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参考人(岸
良昌君)
群馬県の利根川の最上流にありますみなかみ町の
町長の岸でございます。
今日お招きいただきましてお話しできるということについて大変うれしく思っているわけでございますけれ
ども、
地域活性化ということになりますと、ともかく、つい先般、
過疎地域にも指定されたところでございますし、
人口でいうと、中に少し数字が書いてございますけれ
ども、非常に大きく
人口が減っておる。
少子
高齢化、いつも言っておりますけれ
ども、
高齢化率でいうと三〇%を超したところでございますし、推計すると、来年には三一%、再来年には三一・七%という推計ができるということで非常に
高齢化が進んでおります。
少子化の方はといいますと、分かりやすく言うと、昨年度生まれた子供が百四名。実は小
学校に入った子が百五十二名です。中
学校は一学年二百名ちょっとということですから、もう物の見事に直線的に減っておるという状況です。
その中で
地域の
活性化というのをここでお話しするのは非常に幅ったいんですけれ
ども、いろいろな新しい芽というのが出ておりますんで、またこの辺を含めて御理解願えればということでお話しさせていただきたいと思っております。
資料については、非常にまとまりがなくて、みなかみ町の概況を示したデータがいろいろ載っておりますけれ
ども、一番分かりやすく、このみなかみパーフェクトガイドと、何といっても観光の町みなかみでございますんで、
先生方にこれを見ていただければというふうに思っております。
まず、我がみなかみ町につきましては、
平成十七年の十月に新設合併ということで設立された町でございます。まあ余り旧三町村、三町村と私は言いたくないものであれですけれ
ども、先ほどのパンフレットの二十三ページに、おおむね水色のところと緑色のところと黄色のところということで旧三町村、現在、地区というふうに言っておりますところがかいてございますけれ
ども。
水色のところ、これ、旧水上町でございますけれ
ども、ここは
人口でいうと約五千、そして黄緑色の猿ケ京地区、新治村が七千、そして今役場の置いてあります黄色いところの旧月夜野町が一万というふうなことで、五対七対十といいますか、おおむね同じ規模の町村が
一緒になって新しい町をつくるということでございますんで、なるべく私もこの三つの旧町村を一体化してということは言わないようにしておりまして、まあ昔の自然村でいうと、江戸
時代のということでいうと五十九おおむね自然村があって、現在大小ございますけれ
ども、それを
地域の行政区という格好でやっておりますんで、五十九の行政区が一体となって新しいみなかみ町をつくるんだということをいつも言わせていただいているところです。
この辺、省略しようかと思いましたけれ
ども、先ほど
島田先生のお話で若干
地域主権の話も出ましたんで少し入れさせていただきますが。今言ったのはこのパンフレットの二十三ページを見ていただくと、地区別の色が塗ってございます。もっと小さいやつ、これ、
先生方、お持ちかと思います。
それで、合併のころから出ているということを、ちょっと分権の
委員会じゃない、
調査会じゃないところで申し訳ないんですけれ
ども、一言言わせていただくと、これについては資料の方の一ページの下段に書いておりますけれ
ども、合併特例期間中というのが十年間ございますので、この間に将来へ向けての基礎体力をつくっていこうということで、
平成十九年度に策定いたしまして、職員数を二百四十名、
財政規模を百億円に持っていきたいということを指針としてこの間運営してきております。
実績で申し上げますと、
財政規模については、これおかげさまでと言っていいんでしょうか、百二十億程度で組みたいという方向でおりますけれ
ども、おかげさまで
地域活性化のための交付金であるとかあるいは合併特例債の活用等々もありますので、今年の年度末で百三十六億円の
財政規模ということで、ある
意味積極運営させていただいています。
とはいいながら、経常経費率につきましては、
平成十七年で一〇二・八%、これ
群馬県三十五
市町村のうちの最下位でございました。現在、
平成二十一年度の締めで八九・三%。無理やり九〇を切った数字をつくっているわけじゃなくて、もうちょっと決算すると良くなりそうですけれ
ども、いずれにしても、県下でということになりますと平均よりちょっといいというところまで五年間でこぎ着けたということがございます。
また、実質公債費比率につきましては、
平成十九年が悪くて二〇・七だったんですが、二〇といいますと一八超えておりますので起債に県の承認が必要というレベルでございましたが、二十一年度で一七・二%、一八%を切るという状況になっております。
一方で、基金につきましては、合併したときに十九億しかなかったのが今四十七億円ということで、大体毎年五億円をターゲットに積み上げるようにしておりますが、実績値としては年七億くらい新規に貯金が積み立てられているということです。
