した場合に公務員の文化というものが変わるのではないか、その点について感想ということでございますが。  今のお尋ねで一番私思いますのは、現在、例えば一般の事務職の公務員に対しては団体交渉という、正確にはちょっと私分かりませんが、組合と当局とがお話合いをすることは認められておりまして、しかしその結果を労働協約として締結することは認められていないと。それを今回、労働協約締結権まで認めようということなわけですが。  現状において中途半端な状態になっていて何の意味があるのかということを、ちょっと一般の方は分からないと思うんですが、これはかなり意味がありまして、例えば組合側から当局に対しまして、国家公務員ですと転勤が多いので、例えば転勤の内示はできるだけ早くしていただきたい、三週間前には是非とも内示するようにしてほしいというような切実な要望などを当局に訴えるわけですね。そうすると、協約締結はもちろんできませんけれども、ああ、組合の方々はそういうことを要望しているのかということが当局分かりますので、それじゃそれは善処しましょうということで勤務条件の改善が少しずつなされていくというふうに私は体験上言えると思いますので、必ずしも労働協約締結権がなくてもそれなりに当局と労使の話合いは成果のあるものになっているのではないかと思います。  これを更に一歩進めて、労働協約締結権を認めて、言わば給与も全部労使の話合いで決定するんだというふうになるというのは私ちょっと考えられないんですけど、仮にそうなるとすると、私どもは一生懸命、まあ私が仮に組合側だとしますと、一生懸命圧力を掛けてそれじゃ駄目だ、それじゃ駄目だと言って給料を少しでも当局側から有利な数字を引き出そうとするわけですね。  そういうことというのは、まあ経験がないのでちょっと想像の域を出ませんけれども、先ほど古川副長官がおっしゃったように、公務の世界に入ってきた人というのは、給料がいいと思って入ってきたとかそういう人はほとんどいなくて、やはり公のため、みんなのため、世のため人のためになるような仕事をしたいなということで選んできた者が私はほとんどだと思いますので、そういう人間が労使の交渉でぎりぎりと給料を上げろ、給料を上げろというふうにやっていくというのはちょっと私は考えられない。むしろ、現状のような民間の平均値が公務員の給料ですよという方が、私、公務員を選んだ人方の体質に合った措置なんではないだろうかというふうに思います。
  35. 秋野公造

    秋野公造君 ありがとうございました。
  36. 寺田典城

    ○寺田典城君 寺田でございます。よろしくお願いします。  各先生方、どうも大変勉強になりました。  何というんですか、過去二十年のことを振り返って、日本の国というのはピークは一九九〇年だったというような、その当時税収は六十兆円ぐらいありまして、高齢化率が一二%ぐらい。いつも私言うことなんですが、現在、失われた二十年とか何か言われて、高齢化率が二三、四%プラス借金が一千兆円ぐらいになっているということで、税収が四十兆円ぐらいで、今年も、何というんですか、四十四兆円のそれこそ国債を発行しなきゃやっていけなかったと。  私は五十歳まで民間だったですからよく思うんですが、民間は収益によって給料を払いますし、そして納税の義務もあるということなんですね。ところが、公務員というのは、法定の税収によって給料をいただいて事務事業をなさるというか、法定の事務事業をなさっているわけなんですが、いつも思うんですが、お金を使うことについては公務員というのは一生懸命考えるんですが、意外と事業評価には無関心という、結果について無関心だというか。  こういう状況になっているのは、全てが政治というのは結果責任ですから、ここ十年、二十年のいろんな混乱というのは政治責任を負わなきゃならぬと思うんですが、一つは、税収の使い方によって結果を役人の方々はどう見ていらっしゃるか、御三人の方にお聞きしたいと思います。  もう一つは、公務員バッシングしたからといって国豊かになるわけじゃないんですが、やる気をどうやって出させるかということが、今一生懸命それを何としたらいいんだろうと私自身も思ったりしているんですが、なぜ権限を移譲しないのかと。  例えば、先ほどお話ありました一九九五年に地方分権一括法、そして市町村合併特例法で、あれ二〇〇五年だったですか、三千二百から千八百に市町村なったんですが、私、県政の中では、六十九市町村が二十五になりました。その中で市町村に中核市並みの権限移譲をして、知事部局の人間を四千八百人から三千五百人ぐらいまで二十数%削減しているんですよ。人件費も二割ぐらい削減になっておるんですね。  ということは、権限移譲しなけりゃならないから、だったら、道州制にしたら、これだけ肥大化した中央政府のあれが道州制にすればもっとすっきりすると思うんですが、なぜ権限移譲しないのかと、省益だけで走るのかと。これだけの借金があって新しい切り口が必要な時代に、これだけ能力のある公務員がなぜ自分たちのそういうものを権限移譲しないで身を守るのかというのは不思議でしようがないんです。これも政治の主導性のなさだと思うんだけれども、その二点について御三方からお聞きしたいと思います。
  37. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 一つは、税収の使い方をどう考えていたのかということ、あるいは考えているのかということだと思うんですが、率直に申し上げまして、私ども役所に入って、私、昭和三十五年に入ったんですが、本当に社会保障、年金とか医療の充実というか、そういったことで一生懸命で、本当にもう率直に申し上げて、税収がどう使われているかのその結果のことは非常に無関心だったことは事実でございます。  ただ、昭和五十七、八年でしたか、シーリングというのが導入されまして、社会保障でいえば、毎年、年金、医療とか増えていく、しかし一定の枠がある。その中でお金をどう大事に使わなきゃいかぬか、限られた財源をどううまく使うかということでの、やっぱりそのころから税収の使途ということについては私は関心を持ってまいりました。  昨今、特に、もう本当にここ十年ぐらいは、公務員も言わば効率化、計算、コスト、そういったコスト意識を徹底しろということをいろんな機会に話をしておりますし、幾らかはそういうふうな考え方が浸透してきたと思うんですけれども、まだまだ十分ではないと思います。  ただ、意識が三つに分かれたということ、私は、従来は余り考えなかった、しかしシーリングからはかなり考えるようになった、昨今は非常にそういったコスト意識ということが浸透してきつつあると、こういう状況であるということが前段でございます。  それから、権限の問題は、地方になぜ、私は率直に申し上げて道州制大賛成なんです。日本が本当に将来活性化していくためには道州制でなければならないと思っております。  ただ、権限を地方に移譲するかしないかということについて一言申し上げますと、霞が関の行政から見ますと、今千八百市町村がございますが、一番弱い市町村ばかり見えるんです。一番といいますか、弱い市町村が見えますから、権限を移譲したらどうなるんだろうかと、本当に行政力、財政力が十分でない市町村がうまくやれるのかという心配が先に立つと。しかも、日本は、地方の主体といいながら、隣の市町村がAという政策を実現すれば、必ずBという市町村も同じくやれという議論になってくる。そういうふうに考えますと、やっぱり霞が関の方から見ると弱い市町村が見える、それから、権限を移譲しろ移譲しろとおっしゃる方は地方の強い市町村なんですね。そのギャップがあることはここで御理解いただきたいと思います。  私は、道州制に関しては、いずれ時間が掛かると思いますけれども、賛成でございます。また、九州道州制の委員も、委員といいますか顧問といいましょうか、そういう形で務めさせていただいたこともございます。  以上でございます。
  38. 森田朗

