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2009-02-04 第171回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十一年二月四日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  二月三日     辞任         補欠選任      鈴木  寛君     植松恵美子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         矢野 哲朗君     理 事                 大石 尚子君                 亀井亜紀子君                 藤本 祐司君                 岩城 光英君                 吉田 博美君                 松 あきら君     委 員                 浅尾慶一郎君                 一川 保夫君                 植松恵美子君                 大久保 勉君                 加藤 敏幸君                 川上 義博君                 川崎  稔君                 行田 邦子君                 広田  一君                 松井 孝治君                 石井 準一君                 佐藤 信秋君                 長谷川大紋君                 森 まさこ君                 山田 俊男君                 若林 正俊君                 澤  雄二君                 大門実紀史君    事務局側        第二特別調査室        長        今井 富郎君    参考人        恵泉女学園大学        大学院人間社会        学研究科教授   大日向雅美君        東京大学大学院        教育学研究科教        授        本田 由紀君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民生活経済に関する調査  (「幸福度の高い社会構築」のうち、人口減  少社会の姿について)     ─────────────
  2. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ただいまから国民生活経済に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告をいたします。  昨日、鈴木寛君が委員を辞任され、その補欠として植松恵美子君が選任されました。     ─────────────
  3. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 国民生活経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会構築」のうち、仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度向上する」に関し、人口減少社会の姿について参考人からの意見聴取をさせていただきます。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、恵泉女学園大学大学院人間社会学研究科教授大日向雅美君、東京大学大学院教育学研究科教授本田由紀君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々一言あいさつを申し上げたいと存じます。  御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。  本日、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会構築」のうち、仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度向上する」に関し、人口減少社会の姿について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。  議事の進め方でありますけれども、まず大日向参考人、それから本田参考人の順にお一人三十分程度で御意見をお述べいただきたいと思います。その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいとも思います。その後、時間がございましたら、必要に応じて委員間の意見交換を行います。その際、随時参考人方々の御意見を伺うこともございますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと思います。  なお、御発言は着席のままで結構であります。  それでは、まず大日向参考人からお願いを申し上げます。
  4. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 恵泉女学園大学大日向雅美と申します。  本日はお招きをいただきまして、ありがとうございます。  本日は、人口減少社会の姿について、特に、担い手の育成という観点からお話をするように課題をちょうだいいたしましたが、初めに簡単に自己紹介をさせていただきます。  私の専門発達心理学でして、家族・親子問題を専門に研究しております。特に、一九七〇年代の初めにコインロッカーベビー事件という事件社会問題となりました。これは実母による子捨て、子殺しが頻発したんですが、その子供の捨て場所が駅のコインロッカーを主に選ばれたということで、コインロッカーベビー事件と呼ばれましたが、この事件を契機といたしまして、お母さんたち育児不安、育児ストレスを主な研究テーマとして三十数年取り組んでまいりました。  かつては、母親育児をつらく思って苦しむなどということはあり得ない、そのような女性がいるとしたら、母性を喪失した嘆かわしい存在だと批判する声が大半でした。しかしながら、私は、全国調査を繰り返しまして母親たちの苦しみの背景を丹念に分析いたしましたが、子育て困難現象というのは安心して子供を産み育てることができない社会のゆがみを訴えるものでありまして、単に母性喪失と批判して解決されることでは決してないことが明らかで、少子化原因の一端もそこにあると考えております。母親となった女性喜びを持って子育てに当たることができるためにも、社会の皆で、地域の皆で支援する必要があると考えております。  この考えを実現する場として、六年ほど前から、NPO法人の代表といたしまして、東京の港区で子育てひろばあい・ぽーと」と言います子育て家族支援の拠点を運営しております。本日は、長年母親たち育児困難現象について研究してまいりました者として、また、今、子育て支援現場に立つ者として、人口減少社会課題対策についてお話をさせていただければと存じます。  まず、私は人口減少社会には光と影の両面があると考えます。  影の部分は、言うまでもなく、労働力不足という問題が指摘されておりますし、持続可能な社会保障という観点からもゆゆしき現象であることは問題、間違いないと思います。しかしながら、労働力不足は、対策として、女性就労機会社会参加機会の拡大につなげることができると。そのためには、従来のように育児大半女性に託すような子育て在り方を変えて、ワークライフバランスの推進によって男性家庭参加が可能となるような働き方を実現する。その一方で、社会地域の皆で子育てを支え合う仕組みをつくっていくことが必要でありまして、結果的に、新しい社会在り方を模索し構築できる可能性を秘めていると考えております。  この光の部分を推進していくという考え方は、一昨年の暮れに政府が策定されました「子ども家族を応援する日本重点戦略視点と同じくするものです。重点戦略意義につきましては後ほど、私が現在NPO法人で取り組んでおります、女性の力を活用して地域育児力向上につなげるという事業を御説明させていただきますので、そこで改めて申し上げたいと存じますが。  女性子育て当事者たち意識生活実態を直視して、少子化原因を正確に把握し実効性のある施策を打てば、人口減少社会はむしろ危機をチャンスに転ずることができるのであって、まさに今がそのときではないかというふうに考えております。このように申し上げますのも、若い世代意識を見ますと、結婚出産子育てに関しまして、決して否定的ではありません。それが人口減少社会の問題を解くかぎの一つだと私は考えております。  一般的には、若い世代結婚子供を持とうとする意識が希薄で、それが少子化をもたらしているとよく言われますが、しかしながら、本日お配りした資料の後半に参考資料としてお付けしておりますデータの中に、出生動向基本調査がございます。それを御覧いただいても明らかですが、人々は必ずしも結婚子供を持つことに否定的ではありません。未婚男女のうち、一生結婚するつもりはないとする回答はこの数年で男女ともわずかに増えている。微増はしておりますが、五%程度にすぎませんで、いずれ結婚するつもりという回答男女とも八割から九割前後となっています。私は女子大学の教員をしておりますが、この出生動向基本調査が示す傾向はまさにそのとおりだと実感もしております。女子学生たち就職活動も懸命にしていますが、いずれは結婚したい、そして子供を産み育てたいと回答する人たち大半なんですね。  また、これも参考資料の後半の方にお付けいたしましたが、ベネッセが実施した妊娠出産基本調査の結果の一部がございます。この調査は、妊娠中から育児期まで数年間をフォローアップするという日本でも貴重な調査だと思いますが、昨年発表された第一回目の調査を見ても、結婚した理由は好きな人と一緒にいたいからであって、出産も、好きな人の子供が欲しい、自分子供が欲しいという理由大半を占めています。子供を産み育てる意識についても、妊娠中からいろいろ心を砕いて肯定的、積極的な姿勢を示していることがうかがい取れます。  問題は、このように若い世代女性たち結婚出産育児に対して前向きでありながら実際には産めないという実態があるということです。理想と実際の子供の数のギャップは、やはりこの十年で大きくなっています。  こうしたことの最大の原因一つは、子供を持つと育児負担女性に重くのしかかる現実があるということだと思います。  私は、育児相談とかあるいは子育て座談会という場面で母親たちの声に接する機会が多いものですが、先日も十数名のお母さんたちと懇談の会を持ちました。集まったお母さんたちは、年齢は二十代後半から四十代の前半で、全員が一歳未満のお子さんを一人持つという女性たちでした。ざっとグループに分けますと、出産仕事を辞めた人、育児休業中でこの四月からの復帰を考えている人、そして仕事復帰して今既に働いている人に分かれます。  専業主婦母親は、二十四時間独りで育児に当たっていて心身共に休まる暇がないという、それはどこでも聞く声ですが、それ以上に、やがて子育てが一段落した後、自分生活はどうなっているんだろうか、先が見えないという不安を口にしておりました。一方、育児休業中の母親は、復帰を考えている、でも保育所に入れるだろうか、また子育て仕事両立ができるだろうか、母親が働くことで子供にマイナスの影響を与えることはないだろうかというような不安を訴えておりました。現在既に働いている母親は、仕事育児両立がやはり大変で、とりわけ子供が病気のときの対応に悩み、仕事子育ても中途半端ではないかと自分を責めている声が圧倒的に見られました。  この三グループとも、いずれも夫の協力が得られていないということです。確かに、OECD加盟国の中でも五歳未満子供のいる家庭男性家事育児参加時間は日本は最も少ないというデータがあります。この三つのグループ女性たちは異口同音に、子供は一人が精いっぱいで二人目は考えられないということでした。  これは、今申し上げましたのは一例ですが、母親となった女性たちの声を聞いておりますと、専業主婦か働いているかの違いはありますが、共通している問題は、出産子育ては望んだものではあるけれども、そのことによって失うものが大きいということです。子供が生まれると働き続けることが難しく退職せざるを得ないことが多い、また復職するとしても原職正職として働くことがなかなか難しい、結果的に収入が減ったり失うことになる。現に、第一子を出産して退職している女性が七割前後います。  もっとも、子育て期育児に専念することを望む女性も少なくありませんが、先ほども申しました、御紹介しましたように、育児が一段落した後の復職を始めとした社会参加の道が閉ざされていることが問題でして、女性出産子育てによって失われるものは収入だけではないということです。何よりも人生設計が見えなくなり、夫との関係も希薄になっていく、失うものがいかに多いかということを考えさせられます。  先ほども御紹介いたしましたベネッセ調査ですが、フォローアップの第二回目の結果が昨日発表されました。それを見ますと、妊娠中に比べて育児期妻たちの夫に対する愛情が七一・三%から四一・六%へと三〇ポイントも減少しているというややショッキングなデータがございました。子育て夫婦のかすがいではなく、夫婦の溝になっていくことも心配をされます。  以上申し上げましたことを一言でまとめますと、若い世代子育て世代に関する大きな問題は、理想生活実態との乖離が大きいということであって、そのギャップをいかに埋めるかが少子化対策子育て支援に問われていると考えます。そのためには、明確なビジョンと哲学に裏付けられた施策でなければならないと私は考えます。  具体的には、三点指摘させていただきたいと思います。  まず第一点は、子育て支援女性人生支援であってほしいということです。出産子育てによって失うもの、いわゆる機会費用をいかに軽減できるかが大事である。専業主婦方々の孤独な子育て解消は急務です。しかしながら、ともすると専業主婦お母さんに対する支援社会との接点を欠いた支援大半となっているのではないだろうか。子育てひろばの充実も是非推進していただきたいと思います。ただ、どこに行っても子供子育てへのプログラム満載で、何々ちゃんのママ、何々さんの奥さんとしてしか扱われない。一人の社会人女性としての生活を大切にした支援が少ない現状は社会参加視点なき支援でありまして、仮に子育てひろば等に行ったとしても、おうちの中の小さな母子カプセルから地域のやや大きめの女性子供カプセルに移行しているだけではないだろうか。これでは本当支援にならないと私は思います。社会との接点を奪われて私が私でなくなりそうとか、夫からも社会からもどんどん取り残されていくという母親たち焦燥感をいかに解消できるかがポイントだと思います。  第二点は、子育て支援家族支援であるべきだと思います。男性、夫の家事育児参加が進まなければ女性社会参加も進みません。ワークライフバランス男性にこそ注力する必要があると思います。  そして第三点、子育て苦楽を分かち合い、支え合う理念社会に醸成し、それを実現する仕組みをつくることが大切だと思います。スウェーデン社会保障理念に関して東大の神野先生がよく御紹介くださっていますが、オムソーリーという考え方スウェーデンでは基本となっている。オムソーリーは悲しみの分かち合いというふうに伺っております。子育て喜びも大きいものですが、一方で苦労も少なくない。子育て苦楽を分かち合う理念仕組みづくりが急がれているというふうに考えます。  そこで、この後残った時間は、今私がNPO法人行政との協働で取り組んでおります地域育児力向上を目指して老若男女共同参画子育て家族支援者養成ということを実施しておりますので、その実践について紹介をさせていただければと思います。  この子育て家族支援者養成事業は、地域子育て家族支援女性社会参加支援の両方を目指してNPO法人あい・ぽーとステーションが取り組んでおります。まず、子育て家族支援者と申しますのは、NPO法人あい・ぽーとステーションが開催する講座をお受けいただき、認定を受けた後に地域子育て支援に従事する人です。受講対象は、子育て経験の有無にかかわらず、子育て支援に関心を持ち、地域活動ができる二十歳以上の男女としておりますが、特に子育てが一段落した女性の方、退職後の地域活動を目指す男女社会参加を促して、老若男女共同参画地域育児力向上を図ることを目指しております。  認定は、レジュメに書かせていただきましたが、三段階の認定を行っております。三級といいますのは、ひろば等で親子にかかわり、保育者方々一緒に一時保育活動を行う人です。二級は、自宅や希望の御家庭で一時保育を行います。新生児、病後児、緊急時のお泊まり預かりもしております。一級は、地域施設等を利用してグループで行う一時保育活動のリーダーとなる方々です。  なぜこの人材養成に取り組んだか、その理由と今日的意義についてお話をさせていただきたいと思いますが、これは先ほど冒頭申しましたが、私は一九七〇年代初めから育児不安、育児ストレスに悩む母親たちの実情について繰り返し調査を実施してまいりました。その結果、育児に携わる母親たちの孤独の深刻さとその対策必要性を痛感してまいりました。  子育て大半お母さんに課す日本社会は、乳幼児期の手の掛かる子育てに追われて、ほっと気を抜くことも許されない、心身共に大きな負担を強いられている母親が少なくありません。ですから、母親子育てにゆとりを取り戻すことが不可欠だと考え、必要に応じて一時的に子育てを代わってくれる人を確保する必要があると考えたわけです。  NPO法人あい・ぽーとステーション運営しております子育てひろばあい・ぽーと」、港区にございますが、この「あい・ぽーと」では理由を問わず年中無休で子供を預かる一時保育をほかに先駆けて二〇〇三年から実施しております。  一方、子育てが一段落しても、これも先ほど申しましたが、再就職を始めとした社会参加希望がなかなか女性にはかなえられないのが実態である、社会からの疎外感経済力のない不安に苦しむ三十代、四十代、五十代以降の女性たちが少なくありません。  ですから、育児中に支援を求めるお母さんたち、片や育児が一段落した後の社会参加を求める女性の双方が生きがいを持って生活を楽しむことができるよう、社会のシステムとして支え、支えられて、お互いさまの関係地域に築くことを目的として企画し、実施しております。  この人材養成の今日的な意義ですが、先ほども簡単に触れましたが、二〇〇七年末に政府が策定された「子ども家族を応援する日本重点戦略では、結婚出産子育てに関して人々希望現実とのギャップが大きく、この解消を図るべく優先課題を明示しています。  具体的には、働き方の見直し、ワークライフバランスですね、それともう一つは包括的な次世代育成支援枠組み構築、この二つを車の両輪に据えた構成を取っていて、子育てを支える社会的基盤となる現物給付の実現に取り組むことを優先課題として打ち出しています。とりわけ、この後者の包括的な次世代育成支援枠組み構築では、例えば一時預かりをすべての子供子育て家庭に対するサービスとして一定水準を普遍化した上で再構築するということも明記されています。ここでは地域のこうした子育て支援を担う人の養成が重要であると私は考えます。  子育て支援は、従来の施設整備型から人の養成を重視する方向に大きな転換点を迎えていると言って過言ではないと思います。しかしながら、地域活動する人材養成は十分な蓄積が乏しく、コミュニティーの崩壊が指摘されて久しい今日ですので、人材養成意義課題というのは極めて大きいと考えます。  この人材養成目的と特徴、レジュメの五ページに六点ほどまとめておりますが、この講座内容的にかなり高度なもので、講義と実習を含めていずれの級も三十こまの受講を求めていて、認定後もバックアップ研修を行い、知識、技術のキープとスキルアップに常に励んでいただいています。  当初この企画を打ち出したとき、地域子育て支援になぜここまで本格的な講座が必要なんだろうか、受講者大半主婦であろうから三、四回で済む簡単なものでなくては希望者は集まらないのではないかという声が少なくありませんでした。  しかし、地域で住民が相互に行う子育て支援は、保育士の方、保健師という専門職の方が行う支援とはまた異なる難しさと対応力が求められていると私は考えます。地域人々価値観生活様式は多様でして、年配者と若い親との間に世代の差、生きた時代の影響も小さくありません。昔の子育ての常識が通用しないこともあって、善かれと思って掛けた声がかえって親を追い詰めてしまうこともあります。したがいまして、支援をしてあげるのではなくて、地域に暮らす者同士が支え、支えられて、お互いさまの関係を築いていくことが大切だと思います。  また、この講座本当の役割は認定後にあるわけです。学んだことは実践してこそ磨かれる。活動していただいた後、その成果、問題点を皆で共有し、必要なものは何か、足りないものは何かということを話し合いながら、バックアップ講座の中で講座内容を微調整したり、新たな講師を加えて現場のニーズに合うような工夫もしております。さらには、できる限りこの認定者方々希望に応じた活動の場を紹介し、しかも有償活動を提供するということに注力をしております。  認定者受講者方々は、こういう本格的な講座を待っていた、自分子育て経験地域に生かして仕事として認められるのがうれしい、中年期になって社会参加機会に巡り合えた幸せを人生の集大成につなげたい等々、大変期待に胸を膨らませて多くの方々参加希望してくださり、受講態度は実に真剣です。  いずれの地でも、いずれの地と申しますのは、実績として書かせていただいていますが、二〇〇五年に港区で始め、二〇〇六年から浦安市、千代田区で同様の講座を開始し、既に五百名を超える方々認定を受けて、各地実態に即した活動を活発に展開しておられます。大変熱心に活動してくださっています。また、浦安市では、二級認定者の中から五名の子育てケアマネさんが誕生され、市民研修を積んで地域子育て相談ワンストップサービスとしての機能を発揮している恐らく日本で最初の試みではないかというふうに思います。  さて、こうして講座運営しておりまして、おかげさまでスムーズに運営をさせていただいております。これができている理由一つ行政との連携があるということだと思います。実習に際しましては、港区も千代田区も浦安市も公立の保育園が全面的に協力をしてくださって、認定取得者活動場所の提供も行政と密接な相談連携の下に実施しております。  子育て家族支援者養成に携わって、ここ数年ですが、振り返りまして、NPO行政との対等なコラボレーション、協働関係の模索にほかならなかったと言っても過言ではございません。重点戦略地域人材養成重要性に着眼したことは大変すばらしいことであり、先ほどもその意義を申し上げました。子育て支援に新しい地平を開くものとして私は大変歓迎したいと思います。そのためには、地域人材養成に必要な財源の確保を始めとして、地域子育て支援者養成を安易に考えてはならないと思います。  全国各地の状況を見ますと、類似の講座はございます。ただ、内容水準活動バックアップ体制が必ずしも十分ではないという声もよく聞きます。行政の中には、NPO市民を安上がりな子育て支援の受皿とする発想があることも否定できない。子育て支援は、女性たちボランティア活動に任せておけば、安く済むといった誤解も払拭しなくてはならないと思います。地域子育て支援は、ボランティア精神を大切にしつつも、高度な資質が求められているということは先ほども申し上げたとおりです。御自身の子育て経験あるいは職業経験を基に一定水準研修を積んだ人々活動に対して社会的な評価を与えるという意味でも、子育て支援無償活動に依存するということは私は賛同できません。また、人材養成と活用は大変地味で、かつ大きな労力と時間を要します。講座の趣旨と意義を理解して講師を務めてくださっている方々の献身、さらに講座運営人材活用に当たる事務局スタッフの働きなくしては始まらないと思います。  そのためには、繰り返しになって恐縮ですが、財政的な援助を始めとして講座実施と認定者活動に関して行政の助成、協働が不可欠なことは、何度繰り返して強調しても強調し過ぎることはないと思います。見えにくいものにどれだけ息長く必要な財源と人間力を投じることができるか否かがすばらしい重点戦略を今後本当に成功に導くことができるかの成否の分かれ道になると考えております。  私どもがしておりますあい・ぽーとステーション人材養成本当に小さな試みですが、人口減少社会の担い手の育成重要性を痛感しつつスタッフ一同微力を注いでおりまして、本日はこうして先生方にお耳を傾けていただけましたことを大変有り難く感謝申し上げます。  私の話は、それでは以上とさせていただきます。ありがとうございました。
  5. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 大日向参考人、ありがとうございました。  それでは次に、本田参考人お願いを申し上げます。
  6. 本田由紀

