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2009-07-09 第171回国会 参議院 厚生労働委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十一年七月九日(木曜日)    午前十時四分開会     ─────────────    委員異動  七月七日     辞任         補欠選任      足立 信也君     牧山ひろえ君      亀井亜紀子君     谷岡 郁子君      田中 康夫君     家西  悟君  七月八日     辞任         補欠選任      家西  悟君     加賀谷 健君      小林 正夫君     大石 尚子君      谷岡 郁子君     森田  高君      牧山ひろえ君     足立 信也君      西田 昌司君     丸川 珠代君      渡辺 孝男君     山下 栄一君  七月九日     辞任         補欠選任      大石 尚子君     小林 正夫君      加賀谷 健君     亀井亜紀子君      森田  高君     谷岡 郁子君      丸川 珠代君     森 まさこ君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         辻  泰弘君     理 事                 川合 孝典君                 中村 哲治君                 柳田  稔君                 衛藤 晟一君                 山本 博司君     委 員                 足立 信也君                 梅村  聡君                 亀井亜紀子君                 小林 正夫君                 下田 敦子君                 谷  博之君                 谷岡 郁子君                 森 ゆうこ君                 森田  高君                 石井 準一君                 石井みどり君                 岸  宏一君                 島尻安伊子君                 西島 英利君                 南野知惠子君                 古川 俊治君                 丸川 珠代君                 森 まさこ君                 山下 栄一君                 小池  晃君                 福島みずほ君        発議者      森 ゆうこ君        発議者      小池  晃君    委員以外の議員        発議者      千葉 景子君        発議者      岡崎トミ子君        発議者      近藤 正道君    衆議院議員        発議者      河野 太郎君        発議者      山内 康一君        発議者      冨岡  勉君        発議者      福島  豊君    国務大臣        厚生労働大臣   舛添 要一君    大臣政務官        法務大臣政務官  早川 忠孝君    事務局側        常任委員会専門        員        松田 茂敬君    政府参考人        法務大臣官房審        議官       團藤 丈士君        厚生労働省健康        局長       上田 博三君        厚生労働省雇用        均等・児童家庭        局長       北村  彰君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○政府参考人出席要求に関する件 ○臓器移植に関する法律の一部を改正する法律  案(衆議院提出) ○子どもに係る脳死及び臓器移植に関する検討  等その他適正な移植医療確保のための検討及  び検証等に関する法律案千葉景子君外八名発  議)     ─────────────
  2. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  本日までに、田中康夫君、西田昌司君及び渡辺孝男君が委員辞任され、その補欠として森田高君、丸川珠代君及び山下栄一君が選任されました。     ─────────────
  3. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 政府参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  臓器移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器移植に関する検討等その他適正な移植医療確保のための検討及び検証等に関する法律案の審査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、厚生労働省健康局長上田博三君外二名の政府参考人出席を求め、その説明を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  5. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 臓器移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器移植に関する検討等その他適正な移植医療確保のための検討及び検証等に関する法律案の両案を一括して議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  6. 下田敦子

    下田敦子君 おはようございます。  それでは、短い時間ですので手短に御質問を申し上げます。  まず、臓器移植に関する法律の一部の改正をする法律案及び子どもに係る脳死及び臓器移植に関する検討等その他適正な移植医療確保のための検討及び検証等に関する法律案についてお伺いいたします。  本法案に関して、成立するまでの経緯は、昭和六十年十二月、厚生科学研究脳死に関する研究班による判定基準、いわゆる竹内基準発表から始まって、今日までの歩みは、国会のみならず一般社会においても、死とは何か、生命とは何か、そして生命倫理のとらえ方、社会規範から見た場合の臓器移植考え方など、もっと平らかに申し上げれば、レシピエントその他ドナーに置かれている状況を、その困っていらっしゃる状況をその立場に立って共に考える度量、人を受け入れる大きさと心の奥深さが必要と私は思い続けています。  そこで、臓器移植にかかわる関係組織、特に人的資源、いわゆる移植コーディネーターについてお尋ねをいたします。  臓器移植を進める一方で、片や、いま一度慎重審議を望む意見が多くあります。いずれにしても、この臓器移植という医療行為の前提には様々なコーディネートが必要であることから、次の質問に入らせていただきます。  まず第一です。日本における移植コーディネーターはどのように分類されていますか。大臣に専らお尋ねしたいと思います。  また、ドナーコーディネーターとして、レシピエントコーディネーターとしてのその割合はどうなっているか、現在、何人登録されているかをお尋ねいたしたいと思います。
  7. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 政府参考人でよろしいですか。
  8. 下田敦子

    下田敦子君 はい。
  9. 上田博三

    政府参考人上田博三君) 移植コーディネーターは、臓器提供のまた候補者及びその御家族とのかかわり、臓器提供に関する連絡調整を行うドナーコーディネーターと、それから移植を受ける患者さんへの説明やケアなどを行うレシピエントコーディネーター、この二つに大きく分類をされておりますが、まず移植コーディネーターについては、日本臓器移植ネットワーク、それから都道府県、あるいは病院の中にも存在しておりまして、院内のドナーコーディネーターは三十八都道府県の六百五十八病院に一千五百七十五名おられますけれども、レシピエントコーディネーターについては病院において任意に設置されていることもございまして、私どもの方では正確な人数を把握をしておりません。
  10. 下田敦子

    下田敦子君 ありがとうございました。  ネットワークコーディネーター、これが何人おられますか。それから、ただいま都道府県の中で、お答えがありましたけれども、全くコーディネーターがいない県は何県ありますか。再質問です。
  11. 上田博三

    政府参考人上田博三君) お尋ねドナーコーディネーターにつきましてでございますが、社団法人日本臓器移植ネットワークに所属するいわゆる日本臓器移植ネットワークコーディネーターは二十一名、それから都道府県に配置されております都道府県コーディネーターは四十都道府県に五十一名ございまして、二つの県で都道府県コーディネーターが配置されていないわけでございますが、それは愛知県と福島県と承知をしております。
  12. 下田敦子

    下田敦子君 それでは次に、この移植コーディネーター資格その他に関することをお尋ねします。  この移植コーディネーターの職務は免許制度にはなっていませんけれども、その基礎的な資格、いわゆる応募資格、これにはどういうものがありますか、お尋ねいたします。また、どのような研修あるいは研修受講後の認定試験を行っているのか、お尋ねを申し上げます。
  13. 上田博三

    政府参考人上田博三君) 日本臓器移植ネットワークに所属する臓器移植コーディネーターにつきましては、まず一番目の条件として、医療有資格者又はこれと同等知識を有すると認められる者であること、二つ目に、臓器提供者情報発生時には夜間、休日においても対応ができること、三番目に、全国に出張、転勤が可能であると、こういう条件を満たす方について筆記試験及び面接試験を実施をして、日本臓器移植ネットワークにおいて採用をしているところでございます。  採用後には、心停止後の腎臓提供にかかわる知識業務取得目的とする新人研修や、脳死下での臓器提供に関する業務取得目的とする継続研修などを行っているところでございまして、筆記テスト事例レポートなどの作成を行い、評価をいたしまして、質の確保と向上が図られているところでございます。
  14. 下田敦子

    下田敦子君 今朝早くイギリスアメリカのちょっとネットを出してみました。エジンバラ大学とかいろいろありますが、欧米ではその資格を取るための研修が基本的に大学で行われていると、そして単位修得制であるということが明示されておりました。このことについて大臣はどうお考えになりますか。  それからもう一つ、去る四月二十一日の当委員会で、足立信也委員の御質問に対して舛添大臣は、まずドナーの方をいかに増やすかということを国内からやる、それでドナーについての調整コーディネーターがいますから、これはもうコーディネーターがしっかりしてハブ役割を果たしてもらわないといけないと、ドナーを見付けるために必要であるということをお答えなさっておりました。いわゆるドナーサイド、それからレシピエントサイド、受ける人の方、それからそれをコーディネートする様々な体制整備ということを厚生労働省としては更に強力に進めていく必要があろうかと思っていますという御答弁でございました。  現在、社団法人日本臓器移植ネットワーク資料をお手元にお届けしてありますが、こちらの方で一切合財これに当たっていると。あっせん対策部医療本部コーディネーター部とあるようでありますけれども、厚生労働省としても主体的な施策を講ずるべきではないかと考えます。いかがでしょうか、お尋ねします。  また、いわゆるハブ、いわゆるキーステーションという意味大臣は御答弁されたんだと思いますが、役割を果たすとなれば、現在の臓器移植コーディネーター看護業務を兼任しております方が非常に多い。専任でない立場であるなどのことから環境整備が必要と考えます。国家資格化が必要とされることの意見もたくさん聞きます。  そういう状況の中で、例えば肝臓移植腎臓移植もありますが、アメリカのいわゆるRTCですね、これに関して考えますと、日本看護師同等かそれより低い傾向にあると、年収が。非常に、ですから忙しい上に、低い賃金で縛られていると。この点についてまずいかがお考えであるか。  それから、勤務時間を調べてみました。規定の一・五倍であります。しかも、二十四時間オンコールです。大変な激務だと私は考えます。週七日実施しているコーディネーターが六〇%。ほとんどが一人で、交代する方がいないという現状があります。この点について大臣はいかがお考えですか。
  15. 舛添要一

    国務大臣舛添要一君) まず、移植コーディネーターの質を高める、これがもう必要だということは申すまでもないと思います。  先ほど局長説明いたしましたように、移植コーディネーター日本臓器移植ネットワークでの公募要綱を見ていますと、医師、看護師検査技師など国家医療資格保有者又はそれと同等知識を持たれる方ということなので、ここで一定の医療情報に関する資格というのが認められていると思います。その上で細かい研修をやり、しかも筆記試験面接試験をやっておりますので、当面は日本臓器移植ネットワークの中での研修ということを更に強化し、それをお手伝いする形でやればというふうに思っております。  欧米の例を見てみましたけれども、いわゆる国家試験ということではなくて、やはりこういう財団的なものが認定を行う、その中身は今先生おっしゃったようにいろいろあると思いますけれども。今後の長期的な課題として、このコーディネーター、それ、ドナーコーディネーターレシピエントコーディネーターの方も更に強力にそれ自身を一つ資格として国家認定するという方向も検討課題としてはあり得ると思いますし、研修看護師さんとかお医者さんとか以外の別建てでやるというのもあると思いますけれども、今の段階では、やはり臓器移植というのを更に進めるための臓器移植にとっての良いインフラストラクチャー整備ということから、こういうことから始めることがいいことではないかというふうに思っております。  様々なほかの資格を持っているような方々でこういうことに向いている方を非常に弾力的に、同等資格を持っている、例えばケースワーカーとか精神保健福祉士などを使うということも、これは十分あり得るというふうに思っています。そしてまた、この処遇をどうするかということについてもやはり今後の検討課題だというように思いますので、そういうことも中期、長期的には考えながら、取りあえずは、今、日本臓器移植ネットワークの様々な御努力を厚生労働省としては支援していきたいというふうに思っております。
  16. 下田敦子

    下田敦子君 ありがとうございました。  昨日、当委員会視察調査女子医大にお邪魔いたしました。さすがだなと思いましたのは、心臓担当のいわゆるコーディネーター、これは看護師基礎資格の上にお持ちになっている方、それから腎臓担当看護師さんのコーディネーターが一人、それから念を入れて伺いましたら、ソーシャルワーカーが七人おいで、専従で。さすがですねという言葉を、大変御無礼だと思いましたが、申し上げてしまいましたけれども。  そういう準備が、いずれにしても今回私は、A案であろうが他のいわゆる修正案であろうが、もう一つまた何か衆議院の方からお出しになっているということでありますが、そういう選択という以前の以前の以前にかかわる問題として、これらに携わる方々環境資格整備、時間と手間と暇が掛かります。今日考えて今日あしたというわけにはいかないのです、これは。ですから、そういうことでお尋ねしてまいります。  いわゆるカウンセリングというものを含めた場合には、このサポートというのは、大変失礼ですけれども、従来の医療者だけではこれはなかなか難しい。心理学者も必要であれば、倫理学者も必要であれば、何よりもただいま大臣が御答弁にありましたように、PSW、精神保健福祉士は多岐にわたってこういうことの訓練なり勉強をしている。ところが、ちょっと脱線しますが、厚生労働省はたくさんの資格をおつくりになります。ですが、その資格限定付けが必ずしも整っていない。宙に浮いている。もったいなくも遊んでいるというわけではないんですが、別な仕事をしている人がいる。これらに対して考えなきゃいけないんです。  ついでですから申し上げますが、特養での夜間の、特養に限らず、老健もそうですが、夜間医療行為、必要欠くべからざる状態として出てまいりますが、百人の入所者に対して、看護師が三人、絶えず当直しているわけではありません。そういう中で医行為がどんどんどんどん出てきます。介護事故というものは表にこそ出ません、システムがそうなっていないから。医療行為ほど大きな問題にはなっていませんが、この度、厚生省がそれに対して、特定の資格を持ち、例えば介護福祉士のように医学一般を百八十時間勉強したとか、そういうふうなことに対しての規定も何も設けずに、言ってみれば、介護員で、ヘルパーでいいというふうな条件でこの医行為を何とか先へやろうとしている発表がマスコミを通じて出ています。現状は、大変騒々しくなってしまいました。ですから、こういう資格に対していま一度、こういう法案を前にして真摯に考えていくべきだと思います。  少なくとも、今朝ちょっと大急ぎで見ましたが、これはエジンバラ大学のいわゆるソーシャルワーカーの特にこういうドナーに関する、あるいはレシピエントに関する相談のチームがあります。それから、アソシエーションですのでこういう協会も充実している。これ、イギリスの例であります。ですから、こういうことを何とぞ並行して進めていく体制が、この法案を出す出さない、受ける受けないにかかわらず、私は必要な行為ではないかと思います。  それから次に、レシピエントに相ふさわしいその医学的な側面、あるいはドナーに相ふさわしいその医学的な側面から、あるいはまた家族経済状況、そして家族や地域等々においてのその関係者の人的なメンタル面でのサポート、これらに関して、虐待であったかそうでないかということも含めながら環境整備をしていく、こういうスタッフが私はまず第一にありきだと思います。  昨日も、女子医大でお許しを得て、御案内がありましたので、人工心臓を付けられた三十代前半の方がおられまして、あのとおりの状態の中で、お母様と若いお嫁さんと、テレビの上にはお子さんの写真が飾ってありまして、本当に感染の問題、あるいは人工心臓維持機能がどれぐらいなのかというふうな問題とか考えさせられて胸がいっぱいになりますが、だけれども、もっと時間を掛けてもっといろんな面での審議も必要だろうし、環境整備ということから見て私は大変時間の掛かる問題だと思います。  そこで、次に、欧米での移植コーディネーター業務内容を見ますと、多くは、業種が移植医療にかかわっているアメリカ移植チームは、まず移植外科医、それから移植専門医、先ほど申し上げたRTCレシピエント・トランスプラント・コーディネーターソーシャルワーカーリサーチナースリサーチナースというのは初めて私も調べましたけれども、ここまで看護師が進んでいるという状況です。それから倫理学者、それからリハビリテーションスタッフ、それから、次です、経済カウンセラーチームを編成しているということです。その外堀を深める意味で、内分泌学専門感染症専門のお医者さん、精神科医などが協調している現場が普遍であると聞いております。  我が日本においては、こういう心理面あるいは精神医療にかかわっている方々関係が実に薄い。ですから、その辺、物理的にとらえているのではないですかと言いたくなるほどかかわっていない。でも、移植を受ける方、する方、どちらにしても、非常に心理的な動揺、圧迫、悩み、それらをどうするかという問題が私は一番大事ではないかと思います。術後、術前において必要なことだと思います。  どうぞ、こういう移植チーム専門職メンバー調整を協働して行う方々が二十四時間体制であってこそ、この医療の、移植というものが成り立つのではないかと思います。ですから、時間が掛かります。その点についてもう一度大臣の御所見を伺って、終わりたいと思います。
  17. 舛添要一

    国務大臣舛添要一君) 大変いい御指摘をいただいたと思っています。  やはりチームで、ドナーそしてレシピエント両方に対して、そのチームの中には心理的な側面を担当なさる方も含めて、これはきちんと対応することができるようなインフラストラクチャー整備はやらないといけないというように思っています。  ただ、こういう問題は、片一方で、環境整備制度整備があるとともに、今皆さんが御議論いただいている法律という形で制定することが更にそれに拍車を掛ける。その車輪を、両輪を回しながら多くの人の命を救えたらと、そういうように思っております。
  18. 下田敦子

    下田敦子君 資料を三枚ほど用意させていただきましたが、時間がありませんので、資料三のところの数字を御覧いただきたいと思います。  アメリカ単純比較はできません。また、比較すること自体が少し語弊を招きますが、何せドナーコーディネーターレシピエントコーディネーターの数が圧倒的に違います。  これがいいか悪いか、正しいか正しくないかは別な問題でありますが、ここまで環境が進んでいるという現実と、そして、何せ全くこういう面での備えがない日本議論が逆じゃないですかということが、私は率直にこの度の問題で終始一貫考えさせられながら、この環境調査をしてみましたらこういうものも出てきましたので、これも併せて備えていくべきだと。おっしゃるように、拍車を掛けるような選択であってはなりませんけれども、併せてこれは備えなきゃいけないことだと私は思います。  以上でございます。  どうもありがとうございました。
  19. 丸川珠代

    丸川珠代君 自由民主党の丸川珠代でございます。  私は、この厚生労働委員会委員の一人として、また国会議員の一人として、この命の議論に参加をさせていただくことに身の震えるような責任を感じております。我々の命を決めている何物かに対する畏怖の念のようなものも抱きながら一生懸命考えさせていただきました。こうした機会を与えていただいたことに、まずは感謝を申し上げたいと思います。  我々は昨日、心臓移植を待つ患者さんにお会いをしました。人工心臓を付けた若い女性で、ほんの三か月ほど前、手術をする三か月前までは運動をして普通に暮らしていてアルバイトもしていたそうです。私は、心臓移植を必要な状態というのはこんなにも突然に生活の中にやってくるものなのかということで、大変な衝撃を受けました。  また、人工心臓を付けることによって、その後の予後が決まってしまうということも伺いました。移植を待つ方々は、大体三年から四年ほど人工心臓を付けて自由に身動きが取れない状態移植を待っておられるということです。  日本臓器移植ネットワーク資料によりますと、年間千二百人から千五百人の方が新たに移植希望の登録をなさっておられますが、一方で、年間二百五十人以上がお亡くなりになられていると。新たに登録される方も、そして命を失われる方も年々増えているそうでございます。  移植医療というのは、もしかすると再生医療というものの技術進歩が進むまでの過渡的なものという考え方もあるかもしれません。しかしながら、一方で、今貴重な、非常に大切な命のリレーによって救われる命があるのであれば、それは救いたいと思うのが人の情というものであろうと私は思います。そして、その助けたいという思いと同じぐらいの強さ、重さを持って、臓器を提供しようとする御本人そして家族十分納得をして死を迎えるということが必要であると私は思います。  私たちのこの委員会参考人質疑で、脳死検証委員会メンバーとして八十二の症例をつぶさに見てこられた柳田邦男先生のお話を伺いました。私はその話を伺って、果たして私たちは、その八十二例から学ぶべきことを学び、反省をし、そして今の移植医療にそれを生かしているかどうか、そのことに疑念を抱かざるを得ないという思いをいたしました。  ドナー家族あるいは臓器を提供しようとする方たちは、その臓器を提供するという決意をした瞬間から二つ立場を背負うことになります。一つ家族を失う者としての立場、そしてもう一つは人を助けようとする者の立場でございます。この二つ立場が、臓器を提供しようとする家族はもちろんのこと、医療をする側でもきちんとした整理がなされずに混乱をしている、そして、その混乱が悲しみを増幅し、また誤解を生んでいるのではないか。とりわけ、私は、臓器提供者となる家族、個人、その方たちを支える体制が全く今のままでは不十分ではないかという問題意識を持っております。これについては後ほどまたお伺いしたいと思います。  移植医療に携わる方々が口々におっしゃるのは、臓器を提供をしてくださる側が納得をして提供をしてくださらなければ移植医療そのものが成り立たないということでございます。できる限りの医療を行って徹底的に治療をしたということはもちろんでございますが、では、臓器を提供しようかどうしようか、そういうことをお考えになっている家族がどのようなプロセスをもって死を受容するのか、そのプロセスが納得されるものであるかどうかということも極めて重要であると思います。  専門家が脳死は生物学的な死であるということを断言しても、なお私たち脳死は人の死かどうかということを議論しているのは、死とは何か、死をどのように受け止めるかということが私たちの中でそれぞれに異なるからであるということは、私は疑いを持ってはおりません。それぞれの死生観というものが異なるからこそ、今脳死は人の死かということが議論をされているのであろうと思います。  そして、人の死というものは時の流れの中の一つの点ではございません。脳が死へ向かって後戻りできないという状況になってから後も、すべての細胞が活動を止めてしまうまでの間にはある程度の時間がございます。そして、そのある程度の時間というものは、科学の進歩、医療の進歩によって延ばすことができるようになってきている。脳死という判定をなされてからもなお、レスピレーターやあるいは血圧を調整する投薬等によって三百日程度安定した状態、心拍を保つことができる小児の二つの症例というものもございます。  脳が不可逆的な機能停止をしてからすべての細胞が活動を停止するまで、その間のどこをもってして死とするか。それを家族が選ぶ、あるいは個人が選ぶのは、それはそれぞれの私は権利であると思いますし、それを選ぶことを何人も侵害することはできない、これは私の思いでございます。  臓器移植医療というものは、臓器提供者及びその家族の納得が大前提となっている。であるからこそ、私は、その提供者の死については個々の死生観にできる限り寄り添う、寄り添える制度であるべきだと私は思います。  そういう私の問題意識の中で、A案の提出者の皆様にお伺いをしたいことがございます。  昨日、この参議院厚生労働委員会で、A案発議者のお一人である山内議員は、島尻委員答弁にこのようにお答えになっておられます。「臓器移植法は、」、中略いたしますが、「臓器移植以外の場面について一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではありません。」、つまり、一般的に脳死を人の死とするものではないということをおっしゃっている、A案がです。  しかし、一方で、六月五日の衆議院厚生労働委員会答弁の中で、冨岡議員は、井上議員、とかしき議員、川内議員、岡本議員への答弁でこのようにおっしゃっています。「提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提として組み立てて、この案を提出しているところであります。」、「提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しております。」、「私たち提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの法律案を提出しているということは、何度も申し上げているところであります。」、そして、「A案は、客観的に、」、中略いたしますが、「臓器移植が行われるかどうかにかかわらず、それは一般に人の死であるという考え方に立っています」「したがって、」、中略いたしますが、「家族が承諾したから本人が死んだということになるのではありません。」とおっしゃっています。  同じA案発議者の中で意見があるいは見解が分かれているように思いますが、冨岡議員の真意をお伺いできますでしょうか。
  20. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) 考えがぶれているというのは当たらないんじゃないかということを、またこの場で御説明いたします。  先日来、委員もお読みいただいていると思いますけれども、再三御説明申し上げているところであります。つまり、脳死臨調の最終答申において、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されている、また近年のアンケート調査においても多くの方が脳死を人の死と認めてよいとする結果が出ているのは委員も御存じのとおりだと思います。  例えば、七月一日の読売新聞では、六一・五%が賛成され、一九・二%が反対されております。また、最近のFNNの報道では、六九・四%が賛成され、二一・四%が反対されています。ただし、注目されるべきことは、分からないと答えられた方が、以前は三割近くおられたのが、今九・二%まで下がってきています。十分議論がこういう場で伝えられているのかなと思うところであります。  私たちは、A案提案者は、このような事情を背景に、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提として確かに提出させていただいているところではあります。ただし、脳死は一般に人の死であるということは、あくまでも前提となる考え方にすぎないということを御説明申し上げているわけであります。  すなわち、臓器移植法は、臓器移植に関連して脳死判定や臓器摘出の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面について一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではないので、法律上の効果として臓器移植法に定める脳死の概念が臓器移植以外の場面に及ぶということにはならないと考えております。このように、A案の前提となる考え方の問題とA案で定める条文の法的効果の問題とは区別して議論していただくことが必要ではないかと考えております。  したがいまして、先生が御指摘の、提案者の間で発言がぶれているという御指摘があったところではありますが、このことは一貫して申し上げているところであり、決してぶれているというわけではないと御理解いただければと思います。
  21. 丸川珠代

    丸川珠代君 前提であるけれども法的効果とは別に議論する、御説明はいただきましたけれども、私は、この六月五日から七月七日の間の説明を伺っていても、なかなかそれを実態として理解することができない。これは私の理解力の不足かもしれませんけれども、私は、A案が一般的な人の死までも決めてしまおうとしているのではないかという疑念を抱く人の思いももっともであろうかと思います。私は、臓器移植医療について定める法律においては、脳死が、一般的な人の死はどういうものかということを法が定めるものではないということを明示的にするべきではないだろうかという意見を持っております。  次に、私たちは七月七日の参考人質疑で森岡参考人の意見を伺いました。その中で、こういう言葉がございました。多くの人々は臓器移植について迷っているのです。この迷っていることを尊重するべきだと思います。我々には、脳死が人の死かどうか、臓器を摘出すべきかどうかについて迷う自由があります。この迷う自由を人々から奪ってはなりません。  まだ、臓器移植について、六割の人は賛成というけれども、それ以外に分からないという人が非常に多い。これは、まさに私は、迷っている人たちがたくさんいるんだろうというふうに思います。恐らく、人は迷うものであると思います。脳死判定を受けてからも迷うかもしれない。迷ったまま命を終えてしまう人もいるかもしれない。  私は、その迷うということが臓器移植の提供意思表示カードには選択肢として書かれておりません。いつこの臓器を提供します、あるいは臓器を提供しませんということしか書かれておりません。しかし、もし迷っているという意思表示ができれば、そこから、じゃ、もっと臓器移植のことを知ってください、臓器移植とはこういうものです、こういうきっかけをつくることができるのではないかと思います。  さらに、もう一点言わせていただくならば、私たちの社会は、臓器提供をする、しない、この自己決定をそれぞれの自己決定として尊重するような環境が果たして整っているのであろうか。臓器提供をしないという選択をしたときにだれかが、あの人は冷たい人だと私の見えないところで言っているのではないか、そういう気持ちを抱かずにはいられない、そのような環境にまだ私たちの社会はあるのではないか、こういう懸念を私は抱いております。  臓器提供移植医療を進めることは、私は待ったなしであろうと思います。今、失われていく命を何とか助けたいと私も思います。しかし、提供する、しない、その意思がどちらもがだれにも非難をされることもなく、責められることもなく、自己決定として尊重される、そういう社会の環境が整うまでは迷うという選択肢を私たちは残しておいた方がいいのではないか、そのような思いを持っております。  この迷うという選択肢が今のところこの意思表示の方法としてないことについて、A案の皆様がどのようにお考えになるか、お聞かせいただけますでしょうか。
  22. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) A案におきましても、臓器提供に関して臓器を提供する、しないを選択しない、あるいは迷っているという者に対してイエスかノーかの意思表示を強制するものでは決してありません。迷っている場合には絶対に臓器提供が行われることはございませんので、そういった意味では迷っている方の権利というのもそういった形で保障されるのかなというふうに思っております。  不幸にも臓器提供に関して選択しない、あるいは迷っているという者が臓器提供が可能となるような場面に直面する場合には、その家族又は遺族が本人のそのような意思を酌み取って本人の意思を最大限尊重できるような形で判断するものと考えられます。  本当にもしお迷いの方がいれば、やはりそのことを御家族含めてお話合いをして、その意思を、迷っているという意思も含めて近親の方に伝えておいていただく、そういう手はあるのかなというふうに思います。
  23. 丸川珠代

