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大久保勉君
ODA調査第三班
団長を務めさせていただいた
大久保勉です。
まず、お手元の参考資料、ページ四十九ページを御覧ください。
第三班は、昨年十二月五日から十日までの六日間、オーストリア共和国、セルビア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナに
派遣されました。
派遣議員は、小西洋之
議員、北川イッセイ
議員及び私、
大久保勉の三名でございます。
派遣団は、欧州
地域において
我が国が
ODAによる
支援を行っておりますバルカン諸国のうち、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナを、また当該
地域と
関係が深く同
地域に対する
援助国であるオーストリアを
調査対象国と選定し、
調査を行ってまいりました。
以下、
調査を通じて気付いた点を申し上げます。
まず最初に、オーストリアについて申し上げます。
日本とオーストリアの
ODA実績を比較しますと、支出純額で見れば
日本は九十四・八億ドル、オーストリアは十一・五億ドルとなっております。それでも、対国民所得比で見れば、
日本は〇・一八%にすぎないのに対し、オーストリアは〇・三〇と、
日本を上回っております。
オーストリアの
ODAの特徴としましては、
同国が豊富な水資源を有することを背景とする水と衛生の
分野、あるいはガバナンスに対する
分野に
援助を行っていることが挙げられます。
地域的には、アルバニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ等のバルカン諸国を
中心に優先的に
援助を行っております。
オーストリアのセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナへの
援助は、戦争、
内戦の勃発と同時に始まりましたが、この二国だけでオーストリアの
援助予算の一〇%を占めるという
説明がありました。しかし、オーストリアはこの
地域の
援助から近々手を引くとしており、本年中に事務所を閉鎖するということでありました。今後は、これらの
地域への
援助は民間
レベルでの
経済協力を
中心にすることとし、
援助はEU
委員会の
活動、EUの
予算を
中心に考えていくということでありました。
次に、当班は、この
地域における
日本の
取組についてオーストリア
外務省及び
同国開発庁と懇談し、主として平和の貢献、
ODA、民間
レベルでの
協力という
三つの
観点から
議論を行いました。
オーストリア側との懇談を通じて、
我が国のバルカン
地域、特にセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ両国への
取組につきましては、平和の貢献及び
ODAの双方で高い
評価が与えられました。
今後の対応としましては、この
地域における
活動で得られた高い
評価、信頼を落とすことなく、今後ともそのような
評価が継続して与えられるような
取組を行っていくべきであるということが考えられます。
次に、セルビアについて申し上げます。
旧ユーゴの国々の中で、セルビアは最大の面積と人口を擁する国であります。一方、一人当たりの国民所得を見ますと、セルビアを含めた各国の
開発段階は、スロベニア、クロアチアを除き、低い
レベルにとどまっていることが分かります。この点について、
意見交換を行いました
JICAの
専門家によりますと、セルビアは紛争に伴う
経済制裁等によって成長のタイミングを逃したものの、通貨が安く、安価な労働力があり、若い世代の経営者には豊かな生活への欲求もあり、
発展へのチャンスがあるということでありました。
このような
状況にあるセルビアへの
日本の
援助の最大の意義は、セルビアの
発展と安定が西バルカンの安定を図る上で極めて重要である、こういった
観点であります。
欧州への統合を目標に掲げるセルビアは、二〇〇八年、EU加盟の前段階である安定化・連合協定に署名し、二〇〇九年には加盟申請を行っております。さらに、
会談を行ったジェーリッチ副首相は、今後、早期に加盟候補国の地位を獲得し加盟交渉を開始したいと語っておりました。
日本としてもセルビアが潜在的なEU加盟候補国であることを踏まえ、EU加盟に資するような
援助の在り方について検討する時期と思われます。そこで注目されるのが、
円借款候補となっているニコラ・テスラ火力発電所に排煙脱硫装置を設置する
案件であります。
同発電所の
