○熊谷大君 次の
質問に移らせていただきたいと思います。
先ほどもありましたが、
復興のスピードが非常に遅いなというふうに思っております。さらに、そのスピードの遅さに輪を掛けて、政府・政権与党の姿勢が非常になかなか
被災地から受け入れられるような態度ではないなというふうに思っております。
ちょっと振り返ってみたいと思うんですが、六月二十七日、月曜日なんですけれども、この日に宮城県議会、市長会、議長会そして町村議
会議長会、総勢百名近く宮城県から陳情団又は
要望団がやってまいりました。総理、当時は菅前総理でしたが、総理始め各
大臣に
出席そして
要望して、当時被災県である宮城県がどのような
状況であるか、とにかくヒアリング、聞いてもらおうということでやってまいりました。
しかし、残念ながら、総理は
出席されず、各
要求していた
大臣も来ず、政務官又は副
大臣クラスの方たちが来て話を聞く、そして説明をする。その説明も、官僚が用意したペーパーをただ読むだけというこの態度に、非常に被災県の各
代表である県議
会議員又は市
会議員、市長、そういった方々ががっかりしたというふうなことをおっしゃっております。
その態度、姿勢、そして
スピード感の遅さ、今九か月をたとうとして
被災地がどうなっているか、これをちょっとお話ししたいと思います。
今、
地域が非常に真っ二つと言っていいほどに割れております。集団移転に関することを例にして話をしたいと思います。
被災当時は、やはりもうここに住めないんじゃないか、住みたくても住めないんじゃないかという思いを持った人、なので、九割近くがほかに、安全な場所に移転したいという思いを持っていました。
しかし、夏が過ぎ、秋の落ち葉を見ると、そしてなかなか仮設
住宅にいて先行き見通しが立たない。やっぱり被災した自分の家を片
付けに行こう、何とか様子を見に行こうとしているたびに、庭木、自分の世話していた庭木にツツジの花が咲いている、スイセンが咲いていると。やっぱりそういうところを見ると、帰りたいな、やっぱり先祖伝来の守ってきた土地、自分が生涯を懸けて一生懸命お金を稼いで建てた家に帰りたいなと思うんですよね。思う一方で、こういった残りたい、帰りたいと思う人は、どちらかといえばお年を召した方が多いように思います。
一方で、子育て世代の方々は、やはり集団移転したい、津波に遭ったところには戻れない、戻りたくないという方々多くなっております。特に子育て世代、その子供は津波を、あの巨大な破壊力を持った津波のすごさを見ています。そうした子供を持つ世代が被災した家に片
付けになんか行くと、子供たちは泣いてもう車の中から出られないといいます。そうした中で、やはりここで戻って
生活再建はできないというような立場の人たちがいます。
そうした二つの立場、これまず、もう真っ二つに今割れております。
まずは話合いを持つ、話合いの場を持つ機会というのが非常に重要であるんですけれども、被災したから沿岸部は
もちろん災害危険
区域として規制が掛けられております。防災集団移転がありそうだというふうなことを聞いて、もう戻れないな、家が中途半端に残っていても駄目だから解体をした人もいる。その中で、急に
計画案が出てきて、やっぱりここは災害危険
区域から外しますなんというふうな決定がされてしまっております。戻る家がない、どうしたらいいのか分からない。災害危険
区域の
指定の枠に入らなければ政府からのなかなか
補助が受けられないということで、途方に暮れておる人もいます。
やっぱりこれは、政府からしっかりとした
対応、
スピード感のある
対応がなかったためではないかなというふうにがっかりしておりますが、この前、国交省の役人の方からレクを受けたら、十分柔軟な
対応ができるようなことをこの
法案に盛り込んでいますというふうに言っておりましたが、
平野担当大臣、今の話も含めてどのようにお考えか、聞かせてください。