○
参考人(
三木由希子君)
特定非
営利活動法人情報公開クリアリングハウスの三木と申します。今日はこのような機会を与えていただき、大変光栄に存じております。
私どもは、
情報公開制度について特に関心を持ち、
活動をしてきております。設立は、この名称ではありませんが、前身、
情報公開法を求める市民運動と申しましたが、一九八〇年から公的
機関の
情報公開制度の確立と市民の知る権利の拡充ということを目的に今まで
活動をしてきております。そういう
観点から、
行政監視、
行政評価、
行政に対する
苦情の
在り方について少し
意見を述べさせていただければと思います。
初めに、私
たちが
情報公開を求めてきた背景ということに簡単に触れさせていただきたいと思います。
古く、一九八〇年、私
たちが設立されたとき、その当時は
情報公開という言葉がこの社会の中でそんなに知られていないというか、言葉自体がなじみがない時代でございました。中心になっていたのは、薬害
事件の被害者の弁護士であったりとか
消費者団体であったり、それから、当時は深刻な汚職
事件、
政府高官による汚職
事件とかがございましたけれども、そういうものについて真相究明や再発防止を求める市民、そういう市民と、それからジャーナリストや研究者、憲法学者を中心とした研究者が一緒になって、市民が
情報を
政府から獲得する権利を得るためには
情報公開制度が必要だということでずっと
法律の制定を求めてまいりまして、
法律の制定は一九九九年の五月に成立いたしまして、一応国に対しても
情報公開を求める権利を市民が得たというところでございます。
ただ、私
たち自身は、
情報公開制度、特に国の
情報公開法、何のためにこの
法律があるのかということについては、実は、目的規定の中で、
情報を得るということは
監視や
参加というものとセットでなければいけないというふうに考えておりました。つまり、
情報公開というのは手段であって最終目的ではございません。
情報を得ることによって市民が適切に判断をし、
行政に対して
参加をし、あるいは問題があればそれを
監視をするという、その次のステップも含めて
情報公開というのはあるべきだというふうに考えておりました。
その点、一九九九年に成立しました
情報公開法を見ますと、目的規定、今日お
手元に配っていただいた
資料に引用させていただきましたが、目的規定からは実は
監視や
参加という言葉が漏れております。
情報公開法は
行政改革
委員会が発表しました
情報公開法要綱案というものを基に立法化をされ制定をされておりますけれども、実は、その要綱案の中には、
法律の目的は
行政の
監視・
参加の
充実に資することを目的とするというふうに書いておりました。ところが、
政府の中において立法化をされる過程で
参加と
監視という言葉が落ちまして、
国民の的確な理解と批判の下にという言葉に置き換わりました。
実は、当時の
状況から考えますと、
参加や
監視、とりわけ
監視という言葉に対しては非常に
行政の抵抗感が強かったということがあるというふうに聞いております。つまり、今の
政府においては、この
監視や
参加ということを
情報公開を通じて市民から受けるということについては
法律上は明確な立場を示してこなかったということがございます。
ところで、四月二十二日に
情報公開法は改正法案が
国会に提出をされております。その法案の中では、目的の中で、
情報公開というものは
行政の
監視及び
国民の
行政への
参加に資するものだということを明確にしております。ようやく
監視というものを
国民からも受けるものだということを
政府というか
行政組織が受け入れるということを明確にしたという点では歓迎をしているところでございます。
私
たちが
情報公開制度を制定をするということで期待していたことは、
情報公開請求をして
情報を得る権利が保障されるということだけでは実はございませんでした。というのは、
情報公開を前提にした
行政運営や
行政組織の
在り方に転換をしていくことを大きく期待をしていたというところがございます。
情報公開をしていなかった組織の
行政運営の
在り方や
行政組織の文化が残ったまま
情報公開を進めようとしても、それはそんなに積極的な
情報公開は期待できない。むしろ、
情報を公開するんだという前提の下に
行政組織や
行政運営の
在り方が変わっていってくれるということを大いに期待をしていたというところがございます。
ところが、そういう
観点から考えると、どのような改革が行われたのか、あるいはどのような
行政運営の
在り方の
見直しが行われたのかということは、非常に目に見えて分かりにくいという
状況がございます。一方で、
情報公開制度で
情報公開請求をしますと非公開となるケースが多々ございまして、相変わらず市民から
情報は遠いというふうな認識を逆にこの
制度ができたことによって受けるということもございます。
そういう意味では、たゆまぬ改革を前提にこうした仕組みが入っていると。つまり、市民から
監視をされる、あるいは市民の
参加を受けるということを前提にした
行政運営の
在り方、
行政組織の
在り方に変わるための努力をたゆまず続けていただきたいというのが実はこの
制度の中心的な問題ではなかったのかというふうに考えております。
中でも私自身が重要なポイントだと考えておりますのは、
政策決定や意思形成過程の匿名性の排除ということでございます。これまで、誰がいつどのような
