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参考人(
尾形裕也君)
九州大学の
尾形でございます。
本日は、
調査会にお招きをいただきまして、大変光栄に存じます。
実は、昨日福岡で、
学生にあした参議院の
調査会に
参考人として招致をされるんで上京するんだということを申しましたところ、
学生からは、先生、何か悪いことをしたんですかと
大変心配をされました。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます。
私にあらかじめ
事務局の方から示されました
課題は、
日本の
医療の
現状分析と
政策課題という大変大きなテーマでございました。
一つには私自身の
能力の問題もあり、また二十分という限られた時間ということもありますので、本日はある程度焦点を絞ったお話をさせていただこうと思います。(
資料映写)
お
手元の
パワーポイントの
資料ですと、二ページ目を
御覧いただきたいと思います。
初めに、
医療政策の構造ということで
概念整理をしておりますが、
医療サービスに関しては、これを
需要側から見るか
供給側から見るかで、かなり異なった議論になってまいります。
需要側から見ますと、突き詰めて申し上げれば、これはいかにして
医療に掛かった
お金を調達するか、あるいは
医療保険制度の設計をどう考えたらよいかということが大きな問題になってまいります。これに対して、
供給側から見ますと、これは病院や診療所、あるいは医師や看護職員といった
医療提供体制をどのように考えるかということが中心的なテーマになってまいります。そして、こうした実際のサービス提供を伴うという点が、
社会保障制度におけるもう
一つの柱であります年金が専ら
お金の話に終始することと比べた場合の
医療の大きな特徴であろうというふうに思われます。
本日は、主としてこの
医療提供体制の
現状と
課題という点に焦点を当ててお話をさせていただこうと思います。
次の三ページですが、本日お話しする予定の内容ということで目次的に掲げておりますが、八項目掲げておりますけれども、時間の
関係で、この黄色く塗りました五つを中心にお話をさせていただこうと思います。また、
残りの
部分につきましては、質疑応答等の中で必要に応じて
データ等を参照させていただこうかと思います。
それで、少し飛ばしまして、十一ページ、十一枚目でございます。
日本の
医療提供体制の特色ということからお話を始めたいと思いますが、
日本の
医療提供体制をどういうふうに考えるかということについてはいろいろな考え方があろうかと思いますが、ここでは三つの点に絞ってお話をしてみたいというふうに思います。
まず第一は、ここに書きました資本集約的な
医療サービスの提供が行われているということであります。これはどういうことかといいますと、
医療というのは、一般的には労働集約的なサービスだというふうに考えられております。つまり、医師、看護職、薬剤師、検査技師あるいは事務職といったような様々な職種の
方々、たくさん雇用をしてサービスを提供する、そういう意味では労働集約的だと考えてあながち間違いではないというふうに思いますが、ただ、
国際比較をしてみると随分違った姿が見えてまいります。最初に結論を申し上げてしまいますと、そこに書いてありますように、国際的には、非常に資本が豊富にある一方で人員配置が極めて手薄であるというのが大きな特徴だということになります。
この点を、以下、
データで少しお示ししてみたいと思いますが、次の十二ページ、表の一は
医療における主要な資本と考えられるものの投入
状況を
国際比較をしたものでございます。
国としては、
日本を始めいわゆるG7、先進七か国、サミットに
参加しております七か国を取っております。資本としては、人口千人当たりの急性期病床数、人口百万人当たりのCTの台数、人口百万人当たりのMRIの台数というのを取っておりますが、もちろん、こういった
国際比較については厳密な
比較はできません。例えば、急性期病床という定義が各国共通であるわけではありませんし、CTとかMRIを一台、二台というふうに数えるのは極めてラフな話であります。
そういう意味で、この表は決して厳密な
比較に堪えるものではないんですが、しかし、全体を
御覧いただきますと厳密な
比較以前の問題であるというのがお分かりいただけるんではないでしょうか。つまり、いずれの
指標を取っても