    丸川珠代君 迷っているということを話す手はあるという御答弁でございました。私は、迷っているということを示す方法があれば、そこからまた次の臓器移植への理解が深まるであろうというふうに思っております。  続けて、E案の発議者の皆様に是非お伺いをしたいと思います。  私はまだ家族の死に、死を選ばなければいけない場面というものに直面したことはございませんが、多くの家族が延命治療をしている中で死を選ぶかどうかという悩みに直面する場面というのがあろうかと思います。命を続ける場面でも必ず死は隣り合わせでございます。人工呼吸器を付けるかどうか、経管栄養を付けるかどうか、この先命をどこまで私たちとともにこの家族を過ごしてもらおうかと、一緒にいてもらおうかと。話をしなくても、あるいは目が開かなくても、そこに心臓が動いていてくれるということは家族にとって支えになります。そういう中で、生きてもらうことか、あるいはもうあきらめるのかという選択家族が迫られる場面というのはございます。  臓器移植以外の場合においても、家族が本人の意思というのが分からない中で死を選ばざるを得ない、あるいは死を選ぶかどうか悩む場面というものがある中で、この臓器移植の場合において、しかも子供の場合において親がどう関与するかという議論を特段に深めなければいけないという、その理由はどういうところにあるのでしょうか、お聞かせください。
  24. 千葉景子

    委員以外の議員千葉景子君) 御質問ありがとうございます。  今、丸川先生がちょっと御指摘になりました、臓器移植以外の場合においても家族が本人の意思が不明な中で死を決めることがあるというお話がございましたが、果たしてそういうことが一般的かどうかということについてはちょっと私は見解を異にしております。  なお、厚生労働省による終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン、あるいは日本救急医学会の救急医療における終末期医療に関する提言などにおいては、本人の意思ないしリビングウイルが存在する場合はそれを尊重し、不明な場合は家族が本人の意思を推定し、又はそんたくして方針を決定することとされています。そういう意味では、基本的には本人の意思が尊重されているのだと私は考えております。  なお、延命治療に関しては、患者が自らの意思で延命治療を行うだけの医療をあえて受けずに死を迎えるという、いわゆる尊厳死というものも問題になるところだと思います。ただ、仮に尊厳死が認められるとしても、患者の人間としての尊厳を最大限に受け止め、患者の意思、いわゆるリビングウイルを尊重し、ただ延命を図るだけの処置を差し控え、安らかに人生を終える選択を与えるものとなると考えられます。そういう意味では、やはり本人の意思、リビングウイルを尊重するという考え方、これが終末期医療あるいは臓器移植などにも共通するものだと私は理解をいたしております。  現行の臓器移植に関する法律においては、臓器の摘出に係る脳死の判定を行うことができるのは当該患者が判定に従う意思を書面により表示している場合と、こういうことになります。そういうことになると、死亡した者で、移植術に使用されるための臓器脳死した者の身体を含む死体から摘出することができるのは書面により意思表示をしているときということになり、そうなると、子供につきましては自ら意思を表示することができないということで臓器の摘出をすることができないという、こういうことになります。  そこで、今、丸川先生がいろいろと悩み多きこの問題についてお触れになりましたけれども、臓器の提供に関して子供の本当に自己決定はどうあるべきか、あるいはそのときの親の関与がどういうふうに認められるべきか、こういうことについて議論を進めなければなりません。それをこの法律案では、臨時子ども脳死臓器移植調査会の調査の中で十分に検討をしていただくということにしたいと思っております。
  25. 丸川珠代

    丸川珠代君 ありがとうございます。  最後に一点だけ、コーディネーターの労働環境のことだけ触れさせてください。二十四時間三百六十五日、いつ提供病院から呼ばれるか分からない、いつ帰れるか分からない状況で働いておられます。提供者家族と接するときにコーディネーターさんがメンタルヘルスを保てていないと、適切な状況判断ができないと考えます。  以上で私の質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  26. 山下栄一

    山下栄一君 公明党の山下でございます。  大変大きな責任の決断を迫られる状況になっておるわけでございます。私は、平成九年の現行法、いろんな経過を経て成立した法律でございました。これは国会の最高機関としての見識を精いっぱい表現した法律であったのではないかと、こういう考え方でございます。更にそれを一歩進めて、更に立法府としての見識をきちっと示せるかということが今迫られるのではないかと、非常に意見が多様に分かれているわけでございます。  人の死を法律では明記しないというのが現行法の考え方ではないかと。また、附帯決議でも、当時のですね、臓器を提供する意思表示可能年齢、これについては更に検討を加えていくということが書いてございました。もう一点、この判定基準。これは厚生省令、法的拘束力のある位置付けだと思いますが、この厚生省令で定める判定基準の範囲についても、医学の進歩に応じて常時検討するんだということを附帯決議に書いてございました。大事な附帯決議であったなと思っております。  今もお話ございましたように、臓器を提供する側と受ける側の両方の命の尊厳を可能にする道を探るということだというふうに思います。また、これは後から確認しますけれども、人の尊厳というのは、やっぱり自己の意思に反して、自己の意思に反して自らの命は奪われないと、自己の意思に反して自らの命は奪われないと、奪われてきた例が歴史上いっぱいあったわけでございますけれども、それが人間の尊厳のやっぱり基本でなければならないと。心臓移植は提供者の死が前提であるという、そこで大きな問題になっておるわけであると思います。  二つの懸念があるんですが、一つは、先ほどからもありましたけれども、人の死の定義というか、これを法制化する、法定化するということにつながる、ちょっと非常に難しい議論になっていてその辺がよく分かりませんけれども、さっきの話聞いていても。それを法律に書いてあるのか書いてないのかよく分かりませんけれども、A案ですけどね。そういう、人の死の定義を、例えば脳死は人の死だという、そういうことを法制化するに当たっては、先ほど平成四年の臨調はおおむねという話でしたけど、ここに疑問があるからいろんな意見が出てきているという、おおむねってどういうことですかということじゃないかなというふうに思います。やっぱり違和感があって、今も私はすとんと落ちておりません。  それで、ちょっと話が変わってしまって申し訳ないんですけど、人の死というのは人の終わりだと、人の始まりはどうだと。人の始まりのことについてはどんなふうになっているのかということを私なりに勉強さしていただきました。  まず、法務省にお聞きいたします。  殺人罪は人を殺したときに成立すると。その人というのは、いつから人になるんだと。いわゆる人の始期、始めの時期はいつなのかと。民法、刑法に明記されているかと。また、民法には胎児についての規定がございます。権利主体は出生をもって権利主体とするんだと。出生っていつからですかというのははっきりしない。胎児はいつから胎児になるのかと。つまり、民法、刑法に明記されているかと、人のスタート、胎児のスタートですね。確認さしてください。
  27. 早川忠孝

    大臣政務官(早川忠孝君) いわゆる、いつから人になるか、あるいはいつから胎児になるかという、人及び胎児の始期について民法及び刑法上明文で規定した条項はございません。
  28. 山下栄一

    山下栄一君 ございませんで私はいいと思うんですけどね。それが正しいと思っております。それは、科学的な最高の見解をもって、法律上じゃなくて、それは別のところで考えるべきではないかと思っておりますが。法律で書くというのは難しい話だなというふうに、権力行為一つではありますので難しいなと思いますが。  更に質問でございます。  民法、刑法上明記されていないと。じゃ、判例ではどうかと。判例ではどんなふうになっているかと。
  29. 早川忠孝

    大臣政務官(早川忠孝君) まず、人の始期についてお答えいたしますと、大正八年の大審院の判例によりまして、これ刑事事件でありますけれども、母体から胎児の一部が露出した段階で殺人罪の客体としての人となるものとされております。現在でもそのように理解されているところでございます。  なお、民事の判例上、人の始期、始まりの時期について明示したものは見当たりません。  さらに、胎児の始期につきましては、民事及び刑事の判例上これを明示したものは、これも見当たりません。
  30. 山下栄一

    山下栄一君 ありがとうございます。  厚生労働省大臣になると思いますけど、お聞きしたいと思います。  同じような質問なんですけれども、ちょっとこれ、私の方から、答弁が長くなると困りますので。同じことなんですけどね。  厚生労働省の所管の中で、胎児の生については、母体保護法に基づく人工妊娠中絶で行えるのは妊娠満二十二週未満と、これは法律じゃなくて次官通知、昭和二十八年が基になっていますけど、これは法的拘束力はないと、参考基準だと、このようにお聞きいたしました。  今度は、胎児じゃなく、人の生です。医師法における死産児、健康保険に基づく出産育児一時金が受給できる出産の時期、八十五日以上となっておりますが。次は、墓地、埋葬等に関する法律の死体。死体は今度のこの臓器法でも死ぬ体ですけど、これは四月以上の、胎児、四月以上の死胎、死タイのタイは胎児ですけど、それも死体に含まれると、これが埋葬法の規定であります。しかし、この具体的な時期について実際には通知で定められている、先ほど言いました。法律上四月と書いてあるのは医師法とか健康保険法、埋葬法。この四月いうのも、その四月の月というのは二十八日という。この二十八日というのも人によって厳密に言えば違うんだろうとは思いますけれども、だけど法律上四月と書いてあると。これはもう、その根拠、科学的な根拠はどうなんですかと聞きましたら、それは不明というかはっきりしないと。昭和二十三年医師法、昭和二十三年埋葬法、そのとき以来全然変わっていないと、これが状況でございます。  厚生労働省所管の法律で、胎児の生の始まり、人の生の始まりの時期を明確に規定したものは、大臣、ございますでしょうか。
  31. 舛添要一

    国務大臣舛添要一君) 今の御質問ですが、厚生労働省所管の法律におきましては、胎児の生の始まり、人の生の始まりの時期を明確に規定した法律はございません。
  32. 山下栄一

    山下栄一君 人の死の定義といいますか、何をもって人の死とするかと。その反対のスタートの、人の生についての、いつから人間は始まるんだと、じゃ、胎児はいつからかと。極めて難しい話でございますし、私は法律になじまないなと。常に科学的知見により、科学的知見だけじゃないと、人間の倫理的な向上をも併せてやっていかないとこれは非常に難しい判断だと。そういうことが臓器移植法の問題にも秘められていると、こういう認識でちょっと確認させていただきました。  提案者にはもうちょっと待っていただきたいと思いますけど。  それで、大臣、ちょっとこれ、通告じゃないんですけど、この四月以前、胎児四月以前、八十四日なのかな、七掛ける、二十八ですわ、それ以降は割ときちっと扱おうという、死胎もちゃんと埋葬するとか、そうなっていますね。それ以前ですわ。四月以前の胎児の扱いが全然不明なんですよね、今。現実は不明なんですよ。不明だからごみになると。死産児も四月以上というのが医師法なんで、そういう扱いを受けない世界があると。着床時からかも分かりません。これはちょっと大変な話だなと。厚労省と環境省でいろいろやっておられて、何かいろいろ、何かせないかぬという意識はあるみたいですけれどもね。ごみの扱いでも別に罰せられないしと、特管廃棄物にするのかというようなことですけど。日本人のこの死生観に極めてなじみにくい状況になっているなと。  したがいまして、この四月以前の、胎児という言い方しますが、の扱いについてのきちっとした検討体制をやっぱりやる必要があるのではないかと思います。物扱いになっているのが現状ではないかと。  胎児の尊厳性なんですけど、これもちょっと検討してもらいたいなと思うんですけどね、人と胎児というのは明確に、刑法でも民法でも母体保護法でも、例えば堕胎罪と殺人罪と違いがあると。だから、胎児と人というのは明確に法律上は差を設けていると。どっちも重みはあるんだけれども、明確に差を設けていると。  しかし、私自身は、胎児の段階があって、明確にあって、着実に命を刻んで今日の私があると。だから、胎児の尊厳性ということは余り議論になっていないなと。人の尊厳にかかわることだとは思いますけど、胎児の尊厳性についても、これもちゃんとしたどこかで検討すべきではないのかなと、今のままでいいのかなと。人と胎児は違うということになっておるわけでございますので、やっぱりちゃんとこれ、これは別に医学の観点だけじゃないと思いますけど、いろんな観点からの方々も集まっていただいての、それで結論出すとかいうこともありますけれども、やっぱり人の心にすっといかないところで、この辺にもあるのではないかと思いますもので、臓器移植ですけれどもね、こういうことをきちっと、特に胎児の四月以前の扱いについての、これちゃんとした検討体制を組む必要があるのではないかと。これ、厚労大臣にお願いするのがいいのかなと思います。政府の管轄かも分かりませんけれども、ちょっとお考えをお聞きしたい。
  33. 舛添要一

    国務大臣舛添要一君) 私自身、実は五か月の子供を亡くしたことがありまして、すべて手続をやりました。ちゃんと葬式をやり、火葬法に基づく手続、十二週、四か月を超えていましたから。  ただ逆に、その子供が三月で自分が失っていたときにごみとして扱っていいのかなというふうに思うと、出てきて赤ちゃんの形が本当にもう肢体も全部はっきりなっている。だから、恐らく胎児の発達段階みたいなこともお考えになって四か月というのを言ったんだと思いますけれども、生命の尊厳から考えると、じゃ自分の場合どうしていたかというと、やはり同じように弔い、同じように悲しみ、同じように生を授けた者が亡くなったことに対する感情の表現が何かできればいいなというふうに思います。  ただ、法的な手続は今言ったような現行になっていますから、これは恐らく役所がやるというよりも、例えばむしろこういうことこそ国会の中の、例えば厚生労働委員会のようなところで全国民の代表が小さなチーム、小委員会のようなものを設けていろんな識者や哲学者、そういう方のお話を聞きながら一つの案をやっていただいた方が、これは私は余り行政が旗振ってやるというような作業にはなじまないような気がしますけれども、私は今のような自分の体験に基づいて申し上げますと、そういう気がいたします。
  34. 山下栄一

    山下栄一君 ありがとうございます。  死産の届出、妊娠四月以後における死児、死んだ子供の出産については届出、届けの省令があるわけですけれども、それでは何にも扱いがよう分からぬようになっていると。行政上の扱い、法令上の扱い。  これは、やっぱり今おっしゃったように、検討機関をどこで設けるか、立法府の方で設けるか、だけれども大事なテーマだと。生命体になっていないと、四月以前は、少なくとも。何なんですかと、こういうふうになってしまうと。  それで、提案者にお聞きしたいと思いますが、今の議論も踏まえまして、ちょっともう時間なくなってしまったので、それぞれの、これは法案の提案者というよりも、大変な重みを持って御提案いただいた提案者にちょっとお考えをお聞きできたらと。この死の定義についてのもう細かいこと聞きません。スタートの方です、生の始まりみたいな。胎児というのは、人との違いみたいなことも含めまして、その尊厳性という、命の尊厳性ということも含めて今の法制上には問題点があるというのが私の認識ですし、今確認させていただきましたけれども、この辺の考え方を、ちょっとお答えにくいかも分かりませんけれども、ございましたら、お聞かせ願いたいなと思います。
  35. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 先生の御指摘は非常に重要だというふうに思っております。  私自身も、人の生の始まりというのは一体いつなのかと。なかなか考えても答えが出るわけではありませんが、例えば受精卵の取扱いをどうするかと。一番の出発点ではそういうことが問題になるんだと思います。こうした先端医療技術の実行に当たって、倫理の問題ということを継続的に考える、そういうところが私は要るんじゃないかというふうに思っております。  それは、特に臓器移植ということだけではなく、とりわけ近年の遺伝子操作の問題であるとか、生殖補助技術の問題であるとか、問題というのは非常に広がってきていると思います。更に進んだ技術ということが出てくる可能性もあります。そうしたことを社会としてどう受け止めるのかということについて、様々な角度から議論をし、そしてまた答えを出していくと。ただ、一〇〇%答えが出るかどうか分かりません。意見が分かれる場合もあると思います。しかし、意見が分かれた場合でも、そうした例えば技術によって利益を受ける方がいると。そうした利益を受ける方のためにどの程度の範囲であればその技術を許容しようかと、こういうことについて社会的な合意を形成するというための私は検討の場が必要だというふうに思っております。
  36. 千葉景子

    委員以外の議員千葉景子君) 先ほど山下先生からお話がございました、大変、人の生の始まりについてはどうかというお話、そしてそれについては、いろいろな法的に制定する、法定化することの難しさ、御指摘がございまして、私も同感をするところがございます。  提案者としては、その問題はちょっとこの法律とは別な問題として考えておりますが、この脳死の死の方の問題は、脳死、例えば脳死を人の死とするということについては、まだ広い合意が形成されていないのではないかというふうに考えております。そういう意味で、脳死の定義等については、ここでは現行の法律をとりわけ動かすことなく取り扱っている、現行法を維持をしながら今後また更に検討を深く議論をしていくべきだというふうに考えているところでございます。
  37. 山下栄一

    山下栄一君 終わります。
  38. 小池晃

    小池晃君 日本共産党の小池晃です。  A案提出者のこれまでの説明に私、いろいろ疑問があるんでちょっと今日はお伺いしたいと。  提出者は、小児の長期脳死例について、これはおととい冨岡議員がお話しになりましたが、無呼吸テストや時間を置いての二回の検査が実施されているわけではございませんというふうに答弁をされたんですね。  しかし、厚生科学研究の小児における脳死判定基準に関する研究班のこれ九九年報告ですが、ここでも、無呼吸テストを含む脳死判定を二回以上行って脳死と判定された二十例のうち七例は心停止が三十日以降に見られていますし、その中の四例では百日以降経過して心停止に至ったというふうに報告されていますんで、先日の答弁、これはやはり事実と異なるんじゃありませんか。
  39. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 先日の答弁につきましては、少し補足をさせていただきますと、現在、報道関係、様々なメディアで長期脳死例ということで伝えられているところがあります。そうしたことをどう考えるのかと。そのように考えておられる国民の方もたくさんおられると。こうした報道で報告されている長期脳死例というのは、二回の脳死判定というものを必ずしも受けたわけではないけれども長期脳死ということで報道されていることもあると。そういったことについて触れさせていただいたということだと思います。  もちろん、委員が御指摘ありましたように、厚生労働省研究班の報告書におきまして七例の長期脳死症例、これは二回の脳死判定ということが行われているわけでありまして、定義は非常に明確になっていると。そういうことがあることも事実であります。ただ一方で、その定義が余り明確でなくて長期脳死例ということで報道されている事例もあると。そういったことについて指摘をさせていただいたというふうに理解をいたしております。
  40. 小池晃

    小池晃君 おとといの答弁では報道の例でという頭は付いていないんですよ。それは一般的にお答えになっているんで、それは事実と違うでしょうと。今はもう事実上認められました。  要するに、無呼吸テストもきちっと行った上での小児の長期脳死例は存在するということでよろしいですね。確認しました。イエスかノーかでお答えください。
  41. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 余り、何といいますか、私の作った言葉ではなくて正確に申し上げると、同報告書では心停止まで三十日以上等のものを長期脳死症例としておりますけれども、この二十例のうち、判定時より心停止までの期間が三十日から九十九日までのものが三例、百日以上のものが四例あったというふうに承知をいたしております。
  42. 小池晃

    小池晃君 きちっと提案者としては、やはりその正確な事実を伝えていただきたい。それがやっぱり共通の理解の前提になると思うんです。  それから、これも一昨日議論になったことなんですが、法的脳死判定が終了した後に例えばその本人の拒否カードが発見される、そういうケースで、様々な事情で臓器提供に至らなくなるケースがあるわけです。この場合、既に法的脳死判定が行われていて、死亡宣告もされているわけですから、その後の医療はどうなのかというような議論になってまいりました。  その後の医療について、一昨日の答弁では、遺族の心情等に配慮して、心停止に至るまで呼吸器を装着するなど医療の現場で適切に配慮されるべきだと思っておりますというふうに御答弁あったんですが、これはあくまで配慮されるべきということなわけで、こうした場合の治療を継続する法的根拠は一体何になるんでしょうか。
  43. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) ただいまの委員の御指摘も非常に重要な点でありまして、現行の臓器移植法の附則第十一条におきましてはこのように規定されております。「第六条第二項の脳死した者の身体への処置がされた場合には、当分の間、当該処置は当該医療給付関係各法の規定に基づく医療の給付としてされたものとみなす。」と。医療保険が適用されると、こういうことになっているわけであります。それに基づいて適切な医療が行われるということになると思います。  A案は、家族の同意によって脳死判定、そしてまた臓器提供への道を開こうとするものでありますけれども、こうした附則第十一条の医療保険は引き続き適用すると。この条文については手を加えておりません。それはそのまま継続すべきであると思っております。
  44. 小池晃

    小池晃君 それは治療の法的根拠なんでしょうか。医療保険を給付するということが書いてあるだけにすぎないわけで、それは結局、あくまで脳死判定後の治療というのはこれは医療機関の配慮、善意に頼り、その医療行為に対して保険を給付するということにすぎないのではありませんか。
  45. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 医療保険が給付されるということ自体が、単にその善意とか配慮ということではなくて、一つの権利性を持った上で給付をされるということだと私は思っております。
  46. 小池晃

    小池晃君 ここはちょっと見解が違います。やはり、医療に対する法的根拠が、それは法的脳死判定が行われれば死体という扱いになるわけで、しかもA案というのは脳死は人の死だと明文化するわけですから、現行法に比べてもよりその点での法的根拠というのはなくなっていく危険性が私はあるというふうに思います。  それから、障害者についての脳死判定についてお聞きをしたいんですが、最初に政府に。  現行のガイドラインは知的障害者等に対する法的脳死判定を見合わせるというふうにしているんですが、これは要するに本人の同意が前提であるために知的障害者の意思表示の有効性についてはこれは検討事項となってきたという理解でよろしいですね。簡単にお答えください。
  47. 上田博三

    政府参考人上田博三君) そのとおりでございます。
  48. 小池晃

    小池晃君 ということになりますと、現行法は本人同意が原則だから知的障害者の有効性については検討事項となって、ガイドラインでは除外されてきたわけです。ところが、A案というのは、先日の答弁では、これは現行法と何ら変わらないし、障害者などの意思表示ができない方であることが判明した場合には法的脳死判定は行われないと答弁されているんですけど、しかしそのA案というのは本人の意思表示なくても脳死判定、臓器摘出ができるわけですから、現行法のように障害者に対しては除外するという根拠はこれはなくなるということになるんじゃないですか。
  49. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 委員が御指摘ありましたように、一律、脳死を人の死として、前提として脳死判定、臓器提供に行くと、いわゆるオプトアウトという考え方で構成されているというわけではありませんで、これはオプトインの、基本的にその意思表示、これは本人の意思表示か家族の同意かと、ここのところに差があるわけですけれども、そういうことを前提としているわけでありまして、ですから、今委員がおっしゃられたように、その本人の意思と関係なくやるのだから、それはここのところを見直してもいいのではないかということではないというふうに私は思っております。  知的障害者の方々についてのお取扱いについてのガイドライン、これは今後も維持すべきだというふうに思っております。そして、なぜかといえば、その拒否の思いがあられるかもしれないと、しかしその拒否の思いそのものが適切に御本人が表示することができないかもしれないと。こういうことを考えると、私は、現在、知的障害者の方々等の取扱いについて慎重であるというガイドラインは引き続き重要だというふうに思っております。
  50. 小池晃

    小池晃君 拒否の思いがあるかもしれないと、だから除外するということであれば、それは障害者だけに限られる話ではなくて、それは障害者でない人も含めてそういう考え方になるんじゃないですか。そうすると、今の説明だとA案の根拠がちょっと私は崩れるような気がするんですが、いかがでしょうか。
  51. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) A案の根拠は、私は崩れるとは思っておりませんで、A案にしましても、本人が拒否するという場合には当然これは対象にはならないわけであります。本人の意思を大事にするという考え方は前提であるわけであります。  そして、知的障害者等の、知的障害のある方々についてどうするかと。家族の承諾によって脳死判定や臓器摘出を行うということについて、これは先ほどからも申し上げておりますけれども、当面見合わせるということをガイドラインに明記をすべきであるというふうに考えております。
  52. 小池晃

    小池晃君 すべきであるという立法者の意思は分かるんですが、除外する根拠が、法的な根拠がA案だとこれはどこにあるんですかと聞いているんです。どこにあるんでしょうか。私は別に、A案支持しているわけでもないですし、除外を外せと言っているわけではないですよ。ただ、除外ということを続けるというのであれば、それが法律にはどこがそれが根拠になるんですかと聞いているんですが、説明ないように思うんですけど。
  53. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 委員は除外をせずに適用すべきであるという意見では恐らくないのだろうというふうに思っておりますけれども、先般の現行法ができたときの議論、そういうことを踏まえれば、私は今申し上げたように引き続き堅持し、そしてまた新たにガイドラインに家族の承諾によって脳死判定や臓器摘出を行うということは差し控えるべきだということを明示すべきだと考えておるわけであります。  これは、論理的に整合性があるのかと、こういう御指摘なのかなとも思うわけでありますけれども、論理的な整合性も大事です。しかし、論理的な整合性と同時に、脳死判定また臓器移植ということについてどのように多くの方が受け止めておられるかということを、冷静にといいますか、現実をよくよく受け止めて判断をするということも大切だと思っております。
  54. 小池晃

    小池晃君 こういった問題は、やっぱりきちっと論理的な根拠、法律的な根拠がないと、私は障害者の皆さんの人権を損なうということにつながる危険性を感じるんですよね。その点はちょっと指摘をしておきたいというふうに思います。今の説明ではちょっと説明になってないんではないかと。  それから、資料をお配りいたしました。これは、脳死ドナー患者からの臓器摘出の症例報告、学会誌に出ているものでありますが、A案の提出者は、本会議の趣旨説明でも、ドナーからの臓器摘出時に筋弛緩剤を投与することがありますが、生きている方の痛みを取るための麻酔とは異なりますというふうに趣旨説明されたんですね。しかし、この症例報告では麻酔薬の投与が行われているわけであります。レミフェンタニルという薬剤ですが、これは発売されたときにも全身麻酔用鎮痛剤ということで発売をされております。  見ていただくと、一ページ目の麻酔経過の上から六行目ぐらいに、手術刺激に伴う循環変動に対処するため、レミフェンタニル、麻酔薬を使用したということが書かれております。それから、二ページ目の麻酔経過を見ても、皮膚切開前にワンショットでレミフェンタニルを投与して、その後持続投与して、皮膚切開前にもう一回ワンショットで投与すると。それから、手術中に血圧の上昇が見られた後に更に増量しているという経過が見られます。  誤解のないように言いますが、私はこの臨床経過について異議を差し挟んでいるとか、この治療内容に批判するというつもりは全くありません。これは冷厳な事実として受け止めるべきだと思うんです。ただ、これを見る限り、一応この症例報告の最後に、これは脊髄反射を抑制するための投与だってちゃんと断り書きがしてますから、それは私は理解しています。しかし、国民に対してやっぱり正確にこういうものは伝えないといけないと思うんですよ。筋弛緩剤を使っているけど、鎮痛薬、麻酔薬、麻酔やってませんと。  私は、この問題を考えるに当たって、臓器摘出時には刺激で血圧の変動があるので麻酔薬を使用することもあるんですということをちゃんと国民に説明して、共通の理解の上でやっぱり臓器摘出ということを進めるのが当然であって、やっぱり提案者がドナー臓器摘出時に使用しているのは筋弛緩剤だけで痛みを取るための麻酔とは異なるという、痛みを取るための麻酔ではないというふうに多分おっしゃるんだと思うんですね。しかし、麻酔薬、鎮痛薬を使っているという事実はあるわけですよ。  こういったことはちゃんと私は事実としてきちっと伝えるべきで、この趣旨説明は私は訂正していただきたいというふうに思うんですが、いかがですか。
  55. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 委員御指摘のように、正確に事実を伝えるということは極めて重要だと思っておりますし、そしてまた、脳死判定、臓器移植に関して様々な意見があるということを考えれば、それはなおさら重要だと思います。  その上で、若干追加して、せっかくの機会ですから御説明をさせていただきますと、なぜその鎮痛薬を使ったのかということについてちょっと説明させてください。  レミフェンタニルは脊髄に存在するミュー受容体に作用して、有害な脊髄反射を抑制するものと考えられると。ですから、鎮痛薬という薬でありますけれども、どういった薬理作用を期待して使われたのかということは、その実際に使った方自身が中枢神経に働いて鎮痛効果をもたらすという目的ではないということを明確に言っているわけでありまして、そういう意味では、私は、委員がおっしゃられることは当たっているところもあるけれども少し違うところもあるかなと思います。
  56. 小池晃

