○山内
徳信君 私は社民党・護憲連合の山内
徳信でございます。
質問に入ります前に、私は感慨を込めて質問をすると同時に、二〇一〇年のこの
予算を見ましたときに、
沖縄側として感謝を申し上げ、六十五年たってやっと
沖縄にも
鉄軌道を走らそうという調査費が付くことになったわけです。恐らく
本土の
皆さん方にすれば夢のような話だと
思いますが、実は夢でございませんで、
復帰後、かなり
沖縄側からは戦前あったような
鉄軌道、鉄道を走らそうと、そういう運動もありましたが、ついぞ実現しませんでした。新しい
政権ができて、そしてうるの会の七名は、新しい
政権に是非
鉄軌道を走らそうという調査費の要求をしようと、全会一致でそういう
予算案を提案をいたしました。それが実現いたしたわけであります。
沖縄の
人々も、南部の人も北部の人もこのことを知って大変喜んでおります。
政権が替わってよかったなと、こういうふうなことであります。
さて、質問の一番目は
鉄軌道の話でございますが、戦前は
沖縄県内でも那覇を起点に、南は糸満、北は嘉手納、東は与那原まで
鉄軌道が走っておりました。私は少年でございましたが、嘉手納から那覇へ行くにはこの
鉄軌道に乗って、いや、軽便鉄道といったんです、この軽便鉄道に乗って那覇に行くんです。ところが、
戦争の結果、この軽便鉄道はことごとく爆弾を撃ち込まれて破壊をされて、そして六十五年間その復活、再建を求めておりましたが、それは今申し上げましたとおり、七二年に
沖縄は
復帰したといっても、その再建はなかなか具体的に
予算の上にも上がってきませんでした。
そういう
意味で、私は
沖縄県の人間の一人として、軽便鉄道が破壊されていったのは
日本政府が起こした
戦争の結果だから、これは戦後処理事案として
政府は力を入れなければいかぬと、こういうことをかねてから主張をしていたわけでございます。したがいまして、本当に、繰り返しになりますが、うるの会の七名、ここに
喜納昌吉さんもいらっしゃいますが、彼は戦後世代でございますから戦前の軽便鉄道は知らぬわけでありますが、ところが、
沖縄に背骨を、
沖縄本島に人間で例えると背骨を通さなければ
沖縄の産業
経済の
発展は望めないと、こういうふうに考えて私
たちは
予算要求を申し上げたわけでございます。
したがいまして、二〇一〇年のこの
予算編成に当たって三千万という調査費が計上されましたこと、これは国会議員だけでございませんで、既に
沖縄の
人々、本当にやっと夢が実現したなと、こういうふうに喜んでいらっしゃいます。どうぞ、
沖縄担当
前原大臣、
沖縄県民が喜ぶようなことをすることが
沖縄振興につながるわけでございますから、ひとつ今後ともよろしくお願いを申し上げます。
さて、私は、時間が気になりますから、時間切れになっては大変なことになりますから、繰り上げて申し上げておきたいのが一つあります。
先ほど、ずうっと各政党の代表の方からの質問にもありましたように、今新
政権の
最大のテーマは何といっても
普天間問題をどうするのかと、こういうことでございますが、どうも最近の新聞、テレビあるいは官邸の動きを見ると、回り回ったというよりも、最初から
沖縄ありき、
沖縄に封じ込もうという動きがあるんじゃないかと、官邸の中に、あるいは
外務や防衛
大臣の腹の中には。そういうことがあっては大変な事態になりますから、
前原大臣は
沖縄担当と北方担当の
大臣ということをよもやお忘れになってはいけません。総理があるいは官房長官が、
沖縄という話が出てまいりますときには、待てと、恥を知れと、こういうふうに中に割って入って、
沖縄に新たな
基地をつくらすわけにはいかないと、こういうふうに主張をしていただきますように心からお願いを申し上げたいと
思いますが、
決意のほどを伺っておきたいと
思います。