運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

2010-04-16 第174回国会 参議院 総務委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十二年四月十六日(金曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  四月十五日     辞任         補欠選任      神本美恵子君     那谷屋正義君      友近 聡朗君     米長 晴信君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         佐藤 泰介君     理 事                 加賀谷 健君                 武内 則男君                 林 久美子君                 礒崎 陽輔君                 世耕 弘成君     委 員                 高嶋 良充君                 土田 博和君                 外山  斎君                 那谷屋正義君                 内藤 正光君                 長谷川憲正君                 吉川 沙織君                 米長 晴信君                 木村  仁君                 谷川 秀善君                 二之湯 智君                 溝手 顕正君                 魚住裕一郎君                 澤  雄二君                 山下 芳生君                 又市 征治君    事務局側        常任委員会専門        員        塩見 政幸君    参考人        公益財団法人地        方自治総合研究        所所長      辻山 幸宣君        慶應義塾大学法        学部政治学科教        授        片山 善博君        PHP総合研究        所主席研究員   荒田 英知君        帝京大学教職大        学院教授     村山 祐一君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○連合審査会に関する件 ○政府参考人出席要求に関する件 ○参考人出席要求に関する件 ○地域主権改革推進を図るための関係法律の整  備に関する法律案内閣提出) ○国と地方協議の場に関する法律案内閣提出  ) ○地方自治法の一部を改正する法律案内閣提出  )     ─────────────
  2. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) ただいまから総務委員会開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、神本美恵子君及び友近聡朗君が委員を辞任され、その補欠として那谷屋正義君及び米長晴信君が選任されました。     ─────────────
  3. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) 連合審査会に関する件についてお諮りいたします。  地域主権改革推進を図るための関係法律整備に関する法律案、国と地方協議の場に関する法律案及び地方自治法の一部を改正する法律案について、内閣委員会からの連合審査会開会の申入れを受諾することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  それでは、連合審査会は来る十九日月曜日午後零時三十分から開会することといたします。     ─────────────
  5. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) 次に、連合審査会における政府参考人出席要求に関する件及び参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  三案審査のための連合審査会政府参考人及び参考人出席要求があった場合には、その取扱いを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) 御異議ないと認め、さよう決定します。     ─────────────
  7. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) 地域主権改革推進を図るための関係法律整備に関する法律案、国と地方協議の場に関する法律案地方自治法の一部を改正する法律案、以上三案を一括して議題といたします。  本日は、三案の審査のため、四名の参考人から御意見を伺います。  本日御出席いただいております参考人方々を御紹介申し上げます。  まず、公益財団法人地方自治総合研究所所長辻山幸宣参考人でございます。  次に、慶應義塾大学法学部政治学科教授片山善博参考人でございます。  次に、PHP総合研究所主席研究員荒田英知参考人でございます。  次に、帝京大学教職大学院教授村山祐一参考人でございます。  この際、参考人方々に、委員会代表して一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところを当委員会に御出席いただき、誠にありがとうございました。  参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  本日はありがとうございました。  次に、議事の進め方について申し上げます。  まず、お一人十五分程度で、辻山参考人片山参考人荒田参考人村山参考人の順に御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。  また、発言の際は、挙手をしていただき、その都度、委員長許可を得ることになっておりますので、御承知おきください。  なお、参考人質疑者共発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず辻山参考人にお願いいたします。辻山参考人
  8. 辻山幸宣

    参考人辻山幸宣君) 御紹介いただきました辻山でございます。  歴史的な政権交代のあった国会にこのような意見陳述機会を与えていただきましたこと、大変ありがとうございます。  私は、長年、地方自治制度を中心として研究してまいりました。研究の姿勢は、やはり地域に住む人々が安心して持続的な生活を送っていける条件、これをどのようにして整えていくかということでございまして、そのための制度というものを究明したいと考えてまいりました。そのような立場から、今回提出されております三法案についての所見を述べさせていただきたいと思います。  最初に、地域主権推進一括法についてでございますけれども、これは大きく、地域主権戦略会議設置の問題と、それからいわゆる自治体で処理している事務についての義務付け枠付け見直し自治体での自己決定にゆだねていこうという、こういう内容を含んだものだと理解しておりますが、主としてこの後者について私の見解を述べたいと思います。  今申しましたように、自治体の処理すると申しましたが、これには、御承知のように、法定受託事務自治事務という二種類がございます。今回この法案の対象になっておりますのはすべて自治事務についてでございます。つまり、自治事務について、国の各府省政省令あるいは法律本文によって様々な規律が加えられている、私はこれを規律関与というふうに呼ぼうとしておりますが、一部の研究者の間には立法関与というふうに表現する方もおられます。この自治事務についての規律関与をどう考えるかということが最初になければいけないと思います。  さきの地方分権改革推進委員会において、自治事務についてどの程度規律関与が存在するかということを調べられ、一万余の件数を抽出したわけでございます。今回の法案は、この一万余のうち実に百十三事項についてのみ改革の提案がなされている、改正案提出されているわけでございます。実に一%強というような少なさでございます。  今から十一年前、一九九九年の地方分権一括法審査のときに、私、公述人として参りまして、そのときこう申し上げました。新しい分権化地方自治法について、実は自治事務に関する定義がない、自治事務とは何かということについての定義がないのはまずいではないかということを申しました。現行地方自治法の二条八項には、自治事務とは法定受託事務以外のものをいうとしか書かれていないのでございまして、自治事務の積極的な定義がなされていない。この問題が今日のこの自治事務に対する大量な国による規律関与というものを許してきたというふうに考えているのでございます。  私は、自治事務については、実施するか否かを自己決定できる、どのような内容で実施するかを自己決定できる、この二つの要件を整えているものを自治事務というふうに定義すべきだというふうに考えておりますので、言ってみれば、今回の一般に義務付け枠付け見直しと言われている規律関与改正については基本的には賛成立場にあります。しかし、いかにもその内容が小さい。何年掛かったらこの自治事務に対する規律関与が取り除かれて自己決定ということが可能になるのかと考えると、大変気の遠くなるような気がいたします。  実は、マイナス面もございます。  今回、百十三事項について自己決定にゆだねるという方向になる、そしてなお、政府部内では、各府省に向けて第二弾の見直しを求めていて、そして提出をさせているようでございます。どの項目とどの項目については自治体自己決定にゆだねてよいということを提出させておりますが、極めて回答が低調だというふうに伺っています。  そういうことになりますと、例えば今回百十三事項、第二弾で例えば二百事項をやったにせよ、せいぜい三百ということになり、もちろんもっとやるかもしれませんが、問題なのは、その際に残った事務でございます。残った事務については、自治事務であるにもかかわらず自治体では手を出すことができない領域というふうに固定されるのではないかというマイナス面を実は持っているということを私は危惧しているわけでございます。  そういう意味では、一部の議論に見られますように、自治事務については、押しなべて自治体における条例の上書き権を認めるという方向で解決を図っていくような抜本的な改革が必要であるということ、私もこれに実は賛成でございまして、政府においては、三年程度をめどに地方政府基本法というようなものを制定していきたいというロードマップを示しておられますが、この地方政府基本法又は地方自治基本法、名称はいずれでもよろしいのですが、そのような基本法律によって自治事務については自治体自己決定を認めるのだという原則を打ち立てていく、そういう方向性を今後期待したいというふうに考えておりまして、今回の法案については、自治体自己決定を増やすという方向を向いているという意味において評価をしたいというふうに考えております。  第二点目、国と地方協議の場。  長らく自治体側要望の下で議論されてまいりましたけれども、ようやく法律によってこの協議の場というのができるということになるわけでありますが、これが歴史に新しい一ページを開くことになるのか、あるいは一種の談合政治のような世界を踏み出していくのか、分かれ道だというふうに思っています。  それは、恐らく運用の難しさということになるのかなと思っておりますけれども、御承知のように今、地方団体代表が六名出てきたからといって、それで地方意見が集約されるというようなことは到底考えにくいのでございます。市長会代表が市を代表して意見を述べるときに、三百万を超える政令指定都市、これはもう県にも匹敵する、あるいは幾つかの県よりも大きな市なのでございまして、そこが同じ意見というふうに考えるのも大変難しい。町村と市の関係についても同様でございまして、このような意見がまとまらない事案について一体どのようにして合意していくのだろうかというようなことを大変心配しております。  もっとも、これは場という制度をつくる法律ですので、それ以降の運営についてあれこれと申し上げるのは、今後の御活躍を期待すると言うしかないわけでありますけれども、危惧される点はそれでございます。  二点目は、この法案を見ておりますと、協議参加者がその協議の結果について尊重義務を負うというふうに規定されておりますけれども、これは合議体においては常識のことでありまして、条文で書いた意味は何かということをちょっと勘ぐってみますと、先ほど申しましたように、六団体代表が出てきて合意をしたといっても地方自治体がみんなそれで納得するわけはないのでありまして、きっとその後、一体どんな権限があってイエスと言ったんだとか、そういうもめ事を抑え込むために、そこに参加した代表はそれぞれの異論を説得する責任を負うというようなニュアンスでこれは書かれたのではないか、大変重い条文になっているなというふうに受け止めまして、参加される地方団体代表皆さんに御苦労さまと申し上げたい気持ちでいっぱいでございます。  三点目に、実は現行法地方自治法二百六十三条の三というところには、自治体に対して新たに事務を命じたりあるいは負担を求める場合には、自治体団体、つまり地方団体についてあらかじめ情報を提供するということが定められており、そして団体側からはそれを、国会及び内閣に対して意見を述べることができるのだという規定があるわけですね。聞くところによると余り積極的に活用されているというふうには聞いておりませんけれども、実はこの条文の活用だけでもその協議にやや代わるような機能は果たすんだということも念頭に置いていただいて、この場ができたとしても是非この二百六十三条の三を積極的に生かしていくということ、これは運用上のお願いでございます。  以上、いずれにせよ、三点について、設置そのものについて反対はいたしませんけれども、是非とも設置意味を出すような運用をお願いしたいということを注文を付けさせていただきたいと考えています。  三点目は、地方自治法改正案でございます。  これにつきましては、取り立てて反対を唱えるというべき改正点はございません。ただし、これを、地域主権法案というふうな形で地域主権が確立していくというものとはとても思えないのでございまして、例えば、地方制度調査会などで上がってきた要望を今回取り入れて法案化するというのと、それから先ほど申しました義務付け枠付けという文脈で地方自治法に含まれているものはこれは廃止すると、こういうことなのかなと考えております。  具体的に少し申し上げますが、目立っているのは議員定数法律による上限を撤廃するということでございます。これは自己決定議会をどの程度にするかというのは自己決定の範囲だろうと思うので至極当然のことでございますけれども、ちょっと運用上心配しているのは、自治体が寄る辺をなくしてしまって、どれぐらいの定数というときに、議長、副議長署名人だけいればいいかというようなところから、もっと大きな人数にするのとか、大変決定には困るだろうというようなことは考えておりますが、しかし制約してきた上限を撤廃するというのには賛成ということでございます。  その他、全部事務組合廃止役場事務組合廃止というのは、これ現在ゼロですから当然といえば当然なんですけれども、残しておいてもよかったかなということは実は私は考えていまして、小規模町村が合併で少し取り残されているところで、執行部だけを合体して住民意思はそれぞれの自治体議会でまとめていくというような言わば役場事務組合の仕組みなどはちょっと利用可能かなというようなこともあって、ゼロだから消すということにもなるまいとちょっと思っておりますが、しかし現段階でゼロなのでこれを廃止するということに反対はいたしません。  その他、基本構想策定義務とか、これも義務付けていたのを外すという論法なんですけれども、確かに全国自治体で作っておりますけど、これ義務があるから策定しているというわけではないので義務を外してもちゃんと自治体が策定するであろうというふうなことを考えておりまして、この地方自治法改正案についてはすべての点について一応賛成ということを申し上げたいと思います。  時間が参りましたので、以上にいたします。
  9. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) ありがとうございました。  次に、片山参考人にお願いいたします。片山参考人
  10. 片山善博