こういうことで、これ私も
町長になりまして一年僅かでございますので別に私の実績じゃなくて先人の実績ではありますけれ
ども、その一番の大きな要因は、実は合併したときに三町村の管理職が集まって、我が町、新しいみなかみ町の将来を考えると、このままじゃ成り立たないということで、当時、五十九歳、六十歳の管理職が全員集まって、みんなで辞めようよという相談をしてくれたというふうに先輩から聞いております。ということで、これ
雇用の面からいうと
雇用責任者としてはいかがかと思いますが、それ以降、先輩方がそうしてくれたんだからということで全ての職員が五十八歳で希望退職してくれています。これで合併当時の三百九十九名が二百九十六名、資料は二百九十七になっていると思いますが、今年度になってから職員の方から副
町長を任命しましたので職員が一名減りまして二百九十六名という状況になっています。
このことが何に響くかといいますと、もちろん人件費に跳ね返ってまいりますが、もう一方は、老人会であるとか文化協会であるとか婦人会であるとか、いわゆる経常的な経費補助については、町の
方々が、役場もそれだけやっているんだからしようがないよねということで、端的に申し上げると従前に比べて半分という水準で、あとは
活動レベルを落とさないように
自分たちのボランティア
活動で頑張ってくれているというのがあります。今、協会等のことを言いましたが、その他の面についても、そういう
意味で町の人の理解があるということだと思います。
とはいいながら、さっき申し上げたような
財政指数が良くなってきたという話をしておりますんで、
町長、そろそろと、こう言われているんですけれ
ども、それにつきましては、ほとんど赤の黄色から大分緑に寄った黄色になったところなんでもう少し我慢してくださいというお願いしていますし、あともう一点は、いつも、合併の前はこうやってもらっていたのをそろそろ戻してよという言い方されるんで、それは
平成の一桁で
財政が豊かだったときはそうだったかもしれませんが、もし合併して合理的な運営をしていなければ今の
サービスレベルも確保できないと思っていますんで
是非御理解願いたいということで御理解願うようにしております。
済みません。いよいよ、観光がメーンの町でございますので観光のお話をさせていただきたいと思いますが、観光については
平成三年が四百十万人、現在、二十一年で三百六十万人ということで、非常に大きく落ちております。とはいいながら、日帰り客については、インターチェンジも二つありますし、高速道路、新幹線等で交通の便も良くなったということで日帰り客は増えておりますが、宿泊がピークの二百三十万人から半分の百十五万人ということで、半減しております。
これは何かというと、今日の新聞にたまたま熱海の話が出ておりましたが、高度経済成長期からバブル期を通じて社員旅行、あそこには新婚旅行と書いてありましたが、我がみなかみ町は組合等の
全国大会ということで、団体客に特化したやり方が合わなくなって、九〇年代以降下降線をたどってきたと。それで、過去の投資が負債となって観光業者が苦境に立っておると。これはもう我が町についても同じでございます。
とは言いながら、ここを見ていただいて、今のページにもお湯が十八ある、つまり温泉郷が一軒宿を含めて十八ございますし、そしてまた、旅館のリストがありますけれ
ども、いわゆる大きな、さっき申し上げた団体志向のところが非常に難しい中で、その間、高級小規模旅館といいますか、温泉地が十八と申しましたけれ
ども、中心以外に散らばっておりますので、そういうところがこの間、個人客あるいは高級志向のお客様ということでシフトしてきておりますので、そこのところで伸びておる。だから、先ほどの往時に比べて半分になりましたというのは、いわゆる団体旅行でいうと三分の一になっているんだろうと。その部分を個人客でカバーしている部分もあるということでございます。この辺の
動きを加速していくことが必要かというふうに思っているところではございます。
また、
地域の
活性化ということで、
雇用の確保としての
企業誘致、先ほど
島田先生から若干古い手法だというお話もございましたけれ
ども、ということで非常に難しかったんですが、資料の方にヤマキという麺つゆの会社が来てくれたというのがつい最近のことでございますので、これ書いてございますけれ
ども。
端的に申し上げて、町としても、用地の造成であるとか、あるいは着工に向けての支援だとか、
企業誘致に伴う特別条例だとかいうことで促進しておりますけれ
ども、現在稼働した段階で、八十六名の
雇用で実際の地元
雇用は二十名ということでございます。町の人に言われているのは、あれだけ町が支援して地元
雇用が二十人かよということで非常に厳しい御指摘を私もいただいておるんですけれ
ども、考えてみますと、二十年以上前とは言いながら、農村工業導入とかいう形で、この資料のどこかに入れたと思いますけれ
