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飯田参考人 認定NPO法人
環境エネルギー政策
研究所の
飯田哲也と申します。よろしくお願いします。
お手元に二枚物のレジュメを用意しましたので、大体それに沿って
お話をしたいと思います。
その前に、私は、もともと神戸製鋼で、放射性廃棄物、特に
使用済み核燃料の輸送、貯蔵処分の設計、
研究、開発、製造にかかわって、安全解析、安全許認可、その後、電力中央
研究所に行って
原子力安全委員会の事務局の
仕事と電気事業連合会の裏
仕事をして、いわゆる
原子力村という名づけ親として知られています。
しかも、全く偶然にも、私が
原子力村時代に最後にやった
仕事が、
福島第一
原発に今もある乾式貯蔵施設、キャスク貯蔵、そこにもかかわって、例えば、
日本の安全
規制の
制度設計というか基準づくりの実務がどうあったのか、もう二十年も前ですから今は多少は改善しているかもしれませんが、そして、許認可の現場は
一体どうあるのか、あるいは物づくりの現場がどうあるのかという、私は徹底的にリアリティーにこだわってきておりまして、そういった観点からすると、これまでの議事録とかを拝見しても、なかなか宙に浮いた感覚がありまして、あれだけの
事故を起こした国で実質的に改善をしないと、今ここで改善しないと
一体いつ改善できるのかということを、ぜひ国
会議員の
皆さんには覚悟を込めてしっかりやっていただきたいと思うんですね。
それで、サブタイトルとしては、形骸化、偽装された
安全性から実質的、実効的な
安全性をしっかり担保するということが必要だと思います。
まず、そういう観点から申し上げると、今、この
原子力規制庁の議論が並行して進んでいますが、今事実として進んでいる、現実として進んでいる矛盾と、これからでき上がっていく
規制庁なり安全
規制体制のギャップをどう埋めるのか。魔法のように安全
規制組織ができるとは思えないわけですね。
まず、再
稼働問題です。
私、同時に大阪府市統合本部の特別顧問をしておりますが、ここの中で、私も一応
原子力の
専門家の片割れですが、各電力会社の
原子力のアドバイザリーをしている佐藤特別参与と一緒に体系的な分析をして、大飯三、四号を初めとするあのストレステストの、極めて限定的な
状況で
安全性はどう考えても担保されていない。少なくとも、
福島の
事故を踏まえた
安全性は担保されていないです。
それを、先日も議事録を拝見すると、細野
大臣は、あるいは四
大臣は、
安全性を確認したと強弁される。これは明らかにうそですよ。しかも、
専門家が安全ではないと言っているものを
政治家が安全だと言うのは、これは
政治の介入ですね。何でこんなことが今まかり通っているんですか。おかしいじゃないですか。
それで、その
政治のもとでできる
原子力規制庁がまともなものになるとは思えないわけです。
その結果として、
国民は非常にリーズナブルですから、昨年の秋は、即時脱
原発よりは、いつかはなくなってほしいという人が八割だったわけですが、もう今となっては再
稼働反対が圧倒的多数になっているのは、これは、
安全性の問題はこれで完全に信頼を喪失しているという問題だと思う。これは完全に
政治の失敗だと私は思います。
この現実と、これからでき上がっていく
原子力規制庁とそして
規制体系というものは必ずつながっていますので、この問題をきっちり筋を通しながら、並行して法案の議論も必要だと思います。
同時に、
原子力委員会の秘密
会議の問題です。何か私の名前もうわさされていたと
報道されていましたが、これは私も
原子力村にいたときから常態化していて、それは当然だと思うんです。しかも、事務局は前々からみんな知っていました。電力会社や
原子力の事業者の
方々が出向で、私
自身も出向で、しかも
原子力安全
規制の
仕事をやっていた経験もありますから。そういう、ある種ずぶずぶの
関係なわけですね。そういった
組織が、
原子力委員会という名のもとに、結局、規範性を欠いて今もなお運営されているといったこともやはりしっかりと見ていかないといけないだろうと思う。
そして、昨今
報道されている美浜