日本は圧倒的に多いわけでありまして、ほとんど世界一と言っていい
状況だろうというふうに思います。特にMRIの台数などを見ていただきますと、ヨーロッパ諸国と一桁、桁が違っております。私が親しくしておりますある病院の院長とお話をしていましたら、その院長がおっしゃるには、君、君、我が○○県にあるMRIの台数はイギリス全体より多いんだよということをおっしゃっておりましたが、これは決して冗談ではないということであります。
一枚飛ばしまして十四ページでございますが、こちらは表の二として、今度は、じゃ労働はどうかということで、主要な労働投入
状況の
国際比較をしております。国は同じG7であります。ここでは、代表的な
医療における労働であります医師の数と看護職員の数を取っております。左の半分を
御覧いただきたいんですが、病床百床当たりの医師数、病床百床当たりの看護職員数を取っております。
もちろん、この表も先ほどと同じでありまして、厳密な
国際比較はできません。国によって医師、看護職の定義あるいは業務範囲が違っておりますので単純な
比較はもちろんできないわけでありますが、この表も、全体を見ていただくと厳密な
比較以前の問題であるというのがお分かりいただけるんではないかと思います。つまり、先ほどと全く逆でありまして、
日本は圧倒的に少ないわけであります。
先ほどのところにちょっと戻させていただきますと、十一ページ目でございますが、先ほど既に申し上げたとおりでありまして、国際的に見ると、非常に資本が豊富にある一方で人員配置は極めて手薄であるという、こういうやり方を取ってきたと。これまではこういうやり方で来たわけでありますが、さすがに最近これではなかなか困難な
状況になってきているんだろうというふうに思います。
二〇〇六年に大きな
医療制度構造改革と呼ばれるものが行われましたが、明らかにここを変えていこうという方向が打ち出されているように思います。どう変えていくかというと、この豊富な資本は少し削ってでも人員配置は手厚くしていこうという方向だろうというふうに思います。例えば、病床数は少し削減をしていこう、その一方で、代表的なものを
一つ挙げるとすると看護でありまして、看護の職員配置を手厚くしていこうと。いわゆる七対一看護というのが導入されたのはこの二〇〇六年の診療報酬改定であります。これがまず第一点目ということになります。
それから、十五枚目でございますが、少し抽象的な議論で恐縮ですが、後の
政策選択肢との
関係で、
医療生産関数という議論を紹介しておきたいと思います。
生産関数といいますのは
経済学でよく使う概念ですが、Q、Qといいますのは生産された物やサービス、この例でいいますと
医療サービスとお考えください。
医療サービスを、Kというのが資本です、Lが労働ですが、一定の資本と労働を組み合わせることによってサービスを生み出していると、こういうふうに考えます。
今、このQが仮に一定だったとします。例えば、
日本ですと平成二十年度の国民
医療費は三十四兆八千億円余りでありますが、例えば三十四兆八千億円の
医療サービスを仮に提供するというふうに考えます。そのときに、それを生み出す資本と労働の組合せにはどのような組合せがあるのかというのを図に表したものが等量線と、こう呼ばれているものであります。具体的には次の十六枚目でありますが、縦軸に資本を取り横軸に労働を取ります。そして、等量線というのは、こういう滑らかな曲線で書いておりますが、これは例えば今の例でいいますと、三十四兆八千億円の
医療費あるいは
医療サービスはこの等量線の上で生み出されていると。
日本の位置はこの等量線の上でどこかといいますと、ここに書きましたように西北の位置になります。つまり、資本は非常にたくさん投入されているけれども、労働、Lが非常に少ないという、こういう
状況です。
ところが、こういうポジションが唯一のポジションというわけではなくて、この図にありますような、資本が非常に少なくて労働がたくさんある、もう
一つの点が載っているかと思いますが、こういうポジションもあり得るわけでありまして、どこのポジションを取るかというのはそれぞれの国の
医療政策によって決まってくると、こういうふうに考えられます。また後でこの図は使いたいと思います。
少し先を急ぎますと、二点目の特色といたしまして、
