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2009-06-19 第171回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
公式Web版
会議録情報
0
平成
二十一年六月十九日(金曜日) 午後零時四十六分
開会
─────────────
委員
の
異動
四月六日
辞任
補欠選任
一川
保夫
君
横峯
良郎
君 四月二十一日
辞任
補欠選任
草川
昭三
君
西田
実
仁君
四月二十七日
辞任
補欠選任
木庭健太郎
君
山本
香苗
君 四月二十八日
辞任
補欠選任
山本
香苗
君
木庭健太郎
君 六月十八日
辞任
補欠選任
藤原
正司
君
加藤
敏幸
君
水落
敏栄君
丸川
珠代
君 ─────────────
出席者
は左のとおり。
委員長
市川
一朗
君 理 事 岩本 司君
今野
東君
北川イッセイ
君 伊達 忠一君 委 員
加藤
敏幸
君
喜納
昌吉君
佐藤
泰介君 高嶋 良充君 ツルネン
マルテイ
君 円 より子君
横峯
良郎
君
島尻安伊子
君
丸川
珠代
君
義家
弘介
君
木庭健太郎
君
西田
実
仁君
紙 智子君 山内
徳信
君
衆議院議員
修正案提出者
三井
辨雄君
国務大臣
国務大臣
(
内閣
府
特命担
当
大臣
(
沖縄及
び北方対策
))
佐藤
勉君 副
大臣
内閣
府副
大臣
宮澤 洋一君
大臣政務官
内閣
府
大臣政務
官 岡本 芳郎君
事務局側
第一
特別調査室
長 藤崎 昇君
参考人
独立行政法人沖
縄科学技術研究
基盤整備機構理
事長
シドニー
・ブ レナー君 (
通訳
寺崎 弘孝君) (
通訳
福田 純子君) ───────────── 本日の会議に付した案件 ○
沖縄科学技術大学院大学学園法案
(
内閣提出
、
衆議院送付
) ○
参考人
の
出席要求
に関する件 ─────────────
市川一朗
1
○
委員長
(
市川一朗
君) ただいまから
沖縄及
び北方問題に関する
特別委員会
を
開会
いたします。
委員
の
異動
について御報告いたします。 昨日までに、
一川保夫
君、
草川昭三
君、
水落敏栄
君及び
藤原正司
君が
委員
を
辞任
され、その
補欠
として
横峯良郎
君、
西田実仁
君、
丸川珠代
君及び
加藤敏幸
君が
選任
されました。 ─────────────
市川一朗
2
○
委員長
(
市川一朗
君)
沖縄科学技術大学院大学学園法案
を
議題
といたします。 まず、政府から
趣旨説明
を聴取いたします。
佐藤沖縄
及び
北方対策担当大臣
。
佐藤勉
3
○
国務大臣
(
佐藤勉
君)
沖縄科学技術大学院大学学園法案
につきまして、その
提案理由
及び
概要
を御
説明
申し上げます。
沖縄振興
につきましては、
自立型経済
の
構築等
を目指し、
沖縄振興特別措置法
及び
沖縄振興計画
に基づき
事業
を推進しているところであります。この
沖縄振興計画
では、二十一世紀の
沖縄
の
振興
に貢献するとともに、ひいては
世界
の
科学技術
の
発展
にも貢献することを目指し、
世界最高水準
の
自然科学系
の
大学院大学
を核として、
研究所
、
民間企業等
の集積を図るものとされております。 この
大学院大学
については、
平成
十七年度に設立された
独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構
により先行的に
研究事業
を進めるとともに、恩納村に新しい
施設
を整備してまいりました。また、
大学院大学
の
在り方
については、
ノーベル賞受賞者
を
中心
とした
内外
の著名な
科学者
により
検討
が行われるなど、
開学
に向けた
準備
も進められてまいりました。 こうした
取組
を踏まえ、この度、
平成
二十四年度までの
開学
を目指すこととし、そのための
所要
の
措置
を講ずるため、ここに本
法律案
を提出申し上げる次第であります。 次に、本
法律案
の
内容
について、その
概要
を御
説明
いたします。 本
法律案
は、
沖縄科学技術大学院大学
を設置する
沖縄科学技術大学院大学学園
について、その
目的
、
役員
の
選任
の
特例
、国の
補助金等
を定めるものです。 この
学園
の
目的
は、
当該大学
において、国際的に卓越した
科学技術
に関する
教育研究
を行うことであり、もって
沖縄
の
自立的発展
及び
世界
の
科学技術
の
発展
に寄与するものです。 この
学園
は、
科学者
を
中心
とした
自主性
及び
柔軟性
のある
運営
を行うことが必要であるため、
学校法人
として設立されるものです。その
役員
である
理事
には、
科学技術
の発達に関し特に功績顕著な
内外
の
科学者
や
沖縄
の
振興
に関して優れた
識見
を有する者を含めることとし、その定数の過半数は
外部理事
でなければならないこととしております。 国は、
学園
に対し、
業務
に要する
経費
の二分の一以内を補助できることとしておりますが、国際的に卓越した
教育研究
を
実現
する等の観点から、当初十年間は二分の一を超えて補助できることとしております。また、
内閣総理大臣
は、
学園
の
事業計画
の
認可等
を行うこととしております。 その他、この
学園
の設立に伴い
独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構
を解散することなど、
所要
の
規定
を設けております。 以上が、この
法律案
の
提案理由
及びその
内容
の
概要
でありますが、この
法律案
につきましては、
衆議院
において
修正
が行われたところであります。 何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同くださいますようよろしくお願いをいたします。
市川一朗
4
○
委員長
(
市川一朗
君) この際、本案の
衆議院
における
修正部分
について、
修正案提出者衆議院議員三井辨雄君
から
説明
を聴取いたします。
三井辨雄君
。
三井辨雄
5
○
衆議院議員
(
三井辨雄君
)
衆議院
の
三井辨雄
でございます。
沖縄科学技術大学院大学学園法案
に対する
衆議院
における
修正部分
につきまして、その
概要
を御
説明
申し上げます。 第一に、
法律
の
目的
に、
沖縄
の
振興
に寄与するとの
趣旨
を追加するものであります。 第二に、
学園
の
評議員
の
選任
に関する
特例
を新たに設け、
評議員
に、
沖縄
における
経済
又は社会の実情に精通している者及び
大学
の経営における
公正性
及び
透明性
の確保に関して優れた
識見
を有する者が含まれなければならないものとするものであります。 第三に、国は、
予算
の範囲内において、
学園
に対し、
業務
に要する
経費
について、その二分の一を超えて補助することができることに改めるとともに、十年間に
限り業務
に要する
経費
の二分の一を超えて補助できるものとする
規定
は削除するものであります。 第四に、国は、この
法律
の
施行
後十年を目途として、
学園
に対する国の
財政支援
の
在り方
その他この
法律
の
施行
の
状況
について
検討
を加え、その結果に基づいて必要な
措置
を講ずるものとすることの
規定
を設けるものであります。 以上が本
法律案
の
衆議院
における
修正部分
の
概要
であります。 何とぞ
委員各位