    参考人森田朗君) 私自身は公務員といいましても国立大学の教育職でしたので、税収の使い方ということについては直接体験としてお話しすることはありませんけれども、行政学研究している者から見ますと、要するに必要なことといいますのは、それまでは少なくとも使う方をどう考えるかということで、収入を上げる方は別な人の役割分担という、そういう意識が非常に強かったと思います。  しかし、昨今言われておりますし、当然のことといえば当然のことですけれども、やはり収支のバランスという意味での財政規律というもの、これをきっちりと身に付けなければいけないところだと思いますけれども、少なくとも我が国の伝統でいいますと、第二次大戦後ずっと右肩上がりでございましたので、そうした意識が非常に付きにくかったと。それが今、制度のレガシーという形でいろんなところに残っているというのは申し上げておきたいと思います。  二点目の、地方への権限移譲ですけれども、先ほど申し上げましたように、地方分権は進められてまいりました。そして、今、古川さんがおっしゃいましたような形で、必要なところに必要な権限を移す方がうまくいくということはあると思いますけど、そこは非常にバランスを取って考えなければいけないと思います。  何よりも考えなければいけないのは、地方分権という場合には一律に権限を移す、せいぜい幾つかのカテゴリーに分けて考えるわけですけれども、現実に地域社会の状況を見た場合に、人口分布、経済力、これの偏在というのは非常に大きいわけです。それに合わせる形で、それぞれの地域が成り立つような形で権限移譲あるいは事務を移譲するし、先ほど申し上げましたけれども、財源の調整もしなければ、どこかに標準を合わせてそれを一律の基準でやるということになりますと、非常に大きな無理が出てくると思います。特に、最近の農村部における小規模町村になりますと、今朝ほどの新聞でも介護保険料の相当大幅な引上げの話が出てきておりましたけれども、国保にしても介護保険にしてもそうですけれども、財政的に非常に厳しくなってきております。  そこで、私自身は、市町村合併もかなり前から推進をしてまいりましたけれども、あのやり方では必ずしも成功してこなかったかなというふうに思っておりますけれども。やはり住んでいらっしゃる、日本国民である以上、その方に対してのミニマムのサービスというものは保障しなければいけない。どこにいても保障するかどうかというのが今ぎりぎりの選択の状況であるというふうに思っております。  それから、一言申し上げますと、実は私自身は道州制という考え方には必ずしも賛成をしておりません。これは絶対的にいかぬというわけではなくて、例えば北東北三県が一つ組織になるというのはいいかと思いますけれども、関東六県あるいは東京を含めて南関東一都三県が一つになるというときに、この巨大な規模というものが、これに大きな権限を与えたときに、全国的なバランスというものはかなり崩れてしまうのではないかと思います。その意味でいいますと、もう少しきめ細かい制度設計、対応の仕方というものを考えていくべきではないかと思います。  以上です。
  39. 東田親司

    参考人東田親司君) 一点目の税の結果、あるいはコスト意識といいましょうか、そういうことについて公務員はどう考えているのかというお尋ねでございますが、先ほど古川副長官がおっしゃったのと近いと思うんですが、ある仕事が幾らコストが掛かってもやらなければならない仕事というのは当然あるわけですね。そういうものがあることもあって、やはりコスト意識というのは余り考えないで、もっとコストを掛からないやり方で工夫をしていくというところについては努力する余地があったんではないだろうかというふうに思います。幾ら掛かったってしようがないんだ、これは法律でやらないとならないことになっているんだというような意識でコストのことを軽く考える傾向というのは振り返ってみるとあったのかなと思いまして、そこに改善の余地はあると思います。  改善策の一つに、先生が先ほどおっしゃった評価制度というのがありまして、国では政策評価、地方では行政評価というような名前でやっておるのが多いんですが、私、辞めてからこのことに若干携わってみて、これはなるほどうまくいかないなと思ったのは、ある事業をやったときに、それによる成果が良かったら継続すればいいし、成果が出なかったらやめればいいんだというふうにみんな言うわけですが、その成果が出ているかどうかがよく分からないというのがはっきり言えるんですね。  例えば道路がないところに道路を付けたらどうなるかというのはこれ割と成果を計算しやすいんですけれども、多くのものはそういうふうに測定できるものは少なくて、私、私の論文では分離困難性と測定困難性と二面あるんだというふうに言っているんですが、分離困難性というのは何であるかというと、ほかのことの影響とその事業の影響とを分離することができないと。分かりやすい例でいうと、例えばある商店街に補助金を配ってそれの効果があったかどうかというのは、お客さんが来るとか売上げが伸びるとか、そういうことが効果だと思うんですけれども、それは景気の影響その他があって、この補助金による成果がどのくらいだったのかというのは分けて考えることができないわけですね。それを私、分離困難性と一つ呼んでおります。  それから、測定困難性というのは、例えば精神的な価値観を求めるようなふるさとづくりとか、そういうようなものについては何をもってその物差しにして測定すべきかというのがよく分からないというようなこともありまして、政策評価制度というのは、何件やった何件やったということで今十数年たちましたけれども、私は、壁にぶち当たっているのではないだろうか。その分だけいわゆる事業仕分がマスコミ等で評価されているのは、切ることができるからなんですね。政策評価は成果が分からないものだから切ることができないのに対して、事業仕分の方が切ることができるということで皆さん評価しているのではないかと思います。  それに対して私の注文は、ちょっとずれたかもしれませんが、注文は、簡単に言いますと、仕分をする方々をできるだけ市民の代表にしていただきたいと。市民の人の多数決か何かで決めるようなやり方というのがあり得るのかなというふうに思っております。  それから、二点目の権限移譲がなぜできないかということについての私の考えは、私はちょうど第一次地方分権改革のときの事務局長をやっておりまして、国と地方の対立の真ん中にいたわけですけれども、そのときつくづく感じたのは、国側が抵抗する、反対する一番大きな理由は、やはり貧富の差が自治体にあるということが気になったんだと思うんですね。つまり、当時機関委任事務制度があったわけですけれども、機関委任事務制度を仮になくして地方の自主性を高めて現在の自治事務のようなものにすれば、お金の豊かなところは一生懸命やってくれるかもしれないけれども貧しいところはやってくれないという、貧富の差を気にしていた省庁が多かったんではないかと思います。  それから、二つ目の理由は、農水省や環境省などに見られた理由なんですが、地方に渡すとどうしても開発志向になってしまうと。つまり、例えば農地のままで置いておくよりは工場や住宅になった方が地域経済のためにも発展するものですから、地方に渡すとすぐ開発してしまうというような辺りが農水省や環境省が反対した理由として挙げられるんじゃないかなというふうに思います。  私は、結果的にどうかというと、やはり全て地方分権、地方に権限を渡すことが善であるということではなくて、やはり広域性とか統一性と、それから地方の自主性を尊重するということの調和点を見出していくというのが地方分権の進め方なんじゃないだろうかというふうに思っております。
  40. 寺田典城