    参考人本田由紀君) 本田と申します。よろしくお願いします。  今日は、私の考えをお話しする機会を設けてくださいまして大変有り難いと思っております。  私も最初に簡単に自己紹介をいたしますと、私は教育社会学という学問を専門にしております。これは教育という社会現象に対して社会学的にアプローチするという学問なのですけれども、私は、教育社会学の幅広い研究対象の中でも、教育というシステムの出口としての若者の仕事現実に関する調査研究を長年行ってまいりました。また一方で、教育の入口としての家族における教育に対する意識や行動についてもやはり調査研究を進めてまいりました。  今日は、戦後日本社会のそもそもの成り立ちの特徴であるとか、その果てに今、日本社会がどういう状況に立ち至っているか、その中で将来を確保していくためにはいかにそれを立て直していくことが必要であるかについて、かなり長期的で、かつマクロな私の見立てについてお話をしてまいりたいと思います。お手元にパワーポイントをカラーで打ち出しました資料をお配りしてくださっているかと思いますので、そちらに依拠しながらお話ししてまいります。  まず最初に、三枚の人口構成の、年齢別人口構成の図をお示ししてあります。これは右上、左下、右下というふうに順に、一九七〇年、二〇〇五年及び二〇四〇年の推計ということで、三十五年間の間を隔てつつ日本社会の性別、年齢別の人口構成がどのように変化してきたか、していくかということをお示ししたものです。  こうして図にすると大変視覚的に分かりやすいと思うのですけれども、一九七〇年、高度経済成長華やかなりしころの日本社会というのは、二十代前半、団塊世代を中心としてそこにピークがあり、大変若い人の多い、その意味で活力の大変ある社会であったというふうに見ることができると思いますけれども、それが二〇〇五年になりますと、その団塊世代はもう中高年に加齢し、団塊ジュニア世代が既に三十代半ばに達しかけていまして、その二つの人口規模の大きい世代に牽引される形でかなり壮年層で厚くなっております。しかし、この二〇〇五年の図を見ていただいてもお分かりのとおり、既にその若年人口の減少は明らかに生じており、少子高齢化がもう着実に進行しつつあることが分かります。  しかし、さらに二〇四〇年時点の推計を見ますと、もうこちらは七十歳に人口のピークが来て、その後ずっと若年人口が減っていくような、植木鉢型と書いてありますけれども、非常に若い年齢層が少なく、それで高齢者を支えなければならないという時期がもう早晩来るということはほぼ明らかであるというような状況にあります。  おめくりいただきまして、五枚目のパワーポイントのシートに入りますけれども、こちらの調査会における先ほど仮説一ということで、これから人口減少社会において幸福度はむしろ高まるのではないかという仮説が提示されていらっしゃいましたけれども、私は、なかなかそれに対してそううまくはいかないというか、かなり悲観的な見方、むしろ幸福どころか、この社会の継続可能性、存続可能性そのものが今危機にさらされているというようなかなり深刻な見方をしております。  パワーポイントにありますように、先ほどの三枚の図にありましたように、人口が単に減少していくというだけではなくて、そこに至るまでに少子高齢化社会、つまり少ない若年・壮年人口で高齢者を支えるという社会を必ず経由をしなければならないわけです。そのときに、若年、壮年がそれを支え切れるだけの活力を持ち得るのかということ、そしてまた少子高齢化社会を経由して人口減少社会、全体としては人口が少ない社会に入ったとしても、そういう少ない人口で社会をもたせていくというか、回していくだけの活力というものが十分に引き出せるような社会構造、社会体制になっているかということから、今の日本社会がそういう条件を備えているかというふうに振り返ってみますと、大変危ういと。  どうして危ういと考えるかということをこれから御説明するわけですけれども、それに関して、私は現代の日本社会というものが、先ほど見ましたように、ピラミッド型の非常に若年に広がるような三角形の人口構成期に成立した、私が戦後日本型循環モデルと呼びますものが今破綻を迎えていると。そのモデルをかなり人為的につくり直さない限り上の課題、つまり少子高齢化社会あるいは人口減少社会における人々の活力を引き出すということは困難であると。更に言えば、先ほどもちょっと申しましたけれども、幸福以前にこの社会の存続そのものが今大変危機的な状況にあるというふうに私は考えております。  その理由というか、その見方をこれから御説明したいと思いますけれども、パワーポイントのシートの六枚目、七枚目、八枚目に掲載してあります図は、今日の参考人関連資料というところで皆様にお配りしていただいている、私の「毀れた循環」という最近書きました論文に使いました図です。この三枚ともそうです。ですので、今日大変時間も限られておりまして口頭による説明も不十分なものになるかと思いますが、もし詳しく私のお考えに関心を持っていただけました場合にはそちらの短い論考にお目通しいただければ幸いです。  順にこの図について簡単に御説明していきたいと思いますけれども、六枚目のシートに示してあります「戦後日本社会の変化と二つの世代」と書きました図は、幾つかの社会指標を取り上げて、一九六五年、高度経済成長期から現在に至るまでその推移を示したものです。ここでは、戦後日本社会をオイルショックを迎える以前の理想の時代、理想が追求されていた時代と、そのオイルショックからバブルが崩壊するまでの非常に消費社会化が進み、あるいは情報社会化が進んできた、ある社会学者はそれを虚構の時代というふうに呼んでいるんですけれども、それを私も採用させていただいて、そういう虚構の時代と、もう一つ、バブル経済の崩壊後現在に至る不可能性の時代というふうな三つの時期区分に分けて、三つの時期に分けて示してあります。  様々な社会指標の推移を示しますと、確かにオイルショックの前後、つまり理想の時代と虚構の時代の間にも幾つかの指標に屈折が見られます。しかし、虚構の時代と不可能性の時代、つまりオイルショックの前と後で日本社会には幾つかの点で大変ドラスティックな変化が起きているということがこの簡単なグラフからも視覚的に読み取っていただけると思います。例えば、生活保護世帯数であるとか、完全失業者数であるとか、あるいは貯蓄非保有世帯であるとか、そういうもう生活基盤そのものが九〇年代以降に至って成り立ちにくくなっているということがこのグラフからもお分かりいただけると思います。  このグラフに、日本社会において大変人口規模の大きい二つの世代、つまり団塊世代と団塊ジュニア世代ライフコースを書き込んだものがその下に伸びている二つの青い矢印です。団塊世代は、第二次世界大戦が終わりまして五〇年ぐらいまでに生まれた方々ですけれども、仮に四七年生まれというふうに想定しますと、団塊世代は高度経済成長がまだ華やかなりし理想の時代に高校や大学などを卒業して労働市場に出られていると。オイルショックを迎えましたけれども、日本社会がジャパン・アズ・ナンバーワンと言われて、安定成長、低成長下でも日本独特の企業経営によりかなり無理を抱えながらオイルショック後の状況を乗り切った時期に、彼らがちょうどそれを担うような三十代、四十代という壮年期にあったということが分かります。  その団塊世代は、日本社会の様々な難しさが、困難があらわになってきた不可能性の時代に入りかけてきたころにはもう五十代、六十代を迎えていて、今はもう労働市場から去っていこうとされている、そういうライフコースを生きた方であると、日本社会の盛衰の真っただ中を生きた方であるというふうに言えると思います。  それに対して団塊ジュニア世代というのは、七〇年代前半に生まれた方々ですけれども、彼らはちょうどバブル経済崩壊の前後に学校を出まして、長期不況下、ロストジェネレーションと呼ばれる時期にちょうど労働市場における人生を歩み始めている。つまり、彼らが今目の当たりにしている世の中というのは、ほぼ社会人となってからはずっと不可能性の時代の中で彼らは生きているわけです。当然言うまでもなく、この団塊ジュニアよりも後の若い世代というのは、もう既に社会理想の時代であったころ、虚構の時代であったころのことを知らない、もう生活基盤が崩れ始めている不可能性の時代の中をずっと生きている人たちであるということがこの二つの矢印からも分かっていただけると思います。  つまり、今、日本社会の中には、世代によって見ている社会、生きてきた社会において大きなギャップがある、その意味で世代間の相互理解も成り立ちにくくなっているということがここから推測していただけると思います。  次に、七枚目、八枚目に示してありますシートが、私が戦後日本型循環モデルと呼ぶところのもの及びそれが崩壊してきている状況について模式的に示したものです。  七枚目のシートが戦後日本型循環モデルです。私は、この戦後日本型循環モデルが理想の時代において成立し、虚構の時代において既に内部から様々な問題があらわになっており、不可能性の時代に立ち至ってもはや循環そのものが成り立たなくなっているというふうな図式で日本社会、戦後日本社会をとらえております。  この戦後日本型循環モデルの特徴は、この図に表しておりますとおり、教育と仕事家族という三つの社会領域から次の社会領域に向けて、アウトプットをどんどんと注ぎ込む大変太くかつ内部的に均質な矢印というものが突き出していたということ、この矢印によって教育、仕事家族という三つの社会領域が緊密に結び合わされていたということ、この間に循環というものが回っていたということが戦後日本型モデルの大きな特徴です。ちなみに、今お話ししていることは九枚目のシートに言葉でまとめてありますので、そちらと照らし合わせながら御覧いただければ幸いです。  具体的にこの矢印の中身は何かといいますと、日本社会においては新規学卒一括採用という、ほかの国に、他の先進諸国に類を見ないような慣行が存在したことにより、学校を終えれば、つまり教育システムを終了すれば、次に仕事の世界に大変順調にスムーズに入っていけるという前提が幅広く成り立っていました。三月に卒業式に出て、四月の一日に入社式に出て、もうぱっと学生、生徒であった時期からほとんどは正社員になっていけるというような前提というものがあったわけです。  一方で、仕事の世界から家族に流れ込むこの太く均質な矢印というのは、具体的には長期安定雇用と年功賃金です。正社員という働き方が提供する長期安定雇用と年功賃金に支えられて日本人々というものは家族をつくり、ちょうどその子供にお金が掛かるような時期に最も年功賃金が高くなるような、そういう賃金カーブの中で働き、その賃金を家族に持ち帰ることができていました。一方、家族は、その父、主に父が持ち帰ってくるような賃金を母が、まあ教育ママと時には呼ばれながらも、その賃金と意欲を、大変強い母親としての教育意欲を次世代である子供の教育にどんどんと注ぎ込むことによってその教育を成り立たせるというような、後ろから支えるような役割を担ってきたわけです。  この循環は大変一見効率的に見えるわけです。かつ、このような大変太く均質的な矢印が日本社会のメンバー、日本国民を広く覆うような形で成り立っていたがゆえに、この循環の中で日本国民は、だれもがそれなりに良くなっていけるあしたというものがあるだろうというふうなイメージをずっと抱くことができていました。また、標準的なライフコース、標準的な人生、何とか学校を終えれば正社員になって、家族をつくって、子供をちゃんと育ててというような、そういう共有されたイメージというものを持つことができていたわけです。それがバブルの崩壊する以前の話なのですけれども。  よく総中流社会ということが一時期はやり言葉になったりもしましたけれども、その総中流社会という言葉で形容されるような日本というのは、だれもが良くなっていく、標準的な人生というものがみんなの間に共有されているような、そういうある種幻想と言ってよかったかもしれませんけれども、そういうものの中で人々が生きていることができた時代であったというふうに見ることができると思います。  しかし、このように、教育と仕事家族という三つの社会領域から、次へ、次へ、次へというふうに矢印が突き出しているようなそういう循環構造は、成立した直後の七〇年代後半から八〇年代にかけて既にその問題状況が様々な面で明らかになっていました。といいますのも、この矢印が矢印の付け根にある社会領域を支配するような、それによってその領域が空洞化するような事態が起きていたというふうに私は見ています。  例えば、教育の世界では、いい成績を取っていい大学に入りいい会社に入るために勉強するのであって、学ぶことそのものの意味であるとかいうことはもう置き去りにされたまま、それでも教育システムが何とか作動するような、そういう事態があったと。  また、仕事の世界では、家族に賃金を持ち帰るためにはもう会社に言われたことはすべて受け入れて働くと。どこに転勤を命じられてもすべて受け入れるというような、会社人間と言われるような、そういう労働者像というものが幅広く成り立ってきたと。  家族は、子供に余りにも教育熱心であるがゆえに、むしろその子供の感情や希望を踏みにじるようなことも幅広い家族で起きてきましたし、父は仕事に専念している、子供は教育に専念している中で、父、母、子の間にプライベートな親密性というものが成り立ちにくいような、そういう空洞化した状況の中で日本家族というものはこれまで来た面があるというふうに私は思っております。  また、もう一つの問題は、このように教育と仕事家族に互いに次へ、次へ、次へとアウトプットを注ぎ込む関係を駆動していたエンジンというのが、すべて自分自分家族さえ良ければというようなエゴイズムがエンジンであったということにおいても大変問題が大きかったというふうに思っております。一戸建てが欲しいとか、うちの自動車をワンランク上げたいとか、うちの子にはパパよりもちょっとでも偉くなってもらいたいというように、自分自分家族自分子供だけが一歩でも今よりも良くなっていけばいいというような、そういうエゴイズムがこの循環を駆動していたことによって、社会には様々な荒廃も既に起きていたというふうに見ております。  しかし、このような荒廃が、九〇年代に入るや、そのように非常に内部において問題を抱えていたような循環そのものがもう九〇年代において成立しなくなった。そういう状況を八枚目のシートに書き表してあります。  その一番大きな発端というのは仕事の世界の変化です。この図にも表してありますように、九〇年代において日本社会に生じた最大の変化は、仕事の世界、雇用の世界の変化です。それまでにはかなり働く人の大半を覆っていた、少なくとも学生ではないような男性大半を覆っていた正社員という働き方は、九〇年代に入ってぐっと細りました。特に、正社員の中にも、従来どおりの言わば中核的正社員と呼んでいいような長期安定雇用や年功賃金を手にできているような層は正社員の中でも更にぐっと細まり、言わば名ばかり正社員と呼んでいいような、サービス残業をさせるためだけに雇っているような、そういう周辺的正社員の比重がもはや正社員の中でも半数に及びつつあるというような調査結果があります。  正社員の中にもこのような層別の多様性が現れてきているわけですけれども、その周囲に更に幅広く非正社員という存在が現れてきています。日本社会にも従来から非正社員が存在しなかったわけではありませんけれども、その主な担い手は学生アルバイトと主婦パートでした。つまり、家計の担い手というのはちゃんと別に存在していながら家計補助的に働く人々がその非正社員に流れ込んでいたわけですけれども、今はそうではなくて、自ら生計を立てていかなければならないような人たちまでもが非正社員という立場に甘んじざるを得なくなっているというような状況が生じています。  このように仕事の世界が変貌を遂げたとすれば、その仕事の世界に流れ込んでいく矢印、あるいは流れ出していく矢印が影響を受けないわけはありません。  つまり、具体的に言いますと、学校教育を終えたからといっても安定した仕事に就けないような人々というものが今非常に大きく幅広く存在するようになっております。あるいは、仕事に就けたとしても家族に十分な賃金を持ち帰れないような、そういう人々が非常に増えてきております。あるいはもう家族をつくることすらできないような、そういう若年層というものも大変増えてきております。  晩婚化であるとか非婚化の進行というのは大変著しいものがありますけれども、その背景には、例えば賃金が少な過ぎたりあるいは雇用が不安定過ぎたりするがために家族がつくれないようなケースもありますし、あるいは、たまさか正社員になってみれば、もう驚くほどの過重労働、長時間労働のゆえにまた別の意味で家族がつくれないような、そういう人々も非常に増えてきているわけです。  それによって、たまさか家族がつくれたとしても持ち帰れる賃金に大きな差がありますから、当然ながら、次世代である子供の教育に注ぎ込める家族の資源というものも、家族の間に大変大きな差が付いてきています。  それだけではなくて、このような教育や仕事家族という社会領域に包摂されることがもはやできなくなって、もう個人としてさまよい始めているような、そういう層も大変広範に現れています。この年末年始の派遣村、年越し派遣村の存在は大変社会に強いインパクトを与えましたけれども、あそこに寄り集ってきた人たちのように、もうどこにも頼るものがなくなって、ああいう派遣村しか頼るところがなく集まってきたような人もいるわけです。  この八枚目のシートでは黒い点々で表してきていますけれども、このような循環からこぼれ落ち始めてきている人たちというのが広く現れてきている。この循環構造そのものが破綻しているだけでなく、この三つの社会領域及び矢印の外側は今真空のような状態にあります。  確かに、幾分かの社会保障社会福祉政策がないとは言いませんけれども、これはやはり他の先進諸国に比べて大変手薄いものです。そこに政府という丸が左上の方にありまして、その役割を書いてありますけれども、日本政府というものは、この循環構造が回っているころには主に産業政策によって仕事の世界の成立を支えていれば後は循環が勝手に回っていてくれるような、そういう状況というものがありました。  ところが、今循環が破綻しつつある中で、小さな政府が叫ばれ、政府はもっと財政の支出を細らせようと、少なくとも一時期はしていたころがありました。昨秋以来の経済危機の中で、やはり財政出動が必要だというようなそういうベクトルの変化もありますけれども、これまでは少なくとも、民間活力をむしろ生かすべきであって政府の支出は抑えるべきであるというような、そういう議論の方がまかり通ってきた時期というものがあったというふうに思います。  今九枚目のシートにまとめてあるようなことをずっとお話ししてきたわけですけれども、今の循環構造とその崩壊が主に若年層にもたらしている二つの不幸というもの、幸福どころか二つの大きな不幸について、十枚目のシートにはまとめてあります。  この二つの不幸といいますのは、一つは物質面での不幸です。つまり、もう生活が成り立たないという面での不幸であると。もう一つは精神的な面での不幸であると。この二つの面で、若年層に限定されないという見方もできますけれども、特に若年層においてこの二つの不幸が甚だしい形で現れていると。  物質面での不幸といいますのは、先ほども申しましたように、仕事で得られる賃金の少なさであるとか雇用の不安定性、あるいは極めて過酷な長時間の過重労働により、既に生活であるとかあるいは心身の健康の維持すら成り立たないような層が大変幅広く現れていると。正社員であれ非正社員であれ、こうした働き方というのは、個々人が持てる活力を伸ばすというよりも、もうむしろすり減らしていくような、どんどん吸い取って彼らを使い捨てて掃き出していくような、そういう働き方というものが今広範に広がってきているわけです。  社会の中で格差が広がり、様々に分断された層というものができ上がる中で、なかなか増えにくくなっている豊かさ、富、地位というものに対する奪い合いも今始まろうとしています。それに対して、公的なセーフティーネットはこれまでのところ極めて手薄なままで来ていると。  また、こういう中で精神的な不幸というのも大変募ってきています。既にこの循環構造が崩壊する前から、教育、仕事家族という三つの社会領域の中での意味の空洞化、なぜこういう社会領域があるのか、その中で自分は何をしているのかということに関する意味の実感というものは空洞化していたわけですけれども、今その上に更にかぶさるように、物質面での不幸が精神面での不幸を追加しつつあると。  具体的に言いますと、かつてはある程度リアリティーがあった、みんなが良くなっていけるあしたと標準的な人生という共有された社会のイメージというものは、今やもう不可能になりつつあります。循環構造の崩壊後に個々人が直面している、それぞれに厳しさの中身は違っていても全員が全員厳しいというような状況の中に、一体なぜこのような状況に社会が立ち至ったのかということに対する解釈図式が今不在なような現状にあると。  その中で、個々人がつらさというものを、時には自己責任として全部引き受けてしまったり、あるいはあいつらのせいだというように何らかの他者にその責任を帰して攻撃に出たり、あるいはバッシングに出たり、あるいは大変悲惨な事件という形で噴出したりもするわけです。自己責任化の方はなかなか目立ちませんけれども、今多くの若い人たちが、自分が大変なのは自分のせいだというふうに、正社員から非正社員というふうに後退し、非正社員から今度は働かない状況へと後退し、もうこの世からも後退していくというような形で自ら生を奪うというような、自殺してしまうというような例というものは後を絶っていません。  このように、社会の中で寸断された各層が現れている中で、世代であるとかあるいはその層の間であるとかあるいは個人の間に互いに対する憎悪や軽蔑やあるいは無視のようなものが大変広くはびこっています。  私のデータ分析によりますと、この社会の中で大変恵まれた立場にある人が、社会の中のそういう苦しみであるとか格差というものの存在を否定し、むしろもっと過酷になっていっても構わないというような意識を持ちがちであるということもデータ分析から出てきています。  つまり、恵まれた層というのは、例えば学歴であるとかあるいは収入であるとか、恵まれた層というのはもう恵まれた層の中でずっとこれまで生きてきており、今もそういう層しか目に入っていない、つらい人々の存在というものの現実が目に入っていないわけですね。そういう中で、いや、格差なんてないのである、自分の周りにはつらそうな人など存在しない、もっと厳しい競争型の世の中にしていくべきだというような、そういう意識を持ちがちであるということがはっきりと出てきています。このような社会でいいのだろうかというふうに大変疑問に思っております。  では、今いかなる対処が必要なのかということを考えてみますと、要するに、戦後日本型循環モデルというものは元々問題がありましたし、それが今崩壊を迎えている、だとすれば新しい形で循環を立て直していくしかないというふうに私は考えております。それに関する幾つかの提案を書いたのが十一枚目のシートです。  まずは、仕事家族、教育というそれぞれの領域の中身そのものを立て直した上で、互いの関係性というものも新しくつくり直していく必要がある。また新たに、これまでは手薄であった循環のその周りを埋める存在としてのセーフティーネットというものを手厚くしていく必要があるということを十一枚目のシートには書いてあります。  具体的に言いますと、仕事の世界におきましては、ある程度の安定性、ある程度収入、ある程度向上機会、ある程度生活との両立可能性というものを兼ね備えた適正な働き方、ILOなどはディーセントワークという言葉を使いますけれども、そういう働き方を今広く回復していく必要がある。今現状として起こっているのは、安定性が欲しいのであれば何か重要なほかのものを手放す、生活との両立が欲しいのであればもう収入であるとか向上機会も手放すというように、このうちのいずれか一つしか手に入らない、その代わりにほかのものは大きく手放さなくてはならないというような、そういう事態が発生していまして、どの層も大変いびつな働き方になっているということがこのパワーポイントの後半に、いろいろくっつけて今日まいりました参考資料の中にはいろんなデータをお示ししてあります。そういう働き方になっているものを、もう一度新しい意味での標準的な働き方、適正さというものを回復させていく必要があると思います。また同時に、自分が担っている仕事領域、専門的な仕事分野そのものに対する誇りであるとか知識やスキルというものも回復していく必要があるというふうに私は考えております。  家族については、これまで家族というのは父親が持ち帰ってくる賃金を次世代に流し込む媒介としての位置付けを非常に色濃く与えられてきました。それによって親密性というものは成り立ちにくいような状況があったわけですけれども、私は、今だからこそ初めて家族というものが、固有の原理、例えば情愛であるとか親しさであるとか充実した余暇であるとか、そういうものを取り戻す必要があるというふうに考えています。  また、教育も、いい成績を取っていればいい会社に入ってハッピーになれるというような、そういうストーリーが今リアリティーを失いつつある今であるからこそ、学ぶことそのもの、学習内容そのものの意義の回復ということが必要ですし、また、教育システムの中での教育達成の格差の最小化というものが必要になってきているというふうに思います。  教育と仕事との関係という点では、日本社会に長らく根付いてきた新規学卒一括採用慣行というのは、実は日本方々が気が付いていらっしゃる以上に大きな弊害を含んでいるというふうに私は考えております。私は、それを克服し、学校を出た時点で正社員にならない限りその後再チャレンジのチャンスがほぼ閉ざされているような、そういう硬直的な若年労働市場ではなく、もっと適正な仕事を模索する期間の猶予というものを若者に与えるような労働市場の形にしていくべきだというふうに考えております。また、日本においてはこれまでなくても済んできた教育の職業的意義というものを今考え直す時期に来ていると思います。  仕事家族関係性という点では、やはりこれからは男性が稼ぎ手として十分な賃金を得られるかというと、それは大変危うくなっている。となると、もうこれからはリスク分散としての共働きが不可欠になると思います。それは性別役割分業の克服という意味でもあります。仕事家族の間のワークライフバランスというものを成り立たせて、父も母も仕事に就くけれども、夕方以降は帰ってきて、家族の中で人間らしさを取り戻すことができるというような、そういう意味でのバランスが取れた生き方というものが必要だと思います。  また、家族と教育との関係という点では、これまで日本の教育は費用や意欲の点で大変家族に依存してきましたので、そこを切り離し、家族の持つ資源の格差が次世代に直接影響されてしまうような関係性を切り離す、つまり、家族の中にいかに格差があっても、教育システムの中でその格差を最小化していくというような、そういう教育システムの責任というか自律性というものを立て直す必要があると。そのためには、やはりこれまでよりも一層手厚い公的な資源というものを教育システムに注いでいく必要があると思います。  セーフティーネットに関しては、そこに書いてあるとおりです。  次の十二枚目のシートは、ちょっと時間がなくなりつつありますので飛ばします。もう見ていただければ結構なのですけれども。  最後に、十三枚目のシートに基本原則というようなものを書いてありますけれども、社会が真っ当かどうか、人々が幸福かどうかということは、次の三つの条件が備わっているかどうかに左右されると思います。  一つは、ある時点で不利な状態に陥った人がいつまでも、その後一生を通じて不利で居続ける必要がなく、また、そもそも人々ができるだけ極めて不利にならないような、そういう準備や支援というものが社会的に幅広く提供されていて、かつ、人々自分の尊厳と他者への敬意を持って生きていくことができるような、こういう条件を備えた社会というのが幸福度が高い社会というふうに思いますけれども、現状の日本を見る限り、この三つの条件のいずれも正反対のような状況にあると。  ある時点で不利な状態になってしまえば、もうどこまで落ちていくか分からないような、しかも一生を通じて回復が見込めないような、今そういう状況にありますし、そもそも簡単に不利になってしまう。例えば、たまたま家計にゆとりがないような家庭に生まれてしまえば高等教育に進学することは大変難しいような、そういう社会です。準備や支援というものが幅広くあるわけでは全くないと。そういう中で、人々自分の尊厳や他者への敬意というものを見失って、そのつらさを自分で抱え込んだり、あるいは他者に憎悪を向けたりしながら何とかかんとか生きていっているというような、そういう現状にあると思います。  これをかなりドラスティックに変えていかない限り、そもそもこの社会が今後も成り立っていくかどうかが危ういというふうに私自身は考えております。  済みません、二、三分オーバーしてしまいました。  以上です。
  7. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 本田参考人、ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行いたいと思います。  本日の質疑でありますけれども、あらかじめ質疑者を定めずに行います。質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようにお願い申し上げます。  なお、質疑に当たっては、参考人方々の御意見の確認など、簡潔に行っていただきますよう御協力お願い申し上げます。  今日は多々質疑あろうと思います。積極的な参加お願いを申し上げたいと思います。  質疑のある方の挙手を願います。  私がちょっと整理させていただきます。  加藤敏幸君。
  8. 加藤敏幸