の御賛同をよろしくお願い申し上げます。
市川一朗
6
○
委員長
(
市川一朗
君) 以上で
趣旨説明
及び
衆議院
における
修正部分
の
説明
の聴取は終わりました。 ─────────────
市川一朗
7
○
委員長
(
市川一朗
君)
参考人
の
出席要求
に関する件についてお諮りいたします。
沖縄科学技術大学院大学学園法案
の
審査
のため、本日の
委員会
に
独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構理事長シドニー
・
ブレナー
君を
参考人
として
出席
を求め、その
意見
を聴取することに御
異議
ございませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
市川一朗
8
○
委員長
(
市川一朗
君) 御
異議
ないと認め、さよう決定いたします。 暫時休憩いたします。 午後零時五十二分休憩 ─────・───── 午後零時五十五分
開会
市川一朗
9
○
委員長
(
市川一朗
君) ただいまから
沖縄及
び北方問題に関する
特別委員会
を再開いたします。
沖縄科学技術大学院大学学園法案
を
議題
といたします。 本日は、
参考人
として、
独立行政法人沖縄科学技術研究基盤整備機構理事長シドニー
・
ブレナー
君に御
出席
いただいております。 この際、
ブレナー参考人
に対し、本
委員会
を代表して一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本
委員会
に御
出席
をいただき、誠にありがとうございます。
ブレナー参考人
から忌憚のない御
意見
を拝聴し、今後の
審査
の
参考
にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 議事の進め方について申し上げます。 まず、
ブレナー参考人
に二十分程度で御
意見
をお述べいただき、その後、
委員
からの
質疑
にお答えいただきたいと存じます。 御
発言
の際は、その都度
委員長
の許可を得ることになっておりますので、御
承知
おきください。 また、
参考人
、
質疑者
とも
発言
は着席のままで結構でございます。 それでは、
ブレナー参考人
にお願いいたします。
シドニー・ブレナー
10
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
)
委員長
、ありがとうございます。 私、
発言
のメモを
通訳者
に渡しました。そして、ゆっくりと英語で
発言
させていただきます。
同時通訳者
が付いてこられるようにゆっくりと
発言
をいたします。 本日は、この
委員会
に
出席
して
議員
の
皆様方
に
沖縄科学技術大学院大学
について
説明
する
機会
を得ましたことは、大変光栄であります。 私が
理事長
を、そして
バックマン博士
が
理事
を務める
基盤整備機構
は、過去数年間、この
機構
を設置した
法律
に定められた
目標
を達成するために精力的な
努力
を重ねてまいりました。 この
機構
に与えられた
目標
を確認したいと思います。
一つ
は、
沖縄
で高いレベルの学際的な
科学研究
を開始し、またそれを
振興
させるということ、
二つ目
が
大学院大学
の
開学
の
準備
を行うということでありました。この
二つ
の
目標
は、
沖縄
の
自立的経済発展
を
振興
するという
目的
の下に追求されているものであります。 私
ども
のこれまでの数多くの大きな成果を語るのが本日の
目的
ではありません。ただ、一言申し上げさせていただければ、私
ども
は与えられた
目標
を完全に達成いたしました。
主任研究者
も二十人を数えております。その過半は海外から来ております。また、
幾つ
かの
研究領域
を確立しております。その
幾つ
かの
領域
においては、既に国際的な評価を得ております。これは、我々のプログラムあるいは
ワークショップ
に対する
応募者
の
水準
にも表れています。 本日は、過去にこだわるのではなく将来を見据えて
お話
ししたいと思っております。この
法案
が採択されれば、新しい
大学院大学
を
沖縄
につくるという
取組
の新
段階
に入ることになります。二〇一二年までに、私
ども
は、
科学者
や
研究者
をそろえ、すべての
施設
の建設を完了し、
学長
を任命し、主要な事務職に
人材
を配置し、数多くの学生を獲得し、そして
最先端
の
研究教育機関
に必要な複雑な
運営体制
を確立するということを
目標
としております。 この先やらなければならないことはまだまだたくさんあります。しかしながら、その多くに関しては既に
取組
を開始しております。しかし、それを実行に移していくためには
法案
の成立が必要です。この困難な
事業
に立ち向かっていくに当たって、我々が確信を持って取り組んでいけるように
皆様方
の強い
支援
が必要であります。また、
沖縄
の県民の
皆様
、
沖縄
の各
機関
、そして
日本国民
全体の揺るぎない支持が必要であります。 さて、この
プロジェクト
は、
沖縄
や
日本
にとってのみ重要なのではなく、
世界
全体にとっても重要であると考える
理由
を
説明
させてください。 私がこの
プロジェクト
の
立ち上げ
に参加した
理由
は
二つ
あります。
一つ
は、
日本
は
科学
の
イノベーション
の能力を十分に生かしていないと感じたからであります。
大学教育研究
の
制度
の下で、若い
科学者
に独自の
研究
をさせる
機会
が十分に与えられていないと考えました。私
ども年寄り
もまだ熱心に
科学
に取り組んでおりますが、やはり
イノベーション
というのは若い
人たち
の力を解き放つことで生まれるわけです。 それから、
二つ目
の
理由
といたしましては、新しい
アイデア
というのは旧来からの様々な
分野
の学際的なところでいつも生まれるものだからです。この学際的な
分野
で新しい
アイデア
が生まれるという事例は、
生命科学
の
分野
で五十年間何が起きたか御覧いただければ分かることと思います。
生命科学
の新しい発見は、化学、物理、数学、そして
計算科学
の融合する
分野
で生まれたのでした。
大学
というのは通常厳格な
学部体制
がしかれておりまして、このように多様な
科学者
の
グループ同士
のやり取りを融合していくことが難しいことが多いのです。そしてまた、
既得権益
によって壁ががっちりと用心深く守られてしまっています。したがって、旧弊あるいは旧
制度
を脱却して全く新しいものを融合してつくっていくということが非常に重要な課題になるのではないか、そしてやりがいがあることではないかと考えた次第です。 かなりこの
方向性
で既に進捗が見られておりまして、今回、将来の
発展
に有益な条項を盛り込んだ本
法案
が可決すれば、その
作業
を進める上で
制度
的な
基盤
が整備されることと思っております。 本
構想プロジェクト
の最も重要な点は
沖縄
とのつながりです。多くの
人たち
が、
沖縄
という
場所
では
科学技術大学院大学
のような
先端的機関
を設立するには
開発
が不十分な
場所
ではないかとお感じのようです。しかし、私の考えでは、
研究プロジェクト
からまず始め、そして主要な
中心地
から離れて、その既存の
体制
の言わば遺産から離れたところで
活動
を始めれば、我々独自の
文化
あるいは
風土づくり