    ○寺田典城君 どうもありがとうございました。  私は、平成三年市役所採用なので、二十年近く行政に携わってきましたが、はっきり言って県は市町村の自立のためのサポーター、国は都道府県、道州制になればそれのためのサポーターということが私は日本の新しい社会がつくれるんじゃないかなと思っていますんで、各先生方、ひとつそういう方向で、何というか、社会を動かして論理的にひとつ頑張っていただきたいと要望しまして、私の質問を終わります。  どうもありがとうございました。
  41. 山下芳生

    山下芳生君 日本共産党の山下芳生です。  三人の参考人の皆様、ありがとうございました。  せっかく五代の内閣の下で官房長官を務められた古川貞二郎さんがお見えですので、行政改革一般論を聞くのは大変もったいないと感じております。私からは、それぞれの内閣のときに実施した、あるいはしなかった政策がその後国民生活に大きな影響を与えたと思いますので、当時官邸の中でどのような議論がなされていたのか、是非古川参考人に聞かせていただきたいと思っております。  まず第一は、村山内閣のときの政策でありますが、一九九五年の一月に阪神・淡路大震災が発生をいたしました。その後、個人の住宅再建に対する公的支援、いわゆる個人補償を求める被災者の方々からの要求が極めて高まりました。私事ですけれども、当時、私その年の夏の参議院選挙で初めて参議院に当選をさせていただいて、村山首相に九五年の十二月、災害対策特別委員会で、一国の総理が決断すれば個人補償できるではないかと質問を直接させていただきましたが、残念ながら、私有財産制の国では個人の財産は自己責任が原則だという答弁が冷たく返ってまいりまして、これは実現されませんでした。  しかしながら、私有財産制の国というんだったら、アメリカは私有財産制の国ではありますが、その前の年に起こったロサンゼルス大地震で、FEMA、連邦危機管理庁が個人に一万ドル、当時米ドルの小切手を切って、生活再建、住宅再建に充てろということをやったと。私有財産制の国だからできないということはないではないですかという議論もしたんですが、残念ながらそれは実現しませんでした。  当時、官房長官として古川さんが官邸の中でこういう問題についてどのような議論をされていたのか、御記憶があれば御紹介いただければと思います。
  42. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 私の記憶では、私は神戸の市の被災者の方々からも何回か陳情も受けたことがございます。政府としては、何とかしたいという気持ちは強かったんですけれども、やはり私有財産、ほかの補償を受ける、つまりこの阪神・淡路大震災じゃなくていろんな災害があったりする、それとのバランスをどうするかとか、いろんなことで踏み切れなかった。  結果としては、兵庫県でしょうか、兵庫県とか神戸市が中心になって基金をつくって、その基金に国も金を出すという形で落ち着いたんじゃないかと思うんですが、ストレートに金を個人に補償するということは、他の、国はいろんな政策があって、阪神・淡路は本当に気の毒な災害でございましたけれども、似たような、大小を問わず言えば、似たような災害がたくさんあったりする、そのときにしないで、ここだけするという理由がないではないかという議論をしていたような気がいたします。  以上でございます。
  43. 山下芳生

    山下芳生君 兵庫県の基金は確かに造成されたんですが、その基金から支出するやり方でやっても、個人の財産に補填するということは認められないということで、当時は阪神・淡路の被災者の方々は住宅再建には一円も出ないままずっと今日に至っております。それで、結局そうなっちゃったんですが、ですからいまだに二重ローン、三重ローンで阪神の被災者は苦しんでおられまして、結局借金するしかなかったんですね。災害援護貸付金とか、それが返せずに今たくさん焦げ付いているんです。  ただ、その後、鳥取県西部地震が起こったときに当時の知事であった片山善博さんが英断されまして、個人の住宅再建に三百万円、県単独で出す制度をつくりました。なぜなら、個人の住宅再建にこれまでの考えに縛られて支援をしなければ、道路や橋を幾ら補修したとしても、みんな高齢者が中山間地から出ていって、もう後で橋や道路だけ直しても仕方がないじゃないかということで英断されました。  それが大きなインパクトになりまして、その後、能登半島や上越などの被災者の運動とも相まって、阪神・淡路から十三年たって二〇〇七年の秋に被災者生活再建支援法が全会一致で抜本改正されまして、全壊世帯に三百万円、個人の住宅再建に資する、使えるそういう支援金が出ることになったわけであります。  そういうふうになったわけですが、そういうことを振り返って、当時、村山内閣官邸の中でおられたときの判断をどう振り返られるのか。御感想あれば、お聞かせいただきたいと思います。
  44. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 村山総理がああいう社会党からおいでになった方で、しかも非常に率直に申し上げて心優しい方でございました。何とかしたいという気持ちは強かったし、村山総理だけでなくて内閣としては非常に強かったけれども、私どもでも本当に気の毒な方々にお金が差し上げられるのならば、我々率直に言って楽だなと。ここで、災害、被災でいろいろ陳情に来られた方々が本当に悲しそうなお顔をされるたびに心苦しかったということは非常に鮮烈に覚えております。  ただ、あの段階では、なかなかほかの、さっき申し上げたような理由で踏み切れなかったということが率直なことで、本当にあのときに踏み切れたら非常に私どもも楽だったろうなと思います。非常に私はつらい思い出の一つとして記憶いたしております。
  45. 山下芳生

    山下芳生君 ただ、官邸が当時そういう判断をされたんですが、その後、いろんな世の中の進歩、それから世論の高揚で今実現できることになったんですね。ですから、官邸の判断を世の中が、社会が乗り越えて進歩することもあるというのは大変大事な教訓ではないかと思いますが、その点、いかがですか。
  46. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 水俣の問題も、今度は逆なんですが、やっぱり村山内閣より前には補償の問題、援護法の制定の問題もこれはなかなか踏み切れなかった。ところが、村山内閣はそれを自社さ体制の中で踏み切ったわけで、やっぱり時代時代で進展をしていくということは事実でございます。  ただ、それをいかに早く先取りしていくのかということがやっぱり行政あるいは政治課題だというふうに、私は深く反省といいましょうか、心にやっぱりしみております。
  47. 山下芳生