情報を基にどのように
決定をしてきたのかということは、実は匿名性がかなり
確保された状態ではなかったかというふうに考えています。それともう一点が、
行政運営に関する記録がその実態を示すように残されて、
情報公開請求の対象になるということであります。記録にきちっと残されているということは客観的な証拠でございます。それがきちっと残されていないと、実は
監視も
評価もできないということがあります。そういう意味では、匿名性の排除と適切な記録の作成ということが非常に重要ではなかったかというふうに考えています。
匿名性の排除という点から考えますと、公務員の職務の遂行に関する
情報の公開の
在り方ということの問題に尽きるというふうに考えています。
情報公開法には個人
情報を不開示にできるという規定がございますけれども、その中に、例外的に公務員の職務遂行に関する
情報は公開ができるというふうになっております。ところが、氏名の公開というのは原則になっておりません。
今般の改正
情報公開法案の中では、公務員の氏名の公開を原則とするというふうな形に規定が変わりましたけれども、そういう意味では、匿名性をいかに排除をし、誰にどのような責任があるのかということは明確に実は
情報公開をすべきではないかというふうに考えております。
それから、
民間人の職務内容や助言等の内容、それからどのような身分の方であるのかということも公開をすることが必要ではないかと。公務員という言葉に縛られますと、
法律上、公務員の身分を持つということになります。身分を持たずに、例えば有識者
会議などのような私的諮問
機関、それから公務員の身分を持たずに様々な助言等をされる方という方もいらっしゃいます。
そういう意味では、そういう公的な地位に近い立場で助言等を行う方々の身分や氏名と、それからどのような助言等を行ったのかということも記録をし、公開をするということが
評価や
監視のためには必要ではないかというふうに考えておりますし、それから
苦情等が申し立てられた場合に誰に対して何を言うのかということも含めて、きちっと明らかにしていくことが大事ではないかということであります。
そういう意味では、匿名性の排除と
行政運営の記録を残すということは一体的に行っていただく必要があるというふうに考えておりますし、それは現在への影響だけではなく将来にわたる影響ということも考えて記録を残す、あるいは匿名性の排除を行うということが必要ではないかというふうに考えております。
現在、福島第一
原子力発電所の
事故というものがございますけれども、これも当然、現在、今時点で緊急的に必要なことと将来にわたってどのような影響があるのかということは、これは一体のものとして継続していきますけれども、
状況状況、時間によってそれは若干、作成される
情報、それから公開される
情報、それから必要とされる
情報というのが変わってくるというふうに思います。なので、現時点での
情報というものと、それからそれが将来どういう意味を持つのかということは一連のものとしてきちっと
評価、
監視の対象とすべきであるというふうに考えております。
それから、
情報公開というものをやっておりますと、開示請求権は保障されますけれども、
情報公開された後の、市民が例えば
行政監視をする、あるいは
参加をするという手段は実は非常に貧困でございます。非常に手段が限られている、あるいは手段がほぼないに等しいという場合があります。
そういう意味では、市民が問題の解決、
改善をする機会ということが余り期待ができないという
状況におきまして、例えば
国会の役割ですとか、それから各
行政組織における
行政評価や
監視の
在り方というものを十分に考えていただく必要があるのではないかというふうに考えております。
それから、一般的な
行政監視、
行政評価ということで幾つか
意見を出させていただきましたけれども、問題は、誰に対して誰が何を
評価、
監視できるのかということが実は市民にとって非常に分かりにくいというところがございます。
確かに、
行政評価制度の導入やそれから
事業仕分等で一定の
情報が自動的に公開をされるようになりました。これは非常に前進であったというふうに思います。しかし、実効性については分かりにくいということもありますし、それから誰がどのような権限に基づいて何ができるのかということが実は非常に分かりにくいです。なので、何かがあったときに誰に何を言えば市民はその思いや気持ちそれから
情報を伝えられるのかということが非常に分かりにくいという問題がございます。
分かりにくさの原因として私なりに考えられることといたしましては、何を
行政監視や
評価の対象にするのかという選択、選別の問題や、それから何ができて何ができないのかとか、それはなぜなのかといった権限の問題、それから
行政に対する個別の
苦情の申立てや申出との、それから一般的な
行政評価との
関係が分かりにくいといった問題があるのではないかというふうに思います。
それから、
行政機関による
政策決定や意思
決定に対する市民からの例えば疑義や否定的な
評価のような合意形成の不備による紛争や問題事案というものについてと、それから
行政評価や
行政監視システムとのかかわりは非常に分かりにくいということがあります。そういう点で、誰に何を言えばいいのかということ、誰がそれを責任を持つのかということがとても分かりにくい。
かつ、更に言いますと、機密性の高いあるいは公開度の低い分野などの
行政監視・
評価、