ども、三つほどの大きな団地ができていまして、これは昭和の最後にやったので余り目立っていませんが、現時点、その工業団地に十二社あって約千人の
雇用が生まれておると。もちろん、景気の動向でそれが上がり下がりしますので。ですけれ
ども、じゃ、二十年前と比べてこの
地域に千人分の
雇用ができているということは事実でございますし、これについては積み重ねていかなきゃいけないというふうに思っています。
先ほどの、地元
雇用二十名という単位だけで見ますと、中規模旅館が
一つ潰れないように支援した方がよっぽどいいだろうという御指摘もあるんですけれ
ども、それはまたやり方の問題で、業態としてこういうところに力を入れていきたいというところについては間接的に町としても支援していきたいというふうに思っております。
また、同じようなことで、この間、
地域としてどうだったのかということになりますと、先ほどのこのパンフレットで言いますと、絵が入っておりまして、たくみの里というものが
紹介しております、これは十ページにございますけれ
ども。これが農村景観を活用した観光地づくりということでスタートしたのが昭和六十三年、構想から具体化したということでこの間やってきております。ここに、絵で見ていただくと分かるように、約二十ぐらいの体験の家がありまして、単なるごく普通の農村、もちろん谷川岳も見えますし赤城山も見える、景観が良くて平らで水田があって畑があって、その後作ったフルーツ園等があってという非常に
日本の農村そのものということですけれ
ども、これについても
平成に入ってから観光客伸びてきまして、ピークで
平成十五年で四十七万人、この間、若干低落傾向で、現在というか昨年度集計で四十万人ということで七万人ほど減っておりますけれ
ども、これについては、
町長としてはこの減った分をどう戻そうかというのは当然ですけれ
ども、改めて考えてみますと、何もなかったところに四十万人も来る観光地を
地域の
努力でつくり上げてきた、それについては
地域の文化、景観、そして体験ということでやってきております。
ここのところで、先ほど
先生からも出ました
移住、外部の人の
人材の活用ということをちょっと触れさせていただきますと、この中の体験工房を二十ほど書いてございますけれ
ども、一番最初スタートしましたのは、
地域の技術、何かというとわら細工であるとか、そういう形で
地域の人が
都会から来た人に教えてあげようということだったんですけれ
ども、実際上は、例えば藍染めの家、古くなりますが、埼玉県から退職されてきた人が来てそれをおやりになっていると。今、観光客が減り始めているというのは、この店は固定じゃなくて、新たにやりたい人が来て近くの民家を借りたり、前やっていた人がお年取ってやめたんで違う人が入ってきたりと、常にローテーションしていますので波があってもいいんだろうと。新しいものが次々に入ってくると、そこが大事かなというふうに思っています。
行政としては、この間、周辺に桑を抜いてリンゴを中心とするフルーツ園を展開するということで、またもぎ取りについては、今のたくみの里に限らず、みなかみ町全域について次のページ、十二ページに書いてございますけれ
ども、出荷をするというよりも来ていただいて楽しんでいただくということのために、なるべく長い期間各種のフルーツを楽しんでいただこうということでやってきておるところでございます。
最後にと申し上げますか、住民参加による町づくり、つまり
地域づくりについてはそれは非常に大事だと思っていますし、観光についてもまさにそうだと思っています。
一点と申しますか、今年、
群馬県がJRとタイアップいたしましてデスティネーションキャンペーン、
各地でやっているものを今年の七月から、七、八、九というのが予定されています。昨年、今年度ですが、プレということで昨年の七月、八月、九月、やりましたけれ
ども、これについては県の
事業でありますが、みなかみ町としては徹底して観光を売り出していくということで、県全体のデスティネーションキャンペーンをしょうつもりで相当やらしてもらいました。
何かというと、
地域のグループに集まってもらって、それぞれの
地域の文化、歴史、それから売り物は何なんだということについてグループごとに案を出してもらって、それを支援していくということでやってまいりました。ですから、後で見ていただければいいと思いますけれ
ども、谷川岳のところに入っていく一ノ倉沢については、できるだけ車を入れずに、その代わりボランティアでガイドを張り付けて、エコガイドで案内していただくと。
一歩ずつ進めていきたいと思っていますし、一点だけ申し上げますと、歴史のところに書いてありますけれ
ども、名胡桃城というのが歴史のポイントとしてあるわけですけれ
ども、改めて
地域の人が二十名ほど集まってくれて、来た人に歴史から、それから今の状況から説明しようということで
地域の人が二十人集まってくれましたので、町としてはその
人たちが集まっていってしゃべる場所、これを提供しようというふうにやらせてもらいました。