    山下芳生君 次に、橋本内閣のときですが、一九九七年四月、消費税を三%から五%に引き上げられました。当時、私、橋本総理に直接、一九九七年三月の予算委員会で、今そういうことをやっていいんでしょうかということを質問させていただきましたが、強行されたわけであります。  このときに、景気に対する影響、財政に対する影響等、どのような検討がされたのか、もし御記憶があれば紹介いただきたいと思います。
  48. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 非常に定かな感じでは覚えておりませんが、三%を五%に、竹下内閣、私、首席内閣参事官のときに竹下内閣が三%の消費税導入、そのときも私、首席参事官でおりました。  それから、それを三%から五%ということで強い決意で橋本総理やられました。しかし、結果としては、また御指摘のようなアジアの経済危機があったり、巨大債権、不良債権というのが、あれは政府が掌握している以上に深刻な問題が眠っていたというのか、そういう問題とか、あるいはその消費税の引上げだけでなくて健康保険なんかの引上げもあったと思いますが、そういったこと、あれやこれやで、もう日本が見る見るうちに不況のどん底に落ちていったと。その後の選挙で橋本さんは退陣されたわけでございますが、橋本さんが決断され、それを強行、強行といいますか、実現をするというのが日本の財政上からいって必要だということの判断であったと。それは、だから結果としては、アジアの経済危機、不良債権問題、あるいは消費税、あるいは健康保険料の引上げ等々によって不況になったという、非常にこれも大変深刻な問題。  それで、その後に登場した小渕内閣は景気対策が至上の課題として登場してきたと、こういうふうな経緯を私は記憶いたしております。
  49. 山下芳生

    山下芳生君 実は、もう御存じのとおりですけれども、当時の景気状況というのは、バブル崩壊後、上向き始めていたわけですね。それを、消費税増税を中心とする九兆円の負担増で家計消費が非常に冷え込みました。可処分所得の総務省調査によりますと、一九九〇年、五百二十九万円だったのが、九七年には五百九十六万円とかなり伸びてきたわけですね。ところが、それがピークになっちゃって、その後、九兆円負担増でぐっと落ち込んで、これは現在ですけれども、五百四万円。それから減りっぱなしですよね。こんなに長期間デフレが続いている先進国はないと思います。  で、税収も、結局それで減っちゃいました。九六年、九十兆円から、二〇一〇年、七十六兆円ですから、結局、消費税増税したけれども十四兆円税収が減っているということになっておりますので、これも実際に、そのときの判断が実際の経済財政状況によって厳しく検証されていると言わなければならないんじゃないかなというふうに思っております。  時間ですか。
  50. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) はい。そろそろおまとめいただければと思います。
  51. 山下芳生

    山下芳生君 はい。  それでは、あと、小渕内閣、森内閣、小泉内閣と聞きたかったんですが、小泉さんのときに、やっぱり構造改革で、これはもう今の日本の社会に貧困と格差をもう劇的に広げたと。若者の二人に一人が正社員になれずに、結婚できずに少子化に拍車が掛かっていると。年収二百万円以下の方が一千万超えるということになっておりますので。  私、何が言いたかったかといいますと、行政組織の在り方というのも非常に大事かもしれませんが、それ以上に政治の中身、どんな政治がされるのかということが国民生活に非常に大きな多大な影響を与えるんだと、その在り方こそ問われているというふうに感じたので、一言申し上げて、終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。
  52. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) これより自由質疑を行います。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。  行田邦子君。
  53. 行田邦子

    ○行田邦子君 民主党の行田邦子です。よろしくお願いいたします。  今日は、三人の先生方、本当に貴重な御意見をありがとうございました。  三人の先生方からそれぞれ行政評価あるいは政策評価について触れられたかと思います。総務省の位置付けと絡めて、あるいは行政改革そのものの課題として触れられた方もいますけれども、この政策行政評価について、今後この行政府の中でどのような組織が担っていくべきなのか、その点をお聞かせいただきたいのと、それから、さらにその行政内部でしっかりと自律的に行政政策を評価していくための課題があれば教えていただきたいと思います。三人の先生方にお願いいたします。
  54. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 行政評価というのは、私の感じだと、物すごく大事だけれども、現実にはなかなか難しい問題だと思っております。  御案内のように、二〇〇一年でしょうか、政策評価法、評価制度というのができておりまして、それによってそれぞれの自ら行政評価をするような仕掛けになっておりますが、一つは、事柄によって、例えば公共事業みたいなものは割かし数量化できますので行政評価がしやすいんですけれども、行政の多くは、特に中央省庁での行政の多くは定量化しにくい問題があって、その評価ということが、非常に私は、どういう形でそれを数量化するか。単に件数をこれだけ評価したよと、評価の件数で白書か何かで、報告書で、件数で何回やったというのが幾ら上がってきても意味は余りないと思います。だから、いかに定量化ができないものをどうやって評価するか。また、評価をする人がどういう目で見るかというところをもっと工夫しなければならないと。  答えにはなりませんけれども、私は非常に、政策評価制度が導入されたにもかかわらず事柄の難しさは依然として残っていると、こういう理解でございます。
  55. 森田朗

    参考人森田朗君) 私自身、現在、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会の臨時委員を務めておりますけれども、そもそもこの政策評価制度につきましては、いろいろな形の評価があるんですけれども、そこがきちっと識別されないまま我が国の場合は制度化されたというのがそもそも問題点であろうかと思います。  我が国の政策評価が目指しているのは、内容から見ますと、それぞれの省庁が、府省が自分たちのやっている仕事について、政策について見直していく、そして自己改善の情報といいましょうかそのツールにするというのが狙いのようでございますけれども、同時に、その財政的な意味で無駄がないかどうかという評価も入っておりますし、更に申し上げますと、これは海外でやるその評価の方法をそのまま取り入れたといいましょうか、そのように理解されている方もいらっしゃるんですけれども、いわゆる国民の満足度というものを評価の指標にされている方もいらっしゃると思います。その意味でいいますと、いろいろなその評価の目的、手法というものが混然一体として入っているわけでして、過剰な期待の下に評価がなかなか成果を生まないというのは、これは仕方がないといいましょうか、当然のことではないかなと思っております。  特に問題と思いますのは、政策評価という場合には、例えば法制度であるとか大きな政策というものと、その政策法律運用し実施していく行政組織の活動状況と、その公務員仕事ぶりも含めてですけれども、言うならばそういうパフォーマンスの部分と政策の枠組みの部分の評価が今の評価法の下では一体となっていると。したがいまして、何か問題があるときに、そもそもの制度が悪いのか、あるいは制度はいいんですけれどもその実施の仕方が悪いのか、そこのところの区別が付かないというようなところもあろうかと思います。  更に申し上げますと、最終的には、アウトカム指標と言いますけれども、社会的な変化を最終的な評価の対象にすべきだというふうに言われておりますけれども、これは現実には技術的にも相当難しい問題です。例えば、犯罪がゼロのところで警察の活動というのはどう評価するのか。無駄であって、もっと削減していいのかどうか。これは安全保障の場合ですと非常に深刻な問題になります。これをどういうふうに評価していくのか。  また、仮に、消防について申し上げますと、ある年に非常に火災が多かった、それによる生命、財産の喪失が多かったので翌年その消防力を強化した、そしたら減ったというわけですけれども、減った原因というのが、消防力強化によるのか、あるいはその年はたまたま雨が多くて実質的な乾燥がなくて燃えにくかったのか。  そうした因果関係その他も含めて、この評価の仕組みを考える場合には非常に複雑な要素が入ってきております。最初の制度の出発点は良かったんですけれども、先ほどどちらかの先生がおっしゃいましたけれども、これはもう一度見直すべき時期に来ているのではないかと思います。  もう一点申し上げますと、問題は、今の御質問にも関連しますけれども、誰が評価をするかということです。  現在は、先ほど申し上げましたように、それぞれの担当しているところが自己評価をして、その自己評価が適正に行われているかどうかを総務省がチェックをするという仕組みになっております。これではお手盛りではないかというお考えもあろうかと思いますけれども、これはまあそういう仕組みになっているということでございまして。もっと本格的にやるならば、本来の政策評価については、例えば外国に見られますけれども議会においてやるとか、あるいは我が国の場合ですと会計検査院のようなところがやるとか、あるいは行政府の中でも内閣府にそういう仕組みを置くとか、これはその評価の目的趣旨等、その方法によっていろんな選択肢があると思いますけれども。  結論を申し上げますと、何をどのように評価をするかということをもう少し明確にして制度をつくりませんと、みんな期待は大きいんですけれども、効果が必ずしも出ないというふうに思います。  以上でございます。
  56. 東田親司