    参考人片山善博君) ありがとうございます。  先ほど委員長から御紹介いただきました慶應義塾大学片山であります。  今日は、私の非常に個人的にもまた仕事の上でも関心の深いこの三法の審議に当たりまして、意見委員先生方に聞いていただく機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。先ほど委員長から忌憚のない意見をとおっしゃられましたので、ちょっと忌憚がなさ過ぎるかもしれませんけれども、お話を申し上げたいと思います。  最初に、地域主権改革推進を図るための関係法律整備に関する法律案でありますけれども、これは先ほど辻山参考人からもお話があったとおりでありまして、一つは、地域戦略会議設置を根拠付けるということで、これは政府がそうやられるのを国会で承認するということですからそれはそれで結構だと思いますが、残余の部分、すなわち自治体に対する国の関与義務付けでありますとか枠付けでありますとか、これを整理するという、その分野については、私の役人をやっていたときの経験とかそれから現場自治体を預かっていたときの経験からいって、ほとんど意味がありません。  お手元に配付していただいている資料を御覧いただくと、これシャビーと書いていますけれども、実にシャビーであります。これで一体何が変わるのだろうか、国民にとってどういう意味があるのだろうかということを考えますと、あの大部の法律案をしらみつぶしに読んだわけではありませんけれども、要綱その他を見た限りでは、国民にとって何の意味もない改正だと思います。この法案賛成される委員皆さん方は、例えば国民に対してこれによって何が変わるのかということをどう説明されるのかと私は実は案じているんであります。何も中身がないんではないかということであります。  一方、先般、鳩山総理大臣国会における施政方針演説で、そこにも書いておりますけれども、この地域主権改革というのは国の形の一大変革であると、こうおっしゃっています。鳩山内閣改革の一丁目一番地だと、こうもおっしゃっています。差し当たってこの三法案というのは、この地域主権戦略の第一弾だとおっしゃっていますから、これが国の形を変える一大変革で、改革の一丁目一番地で、その第一弾なんだということです。どこが第一弾なんだろうかと思います。  じゃ反対するのかというと、反対することはありません。それは辻山参考人のおっしゃったとおりで、一万分の百でも、ちょっと本当にシャビーでも進めばそれは反対する理由はありませんけれども、笑われるんではないかと、私は、心ある国民から笑われるんではないかと思います、この内容の乏しさに、ということです。  それで、地域主権改革義務付け枠付けを外すということであれば、やることはいっぱいあるんです、ほかに。特に一丁目一番地ということでありますと、私の自治体経験でいいますと、例示をそこに書いていますけれども、例えば起債に対する国の関与、これはいまだにやっています。昭和二十年代に、二十二年にこの地方自治法ができたときに、戦後のどさくさもありまして、自治体地方債の発行に対しては当分の間、国が関与するという、そういう規定地方自治法附則に置きました。当分の間です。ところが、どういうわけか、今はもう附則ではなくて本則の方に、地方財政法本則の方にしっかりとした関与を書いてしまっているんですね。こんなばかげたことはありません。どういう関与かというと、自治体借金をするとき、地方債を発行するときには国の承認、同意が要るわけです。従来許可だったのを同意にしたから前進だとか総務省なんか言っていますけれども、全くそれは詭弁です。現場から見たら何も変わっていません。規制はむしろ従来よりも強まっています。  今、自らの判断責任借金ができない、そういう存在にある人、人といいますか主体はどういうのかといいますと、未成年者、これは親の同意が要ります。それから成年後見制度の下にある方。例えば認知症などで自分でちゃんとした責任が取れない、この人たちを守るために、自分では借金是非を決められないことになっています、後見人同意が要るということになっています。三つ目自治体なんですね。自分判断では借金ができない、後見人であるかのごとき総務省同意が要るという。  私は知事を八年間やっておりましたけれども、どういう関与が一番屈辱的であるかというと、この地方債関与であります。こんなものは自分たちで決めればいいんです。議会もあります。国に国会があるように、自治体には議会があるんです。それでも頼りなければ、アメリカのように大きな借金をするときは住民投票で決めればいいです、その是非は。一々一々国にお伺いを立てる、こういう関与こそ廃止すべきです。これが一丁目一番地です。  今回の法案は、こういうところはするりと隠してしまって、シャビーでつまらないことばかりと言うと失礼ですけれども、ちょっと忌憚がなさ過ぎるかもしれませんけれども、そういうものばかり羅列して、法律改正案を見ましたらこんなに分厚いですね。重量でいうと非常に重い法案ですけれども、内容は非常に至って軽い法案であります。  あと、もう一つ言いますと、広い意味での関与でいいますと、ひも付き交付税地方交付税というのは本来、税の代替物でありますから、ひもなど付いてはいけないんですけれども、今はひもだらけであります。元来ひもが付いてもいい国庫補助金、これはもうもちろん、国庫補助金というのは元々ひも付きであります、何に使えということですから。そのひも付き補助金でさえ整理をして一括交付金化しようというときに、本来ひもなどあってはいけない地方交付税ひもだらけなんです。そういうものこそいち早く改革をすべきでありますけれども、そんなものはもう全くこういうところに登場しないで、つまらないものばかりが出ている。  これ、官僚皆さん方の妥協の産物です。だから、あの重たい、重量だけは重いこの法案中身というのは、私なんかが見ますと官僚皆さん方の修辞、すなわちレトリックの集大成であります。こんなものに政治がだまされてはいけないと私は思います。  二つ目の国と地方協議の場に関する法律案ですが、これは私は反対であります。私は知事をやっておりまして全国知事会にも属しておりましたけれども、あえてこの法案には反対であります。これは民主党の皆さんがマニフェストに書く書かないで去年議論をされていたときも私は明確に反対意思をしかるべくお伝えしておきましたけれども、残念ながら入ってしまったということです。  なぜ反対かということですけれども、地方の声を聞くというのはこれは重要なことです。自治体がどうあるべきかとか、自治体の権能がどうあるべきかとか、国と地方関係はどうあるべきかということで、国だけの都合で、国だけの考え方でそれを律するんではなくて、地方意見を聞くというのは重要であります。その際の地方意見というのは一体だれから聞くのがいいかということなんですね。これは地方自治の理念にも関することです。地方自治はだれのために存在するのか。  もしこれが首長のためとか、知事市町村長さんのために地方自治はあるんだとか、地方議会議員皆さんのためにあるんだということであれば、この法案で結構だと思います。知事市町村長代表、それから議会代表から意見を聞いて、その人たち仕事をしやすいようにしてあげればいいです。その人たち権限を強めて、その人たちの処遇を高めてあげればいいです。  でも、地方自治というのはそうではないはずです。知事市町村長議会議員のために地方自治はあるんではなくて、名もなき国民住民のためにあるはずなんです。だったら、住民から聞かなきゃいけないんです。住民から聞くのは、国会皆さん方国民代表ですから、聞けるはずなんです。あえてこういう人たち法律上の地位を与えて聞くことは私はないと思います。  しかも、首長さんとか議会議員皆さん方というのは、もちろん住民が選んでいるんですけれども、どうも御自身たちが考えているほどには住民の信頼感は高くないです。ずれていると思われているケースが多い。地方議会に至っては、評判は非常にどこに行っても芳しくありません。  例えば、東京都の例をひもときますと、先年、新銀行東京に四百億円の追加出資をされました。都民のだれもそんなものは喜んでいません。私の知る限り、みんな反対であります。ところが、それは石原都知事の肝いりでできた銀行で、東京都議会も当時の都議会賛成多数で可決されました。どうしてそんなことが起こるんだろうか。そんな四百億円をどぶに金を捨てるようなところに使うんであったら、もっとほかに使うところがあるでしょうと多くの皆さんが思っているんですけど、四百億円は新銀行東京に行ったわけであります。これは東京都の例ですね。  そのほかでも例えば、いろんな最近話題になっていると思いますけれども、飛行機が飛ばない空港を造ったとか、飛行機会社に空席補償までして乗らない飛行機を維持しているとか、いっぱいありますけれども、多くの皆さんはそれにまゆをひそめているわけです。もちろん賛成だという人もおられますけれども、その数は少ない。  もちろん非常に信頼度の高い首長さんなどもおられますけれども、地方自治の全体を見渡しますと、やっぱり評判の悪い、ずれが目立つところが多いというのが私の印象であります。そういうところの代表を集めて、果たして地方意見をそこで代弁してもらったことになるのかどうか。それでもって地方住民皆さんが、ああ、自分たち意見をああやって政府に私たちの代表を通じて伝えられているんだなというふうな納得感が得られるかというと、私はそれはないと思います。むしろ逆に出るんではないか。  要らざることですけれども、先般、福岡県で副知事が逮捕されました。これは言いにくいですけれども、全国知事会長の腹心であります。収賄容疑です。贈賄容疑で捕まったのは町長さんで、これは辞めましたけれども、ついこの間まで全国町村会長だったんです。  地方団体というのはそういう人も今含んでいたりするんですね。よくも私はこういう法律を作られたなと思って感心しているんであります。  もう一つ。地方団体というのは、大体いつも決議をしたりして、いろんなことを政府に要求されます。どんなことを要求するかというと、権限を移譲しなさい、関与をなくしなさい、地方交付税を増やしてください、地方消費税をもっと分け前を増やしてくださいというようなことです。こういうのを要求するというのは、これは政治学では一般には圧力団体というんです。プレッシャーグループです。プレッシャーグループと政府法律協議の場を設けるって、これは非常に珍妙なことであります。プレッシャーグループはあっていいんです。政治に対してアクセスをし働きかけるというのはあっていいですけれども、わざわざその圧力団体政府とが法律協議をしなければいけない。なおかつ、そこに参加した人はその結果を尊重しなければいけないというのはどういうことなのか、非常に不可解で私はなりません。  もう一つ、地方団体は天下り団体です。総務省の天下り団体です。ちょっと言いにくい面もありますが、ずっと代々もう例外なく総務省官僚OBの皆さん事務総長に座っております、現在もそうであります。一方、今、民主党政権はこの天下り団体に対して、その見直しを積極的に進められておられます。来週からは行政刷新会議の下で独立行政法人の見直しも、事業仕分も始まります。ここでの焦点は、いかに天下りを解体するかということのはずであります。そういう時期に、何ゆえに、れっきとした堂々たる天下り団体政府協議相手として法律に位置付けるのか。私はどうもダブルスタンダードではないかと思うのであります。こんなことは絶対やめられるべきだと思います。  それから、この協議の場というのは年来、従来から、ずっと前から、自民党時代から協議の場を法定化しろという要求は地方側から出ていました。地方側からというよりは総務省から出ていたんですね。これは何で出ていたかといいますと、実は、官僚主導政治の中でこそこの主張は出てきたんです。  どういうことかといいますと、当時、ちょっと自民党の皆さんに申し訳ないですけれども、役所間の意見の対立とか主張の違いについて、必ずしも政治主導でもって裁きをされませんでした。そうすると、官僚同士で死闘を尽くすわけです。総務省と財務省、昔の自治省と大蔵省が交付税の額などをめぐって死闘を繰り返すわけです。アンパイアがいませんからエンドレスになるんですけれども、最後は財布を握っているやっぱり大蔵省が強いので、総務省の方が負けてしまう。そこで、政府内でその省庁間の協議とか折衝を有利に進めるために応援団を求めたわけです。これを法律上、協議の場ということで位置付ければ非常に強い応援団になるわけです。だから総務省の応援団なんです、これは、官僚主導時代の。  今、一転、政権交代が行われて、政治主導を標榜されている民主党政権の下で、こんな官僚主導の環境の中での一つの省庁の応援団は要らないはずであります。政治家の皆さん方が財務省と総務省意見の違いは裁かれたらいいはずであります。しかも、そのときには国民意見を尊重しながらということですから、政治主導を標榜する内閣にこういう変な協議の場が法律上できるというのは非常に私は不思議に思うんであります。ひょっとして本当に政治主導やられる自信がないのかなとまで思ったりするわけであります、大変失礼でありますけれども。  地方自治法の一部を改正する法律案でありますが、これは、三つの法律案の中では私は唯一評価できる部分を含んだ法律案だと思います。  どんなことかといいますと、地方議会議員定数上限数の撤廃をする。これは先ほど辻山参考人もおっしゃったとおり、こんなことは自治体が決めればいいことであります。まあ決め方についてはいろいろ問題があります。私などは、進んで住民意思を酌み取るすべも含んだ上での例えば憲章、自治体の憲章、チャーター、そういうものを位置付けるというようなことも立法政策上はあるんだろうと思いますけれども、取りあえずその上限数、国の関与を排除するというのは、これは賛同できます。  それから、議決事件を拡大する。これはいわゆる法定受託事務、先ほど自治事務の話がありましたけれども、自治事務ではない概念の法定受託事務について、従来は地方議会が議決事件とすることはできませんでした。これを今回、新たな法律改正でこれを議決事件にするということですから、これは自治権の拡大になりますから、これは私も賛成します。  ということですが、余り手放しで評価はできません。何となれば、さっきもお話がありましたけれども、やっぱりこれは全体の中でのごく一部なんです。地方自治法改正すべき点はまだまだほかにいっぱいあります。総務省関与なんかもいっぱいあります。そういうのを本来は落としていかなきゃいけないけれども、これはその前哨戦といいましょうか、後で地方自治法の大改正、抜本改正をやられるというようなそういう構想も表明されていますから、政府の方で。ですから、これはそれの先駆けだと思えばそれなりの意味があるということで評価をしていますけれども。  細かいことを言いますと、例えば、先ほど言った法定受託事務を議決事件の対象とするといったときに、でもしないよというのが盛り込まれるんですね、この法律の中に。対象にするけれども、でも対象にしないものがありますよ、それは政令で決めますとなっているんです。こんなものは政令に任せるんじゃなくて、是非法律でやられたらいいと思います、書かれたらいいと思います。  今までさんざん官僚組織の抵抗に遭って改革ができなかったところをこの度改革をするというときに、一番大事な、まんじゅうでいえばあんこの部分をやっぱり官僚たちに任せるんです、政令で決めるということは。これぐらいのことは政治法律で決められたらいいのではないか、労を惜しまれない方がいいのではないかと思います。  最後に、地方自治法の抜本改正の話をさっきしましたが、これは内閣とかに申し上げることですけれども、いずれ国会で審議になりますから少しお話ししておきますと、是非地方自治法改正のミッションというものを間違えないようにしていただきたい。ミッションというのは、だれのために、何の目的でやるのかということです。  これは、はっきり言いますけれども、首長や議会のためではありません。まして総務省のためでもありません。地方団体のためでもないはずです。住民のためのはずです。ところが、従来のこの分野の地方分権改革というのは、大体、今ここに書いてある自治体地方団体総務省のために行っていると思われる節のものばかりであります。  今回の三法案を見ましても、例えばこの中で住民のための改正項目ってどこにありますかというと、見当たりません。出てきません。都道府県が自由になるとか権限が増すとか、そういうのはありますけれども、どこにも住民は登場しません。これがミッションを間違えているとまであえて言いませんけれども、まだミッションが理解不十分であるということの結果かなと私は思っております。次の抜本改正では、是非住民から見て自治体はどうあるべきかというこのミッションにそぐった改革案を国会で成立さしていただければと思います。  どんなことがあるかといいますと、例えば、先ほど地方債関与をなくせと私申しましたけれども、じゃ地方債関与をどうするんですかといったら、先ほど言いましたけれども、議会が決めればいいし、それでも不十分だと思えば、住民が投票で重要なものについては決めていくと。こういう改正が、国の関与を外して住民が中心の自治に変わるということの一つの具体例なんです。こういうことを是非やっていただければいいと思います。  あともう一つは、地方自治法の抜本改正といったときに、地方自治法だけに、個別の法律だけにとどまらないで、地方財政法地方税法という非常に重要な法律がありますから、これらについても是非同様の視点で点検を加えられて、地域主権改革が円滑に進むようにされたらいいのではないかと思います。  以上です。
  11. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) ありがとうございました。  次に、荒田参考人にお願いいたします。荒田参考人
  12. 荒田英知