苦情対応ということでレジュメの方で作成をさせていただきましたけれども、今回の
原子力発電所の
事故に関してもそうですし、先ほど来御
指摘ありました検察のシステムもそうですけれども、機密性が高いあるいは公開度の低い分野を誰がどう
監視、
評価するのかという問題は非常に深刻だというふうに思っております。
情報公開の分野では、外交防衛に関する問題、それから警察、それから犯罪捜査や公共の安全等に関する
情報については、高度な
行政裁量に基づいて非公開範囲が非常に広く規定をされております。言い換えますと、市民にとっては
情報のアクセスが非常に困難であるという分野であります。結果的に、公開性や透明度が低いために、現在の
状況は信頼性まで低下をしているという
状況ではないかと考えております。
そういうことを考えますと、誰がこういった機密性や公開度の低い分野、あるいはそれなりの専門性を基に広い意味での公益を判断しなければいけないような分野について
監視をし、
評価をし、市民の信頼を高めていくのかということは、これは実は非常に深刻な問題でありますし、市民が自分
たちでできることは非常に限られているというふうに言わざるを得ないというふうに思います。
福島第一
原発発電所の
事故のように緊急事態である、それから市民の生活に甚大な影響を及ぼす問題について、現在何が分かって何が分かっていないのか、それから、どのような
状況にあり、私
たちの生活がこれからどうなるのかということも含めて、何が分かって何が分からないのかということが市民は非常に分かりにくいという
状況にあります。事後的にいろんな
情報が
提供されますけれども、それは後で知らされたということでありまして、自分
たちの生活が守られているという実感からは非常に遠いと言わざるを得ません。
こういう緊急事態あるいは非常時、市民生活に甚大な影響を与えるような問題について、誰がそれを問題があれば是正をし、
評価をし、
監視をし、適切な
情報公開やそれから対策につなげていくのか、誰がそれをずっと見ていくのか、ウオッチングをしていくのかということについては、非常に重要な問題だと思っております。
ここの
委員会におきましても
参考人質疑等行われておりまして、そうした
情報を市民がインターネット中継等で見て新たな
情報を得るということで、それによって一定程度皆様の果たしておられる役割が広く市民に共有されているというふうには思いますけれども、それに加えて、どうやってじゃこの
状況について信頼性のある
対応をしていくのかということをお考えいただくこと、あるいはそれを私
たちが深刻に受け止めて考えていくということが非常に重要だというふうに思っております。
それから、
行政に対する
苦情としましては、
苦情を
政策に結び付けるルートというのが不在である、あるいは極めて脆弱であるということが言えるというふうに思います。加えて、市民が自ら不正や問題を追及する手段が日本はございません。自治体におきましては住民監査請求という仕組みがございますけれども、国に対しては
国民監査請求のような仕組みがないというところがあります。
そういう意味では、司法アクセスの
充実のようなことも含めて、市民とそれから
国会とそれから
行政組織と、複層的に
行政監視や
行政に対する
評価というものが行えるようにしていただくということが肝要ではないかというふうに思っているところでございます。
最後に、客観的な記録を基にした
監視、
評価、
苦情対応というものを是非
実現をしていきたいというふうに私
たち自身は思っております。
適切な
評価や
監視を行うためには、客観的な記録が残っていなければ、それを具体的に行うということができないということだと思います。三月末の官房長官の会見なんかを見ますと、東電との統合本部での
会議については議事録を作成していないということを官房長官がおっしゃったということがありました。これは非常に残念だというふうに思いました。この間の
対応について客観的な記録が残っていないということを意味するというふうに思っております。そのことが今後の
評価や
監視について大きな支障になる可能性もあるのではないかというふうに考えております。
こういうことだけではなくて、実は、今日お
手元の
資料に付けていただいたので後で御覧いただきたいんですけれども、例えば
情報公開法の施行時には
行政文書が大量に廃棄されております。
資料の方の十一ページやそれから十三ページ、十四ページを御覧いただくと、二〇〇〇
年度に各
行政機関で文書の廃棄量が急増しているケースがございます。二〇〇一
年度が
情報公開法の施行でございます。二〇〇〇
年度に文書がきれいに廃棄をされた後に、私
たちは二〇〇一
年度に
情報公開法の施行を迎えました。こうしたものを誰が
監視してくれるのか。私
たちはこのことを事後に知りました。こういうものを誰が
監視をしていくのか、新しい仕組みや法
制度が入ったときに誰がその施行に含めて
監視をしていくのかということも実は非常に大きな問題であるというふうに思っております。
それから、統合本部等の議事録作成の問題なんかもそうなのですが、個人メモとして職員が残しているものと、それから公文書として残しているものというもので今の仕組みは分けております。そういう意味では、
評価や
監視の対象というものは職員が作成した個人メモも含めてきちっと権限が及ぶような、そのような仕組みが必要なのではないかというふうに考えております。
以上でございます。