    参考人東田親司君) お尋ねの件につきまして三点ほど申し上げたいと思うんですが、まず一点目は、政策評価、行政評価のその評価のやり方なんですけれども、概して目的に対する実績の評価というのになりがちであると。これは比較的楽なんですね。幾らやりたいというのに対して、それが届いたか届かないかという評価ですので、比較的楽なものですから、ついそちらに流れがちであると。それだとその政策の必要性に遡った評価ができないという欠点があるわけですね。  そこで考えられているのが費用対便益の評価ということで、一定の便益を出すためにどのくらい費用が掛かって、それが見合っているのか見合っていないのかという評価というのが大事だと思うんですけれども、なかなか目的対実績の評価の方に流れて費用対便益の方に取り組むのがまだかなり弱いというふうに思います。  その弱い原因の一つとして、先ほど私勝手な言葉を使ったんですが、分離困難性とか測定困難性とかあると言って何かちょっと分かりづらかったと思うんですけれども、要するに、ある政策の成果というのをなかなかとらえられないと。道路を造るようなものの成果というのは非常にとらえやすいですけれども、多くのものはこの政策の成果というのをほかの影響から切り離して測定することがなかなかできないという問題点があるものですから、なかなかうまくいっていないと。なかなか政策評価、行政評価で事務事業を取捨選択していくということが難しいものですから。  そこで注目されて、マスコミ等でも評価されているのが事業仕分で、民主党政権になって対応されているわけですが、確かに政策評価の欠点を補うものとして、言わば明確に挙手でどうするか結論を出しますのでこの政策の結論というのが簡単に出るわけなんですけれども、この問題点は、やはり手を挙げる人がどうやって選ばれている人なのかというところに大きな問題点があると思うんですね。  私は、主に地方自治体の現場を見させてもらって思ったことなんですが、やはり税金を払うし、それから行政のサービスのニーズを受ける両面を持っている国民、住民の人方が手を挙げる人方になるべきではないだろうかと。どうやって選ぶかというと多分公募などで選ぶことになると思うんですけれども、そういう人方が仕分人になって、これはもうやめた方がいいとか継続した方がいいとかということを言うのに最もふさわしい人ではないかなというふうに思っております。  それからあと、どのような組織でというお話がありまして、先生御承知のとおり、国では各省がやっているほかに総務省政府全体の立場でやっているわけですけれども、森田先生がおっしゃったように、総務省の立場というのがなかなかちょっと中途半端なところがありまして、やはり私は、これは評価専担組織として総務省がやるんだ、各省が客観的な評価ができていないときには総務省が出ていってやるんだということになっていますけれども、なかなか各省がやっているのが客観的に問題があるということを言いづらい面があると思うんですね。  となると、先ほど私言った、内閣官房内閣府を見直す際に総務省も一体的に見直した方がいいというふうに申し上げましたが、その際に政策評価機能というのも、あるいは現在の総務省ではなくて内閣官房内閣府の方で一格高い立場からやるというのも一つの案かなというふうに思っております。  以上です。
  57. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 他に質疑のある方は挙手をお願いいたします。  足立信也君。
  58. 足立信也

    ○足立信也君 民主党の足立信也です。  三人の参考人方々に、それぞれ一問ずつ質問をしたいと思います。  まず、古川参考人ですが、先ほど秋野議員から危機管理監の話がございました。私自身、この点が相当問題だと思っておりまして、軽く例だけ挙げますが、東日本大震災はもちろんのこと、二年前、ちょっと前に新型インフルエンザのときも、先ほどこの危機管理監の必要性というのは予防とそれから陣頭指揮と二つあるとおっしゃいましたが、このとき内閣に対策本部があり、かつ厚生労働省に対策本部があり、私は当時大臣政務官でしたので陣頭指揮やっておりましたけれども、病気の毒性が比較的低いとなると内閣の本部の存在がもう見えなくなってきた。しかしながら、現場としては厚生労働でずっとこの問題をやっている。しかし、もっと強毒のいわゆるひどい新型インフルエンザのときの対策をそのときから準備しろということで、比較的毒性の弱いものに対処しつつ強いものの準備ということで、ちょっと混乱があったような気が私はしておりまして、そういう面では、今回の大震災と併せて、ちょっと機能していなかったなと思います。それは意見ですが。  お聞きしたいのは、事務次官会議のときにやっぱり私は問題だったと思うのは、行政出身の副長官が司会をしていたということにあると思うんですね。その後、大震災を契機に、連絡会議というものがこれは実際に回していくのに必要だと。そこで、古川さんは、事務次官会議と現在の連絡会議、これの違いと、事務次官会議をつくった方がいいという話でしたが、連絡会議では駄目な理由がもしあるとしたらそこをお聞きしたいと思います。  森田先生には、同時改定含め、中医協での今回の診療報酬改定、大変お疲れさまでございました。私としては、この二回で医療崩壊を食い止めるという長期戦略で二年前から臨んでおりましたので、今回の改定はかなりの部分私はよくできていると思います。  そこでお聞きしたいのは、民主党は熟議の民主主義というのを掲げておりますが、協議会、審議会の在り方についてちょっとお聞きしたいんです。  中医協、森田先生が会長の中医協では、診療側と支払側と公益委員、そしてさらに専門委員と。この形は私は熟議を目指す上では非常にいいと思っているんです。しかし、これからは、診療側、支払側の数よりもやはり公益委員の数が多い方がいいと、そういうふうに思っておりまして、問題は誰がなるかということなんですね。協議会の仕組みとしては私は非常にいいものだと思っておりますので、熟議を尽くす上での審議会あるいは協議会の在り方ということに関して森田先生の御意見があれば伺いたいなと、そのように思います。  それから、東田先生ですが、私も今いろいろな場所で有権者の方々と話をして、実は混乱があるなと思うのは、公務員の再就職と天下りの区別が付いていないということが一番の問題なんですね。  私は実は、国、地方を問わず公務員はこれからは日本の成長のためにも海を渡れと言っているんです。今途上国が非常に必要としているのは、有能な行政ができる、運用ができる人間なんですね。ということを考えると、私は公務員の再就職というのは必要だと思いますし、年金受給世代になるまでの間というものは確保されなきゃいけないと、そのように思っております。ただ、天下りというのは指定ポストに役職に基づいて順番順番にずっと占めていくということが大問題であって、そこら辺の区別が明確には国民の皆さんに付いていないというのが一番の問題なのかなと。  そういう観点で、再就職と天下りについてもう一度整理して御意見を伺いたいと、そのように思います。
  59. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 連絡会議事務次官会議、どう違うのかというお話でございますが、私は連絡会議ということの実態をよく存じ上げませんのでちょっと比較はできませんが、名称は私は連絡会議であっても何でもいいと思うんですけれども、実態でございます。  それで、私は、実態は官房長官が主宰して定期的に行う、各省のトップを集めて行って内閣政治主導を徹底させていくという手段にしたらいいんじゃないかと。ただ、時期はやっぱり、閣議が週に二回ございますので、でき得るならば時期は閣議の前にそういった連絡会議を二回、週二回になるわけですが開いて、官房長官が主宰されれば私はいいのではないかと。  私は必ずしも事務次官会議の名称にこだわっているわけでもございませんし、それから前の事務次官会議も実質的には事務の副長官が司会進行をやっておりましたが、形は官房長官が主宰するという形で時々はおいでになっていたわけでございます。それが忙しいというのでおいでにならなかったんですが、これからは官房長官がおいでになって、そして定期的にやると。名前は私は事務次官会議でなくて全く結構でございます。実質は担保された方がいいのではないか、時期的には閣議の前がいいのではないかというふうに思います。
  60. 森田朗

