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2009-04-22 第171回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十一年四月二十二日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  四月十五日     辞任         補欠選任      平山 幸司君     行田 邦子君  四月二十一日     辞任         補欠選任      鈴木  寛君     轟木 利治君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         矢野 哲朗君     理 事                 大石 尚子君                 亀井亜紀子君                 藤本 祐司君                 岩城 光英君                 吉田 博美君                 松 あきら君     委 員                 一川 保夫君                 大久保 勉君                 加藤 敏幸君                 川合 孝典君                 川上 義博君                 川崎  稔君                 行田 邦子君                 轟木 利治君                 広田  一君                 松井 孝治君                 石井 準一君                 佐藤 信秋君                 長谷川大紋君                 森 まさこ君                 山田 俊男君                 若林 正俊君                 大門実紀史君    事務局側        第二特別調査室        長        今井 富郎君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民生活経済に関する調査  (「幸福度の高い社会構築」について)     ─────────────
  2. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ただいまから国民生活経済に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、平山幸司君及び鈴木寛君が委員辞任され、その補欠として行田邦子君及び轟木利治君が選任されました。     ─────────────
  3. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 国民生活経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会構築」のうち、仮説二、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」について委員間の意見交換を行います。  本調査会は、これまで「幸福度の高い社会構築」をテーマに、仮説二、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」について調査を進めてまいりました。  本日は、これまでの調査を踏まえ、その中間取りまとめとして、委員各位の御意見を述べていただきたいと存じます。  議事の進め方でありますけれども、まず各委員からお一人五分以内で御意見表明を行っていただいた後、午後三時半ごろまでを目途に、委員相互により自由に意見交換を行っていただきたいと思います。  なお、発言は着席のままで結構であります。  それでは、これより意見表明を行っていただきます。  轟木利治君。
  4. 轟木利治

    轟木利治君 轟木でございます。  本日のテーマでございます、休日・休暇が増えた方が日本経済なり国民生活が豊かになると、これはもうそのとおりだと思います。しかし、現実考えていきますと、今の日本の働く者の働き過ぎというのが世界でも非常に高いということで、総労働時間で二千時間以上あるということも聞いております。  今、一般的に土日週休二日制なり休日、祝日等を含めて設定はあるわけでございますけれども、この根本はやはり法的にもそういった保障をしなければならないんじゃないかと思っております。特に、基準法関係でいきますと、あくまでも基準法は週に一回休みを与えればいいということになっております。  そういったことを考えますと、一週間のうち日曜日だけ休めばいいんだという形になっておりますし、ただ、労働時間の方で週四十時間ということでなっておりますが、この週四十時間も年間の所定内労働時間ということで換算しますと、所定内労働時間だけでも二千八十時間という法律の規定になっているわけですから、今の二千時間という時間を含めましても、その二千八十時間というのがいかに大きいかと、多いかということで、いかにこの運動を進めたとしても、その法律根本を、基準法を改めていくのが、やはり働く人たちの休日を増やすということについては最低限での保障になるんではないかと思っております。  そういった面で、休日を増やしていく、休暇を増やしていくというのは大賛成でございますけれども、やはりその保障となる基準法根本を直していかないと、そういった意味では本当に国民皆さんの休日・休暇というのは増えないんではないかと思っております。  また、休暇について申し上げさせていただきますと、これは制度的に付与する日数が規定されておりますが、現実、勤労者方々休暇について、多分日本人であれば平均的にも五〇%ぐらいしか消化し切れていないと、やはりその心の中に何かあったときに使おうとか、長期バカンスという日本の制度がなかなか整っていない、そういったことを考えますと、この休暇について国としての指導的な方策等を、やはり夏の休暇なり正月含めて休むようなシステムにしていかないと日本休暇取得率というのは増えないと思っております。企業によっては休暇の積立てとか、それからボランティア休暇だとか、そういったこともつくられておりますが、なかなかそれが実際消化されるというところには至っていないと思っております。  そういった意味で、是非個々休暇取得というのは、やっぱり企業でいいますと上司の考え方一つといいますか、トップの考え方一つで相当これが変わってくるということを私も経験してまいりましたけれども、そういった意味では、その指導について、やはり国会そして政治の力、そしてまたそういったキャンペーンを国の方で張るということも大変大きな役割を占めるのではないかと思ってございます。  いずれにしましても、やはり休暇を持って、余暇を持って、時間があれば購買力、そしていろんなことでの消費に、国内の需要に回るということもある、そして国民生活が豊かなものを感じ取られるということだと思いますので、今言われるワークライフバランス、こういったものをいかに政治世界でバックアップしていくか、そういうのを規制していくかというのが私は大事であろうと思ってございます。  以上でございます。
  5. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  それでは、大門実紀史君、お願いいたします。
  6. 大門実紀史

    大門実紀史君 大門です。  二回の参考人質疑を踏まえて意見を述べます。今回の参考人は大変すばらしい方ばかりでございました。  人間らしく生きるという点では、休日や自由時間が増えるということを否定する人はほとんどいないわけですけれども、経済的な視点での反対意見議論の中でもあったわけでございます。要は、経済力が落ちるのではないかと、生産性を上げなければ不可能だという議論でありますけれども、この経済的な視点からの反対論について意見を述べたいというふうに思います。  第一に、この間の世界的な経済金融危機との関係ですけれども、今百年に一度の経済危機ということで、更なる失業率の高まりとか賃金が下がるのではないかという懸念があるところですけれども、ですから、休みどころか職を確保するのも大変というときに国民生活調査会は何を悠長な議論をしているのかというふうな声も聞かれたりしますけれども、私はそうではないのではないかというふうに思います。もちろん、経済危機対応議論については通常の委員会審議で私も各委員もされているわけですが、逆に、この百年に一度の危機だからこそ今までの経済在り方根本から問い直されていると、そういうときだからこそ本調査会のようなテーマを掘り下げてみるという点も重要ではないかと思っております。  つまり、なぜ百年に一度の経済危機金融危機が起きたかというと、簡単に言いますと、世界中にあり余ったお金、巨額のマネーが、二百兆ドルとも言われていますけれども、膨張して、とんでもないマネーゲームを繰り返して、それが破綻をして今回のような危機を招いたということでございます。じゃ、なぜそんなにお金があり余っていたのかと言われていますけれども、その一番は、世界中の大きな企業、大企業にため込まれた利益お金金融機関やファンドを通じて投機マネーゲームにつぎ込まれて、それがどんどん膨張していったと。つまり、本来、もっとそういう利益が働く人、労働者に還元されていればそういう投機に回るお金もなかった、つまり今回のような危機は到来しなかったというふうなことにもなるわけでございます。  そういう角度で見れば、発想転換をして、企業利益を、賃金上げるだけではなくて休日を増やす、余暇を増やすということで働く人たちに還元すると。つまり、生み出した富をもっと働く人に還元するという点が、こういう危機のとき、百年に一遍のときだからこそ、そういう発想転換が求められているのではないかという点を思います。  第二に、参考人の御意見の中にもありましたけれども、日本、アメリカ、イギリスとドイツやフランス、ヨーロッパの大陸の方と比べて必ずしも労働時間が長いと生産力が落ちるわけではない、競争力が落ちるわけではないという意見がありましたが、そのとおりでございまして、要するに、勤勉性というものと生産性というのは別のものでございます。  日本はとにかく、勤勉なのか、よく働くわけですけれども、それが長く働けば生産性が上がるということではありません。ミクロ的に見れば、各個別の企業ができるだけ同じ賃金で長時間働いてもらうとその会社利益は上がるように見えますけれども、経済全体としてはこれは合成の誤謬になっているのではないかと。つまり、そのことによってかえって生産性が落ちていたり、あるいは余暇、休日が増えることによって伸びるべき産業分野が伸びないでいるということもあるのかというふうに思います。  生産性の問題では、参考人の中でスウェーデンペーテルソンさんのイケアという会社の働き方、学ぶべき点が多いのではないかというふうに思っております。  申し上げたいことは、こういう時代ですので経済在り方を丸ごとちょっと発想転換をして見直してみるというところで、この休日を増やしていくという方向に進むべきだということでございます。  以上でございます。
  7. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、川合孝典君、お願いします。
  8. 川合孝典

    川合孝典君 川合でございます。  私も一連の参考人意見聴取を踏まえて私自身の感想を述べさせていただきたいと思います。  それぞれに参考人皆さんすばらしい方だなと思ったんですが、そのお話の内容を伺っている限りにおいて、必ずしも休日の多い少ないということが参考人皆さん幸福度影響を及ぼしているわけではないなというふうに感じました。むしろ、休日・休暇ということよりも、やりがいだとか目的意識だとかというものをきちんとお持ちになられていることこそが彼らをして各界で実績を上げるに至っているのではないのかなというふうに思ったわけで、そういう意味で余り一般的でない部分がちょっとあったのかなというふうに私自身はちょっと感じたわけであります。  私ども政治家がなすべきことというのは、最大多数の最大幸福をいかに追求するのかということであれば、その観点から焦点を当てるべきなのは、やはり一般的な、ごく一般的な国民市民の目線というものが必要なんだろうなということを逆説的に参考人皆さんお話を伺いながら感じたということであります。  テーマに戻りますけれども、休日・休暇ということなんですが、日本は働き過ぎで休暇数も少ないという話があるんですけれども、国際比較してみますと、土日週休が百四日ありますが、それを含めての西欧諸国との休日数の差というのは大体十日から十六日ぐらいです。休日の比較をすると、大体九〇%前後、休みが多いと言われている西欧諸国の九〇%前後は逆に言えば日本休みがあるということなんですね。  この決定的な西欧諸国との違いというのは、年次有給休暇の要は取得日数付与数の差だというところが結局一番大きな差じゃないのかなというふうに私はとらえました。かつ、その休み休みたいときに取れるのかどうかということ、個人ワークライフバランスに合わせて休み取得できる環境に置かれているのかということこそが大事なことなのではないかというふうに私は感じました。少ない休みであっても、家族自分自身のために自発的に休日を取得できる環境を整えるということで、今置かれている状況の中でも幸福度を高める工夫というのは十分できるのではないかというふうに思います。  そういう意味では、先ほど轟木委員指摘にもありましたように、この働き方、労働時間や労働時間の管理にかかわる労働法制の整備、それから西欧諸国並みに休日を取るということに対して法が強制力を働かせることができるような、そういうシステムというものを考えるべきではないのかなというふうに感じた次第でございます。  もう一点。休みが増えると経済発展に寄与するという仮説についてなんですけれども、確かに休みが増えれば一側面的にはバカンス個人消費が増えるというお話もございますけれども、個人の財布のひもが緩むために必要なことというのは個々人生活がきちんと安定している必要があるわけであります。  そういう意味では、今の日本状況というのは、雇用の問題しかり、医療や社会保障や年金の問題しかり、将来不安につながる問題が多過ぎるというふうに私は思っております。個人消費を増やすためにということであれば、それによって内需を伸ばしたいというのであれば、やはりそれを支えるのは豊かな市民経済力個々人経済力に裏打ちされていなければいけないと思っておりますので、そういう意味でも、この点、社会セーフティーネット終身雇用を始めとする様々な過去日本が持っていた有効なシステム、こういうものを再構築しなければいけないのかなというふうに思っております。  あと最後に一点だけ。議論の中で無気力な子供の話というものがちらっと出てきたというふうに思います。この点について以前から感じていることがありますので、一点だけ申し上げたいと思いますが、子供というのは親の背中を見て育つものだというふうに昔から言われております。私もそうだと思っておりますけれども、その背中を見るべき親の世代というのが頑張っても突然派遣切りに遭ってしまう、仕事を失ってしまう、解雇されてしまうような状況、住む場所すらなくなってしまうと、こういう状況が今世間では当たり前に多発しているわけでありまして、そういう親の背中を見ている子供が将来に夢や希望を持てるわけがないというふうに思います。  将来に向かってこの若い世代次世代日本を担うんだということを考えますと、こういう状況が更に蔓延していくというのは非常に深刻な事態だというふうに思っておりますし、むしろ、昨今の自由市場原理主義だとか金融資本主義というものが破綻したことによって、改めて政策や方向性の棚卸しをする時期に来ている、今こそがチャンスだと思っておりますので、是非とも古き良き日本システム、頑張った者はそれなりにきちんと報われるようなシステムというものを再構築するために我々は知恵を絞っていかなければいけないんだなと、こういうことを感じました。  以上でございます。
  9. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、澤雄二君の意見の開陳も含めて、松あきら君、お願いいたします。
  10. 松あきら

