○谷岡郁子君 大変な光栄なことを言っていただきまして、本当にありがとうございます。
今日一日の
議論の中で何度も出ました、例えば徳育、
道徳といった問題も私は同様だろうと
思います。心の
ノート等の教材も必要であろうと
思います。しかし、それはあくまでも教えることでございます。
ここに書きましたように、例えばフェアプレーの精神、ルールを守る精神、規範意識、そういうものは実は
スポーツなどで鍛えられたりすることもございます。また、相手に対する共感能力、想像力、こういうものはその感受性としても磨かなければなりません。また、相手に作用する力としての
社会力であり、また自らがその当事者として引き受ける当事者精神、こういうものすべてがあって初めて実は
道徳というものが成り立つのであろうというふうに
思います。
したがいまして、教材をどう教え込むか、何時間やるかということではなくて、
学校生活全体の中であらゆる機会を通じてそういう機会を教師が見出すということが大事でしょうし、その都度そういう形で彼らの問題意識というものをやはり涵養していくことが大事であろうというふうに私は思っております。
そういうアプローチこそ大事だと思っておりますが、その一方で、今日何度も出ております
教員の質の問題です。
日本の教師は果たして質が悪いのでしょうか、不足しているのでしょうか。私は、そうは思っておりません。
日本の教師の今抱えている一番大きな問題は、余りに雑用が多いということだろうと思っております。本来、教師として
子供に向き合う時間を
確保されていない。
会議がある、
報告書を書かなきゃいけない、そして給食費を取りに行かなければならない、モンスターペアレンツの相手をしなければならないという
状況の中で、本来、先ほど申しましたように、その子の時が来れば
子供は様々なことを
理解いたします。たった一か月前に
理解できなかった分数を、一か月後に、ちょっと残って見てといって教えたら、すっと分かったりすることが多々あります。
そういうことができるためには、教師に時間的な余裕がなければならない、教師が
子供と向き合うその時間がなければならない、教師が必要以上の多くの人数を抱え込むということを避けなければならない、教師が余りにたくさんの科目を持ち過ぎるということを避けなければならない。つまり、やはり労働条件との問題とその兼ね合うところで
教育の質というものは出てくるのだろうと。
また、教師の質ということは、一言で言えば、先ほど来申し上げているような、私
たちが育てたい
日本人の
学力観、
教育観、人間像、こういうものに対してどのようなことができる教師が必要かということを分析してみなければ、例えば四年必要なのか六年必要なのかというのは実は分からないだろうし、その方法論についても確かなことは出てこないのであろうというふうに私は思っております。
今その教師の質の云々ということを問題に、その年限の問題としてするよりは、やはり教師がいかに自らの力を発揮できるような環境を私
たちが整備し、そして、とりわけ政府が
中心となって体制、環境、そして資源というものを整えていただくということが実はもっと大きなその問題ではなかろうかということを私
自身は感じております。と同時に、
教員というのは、私は四番バッターとピッチャーばかりを育てても仕方がないものだと思っております。
実は、戦前、師範
学校の
時代においてすら師範
学校出の教師が四九%を超えたことは一度もありませんでした。開放制の下で育てられた
教師たちが五〇%以上を担っていたというのが現実でございました。そして、戦後、ある
方向に、言わば全体主義的な形に国が
一つの
教育指針を作ってしまうよりも、多様な教師をつくる方が民主主義的ではないかということで開放制が導入されたということもまた歴史の事実であったろうと
思います。
その中で教師の養成をいかにするのかということにつきましては、私どものこの国の教師の伝統であり、またその歴史の教訓というようなことを踏まえながら、やはり大きな目で、そして広く、そしてどのような教師がいかにつくられるのかということをしっかり時間を掛けて考える中で考えていくべきではないかというふうに私
自身が感じております。
そして、最後に教師の問題として私が
一つ指摘したいことは、同じ
学校が校長が替わるだけで全く変わるということがあります。すごく良くなる、あるいはすごく悪くなる。これはどういうことかと
思いますと、ほかの教師が替わらなくても、チームとしての、監督が良くなれば成績、優勝してしまうというような形がプロ野球でもよくございますように、
学校もそのようになります。その反対もまたございます。
実は、
学校というものは、だれもすべての
子供、多様な
子供をちゃんと見ることができない中でのチームワーク、チーム力ではないかというふうに思うわけです。教師が相乗効果を持てばそれはすごい力を発揮する。その一方で、お互いの努力が相殺されるような
関係になれば悲惨な結果になるという
状況じゃないかと思うんですね。個々の教師の力を測ることも大事ですが、やはりそのチーム力というようなものがどういう形で
向上できるかということを考えないと、実は
学校における
教育の質というものは変わらない。そういう
意味においての、そのチームの組み方としての教師の在り方というようなことも視野に入れた形の中で今後
教員養成をやっていただきたいと。
そういう
議論を踏まえながら実はその教師の質を高めるということについて、
是非、法案を出すなりなんなりやっていただきたいというふうに考えておるんですが、この点につきましては
大臣のお考えはいかがでございましょうか。