運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

2012-03-26 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十四年三月二十六日(月曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  三月二十三日     辞任         補欠選任      徳永 久志君     大野 元裕君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         岸  信夫君     理 事                 相原久美子君                 外山  斎君                 猪口 邦子君                 義家 弘介君     委 員                 石橋 通宏君                 大野 元裕君                 郡司  彰君                 今野  東君                 田城  郁君                 徳永 エリ君                 島尻安伊子君                 長谷川 岳君                 橋本 聖子君                 木庭健太郎君                 江口 克彦君                 紙  智子君                 山内 徳信君    事務局側        第一特別調査室        長        宇佐美正行君    参考人        慶應義塾大学商        学部教授     中条  潮君        株式会社カルテ        ィベイト代表取        締役社長     比嘉 梨香君        北谷町長     野国 昌春君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○沖縄振興特別措置法の一部を改正する法律案(  内閣提出衆議院送付) ○沖縄県における駐留軍用地返還に伴う特別措  置に関する法律の一部を改正する法律案内閣  提出衆議院送付)     ─────────────
  2. 岸信夫

    委員長岸信夫君) ただいまから沖縄及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る二十三日、徳永久志君が委員を辞任され、その補欠として大野元裕君が選任されました。     ─────────────
  3. 岸信夫

    委員長岸信夫君) 沖縄振興特別措置法の一部を改正する法律案及び沖縄県における駐留軍用地返還に伴う特別措置に関する法律の一部を改正する法律案の両案を一括して議題といたします。  本日は、両案審査のため、参考人として慶應義塾大学商学部教授中条潮君、株式会社カルティベイト代表取締役社長比嘉梨香君及び北谷長野国昌春君に御出席いただいております。  この際、参考人方々に本委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、誠にありがとうございます。  参考人皆様からの忌憚のない御意見を賜り、今後の本委員会参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、まず、参考人方々からそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、午後三時までをめどに委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  また、御発言の際は、挙手していただき、その都度、委員長許可を得ることになっておりますので、御承知おきください。  なお、参考人及び質疑者発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず中条参考人からお願いいたします。中条参考人
  4. 中条潮

    参考人中条潮君) 慶應義塾大学中条と申します。よろしくお願いいたします。  座らせていただいてお話をさせていただきます。  私、実はウインドサーファーでありまして、年に何回か沖縄の海にお世話になりまして、したがいまして、こんな色の髪の毛になっておりますけれども、沖縄のことについて話をさせていただく、意見を言わせていただく、大変光栄に存じております。(資料映写)  今日は琉球特空構想というタイトルを付けましたが、どういうことであるかというと、まず申し上げたいことは、沖縄潜在力はとても大きいですよということをもう一度考え直してみようという点です。  沖縄県の人口、約百四十万人あります。それから、那覇都市圏が約八十万人あります。少ないように見えますけれども、アイスランドという国の人口は二十九万人です。ルクセンブルクの人口は四十五万人です。これですごく立派な独立国です。アイスランドは、あの非常に自然条件の悪い、沖縄なんかよりもっと自然条件の悪い火山しかないような島で、世界で一人当たり国民所得が十番以内に入っています。であるならば、なぜ人口百四十万人いる沖縄独立できないんでしょうかというのが私の一番言いたいことです。  今日申し上げたいのは、一つ琉球王国独立二つ目空港民営化による沖縄石垣宮古活性化、これを独立につなげていく。といいましても、アンケート調査等々で見ても、本当に沖縄独立したいと考えておられる方はごく一部しかおられない。もちろん、政治的にまともに独立ということを申し上げているわけではなく、これは琉球王国沖縄全県全産業特区にする、そのときのブランド名として独立王国琉球王国、これを是非考えていただきたい。琉球王国という歴史的独立体ですね。この万国津梁のイメージ、これを最大限に活用して、そして独立の気概、自立マインドを醸成していただく。  もちろん、県知事さんはおられていいわけですけれども、琉球王国はなるべくなら女王様を頂いて観光振興するだとか、そういった、ともかく人、物、それからお金、これについてのオープン化を全県で行う。沖縄全県について行う。そして、これを日本先駆けて行って、変化を先取りした競争対応制度改革に挑戦をしていただきたい。これをやることによって日本ではできないことをやる。日本では認められていないことを琉球でやるというのが私が一番申し上げたいことです。  まずは、その中で、今日余りたくさんのことを申し上げても時間がありませんので、空の独立航空特区構想、このお話をしたいと思います。  日本ではできないことをやる。何をやるか。空港にカジノを設置する。あるいは時差を設ける。あるいは自由物流基地化をする。それから、オープンスカイを先取りする。世界の国と多国間の自由化航空協定を結んで、どんどん沖縄に入ってこれるようにする。そして、独立すれば国内線国際線になります。日本国内線は外国の航空会社は飛んでいけない、そういう形になっています。しかし、独立国になれば東京と那覇の間の国内線国際線になります。そこにどんどん新しい運賃の安い航空会社が入ってくるということは可能になります。  さらに、今日もう一つお話をすることがあります。空港民営化、これを本土に先駆けて実施する。二十年間遅れてきた日本空港民営化政策ですが、ようやく国交省もこれを真面目に考え始めました。これを一番最初にやるということが大事なわけです。既に仙台は復興のために民営化を考えているようでありますけれども、一番最初民営化をやるということが、これがその先駆けとなることが沖縄振興のためには私は大事だと考えています。  二つ目の話題が、この空港民営化活性化の核にしましょうということですね。空港を整備してもらえば地域発展します、そんな考え方ではもうこれからの世の中はやっていけません。地域自立的発展航空需要を生み出すんだということです。多くの人たちが間違って考えているのは、社会資本を整備すれば地域開発が行われる、そういう考え方です。しかし、この考え方はこれまでずっと失敗してきました、どこの地域でも。そうではなくて、経済自立させれば結果的にお客さんは付いてくる。そのためにまず空港ビジネス発展地域経済独立先駆けとしていく。  これ、別に空港でなくてもいいんです。いろんなことについてそれは可能となると思います。この後でお話をいただく北谷町長さんのお話比嘉さんのお話も、私はざっと見たところ、こんな形で、いろんな形で使えると思っています。私は空港について今日お話をしているというだけのことであります。  例えば、世界ではもう空港民営化一つ趨勢になっております。皆さんイギリスに行くと必ずお使いになるロンドンヒースロー空港、これ六千七百万人のお客さんを扱っておりますけれども、ここはでか過ぎるとしても、大き過ぎるとしても、例えばブリュッセル千七百万人、コペンハーゲン二千万人のお客さんがいる空港です。御承知のとおり、那覇空港千五百万人お客さんいます。十分にアジアハブになれる大きさです。ブリュッセルコペンハーゲンロンドンヒースローも、全てその国から見て外資が運営する民営空港です。ターミナルビルだけではありません。滑走路から全て民間会社が運営しています。  世界趨勢地方空港民営化趨勢。例えば、ブリストルインターナショナルというイギリス空港ですけれども、この空港は、民営化前の一九九七年に百四十万人のお客さんがいました。ほぼ石垣よりもちょっと少ないぐらいのお客さんの数です。これが民営化後、そして外資経営を任せて、四倍の五百七十万人まで飛躍しました。しかも、この空港は、石垣のように那覇との間に路線があるというようなそういう空港ではないんです。ロンドンとの間の路線がありません。それでもここまで発展することができたわけです。空港経営プロ世界から集めてきたからなんです。  民営化によるもうける意識の向上ということを是非考えていただきたい。利用者の便益に資するということは、すなわちもうけるということにほかならない。ニーズに対応していない空港はもうかりません。  これまでのいわゆる陳情マーケティング、政治的な力でもってお客さんを来てもらうようにお願いをする、着陸料を安くするようにお願いをする、そういった形ではなくて、商業的にいかにすればこの空港お客さんが来てくれるかということを、その発想を変えていく、これが空港民営化の基本的な考え方であります。  したがって、空港経営プロに任すべき、もっと端的に言えば、民間に売りましょうということです。そして、外資も積極的に導入をしましょうということです。それによってブリストルインターナショナルのように四倍までお客さんを増やすような空港活性化ができる、それを核にしながら地域自立を図っていきましょうということです。  このためには空港周辺地域も含め一体的に整備運営する。航空系施設、すなわち滑走路と、それから非航空系施設商業施設を一体的に経営するということが大事です。さらには周辺開発空港経営を一体的に行う。もうけようとするからこそ周辺空港開発空港はやるわけですね。民営化された空港はそうやって一生懸命企業を誘致してくるわけです。それをやってもらうためには周辺整備との一体的な経営が必要になります。  じゃ、具体的にできるのかということなんですけれども、那覇空港収支那覇空港、今五十一億ぐらいの赤字になっています。しかし、商業系の部分は十三億から十六億の黒字です。これで一体的に経営をすれば、まず赤字は三十八億ぐらいで済みます。  さらに、空港が売れるかどうかというのは、基本的に毎年稼ぐ分が毎年出ていくお金よりも上回っていれば空港は売れるわけです。過去の投資分を除いて考えると、大体十二億から十五億ぐらいの赤字で済みます。これはほぼ営業収入営業費用の一割程度です。これに航空機燃料税をやめて、航空機燃料税を廃止して、その代わり空港使用料としてその分を確保するということになりますと、約一千億ぐらいの収入がプラスになります。これだけで毎年の収支は均衡するということになります。さらに、費用を一五%削減すれば過去投資分も解消いたします。費用を一五%削減するというのは、民営化すればかなり容易なことであります。さらに、民営化することによって収入を増やす努力が発生します。収入を一割増やせば優等生になります。  残念ながら、那覇空港民間用地を使っておりますので、この賃借料が非常に高いので空港の中では割と状況は悪いと言われておりますけれども、それでも十分に那覇空港自立することはできるということをまず考えていただければと思います。  次に、ここで北海道空港収支と書いておりますけれども、これなぜこんなものを出しているかというと、実は、国交省は、国管理空港についての収支を示しているんですけれども、残念ながら、宮古石垣というのは地方管理空港ですので、データがありません。  で、北海道の同じぐらいの規模の空港と比較してみるとどうかということで、例えば函館石垣空港とほぼ同じぐらいのお客さんがいる。ここはかなりいい空港です。十分にすぐに黒字になります。すぐに売れる空港です。函館の方が那覇よりもお客さんの数は少ないわけですが、十分の一ぐらいなんだけれども、何で収支がいいかというのは、那覇空港賃借料が、用地賃借料が高いんですね。それから、釧路空港、これは宮古島よりもやや小さいぐらいの空港ですけれども、ここは燃料税分引き上げ使用料を引き上げて費用を一割削減すれば黒字になります。そして、稚内、これぐらいになるとかなり厳しくなってきます。例えば、ここは久米島空港よりやや小さいぐらいですけれども、それでも燃料税分空港使用料を引上げして費用を三割削減すると黒字になる可能性があるということですね。  ですので、那覇空港アジア有数ハブ空港に成長可能ですし、石垣宮古、場合によっては久米島ぐらいも独立採算民営化が十分に可能ですよということになります。  このほかに実は、御承知のとおり、沖縄にはたくさんの、もっと小さな離島空港があります。これはもうライフラインの空港ですから、何とかして公的な資金で維持していかざるを得ないと思います。しかし、是非考えていただきたいのは、その中でもコストを掛け過ぎているということはないだろうかという点です。  イギリスには、草地ですね、草、草地飛行場は結構あります。波打ち際で、波が来る前に離着陸するという空港もあります。飛行場に対してコストを掛け過ぎているのではないか、むしろもっとほかにお金を掛けるべきところもあるのではないかと。そういった点については、後ほど具体的な事例をいろいろと比嘉さんからお聞かせいただきながら私も考えてみたいと思います。  以上で私のプレゼンテーションを終わりにいたします。  どうもありがとうございます。
  5. 岸信夫