    松あきら君 会長、御配慮ありがとうございます。  それでは、まず澤雄二さんの意見表明を述べさせていただきます。  休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める、この命題については基本的にはイエスです。しかし、幾つかの条件を乗り越える必要があります。その大きな課題一つ労働生産性の向上です。少子高齢化が進んでいる我が国ではこの課題の解決が必須であります。もう一つ、それは幸福度を高めることともリンクしてきますが、前回の意見表明のときにも申しましたが、毎年拡大を続けている格差の是正です。休日を楽しむためにもGDPを維持するためにも、消費する力を国民が持つ必要があります。  労働生産性先進七か国中で最下位であります。我が国は、先進国の中でも極めて高い生産技術と極めて高い能力を持つ労働力を有しております。それなのに生産性最下位なのであります。質の高い仕事に対して正当な賃金が支払われていないのです。質の高い生産に対して適正な価格が付けられていないのです。  このことを目の当たりにした経験があります。二年前に青森の時計文字盤を作っている中小企業を視察しました。高級腕時計文字盤一つ一つのパーツを埋め込んでいきます。これは高い技術コストが掛かります。安い時計は印刷した文字盤を張り付けるだけです。しかし、この企業は、埋め込むのと同じぐらいのクオリティーを持つ印刷技術を開発したのです。さらに、この技術を使うと、これまで不可能と言われていたデザイン性の高い文字盤も自由に作れるようになったのです。このため有名な世界のブランドから注文が殺到しました。しかし、このときの会社の説明を聞いて驚きました。いわく、この技術開発で一個あたりのコストを五円下げることができましたと言ったのです。世界に類のない技術価格に転嫁することはなかったのです。  もう一つ、新潟県の燕市でスプーンナイフなど洋食器生産している工場を視察しました。ここは完成した食器を一つ一つ丁寧に、傷はないか、スプーンナイフなどは持ったときの角度が大事ですから一つ一つ手にして確かめて、合格したものだけを出荷していました。中国や東南アジアはそんな面倒なことはしません。オートメーションで数万個単位で生産していきます。ここと価格で勝負するためには人件費コストを下げるしかありません。ここでも付加価値の高い商品を価格に転嫁することができていないのです。  日本労働生産性が低い原因は、オーバー・ヘッド・コストの高さや賃金体系など様々な問題が潜んでいます。これらを一つ一つ掘り起こして解決していかなければなりません。  休日が多いと幸福度が高くなるのか、この問題を考える一つのヒントが、調査室みずほ総研に委託した調査結果の中にあります。それは主観的幸福度の分析であります。この調査結果によりますと、特に男性で顕著でありますが、十九歳まで感じていた幸福度が、二十代、三十代と年齢が高くなるにつれて幸福度は下がっていきます。そして五十代が一番低くなります。しかし、六十代になると一気に幸福度が上昇し、人生で最も高くなります。  サラリーマンとして現役時代に幸福と感じる要素が高いのは地位と収入です。その夢や希望が年を経るにつれて破れていったのでしょうか。しかし、六十代になって初めてその呪縛から解き放たれたように幸福度が一気に上昇するのです。妻や家族と接する時間が増える、好きなことができる、自由な時間を楽しむことができる、結局、人間はこのことが最も幸せを感じるときなのではないでしょうか。年を経るにつれ幸福度が下がっていく、こんな社会だけは改革しなければなりません。その使命が政治にはあるのだと思います。  以上。  それでは、有り難く、引き続き私の発表とさせていただきます。  今回お越しいただきました六名の参考人の皆様からはそれぞれのお立場からお話しいただいて、日本が次のステージへ進むための一つの指標があったのではないかと私は感じております。「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」という仮説に対して、阿部参考人の御報告のように、労働時間が短い先進国日本よりも生産性が高くて豊かな国があるのであればそれを目指すべきであると思いますし、小倉参考人指摘のように、成果主義を強いられる長時間労働者が疲労やストレスから悪影響を受けているのであれば回避をしなければなりません。  中でも、私は特に印象深いお二人の参考人、自転車で世界一周を成し遂げた坂本達氏と草サッカーから日本一に上り詰めた、大分トリニータを築いた溝畑宏氏は夢を実現させることのさわやかさというものを感じさせてくれました。  お二人には幾つかの共通点があると思っております。まず、グローバルな視点を持ち大局観に優れていること、共に幼少期海外生活経験があり、言葉や人種を超えた交流の中で友情をはぐくまれたことがその人間形成に関与しているのではないでしょうか。次に、人間としての芯をお持ちだということ。坂本氏はミキハウスの木村社長を始め、職場の方々世界一周で助けてくれた人々へ、溝畑氏は大分のサポーターの皆さんやこれまで励ましてくれた多くの先輩や友人とともに感謝ということを語られました。この感謝という芯が人を引き付ける魅力なのでしょうか。そして、夢をあきらめない強さを持ち、自身経験や才能を地域次世代といった他者に還元をされております。  お二人の人間形成には御両親の教育も大きな影響を与えるというふうに思います。世界的数学者であられる溝畑氏のお父様が、食卓に地球儀を置いて子供たちの将来の夢を聞いて坂本龍馬を語る姿が目に浮かぶようであります。夢を語れる大人がいてこそ夢を描ける子供たちが育つ、そして、この夢こそが人々に活力を与えるとも感じました。坂本氏は、子供たちに夢を語るために現在も日本中を回っていらっしゃいますし、溝畑氏は、明治維新の気概でサッカーを通じて大分に元気を送り続けていらっしゃいます。国としても、地方を元気にする文化やスポーツ、エンターテインメントなどもっと活用される工夫が必要だと考えます。  また、ランベッリ氏やペーテルソン氏も家族地域の見直しを提唱していらっしゃいましたけれど、働く女性立場から、スウェーデン式イケアのマネジメントは大変うらやましく大いに賛同いたしますけれど、しかしながら、日本企業に導入するに当たりましては、企業努力もさることながら、国として考え方取組方をシフトチェンジをしていかなければならないと思います。  現今は百年に一度の経済危機下にあります。労働者が望まない形でのワークシェアリングも残念ながら行われております。しかし、中長期的観点に立てば、少子高齢化、人口の減少は確実に労働力不足を招きます。自由時間の取得休暇充実、短時間労働の促進によって、女性高齢者社会に進出しやすくなれば、将来訪れる労働力不足にも対応できると思います。負のイメージのワークシェアリングを新たなステージのステップとしてワークライフバランス充実につなげるように、まさにピンチをチャンスに変えるリードが今こそ国に求められていると考えております。  以上であります。
  11. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、松井孝治君、お願いします。
  12. 松井孝治

    松井孝治君 会長、ありがとうございます。そして、御配慮をいただいた理事の方々ありがとうございます。  この「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」という命題については、そう簡単には一言でイエスとも言いにくいものかなというふうに感じます。幾つかの条件を付けないとこの話は正しいとは言えないんではないかと。  その一つ条件といいましょうか制約は、この命題必要条件なのか十分条件なのかという意味において、一定の条件での勤務体系を考えたときに、やはり休日・休暇が逆に非常に少ない、不十分である、それは一般的に人々幸福度を落とし、国民経済に対しても悪影響を及ぼすという意味においては、私はそのとおりではないかと。では、休日・休暇が多ければ、本当にその個人が幸福になり、国民経済が豊かになり幸福度が高まるかといえば、それは必ずしも論理必然にそうではないのではないかというふうに考えるわけであります。それは、その一人一人の国民がどういう勤務条件で、その勤務というものにどれだけの自己充足を感じて働いているかということによって全然違ってくるわけであります。  最近、私がある方と話をしまして、その方はフリーターであります。その方にとっては、お盆休みあるいは年末年始のお休みというのは、実は非常に想像するだにつらい期間なわけであります。多くの安定的な常用雇用の下で働いているサラリーマンの場合は、当然、お盆休み、年末年始の休暇というのは非常に貴重な家族との触れ合い、あるいは遠く離れた親族との触れ合い、友人との触れ合い、貴重な機会だと思うんですが、その方にとっては、その期間、職がないあるいは雇用が全く保障されない。こういうものをもって、その定義として休日とか休暇というのかと言われれば、それは違うということかもしれませんが、例えばそういう意味で、先ほどどなたかの御意見にもありましたが、あくまでも安定的な常用雇用の中で休日・休暇保障されれば、それはその人間にとって幸福であったとしても、そういうことではない、今の非常勤の形で働いている不安定な雇用状況の中で幾ら休日が増えても、自らの生活の不安定しか意味しないということもあるわけであります。  同様に、今言及がありました一部の方々お話参考人方々お話にもありましたように、いかに休日・休暇が少なかろうと、その勤務というものを自ら選択し、その勤務の中に非常に高い自己充足を見出している方々にとってみれば、休日・休暇が少なくとも非常に幸福度が高い生活を送っておられるということはあり得るわけですし、また、それがある程度、国民経済的にもそういうことがマクロの集積として実現し得るという可能性も私は排除できない。要は、勤務というものがどこまで自己充足につながっているのか、あるいは大きな組織の中で歯車として、ある意味ではコストとしての勤務、負担としての勤務なのかどうかというところがより大きく影響していると思います。  ただ、トータルから見れば、当然大きな組織の中で自由度がない、自分で選択がない、自律的な判断ができないような時間が圧倒的にその個人のあるいは国民経済の多くを占めているというのは、当然のことながらそれは一般的に言うと幸福度を下げるし、国民経済全体の生産性も下げるので、総論としては、この仮説というのは、私は蓋然性としてはこの仮説には賛同するわけでありますが、もう少し休日・休暇の内容であるとか、休日・休暇以外の勤務の質的な側面というものを検証しないでこの議論、この仮説に賛成、反対と言うのはやや問題があるかなというのが私自身の見解でございます。  ありがとうございます。
  13. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  続きまして、長谷川大紋君、お願いします。
  14. 長谷川大紋

    長谷川大紋君 自由民主党の長谷川です。  先日の調査会でも申し上げましたが、昭和六十三年以降、我が国労働時間は大幅に少なくなっております。しかし、先般の阿部参考人の資料によりますと、ドイツやフランスに比べるとまだまだ多いとのことであります。ドイツやフランスは合理的に仕事をこなすため、時間単位の生産性日本より高いというのが原因の一つであると言われます。日本は、国民性や文化によって接客やコミュニケーションを大切にするため、本来の業務以外の労働に時間を要し無駄があるとのことでありますが、私は、それが日本人の働き方であり、悪い面ばかりではないと思っております。  日本企業は、ユーザーのニーズを的確にとらえ、そして対応をし、製品が信頼された結果、世界に大きく進出し、安心と信頼を得たわけであります。勤勉でまじめな国民性がもたらした結果であると思っております。アジア各国から目指すべき国として尊敬され、また、欧米からは嫌がられるほど日本人は勤勉で働いたわけであります。  現在、国民の総資産は千五百兆とも言われておりますが、その六割は六十五歳以上の高齢者方々が持っているそうであります。それらは、かつて四十八時間と言われた時代を無我夢中で働いてきた方々であります。お金があれば幸せとは限りませんが、やはりある程度蓄えがあれば気持ちも豊かになるのでなかろうかと思います。  また、私は中小企業の経営者でありますが、現場からの報告では、最近の若い社員は集中力がない、先ほども出ておりましたが、また、注意をするとすぐに会社を辞めてしまうと言うなど多く見られるそうであります。その原因の一つは、学校の休日が増え過ぎたゆとり教育にあったのでないかと私は思うのであります。週休二日制が定着し、年間百七十日もの休日がある中で育った若者が本当に社会に出てまじめに働こうと考えること自体が難しいのでないかとさえ思うのであります。  余談でありますが、日本世界でも類を見ない長寿企業国家であり、創業千年以上の企業が七社もあります。そのうち、世界で最も古い企業は、西暦五七八年、飛鳥時代創業の宮大工、今でも大阪にあるんですが、金剛組という建設会社が、宮大工があるわけであります。聖徳太子の命で四天王寺を造った企業であります。千四百三十一年、世界で最も長い企業であるわけであります。創業二百年以上の企業が三千百四十六社、百年以上が五万社、このような国は世界にはないそうであります。その九割は従業員が三百人以下の中小零細企業だそうであります。  日本に長寿企業が多い理由として、第一点、本業重視、第二点が信頼経営、三番が透徹した職人精神、血縁を超えた後継者選び、五番目が保守的な企業運営などが挙げられ、日本経済が一九八〇年代の円高、また一九九〇年代の長期不況から脱することができましたのも、素材、部品分野で先端技術を保有する長寿企業の役割が大変大きかったと言われているのであります。  日本人は、古くから愚直なほどまじめな国民性でありましたが、近年、生活や文化の多様化、教育、勤労の時間短縮などにより日本文化や国民性のいい部分が失われつつあるのではないかと大変危惧するところであります。勤勉で働き者と言われたその時代の精神を取り戻し、日本人に合っております終身雇用制度を再度確立させることが私は日本の目指すべき国の在り方と考えております。  以上であります。
  15. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、行田邦子君、お願いします。
  16. 行田邦子

