○
山本(幸)
委員 大変結構だと思いますので、ぜひしっかりとやってもらうように、今後も
日銀に対して申し入れてもらいたいと思います。
それから、
日銀の独立性、国会から独立なんて何もないんですからね。国会ではがんがんやりますから、その点はお任せをいただきたいというふうに思います。
それからもう
一つ、ちょっと注意しておいてもらいたいのは、さっきもちょっと申し上げましたけれ
ども、本当は、一%というのはGDPデフレーターじゃないとだめなんですね。実質で二%、GDPデフレーターで一%で成長戦略の名目三%成長というのが実現できるわけで、問題は、GDPデフレーターとCPIはちょっと乖離するんですね。
大体、今までの平均からいうと、CPIの方がGDPデフレーターより〇・八上じゃないと、GDPデフレーターは一にならない。つまり、CPIでいうと一・八ぐらいにならないとGDPデフレーターは一にならないというのが大体今までの経験則ですから、その点も頭に入れておかないと、菅さんのおっしゃる名目成長三%というのは実現できないんだということをぜひ留意しておいていただきたいと思います。
それでは次に移りますが、ちょっと用意していなかったんですが、先ほど
山本有二先生の方から沖縄の返還に絡む秘密
預金の話がありまして、私も大変懐かしく思い出していたんですが、私は
役所に入って最初にその問題を担当していたんですね、一年生で。すぐスミソニアンというのがありまして、一九七一年の十二月に三百六十円から三百八円に切り上げさせられたわけですね、スミソニアン合意で。その翌年に
沖縄返還ということがあるわけで、返還の日は五月十五日だったと思いますが、それに向けて全省を挙げてやっていたわけですね。
私は大蔵省の文書課というところで
国際金融局担当の法律、政省令をやっていましたので、そのときに、どういう形で沖縄にあるドルを円に交換するか、それを担当していたわけでありますが、一番問題になったのは当時の変換レートなんですね。スミソニアンがありまして三百八円になったんですけれ
ども、そこはやはり沖縄の方々に対する今までの御労苦に報いるためということで、実はあのとき、旧平価の三百六十円で変換してあげたんですね。
そのために大量の円札を船で運びまして、しかも、海賊に襲われるかもしれないというのでダミーの船まで出して大輸送作戦をやった。
しかも、沖縄国会をやっているときに、実は返還の日に交換するということだったんだけれ
ども、それでは間に合わないということで、急遽変換の日にちを一週間ぐらい早めたんですね。ところが、法律では返還の期日は十五日になっているのに、告示の
段階で変換の日にちを早めちゃったので、これはある
意味でいうと法律違反を事実上やっちゃったんですね。当時、沖縄国会をやっているその審議中に
大臣の決裁をもらいに行って、そして告示を出して三百六十円で大変換をやったんですね。
そういう
意味で、そういえば、そのときにかえたドルはどこに行ったんだろうかなと思いましたけれ
ども、今振り返ってみるとそういうことになっていたんですね。それは私は全く知りませんでしたが、
財務官クラスの決断でやったんだと思います。
ちょっとお伺いしたいのは、その九百万ドルというのは
外為特会の
勘定ではないんですか、別の特別な
勘定でやっているんですか。わかりますか。