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佐藤公治君 今かなり長く
お話ししていただきました。丁寧な御
説明だったと思いますけれども、玄葉
外務大臣が
お話しされたことは、まさに時間とともに
世界情勢、環境が変わってきたということ、
森本大臣は、そういったことも踏まえて、どう今後あるべきかという話だと思います。
私が言いたいことは、戦後、
日本が、じゃそういった社会状況の
変化において、どういう
政府として、また立法府として対応してきたのか、その対応の仕方がうまくなかったがために問題が起きているということをもっと我々は真剣に
考えるべきところであり、それが玄葉
外務大臣のおっしゃるまさに岐路と言われる、この国の今後の
外交の大きな転換期というふうに思える
部分というのがあると思います。
私、この件に関して、いろいろと御
協力もいただいて、昭和二十七年ぐらいからの国会の
議論も大分読ませていただきました。その中において、例えばこれ、今
説明がなくちょっとそこの
部分だけを少し読ませていただき、
委員の皆さん方々もどう感じるかということですね。
政府答弁の中で、侵略とは、相当の
地域、しかも竹島のような無人島ではなく、都市や工場のあるところである侵略に対しては
安全保障条約なり相互援助
条約なりの適用の問題が発生するが、竹島等においてたとえ不幸にして撃ち合いが起こっても、直ちにこれをもって侵略であるとして
条約の援用をするという段階にまでは相当の距離がある。これ、実は昭和二十八年の
政府答弁だったりするわけです。
つまり、この段階では距離があったとしても、先ほども
お話しされたように、時間の経緯、経過の中でいろんな状況、環境が
変化をしているのが事実でございます。
吉田総理は、たとえ自衛のためでも戦力を持つことは再軍備であり、
憲法改正を必要とすると述べたが、当時の警察予備隊は戦力には当たらないとの
説明がされ、当時の自衛権の解釈は現在の解釈とは異なったものになっているんではないか。
こんなこともあったり、これはやり取りの中で、重光
外務大臣は、日韓関係はどうしても
一つの正常な関係又は友好な関係を樹立したいと思っていると、竹島問題の処理は、譲るわけにはいかないが、そこに全体の空気を改善して、日韓関係の友好化の道がもし開かれるとするならば、この問題も将来解決する道が付くのではないか、しばらく
議論はこの問題に集中しない方がいいと
考えていると。
こんな答弁をもしも今したらば、大変な多分、野党からの集中砲火、弱腰姿勢ということがある。戦後、
日本における状況、敗戦国という立場、またいろんな環境、状況、
自衛隊というようなものがなかった時代、こういった国会での
議論があり、こういう流れの中で来ている。まさに転換期というものが今までもあったにもかかわらず、それは私は、自民党
政権でもあり、また
政権も交代をした、もうこれは立法府としてどうやはりここの
部分を
考えていくのか。
僕は、このとき
大臣が、自分の責任の下、これは棚上げをすると、責任を持ってやるべきだということを責任を持って言っているわけです。でも、何かいつのときから、まさにこの答弁というのは
政府委員がもう一方的にするようになって、政治家がきちっと責任を持った発言というのがだんだんなくなってきちゃうんですね、ある時期から。こういったことも
考え直す必要があるんではないかという
問題意識でもございます。
これで、私はこの
部分、二十七年からずっと読んでいくと、まさに、これは
質問通告もしていませんから私の方からもう
お話しさせていただきますと、じゃ、この竹島に関しては、特に
森本大臣、
日米安全保障の第五条、これの発動に当たるかどうか、
政府はどう答えておられるか御存じでいらっしゃいますか。──いいんです、当たらないんです。当たらないんです。それはなぜかといったら、
施政下ということですよね。これはもうお二人はよく御存じなんです。
でも、ここで
議論していくと、又はここを突き詰めていくと、
施政下って何かということなんですよ。お答えになれますか。──もうそれ以上は、
質問通告していないからもういいです。これが、
施政下というのをずっと調べていくと、まさに
外務省が昭和三十五年に出している
日米相互
協力及び
安全保障の解説というのを見ると、どういうふうに書いてあるかといったら、
日本国の
施政下にある
領域とは、そのとき現在の
施政下にある
領域のことであり、したがって、現在、
日本の
施政下にない北方諸島や南方諸島は現在はこれに含まれない、しかし、これらの
領域は
日本の
施政下に復帰したら、当然、本条の枠内に入ってくることになる、この
程度しかないんですよ。つまり、
施政下ということで発動は、
施政下にないから発動はしない。でも、突き詰めていくと、
施政下とは何かということになると非常に曖昧なものになっているというのが現状です。
これ、英語で言うとどういうふうに言うかというと、英語のできる方々がたくさんいらっしゃると思いますけれども、もう御存じの方もいらっしゃると思いますけれども、アンダー・ザ・アドミニストレーションということになっているんですね、ということがある。つまり、私は、この
施政下ということを、みんな普通ここを飛び交っていますけれども、じゃ何かといったときに、これ突き詰めていくとまた、まさにそこにおいては、立法、行政、司法の三権、こういうことが行使できるというふうなことになっている。こういう
部分をきちっと明確にすることがこういった
議論において大事であり、我々立法府においてもきちっと認識をして
議論を深めていくことが大事だということです。
私はこの
言葉で言うと、じゃ侵略という
言葉、この侵略というのはどういうことなのか。竹島は侵略に当たるのかどうか。先ほども、二十八年の議事録にもありましたけれども、じゃどうですか、侵略と言えるんですか。これはもう
質問通告していませんから、私も今はもうそれ以上のことはお聞きしません。非常に
外交的に大事な今こういう内容の話になりますので、私から一方的に定義させていただきたいかと思います。
それで、侵略という
言葉だけじゃなくて、これはまさに、それが
施政下とか侵略とか主権といったことも皆さん一方的にいろいろと
議論が、
言葉を使いますけれども、ここの前提というのをどういうふうにとらえるのか、こういったこともきちっと必要なことなんだというふうに思います。本当は、竹島に関しては、これは侵略と見れるのかどうか。まさに、
施政下においての三つの
要素、これからしたら、じゃ竹島でもしも
日本人が殺されるようなことがあった場合はどうするのか。突き詰めて
考えていくと、どういう状況になっていくのかというのが非常に頭の中の体操をしていくと複雑になってしまう。
結局何が言いたいのかというと、やはり皆さん、我々立法府として、今まで形骸化したものがずっと続いてきちゃったことが実は、玄葉
大臣はある
意味議員の一人でもございます、これが続いてきてしまったことが、こういう形骸化した形で先送りにしてくる、官僚に丸投げしてしまう、そういったことをそもそも論も
考えずに、
議論もせずにやっていることが、時間が経過しちゃったことが立法府の我々の責任でもあり、これは私の責任でもあると思っております。
そういう
意味で、そこのところを是非ともこれから、私たち立法府もさることながら、行
政府もいろいろときちっと明確なところを線引きをし、そして、曖昧な
言葉の解釈論ではなく、誰が読んでもこれは同じ解釈になる、それを行使するかどうか、しない、こういった政治であるべきだと私は思っております。
その
意味で、改正するべきところは、たくさん直すところがある。でも、そういったことに手を着けていくというのが、玄葉
大臣、
政権交代だったはずなのに、なぜか日々の忙しさに追われてそういったことを忘れてしまっている。そういったこともあって、我々は民主党から出てしまったのかもしれません。ですから、是非そこをもう一回、我々みんな議員として
考えていくことが大事でございます。
以上で
質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。