原発の駆け込みで四十年超えですね。四十年超えは例外だというような話が駆け込みのような形で行われる。これはもう明らかに
政治の不作為だと思います。
確かに、形式的には、今、現行法でやるから認められる、あるいは、新しい法案ができても、それは例外ということできちっとやったら認められるかもしれません。
しかし、あれだけの
事故を起こした国が、抜け駆けのような形で、しかも、これは安全
規制の失敗でもありますから、冒頭のストレステストも含めて今進めている
人たちは、ある意味、手が汚れている
人たちですね。そういったものに対して
政治がブレーキをかけないと、この国のモラルはどこまで落ちていくんだと。これは本当に世界に対して恥ずかしい
状況だと私は思います。
そして、
福島第一
原発の教訓を
一体どう学ぶんだ。これは、
北澤先生が立派な
報告書をつくられているので余り詳しく申し上げませんが、去年の秋にスイスの
原子力規制庁、きょう添付
資料で、北海道大学の吉田先生が翻訳をされたサマリーのところだけですが、膨大な分析をされて、そこからスイスの
原子力規制庁は学ばないといけないことをされています。
その中で、これも
北澤先生が指摘されていましたが、特に
組織的な問題が非常に大きい。学習ができない
組織、あるいは学習を阻害する。保安院が経産省に依存をしている、あるいは意思決定が非常に不透明である。これは今も非常に不透明ですね。なぜ美浜が進むのか、なぜ再
稼働が進むのか極めて不透明で、裏側のことが進んでいる。もろもろ、あとはちょっと省略しますが、そして
原子力村問題も指摘されている。
そして、
北澤先生の
民間事故調の報告は出ていますが、
政府の
事故調の最終報告、そして国会の
事故調、
皆さん自身がつくられた
事故調の報告が出ていないのに、そこから学んでつくるべき
規制庁や
原子力安全
規制体制の法案がなぜ先に進むのか。これも明らかに
政治の不作為というか、おかしいと思われないんでしょうかというふうに私は思う。
これは、別の都合でほかのことが進む。これはまさに再
稼働問題と一緒ですね。
安全性をないがしろにしてほかの都合で物事が進むと、結局は安全神話にまた舞い戻りしているのではないかというふうに思います。
そして、私
自身がいた
原子力村の問題、これは本当に徹底的に、きちんと社会科学的にメスを入れる必要があると思うんです。
一人一人は、ほとんどの方は極めて誠実で、きちんとした
技術者の方が多いわけです。しかしながら、これが、かつての旧
日本軍のときの陸軍、海軍の問題と同じように、全体として膨大なある種の利益集団となっていくと、その誠実な方は押し黙り、ゆがんだ言論が前に出てくるといったことで、
日本の
安全性は極めてないがしろにされてきた。特に上に行けば行くほど、腹芸と寝わざで、きちんとした論理的なことをおっしゃらない。そうすると、下の者はその腹を読みながら、結局、情緒的コネクション、裏の
仕事でしか物事ができなくなる。そして異論は、あの人はちょっとおかしいよねという形でだんだん遠ざけられて、実質的な議論はどんどん表舞台でされなくなっていく。いわゆる空気の支配ですね。
今回も、例えば
ノーリターンルールとかもありますが、形式的、形骸的なルールをつくることによって実質的なところが見逃されていく。どんな形式、ルールをつくっても必ず実質というのは中を抜いてきますから、実質をどういうふうに埋めていくのかということに知恵を尽くす必要があると思います。
それで、幾つか論点が挙がっていると思いますが、例えば専門性の
確保。
これは、
組織的な学習能力をいかに高めていくか。これまでの閉鎖的な
組織文化を、いかに外部、特に国内外、そして批判的な人も含めたオープンな
組織風土をどうつくれるか。一人一人が非常にモチベーションが高く、士気が高く、好奇心旺盛な学習文化をつくる。
そのためには、自立した個と国際的なネットワークに一人一人が結ばれていて、その人がやはり固有名詞で、きょう例えば
木村先生とか
北澤先生、
宮野先生ですね、固有名詞で勝負をすると、世界に吹きさらされるので、恥ずかしいことができなくなるんですね。
これは、
ノーリターンルールとか、私はそういうことではないと思うんです。一人一人が誇りを持った
仕事ができる