ができるのではないかと考えた次第です。若い苗木は古い大木の林の中では日陰になってしまって育たないからです。また、私
たち
の使命は
沖縄
の
経済的自立
に貢献することであると
重々承知
をしております。これは将来的にますます重要になってくるでしょう。 この先、
本学
の
活動
を重ねる中で、私
たち
の
研究
から
経済
的な
価値
を生み出せるようにしてまいりたいと考えております。そして、そのためには質に重点を置いてまいります。
本学
の
科学者
の質、そして私
たち
が育てる
人材
の質に重きを置くことで達成していきたいと思っております。 そして、なかんずく重要な点としては、
科学
の
国際舞台
においてきちんと認められ、そして国際的な
科学者
のネットワークの重要な位置を占めてまいりたいと思っております。一部の
分野
で既にこれは達成をしております。
本学
の
募集ポスト
への
応募人材
の質にも見られますし、
本学ワークショップ
に参加する生徒の質にも反映されております。そして、さらに厳格に高い
水準
を維持しハイレベルの
イノベーション
を維持すれば、
産業界
にも来ていただける、そして
沖縄
にそれによって裨益できると思います。 このように、垂範率先することによりまして生まれる新しい
文化
が是非広まることを私としては期待しております。私
たち
の
教育
、そして
発信内容
の中には、多くの問題を抱える
世界
にとって
科学技術
が重要な役割を果たすのだということも訴えたいと思っております。
沖縄発
のこの試みが
日本
中に広がればうれしく思いますし、新しい
アジア太平洋
の
科学者
のコミュニティーが
世界
に広まれば、この上なくうれしく存じます。 以上です。御清聴ありがとうございました。(拍手)
市川一朗
11
○
委員長
(
市川一朗
君) ありがとうございました。 以上で
参考人
の
意見陳述
は終わりました。 これより
参考人
に対する
質疑
を行います。
質疑
のある方は順次御
発言
願います。
今野東
12
○
今野東
君 民主党の
参議院議員今野東
でございます。
ブレナー博士
には、
世界
中を飛び回っていらっしゃる
大変お忙しい
中でこの時間を割いていただきましておいでいただきまして、本当にありがとうございます。 私
たち
はこの
沖縄科学技術大学院大学
について
準備
を重ねているわけでありますが、そういう中で
大変御苦労
をしていらっしゃることに、
議員
の一人として敬意を表します。 さて、私は、今日
ブレナー博士
に
お話
を伺うについて、一番
最初
に、なぜこんな大変なお
仕事
をお引き受けになったのかという
理由
をお尋ねしようと思いました。しかし、そのことは既に
お話
をしてくださいましたが、まず
一つ
は、
科学的イノベーション
を生かしていないということをおっしゃいましたが、それはどういう点で見受けるのか。具体的に、こういうところが足りないというようなこと、
具体例
を
お話
しいただきたいと思います。
シドニー・ブレナー
13
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 私、思いますに、
科学
の
イノベーション
を活用するという問題ではないと思います。
科学
的な
イノベーション
、
日本
はうまく活用していると思います。私が申し上げたかったのは、
科学イノベーション
の
創生
、それを生み出すということであります。
日本
の
国立大学
などでは、若い
人たち
が独立した
科学研究
を行う
機会
が非常に少ないと考えておりました。それが、私がこの職務を引き受けた大きな
理由
であります。 しばらく前、私は、ある物理学部のレビューを行う
委員会
に参加しておりました。
東京大学有馬学長
の時代ですが、そこでその
作業
に参加して、そこでいろいろな
機会
が失われているということを目の当たりにしたからであります。
今野東
14
○
今野東
君 ありがとうございます。 今、
有馬
さんのお名前が出ましたが、この
仕事
の
最初
の
段階
で
お話
をされたのは
有馬
さんだったんでしょうか。
シドニー・ブレナー
15
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 元々、この話を
最初
に持ってこられたのは
尾身
様であります。この
仕事
に就かないかということではなくて、そのもっと早い、初期の
段階
の議論に参加してほしいというふうに
尾身
様に声を掛けられました。
沖縄
の
可能性
について
検討
する
作業
に参加してほしいということで、これは随分前のことでありました。この
理事長
の職というのは、そのもっと後で設置されたものであります。 それからもう一点、
有馬教授
はその
検討
の
グループ
のメンバーでありました。
今野東
16
○
今野東
君 よく分かりました。ありがとうございます。 それで、この
沖縄科学技術大学院大学
を
開学
させるに当たって、この
大学院大学
が
沖縄
の
自立的発展
にどうつながるのか、私
たち
はこの
大学
をつくるために一生懸命
努力
している役人の皆さんから話を随分聞いたんですが、もう
一つ
その
科学技術大学院大学構想
が
沖縄振興策
の
一つ
であるということがどうも分かりにくくております。
沖縄振興特別措置法
という
法律
がありまして、この
法律
の
目的
には、「
沖縄
の
自立的発展
に資するとともに、
沖縄
の豊かな
住民生活
の
実現
に寄与することを
目的
とする。」とあります。私は、この
沖縄科学技術大学院大学
がどのようにして
沖縄
の
自立発展
に資するのか、またどのようにして
沖縄
の豊かな
住民生活
の
実現
に寄与するのか、どうもいろいろな方の
お話
を伺っているんですが分かりにくいんです。そこのところは、
ブレナー
さんはどういうふうに考えていらっしゃるでしょうか。
シドニー・ブレナー
17
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 単純な形でお答えをしたいと思います。 様々な例を引くことができると思います。このような
活動
を開始することによって
経済
的な
価値
が生まれると。つまり、こういった
センター
で
科学
を行うことによってそれがその
周辺
に広がっていくということが
世界
の様々な地域で既に行われているわけであります。ここで認識すべきことは、そういった実例が既に多く存在するということであります。 私が一番よく知っている
二つ
の例、これは私が実際に関与した例でありますが、サンディエゴで全く新しい
活動
、
研究所
を設立したということがありました。これはバイオテクノロジーの大きな
センター
となっています。それから、英国の
ケンブリッジ大学
、ここにも私はおりましたけれ
ども
、この
ケンブリッジ大学
もその
周辺
で多くの
産業
を創出しております。それは
大学
からの
スピルオーバー効果
ということで生まれているわけであります。 ただ、残念ながら、そういったことが
実現
するには時間が掛かります。そして、
乗数効果
があるということが言えると思います。より高い
生活水準
の
人たち
を関与させるということで様々な
影響
をもたらすということが言えると思います。
最先端
の
科学
、
技術
、またそういった特定の姿勢を持った
人たち
を導入することによって
人々
の
暮らし
をより豊かにすることにつながる、またその様々な
活動
につながっていく、
大学
が重要な地位を占めるようになればそういった