    行田邦子君 「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」というこの仮説に対して、私は全体的な話として、三つの条件があればそれは可能であるというふうに、あくまでも全体的な話ですけれども、というふうに考えております。  その条件一つ目が、休日・休暇が多くなることによって新しい労働力を確保できるということです。二つ目が、先ほど来からお話がありました労働生産性が高められるということ、三つ目が安定した雇用ということだと思います。  一つ目の新しい労働力を確保するということについては、これはこの調査会でも前のテーマのときにもお話が、議論があったかと思いますけれども、休日・休暇が多くなることによって、今までなかなか、現役の男性と同じような働き方では働くことができないと思っているようなお子さんがいらっしゃるような女性、お母さん、あるいは高齢者の方が、今まで労働力として労働市場に出てこなかった者が新しい労働力として労働市場に出てきて働くことができるということができれば、休日・休暇が多くても国の経済力を伸ばし、そして国民幸福度を高める一つ条件となるというふうに思っております。  二つ目の条件労働生産性の問題ですけれども、物づくりの現場での労働生産性というものを高めるという議論ももちろんありますけれども、同時にホワイトカラーの労働生産性というのもまだまだ高める余地があるのではないかなというふうに思っております。  一つは、労働現場でのIT化の促進ですね。最近よく行政府というか官僚の方といろいろお話をしていて思うんですけれども、どうも国の、政府の中でもまだまだIT化が進んでいないといいますか、かなり遅れているなと。そのことによってかなり、一つ仕事をすることによっても手作業が多かったりとか、そういうことの、言ってみれば労働生産性が低い部分というのもまだまだホワイトカラーの中にも見受けられるなと思っております。これはもしかすると民間企業でも言えることかなと。  それから、私も実際に民間企業で働いていて思うんですけれども、だらだら働くという習慣が付いている企業というのは多いかと思うんですね。例えば、ちょっとかなり体育会系の企業ですと、お昼の休憩時間を取るときに上司である部長がまずお昼に行かないとみんな席を立てないとか、それから、上司である部長が夜先に帰らないと皆さん本当は仕事が終わっているのに帰れないといったような職場風土もまだまだ見受けられると思います。そういったホワイトカラーの労働生産性というのも高めていかなければいけないと、これが二つ目の条件です。  三つ目の条件は、雇用の安定、これはもう言うまでもないと思うんですけれども、休日・休暇ということを言う以前に、非正規労働者の方というのはまず安定した仕事が得られていないと。そういうことであれば、国民幸福度を高めることはできません。日本全体として雇用の安定が図られる、この三つの条件が整えば、全体的な話としてはこの仮説は成り立つかなというふうに思っております。  そして、先ほどの長谷川先生のお話ともちょっと共通するかとは思うんですけれども、ちょっと話がずれますが、私が思うには、働き過ぎというのは解消しなければいけないと思いますけれども、ただ、日本人の美徳というか、良い部分として、働くことの喜びということ、働くことは良いことだという考え方があると思うんですね。これは崩してはいけないというふうに思っております。  私自身、学生のころ、スペインに一年間おりまして、そうすると非常にカルチャーショック受けたんですけれども、スペイン人にとっては、働くことというのはむしろ神様が人間に与えた罰であるというようなことをよく彼らは言っていたんですけれども、働くというのはつらいことであると。休日をいかに楽しく過ごすために、そのために労働というのがあって、嫌々仕事をしているというようなことをよくおっしゃる方が多かったんですね。これはもう根本的に日本人の価値観と異なるなと思っていまして、働き過ぎは解消しなければいけないけれども、働くことのすばらしさという、その日本人が持っている独特の価値観というのは失ってはいけないなというふうに思っております。  以上です。
  17. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  続きまして、山田俊男君、お願いします。
  18. 山田俊男

    ○山田俊男君 ありがとうございます。楽しい話を二回にわたって、また元気が出る話も聞かせていただいたかと、こんなふうに思っています。  あくまで私の頭の中の整理メモという感じなんですけれども、一定の所得がないと生活に必要な要求を満たせず満足感を味わえないということでありますし、さらにその所得をどのような働きで実現するかということによって、必要な要求の中でも重要性の高い休日や休暇による自己実現という満足度を高めることができないのではないかと、こんなふうに思います。その意味では、所得の実現やその所得実現のための時間等が必要な要求を満たす満足度に大きくつながっているというふうに整理します。  ところで、このことを分析するための要因なんですけれど、一つは、所得の水準やその所得実現のための時間は、国民一人一人にとっては所与のといいますか、もう自分で選べない、その国の経済発展のレベルによって異なるのだろうということであります。それから二つには、必要な要求の内容や質とそれを満たす満足度については、それは国民一人一人の感性や受け止めという個人的なものだということであります。もちろん、大衆社会状況といいますか、そうした中で国民一人一人の感性や受け止めも経済発展のレベルに影響を受けるというのは間違いないわけでありますが、ともかく要因の一つは、その国の所与の、与えられたその国の経済発展のレベルでもありますし、それからさらには個々人の感性や受け止めという個人的なことなんだろうと、こんなふうに思います。  以上から、ある程度の経済発展の中で所得が実現でき、それがまた休日・休暇も含めた多様な国民一人一人の満足度を高めることにつながっているというふうに結論付けられると思います。そして、当然、国民一人一人の満足度は多様なものであるわけですけれども、経済発展がもたらす社会変化の中で生ずる、例えば多様な文化やそれから多様なスポーツやそれから多様な自己実現のための方策の中で満足度を高めさせていくことができているかなと、こんなふうに思います。  ところで、それじゃ経済発展が進まないで所得の確保が十分でない国ないしは社会の下では十分な満足度が得られていないのかというと、そうは言えないのであって、国民一人一人の必要な要求の内容や質が質素で、それから自然の営みそのものである国ないしは社会の下ではそれはそれで平和で不満のないものだというふうに言います。その意味では、これは結論ですが、幸福度はその国や社会経済発展在り方に応じた相対的なものであるというふうに考えざるを得ないというふうに思っております。  私の整理だけでありますが、以上です。ありがとうございました。
  19. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、川崎稔君、お願いします。
  20. 川崎稔

    ○川崎稔君 ありがとうございます。川崎でございます。  今回、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」というこの仮説につきまして、大変有益な御意見参考人の皆様からお聞きすることができたということで、関係者の皆様には感謝を申し上げたいと思います。  この仮説についてなんですが、私はやはりこの問題、個人個人というミクロで考える部分と国全体というマクロで考える部分に分けて考える必要があるのではないかと思います。そういう意味では、先ほど大門委員おっしゃったように、合成の誤謬みたいな問題がどうしてもこれはあるんじゃないかなというふうに考えます。  まず、ミクロというか、個人個人で考えますと、休日・休暇というのは二つの側面があります。  一つは、まず働く者という立場で見ますと、休日・休暇というのは、やはりより良い仕事をするための休息であるとか、あるいは疲れていては良い仕事はできませんから、そういう意味でもしっかり適度な充電をして仕事の質を高めていくための役割があるということがございます。  もう一つ、今は働く者としての立場で申し上げましたけど、もう一つ消費者という立場で考えますと、休日とか休暇ということは消費活動を行っている時間帯なんですね。要するに、働いている方にとって消費活動というのは休日とか休暇に行われますから、そういう意味で、レジャーあるいは買物、趣味と多面的な活動に充てられるという意味では、その休日・休暇というのは、まさに先ほど来話が出ておりますように、個人消費あるいは購買力という点でもプラスになると思います。  今申し上げたようないずれの側面から見ても、休日とか休暇というのは経済力を伸ばすという意味ではプラスなんだろうなというふうに考えるわけでございますが、じゃ、そこで、その国全体、マクロで考えるとどうかというのがまさに合成の誤謬だと思っていまして、まず、この仮説で言う経済力を伸ばすという点について言うと、先ほど来先生方がおっしゃっているように、労働生産性を上げなければいけない、あるいは雇用を増やしていかなければいけないということで、一人一人が休暇をたくさん取っても、国全体としての労働力は一定の労働力を維持するということがその経済力を伸ばすという命題について必要なことなんだろうなと、そういう意味での条件が付くということだろうと思います。  もう一つ、その幸福度を高めるということについてもこれはやはり条件が付くわけでして、これも繰り返しになりますが、仕事にやりがいを感じていらっしゃるという方も当然いらっしゃるわけですし、あるいは休みの日に趣味とかに生きがいを感じるという方もいらっしゃるわけですから、これについても、幸福度を高めるかどうかというのはある意味では条件付きということになろうかと思います。  そういう意味で、私も今回の議論について考え方を整理しながら申し上げたわけですが、最後に結びとして思い出しましたのが、バブルのころにいろんな会社ではやりました制度に、長期休暇制度、リフレッシュ休暇制度というものがいろんな会社で導入をされました。これはもう、一つ、本当にバブル全盛のころにかなり広まった制度なんですが、よくこの休暇制度を議論すると話に出ますのが、二週間とかそういう長い休暇を社員の方がもらっても、実はその二週間、例えばどこかに旅行へ行こうと思ったら大変なお金が掛かると、そういう意味では、お金がないから休みをもらっても遊べないんですというふうな話をされる若い方なんか結構いたんですね。  そういう意味では、休暇と休日というものと経済力というのは、ある意味では裏腹の関係というか、それぞれの裏付けがないと有効には活用されないなということを思い出しました。  そのことで、取り留めのない話でございますが、私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。
  21. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、石井準一君、お願いします。
  22. 石井準一

    ○石井準一君 改めまして、六人の参考人の意義深い話を聞かされ、自分自身、改めて幸福とは、幸福感とは、幸福度という言葉の持つ意味を改めて考えさせられました。  自分自身、幸福とは極めて主観的なものであると同時に、本人が満ち足りているという感じを持っていること、また、周りから認知されている状態、すなわち充実している日々を送ることができることがとても大切であるということを改めて感じさせられました。  参考人それぞれのいろいろな体験談や自己の確立、人間形成の話を聞き入ると、自身が何を求め、その目標に向かって努力を積み重ね、結果をいかに見出していく、そのやはり実践の過程において、満足、安心、豊かさなど、人の願う中、逆にそのものにあるのではなく、それを得ようとしたり持続しようとする緊張感の中の努力に存在するものであるということを感じさせられました。  よく幸福感を持っている人に共通する、また参考人に共通することを自分自身で分析をしたときに、やはり特徴は、自分自身が好きであること、主体的に生きているという感覚をしっかりと持っていること、多少楽観的であるということ、外向的であるということとも言われますが、参考人がまさにお一人お一人が共通の認識を持っておられたなという思いをいたしました。  休日・休暇においても、自分自身の人生において、やはり長期的、総合的、根本的にしっかりと思いをめぐらすという時間の必要性、そして、休みを通じて家族社会、教育や文化政策の必要性をしっかり感じ取ることの大切さも参考人から学ばせていただきました。  そうした時間の使われ方によって、近い目標から遠い目標まで自身の生き方や考え方も含めて力いっぱいに人生を生き抜くことが充実感であり、幸福感につながっていくのではないでしょうか。何よりも、一生涯その目標を失わないでいる限り幸福度が高まっていくのではないかということを学ばせていただきました。  休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし国民幸福度を高めるという意義は、その環境に置かれた人それぞれが自分自身に与えられた有意義な時間ととらえ、さらに、次の目標を抱き達成しようと努力を続けるためのものであり、まさに参考人の発言にも時間の考え方と使い方によってやはり人生は変わると、体を休め精神をリフレッシュするための休日・休暇の必要性についても述べられておりましたが、その成果を一つ一つ蓄積をし、すばらしい社会を築いていくことに役立てる、その大切さを参考人から学ばされたような気がいたします。  幸田露伴のこうした言葉を紹介をしたいと思います。我々はややもすると努力しないで事を成し遂げたいと考えがちだが、こういう考え方はきっぱりと捨てよう、努力よりほかに我々の未来を良くするものはなく、また努力よりほかに我々の過去を美しくするものはないのである、努力はすなわち生活充実であり、努力はすなわち各々の自己の発展である、そして努力はすなわち生きることの意義そのものなのであるという言葉があります。参考人からすばらしいことを学ばせていただいたなと思います。  ありがとうございます。
  23. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、加藤敏幸君、お願いします。
  24. 加藤敏幸