医療施設の体系についてでございますが、これは一言で言えば、いわゆる連続的な構造を取っている、連続性ということだろうというふうに思います。もっと具体的にいいますと、病院と診療所の区別、機能分担、連携が少ないということでありまして、我が国ではよく診療所が大きくなったものが病院であるという通念がございます。これは単に通念なだけではなくて、実際に現在、例えば五百床以上あるような大きな病院を見てみましても、その歴史をずっと遡っていきますと、例えば五十年ぐらい遡りますと、最初は無床、ベッドのない診療所からスタートして、そこがベッドを入れて有床診療所になり、更に二十床を超えて病院になり、どんどんそれが大きくなってくるというような歴史をたどっているところが結構たくさんあります。
そういう意味で、歴史的な事実としてもそうですし、
人々の意識としても診療所と病院を余り区別しない、診療所が大きくなったものが病院だというのが
日本の恐らく通念だろうと思いますが、これは欧米諸国とはかなり違う考え方だろうというふうに思います。例えば、診療報酬も我が国では長らく基本的に病院と診療所が同じものを使ってまいりました。いわゆる出来高払に基づく診療報酬でありますが、これも国際的に見るとかなり珍しい形態ということになります。
こういった
状況を指して
OECDが、十年前になりますが、二〇〇一年の
報告書で
日本の
医療政策についての評価を行っておりますが、その中でこういうことを言っております。機能分化と標準化が欠けているんではないかと。
日本の
医療については機能分化と標準化が欠けているんではないかという、こういう指摘をしております。機能分化といいますのは今申し上げたようなことですが、標準化と申しますのは、それとも密接に関連しますが、簡単に言ってしまいますと、医師あるいは
医療機関の間で提供される
医療サービスの間に非常にばらつきがあるんではないかと。それが標準化が欠けているんではないかということの意味であります。
これはなかなかいいところをついた指摘だろうというふうに思いますが、最近の改革では明らかにここを変えていこうという方向が打ち出されているというふうに思われます。どう変えていくかというと、機能分化を進めていくという意味では
医療計画が大幅に見直されまして、いわゆる四疾病五事業といっておりますけれども、
地域で機能分化と連携を進めていこうという方向が打ち出されているというふうに思います。
それから、標準化に関しては、これは診療報酬でありますが、急性期の病床についてはDPC、それから慢性期の病床については療養病床の診療報酬が、患者の状態像に応じた包括払いが二〇〇六年の診療報酬改定で導入されておりまして、こういったものを通じて、従来の出来高払に比べて、より標準化を進めていこうという方向が打ち出されているというふうに考えられます。これが二点目でございます。
それから、二十一ページに行っていただきまして、
最後の三点目でありますが、民間主導の
医療提供体制ということが
一つの大きな特色だろうというふうに思います。
次に、英語で書いてありますが、パブリックリー・ファンデッド・アンド・プライベートリー・デリバードという言葉があります。ファンデッドといいますのは
お金、ファンドですから
お金の調達をどうしているかということですが、我が国の場合は、
お金の調達はパブリックリー、公的に行っている。これは言うまでもなく国民皆保険、
社会保険方式ですので、保険料ないしは税金でその大宗が賄われているということであります。それに対してデリバーというのは、これは
医療サービスの提供ということでありますが、
医療サービスの提供はプライベートリー、民間がかなり重要な役割を果たしているということであります。
そこに書きましたように、例えば、病院が現在八千七百三十九ありますが、その開設主体別の構成を見てみますと、
医療法人立が六五・五%、個人立が五・五%、公的病院が一四・八、国が三・一ということで、国と公的を合わせても二割いかないというような
状況であります。あるいは、診療所ですともっと
医療法人や個人の
割合が高くなりますので、全体として見るとかなり民間が中心的な役割を担っている、公民という組合せを取っていると考えてよろしいかと思います。
ただ、この公民というのが唯一の組合せというわけではなくて、国際的に見ますと公公とか民民という組合せも十分あり得るわけであります。公公という組合せを取っている代表的な国を
一つ挙げるとすれば、これは恐らくイギリスだろうと思います。それから、民民という組合せを取っている代表的な国は、これは
アメリカということになりますが、我が国は公民というやり方を取ってきたということであります。
この公民という