影響
が期待できると考えます。
今野東
18
○
今野東
君
最先端
の
技術
の導入で
人々
の
暮らし
が豊かになるという
お話
は大変よく分かります。それは、
日本
全体の利益ということを考えた場合にそれは言えるのかもしれませんが、それが
沖縄
のと前に付くと私にはなぜなのかというのが分からなくなるんです。それは、またこの
法案
の
質疑
がありますので、そこでいろいろお尋ねをすることにいたしますが。 さて、二〇一二年度までに
開学
を目指していくという
沖縄科学技術大学院大学
ですけれ
ども
、
ブレナー博士
の
努力
によりまして、今二十名の
研究者
の
方々
が既に
研究
を始めている、また続けているわけですが、私が聞いているところによりますと、五十名の
研究者
を予定していると聞いております。今はまだ二十名なんですが、これは見通しはどうなんでしょうか。 大変お忙しく
世界各国
を回って、様々な
科学者
の
方々
とお会いになっていろいろ
御苦労
をしていらっしゃることは
承知
をしておりますが、五十人まで
研究者
を集めるということは
開学
までには可能でしょうか。
シドニー・ブレナー
19
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 私
ども
の
目標
はおよそ五十人確保するということであります。厳密にちょうど五十人ということでもありません。それから、
大学
の
学長
もその
大学
に魅力を感じて来てもらわなければならない。そうすると、彼の、その
学長
の
アイデア
も導入する余地を少し残しておかなければならないということで、およそ五十名の
研究者
を確保して
開学
したいと考えております。それは可能であるということについては自信を持っております。 そして、過去一年、二年の間に分かったことは、私としても驚いているのですが、
出願者
、
応募者
の質、彼らの
研究
の質、彼らのこれまでのバックグラウンドを見ると大変なものがあると。で、まだ
施設
として
開発途上
にある我々のこの
施設
に来てもいいという人がこれだけいるということに驚きを感じています。そして、今後も多くの
人たち
が来てくださると考えております。今年の年末までには二十五人以上確保できると期待しております。 元々、十分な
スペース
が確保できないと人を呼んでくることもできません。今後二年間であと二棟、
施設
を、建物を建設しなければなりませんので、その
スペース
ができなければ人も採れないということもあります。こういった
状況
をいろいろと考えますと、
目標
は十分に達成可能だと私は考えております。
今野東
20
○
今野東
君
研究者
を招聘するに当たって、少し現実的な
お話
をさせていただきたいんですが、
研究者
にはそれぞれ家族がおいでになるでしょう。
沖縄
という
場所
においでいただくには、これは
研究者
の間ではそれほど有名な
場所
ではないと思いますので、この新しい土地においでいただくのはそれなりの
条件
を示さなければならないと思いますが、これは
ブレナー博士
がお示しになる
条件
というのは、それは我が国の限られた
予算
の中でやらなければならないことで、またそこは
大変御苦労
をお掛けしているところですが、それで十分でしょうか。あるいは、こういう
条件
が提示できればもっと優れた
科学者
が、
沖縄
に来てもらうことができるんだがというようなことをお考えの点はあるでしょうか。
シドニー・ブレナー
21
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 私、もちろんこの
機構
の規則の中で職務をしなければならないという、その制約を抱えております。
大学
は、
大学
として判断をしなければならないということになると思います。その時点で十分に
条件
が提示できるようにするということが我々の
仕事
であります。
一つ
我々がやってきたことは、住宅ですね。教職員、それから学生のための住宅、宿舎を整備するということに取り組んでおります。単にその
研究
棟を造るというだけでなくてコミュニティー全体をつくっていく、そこで生活をするための環境を整えていくということが必要であります。これは十分にできていくというふうに考えております。
世界
の若い
科学者
たち
に対して良い
条件
を提供できれば、独自のそれぞれの
研究
を行う環境を与えられれば、彼らが最も求めているのはそれなんですね。それは過去の例にも示されています。そして、それは我々ができることだと考えています。 そして、もちろん
沖縄
というのは非常に美しい土地であります。物理的にも地理的にも非常に美しい
場所
です。
仕事
をするのに適した環境を提供できれば、若い
科学者
はそれに魅力を感じると、関心を持つと思います。
今野東
22
○
今野東
君 いろいろ
御苦労
をいただいていること、本当にありがとうございます。 ちょっともう
一つ
お尋ねをしたいんですが、さっき
ブレナー博士
は、
大学
の周囲に企業が集まって、また
大学院大学
から出てくる
科学
的成果を利用する企業がそこに集まってくる、知的クラスターがたくさんできるのだというような話を私
たち
も聞いておりますけれ
ども
、それは、さてどれぐらいの時間が掛かるのでしょうか。そこのところは私
たち
は大変心配をしているところです。
ブレナー博士
が時間が掛かるとおっしゃったのは、なかなか予想は難しいと思いますが、数年なのか十年なのか二十年なのか、あるいは百年なのか、どうお考えでしょうか。
シドニー・ブレナー
23
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) ありがとうございます。 あと何年も私は生きておりませんので、その成果が頂点に達するのを見届けることはできないかもしれませんけれ
ども
、プロセスとしてはしたがって時間が掛かるということです。 ただし、既に二社、
二つ
の企業と協力合意をしております。電子顕微鏡を作るということで日立と契約を結んでおりまして、この協力を継続するということになっています。それから、二件目はホンダでありまして、
研究
を
支援
してくれています。銅谷先生の
研究
を
支援
してくれているのがホンダです。したがって、既に関心は
産業界
において見られるということで、この計画に上乗せをいたしまして、キャンパス内におきましてもある地域を決めて会社が自分の
研究
室を構えられるような
場所
を設けたいと思っています。そういった決定をすることで役に立つんではないかと思います。 どれぐらいの時間が掛かるかということですが、何年か、あるいは二十年なのか百年なのかとお聞きになられましたが、二十年ぐらいというのが何か形のあるものができるのに掛かる時間ではないかと思います。時間は掛かるということです。
今野東
24
○
今野東
君 この
大学
のスタートは、整備
機構
としてスタートしたわけですけれ
ども
、このときのスタートのときのメンバーと少し今のメンバーは違います。三木
理事
が辞職をされました。こうしたスタッフの動き、あるいは辞めていってしまっている人もいるという、内部の人的なコミュニケーションというのはうまくいっているという報告を受けていらっしゃいますか。
シドニー・ブレナー
25
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 内部のコミュニケーションには問題はありません。 三木先生は個人的な
理由