視察では、実態として、セルビアの電力需要の約半分をカバーしているものの、環境基準を上回る大気汚染物質を排出しており、環境への悪影響を懸念している旨の
説明がありました。同発電所への
援助は、EUの環境基準をクリアすることにつながり、セルビアのEU加盟を
支援することにもなりますが、同時に、世界共通の
課題である環境問題に対する
日本の関与を示す好例ともなり得ます。こうした事情から、本
案件に対する地元メディアの関心は高く、
説明会場においてはテレビカメラが入り、終了後もインタビューを受けております。ジェーリッチ副首相も本件について
会談時間の大半を割いて言及しており、セルビア側の期待の高さを実感いたしました。
ところで、セルビアのタディッチ大統領が近々訪日すると聞いております。大統領訪日の成果として
円借款供与が確定されれば、
日本とセルビアの友好
関係促進に役立つことは間違いありません。私たちの
視察がこの一助ともなれば、
派遣委員一同喜びであります。
国際社会から一時的に孤立したセルビアでありますが、現在、欧州への統合を目標とし、民営化、外国
投資の誘致、
中小企業の
育成、
雇用の創出など様々な改革に取り組んでおります。
日本も
国際社会とともにこうしたセルビアの
取組を後押しするため、市場
経済化、医療・
教育・環境保全を柱とし、無償
資金援助協力、
技術協力を併せ、二〇〇九年までの累計で約二百三十億円に上る
援助を
実施しております。しかし、
援助の額としては決して大きいものではありません。
しかしながら、
援助の規模にもかかわらず、
日本の
支援は
現地において極めて評判が良いことを実感いたしました。例えば、
無償資金協力によって九十三台のバスを
支援したベオグラード市公共輸送公社からは、
日本は必要なときに必要とされる
援助を行ってくれたと
評価されました。ジェーリッチ副首相も
会談の冒頭でこの点に触れ、謝意を表明しております。
また、
現地ニーズの把握が細やかな点も特徴的であります。ボシュコ・ブハ小学校への
支援は、同校が知的障害を持つ児童に折り紙教室を開いたことが縁になり、
援助が実現したとのことであります。ほかにも、
日本が
援助した成人身体障害者
施設のスポーツクラブの代表は、自身も身体障害者でありながら、前セルビア大使とともに企画を練り、今につながっていることを誇りにしているようでありました。同
施設には長井前セルビア大使との
関係を取り上げた新聞記事が張られております。
現地に溶け込み、職務に専念する外交官の姿をうかがい知ることができました。なお、余談でありますが、長井前大使は昨年、ベオグラード名誉市民に選ばれたということであります。
こうした一連の
日本の
援助に対する
評価は、「
日本の泉」と呼ばれる噴水に結実しております。カレメグダン公園というドナウ川とサバ川の合流点を見下ろす丘に、「
日本国民への感謝の印として」と銘記された噴水が昨年九月に設置されました。そのきっかけは、様々な公共インフラ整備に貢献してくれた
日本に対して友好的な謝意を示せないかという市民の声であったとされ、
日本の
援助が有効であったあかしとなっております。
最後に、ボスニア・ヘルツェゴビナについて申し上げます。
一九九一年のスロベニア、クロアチアの独立宣言に端を発した旧ユーゴの
内戦は、スロベニアにおける短期間の戦闘からクロアチアの
内戦へと続き、一九九二年四月にはボスニア・ヘルツェゴビナに飛び火いたしました。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、独立に反対するセルビア人勢力と独立を目指すムスリム、クロアチア人勢力との間で三勢力
三つどもえの武力紛争が発生いたしました。民族浄化という凄惨な事件を伴った紛争は三年半を超え、一九九五年十二月のデイトン和平合意により、ようやく終結いたしました。その間、
死者二十万人、難民、避難民二百万人が発生したと言われ、戦後欧州で最悪の事態となったのであります。
デイトン和平合意は、ムスリム系及びクロアチア系
住民が
中心のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とセルビア系
住民が
中心のスルプスカ共和国という、当初は軍事力も有する
二つの主体による国土の分轄を認めながら、それらをボスニア・ヘルツェゴビナという一つの国家として維持した点が特徴であります。
国際社会は、この矛盾した内容を履行させるために、民生面で和平履行
協議会、以下PICと申し上げます、を設け、その下に上級代表事務所、以下OHRと申し上げます、を置き、OHRをして和平履行を推進させる体制を構築いたしました。このOHRは、戦後直後
我が国に置かれたGHQに擬せられる組織でありますが、