    委員長岸信夫君) ありがとうございました。  次に、比嘉参考人お願いいたします。比嘉参考人
  6. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) では、ちょっと準備をしていただく間に。今日はこのような機会をいただきまして、ありがとうございます。株式会社カルティベイト比嘉と申します。では、よろしくお願いいたします。  私は、エコツーリズム活動、そして離島活性化のお手伝いを始めて十五年になります。今日、こうして国会で、参議院の先生方の前で、小さな島の声、そして子供たちの置かれている状況を直接お話しさせていただく機会をいただきましたことを心から感謝申し上げます。どうぞよろしくお願いします。(資料映写)  それでは、この図は、皆さん何度も御覧になっているかと思いますが、那覇を中心とした同心円です。二千キロの間にアジア主要都市が入るというふうにこの図でお分かりになるかと思いますが、この五百キロの円、五百キロの円の直径は一千キロです。この一千キロの円をちょっとひずませて、東西を四百キロにした範囲の中に沖縄県があります。百六十余り島々、三十九の有人島、そして沖縄本島がございます。  沖縄県の那覇市と大阪市を重ねた同心円です。九州から始まって、このような広域の範囲の中に沖縄離島が入っています。間は陸路では行けません。海に阻まれていますから、それは飛行機か船でしか行けない。天候に左右されます。冬場になると欠航する率も高い荒波の中を行かなければいけない島々が数多く存在しています。  私が十五年間の間にお手伝いをさせていただいた島々が二十五に上ります。それぞれの島で泊まり、一緒に食べて飲んで、とことん膝を突き合わせて話をしました。小さい離島のことは本当に本音で話を聞かないとなかなか分からないです。私も那覇に住んでいますから、島の厳しい状況ということを、想像する以上のことというのは、やっぱり島に行って話を聞いて飲んだときに実感する、そんな状況です。  沖縄本島から東西南北の端の有人離島に行くためにどんな距離があるんだろうと考えてみました。直線距離、時間距離経済距離、それぞれ数字を入れてありますけれども、この時間を掛けて、これだけのお金を掛けてしかその島々には行けません。その島々は、例えば歯の検査、あるいは、私も老眼になってきましたが、眼鏡をつくるにも那覇に行かなければ、あるいは大きな島に行かなければつくれない。そんな日常の生活の、人間が生活する上で本当に必要なことすらもう島の中では賄えないために、費用を掛けて飛行機に乗り、船に乗り、都市部に行っている状況です。  離島振興における課題って何だろうと考えてみました。  島に行って、エコツーリズムつまり島にある宝を探して、それは、自然、文化歴史の宝、それを掘り起こして磨きながら島の経済活動に意味がある形で商品化するにはどうしたらいいんだろう、そしてそれを残していくためにどうしたらいいんだろうということをお手伝いさせていただくと、まず観光というのは外せません。外からいらっしゃるお客様にまず島でお金を落としていただく、そうして中で回すことによってしか小さい島の活性化はあり得ないので観光を推進するわけですけれども、一番そのときにつらいのが実は法というか制度なんですね。許認可を得るためにたくさんのハードルがあります。  この表に示していますのは、例えば小さい島にお客さんに来ていただく。個人はいいですけれども、団体さんでツアーを組もうとなったら大体十五人ぐらいにならないと合わないんですが、十五人がバスに乗ろうとすると、バスで案内するための許可をもらわなければなりません。それには小さい島でも三台のバスを持っていなければいけないんですね。三台のバスがじゃ本当に小さい島々に必要かどうかということをちょっと北大東村を事例お話をさせていただきたいと思います。  沖縄県で一番東にある島が北大東島です。この北大東島は三百六十キロ飛行機で行くんですけれども、三十九人乗りのエアコミューターが一日一便就航しています。生活路線ですから、観光客が乗るといえば大体十四、五人までです。その観光客皆さんハマユウ荘という二十五室、五十二人宿泊の施設に泊まるというような状況ですが。  もうちょっと島のことを説明させていただきますと、十二平方キロメートルぐらいの大きさです。そこに五百三十人ぐらいの人々が住んでいます。基幹産業は農業で、サトウキビです。それ以外にジャガイモやカボチャなども作っています。高校がありません。沖縄本島以外に高校がある島は四つだけです。大半の島は高校がないのですが、この北大東もまさにそうです。子供たち中学校を卒業すると親元を離れなければいけない。一日一便しか飛行機は飛んでいませんし、高いです。では船でというと、船は五日に一回しか就航していません。外洋に浮かんでいますから、波が荒れるともう五日のはずが一週間、十日と船が来ません。ですから、なかなかその行き来も難しい。そして今でも、物資も人もクレーンで運んでいます。うねりの中に船が着岸できないですから、たくさんの人たち荷役作業によって物も人も運ばれてくる、つまりはそれによって流通コストもとても高く付いているという島です。年間六千二百人ぐらいの観光客、これは二年前の数字ですが、そのうち千二百人が観光客です。  さて、この島で三台のバス、必要でしょうか。路線バスもありません。それから、隣の市町村にバスを貸し出すこともできません。となると、三台がなぜ必要かということをいろいろ国皆様、それから総合事務局皆様にもお願いしてお話をした結果、実際昨年、一台で許認可が下りました。これは画期的なことだったんですけれども、これらも運用面において実はその島や地域状況に応じて変えることができる、応用することができる、緩和することができる、それさえできればできるということの証明の一つではなかったかと思います。  ですから、こうして考えていると、交通、社会資本にハンディがあるこの小規模離島活性化するには、法制度運用補助金など、その支援策に自由度というのが求められるというのを実感しております。  それから、学校教育課題について、続いてお話しさせていただきます。  先ほど、一千キロ、四百キロの海域の中に沖縄本島と三十九の有人島が存在しているとお話ししましたが、陸路でつながっていません。県民の一割が三十九の有人離島に住んでいます。高校病院へ陸路で行くことのできない離島に住む県民というのは約二万一千人です。全県民の一・五%です。日本国民の一%が沖縄に住んでいますけれども、そのうちの一・五%が病院高校に車で行けない島に住んでいます。  中学を卒業すると高校に行くために島を出るわけですけれども、それにおける子供たち、親の経済的な負担、そして精神的な負担は大きいです。経済的な負担は八万円から十万円一人当たり掛かります。離島が三五・二%を占める沖縄ですから、この離島教育というのは結構大きな問題です。四、五級のへき地というのは、一級から五級でいうと五級に行くほど不便です、四、五級の離島というのが沖縄小規模離島大半です。二年で先生方は入れ替わり、毎年三分の二から、多いときは五分の四の先生が入れ替わっているという状況です。  このような中、一番下に学校給食のことを書いてありますけれども、給食費は、中学校までどの子供たち日本国民ひとしく得られる、食べられるものだと思いますが、実は流通コストや小ロットによる単価の高さが離島において大きいんですね。この補助がないと、離島子供たち給食ですら同じように食べることができないという状況です。  長崎県が全国で一番離島が多い県です、有人離島の多い県。沖縄県は二番目です。三番目が愛媛県です。この三つの県で何が違うんだろうと調べてみましたら、へき地に住む児童生徒の数は長崎沖縄もほとんど変わりませんが、沖縄が三から五級という不便なへき地に住む離島生徒数が多いんです。長崎とちょうど対極になります。高校がない島の中学生に通う生徒が、長崎が百十四人に対して、沖縄は七百六十七人と七倍に上ります。これが広い海域に点在する沖縄離島状況です。  文化スポーツ活動における旅費負担が多いという話は先生方もよくお聞きになっていらっしゃるかと思いますが、沖縄の最西端の与那国島でちょっと調べてみました。そうしましたら、三つの小学校、二つ中学校で一年間に派遣した派遣費が八百万円でした。半分が行政負担、半分が保護者負担です。こういうお金をつくって子供たちの応援をしているわけですけれども、八重山で優勝する、那覇で、本島で優勝する、全国大会に行く、だんだん旅費が高くなっていくことを単純に喜べないという状況離島の中には、御父兄の中には存在しています。  今まで離島お話をさせていただきましたが、都市部人口の八割が集中する都市部における子供たちも様々な問題を抱えています。夜型社会、飲酒に寛容な地域性、そして都市化核家族化によって地域コミュニティーが衰退しているという社会環境が、子供たちを、一人で食べ、一人でうちに過ごし、夜遊びに出るという状況を生み出しています。  様々な状況をこれで、数字で示させていただきましたけれども、教育の施策や支援事業というのは、一元的ではなく、子供たち状況に合わせて、都市部離島で全く違います。今課題を抱えているつらい状況に置かれている子供たちと、すくすくと育って頑張っている優秀な子供たちの支援の仕方は全く違います。それらを一元的に語るのではなくて、その状況に合わせた施策が求められてくると思います。  世界に開かれた交流と共生の島、沖縄県二十一世紀ビジョン、自ら作ったビジョンの中でうたっておりますが、それが沖縄が実現するための可能性を感じることが最近多くなりました。内閣府が三年間実施しましたアジア青年の家、そして沖縄県で引き継ぎましたアジアユース人材育成プログラム、アジア十三か国、そして十六か国の高校生が三週間にわたって水環境について学び、そして交流する中で、言葉、人種、宗教を超えた子供たちの深いつながりが生まれました。  昨年行われた第五回世界のウチナーンチュ大会では、五千二百人が世界から集まりました。沖縄の血縁ネットワークは世界中に四十万人とも言われております。その中で、新しい世代がどう育っていったらいいのかということで、次世代プロジェクトというのが昨年生まれました。学生事務局が主体的に運営した次世代のネットワークは十か国に上り、今年はブラジルでユース大会を予定しています。予算があるからスタートしたわけではありません。子供たちは、高校生たちが自らで間の年を埋めていきながら世界のウチナーンチュ、若者たちのネットワークをつくっていこうということで動き始めています。  この血縁ネットワーク、そして子供たちの活躍、こうして見ていきますと、沖縄という地は、歴史的あるいは地勢的、様々な状況の中で安心して集い、対話ができる土壌というのが生まれているのではないかというふうに思います。そのような沖縄が持っている強みを生かしていくためには、この青少年の交流事業、これがずっと続いていくことで若者たちが次代の沖縄、そして日本をつくっていく、それを大人である私たちが支援していくことが大事なのではないかというふうに思っています。  今いろいろお話しさせていただきましたけれども、沖縄は一千キロ、四百キロの海域ゆえに多様な生物が生息しています。生物多様性、そして文化の多様性においても沖縄という地が持つ力は大きいものがあると思います。  今回、沖縄の二十一世紀ビジョンに基づいて新しい沖縄振興計画が生まれます。そして、一括交付金という沖縄県にとってとても有り難い交付金を付けていただきました。これからはこの運用課題だと思っております。いかに実態に即した運用ができるのか。今まで申し上げましたように、なかなか難しい状況に置かれている中で、実態に即した運用をするために自由度を持たせていただくこと、そして既存の補助金ではそぐわない部分に関してもこの一括交付金が活用できること、そして基金を活用することで長期的に子供たちの支援ができるような、あるいは離島の支援ができるような形がつくられること、それを是非ともお願いしたいと思います。  お願いするばかりではありません。私たち県民も行政と一緒になって精いっぱい沖縄の未来のために頑張っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。  ありがとうございます。
  7. 岸信夫

