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宇都隆史君 自由民主党の
宇都隆史です。
本日は、震災
対応、誠にお忙しい中、各
大臣、副
大臣におかれましては、こちらにお越しいただきまして本当にありがとうございます。また、
全力で
災害に
対応に当たってくださっていますことを心から敬意を表したいと思います。
その上で
質問に移らせていただきますが、私、実は先週末、金曜日から日曜日にかけて
宮城県の震災地に入ってまいりました。震災の跡が一番ひどいと言われる沿岸部を
中心に、仙台市内から行きまして、石巻、女川、あるいは県南の方にも行きまして亘理町、あの辺を全て見てきたんですが、テレビの映像で見るのと実際の目で見るのでは本当に大違いと、やはりあそこの
現場に行って肌で感じてみなければ、この震災の恐ろしさ、
被害のすさまじさ、これは分からないなということを改めて一議員として感じた次第でした。
特に、ひっくり返って折り重なった車の数々もそうですし、元々家屋があった住宅地には家なんか残っていないんです。家が残っている、形を残しているところは、そこに建っていた家ではなくてもうどこからか流されてきた家、あるいは
場所によっては集落地があったところが集落ごと丸々のみ込まれて何も残っていないという
場所もありました。田畑にはいまだに水が、あぜ地も残っていないような形で水がたまっていまして、中に車が散乱しているものですから、車から流れ出た油膜が表面に浮かんでいて、あれはしばらく、まあ稲は育たないだろうなと。あるいは、海の近くに行ってみますと、恐らく漁師さんが大切に使っていたであろう漁船が完全に上に乗り上げてしまって、船底の一番頑丈と言われるキールという部分が完全に折れてしまっていると。全くもう修理のしようもないと。
そういうような
状況の中で、あの状態を一言で本当に表すとしたら何という表現をしたらいいんだろうと。私は、まるで戦争で爆破された後のようだなと、こういう表現が最も近いんじゃないのかなと。余り適切じゃないかもしれませんけれども、
災害でやられたという表現はもう適さないんじゃないかと、そのような感想を受けてまいりました。その中で、あのような自然の猛威にさらされては人間の力なんというのは本当に非力だなと思うわけですけれども、その中で亡くなられた皆様に関しては心から哀悼の意を表したいと思うわけです。
さて、今回の地震に関してですが、ともすると、阪神・淡路大震災のときの規模あるいは予算額等々に比べられて論じられることが多いわけなんですけれども、我々は、やはり国政を預かる人間としてそこを混同してならないのは、システムが全く違った地震だということです。阪神・淡路は直下型地震ということですから、規模の範囲も非常に狭い。ただし、非常に深い深度で起こっていますから、建屋がそのまま縦に崩れるような地震でした。最終的に行方不明者が見付からなかったという数もすごく少なかったのは、ある
程度その家の中に閉じ込められているのが予想できたということなんですが、今回のは直下型ではありません。海溝型といいまして、要は、プレートがずれる弾みで起こったことですから非常に大きな範囲で起こっているというのが特徴です。
実際に
現地に行きまして、もう
一つ大きな特徴は、先ほどもいろんな
状況をるる述べましたが、
津波なんです。地震でやられて壊れたというのは実はそんなに大きな
被害はなかったように私の目には映りました。確かに、道路が大きく陥没したり割れたり、橋が落ちているところはありますが、それ以上に
津波の波による
被害というのがこれは大きかったように感じるわけです。
阪神・淡路大震災のときは、実は阪神大震災あるいは京阪神震災等いろいろ名称が変わりながら、二十八日目においてようやく
政府の方で統一見解を出して、阪神・淡路大震災ということで統一名称にすると、その名前で復興をしていくということになったわけですけれども、本日で約二十日間
程度たっているわけですが、現在のところでもこのまだ名称については統一を図られていない
現状であります。もう少し日を置けば
政府の方からこの統一見解でいこうという話が出てくるやに思うんですが、そこで
一つ、私は
質問に先立って御提案したいことがございます。
この名称の中に大
津波ということを
是非入れていただきたいんです。といいますのは、
現地を回って
被災者の皆様にいろんなお話を聞いたときに真っ先に皆様が言われますのは、地震が来るというのはかなりの高い確率でもう予想していた、しかし、こんな大きな
津波が来ることは予想していなかったと
皆さん口々に言うんですね。
実は、
岩手の方で明治二十九年あるいは昭和の八年に大
津波がございました。三陸大
津波としてこの
被害を受けた
方々のところでは受け継がれている大
津波の伝説らしいんですが、そこの
方々というのは非常にこの
津波に対する警戒心も高く、
被害者も少なかったというふうに聞いています。
今回の実は
福島原発、まだまだ終局には至っていないわけですけれども、これの直接的な原因も、地震ではなく、やはり
津波の影響があったかに思います。
是非、この
津波の影響が甚大であったんだということを後世に残すためにもこの名称を残していただけませんかということで、
福山内閣副
官房長官に、これはよろしいんでしょうか、よろしくお願いします。