    参考人森田朗君) 今日は行政改革の方は用意してまいりましたけれども、中医協の方は余り考えてきませんでしたので適切にお答えできるかどうかは分かりませんけれども。  まず、審議会の在り方についてということでございますけれども、私も幾つもの審議会に出させていただいておりますけれども、やはり中医協、中央社会保険医療協議会というのはかなり異例な特殊な審議会であると思います。一つは、構造上、支払側、診療側が交渉し、合意が得られない場合に公益委員が裁定をするという三者構造、労働委員会のような構造になっているということもございますし、もう一つは、制度もあるいは個別的な診療報酬も全てあそこで審議するというのが原則になっているという点でございます。したがいまして、熟議どころか、週三回ぐらい毎回四、五時間という審議が続くということも珍しくないわけでございまして、かなり異例なものであると思います。  あの審議会をどのように考えるかということですけれども、私自身は、これはあくまでも個人的な見解でございますけれども、やはり今の医療の仕組みを考える場合には、基本的な医療制度について検討するところと診療報酬について細かく決めるところとは少し分けた方がいいのではないかなと思っております。  前者の方に関しましては、社会保障審議会の医療部会、医療保険部会があるわけですけれども、やはりもう少し明確に医療政策について検討する場があってもいいのではないかと思います。どうしても中医協の審議ですと時間がなくなってしまうという気がしております。  そうした大きな制度について議論する部分についてはやはり公益委員役割というのが大きいと思いますけれども、この公益委員をどういう形で選任をするか。現在では厚生省の推薦で国会同意人事になっておりますけれども、その人選の仕方については、これは大変難しいところでございまして、どのような形で適任者を選ぶかということについては、ちょっと私自身、今これといったアイデアを持ち合わせておりません。  もう一つは、中医協、診療報酬を決定いたしますけれども、あれは二〇〇七年ですか、の改革以降、いわゆる診療費の総額の改定率につきましてはこれは閣議で決定されることになりまして、その枠の中で中医協が配分するという仕組みになりました。それによりまして、それ以前と比べますと、一号側、いわゆる支払側と診療側の間の役割というのはかなり変わってきたと思います。その辺につきましても、この会議の在り方そして決定の仕方というものについて、もう少しこれから、改革といいましょうか、それを考えていく必要があるのではないかと思っております。  さらに、付け加えますけれども、基本的な医療の方針について検討するという部分ですけれども、これまでは、いわゆる診療報酬を変動させることによって、そこを改定することによって医療提供体制、いわゆる医療の供給を上手にコントロールしてきたかと思いますけれども、絶対的な意味での医師、看護師の不足であるとか、そうした問題に対応するためには、なかなかそうした診療報酬だけではうまく調整ができないのではないかなと思っておりまして、その意味でいいますと、これは中医協を超えた話でございますけれども、一度日本の医療政策について見直す、そういう形での審議会なり会議というものをどこかに置いてきちっと議論するという必要があるのではないかと思っております。  以上でございます。
  61. 東田親司

    参考人東田親司君) 私に対するお尋ねは、再就職と天下りとは少し違うのではないか、少し整理して意見をもう一度言うようにというお尋ねだったと思います。  私は、先生おっしゃるとおりでありまして、国民皆さんの方、特に今新聞報道が一番端的に表れているんですが、公務員が再就職することが全て天下りであってけしからぬことであるというふうなとらえ方をしている向きが多いと思います。やはりけしからぬのは、例えば許認可権とか、あるいは予算などの力を使って、民間の人が欲しくもないのに押し付けていく、こういう人がそろそろ卒業するから引き取ってくださいというようなやり方で押し付ける、それはやはりけしからぬということで当然やめるべきだ、禁止すべきだというふうに思います。  しかし、全ての公務員が一切再就職できない状態になるというのは、これまた大変な副作用が伴っておりまして、私はその副作用は大きく分けて三つあるのかなと思います。一つは、定年までみんなおられますので、適当なスタッフ、専門職などをつくったりしまして、人件費がかさばる状態になっているということが一つ。それから、公務員でせっかくいい経験をした人の能力が生かされないという問題が二つ目。三つ目が、今特に新聞で言われているように、辞めていかないものですから若い人を採ることができない、若年者の雇用に大きな影響を与えているというのは大きな点だろうと思います。  したがって、どうするかということなんですが、私は先ほど、民間は原則禁止して、独法や公益法人などについては理由を開示して明らかにするというようなことを言いましたけれども、そういう解決策が果たして本当にいいのかどうか、皆さんに是非議論していただきたいなと思いますが、今のように、一切出ていったら駄目ですよ、定年までここにいるんですよというとこういう副作用があるということを是非国民に理解していただいて、その上で総合勘案した解決策というのをみんなで考えていかないとならないのではないかなというふうに思っております。  以上です。
  62. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 質疑のある方は挙手をお願いいたします。  中山恭子君。
  63. 中山恭子