    委員長岸信夫君) ありがとうございました。  次に、野国参考人お願いいたします。野国参考人
  8. 野国昌春

    参考人野国昌春君) それでは、私の方からまず報告をさしていただきますけれども、お手元に資料も配付をいたしておりますので、参考にしながらやっていきたいと思っております。  北谷町は面積が十三・七八平方キロメートルでございます。今日これから述べますキャンプ桑江の北側が返還された後もまだ約五三%が軍事基地と、こういうような中で二万約八千名の住民がそこに住んでいるというようなことになっております。  それでは、返還跡地の問題につきまして御報告をさしていただきたいと思っております。  北谷町は、いわゆる米軍キャンプ桑江北側と言っておりますけれども、そこと陸軍貯油施設、俗に言うブースターステーションでございますけれども、この地域を再開発していくことによって良好な市街地を形成していこうと、こういうような課題がございます。  初めに、キャンプ桑江北側の返還の経緯について御説明したいと思います。  キャンプ桑江は、平成八年のSACO最終報告で大部分の返還が合意されております。海軍病院やあるいはまた残余施設の移転等の条件付ではございますけれども、SACO合意でいわゆる返還が合意されました。  平成十四年三月には桑江伊平土地区画整理事業が都市計画決定をされております。  平成十五年三月三十一日にキャンプ桑江の北側部分と先ほど言いました陸軍貯油施設部分が米軍から返還されております。返還と同時に、当時の那覇防衛施設局が原状回復を行うために地権者への土地引渡しを保留しております。  平成十五年の十月、キャンプ桑江北側及び陸軍貯油施設が特定跡地に指定されております。これは、いわゆる返還はされましたけれども、実際に原状回復というのが一年半掛かりました。したがって、平成十六年九月三十日に、一年半後の、保留期間を経て施設局から地権者への土地の返還が行われております。  平成十七年の十月、国指定の要件を満たす伊礼原遺跡等が確認されたことによりまして、遺跡保存のための当初の都市計画の変更をしております。  平成十八年一月には、沖縄振興法による特定跡地給付金の支給期間が一年六か月で決定をされました。当該給付金は、平成十八年四月から平成十九年九月までの一年半支給されております。当初のいわゆる原状回復が一年半掛かったためでございます。  平成二十年三月には、いわゆる米軍再編で嘉手納以南が大部分が返還をされると、こういうようなことがございまして、国道の拡幅の問題が出てまいりました。そのことと町立の博物館、いわゆる伊礼原遺跡の博物館の計画によりまして区画整理事業の変更が行われております。  平成二十三年九月には、土地区画整理事業区域の第一回目の使用収益が開始をされております。返還から、返還が平成十五年四月、そしていわゆる特定跡地が切れたのが平成十九年の九月でございますから、もう八年、九年にわたってようやく使用収益が開始をされると、こういうことでございます。  次に、桑江伊平土地区画整理事業の面積について説明申し上げます。当該地は、キャンプ桑江北側が三十八・四ヘクタール、陸軍貯油施設、桑江ブースターが一・一ヘクタールの面積で、トータルで四十五・八ヘクタールとなっております。  土地利用といたしましては、今、北谷町役場があるところから国道五十八号線のところまでを業務地、国道五十八号線沿いを沿道型商業地、地区中央部分においては土地利用が図られる住宅地、そして地区の東側は閑静な住宅地域といたしております。  使用収益が開始される時期は、土地区画整理事業の南側区域が昨年九月から使用収益を開始しております。続いて中央部分が今年の九月から、最後に北側部分が平成二十六年四月というようなことで三段階に分けて使用収益を予定をいたしておりますが、返還から実に十年、十一年というふうな期間がたっているわけでございます。  次に、跡地利用に当たっての課題でございましたけれども、キャンプ桑江北側跡地開発を進めていく上で生じた課題としましては、主に三点ございます。  資料の五ページを参照していただきたいと思いますけれども、一つ目の課題といたしましては、返還跡地の原状回復措置が不十分であったことが原因であります。  キャンプ桑江北側では、国が原状回復措置を実施した上で土地が地権者に引き渡されておりますけれども、土地の引渡し後においても、基盤整備事業等を進めていく中で、新たな土壌汚染や米軍が遺棄したと思われる廃棄物等が頻繁に確認され、散発的な原状回復措置がされております。この原状回復処理を実施する区域については、基盤整備事業の工事が中断せざるを得ないような状況で、円滑な跡地利用事業の推進に支障が生じております。  資料六から七ページを御参照いただきたいんですけれども、現行制度では汚染等の蓋然性が高いと判断される場合のみ調査及び原状回復措置が実施されておりますが、汚染物質等の把握精度が低く、原状回復措置が不十分であると考えております。キャンプ桑江北側の場合も、国によって調査が行われたのは全区域の約一〇%にすぎませんでした。また、原状回復処理にも期間を要し、汚染物質発見から完了までに三年以上掛かった事例も発生しているため、より迅速な対応が必要と考えております。  五ページに戻っていただきますけれども、二つ目課題といたしましては、給付金の問題がございます。  キャンプ桑江北側の場合、特定跡地というようなことで平成十九年九月までの四年六か月の支給がございました。給付金は、基地返還に伴う地権者のいわゆる収入の激変緩和と生活の安定を目的として支給されているものと認識しております。  キャンプ桑江北側の場合には、一回目の使用収益開始の地区の地権者は、給付期間終了後から使用収益開始までの約四年間は跡地に関する収入がございませんでした。また、土地を使用し収益を上げることができない状況においても、固定資産税等は支払をしなければならない状況でございます。最後に使用収益開始となる、平成二十六年四月を予定しておりますけれども、跡地からの未収益期間が約六年六か月続くことになります。このような交付金の支給が、使用収益開始が途切れることは、地権者の生活の安定に多大な影響をすることになりますので、現行制度課題一つと思っております。  地権者の負担を軽減を図るために町独自の施策として、キャンプ桑江北側の跡地につきましては、使用収益を開始するまでの期間は固定資産税を五割減免しております。トータル的には五千数百万の減免をいたしております。  三つ目の課題としましては、公共用地の確保でございます。  駐留軍跡地に義務教育施設や公民館、公園など公共施設を整備する場合は、都市機能の効果的な配置や誘導を行う場合、公共用地を確保しておく必要がございます。沖縄県の場合は、その歴史的経緯から、軍用地の地権者がほとんどが私用地でございまして、公共用地を新たに確保することが非常に厳しい状況にございます。これはもちろん地方の自治体の財政の状況もございますけれども、この公共用地の取得におきましては、地権者の合意を得ながらでございますけれども、跡利用に及ぼす影響が非常にございますので、影響が大きゅうございますので、キャンプ桑江北側の場合にも中心市街化に向けて土地を確保しておりますが、町財政への大きな負担となっております。  国への要望でございますけれども、これまで跡地利用制度における課題を踏まえて、今後の跡地利用については次の六点について御配慮をいただきたいと思います。  一点目に、駐留軍用地返還に当たっては、地権者への土地引渡しの、国によって跡地全域の汚染除去や不発弾撤去等の原状回復措置を実施することを法制化していただきたいということです。また、国による原状回復措置が行われた後に廃棄物や土壌汚染等が発見された場合には、速やかに所要の措置を講じ、基盤整備事業への影響を最小限にとどめるように迅速に対処していただきたいということでございます。  二点目に、給付金については、支給期間を使用収益開始までとしていただきたいことでございます。  三点目には、駐留軍用地及び駐留軍用地跡地における市町村等の公共施設用地の先行取得に対して、国の財政上の支援措置を法制化していただきたいことでございます。  具体的には、国有財産の無償譲渡及び無償貸付けの対象緩和や、緑地保全や公園等の先行取得に対する補助率の特例、そして市町村等への土地の譲渡を促進するための譲渡所得に対する税法上の控除措置等を法制化していただきたいことでございます。  また、跡地利用における産業基盤の整備や有効な都市機能形成に資するため、これらの用地確保についても公共公益施設用地と同様の財政上の支援をお願いする、法制化していただきたいことでございます。  四点目に、国際人材育成への支援をお願い申し上げます。  今後、本島中南部の大規模な基地返還が予定される中、キャンプ桑江南側、海軍病院のところでございますけれども、この地区の特色として国際人材育成機能の配置を目指しております。世界に通用する観光人材やグローバル人材育成の環境整備を図るため、英語あるいはまた中国語等の教育立地の可能性を今後調査していきたいと考えております。つきましては、当該施設の実現に向けた御支援をお願い申し上げます。  五点目に、新たな公共交通システムとしてLRT等を導入していただきたいことでございます。  中南部圏域における交通面の課題として、道路交通の渋滞の緩和や定時性、定速性の確保、国内外からの観光客を受け入れる体制の整備等、現状でも様々な課題がございますが、今後、返還を予定されている中南部の基地跡地の開発が進むとより一層これらの課題への対応が求められることになります。したがいまして、中南部圏域における交通面の諸課題の解決及び地域均衡による発展をするものとしてLRT等の導入を実現していただきたいと考えております。  最後に、新たな跡地利用に関する法律については、全ての基地が返還され、跡地の整備が終了するまで継続する法律としていただきたいと思っております。  ありがとうございました。
  9. 岸信夫

    委員長岸信夫君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の進め方でございますが、まず、各会派大会派順に十分ずつ質疑をしていただき、その後は自由質疑といたします。  質疑の時間が限られておりますので、質疑者及び参考人皆様には、発言はできるだけ簡潔にお願いいたします。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  10. 相原久美子