    参考人荒田英知君) PHP総合研究所の荒田と申します。  本日は、意見陳述機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。  昨日来、この地域主権という言葉をめぐったいろんな御質疑が続いているというふうに承っております。実は、この地域主権という言葉を我が国で初めて用いましたのが私どもPHP総合研究所でございます。一九九六年に昨年まで社長を務めておりました江口克彦が「地域主権論」という本をまとめて世に問うたところからスタートをしております。その後、私ども、この地域主権という言葉をどのように極めていくかということで勉強を続けてまいりまして、今年の二月にこのような「地域主権型道州制」という報告書をまとめて発表をしたところでございます。  本日は、地域主権法案の御審議に当たり、この地域主権改革という大変大きなお取り組みの全体像をどのようにお考えいただいたらよいのかと、そういう観点から道州制も含めた形で意見を述べたいと考えております。  お手元に横長の資料をお配りさせていただいております。これをめくっていただきますと、最初に松下幸之助の道州制論というページがございます。私どもの創設者松下幸之助は、日本の将来に対していろんな問題意識を持って様々な提言を行っております。その中で、実はこの道州制ということについて三回にわたって提言を繰り返しております。  一回目は一九六八年、廃県置州で新たな繁栄を、そして二回目が、翌年、六九年に続・廃県置州論ということで、この二つに共通するのは小を大にするというキーワードでございます。経済成長で企業活動が活発になる中で都道府県というものが手狭に感じられるようになった、したがって、その枠を取り払うことによって日本の活力というのはより高まるのではないか、そういった問題意識で提言をいたしております。ところが、その翌年、一九七〇年に行った三度目の提言では、廃県置州から置州簡県へと少しトーンが変わっております。ここでのキーワードは大を小にするでございます。  今後の我が国においても、大きく複雑になった中央の政府というものを分割して、あたかも独立国のような州を幾つかつくり、それぞれの州に政治の主体を置き、州の政府というものをつくる、そういう姿を生み出していくことがより好ましいのではないかと思われる。これは、言うなれば中央集権を非常に独立性の高い地方分権に変えるということでもあり、大を小にするということであって、府県合併によって小を大にするという方向とは、形は同じでも考え方において言わば逆の方向であろう。つまり、私は私なりにいろいろ考えを推し進めた結果、道州制というものは、このように大を小にするというところにこそ、その主眼が置かれなければならないという一つの結論に達したわけである。これが一九七〇年、今から四十年前の松下幸之助の言葉でございます。  これを私どもは宿題と受け止めまして、先ほどのこの地域主権型道州制というところに行き着いたわけでございます。私どもにとっては、この地域主権という言葉と道州制という形は一体不可分なものというふうに認識をしております。  既にこの道州制をめぐる御議論というのはこれまでにもなされてきているわけでありますが、その目的としては、次のページ、四ページに書いておりますが、地方分権の総仕上げであるというふうなことであるとか、究極の構造改革である、こういったことがずっと言われてまいりました。  しかし、これらの話に共通するのは中央集権体制の解体・再編、この点に関しては現在の与野党とも御認識は一致をされているのではないかと、そういう認識でいるわけでございます。すなわち、一億二千万人という人口を抱える集権国家、この我が国が時代の流れに合わなくなっているのではないか、明治維新以来の大きな組替えをやらなければいけなくなっているのではないか、そういった問題意識が高まってきているということではないかと思います。その一つの答えとしての新しい国の形として、私どもは地域主権型道州制というものに行き着いたということでございます。  そこにはローカリズムの転換と書いてありますが、これは地方分権の流れで当然のことでございます。一方で、グローバリズムと書いておりますが、現在、我が国は世界の中で低迷を続けております。その中で、どうやって活力を取り戻していくかというときに、全国一律ではない地域特性を生かすというところに一つの活路があるのではないか、そういうところまでこの地域主権型道州制は含んでいるわけでございます。そして、この日本全体のダイナミズムを復活していこう、その一案として私どもはこういうことを考えております。  これまで道州制に関してはいろんな考え方がございました。例えば、国家を分割する連邦制を意識するような御議論もございます。あるいは、単純に都道府県を合併させて県の数を少なくする、そういうことを道州制と呼ぶ場合もございます。あるいは、国が主導をして国の出先機関を束ねるような構想、これも道州制と呼ばれたことがございます。しかし、私どもは、あくまでも地域が主体の地方政府をつくるという意味でこの地域主権型という言葉を使って道州制というもの、これを我が国で導入するとした場合の方向付けを明確にしたということでございます。  さて、この地域主権型道州制の中身を少し具体的に御説明したいと思いますが、そこで歳出構造に注目して若干何ページか御説明したいと思います。  道州制と申しますと、例えば、じゃ日本を幾つに分けるのかという区割り等々についても御関心が強い場合があるのですが、私ども区割り論というのは必ずしも道州制の本質ではないと考えております。まず出発点は、国、道州、基礎自治体の役割分担をいかに描くか、これが出発点だと考えております。これは現政権における事業仕分でもそうした視点が一部入っているというふうに認識をしております。  この五ページにお示しをしてございます図は、旧政権における道州制ビジョン懇談会が二〇〇八年にまとめた中間報告を基に作成をしております。類似の整理というのはほかにも幾つかございますが、それの中ではかなり議論を尽くしてまとめられたものと認識をしております。国は国家戦略、道州は広域行政、基礎自治体地域に密着したサービスということで、現在いわゆる重複行政と言われているものを整理をして責任の所在を明確にしようという試みをやっているわけでございます。実は、この役割分担というものが定まることによって、例えばそれを可能にするための税財政制度等々はおのずと枠が決まってくると、そういうことではないかと思っております。  実は、この役割分担に基づいた歳出がどうなるかということを六ページにお示しをしております。少々細かな表で恐縮でございますが、縦に三列、横に三列ございます。縦方向が現状でございます。左側に国、真ん中に都道府県、右側に市町村がございます。縦に見ていただくと、現在、国、都道府県、市町村がいかに重複行政をやっているかということが読み取っていただける表になっております。  これを先ほどのページの役割分担に基づいて整理をし直しますと、横方向の図になります。一番上に国が水色で書いてあります。真ん中に道州が緑色で書いてあります。その下に市町村が薄い黄色で書いてあります。このようにして役割分担を決めると、その役割に応じてそれぞれの主体の歳出規模がどれぐらいになるかということがおおよそ見えてまいります。そうすると、今度はそれを自己完結的にやっていく場合の税財源というものがどうなければならないかということがおのずと見えてくるわけでございます。  これは今回の地域主権改革の中でも、地方税財源の充実確保ということが大きなテーマとして一つ掲げられておりますが、そこの具体化はこういう問題になってくるんだというふうに思います。あるいは、全体として歳出に見合う歳入を確保できたとしても、我が国には大変大きな地域差がございますから、地域地域で見るとやはりいろんな凸凹が生じます。これをどうして埋めるかということも非常に重要な課題でございます。私の場合は共同財源というものをつくったらどうかということを提案をしておりますが、これは昨日、東国原参考人から御提案のあった地方共有税、つまり国が調整するのではなくて自治体同士で調整をすると、そういった考え方が大切なのではないかという点では共通した認識を持っております。  さて、今申し上げたような歳出構造を少し模式化したものを次のページ、七ページにお示しをしております。円錐形が左右二つ並んだものでございます。左側が現状を示しております。左端に黒い字で四二対五八と書いてあります。これは国と地方の歳出が四対六であると、これは現状を説明するときによく出てくる数字でございますが、こういう数字を確認しております。  これが、先ほど申し上げた地域主権型道州制の役割分担に転換すると、右端に書いてある数字、一五対八五というところまで激変をいたします。これまで五対五とかいうお話はあるわけですけれども、実は地域主権ということを徹底して貫けば一五対八五とかそういうところにまで行くということを少なくともイメージは持っていただいた上でこの地域主権改革というものにお取り組みをいただく必要があるのではないかと思うわけです。  しかも、御着目をいただきたいのがこの八五の中身でございます。八五の中身は道州が三四で基礎自治体が五一でございます。基礎自治体が行政サービス全体の過半数を提供すると、そういった姿になっている。これは現政権が提唱しておられる基礎自治体中心主義、それをまさに先取りするというか、それと全く同じことを示しているというふうに考えております。  したがって、道州制のことを考える際に、道州制を言う人は道州中心主義なんだという御説明の仕方がございますが、これは私は間違いだと考えております。道州制の中でも、まず基礎自治体中心主義というものが実現をしていて、その上に道州というものがあると、こういう御認識をいただく必要があるのではないか。逆に、この道州というものを想定しないと、結局国の大きさというのは余り小さくならない、国は現状のような大きさを保ったままで基礎自治体だけが充実強化されるというふうなことになるのではないかというふうに考えております。そうしたことを御理解いただく模式図としてこれをお示しをさせていただきました。  さらに、これをもう少し現在の地域主権改革と重ねて考えたときにどんなことが言えるかということを申し上げたいと思います。  地域主権、この定義をどうするかという問題はいろいろ御議論がありますが、地域のことは地域住民が決めるということは、これは決して間違ったことではない正しい御認識であると思います。そのときに、現政権は補完性の原理ということにのっとってこの地域主権改革を進めるということを表明しておられます。補完性の原理、昨日も出ていたかと思いますが、小さな単位でできることは小さな単位にゆだねて、そこでは賄い切れないことのみをより大きな単位が賄っていく、担っていくと、そういう原理でございます。このことを、地域の側から泉がわき出るように地域主権社会というものをつくっていきたいと、そういった表現もなされているかというふうに思います。  これは私も地方自治現場でずっと仕事をしておりますが、地域を基点としてこの社会をつくるというお考えは全く正しいというふうに思います。しかし、これを現実にやっていこうとなると、ある大きな問題が立ちはだかっていると言わざるを得ないと思います。  我が国の現状というものは、言ってみればこの補完性の原理とは程遠い世界になっている。つまり、本当は小さな単位でもできることをわざわざ大きな単位が奪い取っている、その現状が、左右に二つ並んでいる中の国の頭でっかちな円錐形が現在の状況であるわけでございます。この頭でっかちな状況を前提として、地域の側、すそ野の側から泉がわき上がるような改革をやっていこうとしても、私はこれはある限界があるのではないかというふうに認識をしております。  むしろ、先ほど御紹介した松下幸之助の言葉にございました、大を小にするという観点から、今集権融合型の行政システムの中で、国の側に非常に肥大化している権限や財源をどうやって道州や基礎自治体に解き放っていくか。このもう一つのベクトル、つまり泉がわき出るようにという補完性の原理のベクトルを青で示しておりますが、もう一つの大を小へというベクトルをピンクでお示しをしております。この両方のベクトルが相まったときに初めて地域主権改革というのは達成されるのではないかというのが私の認識でございます。  なぜこのようなことを申し上げるかと申しますのは、一つには、この地域主権改革というのをいかなる時間軸で達成をしていくかということでございます。  例えば、我が国の長期債務問題を取ってみても、一方で国民の金融資産の中で何とか消化できているという御説明がなされてきた面がございますが、これとてもう先行きがかなり危ういものになりつつあると考えております。したがって、この地域主権改革というのは二十年も三十年も掛けて成し遂げるものであってはならないのではないかというふうに私は考えております。  そのように考えますと、この地域主権改革というのは地域の自主性というものがまず第一であることは当然のことでございますが、もう一つ加えて、国のお立場から、国会の御見識でしっかりとしたグランドデザインを持ってそこにかじを切っていただくということが必要なのではないだろうかというふうに考えております。  そのように考えますと、今回の地域主権三法によりスタートする地域主権改革、これが順調に進んでいった先には必ずや道州制の姿が見えてくるのではないか、私どもはそんなふうに認識をいたしております。  今後の法案の御審議、あるいはその後に控えております地域主権戦略大綱の策定に向けた御議論参考としていただければ大変有り難いと思います。  本日はありがとうございました。
  13. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) ありがとうございました。  次に、村山参考人にお願いいたします。村山参考人
  14. 村山祐一