    小池晃君 いや、そんな当たっているところもあるとかないとかという話じゃなくて、私が言っているのは、その投与の妥当性とかその医学的根拠について言っているわけじゃないんです。国民に対してちゃんと脳死判定された後で臓器を取り出すときには鎮痛薬や麻酔薬を使うことはあるんですよということを言わなければ共通の理解にならないし、だからそういう点でいえば、趣旨説明では言われたんですよ、ドナー臓器摘出時に使用しているのは筋弛緩剤であって麻酔じゃないんだと。こういう説明は、私は、これは撤回していただきたいということなんです。私が言っているのはその説明の問題なんです。どうですか。
  57. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 再度申し上げますと、麻酔の作用を期待して麻酔薬を使うということではないというふうにオーサー自身が書かれているわけですね。ですから、そこのところを踏まえると、先生の御指摘、正確さに欠けるのではないかという御指摘は重々踏まえつつも、麻酔の目的で麻酔薬を使っているわけではないということも考えると、私どもが指摘したことも十分に理のあることかなというふうには思いますけれども。
  58. 小池晃

    小池晃君 いや、ちゃんと、じゃその説明するのであれば、答弁はこういうふうにすべきなんじゃないですか。筋弛緩剤も麻酔薬や鎮痛剤も投与することはありますが、それは生きている方の痛みを取るための麻酔とは異なりますと、こういうふうに言うのが必要なんじゃないですか。こういうふうに訂正していただく必要があるんじゃないですか。
  59. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) 趣旨説明のときに、委員がそうおっしゃったように私が説明したのは事実でございまして、一般に薬というのは鎮痛あるいはいろいろな、消痛薬とかそういうものを使います。だけど、私が申しました趣旨というのは、あくまでも、ある一部の方たちから痛みを感じているからまだ脳死状態じゃないんじゃないかという、そういうやっぱり御指摘がよくあるもので、麻酔という大きな意味の言葉、その中には筋弛緩剤も使いますし、昇圧剤もいろいろ使います。だけど、あくまでも答弁の内容は、この筋弛緩剤は使いますけれども、そういった痛みを取るものでなくて、末梢のリフレ、反射的なものを消失させるために使うことはあると、そういう意味説明させていただいたつもりであります。
  60. 小池晃

    小池晃君 いや、そういう説明になっていないんですよ、趣旨説明も。だから、そこは、ちょっと福島委員、どうですか、これはやっぱり直さなきゃ駄目じゃないですか。私は、共通のやっぱり正しい理解がなきゃいけないと思いますよ。
  61. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) 委員が御指摘のとおりだと私は思いますけれども、お分かりになっていただける医学的な知識を持たれている方は十分理解されて、一般の方に対する説明をしたつもりでございまして、麻酔剤という中にもいろいろな種類の薬があって、特に痛みだけを取るためにしたつもりはないということを強調したかったわけであります。
  62. 小池晃

    小池晃君 私は今の答弁はおかしいと思います。  一般の人だからこそ、きちっと正確な事実を伝える必要があるんですよ。一般の人だから、分からないから適当な説明、適当な説明と言うとちょっと語弊がありますけれども、そこを、何というか、誤解を与えないようにということで正確な情報を伝えないというのは、私は、本当にパターナリズムですよ、それじゃ、駄目ですよ、それは。
  63. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 今、冨岡提出者の方からも御説明ありましたけれども、委員の御指摘も踏まえ、提出者の意見ということも私はそのとおりだと思っておりますので、それを踏まえた上で、必要であれば修正をさせていただければと思います。
  64. 小池晃

    小池晃君 これは修正していただきたい。  こういう情報が本当に飛び交っているんですよ。国会の議事録に残っちゃいけないと思うんです。  もうちょっと時間がないので、後はちょっと質問しようと思っていたんですが、私は、やはり脳死を人の死とするという議論があたかも国際的な趨勢であるかのように今議論がされているんですけれども、本当にそうなのかと。  例えば、アメリカの大統領生命倫理評議会が死の決定をめぐる論争というのを、去年十二月に報告書を出しているんですけれども、ここでは、要するに、今まで脳死は人の死であるとしてきた二つの根拠が、これは疑問があると。一つは、脳死患者はもはや統合体ではないと、それからもう一つは、脳死患者は短時間で心停止に至ると。これに対して、近年、説得力を持った疑問が呈されているということが書かれているわけですね。それからドイツでも、連邦議会では、やっぱり脳死を人の死とする、今まで通説だったのにそうではないんじゃないかという、こういう議決が最近行われているわけですよ。  だから、私は、全体として見れば、本当に脳死を人の死とした法改正を国際的な趨勢なんだということで果たして進めていいのか。もっともっと国際的な議論の中身を私は子細に検討して、日本日本としてのきちんとした結論を出していく必要があると思いますし、今日の議論の中だけでも、これまでの説明でいろいろな問題があったということが明らかになったというふうに思いますし、私は、拙速な審議、今日で審議打切りというようなことはやめていただきたい。きちっと、もっともっと科学的な解明を含めてやっていただいて、国会として責任ある結論を出していただきたいと、このことを申し上げて、質問を終わります。
  65. 福島みずほ

    福島みずほ君 社民党の福島みずほです。  私は、A案に対する根本的な疑問は二点あります。脳死を一律に人の死とすることを前提としていること、それから本人の承諾がなくても家族、遺族の承諾で可とすること、その二点です。  前者について、まずお聞きをいたします。  A案脳死を一律に人の死とすることを前提としています。なぜ前提とできるのか。Aダッシュ案が提出をされました。脳死は一律に人の死としないというものです。A案が非常にぶれている、一体どっちなのかと言いたいのですが、なぜ臓器移植のときだけすればいいのに、脳死を一律に人の死とすることを前提にするんですか。福島さん。
  66. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 脳死臨調の最終答申において既に、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されているとされております。また、近年のアンケート調査においても、非常に多くの方が脳死を人の死と認めている。このような背景から、脳死は人の死であるという社会的合意があるという考えについてA案を提出をしております。  ただ、脳死は人の死でないという考えの方もいらっしゃいますので、A案では法的脳死判定を受けないという道を残しまして、脳死は人の死ではないのではないかと思っていらっしゃる方は法的脳死判定を承諾しないということによって脳死にならないということにもなっておりますので、私は、そこは問題はないと思います。  修正案を提出されている方は、それは我々と違って別な考えでやられているのかもしれませんから、修正案については論評を差し控えたいと思います。
  67. 福島みずほ

    福島みずほ君 私は、法律を作り、もし仮に、仮にA案が成立をすると、脳死は一律に人の死であることを前提とするということが、これが議事録にも残っているわけですし、そういう法律がこれから日本の社会で生きていくということが本当にいいのかと思っています。脳死を一律に人の死とする合意はないと思います。  冨岡委員は、五月二十七日の衆議院厚生労働委員会で、死の定義というのがすぐさま臓器移植法を超えてやはり広まるんじゃないか、そういうふうな危惧がございますが、それは否定はできないと思いますとあります。脳死を人の死とする定義が独り歩きをし、様々な医療の現場で治療の抑制につながるのではないか。近藤委員、いかがですか。
  68. 近藤正道

    委員以外の議員(近藤正道君) 私も、脳死は一律の人の死ということになりますと、それが独り歩きするということを大変懸念をしている一人でございます。現に、日本弁護士連合会にもそのことを前提とする様々な人権救済の申立て等も出されている経緯等もありまして、そういうことを承知しているがゆえに大変そのところを懸念している一人でございます。
  69. 福島みずほ

    福島みずほ君 長期脳死の子供のことを議論したいというふうに思っています。  私は、脳死という言葉はむしろ脳機能停止と言った方がいいのではないかとも思っているんですが、先ほども出ました、資料として今日出しておりますが、厚生省厚生科学研究費特別研究事業で小児における脳死判定基準に関する研究です。無呼吸テストを第Ⅰ群で二回以上実施した例で、ずっとありますように、脳死期間とすれば百日以上の方が四人います。これは実際の研究ということで、これは本当に大きいことだと。ところが、この厚生労働委員会で参考人、それから冨岡発議者はそういう例はないと断言しているんですね。参考人もこれは断言をしております。これは明確に間違いだと思いますが、いかがですか。
  70. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 先ほど福島さんも答弁をされましたように、脳死判定から心停止までの期間が三十日から九十九日のものが三例、百日以上のものが四例あったと報告書に記載がされております。しかし、この報告書は、こうした実態調査の結果に基づいて、このような例も認識した上で小児の脳死判定基準を作成したわけでございます。  報告書は、小児の脳障害は決して成人のそれのミニチュアでないことはよく知られている、しかし小児の脳死の病態は成人のそれと変わるところはなく、判定基準も基本的に厚生省基準と同じ考えで作成できると判断されたというふうに明確に述べており、この度、本研究班が作成した判定基準は現在の医学的水準において、世界的に見ても厳しい基準であると述べております。そういう例を承知した上で研究班は小児の脳死判定基準を作成しておりますので、そういう例が分かった上でも特に問題はないと思います。
  71. 福島みずほ

    福島みずほ君 今までそういう例はないというふうに答弁し、発議をしてきたことそのものが問題だと考えています。  私は、昨日、長期脳死と言われる遙ちゃんのお宅、世田谷に参りました。十キロ近くある女の子で、体はもちろん温かいし、髪の毛も伸び、つめも伸び、もう全身で生きているよと言っているような、呼吸器は付けなくちゃいけませんし、管で栄養は鼻からもちろん取っているんですが、そして脳死だというふうに言われた後、家族の愛情をたっぷり受けて、やっぱり生きているということを非常に強く思ったんですね。ですから、脳死を一律に人の死だとすることが一体、これ死体っていうのかというふうにも思うんですね。  これははるにゃママのホームページというので、やはり同じように脳死の子供を抱える親御さんのホームページもあり、いただいてきたんですが、例えば、ちょっと聞いてください。出産時の事故で脳死状態と言われる。自発呼吸なし、大脳、脳幹反射反応なし、まとめて言うと脳死状態と生まれた当初は言われましたが、その後、脊髄反射とか不随意運動が見られ、三か月後には浣腸で排便を試みると、顔を真っ赤にし、汗をかき、涙を流し、心拍を上げるようになりました。三千二百グラムで誕生し、現在は七千五百グラム、身長も四十九センチから七十五センチに。歯も生えてきたし、つめも、髪の毛だって伸びる。意識もなく、自分で呼吸もできないのに、普通に成長をしています。現在一歳三か月です。私は、この子が生まれてからずっと生きているのか死んでいるのかと悩み続けながら、家に連れて帰り、やっと一年掛けて生きていると実感をしたんです。体は生きているんです。人それぞれ考え方は違うと思うので、反対はしませんが、今でさえ世間の好奇の目が痛いのに、好奇だけではなく責めの目で見られるかと不安ですと。  やっぱり三歳の女の子のお母さん。二歳のときに事故。娘は医師からは大人でいう脳死と言われましたが、子供では判定できないから脳死状態と言われましたとか、何で臓器提供しないのとか思われていると苦しくなりそうだからですと、とにかく住みにくい環境にだけはなってほしくないですというのがあるんですね。  ですから、一方で臓器移植を待っている子供がいることもよく分かります。でも一方で、脳死は一律に人の死だということを前提にすると、昨日お会いした御両親もそうなんですが、一生懸命育てて、愛情を育て、生きている、生きていると、こう思っているわけですね。本当にやっぱり私、生きているよって言っているように思いますよ。その中で、この子は、じゃA案で死体だったのという物すごいショックがあるんですね。いかがですか。
  72. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) ちょっと若干混乱されているような気がするんですが、最初に福島先生おっしゃったのは、二回の法的脳死判定を受けて法的脳死判定から心停止まで三十日以上あるいは百日以上の話をされておりましたが、今の例は脳死判定を受けていらっしゃらないような気がいたします。お医者様から脳死状態と言われてあっても、それはそのまま脳死かどうかという判定をしていないわけですから、そこは本当に脳死状態なのかどうかは実は分からないわけでございます。昨今の報道では、そこをごっちゃにして報道されているケースが非常に多いというふうに思っております。  それから、A案は法的脳死判定を、要するに、臨床的脳死判定などではなく明確に法的脳死判定を二度受けていただいて、二度目に脳死と判定をされたときにお亡くなりになっているわけでありまして、脳死を人の死だと考えない方のために法的脳死判定を受けないという道も残っているわけでございます。今、福島さんがおっしゃったようなお子さんの場合は、一生懸命御家族でケアをされているわけですから、そういう方が法的脳死判定を受けるかといえば、お受けにならないだろうと思いますし、そもそもこのA案臓器移植法でございますから、臓器移植をされない方に対して法的脳死判定が行われるというようなことは想定をしておりません。ですから、このA案が成立されても御家族がケアをされているお子さんは別に死体でも何でもないわけで、それをあえてそのようにおっしゃるという意思がよく分かりません。
  73. 福島みずほ

    福島みずほ君 家族が一生懸命育ててきた子供を死体とA案が言っているように思うというふうにおっしゃったからです。私は混同を一切しておりません。  問題は、脳死だと医者に言われて、じゃそこでどうする。つまり、脳死は一律に人の死だという法律が、もしA案が通ったら、家族は、じゃ脳死は一律に人の死だということを受け入れなくてはいけないんじゃないかというふうにこの法律がやっぱり命に関して社会の中で威力を発揮していく。だから、一生懸命、脳死状態かもしれないが育てている親御さんが、自分たちが息苦しくなるということを実感をしているということなんです。つまり、親は、交通事故で子供が本当に危機的な状況になって承諾しますかしませんかということを問われたときに、脳死は人の死だ、これが前提です、国会でそういう法律が通りましたと言われれば、親御さんはそこで本当に苦しくなるということを皆さんおっしゃるんですね。  A案提出者は私が言っている意味が理解していただけないようですので、E案提案者、いかがですか。
  74. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 やはりこのA案、一律に脳死は人の死ということになりますと、それは様々な誤解を招いてくる、そのことが既に現れている、大変な混乱を生んでいるんだというふうに思います。  そのほかのことについて答えてもいいんですか。
  75. 福島みずほ

    福島みずほ君 はい。
  76. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 それでは、先ほどもA案提出者の方から本会議の趣旨説明について修正する旨の御答弁がございました。つまり、事実を、きちんと皆さんが真実を知っていただいて、そして情報がきっちりと皆さんの中で共有されていて、それでもなおかつ専門家の間でも大変いろんな意見の相違があるわけですから、そういう中で我々が果たして、この臓器移植というものがほかの医療と根本的に違うのはドナーがいるんです、ドナーが。そして、ドナーになるかもしれない、このA案が可決されてしまったら私たちのこの子供はドナーとしてならなければいけないのではないか、そういう人たちがいるわけですね。ですから、どの命もひとしく尊重されると国民に納得していただくような結論を出さなければならない、それが私たちの責任であるというふうに考えております。
  77. 福島みずほ

    福島みずほ君 私は、脳死は人の死と一律にするということと、そのことに関してこの参議院の中で、参考人の方が、例えばある医者の方が、社会の資産としてのそういう臓器を社会全体としてやはり使った方がいいのではないかという議論が起こったと私は理解していますとおっしゃったり、別の参考人が、余りにもメディカル、科学が、機械が発達して、死んだ人間に蘇生させていると、そしてたくさんの税金を使って延命していると、そのような声も上がっておりましてということに実は大変ショックを受けました。  つまり、脳死は一律に人の死だということで、出口を前倒しをしてしまう、命をとても短くしてしまうのではないかという危惧を大変持っているのですが、近藤発議者、このようなことについていかがですか。
  78. 近藤正道

    委員以外の議員(近藤正道君) 指名でございますのでお答えいたしますが、私は、先ほど福島質問者が、脳死は一律に人の死、こういうことになると大変息苦しくなる、そういう世の中になる、全く私はそういうふうに今思っております。  まず、先ほど、遙ちゃんですか、この話がございましたけれども、とにかく、長期の脳死状態が続く、なぜ法的脳死判定を受けないのかという話だとか、あるいはその後の、言わば社会の資源という話もございましたけれども、当然提供するのは国民としての務めではないかみたいな、こういう雰囲気というのはやっぱりかなり私は事実上蔓延してくる。そういうことではなくて、本当に提供する者、受ける者、断る者、受け入れる者すべて平等に保障されるというふうにA案の方がおっしゃるんなら、私は、この辺のところはもっとやっぱり違った対応があって私は当然なのではないかというふうに思っています。  一律に脳死は人の死だということになれば、私は、言っていることとやっていることがやっぱり随分違ってくる、そういう現実が出現することは私は避けられないのではないか、こういう危惧の念を持っております。
  79. 福島みずほ

    福島みずほ君 今日お出ししました資料に「人権救済申立事案の検証から伺える問題点―脳死判定基準・手続きの不備」というものを出しております。実際、人権救済の申立てが弁護士会にされ、勧告が出ている例です。また、二〇〇四年、ある大学において実施された脳死判定について、厚生労働省脳死判定マニュアルに定めるCT検査を実施せず、また、無呼吸テストの際、二、三分間隔で測定すべき血中二酸化炭素量をテスト開始七分後以降にしか実施しなかったとして、二〇〇五年、厚生労働省から行政指導がなされたという例もあります。  私たちがちょっと慎重になるのも、こういう人権救済の申立てなどがされていて、手続の不備があるのではないか、もっと救急、もっと尽くしてほしい、これは大きな医療制度の問題ですが、このことについてE案の発議者、いかがでしょうか。
  80. 近藤正道

    委員以外の議員(近藤正道君) 先ほども申し上げましたように、私どもが今回E案にこだわっている一番大きな根本的な理由は、二つの命が共にやっぱりひとしく大事にされる、そういうシステムをどうやってつくっていくのかと、このところで悩んでいるわけでございまして、ところが現実は、今の現行の制度の下でもこういう形で人権救済の申立てが弁護士会になされていると、こういう現実が率直に言ってございます。  これが、A案という形で更にこれが改正されたときにどうなるのか、この傾向が更にエスカレートするのではないだろうかと。そういうその動きに何とか歯止めを掛けながら、どうしたら二つの命が共に大事にされるのかということを一生懸命考えているということを是非御理解をいただきたいと、こういうふうに思います。
  81. 福島みずほ

    福島みずほ君 A案では、そばにいる家族が子供も含めてその本人の意向をそんたくするというのが出ておりますが、そんたくと言われても、例えば、先ほども出ましたが、知的障害者の皆さん、あるいは赤ちゃんとか、どういうふうに本人の意向をそんたくするのか、どうするんですか。本人以外の人間が臓器移植のときだけ脳死判定するとありますが、どうやって本人の意向をそういう場合にそんたくするんですか。
  82. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 先ほどからA案にレッテルだけ張られて答弁をさせていただけないものですから、少し併せて答弁をさせていただきたいと思います。  まず、私は今から七年前に生体肝移植ドナーになりまして、その経験からそのドナーに対していろいろな社会的なプレッシャーが掛かってくる可能性があるということに気が付いております。いろんな方から相談を受けている中で、やはり生体肝移植ドナー家族あるいは周りからのプレッシャーなしに自分のことがきちっと決められるようにしていかなきゃいかぬというふうにずっと努力をしてきたつもりでございますし、それは生体移植だけでなく脳死移植からでも、やはり周りからのそういうプレッシャーがないように、本人あるいはドナーになる家族のことをまずきちっと考えていかなければいかぬというのは、それは全く生体移植脳死移植とは同じことだと思っております。ですから、そういう環境をいかにつくっていくかというのが、日本臓器移植がきちんと行われるならば必要なことだと思っておりますし、A案というのは決して人の命を前倒しに短くしようなどということではございません。それはきちんと手続を踏んで脳死判定をされて、臓器の提供の意思があるかどうかが判断されて行われるものでありまして、脳死を人の死だと思わない方は法的脳死判定を受けなくてもいいということが明確になっているわけでございます。  脳死とお医者さんに言われたらというような話がございますが、そことA案が言う脳死との間の区別がきちんとできるように、臓器移植法で言う脳死とは、法的脳死判定がきちんと行われた上で脳死なのであって、臨床的な脳死判定あるいはお医者様が言う脳死状態とは明確に違うんだということをこれ世の中に知っていただくような普及啓発はきちっとやらなければいけないと思っております。普及啓発が大事であるということはA案の中にも書いてありますし、様々な努力をするということになっております。  本人の意思のそんたくでございますが、それは本人の意思をそんたくをして、なるべく本人の意思に近い形で御家族に決めていただくのが私は正しいのだろうというふうに思っておりますが、いろんな御家族がございます。御家族の形態にはいろんな形態がございますし、ドナー家族関係もいろいろあると思います。  先日の質疑の中でもありましたように、どういうときにそんたくできるのかという線を引くというのは、これはなかなか難しいと思いますので、御家族にはなるべく本人の意思を尊重することができたというふうな総意でもってお決めをいただきたいというふうに思っております。
  83. 福島みずほ

    福島みずほ君 E案が今後具体的にどういう一年間活動を予定されているかを聞こうと思ったんですが、済みません、時間が来たのでまた……(発言する者あり)時間ですね、済みません、時間が来たので、また別の機会に是非質問をさせていただきたいと思います。  A案は、脳死を一律に人の死とするということから、医療現場に他の波及効果、命についての社会的なコンセンサスの非常に転換が行われるということを最大限危惧をしております。そのことを申し上げ、私の質問を終わります。
  84. 梅村聡

    ○梅村聡君 梅村聡でございます。本日、午前中最後の質問になります。よろしくお願いします。  私、今議論を聞かせていただいておりまして、一言だけ意見を述べさせていただきたいと思います。  A案の中で脳死が一律に人の死であるというフレーズが何回か出てきたかと思いますが、少なくとも参議院の御答弁の中で、脳死が一律に死であるという御答弁はされておられないと思います。医学的に脳死は人の死であるという前提に基づいてこの法律を作られたということをお聞きしておりますので、私は、一律に人の死であるということを言い切ってしまうということは事実と少し違うのではないかという思いを持っておりますので、その点、一点だけ述べさせていただきたいと思っております。  さて、昨日も厚生労働委員で、移植の現場、そして救急医療の現場というのを見学をさせていただきました。いろんなことを感じたわけでありますが、まずはA案の提出者の方にお聞きをしたいと思います。  やはり、現場を見たとき、そこは現実には脳死判定が行われている場所でもありませんし、移植が現実に行われようとしている場所でもなかったわけであります。つまり、この委員会の中での議論の中で、いろんな皆さんの頭の中で、想像の中で、脳死、臨床的脳死と言われればどう感じるのか、あるいは法的脳死判定を受けるときの決断というのはこういうものであろうと、皆さんの心の中で、いろんな想像の中で皆さんが一生懸命今考え議論をされていると、私は恐らくそういう状況だと思っております。  その中で、やはり一つA案の皆様方にお聞きしたいのは、じゃ具体的に手続があります。臨床的にあなたのお父さんは、あなたの息子さんは脳死だと、脳死だと思われます、そして法的脳死判定を受けてください、あるいは受けるおつもりがありますか、コーディネーターの話を聞くおつもりはありますかと、いろんな提示をされるわけでありますが、ここでやはり一番心配なのは、何度もこの議論でも出てきておりますが、じゃ、その決断をせかされることはないのかと、言われたときに頭が真っ白になって正確に決断をすることができるのか、あるいは家族の中でしっかり話合いをすることができるのかと。私は、やはりそこの部分が、理屈では分かるんだけれども本当に自分はきっちりできるのかというところが私はいろいろ御疑念が出るところではないかなと思っておるわけであります。  ですから、改めて、臨床的脳死が疑われてから、実際にその方から臓器の提供の意思が表明をされて、御家族から表明をされて、あるいは臓器カードを確認して、そして臓器を提供いただいて、そしてその方が病院からお見送りとして病院を出ていかれるところまでの流れを改めてもう一度詳しく説明をいただきたいと思います。
  85. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 現行法における流れを御説明をさせていただきますと、まず臨床的脳死と診断をされ、原疾患に対する行い得るすべての治療が行われ、更なる治療を続けても回復の可能性がないと認められた場合に手続が進められることになります。  主治医などから、家族脳死についての理解状況を踏まえて、本人が何らかの意思表示を行っていなかったかどうかということが把握されます。本人が臓器提供の意思表示をしていた場合には、主治医などからコーディネーターから説明を聞くかどうかということが現在では尋ねられ、そこで御家族がそれを拒否した場合には、そこでプロセスは終わります。  コーディネーターから説明を聞きますとお答えになった場合には、臓器移植ネットワークから派遣された移植コーディネーターによって家族への説明、それから本人の意思表示の署名による確認、それから家族臓器提供を拒否するかどうかの意思確認が行われます。その後、二人以上の医師によって法的脳死判定が行われ、二回の脳死判定によって脳死と判断されると臓器摘出チームによって臓器の摘出が行われ、摘出手術が終わるとお見送りということになります。  この間、御家族が例えば家に帰って親族の会議を開いたりということも自由にできます。これは病院の出入りというのも自由でございますし、遅れて来る家族を待つということも当然これはあると思います。それから、脳死判定が行われてから摘出されるまでは平均すると十数時間掛かっております。その間にお見送りあるいはお別れということも時間を掛けてゆっくりできるということになります。  脳死判定から臓器摘出に至る一連の行為というのはこういう順番で行われますが、決して臓器提供を強制されるということはありませんし、家族の決断を急がすということもありません。移植コーディネーターは、家族の承諾の任意性というものをきちっと配慮しなければいけませんし、承諾を強要するような言動があってはならないということはガイドラインで定められております。説明の途中で家族がもういいですとおっしゃった場合には、その意思を尊重し、そこでそのプロセスは終わります。  また、家族の心情に十分配慮しながら説明を行うということになっております。また、脳死判定におきましては、御家族が希望する際には脳死判定に御家族に立ち会っていただくというのが適切なことであるというふうにされております。  これが現行の流れでございます。A案になった場合も同様に行われるものと思っております。
  86. 梅村聡

    ○梅村聡君 まずは、前半では流れをあらかた御説明いただいたかと思うんですが、私はやはりこれは移植の現場だけではなくて、これはいろんな医療の現場、そういう場所においては人には揺らぎという心の動きというのが必ずあると思います。これは移植だけではなくて、例えば思いも寄らなかった病名を告知された場合、じゃ治療をどうするんだといったときに、最初はパニックになって考えられなかった、一晩おうちで泣いて、だれとも話もすることができなかった、だけど次の日にそれを例えば受け入れることができたと。その結果、それを、じゃ次の自分の決断に生かしていく。  私は、今実はこの話を改めてお聞きしたのは、このA案であろうと現行法であろうと、人の心の揺らぎというものをきっちり保障ができる運営になるのかなと、私はやっぱりそこをきっちり保障をしないと、幾らその流れがきれいであったとしても、国民の皆さんに、じゃ保障していますよと、臓器提供を拒否することを保障していますよと言っても、私は受け入れられないと思っています。例えば御家族の方も、長年会っておられなかった子供さんが帰ってこられたと、決断はしていたんだけれども、その方が違うことを言われたと、じゃ今日一晩やっぱり家族会議をやらせてくださいよと。この今の一連の流れを一回止めて、そしておうちに帰って一晩夜を徹して話をする機会を与えてくださいよと。そこで、じゃこの流れの中でそこの部分はきっちり保障するんですと。  私は、その揺らぎというものをどこまで保障ができるのかということがこのガイドラインの中でも入れる必要があると思いますし、もちろんそういうことも書いてはおるんですけれども、私が保障しなければいけないところというのは、実はその揺らぎをどれだけ内包することができるシステムかなというふうに思っておりますので、これはA案の方にもE案の方にも非常に考えていただきたい、これからの議論の中で考えていただきたい点だということを提案させていただきたいと思っております。  そこで、E案の提出者の方にお聞きしたいと思います。特に、医師でもあられます小池議員の方にお伺いをしたいと思いますが、現行法の下に行われております、つまりこれは成人の方、そして御本人の同意の下での臓器提供臓器移植でありますが、現在の臓器移植における医学的見地から見た医療としての位置付け、必要性、そして医療技術的な点に関する見識をお伺いしたいと思います。
  87. 小池晃