日本の組合せをどう評価するか。これもいろいろな考え方があろうかと思いますが、少なくとも、私は、これまでのところは
比較的うまくいってきた面が多いというふうに思います。そこに書いてありますように、需要が供給を引っ張る形で
医療提供体制の整備が急速に進みました。先ほどお示ししましたとおり、少なくとも病床数とか
医療機器という意味ではもう
日本は世界一と言っていいような
状況にあるわけであります。
そういう意味ではそれなりに機能してきた面があるわけですが、問題はこれからといいますか、既に起こっていると言った方がいいと思いますが、こういう民間主導の
医療提供体制に対して有効な
政策が打てるかというと、これはなかなか難しい面があるように思います。権限論では無理でありますし、ソフトな誘導
政策が重要になってまいりますが、恐らくこの辺は一番役所が苦手としているところだろうというふうに思います。
そして、二〇〇六年の
医療制度構造改革では明らかにここを少し変えていこうという方向が出されているように思います。どう変えていくかといいますと、情報を開示することによって患者が
医療機関を選択する、それを進めていくことを通じて
医療提供体制を変えていこうと、こういう方向が打ち出されているように思います。これが三点目ということになります。
以上、お話ししてきたことをまとめますと、
医療提供体制改革の方向ということで三つのことを申し上げました。
一つは、資本集約的な
医療サービスの提供から、より労働集約的な方向へ。二点目としまして、機能分化と連携の方向へ。最近はやりの言葉ですと、
地域完結型
医療という言い方をしております。それから三点目としまして、今申し上げました、情報開示による患者の
医療機関選択の方向へという、この三点でございます。
ここから後半の
医療政策の選択肢の問題に入りたいと思いますが、その際に、
社会保障国民会議の最終
報告、もう
報告が公表されてから二年以上
たちますが、これはやはり私は注目すべきものだと思いますので、簡単に御紹介をしておきたいと思います。
基本的な考え方は、これは
医療、介護の
部分についてでありますが、ここに書きましたように、選択と集中の考え方に基づいて、病床機能の効率化、高度化、
地域における
医療機能のネットワーク化、
医療、介護を通じた専門職種間の機能・役割分担の見直しと協働体制の構築等を図るというようなことが書かれておりますが、大体これまでお話ししてきたこととそう大きくそごのある話ではないだろうというふうに思います。
実は、この
社会保障国民会議の最終
報告の最も注目すべき点は、
医療・介護
費用の将来推計、シミュレーションと言っておりますが、これを行っております。これが、ここに新奇性というふうに書きましたけれども、注目すべきものだというふうに思います。
どういうことかと申しますと、前のページに書いてありますような、選択と集中あるいは機能分化を進めていく。例えば病院ですと、在院日数を短縮して病床数も減らしていくというようなことが書かれているわけですが、そうしますと、従来の路線ですと、これは、そういったことを通じて
医療費を適正化していく、
医療費を削減といいますか適正化をしていくという方向だったんだろうと思いますが、この
社会保障国民会議の将来推計、シミュレーションにおきましては、むしろ選択と集中、機能分化を進めていくと
医療・介護
費用は全体としては増大する
可能性が高いということを初めて明確に示しているというふうに思います。そういう意味では、本来の意味での
医療政策上の
政策選択肢が明示的に提示されたものではないかというふうに思います。
あわせて、この
費用増大分をどうするかということについては、この
社会保障国民会議の最終
報告は、もう明示的に消費税の増税路線を提示しているわけでありますが、この辺についてはいろいろ考え方が分かれるところだろうと思います。特に保険料を含めた財源問題をどう考えるかというところは大きな問題だろうというふうに思います。
これが
社会保障国民会議の改革シナリオでございます。また後で時間があれば触れたいと思います。
そして、
最後でございますが、現政権、民主党を中心とした現政権における
医療政策の
論点整理ということで、民主党のマニフェスト、それから連立政権
政策合意、現政権が発足した当初の
医療政策にどのようなことが書かれているかというのを私なりに整理したものでございます。全てではございませんけれども、一応十点ほど重要なものを整理したつもりであります。その中で、いずれも重要な