    ○加藤敏幸君 会長ありがとうございます。  今日は、大日向教授、本田教授に大変興味深いお話をしていただきまして、大変感謝をしております。他に質問の方もおられますので、少し簡潔に質問したいと思います。  まず、大日向教授にですけれども、一つは、私どもが今作っている仮説一ですね、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度向上する」という、この仮説を第一感で御覧になって、この仮説について率直に感想なりお考えがあれば、まずそれをお伺いをしたいということが一つです。  二つ目は、社会との接点ということの重要性を指摘をされておりましたけれども、子育ての後の社会参加についての必要性を御指摘のことだと思います。  私は、地方の政治、行政の場に更に多くの女性参加されることが非常に重要ではないのかと、このようにかねて考えてきました。また、公共サービス基本論につきましては、直接国家あるいは地方公務員がその任に当たるケースもあれば、共同社会地域の、あるいはNPOがその公共サービスのある分野を担当するケースもあり、また民営化と、あるいは民間という形で私的企業がそのサービスを担う、そういうふうなフェーズがあろうかと思います。  そういうような点を前提にもしお考えになられたときに、社会との接点といったときに、先ほど先生のお話の中では、更に具体的なイメージとして何か提案のようなものがあれば、そのことをお聞かせいただきたいと思います。  ちょっと冒頭、私、自己紹介するのを忘れまして、大変失礼いたしました。民主党の加藤でございまして、私は労働関係に長らく携わってきましたので、その点からも質問したいと思います。  お一人お一人でいいんですか。
  9. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) まず、大日向先生に聞きますか。
  10. 加藤敏幸