    小池晃君 今、梅村議員が指摘された点は大変大事な点だったというふうに思いますし、柳田邦男氏が追加資料を皆さんの下に届けたと思うんですが、やっぱりその中でもきちっと検証するんだということを強調されているので、やはり人の心の揺らぎ、ドナー家族のいろいろな思いも含めてきちっと検証していくということは今本当に大事だろうというふうに思います。  その上で、今の御質問に対してですが、今回提出させていただいている法律案については、子供に係る脳死及び臓器移植に関する検討について定めるとともに、適正な移植医療確保のための検討及び検証について定めるものでありまして、医学的な見地も含めて現行の臓器移植に関する法律規定による臓器移植を否定するものではございませんし、評価という点でいいますと、まさにその評価のためには検証が行われる必要があるというふうに思うんです。現在はこの検証が柳田邦男氏も指摘しているように十分に行われていませんし、検証会議の結果がきちっと国会議論に反映されていないんではないかという御指摘もあったと思うんです。  この法律案については、臓器移植に関する法律規定による臓器移植に関する検証が適切に行われることとなるよう同法を改正してそのための規定を設けるということにしているわけでありまして、まさに医学的見地も含めてきちっとそれを検証して国民の合意をつくっていくと。  さっきも質問議論しましたように、正しい情報をやっぱり国民の皆さんも含めて共有することが本当に大事だと思いますし、それはやっぱり医学界の責任でも私はあるというふうに思うんですね。ところが、かなりデフォルメされたというか、部分的な情報がやっぱり流されているということが私はあると思いますので、こうした法律によってきちっと検証して共同の、国民と医学界と立法府などが共同の作業でやはり合意をつくっていくことこそが移植医療を含めた医学の発展に資するものになるというふうに私は考えます。
  88. 梅村聡

    ○梅村聡君 検証はいろんな角度で必要ではあるということですが、しかし一方で、その移植医療の必要性というものを否定されるものではないという御答弁でよろしいでしょうか。  それでは次に、E案の提出者の方にもう一問お伺いしたいと思いますけれども、現行法の下での移植の判定手順、判定基準です。これについて、その現在の要件の是非、それから判定基準の是非についてもお考えをお伺いしたいと思います。
  89. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 脳死判定基準ですね。
  90. 梅村聡

    ○梅村聡君 脳死判定基準
  91. 小池晃

    小池晃君 二つに分けてお答えしたいと思うんですが、現行の脳死判定手順、脳死判定基準についての評価でございます。  現行の法律規定による臓器移植に関しましては、先ほども答弁しましたように、まずは移植医療の適正な実施を図るための検証が必要であるということで、同法を改正して検証のための規定として第十七条の三を設けるというふうにしておりまして、その第十七条の三で、臓器移植に関し検証すべき項目として、第一に臓器を提供する意思表示の有効性、第二に脳死の判定の適正性、第三に脳死の判定に従う意思表示の有効性等、具体的に列挙しておりまして、同条に基づいてこれらについて遅滞なく検証が行われ、検証結果が公表されるものというふうに私どもは考えています。  それから、二つ目の意思確認要件の是非についてですが、これ、現行制度は本人及び家族の同意を、意思確認を必要としているわけであります。この法律案については、この脳死判定を行う、できる要件については改正を行っておりません。  現行の意思確認要件については、私どもはおおむね国民的に了解されているものというふうに考えております。しかし、これを更に脳死の判定要件について改正するということについて、現時点において国民的な合意が得られていないというふうに考えます。ですからこそ、まずはこの点については現行法を維持すべきだというふうに考えるというのがE案提出者の考え方でございます。
  92. 梅村聡

    ○梅村聡君 今二回お答えいただいた中で、やはり現行法の下での要件としてはこれは認めていただけると。そして、移植医療の必要性ということに関しても、これは、必要性というものは認められるというお考えだと思います。  その中で、A案の提出者の方にお伺いしたいと思います。  今回、改めてお聞きしますが、六条二項、これはもう何度も答弁をされているかと思いますが、この中で「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の部分が削除された。この部分に関するお答えをお願いしたいと思います。
  93. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 脳死臨調の最終答申において、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されているとされております。提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出をしております。提出者といたしましては、脳死した者の身体の定義についてもこのような考え方によりふさわしい表現となるよう、御指摘ありました「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を削除したということでございます。
  94. 梅村聡

    ○梅村聡君 ありがとうございます。  ここからは私が、今三回お答えいただいたことを、少し自分なりに考えたことを述べさせていただきたいと思います。  まず、脳死というものが社会的におおむね受け入れられたものであると。その理由としては、例えば内閣府の調査であるとか、あるいは新聞社の調査等も含めて、過半数の方が脳死を人の死と認めてもよいというデータをこれまでもお示しになって、それが、脳死が社会的に死として受け入れられているのではないかと、それがこの六条二項の削除のところにもつながっていると、そういうお答えをしていただきました。  私は、論理としては間違っていないと思っています。つまり、論理のつながりとしては間違っていないと私は思います。ただ、恐らく、いろんな質問をされる中のお気持ちの中には、そうすると、本当に、国民の方に世論調査をしたときに、脳死についてどう思いますかと言ったときに、脳死を単独で考えることができるのかという御疑念がおありにあるんだと思います。  つまり、今の日本の国内の中で、これは海外でもそうだと思いますけれども、脳死とは何ぞやと聞かれたときに、現実には臓器移植の下でしか脳死というものは存在しません。実際は百十四万人の方が亡くなられて〇・四%の方が脳死に陥ると言われておりますので、理論的には四千数百人の方が脳死なのかもしれませんが、少なくとも、我々が聞かれたときに、脳死とは何ぞやと言われたときに、それは臓器移植というフィルターを通さないと脳死というものが何かということを考えることができない、これが今の日本の国民の方の正直な御意見だと思います。  そうすると、脳死は人の死なんですかという問いをしているんですが、実はその中にはもう一つ意味が入っていると思います。それは、臓器移植というものがどういうものかと認識されていますかという問いと合わさって問うていることになっているのだと思います。これは、そこを通じないと脳死ということを考えることができないからであります。  ですから、私は実は、その説明のされ方としては、確かに質問の五十何%の方は脳死を受け入れているということなんですが、それと同時に移植というものが皆さんどのようにとらえられているのですかということも問うているのだと思っています。  そう考えますと、初めて日本脳死下移植を行われた一九九九年、あの日の翌日の新聞を私も覚えております。もう一面記事、社会面すべてがその記事で覆い尽くされていました。そこから八十一例の脳死下での移植というのが行われてきた。そして、そこを通じて脳死というものに国民の皆さんは触れてきたんだと、私はそう思っております。  そうすると、先ほど、実は小池議員からもお話ありましたが、現行法下での脳死移植、これは検証部分があるにせよ、医療というものの必要性の中では一定の理解を得てきているというふうに私は思っています。つまり、説明のされ方として、私はそこが実は一体となってお答えが来ているんだと。  そうなりますと、どうして十二年前、六条二項の部分に今削られようとしている文言が入っていたのかというと、当時はまだ一例も脳死判定が日本国内では行われていなかったわけです。そして、その当時は一例も臓器移植というのが行われていなかったんです。だから、国民の皆さんに、実はこの文言が入っていても入っていなくても同じ手続で同じ解釈なんだと申し上げても、そこは当時は納得ができなかったんだと思います。  そして、それを保障するために、実は本当はなくても、この法律自体は臓器移植法に関する法律なんですから、そしてこの一条の中では、この法律臓器移植に限定するものだということが書いてあるわけですから、実は必要じゃなかったものでも、そこにあえてそうじゃないということを国民の皆さんにお知らせする必要があったんだと思います。  しかし、今八十一例が現実に行われてきて、そして国民の皆さんも脳死というものを臓器移植を通じて認識されるようになったと。ですから、この六条二項のこの部分は外してもそれは同じことなんだという、そういうふうな御説明をされた方が私は、私はですね、私はそれの方が国民の皆さんへの説明としてはしっくりくるのではないかなと私は思っておりますが、少しこの見解について御感想を聞かせていただければと思います。
  95. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 傾聴に値する御意見だと思います。
  96. 梅村聡

    ○梅村聡君 そういう形で是非御説明をいただければ、私は委員の皆様、国民の皆さんもしっかりこの議論に納得をいただけるのかなと思うことを感想として述べさせていただきまして、私の質疑を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  97. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 午後一時に再開することとし、休憩いたします。    午後零時十分休憩      ─────・─────    午後一時開会
  98. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を再開いたします。  委員異動について御報告いたします。  本日、丸川珠代君及び森田高君が委員辞任され、その補欠として森まさこ君及び谷岡郁子君が選任されました。     ─────────────
  99. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 休憩前に引き続き、臓器移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器移植に関する検討等その他適正な移植医療確保のための検討及び検証等に関する法律案の両案を一括して議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  100. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 民主党の谷岡郁子でございます。  今日は、質問の機会を与えていただいてありがとうございます。また、この法案審議を通じて、委員会の外における視察をも含めての様々な方々との意見交換において本当に私自身の認識が深まったこと、そしてこの問題に対しての議論が深まったことに関係者の皆様に心からお礼申し上げたいと思います。  さて、この間ずっと議論を聞いておりまして、A案方々説明ということを随分私なりに理解したつもりですが、なお幾つかの疑念が残ります。そのことについて今日は質問させていただきたいと思っております。  まず、そのA案の前提というものがあるような気がいたします。一つは、脳死は人の死ということであり、またそれが一般に受け入れられていると、これはそういうことです。そして、このことはもうさんざん言われておりますので、ここでは少しおきます。二番目に、移植が増えないのは現行法が問題があるからだということに見えます。果たしてそうなのでしょうか。そして三番目には、本人や家族は基本的に承諾ないし拒否を決定して迷わずにいられる存在であるというような認識を前提としているというふうに私には思われます。  そこで、まずその二番目の、移植が増えないのは現行法の問題であるというような、だから改正が必要であるという認識に対しまして、本当にそうなのだろうか。救急医療整備であるとか、あるいは働く方々の現場における過重な労働条件状況であるとか、あるいはドナーカードの普及の仕方の問題であるとか、今の現行法下においても実はやれることはたくさんあったのにやらなかったということの問題で、これは法文のせいなのだろうかということについてどうお考えなのかをお聞きしたいと思います。
  101. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) 最初の御質問はなくてよろしいんですね。  二番目の点からお答えします。  第二の点の移植が増えないのは現行法の問題であるという認識かどうかという御質問でありますが、現行法においては臓器提供は本人の書面による意思表示があることが絶対の要件とされているため、臓器の提供の件数が少数にとどまっているものと考えております。この改正案では、臓器摘出ができる要件として新たに、本人の意思が不明の場合であって、遺族がこれを書面により承諾するときを加えることとし、移植医療の機会が増えることを期待しているところであります。  また、今御指摘ありましたように、様々な医療体制整備とか啓発キャンペーン、そういった現行法の枠組みの中でも臓器移植を増やす措置というのは、やはり我々もそういった措置があることはよく認識しております。実際私も、ちょっと……
  102. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 カットしてください。
  103. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) ああ、そうですか。  じゃ、以上です。
  104. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 たくさんお聞きしたいことで時間の制限ありますので、できるだけ端的に質問に答えていただきたいと思います。  次に、本人や家族は基本的に承諾あるいは拒否ということをはっきり決められる存在であると、だから嫌な人は拒否しておけばいいのだから確保されると。私は、実は一割ぐらいしかはっきり承諾もできないし拒否もできないのではないかと思っておりまして、それが現状の数値に表れているのではないかというふうに思っております。むしろ、八割の人々はそういうことをほとんど考えないし、考えることを避けたいし、決められないという人々ではないかと。それを、ある意味でその八割の方々は基本的には善意でする意思があるかのような前提に立つということは大変危険であるというふうに思われるんですが、そのことについてはどうお考えなんでしょうか。
  105. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) イエスかノーかきっちり決められない、迷っている方がいるということに関しての御質問ということでよろしいでしょうか。  午前中の答弁でも申し上げましたが、やはりどうしても決められない、迷っている方というのは存在するものであるということは我々も認識しております。本人や家族臓器提供の承諾又は拒否について迷わずにいられる存在であるとは思っておりません。この改正案におきましても、本人や家族が迷わない存在であることを前提としているわけでもないですし、これからも、どの案の立場であっても同じではないかと思います。  迷っている場合には決して臓器摘出には至りませんので、また、家族全員の総意がない場合には臓器の摘出にも至らない、この点は確認させていただきたいと思います。
  106. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 では、その家族の範囲をどこまでお考えでしょうか。
  107. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) 家族の範囲というのを法律で、あるいはガイドラインで決めるのは難しいかもしれませんが──これ、ありましたか。失礼いたしました。(発言する者あり)
  108. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 速記を止めてください。    〔速記中止〕
  109. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 速記を始めてください。
  110. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) 済みません、ちょっと質問の順番を間違ってしまいまして、失礼いたしました。  家族の範囲内、今のガイドラインに当たりましては、臓器の摘出の承諾に関して法に規定する遺族の範囲内については、一般的、類型的に決まるものではなく、死亡した者の近親者の中から、個々の事案に即し、慣習や家族構成等に応じて判断すべきものであるが、原則として、配偶者、子、父母、孫、祖父母及び同居の親族の承諾を得るものとし、喪主又は祭祀主宰者となるべき者において、前記の遺族の総意を取りまとめるものとすることが適当であるというふうにガイドラインの中では決められております。  ちょっと今勘違いいたしましたのは、拒否権を、拒否できる家族の範囲内はどこかというところで誤解しておりまして、大変失礼いたしました。
  111. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 その拒否できる範囲がどこなのかとか、それがよく分からないんです。また、別なんだとすると、これは、家族にこれほどの大きい決断を負わせておいて、それについて即座に答えられないということは、それほど分かりにくいということを実は意味していないかと私は危惧をしてしまいます。  ところで、先ほどの実は決められない人というのが多いんじゃないかということについて、私自身がデータを取り出してみました。今日、こういう資料を用意いたしましたので、見ていただきたいんですが。  まず、下の表二、これは衆院の方の参考人から出てきたものを私が表にしたものでありますが、都内の大学の医学生の外科、神経科の学生たちに聞いてみたところ、臓器移植を自分の患者さんに必要な場合に勧めるというのが八三%。自分の臓器を、じゃ提供するかといったら、それが四五%に減る。そして、脳死となった家族臓器を、自分自身の家族臓器は提供するかどうかについては、今度また二二%で半分に減る。つまり、一つの問題に対する答えが同じ人物で、しかも脳死であるとか臓器移植について日本の社会の中では格段によく分かっている部類の人々というものがこういうぶれを見せております。  次に、上の表を見ていただきたい。これは、私が月曜日に授業をした結果でございます。私の授業に出てきた学生たちに、最初に、脳死による臓器移植、賛成、反対、それとも分からないと聞いたのがこの左側の賛成、反対、分からないです。そこから私は、A案とE案とその概要、考え方の背景、そしてそれぞれに言われている問題点というものを整理して学生に説明をいたしました。私も研究者の端くれでありますから、客観的に立つようにということで、私自身がE案の提案者であることも言いませんでしたし、また、そのことについてはできるだけ客観的な説明をいたしました。そして、学生と質疑応答の時間を持ちました。その結果、最初、賛成、反対、分からないであった者たちがどう変わったかということがこの右側の表なんでございます。  A案に賛成した者は六名と二名の八名です。最初賛成二十名から八名に変わりました。E案に賛成の者は、八名から、反対の者でE案という人たちは八名、八名で変わっておりません。しかし、分からないというのが一番増えたんです。  つまり、一定の今一般の人たちにマスコミを通じて以上の情報を与えたときに、私の学生たちはむしろ答えが分からなくなったという者が増えているというこの事実、そういう状況の中で、例えば遺族が、急に亡くなって脳死状態だと言われて混乱している人たちが判断ができるでしょうか。そして、やはりその分からないということを前提に置いて法律は作らなければならないというふうに私は感じるのですが、その点についてはいかがお考えになりますでしょうか。
  112. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) 先生が学生にどういう説明をされたのかちょっと分かりませんので、その点についてはコメントしようがない部分もありますが、ただ、我々も最後まで迷う人、あるいは説明を聞いてもイエスかノーかはっきり決められない人がいるというのはやはり前提として考えておく必要があるのは、そういったことは私どもも同じ認識だと思います。  ただ、日ごろから啓発活動に努めて、できる限り理解が広まっていくように努力をしていく必要もありますし、それから説明のやり方に関しても、午前中お話のあったコーディネーターの育成やトレーニングを強化して、誤解の余地がないような、きちんとした説明ができる人材を増やしていくということが必要ではないかと思います。
  113. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 今の最初の冒頭の発言は、まるで私が恣意的な説明を学生にしたかのように受け取られかねないような発言であったというふうに思いますが、そういうことを言い始めたら、コーディネーターがどのように説明するか私たちも分からないわけです。そういうことになってしまいますので、できるだけそういうような言わずもがなの発言というものはなさらないでいただきたいということを、まずお願いをしたいと思います。  そして、同時にコーディネーターの教育、あるいは現場でどういうことが言われるか分からないからこそ私たちは心配にもなるという事実というものを重く受け止めていただきたい。と同時に、決められなくて結局、臓器移植できなかった方も、そういう問いかけもあってそういう葛藤にさらされた場合には、その最後まで決断できなかったこと自身を大変悔やむような状況に無理やり追いやられてしまうかもしれないということもまた御勘案いただきたいと思います。  次のところへ行きたいんですけれども、A案方々は、この法案臓器移植に限ることであって、あくまでも独り歩きすることはないとおっしゃっています。起草者の判断としてはそうだと思います。それは私は信じます。しかしながら、法律というのは法文が独り歩きするものではないでしょうか。そして、裁判の例などにおいて、裁判官が私は議事録まで読むともとても思えないわけでございます。  いずれ、私たちの今こういうつもりであるとか思いであるとかというものは風化する可能性がある。今おっしゃったように、迷って分からないでいる人たちに対しても誘導などがなされないということは、私たちがそういうつもりであったとしても、法律は通った途端に立法者の手を離れます。しかしながら、その中で法律が生き続けて多くの人々に影響を与え続け、現場はそれを左右し続けるということにおいて、ここには何ら担保がないと思われますが、それについてはいかがお考えでしょうか。
  114. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) 最初に、私の言い方が悪かった点についておわび申し上げます。  法律が独り歩きしないかという御懸念でございますが、臓器移植法は臓器移植に関連して脳死判定や臓器摘出の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面について一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではないので、臓器移植以外の場面にその法的効果が及ぶことはないということは、衆議院及び参議院の審議の中で繰り返し申し上げているとおりでございます。  提出者としては、法案審議を通じてこの点を皆様に御理解いただくことによって、今後、法文が独り歩きするかのごとく異なった解釈がなされることがないようになるものと信じております。
  115. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 信じているというのは、私は立法者として十分なのかどうかということをやはり考えます。  というのは、現行法で入っているものをわざわざ取るということの中にやはりある種の立法者の意思というものはそこで表現されてしまっているわけですし、それを重く見て現場で細かい法文を読まないで誤解する人たちというのが出てくる可能性というのはやはりあり続けるというふうに思うからです。  時間がないので、次に行かせていただきたいんですが。  移植を必要とする人々のために、特に子供のために、昨日の視察でも、私は会った子たちを全員救いたいと心から思いました。もし、本当にその子たちのために移植の道を開くのであるならば、その一方で救急医療の充実によって子供の脳死を限りなくゼロに近づけると。そのための最大限の努力というものを私たちが国として、国家としてその意思を行っていく、場合によってはそのための特別な議員立法なども今後作っていく必要があるということに賛同していただけるか、そして協力していただけるかということをお伺いいたします。
  116. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) 今の点については、もう全くそのとおりだと思っております。  御指摘のとおり、救急医療の充実を図り、脳死の発生の防止に努めることが大変重要であると考えております。救急医療の現場における医師不足の深刻化が指摘されているところでもありますので、救急医療に携わる人員の増加、人材の養成などの措置を講じ、より一層、救急医療の充実が図られていくことを期待しております。この点に関しては全く同じ思いであります。
  117. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 私たちのこの国会審議を通じて大変衝撃を与えられたのは、参考人であった柳田邦男氏ではないかと思います。柳田邦男氏は、今週発売の週刊文春において以下の点を提言されているんですね。  その以下の点、五つございます。これらの点についてA案の提案者はどうお考えになり、今後どういうふうにされたいかということをお伺いしたいと思います。  たとえ今の時点で法文に盛り込むべしということについては言えなくても、今後、やはりその症例であったり、あるいはガイドラインであったり、実際の運用上であったり、また、今後の我々が新たに作れる議員立法であったりするような中でいろいろなことをやりようがある。ですから、法文に限定しないで提言を聞いていただいて、それに対してどうお考えになるかを表明していただきたいと思います。  一、本人の意思を臓器提供の必要条件とする。二、行政と医学界がドナーのグリーフワークに対応すべきことを法律に盛り込む。三、意思表示できない子供の脳死は小児科学会や関連分野の見解がまとまるまで法律が先行して枠組みを決めるべきではないということについて表明をしていただく。そして四、脳死判定の結果が出てから臓器摘出までの間に家族に十分なお別れの時間を与えることを法律に明記する。五、国はドナー家族に敬意を表する記念日を制定する。  いかがでございましょうか。
  118. 山内康一