    ○中山恭子君 中山でございます。今日は貴重なお話を、また古川参考人には以前から御指導いただいておりまして、ありがとうございます。  古川参考人のお話の中で内閣官房強化するようにという、縦割り防止の役割にもなるかと思いますが、今特に幅広い、政府全体で取り組まなければいけないという問題が非常に多くなっておりますので、これは過去の問題だったかもしれませんが、今も内閣官房強化してそこで一つテーマを各省庁合わせた形で進めていくという形は非常に重要だと思っております。  今の縦割りがいけないから省庁を分解するというよりは、それぞれの専門分野を持つところとそれを合わせた形の仕事をする場というものが必要ではないかと思っておりますので、今の段階でこの内閣官房強化というものをどのようにお考えか、教えていただけたらと思います。  私自身、拉致対策本部を官房の中につくりまして、これは、北朝鮮による拉致問題というものは一つ省庁ではとても解決できる問題ではございませんで、国を挙げてかかわらなければ前進できないというテーマでございまして、全省庁が入る対策本部で動かしておりました。現在は、対策本部は総理、外務大臣官房長官、拉致担当大臣の四人でございますので、政府、国を挙げて北朝鮮と対応するという形が取られていないと思っておりまして、この辺り、内閣官房重要性というものをもう少し理解できるような形で進められたらなと思っております。もちろん、内閣情報体制、これも日本では戦後、組織も壊され、したがって人材も育っていないという状況でございますので、国際的な情報組織というものを至急つくっていかなければいけないと思っておりますが、この点についてどのようにお考えかと思っております。  それから、森田参考人には本当に貴重なお話たくさんいただきましたが、政府とそれから国家公務員組織というものは、政府は政党の国会議員方々が主導していきますけれども、国家公務員はあくまでも中立であるべきだと考えております。  私自身、大蔵省、旧大蔵省に勤めておりましたが、そのときにも政権与党である自民党のために仕事をしているというようなことは考えたこともありませんで、日本の国のために少しでも役に立てるのであればということで必死で頑張る。そうでなければ、徹夜を続けて事務処理をしていくなどということは、ある政党のために行うということは多分誰もできないだろうと思っておりまして、国家公務員は中立であって、現政権が動きやすいためのいろいろな資料や考え方、政策を打ち出して、もちろん執行機関は別でございます、そういう役割があるのではないかと思っております。  アメリカの場合にはポリティカルアポインティーですので少し違うと思いますし、それからフランスの場合にはまたフランスの行政組織という違う組織がございますが、私自身は、日本には日本的な文化の中で日本らしい行政組織というものをいいものはどんどん取り入れてつくっていかなければいけない、今その時期であろうと考えておりますので、その意味で御指導いただけたら有り難いと思っております。  また、東田参考人には、まさにおっしゃるとおりと思われることがたくさんございました。  例えば、天下りではなくて再就職については、今なますを吹くような形で、紹介すらできないというような状況になっておりますが、昔の経験で、航空交渉、アメリカとの中で、相手のアメリカの代表が非常に、私自身会議に出ていたわけではありませんが、非常に強い主張をして、アメリカの考えている航空のポイントをもう譲らないまま、いろんな形の上でそれをのむという状況になったときがございました。ところが、この航空協定の結ばれた後、その代表がアメリカに戻って一週間か十日でそのポストを辞めまして、アメリカの航空会社の社長として移っていきました。アメリカの場合には非常にそういうところがはっきりしておりまして、ポリティカルアポインティーというものの良さとそれから弊害というものがあると見ております。  今の日本の場合にも、その紹介すらできないとなると、国家公務員は自分で、国家公務員仕事をしながら、将来自分が就職できる先はどこかといったようなことに気を遣って仕事をしていくということも出てくる可能性が十分あると思っておりまして、そういった意味で、余りにも極端な、天下りの弊害は全て、わたりとかそんなものは全てなくすにしても、国家公務員であるということで再就職してはならないといった形のちょっと極端な考え方というのは払拭しておかないといけないのかな。  これから先、デフレ対策をしたり災害復興をするときには、やはりこの官僚組織というものをもっともっと活発に動かさないといけないと思っておりまして、私自身も、減給措置、あれは懲戒処分に当たるし、又は特定のグループに所得税を課すという意味と同じ効果になりますので、ああいった形は取ってはいけないだろうというように、災害のためという理由がありましても、もっとまともな形で動いていかないといけないだろうと考えておりまして、交渉権を与えるからというようなやり方というのは政府として取ってはならないと思っておりますが、その辺りについて、東田参考人、もう一度御意見を伺いたいと思っております。  ありがとうございます。
  64. 古川貞二郎

    参考人古川貞二郎君) 中山委員は、もう従来から本当に拉致問題を中心として大変御苦労なさっておりますし、今なお御苦労なさっております。大変敬意を表したいと思います。  そういう意味で、今日はもう非常に社会の複雑多様化、あるいは国際性、国際化、あるいは迅速に解決しなきゃいかぬ、そういったことを考えますと、一般論として申し上げると、内閣官房強化するということはもう本当にこれは至上の課題、もう緊急にやらなきゃいかぬ課題でございます。  そこで、その強化のやり方でございますけれども、先ほど申し上げたように、内閣官房を余りたくさんいろんな人を入れたりしますと、守秘の問題、機動性の問題に問題がありますので、内閣官房は私は総理官房長官を中心にした精鋭主義、少数精鋭主義でやりまして、もう一つ内閣府の、知恵の場としての内閣府の活用と、それから各省庁総理官房長官の主導性で使うという体制がいいと思います。特に内閣府というのは、御案内のように、内閣府の長は内閣総理大臣でございます。つまり、内閣総理大臣内閣全体の長とそれから内閣府としての長という二つの役割を持っておられます。そして、官房長官は、その内閣府の長である総理大臣を助けて官房長官という役割でございますので、なぜ内閣府を総理大臣が兼ねているかということを考えますと、やはり内閣府も知恵の場として直下でそれを活用するということ。  ところが、それが、内閣府の現状は多様性なんかで非常に複雑になっておりまして、十分活用されてない。私は、内閣官房少数精鋭であって、そしてもっと内閣府を活用する、そのためには総理大臣官房長官のより一層のリーダーシップが必要ではないかと。注文を付けているわけではありませんが、望ましいと、こういうふうに思います。  それから、拉致問題、北朝鮮問題についても、これは余りたくさん、各省庁が協力しなきゃ、これはもう本当に国を挙げてやらなきゃいかぬ問題であることは事実でございますが、やっぱり機密性とか守秘性とかいろんな問題もございますので、やはり中核、コアの部分は少数精鋭、少数でございまして、そして官房長官あるいは総理大臣の主導性で各省庁をこの問題全部挙げて対応するというふうな体制がよろしいかと思います。会議をやるときに全部集まってきてということになると、かえって非常に困難が出てくるんじゃないかと。だから、コアは少数で、そして事柄によって総理大臣の主導性を発揮して、各省庁に、言わば国を挙げてという感じに持っていくというのがよろしいのではないかというふうに思います。  以上でございます。
  65. 森田朗