    ○加藤敏幸君 はい、大日向先生に。
  11. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) それでは、大日向参考人お願い申し上げます。
  12. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 御質問ありがとうございます。  まず第一点、人口減少により幸福度は高まるかどうかというお尋ねですが、私は、現在なぜ人口減少になっているかと考えますと、人々幸福度を実感できないから産みたいけど産めないという実態があると思います。そこのところを丹念に分析して、つぼを押さえた施策を打てば、結果的にほどほどの人口は維持できるんではないかと、その結果、人々幸福度が高まるというふうに考えますので、人口減少によって幸福度が高まると簡単には言えないと思いますが、結果をどこに求めるかということで、現状は幸福度が少ないがゆえの人口減少になっていると考えます。  ただ、いたずらに人口を増やせばそれでは幸福度が高まるかというと、これも逆も、全くそうではないと思いますので、いかにして人々意識希望実態の乖離を少なくしていくかということを模索していくことが大事ではないかというふうに考えます。  二つ目の御質問、社会との接点重要性ですが、今日私が例として御紹介させていただいたのは、たまたま子育て社会との接点を奪われた女性たちの再び社会へのデビュー、あるいは仕事を終えられた方々の、団塊世代以降の方々社会参加支援をということで一つの小さな試みを御紹介させていただいたわけですが、しかしながら、今の社会、そして将来、人口減少はさほど早急には回復しないと考えたときに、小さな日本の規模ということも考えていく必要があるであろうと。そのときに、やはり今先生が御指摘くださったような様々な分野で、いかに市民があるいは女性たち社会を新たに構築していくかというところの担い手になり得る可能性は非常にあるだろうと思います。  ただ、そのときに、これも私が最後のところで申し上げたと思いますが、そういう市民力というものを育てていくというのはそれなりの時間と財源が必要であり、それをバックアップする行政の公的責任というのもあるだろうと思います。市民行政との対等なコラボレーションというものでもって今後人口減少社会に臨んでいき、新たな社会構築していったときに、この調査会仮説とされている幸福度がどうなるかということもおのずと結論が見えてくるのではないかと考えております。
  13. 加藤敏幸

    ○加藤敏幸君 ありがとうございます。  私も団塊の世代のど真ん中で、子供は三人、女、女、男ですけれども、二人の娘たちが子供を産むのか産まないのか、顔を合わせるたびに多角重層的な議論をしておるんですけれども、なかなかいろいろございますけれども。  さて、本田教授、参考人にお伺いをしたいんですけれども、本田先生の場合は、五ページに私どもの仮説については明確にお考えを提示をしていただいております。言ってみれば、非常に大きな課題を抱えている、問題が大きいということの視点かと思います。  そこで、十ページに「循環構造とその崩壊が若年層にもたらした二つの不幸」ということで、非常に、ある種ショッキングというのか、見方によれば非常に明確に私は指摘をしていただいているんですけれども、先生の説を見聞をいたしまして直ちに私、頭にひらめいたのは、言ってみると、労働の再生産ができていないということだと思うんです。これは私ども、ここで苦しんでいる若年層の問題であると同時に、例えば企業家であり、古い言葉で言えば資本家の皆さん方が日本経済運営において大いなる過ちを、後世ですね、労働の再生産すらできなかった時代だという意味での歴史的に語られるということもあるのではないかと、こう思うわけであります。  ただ一方、我が国の憲法なり労働関係法においては、労働分野における諸権利、活動については世界的にもうある種レベル以上の権利を確保しているということも事実であるわけでありまして、そういうふうなことの中で、この若年層、不幸に苦しむ若年層の皆さん方のいわゆる内在的な意識の中に、言ってみれば、法的に保障されたそれらの権利を行使しながら自律的に自らの立場なり処遇を改善するという意欲があるなし、ないとすれば、それは何ゆえにということについて御所見があればお伺いをしたいということが一つであります。  二つ目は、十一ページのいわゆる「いかなる対処が必要か」ということで、先生のお立場で私は処方せんの一部を示されたというふうに思っておりますけれども、言ってみると、高負担高福祉の私はいわゆるモデルを恐らく提示されているんだというふうに思いますけれども、それで間違いないのか、その辺のところのお考えを。  最後に、具体的な、いわゆる十二ページの「自己責任の転換」ということも含めていろいろと問題がありますけれども、具体的に例えば我が国の賃金体系というのは、歴史的な変遷の中で、ある種家族給という、一世帯に対する報酬というイメージも相当側面持っていて、男女別々に賃金体系を考えていくというふうな構成には実はなっていないと。そのことが、社会保障家族単位、世帯単位であったり、あるいは個人単位であったり、その区分けがなかなかここ十年来苦しんでいるところでもあるわけですけれども、先生のお考え方としては、すべては男女同一であり、個別に一人一人給与を考えていくような、そういうふうなところを目指しておられるのかどうか。  以上、大変多くなって申し訳ございませんけれども、三点についてよろしくお願いします。
  14. 本田由紀

    参考人本田由紀君) では、三つの質問をいただきましたので、順番にお答えしたいと思います。  私のこのパワーポイントの資料の四十一枚目になりますが、こちらに労働者の権利を知る機会はなかったと答えた人々の比率というものを示してあります。これを見ますと、労働者の諸権利について知らなかったと答える人の比率は、若い人ほど、また学歴が低い人ほど、そしてまた組合に入っていない人ほどそういう知る機会がなかったと答える比率が多くなっております。つまり、若かったり、学歴が低かったり、組合に守られていなかったり、非常に弱い無防備な立場で、権利でもって身を守らなくてはならないような人であればあるほど知っていないということに大きな問題があると思います。確かに、法律的には整備されているかもしれない。でも、それをいかにして、そういう法律があることそのものが十分に伝わっていない。また、それをどうやれば具体的に実効あるものとして法律で身を守ることができるかということも知識としても知られていないということがあります。  一方で、知識として知るだけでも更に無理なのではないかと思うわけですね。例えば私の資料の二十九ページ、三十ページ辺りに、職場で違法な処遇、何らかの違法な処遇をされた経験がありますかと尋ねた結果を示してあります。これを見ますと、いろんな働き方の人に分けてみても、大体四、五割、四割から六割ぐらいまでの人は職場で違法な処遇をされています。具体的には、残業代の不払と有給休暇を取らせてもらえないというようなものが上位に挙がってきているわけですけれども、ほぼ半分ぐらいの若者が何らかの違法行為に遭遇していると。  しかし、それに対してどのように対処しましたかと聞いた結果が次の三十枚目のシートなんですけれども、何もしなかったと答える若者が七割から八割に達しているわけです。それも、雇用形態を問いません。それも、なぜですかというふうに聞くと、改善させられるとは思わなかったであるとか、職場の雰囲気が壊れると思ったであるとか、こんな職場を選んでしまった自分が悪いのだというように、やはりこれも自己責任なんですけれども、その場で声を上げていくというような発想ではないわけですね。  よくよくひどけりゃ転職すりゃいいじゃんというような、そういう発想の方がむしろ強いことによって、仮に彼らが権利を知っていたとしても、その場で踏みとどまって是正していこうとするような行為に出るかどうかというと大変怪しいというか危ういところがあるというわけで、やはりこの辺に関してはまだまだ分析は必要だと思うんですけれども、まず知識をしっかり伝えて、その上では学校教育の役割というのがやはり重要だと思うんですけれども、あまねく若者に知識を伝えて、具体的にどうすれば、どう振る舞い得るのか、どういう手段があり得るのかというところまで、態度であるとか実践的なその動き方まで伝えていく必要があるかと思います。その意味では私は、労働組合であるとか個人加盟のユニオンであるとかの役割というのはこれから大きくなってくるだろう、その意味でも広く労働法について世に知らしめるという役割も担ってもらいたいというふうに個人的には思っております。  あと、高負担高福祉ということを想定するのかという御質問でしたけれども、まあ、そうです。  これまでは本当日本は低負担低福祉のままでずっと来ました。その背後には、非常に自助努力の発想が強かったことによって、負担をすればこれだけの福祉が返ってくるはずだというような認識というのがなかなか抱けなくなってきています。税金というのはただ取られる一方で、無駄遣いをされてしまうかのようなマスメディアの語り方なども影響しているかもしれませんけれども、そういう発想が強いものを、やはりきちんと払えばきちんとこれだけのセーフティーネットが得られるのだという、高負担にすれば見返りがあるのだという方に持っていかない限り、やはり今自助努力で社会の多くの人々が生きていけないような状況にありますから、途中にはもちろん中負担中福祉の時期を経由した上で高負担高福祉に持って行かざるを得ないだろうというふうに思っています。  三つ目の賃金体系や社会保障に関してですけれども、家族給であるとか世帯単位の社会保障というものが、日本型循環モデルの強固な前提の下でようやく機能していたものであると。それが崩壊しつつあるからには、やはり私は、個人単位に持っていく必要があると、男女の間で差も付けない、それが必要だというふうに考えております。  以上です。
  15. 加藤敏幸

    ○加藤敏幸君 ありがとうございました。
  16. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) よろしいですか。  その他、挙手を願います。  石井君。
  17. 石井準一

    ○石井準一君 自民党の石井準一でございます。  両参考人には本当に、女性の立場といいますか家族在り方、今、我々政治が真剣に取り組まなければいけない課題についていろいろとお話をいただき、ありがとうございました。  私自身、世界に名立たる長寿国となった日本、政治家の一人として、また一国民としても、平均寿命が延びているということは非常に喜ばしいことだと思っております。しかしながら、社会保障を含めた老後の生活、また幼児教育、いろいろな社会保障の面に対して大きな課題が浮上していることは否めない事実だと思うわけであります。  私自身、昨年来、金融危機や景気の後退、円高、日本経済が縮小しているのは現実だと思うわけであります。そうした中で、やはり雇用の形態の在り方であるとか、やはり高齢者が働き続けられるような社会の構成、そうしたものの仕組みをしっかりとつくっていく。私自身は、高齢化そのものが問題ではなく、やはり経済社会仕組みが問題であって、人口の高齢化や人口減少時代を真に喜べるようなやはり経済社会仕組みをつくっていくことが肝要であると思うわけでありますけど、少子化という形の中でも出生率が上がっている自治体も実はあるわけですよね。  二人の参考人お話聞くと、まさしく自治体の施策そのものが地域の安心感や暮らしへのゆとり、育てやすい、産みやすい環境への道を開いているということはよく分かるわけでありますけど、ならば、行政や我々政治が担うべき大きな責任とはお二人の参考人から考えてどうあるべきかということをまずお聞かせいただきたいと思います。
  18. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 各自治体の対応の大切さを御指摘されまして、本当にそのとおりだと思います。  ここ数年、どの自治体も、何々するなら何々市、子育てするなら我が市で、我が町でというキャンペーンを張っていまして、選挙のたびにそういう言葉がよく聞かれるようになりました。ただ、それが本当実態を伴うものかどうかというところが、今先生も御指摘なされたようにいろんな温度差があるところだと思います。  そのために行政の方、政治が何をしていただきたいかということですが、まず市民ニーズをいかに的確につかむかということだと思います。ちょうど今、次世代育成行動計画、後期行動計画を計画し直す段階に来て、どの自治体も市民ニーズ調査をやっていると思います。いろんな自治体を見ておりますと、シンクタンクに丸投げしてひな形どおりのニーズ調査をしているところと、行政方々本当に小まめに足を運んでその地域実態市民一緒につかんでいるか、ここでまず一つ大きな分かれ目が出てくるだろうというふうに思います。  それから、これからの子育て支援少子化対策は、これも先ほど申しましたけれども、もちろん施設充実は大事なんですが、いかに人を養成していくか。支援の、例えば子育てひろばを動かしていくにしても、そこで支援をする人たちのマインドだとか資質をどういうふうに高めていくかという点では人材養成が非常に問われてくると思います。ただ、人材養成というのはなかなか地味な仕事でして、箱物をばんと造ると何かやっていると、こう見えるんですが、人を養成していくというのは時間も掛かり見えにくい。見えにくいものにどれだけ丹念に時間と財源を掛けていくかということも非常に欠かせないことだと思います。  ただ、私は、そうしたことを行政とか政治にだけ一方的に求めるのではなくて、市民がやはり声を上げていく、そして、担えるものは市民が担いますという、そういう姿勢を示していくことも大切ではないかと思います。子育て支援関係NPOはもう今本当にたくさんできておりますので、そのNPOの特性あるいは市民の特性というのは当事者性と専門性とフットワークの軽さです。一方、行政は、やはり財源を持ち、社会的信頼を持っているところが多いです。その両者の特性を生かしたコラボレーションで乗り切っていくことが大切ではないかと思っております。  以上です。
  19. 本田由紀

    参考人本田由紀君) 子育て支援に関しましては、大日向参考人の方がずっと御専門でもありますし、大変詳しくお話しいただけたと思います。  私から付け足すことは余りたくさんはないのですけれども、これほど少子化が進行しているのは、やはり子供を育てるということが大変難しい社会だ、そのために必要な資源というものを個々の家族や個人が独自に調達するということも難しくなっているという事態があると思いますので、そういう中で不安が大きくてつくれない、あるいはつくってもやはりつらかったということがありますから、言うまでもないのですけれども、言うまでもないというか、例えば子供をつくった方がむしろ生活が楽になるというような、そのような展望を抱くことができるようなことが、まあ理想論というか夢のような話ですけれども、あったらなと思うわけです。子供をつくればこれぐらいの援助がもらえるであるとか、実際に子供はきちんとした保育やあるいは学校教育の中で親の手を離れて育っていけるというような状況が思い描けるようになることが必要かなと思います。  済みません。以上です。
  20. 石井準一