環境をどうつくるのかということ、その実質を問わなきゃいけないと思う。
私がいたスウェーデンの例ですと、まずはトップの人、本当に尊敬できる指揮官、専門性と人格的
独立性をいかに
確保する、そういう人を据えて、その人のもとで、ここにあるような専門性と人格、社会性、戦略性、
機能性、よくある、前回も調達価格
委員会等で、国会同意人事であれば何でもいいわけではなくて、いつの間にか決まってしまうような非常に不思議な人事が出てくるわけですが、そうではなくて、本当に人格的にこの人なら、その
組織、
日本の
原子力安全
規制を守れる、そういう人をきっちりと担保する、新しいトップとガバナンス体制をつくる必要があると思います。
それから、
日本全体のやはり
原子力技術の安全
技術の底上げが必要で、これは一例ですけれ
ども、私が二十年前から指摘している旧告示五〇一号問題とか、これはちょっと専門的になるのであれですけれ
ども、昔は電気事業法の下にぶら下がっていた告示五〇一号というのは、これは、かつてASMEの、いわゆる
アメリカで
原子力機器をつくる機器基準は、そのまま横文字を縦文字にしたものが電気事業法の下にぶら下がっていたのが、今は機械学会の、一応形式的にはASMEのまねごとのようになっていますが、今、実態はいまだにASMEの横文字を縦文字にしたものでしかなくて、やはり、オープンな文化で実質的な
技術基準をつくり上げていくような
組織風土、これは法律の問題ではなくて、
皆さんの問題ではなくて、
民間というかアカデミアの話だとは思いますが、全体を底上げしていく。
しかしながら、これはやはり
原子力村のところにメスを入れていくような
規制庁のあり方が、範を垂れるという意味では、
関係をしてくるのではないかと思います。
それから危機管理体制については、これも、やはり実態や能力を伴わない形式的体制をやめて、例えば総理の本部長が本当にいいのかどうか。これは、あの
震災直前の九月一日の防災訓練で当時の菅首相が
SPEEDIということを命令しておられるわけですが、実際に起きたときに、御本人を含めてどなたも
SPEEDIのことは存じなかったという、いわば、台本を読み上げるような学芸会的あるいはセレモニー的なことは、いいかげんもうやめた方がいいんではないかというふうに思います。
そういう意味では、
政治がとるべき
責任と、
専門家、いわゆる指揮官がとるべき
責任をしっかり仕分けをして、
政治家は任命
責任と結果
責任をとる、指揮官にやはりしっかりとした専門性の方を置くというような、そこらあたりのきちんとした仕分けが必要だと思います。
そういう意味でいうと、この国の全体のモラルとしてやはり私が一番問題だと思うのは、もう一年三カ月も経過をして、
政治も、
行政も、そして
事故を起こした当事者の
東電も、誰一人として
責任をとっていないですね。これは、もちろん民事、刑事のことを言っているのではなくて、道義的な結果
責任です。
これはなぜなのか。これは、将来世代に対しても、今の現世代に対しても、世界に対しても本当に恥ずかしいことですね。なぜ誰もみずから
辞任をし、あるいは
辞任を命じないのか。これは本当に恥ずかしいことだと思います。
その他のちょっと細かい論点はつぶして、論点に入っていない最後のところですね。
私は
原子力委員会は
廃止すべきだと思います。これはそもそも
機能としてもう必要ない。そしてもう一つは、今回の秘密
会議の問題もあります。モラルが極めて低下をしている。今回の
規制庁にあわせて、実は
原子力委員会だけではなくて、文科省にぶら下がっているさまざまな、今度、
原子力村が縦割りになってしまうのをしっかりと統合するという意味でも、この
原子力委員会の
廃止というのは極めて象徴的になる。
もう一つは再
稼働問題。電気が足りる足りないという話になっていますが、結局はそうではない。本当の問題は、電力会社の経営問題であり、そして、その先は使用済み燃料問題なわけです。そこをしっかり表に出した円卓
会議のようなものをしっかりやらないと、この大飯三、四号で
国民の反発をますます招いても、その先、問題はもっと大きくなる一方ですから、もうちょっと大きな問題解決の場をつくった方がいいのではないかというふうに思います。
どうもありがとうございました。(拍手)