    相原久美子君 民主党の相原でございます。  座ってよろしいですか、済みません。じゃ、座って失礼いたします。  三人の参考人皆さん、本当に本日はありがとうございました。  まずは、端的にお伺いしたいと思います。  野国町長のところには、先日、委員会として視察でお邪魔をさせていただきました。本当にありがとうございます。  それで、今幾つかの国の要望というものを挙げていただきました。その中で、移動の手段の部分、交通網の整備ですね、ここのお話がございました、LRTということも含めてということであったわけですけれども。私は、あそこの中で非常に思いましたのは、南部それから中部、北部とそれぞれにやはり地域間の格差があって非常に厳しいという、それからあわせて、離島の問題ということがございました。この移動というか公共交通、これを南部と、今、中部というようなお考えでいらっしゃるのか、若しくは島という横断、縦断で考えていらっしゃるのか、その辺について少しお伺いしたいなと思います。  それから、引き続きまして、比嘉参考人にお伺いしたいと思います。  離島お話を伺いました。確かに離島にとっては非常に厳しい課題がたくさんあるだろうと思っております。それで、今回はかなり大幅な一括交付金ということになったわけでして、これは御地元の状況がよく分かる県が主体的にこれから配分をしていくということになろうかと思うのですが、離島お話も含めて、今沖縄としてどういうところに重点的にこの一括交付金というのを交付していくとよいのかと、もしお考えがあればお伺いしたいと思います。  それから最後に、中条参考人にお伺いしたいと思います。  私たちも、実はこの視察で那覇空港に参りました。貨物のターミナル、これを拝見させていただいたわけですけれども、参考人お話の中にございましたように、これから特区、空港にかかわる特区を設けて広げていくというお話のようでございますけれども、そうなると、やはり滑走路の問題が出てくるだろうと思うのですけれども、これから参考人が考えるこの特区構想の中でいうとどのくらいの滑走路というものを想定されるのかなというところ辺りをちょっとお伺いしたいなと思います。よろしくお願いいたします。
  11. 野国昌春

    参考人野国昌春君) 沖縄県は今はもう自動車社会でございまして、一家に二台、三台というのはもう普通の状況になっております。北谷町もいわゆる自動車での移動が多い、あるいはまた商業地への移動が、そういうことが多いということで、いわゆる町の土地に、アメリカンビレッジの真ん中に一千六百台以上止まる駐車場を整備をいたしました。そのことによりまして、いわゆる商業とか、あるいはまたスポーツとか、こういった行事が多く開催をされるようになっておりますけれども、しかしながら、この駐車場をこのように整備いたしましても、現状としては足りないわけでございます。したがって、北谷も渋滞の沖縄県でワーストフォーなほど渋滞になっているわけです。  これを、駐車場をいわゆるこれからも二階建てにするとか三階建てにするとか、いろんな方法あるかと思いますけれども、やっぱり抜本的にといいますか、解消していくためには、定時定速、そしてまた大量輸送というようなことが非常に重要だろうというふうに思っているわけです。  したがって、LRT等の、いわゆる導入することによって定時定速性が確保される、そしてある一定の規模で移動ができると、こういうふうなことにつながってくると思いますので、これはやはり那覇を起点にするでしょうけれども、南部、あるいはまた沖縄県の東側、西側と、真ん中はほとんど今軍事基地でございますので西側、東側に分かれてくると思いますけれども、人口の集中する中部まではまずやっていかなければならないだろうし、将来的にはまた北部もつなぐことによっていわゆる生活圏が拡大をしていくと、こういう状況になってくるだろうと思っておりますので、軌道のない沖縄県にLRTが必要だろうと、こういうふうに思っているところでございます。
  12. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) 一括交付金をどのように活用したらいいかという御質問に関してなんですけれども、離島に行って思いますのは、やはり海によって囲まれているためになかなか人の交流とそれから情報が、インターネットの時代にあってもやっぱり格差があるというふうに思います。そうすると、人が育っていないところでどのように活用するかというと、どうしても経験や知恵を持つ人がサポートをするということが必要になってきます。ただ、その中でいかにして支援をしていくか、その施策というのをソフト事業としてやっていくということが一番必要だと思われます。  といいますのは、大きな企業を誘致するですとか、あるいは何か大きなものをつくるということは離島にはできない話だと思いますので、今ある宝をいかに掘り起こして生かすかという中において専門家の知見も必要だと思われますが、これもやはり旅費がかなりかさんでおります。つまり離島振興においていつも悩みますのは、旅費で食われてしまって実質の支援にお金がなかなか行かないという状況があるんです。ですから、東京からいらっしゃる、あるいは那覇から行く場合においても、旅費で何割も取られてしまったら、同じ予算の中で活用する実質の部分が減ってしまうというのが離島の大きな悩みの一つでもあります。  いかにその辺のところをうまく、どういうんでしょうか、運用することにおいて実質的なソフトでの支援ができるのか、そして教育や医療、福祉においてもその実態に即した形の支援ができるのかというのを、一括交付金を活用しながら知恵を寄せ合って見出していくことが求められていると思います。
  13. 中条潮

    参考人中条潮君) 野国町長さんと比嘉さんに対する質問にも答えたいんですけど、時間がありませんのでそんな余計なことはやめて、私が質問されたことについてだけお答えいたしますけれども。  これは、民営化された会社が自分で決めるというのが基本ですね。つまり、あと一本滑走路を造っても十分に収入が得られると思うのであるならば投資をすべきであるし、そうでないならばやめるべきである。これを公が、官が投資を決めてしまうと無駄な投資になってしまうわけです。基本的に私は、一括交付金の話も同じなんですけれども、自由を与えるということは同時に責任も持ってもらうということでありますから、基本は自分であと一本必要かどうかを決めるということです。  それで、もし私がその空港会社の社長であったならどうするかと思うと、私は那覇にもう一本滑走路はあっていいと思います。民営化してお客さんを増やすことができれば、あの空港は、さっきも申し上げたように、更にお客さんの数を増やすことができますから、もう一本の投資は十分に回収できると考えています。  以上です。
  14. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 自民党の橋本聖子でございます。今日は、お三名の参考人皆さんに貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございます。  今、一括交付金について更に重要性が増してくると逆に思っているところなんですけれども、今まで沖縄というところは、出生率は大変高いんですけれども、離婚率も高い、失業率も高いということで、比嘉参考人が書かれたあらゆる書物を見せていただきましたけれども、そういった問題点を指摘をされているわけなんですけれども、これまでの振興策では、こういった問題に対しては十分に対処できなかったんではないかというような指摘もあるわけなんですけれども、こうした問題に対応する政策について比嘉参考人としましてはどのようにお考えになっているかということをお聞かせいただきたいと思います。  出生率が高いですが、離婚率が高い、そして失業率が高いと、こういったことに対して解決をするための政策ということは、比嘉参考人から見てどのようにお考えになっているかというのをまず最初にお聞かせいただきたいと思います。
  15. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) 出生率の高さは、沖縄というのは日本に誇るべき状況にまだあるんですけれども、だんだんそれも厳しくなってまいりましたが、今、離婚率の高さ、それからそれぞれの家庭の置かれている状況を見ますと、やはり沖縄が持っている本来宝であったはずのチムグクルですとか、地域で子供を育てるという状況がだんだん失われてきているような状況が今の沖縄の中にももう起こってきているのを感じます。  それを考えますと、もう今子供たちが育っていく中で、今離婚率が高くなったり、子供たちの心がすさんでいく中で、だんだん親が親としての役目を果たしにくい状況になっているものがあるとすれば、今の子供たちがそうならないように、いい大人になるために、子供たち教育ということに関して、やはり一括交付金も活用しつつ、施策においては重視していった方がいいのではないかと思います。  小さい子供をどのように育てたらいいのかというのは、今予算の中でも子育て支援がいろいろ出てきておりますけれども、やはり愛情を持って子供を育てたいけれども、時間や金銭的な理由で子供に愛情を掛けられない中で、子供たちの心がすさんでいくような状況が今見受けられる、都市部の方に、とすればそこに対する支援。そして、離島においては、インターネットの時代においても一本のISDN回線でみんながインターネットを活用しているような状況において、例えばITの活用ということにおいてもなかなかうまくいかない。それを人的な形でサポートしていく、知恵を出し合うという意味でのいろんな施策を教育という分野において力を入れていく、若年者の人材育成において力を入れていくということが今最も重要かなというふうに思います。  お答えになっていますでしょうかね。
  16. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 ありがとうございます。  やはり今大都会で問題になっているものが沖縄にもそのような同じような問題が起きているということなんですけれども、参考人がお書きになった中で、優しく穏やかな県民性を守り、自然や芸能文化に囲まれて生き生きと暮らすことは最大の観光資源であるというふうにお書きになっているのを見ました。  先ほど相原先生の質問にもありましたときに、参考人が今ある宝をどう生かすかということをおっしゃったんですけれども、その宝こそが沖縄にとっては大自然でないかなというふうに思いますが、今取り組まれている中で、本土の子供たち離島に行かせて、そして大自然の中で学ばせているということによって大変な大きな教育に変化が起きてきた、それがまさに沖縄のいわゆる人材育成の政策の一つなんだというふうに思うんですけれども。やはり、こういったことが、さらに、優れた人材を送り出すためにもう一歩先の教育をどのようにしていくかということ、沖縄はやはり何といっても第一に観光産業というのが命だというふうに思うんですけれども、そういった人材を育成して観光産業に向けて雇用の創出をしていくということにつながっていくことが重要ではないかなというふうに思うんですが、その点の政策について提案があればお聞かせいただきたいと思います。
  17. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) 離島沖縄の縮図であり、そして沖縄日本の縮図ではないかというふうに思うほどに、喜びも悲しみも苦しみも見えやすく存在しているのが沖縄離島であり、沖縄県ではないかと思います。  そんな中で、人材を育成するということにおいて交流ということがとてもすばらしい意味を持つというのを、すばらしい価値を持つというのを最近やはり実感しています。それが人と人が出会う中で生まれることというのはもちろんなんですが、これが沖縄という地において行われたときに、自然の豊かさ、そして沖縄が古く先人から受け継がれてきた自然の中で暮らす生き方、それから人に優しく接する、そんな温かい心、そのようなものが沖縄の宝であり、それは自然によって育まれ、文化によって継続されてきたんだと思いますが、それを磨いていくことが、これから磨いてそれを商品化していくことが沖縄の生きる道だと思います。  その商品化というのは、旅行商品という商品もございます、特産品という商品も、そしてまた郷土料理、その地に行ってしか食べられないものを食べるという意味での商品化もあると思います。これらは全て観光産業です。観光を、地域にある宝を磨いて観光商品にしていく、それを生かすことができるというのは、それを生かすことができるソフトを持ったプランニングができる人であり、ガイドができる人であり、その人たちを全部コーディネートをしたりプロデュースしたりするようなことができる人であり、全てやはり人に懸かってくるのではないかと思います。  今観光が多様化していて、今までのように旗を持って団体さんで行くような周遊型から、個人が、一人が、自分がより深い体験をそこでしたい、より深く人と触れ合いたい、自然の中で癒やされたい、そういうようなものにこたえていくためには、多様な取組、観光プログラム作りやもてなしの在り方が求められてくるということからしますと、その観光の人材育成においても、その分野におけるリーダー、そしてそれを、全体をまとめるコーディネート、プロデュースできる人材、そして経営者としてその地域やあるいはその組織を経営できる、マネジメントできる人の育成、これらの分野の人材育成をすることによって本当の意味で沖縄沖縄の宝を生かした観光を推進でき、活性化できるのではないかというふうに思います。
  18. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 ありがとうございます。  沖縄の宝というものを守り続けながら、また観光資源として発展をさせていかなければいけないという、非常に簡単なことではないというふうに思うわけなんですけれども。  野国参考人にお尋ねしたいというふうに思いますが、今、比嘉参考人から様々な御提案をいただいたわけなんですけれども、先ほどの国際の人材育成施設への支援というお話をしていただきました。やはりこういったことが今関連しているんだというふうに思うんです。今、比嘉参考人お話をされた、子供たちの高いそういった潜在力を引き出していく、沖縄のすなわち宝というふうに思うんですけれども、そこを国際人育成施設でまた更にどのように育てていくかということが政策として必要だというお話だったというふうに思うんですけれども、今、比嘉参考人の提案を受けまして、野国参考人としてはこういった施設をどのように生かしていきたいのかということを具体的にお聞かせいただければと思います。
  19. 野国昌春