    ○石井準一君 両参考人から、やはり地域の住民の主体性の行動が大事だということはよく分かるんですけど、ならば政治がお互い国民生活にとっていかに大切か。  私は、すなわち政治の究極の目的は、人々の幸せのため、地域社会に起こった問題をいかに解決するかのすべであると。だからこそ、生き生きと仕事に励み、生活を楽しむことのできるような地域社会構築をするために我々は選ばれているというように思っているわけですけど、まさに今は政治や行政が信用されていない。社会保障制度の不安だけでなく、漠然と国民がそういう認識を持っているということに対して両参考人はどのように認識をされておりますか。
  21. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 少し迂遠なお返事になって恐縮ですが、一つの事例を御紹介したいと思うんですね。  これは、私がやっております「あい・ぽーと」には内外からいろんな方々が見学に見えます。過日、北欧やフランスの政府関係方々が見えまして、若いお母さんで、それから学生たちと懇談の場を持ってくれました。北欧の高い社会保障仕組みをいろいろ説明をしてくれましたら、何人かの女子学生がため息をつきまして、非常にうらやましいと、どうして日本ではそういうことがなかなかできないんだろうかというような質問をしたときに、たしかスウェーデンの方が、あなた方は税金をどう考えているのかというような質問をされまして、先ほど本田先生がお答えになったこととこれは一致するんですが、高い水準の福祉を求めるのであればそれなりの負担も必要だということを考える、税金ということをもっと前向きに考える必要があるんではないかということを言われました。  ただ、そうなりますと、私たちは税金の使い道がどうなんだろうかということにおいて、今、石井先生が言われたような、政治や行政に対して信頼が必ずしも持てていないというところが大きなネックかなというふうには思います。ただ、一方で、これも私は市民の自覚の問題があろうかと思うんですが、なかなか選挙に行かないとか、しっかりとマニフェストを読み込むとか、そういうような姿勢をやはり市民も示していかなくてはならないだろうと思います。若い世代あるいは子育て世代は余り選挙に行かない、政治に関心がどうしても少なくなっている、ここも変えていく必要があろうかというふうに思います。  以上です。
  22. 本田由紀

    参考人本田由紀君) 信用されていないということは、今確かにあると思います。  ちょっと余談になりますけれども、先日お正月のときに書き初め大会のことをテレビで放映していたんですけれども、小学生が書き初めに税金のない社会とか政府のない社会とか書いて書き初めを掲げていまして、いや、それは違うんだというふうに私は思って、だれか言ってやれよと思ったんですけれども、だれも周りの大人が言わないようで、むしろ周りの大人の発想をそういう子供たちまでが内面化しているというような状況にあると思います。  やはり、先ほども申しましたけれども、あるいは大日向先生もおっしゃいましたけれども、ちゃんと使ってくれるはずだと、ちゃんと自分に返ってくるはずだというような実感がこれまで形成されてこなかったというところがあると思います。その悪循環、つまり実感がないので払いたがらない、払いたがらないので財政がなかなか危機に陥って十分な福祉も提供できないという悪循環を、どこかでその循環、私は循環という言葉を何度も使ってしまっていますけれども、そこにメスを、切れ目を入れていかなければならないのだろうと思います。  その場合には、こういうちゃんとしたことに使いますからということで、まず使い道ということを明示して、そのためにはこれぐらいの財源が必要だということを説得的に示していく必要があるのだと思います。  これだけ信用がなくなっているような背景には、やはり全体のビジョンであるとか、あるいは哲学であるとか、あるいは社会の設計であるとかいうことに関して、やはり今の政府が示せていないということがあるのだと思います。いろんな問題状況に対して、割合近視眼的な、場当たり的な対応になっていたりとかいうことも往々にしてあると思いますので、全体として整合性のあるそういう社会設計というものを提示する必要が信頼性の回復のためには必要なのではないかとも思います。
  23. 石井準一

    ○石井準一君 ありがとうございます。  私自身も、不安の根源……
  24. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 石井君、ちょっと待ってください。指名を待って。
  25. 石井準一

    ○石井準一君 済みません。
  26. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 今のあれなんですけれども、政府に対しての信用があるなしじゃなくて、政治全体に対してというような私は質問だったと思うんですね。
  27. 石井準一

    ○石井準一君 はい、そうです。
  28. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ですから、その辺ちょっといかがですか。これ、偏っちゃうから、そうじゃないと。  本田参考人お願いします。  今、政府に対する信用度が低まったというふうな事柄の発言がありましたけれども、今、石井君の質問は、あくまでも政治に対する信用度合いが非常に低下したという問題、このことをどう考えていらっしゃるかなというふうな質問であったかに私聞いておりますので。
  29. 本田由紀

    参考人本田由紀君) はい、そうですね。申し訳ありません。  政治に対する関心ですね。低下というのは、確かに投票率などの低下にも関心の低下は表れていると思いますけれども、私は今だからこそ政治の再復権みたいな、これから現実としては起こってくると思うんですね。様々な点で今論争点というのがあらわになりつつあると思います。  これまで、過去においてはいろんな政治的な紛糾状態に持ち込まなくても、先ほどの戦後日本型循環モデルで何とか社会が政治がない状態でも成り立っていくような状況がありましたけれども、今はそうではないと。この社会の進路をどう取るかという問題が政治的なテーマとして今浮上してきていると思いますので、好むと好まざるとにかかわらず、人々の関心が政治化せざるを得ないのではないかというふうに見ていますけれども。
  30. 石井準一

    ○石井準一君 私もそのとおりだと思います。不安の根源が何で、今後どのような展望を切り開いていくのか、将来へ向けた日本のあるべき姿をしっかりと合意形成で示せない、このことがやはり大きな不安ではないかなと思っております。そのことに向かって一生懸命私自身も取り組んでいきたいと思います。  ありがとうございました。
  31. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  それでは、澤雄二君、お願いします。
  32. 澤雄二

    ○澤雄二君 公明党の澤雄二でございます。  両参考人、今日はお忙しい中、ありがとうございます。少し意見というよりも質問させていただきますので、簡潔にお答えいただければと。  最初に、大日向参考人お願いいたします。  若い世代結婚したいと、後ろ向きではないと、これが問題を解くかぎだと。私も、団塊の世代に生まれておりまして、子供も三人いて、三人とも結婚していませんが、三人ともみんな結婚したいと思っています。早く親に孫を見せてやりたいと思っていますが、結婚できない。これは全くそのとおりだと思います。  それで、私は今日の大日向参考人意見を聞いて、私は決していい夫ではなかったなと思ったのは、専業主婦の孤独というのが言われています。望んだことではあるけれども、失ったことが多い。その中に、専業主婦は孤独になっていった、私の妻は孤独になっていったのかと、そのことに全く気が付かなかったと。一体どういうふうに孤独になっていったかというのを教えていただきたいなと。  それとの関連でありますけれども、その孤独ということについて、四ページに、乳幼児期の手の掛かる子育てに追われ、ほっと気を抜くことも許されない生活状況が続くため、心身共に大きな負担を強いられる母親が少なくない。これ、何というんですかね、多分昔からそうだったんだと思うんですが、しかし、昔の母親たちってもっと強くて、そんな孤独の悩みや何かに落ち込んでいかなかったんではなかろうかと。  そうすると、現代といいますか、新しい時代に変わっていく中で主婦が孤独になっていった。それは何か社会構造の変化があったのか、複雑になったからか、それとも子育てが難しくなった。その難しくなった中に、例えば感染症が広がった、若しくは発達障害というようなことは過去は少なかったかも、数を取ればどうか統計的には分かりませんけれども、最近はすごく目立っている。つまり、何か母親が昔と比べて頑張らなければいけない、負担を強いられることが多くなったというような変化があったのかということ。そのために、参考人がされているNPOも、高度なスキルを積み上げていかなければなかなか支援ができないというのはそういうことにも原因があるのかということも関連して言っていただければというふうに思います。  それから、これは是非教えてほしいんですが、いつも、この調査会でもそうですけれども、男性生活を助けなきゃ駄目だということはよく言われるんですが、どうすれば男の気持ちを変えられるのか、難しいんですよね。今までやってきてなかったことを、急に台所立つと、あなたどうしたのって不安がられますしね。男の気持ちを変えるって、これは人間の気持ちなのですごく難しい。言われることは分かるんですが、何か男の気持ちを変えられる方法があれば教えていただきたい。  これは、ちょっと時間があれですけれども、聞いた方がいいかなと思うんですけれども、政治の協力が是非必要だと言われました。  質問なんですが、五百人以上がそのNPO受講された、その五百人のうち今何人が有償で仕事をされているのかということを教えていただければと。  それから……
  33. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 取りあえず、どうですか、澤雄二君、大日向参考人に御答弁いただくということでよろしいですか。
  34. 澤雄二

    ○澤雄二君 はい。済みません、質問が多かったんで、短くて結構です。
  35. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 時間はあります。大丈夫です。  大日向参考人お願いします。
  36. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) ありがとうございます。たくさんお尋ねいただきまして、漏れてしまったらまた後でお尋ねくださいませ。  まず一つ専業主婦の孤独の状況ということですが、いろんな段階がございます。一つは、これはこういう言い方が一番分かりやすいかと思いますが、二十四時間年中無休のコンビニエンスストアを一人で切り盛りしているみたいだというふうによく言いますね。特に、はいはいを始めたくらいの赤ちゃんを育てているお母さんたちは、もうトイレにも一人で入れない、たまにでいいから手足を伸ばしてゆっくりおふろに入りたい、伸びていないおそばを食べたい、冷めていないおみそ汁を飲みたい、こういう訴え、お分かりいただけるでしょうか。本当に二十四時間追われて、息つく暇がない。そこに、今申し上げたのは体の負担だと思いますが、精神的な負担としていろんな悩みがある。私は子育ての悩みがあるのは、ある意味で当然だと思いますが、その悩みを打ち明けて聞いてくれる話し相手がいない。ですから、小さい子供と家で閉じこもっていますと、脳から言語が消えていくみたいとか、失語症になりそうと訴えます。  一番お母さんたちが期待する相手というのは夫なんです。その夫が一番また機能してくれていないということがありまして、いろんな理由があるんですが、一つはやはり働き方が厳しい。子育て世代男性たちの週六十時間以上の労働は非常にバリアが高くなっていますので、お帰りになったときはもうくたくたとなっていると。そういう夫を前になかなか話せないということもありますが、いざ話したときに、ここが今お尋ねくださいました夫たちの意識の問題なんですが、余り真剣に聞いてくれない。なぜかというと、育児女性のものじゃないか、頑張れとか、君は何を言いたいんだと、話し方がまどろっこいとか、仕事現場で話している言語と子供と向き合っている言語は同じ日本語と思わない方がいいと私思うくらい言語体系が違う。そこに虚心坦懐に耳を傾けてくれる夫が現状、今まで少なかった。  そうした問題に加えて、このお母さんたちは年賀状と暑中見舞いの季節がつらいと言います。かつての同僚やクラスメートが今何をしているかというような活躍をつづってくれる、そういうのを見て、頑張ってねと返事出すんだけど、一方で、私はいつ戻れるかという社会からの疎外感もある。  今申しました孤独な子育ての中には、心も体もやはり非常に負担が大きく、社会からの疎外感が強く、それを一番支えてほしい身近な夫のサポートがなかなか得られないという現状があります。これが専業主婦方々が味わっていらっしゃる孤独な子育てではないかと思います。  二つ目、昔の母親はもっと強かったんではないかという御質問で、この昔をどこに設定するかというのはなかなか難しいところですが、仮に昭和の初めぐらいまでを考えますと、先生がおっしゃるみたいに社会構造がドラスティックに変わっている。昭和の初めぐらいまでのお母さんは、これはこういう言い方、申し上げると驚かれるかもしれませんが、育児をしていなかったんですね。と申しますのは、産業構造が、第一次産業が日本のメーンでしたので、農業、漁業でした。例えば、農家のお嫁さんは、子供を産み、自らも労働力になることを期待されていますので、朝早くから夕方まで田んぼで働いている。ですから、子供と向き合う時間は本当に短かった。またさらに、大家族でいろんな手があり、さらに地域社会全体で何となく子供を見守っている。子育ての目標もそんな高いものではなかったんですね。  ところが、先ほど本田先生の御説明にもありましたが、七〇年代、八〇年代辺りから社会の構造ががらっと変わって、子育て家庭に、とりわけ女性に、お母さんにというふうに託され、一方で、子育ての目標がなかなか見えにくい中で頑張らなくちゃいけない、高学歴を与えるのは当たり前、でも、その先本当子供に幸福な人生を保証できるかというところがなかなか見えにくいというところで、大変、見えない目標に向かって一人で頑張らざるを得ないという苦しさがあろうかと思います。  三つ目の御指摘で、それでは男性たちの意識をどう変えていくかということです。  これは、男性たちも今二極化していまして、仕事の方が大変で、大切だという人たちと、一方で、できることならやはり子供とも家庭ともかかわりたいという人たちも増えてきています。この後半の人たちをどういうふうに本当に実生活に巻き込むことができるかというところでワークライフバランスという施策が取られていく必要性があろうかと思います。  ただ、現状、じゃ、すぐ何ができるかというと、一方で、この不況下でなかなか育児参加できない男性も少なくない。そこで、私がいつもお母さんやお父さんたちに申し上げていることは、夫婦協力はアルファベットでいうとT字型がいいんだと。お父さんとお母さんのきずながしっかりあって、アルファベット、ここに子供がいる。このかかわり方というのは、それぞれの家族在り方でベストを探したらいい。ところが、今はVになっているところもあるんですね。お父さんが子供に夢中になり、お母さんも夢中になり、夫婦の間が疎遠になってしまうということは、どんなに男性育児参加を促したとしても家族はハッピーにはなれないだろう。  男性育児参加を促すために働き方を変えるだけではなく、やはりパートナーである女性がどれだけ経済力をシェアできるかということも大事だと思います。あなたそんなに残業しないでと言ったある奥さんが、夫から、じゃだれが稼ぐんだ、だれが住宅のローンを払い子供の教育費を見るんだと言われ何も返せなかったという例もございますので、男性がもっと意識を変えるためには、意識だけじゃなくワークライフバランス男女が程よく働き、経済力をシェアできる社会構造の構築が必要かと思います。  最後のお答えになりますが、NPO法人あい・ぽーとステーションがしておりますこの子育て家族支援者、三つの自治体で五百名ぐらいですが、確かに認定をお取りになっても活動しない方々一定数おられます。それから、有償活動といいましてもその金額の多寡はそれぞれの生活状況に応じていろいろありまして、一か月に数千円の方から数万まであったり、この中から常勤職に発展してくださったりという方がたくさんおられますので、今五百人中の何人がということを正確な数値は持ち合わせていないのでお答えできないので申し訳ございませんが、そのようなところでよろしゅうございましょうか。
  37. 澤雄二

    ○澤雄二君 どうもありがとうございました。  今、参考人に言われてみますと、ある時、妻ががらっと態度が変わったときがございました。態度が変わったというのは、すごく私に物を言うようになったりとか、物をねだるようになったりとか、活発になったという。今から考えると、それは子供から大分手が離れた時期、それから職場が東京から外国に移って私が妻と会話をしたり一緒に過ごす時間がすごく増えたころと重なっていたなということが思い浮かびました。  どうも済みません。ありがとうございました。  本田参考人、済みません、お願いをいたします。  循環の話でございますが、理想の時代の循環ですね。私は団塊の世代ですからこれの恩恵を受けたと思うんですけれども、言われたとおりみんなが中流だと思った。だんだん生活が良くなるだろうと思った。経済が成長したからそのとおりになっていった。だから、このときの循環というのは否定するものではなくてむしろ良かったんじゃないか。いい時代だった。だから、この循環が取り返せればいいんじゃないか。  それからもう一つは、この循環が虚構の時代に移っていってほころび始めたということですけれども、そのほころび始めた原因ですね。エゴイズム、個人主義というのがどんどんどんどん広がっていった、若しくはその深層の中に入っていったということと、それからこの社員の構成ですよね、正規社員が減っていったということのどちらが大きな原因なのか。だけれども、理想の時代の循環がエゴイズム、個人主義が広がっていったために、それがほころびの原因になっていって、それがやがて社員の構成にもかかわっていって虚構の時代に入っていったのか、そこをどう考えておられるのかということですね。  それから、この循環モデルと少子化との関係、これについてもし何かお考えがあれば教えていただきたいということであります。  それから、幸福社会の三原則、最後書かれたこの三原則については私も全くそのとおりだというふうに思います。政治家としてこういうことを実現していきたいと思っております。
  38. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 澤君、以上でよろしいですか。
  39. 澤雄二