    衆議院議員(山内康一君) まず、第一点目についてですが、この法改正案は、臓器提供について本人の書面による意思表示があることという現行法の要件に新たに本人の意思が不明の場合であって遺族がこれを書面により承諾するときを加えることとするものであるので、考え方を異にするものであります。  第二の点につきまして、ドナーをなくした家族の嘆きや悲しみといった感情は察するに余りあるものがあると思います。このようなドナー家族の方の心のケアについては、移植コーディネーター等によるカウンセリング体制の更なる充実を図ることなどによって万全を期すべきであると考えております。  第三点目の御質問について、子供の脳死判定については、平成十二年に旧厚生省の研究班によって小児(六歳未満)の脳死判定基準に関する報告がなされており、ある程度科学的知見は蓄積されているものと考えられます。施行日までの間に、上記の研究班が作成した基準を参考にしつつ、諸外国における小児の脳死判定基準や最新の医学的知見を踏まえた上で六歳未満の者についても脳死判定基準が定められることを期待しております。  第四点目に関しまして、現行制度においても家族の方に十分にお別れの時間を確保するようにしているというふうに思っておりますが、今後ともそのような時間を最大限確保できるよう移植医療関係者の理解を深めていきたいと考えております。  最後の五点目、記念日に関しましては、五月十七日が今ドナー家族の方の申請によって生命・きずなの日という記念日になっているそうですが、これは国が定めたものではありませんが、ドナーの皆さんからの申請で一応記念日というのはもう既に五月十七日があります。これをやはり国としても何らかの形でバックアップして理解を広めていく必要があるのではないかと思っております。
  119. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 時間が来たので終わります。  本当は、E案の方々にも午後については聞いてみたかったという思いがありますし、また同時に、本当にもっと政治家としての情熱で答えていただきたかったなとは思いますが、本当にお答え、ありがとうございました。  これで終わります。
  120. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 亀井亜紀子でございます。  では、一度質問させていただいておりますので、端的に質問をさせていただきます。  今日、参考資料としてお配りしてあるものがございます。これは衆議院の方で採決への参考資料として皆さんに配られたペーパーであります。「A案支持者と投票先を決めかねている方へのお願い」という文章でして、なぜA案なのかという説明ですとか、必ずA案に投票してください、A案が仮に否決された場合には必ず反対票を投じてください、D案が可決されるのはやめてほしい、それならば廃案にしてほしいというようなことが書かれているんですけれども、このなぜA案なのかという説明は、正しくない部分もありますし、誤解を招く問題表現も含まれていると思います。  この委員会で一番問題視されているところは、六条の二項をなぜ削除したのか、もうそれに尽きると思います。六条の二項の文言を削除してあるのに、A案では脳死は人の死であることは臓器提供選択した場合のみとしていますと書いてあります。この質問、何度もA案の方に投げかけられていて、そのお答えは、臓器移植法の中での定義であるのでそれ以外には影響しませんというお答えをいただいております。それは、法律論としては理解できるんです。つまり、臓器移植法という法律の中での定義であるから、他の法律には遡及しませんと。それは法律論としては成り立つのかもしれませんけれども、問題はそれが表に出たときに一般市民が、国民がどう理解するか、これはまた別問題だと思うんですね。ですから、そこまで、結局この法律を通すことによる影響をまさにそんたくして決めなければいけないことだと思います。  先ほどの福島委員質問のときに冨岡委員が、脳死は人の死であるということはA案の前提と考えていますと、けれどもその法的効果は別でありますという御答弁をされたんですけれども、私は、法的効果は別でありますというのは、瞬間ですよ、随分無責任な発言だなと思いました。やはり、立法者として、この法律を一本通すことでその効果がどうであろうか、影響はどうであろうかというところまでそんたくしてそもそも書き込むべきなんだと思います。  ですから、私は冨岡委員にお伺いしたいんですけれども、この法律が今回、脳死は人の死である、それは臓器提供の場合に限ったことであるという文言を除いた場合に、立法者の意思に反して国民に誤解される、その可能性があるとは思われませんか。
  121. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) 亀井委員には一昨日いろいろ御質問をいただき、また私もお答えしたところであります。  何度も繰り返すようになりますけれども、私たちは、脳死は人の死だというのをこの法案の中で定義付けようとは思っておりません。これは権利の復活の法律だと御理解いただければいいかと思います。すなわち、臓器を受けたい、あるいは臓器をあげたい方、十五歳以下の方たちの権利がここには、今施行されている現行法にはないということが最大のこの法案を提案した理由でございます。  ただ、その前提となる考えは、我々A案提案者の中では、脳死はもう人の死として認めてもいいのかな、世論的にはいろいろな数値が出ているのは再三申し上げているところでございます。したがいまして、それが死の定義を根底から覆すような影響を及ぼすとは私は思っておりません。したがいまして、この法律が通って、まあ徐々にではありますけれども、その考え方が、国民の中にいろんな考え方があるのは存じ上げておりますので、少しずつ変わっていくかもしれません。それは私も否定はしないところであります。  ただし、先ほど申しましたように、この法律を出させていただいた最大の提案の理由は権利の復活という点であることを御理解いただきたいと思います。
  122. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 権利の復活ということは初めて伺いましたけれども、それはだれの権利であるのかという問いになると思います。結局これは、臓器提供という一つ行為、ある事象をどこの視点から見るかによって全く解釈が違ってまいります。それをドナー側から見るかレシピエント側から見るか、どっちの権利を重く見るかによって結論が違ってまいりますから、A案の提出者と、私はE案の提出者ですけれども、その論点の違い、結論の違いというのは、まさにどこの視点から見るかということに尽きるんだろうと思います。  それで、次の質問ですけれども、まず六条二項をなぜ削除されたのかという質問に対しまして、脳死は人の死であるということを前提としてこのA案は成り立っていますという御答弁をされておりました。ですから、脳死は人の死であるというのは論理の上では起点、出発点ですね。AならばBである、BならばCであるという、そのAであるのAが脳死は人の死であるということになるのだと思います。そして、ですから脳死は人の死である、であるからB、目の前にある脳死患者の体は死体である、であるからC、臓器を摘出できるという論理になると思います。  そういう意味での前提、脳死は人の死であるというのは論理の出発点と考えて間違いないですか。
  123. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) ちょっと質問の内容がよく分からないんですけど、こういうことでしょうか。脳死は人の死であるという考え方を前提としてA案を提出しているという答弁の前提とは論理の起点である、これで間違いないかという、そういうことですか。六条二項を追加した修正A案という観点から先生、質問されているんでしょうか。ちょっともう一度繰り返していただけますか。
  124. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 先日の質問と同じことになるんですけれども、A案というのが、脳死は一般に人の死であると、そこからスタートして論理を展開させている。そこの部分に影響するのが六条二項なわけです。ですから、六条二項を追加したもの、あとは全く変わらないけれども六条二項だけが戻っている修正案というのは、私から見ればもう論理、スタート地点が違うわけです。前提としているものがなくなったものというのは、私にとってはA案じゃないんですね。そもそも脳死は人の死であるというスタート地点が違うから、別の場所に論理は展開していくわけですよ。  ですので、A案の提出者から見て、脳死は人の死ではないとする、要するにそこの定義を変えた修正案というのはA案修正案として成り立つのかどうか、そういう意味です。
  125. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) それは、恐らく考えの前提が違うなら別の案として扱うべきかなと思います。提案者に聞いていただかないとこの点はちょっと分からないかもしれませんが、全く、前提となる脳死は人の死であるということで、この修正案の、修正案というんでしょうか、出されたとすれば、それは違う案かなというふうには理解します。  そこら辺は、しかしこれは私自身が提案者ではないので、どういうふうに考えられるか、後ほどの自由討議の時間があるというので、私自身もまだお考えを聞いたわけではございませんので、その点はコメントが出ないというのが本当のところではないでしょうか。
  126. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 ありがとうございます。  第三者として冷静に見た場合に、A案の前提となる脳死は人の死であるというところから論理が始まらないと、それは全く別のものである。つまり、Aダッシュとして報道されたりしているんですけれども、それはFではないかと私は思っておりますので、そういう意味で、A案の提出者の方はどのようにお考えなのか、確認する意味質問をさせていただきました。  次ですけれども、六条二項をやはり削除した真意について、これは先日、壊れたレコードのようですけれども同じ答弁を繰り返させていただきますとおっしゃったので、恐らく同じように質問をしても同じ答えしか返ってこないだろうと思います。ですから、これは私の推測ですけれども、壊れたレコードの復元に掛かりたいと思います。ですので、私の出す音が正しければ正しい、おかしければそれはおかしいと逆に言っていただきたいと思います。  まず、六条二項が復活して、脳死は人の死でないと一般的に理解された場合に何が起こり得るか。まず、家族ですね、脳死患者家族に持った人たちの判断にどのような影響が出るか。家族の人の負担、心理的負担が高まるという御答弁がありましたけれども、それはそうだろうと思います。つまり、脳死は人の死であるから目の前の家族の体は死体であるというところから始まらないと、命を終わらせるかどうか、そこから家族選択しなければならなくなる。初めにこれは死体でありますと言われると、臓器を提供するかしないかの判断だけで済む。ですから、家族の側が負う負担は増すと思います。これは間違いないですね。
  127. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) 家族の方の考え方にもいろいろよるかと思いますけれども、一般に、一般にですよ、私が考えるに一般に、ドクター等から脳死は人の死でありますよ、そしていろいろなコーディネーターからも同じような説明を受け、そして死を受け入れて、それから臓器移植の方を説明を受ければ、精神的にはかなり軽いんじゃないかなというふうに推測します、私は。
  128. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 では次に、もう一歩進んで、今度は移植コーディネーターと現場の医師にとって何が変わってくるかということを推測いたします。  今、例えば、家族が交通事故に遭って脳死状態で運ばれたとします。その脳死状態家族を見て、まずパニックになるでしょう。その状態の中で、やはり家族としては、現場の医師に何とかして助けてください、最後まであきらめずに助けてくださいと。そして、きっとその方が亡くなっても、しばらくその死を受け止めるのに時間が掛かるというのが通常の考えられる状況です。  ですので、家族の側から、脳死ですからあきらめましたと、ですから、どうぞこの子から臓器を取り出して移植を待っている方のために役立ててくださいとドナー側から言い出すとは考えられないですね。そういたしますと、移植コーディネーターあるいは医師が、言いにくいことではありますがと切り出すことになります。  そして、本人の同意は今回、A案では外すわけですから、本人の同意がない中で家族患者の意思をそんたくして決めてしまって、恐らく後でトラウマに陥る可能性が高いと思います。  そのときに、脳死が人の死である場合は移植コーディネーターや医師が訴えられる訴訟のリスクは低いと思います。ただし、脳死は人の死でないとした場合は医師、移植コーディネーターのリスクが高くなる。つまり、現実的にはそんな怖いことは言い出せないので言い出さない。言い出さないということは臓器提供が増えない、つまり臓器は増えない。それが私は違い、その核心だろうと思いますけれども、いかがですか。
  129. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) ちょっと説明させていただきますと、頭部外傷を受けた患者さんが救命救急センターに入ります。そのときの主治医、仮に主治医Aとすると、その主治医Aが臨床的脳死判定をします。そして、今度その患者さんの遺族、まあ家族ですよね、この場合は家族、に説明する際、脳死移植を前提として説明する場合、その家族は、例えばそれが同意するかしないかという問題は別として、どちら側からその臓器移植の話を持ち出すかという、これは八十二例やっているんですが、七十四例は家族側からの臓器移植の提案なんです。これは、ドナー側というんでしょうか、これはお間違えのないように。  それと、そのときの主治医Aの説明と、それからコーディネーターさんがやる説明者は全く違います。さらには、臓器移植提供施設から臓器を、まあ施行する病院の主治医Bは全く違う人で、まあたまたま同じ方かもしれませんが、多くは全く違います。そこでの説明もなされます。そのいずれにしても、何か自分が疑問な点があり、あるいは家族で一名でも反対があれば、これは臓器移植は施行されないことになっております。  したがいまして、委員お尋ねになりました脳死は人の死と前提としてこの臓器移植法の中で粛々と臓器移植が遂行される過程におきまして、今説明しましたように、いろいろな方たち、それが例えば生体間移植の場合にはコーディネーターが三回違った、時間を置いてやって同意を得なくちゃいけないという、うちの大学では明確な規則がございます。倫理委員会での審議、いろいろな過程を含まれて、事故発生から平均して四十二時間、丸二日間、その間拒否する機会は十分ありますし、また、家族会議等、議論する時間が十分あるというふうにお考えになっていいかと思います。
  130. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 時間がなくなってしまいましたので、最後まとめて質問させていただきます。  まず、今訴訟がない、過去の八十一例で訴訟がないというのはなぜかといえば、ドナーカードがあるから、それがよりどころとなっているので、臓器提供が行われた後、家族が多少悔やむことがあっても、本人の意思で、カードがあったからということでそこに落ち着くことができるわけです。  けれども、これがなくなったとき、今回のA案の改正によって何が起こるかといいますと、今までは本人が明確にドナーカードを持って意思表示をしていた人しか臓器提供の対象にならなかった。けれども、今度改正がされますと、拒否をしていない人、つまりドナーカードはもう意味を持たなくなります。ノーだと言っていない人はみんな臓器提供の対象になるわけです、家族の判断によって。ですから、この場合、意味を持つのはドナーカードではなくてノンドナーカードです。事前に拒否をしないと全員が対象になってしまう。基準と例外が逆転するんです。これはすごく大きな改正だと思いますし、まだ国民には理解されていない点だと思います。  これがオプティングインとオプティングアウトの違いでして、国際的にオプティングインというのは、本人又は家族の同意がある場合がオプティングイン、それに対して、本人が拒否していない場合すべてというのがオプティングアウトです。そして国際的な基準、例えば英、米はオプティングインです。本人あるいは家族の同意を必要としています。そして、これがWHOの基準なんですね。  それに対して、この配られた資料ですけれども、A案はWHOが推奨する臓器移植法案です、この情報は私は明らかに間違いだと思います。また、A案が通っても現場の混乱は起こりません、これも間違いだと思います。やはり、ドナーカードが意味を成さなくなってくるわけですから、今までは訴訟がなかったけれども、今度は起こる確率が高いです。過去でも、家族の方がトラウマを抱えておられる、ドナー家族の方の心情というのは、先日、柳田参考人がお述べになっておられますから、この情報はかなり私は誤りがあると思いますけれども、なぜこんな文書を配付されたのかということと、あとやはりWHOが推奨する臓器移植法案ですということは言い過ぎではないでしょうか。
  131. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) まず、この文書をお配りしたのは、我々のA案がどのような案であるかを改めて説明した方がいいのかなというふうに思った点であります。それから、委員、WHOが推奨する臓器移植法と違うんじゃないかというような御指摘でございますけれども、私たちはそう理解しておりません。一九九一年に採択されたWHOのヒト臓器移植に関する指針においては、臓器移植目的として、法律上必要なすべての同意が得られ、かつ生前正式な同意を与えていなかった場合でも、死者がそのような摘出を拒否するであろうと信じる理由がないという場合に死者から摘出することができるとされているところであり、これはオプトインの考え、つまりWHOの考え方と私たち考え方は一緒ではないかというふうに我々は考えております。また、A案も本人あるいは遺族の同意を条件として臓器摘出を認めるものであり、この点、いわゆるオプトインの考え方に基づいております。したがいまして、結論的にはWHOの指針とA案とはその考え方において違いはないもの、同じものというふうに解釈しております。
  132. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 もう時間がありませんので、最後に一言申し上げますが、このことについて私は国民的な合意はまだ得られていないと思います。先日いただいた御答弁で、本人の意思が不明な場合に臓器提供を認めてよいとすることについて約五四%の人が賛成したと。これは内閣府が平成二十年に行った世論調査の数字を挙げられたわけですけれども、五四%という数字をどう見るかという話だと思います。私から見れば、四六%の人はノーか、あるいはまだ分からないと言っている。ですから、五四%という数字は過半数は超えていますけれども、国民的な合意だとは私には思えませんので、今回の改正は拙速だと考えます。  時間ですので、以上で終わりです。
  133. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 民主党の森ゆうこでございます。  二十分しか時間がありませんが、もう絞りに絞ったんですが、十六問通告してありますので、よろしくお願いいたします。  その前に、通告した質問の前に、今の亀井先生のこの資料について一点確認させてください。A案はWHOが推奨する臓器移植法案です。WHOから推奨マークをもらったんでしょうか。
  134. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) WHOが推奨しているのはオプトインという方式で、本人又は家族が同意をすれば提供をするということでございます。A案はそれに合っている、WHOの推奨マークはございませんが、WHOの推奨している法案と理解しております。
  135. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 要するに、WHOに提出してWHOから推奨しますという回答をもらったんですか。
  136. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) WHOの指針に準拠している法案でございます。
  137. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 そう書くべきだと思います。誤解を与えます。抗議を申し上げたいと思います。  通告した質問に移ります。  提供しない意思を担保するためにはどのような仕組みを考えているのか。同じくこのペーパーには、権利が担保されている、つまり拒否の権利が担保されているというふうにこのチラシには書いてあります。それがどのように担保されているのかということを確認させていただきたいと思います。  発議者も当初は臓器提供をしてもよいとする世論調査と実際の所持率との乖離を埋めたいという方向で提案していたはずで、本来は、本人がドナーカードを書き、家族もサインをしたものの、実際に脳死に陥ったときにカードが出てこない場合を原則とするなど、抑制的に運用されるということを考えられていたのではないか。  家族が独自の承諾権を持つものではない。家族が独自の承諾権を持つものではないということを確認させてください。
  138. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) ただいまの先生の質問、幾つか含まれていますので、整理して御答弁させていただきます。  まず、拒否の意思、これをきちっと確認する仕組みが大事であると、これは御指摘のとおりでありまして、家族の同意によって、本人の意思が明らかでない場合に家族の同意によって脳死判定又は臓器移植に道を開くと。これは小児の臓器移植等を考えたときに必要だというふうに私ども思っておりますけれども、その中で本人の拒否の意思というものが十分確認できる仕組みづくりが必要だと。これは、法案議論の中でも、提出に至る議論の中でもいろいろと検討させていただきました。  また、具体的にはドナーカードをどう広めるかという話が一つあるわけです。これは非常に基本的な話があります。ただ、そのドナーカードも実際にその現場で所持していない場合もあるんじゃないかということもあります。そういうときに、仮にその拒否の意思のドナーカードを持っていても、それがなかったがゆえに拒否の意思が十分反映されなかったということを避けるためにどうしたらいいかと。  十九年の三月から、日本臓器移植ネットワークにおきまして、臓器提供意思登録システム、これはつくるべきだと、こういう議論をしまして、どのような状態であったとしてもその拒否の意思が迅速に確認できる仕組みをつくるべきだということでこれはスタートしたものであります。また、それだけにとどまらず、運転免許証や医療保険の保険証等に意思表示の記載欄を設ける等々のことも含めて、こういった拒否の意思が大事にされる、運用上大事にされると、この基盤を更に充実させていくことが必要だと思っています。  ただ一方で、その考え方の根底としては、先ほども亀井先生からの御指摘にありましたように、本人の意思若しくは家族の意思、オプトインの考え方にはその両方があるわけでありまして、私どもは、その家族の意思、本人の意思が明らかでない場合は、WHOが指摘しているように、家族の意思をそれによって代行すると言うとまたちょっと言葉が難しいんですけれども、家族の御意思ということで行っていいんではないかということで提案をさせていただいたということであります。
  139. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 肝心な質問に答えていないんです。済みません、肝心な質問に答えてください。  家族が独自の承諾権を持つものではない、このことは非常に重要なことなんですよ。そのことについて明快な御答弁をお願いいたします。
  140. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 私は、済みません、失礼いたしました、答弁したつもりだったんでありますけれども、本人の意思かその家族の同意か、どちらかで脳死判定又は臓器移植が行えると、これがWHOのオプトインの考え方一つの幅だと私は思うんですね。その独自の同意権を持つかどうか、承諾権ですか、そういう権利があるかどうかという話になりますと、そもそも承諾権とは何であるかと、こういう議論に多分なるんだろうと僕は思っております。  それはいろんな議論があり得ると思いますけれども、私どもが提案をさせていただいているのは、臓器移植法が制定されて、八十例を超える症例が積み上げられてまいりました。その中で、子供の臓器移植、また海外渡航移植の問題に対して、それを解決するためには家族の同意によってこれが行えるようにするということが適切な見直しではないかということで提案をさせていただいていると、こういうことであります。
  141. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 今、明快な御答弁がいただけなかったことは非常に重大なことだと私は考えております。  法律は確かにオプトインという形になっているんですが、その御答弁によって実はオプトアウトになっているんですよ。分からないですか。これ、分かっていらっしゃらないようなので、これ説明すると時間がなくなってしまうんですが、別に家族の独自の承諾権を持つものではないんですよ、WHOが推奨しているオプトインというのは。明快な拒否がなければ提供していいという話ではないんですよ。本人の明確な拒否が提示されていなければ臓器を提供していいという話ではないんですね。そこを混同されているというふうに思います。  でも、次に行きます。一つ飛ばすことになるかもしれません。  先ほども御質問がありました迷う自由、あるいはもう死んだ後のことは考えたくないという決めない自由、これを尊重されるべきであるというふうに先ほど御答弁がありましたが、それでは、それはどのように担保されておりますでしょうか、具体的に。
  142. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 迷う、判断がなかなか付きかねるということは私もあると思いますし、そしてまたそういった方々について、その立場というものが尊重されるということは当然必要だというふうに思っております。  これは御本人の場合もあると思いますし、そしてまた御家族の場合もあるというふうに私は思いますけれども、御家族方々の様々な、そうした状況に遭遇したときの迷い、これは脳死判定にしましても臓器提供にいたしましても、明確なその御家族の意思表示がなければ進んでいかないわけであります。ですから、迷っておられる方々に何らかの強制的な働きかけをして、そしてそういった意思表示をさせるというようなことは私はないというふうに考えております。
  143. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 明確なシステム上のこの権利が担保されているというお答えではなかったわけですね、今のは。その担保されていると、ここに、チラシまで書いてあるんですから、具体的にそういう方策が示されるものかと思っておりました。  次に行きたいと思います。一つ飛ばさせていただきます。  本人が拒否の意思を表示していた、このことを現場で医師やコーディネーターに告げるのはだれか。配偶者、親族に限るのか、あるいは友人、知人等でもいいのか、お答えください。
  144. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 最終的に御判断されるのは御家族、御遺族の総意だと思いますけれども、そういった伝えるということについては知人、友人の存在があって当然だと思います。
  145. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 本人の直近のいろんな気持ちを聞いているのは、実は親ではなくて、知人、友人の場合がありますので、でも、だれでも言えるのかなという気もしてまいりました、逆に。  それで、仮に、臓器提供を待っている場合や相続を待つ利害関係がある場合、これは法務省に伺いますが、提供する旨の意思表示を詐欺又は強迫により強制、あるいは拒否の意思表示があったことを隠ぺいしたら、臓器提供や相続が受けられなくなる、そういう可能性はあるでしょうか。
  146. 團藤丈士

    政府参考人團藤丈士君) 相続人の欠格事由を定めております民法第八百九十一条第一号を見てみますと、ここには、「故意に被相続人又は相続について先順位若しくは同順位にある者を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者」、この者が相続人となることができないというふうに規定されてございます。  したがいまして、ただいま委員の御質問にございましたような、詐欺又は強迫により臓器を提供する旨の意思表示をさせたこと、あるいは提供を拒否する意思表示をさせなかったということのみをもっては相続人の欠格事由には当たらないということになろうかと思いますが、先ほど御紹介申し上げました八百九十一条第一号に定める要件に該当するような場合には、相続人となることができないという余地はあろうかと考えてございます。
  147. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 なぜこのような質問をしているかと申しますと、もう一つA案、あるいは修正案も全く一緒ですが、大きな問題点として、親族に対する優先提供、この規定があるわけですね。これがあると、結局、本人の生前の書面の提供、意思表明がなくても家族の同意だけでできる、しかも親族に対する優先提供がある、このことが今ほど言ったようなことがあるのではないかという疑念を抱かせるわけです。  これ、非常に大きな問題でございますが、民法や商法などでは、利益が衝突する関係がある場合は、利害関係人あるいは当事者について権利行使を制限する規定が置かれておりますが、本人の利益の保護という観点は非常に重要であると思います。他の法律で利害関係がある場合の法律行為について制限している例にはどのようなものがあるのか、特に、親族優先規定を入れる場合、現在の民法等の取扱いにかんがみますと利害関係のある者は承諾権者から外すべきとは考えられないか、法務省に伺います。
  148. 團藤丈士

    政府参考人團藤丈士君) お答え申し上げます。  ただいま民商法のお話がございました。委員御指摘のとおり、民法におきましては双方代理あるいは利益相反行為というのは原則として禁止する規定を設けております。  具体的に一例を申し上げますと、民法第百八条におきましては、自己の法律行為の相手方の代理人となること又は法律行為の当事者双方の代理人となることはできないという定めが置かれてございます。また、商事法の分野で一例を見てみますと、会社法上、取締役会の決議につきまして特別の利害関係を有する取締役につきまして議決に加わることができないという規定が会社法三百六十九条に設けられてございます。  その上で、その臓器提供の承諾権者から外すべきかどうかという点についても私ども法務省にお尋ねをいただいたかのようにお伺いいたしましたが、事の性質上、この点については民法等が直接規律している世界のものではございませんで、まさに臓器提供に関する議論にゆだねられるものと考えてございますので、私どもの方からのコメントは差し控えさせていただきたいと存じます。
  149. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) A案の親族の優先提供でございますが、これはドナーとなる方が生前に書面で本人が脳死になったときに臓器を提供するという意思を明確にし、なおかつ一親等、親又は子あるいは配偶者の中でレシピエント登録を既に済ませている者を指定している場合に限り親族の優先提供ができるというふうになっておりますので、本人の意思がなかったときに残った遺族が決めるというものでもございませんし、レシピエントとなれるのはレシピエント登録をしている一親等又は配偶者に限るということになっております。
  150. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 本人意思不明の場合には家族、遺族が重要な意思決定をすることになるわけですが、この家族、遺族との用語においてはいわゆる事実上の配偶者、事実婚、この配偶者についてはどのように位置付けられるのでしょうか。事実上の配偶者が拒否している、しかし一方では戸籍上の配偶者は承諾している場合、こういう場合も考えられます。現在の家族は複雑でございますので、その場合にはどういうことになるのか、お答えをいただきたいと思います。
  151. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 家族及び遺族の範囲につきましては、現行法上、ガイドラインで定められております。  このガイドラインでは事実上の配偶者については特に明記されておりませんが、ガイドラインでは個々の事案に即し慣習や家族構成等に応じて判断すべきものとされておりまして、生前の本人の意思をよく知る立場にあります事実上の配偶者は家族及び遺族に含まれるものと解釈されているところであります。  また、家族又は遺族の承諾については、現行のガイドラインと同様に、原則として配偶者、子、父母、孫、祖父母及び同居の親族の承諾を得るものとし、喪主又は祭祀主宰者となるべき者において家族又は遺族の総意を取りまとめるものとすることを想定いたしております。  ですから、今先生御指摘ありましたように、事実上の配偶者が拒否し戸籍上の配偶者が承諾しているような場合は、家族又は遺族の総意としては承諾は得られなかったものとして扱うべきであろうと思います。
  152. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 まあ、社会的な通念に照らして個々の事例で考えるべきものであるという答弁を先ほどもなさいましたけれども、それはいつ、どのように、だれが決定をするのかというのがいま一つあいまいで分からないということを指摘させていただいた上で、次の質問に移りますが。  承諾する家族と位置付けられる者は複数存在することが通例と思われます、今いろいろお話がありましたように。生活を共にして本人の意思を合理的に推定、そんたくできる家族の意思が優先されるべきではないかというふうに思いますが、その家族の間で、先ほどの御説明ですとあいまいですね、家族の総意とか、だれがどういうふうに優先的に決定するか。  そうではなくて、家族の間で意思表示をする優先順位を決める必要性はないか、発議者に伺います。
  153. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 家族の承諾につきましては、先ほど申し上げましたように、現行のガイドラインと同様に、原則として配偶者、子、父母、孫、祖父母及び同居の親族の承諾を得るものとし、喪主又は祭祀主宰者となるべき者においては家族の総意を取りまとめるものとすることを想定いたしております。  一方で、家族の形態も先生御指摘のように非常に多様でありまして、承諾の意思表示に優先順位を付けるかどうかという話になると、非常に議論は錯綜するだろうなと私は思います。  そうしたことから、承諾が家族の総意に基づいて行われると、こうした規定で適切に運用していただくということが必要だと思っております。
  154. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 非常にやはりそこら辺があいまいだというふうに思います。  この脳死判定や臓器提供を決断する家族の範囲等は相続関係との重要な権利や義務にかかわる事項であり、それは他の同僚委員からもかねてより指摘されてまいりましたが、本来は法律の明文で規制する必要がある法律事項なのではないでしょうか。少なくとも、省令や規則のレベルで承諾あるいは拒否をそんたくする基準を設ける必要があるのではないかというふうに思います。  このことについての内容の良しあしはさておいて、かつては要綱案の段階で、いわゆる中山案の当初の案でございますが、そんたくの基準が検討され、臓器提供手続に関するワーキング・グループ、脳死体からの場合の臓器摘出の承諾等に係る手続についての指針骨子案、平成六年一月、がまとめられておりますが、現場における運用の統一性を図り、混乱を避けるためにも何らかの基準は必要ではないかと考えますが、いかがですか。
  155. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) 様々な経緯また議論がある中で、本人の意思をどのようにそんたくするのか、家族が本人の意思をどうそんたくするのか、基準を設けるべきではないかと、こういう御指摘があることは存じておりますが、実際問題として、その生活の実態また家族の構成、これも非常に様々でありまして、法令上一律の基準を設けるということはなかなか難しいのではないかというふうに思っております。  ただ、現場での適切な対応という、これは必要であるということはもちろんでありまして、現行法の運用におきましても、移植コーディネーター等によりまして家族の意思表示が適切なものかどうかの確認がされているところでありまして、家族の意思表示は任意かつ適切に行われているものと認識しております。  何よりも、先ほど来、委員会でいろいろと御指摘がありますように、十分な時間経過の中でよく考えていただくと、そういう環境をつくるということが何よりも必要なんだと私は思います。
  156. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 もう時間がないので質問はいたしませんが、私は、もちろん脳死は人の死ということが大前提ということもまだ国民の合意を得られていないので、これは拙速に過ぎると思います。  あわせて、最大の問題点、これは修正案も変わりませんが、本人の明確な意思表示がなくても、家族がそんたくをして、死者の意思をそんたくしてできると、このように改正するということは、私に言わせれば世界が変わる、もうこの問題に関する基本的な考え方が変わると言わざるを得ません。  先日来、全く関係ないことですが、尊厳死の問題の質問をされる先生がいらっしゃいます。今後、尊厳死の問題あるいは終末期の医療の在り方等、更に議論を深めていかなければならないときに、私は、本人のリビングウイル、いわゆる自己決定、本人の意思というものをもっと大切にしなければいけない。今回のこの法改正で本人の意思がなくてもいいということが決定されますと、このような問題の議論に大変大きな影響を与えると思います。  拙速なA案、あるいは六条二項を復活させただけで中身は全く変わりませんが、より議論が、理論的には私は破綻していると思いますが、そのA案の修正、共に拙速な改正には反対でございます。  以上です。
  157. 足立信也

    足立信也君 民主党の足立信也でございます。やっと質問の時間がやってまいりまして。  私は、二〇〇六年から民主党の政調の役員として勉強会、脳死臓器移植に関する勉強会をむしろ主催する側でありましたので、今まで自分の意見というのはほとんど言ってきませんでした、これ、今年の六月まで続きましたので。しかしながら、法案がほぼ出そろった形でなったわけで、私は、今出ているA案それからE案、そして間もなく提出されるであろう修正案という形がありますが、その中ではやはりA案しか賛成できないなというつもりで私はおります。  そこで、ちょっと残念なことは、先ほど亀井委員からありましたように、A案並びにその修正という形になっているのは、大きな概念の転換であるわけです。決してこれは修正ではなくて、別の法案であると私は思っております。そのことに対して、先ほどそれが六条二項に表れているという話がありましたが、むしろ家族の意思決定権に表れるということだと私は思います。  ですから、先ほど残念に思うと言ったのは、このことについてどう思うかを答えてほしいと午前の終わりに申し上げたわけですけれども、これは質問の最後にもし時間があれば河野議員に是非、その修正案と言われるものの、どういうふうにとらえているかということはお聞きしたいとあらかじめ申し上げておきます。  E案というのは非常に幅広の考え方があるなと思いました。衆議院で提出されたC案提出者とは違って、はっきりしていることは、現行の移植手術、これは脳死からの移植手術も含めて認めていると。人権救済申立て事案の件がありましたが、これは脳死判定基準が遵守されなかったという事案であって、現在の脳死判定基準には問題がないという認識に立っている、これも間違いないことだと思います。そして、今現在の脳死下での臓器提供がほかの国々と比べて少ないという認識もあるようです。ですから、運用で改善したいという結論になっているんだと思います。  今の森委員質問でちょっと私、気になったので、自己意思ということで、これは質問通告していないので後でまた答えていただければいいかなと思いますが、現行法は認めている。現行法は、心臓死後の腎臓、角膜の提供は、提供者の生前の意思が不明な場合、家族の承諾で行われております。年齢制限はございません。これも認めないということなのかということが疑問に思いました。後で時間があればと思います。  そこで、運用の改善、このことをまずお聞きしたいんですが、A案、そして廃案になりましたが、B案の提出が二〇〇五年の八月でした。私は、二〇〇五年の三月から、過去数度にわたって臓器移植の問題を質問してきました。主にそれは、臓器移植に関する世論調査や臓器移植ネットワークからの意思表示カードの情報、これを基に、法改正と言わなくてももっとできることがあるじゃないかということを何度も指摘してきました。  それは、脳死下での臓器提供の意思がある人のなぜ半分しか四類型の病院に搬送されないのか、なぜ四割が脳死のときではなく心停止後にやっと意思が分かるのか、そして実際は書面で脳死下臓器提供の意思のある人の六・四%しか提供に至らない、こういう面で運用の改善が幾らでもできるはずだということをずっと申し上げてきた。  しかし、これは意思カードの問題だけではないんです。アメリカドナーカードの所持は一四%ですね。日本は、記入してある意思表示カードを持っている人は四・二%ですね。約三倍。しかし、臓器提供は二百倍ですね。カードの所持の問題ではないんですね。  そこで、まずは政府参考人の方にお聞きしたいんですが、運用の更なる改善でこれは大幅に脳死下臓器提供が増えるというふうな具体案、そしてその見通しが今あるのかどうか、まずお聞きしたいと思います。
  158. 上田博三

    政府参考人上田博三君) 私ども、法律の施行に当たる立場から普及啓発などの運用の強化に努めてまいりましたが、世論調査におきましても、臓器提供意思カード等を所持している方は八・四%でございます。脳死下での臓器提供事例数も八十一と徐々には実績は積み重ねておりますが、平成十八年以降は、年間十件は超えてきましたけれども、ほぼ横ばいで推移をしておりますから、これまでの運用の成果が十分に上がっていないと言われても致し方ないと考えているところでございます。
  159. 足立信也