    参考人野国昌春君) 今、アメリカンビレッジ、いわゆるこれからの観光というのは東南アジアも含めた外国の受入れというのも非常に重要になってくるだろうと思っています。今、北谷町のアメリカンビレッジと言われるところに多くの米国人、それから台湾、あるいはまた中国、韓国、こういうふうにおいでになるわけですけれども、なかなか言葉が分からなくて売り切れないと、こういうような状況が出てきているわけです。  そういった意味では、私が今非常に考えているのは、今米軍の基地内にアメリカの大学が、メリーランドとか、いろんなところの大学があるわけです。ところが、この大学というのは、高等学校の、ハイスクールのいわゆる教室を借りているだけであって、そこでキャンパスがあって校舎があってということじゃなくして、そういうふうな状況にあるわけです。  したがって、私は、キャンプ桑江海軍病院、これはもうSACOで返ってくる、いよいよもう近々返ってくるような状況になっておりますので、何とかいわゆるその跡地の一つのモデルとして、そこの大学を一つだけ外に出してもらう、基地の中じゃなくして外に出してもらうというようなことで、いわゆるアメリカの大学生も、そして沖縄も、あるいはまた沖縄だけじゃなくして日本全体からの、ここに留学できるような形のものをつくっていけるんではないかと、こういう期待をいたしております。  これは、海軍病院を改修することによってできるんじゃないかと言う方もいらっしゃるし、また、その地域には中学校の校舎も広々とあるわけでございますので、返還された後にそういったところを利用していわゆる学校をつくっていくと。そのことでいわゆるだんだん日本全体として減っている米国留学、そういったことも含めて、そういった機運を醸成できるんではないかと、こういうふうに思っているわけでございます。  そうすることによって、いわゆる先ほどの子育てでもございますけれども、行政としても、やはり若い人は財産でございますので、そこで生活しやすいように、いわゆる待機児童の解消の問題とか保育の問題とか、あるいはまた働きやすいために保育園の運営の形態、夜間の状況をどうつくるかとか、こういったことをしていけばいいんじゃないかということで、私は国際人をいわゆる養成するために、そして、そうすることによって小、中、高、大学と、こういうふうな連携が生まれてくるんではないかと、こういう期待をしているところでございます。
  20. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 どうもありがとうございました。
  21. 木庭健太郎

    木庭健太郎君 公明党の木庭健太郎と申します。  今日は、三人の参考人皆様、貴重な意見を本当にありがとうございます。  早速、まず中条参考人にお尋ねをいたします。  航空特区構想、すてきな案であり、是非実現しなければならない案だなというふうに痛感をいたしまして、お手伝いできることを一生懸命やりたいとも感じました。民営化しながら知恵を生かす、そういう発想は非常に大事だと思うんです。沖縄の場合、ただ、那覇空港のほかにも、例えば宮古にしても、下地島にしても、新石垣にしてみても、結構長い滑走路を持って、設備さえすれば、法を整備さえすれば観光客、国際交流拠点としてやれるような空港あるわけですね。そういった意味では、県内の空港というのは結構沖縄ある。これ、どんなふうに位置付ければいいのか。それぞれがアイデアを出せばいいことだということかもしれませんが、是非、御意見があれば、それをまず中条参考人から教えていただきたい。  さらに、比嘉参考人からは、人材育成の話を先ほどからありましたが、やっぱり沖縄という、こういう県民性というか、国際性というか、そういった、沖縄の地で、人材育成というのは全てのポイントだと思うんですが、これを更にやっていくためには、グローバルな人材を育てていくためにはどういった仕組みを更に充実していく必要があるのかな、そんなことでもし御意見があれば教えていただきたいと、このように思います。  最後に、野国参考人からは、先日お訪ねさせていただきまして、ありがとうございました。一つ、跡地利用計画をやっていく上で、地方自治体の方が大変だなというのを改めて責任の重さも感じるんですが、もうちょっと国とか県に対して、この部分は地方自治体は一生懸命やるけれども、もうちょっと役割分担でやってもらいたいなという部分があるのかどうなのかという点とともに、返還前の立入調査の問題、これについて、米国側の対応の現状と、町としての考え方がもしあれば、簡潔に教えていただければと思います。  以上です。
  22. 中条潮

    参考人中条潮君) ありがとうございます。  先ほども少しお話をしたとおりなんですけれども、私は、石垣宮古、これは十分に那覇と競争できると思っています。この比嘉さんの資料の一ページ目に、ちょうどこの那覇を真ん中にした距離の地図がございます。これ見ていただくとよく分かるんですけれども、大体千五百キロのところでフィリピンまで入ってしまいますね。二千キロでもっと入るんですが。  実は、今話題になっておりますLCCと呼ばれる低コスト航空会社、これはヨーロッパやアメリカで大体三割から四割のシェアを占めてきておりますけれども、この平均飛行距離って大体千キロぐらいです。短いんです。そうすると、今この同心円のところに入るようなところとの間でお客さんを集めてくるということになります。そうなりますと、石垣宮古にも十分チャンスはありますよ。  これも先ほど申し上げたんですが、イギリスのブリストルという空港は、お客さん百四十万人から五百六十万人まで増やしたわけですね。これは、やはり大部分はこのLCCを集めてくるという、空港とそれから航空会社が提携をして発展をする、そういうやり方でやってきました。  ですので、十分に石垣宮古ぐらいだったら可能性はあるかと私は考えています。ただし、それ以外の離島空港は、これはさっきも申し上げたようにかなりきついです。きついですけれども、私も、実は三十年ぐらい前に南大東島の補助金を調べたときに、航空と船の補助金を一体化すれば、補助金もっと節約できて、かつ航空サービスを充実できるということが分かったわけですね。  つまり、一括交付金というのはそういう話なんですよ。これがようやく三十年たって、去年ぐらいから交通に関してはそういう形になってきました。これをもっと幅を広げて一括交付金にしていくということで、離島空港の中にも、実は生き延びてかつは民営化して更に発展する可能性が出てこなくはないです。イギリス地方空港民営化したときに、その当時、一番お客さんの少ない空港、ここの年間のお客さんの数は十万人でした。これは、ですから、与那国でも可能性はあるという話なんですね。  以上です。
  23. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) グローバルの人材育成をどのようにしたらいいかという御質問でございますが、沖縄は、先ほど申し上げたように、沖縄でグローバルな人材育成を内部でだけではなく外から呼んで、一緒に交流しながらできる可能性がとてもある地域だというふうに思います。それは、世界に四十万人といわれる沖縄のネットワークだけではなくて、沖縄でだからこそ何か安心で安全に、ここでは自由に議論ができるよねというような雰囲気を沖縄は持っているのではないかと。  それは、歴史的に、中国やアジアの諸国、そして日本の中において、しなやかにその中で交流をしながら生き抜いてきた沖縄人のDNAの中にもしかしたらあるかもしれないそのしなやかさや、たくさんの人たちを受け入れることができる土壌が、沖縄に人材育成の場をつくることができる可能性をつくっているのではないかと思います。  国際センターが沖縄にはございますが、JICAの組織ですけれども、その中で海外の受け入れてきた経験もございます。そして、沖縄は、復帰後すぐにアメリカを始め欧米に留学した方々がたくさんいらっしゃいます。実は今、そのネットワークが結ばれていないということが一つ課題にございます。今まで戦後からずっと留学してきた先輩の方々、そして、今国際交流でいろんな事業が行われている中で生まれている沖縄で交流した子供たち、その子たちをいかにネットワークをつないでいくのか。それには、事務局というか、要となる組織が必要ではないかというふうに思います。その要が求心力を持つことによって、様々な情報を発信したり、いわゆる労を取ってみんなをつなげていく。それを継続していくことによって、若い子たちが巣立っていっても、ずっと沖縄を核にしながらお互いがつながり合って、ビジネスにしても、さらに子供たちの交流にしてもやっていくような可能性があるのではないかと。  そのためには、予算を活用している中でその基盤をつくる必要があると。基盤をつくって、ネットワークを結び、人材育成のプログラムをちゃんと確立をし、それから更に広げていく中で民営化に向かって動く必要があるのではないか。予算を活用しながら、更に主体的な人材育成の事業ができる。それは、アジアのリーダーは沖縄で養成できるよということを強く打ち出せるだけのものを沖縄がつくり上げることによってできるのではないかというふうに思います。
  24. 野国昌春

    参考人野国昌春君) 二点ございましたけれども、北谷町が今、この前御視察いただいたところとそれから海軍病院返還をされますと大体五千名から六千名人口が増えると、こういうふうに予測をいたしております。  そうしますと、先ほど申し上げましたように、二万七、八千名いますから、三万二、三千にはなると。こういうことになりますと、今、小学校四つ、中学校二つございますけれども、これだけではどうしても足りなくなるだろうと、こういうようなこともございます。当然、町をつくっていくためには公園、緑地というのも必要でございますけれども、そういった、しかし、町の単独でこれを用地も取得してやりなさいと、こういうような形になってくると非常に厳しいものがあると。  ですから、公共用地については国の責任でやってもらいたいということと、その中に国有地があるならば、国有地を無償譲渡、あるいはまた格安といいますか、本当に無償賃貸、こういうような感じのものをつくっていただきたいなと、こういうことでございます。  そして、人材育成の面になるわけですけれども、先ほど申し上げました、いわゆる基地内の中にある大学を一つこっちに持ってくる、こういうこと、あるいはまた英語の教育をできる英語村的なものもつくっていくと、こういうことを、やはり沖縄県の人材育成、観光立県として生きるためのいわゆる言葉の問題、こういったことの解決につながってくるのではないかということで、国の支援というものを申し上げたつもりでございます。  もう一つの、いわゆる立入り、返還前の立入りですけれども、これは、いわゆる合同委員会等で立入調査できると、こういうようなことですけれども、なかなか米軍側が許可しないと、こういうようなことでございまして、これはやっぱり日米地位協定なのかなと思ったりもいたしますけれども、そういうことで、きちっと事前調査をしていただければいわゆる土地利用が、おかげさまで給付金も何とかいい方向に参議院でも進むだろうというふうに期待を申し上げておりますけれども、やはり土地の持ち主はできるだけ早めに土地を使っていきたいと、こういうことでありますので、そのためには、事前に立入調査をしてそこに何があるというようなことで、返還と同時に分かればいわゆるその跡地の処理もうまくいくだろうと、こういうふうに期待しているところでございます。
  25. 木庭健太郎