    参考人村山祐一君) ただいま紹介を受けました帝京大学教職大学院の村山でございます。  私は、この三法案につきまして、子供の視点という点から少し意見を出してみたいと思います。  新政権になりまして、チルドレンファーストとかコンクリートから人へという言葉が主張が出されています。それに見合ったものがあるのかどうなのか、この法案が通れば日本の子供の幸せが一歩前進するのかどうなのか、待機児が解消されるのかどうなのか、これを考えたときに、三法案では大変不安な材料が多過ぎる、この点を少し述べさせていただきます。特に、規制緩和とかあるいは権限移譲ということで、最低基準問題がずっとこの間出ています。この最低基準問題というのは何かというところから少し説明しながら問題点を出したいと思います。  私は資料として二つ出しております。一つは、ナショナルミニマム、最低基準ですね、これ地方主権と書いてあるの間違いで、地域主権について、これをまず発言したいのと、もう一つは、待機児問題は今日は述べることできませんけれども、私が最近書いたものを、これはネットに載っていますけれども、付けさせていただきました。  まず最初に私が発言したいのは、現行制度の下で最低基準というのはどういうふうになっているのかということを、二ページの図表で、資料で示させていただきました。  最低基準というのは、児童福祉法二十四条、これは市町村に保育実施の責任義務付けている重要な法案なんですね、条文です。これを実質的にすべての日本の子供たち、保育園に入っている子供たちの権利をひとしく平等に保障するには、国が一定の基準を決めて、そしてこれ以上の水準確保をしなければならないということで最低基準というのは位置付いているんですね。ですから、最低基準は単なる基準ではありません。そこに位置付いている中身について、これは財政保障をきちっと国がするんですよ、国の水準以上のことについては、これは自治体が更に独自性を発揮して行っていくと、こういう仕組みになっているわけですね。  ですから、そういう点からいいますと、この児童福祉法の保育行政のところでは、きちっと地方の独自性を認めるということが明確に位置付いているんですね。例えば、待機児問題でいいますと、東京などは待機児が多くて、例えば育休明けの子供が入れない、あるいは働いていても保育所に入れない。これは何かといったら、自治体が保育所整備をきちっとしてないから、入る枠が狭くなるんですね。ですから、きちっとした整備をしていれば、保育所の待機児というのは解消される。  そういう形でこの児童福祉法二十四条というのは、大変重要な法案です。今の待機児の問題というのは、児童福祉法違反が続いているということなんです。政治家の皆さんには是非お願いしたいのは、違法状態をそのままにしておいていいのか、このことが問われていると思うんです。このニュースが全国に流れると、多くの若い人たちは、子供は産めないわねということが広がっていっている。こういう児童福祉法二十四条違反の状態があるということをやはり緊急に是正しなければならない。  それには、最低基準の規制緩和や最低基準を地方権限移譲すれば解決するという問題ではないんですね。やはりそこは、この法律に基づいて、子供がすべての地域で平等に保障される内容、これ最低基準で示されている内容をやはりきちっと実施することにあるんじゃないのか。  この最低基準は、具体的には、最低基準を踏まえて保育所の国の運営費の基準があり、建設に対する基準ができているんです。ですから、最低基準を踏まえているんですけれども、実は最低基準というのは大変低い水準です。一口で言えば、戦前の託児所の水準を超えていません。なぜ、低い水準なのに、実態は、ここでも触れていますけれども、保育所行政でいいますと最低基準の二倍ぐらいの行政が行われている。  それは何かといいますと、最低基準には、最低基準を超える、その基準を超える水準を確保しなければならないというふうになっているんです。最低基準をやればいいというふうに書いてありません。それを国や都道府県、それから施設に義務付けているわけです。ですから、義務付けられているから、当然そこには、超える水準というのを国や自治体が考えて財政を保障という形につながっているわけですね。それで、今は何とか現在の水準の保育所ができている。だけれども、最低基準は大変中身は悪いです。  例えば、一例で言いますと、園長や主任保育士というのは今どこの保育園でもいます。しかし、最低基準には明記されていません。国の運営費の基準の中に書かれているだけです。ですから、国の最低基準が非常に貧弱ですから、どういうことになるかというと、地方団体も含めて、保育行政を一般財源化しましたよね、公立の。その結果、何が今起きているか。地方では保育所の修理もできない、増改築もできない。子供たちは何て言っているか。臭いトイレで行きたくない。こういう事態が現実にあるわけですね。  結局、一般財源化されて権限地方に任せた、だけど、財源がないから保育所の修理さえ思うようにいかない。その結果、私も、私の町の公立がずっと昭和四十年代、五十年代できた様子を聞きました。やはり、乳児保育をしたくても古くて整備ができない、こういう事態が続いているわけですね。だから、権限地方に移せばうまくいくかといったら、今の制度の中ではうまくいきません。結局やらないようになっている。  例えば、もう一つの問題で言うと、ここの論議の中でも出ていますけれども、人の配置と面積についてはきちっと守らせるけれども、ほかのところは参酌すればいいというふうに、自治体に私は丸投げだと思います。  なぜこれが問題かといいますと、私も表で後ろの方に示しておきましたけれども、八ページに、最低基準で耐火構造というのが示されているのはなぜなのか。建築基準法には子供のための施設の規制はありません。ですから、これが参酌基準になった場合には、建築基準法にもないわけで、今の最低基準では、二階からは全部ベランダを造って外の階段を造りなさいというふうになっています。それが自治体判断でどうでもいいんですよというふうになったときには、これが造らなくてもいいということになりかねないんです。国がそういうことを想定して責任を、これは危ないから、子供の命にかかわるから、何とかしなくちゃいけないからこの水準だけ守りなさいということを、これはどこの都道府県でも市町村でもやるべきことだと思うんですよね。    〔委員長退席、理事林久美子君着席〕  それが、建築基準法がちゃんとしていればそれはできるかもしれませんけど、それはないんです。特に、百平米未満の子供が二十人とか三十人の建物になると建築確認の届出も要らない、こういうことでございますので、きちっとした、国はこう考えるよということは、特に幼い子供たちは判断できないわけですから、命の問題にもかかわるわけですから、これはきちっとした国の考え方をむしろ示して、そしてその上で地域の独自性をどう発揮するのか、これが大事だと思うんですよね。  例えば、現在、保育園でいいますと、園庭も規制緩和されています。園庭のない保育所があります。都市部でできています。これは本当に好ましいのか。むしろ、公共の場であれば園庭を造って、土曜、日曜はそこに一人職員を置いて地域の子供たちにその園庭を開放させてという考え方をもっと取るべきじゃないのか。  私は、思いますのは、今一番大事なのは、子供の生活圏、子供の視点、子育て支援の生活圏はどこが一番基盤なのか。やっぱり地域の小学校区ですよね。その中で子供たちが安心して遊べる場や保育園や、そういう場がどの程度整備されているのかされてないのか、これを点検すべきだと思います。こういうことを、つまり子供というのは、例えば保育園でいうと歩いて通えるところでないとまずいわけですよ、親子で一緒に、自転車ぐらいでとか歩くとかね。そういう規模で地域にこの施設をどう造るかという視点から自治体はもっと考えるべきだと思います。    〔理事林久美子君退席、委員長着席〕  実は、そういう考えはないわけじゃないんです。私、今日持ってきたのは、これは自治省が一九七三年にシビル・ミニマムの設計という本を出しています。この中では十万人の生活環境の目標水準ということを書いているんですよね。その中には保育園や児童館も出てきています。例えば、保育園でいうと一小学校区に二保育所、児童館は一小学校区に一児童館、これをやっぱり整備していくべきだと。こういう視点を今、日本は、国は示していくべきじゃないのか。  そして、地域の本当に身近なところで子育て支援が安心できる地域設計を作ることの方が私は大事だと思うんです。それには、あの権限を全部自治体に丸投げしてできるかといったら、私はそれは無理だと。やっぱり地域と国が知恵を出すということを、もっともっと努力して、こういう大事な取組も考え方も既に示されているわけですから、こういうものを発展させて地域再建、地域というものをどうやってちゃんと考えていくかという視点からむしろ考えるべきではないのかというふうに思います。  時間が来ましたので、以上で一応終わらせていただきます。ありがとうございました。
  15. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) ありがとうございました。  以上で参考人方々意見陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  16. 土田博和

    ○土田博和君 民主党の土田です。お忙しいところ、ありがとうございます。  まず最初に、辻山先生にお伺いします。  去年、鳩山総理が述べられた新しい公共という概念、官と言われる人たちだけではなくて皆が支援していく、いわゆる後押しをしていくという概念、これも先生も述べられています。  今、私は医師ですけれども、地方自治体病院、これが千弱ですか、八千億ぐらいの毎年赤字を垂れ流していますけれども、総務省が出した公立病院の改革ガイドライン、これに沿って独立行政法人にしたり、それから指定管理者制度に、そういうものが今どんどん進んでいます。先生はその中で、こういうやり方は上下式の古いやり方だという意見を述べられていますけれども、福祉国家から支援国家、そういうパラダイムシフトと、そういう理論と合致するものなんでしょうか、今の改革は。公立病院の改革ガイドラインです。
  17. 辻山幸宣

    参考人辻山幸宣君) 確かに福祉国家的な在り方からパラダイムシフトということが全世界的な課題になっているわけですけれども、私は、鳩山内閣総理大臣の所信表明演説の中で述べられた新しい公共という方向性については、基本的には賛成をしているというか、正しいだろうと、こういうふうに考えているのですが、あの中で語られているのは、新しい公共というのは、人々の幸せを人々が支え合い、役立ち合うというような、支えていく役割は官だけの仕事じゃないよと言った後で、教育に携わっている方、それから様々な地域での活動をされている方、言ってみればボランタリーの方とかNPOの方たちを念頭に置いたような表現で、その方たちと手を携えて安心できる社会をつくっていくのだと、こういうようなニュアンスなんですね。  ただ、ニール・ギルバートが言っている支援国家というのは、むしろ企業を社会的な福祉産業に育てていくといいましょうか、そのために支援するというような仕組みを考えているようです。ただ、にもかかわらず、イギリスで採用されたときには、御承知のように、エナーブリングというんですか、能力を与えるというような意味で、人を育てるというようなニュアンスに少し変わっているのですが、いずれにしても、その支援が補助金であったり人的な育成であったりとかするんですけれども、一方では、そこに任せておけば良い社会になるかどうかということについての疑問が実は残されています。  政府部門に最終的な責任はあるだろう、つまり、その活動によって例えば利用者たちが被害を受けたときどうするとかいうようなことを含めて、一種の社会的公正を保っていくための規制とかというような政府責任はやはり一方で果たしていかなきゃならないだろうと、こういう議論だと思うんですね。問題は、どのような役割を政府が留保すべきかというところがまだ煮詰まっていない、そういう状況だと思っています。
  18. 土田博和

    ○土田博和君 村山先生に質問いたします。  私も実は病院経営をやっている立場で、非常に看護師不足ということで、院内保育園を二十五年やってきました。これは無認可で、病院としては一年間に数千万の持ち出しをしながら、やっと認可保育園にさせていただきました。その瞬間に、本当に病院のすぐ近くにあるほかの市から来る看護婦さんがこの病院の認可保育園に入れないという問題が出てきたり、一時保育をしていた、非常にいい制度だと思うんですけれども、経理を分離しろとか、それから評議会を置けとか、非常に事務的なものが多くなったために、すばらしいプランがかえってつぶされていくような気がするんですね。その辺、先生、いかがでしょうか。
  19. 村山祐一

    参考人村山祐一君) 一時保育は大変、ニーズが定期的にあるニーズじゃないんですね。ですから、財政的にも大変不安定な事業だと思います。そういう意味では、保育所が併設してあって保育所で対応していく、いろいろ協力関係を持ったりして、そういうことであると経営的にもいいんですけど、同時に、子供同士の触れ合いがあってできるわけですね。  ところが、今お話ししましたように、厚生労働省が去年から切り離すということを、子育て支援と一時保育は保育所から切り離して独立採算だという形にしてしまいました。その結果どういう問題が起こってくるかというと、これも是非問題にしていただきたいんですけれども、まず一番の問題は職員の問題です。  退職共済に掛金を払うときに、これは保育所だけなんですけど、保育所は国と自治体の補助が三分の一、三分の一あるんですよ。ですから、四万か五万で、年間、共済掛金で入れるわけね。ところが、保育所以外はすべて、児童館からすべてです、だから一時保育も三倍払わないといけないんです。三倍というのはどれぐらいかというと大体十三万ぐらいですから、人件費でいうと、一人常勤を雇うと一か月分プラスしないとやっていけないんですね。不安定な経営のところにちゃんとまじめにやろうとすると、それを払うことはとてもできない。そういう中で一時保育は敬遠されてきている。これは是非考えていただきたい。  これは、一時保育だけじゃなくて、児童館とかいろんな施設で福祉や保育にかかわって業務をしているのにもかかわらず、それが国や都道府県の補助が受けられない、こういう制度を今つくっちゃっているんです。そういう意味で、勘ぐると、一時保育と子育て支援を切り離せば、その分の人件費の共済掛金を国が少し出さなくて済むじゃないかと、こういう考えがあったのかなと疑いたくなるぐらいなんですけれども。  そういうことを含めて、もっと一時保育の本質を知っていただきたいと思います。そうすればかなり、今までのでいろいろと需要はあったわけですから、やりやすくなるんじゃないのかと。
  20. 土田博和