日本はPICに
参加すると同時に、PICの主要メンバーで構成する運営
委員会の一員になり、OHRの運営にも関与しております。
極東に位置する
日本が欧州の平和構築にかかわっていること、その立場が完全に中立的であることが肝要であり、
日本はボスニア・ヘルツェゴビナの和平履行に対し重要な責任を負っております。
ところで、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボと聞けば、サラエボ冬季オリンピックが想起されます。しかし、市内移動中に目にした光景は、かつての競技会場に墓標が林立する姿でした。旧ユーゴの解体過程において生まれた悲劇でありますが、
国際社会はボスニア・ヘルツェゴビナに再びこうした悲劇が起きないよう
経済社会の再建に取り組んでおります。
日本のボスニア・ヘルツェゴビナに対する
支援は大きく
二つに分けることができます。
一つは、PICへの拠出金やOHRへの要員
派遣のように、国際機関との
協力を通じて行うものであります。この面での
日本の貢献は、OHRを
訪問し、インツコ上級代表と会った
会談において高く
評価されていることが分かりました。G8とトルコで構成する運営
委員会は、上級代表が行う和平履行のガイダンス作成を務めていますが、各国の利害
関係が反映されることもあります。地理的、歴史的に西バルカンに権益を持たない
日本は、和平履行への関与が純粋であり、そうした
日本の立場を上級代表も理解し信頼しているように受け取れました。
二つ目は、
日本独自の中立的立場を生かした
ODAによる
支援であります。
日本は、ボスニア・ヘルツェゴビナに対し、平和定着
支援等を
中心に二〇〇九年まで累計で約五百十億円の二国間
援助を行っております。ボスニア・ヘルツェゴビナに求められるのは民族の共存であり、そのためには
経済社会の
発展のみならず、民族融和が欠かせません。しかし、紛争によって直接
被害を被った
住民感情は複雑で根深く、異質性を排除し、同質的な社会を
強化しようとする傾向が依然として残っております。
そこで、
教育分野におけるカリキュラムの統一を通じ民族融和を達成する
取組として、IT
教育近代化
プロジェクトが行われております。同
プロジェクトは、IT
教育分野における共通カリキュラムの策定、更新を三民族が協働して行うことにより民族融和の促進を狙ったものであります。本
プロジェクトのユニークな点は、機材や教材の刷新と引換えに
三つの民族による協働を迫る手法でありますが、これも
日本が三民族に対し中立的であるからこそ可能となっております。この
取組が契機となり、将来的に三民族の協働を
教育分野全体へ波及させることができれば平和の定着への貢献は計り知れません。OHRを
訪問時に、インツコ上級代表も
教育の重要性に言及しており、今後
国際社会とともに更なる
事業の推進を期待したいと思います。
ところで、ボスニア・ヘルツェゴビナのような多民族国家におきましては帰属意識の在り方が問題となります。この帰属意識を民族や宗教ではなく
地域の一体性に求めていく
活動が、
日本紛争予防センターという
我が国のNGOによりセルビア南部やマケドニアにおいて実際に行われております。
同NGOとの
意見交換では、
現地において
日本は地政学的な思惑が一切ないと理解されているため、対立する民族の双方に対し
日本の主張は受け入れられやすいとの
説明を受けました。
日本こそ独自の民族融和に貢献できる立場にあるということであります。この民族融和に対する信念と、異なる民族の間で積極的に
活動する姿に敬服いたしました。
また、
意見交換はNGOが抱える問題にも及び、国際的な組織において運営能力を持つ
人材が不足しており、組織のマネジメント力が足りないとの
意見が出されました。また、NGO職員として長期勤続を可能とするには、
ボランティアから脱却し、相当の賃金を確保する必要があるとの指摘もありました。
日本には意欲も能力もあるNGO
関係者がおりますが、途中で断念する人が多いとすれば残念なことであり、貴重な
意見は今後に生かす必要があると考えます。
民族融和を実現するにはNGOの更なる
活動が期待されるところでありますが、今まで以上にNGOと
日本国
政府との
協力関係を
強化する必要があります。また、NGOと
外務省職員との
人材交流を検討すべきと考えます。
最後になりますが、今回の
調査に御
協力いただきましたオーストリア共和国、セルビア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナの各国、各
視察先の
方々、内外の
関係機関の各位に感謝申し上げ、
報告を終わります。