によって辞職をされたと記録にあるとおりです。お辞めになったほかの
方々
も短期的な任期で、その任期終了に伴ってお辞めになったということです。それから、もう既に代わりの方を入れて、辞めた方の数に比べ二倍のスタッフが増えています。
科学
的な組織としてはこれは典型的でありまして、職員の多くの
人たち
が短期的な契約であるというのは普通のことです。
今野東
26
○
今野東
君 私が質問をさせていただく時間はもうなくなりましたが、最後に、短くで結構ですが、
世界
一の先端を行く
科学技術大学院大学
に育てていくためにはどういうことが必要でしょうか。
シドニー・ブレナー
27
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) ごく手短にお答えいたしますと、最も優秀な
人たち
をできるだけ集め、そして提供できる最も優れた環境に置き、彼らに任せることです。
今野東
28
○
今野東
君 ありがとうございました。サンキュー・ソー・マッチ。
島尻安伊子
29
○
島尻安伊子
君 自由民主党、
島尻安伊子
でございます。
ブレナー
先生、今日は本当にありがとうございます。 本日は、
独立行政法人沖
縄
機構
の
理事長
という立場でいらしていただいておりますけれ
ども
、国際的な学術界におきましては、ノーベル生理学・医学賞というもう大変な賞を受賞された分子生物学の
世界
的権威であるということで、こういった、ちょっと手元にメモがありますけれ
ども
、この文字を見るだけでも
世界
的な権威であるということがよく分かりますし、そういう先生に来ていただく中で直接
お話
を伺う
機会
を与えていただいたこと、大変に光栄に思います。 私は、
沖縄
県の地元の選出の参議院
議員
でございまして、そういった立場からこの
プロジェクト
について
ブレナー
先生の御
意見
を伺いたいと思っております。
世界最高水準
の
研究
大学
院ということは、まさに
世界
の、あるいは人類全体の
発展
に貢献するものであるというふうに考えておりまして、そういった
機関
が
沖縄
に存在するということになると、これだけでも私は県民の誇りになるというふうに思っております。 そこで、
沖縄
ということに関して率直な御
意見
、御感想をまずお聞かせいただきたいというふうに思うんですが、先ほど
お話
の中にもありましたが、
沖縄
は大変美しいと言っていただきました。大変に、その環境という中で大変に私も美しいところだというふうに思いますが、一方で、
沖縄
に住む
人々
、
人たち
の温かさから大変に
暮らし
やすいところではないかなというふうに思うんでございますけれ
ども
、その点についての御感想と、それから、そういった点で自然
科学
の
研究
をする場として、例えば東京とか大阪とかあるいはほかの大都市と比べても私は優位性というもので優れているというふうに思うんですが、御
意見
を、御感想をお聞かせいただけませんでしょうか。
シドニー・ブレナー
30
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) ありがとうございます。 私から申し上げたい点として、
一つ
先ほど申し上げなかった点がございます。二年ぐらい前、新しい
分野
の
開発
を始めました。環境
科学
であります。環境
科学
を二年前に
分野
といたしまして
立ち上げ
まして、何名かの
科学者
がその
分野
の
研究
を執り行っております。特に、海洋環境、海の環境の
研究
を行います。したがって、これは
沖縄
の地理的な立地を考えると極めて適切であると思う次第です。そういう意味で、この
分野
におきます重要な貢献を
世界
に対して行うことができるのではないかと思います。 当初、これは必ずしも好感視されませんでした。伝統的な
科学
をやるべきではないかと言われたものです。しかし、時間の経過とともに環境
科学
というのが
世界
でも最も重要な
分野
になってきました。気候変動の問題もありますし、海洋環境が変わっているという問題もあります。したがって、この
分野
、環境
科学
の
分野
が重点
分野
となることを楽しみにしています。 それからまた、この
機会
をとらえまして琉球
大学
とのつながりも強化したいと思っています。また、琉球
大学
以外のほかの
沖縄
の
大学
機関
等とも連携していきたいと思っております。 私は、小さな町に今まで住むことを好んでまいりました。これは個人的な
理由
なんですが、ニューヨークや東京など大都市に住むのが好きな人もいるかもしれません。私は小さな町が好きです。ケンブリッジも小さな町です。ほとんど私の人生、大半はケンブリッジで過ごしてまいりました。知的な
作業
、特に高
水準
の知的な
作業
はプレッシャーなくして小さな町で行うことができると思うんです。特に若い
人たち
で、家族が若い、
沖縄
はそういう意味では理想的な環境だと思います。 それから、
沖縄
に住むという経験を楽しんでいただきたい。いつも
沖縄
にいるということではなくて、将来的には若い
人たち
は
世界
中、
日本
中にも行かれるわけで、是非とも
影響
力を広めていただきたいと思います。 それからまた、
沖縄
の市長、多くの
方々
に会ってまいりました。私
ども
のスタッフも地元の地域社会といろいろとやり取りをさせていただいています。オープンハウスも開催いたしましたし、できるだけ地域社会に溶け込んでいきたいと思っています。また、学校でも講義、レクチャーを行ったりしてまいりました。とても若い
人たち
、若い子供
たち
、六歳の子供が
科学技術
に大変高い関心を持ってくれることをうれしく思います。それだけやりがいがあると感じています。
沖縄
でやることの意義があると思っています。
島尻安伊子
31
○
島尻安伊子
君 今先生の
お話
の中にありました環境関連の
研究
というのは、今後大変に注目される
分野
であるというふうに、私も大変に注目をしているところでございます。 今、アメリカのオバマ大統領がおっしゃった環境政策の中にもスマートグリッドということがありますけれ
ども
、そのグリッドという意味では本当にいろいろな地元の、今
お話
にありました琉大とかそういった
大学
の
機関
と、それだけではなくて企業と、それから地域がそのグリッドといいますか、そのつながりが持てるという意味でも、もう大変に私としては期待するところであります。 特に
沖縄
は、先進国にはない亜熱帯地域であるということ。先生の
お話
にもありました、もう既にサンゴのゲノム
研究
をなさっているということで、こういった
沖縄
の特性を生かした
研究
というのがイコールこれからの
世界
が注目する
科学技術
の
研究
につながっていくものだというふうに考えております。 もうまさに、温暖化とか地球環境、生命システム、こういった
分野
はまさに
沖縄
にふさわしい
研究
テーマではないかというふうに思うんですが、その辺の御感想をいただければと思います。
シドニー・ブレナー
32
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) はい、全く同感であります。今おっしゃられたこと、全く同感です。 我々、これを非常にユニークな
大学
にしていきたいと考えております。様々な
科学
の
領域
、環境にかかわる
科学
の
分野
をまとめてあらゆる
領域
をカバーするということは非常に大変なことです。海洋学、遺伝学、生物多様性、大気物理、地球物理、化学、こういったものすべてまとめていかなければならないわけですね。これを通常の