    ○土田博和君 平成十八年からですよね、保護者が働いているか働いていないかとか、そういうことは関係なく、地域の子育て、それから保育所は厚労省、幼稚園は文科省と、そういうものを取るために認定こども園という、これもよく聞いたんですけど、それが思ったより進まなかった理由に関して先生の御意見はどうなんでしょうか。
  21. 村山祐一

    参考人村山祐一君) 認定こども園は、私も参考人で呼ばれて意見を述べました。そのときにこのことは予測して発言しました。  それはなぜかというと、一体化すること自体は私は反対ではありません。これは時間を掛けて、必要なところは幼稚園と保育園を一体化するということは、やること自体はこれはしていくことがいいと思うんですけれども、ただこれは、一番の問題は親と子供のニーズが違うということですね。  長時間に子供が生活するのと短時間で生活するのは全然違います。幼稚園の保育時間というのは年間で大体保育園の三分の一です。だから、幼稚園の保育時間の三倍保育園は保育されているんですね。だから、全然生活リズムが違う。  それともう一つは、親のニーズが違うということ。保護者会は一緒にはできません。この間も認定こども園をやっているところに私は見学に行きました。そうしましたら、園長さんがこぼしていました。幼稚園の子供というのは四歳、三歳で入ってくる。そうするとどういうことになるかといいますと、保育園の子供はゼロ歳とか一歳から入れているから、保育者と親が子供の成長を一緒に観察できているんですね。ところが、幼稚園の場合は突如として入ってくるわけです、三歳になって。そうしますと、親の子育ての仕方がみんな個々ばらばらで、共感関係が保育者とできていないわけですね。それを改めて取らないといけないという課題が出てくるんです。そうしますと、幼稚園だけでやっていたら午後の時間を使って親とのかかわりをいろいろ工夫できるというのはできるんですけど、一体化するとそれができなくなるんです。  そういう意味で、一体化自体は、条件とその必要性があるところはちゃんとした条件整備をやってもいいけれども、そうじゃないところはできない。  そういう意味と、もう一つは、幼稚園の救済策でこれ広がったわけですけれども、幼稚園の救済策としては私は正しくないと思います。もしやるならば、園児数、一クラスの園児数は日本は世界で一番先進国の中でひどいですよね、三十五人と。ヨーロッパへ行ったら笑われます。大体十五人とか二十人です。そういうことを考えれば、もし幼稚園の救済策をするならば、今子供が少なくなっているから、クラスの人数を段階的に減らして、そしてクラスを増やすということができやすいわけですよ。そういうことをむしろやらなくちゃいけないのに、何か待機児対策も絡めちゃってやったから両方のメリットがないということになっているんじゃないかなというふうに思います。
  22. 土田博和

    ○土田博和君 ありがとうございます。  そういう整備と一緒に、私はいつも思うんですけど、やはり保育を提供する側の先生ですね、それから常にお母さんとのクレームの闘い、こういう現場が非常に私はこれから安心を与える教育、そういうものにつながっていくと思います。  最後に、片山先生、お願いいたします。  私もいろんなところを回りますと、今の若い人は、新聞を読んでいる人と言うと、まず手を挙げる人はいません。それから、ニュースを見ている人、これもほとんど手を挙げません。それから、選挙に行っている人、これは二割ぐらいが手を挙げます。そういう中で、政治家を選ぶのが国民である以上、国民皆さんの民意度が高くならなければ僕は政治というのは進んでいかないと思っています。  そういう中で、鳥取県知事としてお言葉を最後にいただきたいのは、若者にいかにその地域主権を含めて国政に参加させていくか、地域政治に参加させていくか、そういうことで苦労されたこと、それから先生の是非提案を教えていただければ幸いです。
  23. 片山善博

    参考人片山善博君) ありがとうございます。  私、鳥取県で知事をやっておりましたときに、やはり今委員のおっしゃったことと同じ問題意識を持っておりまして、幾つか取組をしたことがあります。  例えば、これは専ら女性向けだったんですけれども、政治スクールというのを開講しまして、できれば地方議員なんかの道が開けるようなということも念頭に置きまして、今の現状の政治は、特に地方政治はどうかとか、それから選挙の仕組みはどうかとか、財政はどうかとか、そんなことを幅広くやったようなこともあります。そんな中から地方議員に女性が随分出てこられて、それを見て男性のスクールもやってくれなんという声もあったようなんですけれども、そんなことをささやかにやったりしました。  あとは、政治教育というとちょっといささか誤解を生む面もあるかもしれませんけれども、教育においてもう少しやはり政治というものを実感できるような、考える力を身に付けるような、そういう取組が必要だろうということで、これは教育委員会の所管でありますから直接ああせいこうせいということは言いませんでしたけれども、私の所感というものを教育委員を通じて教育委員会に反映させてもらうようにしました。  それはどういうことかといいますと、今の日本の教育というのは、公民の教育とか科目はありますけれども、大体制度論、機構論をやるわけです。日本は三権分立でとか、地方自治だったら議会があってとかやるんですけれども、その中で、一人の市民として、そういう制度や機構の中で一人の市民として自分がどういうふうに政治的な課題を実現するのかとか、権利を守ったり相手の権利を保障したりするのかということを実践論としては全く学ばないんです。単に制度論、機構論として、知識として学んで試験の答案に書くということが眼目になっている。そうじゃなくて、やはり一人の市民としてそれをどういうふうに活用できるのかというところまで考える力を身に付けさせなければいけないんではないか、そんなことを教育に反映させてもらいたいなと、そういう取組をやっていました。
  24. 土田博和

    ○土田博和君 ありがとうございました。終わります。
  25. 木村仁

    ○木村仁君 まず、辻山参考人にお尋ねしたいと思います。  今、民主党の委員の方からの御質問に、ニール・ギルバートによる福祉国家から支援国家へという流れは、一つには民間企業もある意味でインボルブされてくるという意味でもあるというお話がございました。  最近、経済界の方々お話をしておりますと、アメリカのあのサンディスプリングスの町とか、あるいは歴史的に言えばレイクウッド方式とかいって、自分たちは税金の率や何かだけ決めるけれども、事務はほとんど他の地方公共団体や、あるいは最近では全国的な企業組織に委託をして行政をやると、こういうことのPPPという運動があると聞いております。また、新しい公共という意味で、NPOやNGOという団体、そういうものが三万という、恐らく地域関係のあるものが多いと思いますが、そういう数で入ってまいりまして地方行政を担っていくという、それが元々の地域社会の姿であると。  それはそうかもしれませんけれども、やはり今日においては、そういう過程における政治的な責任、税金をどう使うかというようなことに大きな意味があるのではないかと思いますが、その辺りを新しい公共としてはどういうふうにお考えになっているんでしょうか。
  26. 辻山幸宣

    参考人辻山幸宣君) 大変にそこが今苦悩の中にあって、間違いなく政府にすべてを任せておけば、これは自治体政府も含みますけれども、政府にすべてを任せておけば安心した地域社会ができるんだよというようなことはもうだれも言えなくなってきている。その背景には、やはり国全体としての再分配資源がなくなってきていますので地方にもその再分配の資源が再分配されていかないという資源の問題も一つありますが、もう一つは、任せておいて、金がないだけではなくて、まずいのではないか。それは、私たちが望んでいる社会と違うものが政策的にアウトプットされてくるとか、あるいは自分たちの納めた税金がどこかで単純に言えば無駄になっているのではないかとかという形で監視をするとか参加していくというそういう側面を強調するようになりますと、一方で事業体としてのNPOを自立させて、その人たち地域の様々なニーズを担っていく、供給主体になっていく。しかし、例えば今の介護保険制度でも、多くは民間の事業者が居宅サービスをやっておりますけれども、逆に言えば、あれは自治体という政府が介護保険という財源を使ってサービスをいっぱい購入しているというふうに言えるわけですね。  そういう意味で、供給者からサービスの購入者と設計者の責任という形で私はこれからの政府責任という議論を組み立てていかなきゃいけないんじゃないか、そういうふうに実は考えているところでございます。
  27. 木村仁

    ○木村仁君 お書きになったものの中に、総理大臣の所信表明演説の中で新しい公共というのがぽっと出てきて、それなりになっておって、これは総理の演説としては極めて頼りないということをお書きになっておりますが、それはどういう意味でいらっしゃいますか。
  28. 辻山幸宣

    参考人辻山幸宣君) 多分正確には、一国の総理が述べるということに違和感があるというふうに書いたと思いますが、特に新しい公共のくだりの中で地域のきずなとかいうことを強調されているわけでありますけれども、一国の政治を預かっている者が、地域で暮らしている人たちのきずなとか、あるいはグループ同士が仲よくしてほしいとかというところに私は介入することの怖さということで書きました。それは極めて地方的な自治の話題としてとらえるべきであって、一国のテーマとしてやると、下手すると全体主義に陥るような怖さがあるというニュアンスで実は書かせていただきました。
  29. 木村仁

    ○木村仁君 そういう意味では、総理は大変バランスの欠いた施政方針演説をされたんだなと私は考えております。  時間がありませんので足早にお尋ねいたしますので、手早く御指導をいただきたいと思います。  地域主権という言葉、これは荒田参考人からの御発言もあり、今民主党の一つの言葉になっておりますが、これを法律に書く上においては内閣法制局は非常に苦しんだようでございまして、苦しんだ結果どういうことをしたかというと、地域主権という定義は書かない、地域主権改革という改革の方に重点を置いた定義付けをしていると。それで政治主導を何とか免れているような気がいたしますが、手短で結構ですから、片山参考人地域主権という言葉についてどのような御感想をお持ちでいらっしゃいますか。
  30. 片山善博

    参考人片山善博君) 私も地域主権という言葉は非常に定義が難しいだろうと思います。  主権という言葉にこだわると、国家主権との関係どうか。それから、地域というのは何を一体指すのか、面的広がりである言葉だと思いますけれども、地域というのは。そこに主権があるというのは何を指すのか、だれが主体になるのか、非常にあいまいだと思います。  ただ、経緯を見ますと、先ほど荒田参考人からお話がありましたように、実は地域主権型道州制という用語があったわけで、それは中央集権型とか、そのことに対となる多分用語だったと思うんですけれども、そういうことで地域主権というのが人口に膾炙して、しかし、差し出口でありますけれども、マニフェストの中に民主党は道州制を入れられなかったので地域主権という言葉だけが残ったのかなというのが私の感想であります。
  31. 木村仁

    ○木村仁君 私は総務大臣に対する御質問の中で、これは異床同夢であるということを申し上げました。夢見ていることは同じだと。つまり、究極の地方分権を地域主権とおっしゃっているのであろうと。日本国憲法の解釈論としては地域主権ということは出てこない。国民は、統合の象徴である天皇を前提として、国家の主権はすべて国にゆだねておる。その代わり地方行政制度というのをつくって、それは地方自治の本旨に基づいてつくらなければならないという枠組みを政府に対して与えていると。これが日本国憲法の読み方でありますから、一時確かに、そうでないと、直接国民から地域に対して主権を与えたんだと読むべきであるという松下圭一さん辺りの議論がありましたけど、私はそれは政策論であろうと思います。  ですから、寝ているベッドは違うけれども、究極の目標は完全な地方分権だということで理解はいたします。しかし、これを法律に書き込むとなると大変問題があると考えておりますが、荒田参考人はその言葉をお使いになる場合にどういう気持ちでお使いになっているんでしょうか。
  32. 荒田英知

    参考人荒田英知君) 御質問ありがとうございます。  一九九六年から私どもこの地域主権という言葉を使っているというふうにお話をいたしましたが、実は、それ以後ずっと、今日問題になっているような国家主権との関係国民主権との関係ということでのいろんな御質問をいただいてきたことも事実でございます。全く同じような経験をしてまいりました。  ただ、私どもの思いといたしましては、まずはこの地域主権という言葉が意味するところは、まず一義的には憲法の言うところの国民主権、この国民主権を実現するためには政治や行政を国民に近いところに持ってくる方がそれが担保されやすい、その原理を示す言葉として地域主権という言葉を使える可能性があるのではないか。また、国家主権ということで言えば、地域主権型道州制という考え方は少なくとも連邦制を志向してはおりませんので、国家主権という点では単一主権のままであると。そういう意味では矛盾はしないのではないか。  ただ、今回、法案の中では、「日本国憲法の理念の下に、」という言葉で多分すべてを収めて表現をされたのではないかと思いますが、そこについてはいろんな御議論、多分幾つかの類型があるかと思うので、代表的な疑問には答えられるような御説明はあってもよいのではないかなと、そんな感想を持っております。  以上です。
  33. 木村仁