論点だと思いますが、今日のお話との関連で特にかかわりのあるところを黄色く塗っております。
まずは①ですが、
医療費の先進国並みの確保(対
GDP比)、それから③としまして
医療従事者等の増員、それから次のページ行きまして、十番目でありますが、当面、療養病床削減計画を凍結ということが書かれております。最近、介護保険法の改正の中で療養病床の廃止を延期するというような議論が行われているようでありますが、マニフェストではこのような形の表現になっているかと思います。
以上、お話ししてきたようなことを踏まえまして、今後の
医療政策、特に
医療提供体制に関する
政策選択肢を私なりに整理してお示しをしてみたいと思います。その際、先ほどお示ししました等量線というのを使ってみます。これは先ほどお示ししました
現状であります。
日本はこの西北の高位置にあるわけでありますが、これをどうするのかということであります。
まず、いわゆる小泉構造改革と呼ばれるものでありますが、これが何を考えていたかということを今になって振り返ってみますと、恐らくこういうことではないかということです。つまり、同じ等量線の上でAという位置からBという位置へ動かそうとしたんではないかと。つまり、同じ等量線の上ですから、
医療費は増やさずに、しかし現在のような資本集約的な位置Aから、より労働集約的な位置であるBへ動かそうとしたと、こういうことではないかというふうに考えられます。これは、理論上は十分可能な
政策選択だと思いますが、ただ実際にこれを行うとかなり大きな摩擦が起こり得るわけでありまして、実際起こったということだろうというふうに思います。
それから、次が
社会保障国民会議の先ほど御紹介した最終
報告、特に将来シミュレーションでありますが、これがどういうことを考えているかというと、AからBへという、こういう移動という意味では小泉改革と似ておりますが、この違いは等量線自体がシフトしていると。QイコールQ0からQイコールQ1というふうに上の方へシフトしている。これはどういうことかといいますと、
医療費が増えているということであります。
医療費を増やしつつAからBへというふうに位置を動かそうと、これが
社会保障国民会議のエッセンスではないかというふうに思うわけであります。これは恐らく小泉構造改革に比べるとより摩擦の少ないやり方だろうとは思いますが、問題はやはりQ0からQ1というふうに
医療費が増大しているわけでありまして、この財源をどうするのかというところは大きな問題だろうというふうに思います。
それから、現政権でありますが、申し訳ありません、これについてはクエスチョンマークを付けておりますのは、余り私も自信がないので、間違っていたら是非訂正をしていただきたいと思いますが、少なくともマニフェストあるいは最近の診療報酬改定等から見る限りの私の判断ということですので、そういうことでお受け取りいただきたいと思います。
一つは、
社会保障国民会議と同じように、
医療費自体については増加を認めるということだろうと思います。ただ、
社会保障国民会議ほど大幅な増加ではないということで少し少なめにはなっておりますが、等量線自体はシフトをしている。それから、労働投入は少し手厚くしていこうというのは先ほどマニフェストにあったとおりでありますので、労働投入は少し増えると。
その一方で、資本については、この辺はよく分からないところもあるんですが、少なくとも療養病床を減らしていくというような
政策については少し転換を図ろうとしているように見えますので、資本を今減らそうということではないと。そうしますと、結果的にAからBというのは平行移動を考えておられるのではないかというのが私の解釈であります。これはあくまでも私の解釈ですので、後で御
意見をちょうだいできればというふうに思います。
それで、以上三つを示しましたが、いずれも
医療あるいは
医療提供体制に関する
政策選択肢として明示的に示すとすればこういうことかなということであります。どれを取るかというのはまさに国民の選択の問題だろうというふうに思いますし、それぞれの価値観にかかわる問題だろうというふうに思います。ただ、いずれにしましても、どのような
医療提供体制を望ましいと考え、どのような負担に応ずるかということについては、広く国民的な議論が必要な問題ではないかというふうに考える次第でございます。
以上、簡単でございますが、私からの
報告とさせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。