    木庭健太郎君 ありがとうございました。
  26. 江口克彦

    ○江口克彦君 みんなの党の江口克彦です。今日はどうもお三人ともありがとうございます。  幾つか御質問をさせていただきたいと思うんですけれども、中条先生飛行場民営化するということで、それは大変私も賛成でありますけれども、空港民営化したら客が来る、空港黒字になったら客が来るということではないと思うんですね。やっぱりそのためには来るための沖縄の中での仕掛けをしなければならないというふうに思うんですけれども、その仕掛けというものを考えておられるのか、あれば教えていただきたいということが一点です。  それからもう一つは、沖縄で非常に課題になっているというか、ずっと一つの問題になっているのは北部の開発ということですよね。北部開発、言ってみれば名護から北の方はほとんど人がいない、あるいはまた開発されていない。北部をどうするかということが問題で、中条先生のような発想だと、また相変わらず南ということ、那覇を中心にした、空港を中心にした沖縄の開発、言ってみれば南が重くなるような開発ますますということになってしまうというふうに思うんですけれども。北部の開発、あるいはもっと言うならば沖縄全体の開発というものに対して中条先生は何か考えておられるのか、今日は時間がないから空港のことだけをおっしゃったんだと思いますので、教えていただきたいということであります。  比嘉さんというよりも開さんというふうに私はつい呼んでしまいますけれども、開さんの方は、二十五ですかね、離島、いろいろとお手伝いをさせていただきましたと、こういうことでありますけれども、二十五というのは大変な数を、島を回っておられるなというふうに思うんですが、それぞれの島々、それぞれ特徴があると思うんですけれども、開さん自身、比嘉さん自身、具体的にどのようなそれぞれの島の開発というか振興というか、そういうことをされてきているのか、今されているのか、ちょっと教えていただきたいということです。  二つ目にお尋ねをしたいのは、お話を聞いていると、三十九の離島に二万一千人ということになるわけですね。そうすると、そこに大きな企業、あるいはまた会社を云々というのはちょっと無理だというふうなことをおっしゃったように思うんですけれども、私もそのとおりだと思うんですが、そうなってくると、やっぱり補助金というか交付金というか、そういうふうなお話もあったかと思いますが、離島を維持していくためにはやっぱり国からの援助、県からの援助、補助金というか交付金というか、補助金の方が大きいと思うんですけど、結局はもう離島振興といったら補助金しかないのかということについてお話を伺いたい。  それから三つ目は、ここに書いてあるように、全国一律の制度許可基準は離島にそぐわないことが多いということですけど、具体的にどういう事例があるのか、全国一律の制度離島が困っている、あるいはまた許可基準で困っているという具体的な例をちょっと教えていただきたいということであります。  それから、町長の方には、簡単に答えていただいたらいいですから、町長の方には、原状回復に時間が掛かるということだと思うんですけど、どれほどの期間が掛かるのか、それからどれほどの費用が掛かるのかということですね。  それから二点目は、LRTということを言われましたけれども、LRTぐらいでいいんですかねということですね。沖縄でこれから沖縄振興を考えていくときに、LRTで十分なのかどうかということについてお話をいただきたいと。  以上、まとめて質問しましたが、簡単で結構です、お答えください。
  27. 岸信夫

    委員長岸信夫君) かなり質問の項目が多いので、それぞれ簡潔にお願いをいたします。
  28. 中条潮

    参考人中条潮君) まず一点目、仕掛けという話でありますけれども、先ほど幾つか細かい仕掛けは申し上げたとおりです。それはレジュメを御覧ください。  それから、一番大きな話は、国際航空を自由化するという中で、琉球独立すれば国際線になりますよという話なんです。先ほどの木庭先生の御質問とも関連するんですが、宮古—東京も、石垣—東京も、那覇—東京も国際線になるんです。そうすると、そこにどんどん自由化された国際線の中で参入が起こり、安い航空会社が入ってきますんですね。国内線は外国の航空会社は飛べません。だから、国内線国際線にする、これが一番大きな仕掛けです。  全て、これ実は航空の話だけではなくて、人、物、金、これを自由にしてどんどん入ってきてもらう。これは日本全体の観光政策に対する批判でもあるんですけれども、日本にどんどんインバウンドのお客さん来てくださいと言っているのに、日本観光政策は入口のところで鍵閉めちゃって、お客さんがレストランに、おいでってどんどん一生懸命呼んでいるのに、行ってみたら入口に鍵が掛かっている、そういう状態ですね。それをやめましょうと、それをやめるのを沖縄がまず先駆けでやりましょうと。細かい話についてはレジュメをもう一度御覧ください。  それから、北部開発を含めて、私はこれは余り言いたくないんですけれども、諦めるところは諦めた方がいいと思います。全て沖縄全体を振興させようと思っても無理です。これは、実は日本全体についても同じことが言えると私は思います。だけど、だけど領土として確保していかなければいけない部分というのはあるわけですから、そこに人が住んでいてもらわないと困りますから、そこをきちんと助けるという、ライフラインとしての最低限の生活をきちんと確保する。しかし、全ての離島振興させるというのは無理だと思います。さっきの比嘉さんのあの地図見てください。どれだけ離島の数がありますか。それが全部が同じように競争したらどこが生き残れますかという話です。すなわち、生き残れるところ、振興してほかを支えることができるところは思い切って自由にしてやって振興をどんどんしてもらう、それ以外のところは最低限の生活を維持するという形に政策を改めていく必要があると思います。  以上です。
  29. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) 今、中条先生がおっしゃっていましたけど、なかなか小さい島で活性化するというのは難しい状況があります。どんどんどんどん人口が少なくなっていくのは、やはり島での生活の大変さというのがかなり影響しておりますし、高校を外に出てしまうと、もう島に戻っても仕事がないので戻れない。これは日本全国、田舎は一緒かもしれませんが、特に小さい島の場合は行くだけでお金が掛かってしまうがゆえに余計にできないのかなというふうに思っておりますが。  今、島をじゃ活性化するにはどうしたらいいかということの御質問に対してですが、沖縄県の一・五%というのは、高校病院に陸路で行けない島の人口が一・五%です。離島人口は一〇%ぐらいいます。ですから、百四十万人の中で一〇%ぐらいは実は離島に住んでいる。それは、石垣島や宮古島は大きな島ですから、そちらですと企業の誘致も大きなホテルを造ることも可能ですし、いろんな可能性があると思います。  私が行っている島々の中には、もっと小さくて、本当に人口が数人だったり五十人以下の島もありますし、そういう島を見ていくときに、島の中に生きる人は、島で生きることに誇りも持って、愛情を持って、やっぱりここで生きたいと思っている人がとても多いということは感じます。  それは、島の暮らしというものが島の人たちにとって、本当にそれが島を愛する心が支えているんでしょうし、不便さも何も、昔からそこで暮らしてきた中で、いろんな自然の中で生きる知恵というのを島の人たちが持っていらっしゃいます。もしかすると、これからの時代はこの自然とともに生きてきた先人たちの知恵というのが生きる、生かされる、それが宝にもなるのではないかというふうに思います。  自然資源、文化資源を生かして、それを商品に変えていくという中では、亜熱帯の植物や生き物、そして海洋資源の中には活用できるものもいっぱいあるでしょうが、そこで今度、生きる人が持っている知恵も、それももしかするとこれから生かされるかもしれません。私は、そのような今できること、今あるものを掘り起こしながら今できることをやって、島の人たちが少しでも収入が得られ、そして島で生きることに喜びが増えるようにというようなお手伝いの仕方をしてまいりました。  ですから、大きな活性化ではありませんが、島で生きることの何らかのサポートをするということでございましたので、おっしゃるように、これから先、やはり補助金がないとやっていけない島々も多いです。それは、南西の国境線を支えている島々ということから考えると、どうしてもそこに人がいなくなると多分日本も大変ではないかということも考えると、島を愛する島の人たちが暮らせるような状況というのは、確かに補助をすることによって成り立たせていくことも重要なことだと思いますし、生きがいをつくるというのは、そういう交流を通じた生きがいのつくり方というのがあるのではないかというふうに思います。  それから、許認可に関しては、先ほど北大東事例を申し上げましたが、観光振興していこうとなると出てくるのが多いです。それは、多分交通にかかわることの許認可全国一律ではなかなかできないということだと思います。  小さい島では、例えば漁港と旅客ターミナルとが混在していたりします。そこを全部法律でやってしまおうとなると、なかなかうまくいかない。ですから、生活する上で、小さい島が、少ない人数の中で、インフラが整っていない中でやっていくには、どうしても全国一律のものでは成り立たないというものが多いということでございます。  よろしいでしょうか。
  30. 野国昌春

    参考人野国昌春君) まず、LRTだけでよいのかというお話でございましたけれども、いわゆるこれから鉄軌道となりますと、いろんなこれからの条件整備等が必要になると思いますけれども、LRTですと既存の道路をまず使えるんではないかというのが私は、非常に早めにできてくると、定時定速という、あるいはまた大量に輸送できると、こういうことが確立できるんではないかということで……(発言する者あり)五十八号線も。これは、ですから、那覇を起点に糸満にも、それから北部五十八号線も、それから東側、与那原を経由してのうるま市、こういうふうな道にもなると思いますけれども、一つの拠点をつくると環状線みたいにもできてくるんではないかという形でLRTをやっております。これは富山県でやっておるようでして、まだ見ていないんですけれども、是非その状況というものを見てみたいなと、こういうふうに思っております。  決してこれだけでいいということじゃなくして、やはり北部の方の生活圏が定時定速になるとそこに住んでおって通勤が可能だと、こういうような状況も出てくるだろうと思いますので、LRTを五十八号線、あるいはまた三三〇、三二九、こういうふうな形で造っていただければ非常にいいのかなと思っております。  それから、原状回復を確かに経験して、平成十五年に返還をされて、二十三年、去年の九月にやっと使用収益の三分の一が開始をされたと。そして今年二期、そうするともう九年、二十六年だともう十一年掛かっちゃうわけですね。これは何かというと、いわゆる米軍が遺棄したと思われるもの、あるいはまた油分の汚染とか、こういった土壌汚染がたくさんあって、これまでの一〇%の調査では、いわゆる実際に区画整理事業を進める中で、埋蔵文化財も出てきたりするし、油分の汚染も出てきたりするし、資料でお示ししてありますように、米軍の銃弾とかキャタピラとか、そういったものも出てくるような状況で、これが一〇〇%いわゆる調査することによって、ここは短縮は可能だし、使用収益の開始時期というのも早まってくるんではないかと。  こういうことで、一〇〇%という話でございますので、是非それも含めて実現させていただければ、いわゆる返還跡地の利用が促進されるというふうに思っています。
  31. 紙智子