    ○加藤敏幸君 新しいやり方で研究会が進んでおりますけれども、何となく学生時代に返ったようで、矢野教授の下でセミナーが行われると。  まず、今回の仮説でやっぱり一番難しかったのは、国民幸福度という概念が、なかなかこれがちょっと難しかったなと。私としては、国民不幸度を下げるというんですか、不幸の種をなくすためにはというふうな方が議員としては扱いやすかったかなと、こんなふうに感じていますので。不幸の種をなくすためにはどうすればいいのかといえば、一番いい処方せんは、所得順位で並べて下から六割の人の所得を五割増しあるいは倍増してしまえば、税収も増えるし、いろいろと品物も売れるしということで、これは一つの解決策であります。それは、ある意味経済政策でありますとか富の再配分含めていろんな施策が出てくるというふうに思います。  また、休日・休暇というところは、やはり一日の労働時間も含めて一つの大きな議論の対象とすべきだと。それから、経済力を伸ばすといったときに、力が付いているのが経済力という、ここが何かまたなかなか難しいというんですか、少し考え過ぎてしまったんですけれども。ともかく国民経済活動総量を増大させるということを逆に言えば、先ほども御意見がありましたように、生産消費に投下する時間資源のバランス論であり、やはり生産中心の時間消費社会から、バランスの取れた、消費にも十分時間資源が行き渡ると、そういうふうな私は社会をどう目指すのかというところから少し政策論が出てくるんだと思います。  ただ、少子高齢化がやっぱり進む中で、しからば生産を支えるための労働時間の不足なり、これをどういう形で将来確保していくかというところが、一方でいわゆる消費の方に、生活時間の方に時間資源を配分するということになると生産の方の時間資源が更になくなるという意味で、ここが非常に議論としてはネックになっているということがマクロには言えるというふうに思います。  ここは最終的には一人当たりということで、ロボット化だとか、そういうふうに一人当たりの付加価値というんでしょうか労働装備率を上げていくということしか解決策はないわけでありますけれども、労働生産性ということからいけば、やはり利益が出ないと労働生産性というのはなかなか上がらない、給料が高くないと労働生産性というのは指標としては高くは出ないということから、私、一つだけ最後に現場の実例を皆さん方にお話をしたいというふうに思います。  携帯電話なんです。携帯電話は、今メーカーが九社に減りました。これはこれからも減っていくかも分かりません、キャリアと言われているドコモだとかなんとかは何社もあるわけですけれども。それで、皆さん、これ、新モデルを作るためには開発期間は一年掛かるんです、最低でも。そのぐらい大変なんですよね。半年に一回モデルチェンジするということは二チーム要るんです、開発チームが。そうすると、三月に一回モデルチェンジの競争に入ると、一社当たり四チーム。これは、キャリアが違いますと、その数だけ更に要るわけです。単純に言って国内には三十から四十、開発チームがこれがあるんです。しかし、携帯電話の売れ行きというのは、下がることがあっても増えることはない。トータルの価値というのは一定か減少する中で、三十何チームがしのぎを削って必死になって毎晩遅くまで、土日も働いているという、こういうふうな産業競争構造の中にあって本当に一人当たりの指標としての労働生産性が上昇していくのか付加価値が増えていくのか。  だから、忙しいのは山ほど忙しいんだけれども、なかなか生産性が上がるという指標には結び付かないという、こういう日本のメーカーの現場というものが、携帯電話以外にも我が国が得意としている各種物づくりの分野についてこれがあり、これが労働の現場で行われている限りにおいては、なかなか仮説指摘されているようなところにまで話が行かない。ここを解決していくことが、ある種ミクロの議論では、まあ幸福度というんでしょうか、不幸度を下げていく構図をつくっていくと。したがって、マクロの議論とミクロの議論の仕分がこれから必要ではないかということを申し上げて、終わります。
  25. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  佐藤信秋君、お願いします。
  26. 佐藤信秋

    ○佐藤信秋君 佐藤信秋でございます。  参考人の六人の皆様に大変有意義なお話を伺って、ああ、なるほどなと、目からうろこみたいなところを感ずることが多かったところであります。  仮説の二、休日・休暇の多い国は国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める。総体としては、私自身はそういうことかなと思いながらお話を伺っていました。今は、いろいろ先生方のお話を伺いながら分かりやすさという点でいうと、この仮説をひっくり返してみて、国の経済力を伸ばして国民幸福度を高めるためには、休日・休暇をどう多い国にする、この方が私なんかの頭の中には分かりやすいかな、こんなふうに思いました。  もちろん、そこには一定の条件があるということを参考人の皆様からいろいろお伺いしたわけでありますが、その場合、一定の条件としてはたくさんあるんでしょうけれども、それぞれ個々人にとっては収入一定の下でと、こういうふうに考えた方が分かりやすいかなと。それが積もり重なると、そういう条件の下では国の経済力が伸びて、そして幸福度もそれぞれ高まって、そのためにこそ休日・休暇を多くするんだと、こういう仮説の方が成り立ちやすいかなと、こんなふうに思っているわけであります。  それはどういうことかというと、実は女性高齢者の皆様がもっと多分お働きいただくというのが本当は今の時代であり、これから日本という国が目指そうとする姿なんだろうなと。少子高齢化という中で、そうすることが国全体の経済力を高めていくみたいなことになっていくんだろう。そういう条件で考えると、女性高齢者がもっと活躍していただくためにはと、こうなると、実は、それぞれ個々人の問題として言えば、休日・休暇を多く取る。それこそ、ワークシェアリングじゃなくてワークライフバランスをそれぞれが取るということによって逆に、イケアお話じゃないですが、ペーテルソンさんのお話じゃないですが、労働の可撓性と言えばいいんでしょうか、要するに、それぞれ個々人ワークライフバランスを取りながら、その補充空間を、補充をいろんな人たちがやるんだ、フルとパートでやるんだと、こういうふうな社会になっていかないとワークライフバランスをちゃんとしたものとして取っていくのは難しいだろうと。  そういう意味では、きちっとしたワークライフバランスの導入をやっていこうとすると、女性にしろ高齢者にしろ、同一価値同一賃金まで行ければ一番いいんですが、片や正社員が八時間働いて、用事があるから、あるいは看護で休暇を取らないかぬ、こういうときに、それを十分補って余りある労働力日本として全体として担保するためには、女性高齢者がどんどんと活躍していただかなくちゃいけない。そんな構造を考えていくと、仮説と逆にした方が私なんかの目指す方向みたいな議論でいえば分かりやすいかな、こういうことに思いましたですね。  阿部先生の、日本流にワークライフバランス、大企業、大部分取っているんだと、そういう会社が伸びているんだと、こういうお話がありましたが、そこは、この前も申し上げたんですが、多分イケア流のワークライフバランスと違って、というか、フル、パートと違ってと言えばいいんでしょうかね、労働力の活用の仕方というのが残念ながら日本の場合には、派遣の場合には七割を超えると、正社員に対してですね。そこのところはたしかヨーロッパ、多くの国は、同一労働に対して単価は違えちゃいけませんよというのがたしかあるはずなんですが、法律としてですね。そういう意味で、日本もそうなっていって、置き換わるべきというか、互いに補充し合うという、正社員とパートが、というような関係が築けていけたら、冒頭に申し上げたひっくり返した仮説というのが成り立っていくんだろうと。  だから、そっちの方、これはまあ明るく考えればというか、将来を目指して明るい方向で考えれば、そんなふうに目指すことができたらいいなと思いました。  以上であります。
  27. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、大久保勉君、お願いします。
  28. 大久保勉

    ○大久保勉君 今回の命題に関しましては、百年に一回の経済危機とか、こういった状況では非常に面白い命題だと思います。    〔会長退席、理事岩城光英君着席〕  休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高めると。この休日・休暇の前に、例えばサービスを消費する休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高めると、こういうふうに考えましたらもっともだと思います。今、日本が問題なのは、貯蓄はいっぱいあります、また輸出は過剰です、ところが内需が少ない。ですから、より質の高い消費を、サービス消費を高めていくことが国の経済力を伸ばす、また当然ながら国民幸福度を高めると、こういうふうに考えた方がいいのかなという結論に達しました。  今回の報告で、二名印象的な話がありました。  ミキハウス人事部の坂本達さんのケース、いわゆる自分の好きなことをやる、また会社を応援する。ところが、ミキハウスの社長から考えましたら、ミキハウスのマーケティングの一部門でありますし、広報宣伝活動に関して多大な寄与をしておりますから、会社としては非常に価値があることです。そこに対して報酬を渡すということで、非常に面白かったと思います。  また、大分フットボールクラブ代表の溝畑宏さんのケースでも、彼は経営者としまして、いわゆるスポーツを振興し、人の楽しみをつくり上げるという仕事なんですが、彼自身ワークホリック、もうほとんど休んでいないような状況だと思います。ただ、彼自身としては非常に楽しみがあると思います。  ですから、今回考えるべきことは、労働の形態が多様化しているということです。ですから、例えば額に汗して働くこと、このことを否定して、働くこと自身が別の価値を生み出すとか、いわゆる汗を流すような仕事は、いわゆる工場のオートメーション化とか若しくはオフィスオートメーション、IT時代といいますから、機械にやらせた方がいいと思うんです。    〔理事岩城光英君退席、会長着席〕  機械にはできないような価値を生み出すのが人間仕事ですから、人間の価値というのをもう一回見直しまして、それがどういうものかといいましたら、是非とも消費したい、若しくは消費させたいような価値だと思います。その裏側にはそれを供給するような人が要ると思います。  その点で、例えばこれからの働き方としましては、例えば芸術家とかスポーツ選手とか経営者、弁護士、いわゆるプロフェッショナル、つまり非常に質の高いサービスを生み出すような人たちが中心になるような労働形態が増えますから、こういったところを伸ばしていくことが今回の命題のとおりになると思っています。  じゃ、具体的にどういうふうにしたらいいか。それは個々の産業によって違うと思いますが、前回議論したものとしましては、特に日本の職場に関しましては、ジョブディスクリプションですか、職務記述書というのがありませんで、どういった仕事が求められているのか、どういった仕事が価値を生み出すかということに関しては余り決まったものがない。この辺りをきっちり決めまして、それに対して報酬を与えていく。ですから、拘束時間とか労働時間というのは余り報酬に関係なくしていくような働き方が必要じゃないかと今回思いました。  最後に、まとめとしましては、今回の命題のとおりに、休日・休暇が多い国というのはやはり生産性が高いんです。ですから、生産性が高いところに人材を投入し、またそういった人たちを活性化するような国をつくっていくことが休日・休暇が多い国を実現し、経済力を伸ばし、そして国民幸福度を高めていくんじゃないかと思います。そのためには、まず政治自身が質というのをもう少し重視しないといけないのかなと思っています。  以上です。
  29. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  それでは、森まさこ君、お願いします。
  30. 森まさこ