    ○澤雄二君 はい、以上です。
  40. 本田由紀

    参考人本田由紀君) 高度経済成長期は大変良かったのではないかと、あのころに戻ればいいのではないかという御質問がありましたけれども、私はそれは無理だと思っております。  といいますのも、一つは産業構造の面でもう既に高度経済成長を達成し終わった段階に既に入っているわけで、もう消費量はほとんど飽和しているような少なくとも国内的には状況にあります、先進諸国の中では。これからあのような高度経済成長をいかにしてそれを達成できるのかというと、大変それはおぼつかない。  もう一つは、人口構成の面でも、私の資料の二と書いてあるシートにありますように、あのころの活力というのは、やはり若い、ちょうど高度経済成長期に、団塊世代という若くて元気があって給料が安いような世代がこういうふうにすそ広がりな形で存在していたということが非常に大きな要因になっていたと思いますけれども、今や、もうそういう人口の年齢別構成そのものは変わっています。ですから、産業構成と人口構成という二つの点から、幾らあの時期は良かったというふうに回顧してみてももう私は無理だというふうに思っております。  ほころんだ原因についてですけれども、これはやはり私が早口で大変はしょりながら御説明いたしましたためになかなか分かりにくかったと思いまして申し訳ないのですけれども、私はこの六ページに示したような二段階で考えておりまして、変化を、まあ三段階です、三つの時期区分、つまり変化としては二つ、二段階起こったというふうに考えておりまして、虚構の時代において内部から問題があらわになってきたというのは、これはその原因としては私は、むしろ循環構造の中の矢印が太くなり過ぎたことがそれぞれの各領域の空洞化を招いた、これが一番主要な原因であったというふうに思っています。次の領域に向かって、次があるはずだ、次のために、次のためにという発想が強くなり過ぎたことが個々の領域の本来の意味というものを見失わせるに至っていた、それが私は最大の原因ではないかというふうに思っております。  ただし、それが不可能性の時代に入って循環そのものが成り立たなくなってきた理由としては、これは主には仕事の世界の変化です。仕事の世界がなぜこのようにドラスティックに変化したかというと、これに関してはまだいろいろ説明を追加する必要がありまして、シートで持ってきていないのですけれども、私は少なくとも三つの要因を考える必要があると思っています。  それは、日本の景気循環とやはり人口構成が妙な形でタイミングがかみ合ってしまったということがあります。それは、バブル経済期に大変採用需要が多かったときに、団塊ジュニア世代の前半層が既に学校を卒業し始めていた、それによってバブル期に若年者の過剰採用が起こったわけですね。それがバブルが崩壊してみると大変企業にとっては重荷になっていた。  と同時に、この九〇年代というのは、団塊ジュニアではなく団塊世代の方ももう五十代に差しかかってきていたわけです。つまり、人件費が高くなっていたというように、二つの大きな、人口上の巨大な世代がいずれも企業にのしかかるようなことが九〇年代に急激に起きてしまったことによって、それに対して何とか対応するためにもう若年正社員が雇えなくなったことによって非正社員が増えたということもあります。これが一つ目の要因ですけれども。  二つ目の要因は、このようなたまたまタイミングが悪かったというようなことではなくて、既に七〇年代後半から、ほかの先進諸国ではもう不可逆的な変化としての産業構造の変化、つまり製造業が減って第三次産業が増える、サービス業が増えるというような変化が現れていたわけなんですけれども、日本はなかなかそういう変化を、八〇年代を独特な形で持ちこたえて、かつ製造業の活力も多かったがゆえに、その変化は九〇年代に入ってやはり急激に起こるんですね。  その背景としては、やはり冷戦構造の崩壊であるとか、経済のグローバル化の中で中国やインドなどが急激に台頭してきたという時期が九〇年代であったということがあると思います。そういうグローバルな経済競争が高まる中で高付加価値競争とコスト競争にさらされたということがやはり仕事の世界の変化としてあると思います。  もう一つの要因は、仕事の世界が変化しながらも、一部に過去からと同じ慣行が残存しているということ、具体的に言うと、例えば新規学卒一括採用であるとか、正社員は企業の中で柔軟にOJTで育てるけれども、非正社員はかつての学生アルバイトや主婦パートが担っていたようなそういう位置付けしかされないというようなことが残存していながら、ぐっと正社員が減って非正社員が増えてしまった。それで、新規学卒一括採用があるがゆえに、一回その非正社員の方のルートに入ってしまうと事後的に正社員の方に非常に移りにくいというようなことがあるということがあります。つまり、配分は変化しながらも過去の形そのものは残存しているということが今の現状を大変苦しくしているということもあると思うんですね。  今申し上げましたように、人口構造と経済循環のかみ合いと、不可逆的な社会的な変化と、日本独特の慣行という三つの要因によって、九〇年代におけるこのほころび、具体的には仕事の世界の変化というものが生じたと思っています。  以上でよろしいですか。
  41. 澤雄二

    ○澤雄二君 決して高度成長時代をもう一回来てほしいという話をしたのではなくて、高度経済成長時代の循環を否定することはないんじゃないですかということをお聞きしたかったんですが、今のお話で、この理想の時代の循環の矢印が太過ぎたことがほころびの原因だといって否定をされましたので、そこのところは言わんとされていることがよく分かりました。  それから、今お話しされたことは何か全部政治が問題を解決できそうなことだと思いますので、それは今日聞かせていただいた私たちがすごく教訓として、これからどういう政治をすればいいかという参考になったんだと思います。今日は議論をする場ではないので、大変刺激的なお話、ありがとうございました。  以上です。
  42. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  議論をしていただいてもいいんですよ。  その他、御意見ございますか。  松君。
  43. 松あきら

    ○松あきら君 大日向先生そして本田先生、本日は本当にお忙しい中をお出ましいただきましてありがとうございました。  両先生の書かれたものもしっかり読ませていただきましたけれど、私、個人的には本当にそうだな、どうしたらいいかなという思いが非常に強く感じました。  一つは、今までの質疑の中でも出ましたけれども、今の日本のこの構造ですね、これに大きなまた問題があるのではないか。要するに、戦後、日本が、まあいい時代もありましたけれど、今は特に百年に一度と言われるこういうときになってしまった。非正規社員の解雇というものも、次は実体経済の悪化も予想される中で、今度は正社員がどうなっていくのか、こういう本当に大変な時代に遭遇してしまった。  その中で、私たちはアメリカ型からまさに転換しなければいけない。オバマ大統領自身も、まさにその実体のない、あるいは金融のファンド等の実体のないものから実体のあるものへ変えていこうとされている。例えばメディケア、高齢者医療保険、あるいはメディエードですか、低所得者の医療保険、そうした、それすら入れない四千八百万人の層も含めた国民皆保険制度、これをつくろうとしている。例えば、日本はこうした制度はありますけれど、日本ももう一度ここで考え直して、あるいは仕切りを直してやっていかないと、もういろいろなことに対処ができなくなってきているのではないかなという私の個人的な思いもございます。  けれども、その中で、高負担高福祉の話が出ました。私も、スウェーデン・北欧型はすばらしいとは思います。思いますが、日本社会の中で今これを例えば持ち込もうとしたら高負担どころではない。つまり、人口が北欧の社会に比べて非常に多うございますので、高高高負担に高福祉と、こういう状況にならないとこれが維持できないのではないかと、こう言われております。  ですから、私は、理想的には、もちろんたくさん税金を払って安心した老後も迎えるということは理想ではございますけれど、やはりこれは、今の日本社会にすぐ持ってくることは不可能に近いのではないかと思います。そうした中で、やはりフランスあるいはイギリス、フランスの方が更に進んでおりますけれど、こういうものが日本が目指していくものに近いのではないかという、個人的にはその思いもございます。  一つは、ちょっとこれは前に申し上げたんですが、例えばイギリスなどでは、子供の学期中に働いて子供の休みのときには休むという、こういう制度ができる。これ、一四%ぐらいの企業でこれを取り入れているそうなんですけれど、そうすると子供との非常に対話もできる、これはつまり男性女性にかかわらず、こういう制度ができる。  しかも、こういうことをやっても業績が落ちない。何で落ちないかというと、企業もいろいろ、もちろんそのためには企業の努力というものもあるんですけれど、企業に例えば一年間、これイギリスの話ですけど、コンサルタントを一年間無料にする、企業にこのコンサルタントを付けたら、企業がじゃどういうふうな就業形態に持っていけば更にワークライフバランスあるいは本当に自由な働き方ができるか、収入が落ちないでこれができるかということを実現できたということがあるそうでありますけれど、これはイギリスのやり方です。  あるいは、フランスなどでは非常にこの現金給付というものはいかがなものかということもございましたけれども、フランスなどでは現金給付もあり、そしてそのほかのいろいろな手当あるいは制度というものもあって、私はこれなどもすばらしいと思いますけれども、これは企業の負担がかなり多いんですね。けれども、企業が負担するには例えば税の控除など、国がやはりインセンティブを与えていると。  こういうことで、日本はもう一度考え直してインセンティブを企業に、つまり先ほども、男性子育て参加できるようにすべきではないかというのはもちろんそうなんですけれども、それには企業が例えば子育てや介護ができる制度をつくる、その制度をつくるには国が後押しをしなければやはりなかなかこれが進まないということで、私ども政治家に課せられた私は使命、やらなければならないことは非常に大きい。特に今ピンチと言われる中で、これをチャンスに変えていくまさにときであろうと思いますので、非常に、どうこれから変えていかなければいけないか、これ、私、済みません、意見がちょっと長くなったんですけれども、これは非常に今、本当に大事な日本がときを迎えているのではないかと、こういうふうに思っております。  その中で、もちろん企業が変わっていくんですけれども、例えば本田先生は学校教育の中で職業的意義が希薄ということもおっしゃっていられますけれども、私は日本の教育というものの中で、物を教える、物を覚えるという何か与える教育が大きくなっているのではないか。これが、物を考える、あるいは考えたことを述べる、こういう教育に変換をしていかないと、まず幾ら同じ、同質の教育をみんなに平均的に与えることが大事だということをおっしゃっていますけれども、それももちろん大事なんですけれども、その前にこうした、物をもっと深く考えたり自分意見を述べたりする、思っていることを述べるという、こういう教育について私は変えていくべきなのではないかということを、これは両先生にお伺いをしたいと思います。  それから、大日向先生は本当地域子育て支援に頑張ってくださっております。これは、国としても行政としても本当にしっかりと支援というものをしていかないと、やはり経済的な裏付けがないとこれも成り立っていかないということはよく分かるわけでございますけれども、例えば今、政府子育てママ、通称ですけれども、保育ママですね、この拡充に取り組もうとしているわけでございますけれども、例えば保育ママ、保育パパと先生のやっていらっしゃる支援ですね、あい・ぽーとステーションでの家族支援者、これとどう違うのか、その辺も教えていただきたいと思います。  それから、本田先生は、先ほど私申しましたように、北欧型、高負担高福祉というものは理想ではあるけれども日本ではこれはなじまないのではないかと思う点についてどうお考えか。  以上、よろしくお願い申し上げます。
  44. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) どんな順番で。
  45. 松あきら

    ○松あきら君 どちらでも。
  46. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) それでは、今までの前例に従いまして、大日向参考人、まずお願い申し上げます。
  47. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) ありがとうございます。  最後の方でお尋ねくださいましたことから先にお返事させていただきます。  いわゆる家庭保育あい・ぽーとステーションがしております子育て家族支援者はどう違うかということですが、「あい・ぽーと」がしております子育て家族支援者はテンポラリーな一時預かりです。「あい・ぽーと」の中でも理由を問わない一時預かりをしておりますが、これはほとんど親の都合で、預け先がないけれどもフリーの仕事をしたいとかリフレッシュでちょっと預けたいとか冠婚葬祭、様々な理由があるんですが、主に親の都合でいつ預けるかというのは全く分からない、テンポラリーな一時保育を支える方です。ですから、預かる時間も、「あい・ぽーと」の中では朝の七時半から夜の九時までやっておりますが、利用時間は一時間のお子さんもいらっしゃれば八時間の方もいらっしゃり、でも毎日来るわけではなくて、本当にテンポラリーなんですね。  それから、地域に出ていって、派遣型といいまして、いわゆるベビーシッター型なんですが、お預かりする場合も、これもテンポラリーなものです。  一方、家庭保育ママ制度というのは、国が国庫補助事業として取り組まれているもの、あるいは各自治体がそれに先行して既にやっておられるものを含めて、いずれもコンスタントに預かる、月火水木金ですね、朝七時、八時ぐらいから夕方まで。保育園に形態は類似したものということで、やはりそれを担う人の資質は相当に違うだろうというふうに考えております。  この家庭保育の担い手は、かなり質が一時保育者と違ったものが求められるであろうということと、地域保育園との協働で支え合うことが必要ではないかと思います。  この家庭保育意義というのは、例えば施設型の保育の大切さがある一方で、未満児の場合には小規模のところでコンスタントに見ていく必要性もあろうかということで、児童福祉法の一部改正でもこちらの充実は盛り込まれたというふうに考えております。  以上でよろしゅうございますか。
  48. 松あきら

    ○松あきら君 それから、両先生に教育という問題について、先ほどお話しした、これはいかがでございましょうか。
  49. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 働くことに対する教育というもの……
  50. 松あきら

    ○松あきら君 いや、現在の教育と、それから物を考えたり自分の自己主張を述べたりする、その教育ということに対していかがでございましょうか。
  51. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 教育全般に関して、日本は長年高水準の教育を誇ってきた国だということは自負していい面があろうかと思います。ただ一方で、自分で考え、失敗をしながら自分で答えを見付けていくという、そういう教育というのは、残念ながら、合理化とか効率性を最優先する戦後日本社会の中で失われてきてしまった点ではないかと思います。  その点が、例えば自分がどういう人生を送りたいか、あるいは職場で何か問題があったときにその課題をどういうふうに解決していくかということに果敢に取り組む思考力というのが若干薄れてきていることを残念に思いますし、とりわけ、女性子供を持ってから、こんなはずではなかったと思う前に、やはりライフデザインをきちっと自分で組んでいく、そして、その青写真どおりにならないことは人生はたくさんございますけれども、そのときにやはりいつもいつも、失敗体験に基づきながら、いろんな方の考えを聞きながら自分人生を再構築していく人間力というものをもっと回復していくことは必要ではないかというふうに考えております。
  52. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  今の御質問は双方の参考人にということでよろしいですね。
  53. 松あきら

    ○松あきら君 両方、はい、そうです。
  54. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) それを含めて、本田参考人お願いします。
  55. 本田由紀