    ○紙智子君 三人の参考人皆さん、ありがとうございます。  最初に、北谷町の野国町長さんからお聞きしたいと思います。  さっき御説明もいただいたんですけれども、跡地利用の問題では、これまでSACOの最終報告で返還合意されたキャンプ桑江は九十九ヘクタールだったわけですけれども、そのうち本当にまだ相当、六十ヘクタールぐらいですかね、残って、未返還のままということです。  それで、細切れ返還というのか、だから、合意しているんだけれども、ちょこちょこちょこちょこと返されてもすごく使いづらいだろうなというのは思うわけです。二十三事案で返還合意された部分についていうと、四十・五ヘクタールですか、そのうち四十ヘクタールが返ってあと〇・五がまだ返ってきていないとか、こういう形でくると、非常に自治体にとっては利用計画が立てにくいし、そういう点では、それについての、何というんですか、苦労というか思いというところを語っていただきたいのと、それから、やっぱりほかの返還地と一体的に整備をしていかなきゃいけないと思うんですけれども、その点での再開発への要望ということが一つお聞きしたいことと、もう一つ、併せてお聞きしたいのが、北谷町は嘉手納基地も抱えているわけです。それで、戦闘機の訓練の爆音被害なんかも非常に、私どもも行って、物すごい音がするわけですけれども、いつもこの負担軽減ということを言われるんだけれども、しかしながら、負担が軽減されたのかというところは、私は率直に言ってとてもそういうふうには思えないんですけれども、その辺りのところについての町長さんの実感と、それから、最近は基地の外に米軍の方が住まうところが増えているということなので、それについてもどうなのかなということについてお聞きしたいと思います。  それから、比嘉参考人に対しては、子供の貧困という問題がやはり沖縄でも深刻な問題になっていて、県の教育委員長として現場でじかに感じられていること、その対応ということと、それから、この参考人の資料の中に本島子供たち離島に連れていく活動ということで紹介があるんですけれども、生活がなかなか大変だ、困窮しているというような子供たちなんかが参加する場合のその財政的な援助とか、そういった対策なんかはどのようにされているのかなということをお聞きしたいと思います。  以上です。
  32. 野国昌春

    参考人野国昌春君) 今の海軍病院のところですけれども、ここもSACO合意では二〇〇七年までに返還をするというようなことでしたけれども、もう既に五年が経過をしているわけです。  これは、いわゆる常に返還に当たっては、いわゆる移設条件付というようなことが一つ課題になっておりまして、移設が実現しないことにはこの返還が実現しないと、こういう、何といいますかね、日米の約束になっておることが一つの問題だというふうに思っております。  私としましては、いわゆる五ヘクタールとか、そういった形での細切れ返還になると町づくりそのものが全くできないというようなことで、ある程度まとまった範囲での土地を返還してもらいたいと、こういうようなことで常に国にも要請等もしているところであります。したがって、キャンプ瑞慶覧とか、こういうところも、いわゆる百メートルとか、いわゆる五十八号線から百メートルとか、こういった形の返還じゃなくして、まとまった形での返還をしてほしい、町づくりができる範囲での返還をしてほしいと、こういうような要請をしているし、また希望もいたしているところであります。  そのことが、先ほど交通渋滞もあると申し上げましたけれども、いわゆる国道拡幅も、今年、新年度ではいわゆる事業化が通ったわけですね。国の方から通ったわけで、二百三十億円の事業化が認められておりますので、是非これを早めに進めていくと。場合によっては、返還が遅れるようだったら道路分だけの共同使用とか、こういったことも視野に入れて対応しなければいけないだろうというふうに思っております。  爆音被害につきましては、嘉手納基地を取り巻く沖縄市、嘉手納町、北谷町で三市町連絡協議会、俗に三連協と言っておりますけれども、三連協で爆音問題については常に取り上げております。その中で、やはりグアムへの訓練移転とかで、この前は確かに役場の調査でもその間少し静かになったということではございますけれども、しかし、いわゆる二十二時から翌朝の六時までという、このことが全く守られていないと。もう現在でも、四時半ごろ必ずというほどエンジン調整音というのが聞こえてきまして、確かに離発着は六時以降になってきておりますけれども、飛行機は、戦闘機はいきなりエンジンを掛けて飛ぶというわけにはいかないようですので、そのためのエンジン調整の時間の爆音というものは地域住民に非常に負担となっていると、こういうようなことでございます。  それから、米軍人軍属が基地の外に住むというようなことですけれども、これもやはり公園とかそういった中は、米軍人も休みの日はもう全部使うと。これを排除するわけではないんですけれども、やはりそこには一定のルールを守った形でのものでやってもらいたいと。昨年も夏に、米軍人が傍若無人な、そこに瓶を割ったりしたというようなことで、四軍調整官に言って抗議をして、その後そういったこともなくなってはいますけれども、しかしながら、まだまだそういった基地の外に住む者も含めて、我々としてはその実態が、住民登録もされていないですので実態が明らかにされていないと、こういうようなことがやはり漠然とした不安にもつながっていると、こういうことで、北谷町も沖縄県で二番目に多い、沖縄市がこの前なりましたけれども、しかし人口比にすると、あるいは面積比にすると断然北谷町が多いわけで、そういった事件、事故に対する不安もあると、こういうような状況であります。
  33. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) 子供の貧困については全国的に悩ましい状況にあると思いますけれども、沖縄もやはり同じでございまして、離婚率の高さは北海道と並んでいつも一位を争っている沖縄県でございますから、一人親の世帯、多いです。そして、母子家庭が多くて、観光立県でございますから、女性の仕事で一番多いのが夜のお仕事になってしまう。そうしますと、うちに夜親がいないだけではなくて、核家族化全国並みに進んでおりますので、一人で子供たちが過ごす。  そこで起こっているのが、例えばしつけですとか、あるいはマナーですとか、社会性を養うということが家庭の中でなかなかできにくかったり、そして、一番大事な親やあるいは周りにいる大人たちと接することによって心、愛情を受けて心を育てるというのが、沖縄でも、都市部においてはちょっとなくなってきつつあるのかなというふうに思います。  やはり、生活保護の受給率は決して全国一位というわけではないんですけれども、高いこともあり、それから就学援助を受けている子供たちの数も那覇とか都市部では二割を超えています。それは、給食費ですとか学用品を支援してもらうことによってやっている子供たちが多い。  先生方からお話を聞きますと、やっぱり子供たちが朝学校に来ない、いない。じゃ、先生が行くと、親はいなくて子供が一人でいて、冷蔵庫の中には何もないから買い出しをして冷蔵庫に食べ物を入れ、御飯を作って帰ってくるというようなことをやってくださっている先生方も多いです。そういう先生方お話を聞きますと、やはり学校にもうかなり負担が掛かっている状況がある。これをもう少し地域で応援する仕組みというのが必要になってくるのかなと。これはもう沖縄だけのことではないかもしれませんが、地域の中で子供たちを育てて、沖縄が本来持っていたはずのものをもう一回、離島にはまだ残っているものを離島をモデルにしながら呼び起こすことによって、みんなで子供を育てる、将来の宝を育てていくということが求められてくると思います。  そのための支援事業に対する予算は、はっきり申し上げて少ないと思います。ですから、一括交付金が活用できるのであれば、その辺の充実、スクールサポーターしかり、地域のコミュニティーで学校をサポートする仕組み、その他大学生が例えば小学生を指導するとか、塾に行けない子供たち、学業が遅れている子供たちをサポートする大人のチームをどのようにつくりそれを支援していくのか、これはこれから求められていることだと思います。  それから、離島活性化離島体験交流事業についてですが、那覇子供たちあるいは本島子供たちが、やはり生きる力が失われてきている、それからコミュニケーションが取れなくなってきていると。これももう全国と同じように沖縄も進んできておりまして、それを離島に行くことによって、離島のおじさん、おばさんたちは今でも子供たちをメーゴーサー、げんこつ、スーパーメーゴーサーってやったりしますけれども、げんこつをしたりしながら叱ります。この叱られることに喜びを感じるというぐらいの現象が、全国から来る子供たちの中でも、沖縄子供たちの中でも生まれているんです。そのくらい、子供たちが自分に目を向けられていないというふうな寂しさを持っているんだと思うんですね。ですから、叱ることも含めて声を掛け、その子を認めてあげるというのを離島の中でやっていることというのがこの事業の目的の一つなんですが、離島でそれを体験させるというのを、そこで何かのきっかけで勇気が湧いてくれば、子供たちが自ら自分が生きる道を見出していける、そしてその力を自分でつくり出していくという、そういうことができるのではないかということで進めておりまして、これは三か年の国の補助を受けた事業です。  ですから、今のところ子供たち負担はありません。今後どのように続けていくかというのは、先ほどの就学援助を受けている子供たちはそのような支援が出るのでしょうけれども、全体的に必要とされている生きる力を付けていく、コミュニケーションを付けていく、それから未来に向かって夢を持てる子供たちをつくっていくための事業というのは、補助の在り方というのを新たにつくり、継続的な支援をしていく必要があるのではないかというふうに思っております。
  34. 山内徳信