    ○森まさこ君 森まさこでございます。  議論の中で、休日が多いことが必ずしも幸福度を高めるわけではないというような御意見が聞かれました。その理由として、生きがいや仕事に対する満足度が高ければ労働時間が長くても幸福度があるのではないか、また、参考人の中からは、個人の中でワークライフバランスが取れていればよいのではないかという御意見もございましたが、私は、そこには家族であるとか地域という側面がない、極めて残念な視点であるというふうに感じました。  労働時間が長く生きがいを感じて働いている男性の妻や母親は幸福度があるのでしょうか。その男性のライフの部分、家事や育児を主にしている家族のそういう意見も含めての国民幸福度を考えていただきたいと思いました。今回の命題にも国民幸福度というふうになっておりますので、私は、幸福度を考える上では、是非家族単位で考えていただきたいと思いました。  もちろん、女性が役割分担として納得していればよいものというふうに考えますが、必ずしもそうではない場合もあると考えます。例えば、女性が働いていて第一子を妊娠した場合、その七割が離職をしております。その離職をした女性のうち三割が不本意な形で離職をしたというデータが出ております。育休切りという言葉もありますが、肩をたたかれるなどをして、働きたいのに辞めているという現実がございます。  また、離職した女性の中の五割は自発的に辞めましたと答えていますが、その自発的に辞めた理由の中に職場に迷惑が掛かるためといった理由も見られます。そして、第一子、七割離職しないで三割の方は働いていらっしゃるわけです。お子さんを持ちながら働いている。その方が第二子を妊娠した場合は、その六割が仕事を辞めています。その辞めている理由が、第一子の経験から、育児と仕事との両立は体がもたない、体力がもたないと考えたから。その主な理由が、夫の協力がないからということが述べられております。  こういったことを考えますと、ワークライフバランスというのは、やはり個人ではなく家族単位又は高齢者等で地域を支えていらっしゃる方、そういう方の働きもあっての国民生活でありますから、家族地域の単位で考えていただきたいと思いました。  阿部参考人の資料の中に、日本の男性は育児に一日のうち費やす時間が三十三分というデータがございました。これは諸外国の中でもちろん最下位でありますし、目立って短い時間であります。それについて参考人が、日本人の男性は仕事の時間が長いから育児に掛ける時間が短いというふうに報告をしておられましたが、よく資料を見ておりましたら、実はそうではない。仕事だけではない、仕事が忙しいことが理由だけではないということが分かってきました。つまり、仕事時間と育児時間を足した合計時間が、もし仕事が忙しいので育児が短いのであれば、その合計時間は諸外国の男性と同じになるはずですが、実は諸外国の男性よりも大変短いんです。  じゃ、仕事と育児のほかに日本人男性は何をしているんでしょう。自由時間です。自由時間が長いのです。会社帰りの会食やゴルフ等の時間、これも仕事には大変関係のある重要なお付き合いであるということもよく分かっておりますが、家族単位のワークライフバランス、そしてそこからくる幸福度ということを考えますと、今後はこの自由時間の使い方というものも考えていただきたいな、そういうことも含めてのワークライフバランスということを是非御検討いただきたいなと思いました。  そこで、面白い資料がございますが、ベネッセ次世代育成研究所の調査で、妊娠中は妻の七割が夫への愛情を実感しているのに、出産や育児を経験した一年後には四割に減少していると。出産をすると夫への愛が低下するという、そういう新聞記事がございました。その理由が、やはり子育てに夫がかかわってくれていないということで妻の幸福度の減少になっているというふうに考えます。  先ほどから、このワークライフバランスによって女性仕事にも参加できるようになれば、子供も生まれてそして労働力が確保できるので、将来的には生産性も高まるという観点ワークライフバランスを取るということが議論されておりますが、結論としては、私は賛成ではございますが、やはりそもそもが女性の働きたいというその意欲をかなえるという意味で、女性の自己実現に向けて女性雇用環境を改善すると、そういうことでのワークライフバランス経済力だけで考えてほしくないなという面もございます。もちろん結論として、この命題にございますように、経済力が伸びるというふうに考えます。  ありがとうございました。
  31. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  続きまして、広田一君、お願いします。
  32. 広田一

    ○広田一君 どうもありがとうございます。  まず、森先生のお話を聞きまして、多くの、大多数の男性を代表して深く反省をしなければいけないなというふうに感じたところでございます。  さて、まず、本調査会仮説である「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」ということにつきまして、私は、参考人皆さんお話を聞いておりますと、休日・休暇が多い国がというふうに言うよりは、働き方と休み方の選択肢が多い国というふうに考えた方が経済力を伸ばすというところにつながっていくのではないかなというふうに思いました。労働時間と労働生産性関係、またワークシェアリングをした会社の方が成長しているというデータの御紹介もございましたし、ただ一方で、ペーテルソン参考人がおっしゃったように、ワークシェアリングが進んでおりますスウェーデン方式、この欠点が、ストレスが高まるというふうなことをおっしゃっておりました。仕事から解放されてストレスが減ると同時に家庭内のストレスも増えていく、こういうふうなことなのかもしれませんけれども、そうであると、やはり休日・休暇が多いというふうなところと国民幸福度が高まるということが果たして直接的に結び付くのかどうかというふうな感もいたしたわけでございます。  ただ、いずれにいたしましても、働き方と休み方の選択肢、つまり多様性というものが多くなればなるほど国民全体の余暇というものは増えていくわけでございますので、その結果、コミュニケーションパワーとか、大久保委員のおっしゃったようなサービス、そして交流人口の拡大というのが期待されるわけです。日本商工会議所の試算によりますと、四十万人の交流人口で一万人の定住人口に匹敵する経済波及効果があるというふうなことでございますので、そういった意味でも経済力を伸ばしていくのかな、こういう思いもいたしております。  また、今回、異口同音に各先生方が、今回の参考人皆さん大変良かったというふうなお話がございました。私も同感でございまして、特に今回、私と同じ四十代の坂本参考人であるとか溝畑参考人からは大変刺激を受けました。有給休暇を百年分既に消化し世界一周した坂本参考人と、大分という地域で家庭を犠牲にしてまで仕事に打ち込む溝畑参考人。一見対照的でございますけれども、やはり根っこは同じ、やる気、元気、前向きな方でございました。発展途上国で井戸を掘ったり診療所を造った坂本参考人お話とか、大分トリニータをつくった溝畑参考人というものは、やはり地域づくりというふうなところでは共通するのかなと思います。  その話を聞いたときに、私自身、以前先輩方からふるさと高知で聞いたんですけれども、私の出身は高知でございまして、よく子供のころから、坂本龍馬の話とか中岡慎太郎の話とかジョン万次郎とか吉田茂さん、浜口雄幸さん、そういったような郷土の偉人のお話は聞くんですけれども、と同時に、私が覚えているのは学校づくりというふうなお話です。  昭和二十二年に私の地元の清水というところで清水高校というのができたんですけれども、昭和二十年に戦争が終わり、昭和二十一年に南海大震災が起きました。地域は疲弊して、若者はいない、大変厳しい状況であったんですけれども、そのとき、やっぱり地域皆さんの思いは、これからは教育だという思いがあったそうです。ですから、学校をつくるにしても、当時の行政にはお金がありませんので、全額町民の寄附で学校をつくったと。しかしながら、自分たちは建物は建てれるけれども英語とか数学とかを教えることができないので、それはやっぱり行政、教育委員会の仕事じゃないかというふうな話を聞いたときに、やはり地域というふうなところを元気にしていく、そういうふうなリーダーの在り方、それを引っ張っていく条件というのを改めてお二人の話を聞いて感じたわけでございます。  今そういったリーダーたる人物がだんだんだんだん地域で少なくなってきているわけでございますけれども、そのことを考えたときに、やはりそれをつくった原因は一体何なのか、中央集権的な国家なのか、それともほかに原因があるのかどうか、こういうところを私たちは検証しながら、これからの国づくりというものを考えていかなければいけないと、改めて感じたわけでございます。  以上です。どうも失礼しました。ありがとうございます。
  33. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、若林正俊君、お願いします。
  34. 若林正俊

    ○若林正俊君 最近、世代間、自分が少年期、青年期、そして一番の働き盛りの時期、それを過ごしてきたその過ごし方の違い、時代の違いというようなことをしみじみと感ずるようになっております。当然のことながら、私は、軍国少年と言われた戦中で小学校をやり、戦後の混乱期で中学校にいて、やっと安定してきたのが大学に入ったころでございました。それ行けというような生き方をすることが日本社会全体のみんなの共通の認識のような、そういう時代に育ってきたわけですけれども、さあ、そういうようなことを経て今日に及んで、振り返ってみてどうなのかということを考えさせられます。  この調査室の委託調査、みずほ総合研究所の幸福度に関する意識調査の中で、一番真っ先にこの調査の背景と目的が書かれておりますけれども、背景として言うと、戦後から現在にかけて一人当たりのGDPが五倍ないし六倍になったんだけれども、国民幸福度、これは国民生活に対する意識調査ですけれども、それを見ますと、一九六〇年以降、もうほぼ横ばいになっていると。この五十年ぐらい幸福感というのは横ばいであるということなんですね。GDPが五倍ないし六倍になっているのに幸福感というのが横ばいでずっと推移してきているということが調査の背景にあると、こう聞きました。  いろいろ調査の中身を見てみたんですけれども、幸福度というものと、生活の充足感といいますか充実感というものがどうなっているのか、いろいろ調査の中に出ておりますが、共通をしているんですね。幸福度ということで見ますと、調査の中では二十代が最も高くて、四十代が最も低くて、その後、年代が上がるにつれて幸福度は増加してきていると。充実感の方も、どうもそういうことのようであります。  つまり、四十代というのは一番働き盛りなんですね。この働き盛りが幸福感が余りないという、そういうことが出ておりますし、男女別で見ましても、年代別に見てもそうですが、通じて女性の方が生活の満足度、つまり幸せ度が高い。どの年代、世代を見ても女性の方が高い。男性が、年を経るに従って、二十代は男女とも高いんですけれども、三十代、四十代と、男性が急速に落ちておりまして、六十歳以上になって初めて二十代時代の水準に戻っていくと。傾向としては女性も同じなんですけれども、通じて女性は男性よりも生活満足度も高い、幸福感も高い、こういうことでございます。  どうしてなんだろうというふうに思うんですけれども、やはりこれは私の体験的なことなんですけれども、やはり人は一人では生きていくのは難しい。これは一般論ですけれどもね。共に生きるということが生活充実感なり、あるいは満足感なり、それが幸せ感に通ずるんではないか。共に生きるとなると、まず一番この原点的にあるのは夫婦なんですけれども、それから家族、それから友人関係地域社会ということになるのでありましょう。そういう共に生きるということからしますと、この仮説であります自由時間というものが、共に生きていくときに、共に生きていくために、共通の時間を持つということが非常に大事でありまして、夫婦にあっても、あるいは子供と親との関係にあっても、あるいは地域関係にあっても、私はそんなふうに感じます。そして、そのことによって充実感、満足感、そして、それにいやされて幸せ感というのが持っていくことが、今度働くときにも、働く意欲でありますとか、あるいは創造力でありますとか、そういうものを養っていくことに非常に大きな役割を果たすと。そういう意味で、この仮説を私は大事にしていく必要があるんじゃないかと思います。  共に生きていく中で、最近の現象として言えば、いわゆるNGOですけれども、もういろんな形があるんですね。少年のサッカーでありますとか、あるいは野球でありますとか、そういうものへの指導に休日の一日は使うというようなものもあります。あるいは地域の公共施設の清掃に充てるとか、あるいは自然の保護、環境の保護に充てていくとか、もうここのところ、このNGO活動の目覚ましい活発な活動というのが感じられます。そういうのは、参加していくことの喜び、そして、ある種の格好良く言えば社会貢献ですけれども、そういうようなことに喜びを感ずる人が多くなってくる。  あるいは、私の世代になりますと、奥さん方がやや解放されまして、子育てからも解放された。生活の支援の方も奥さん方も解放されて、趣味でありますとか奥さん方の仲間のお付き合いでありますとか、そういうようなことが非常に活発になってきています。そうすると、我々男性側はそこに連れていってもらう、奥さんに付き合うという。嫌々付き合っていた昔と違って、一緒になって行くことによって、共に生きていく相手、配偶者が喜ぶ、あるいは子供が喜ぶものを一緒に喜んでいく、そういう感じになっているんですね。  私事ですけれども、私の家内はもう宝塚のクレージーなファンなんですね。始めは、昨日も実は行ったんですけれども、あそこの東京宝塚劇場に行きますと、男性というのはもう本当に数えるほどしかいないんですよ。始めは恥ずかしくて小さくなっておりました。家内からは、寝てもいいけれどもいびきはかかないでねというようなことを言われていたんですが、だんだん、月に一遍はお付き合いするということにしています。それは、やはり家内がそうやって喜んでいるということに喜びを感じると、そういうような心境になるんですね。  振り返ってみると、私が喜んでいること、私のやりたいことは政治活動ですけれども、その私のやりたいことに実は家内が長い間付き合ってきたんだなと。本当に家内が喜んでいるかどうかではなくて、私が喜んでいることに喜びを、あるいは充実感を感じてくれていたのかな、そんな心境に今なってきておりまして、その意味では、共に生きるというか、自他共生、自他共栄といいますか、それは夫婦だけではなく子供にも、あるいは地域社会にも通じていく人間の喜びの一つではないか。そういう人間の本性が満たされていくためには、やはり自由時間というのはもう少しないとできませんし、自由時間があることによって喜びが増すと、充足感が増すということが今度働く方にも、ワーク・アンド・バランスですけれども、働く方にも、決まったことをこなしていけばいいというんじゃなくて、創造性といいますか、こうすればもっと良くなるんじゃないか、こういうふうに仕事を進めればお互い良くなるんじゃないか、更に生産性でいえば生産性も上がるんじゃないかというような知恵も出てくると、参加型の生活というのが充足されてくるのではないか、そんなことを感じさせていただきました。  もちろん、所得との関係はあるんですけれども、こういう将来への不安とか、特に人生八十年時代になりますと、私もそれにだんだん近くなっているわけですけれども、そういうようなときに何が不安かというと、やはり体の自由が利かなくなってくる、そういうようになったときの生活在り方というようなことがどうしても不安なんですね。それを個人が貯蓄で賄っていく、個人の貯蓄だけで賄うというようなことが続きますと、やはり自由時間を楽しむことができなくなるので、そういうところは、社会制度というようなものについて政治の役割としては、そういう八十年代時代における将来の高齢時代を迎えたときの人間らしい生き方を確保することにやっぱり政治はもっとしっかり取り組んでいかなきゃいかぬと、こんな感想を持った次第でございます。  参考人からいろいろな違う立場からいろいろな意見を聞かせていただいて、御意見いただいて非常に参考になったわけですけれども、そういう中にあって、先ほど紹介したみずほ総合研究所の配付されたこの資料から非常に大変な示唆を受けましたということを御報告しておきたいと思います。  ありがとうございました。
  35. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) どうもありがとうございました。  続きまして、一川保夫君、お願いします。
  36. 一川保夫