    ○木村仁君 片山参考人にお尋ねいたしたいんですけど、恐らく私もそっちに座っておればほとんど同じようなことを申し上げるんじゃないかと思いますので質問はしにくいのでございますが、お書きになったものの中で、道路特定財源の暫定税率分は廃止してよろしいと、そしてそれで本当に道路の財源が足りないんならば法定外普通税とかあるいは超過課税で対応すべきであると、こういうお考えを示しておられます。私も実はそのとおりだと思いますが、もし、今、片山参考人知事をしておられても同じ御意見でしょうか。
  34. 片山善博

    参考人片山善博君) 私が書きましたのは、その道路特定財源、今は一般財源になっていますけれども、この暫定税率を廃止するかどうかというときに、結局延長されていますけれども、その中に意味合いが二つありまして、国庫が使う、政府が使う部分と自治体に回す部分とがあるわけですね。両方併せて暫定税率を延長されているわけですけれども、地方分権の立場に立つならば、少なくとも私は、その地方に回す分は暫定税率を下げるべきだという主張であります。  そうすると地方団体の財源が減るじゃないかという批判が出てきますけれども、それだったら、自治体が本当に道路なりを造るために足らないんであれば、さっき委員がおっしゃったような超過課税をするとか、ないしは、余り現実的でないかもしれませんけれども、独自に法定外税を起こすか、こういうもう道筋ができているわけですね。ところが、国の方は自治体はこれだけ道路を造るだろうというようなことで暫定税率を延長してしまったというのは地方分権に反するんではないですかということなんです。  結論を言いますけど、私、仮に知事を続けていたとしても同じ主張をしたと思います。それで、道路を造るために超過課税しますかと言われると、そこは政策選択になりますからどうなるか分かりませんけれども、多分、鳥取県なんか道路をかなり減らしましたので、暫定税率の延長の必要はなかったと思います。
  35. 木村仁

    ○木村仁君 村山参考人に一つだけお尋ねいたしたいと思います。  保育所の基準についていろいろ議論があります。民主党の案では、できるだけそういう国の基準、そういうものは外していこうということで、条例にそれをゆだねると。しかし、その基本的な基準だけは国に残しておいて、それはそれに従うべきものというふうに定義付けておられます。  地方自治の基本的な発想からすれば、もう全部条例にゆだねても、日本の地方自治行政というのはそれほど信頼の置けないものではないということを前提に、それでいいのじゃないかということでありますが、ただ、その行政の対象であるところの保育所、これは私立の保育所の問題でありますが、これはそれを望まないと、できるだけ厚生労働省直轄の指導をお願いしたいというのが気持ちではないかというふうな気持ちがいたします。  先生のお考え方はそうでなくて、やはり国としてしっかり把握しておくべきだという御議論でありますが、この民主党の考え方、我々も民主党にその面では近いんですけれども、それと先生のお考え方との調和点をどこにお求めになるか、教えていただきたいと思います。
  36. 村山祐一

    参考人村山祐一君) 御質問の件ですけれども、一つは、幼い子供が保育園に通っている、ですから選択もそれから要望も出せない子供たちです。そういう子供たちの中にやはり地域格差とかそういう問題が広がるということは好ましくない。やっぱり憲法の下での平等、児童福祉法の下での平等という視点から考えたときに、一定水準は国がひとしく確保するということが大事じゃないのか。  そういう意味では、最低基準というのはナショナルミニマムとして明確に位置付けて、そしてそこは保障していくと。それ以上について、地域の独自性、例えば地方都市の場合と大都市ではかなり違いますよね、そういうところでのいろいろなユニークな取組は自治体独自で取り組めるようにした方がいいんじゃないのかと。ただ、今それができていないのは、本来ナショナルミニマムとして国がきちっと保障すべきところが保障されていない、だからその分を自治体が負担しないといけないということがあって、どこからどこまでが国のナショナルミニマムで、どこからが地方の独自性なのかが見えないんですね。そういうところから来ているということ。  それから、一般財源化に見るように、民間保育園でも一般財源化されたら、公立でも今大変になっています、保育園の運営ができません、できないところが増えている。できないから、廃園がこの十五年間で二千三百か所ぐらい起きているんですね、公立の。ですから、これを見ていれば、民間は、全く国が責任を取らないで自治体に任せたら運営はできないということは目に見えているから反対ということになっているんだと思います。  ですから、いろいろな仕組みを抜本的に見直すということで、地方で負担というのはこれはまた別な話になると思いますけど、今の制度の中ではやはりそこが大事じゃないのかなというふうに思います。
  37. 木村仁

    ○木村仁君 終わります。
  38. 澤雄二

    ○澤雄二君 公明党の澤雄二でございます。  参考人の皆様方には、先ほどから大変貴重な意見をお伺いしまして、大変感謝をしております。  荒田参考人にお伺いをいたしますけれども、今民主党が言っている地域主権改革というのは、どうも最後どうなるんだ、国の形はどうなるんだというところが見えないような気がします。例えば、工程表を見ても、二〇二〇年とか三〇年先まで右側に矢印がずっと出ているんですけど、その矢印のゴールの姿、何も書かれていない。だから、今も議論になりましたけど、地域主権というこの言葉を使うことの是非も論じられている中で、地域主権改革ということを言われていても、それが終わったときに日本はどういう姿になっているんだというのがどうも見えてこないんですね。  その見えてこない理由の大きな理由の一つに、多分、基礎自治体というのがあって国がありますけれども、その間にあるべき広域自治体の姿が見えてきていない。これが見えてこないと、実は、権限の移譲だとか税源の移譲だとか、出先機関の整理だとかといっても、一体どうやって整理するんだ、どの役割とどの位置付けの中で移譲していくんだというのが見えてこない。これが見えないと最終的な国の形が見えてこないんだというふうに私は考えていますけれども、荒田参考人はどういうふうに思われますか。
  39. 荒田英知

    参考人荒田英知君) 御質問ありがとうございます。  私自身も、今、澤先生がおっしゃられたような同じような問題認識をこの地域主権改革については持っているところでございます。また、私、地方自治体の皆さんと一緒にふだん仕事をしておるんですけれども、やはりそういう皆さんと話をしても、まず改革の入口は分かる、その問題意識も分かる、しかし、それがたどり着く先が、いつまでにどこまで行くのかということが見えないというのが多分地方自治体の側から見た現在の地域主権改革に対する共通した一つの感覚なのではないかというふうに思います。  確かに、現在示されている工程表については、改革の一つ一つの入口はメニューとしては示されているのではないかというふうに思いますし、今回の関係三法によってその体制がようやく整うという状況だろうと思います。したがって、是非この御検討を加速していただきたいということは政府に申し上げたいことではございますけれども、それと同時に、この検討の行き着く先ですね、澤先生おっしゃるゴールの部分をしっかりとお示しいただく必要があるのではないかと思います。  そのゴールを考える上で、やはり基礎自治体中心主義というのは非常によく分かるし、それも非常に正しい考え方だと思います。もう一つ、広域自治体というものが我が国にとって必要なのか不要なのか、必要だとしたらどういう形が望ましいのか、こういう御議論が私は欠かせないのではないかと考えております。  つまりこれは、日本という国の人口一億二千万人、あるいは三十七万平方キロ、あるいは長さでいうと三千キロという、これ決して小さな国ではないわけでございます。これが人口五百万人のフィンランドあるいは九百万人のスウェーデンであれば、非常に充実をした基礎自治体があって、その上にはもう国だということでも十分国の形として成り立つと思うわけですが、一億二千万人の我が国で基礎自治体と国だけで国の形を考えるというのは私は無理があるのではないかというふうに考えているわけでございます。  結局、そういう意味でいうと、昨日、東国原宮崎県知事もおっしゃっておられましたが、そういう広域的な仕事をしっかりやろうとしたら都道府県でも小さ過ぎるんだという御意見があったかと思います。これはまさに今日御紹介した松下幸之助の小を大へという部分かというふうに思うわけですけれども、やはり広域的な仕事を、これ単なる連合とか組合とかではなくて、しっかりガバナンスができる政府をつくるということが私は地域主権改革にはどうしても必要なのではないかというふうに考えております。  以上です。
  40. 澤雄二

    ○澤雄二君 そのゴールの一つの形として、地域主権型道州制、これは公明党もマニフェストに掲げてその実現を目指して今取り組んでいるわけでございますけれども、取り組めば取り組むほど難しい乗り越える山がたくさんあって、これは結構大変だなと思っているわけでありますが、その結構大変だなと思っている一つに、幾つかの州に、道州に分けるにしても、今もう既に日本全国地域の格差がいっぱいあり過ぎますよね、経済格差。その経済格差を一体どうやって道州制のときに乗り越えていけるのか。  ですから、区割りの話もさっきちょっと出ましたが、いろんな案があります。その中に十二に区割りをするという案があります。その十二の区割りの案で見ると、四国州、ここのGDPと東京二十三区の東京特別州をGDPで比較すると、今現在既に五倍の格差があります。それを道州制にしたときには、地域主権型ですから、この格差をどうしても直して修正していかなければ道州制は成立していかないと思うんですけれども、この問題は荒田参考人なんかはどういうふうに乗り越えようというふうに考えておられますか。
  41. 荒田英知

    参考人荒田英知君) ありがとうございます。  二つの点、少し長期的な話と目の前の話として二つのことを申し上げたいと思いますけれども、まず前提として、この十年、十五年を振り返ったときに、先進国と言われる中で日本だけが経済のパイが大きくなっていない、むしろしぼんでいると。これが何によるのかということはやはりよくよく吟味をしていかなければいけないのではないか。そのときに、私は、日本という国のサイズが大き過ぎて時代の流れに対応できていないのではないかということを一つの問題意識として挙げたいというふうに思うわけです。  それに対する一つの挑戦として、日本を小さな単位に分けて、そこでそれぞれが地域特性を生かすことによって活路が開けるのではないか。この十年、十五年を振り返って、飛躍的に成長した国というのは中規模国が多いわけであります。そこに見習うことに活路を見出すことはできないだろうかということがございます。  これは、度々松下幸之助の言葉を持ち出して恐縮でございますが、松下がかつて、北海道がもし独立国であったなら今日よりもっと目覚ましい発展を遂げたに違いないだろうということを話したことがございます。これ、まさにこういう感覚、連邦制ではないけれども、あたかも独立国家のように疑似国家として地域がどうやって生きていくかを考える、その創意工夫の中から必ずや成長、発展というのが生まれるというのが道州制を考える長期的なというか、ある種の理想的なお話だと思います。  ただし、そうはいっても、目の前に、澤先生がおっしゃる五倍の格差があるではないかということをどうするというときに、道州制になるんだからそれぞれ銘々勝手に頑張りなさいというだけでこの問題に御理解が得られるとは考えにくいわけでございます。そこで、当然のことながら、いわゆる財政調整あるいは財源保障という考え方がやはり私は道州制においても当面は必要ではないかと考えております。  一般的には、道州制にした場合、今日私、役割分担が大事だと申し上げました。例えば、教育にしろ福祉にしろ、道州にゆだねるとするなら、それを道州が担っていく際にどれだけの財源が必要となるかということは国の側からはもう関知できないお話になります。したがって、今日のような基準財政需要をしっかりと算定するということはもはやできなくなるというのが道州制の代表的な考え方です。しかし、それでは、今日再三出ております、例えばナショナルミニマムというものが必要だとしたら、それをだれがどうやって担保するかというところについて全く手当てのない道州制というものでは、これがどれだけ国民の理解が得られるかということにはやはり問題があるかと思います。  そこで、私どもは、先ほど御紹介しました共同財源という、言ってみれば国からも道州からも市町村からも独立した第四の財布をつくって、そして、その道州間の格差というものもならすし、もしナショナルミニマムというものがある領域にとって必要であれば、そのナショナルミニマムを共同財源を活用することによってひとしく達成をしていくと。そういうことは道州制の中で税財政の制度設計を丁寧にやることによって可能になるというふうに考えております。  以上です。
  42. 澤雄二

    ○澤雄二君 もし道州制が実現したとしますと、道州の首長であるとかそれから基礎自治体の首長は、要するにこれまでよりも大変な経営能力といいますか、要求されるし、高い識見、人格が要求されてくると。つまり、それだけの権限を全部持った首長になるわけですから、必要だと。それから、道州にしても基礎自治体にしても、政策立案能力を高めなきゃいけないから、そこの職員の人たちもこれまでよりもかなり高い能力が求められると。これ、人材をそこに集めてこなきゃいけないし、どういうふうにそういう体制を確保できるというふうにお考えですか。短く御答弁いただけますか。
  43. 荒田英知

    参考人荒田英知君) 御質問の趣旨は、よく地方には能力がない、だから分権ができないという、これがこれまで繰り返されてきた論理かと思うんですけれども、私は自治体皆さんといろんな仕事をしてきて、決してそんなことはないと考えております。極めて高い能力を持っているというふうに思うわけですが、ただ、実際にはその能力を生かせる環境にないために潜在的な能力が発揮し切れていないという面があろうかと思います。  したがって、いろんな権限移譲あるいは義務付け枠付け廃止ということについても、いろんなちゅうちょする御意見があるのも分かりますが、やはり一方で、やると決める、やればできるという形に持っていけば、私はこの問題はさほど大きなネックにはならないのではないかというふうに考えております。  それから、もう一つよろしゅうございますでしょうか。  今の職員ということをテーマに御質問をいただいたんですが、それに対して私はさほど懸念する必要はないという認識なんでありますが、仮に懸念が必要だとすると、むしろ議会であるとか議員の皆様の自覚をどう高めていくかということが一つ大きく問われる、受皿論という言い方をするなら、一番受皿論としては重要なところはやはり議会ではないかなという認識を持っております。  ただ、これも私は喜ばしく思っておるんですが、最近、議会の皆様が、地方議会ですね、市町村議会、都道府県議会議員の皆様が、いろんな機会で勉強されようという意欲は大変強くお示しになっておられるということがございます。私どもでいろんなセミナーを主催しても、これまでは自治体の職員の方が多く集まられていたんですが、最近は議員の方が非常に増えております。これは、この地域主権社会の前夜を感じさせる出来事の一つではないかなというふうに感じているところです。  以上です。
  44. 澤雄二

