○松岡徹君 私も、
犯罪被害者とは一体だれなのか、身内、家族を殺された
遺族が
犯罪被害者の
遺族だということになるのか、あるいは
殺人未遂で、そのときの
事件の傷が原因で体が不自由になって今なお苦しい生活をしているという方もおられます。あるいは、性
犯罪なんかは心の
殺人だと言われています。こういった人たちの
被害者の声といいますか、やっぱり
世論は、
一つは、
逃げ得は許さないというのはこれは当たり前の話だと思うんですよね。その中でも
時効制度を取ってきた我が国はどういうふうに対応してきたというのがあります。そのときに、毎年、去年でも六十件を超える死刑に当たる
事件の
時効を迎えるということがありますし、年間数十件、そういう
時効を迎える
事件があります。
なぜこんな
事件、
時効を迎えてしまうのか、ということは捜査の側の機能が弱っているのではないのか。すなわち、
社会正義を貫くということは、
犯罪を犯した者の
逃げ得を許さないということは、やはりしっかりと捜査をしていく、そして
犯人を検挙していくということが大事だと思うんですね。それをしっかりしてほしいというのは当然のことでありますから、そこの課題は何なのか、なぜ今これだけ毎年
時効を迎えている
事件があるのかということもしっかり見なくてはならないと思うんです。
あるいは、あわせて、そのときにそれが大きなプレッシャーとなって冤罪を生むことがないような一方の
制度を整備していくということも大事な
社会正義を貫く課題だと私は思うんですよね。
もう
一つは、当然それを強く望むのは、その
社会正義が貫かれたということによって
被害者の人たちが持つ心の安らぎといいますか、あるいは安心といいますか、よりどころといいますか、そういったものが生まれると思うんですね。
しかし、
被害者の
方々が、あるいは
遺族の
方々が望んでいるのは果たしてそれだけなのか。私たちの
社会は、
社会正義を貫くといったときに、不幸にしてそういう
事件に遭った、巻き込まれた、それによって生まれる様々な被害を全く顧みない
社会でもいいのか、
社会正義が貫かれたということになるのかどうか。そういう
意味では、今、
千葉大臣がおっしゃったように、
犯罪被害者の救済基本計画の五年目の見直しのときにしっかりとそのことを反映していってほしいと思うんです。
ただ、私が冒頭言ったように、
被害者とはだれなのか、
遺族とはだれなのか、そしてその人たちの思いとは何なのか。
社会正義を貫いてほしいということと併せて、
犯罪被害者が
社会の中で放置されているというか見放されていると。私たちもこの間、
被害者の
方々の
意見も様々聞いてきました。例えば、
犯罪被害者の家族がその地域で冷たい目で見られていくとか誤った世間の見方にさらされているということがありますし、あるいは子供が、自分の父親が
犯罪に巻き込まれたことによってすぐに経済的な
理由で子供が進学を断念するとか、そういうふうなことが起きていっているとか、様々な影響が生まれてきていますね。
こういったものにどうこたえるかといいますか、手を差し伸べるかというのが、やっぱり
社会正義を貫くという
意味では大事な一方の視点だと思うんですね。そのことをしっかり持ってほしいという思いなんです。すなわち、
犯罪被害者、
遺族の
方々の声をどう受け止めるのか。
社会正義を貫くという、
犯罪者の
逃げ得は許さないということに力を入れてほしいけれ
ども、あわせて、不幸にしてそんな
事件に巻き込まれた
遺族の人たちがその
事件によって
社会的な様々な苦境に立たされるということについてどう回復をできるような
社会にしていくのか、これも併せて
社会正義を貫く重要な課題の視点だと思うんですね。
そういうことからすると、是非、例えば
松野先生の
質問にもありましたけれ
ども、性
犯罪の
被害者の
方々は、例えば
強姦致死の場合は今回は対象にならないんですかね。あるいは性
犯罪の場合は、
強姦致死に至らなくても心の
殺人を負って様々な、ひっそりと暮らさざるを得ないということがあります。確かな、それこそDNAという残留物が、
犯人と特定できるようなものがあるにもかかわらず、それは
時効を迎えてしまうということがいいのかどうかということもあります。
こういった死刑に当たる
事件以外の部分のそういった
被害者の声とか
事件に対する対応というのをどう
考えておられるのか、今後
検討するという立場におられるのか、是非ちょっと
千葉大臣の
考え方を聞かせていただきたいというふうに思います。