    ○山内徳信君 私は、中条先生には質問ではございませんで、先生の発想にかなり共鳴したという私の考えをお伝えしたいと思っております。  先生のこの資料のカジノのところ以外は私はほとんど賛成できるんです。東京にこんなに既成概念を打ち破った、あるいは既成概念を乗り越えられた先生がいらっしゃるというのは私にとっては新しい発見でございました。しかも、琉球王国の、あれは一四〇〇年代に尚泰久王が首里城正殿の前に大きな鐘をつるしたわけですが、その中に万国津梁が出て、最近は名護にできておる建物も万国津梁館、うるま市に建っておりますあのIT関係の施設も万国津梁館と書かれておるんですね。それで、私はこの万国津梁の鐘に書かれておるように、あの当時の琉球王国が朝鮮半島とも中国とも、そして大和とも、その中間にあって、泉から水が湧き出てくるような、そういう蓬莱島が琉球王国であると、こういうふうに言って貿易立国として栄えてきたわけですね。  今、沖縄は二十一世紀プランを作って、それを是非法制化してほしい、新しい法律に盛り込んでほしいと、こういうふうな具体的な動きになってきておるわけでございます。そういうふうないろんなことを考えてみると、沖縄には独立論者もおるわけですね。そういうふうに沖縄アイデンティティーを持っている人々が先生の今日の話を聞きますと、より具体性があって、これは大きな示唆を皆さんに与えることになるんだろうと、そういう思いで私は聞いておりまして、中条先生、ありがとうございました。是非沖縄に行かれて方々で御講演をしていただけたらと、こういう思いで聞かせていただきました。  時間もそんなにありませんから、比嘉さんに一つだけ聞いておきたいのは、私は毎年どんなことがあっても一年に少なくとも一回、二回ぐらい伊江島を訪ねるんです。訪ねまして、あの島は生きておるという言葉を使うんです、この島は生きておりますよと。ところが、中学校を卒業するとみんな本島高校に出ていくと、そういう状況があって島の人も困っているわけですが、ここに身の丈の専門学校かあるいは名護高校の分校みたいなものをつくって、今までの文科省中心のがんじがらめのカリキュラムとかなんとかいうものをもう少し緩やかにして、そして、あれだけの海洋資源、あれだけの、人間の頭数より牛の頭数が多いとかいう状態でしょう。あれは国頭郡全体の町村より牛は多いんです。その他、葉たばことかいっぱいあるでしょう。そうすると、農業関係と水産関係と、わびあいの里のあの平和資料館を生かした平和学科とか、その他幾つかを組み合わせていくことによって学校ができると私は可能性を見ておるんです。そういうふうにして若い人々を残していく。毎年伊江小の六年生が児童劇をやっていまして、それを私は見ることにしておるんです。  そういうふうに、是非、比嘉さんの今の運動を通して、お仕事を通して、個性のある、島に個性が残っておるんですね、島々に。そういう島が生き残れるような、そういう動きをつくっていかれると、大変、島を救った、島を再生させたということにつながっていくわけですね。そういうことを少し皆さんの立場で御検討をいただいてみたらと。  これも質問じゃなくて、逆に要望にしておきます。予算委員会が待っておるもんですから。私は次、また予算委員会に行くんですよ。  それから、野国さんには質問をいたします。  今提起されておりますこの資料は、全部五十八号線東の返還用地の跡地利用が難渋を極めておるという、現場も見せていただきましたが、今日もその資料を、聞いておるんですが。  私は宿舎にいまして、まだ国家公務員とかあるいは国会議員の中に沖縄から基地がなくなったら困るんじゃないという、これはもう昔の発想がまだ残っている方がいらっしゃるんですよ。私は丁寧に説明をしていくんですが、私が説明する中に、那覇の新都心の話と、それから北谷の五十八号線西のハンビー飛行場の跡の説明をするわけです。  今日は野国さんに、ハンビー飛行場西側のアメリカンビレッジ地域とか美浜地域とかハンビー飛行場の跡、こんなに変わりましたと、それを雇用の面から、経済面から、税収の面から、いや、アバウトでいいですよ、そういう説明を少しやっていただけぬかなと思っているんです。よろしくお願いします。
  35. 野国昌春

    参考人野国昌春君) ハンビーとそれから美浜、ここがおもろまちと並んでいわゆる返還跡地の再開発の成功事例と、こういうふうに言われております。ハンビーも美浜も昭和五十六年に返還をされました。そして、ハンビーは、いわゆる設備投資とかあるいはまた雇用効果とか、ちょっと数字は持っておりませんけれども、本当に何十倍にもなっております。そしてまた、町に入るいわゆる税金、こういったことも本当に何倍にもなっております。そういったことで、やはり返還をさせて、そしてそこに、有効利用をすることによっていわゆる雇用効果も生むし、財政効果も生むしというようなことになってくるだろうと思っております。これは、美浜、アメリカンビレッジ地域も全く同じでございまして、ですから、決して基地があるがゆえに栄えるというようなことではないと、こういうふうなことを言っているわけです。  したがって、北谷町はやはり計画的に返還を求め、今ハンビーが返ってきました。アメリカンビレッジが返ってきました。アメリカンビレッジは、返還と併せて埋立事業もやりました。バブルがはじけたころは、一日、町の利息負担が百万円を超す時期もあったわけです。町役場職員が一生懸命に頑張って町をつくっていく、本土の企業もたくさん誘致をしていわゆる活性化をしてきた、そして今やもう七、八百万のいわゆる県内外からの来町者がいらっしゃると、こういうことでにぎわいを見せておりますけれども、本当にバブルがはじけたころは一日百万円の利息をどう返済をしていくのかと、こういうような時期もあったわけです。  そういった苦労を乗り越えて今の税収とかも、数字は後でまたお示しできると思いますけれども、いわゆる活性化につながってきていると、こういうふうなことでございますので、税収でハンビーでいうと約八十倍につながっております。そして、美浜も恐らく二十倍以上のものになっているだろうというふうに思っております。  したがって、基地があって基地交付金とか基地所在交付金とかありますけれども、これとは比較にならないほどのいわゆる収益といいますか、雇用、税収面から含めて上がってきていると、こういうようなことでございます。
  36. 山内徳信

    ○山内徳信君 終わります。
  37. 岸信夫

    委員長岸信夫君) 以上で各会派の質疑が一巡いたしましたので、これより若干の時間、自由質疑を行います。  質疑を希望される方は、挙手の上、委員長の指名を受けてから御発言願います。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。島尻安伊子君。
  38. 島尻安伊子

    島尻安伊子君 自由民主党、島尻安伊子でございます。  三名の参考人に短く御質問をさせていただきたいと思います。  まず、中条参考人には、空港民営化ということを中心にお話を伺ったわけであります。今回、沖縄振興法で物流特区という条文を入れることができました。今既に全日空の物流貨物のもう運営が始まっているわけでありますけれども、今後、やはり沖縄経済的にも強い沖縄になるということが安全保障上も重要ではないかという思いの中で、アジアで競争できる沖縄あるいは空港あるいは港湾等々にしていかなければならないというふうに思っております。  その仕掛けなんですけれども、例えばBツーBとかBツーCとか、対中国あるいはアジア全域に向けて大変な可能性が秘められているというふうに思いますけれども、スケールメリットということも含めて、是非参考人のアドバイス等々をいただければというふうに思います。  それから、比嘉参考人には、さすが県の教育委員でお仕事をなさっていたという中で大変示唆に富んだお話を伺えたというふうに思っております。  これまで、何といいましょうか、沖縄振興というのが基地か経済かというふうな考え方の中で、やはり県民の暮らしとか子供たち教育あるいは福祉という、そこがもう見落とされてきた感が否めないわけでありまして、その中でも、今回のこの法案で子供政策あるいは青少年の育成という条文が入ったというのは大変評価できるのではないかというふうに思いますが、その一方で、先ほどお話があったような一括交付金云々、予算の仕組みが変わってくるわけで、そういう中での今申し上げたような教育あるいは福祉の充実を図るにはどんな仕組み、仕掛けが必要なのか。あるいは、具体的に言えば、県庁というか、県の中で新たなこういった教育、福祉に関する部署を充実させなければいけないのではないかなというふうに思っていまして、その辺もしお考えがあったらお聞きしたいと思います。  それから、野国参考人には、ずばり、今基地内大学等々との交流ということがお話にありました。教育というのは、もう大変その点大賛成なんですけれども、もう一つ、医療の交流という観点で、海軍病院は宜野湾市に移りましたけれども、今後、地域の医療の交流の中で、海軍病院との交流という中で、町長のお考えがもしございましたらお聞かせいただきたいと思います。
  39. 岸信夫

    委員長岸信夫君) それでは、時間が来ておりますので、答弁簡潔にお願いいたします。
  40. 中条潮

    参考人中条潮君) 先ほどの繰り返しになりますけれども、まさに今おっしゃっていただいたように、経済的に強くなるということがやっぱり大事な話であって、頼るという発想から自立の発想、だから琉球王国独立ということを申し上げているわけですけれども、それを単に言葉で言っているだけではなくて、実際に実現していくためには、人、物、金、これを自由に、まずはオープンにするということです。そういう点で、沖縄全県特区がまさに琉球王国独立ということを意味するんですよということを申し上げたわけですが、今回の法案で、物流特区、取りあえずそこだけがオーケーになったわけですけれども、更にそれを広げていく。  沖縄人たちは、外国というものについての、異国というものについてのアレルギーの程度というのが日本全体に比べると私はかなり低いと思っています。そこをいかにして生かして、どんどん外国から人を入れてくる、物を入れてくる、お金を入れてくる。先ほど空港のことでも、今回は空港について申し上げましたけれども、ほかのいろんなIT産業だとかそういったものについても、外国からの、何というか、進入を、これを拒否しないということですね。そのアレルギーを理解するという能力は、私は十分にこれまでの歴史の中で持っていると思います。そこのその強みを生かすということが大事かなと思っています。  以上です。
  41. 比嘉梨香

    参考人比嘉梨香君) ありがとうございます。  一括交付金は本当に運用においてどうするのか、それは沖縄側にも試されていることだと思いますが、自由な中でどう使っていくかということではございますが、県庁の中の新しい部署というお話がございましたが、県民の暮らしや教育や福祉ということに関して充実させるには、やっぱりその部署にお金と人を配することが最も求められてくると思います。どうしても、人は特にどんどん削減の方向にあり、あるいは動ける人というのがなかなかその部署には行かなかったりというか少なかったりというようなことがあり、やはり基幹産業の方に行ってしまうというのが状況でありますから、そこは充実させることが求められてくるかなと思います。  それと、沖縄は今、先ほどは離島の話をしましたけれども、教育の分野においても、もう様々な複雑な課題があります。それから、暮らし、福祉、どれを取ってみても、構造的な問題も含めてとても複雑です。それを全部拾おうというのは、行政や誰かがやるというのは難しいと思います。となると、新しい公共という考え方こそまさに沖縄の中でこれから生かした方がいいのではないかなと。  多様な人たちが、例えばNPOの活動をしていたりNGOの活動をしていたり、少しでも沖縄の暮らしを良くしていこう、教育を少しでも、子育てを支援していこう、あるいは福祉を充実させようとして動いている思いのある人たちをいかに支援するかということをやるためには、まず弱者であり少数の声を拾う仕組みが必要だと思いますし、それを全て公共のお金でやろうとすると、それはなかなかできない。そこを民間の思いを持った人たちと一緒に連携することによって充実をさせていくという。そのために、この数年間は、その仕組みづくりですとかその声を拾い上げるということをしっかりとやる中で、やはり全体的な沖縄教育、暮らし、福祉の充実を図っていく必要があるのではないかというふうに思います。
  42. 野国昌春

    参考人野国昌春君) 海軍病院は、いわゆるインターン生を本土の医学生も含めて数名受け入れています、毎年毎年ですね。私も、最近は行っていないですけれども、卒業式とかインターン生の修了式とかには何回か参加をさせてもらいました。そういった人材交流等もございます。海軍病院ができたてのころは、沖縄ではもう中部病院ぐらいしかいわゆる大病院はないわけで、かなり交通事故とかあるいはまたいろんな病気でお世話になっただろうと思っています。  ただ、今度、問題は、いわゆる医療保険が海軍病院で治療を受けた場合に使えるのか、使える仕組みができるのかどうかとか、こういったことが一つ課題になってくるのではないかなというふうに思っていることが一つ。それから、例の九・一一以降、いわゆる基地内への民間人の車というものがかなり入りにくくなっております。かなりエスコートがないと入れないとか、救急車協定をしてそれが入れるようになればもっといいのかなとも思いますけれども、最新の医療、普天間の方に移っていった病院施設も最新のものになっているだろうというふうに思いますから、そういったことが解決できれば非常にいいのかなと、こういうふうにも思っております。
  43. 岸信夫

    委員長岸信夫君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人皆様に御礼の御挨拶を申し上げます。  参考人方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。委員会を代表し厚く御礼を申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後三時六分散会