    参考人森田朗君) 公務員の中立性ということに関する御質問だったと思いますけれども、これ大変難しい問題だと思います。  辞書などを引きますと、中立というのは、AとBが戦争をしているときにどちらにも付かないこととか、両方が対立している、どちらの味方もしないことと。そういう意味でいいますと相対的なポジションを意味しているわけですけれども、我が国の公務員の中立性という場合には必ずしもそうした相対的なポジションではなくて、憲法十五条で言うところの全体の奉仕者の全体といいましょうか、国益、公共の利益を代表するのが中立だと、そういう解釈がなされてきたと思っております。これは、ある意味でいいますと絶対的なポジションであり、実体のある意味での中立だということになるかと思いますけれども。  そうした意味での中立のとらえ方の問題といいますのは、一方では、行政府の上に立つところの内閣といいますのは、これは議会における多数派が構成するということになりますと全体の利益ではなくて部分的な利益の代表ではないかと、理屈を言えばそういうことになるわけでございます。その場合に、その両者が一致すればいいわけですし、内閣指示に従って行政が動くのが中立的だということになるわけですけれども、一番深刻なといいますか、クリティカルな問題といいますのは、明らかにその内閣指示行政が考える全体の利益に反するような場合に、これはどのような形で行政官が振る舞うべきかと。これはイギリスにおいてもアメリカにおいてもそうですし、いろいろな国においても、行政政治関係あるいは官僚政治家関係の一番根源的な問題として私の専攻としております行政学では課題として挙げております。  ただ、これにつきましては、正解は必ずしもありません。先ほどお話がございましたように、アメリカとかフランスの場合には比較的政治の優位というものが制度的に認められているということがあると思いますので、少なくともその政治家指示に対しては従うことが公務員としての義務を果たすことになると。我が国でも建前としてはそうなっていますけれども、実質的な意味での全体の利益、国益、中立的な立場というものをやはりどういう形で体現していくのか。これはそういうものがあるかどうかというのも問題ですけれども、仮にあったとしても、今度は次の問題として、なぜ公務員がそれを政治に対して主張できるのかと。これはまさに公務員のその発言するポジションといいますかポスト、その立場の正統性の問題になってくるかと思います。  申し上げておりますのは大学の授業のような説明だけでありまして、どうすればどうということはございませんけれども、この問題は根源的な問題でありまして、どういう形でそれぞれの政党、政治家の方、内閣行政のあれがお付き合いするか、関係を持つかということで、非常に難しいところです。  ちなみに、イギリスの場合には、いろいろなことが言われておりますけれども、一つの、イギリスの場合は、歴史的なといいましょうか経験的な解決がなされているというのは、やはり頻繁な政権交代が起こった結果、おのずから落ち着く場所というものが見えてきているかなという気がいたします。  御質問に対する回答になったかどうか分かりませんけれども、お許しいただければと思います。以上でございます。
  66. 東田親司

    参考人東田親司君) 私に対するお尋ねは、言わば天下り問題についてのその解決策についてもう少し詰めた意見を聞きたいという御趣旨だろうと思います。  委員がおっしゃっていましたように、現在の状態があつものに懲りてなますを吹くというような状態になっているというのは、私もまさにそういう状態なんではないか、言わば少し行き過ぎた面があるんではないかというふうに思っております。天下りの弊害は、先ほど来申し上げておりますけれども、許認可権を使ったり、予算を使ったりして押し込んでいくという、そういうことはもうやめるべきだし、あるいは高い退職金を取って歩くような、そんなことも禁止しないとならないと思いますけれども、全ての公務員にあっせんは一切駄目だというのは行き過ぎなんだろうというふうに思います。  どこを緩めるかというところがポイントになるわけですが、私は先ほど来の案を考えた理由は二つありまして、一つは、独法や公益法人の役職員に出向するのが現職公務員には認められているわけですね。現在の政権で認められていまして、本来、独法の役員等は公募しなければならないことになっているわけですけれども、現職公務員が出向する場合にはそれはしなくてよろしいということになっておりまして、なぜそれが許されているのかといえば、六十までいろんなポストを渡り歩かないとならないのでポストを残したいというのが本音なんだろうと思うんですけれども、やはり公務員がその能力を活用するにふさわしい場として独法や公益法人というのがあるから、ここだったらいいよというふうにしているんだろうと思うんですね。ですから、現職公務員に認めているのであれば、辞めた後行く先のポストとして認めてもいいのではないかというのが一つの理由であります。  それから、もう一つの理由は、国家公務員法が改正される前、人事院が天下りの許認可権を持っていたわけですが、あのときの対象はあくまで営利企業でありまして、辞める前五年間関係のあった営利企業に退職してから行くのは、二年間は人事院の許可がないと行けませんという仕組みだったわけですね。あの国家公務員法の考え方は、やはり営利企業に公務員が行くのを認めると、癒着が起きて民間を公平に扱うことができなくなるんではないかという考えであの法律ができていたと思いますので、そのことも私考えますと、民間はやはり原則禁止とした方がいいのかなと。しかし、準公務部門のような独法等については、この際、解決策として考えるべきではないだろうかという意見でございます。
  67. 中山恭子

    ○中山恭子君 ありがとうございました。  一点だけ、その中立といった場合に、例えば日本の場合、今の政権の場合には、官僚組織が党の事務局のような形になってしまっている。政府の存在というよりは党の事務局で、党が官僚組織を使っているという可能性もありまして、日本でそういった事柄というのは許されるのだろうかというちょっと疑問を持っておりますので、もう一点だけ、済みません、ありがとうございます。
  68. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) それは答弁は求めないということでよろしいでしょうか。どなたかに御答弁を求められていらっしゃるわけですか。
  69. 中山恭子

    ○中山恭子君 はい、もしできれば。
  70. 福岡資麿

  71. 森田朗

    参考人森田朗君) 御指摘はそのとおりだと思います。日本の場合どう考えるかと、非常に難しいところだと思いますけれども、例えばフランスの場合ですと、言わば高級官僚の集団がグラン・コールのようなものをつくっていて、それぞれがある意味で党派性を帯びていると。それが今おっしゃったように、党の事務局かどうかは知りませんけれども、政権に就いたときに支えるスタッフとして入っていく、残りの人たちはある意味でいいますと待機をして英気を養うと、そういう仕組みというのもあり得るのかなというふうに思っております。アメリカのようにもう完全にポリティカルアポインティーで自由になりますと、これは本当の国益というのは、日本の観点から見ますとどうなるのかなと心配になりますけれども。  それぞれの国によっていろいろバランスがあると思いますけれども、取り方があると思いますけど、日本の中立性という概念についてはもう少し実質的な意味というものを考えながらこれからの制度を考えていった方がいいかなというふうに思っております。  以上でございます。
  72. 福岡資麿

    委員長福岡資麿君) 他に質疑のある方はいらっしゃいませんでしょうか。  他に御発言もないようですので、本日の質疑はこの程度にとどめます。  この際、参考人方々一言御礼申し上げます。  本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後三時五十六分散会