○池坊
委員 どうぞ強い決意を持ってこれに立ち向かっていただきたいと思います。
法令に
違反しなければいいというものでも私はないと思います。教師のあるべき姿というのがあると思います。教師はやはり使命や
責任感を持つべきと思いますから、そういうことの
指導もぜひともしていただけたらと思います。
公明党はいつも
現場を大切に、
現場の声をしっかりと受けとめ、政策に反映していこう、これが私
たちの方針でございます。なぜならば、
法律というのは、それぞれの個人に多大な影響を与え、人生や生活や価値観やすべてを変えていくだけの大きな力を持っております。ですから、政策をつくるときは、
法律をつくるときは、私
たちは真摯に誠実に、それを受け入れる
人たちにどういう影響が与えられるか、与えてしまうかを
考えて私はつくっていかなければいけないと思っております。
そういう
意味では、一昨日、
東京横浜独逸学園、
東京都
世田谷区
医師会立看護高等専修学校、
東京朝鮮中高級学校を
視察してまいりました。
私は、このような新政権における二大政策の
一つである高校無償化が大ざっぱにつくられていきますことを、新政権を応援する気持ちからも、本当は憂えております。もっと丁寧にしていただきたかったという思いがするのです。
どの
学校を選ぶかどうかというのは省令で決める。当然、省令のトップは
大臣でいらっしゃいます。禍根を残さないような私は判断をしていただきたいと思うんです。
私が二〇〇三年、
文部科学大臣政務官だったときに、初めて
朝鮮学校を
視察いたしました。そして、国立大学が受けられないのはおかしいと思って、受けられることに力を注いでおりました、その傍らで、税の優遇措置を省令でインターナショナルスクールだけにいたしました。私は、インターナショナルスクールに税の優遇をしたことを悪いと言っているのではありません。客観的、普遍的に、もっとほかにもするべき
学校があったのではないか、そう思うのです。ですから、禍根を残すような
法律であってはならないというふうに思います。
私は、
朝鮮学校に行き、
保護者や
子供たちや
校長たちと話をしながら、この法案の中で、
朝鮮学校は、私
たち、ほかの
学校と同じようにやはり無償化の
対象になるべきというふうに
考えました。何も私は
朝鮮学校の回し者でも何でもありません。ただ一点は、私は次の世代に夢と希望を持っている。先回も申しました。環境を選ぶことができない
子供たちにいい環境整備をするのは、今を歩んでいる人間の
責任ではないか。
それから二つ目には、ここは
文部科学委員会です。
教育行政を審議するところです。
子供たちの視点に立って、大
人たちの紛争や思惑やさまざまなことがあったとしても、いい二十一世紀のための
教育にはどうあるべきか、それを私は判断の軸にするべきだと思います。そういう
意味では、私は、三位一体で義務
教育国庫負担金のときにも、いろいろな省庁がいろいろな
意見を言いましたが、
文部科学省、この部会は、
教育行政の
立場から判断すべきだとずっと主張してまいりました。
先ほど
大臣は、高校の課程に類する
学校を客観的、普遍的に判断するとおっしゃいました。もちろん、すべてのことを御存じだと思いますが、再確認のために、私が見てきたこと、
子供たちと話したことをお伝えしたいと思います。
一つは、国交がないからというならば、台湾系の
学校はどうなるんだろうか、これも国交がないよね、僕
たちだけではないんだと。それから、学制は六・三・三・四、これは日本と同じようにやっている。
教科書は何で日本のを使わないのと言ったら、
文部科学省が出している教科書をもとにして、本国とは全然
関係ない、
自分たちのいい教科書をきちんと使っている。確かに大学は日本の大学に半数以上行っておりますから、その受験にたえられるカリキュラムでなければなりませんので、見ましたところ、朝鮮語が四こまあったら、国語も四こまありました。
教科書の中には、確かに、朝鮮語で書かれているものは私には判断できませんから、どんなことが書かれているかということはわからないわけですけれども、
先ほどお話が出たように、朝鮮籍の子供は四六%、
韓国籍が五三%でした。あとの一%が日本国籍等です。私
たちの願いは、南とか北とかではないんだ、統一されるということを願っている、だから、統一が私
たちの
教育の基本にあるんだと言っておりました。
それから、子ども手当は十五歳まで僕
たちももらえる、だけれども、
教育において差別されるということは、私
たちには何か理解できないのだと。そして、確かに、苦しんでいる、経済的に困難な両親の姿を見ているから、無償化、
支援されることは大変うれしいと。でも、それ以上に、もし
支援されなかったら、お金の問題じゃないんだ、僕
たちがこの日本社会の中で存在を認めてもらえなかったんだ、そう思う気持ちが僕
たちには大変につらいと。今までいろいろなことがあって、差別かなと思うことがあっても、僕
たちは、日本社会の中で受け入れて、みんなと仲よくやってきた。だけれども、今ここで拒否されるということは、そういうことがつらいんだと言われましたとき、私は苦しみの連鎖というものを生んではならないというふうに思いました。
御存じのように、サッカーだとかインターハイあるいは作文コンクール、こういうところに出て優勝したりもしております。そして、何といっても、国際社会においても、二月二十四日、ジュネーブで行われた国連人種差別撤廃
委員会で、
朝鮮学校の無償化
対象外については疑念を表さなければならないと言われております。これらの、今国際社会の中にもあって、日本がどういう
立場をとるかということをほかの国の
人たちも見ております。そういう中にあって、私は、正しい日本の二十一世紀のあるべき姿を示すことが日本のためになるんだというふうに
考えております。
これらのことを勘案したときに、そして、先ほどございました、朝鮮総連の偉い人にも
卒業生はなっているそうですが、民団の
幹部にもなっているのが現実なんですね。ですから、彼ら
たちの建学の精神は何なのだと聞きました。埼玉や千葉から、定期代二万円もかけて通っているんですね。そんなに大変なのになぜかといったら、
一つは、語学、言語、朝鮮語をやはり教えていきたい、文化を教えていきたい、そして民族というものを教えていきたいんだと。
ある
意味では、日本は今そういうものがなくなっているんじゃないかと思います。日本語というのは大切にされていますか。英語、英語と言われていて、日本語の大切さ、とかく忘れがちだと思います。そして、文化。日本にどんな文化があってどういう、それは長い歴史に培われてきた文化ですが、そういうことを知らない
子供たち、国際社会の中で言葉だけしゃべればいいわけではありません。しっかりと自分自身のものを持っていなければいけない。そして、
日本人のアイデンティティーなんて、私
たち余り感じないんじゃないかと思います。
私から見れば、先ほども
お話がございました、小中
学校では教室にもう肖像画がないけれども、高校には金総書記の写真が今も飾ってありまして、違和感を感じるわと言ったら、私
たちは創設の苦しいときに
支援を受けてきた、だからその精神を忘れないためにここに飾ってあるのですというふうには答えていました。では
国旗でもいいのね、
韓国と朝鮮の
国旗を掲げたらというふうに私は提案をいたしましたけれども、現実はこういうものです。
そういう中にあって、
大臣はどういうふうにお
考えかを、もちろん御自分の
意見を今この時期におっしゃれないとは思いますが、こういうことをお聞きになってどうお思いになるかを伺いたいと存じます。