    ○澤雄二君 片山参考人に伺います。  今日、初めて協議の場は反対だという意見を聞きまして、えっ、目が覚めました。六団体の長がその住民意見代表しているのかということですね。そうじゃないなと思いました。だけど、だけどですよ、その六団体の長に代わる人たちをどういうふうに選べば住民の声が到達をするのか。それを選ぶのが難しければ、例えば、その六団体の長がそこに出てくるときには、幾つかの、何といいますか、住民の声を聞いておかなければいけないというようなシステムをつくっておいて、それをそのまま彼らが反映するかどうかは分かりませんが、少なくともそういう何か補完的な役割を持たせて出させるとかって、どういうことを考えていらっしゃいますか。
  45. 片山善博

    参考人片山善博君) 私は六団体の長の意見政府が聞かれるのはいいと思うんです。いろんな人の意見を聞かれたらいいと思います。  ただ、どうして六団体の長だけが、六人の人だけが法律協議の場を与えられるのかということを問題にしているわけです。聞くべきは、やはり草の根民主主義、多くの国民皆さん意見で、それは国会議員皆さんが日々聞かれているはずなんですね。それから、六団体なども聞く必要があったらそのとき呼べばいいわけです、協議を呼びかければいいわけです。現に、私が知事しておりましたときに闘う知事会という時代がありまして、そのときはこんな法定協議の場はありませんでしたけれども、当時、小泉内閣の下でしょっちゅう協議しておりました。そこでの協議の結果というのは、法律に書いてなくても尊重、全部ではありませんけれども、かなりされていました。  ですから、ちゃんと見識を持って言っている人がいれば、それはこんな法律上保障されなくてもちゃんとそれは反映すると思うんですね。逆に言うと、法律でこういうふうに保護しなきゃいけないということは、普通にしておくと余り聞くに足らない意見しかないのかなという逆の解釈が成り立つわけです。  繰り返しますが、私は、知事や市長や議員皆さんというのは、そうでなくても発言権はあるんです、この世の中で、権力がありますから。ですから、こういう国と地方との関係とか、それから地方自治を考える場合には、そういう権力者の意見に耳を傾けるばかりじゃなくて、権力のない国民皆さん意見の方にもっと耳を傾けられた方が政府としては正しいのではないかということであります。
  46. 澤雄二

    ○澤雄二君 ありがとうございました。終わります。
  47. 山下芳生

    ○山下芳生君 日本共産党の山下芳生です。  四人の参考人の皆様、貴重な御意見ありがとうございました。  まず、村山先生にお伺いをいたします。  この三法案に対して、子供の視点からの御意見、そして、これで日本の子供たちの幸せが一歩でも前進するのかという角度からの御意見、非常に大事な視点だと思いました。  そこでまず、児童福祉施設における現行の最低基準の意義と役割は何か。先ほど児童福祉法二十四条、市町村の保育実施責任という見地から御意見を聞かせていただきましたけれども、憲法二十五条など、もう少し広い意味で意義を語っていただければ有り難いと思います。
  48. 村山祐一

    参考人村山祐一君) 二十四条のことについては先ほど言いました。この成立のときに、児童福祉法が先にできて、その後に最低基準の中身が決まっていくんですね。実際は、児童福祉法が先にできたんだけれども、児童福祉法を施行するのに最低基準ができるまで実質的には保育所というのはスタートできなかったわけです。  なぜかというと、最低基準で子供の生活保障、発達保障の内容をここではっきりさせる。ですから、保育に欠けるという子供について市町村責任で保育所に入所させます。入所させるだけでは駄目だよ、その子供たちにどういう保育を提供するのか、これは児童福祉法の厚生省の解説書の中でも積極的対応という言葉で言っています、解説書の中で。二十四条を予防的対応と言っています。  それは何かというと、働いたりして家庭にいない子供が町にいろいろうろついたり保護されなかったり放置されたりする事態をとにかく避けないといけない、だから保育所に市町村責任で入所させる。ただ、入所させただけでは、その子供が危険からは予防的に救われるけれども、それだけでは駄目ですよ。憲法の二十五条の生活権の保障、これを子供のところでもちゃんとしないといけないんだということで、子供の保育の中身を最低基準で確保するということで最低基準の中身が保育の中身として位置付いてくると。ですから、この二つはリンクしているわけですね。  しかも、最低基準で示されたことについては、国が財政保障するということが義務付けられているわけです。ですから、国が最低基準の中身をきちっと拡充していくと、それについては国が財政保障をするという責任がそこに生じる。逆に、最低基準を規制緩和していくと、その分だけ自動的に財政負担しなくてもいいよというような仕組みに今の児童福祉法の中でなっているわけですね。ですから、園庭が要らないとか、あるいは面積を二・五にするということになった場合に、結局は、じゃ、建物を造るときに補助金が今民間で出ます、まだ。以前は公立でも出ていました。本来、公立にも出さなくちゃいけないと思うんですけれども。そのときに、二・五平米と狭くなったら当然お金を減らすよということになってくるわけですよね。  ですから、そういう意味で、この最低基準という問題は単なる基準ではなくて、国がその部分については責任持って財政保障もするよと、そういう意味でナショナルミニマムだということが言えると思うんです。  ただ、その中身が敗戦直後に作られたもので、戦前の託児所の基準をちゃんとクリアしてというところまでいってないわけですね。これは当時の財政的に大変負担だったということもあって、取りあえずスタートさせるということでスタートさせて、この最低基準の施行規則の中にも、厚生省令に書いてありますけれども、厚生大臣はやはりこれを改善するように努めるべきだと言っているわけですね。当時の作った審議委員の中でもうはっきりと、社会の日進月歩に応じた改善が必要なんだと、それは今後の日本の経済成長と社会発展にゆだねるというところまで言っているわけです。しかし、社会が大きく発展したにもかかわらず、最低基準は、基本的な内容は何も改善されてないというのが現状ですよね。  ただし、その意義というところでは、その最低基準を超える水準の確保ということが前提になっていますから、多くの保育関係者が一九五〇年ぐらいから、この中身では保育ができないということで、職員の増員や園長を置くようにとかということを予算要望をずっと五〇年代から続けていく中で、国の運営費の基準は超える水準ですから、超えていいわけですから、一定程度の確保ができていったと。その結果、不十分だけども、今、全国に保育所は大体一小学校区に一保育所というぐらいの箇所数まで確保されたわけですね。確かに待機児童いますけど、待機児童は全体から見ると、やはり五十万としても三割ぐらいの数字、二割から三割の数字ですよね。そういう意味では一定程度最低基準で保育所の整備が進んできたと。  ところが、一般財源化されたことによって、最低基準ぎりぎりでも自治体は国から直接補助金出ないわけですから、そうすると、例えば何が起こっているかというと、先ほど施設のことを言いましたけれども、職員の非正規を入れていく。それから、非正規が今は私立よりも公立の方が割合は高くなっている。大体平均でも四割、非正規の占める割合が。そして、その四割の中身を分析していくと、大体、もっとひどいのが七割、これが八%かな、ぐらいいるんです、七割とかね。そうすると、非正規と正規で、本来正規が多くて保育所というのは成り立つんですけれども、保育運営自体ががたがたになり始めている。  これは、やはり最低基準を遵守した補助金をきちっと出すということで今までは守られていた、ナショナルミニマムが。ところが、最低基準が運営費よりもはるかに低いから、法律的には最低基準だけ守ればいいというふうになっていっちゃうわけですね。その辺で公立のところが、一般財源化されて国の運営費は来ないし、国からのナショナルミニマム守れということも言えないわけですから、ですからますます悪くなっていく。保育、この間これも入れておきましたから、毎日新聞などにも書いてありますけれども、一日、入れ替わり立ち替わり保育者が替わっていく、十時間ぐらいの保育の中で三人が入れ替わり立ち替わり替わっていく、子供が不安定になる、こういう問題が現に起きている。保育者同士が非正規と正規だと処遇が全然違う、それのトラブルが起きてくる。非常に運営しにくいという実態が公立の中では出てきている。  そういう意味で、最低基準の確保と、それを踏まえた運営費の補助が公私立に平等に行くことがやはり本来の児童福祉法の精神じゃないんだろうかと。
  49. 山下芳生

    ○山下芳生君 続いて村山参考人に伺います。  先ほどのお話の中で、耐火基準のお話が資料の八ページに沿ってされまして、これは非常に重大だなというふうに思いました。現行の保育所最低基準では、耐火建築物でなければならないとか、避難用屋外直通階段あるいは耐火構造の屋外傾斜路を設置しなければならない、バルコニーを設置しなければならない。これがなくなっちゃったらえらいことになるなというように感じました。  まず、子供たちにとってこれらの設備の持つ意味、それから、なくなったら危惧されること、先生のお考えをお伺いしたいと思います。
  50. 村山祐一

    参考人村山祐一君) これがなくなった場合に、まず親が不安になりますよね。もし、そこから火が出なくても、下から火が出たり、ビルなんかの場合、横から出た場合、子供たちはどうやって命を守るのか、これがすぐ問われると思うんです。  火災が起きた場合、この間も池袋で事件がありましたけれども、避難するというのは大変です。今だったら、まずベランダに出るということで助かるというのが目に見えますよね。ところが、ベランダはなくてもいいよ、避難通路もなくてもいいよといったら、もうパニックになるんじゃないんかと。  私が心配するのは、仮に助かったとしても、小さい子供が異常なパニックになったとき、私はこれは精神障害に発展しかねない、命や身体上の問題にも発展しかねない。それを、国が自治体に任せるよと言われたからやったんだというと、結局国の責任というのは何なんだという話になりますよね。そういう点でこの問題は大変重大だと。  そもそも、本来建築基準法でそこまできちっと整備されていれば、これは都道府県であれどこであれ、条例を作るときにそれを遵守するとなりますけれども、法律的にはどこにも書かれていないわけですね。保育所のところの最低基準だけで示されている基準だと。そこをきちっと念頭に置いて考えないといけないんじゃないんか。私は、子供の命をちゃんと守るということを制度的に確立すべきではないのかというふうに思います。
  51. 山下芳生

    ○山下芳生君 最後に片山参考人に。  私、いろいろこの法案の審議をするに当たって考えていることがあるんですけれども、それは、地域主権とか、地方のことは地方が決めるという概念と、それから、国がちゃんと責任を果たすナショナルミニマムというこの概念は相対立するものなんだろうかと。つまり、ナショナルミニマムをなくさなければ地方分権とか地域主権は成り立たないのかと。それとも、両方両立してお互い相補完することができるんではないかと。  どうも今の地域主権法案内容を見ると、ナショナルミニマムをなくすことが地域主権なんだという流れになっているような気がしております。その辺りいかがでしょうか。
  52. 片山善博

    参考人片山善博君) それは、両者は対立するものとか分離されたものではなくて、私はバランスだろうと思います。どちらにより比重が掛かるかとか、それから、どの場面ではどちらがより強調されるべきかという問題だと思うんですね。  例えば、義務教育というのは、小学校は六年制、それから中学校は三年制と、これはその内容の良しあしは別にしまして、やはり全国統一して国が決めるべきものだろうと思います。それから、あらかた教育をする内容もおおむね国が決めるべきだろうと思うんです。ただ、例えば具体的に言いますと、どの教科書を使うかとかそういうことになりますと、例えば教員にゆだねるとか学校にゆだねるとか、そういうたぐいのバランスだろうと思うんですね。  先ほど来やり取りを聞いていまして私思うんでありますけれども、今、地方分権とか地域主権の文脈の中で、財源の一般財源化とか、それから基準の緩和というのが行われているんですけれども、実は財源の一般財源化というのはどういう意味を指すかというと、削る自由を与えるんです。何に使ってもいいということなんですけれども、現場では削る理由が備わるんです。自治体が本当に住民意思をバランスよく反映させた質の高い状態であれば、私はそれでいいと思います、その見識を十分政策に反映すればいいですから。  ところが、失礼ながら、やっぱり今の自治体、全部とは言いませんけれども、実際にやっている運営の状況を見ますと、例えば声の小さい人とか弱い立場の人に対しては非常に冷たい面があります。声の大きい人のところには手厚いという面があります。そういうときにすべからく一般財源化をするということは、実は、すべてを削る自由を与えるんですけれども、結果としては声の小さい存在、それから発言力の少ない、そういう存在の領域を削ることになるんです。  先ほど来、子供たちのことが出ましたけれども、例えば図書館なんかもその代表例でありまして、今、全国の公立図書館がどんどんどんどん非正規化しております。地域で知を担うその拠点であるべき図書館のスタッフ、司書の皆さんたちが一年単位の細切れの職に今どんどん転換しつつあるんです。こんなことで本当に知的立国を目指す日本がいいんだろうかと私は憂慮しております。学校図書館の図書購入費、これは従来は補助金でありました、ひも付きでありました。図書館の蔵書にしか使えない。数年前、これを一般財源化しました。途端に決算は五割程度になりました、従来の。  ですから、私は、一般論としてはひも付きをなくす、一般財源化するというのはこれは大賛成なんですけれども、しかし今の自治体の現状を見る限りはやはりよくあんばいをしなきゃいけないんではないか。  削る自由を与えるということを念頭に置きますと、声の大きい人たちの領域は一般財源化したらいいと思います。しかし、声の小さい分野はよくよく考えて、必ずしも一般財源化に今はなじまないという面があります。例えて言えば、今優先席が声の大きい人にも声の小さい人にも与えられていたとして、それを全部開放した場合、シルバーシートをなくした場合は、やっぱり力の強い人が座ってしまうんです。それで、声の小さい人はクラウドアウトされます。その辺をよく考えていただければと思います。
  53. 山下芳生