    参考人本田由紀君) 確かに私も、高負担高福祉のスウェーデン・モデルをいきなり日本に導入することは可能だと考えているわけではありません。  ただ、方向性としては、特に日本は高齢者に関してはかなり福祉が充実している面がありますけれども、若年であるとか子供、例えば人生前半期というような言い方をされる研究者もいますけれども、に関する社会保障というものがやはり手薄であるということは否めないと思います。  やはり従来型の循環構造がある前提の中で今までの社会保障制度が組み立てられてきましたので、その循環構造の中からはみ出した層に対して、彼らは最もセーフティーネットを必要としているにもかかわらず、そういう対象が今までに存在しなかったがために漏れてしまっているような層がたくさんいるわけですね。  例えば、新卒、学校を出たばかりで失業者になってしまった人たちに対するセーフティーネットはありません。彼らは雇用保険を払い込んでいないわけですから、彼らに対して失業給付が出るということはないわけですね。あるいは、非正社員に関しても、これまでは学生アルバイトや主婦パートが多かったために、彼らに対する社会保障というのは極めて手薄でした。それでよいとみなされてきたわけです。  あるいは住居費に関する支援も、これまではなくて済んできました。つまり、正社員になれば家族が住めるぐらいの住居には入れるであろうという前提があったから、そういう住居費に関する公的な支援というものはなかったわけですね。それは、賃金に含まれていたり、企業が提供していたりしていたわけです。でも、今、それにあずかれないような非正社員や無業者が大変増えてきている。  また、公共的な職業教育訓練についても、職業教育、職業教育訓練というのは、企業の中でオン・ザ・ジョブ・トレーニングでいろんなローテーションなどを通じながら学ぶものであると、企業がやるものだというような前提があったがゆえに、企業外の安価あるいは無料の職業訓練のチャンスというのは、日本では欧米より非常に、特にヨーロッパより非常に劣っています。手薄です。  というように、これまで存在しなくても済んできた部分、でも今は必要になってきている部分に対して拡充していく必要があると。拡充していくには、やはりこれまでのような負担構造では無理です。だから、少なくともこれまでよりは多い負担をということを要求していく必要があると思いますけれども、その場合には、社会の再分配、富の再分配という観点からも、やはり所得税の累進性にまず着手した上で消費税ということが議論されるべきではないかと個人的には思っております。  教育に関してですけれども、確かに、考えたり述べたりするような訓練というものは欠けていることはそうだと思います。高校入試にしても大学入試にしても、やはりいかにしてこちらが正解だと考えるものに速く、効率的にたどり着けるかという能力が測られる場合が多いわけですね、高校入試や大学入試において。  また、その中で、まだ今でも比較的威信が高い大学に入った方がその後の職業人生がましだというような状況は続いています。となりますと、そういう入試の問題であるとかあるいは採用試験の問題であるとか、将来にどう連なっていくのかというその接合点、将来の段階に至るその配分における接合点から変えていく必要があると思うということと、私自身は人間力を全否定するつもりもないのですけれども、余りに人間力ということを振りかざし過ぎる社会というのもそれなりの危険性をはらんでいるというふうに考えております。  以上です。
  56. 松あきら

    ○松あきら君 ありがとうございました。
  57. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 幅広く、公平にという私の立場があります。民主党さん、どなたかいらっしゃいませんか。  亀井君。
  58. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 亀井亜紀子です。  お二人に質問がありますけれども、まず大日向参考人からお話を伺いたいと思います。  先ほどプレゼンテーションの頭のところでコインロッカーベビーのお話がございました。昨今、いろいろな報道を見ておりますと、少子化と言われる一方で幼児の虐待がすごく増えていて、せっかく生まれてきた子供が育っていかないという現実がすごく、社会が病んでいると、非常に問題が大きいと感じております。  先ほどは、コインロッカーベビーの事件が報道されたときにその母親に非難が行ったというようなことをおっしゃって、思い出したのが、何年か前に報道されて賛否が分かれた赤ちゃんポストなんですね。赤ちゃんポストは、どうしても子供を育てられない親がこっそりと子供を預けに行って、育てていただくと。あのことが騒がれてしばらくたちますけれども、その後何も報道されませんで、私も様子が分かりませんが、何か赤ちゃんポストのその後ですとか、そういった需要についてお聞きになっていらっしゃれば教えていただきたいと思います。  それから、男女共同参画というのがよく言われます。いわゆるワークライフバランスの中で男性がもっと子育てに参画をしていくべきであると、そういう議論ですけれども、先ほど澤先生もおっしゃったように、なかなか、男性が置かれている今の労働条件とあと意識を考えると、そう簡単には変わっていかないだろうと思うんですね。  私は、より現実的だと思うのは、女性がもし子育てのある期間仕事を離れても元いた職場の同じポジションに戻っていかれるような制度があれば、安心してもう少し家庭にいるだろうと思うんです。ですので、女性も多様ですから、子育てをするよりも、すぐに、一刻でも早く出産後職場に戻りたいという人もたまにはあるでしょうけれども、その地位が保証されていれば、例えば三年ぐらい家で子育てをして戻りたい人というのがかなりあるだろうと思います。ですので、男性育児休業を取りやすくするということも長期的には取り組まなければいけないことだと思いますけれども、今の現状を考えたときに、女性がもっと休みやすくするということの方がよいのではないかと感じることがありますけれど、どのようにお考えでしょうか。
  59. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) ありがとうございます。  まず、第一点目の赤ちゃんポストですが、たしか、一時期大変ニュースに取り上げられ、その後余り情報がないような傾向になっておりますが、これは熊本で起きた事件ですので、九州地方では続編としてそれなりに伝えられているようです。赤ちゃんポストが設置されて一年目、昨年一年たったところで件数が何件だったかというような問題、それから、しかしながら、どういうお子さんがどういう状況で預けられたかということに関してはシークレットだというような問題点なども随分九州地方では広報がされていたように思います。  ただ、この赤ちゃんポストもそうなんですが、先生が冒頭おっしゃった、少子化なのになぜ虐待なのか、少子化と言われる一方でなぜ虐待なのかという問題ですが、原因は同じだと思うんですね。やはり、安心して産み育てることができない社会であるから結果的に少子化となっていて、さらに、せっかく生まれた子供でも安心して育てることのできるセーフティーネットがないから、あってはならないことですが、それが虐待という痛ましい事件につながっていくというふうに考えます。  この赤ちゃんポストに関しましても、マスコミは何件預けられたかという件数に非常に関心を持って、私のところにも、この半年で何件というのが多いと思うか少ないと思うかという取材がたくさん寄せられました。私がそのときに思ったのは、何件寄せられたかというのは氷山の一角であって、その水面下を見なくてはいけないと。  そうしますと、あの慈恵病院には何件預けられたかということ以上に私が注目していますのは、同時に悩み事相談の電話を設置されたわけです。そこに半年で四百件、五百件の電話が殺到したということなんですね。つまり、実際にあのポストに預ける預けないという問題よりも、もっと本当に苦しんでいる人たちが多いという問題が浮上した。そこにある意味光を当てることができたというのは、一歩ある意味でやみを光につなげていく対策につなげることができるんではないかというふうに考えています。  この赤ちゃんポストに関してNHKの「クローズアップ現代」が取り上げてくれたんですが、そのやみの部分にどうやって手を差し伸べていくべきなのか、行政NPO各地の取組も放映していたと思います。そういうこともひとつお知らせしておきたいと思います。  それから、二つ目。男女共同参画が言われている中で、そのワークライフバランス、確かに今の状況で男性に求めるのはなかなか厳しい。ですから、もっと女性の方に手厚くすべきではないかという御意見をいただきました。これは、確かに育児をしているお母さんたちの一面の真理でもあるんですね。今すぐ働くということよりは、三歳ぐらいまではゆっくりとこの子と過ごしたいという意識を持っている方々一定数おられます。ですから、先生がおっしゃることもそのとおりかと思います。  ただ、女性の方ばかり手厚くしますと、これは女性の労働力がコスト高になってしまうんではないかということが心配されます。同じ能力を持っていても、採用の段階で、女性を採用すると育児休業を与えなくてはいけない、それも一年、二年、三年と、こう長いとなると、やはり企業にとっては男性の方を採るということになる。これは、やはりアンバランスになっていくだろうと思いますので、バランスから考えますと、男性にも私は手厚くというふうに考えます。  これも先ほど本田先生が言われましたように、かつてと違って男性収入だけで一家を支えることができる時代ではもはやなくなっている。こういう社会構造を考えますと、女性も何がしかの無理のない形でということなんですが、就労継続を子育てしながらできるシステムと同時にそれを補完する、促すためにも、男性がもっと子供が病気のときぐらい休んでほしいと思いますし、これは一つの取組が広島の三次市というところであるんですが、強制的に男性、二か月だったと思いますが、育児休業を取らせたという例があるんです、市役所の中で。なぜ強制的かといいますと、これはある意味、日本的な意識かと思うんですが、取りたいと思う男性たちがいても、そして育児休業法というのがあったとしても、なかなか自分からは言い出せない。だから、義務みたいに強制的にしてほしいというような、そういうことで市長さんが強制執行なさったそうですが、そうしますと、やはり二か月ですが取って、意識が変わり、良かったという声がたくさん出ているように聞いておりますので、そういう試みも私は今後進めていくべきだと思います。  ただ、願わくば、強制的ではなく、これは先ほど日本人の教育の問題ですが、権利を義務も伴いつつしっかりと主張できるような教育も同時に必要ではないかというふうに考えております。  以上です。
  60. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 ありがとうございます。  確かに、女性に手厚くすると女性就職しにくくなるという問題はあるのかもしれませんので、なるほどと思いました。  先ほど一つ大日向参考人に聞き忘れてしまったんですが、もう一つ地域人材を育てるということをしていらっしゃるとありましたが、よく海外ではベビーシッターを学生がアルバイトとしてやったり、あとは住み込みの家政婦さんでナニーと言いますけれども、これは海外からの労働者、フィリピン人等が多いんですが、そのように住み込みのお手伝いさんを頼んで子育てをしてもらって女性が働きに出るというようなシステムがかなり定着をしています。  日本の場合、やはり家政婦さんをお願いしたりということがなかなか高く付くので皆さん利用されないわけですけれども、今託児所の数が足りない等々、社会問題化していますが、一方で、地域で育てた人材子育て、ベビーシッターとして送り出すと、そういうシステムに対して政府が援助していくような、そういう形ができたらもう少しいいのではないかと考えることがあるんですが、いかが思われますでしょうか。  あと……
  61. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 取りあえず、それで一回切りましょうか。  大日向参考人お願いします。
  62. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 私が今、あい・ぽーとステーションというNPOで取り組んでおりますのが今先生がおっしゃったような試みでして、政府というよりも各自治体なんですが、自治体と協働養成講座をし、実習もきちっとして、そしてその後の認定後の活動を有償で保障するというところまで自治体とNPOでコラボレーションでしております。  海外で確かに中学、高校生ぐらいからもうベビーシッターでやったりしていますね。やはりそういう海外事情も参考にできると思いますが、一方で、やはり赤ちゃん、未満児、就学前の子供の命を預かるということにおいて慎重に考えて、保育の担い手の質といいますか、地域人たちでも、決して専門家でなくていいと思うんですね。御自分子育て経験あるなしにかかわらず、職業経験でもいい、人生経験を生かしながら、そこに子育ての新たな知識を学んでいただいたり、今どきの親はなんて、こう批判してしまわないようなカウンセリングマインドとか、今、家族問題で非常に多様化しています。担い切れない問題は地域のリソーシスに託していく、ネットワーク力を持つという、そういうようなことは最低限きちっと身に付けた方々地域にどんどん増やしていくことが本当の意味で地域育児力向上につながるというふうに考えて、今実践をしているところでございます。
  63. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 ありがとうございました。  今度は本田参考人にお伺いいたします。  本田参考人の発表で、今までの社会情勢の変化、人口構成あるいは雇用の変化について伺いまして、私の周りの友人、私の世代のことを振り返ってみても非常に納得ができました。  少子化というのは私が学生のころから言われている問題でして、合計特殊出生率も随分問題視されていたのですけれども、いまだに解決されていないというのは、原因一つとしては、やはり政策をつくる人に圧倒的に男性が多くて、その男性が、教育を受けた女性がどのような行動を取るであろうかという、そこを見誤ったのではないかなというふうに思っております。  私はバブル世代です。ですので、就職に私の世代は苦労しておりませんが、すぐ下からバブルが崩壊して就職氷河期に入りました。ですので、バブル世代女性、昨年の流行語がアラフォーでしたけれども、その女性の行動というのは、やはりいい条件で会社に入っているので、辞めたら最後、もう同じ条件の仕事はないわけです。そうすると、頑張って働いてしまうので、初めに新卒で入った会社で頑張って総合職でやっている友人も何人もおりますし、その世代はめちゃくちゃやはり忙しいです、男性女性も。すぐ下で景気が悪くなって後輩が入ってこないわけですから、やはり正社員の仕事というのがどんどん厳しくなっていって家庭両立をできる状態ではないというのは周りを見ていてもよく分かるんですね。  ですから、当然少子化はしていくわけで、一方でこの後の世代、バブル後のロストジェネレーションの世代は、今度は安定雇用がなくなって、それこそ新卒の後、安定した職業を見付けられずに非正規になっている人たちも多いわけですから、家庭として成り立たない。つまり、子供を産みたくても収入面で産めない世代というのがどんどん大きくなっていっていると思います。その場合、私は、これ少子化を解決するときにすぐ子育て支援ですとかそういう発想に行くわけですけれども、実は雇用問題の解決の方がやはり急がれるのではないかなと思うんです。  女性にもいろいろおりまして、仕事家庭若しくは子育て両立したい人もいるんですけれども、幾ら教育を受けてもやはり家庭に入りたい女性もある一定数いると思います。ただ、この人たちは、やはり職業をあきらめて家庭に入るからにはある程度の世帯収入を期待するわけで、今それだけを背負える男性が減っているのでなかなか結婚にも結び付かないということがあると思うんですね。ですので、本来だったら専業主婦になって子供も産んでいたであろう人がそうなっていない現実というのがあります。  ですので、雇用をいかに確保していくか、新卒で安定した仕事を見付けられなかった人たちをどうしていくかというところに結び付くわけですけれども、解決策としてどのようにお考えでしょうか。
  64. 本田由紀