    足立信也君 四年前からずっと指摘している私としては、運用面でと更に言い続けるのは多少問題かなと、ここは立法府の出るところではないのかなという気がしております。  そこで、E案提出者に。小児脳死臨調、一年以内に結論が出る、出させるということだと思いますが、ちょっと振り返ると、前回の脳死臨調は、設置法案が成立して臨調の報告まで二年二か月掛かっている。これを一年にしたいということだと思いますね。しかし、その後、報告から法案提出まで更に二年三か月掛かっている。そして、その法案提出から可決まで更に三年六か月掛かっている。計八年掛かっているという事態です。そして、皆さんもう御案内のように、脳死臨調の結論とは違う、十二年前、衆議院の段階では脳死臨調の結論に近い形で可決しましたが、参議院に回ってきて脳死臨調の結論とは違う形で、概念上、法案が成立したと。これはひとえに立法府の判断だったわけです。  とするならば、今後、一年以内に小児脳死臨調の結論を出すと。その後、その意見、例えば少数意見をどう扱うつもりなのか。大方の合意あるいは小児脳死臨調の結論というのは、何割の、何人の委員が賛成したときに結論と受け取るのか。そして、それが出た場合に、立法作業をやる、直ちに取り組むという予定なのかどうか。そこら辺のタイムサイクルの考え方をちょっとだけお聞きしたいと思います。
  160. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 先日も櫻井委員質問に私は御答弁させていただいたかと思いますが、まずこのE案の法案、五十二人の賛同をいただいて、子ども脳死臨調設置法案を出させていただきました。一番こだわったのは、予算関連法案にすることです。予算関連法案にするためには、参議院では発議者とは別に二十人の賛同者が必要です。私はどうしても予算関連法案として出したかった。  それはなぜか。きちんとこの法、E案が成立したら、三か月後には十五人の委員委員とする子ども脳死臨調がスタートします。もうきちんと予算調書も付けてございます。その中で、毎月二回という精力的な、かつての脳死臨調の倍のスピードで議論をさせていただく、海外視察もさせていただく、そして世論調査もさせていただく、症例研究も外部に委託する、公聴会もやる、地方公聴会もやる、そういう形で精力的に進めさせていただくんです。  先日も答弁いたしましたが、それと並行して、任せておくだけではない、国会でもきちんと議論をしていこうということを提案させていただいております。  そして、先生、かつてと違うところは、もう既に臓器移植法というもの、現行法がございます。一からの議論ではありません。今問題になっている子供の問題を特に集中して議論をしていく。そして、並行して我々立法府も立法の準備をしていく。そういうことで、我々はきちんとした形で、今の状態ですともう本当に意見がばらばらで責任のある判断ができません、立法府として、まともに勉強すれば。そういうことで、私は、一年後に必ず脳死臨調の答申をいただく、そして同時並行で国会でも議論しつつ、もちろんどんな結果が出るかは今は分かりません、議論をしていただかないと。そういうことで遅滞なくやらせていただく、そういう法律でございます。御理解をいただきたいと思います。
  161. 足立信也

    足立信也君 お気持ちは分かりました。  私、今までの質疑あるいは参考人質疑をお聞きして、ちょっと気になることがあるので申し上げます。  脳死というのは、皆さんが懸念の多くにあると思うんですが、臓器を摘出するためにつくり出さされた概念ではありません。神経学的にそれが研究が進み、植物状態とは違う、大脳死とも違う、脳幹死とも違う脳の病態のある意味発見だったわけですね。それで、その状態はどうも不可逆的である、つまり回復しない。この病態は決して回復しないでやがて死に至る、そういう病態を発見したんですね。ここに臓器提供の意思があれば、現状では移植でしか助けられない方の命を救える可能性がある。臓器移植法ができて脳死判定基準ができるまでは、私の身近でも殺人罪で脳死判定したということで訴えられるケースもありました。しかし、法制定後は殺人罪で問われることはない。つまり、脳死判定基準は広く国民に受け入れられているということだと思います。  移植手術を待つ患者さんあるいは家族の方は、脳死は人の死であるからこそ、その方たちからの命のリレーを待っているんです。海外で当然のごとく受けている治療を日本でも受けたい、ただそれだけなんですね、患者さん、その家族の気持ちは。その気持ちの部分は、事の大小はありますが、海外で承認されている治療薬を日本でも使えるようにしてほしいという、気持ちの部分は僕は変わらないことだと思いますよ。脳死は人の死であることを前提として移植医療に望みを託しているわけですね。  それに対して、人の死を待っているとか期待しているとか、患者さんを苦しめるのは、あるいは家族の方を苦しめるのは私はやめていただきたいと。かわいそうですよ。大前提として、そういう脳の病態が分かった、それは死ととらえられるだろう、医学的に。そして、その方からの命のリレーを待っているだけなんですね。ひたすらそのリレーランナーが現れるのを待っているだけなんですよ。そのことを私は強く感じましたですね、今までの議論で。  脳死臨調の脳死は人の死であるという答申からもう十七年半たつわけです。十二年前に、先ほど申し上げた、最終盤で概念の変更がありました。しかし、やはり当事者たち法案成立に期待したんですね、一歩進むだろうと。しかし、その後、運用の改善を先ほど言ったように何度も図ったけれども、臓器提供は増えない。むしろ、生体移植が増加した。それは本来の移植医療ではないんですね。ここはこの概念を脳死臨調の答申に戻すべきだと私は考えますよ。そのことが、この法の概念の変更ということがまさに全般的な見直しなんだと、私はそういうふうにとらえています。  そこで、A案の総括。脳死は人の死を前提としている。しかし、臓器移植に関する法律であるから、移植医療の適正な実施に関することを目的としている法律であるから死の定義をしているわけではない。第六条で、脳死判定基準に従って判定したものに限る、そしてその判定は臓器提供の意思が確認されている場合に限ってなされる、そういう筋立てですね、法律としては。そのとおりなんです。  A案提出の方々にお伺いしたいのは、脳死は人の死を前提としているから、先ほど申しましたように、心臓死の後は家族の同意で年齢に関係なく腎臓、角膜は提供できます。それに近づけようとしているんだと私は思います。そういう形なんだと。しかし、現行法は、移植術を受ける機会は公平に与えるよう配慮されなければならないとされておりますし、脳死や心臓死は提供相手を指定できないんですね。そのことと、厚労省のガイドラインでは、生体移植移植医療としては例外的であると、生体移植の場合は親族優先権を認めている。つまり、脳死は人の死であるという前提に立ちながら矛盾した形になっていると思うんです。生体で認められている親族優先権を認める、なおかつ死体で認められている家族の決定権を認める、ここはやっぱり私は矛盾があるんだと思っているんですが、そこのところの説明をお願いします。
  162. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) 委員の御指摘は幾つかの方からも御質問としていただいているところであります。  我々は、親族への優先提供の意思表示を認めることは従来の優先順位の在り方を変更するものであり、公平性の原則に反するとの批判は十分承知しております。しかし、自分の臓器は身近にいる親族に提供したいという声がまたあるのも事実でございます。それは、委員が御指摘あった生体移植の場合もそうでございます。  生活を共にする中で強い信頼と情をはぐくんできた家族には少しでも長く生きてもらいたいと願うことは、人が持つ自然の心情として十分に理解できます。そして、このような心情は移植医療がよって立つ人道的精神の根幹にかかわるものであり、考慮されてしかるべきではないかと考えております。それゆえ、親族に対する優先提供の意思表示は、強いきずなで結ばれた家族として自然に持つ心情への配慮を理由にこれを認めたところであります。  なお、A案では、臓器提供が認められる場合として、現行法の本人の書面による意思表示がある場合に加えて、本人意思が不明であっても遺族の書面による承諾があるときにもこれを認めることとしているのであって、A案においても臓器提供は本人の意思に基づいて行われるという現行法の原則を否定しているわけでは決してありません。  よって、たとえ親族への優先提供という本人の意思を現行法以上に尊重する制度を同時に設けたとしても、両者が矛盾するということにはならないものと我々は考えております。
  163. 足立信也

    足立信也君 私は矛盾だと思いますが、気持ちは分かります。  改正の附則第五項、「虐待を受けた児童が死亡した場合」というのがあります。この「虐待を受けた児童が死亡した場合」の「死亡」には脳死は入るんでしょうか。これはイエスかノーでいいと思います、これは。
  164. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) イエス、一言で言えばイエスということで御理解いただきたいと思います。
  165. 足立信也

    足立信也君 えっ、ちょっとそれは、答えはまずいんじゃないですか。これは絶対に入りませんよ。脳死体からの臓器提供は虐待の可能性があれば元々不可能なんですよ。虐待の発見はまず第一に疑うことで、疑った場合は犯罪捜査のスキームに入って臓器提供は絶対できないんですよ。ノーなんですよ、それは。いいですか。  私は、二十五年前、日本で初めて脳死下の膵・腎同時移植が行われたときに、ドナー側の手術に入っておりました。十二年前、私が移植現場にいたときに、参議院で脳死は人の死ではないというふうに概念の変更があったんです。そのとき私は、極めて日本的で玉虫色の決着だと、しかしそれは極めて日本的だと、日本人の英知とおっしゃった方もいらっしゃるけれども、私は日本的だと言いました。しかし、私の上司はそのときに、脳死の概念を衆議院、参議院で変えるようでは患者家族には疑念が生まれる、臓器提供は進まないと看破されました。炯眼だと私は思っております。  以来、日本は生体移植に比重が移っていった。臓器移植法施行後、死体腎の提供は減っていますね、減っている。提供者の多くが親族であることから、移植を今やっている、生体移植をやっている移植たちドナーレシピエントの両方のケアをやっているわけですよ。これは本来、移植のあるべき姿ではないと私は思っています。  私の個人的な意見になりますが、生物学的に脳死は人の死だと思います。それを受け入れるか否かは、まさにその方がいかに生きたか、何を望むかに対する家族の納得なんですよ。家族の意思、それが私はみとりだと思います。医療の現場で懸命な治療が行われて、医師からの説明家族の総意で脳死判定を受ける権利、拒否する権利、臓器提供をする権利、拒否する権利、これがすべて行使できるわけですね、A案では。そして、移植術を日本国内で受ける権利はあるけれども、実態としては極めて限られている、その行使権が。ここを突破しよう、そのようなA案だと私は思います。多少の不満はありますけれども、一歩前に進めるために私はA案に賛成したいと思っております。  以上です。
  166. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 先ほどの足立委員の御指摘に、御質問じゃなくて御指摘に対してお答えをしたいと思います。  死体解剖保存法では本人の生前の意思がなくても死体を提供できるのに、なぜ臓器移植法では本人の意思表示が必要なのだというふうな、おかしいんじゃないかというお話でしたけれども、死体解剖保存法は昭和二十四年にできた法律でございます。しかし、これは本人の意思表示というものは必要とされておりませんでした。その結果として、なかなか献体が集まらない。それで、昭和五十八年に医学及び歯学の教育のための献体に関する法律というのがあって、これは「死亡した者が献体の意思を書面により表示しており、かつ、次の各号のいずれかに該当する場合においては、」ということで、本人の自己決定がまずある、そのことによって献体が進んで、私は正確な数は把握しておりませんが、今や本当に十分献体がされているというふうに承っております。  だから、いかに自己決定を生前に示しておくか、そういうことが大切かということの私は逆に証左になっているのではないかというふうに思っております。  以上でございます。
  167. 足立信也

    足立信也君 じゃ、もう時間で、終わりたいんですが、献体と死体腎、死体角膜移植は私は扱いが違っていると思っております。そう認識しております。  以上です。
  168. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 臓器移植に関する法律の一部を改正する法律案の修正について谷博之君から発言を求められておりますので、この際、これを許します。谷博之君。
  169. 谷博之

    ○谷博之君 私は、臓器移植に関する法律の一部を改正する法律案に対し、南野知惠子君、衛藤晟一君、西島英利君、小林正夫君、山本博司君及び私、谷博之の共同提案による修正の動議を提出いたします。  その内容は、お手元に配付されております案文のとおりでございます。  これより、その趣旨について御説明申し上げます。  まず第一は、脳死の定義についてであります。臓器移植に関する法律の一部を改正する法律案では、第六条第二項の脳死した者の身体の定義について、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」との文言を削除することとしております。この文言は、平成九年の法制定時に参議院において提起され、脳死は人の死かという問いに対する国民の議論が分かれる中で、脳死を一律に人の死とせず、臓器提供を行う場合についてのみ、脳死を人の死とするという一つの結論を導き出し、修正議決に至った経緯があるものであります。そのような経過を経て追加された文言が今回の改正により削除されることで、一般的に脳死は人の死とされるのではないかといった懸念が、幅広い国民の間に広がっております。また、医療関係者の中には、脳死は人の死とはっきりさせるために削除すべきとの論議も見られるところであります。  脳死は人の死とすることについては、ある世論調査において約六割が死と判定してもよいと回答しています。しかしながら、別の世論調査においては、半数以上の国民が臓器提供の場合に限り脳死を人の死とするという現在の枠組みを肯定しているといった結果も出ております。あわせて、本委員会における審査の中でも、医療や法曹の関係者や有識者の方々からも第六条第二項の定義については、現行法を踏襲すべきといった意見が多く述べられたところであります。こうしたことを踏まえると、国民的合意がいまだ形成されていない脳死は人の死を前提として脳死した者の身体の定義について改正することは適切ではなく、現行どおりにすべきであります。  第二は、虐待に関してであります。改正案では、被虐待児からの臓器摘出を防止するための検討に関する項目は公布の日から起算して一年を経過した日から施行することとなっております。しかしこれでは、十五歳未満の者からの臓器提供が可能となる公布後一年経過後に初めて検討を開始することとなり、被虐待児からの臓器摘出を防止するための具体的方策が確立されないまま、児童から臓器が摘出されるおそれがあります。被虐待児については、臓器提供が実際に行われる改正の施行までの間に検討を行い、防止のための具体的方策に関する一定の結論を施行前に導き、それを踏まえた対応を速やかに行うことが必要であり、そのためには、公布後直ちに検討を開始することを定める修正が不可欠であります。  第三に、児童の脳死判定についてであります。改正案にはこの点についての規定が全くありません。児童の脳死判定については、これまでの審議の中で明らかとなったように、成人とは異なる児童の特性に十分な配慮が必要であり、その視点に立った適正な脳死判定基準を定めるための修正が不可欠です。  第四に、家族、遺族の心情への配慮についてであります。臓器の提供に当たっては、医療側面だけではなくドナーをみとる家族の視点も重要です。愛する者を失った悲しみに加え、臓器提供という重い決断を迫られる家族の心情は察するに余りあり、脳死という事実を受容し、納得するために時間を要するのは当然のことであります。このような現実を踏まえ、法律の運用に当たって、臓器提供者の思い、とりわけ、我が子の思いを尊重したいという家族等の心情や、遺族が故人に寄り添う時間を求める心情等について十分に配慮することを規定するための修正が必要です。  第五は、遺族の心のケアについてであります。遺族の心の葛藤は、臓器摘出のときのみならず、その後の生活においても続く場合があり、後悔の念にさいなまれたり、社会的、精神的な孤立を感じる遺族の方々もいらっしゃいます。にもかかわらず、現行の制度においては、こうした遺族を支える体制が十分とは言えません。遺族の苦悩を緩和するための支援について検討を行い、対策を講ずるための修正が必要であります。  第六は、臓器移植の検証についてであります。脳死下での移植医療についての国民的理解は必ずしも十分とは言えません。そのため、脳死の判定の適正性、救命治療の状況など脳死の判定及び臓器の摘出の状況に関し、検証を遅滞なく行い、遺族の同意を得た上で公表することが、移植医療に関する透明性を確保する観点からも重要であります。そのような視点から、修正案は、事後の検証を法律上明記するものであります。  第七に、今後、法律施行後における臓器移植の実施状況、医学・医療技術の進歩、国民意識の推移、改正法の定着度合いなどを踏まえ、施行後三年を目途として法律の全般的見直しを行う必要があります。  このような認識の下、本修正案を提出するものであります。  以下、提案する修正案の骨子を説明します。  第一に、原案では、「脳死した者の身体」について定める第六条第二項の規定から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」との文言を削ることとしておりますが、このような改正を行わず、現行どおりとすることとしております。  第二に、検討等に関する修正であります。  まず、虐待を受けた児童が死亡した場合に当該児童から臓器が提供されることのないようにするための検討に関する規定につきましては、原案では、公布の日から起算して一年を経過した日から施行することとしておりますが、公布の日から施行することとしております。  また、検討等に関し、次の五項目を追加しております。  一項目めとして、臓器の摘出に係る脳死の判定についての厚生労働省令は、児童についての臓器の摘出に係る脳死の判定に関しては、児童の身体の特性に関する医学的知見を十分に踏まえて定められるものとしております。  二項目めとして、政府は、新法の適用に当たっては、臓器の摘出に係る脳死の判定及び臓器の摘出に関する当該者、特に当該児童の思いをその者の家族又は遺族が尊重する等のこれらに関するその者の家族又は遺族の心情が十分に配慮されるとともに、遺族が臓器が摘出されることとなる者に寄り添う時間を求める等の遺族の心情が十分に配慮されるようにするものとしております。  三項目めとして、政府は、臓器の摘出が遺族に心理的影響を及ぼした場合においてこれが緩和されるよう、当該遺族に対する適切な支援について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとしております。  四項目めとして、政府は、当分の間、新法による脳死の判定の状況及び新法による臓器の摘出の状況に関し検証を行い、その結果を遺族の同意を得た上で公表するものとしております。  五項目めとして、新法による臓器移植については、この法律の施行後三年を目途として、新法の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとしております。  なお、一項目めから三項目めまでは公布の日から、四項目め及び五項目めは公布の日から起算して一年を経過した日から施行することとしております。  以上が、修正案の趣旨説明であります。  何とぞ委員各位の御賛同を賜りますようお願い申し上げます。
  170. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 速記を止めてください。    〔速記中止〕
  171. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 速記を始めてください。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  172. 小池晃

    小池晃君 日本共産党の小池晃です。  修正案提出者に二点お伺いをしたいと思うんですが、脳死を人の死とすることについては、国民的な合意がないからこの部分は現行法のとおりにするという御説明がありました。しかし、本人同意を必要としないということについては、これはA案のとおりになっているわけであります。脳死を人の死とすることに対しては国民的な合意はないけれども、では本人同意だけで脳死判定をし臓器摘出をすることについては、じゃ、国民的合意があるというふうにお考えなのか。だとすれば、脳死は人の死であるということについては国民的合意があるけれども、本人同意なしに臓器摘出ができる、脳死判定ができることについての国民的合意があるとする根拠は一体何なのか、御説明をいただきたいということが一点です。  それから二点目は、虐待の防止についての具体的な方策を確立するということが附則にあるわけですが、虐待の防止のための具体的な方策は大事なことだと思うんですが、この法律の仕組みで、施行日までに、では被虐待児からの臓器摘出を防止するための具体的方策が確立されない場合はどう対応されるのか、施行日までにこれを確立する、そのための手だてというのは何らかなされているのか、その法的な担保というのはあるのかないのか、御説明をいただきたいと思います。
  173. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 まず第一点は……。もう一回、ちょっと要点だけ、済みません。
  174. 小池晃

    小池晃君 かなりゆっくり分かりやすく言ったつもりなんですが、要するにこの法律の構造、要するに六条二項はそのまま残すという理由は社会的合意がないからだとおっしゃるわけですよ、国民的合意がないからだと。脳死は人の死とすることについては国民的合意はありませんと言いながら、私自身は本人同意なく臓器摘出することも国民的合意ないんじゃないかと思っているんですが、それはさておき、この法律ではそこについては手を付けていないわけですから、そこは国民的合意があるというふうに判断されているんでしょうと。  だから、片やこちらは国民的合意があると判断し、片やこちらは国民的合意がないと判断される根拠を示していただきたいというのが一点。
  175. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 現在、提出者が言った国民的な合意があるということですが、脳死臨調の話をされておりますけど、先ほど梅村先生からお話があったと思いますね。現在において、臓器移植を前提として脳死を認めている、だから人の死とすることについても臓器移植がなければ認めないということになりますから、ごちゃごちゃになって今これが出ていると思うんですね。  それで、最近の世論調査から見ますと、一般的に脳死を人の死と思うのかどうかという調査があるんですけれども、人の死と認めるべきだといったのが実は二八%なんですね。そして、臓器提供の意思を示している人に限るべきだといったのが五二%なんです。人の死として認めるべきではないというのが九%ですから、一般的に、臓器移植に関して認めるという方は五〇%であって、それから、一般的な人の死としても認めるという方は二八%までいるんですけれども、それをもってそれは認められていると、いわゆる世論的に認められているという具合にはいっていないという具合に思います。まだ疑問がある程度だという具合に思います。だから、それを前提にしてという考え方にはいささか同意できないということを言っているわけであります。  それからさらに、家族が承諾すれば臓器提供を認めるべきだという意見については、既に賛成が六二%、反対が一九%と。十二年間の今までの臓器移植法案の施行の中でそういうもののずっと理解が深まってきたという具合にこれは断ぜざるを得ないという具合に思います。  さらに、法的にいえば、これは一度もう法的脳死判定をした時点で、もし本当に脳死であれば遺体となるわけですから、残された家族にとって、あるいは遺族にとって、それらを決める権限は法的にはあるんではないのかという具合に思います。  以上です。
  176. 谷博之

    ○谷博之君 今の児童虐待の関係のことでありますけれども、A案では、附則第五項を公布の日から一年を経過した日から施行するとしておりますけれども、これでは死亡した児童からの臓器の摘出が可能になると同時に検討を開始するということになって、被虐待児からの臓器摘出を防止するための具体的な方策が確立されないままに死亡した児童から臓器が摘出されるというおそれがあります。  したがって、そこで、死亡した児童からの臓器の摘出が行われることが可能となる法改正の施行までの間に検討を行い、防止のための具体的方策に関して一定の結論を導いて、それらを踏まえた対応を速やかに行うためこの規定を公布の日から施行することとしているところであります。
  177. 古川俊治

    ○古川俊治君 ありがとうございます。  まず、私、ずっとこのところA案を、このところというか、ずっと私の信念としてA案を支持してまいりました。これは長い歴史がございますので、私は外科医の信念として、やはり移植を推進したい、それがA案への思いだった、私が立候補した大きな理由でも、一つでもございます。  その上で、つい最近のことでございますが、私、梅村先生と先ほど同じ実は理屈に気が付いたのがまあ一週間、もっと前ですね、二週間ぐらい前だったと思いますけれども。そのときに、本当の立法事実は何だったのかといった場合に、国民意識といった場合に、私も新聞を見たとき、移植医療はまだ報道されます、八十一例ありますけれども、一例一例が。やはり、医療として大変特殊な場面に置かれているということがあるわけですね。  国民が、じゃ脳死、あなたは脳死と受け入れますかと言われたときに、まさに、やはり臓器移植というテクニカルタームと結び付くことなしに意識されているんですね、当然、それを答えるときが。そうすると、このやはり今の意見になっている世論調査のデータというのは、臓器移植を前提とした脳死、これがおおむね社会的に合意されているんだろうと、これが立法事実である。そうすると、脳死が社会的に合意される、すなわちそれは移植医療を前提とする場合に受け入れられているんだ、そういう合意事項になってくる。  そうすると、まさに先ほど小池先生がおっしゃいましたけれども、臓器移植を前提とする場合には脳死は人の死であるということが合意されている。すなわち、その場合に、客観的にその方はお亡くなりになっているんですね、臓器移植を前提とした場合。ですから、亡くなっているものを本人意思を問う必要性はないということになってくるわけでありまして、そうすると御家族が判断するのは、まさに死んでいる死体の確認行為についての判断をするかしないかを御家族が決めるということになって、そこで法的な問題は起こらないということになるわけですね。  私はAダッシュ案と呼ばせていただきますが、この修正案がそうした立法事実との整合性やこうした法的な課題の解決法という点でも、あるいはほかのこの参議院での議論を取り込んでいるという点から見ても、優れた提案であるんではないかというふうに正直言って考えているというわけでございます。  ただ、二点伺いたいのは、そこで一体、じゃ、この時期に、正直言ってこの時期にと申しますが、この修正案、確かに参議院で議論した結果かと思いますけれども、一体何がA案と違うのか。正直言って、臨床実務では全く同じことが行われるわけですね。そういった点を是非伺っていきたい。何が変わるのか、これを直すことによってですね。それを立法者の意識として、提案者の意識として伺いたい。  それから、やはり脳死は、病気の概念から見れば明らかに人の死なんですよ。私も、もう今、足立先生が最後におっしゃいましたけれども、全く同じと思いまして、客観的に見りゃ、やはりそれはもう脳死は人の死なんですね。そういう信念をお持ち、私もそういう信念を持っておりますが、の価値観に対して、やはり脳死は一般的に人の死であると考えている人に対して、このAダッシュ案のスタンスというものを教えていただきたい。どうお考えなのかですね、こういう哲学に対して。それが第二点目。  御回答いただいた後、私、ちょっと総括の意見を申し上げさせていただきたいと思います。  では、御答弁をお願いします。
  178. 西島英利

    ○西島英利君 まず、第一の質問でございますが、一体何がこのA案と違うのかという御質問だったというふうに思いますが、私自身、この考え方そのものはA案との違いはほとんどないというふうに思っております。それは、今日、A案提出者の方々、来ておられますけれども、まさしくこれは臓器移植のために脳死を人の死としてやるんだということでございますから、そういう意味では基本的な考え方は違わないというふうに思っております。  ただ、そうであれば、なぜこれを削除しなければならなかったのかということと同時に、国民的なコンセンサスがまだ得られてない文言がここに明記されているというところで、今後、誤解や、この言葉そのものが独り歩きをしていくのではないかと。そういう意味では、臓器移植に限るというふうにおっしゃるのであれば、それをきちんと明記することが一番誤解のないことになるのではないかなというふうに思いまして、そういう形で今度の修正案を出したということでございます。  それから、Aダッシュ案のスタンスでございますが、まさしく明確化でございます。つまり、臓器移植に限り脳死を人の死として臓器の提供をしていただき、臓器移植を行うということの明確化をAダッシュ案のスタンスとして考えております。
  179. 古川俊治