大学
でやろうとしても非常に難しい、あるいは不可能であるわけです。そういった様々な
科学
を横断した形で
教育
をするというのは非常に困難であると。しかし、我々は、
沖縄
では融合的な
取組
を行うことができると考えております。それが我々の
科学技術
研究
の
一つ
の頂点を示すことになるのではないでしょうか。
島尻安伊子
33
○
島尻安伊子
君
ブレナー
先生は、自らが
ノーベル賞受賞者
であるばかりではなくて、お聞きしたところ、指導なさった方の中からこれまで五名もまた別の
ノーベル賞受賞者
が出ているというふうにお聞きをいたしました。もう大変にすばらしいことだと思っておりますが、この人を育てるというところですね、それも
世界最高水準
を目指す若手
研究者
を指導し、育成していくというところのポイントを教えていただいてもよろしいでしょうか。
シドニー・ブレナー
34
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) これは私の秘密ではないので、秘密だった教えないところですが、
お話
ししましょう。 どのようにしてやるのかと、育成をするのかということですが、若手の
研究者
の
研究
に直接かかわることです。よく言うんですが、メンタリングというふうに英語では言いますけれ
ども
、メンターとして彼らが歩んでいくのを助けていくと。彼らが将来をつくっていく、私のような人間ではなく、彼らが将来をつくっていくわけですから、彼らを正しい方向に向けてそして必要な
支援
をしていく、様々な
施設
を提供していく、そういったことが必要だと。それが実にこの新しい
大学
で可能になると考えております。
島尻安伊子
35
○
島尻安伊子
君 お聞きしたところ、もう既に地元の高校生が今ある
研究
施設
に行って、もう将来は
科学者
になりたいんだという志を立てて、
大学
を卒業して今その
研究所
に入っているという大変うれしい
お話
を聞いたことがありますが、本当にそれが、例えば、むしろ地元の、
沖縄
の子供
たち
が将来大変に大きな志を立てるというものになってほしいなというふうにも思いますし、それが
沖縄
のみならず、
日本
の中の子供
たち
が
科学技術
というものに注目をしてくれるような、そんなものになっていけばいいなと私も思っているところであります。 この
プロジェクト
が
沖縄振興
にどのように役立つかという観点から
一つ
お話
を伺いたいんですけれ
ども
、クラスターということで、
内閣
府の皆さんからもそういった
お話
を伺っているんですけれ
ども
、何もこういったクラスターは
世界
的に見て今回初めてではなくて、先ほど先生の
お話
の中にサンディエゴの例がありましたけれ
ども
、シンガポールとかほかにもこういったクラスターが形成されていると、知的クラスターが形成されているというふうにも聞いております。
沖縄振興
というところとこの知的クラスターというところの今後果たす役割といいますか、それについてちょっとお聞きしたいと思います。
シドニー・ブレナー
36
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) ありがとうございます。 先ほ
ども
申しましたように、一番重要なことは、その
研究
自体がまず
経済
活動
であるということですね。それが第一点です。つまり、この
大学
開学
のときに五百人以上の人が雇用されるということになるわけであります。比較的高い
生活水準
を享受する
人たち
であります。そして、彼らに対し様々なサービスやアメニティーを提供していく、それによって
沖縄
の能力が向上すると考えるわけです。
研究
支出の中には設備の購入、化学薬品の購入などが含まれます。そして、そういった購買に基づいて
大学
の
周辺
にサプライヤーが生まれるという、直接的な
影響
も期待しています。 また、それに加えて間接的な
影響
もあります。つまり、
アイデア
を持っている
人たち
がそういったところに出資を仰いで、ベンチャー企業を
大学
の周りで起こしていく、そしてそれが成長していくということが期待されるわけであります。東京とか大阪、京都などに、あるいは関西のそういった地域にあるような高いレベルの
技術
では当初はないかもしれませんが、しかし、例えばソフトウエア
開発
といった
領域
では、
沖縄
でそれを行うということに非常に興味深い
可能性
があるのではないかと思っております。そういったところも伸ばしていきたい。 それから、より優秀な職員を招くことができれば、そこからすべては成長していくというふうに考えております。
島尻安伊子
37
○
島尻安伊子
君 それでは次に、この
大学院大学
の自立的経営の見通しということをちょっとお聞きしたいというふうに思います。 当初の案では、全体の
運営
費のうち半分を国が補助して、残り半分を自主財源で賄うということが原則でございました。
衆議院
の
修正
案で国費で全額助成できるという形になりまして、より安定的な
支援
が可能となったということであります。 実際の
大学院大学
の関係者の
皆様
は、このことについて、将来の自立に向けてどのような見通しを持っておられるのか。具体的に言えば、この
大学院大学
が競争的な
研究
資金若しくは企業からの寄附、共同
研究
等々で自主的な財源を
運営
費の半分程度まで確保できるようになるまでにはどのぐらいの年数を考えていらっしゃるのか、お聞きできますでしょうか。
シドニー・ブレナー
38
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) ありがとうございます。 この
段階
ではお答えできません。まだ人が少なく、そしてまだ実績が積み上がっていないからであります。つまり、当初はそれは
実現
できません。しかし、数年後、
大学
が
発展
してくれば、
日本
の中でも非常に有利に競争できる、競争的資金を獲得するに当たっても十分に競争力を発揮できると考えております。 そういった形で五〇%を確保できるかというのは、これはまた別の問題になります。実際にこの
教育
を維持しそして
研究
棟の維持を行うためには、そういった、いわゆる間接費ですが、それがかなり高額に上る、
運営
を続けるだけでかなりの
経費
が掛かるということがありますので、半分をいつ出すようになるかということは分からないんですが、しかし、競争的資金を獲得するという意味では競争力を発揮できるというふうに考えます。 それから、将来的にはもう
一つ
収入源が考え得ると思います。つまり、我々が真に国際的な
大学
を確立できたならば、国外からの資金も目指すべきではないかということであります。 私、欧州の分子生物学
研究所
、ハイデルベルクの設立にかかわりました。それもゼロからスタートしたのですが、その
研究所
は複数の欧州の国の政府の
支援
を受けています。つまり、その
研究所
が人の
教育
をするということについて大きなメリットをもたらすという理解の上で多くの国の政府がそれを
支援
しているわけです。 したがって、私の夢としては、この
大学
が
アジア太平洋
の
センター
になるということであります。そして、国際的な参加も増えれば国際的な資金の獲得も可能になってくるというふうに考えます。私は、この後、長くを続けることはありませんけれ
ども
、もし続けるとしたらばそういったところを
一つ
大きな
目標
に据えると思います。
島尻安伊子