    参考人本田由紀君) 今おっしゃってくださったこと、本当にそのとおりだと思います。私もそのように思います。少子化の解決策としては実は雇用問題なんだということも全く同意見です。  本当にそこをどうしていくかというのが今、日本社会にとって喫緊であるとともに大変難しい。どうしていくかということが問題だと思うんですけれども、これについては私なりの、モデルとも言えないものですけれども、五十枚目のパワーポイントのシートにこれからの労働市場をどうしていったらいいかというようなことについて、非常に抽象的なものではありますけれども、一応書いてあるものがあります。  今は、おっしゃったように、学校を出た途端に正社員になってしまえば女性でも男性でも極めて忙しくて、その意味で子育て両立できるような状況にはない。一方で、非正社員であるとか無業の正社員ではないふうなルートに入ってしまうと、今度は収入の点でやはり家族をつくったり子育てをしたりするということが難しいと。どっちも難しいんですね。  非常に両極端になってしまっているがゆえに、つまり過重労働の正社員か安定性や収入が過少な非正社員であるかというふうに大ざっぱに分けますと、そうなっているがゆえにどっちもつくれないというふうになると、論理的に考えて、正社員と非正社員、どっちも極端できつくなっているわけですから、その中間的な働き方を増やしていくしかないと思うんですね。あるいは、非正社員から正社員に後から入っていくことが可能であるようにしなければならないというふうに考えますと、絵をかくと五十枚目のシートでかいたようになるんですけれども、つまり学校を出た途端に二つのルートに分かれてしまうのではなくて、まず最初に模索期間の猶予を見て、その後、事後的に適職が見付かれば正社員になっていけるようにした方がいいと。  また、非正社員のままでも食べていけるぐらいの均等待遇というものを、同一価値労働同一賃金とか均衡処遇と言われるものを達成すべきだというふうに思っているわけなのですけれども、それが難しいのは、実のところ、その中間的な働き方がなかなかできないのは、日本社会において正社員の世界と非正社員の世界がよって立つところの原理が全く違うからなんですね。  というのは、正社員の方はメンバーシップ、組織に属しているメンバーシップのみがあって、ジョブの輪郭という、仕事の、職務の輪郭というのは大変あいまいなわけです。つまり、包括的人事権で指示されるがままに、言われたとおりの勤務地であったり仕事を担わなければならない。自分はこの職務を担うものですという、そういうキャリアの自己コントロール権というのは正社員にはほぼないに等しいわけです。つまり、メンバーシップ・ウィズアウト・ジョブなわけですね。  非正社員の方は、今度はジョブ・ウィズアウト・メンバーシップであって、一応ジョブというかタスクなんですけれども、作業ははっきり指示されていると。でも、メンバーシップ、つまり雇用の安定性は一切ないというように、メンバーシップのみがある正社員とジョブあるいはタスクしかない非正社員というふうに全然、全く違う原理であるがゆえに相補うような形になってしまっている。  であるとすれば、このような形の労働市場をほぐして、そこに「ほどほどの」と書いてある辺りが一番難しいんですけれども、程々のジョブと程々のメンバーシップを兼ね備えたような仕事というのを、正社員と非正社員の間をつなぐものとしてつくっていく必要があると思うんですね。例えば、短時間正社員でかつ職務は割と限定的である、でも正社員であるとか、あるいは非正社員なんだけれども、能力を付けることによって正社員の方に、だんだん労働時間も長くしたり責任を重くしたりしてだんだんと移っていけるというように、両者をつなぐような部分を幅広くつくる必要があると。そういうことが成り立ってのみ、ようやくその均衡処遇ということが話題になり得ると思うんです。  だから、その原理が相反しているような状況そのものから着手する必要があるという大変難しいことだと思うんですね。だから、アプローチとしては、例えば労働契約を結ぶ際に、単にメンバーシップとしてだけではなくて、職務の範囲についてもちゃんと明記するといったように、労働契約法が施行されましたけれども、あれを拡充していくことによって、もっと正社員の世界にも今まではなかったジョブというものの輪郭を持ち込んでいくということも必要だと思います。あるいは、非正社員の方ではもっとメンバーシップ、つまり雇用の安定性を確保する、強化していくということが必要だと思います。  一方で、正社員の方はそのメンバーシップ、つまり雇用を長期的に確保するということは、ちゃんとルールは明確化した上である程度緩めなければならないかもしれないというように、この正社員と非正社員を歩み寄らせていって程々の中間的な働き方というものをいかにつくっていけるかということが、実のところ、その少子化ということが背景として、迂遠なようですけれども、重要なのではないかというふうに私は考えております。
  65. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) よろしいですか。  ほかに。  森まさこ君。
  66. 森まさこ

    ○森まさこ君 ありがとうございます。自民党の森まさこでございます。  私は現代進行形の子育て中の母親でございますので、今小学生の子供が二人おりまして、国会議員になったときにはまだ下が幼稚園でございました。たくさん聞きたいことがあるんですが、時間がありませんので絞ってお聞きしたいと思います。  大日向先生の方にお伺いしたいと思います。  先ほど専業主婦の悩み、私も実家が遠く、アメリカに専業主婦を、二年間いたということで、だれもヘルプがないところでしていて、二十四時間コンビニ、脳から言語が消えていくという、もう本当に身につまされる思いで聞いておりました。  昔の母親は強かったのではないかというような質問が先ほど出されましたが、私も常々それを思っていたんです。先ほど、昭和の初めの農家のお嫁さんのお話が出ましたが、私の親、それから義理の母親世代は七〇年代の母親でございます、七〇年代に母親になった。ですから、農家のお嫁さんではございませんし、夫が企業戦士で、家庭にずうっと専業主婦でいながら三人、四人と子供を産んで育てていったんですが、そしてまた転勤族で実家からのサポートもないという中で、彼女たちは非常に精神的にも強く子育てをしていた。  なぜだろうと、私は自分がわがままなのかな、こんなに子育てに悩んで逃げ出したくなるのはどうしてだろうとずっと考えておりましたけれども、最近思いますのはやはり、私は平成十年に初めて母親になったのでございますが、平成の世代母親というのは、女性の働き方が多様化してきた時期ではないかと思います。    〔会長退席、理事岩城光英君着席〕  私の二人の母親世代はまだ、社会進出が少しずつできてきたとはいっても、結婚をしないでキャリアで会社にいると女性でも管理職になっていけるというようなチャンスは非常に少なかった。けれども、平成十年になりますとそれが当たり前のように、選択すればその道も進めるということで、同期ではそういった方々も見受けられるし、又は、結婚しない選択肢の人もいるし、結婚をするけれど子供を産まないという人もいるし、結婚をして辞めていく人もいる、また、結婚をしながら、子供を産みながら働いていく人もいる。社会進出が非常に増えて、そして社会での働き方が多様化をしてきたということがあると思います。  そうしますと、女性同士の比較ということが女性の中で行われてきてしまい、先ほどのように、年賀状や暑中見舞いが来るとどうしても自分の友人たちと比べてしまう。私も、仕事をいったん辞めて夫に付いてアメリカに行って専業主婦を二年間しているときのやはり年賀状がつらかった思い出がございますが。  そこで、私が提案をしたいのは、教育という中で、やはり女性もいろいろな生き方があるので、余り他人と比較をしないで自分オリジナルの幸せを追求していけるというようなことが学べるような教育をしていったらどうかと思うんです。つまり、今までは、平成十年は模索状態でしたけれども、今現在になればいろいろな女性のロールモデルがあると思いますので、そういったものを、私たちは今、教育の場で先輩たちの生き方を見ることが少ないんでございますが、私がアメリカにいたときには私の子供が通っていた小学校ではそういった授業がございましたし。  それから、そういった女性に教育をしていくということと、もう一つは、男性側の理解を求める上で男性方々子育ての苦労を分かっていただく、苦労を分かち合うということができますように、教育の現場、特に幼児教育のうちからやっていただきたい。これも、アメリカではベビーシッティング授業というのがございまして、男子生徒も課題を与えられて、必ず近所の子供をベビーシッティングしてくるということで感想文を書いてこなきゃいけないんですけれども、そういったことで苦労を分かっていただくということをしていったらどうかと思います。    〔理事岩城光英君退席、会長着席〕  もう一つは、私が子育て中に、日本でも働きながら子育てをし、アメリカに行ってまた戻ってきたときのそのカルチャーショックということを考えますと、社会全体の子育て支援というものに対する理解がまだまだ少なくて、今でも、子育て支援が流行語のようになっても、子育て支援によって結局親を甘やかしているんではないかというような指摘がされますが、私は、その制度もたくさん欲しいんですけれど、実際問題、この間の両院協議会のように急に夜遅くなっても、私は近くに母親もおりませんし、ベビーシッターは八時までしか頼んでいませんので、子供を国会内に保育所があって寝かせておけたらなと本当に思いました。  そういった、制度ももちろんどんどん充実していってほしいんですけれども、教育の場面で、社会全体がそういった子育て中の母親に対して、社会の将来の人材を育てているということに対して感謝をしてくれるような社会になるような教育をしていただきたいなと思うわけです。例えば、一緒に働いていても、同僚からは、あなたは自分が好きで選択して子供を産んだんだからその苦労は自分でしなさいというような、やはりそういった雰囲気がございますので。  アメリカにいたときには、子供を育てているというだけで胸に勲章を付けているような扱いをされます。あなたは本当にその存在自体すばらしいと、そして社会の宝の子供を育ててくれると、外国人の私がいたときにもそういったお声掛けをしていただけますので、そういった社会に是非なっていくような教育制度にしていただきたいと思います。  そういった教育制度についての先生の御意見をいただきたいと思います。  もう一つは、子育てをしているおばあちゃんたちですけれども、実は、今は農家のお嫁さんはみんな働きに出ておりまして、おばあちゃんたちが子供を預かっております。地方の農家にお嫁に来てくれる方は大切ですから、また生活のためにも働きに行ってもらう。そして、おばあちゃんたちは体がつらくても無給であっても我慢をして孫育てをしているわけでございますが、これに対する支援がございませんので、私はおばあちゃんたちへの支援というものがあってよいのではないかと思うんですけれども、それについての御意見を伺いたいと思います。お願いします。
  67. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 森君、今の質問は双方の参考人に。
  68. 森まさこ

    ○森まさこ君 大日向先生にまずお答えいただいて、その次に本田先生にもお願いいたします。
  69. 大日向雅美

    参考人大日向雅美君) 子育て真っ最中の先生ならではの御質問、ありがとうございます。  まず一点目。先生御自身のお母様が七〇年代に育児をなさって、私が先ほど紹介させていただいたのは昭和の初めだった、七〇年代のお母様たちも大変力強く子育てをされたんではないかという御指摘で、確かにそういう面はあったかと思います。  時代背景を少し考えてみたいと思うんですが、六〇年代後半から七〇年代は、ある意味、専業主婦の黄金時代ということも言われております。厳しい農作業からも解放され、嫁しゅうとめの大家族のしがらみからも解放され、高度経済成長期で、狭いながらも我が家、核家族の中で一国一城の女あるじとして家事育児を取り仕切ることのできた女性たち世代が、六〇年代後半から七〇年代にかけてでした。  ただ、それもそんなに長くは続きませんで、七〇年代に教育ママという言葉が出ました。子育てが今度はお仕事になってしまう。農業、漁業から解放された反面、子育てがお仕事になってしまって、立派に我が子を育てて当たり前というような、そういうプレッシャーの下で、夫は企業戦士になっていく。この辺りから、一方で大変闊達に子育てをしている母親たちがいますが、他方では、水面下で育児不安、育児ノイローゼに苦しむ母親たちも出現したのがこの時期です。  この時期に子育てをしたお母様たちの下で育った女性たちの間で今深刻な問題となっているのが母と娘の葛藤なんですね。表面的には本当に頑張って子供に、娘に育児をし、教育をし、高学歴化、女性社会参加が言われた時代で、私のような人生を歩まないでというそういう期待も形を変えれば子供から見ると非常なプレッシャーとなって、母親の敷いたレールの下で幼い伸びやかな時間を奪われたという、そういう三十代、四十代の娘さんと七十以上の母親とのいろんな苦しい葛藤というのが今表面化してきているということも一面の事実としてございます。  こういうことをやはり時代の教訓としながら、次の世代を生きる人たちに是非とも同じわだちを踏まないためにはどうしたらいいかということで、やはりこれは先生が御指摘になったように、自分自分人生を主体的にデザインし選べるような教育が必要ではないかというふうに思います。  私がしておりますのは大学でジェンダー論をやっておりますが、ジェンダー論ってよく誤解されて、何かフェミニストが男の方を敵として戦っているかのように言われますけれども、そうではなくて、今の社会女性が生きづらいとしたら男性も生きづらいんだと、やはり自分人生社会に出る前からきちんとデザインをしていく力を付けていく。  一方で、そうはいっても、いろんな事情で子育てに突入して、こんなはずではなかったという子育て期お母さんたちに対しては、もう一度社会参加なり自分人生を描き直すライフデザイン講座というのを「あい・ぽーと」ではしております。社会の入り口、そして社会に出ているそのプロセスの中での生涯学習ということも是非とも必要ではないかと思います。  三つ目、日本社会子育て中の親になかなか温かくないんではないかという御指摘は本当にそのとおりでして、私も海外で暮らした経験がありますが、ベビーカーを押したり、重い荷物を持っているお母さんたちが階段に上ろうとする、その瞬間にいろんな手が出てくるんです。特に男性方々がぱっと、こうベビーカーを押してくださったり、荷物を持ってくださる。そういう試みも是非日本では広げていきたいと思いますね。  ベビー・イン・ミーというバッジを持って、ちょっとおなかが大きいと席を譲ってくださいという試みもありますが、そうしたことも、社会全体が子育てに優しい社会をつくっていくことがこれから本当に大きな課題だと思います。  最後になりますが、祖父母をどう支援していくかということ、これも本当に大事なことだと思います。  ただ、やはり子育て社会に託せないから実家のお母様やおしゅうとめさんにというのは、これはちょっとある種、もう少し客観的に見る必要があるかなと思うんですね。といいますのは、祖父母世代もいろんな人生設計をお持ちだ。ところが、孫が生まれた途端に、孫はかわいいでしょう、おばあちゃま見てくださって当たり前ねみたいに、全面的に孫育てを託されて、お体もだんだん高齢に向かってつらい、でも今この孫育てを断ると後々介護していただけないんじゃないかということで不安に思ってやっていらっしゃるという方もいらっしゃる。あるいは、やはり嫁しゅうと、実母と娘の関係ですと、近過ぎてなかなかアドバイスが正確に伝わらないこともあると思います。  私が今一番問題は、やはり子育てをきちっと、高齢者の方々人生経験の豊かな方から若い世代に伝達されないというところは確かに問題だと思います。でしたら、これは血縁関係のある祖父母だけじゃなくて、地域の祖父母的な存在をもっともっと増やしていく。少し距離を置くと、おしゅうとめさんや御自分のお母様のおっしゃることだといろんな感情があってなかなか素直に聞けないところも、地域の方だったら有り難いと思って聞くという関係もあろうかと思いますので、そういう広い意味での地域の祖父母世代支援ということは今後大きな課題ではないかというふうに思います。  以上です。
  70. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  同等の質問を本田参考人お願いしますか。  ひとつよろしくお願いを申し上げます。
  71. 本田由紀

    参考人本田由紀君) 教育について言及されましたけれども、森議員が言及されましたけれども、やはりそれは教育だけで解決できるわけではないにしても、やはり教育も重要だと思います。  これまでの性別役割分業で、男は稼ぎ手であって女性子育てをしっかり担うというようなものがもうやはり無理なのだという認識が必要かなと思います。その中で、これまでの役割に縛り付けられることがいかに男性女性もつらくなっているかということについての、もうかつてのモデルへのノスタルジーを振り切ったような現実を見据えたような教育ということが、あるいはその中で特定の価値にとらわれないでというような教育が多分必要になってきていると思います。  また、社会全体の子育てへの支援の理解というのも本当にそうだと思います。例えば、先ほどおっしゃった、好きで子を産んだんだから勝手に苦労しろとか、あるいは自分子供をつくるつもりはないから、子育て支援のために税金を取られるのは嫌だとかいうように、大変、自分の選択は自分だけで責任を持つとか、自分人生自分で自助努力によって支えるというような発想が極めて強いことも、教育によってできることは限られているかもしれませんけれども、一つ大事だと思うんですね。そういうぎちぎちの、自分が投入した分だけの見返りを得るというようなことで社会が成り立っているわけではないと。もっといろんなものが巡り巡って、回り回って成り立っているのであるというようなことを、幅広い、自分とは異なるかに見える立場の人にも思いをはせ、理解や想像を広げていくことが必要だというような教育というのが多分必要なのだろうと思います。  ただ、教育だけではやはり駄目で、それが具体的に社会の中で制度として、教育以外の社会において様々な制度として結実しているということがやっぱり必要だと思いますね。教育による意識変革だけではやはり大変心もとないところがあります。  祖母への支援については、大日向先生とほぼ同様の意見ですので、省略します。
  72. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) よろしいですか。
  73. 森まさこ

    ○森まさこ君 ありがとうございます。
  74. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他、御発言、御意見等々、よろしゅうございますか。いいですか。  他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。  大日向参考人及び本田参考人には、大変御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございました。  本日お述べいただきました御意見、大変参考にもなりましたし、一部大変刺激的なところもありました。十分、今後の調査に生かさせていただきたいと思います。本調査会を代表しまして厚く御礼を申し上げたいと存じます。  ありがとうございました。(拍手)     ─────────────
  75. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 最後に、私から報告でありますけれども、今日の理事会で、次回の日程でありますけれども、二月十八日一時から開会をさせていただきたいと存じます。加えまして、予定でありますけれども、二十五日、このテーマについての中間取りまとめをさせていただきたいなと、各人から御意見をちょうだいしたいと思っています。御予定をいただきたいと存じます。最終的に日程立ては両筆頭でもって御協議をいただきたいと思います。  本日はこれにて散会をいたします。    午後三時四十六分散会