    ○一川保夫君 私は、今皆様方のお話を聞いておりましてだんだん自分の意見がまとまらなくなってきたんですけれども。  ただ、私は、今日の、今の我々の置かれているいろんな経済環境も含めた厳しい状況の中でこの仮説を考えますと、この仮説そのものは私はすんなりと正しいという感じにもちょっとなれないんですけれども。どっちかというと、さっき佐藤さんがおっしゃったように、ある程度経済力が付いてくればバランスの取れた休暇、休日を取りながら楽しんでいけるというような感じはしますけれども、こういう言い回しで仮説を立てられると、これでいいのかなということをちょっと感じますが。  しかし、私は前の仮説のときにもちょっとお話しさせていただきましたけれども、やはりいろんな格差が今目立ってきている世の中でございますから、我々週末田舎と都会と行ったり来たりしておりますけれども、農村地域と都会の地域間のいろんなこういう格差の問題、またそこで働いている、どっちかというと地方の方は一次産業、二次産業が主体でございますけれども、都会へ来ればそこに三次産業というのがありますが、そういう職業間におけるいろんな格差の問題も当然ありますし、また年代間の格差の問題とか、また性別におけるそういうさっき言った女性の問題も含めて、いろんな問題、課題を抱えているわけでして、そういうことをいろいろと考えますと、この仮説をいろいろとかみしめればしめるほど我々政治家に課せられた宿題が多いなという感じはいたします。  そういう面では、いろんな面でまだまだ制度的に点検をして見直すところが私はたくさんあると思いますけれども、そういうものをしっかりとチェックをして直すところは直していく責任が我々政治家にあるなという感じもいたします。  先ほど来話題に出ていますように、やはりいろんなセーフティーネット的なものを、ある程度信頼できる制度が完備されていないと本当の幸福度というものはなかなか到達できないのではないかなという感じもいたしますし、また、さっき家庭の話も出ましたけれども、私は理想的にはそれは大家族制といいますか、三世代ぐらいが同居をしながらいろいろと助け合うという生活が何となく幸福度が高いような気がしますけれども、現実問題はなかなかそういうことまで行っておりませんので、そういうことになるにはどうしたらいいかなといったようなことも含めていろいろと考えさせられた、そういう仮説であるなというふうに思っております。  それと、前の仮説のときにもちょっと言わせていただいたんですけれども、昔東南アジアに行ったときに、非常に貧しい国、経済力が低い国だと言われている国なんだけれども、そこで働いているそこの国民皆さん方の表情は非常に明るかったというのを今でも印象に残っているんですけれども。片や、じゃ、日本へ帰ってきて、一生懸命働いている、相当所得の高いと思われる層の皆さん方の表情はどっちかというと暗いというところがありまして、そういうのを見ますと、その幸福度というところがまた分からなくなってくるわけですけれども。  そういう面では、それぞれ個人差が当然あるわけでしょうけれども、やはり基本的には自分の意思でそういう充実した時間を過ごせるような、そういう生活が一番望ましいと思いますが、いろんな面でこの仮説を読めば読むほどいろいろと考えさせられた、そういう仮説でございますし、これからも我々政治家として責任を果たすべきことについてはまたしっかりと果たすべきだなということを考えさせられた、そういうテーマでございました。  ありがとうございました。
  37. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、吉田博美君、お願いします。
  38. 吉田博美

    ○吉田博美君 私の方から意見を述べさせていただきたいと思います。  森まさこ先生から家庭を大事にしなきゃいけないということを言われまして、本当につい最近、自分が反省していることをずしっとこう言われた気持ちでございまして、私も、三十三歳で県会へ出まして、十八年間県会議員をさせていただきまして、そして今、国会でもう八年近くやっているわけでありますが、ほとんど休みなしに毎日突っ走ってきたというのが現状なんです。  そんな中で、実は少年野球の開会式へ行きましたら、皆さん何かこう奇異な顔しておられるんですけど、息子さんの応援に来たのかということなんですけど、私知らなかったんですね、息子が出ているの。よく見たら、家内が一生懸命バットとかボール持ってやっているわけですよね。そして、今度は水泳大会へ行ったら、今終わったところだぞといって、私、顧問をやっていますから、それで一位になったぞと言われても、一位になったのが意味分からないと。  そんなような状況の中で、本当にこの二十七年間というものを考えたら、隣組の、隣組というのがあるんですね、七軒ほどあって、それでその隣組の組長というのをやるといろいろなことを仕事をしなきゃいけないんです。ごみのことの問題だとか、いろいろな徴収したり、町役場との、私、町ですから、いろいろなことをやらなきゃいけない。それ全部家内がやっていまして、お父さん、電球一個替えたことがあるのかということをつい最近言われまして、確かにないわけでありまして。  そんな中で本当に、私も、実は子供が成長過程の中で、特に長男が三歳のときに県会議員になったものですから、ほとんど触れ合いがなかったわけでありまして、おじさんというような感じの間柄だったものですから、これはいけないなと思って、とにかく何かしなきゃいけないと。四泊六日、無理やり休みを取りまして、二人でハワイに行きました。そして、もう一切、家内も連れていかないし、もう二人っきりで生活をすることによって、例えばホテルでふろを入れたときも、ふろもろくに入れたことなかったものですから、どんどんどんどん水があふれてきちゃって、下の部屋の人から怒られて、ホテルからも賠償金取られるような状況なことがあったんですけど。そんな中で、それで買物も何かするときに、コーラを買ってこいと言ったら自分で買いに行きまして、喜んで、このコーラくれとかなんとかと言って買っているわけですよね、英語なんか通じるわけないわけですけど。  そんなことをやりながら二人で触れ合いで、今考えてみましたら、息子も三十になりましたが、四泊六日のこの休暇があったから親子のきずなができたんじゃないかと。なければ全く駄目だったんじゃないかなという深い反省をする中で、是非先生、年齢が非常に我々と、政治家になって若いし、子供もあると思いますけど、よく私の反省点を大事にしていただきたいと。  それで、是非お願いしたいことは、我々、皆さん方の、労働時間が二千時間を超える、二千八十時間になるとか、いろんな問題のことを言われました。そして、ワークシェアリングの問題だとか、またワーク・アンド・ライフの問題だとかいろんなことを言われましたけど、よく考えてみましたら、我々政治家は立法府に働いているわけでありますが、政治自身もやっぱりきちっとした休暇を取らないと、これ本当に追い詰め追い詰め、次から次へとなり、シャープな一つ考え方ができないんじゃないかなということも感じました。  これ、よく外国へ我々が視察に行きますと、この期間は三週間休暇で会えませんと、向こうの要人が、ほとんどそういってきちっと休暇を取られて、そしてリフレッシュしながら政策をきちっとして立案をしていくという、私はそういうことを我々がまず率先してやることも大事じゃないかなというような感じもしたわけでございまして、そんな中で大事なことは、これはもう与野党で一緒になって考えなきゃいけないと思います。  というのは、自分は休みを取ろうと思っても、岩城先生が同じ選挙区で一生懸命歩いていたら、おまえも帰ってこなきゃいけないじゃないかって、また歩かなきゃいけないと。そんなような状況の中でみんなが大変にしているんで、みんなでよく考えて、これは本当にしっかりとして考えるところは、国民皆さん方の幸福度につながるわけでありまして、今のやっていることは政治家の幸福度につながって、選挙に勝つか勝たないかという幸福度につながっているんじゃないかなということを感じておるわけであります。  そんな中で本題に入りますけれども、今、最近、報道等を見ていますと、十六日間の休みがあるわけですよね。何でかというと、大型連休で、それは不況のために。そして、十六日間休みあるけれども、その休みの十六日間をどう過ごしますかということをインタビューしますと、ほとんどの人がどう過ごしていいか分からないと。先ほど言われましたように、日本人は働く美学というものがありまして、やっぱり休暇の取り方というのをどうも知らないということ。  それはどこに原因しているかといったら、休暇というのはあくまでも企業個人との関連の中から出てくるわけでありますが、今、日本企業の中で一番問題点があるのは何かといいますと、勤務時間あるいは労務管理というものが余り徹底されていないんじゃないかと。それは、一番中間管理職の皆さん方がプレーイングマネジャーで、自ら企業戦士として、とにかくもうけよう、共に利益を出そうと。本当にそこで働いているお一人お一人のメンタルケアというのをされていないんじゃないかと。  私は、そうしたことの中で、今あなたの仕事はどうですかといろいろなことを聞きながら、そしてその人たちが、私はこういう職場で働きたい、こういう能力を出せるんだと、そういうことを中間管理職の人たちがしっかりと把握をすることによって、その企業がいろいろな意味の中ですばらしい企業になっていく可能性が出てくるのではないか。  というのは、皆さん方御存じのように、五月病というのはよく新入社員が持ちますよね。今あるのは何かといえば、サザエさん症候群というのがある。サザエさん症候群って何だろうと。というのは、今日は澤先生いらっしゃいませんが、フジテレビの六時半から「サザエさん」を見ると。「サザエさん」が始まると大体みんな頭が痛くなったり嘔吐がしてくるそうなんです。何でかといったら、あしたから仕事行かなきゃいけないから。それだけ月曜日から金曜日というのはつまらないと。  そうじゃなくて、私は、一番大事なことは、中間管理職の人たちが本当に職場を楽しくするようなことを考えながらやれば労働生産性も上がるんじゃないかということの中で、休暇ももちろんそれから必要でありますが、まず最初に、そうしたことの中で、休暇の取り方も分からない人たちには、一週間こういうメニューがありますよ、二週間こういうメニューがありますということもしながら、いろんな中で指導していくということも私は大事なことではないかと思います。  そこで、これから元気の出る日本、明るい日本づくりをどうするかということは、まずそれは老若男女、そして世代間を超えて、みんなで支えていく国をつくっていくということが大事じゃないかと思います。そのためには、よく働き、よく学び、よく遊ぶに、もう一つキーワードとして、よく休むというものを入れるということで、そしてそのキーワードの中で、これから自分たちが楽しい時間をつくって、そして日本型の休暇をより充実させることによって我々が本当に幸せ感を感じて、それで企業も創意工夫をして、働く人たちのために満足感を与えるような一つの創意工夫をすることによって労働生産性も上がってくるんじゃないかと、そう思っているところでございます。  ちょっと長くなりましたけれども、よろしくお願いいたします。
  39. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  では、川上義博君、お願いします。
  40. 川上義博