あと、極めて小さな話ですけれ
ども、キャンドルナイトというのを昨年五つ続けてやりました。これは構想を大きく立てたわけじゃなくて、中心となる人がよそから、キャンドルをいっぱい付けるというのを仕入れてきた人がいまして、地元のお寺とタイアップしてお月見のときにボランティアを六十人ほど集めてろうそく七百本に火を付けたと。それで、町の人が中心ですが、二百人の人が来てくれて、お寺でキャンドルに火がともって、そしてしの笛でということで、お客さん二百名だったんですけれ
ども、そこに来ていた
地域の人がうちでもやりたいということで、先ほどの地図で言うと別のエリアに移るんですけれ
ども、アウトドア関係でフェスティバルをやろうというときに、そこの人が中心になって点火したと。それを見て、次は、さっきのを見て猿ケ京という別の地区で
地域づくりのために
地域の人が集まって、やろうと。それを一か月後に予定して、それでまたあと一本、それを見て今度は、さっきの星の鑑賞会出ていますけれ
ども、谷川岳のてっぺんで、ふだんはロープウエー通っていないところに動かして星空を夏は見せたんですけれ
ども、そこのところで雪の中でキャンドルナイトをやろうということでいって、昨年の秋始まったことが、それぞれの
地域でそのノウハウを活用しながら、次々に新しい人が参加して町のあちこちでやっていこうと。
今度の二月の十二日にはスキー場でやろうということでやっていますけれ
ども、そういう形で町の人がどんどん参加して、これやろう、あれやろうということでやっていただいているということで、まとめ的に言いますと、先ほど言った観光地が非常に落ち込んでいると、何とかしなきゃいかぬと、いろんな
動きがある中で非常に危機感が高まってきて、自発的にやることによって、みんなで集まってやっていこうという芽が出てきているかなというふうに思っております。
観光、低迷していると言いながら、
一つだけ言わせていただければ、この絵の表にも出ていますラフティングを中心とするアウトドア、これは利根川の恵みを生かした、首都圏でもみなかみ町しかできないということですけれ
ども、これらについて新規の参入者が十七、八年前から始め、順次拡大してきて、昨年が十一万人ほど、今年の集計をやると多分十三万人になるだろうということで、
地域の目玉として非常に元気が出てきておりますので、これらについては、町としては支援しながら、なおかつ安全性の確保であるとか、余り質を落とさないように、質の確保であるとか、あるいは過大集中的な利用にならないようにといったようなことについて
事業者の意識が出てきておりますので、町としては条例という形で支援をすると同時にコントロールもするといったようなことで、これは町が主導的にじゃなくて、
事業者同士の話をまとめる中で責任主体として町が表に立つといったようなことで今考えているところでございます。
いろいろなこと、先ほどちょっと触れましたけれ
ども、昔、温泉街の中に町がプランターを置いてくれたので
町長やってくれと言われたときに、私も政治家になり切れていないものですから、嫌だ、嫌だと言ったので、あれは、言い方は多分、それはよく分かります、
皆さんと
一緒にやりましょうと言えばいいんですけれ
ども、嫌だ、だけれ
ども、
皆さんがやってくれるのなら、苗は町で買うというのは御相談しますということを言っていますし、それから、あるところで、お母さん方が国道際に土地が余っているので花を植えますとおっしゃったので、よろしくお願いしますと言ったのですけれ
ども、一週間後に来られて、やっぱり国道から見やすいように傾斜を付けたいんですけれ
ども何とかしてくださいと言うので、すぐ、除雪用の役場の重機がありますので、職員に、あそこへ行ってちょっと造ってよと言ったら、職員が三日でやってくれて、その次の週にはその御婦人方がお花を植えてくれたと。
そういう芽が一歩一歩出てきているんだと思っています。それを大きくつなげていくということが
地域の
活性化につながるのだと思っていますし、やはり旧の、それぞれの
地域ごとの特徴というのは非常に、文化もありますし、伝統もありますし、あるんですけれ
ども、とはいっても、それを大くくりにするからそういうことなので、昔からの集落同士というと、旧町村の中にもいろんな色合いがあって、改めてみなかみ町という目で見ると、それぞれの
地域、細かい
地域が歴史と文化と人の
活動があって、それを
一つの力に合わせて、観光も振興するし、町づくりにもつなげるし、多くの人に来ていただこうということにつながるんだというふうに思っております。そのことが、全体が低落する中で町の人の危機感が出てきているというものをうまく行政体が拾い上げることによって新しい方向性が出てくるのかなと考えているところでございます。
最後、まとめは、これを
是非御覧いただいて、永田町からみなかみまで二時間でございますので、
是非現地の方にお出かけいただければと思っております。
ありがとうございました。