    ○古川俊治君 じゃ、その前にコメントをさせていただきます。ありがとうございます。  私、Aダッシュ案について、先ほどの私や足立先生の信念に対してどうお答えになるかというのは、このAダッシュ案というのは、実は移植以外の場面については何もお述べになっていないんだと。ですから、我々の考え方も受け入れていただけるんだろうというふうに考えております。ですから、移植以外か移植についてか、それについてを問わず、人の死を一般的に脳死とする考え方、あるいは移植以外においては脳死は人の死ではないと考え考え方、この両方とも信頼性を持った調和する案なんだろうというふうに考えております。  その上でなんですけれども、一つの問題点として起こってくるのが、もうお聞きしません。だから、これは指摘にさせていただきますが、恐らくは、客観的な脳死という状況について今度は、今までは日本のやり方というのは客観的な医学的事実をインフォームド・コンセントで分けてきているんですね、まさに自己決定で分けてきている。ところが、客観的な場面設定で分けちゃうんですね、今度は。脳死という場面において、じゃ、客観的にいわゆる脳死が今度は死んだり死ななかったりするということになるわけですね、臓器移植を前提とした場合に。これが果たして許されるのかどうかで問題が一つ起こってくると思います。それは私もこれから考えてみなきゃいけないと思っています。  それから、もう一つ大きな問題として、やはり移植医療というのはずっと特殊なままでいいのか。移植を前提とした場合に、ずっと、ある意味で特殊な枠外に置かれたままでいいのか。さっき森先生がおっしゃいましたけど、ドナーがいるんだから特殊だと、まさにそのとおりかもしれません。ただ、一般的に確立した日本臓器移植というものが、まさに一つの一般的な治療手段として用いられていくと、そういう過程をこれからどう考えるかという問題もあると思います。  最後に、私、ずっとA案を支持してまいりまして、そして法律家としていろんな、修正案についていろいろ考えます。それで、いいところもあるし、自分の信念とどうなのかというところはこれから悩むんだと思います。これは非常に難しい、正直申し上げて。皆さんしっかり悩んでいただきたい。  最後に申し上げますと、当然、これからA案がもし通れば、移植以外の目的のところに関する、移植以外に関する脳死というものはまともに扱っていかなきゃ、時代になると思います。私は、リビングウイルあるいは終末期医療の本当の姿ということでいえば、これからやはり臓器移植以外の場合においても脳死が人の死であるという理解が進んでいけばいいと思っております。それの中でも、やはりそういった中では医療への信頼というものが一番大事でありまして、A案衆議院を通過したときにあれだけマスコミの批判を浴びたというのは、そういった点が問題になるんだろうと思っています。これからも、民主党にも、今日、先生方いらっしゃいますが、医療の中でこういった議論をしっかりやっていただきたいと思います。  以上です。ありがとうございます。
  180. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 何か発言ありますか。
  181. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 仰せのとおりだと思います。  ここに書いておりますのは、臓器移植に関する法律ということで、いまだ、言わば脳死をめぐって固定的な考え方が定まっていなかったから臓器移植に限ってこのパッケージを作ったと。そして、それに対する改正案がA案として、条項改正案として出てきたということだと思います。  しかし、先ほどからお話ございましたように、六条の一項には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。)から摘出することができると書いてある。二項には、「前項に規定する」ということを書いているわけですから、そのことを、言わば、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」というようなものがあろうがなかろうが、実は前項に規定されるということですから、本当は同じ意味なんですね。同じ意味であるにもかかわらず、何で取ったんですかという質問に対して、今度はA案の提出者は、これに対しては、言わば、脳死は一般に人の死とする考え方を前提にしているとも言えるということを言っているわけです。しかし、そのことが入ろうが入るまいが、前提でどんな考えがあろうがなかるまいが、実際は変わらないんですね、法的には。だから、結局そのことは、そういうことを言うから混乱を起こしたんであって、混乱を起こさない方がいいという具合に私は申し上げようとしております。  さらに、脳死は一般に人の死とする考え方を前提にしているというけれども、これが全体として合意を得ているというけれども、先ほど言いましたように、合意を得ているのは恐らく、臓器提供の意思を示している人に限るべきだというのが第一合意であって、その次に、先生が言った、人の死と認めるべきだというのが二八%おられますから、その両方に対して許容したものであると、A案も許容したものであるという具合に思っています。  以上です。
  182. 梅村聡

    ○梅村聡君 今、Aダッシュ修正案の方のお答えを聞かせていただきましたけれども、私は手元に私だけ今持っておりますけれども、このA案に対する修正案のポイントという紙があります。これは恐らくプレス発表等で配られたかと思うんですが、この中にこういう文言があります。「「脳死を一律に人の死」とする考え方を前提とはしません。」と書いてあります。脳死を一律に人の死とする考え方は前提とはしませんとまず書いてあります。そこの中の説明にこう書いてあります。A案脳死を一律に人の死とする考え方を前提としていますが、現時点においてそのような考え方が国民的な合意になっているとは思えませんと書いてあります。そして、その下に、「修正案は、「脳死を一律に人の死」とする考え方を前提とする定義の改正(文言の削除)は行わず、脳死の概念に関する規定は現行通りとします。」という、こういう文章があるわけですね。これは今のお答えとは少し違うと思います。  まず、何を言っているかというと、「A案は、「脳死を一律に人の死」とする考え方を前提としていますが、」とありますが、A案の提出者の方にお聞きしますが、この表現は正しいと言えるでしょうか。
  183. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) その文章を僕、見ていないんですけれども、今の委員が言葉で言われたのは我々が言っているのと同じじゃないかというふうに思います。
  184. 梅村聡

    ○梅村聡君 そうすると、ここに書いてありますが、「修正案は、「脳死を一律に人の死」とする考え方を前提とする定義の改正(文言の削除)」と書いてありますけれども、これ文言の削除と脳死を一律に人の死とすることが同義という意味なんですか。これ修正案の方、お答えいただきたいと思います。
  185. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 先ほどから申し上げておりますように、この削除したのはどうしてですかというA案提案者に対する質問があって、それに対するものは、私どもは、この削除したのは、脳死を一律に人の死とするという考え方を前提としているという考えにすぎないけれどもと、しかし、すぎないけれどもと言っているんです。そして、その脳死を人の死、考え方とするというのは、もう合意ができているというわけですね。しかし、現実は、そういう具合に考えている方、多くいらっしゃるかもしれないけれども、現実に医療現場ではまだそういう具合にしていないわけでしょう、結局。ですから、それを一方的に言わない方が混乱を大きくしなかったんじゃないですかということを言っているわけです。  で、修正案は、そういうことを、前提がどうのこうのということを言わなくて、この部分を削除すればいいじゃないですかと。そうすれば、言わばこの法律は元々、臓器移植を前提として脳死判定を行うということの法律ですから、しかも、今まで提案者も、この枠から出ることはないと、ほかのことをいろいろ規定しているものではないということをはっきり言っているわけですから、だから全然ここのところは矛盾しないわけです。だからこそこれは修正案なんです。
  186. 梅村聡

    ○梅村聡君 済みません、もう一度お答えいただきたいと思いますが、A案の提出者の方、脳死を一律に人の死とする、医学的に脳死は人の死であると、この前提に基づいてA案を出されたんではないんですか。一律にではないんではなくて、医学的に脳死は人の死であるということではないんですか。
  187. 冨岡勉

    衆議院議員(冨岡勉君) だから、もうそこは何度も議論しているように思うんですけれどもね。  だから、この臓器移植法改正案に関して脳死は人の死として我々はちゃんと、今の現行法と同じように、年齢だけを下げてくださいというふうな提案をずっとやっているわけであります。だから、死の概念を変えるようなことは提案していない、何度も私、先ほどから申しておるように。
  188. 梅村聡

    ○梅村聡君 ということは、一律にではないですよね。
  189. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 発議者、どうですか。──ちょっとお待ちください。発議者の方から、今のことで。
  190. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) こういうことだと私は思うんです。仮に、違う意見がありましたらお許しいただきたいと思いますが。  梅村先生おっしゃいますように、医学的に脳死が人の死であると、この考え方一つの前提になっていると思います。ただ、医学的な判断が社会一般の通念として、一律に脳死が人の死であると、こういうことに直結するわけではないというふうに思っています。  今回のA案というのは、臓器移植に限った場面で、こうした医学的な判断に基づいて、家族の同意によって小児の臓器提供、そしてまた成人の臓器提供も拡大をすると、こういうことにいたしたものであって、一般に、一律に脳死を人の死とするためにこの立法を行っていると、こういうわけではないと。ここのところをより明確にするために、先ほどお聞きしていましたら、そのAダッシュ案というのが修正案として出されたと、こういう構造になっているんだと思います。
  191. 梅村聡

    ○梅村聡君 ということは、定義の改正と文言の削除というのはイコールじゃないですよね。(発言する者あり)いや、発言されるんだったら……。済みません、ないですよね。だけれども、この表現ですと「定義の改正(文言の削除)」になっているんですよ。ここに関してどう説明されるんですか。
  192. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 ですから、前提の考え方であってということで混乱をして、マスコミとか何かにいろいろそういう具合にして出まして混乱していますから。ところが、実際の法律の中身は変えていないんですよ、A案提出者も。文言は削ったけれども取扱い上は変わらないんですよ。しかしながら、その削ったことによっていかにも変えたような印象を与えていますから明確にした方がいいと。先ほど、だから、申し上げました、明確化をしたということです。  だから、臓器移植に限ってということ、そしてその今までA案の提案者が、これ私どもが言ったんじゃありませんよ、脳死を人の死とする考え方を前提としていますとか、前提としているにすぎませんが、だからこそ削ったんですと言うから、それがイコールの関係だと言うから。しかし、本文上はそうなっていないから、混乱しているから、それをもう元に戻されたらどうですかという具合に言っているんです。
  193. 福島みずほ

    福島みずほ君 Aダッシュというか、修正案の方にお聞きをいたします。  私もこの修正案のポイント、「「脳死を一律に人の死」とする考え方を前提とはしません。」、それは、A案脳死を人の死とすることを前提にと答弁を繰り返していらっしゃるのでこの案が出てきたと思いますが、一点目、社会的合意がない以外の理由、先ほど、独り歩きをするんじゃないか、あるいは混乱が生ずるとおっしゃいましたが、わざわざ修正案を出される理由を、具体的な理由をお聞かせください、一点目。  二点目。本人の同意については、これは変えていらっしゃらないんですが、本人の同意なしで摘出できる、この点について修正案の皆さんで議論はあったんでしょうか。  三点目。先ほど、子供の虐待のケースの場合はこの摘出から除外をされるかどうかという質問が出たときに、A案発議者は除外されないということを答えられましたが、その点についていかがか。  四点に、今回、この参議院で出た議論についていろんなことを考慮して盛り込んでいらっしゃるという苦労や工夫は理解ができます。特に、児童の脳死判定で、子供については成人とは異なる児童の特性に十分な配慮が必要であり、その視点に立った適正な脳死判定基準を定めるための修正が不可欠ですと書いてあります。しかし、もし仮にAダッシュ案が成立をすれば、すぐスタートをするわけですね。これは、例えばこの脳死判定基準、子供の脳死判定基準等の修正や考慮がなければ施行をずらすということでしょうか。それとも、こういうことがなくてもとにかく法律は施行されるということでしょうか。もし十分検討するというのであれば、子ども臨調を提案しているE案に近くなると考えますが、いかがですか。
  194. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 一点目と二点目にお答えさせていただきます。  先ほどから申し上げていますように、言わば前提の考え方ですよとか、考え方にしかすぎませんよと、脳死は人の死ということはですね、それでその文をわざわざ現行法から取りましたという具合にしているんですけど、そうすると、取ったこととこれがイコールになるから、まだその社会的合意ができていない。これは医学的にそういう人もいます。それから、私もそうかもしれないと私は思っていますけれども、そうだと思っていますけれども、でもそうでないかもしれない。やっぱりまだ全体としての合意ができていないと。これは世論調査を見ても、一般的な人の死として脳死を扱うかということについて、人の死として認めるべきだが二八%で、それから先ほどお話ししましたように、臓器提供の意思を示している人に限定すべきだが五二%ということになると、まだできているとは言えないものを前提としてという具合に考えるのはいかがなものかというのが一点。  さらに、そのことが、そういう表現をすることが大いに混乱を招いていると。せっかく十数年間臓器移植法として臓器に限定してこつこつ積み上げてきたものをわざわざここでひっくり返す必要があるんですかと、混乱を招く必要があるんですかと。だから、明確にする必要がありますと。  しかも、その中身は、そういう前提であると言いながら、表現は変えて説明は変えるんだけれども、法文上の解釈は、先ほどからありますように、六条の一項には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。)から摘出することができると。そして、二項には「前項に規定する」という具合に書いているんですね。だから、臓器移植される体ということははっきりしているんですね。  でも、今度はそういうことが前提で取ったんだということになるからこそ、先ほど先生も心配されておりました、一般的に、何だって脳死だったら取れるのというような誤解を与えてしまったり、しかも、それを一般的に脳死だと言うから、そういう誤解をわざと与えるような表現になっているから、明確に与えられないようにして、今までのところを積み上げたらどうですかということを言っているわけであります。
  195. 西島英利

    ○西島英利君 脳死判定の問題でございますが、この臓器移植法の施行規則の中で六歳未満は判定は行わないとなっているんですね。ですけれども、今回のこの改正案では六歳未満でも臓器提供はできることになるわけでございますから、やはりそういう意味での脳死判定をしっかりとしていかなきゃいけないというところでございます。  それで、今、小児科学会がもう既にこの六歳未満の脳死判定の検討会を始めましたので、その結果を待ちながらこの施行規則の中に入れていこうというふうに考えております。
  196. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 残余のことが。
  197. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 家族の承諾による同意の臓器の提供についてはとなりますと、現在いろんな調査を見ましても、本人の意思が分からない場合、家族が承諾すれば提供を認めるべきだという意見が賛成六二%、反対一九%といったような結果が出ていて、大勢としてはこれはやっぱり認める方向にあると言って私は差し支えないと思います。  それからまた、子供さんが海外に渡航して、意思表示ができない、家族が承諾した場合が多いであろう小児のドナーから臓器提供を受けることについて、多くの国民からたくさんの支援金が寄せられています。私ども、二つぐらいですが、そういう会にも関係して一生懸命やらせていただきました。そこにやっぱり国民的な合意があるからこそ、言わば家族の承諾によって法的脳死判定を受けることについて国民的な合意は形成されているという具合に双方から考えざるを得ないという具合に思っています。実態的にですね。
  198. 福島みずほ

    福島みずほ君 先ほどA案発議者が虐待を受けている子供についてもこれ除外されないと答えられたので、私はちょっとびっくりしたんです。(発言する者あり)違うんですか。
  199. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 先ほどの答弁は、政府は、虐待を受けた児童が死亡した場合に当該児童から臓器が提供されることのないよう、必要な措置を講ずるものとするという、死亡の中に脳死が入るのかという問いだったもので、脳死も含まれますというお答えでございます。
  200. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 議論の整理をさせてください。  脳死は一般に人の死であると、一般にという言葉を私は使います。一律にという言葉もありますけれども、ちょっと強いので、脳死は一般に人の死であるという一つの命題があります。  そして、私の理解は、A案の原案の提出者の方は皆さんそう思っていらっしゃる。世の中、世論がどうであろうとも、取りあえず皆様は脳死は一般に人の死であると思っておられる。そして、その理解は、この臓器移植法が初めに制定されたときよりも広がっていると思うから、だから、脳死した者の体の定義を今の理解に近づけたいと思って六条二項を削除したというふうに私は理解しております。  これは一昨日の御答弁の中でも、脳死した者の体の定義についてもこのような考え方によりふさわしい表現に改めたいという意図がございます。ですから、削除することによって今の一般的な脳死は人の死であるという理解に近づく、これを削除することによって近づいていく、ここに私は、法律を改正することによって脳死は一般に人の死であるということの命題の方をそちらに向かって誘導するような意図があるのではないかと、それを懸念しておりますけれども、いずれにしても、今の理解はそうであって、それに条文を改めるのだ、だから削除するのだという論理だろうと思います。  それに対して修正案の提出者の方は、脳死は一般的に人の死とは言えない、そう思っている人は国民にたくさんいるので、まだ一般的に理解を得られていない。ですから、脳死は一般に人の死ではないというところからスタートします。  ですから、前提とする、脳死は人の死であるがAだとして、そこのAの論理の起点が違います。普通、そこで証明していくと違う方向に行くんですけれども、残りは同じということですから、同じところに結論が行き着くわけですね。そうすると、別の論理が必要になるんだろうと思います。  ですから、脳死は一般的に人の死だとは社会に認められていないし、私たちもそうとは思っていません。けれども、そうすると、目の前にある脳死した者の体は、身体は死体ではないんですね。だれかがそれを決めなければいけない。今まではその根拠として、本人の意思、それもドナーカードという物的証拠によってそこは証明されていました。今度それを拡大して、判断する人の対象が家族にまで行きます。そうすると家族は、この家族の体、脳死した者の体をそもそも死体とするかどうかというところから判断をしなければいけなくなります。  これは大きな違いだと思うんですけれども、まずそのことについて、私は国民の理解はまだ得られていないように思っております。先ほどの質問でも、平成二十年の内閣府の世論調査で賛成は五四%ということは、残りはまだ迷っているか反対なんですね。その段階で、このように改正するということは妥当でしょうか。
  201. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 元々、この法律臓器移植法としてまだ完全に合意が得られていないと。だから、医療現場においては臨床的脳死であってもすぐ人工呼吸器を外すということにならないんですね。でも、医学的に見て、それが全部合意が得られているとするならば、それは本来であればお医者さんの一存で外せるはずですね。  しかし、そこまで全体的な……(発言する者あり)いやいや、いやいや、だから完全な死だということがその時点で認定されれば、しかしそこまでが合意されていないから、脳死は一般的に人の死だと思う人もいればいろんな人もいて、そう思う人はたくさんあるかもしれないけれども、現状の我が国における手続的にはそういう具合になっていないんですね、まだ。だからこそ、臓器移植法としてこれを特別枠としてつくってその中でやったんであって、だからその中に、だからこそA案提出者も今までこれは他に影響を与える法律ではないということを何度も言ってきたはずなんですね。それなのに、提案理由、何か答弁のときにそういう表現を使うから、脳死は人の死であるということを前提としてこれをしたというから、ところが法律の中身はそんなに変えていないんですよね。そういう具合にはなっていないんですよ。しかしながら、その前提はこうですよ、こうですよといってこれが独り歩きしていますということを言っているんです。  だから、今私どもはそこについて、前提としなければいけないとか前提であるというようなことは一切言っていないんです。これは臓器移植に関してということだけの法律ですから、そのことだけを言っているんです。だから、そんないろいろな考え方もあるんですよ。しかしながら、元々そこだけ決めた法律なのに対して、いわゆる要らないことを言う、こんなことを言ったら悪いんだけれども、要らないことを言うから混乱を与えただけなんです、実際は。そういうことなんですよ、実態は。  そして、先ほどから言いますように、それじゃ百歩下がって、その前提だと言った中身も本当にどうですかといったら、この調査を見ても合意されていますというけれども、現実の今の取扱いは違うでしょうと。それから、考え方としても脳死を一般的な人の死とすることについてどう思うかという質問に対して、人の死として認めるべきだというのが二八%で、それから臓器提供の意思を有している人に限るべきだというのは五二%という具合に出てきていますから、一般の扱いはまだ違うし、それが完全に合意ができたとも言えないんですから、余りそういう、本当に合意されたと一方的に言うかもしれませんけれども、合意されていないことを前提だとか、要らないことを言わない方がいいと思いますよと。それはそうなんだ、実際ですね。
  202. 谷博之

    ○谷博之君 今、亀井議員からの御質問は、いわゆる修正案が、いわゆる脳死は一般に人の死であるという立場に立たないということなのか立つということなのかと、ここだというふうに今質問で聞いたわけですが、今前段の答弁は、衛藤議員から御説明があったとおりで、我々修正案の提出者は脳死は一般に人の死であるかどうかについて国民的合意が形成されているとは言い難い現状にあると、こういう認識であります。そして、脳死は一般的に人の死であるという考え方を前提とする第六条第二項の改正は行うべきではない、こういうことですね。  そして、臓器移植の場合に限って脳死は人の死であるという立場からはもちろんのことですけれども、脳死は一般的に人の死であるという立場からも第六条第二項の規定を現行どおりにすることは何ら不都合はないと、こういう考え方でおります。
  203. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 修正案の提出者の方が今おっしゃっている意味は分かります。つまり、私に近いですけれども、脳死は一般に人の死であるということはまだ国民的理解が得られていないので現行法をいじるのは問題があると。それは分かります。けれども、改正案の中では変わることは、今までは本人の同意のみでよかったところが本人が拒否をしていなければ家族がそんたくして今度は判断ができるわけですから、そこの合意は社会的にまだ得られていないと私は思っておりますけれども、それはいかがなものでしょうか。もっと言ってしまえば、訴訟につながったりしないでしょうかという心配もしております。  ですから、家族が目の前の脳死患者の命を終わらせるかどうかというところの決断まで入ってしまうわけですね。ですから、その辺の説明なんですが。
  204. 谷博之

    ○谷博之君 この点については、これまた我々が修正案を提出するに当たって議論をした中の根底というか、いわゆるその判断になった新聞社の世論調査ですね。例えば、家族の承諾による臓器の提供については、新聞社の世論調査によると、本人の意思が分からない場合、家族が承諾すれば提供を認めるべきだとの意見に、賛成が六二%、そして反対が一九%といった結果が示されていると。  そしてまた、小児が海外に渡航して大変な費用を掛けて、そして臓器移植を受ける、こういうことについては多くの国民から寄附が寄せられたり支援金が集められるという、こういうことを考えてみると、本人の意思表示がなくても、家族の承諾によって法的な脳死判定を受けることについて、国民的合意は形成されつつあるというふうに我々は判断をしています。  だから、このようなことから、本人が意思表示をしている場合に、法的脳死判定を受けることを家族が承諾し得ることとする第六条第三項の改正については、修正の必要はないというふうに考えております。
  205. 柳田稔

    柳田稔君 質問させていただきます。  A案の提出者に質問したいんですが、今A案に対する修正案が出されまして、説明を聞かれたと思います。私は、名前は修正案ですが、A案と異なる案が出てきたものだと、俗に言えばF案かなと、違う案だと私は認識をしております。というのは、A案の提出者の答弁はころころ変わりましたけれども、まあ法律を読めば大方想像が付くので理解をしているわけで。  そこで質問なんですが、この修正が加わったときに、A案は、A案の趣旨がそのまま通るとお思いですか。それとも、修正が加わったら別な法案になるとお思いでしょうか。まず、それを一つ質問させてください。
  206. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) A案は、脳死は一般的に人の死であるという考え方を前提としてこういう案を提案をしております。このような考え方によれば、法的脳死判定は、人が一般的に死んでいるかどうかを確認する行為であります。だからこそ、脳死判定について本人の意思が不明の場合であっても、家族が法的脳死判定を行うことに承諾ができるというのがA案でございます。  ただいまの修正案は、脳死臓器移植の場合に限り人の死であるという考えを前提にするということであるならば、家族が法的脳死判定を行うことに承諾を与えることは、本人でない第三者が本人の生死を決定することになるのではないだろうかという問題が出てくるんだろうというふうに我々は思っておりますので、そのことについては十分に当委員会議論をしていただきたいと思います。
  207. 柳田稔

    柳田稔君 昨日、病院に視察に行ったときに、実は現場の先生も同じ意見をおっしゃっていました。なぜかといいますと、一般の死とこれはちょっと違いますね。臓器移植ということだと、体に血液が流れていないといけないと。ですから、見に行ったらば、その脳死体なんですが、触るとあったかい、息もしている、心臓も動いている、それで、こうすると動くんですね、手がね。まるで生きているようなんですよ。それを家族は見ているわけですね。そのときにお医者とかコーディネーターとか、いろいろな説明を受けますが、今、河野さんがおっしゃったように、A案だと、お医者さんが、もう脳死していますと。で、こういう手段がありますと言ったところが僕は臓器移植の始まりかなと思っているんです、A案はね。  ところが、これに修正案が加わると、医者はこの患者は死んでいると言えないんですね。というのはなぜかというと、家族は生きていると思っているわけですよ、まだ。まだ生きていると。もしかしたら生き返るかもしれないという思いが強いからこそ、悩むわけですよね。ところが、医者の方からはこういう選択肢があると。幾つかありますよね、もうこれで治療をやめますかとか、まだやりますかとか、臓器移植の道もありますとか、いろんな話は受けますけれども、でも、これが臓器移植に移行するというときになったときは、この悩んでいる家族がこれは脳死していますと認めないと臓器移植の方に入れないという、私はそういうふうに思っています。  ここで一番大きな問題は、参考人も言いましたけれども、ドナーと、特にドナー家族のケアが必要だとおっしゃったわけですね。ところが、この修正案が通りますとドナー家族にもっと苦しみを与えるようになるんじゃないかと。これが昨日現場のお医者さんの声でした。私も、なるほどそうだろうなと、A案とこの修正案の根本的な違いの大きな現象がここにあるんだろうなというふうに実感したんですけれども、A案の提出者はどう思われますか。
  208. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 私の個人的な意見でございますが、そういうことも起こり得るかなと思いますので、その辺りについては御議論をしっかり賜りたいと思います。
  209. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 ありがとうございます。  一つA案の方にお聞きしたい。後でまた、今度はAダッシュ案の方に別の質問をしたいと思って、まずA案の方に御質問したいんですね。  先ほど亀井さんが出した資料で、衆院で出された資料だというふうに伺いましたけれども、A案は、WHOが推奨する臓器移植法案ですと。私、これを先ほど見せていただいたときに、ある意味で、なぜ衆院でA案が通ってしまったのか。私自身の感覚でいえば、ある意味これはブレーキもハンドルも付いていない車じゃないかと思えるような側面が感じられる。  これは、そうじゃないですという説明をたくさんA案の方から受けましたし、私はその説明をとても有り難いと思っていますけれども、でも、多くの人がそういう私たちの議事録を読むわけでもありませんし、一般の人たちは新聞なんかでその結果のエッセンスしか受けないわけですよね。そういう中で、ある種の独り歩きをしてしまうと。先ほども言いましたけれども、立法をした途端に私たちの手を離れるわけです。そこからどういうふうに使われるかというのは、本当にその一般の人たちがどういう形に使われるかということは予想も付かない。それに対して私たちは責任を持つと。  だとすれば、これはひょっとして、わざと、あったもの、元々なかったらいいんですよ、その表現が。でも、あったものを外すということは、明らかに大きな国家の意思である行為なんですね。今後変わりませんよなんてことを幾ら言ったって、それは今後、多分独り歩きするだろうと思うんですね。そういう案がなぜ実は衆院を通ってきたんだろうか。これが本当に私のこの法案に、この審議にかかわる最初の問題意識の出発点でした。  今、先ほど見せていただいて、私、分かったような気がしたんですよ。こうやって本当に衆院でもお忙しく、そしてそのすべての人が様々な法案を抱えながら様々な委員会審議などをし、そして今いつ解散があるか分からない状況の中で選挙の方へもやはり意識も向き、いろんなことがある中で、すべての人がその資料なんかも全部丹念に読むことができなかったような状況の中でこういうものが回ってきて、例えばA案はWHOが推奨する臓器移植法案ですとぱっと読んでしまったときに、何かすごく国際的なお墨付きをもらったような気がしたかもしれない。そういうミスリードをなさったかもしれない。  それは、本当にこの真剣に大きな問題を、重大な問題を審議する上で、これはA案が、それはそのWHOが言っていることに対しての、意見に準拠した形で作られていますというふうに先ほどおっしゃいましたよね。そうなんだと思います。そう書くべきでしたよね。それをこういうふうに書かれてしまったら、まるでそういうことを、A案を見せて、WHOがこれはいい案ですねというふうに言ってきたかのようにある議員たち、同僚の議員たちは思ってしまったかもしれない。それがその衆院の結果を左右したかもしれないと。この可能性だってないわけじゃない。  そのことに対してA案の方はどう思っていらっしゃるんでしょう。
  210. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) まず、現行法の議論の経緯だけお話ししておきますと、元々の中山案には今話題になっております六条二項というのはなかったのです。参議院の議論で、当時もこの国会における議論と同様の議論がありまして設けられたと。  それから十年たちまして、先ほど梅村委員からもありましたように、臓器移植に関して我が国は経験を積んできたわけです。その中で様々な理解が進んできたということを前提として、この六条二項について、家族の同意で脳死判定、臓器移植を可能とするということから、削除しても差し支えないのではないかというように検討の過程で結論したと、こういうことで、そもそもあって、それが大いなる意思を持って削除したと、こういう話とはちょっと違うと。  それから、二つ目の話でありますけれども、推奨という言葉がいいのか悪いのかという話だと思います。WHOの指針には基本的な考え方が示されているわけで、それにのっとってこの条文が作られているということを言っているだけのことです。指針にのっとっているのを推奨と呼ぶのがいいのか悪いのか、それはいろんな議論があると思いますけれども、趣旨はそういうことでございます。
  211. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) よろしいですか、今の。もう一遍聞かれますか。
  212. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 じゃ、その後お願いします。いや、関連だとおっしゃるから。
  213. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 今の質問に関連してもう一回確認したいんですが、WHOが推奨するということは、来年のいわゆる大騒ぎになっているWHOのガイドライン、勧告、その案に基づいてそれをすべて満たすという内容になっているというふうに考えていらっしゃるということですか。要するに、WHOの来年の勧告案が、重要な点は幾つかあると思うんですが、何点あって、そのうちの何点を満たしているから推奨だと言えるというふうに考えていらっしゃるんでしょうか。
  214. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) いや、それは来年の勧告案がどういうものになるか分かりませんから、それはどれがどれだけ合致しているかというのはそれは分かりません。  我々が申し上げたいのは、これまでWHOのガイドラインできちっと本人又は家族の同意があれば提供をしてもいいというその指針に準拠しているから推奨というふうに言っている、そういうことでございます。
  215. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 ガイドラインについては、そのこと以上に実は一番問題にされているのは、生体間の移植についてきちんと法制化しなさい、規制をしなさいということではなかったかと思います。先日来、参考人の方からも、脳死下臓器提供条件が国際基準じゃないとA案の方たちは言われてきたわけですが、実は移植法に臓器以外の人体組織の移植と生体移植規定がないのは日本だけという参考人の指摘がございました。そのことについてはいかがでしょうか。  特に河野先生は、先ほども御答弁の中で、先日来の御答弁の中で、御自分の生体肝移植、要するにお父様に御自分の臓器を提供された、その経験をもってやはり日本は異様に生体間移植に依存し過ぎている、こういう現状を直すべきである、そのことは御本人のブログ等々にもいろいろ書いてございますが、私も生体間移植に異常に頼り過ぎているというふうに思いますけれども、そこまでおっしゃるのならば、なぜガイドラインにこの生体間移植のことが言われているのにA案の改正案の中でそれが規定していない、それなのになぜWHOの推奨案だと言えるのでしょうか。
  216. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 日本は残念ながら、脳死から提供を受けた臓器提供が極めて少ないのが現実でございます。七年前に私の父が余命半年と診断されたときも、レシピエント登録をして待っていたのならば間違いなくこれは死ぬだろうと、だから生体移植をやるしかない、そういう判断をいたしました。今、日本肝臓移植を待っていらっしゃる方あるいはその御家族のかなり多くの方がそういう御判断をされているので、一年間に五百件以上の生体肝移植というのがこの国の中で行われているわけでございます。  生体肝移植は決して今、日本の国の中で野放しに行われているわけではなくて、ガイドラインで規制を受けているわけであります。これはWHOが言うように法律できちんとしたルールをつくるべきだと私も思います。しかし、その前提となる脳死からの臓器提供が全く行われないまま、そこの法律改正が全くないまま、生体肝移植あるいはその他の生体移植だけを法律で一方的に規制をするようなことになれば、日本人というのは臓器移植が必要な方の命を全く救うことができなくなってしまう。  やはり、物事には順序があると私は思います。まず、臓器移植法をきちっと改正をさせていただいて、そしてその状況を見た上で生体肝移植を始めとする生体移植法律のルールを決めていくというのが私はあるべき姿だと思っております。
  217. 谷岡郁子