    ○川上義博君 私は元々、「ガリア戦記」といってカエサルが書いた日記があるんですけれども、それからローマ時代が大変興味が出てきて、ローマの話から少し始めたいと思います。  ローマ人というのは、三百六十五日すべて仕事をするんだと。途中からこれでは人間は生きていけないのではないかという考えに変わりまして、祝祭日は仕事を休むようにしたと。ローマの最盛期には年間百二十日前後の休日を取るようになったと。ただ、元老院議員だけは休むことなくせっせせっせと働いておったということなんですね。ローマの一日というのは、日の出とともに仕事をして日の入りとともに就寝する習慣があったようです。そして、仕事は正午か午後一時で終わりと。その後は軽い昼食を取って、午後二時から五時まで公衆浴場に繰り出すと。公衆浴場の中は図書館もある、そこでゆっくりして本でも読むかと。体も心もリフレッシュして、そしてその後、五時以降帰宅をして、そして食事をして、日が落ちたら明日の仕事のために寝室に行くと、こういう一日の仕事なんですね。午前中ぐらいまで仕事してあとはゆっくりしていると、誠に我々から見たら充実した一日なんだなと、こう思うわけなんです。一日を仕事余暇に二分して使っていた、働いていたんですけれども、決して働きバチではなかったと。ローマが長く続いた原因は、こういったことが一つの原因ではないのかなと。  ある講師の話で、ドイツの話があったと思いますけれども、私も、ドイツ人というのは午後の三時ごろになりますとそわそわして、四時になるともう早速家に帰宅しているんですね。決して隣の電話が鳴っても人の電話は絶対取らないということは徹底していまして、家に帰って四時過ぎにはゆっくりビールを飲んで、家族と一緒に、そして菩提樹の下で瞑想にふけって、菩提樹というのはドイツ人から見れば日本人の桜のような感じを持っているようでして、その下でゆっくりと瞑想にふけって、あれやこれや人生を考えるということなんですね。  一つは、労働人間の本質であるという考え方があると。それは、動物とかは労働しない、これは人間だけが労働するわけなんですね。それで、中世以前というのは、どうも物の本を読むと、生産活動というのは宗教的であったり芸術的であったり倫理的である、だから人生そのものが労働と一体になっていると。ところが、例のマックス・ウェーバーは、近代的意味での労働は、時間を守る、約束と信用が大切である、無駄を省く、こういった技術的というか、機械的労働を評価をしたと。ところが、最近、我々は労働に対して隷属的ではあって人間的ではない、自由が失われていると、だから労働からの解放を求めるように今なっているんじゃないだろうかという、物の本にはあるんですね。  それで、休日が多い国が経済力を本当に保つのかどうか、これは私はよく分からないですね。プロレタリアの意味というのは、日々の労働によって生活の糧を得るしかない人々であるとすれば、労働人間にとって必要なことであるんです。労働がなければ、仕事がなければこれは人間でなくなる可能性があるんではないかと。だから、仕事がない方たちというのはこれは本当に大変なことだなと、このように思うんですね。  ただ、休日も人間にとって生きていく上で必要なことであるので、この二つが成立して初めて幸福という感覚というか、それに包まれて日々暮らしていくと。だから、一日を先ほど言った仕事余暇に二分して使っていたローマ人の生活態度、習慣をいま一度考えてみる必要があるんではないのかなと、このように思っています。  以上です。
  41. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  続きまして、亀井亜紀子君、お願いします。
  42. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 今回の六人の参考人は、非常にユニークでバランスが取れていて面白かったと思います。二人の常識的な日本人の研究者と二人の型破りな日本人と二人の外国人という構成で、いろいろな価値観をお聞きいたしました。私自身余り考えがまとまっておりませんけれども、今回の仮説二については、やはり分かりません。ただ、休日・休暇が多いからといって、経済力が伸びるわけでもないんでしょうし、幸福度が上がるわけでもないのであろうと思います。  例えば、大分トリニータ溝畑参考人は、仕事の虫といいますか、ほとんどプライベートもないような状態でも非常に明るく楽しい人生を送っておられるので、やはり一概に休みの多さだけでは語れない。そうなりますと、恐らくやはり個人の心の持ちようなのではないかなと思いました。  坂本達参考人お話の中で、世界には三食食べられない、二食しか食べられない国というのがあるけれども、それを一日二食しか食べられないと考えるのか、二食も食べられると考えるのかというやはり気持ちの持ちようで変わってくるんだということがありましたけれども、同じように、やはり休みが短くても、仮に三日であっても、三日しかないと考えるのか三日もあると考えるのかでやはりその休みの質というのは違ってくるのではないかなと思いました。  ランベッリ参考人お話が私は面白かったんですけれども、なぜヨーロッパの人々があんなに堂々と休むのか、なぜ遊ぶために働くのかというその背景が分かって参考になりました。一方、ほかの方の意見にもありましたけれども、日本人の働くことは美徳であるという考え方は捨てるべきではないと、生かした方がよいというお考えで、それもそうだと思いますし、やはり文化的な背景もありますから簡単に変わるようなものではないと思います。  ですので、今後日本人に必要なことは、働くことは美徳という考えを捨てる必要はないけれども、休むことは罪悪ではないと、罪悪感を持たずに休むということがやはり大事なのではないかと思います。申し訳ないけれども、明日から一週間お休みさせていただきますというような休みの取り方ではなくて、堂々と休みますと。そして、その間は会社のことは忘れて、携帯電話でしょっちゅう連絡を取ったり、あれはどうなっているだろうかと仕事に頭が行くような休みではなくなることが幸福度につながっていくのではないかなというふうに感じました。  ランベッリ参考人の、日本人の休み考え方というのは何かをしていない時間だと。学校に行っていない時間、あるいは会社に行っていない、何とかしていないという時間というのは否定的なとらえ方なので、そこの意識の改革がやはり大事だと思いますし、また文化と合っていないお休みということについても考えさせられてしまいました。これハッピーマンデーの話がそうですけれども、本来、休みというのは伝統文化と関係があるものであって、ヨーロッパの休みも農耕のサイクルに合っていると、閑散期に体を休め休暇を取るということだと説明されまして、やはりただ長い休みがあればよい、もっと三連休があればよいということでは片付けられない何かを私は感じました。  ですので、余りまとまってはおりませんけれども、この仮説の二については、やはりそうとは言い切れないというのが結論です。  私自身は、国会議員になってから物理的には休みが減ったと思います。土日にやはり、皆様も同じだと思いますけれども、選挙区に戻り、国会開催中平日はこちらにいるわけですから、そうすると土日までつながってしまって、今までのようにいわゆる休日がないわけですけれども、その中でどうやって楽しく過ごすかということを考えておりまして、私は遊びながら仕事をするということを心掛けております。  土日に地元に帰ったときに、仮に何かの会合が入っていても、その間にはお気に入りのカフェに行ってみたりお店を見付けてみたり、そういうものをスケジュールの中にちりばめながら、その合間に仕事をしていますというような形で週末を過ごすようにしておりますし、休日と休暇、休日が土日のお休み休暇がもう少し長いお休みという考え方ですけれども、休暇はしっかりと取るように私はしておりますし、スタッフにも、私だけが休暇を取るのでは肩身が狭いので、休もう休もうと奨励をしております。  こういった、政治家がこれから率先してやはり堂々とお休みを取り、皆が罪悪感を持たずに休めるような社会がつくられていけば、幸福度も増すのではないかと思います。  以上です。
  43. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  それでは、岩城光英君、お願いします。
  44. 岩城光英

    ○岩城光英君 参考人の皆様方のお話をお伺いして感じたこと、五点ほど述べさせていただきたいと存じます。各先生方とダブる点もあるかと思いますが、御理解いただきたいと思います。  まず一点目は、祝日と休日ということですが、亀井先生のお話にもありました、我が国では祝日は祝日法で、国民こぞって祝い、感謝し、記念する日と、このようにされております。お祝いの行事などを行うために休日とされているわけであって、祝日と一般的な休日・休暇、これを一緒に考えること、とらえることはできないのではないかなと、こんなふうに思っております。  そこで、ランベッリ参考人から、祝日には伝統的、文化的な意味があるので、その日取りをずらしたり調整したりするとその意味がなくなるという指摘もありました。確かに、いわゆるハッピーマンデーも、余暇活動が充実する、そういった効果はありますものの、祝日に限って考えてみますと、その祝日の意義を弱めている、そういった印象を受けております。  二点目は、これは森先生の話があって、吉田先生が反省されたように、私も反省しているんですけれども、家族単位で幸福度を考えるという指摘、本当に耳に痛く残っております。  私は、三十年ほど前に市会議員になりましてから、ずっと議員活動をこれまで続けてきました。ほとんど休みなしで来たんですけど、今年還暦を迎えますが、この年になりますとそろそろ休みも欲しいなと、こんなふうに思ってきております。  一般的に言うと、若いころは収入を増やして暮らしを安定させようという意識が強く、また仕事を覚えて面白くなる時期でもあり、休むよりも仕事の方が大事というふうに考える人も多いのではないかなと思います。世代や職種によっても休日・休暇に対する考え方大分違うんではないかな、若林先生もそんなお話されておりましたけれども、私も同じ思いであります。  三点目。これも亀井先生のお話とダブってしまいますけれども、日本人の意識には働くことは美徳であり、働かないことが怠け者とまでは言いませんけれども、負のイメージがあるようです。例えば、いい例え話というか、これはウサギとカメの皆様御存じのお話だと思います、この話に日本人の働くことについての考え方がよく出ております。  また、あいさつ代わりにお忙しいですかと言いますけれども、忙しいことが良い状態である、こういったことを前提にしているように思われます。そこでまた、ランベッリ参考人が、御苦労さまでした、お疲れさまでしたという言葉は外国にはなく、イタリアでの仕事前のあいさつはボン・ラボーロ、良いお仕事をであるということの指摘がありましたこと、非常に印象的でございました。  四点目です。  休日・休暇労働生産性関係につきましては、単に休日・休暇を増やせば労働生産性が上がるとは一概には言えないと思いますけれども、休日・休暇を増やすような働き方を考えていくことによって労働生産性の向上につながるということは十分に考えられるのではないかなと、こんなふうに思っております。  労働生産性幸福度関係につきましては、国民が例えば日々の暮らしに困っているような経済状況でありますと、経済力が増し、所得が増えて幸福度が向上するということがあると思いますけれども、そうでなければ、労働生産性の向上によって大きく幸福度が上がるということは考えにくく、また、労働生産性を効率性という言葉に換えてみますと、効率性と幸福度は必ずしも両立しない場合があるんではないかなと思います。  ですから、これからはめり張りを持った働き方、ゆとりを持った働き方、量から質へというように発想転換したり、大量生産、大量消費型の発想から知的生産型の柔軟な発想に移行していく必要があるものと思っております。  最後の五点目です。  多くの日本人は、これまで休日・休暇は人生を豊かにするためにあるというふうには考えてこなかったように思います。それをどう変えていくかということになりますと、意識の問題もありまして一朝一夕にはいかないと思いますが、一つは、休暇を取れる環境の整備、これ一般的には年次有給休暇の消化ということになろうかと思います。  もう一つは、人生を豊かにするという観点から、一人一人が休日・休暇をどのように考え、活用するかということが大切になるんではないかなと思っております。この点でも、ランベッリ参考人が言われましたように、教育の果たす役割が大きいものと考えております。  また、休日・休暇の問題はこれまで余り日本では議論されなかったんですけれども、一度きりの人生をどう生きていくかということに深くかかわる問題だと思います。とすれば、自分のためだけではなく、世のため、人のためという視点も重要になるでしょうし、そういった点では、ミキハウスの坂本参考人お話はそれを両立させた良い例だと言えると思います。  仮説一につきましては「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」というものでしたが、この仮説二との関連につきましてもこれから考えていく必要があるのではないかなと思いました。  また、働き方と労働生産性の話もありましたが、自由時間や休日・休暇は、金銭に換算できなくても、社会国民に大いなる効用や価値をもたらすものであるということをもっと評価してもよいのではないかなと、こんなふうに考えている次第です。  以上です。
  45. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  続きまして、藤本祐司君、お願いします。
  46. 藤本祐司