39
○
島尻安伊子
君 もう終了の紙が来てしまいましたので、これで私の質問を終わりたいと思います。
木庭健太郎
40
○
木庭健太郎
君 公明党の
木庭健太郎
と申します。 今日は、
ブレナー博士
、わざわざこの国会までおいでいただきまして、貴重な御
意見
、本当にありがとうございます。 この
沖縄
の
科学技術
研究
基盤整備機構
の姿ですけれ
ども
、中期計画を読まさせていただきますと、設立当初は
研究
のみを実施して、その後、
大学
院としての地位を獲得したそういう前例というか例として、ロックフェラー
大学
であってみたり、スクリップス
研究所
であってみたり、コールド・スプリング・ハーバー
研究所
及びウッズホール海洋生物学
研究所
、この四
研究
機関
があり、これを先例としたい、例としたいということがこの
機構
の将来計画の中に書いてございました。 こういった
世界
レベルの
大学
院や
研究所
、これらが
世界最高水準
になるためには、やはり大きな要素は、先ほどから
お話
があったように、どれだけ実力のある
主任研究者
を確保するかということとともに、もう
一つ
は、やっぱり
ブレナー博士
のように、ノーベル賞を受賞したような功績のある
科学者
を例えば
学長
に据える、学外
理事
として招聘する、こういったことも
一つ
大きな要素であるような気がいたします。 そこでお尋ねするわけですが、こういった
ノーベル賞受賞者
など、言わば功績が顕著な
科学者
を
学長
や学外
理事
へと招聘を行う場合、どういった点を重視していけばいいのか、どういった点をきちんと考えていけばいいのか、この辺を教えていただければと思います。
シドニー・ブレナー
41
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 難しい御質問です。なかなかお答えするのが難しい。 と申しますのも、
人々
の生活の中で、それぞれ人生で何を達成したいと思っているか理解しなければいけないからです。いろいろと
研究
をして、いろんな成果を出していて最後のチャレンジを追求しようとしている人、人生の最後の
段階
で人類に貢献したいと願っている
人たち
もいるわけです。そういう意味では、ユニークな
仕事
を求めている人もいる。そうした人を探すべきだと思います。 それから、
ノーベル賞受賞者
というのは、必ずしも
学長
として優れた資格ではないかもしれません。ほとんどのノーベル賞受賞学者は、学校、
大学
の
運営
の仕方を知りません。したがって、だれか探すとすれば、成果を上げてきた、そして自分の
仕事
はやり遂げて、最後のチャレンジを求めたい、最後何かチャレンジをしたいと思っているような人を探すべきです。そうすることで成長に貢献をしてもらうと。なかなか探しづらいかもしれませんが、そういう
人材
を探すべきだと思っています。
木庭健太郎
42
○
木庭健太郎
君 もう
一つ
は、これからこの
大学院大学
、
研究
から次は
大学院大学
として学生を入れていくわけですが、先ほ
ども
地元
沖縄
の高校生が、
大学院大学
まだできていないんですけれ
ども
、わざわざ来られて入っているというような話もありましたが、この
大学院大学
の
教育
課程というのを見させていただくと、
教育
課程は博士課程をやる、学位はドクター、博士とし、そして、学生の募集というのは特定の国とか特定の地域とかいう入学枠は設けずに自由に募集するということが予定されているようですけれ
ども
、そうなると、もちろん主任
研究
員、
研究者
の側に優秀な
方々
が来ることも大事ですが、優秀な学生をどう集めるかが一番これからまたもう
一つ
の課題になっていくと思うんです。 国際的にそういった卓越したような有能な学生、学ぼうというような学生を確保するためには、やはり
大学
としても戦略的な
取組
ということをしておく必要があるのではないかと思うんですが、学生の獲得ということについてどんなお考えを持っていらっしゃるか、お聞きしておきたいと思います。
シドニー・ブレナー
43
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 既に私
ども
教育
は始めております。もちろんまだ学位は出せませんし、そのための認定はまだ十分受けておりませんが、ただ
大学
院生は既におりまして、ほかの琉球
大学
、それから奈良の先端
科学研究
機関
等との連携を通じて
教育
をしております。この
活動
を拡大していきたいと思うわけです。そして、最終的には学位を付与できる
機関
になりたいと。したがいまして、
教育
は既に始めております。 優れた学生を
研究
に呼ぶ、そのためにはやはり優れた
研究者
が必要です。優れた
研究者
がいれば学生も集まります。
研究者
が優れていれば、一流のサイエンス、
科学
を行うことがキャリアの中でできるようになるわけです。それが唯一の引き付ける方法だと思います。人によっては、もっとお金を出さなければ
沖縄
には来てくれないと言う人もいますけれ
ども
、
研究
の
条件
、それから知的な環境がむしろ重要なのだと私は思います。
木庭健太郎
44
○
木庭健太郎
君 今も少し議論を島尻先生がしていただいたんですけれ
ども
、今回、この
法律案
が通りますと、ある意味では
研究
費の問題について今までと考え方がひとつ変わってきまして、
衆議院
でこの
法案
を
修正
したことで、安定的な
研究
費の確保、
一つ
の
研究
班当たり平均でやっぱり年間二億円、
日本
円にして二億円程度要するというような報道もちょっと読ませていただいたんですけれ
ども
、一応、それについて安定的な
研究
費を
法案
修正
によって確保できるというふうな仕組みに
法律
はなっております。ですから、一生懸命とにかく
法律
を通さなくちゃということはもちろん思っているんですけれ
ども
、ただ、そうはいうものの、やはり将来的なことを考えれば自主財源をどうするかという問題の御指摘がございました。 やはりこの自主財源ということに対する基本的な考え方、先ほどよその国から言わば
研究
費を、さっきヨーロッパの例を挙げていただきましたけれ
ども
、そういったケースもあると思うんですが、基本的にはやはり、先ほどからおっしゃっているように、そこに来た企業との関係、相互に連携しながら、例えば企業の受託
研究
のような問題ですね、こんなところを獲得していく
努力
というのを
大学
としてもやっていくということにはなるんだろうと思うんですが、その点について、言わば
研究
費、お金が掛かる問題についてそれをどう確保していこうとなさっているのか、具体的な
取組
があればもう少し、先ほどの御
発言
に付随して
お話
しされる点があればお聞きしておきたいと思います。
シドニー・ブレナー
45
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 先ほど申し上げましたように、可能だというだけではなくて、確実に競争的な形で、競争力を持って、そして
研究
助成金を
日本
において獲得できると思っております。 いわゆる業界からの委託
研究
はそんなに請け負わない。コストが安いからです。むしろ共同
研究
をしていきたい。より長期的な関係の下においてです。委託
研究
というのは
産業界
の出す費用が余りに安いわけです。 したがって、
イノベーション
ということであれば、必ずしも委託
研究
ではなく、むしろ共同
研究
をしていきたいと思います。
産業界
との共同
研究