    谷岡郁子君 私自身はWHOにどれだけ、推奨の準拠に合っているか、条件とか、そんなことはどうでもよかったんです。やはり、それぞれの案がちゃんと正当に、公平に、公正に私たちの投票権を持っている人々に伝わると、ある種の誇大広告がなされることによってその他の方々がミスリードされるようなことがこの国会においては絶対あってはならないということ、そして今後、この参院においていろいろな案の方々がほかの方々の賛成を獲得するために動き回られるかもしれないけれども、そういうことは二度とあってはならないということを明確にしたいがためだけにそれを申し上げました。  次に、昨日、私も脳死は人間の科学的な死だというふうに大学時代から思ってまいりました。生物の勉強を私もしてまいりました。そして、それに私自身は疑いを持っておりません。でも、昨日の視察に行かせていただいて、私はあの十七歳の脳死状態下と言われる子を見て、この子は死体じゃないと私は思ってしまいました。同時に、十八歳の心肺移植をしなければ助からない女の子と話をして、私はこの子を何としても助けてあげたいと思いました。それは非常に矛盾することであります。  そして今、従来、ずっとこの間問題になっています問題、私も皆さんのおっしゃるとおりにそのとおりだと思います。ただ、政治というのは科学以前の問題であり、以上の問題でありましょうし、そして政治、その手法としての立法というものは合理性、あるいはいかに理路整然としているか、一貫しているかということよりも、社会の現実に合わせるという意味において、私はその論理の整合性以前の問題であり、また、以上の問題であろうというふうに思っております。そして、この問題、一貫して私はかかわらせていただいて、この問題は主張し合うよりも聞き合うことが本当に大事な問題であり、聞き合うことによって知恵を重ね合うことが大事な問題なんだと確信するようになりました。  その意味におきまして、私は問題があると思っています、Aダッシュ案。本当に、その家族の承認はどうするんだ、その意味における整合性はどうするんだ、そして今これからの問題をどうする、いろいろあります。しかし、私はAダッシュ案において、本当に皆さんがこの参院での議論というもの、参考人の心の叫びというものを聞いてくださって、どの命も救いたい、どの気持ちも大事にしたいということの中から今回、Aダッシュ案をお出しいただいたと思っています。そして、それは私は大変多とすることであり、こういうプロセスというものを生かし抜いた中から私は今回の審議を受け止めさせていただいて、自分自身の結論というものを今後得ようと思っております。ありがとうございました。  そして、もう一つだけお願い申し上げます。  この本人の意思の問題残っております。この問題については今後も、やっぱり本人の意思が中心に生かされるということはAダッシュ案の方は尊重していただけるんですよね。それをお答えいただきたいと思います。
  218. 谷博之

    ○谷博之君 今の谷岡先生の最後の結論のお話を聞いておりまして、まず、この臓器移植法の一番の根底は、やっぱりドナーとなる御本人自身が自らの意思で元気なときに自分の意思表示をする、そしてドナーとして自分が登録する意思を表明する、あるいはそれを拒否をする、これがやはり私はこれからも、どういう状況になってもやっぱりそこが原則であり、一番大事なところだということは私自身も考えております。  ただ、そのために、したがってこれからもやっぱり本人の意思表示をもっともっと、現状では全体としてまだ意思表示をしている人が五%も行かないという今の状況考えたときに、ほとんど意思表示をしていないという方が多い中で、やっぱり本人の意思を尊重していくという、そういう働きかけなり取組というのはやっぱりしていかなければいけないだろうと。そういうことがあって、その中で、最終的に意思表示のしていない方、あるいは全くそういう意味では関心を持たなかった方もたくさんいると思いますが、そういう方々に対しての、脳死状態になってこういう移植という現実の問題になってきたときにどうするかということについて、今回の改正案の中でA案、そして我々修正案が出されて、そういう議論をしているということでありますので、谷岡先生のその御指摘は十分重く受けていきたいと思っております。
  219. 小池晃

    小池晃君 先ほどの河野委員説明で新しい話がちょっとあったように思うんですけど、先ほどA案説明をされたときに、ちょっと確認したいんですけど、脳死は人の死を前提として、脳死判定は死の確認行為というふうに考えられるというふうに話されたと思うんですけど、間違いありませんか。
  220. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 法的脳死判定は、人が亡くなっているかどうかの確認行為であります。
  221. 小池晃

    小池晃君 いや、私、そういう、今まで議事録でそういう言い方されたことはありました。ちょっとなかったように思うんですが、死の確認行為ということになるとこれは既に死んでいるということが前提になって、そこには、じゃ、本人の意思が第一だというこれまでの議論などすべて超えて、それからこの脳死というのは臓器移植の範囲だけのものなんだという説明をされてきたんだけれども、それを超える中身になるようなちょっと新しい今こと言われたように受け取ったんですけれども、そういうことになりませんか。
  222. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 全くそんなことはありません。
  223. 小池晃

    小池晃君 しかし、死の確認行為なわけですよね、脳死判定というのは。ということはもう、これは既に、本人の意思がどうあろうと、家族の意向がどうあろうと既にこれは死んでいるということを確認するということになるじゃありませんか。
  224. 河野太郎

    衆議院議員(河野太郎君) 脳死というのは、法的脳死判定が行われた時点で確認がされるわけでありますから、それはまあ確定というか確認というか、そこは分かりませんが、要するに法的脳死判定が行われなければ人は亡くなっていないわけであります。それは何度も繰り返して御説明をしております。
  225. 小池晃

    小池晃君 ちょっと非常に微妙な問題なんで、私、これ議事録とか見て議論しないとちょっと。  で、今日ちょっとこういう形で議論を進めていること自体に私は大変違和感というか疑問を持ちます。やはり、きちっと議事録で、非常に大事な問題を議論していて、やっぱり語句一つ一つが非常に大切な問題だと思うんですね。しかも、修正案だとおっしゃるけれども、私も柳田理事のおっしゃるようにこれは対案であると、考え方がだって違うわけですから、前提になる考え方が違うわけで、まるでこれで修正してAダッシュということになると木で竹を接ぐような話になっていくわけで、今まではE、Aということはちゃんと並べて、質問通告もやって議論してきたわけですから、そういう意味ではきちっとこのAダッシュなるものについても、今日の議論も踏まえて、議事録踏まえてきちっと公平に、逐条的意味も含めてやらなければ、私は国会としての責任を果たしたことにならないと。  やはり、今日このままちょっと、審議を終局をして中間報告という話がありますけれども、私はこれはちょっと是非皆さんに考えていただきたいと。やっぱり、ここのところでちょっと一歩立ち止まって、改めて考えてこれは議論をしなければ、私はちょっと国民に対して本当に責任を取った議論にならないのではないかなというふうに思いますので、今朝、理事会では私は反対をいたしましたけれども、改めてちょっと議論を、別に私はゼロからやって延々とやるというつもりはございません、ただ今日のこの説明も受けて、日を改めてきちっと議論をすると、最低限それをやらなければ、やはり私は参議院厚生労働委員会として国民に対して責任を果たすことにならないのではないかということを非常に深く危惧をしますので、これはまさに党派を超えて是非皆さんにお考えいただきたいということを訴えたいというふうに思います。
  226. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 A案の提出者と修正案の提出者と双方の方にお伺いしたいと思いますが、これは倫理観も含めてお伺いをいたします。  今回の議論が非常に複雑なことになっているのは、答弁がぶれるということもあるんですけれども、そもそもまず改正ありきになっているからなのではないかと思います。今、小池委員がおっしゃったこともありますが、まず改正ありきで、急がなければならない、この国会中に結論を出さなければならないというところから始まっていて、そしてその根底には、やはり臓器提供の数が少ない、移植できる臓器の数が少ないのは大変問題である、また、小児が海外渡航して臓器移植の手術をしなければならないこの現状は問題である、だから変えねばならない。つまり、使える臓器の数を増やさねばならない、そして国際基準にしなければならない、死の定義に関してもグローバルスタンダードに合わせなければならないというところからスタートをしているような気がするんです。  ですから、根底の考え方として、もうそこはそうなんですと、数を増やさなければいけない、グローバルスタンダードに合わせるべきだと考えておられるんではないかと、そこの点に関しては恐らくA案の方も修正案の提出者の方も変わらないと思うので、まずそれはお伺いしたいと思います。  なぜ私がこういう質問をするかといいますと、初めに臓器移植法が出てきたときに、制定されたときに、やはり国民の倫理観として、まず脳死は人の死であると認められないという部分があり、そして、まだ亡くなってもいない人から臓器を取ってほかの人にあげてもいいものでしょうか、倫理的にという質問が、疑問があったんだと思います。  ですから、一昨日、私が申しましたとおり、人を殺してはいけない、人の物を取ってはいけないというこの二つのかなり原則を、臓器移植の場合は良いこととしましょうと破るわけですから、それに対する何らかの説明は必要だったわけです。そのときに、臓器をただ提供したいという人がいて、受けたいという人がいる、その双方の権利を保障するためにドナーカードという仕組みを入れて、そして、あげたいという人に関してはその仕組みを保障してあげましょうと、また、家族が後に悩まないようにそうしたんだろうと思いますね。  ですから、一つの、特にまた六条二項というのも免罪符のような部分があったんだと思います。今それを外そうとしているから社会問題になっているので、それが私は一つの背景だろうと思うんですが、いずれにしてもドナーの数は足りないと思います。改正をされてA案になっても、やはり足りないと思うんです。そうすると、いつか、やはり日本ではこんなに件数がありません、海外ではこれだけあります、何が問題なのか。また、何とかして増やさなければならないというその欲求から立法がスタートするような気もいたします。  ですので、そもそもですけれど、急いで臓器の数を増やさねばならないのか、こういった臓器移植に関して国際基準に近づかなければいけないのか、それをなるべく早くこの国会でやらなければいけないのかというその問題意識について、双方の提出者にお伺いいたします。
  227. 福島豊

    衆議院議員福島豊君) まず、今急いでという御指摘ですけれども、A案の提出をめぐって私どもが作業を始めましたのは四年前の話であります。四年前のあの郵政解散の前に法案の提出をさせていただきました。そして一方で、WHOの動きもありますけれども、海外の渡航移植、これをどうするんだということに対して、外国から日本に対して厳しい目が向けられているということは事実だと私は思います。  厳しい目を向けられる向けられないということを抜きにしても、海外の方の臓器移植を受けて命を得る機会を日本人が奪っている、これは果たして公正なことだろうかと、こういう意見は私は当たっているというふうに思うんです。また、そのときに巨額の費用が要るということもあります。最近は、その値段も上がったという話もあります。一方でさらに、先ほどのあの生体間の話もありますけれども、臓器売買の話もないわけではないと伺っています。これは、海外での渡航移植ということが一つは遠因になって生じてきているところもあるんでしょう。  こういった現実を前にしたときに、今立法府として何をすべきかという話でありまして、臓器の数をただただ増やすんだと、こういう意識だけでは全くないということだというふうに申し上げておきたいと思います。  また、現行法の構成は、審議の中で、脳死を一律人の死としないという考え方ということに十分配慮しながら修正がなされたわけです。ただ、現に臓器提供されておられる方々おりますね。これは、生きておるけれども臓器提供が必要だからそれをしますという意識で私はされているわけでは決してないと思います。それは、脳死が人の死であるということを受け入れた上で受け入れている人もたくさんいるわけです。受け入れてない人もいます。その上で進められているのであって、それは、生きているけれども臓器提供をすると、これはこういう議論もありました、十年前ですけれどもね、違法性が阻却されると。そういう論理に基づいて恐らくされているんでは僕はないと思います。それは詳細、私も聞いたことありませんけれども、それは脳死を人の死として受け入れている。  ただ、現行のこの議論の中で、ですから、先ほどの問題意識があって、十年間やってきました、八十例を超える移植もできました。家族の同意で本人の意思が明確でない場合があると、そのときにどうするか、家族の同意でこれはしてもいいんじゃないかと。先ほども衛藤先生の方からありますように、そのことについて私は多くの国民はかなり理解をされているんじゃないかというふうに思うんです。この十年間の経過ということを踏まえた上で今何をなすべきかということで御判断をいただければと思います。
  228. 谷博之

    ○谷博之君 今A案提出者の方からも御説明ございましたが、振り返りますと、この現行法が制定したときに参議院で修正をしたわけですけれども、そのときの思いというのは、やはり我々も、今もそういう考え方は基本的に尊重しなきゃいけないだろうという思いがあります。  とは申せ、それはそれでもちろんそういうことなんですけれども、現状のいわゆる国民的な理解といいますか、臓器移植に向けての世論調査なんかを見ておりましても、ある世論調査では約六割の人が死と判定してもよいというふうに回答しています。また、別の世論調査でも半数以上の国民が臓器提供の場合に限り脳死を人の死とするという現在の枠組みを肯定しているという結果もあります。  こういうずっと今日までの流れの中で、現行法が三年後の見直しという規定を入れているわけですけれども、そういう状況の中でもう八年余経過してきた中で改めてもろもろのそういう、移植の件数がもちろん八十数例という本当に全体として少ない状況だということも考えながら、いわゆるレシピエント方々が、特に心臓でそういう移植を待ち望んでおる方もおられるというそういう状況の中に我々は遭遇したときに、ドナー側とレシピエント側との思いを先ほどお話ありましたように考えたときに、今回の、十一年前の参議院における修正案を尊重しながら、臓器移植に限ってと、その部分のこととして私どもは今回の修正案を出させていただいたと、こういうことであります。
  229. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 谷議員にお聞きをしたいんですが、子供の脳死臨調のようなものを検討するかのごとくなっているんですね、これ修正案は。しかし、根本的に考え方が決定的に違うんですよ。  我々は、やはりそれぞれの大人も今は個人の自己決定権が尊重された、現行法はそうなっています。まずはリビングウイル、本人が生前にドナーカードにちゃんとイエスを書いてあるかどうかということがなければそもそも話はスタートしないわけですから、現行法は大人はそうなっている。しかし、子供に法的な意思能力がないということで、子供についてどうするのか。そのことについてきちんと、我々の予算関連法案で出させていただいたこの子ども脳死臨調法案の中で子ども脳死臨調が設置されれば、そこで子供の自己決定権、そして、これを尊重しながら子供の臓器提供が可能となるためには、親の関与というものはどのようにしていけば認められるものか、そこについての条件というものをきちんと様々な専門家から検討していただく、非常にこれが重要な点だと思うんですが、それは修正案には全く入っていないんですね。  幾つかあるんですが、まず一問聞いていいですか。
  230. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 時間の制約がありますので、まとめて聞いていただいた方がいいかもしれません。
  231. 森ゆうこ

    ○森ゆうこ君 まとめて聞いた方がいいですか。  それで、谷委員は、難病の皆さん、障害者の皆さん、この政策の民主党のリーダーとして頑張ってこられまして、昨日も当委員会で、このA案が可決された場合に、いわゆる意思決定、自分の意思を外に出すことがなかなか難しい、あるいはその過程において情報を得ることがなかなか難しい障害者の皆さんがA案が成立後もドナーとなることは除外されるということにこだわって質問をされていました。つまり、自己決定を非常に重要にして、そして、それがきちんと表明できない人に対して物すごく気遣って昨日の質問があったんだと思います。  しかし、同じように自己決定ということが外になかなか示せない、法的な意思能力がない子供のこの臓器提供について、きちんと検討することもなく、なぜすぐにオーケーにしてしまうんですか。私はこれはどうしても理解できないんですが、きちんとした説明をいただきたいと思います。  そして、あわせて、今朝の朝日新聞で、このインタビューを見ますと、要するに、私も柳田筆頭理事がおっしゃったようにA案は反対ですが、それなりに筋は通っている。脳死は人の死が前提である。だから、死体について、家族臓器を提供するかどうか、本人の生前の意思は分からないけれども家族の同意だけでオーケーにできるといった、その理論は、反対だけれども、筋は通っていると思う。でも、その前提を外して、なおも家族の同意だけで臓器が提供できるというのは私、全然理解できません。この点について聞かれまして、谷委員は、それなら現行法でもいいのではというと、そこまでやると、B、C、D案と同じ。そうすると、修正案ではなく対案。結果論だが、参議院でも対案をつくるべきだったかもしれないというふうに考えていらっしゃると。これは今朝のインタビュー記事でございます。  ちょっと理解に苦しむんですけれども、この自己決定権を尊重するということに関して、なぜ子供のことについてきちんとした検討事項の中に入れられなかったのか、なぜこの一つの項目だけを外されたのか、お聞きをいたしたいと思います。
  232. 谷博之

    ○谷博之君 私の今日のあの新聞の記事なども取り上げていただいて御指摘がありました。  冒頭申し上げますが、先生方も皆さんそうだと思いますが、先ほど来出ておりますように、A案、E案というそういう状況の中で、あるいは今回、修正案を出しましたが、そういう一人一人の思いというのは今日ここまで来るまでの間に様々な経過、過程があると思います。そういう大変な大きな、悩んだり、いろんな立場を背負って今日まで来ている。もちろん、一貫してA案、E案として頑張ってきておられる方もおられますけれども、私はなかなかそういう立場ではありませんでした。その御指摘をいただいたのが今、森委員が御指摘いただいた、そういう部分も確かにあったと思います。しかし、少なくとも政治家として、この法案を我々がどうするかという立場になったときに、それはやっぱり自らが最終的に自分の立場というものを明らかにしていかなければいけない、それが今回、私が取った決断であります。  特に児童については、ちょっと申し上げますと、特に十五歳未満の児童であるために有効な意思表示をすることができない場合にあっても、家族又は遺族が本人の脳死の判定又は臓器移植に関する思いを尊重したいと願うことは大いに考えられると。つまり、子供であっても何らかの意思表示をする場合も私はそれまでにあったんではないか、そういうケースもあるんではないかというふうに思います。そういうことも含めて、最終的に家族が自分の子供に対してその臓器提供の意思を、是非を決めるということになるんだと思うんです。  もう一つ、重度の障害者の方々立場についても、私も質問の中でさせていただきました。  これは、まさにそういう立場に置かれている方々思いがあって、そういう方々がまさに権利として生きていくことを保障されるということがやっぱり確立されなければいけない、そういう思いを私はしっかり持っております。  したがって、そういう方々ともいろんなところで話をしておりますけれども、一方では、同じ障害を持つ、そういう心臓移植を待っているレシピエントの皆さん方なども含めて同様のやっぱり方々もおられる。そういういろんな立場の中で、最終的に家族の方で判断をして、最終的に臓器を提供するということがやっぱり理解をされて、そういう手続を踏んでいくということになれば、特に障害者の皆さん方についても、そういう立場を尊重し、拒否する人についてはしっかり拒否をしてもらう、そしてそのことをこれからもずっと続けていくという、こういう前提をまず確立をしながらこの改正に踏み切っていく必要があるんじゃないかなと、こういうような判断をいたしました。
  233. 福島みずほ

    福島みずほ君 E案の提出者にお聞きをいたします。  この委員会の中で、小児における脳死判定基準や長期脳死の子供がいることや学術論文やいろんな例を私自身も初めて実は勉強しました。Aダッシュ案と言うべきかF案と言うべきか、児童の脳死判定やいろんな点について、やはりこの委員会での議論を踏まえて盛り込んでいます。  それと、この間、川田龍平さんが十歳のときに自分は選んだと言ったことはとても印象に残っていて、十歳の子供に選んでもらうのはとても酷だと思う反面、できるだけ私自身は、その人の気持ちを本当に尊重するということはスタートとしてやるべきであると。  これは、臓器移植を待っている子供たちも私たちは見ているので、いたずらに時間を延ばすという意味では全くなく、きちっとした制度設計をし、後悔をしないためにも、これは命に関することですから、子ども臨調などをきちっと設置して、一年後にはきちっと結論を出すというふうにしたらどうかと思いますが、いかがですか。
  234. 千葉景子

    委員以外の議員千葉景子君) 今、福島委員からお話がございました。おっしゃることは私も同感でございます。  そういう意味で、本当に、いつまでも議論を続けるということではなくして、一年間脳死臨調をつくって、その中で子供の意思決定、自己決定、これがどのような形であるべきか、できるのか、そういうことと、それから親の関与はどういうふうにあり得るのか、こういうことも含めて議論を重ねて、結論を得ていただきたいというふうに思っているところでございます。  子供についても、やはり基本的には自己決定権、そして自己決定のことを基本に私も考えるべきだというふうに思っております。
  235. 古川俊治

    ○古川俊治君 先ほどの小池先生の御意見に対しては、現行の三徴候の死の判定も、あれは確認行為ですね、やっていることは。その前に、少なくとも心臓と呼吸と瞳孔反射が停止していれば死と考えていいだろうという、そういう考え方の下に三徴候を確定しているんですね、確認を含めて。  同じように、現在のところ、少なくとも臓器移植を前提とする場合には、脳死状態を確認すれば脳死法律上扱っていいという合意があるからこそ確認行為なんだろうと。それは、構造は三徴候死と何も変わらないというふうに思います。  その上で私は、A案とAダッシュ案が、修正案として出すべきなのかあるいは対案として出すべきなのか、この点についてはいろんな御判断がもちろんあると思っておりますけれども、先ほど柳田先生が御指摘いただいた御家族の御負担ということですけれども、実際は、現行のA案でもしやられた場合、今出されているA案でやられた場合でも、臓器移植という場面に入るためにはやはり御家族の意思決定が重要になってくると。そこで意思決定するわけですから、御家族の精神的な御負担というのはA案もAダッシュも恐らく変わらないと。  それから、先ほどから議論になっています本人意思の確定のところですけれども、そこのところというのは、まさに臓器移植を前提とする場合には、A案もAダッシュ案もその方を亡くなっていると考えていて、そこに確認行為をする、その判断であるからという理屈、同じ構図を持っていて、その点ではA案もAダッシュ案も変わらない。結局、何かということで言うと、実務は全く同じなんですね、これからやることが。いや、それは変わらなくなります。  そうすると、違った運用になっているのは、法律の解釈が違う。これは何が一番違うかというと、違ってくるのは、脳死が一般的に死と認められた場合には、やはり移植以外のそういった合意もできてくるんだろう、それによって最終的にもっと家族が同意しやすくなってくる。そういうことは、このA案とAダッシュ案で大きく違ってくるんだろうというふうに考えています。私は、それが一番の意味で本質的な違いなんではないかというふうに考えております。  以上です。
  236. 衛藤晟一

    ○衛藤晟一君 小池先生の先ほどのお話ありましたのは、結局、A案修正案も、実際はこれを、臓器移植どうしますかというところに遺族の意思が出るわけで、しかし、そのときは現状においてはまだ遺体とか死体とかしていないんですね。  先ほどちょっと説明の方は、脳死は人の死だからという死んでいるんだみたいなニュアンスがあって、確認と言ったから変な具合に理解されたと思うんですけれども、そうじゃなくて、まだそのときは生きているという具合にみなしているわけですね、今の状況では。そうでしょう。そして、初めてそれを判定を行った結果、二回目の検査終了時に死亡が確認され、言わば確定されるというか、認められるというか、再確認とかいう意味じゃなくて、そういうことだという具合に思っていますので、やっぱりちょっと与えるニュアンスが恐らくおかしかったんだろうという具合に思っています。  それから、これは最後になりますけれども、本人の家族の同意のところでございますけれども、私は実は本当は大変な問題だなと思っていますけれども、しかし谷岡先生が、先ほどお医者さんの卵の医学生なんていう話がありました。脳死は人の死として認めますと言った人、八〇何%の方が認めるというんですね、ちょっと書類持っていませんけれども。しかし、それじゃ本人がどうしますかといったら四〇何%、子供で、自分がそのとき決定しますかといったら二〇何%。半分、半分、半分に減っている。  だから、恐らく遺族や残った方々も、いわゆる意思表示をはっきりしていない人がたくさんいらっしゃるので、やっぱりその人たちは、遺族がオーケーと言った以上に認めることは私は決してないと思うんですね。結局この表を見ましても、臓器移植を勧めるということは、医学生については八三%だけれども、自分の臓器を提供しますかと、四五%、それから脳死となった家族臓器を提供しますかといったら二二%と。でも、しかし、本当は臓器提供の意思のある、言わば患者さんというか、何と言えばいいのか分かりませんが、提供しようとする方について、遺族がもし認めるとしても、ほとんどは、ほとんどはというか、こういう比率で出るのであれば、それ以上の、本人がいわゆる臓器提供をする意思がなかったものを、遺族がそれを除外して、無視して認めるということには恐らくこの数字でいけばないんだろうと思っているんです。  しかしながら、そのときに明確に意思表示を書面等がしていなくても、家族は恐らくこういう問題が起こったときにうんと話し合うと思うんですね。そのときに、残った家族の方が私はやっぱりちゃんと意思決定できる、その亡くなった人の意思をそんたくできるということの余地は必ず残しておかなきゃいけないというのが、実はこの家族のところをした大きな理由でもあります。  以上です。
  237. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 時間が経過しておりますが。
  238. 谷博之

    ○谷博之君 先ほど森委員からの御質問で、私、一点だけ答弁が漏れていたと思いますが、児童の脳死判定基準について、E案では一年間掛けてということでありますが、この修正案立場ではどう考えているのかということでありますけれども、簡単にというか、説明させていただきますと、A案によって十五歳未満の児童についても臓器の摘出及び脳死の判定が可能となるけれども、児童、特に年少者については脳の障害に対する抵抗力が強いという特性があるとされておりまして、現行の厚生労働省令で定める脳死の判定に関する事項はそのままでは児童に適用することができないと考えています。  例えば、施行規則の第二条第一項では、六歳未満の者については脳死の判定を行わないこととされており、現行の規定を見直す必要があると。このため、この修正案では、臓器の摘出に係る脳死の判定についての厚生労働省令は、児童についての臓器の摘出に係る脳死の判定に関しては、児童の身体の特性に係る医学的知見を十分に踏まえて定められなければならないと。  そして、結論ですが、その結果、厚生労働省令においては、このような児童の身体の特性に関する医学的知見を十分に踏まえて定めなければならないと、このように考えております。
  239. 辻泰弘

    委員長辻泰弘君) 時間が経過しておりますけれど、その他、御発言ございますか。よろしゅうございますか。  それでは、以上をもって質疑は終局したものと認めます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時十分散会