    ○藤本祐司君 確かに、六人の参考人方々の御意見を聞いていると大変面白かったなと思いますが、今日も話を聞いていると大変面白く、参考になりました。ありがとうございましたと言って終わるわけにいかないので、少しお話しします。  森先生がおっしゃった、やはり家族単位で考えるという、これは確かにそのとおりなんだろうなというふうに思いましたが、そこでふと思い出したのが、もう随分、四半世紀ぐらい前の言葉なんでしょうね、だんな元気で留守がいいというのをふと逆に思い出しまして、当時と今がそのぐらいの変化があったのか、今もそういうことがあるのか、その辺はよく分かりませんが、それぞれの家族あるいは個人個人のパターンというか、その中で多分家族単位で考えていくことの比重が多分高くはなってはきているんだろうなというふうに思いますが、そうでない人ももしかしたらいるのかなというふうにちょっと思ったということです。  あと、亀井先生が休み罪悪だと、罪悪感を持たない方がいいというふうに言われまして、そのとおりだと思うんですが、多分これ二十年も三十年も前から言われていることで、そこのところが多分直っていないというところもやっぱり大きな問題でして、多分二十年ぐらい前からもうずっとそういうことを言い続けてきた方々というのもいらっしゃるんだけれども、結局まだ直っていないというのは何か問題があるのかなというふうにちょっと感じたところでございます。  そして、今回、休日・休暇が多いというのがまず前提にあったんですが、休日・休暇が多いことなのか、あるいは日数、休日・休暇は少なくても、むしろ自分で自由に休暇が取れるということの方がむしろメリット、幸福感につながるのかというところは少し考えさせられております。  国民の休日、恐らく日本は十二日間ありますので、欧米諸国と比べると、祝日という点では多いんですね。大体、ヨーロッパ辺り、八日とか九日とかということですので、多分多いんだろうというふうに思いますが、その一方で、何か休暇取った気にならないというのも日本の問題点を表しているのではないかなというふうに思っていまして、もうすぐゴールデンウイークです。我々といいますか政治家は、余りゴールデンウイークというのは休みという感覚がないのかもしれませんし、きっとないんだと思いますが、一般的にはゴールデンウイークは長い休みの非常に最たるものだというふうに思いますが、ゴールデンウイーク、これだけ取っても何か休暇取ったという気がならないというのは、恐らく強制的に取らされているということと、集中しているということなんだろうと思うんですね。  集中というのは、要するに、みんなが一斉に休みに入りますので基本的にはどこへ行っても込んでいます。旅をしても、どこへ行っても高いです。本来の普通の平日だったら一泊二食一万円ぐらいで過ごせるところが三万円、四万円になりますので、家族で一泊したら、四人家族で二十万という数字、そういうことになってしまいますので、むしろこれ、それで渋滞に巻き込まれてへろへろになって、ああ、休んだけどすげえ疲れたみたいな話になってしまうというところがやはり問題であるような気がしてなりません。  ということは、先ほど、冒頭申しましたとおり、休みというのはある程度自由に自分たち、自分の都合で休めることの方が数が多いよりももしかしたら重要なんではないかなというふうに思いました。  私もアメリカに留学していたとき、一九八〇年代の後半なんですが、こういう話がありました。レジャーとワーク、要するにレジャーというのはワークに対することだと。ワークの合間を縫っているものでレジャーをするというのが一九八〇年代までの考え方で、これからはワークとレジャーはボーダーレスになると。要するに、レジャータイムを日本の場合余暇時間と訳していましたが、余暇というのは仕事の合間とか仕事がないところを余暇と言っているんだけれども、むしろ自由時間と訳した方がよくて、その自由時間の中に、この間、溝畑参考人がおっしゃったように、仕事をやろうと何しようと全然拘束されない自分の自由になる時間というように訳した方が多分これからはいいだろうというのは一九八〇年代の後半に議論されていたようなことがあったなというふうに思いまして、やはり拘束されない自由に使える時間というところを重要視すべきなのかもしれないなというふうに思いました。  小倉先生だったかな、休み管理は仕事の管理だというふうに言われましたが、ちょっと一つだけ御紹介しますと、私も前職がシンクタンクにおりまして、そのときやっぱり休み管理を先にしたんです。仕事柄、三月、四月、五月の連休ぐらいまでは結構忙しくてなかなか自分で調整ができないんですが、その後、半年間というのは比較的うまく調整ができる期間なので、私も二十人ぐらいマネジメントしていましたけれども、最初に半年間、六月から十一月までの長期休暇、七日から十日間の休みを先に出しておく。あなたはいつ休みをするというのを全部もう埋め込んじゃうんですね。埋め込んでしまうと、マネジャーがやる仕事というのは、休みが多いときに仕事を減らす、休みがないときに仕事をちょっと増やすという、その仕事の量を加減してやるだけで、実はみんな自分が休みたいときに休めてむしろ仕事のときに生産性を上げてくれるという、そういうのがあったものですから、休み管理は仕事管理というふうに小倉先生はおっしゃっていましたけれども、まさにそういう点なのかなというふうに思います。  それを考えると、何て政治家というのは不幸な仕事であって、あしたの委員会、あしたの本会議までよく分からないという、こういう状況の中で全く計画が立てられないというところがやはり相当ストレスになっていらっしゃるんだろうから、皆さん大いに休んでいただいた方がいいんじゃないかなというふうに思っているところです。  もう一つは、阿部先生が、日本生産性という問題で、非常に丁寧に時間を掛けてやると。実際に参考人としてここで発言をされるときも、前もって準備で何度も何度も委員部の方々から連絡を取ってくださったというような話があった。反面、去年のお話の中で、やはり日本人はちょっと細かいことに気にし過ぎるんじゃないかというような、時間を掛け過ぎてしまうんではないかというような指摘もあったかに思います。一つのアウトプットを出すのに百時間掛けても七十時間掛けても同じだったら、七十時間の方がいいじゃないかという割り切りというのを少ししていくということも必要なのかなというふうには思っております。  北欧なんか旅しますと、政治家になっちゃいますと上げぜん、据えぜん、すべて交通移動まで何でもかんでも用意されますので、余りぴんとこないかもしれませんが、個人で旅行しますと、例えば交通機関に乗ります。交通機関に乗りますと、北欧なんかは列車ほとんど時間どおり来ません。十分前にちゃんと時刻表に載っていたと思ったら、来ないからどうしたかと思ったら、キャンセルになっていると。どうしてキャンセルになったかと思ったら、運転手が寝坊したと、そんなのは当たり前と。乗ってなかなか、途中で止まっちゃうからどうしたんだろうかと思ってどうしたのと聞くと、いや、いつものことだからってみんな平然としているという。  その中でもあれだけ所得が高くなり経済成長力が上がってくるというのは何なんだろうかなということを考えると、もちろん日本の丁寧につくっていく、物をつくっていくという意味での職人技ということとか、そこは大事にしなければならないと思う一方で、そうでないところは結構いいかげんにやっても何とかなるものじゃないかなというふうに考えたりもします。  そうなってくると、休日・休暇というか自由時間の使い方ということによっては、やはり職種、業種、業態によっては確実に生産性が上がる部分もあるのではないかなということだというふうには思っています。  こういうことを皆さん意見をいただきながら考えるという、つまり考える機会というのも非常に重要だなというふうに思っておりまして、今回の六人の参考人の先生方や皆さんの御意見を拝聴しまして、また一つ、また新たに考え方を変えながら前へ進んでいければいいなというふうに思っております。  ありがとうございました。
  47. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  それでは、最後になります。大石尚子君、お願いします。
  48. 大石尚子

    ○大石尚子君 ありがとうございます。  最後のバッターは大分損をいたしまして、皆様が大変いい御意見御披露くださいましたので幾分ダブってしまうかもしれませんが、お許しいただきたいと存じます。  まず、この仮説の二の「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」という仮説、これを私自身やっぱり最初読んだときに、あれっ、ちょっとと思いまして、むしろ私自身だったらこういうふうにした方が理解できるなと。経済力を伸ばした国が国民の休日・休暇を多くすることができ、国民幸福度を高められると、こういうふうにした方が私には分かるなと思っておりました。  それで、そういうふうに読んでいくと、国民の休日・休暇が多くなるということは国民の自由に選べる自由時間が、何をしようか自分の意思で選べる自由な時間が多くなって、多様な幸福を追求する可能性が高まってくると。確かにそういうふうに時代も動いてきているのだろうなと実感しつつも、自由時間が多い少ない、それと幸福度が高い低い、これが相関関係があるとなると、先ほど吉田先生おっしゃっておられました、私の人生を振り返りますと、何と一番幸福度の低い人生でございました。今でもそうでございます。  議員の生活って、私は三十四歳から議員生活に入ってしまったのですが、それまでは社会のいわゆる、何というんでしょうか、地方公務員の生活しておりましたので週休一日で、お休みの日曜日はお昼までは寝て曜日。それから、三十四歳からは月、月、火、水、木、金、金になりまして、それで熱出してもゆっくり寝れないような生活になってしまいました。そうすると、私の人生は本当にこれ誤ったかなと。  先ほど亀井亜紀子先生がおっしゃっていた中にもございますように、今日は私、休ませてもらいますと、それで今日はちょっとオペラに行きたい、それから歌舞伎を見に行きたい、音楽会に行きたいというと、皆さんが働いておられるのに、国民の休日ではないのにと後ろめたくなってしまう。結局行けなくなってしまう。私は、少しこれから考え方を変えなきゃ人生つまらないかと、ちょっと自分自身の人生観を揺り動かしながらの四月だったわけでございます。  そういたしましたところ、四月十八日に産経新聞に小川寛太さんという記者さんが上坂冬子さんが亡くなられたことに関して記事を書いておられて、その冒頭にこういうくだりがあるんでございます。「「人間の幸せの条件は愛と仕事」。十四日に亡くなった上坂冬子さんが生前、この持論を曲げることはなかった。「自身の選択は」と問われれば、「私は仕事。愛は裏切ることがあるが、仕事は裏切らないから。失敗しても自分のせい」と答えた。ただ、その言葉に反し、「日本」という国をとことん愛し、そこに生きる日本人の矜持を守るためにささげた人生だった。」と、こういうふうに小川寛太さんが書き始めておられるんですね。こういう生き方に触れますと、こういう描写に触れると私は共感してしまって、いい人生でいらしたんだなと。  そうすると、この上坂冬子さんの人生はどう考えたらいいのか。全部が仕事、サラリーマンしていらしたことは別にして、その後の作家になられてからは全部が仕事で全部が自由時間だったのかなと、そういうふうな感じを持っておりまして、でもいい人生でいらしたんだろうなと、そういうふうに思いました。  そこで、私も亀井先生のように坂本達さんの言葉を思い出すんです。貧しくて御飯が食べられない、二食きり食べられないと思うか、今日は二食食べられた、有り難いと思うか、そこで幸福度は大変雲泥の差が付いてくると、それも確かにそうでございます。  振り返っていろいろ考えますと、人間、人生突き落ちちゃったときに、どん底に突き落ちたときに人間はその人の底力がわいてくるような、そういう体験を私は大分見ておりますので、不幸も必ずしも、人生にとって克服できれば幸せにつながる一つの体験であるのかなと思うこともあるのですが、ここでまた今朝の早朝のニュースにショックな、背筋が寒くなるというか、ああお気の毒にと思ったニュースが流れまして、私新聞急いで取って確認いたしましたら、やっぱり間違いございませんでした。  元タレント、清水由貴子さんって、お顔を思い出されますでしょうか、写真を見ればきっと思い出されると思います。欽ちゃんファミリーの一人だったタレントさんですけれども、三年前にお母さんが病気でいられるので、介護のために芸能活動を引退して、それで都内の民間企業で働いていた、その清水さん、今まだ四十九歳なのですけれども、お父様の墓前で自殺を図られた、そのそばに車いすに乗って衰弱されたお母様が残されていたという大変悲しい報道でございます。  お亡くなりになったお二方の御冥福をお祈りしたい気持ち、いっぱいでございますが、先ほど加藤先生がおっしゃった、私たちの仕事国民幸福度を高めること、これも確かにそうでございますが、それ以上に国民の不幸度を下げる、そこに焦点を合わせていかなければいけない、それが私たち政治の使命であろうと思います。  そこで、私たちのこの調査会の第三の仮説がございます。これは前任者の方々が決めていってくださったものでございますが、この中に半分はいらっしゃると思いますけれども、「高負担・高福祉国家の国民は総じて国民幸福度が高い」と、これが第三の仮説だそうでございます。  これから私ども、今日で第二の仮説が終わって、次は第三の仮説に、次期、入るようでございますが、是非、第三の仮説、次期を請う御期待ということで、私の意見は終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  49. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  以上で意見表明は終わります。  委員の皆様からは大変貴重な御意見をちょうだいしました。また、この間、大変真摯に調査会に取り組んでいただきまして、会長からも一言感謝を申し上げたいと思います。  仮説一、仮説二、これで一応は中間取りまとめをさせていただきました。仮説三でありますけれども、今、大石先生から話がありました「高負担・高福祉国家の国民は総じて国民幸福度が高い」と、これが仮説三のテーマになるわけでありますけれども、一応、この国会は仮説二で終了をさせていただこうかなと、よしという笑顔も見られています。ということで、先ほど理事会でも、もし必要とあらばということで、視察でもやってみようかなというような話もあったのでありますけれども、一応、この場での協議はここでもっていったんやめさせていただくということで御理解をちょうだいしたいと思います。  後は、中間取りまとめ、そして中間取りまとめを議長に報告というような手続になろうと思いますけれども、その間、また委員意見もちょうだいする機会があろうと思いますので、よろしくお願いを申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十二分散会