    ○山下芳生君 ありがとうございました。終わります。
  54. 又市征治

    ○又市征治君 社民党の又市です。  四人の先生方にはお忙しい中、貴重な御意見ありがとうございました。  初めに村山先生にお聞きしようと思ったんですが、先ほどから、私、昨日もこの件については質問いたしまして、やはり分権改革だとかあるいは地域主権だとかという名において自治体がナショナルミニマムを切り下げるなんということはあってはならぬ、そういう制度、仕組みをしっかりつくれと、こういう御指摘でございまして、この点は大変力説いただきましたので、これはもう御質問、今日は取りやめさせていただきたいと思います。  そこで、時間の関係ですべての方にお聞きをすることはできませんが、まず初めに辻山さんにお伺いしたいんですが、昨年九月の「自治日報」にお書きになった論文、見させていただきました。  その中で辻山さんは、地方分権改革は新政権下では大きな進展はないだろう、だから自治体の取組が重要だという、これは辻山さんがおっしゃるんではなくて、ある教授の言葉に対して、私も同感だと、こういうふうに述べられております。この点について、まず一つ目、法案が出た現在の時点でどのようにお考えになっているかというのがまず第一点目です。  二つ目は、この同じ論文で、続けて、分権一括法、第一次分権改革で手渡された切符を使う暇もなく市町村は合併のあらしに巻き込まれて、分権型社会の創造は後回しにされた、地方財源の削減の中で分権型社会や自治型社会を展望することは望むべくもなかった、こんなふうに述べておられるわけですが、つまり第一次分権改革がほとんど積み残しになっているじゃないか、まずそれをやるべしという御意見だろうと思うんですが、この点も今回の法案立場から見てどのようにお考えになるか。優先順位なのか、並行作業でやるべきだということなのか、矛盾点があるということになるのか、これが二つ目の御質問です。  それから三つ目に、御指摘にあるように、この新政権の子ども手当であるとかあるいは高校授業料その他の直接支給型の政策そのものは、今のところまさにトップダウン、こういうことでありまして、まさに中央集権、上からの政策、地方はスルーだけ、こういう格好になるんですが、これを自治型に変えていくにはどうしたらいいか。  別の論文で、辻山さん、鳩山政権はお金を個人にまくんではなくて自治体に渡せと、こういうふうに御主張なさっているように読めますけれども、だとすると、自治体によって金額など差が出てくる、こういう問題などが出てくる可能性あるんですが、これは今問題になっているナショナルミニマムとの関係を含めてどのようにお考えか。  ちょっと三点を、欲張りましたが、お聞かせをいただきたいと思います。
  55. 辻山幸宣

    参考人辻山幸宣君) 大変厳しいところをつかれてきたなという、いずれもそういう気がしていますが、第一点目については、実は割かし明瞭にお答えができそうだと思っています。  私はそのコラムの中で、政権交代を繰り返している時代は地方分権は進まないというこういう文脈で書きました。それはなぜかというと、政権を取ろうという政党は必ず国民と直接の約束をしたがるということです。したがって、今回の民主党政権のようにすべての子供に手当をというふうなやり方、あるいは農村の戸別補償というやり方、これは言うまでもなく、自治体での自己決定は何も関係がなく、マニフェストに、自治体にきちっと権限も財源も配りますからきっといい世の中になりますよというマニフェストは書かないわけですね。そういう意味で、政権交代が続く間はしばらく大きな分権はない、したがって自治を充実させよう、こういう趣旨で書きました。  それについても、じゃ自治を充実させるというのは何かというと、第一次分権改革で手にした様々な武器があるだろう、これを磨いていこうよという、こういう提案でございました。しかし、その暇もなく、ほとんどその分権の法案と同時に全国に合併の号令が掛けられたということから、一体、中央政府はこの分権一括法を地方に定着させるというそういう気持ちはあるのだろうかと、こういう疑問がございました。したがって、私としては、言ってみれば合併をしばらく置いておいて分権が定着するようにという気持ちでしたが、実は逆になって進んでしまいましたね。  そうすると、これからあのときの分権を充実していこうということになりますと、今とっても難しい状況にあると思っています。職員がどんどんと変わりましたし、議会のそれまでの議論の仕方あるいはいろんな、何といいましょうか、伝統なども関係なく、新しい議会になってしまっているということから。しかし、幸いにして政権交代が起き、この政権は自治体を飛び越して国民にサービスを提供しようという姿勢が結構ありますので、チャンスだよと、合併で失われた分も取り返そうねと、こういう言い方をしております。  それについても、子ども手当のような自治体を飛び越していくタイプのものを一体どうやったら自治型に組み替えられるかということですが、実は自治型にしない手もあるんです。最近の議論では金銭の直接給付は国の仕事として純化すべきだという議論もありまして、その場合には国の地方行政庁を使って配分すればいい、あるいは郵貯を媒介にして全国民にばっと配ればいいというようなことが一つあります。これはまさに国の責任で決定から配付までやるということですね。同時に、自治型でというときには、御承知のように、決定に濃淡があって、高いところ、安いところが発生します。これについては、しかし、ある程度の理論的な整理は付いていまして、高いところが出てくると足による投票で人々がそこへ集まってくる、そうすると負担をするのが物すごい大変になりますので、おのずと平準化していくであろうという見通しの議論が最近出ていまして、そういう意味では大幅な給付の上積みというのはなかなか難しいんだというようなことが考えられているという状況です。
  56. 又市征治

    ○又市征治君 ありがとうございました。  それじゃ、次に片山参考人にお伺いしたいと思います。  いつもながらの辛らつな御批判、ありがとうございましたと、こう申し上げにゃいかぬと思います。片山さんにしてみると、せっかく政権取ったんだからもうちょっと大胆にしっかりやりなさいよという思いを込めて辛らつな御批判だったのかなと、こういうふうにお伺いをしたところでありますが。  そこで、片山さんの著述をいろいろと見させていただき、またこれまでもこの場にも何回かおいでいただいているわけですが、国と地方の財政上の関係について幾つも触れられています。そこで片山さんがおっしゃっていることで、まず、地方交付税の先食いを廃止すべきだということをかねがねおっしゃっているわけですが、これも全く私も同感でございまして、常々私たちもこの場で主張しているということでありますが。  次に、地方交付税地域主権型にせよという御主張がございましたね。地方交付税の総額を含めて地方財政計画で決めているけれども、総務省と財務省の折衝次第ではなくて、国税の一定割合を決めて後は交付税法上の調整率と自治体の才覚でやれ、こういう御趣旨のことを述べておられるわけですけれども、これもこの前段は全く我々自身がここでよく主張してきたことでありまして、そういう意味では、昨年の十月に原口大臣が、四二%交付税率上げろと、こういう格好で大幅要求をなさったという点と同じ主張になるんだろうと思うんですが、この後段におっしゃっている調整率による微調整ではどこまで可能なのか。私たちは、交付税率そのものを上げるということがやはり一番必要なんじゃないか、そのことは十分片山さん御承知の上でなおそのことをおっしゃらないのは何か別の意味があるのかなと、こう私は逆にうがって思ったりするんですが、その点が一つ。  もう一つは、国と自治体側との協議の場というのは余り意味ないじゃないかというふうにお聞きをするんですが、さりながら、今もこの中でおっしゃっているように、総務省と財務省だけでやって、全く国民には何も見えない。せめてそれならば、自治体が、何も六団体の長だけということでは言いませんけれども、六団体が六団体でそれぞれいろんな決議を上げる、あるいは集まりを持つ、そういう中で政府代表が出てきてしっかりと、交付税率の問題であるとか、あるいは地方財政計画の総枠であるとか、こんなことを何回かかんかんがくがくやるということは一歩の前進ではないのか、私にはそう思えるんですが、その点、併せて片山さんの御見解をお聞きしておきたいと思います。
  57. 片山善博

    参考人片山善博君) 最初の交付税の調整率の問題ですが、私の考え方は、交付税をルール化すべきというのが基本であります。今の交付税を見ていますと、毎年毎年、地方財政折衝といって、財務省と総務省とが押し合いへし合いをやって、力仕事で決まるわけですね。自治体の方はそれをはらはらして見ながら、総務省の方を応援して、頑張ってくださいと言う立場なんです。  それで、何が問題かというと、非常に不透明な中で物事が決まってしまって、可視化ができてないわけです。予見性がないんです。例えば、たまたま財務省の官僚総務省官僚との実力差があったりして、どっちかが強くてどこかに転んだとか、数年前、非常に自民党の地行族で声の大きい方がおられて、参議院に、わっと言ったらそれで交付税が増えたとか、そういうふうな荒っぽいことなんです、それではいけないんです。  分権というのは、やっぱり自治体が向こう数年間、五年間ぐらいは、交付税は大体うちにはこれぐらい来るなということを予見して、その上で自分のところの予算の運営というものを決められる、自分判断できる、これが重要なんですけれども、今は本当に他律的で依存型になってしまって、もう総務省におすがりをして頑張ってくださいと言うしかないというのは不健全であります。したがって、ルール化をしてください。ということは、五年とか十年のタームで交付税率を決める。ところが、年々の財政運営というのは変わりますから、税収が減ったり増えたり、仕事が増えたりしますから。だからといって、じゃ毎年交付税率変えますかというと、毎年やっさもっさしなきゃいけないからそれはしないで、五年とか十年の間はセットして、その間の毎年の変動というのはモニタリングしておいて、それで五年なり十年たったときに、じゃこの際変えましょうかというのが国会仕事だと思うんですね。  じゃ、毎年のその変動をどういうふうに調整するのかというのは、実はこれが調整率でありまして、九八%にしてみたり一〇二%にしてみたりという微調整です。微調整が利かなくなる段階は、これは交付税率を変えなきゃいけないと、こういう考え方であります。  それから、協議の場は、さっきも言いましたけれども、協議はされてもいいんです。六団体から意見を聞かれたらいいと思います。ですけれども、それに法的な根拠を与えるということが私は問題だと思うんです。それは、一つは圧力団体です。圧力団体であってもいいんですけれども、圧力団体に一種の拒否権を与えるわけです、厳密にいいますと。協議をしなければいけない、協議結果については尊重しなければいけないということは、それは一種の事実上の拒否権を圧力団体に与えるわけです。それは不健全です。やはり国家の基本運営であるルールに対して、何やらえたいのしれないものが拒否権を持つということは絶対やめた方がいいんです。  これは戦前に、軍部大臣現役武官制というのを広田内閣のときに復活をさせて、それが結局足かせになって、私の郷里の先輩の宇垣一成さんは組閣ができなかったんです。結局、それは立憲上、憲法上以外の、憲法外のその拒否権なるものを別の人に与えてしまったんですね。そこまで大げさではありませんけれども、そういう文脈で、国会で物事を決める、それに対して政府が提案をするというときに、幾ら地方団体の長とか議会の集まりであっても、そういう憲法上の仕組み外の事実上の拒否権は与えるべきではない。  それから、先ほど言いましたけれども、天下り団体なんです、申し訳ないですけれども。私の経験で、地方団体意見というのはやっぱり総務省意見なんです。私が知事やっていましたときに変なファクスが入ってきました、知事会から。それは隣の県に入ってくるファクスが間違って入ってきたんです。それを見ましたら、これは総務省のチェックと修正を経たものですから御覧ください、知事に見てくださいといって書いてました。そんなことが、今はやっているかどうか分かりませんけれども、そういうことで、要するに総務省の赤ペン入れられたものが六団体意見で出てくるんです。ですから、私なんかは、今から思うんですけれども、これ法律が成立しましたら、協議が始まったときに、六団体の長がそれぞれ天下りの事務総長に引率されて協議の場に臨む姿がもうほうふつとするんですね。事務局が書いたものを、総務省のチェックを受けて書いたものを読まれるんです。そういうことに何の意味があるのかと。一つの省の外郭団体、天下り団体政府とが協議をする、法律上、なんということは非常に私は珍妙だと思います。
  58. 又市征治

    ○又市征治君 あと二問ほどやろうと思ったんですが、時間が来てしまいましたので終わりたいと思います。  ありがとうございました。
  59. 佐藤泰介

    委員長佐藤泰介君) 参考人に対する質疑はこの程度といたします。  参考人方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十九分散会