を進めることによりまして、非常に強力な
基盤
づくりができるのではないかと思っております。私自身、
産業界
と連携する経験をしてまいりました。主にイギリス、アメリカにおいてです。 したがって、そのような共同
研究
といったような協力関係を築くことによってメリットを享受できると思っております。 それから、将来的に資金調達を自前でどうやっていくのか。もちろん、だれでも将来どうなるかは分かりません。まあ、
研究者
をもっと育てて銀行員を減らせば、むしろ資金調達しやすくなるんじゃないかと思うんですが。
木庭健太郎
46
○
木庭健太郎
君 もう
一つ
、最後にお尋ねしますが、
沖縄
に来られて
沖縄
の
産業
というのを見ていただくと、支えているのは
日本
の中でもやはり小さい企業、
日本
では中小企業といいますが、そういった小さな企業が
沖縄
の
経済
なり
産業
を実際は支えております。例えば、観光の面であってみたり、情報通信の面であってみたり。 ただ、先ほどから
お話
をお聞きしておりますと、
大学院大学
が
研究
されることということは、どうも何か大企業というか大きな企業との連携の中では役立つような話になりはしないか。言わば地元のそういう小さい企業に対してもこの
研究
の成果というのがうまくマッチして生きていけば、まさに、先ほどから御指摘があっている
沖縄振興
とか
沖縄
の
自立的発展
についてまさに効果が生み出せる。 そういった意味では、
大学院大学
とこの小さな企業との連携、そして
研究
開発
もあるんでしょうが、そういった関係をどんなふうにお考えになっていらっしゃるか。私は、非常にこれ、地元の中小企業と
大学院大学
がある意味じゃ一体となったような
一つ
の姿が描ければすばらしいものになるんだろうと思いますが、その点についてのお考えを伺って、私の質問を終わりたいと思います。
シドニー・ブレナー
47
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) これもまたお答えがなかなか難しい御質問です。といいますのも、中小企業の大きな問題は、
日本
だけではなく
世界
中において中小企業が大きな
科学研究
をやっていないということです。したがって、その課題を克服していかなければいけないということです。 私
ども
、最も人類の行動にとって重要な
研究
分野
である神経
科学
もやっているわけですから、神経
科学
の
分野
の
研究
によりましてシステムづくりをする、人が使えるシステムづくりなどにつながればと思っています。 ただ、最終的には、例えば、五十名の教授陣で始まる
大学
ですが、MITは一千人も教授を持っています。私
ども
の二十倍の数の教授、教職員を持っているわけでありまして、したがって、私
ども
のような小さな
大学院大学
がすべてを執り行うというのは余りに要求が厳しいのではないかと思う次第です。
木庭健太郎
48
○
木庭健太郎
君 ありがとうございました。
紙智子
49
○紙智子君
日本
共産党の紙智子でございます。 今日は、
ブレナー
先生、御
出席
本当にありがとうございます。ずっと一人に続けてお聞きしているのでお疲れかと思いますけれ
ども
、もう少しよろしくお願いしたいと思います。 それで、御
承知
かと思いますけれ
ども
、
沖縄
には我が国に駐留する在日米軍基地の七割が集中しております。そして、米兵の犯罪も多くて、
沖縄
は大きな基地の負担を負い、そして基地被害を受けています。
沖縄振興
は、こうした基地の現状をなかなか解決し得ないまま整備などにお金を投じているという点では根本的な問題があります。 そういう中でも、
沖縄
は依然として失業率が全国一で、県民の所得は最低
水準
になっております。私
たち
は、この
法案
については賛成するわけですけれ
ども
、やはりそういう
状況
の中でこの
大学院大学
が本当に
沖縄振興
に役立つものかと、役立たせなきゃいけないというふうに思うわけですけれ
ども
、
自立的発展
ということをこれから進めていかなきゃいけないということでは、若干の懸念も持ちながら、やっぱり本当にやるんであれば成功させなきゃいけないという思いなわけです。 それで、先生の御所見を伺いたいわけですが、まず
研究
員の確保の問題で、主任
研究
員の確保、これまで先生が大変御尽力をされてきたということを
承知
しているわけですけれ
ども
、大体五十人くらい目指して現在二十人と。この二十人の
方々
が
沖縄
の
研究
基盤整備機構
のどの点が魅力になって来られているのかということと、逆に主任
研究
員が
沖縄
大学院大学
で
研究
しようということで来るためには障害になっていることがないのか。あるとすればやっぱり取り除かなきゃいけないと思うわけですけれ
ども
、そういうことがないのかどうか。それから、これからの
研究
員の、
研究者
の確保の
取組
についてこれまでと違ったことな
ども
考えておられるのかということについて、
最初
にお伺いします。
シドニー・ブレナー
50
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 私
ども
、よい
機会
を生かしながら採用してきております。一番
最初
の
人たち
を採用するのが最も難しいということでありました。人が入り始めれば、そこから人の輪がつながって、そしてほかの人が入ってくるという連鎖が生まれるからであります。既に十分な
研究者
が確保できたと考えております。ここに既にいる
人たち
がいるからといって、これから多くの人が来てくれると考えております。そういうわけで、新しい
取組
は特に必要ないと考えております。 もちろん、様々な障壁はあります。外国に行って、
文化
とか言語も違うところに行くというのはそれなりに大変なことなわけです。しかしながら、既に来られた方、非常にうまく適応しているんですね。非常に熱心に溶け込もうとしている。我々は、その基本的な社会的なアメニティーを提供しようとしています。例えば、セブンイレブンのお店を設けて、長距離移動しなくても基本的な買物ができるようにするとか、そういったことが必要だと思います。 そして、家族、子供
たち
のことを考えなければなりません。彼らが短期間に
日本
語が学べるように
支援
をしていかなければならない。実際、彼らはうまくそういったことをできていますが、そういった子弟のために
日本
語の教室などを提供しています。また、
日本
人の
方々
に英語の講習も行っています。といいますのも、そういった交流を、
日本
人と外国人の間の交流を進めていかなければならないと考えているからです。 これまで最大の障壁、問題であったのがハウジング、住宅の問題であります。特に学生
たち
がキャンパス内に居住できるようにする、そして
研究
棟に簡単に行って、夜十一時まで
研究
して、長い距離運転しないでも宿舎に帰れるというのが非常に重要でありますが、この問題も解決に向かっております。ですので、完結した
科学
村が確立できると考えております。そして、そこから大きなコミュニティーが将来生まれてくると思っております。 それから、これ、最後にもう一言だけ言わせていただければと思いますが、我々、新しい生活様式、雇用を受け入れていかなければならない。つまり、テクノロジーのリソースが集中していない
沖縄
の
状況
に対応していかなければならない。それは歓迎すべきことだと思うんですね。グリーンケミストリーとかエネルギーの生産などについて、
世界
の考え方がこれから変わってくると思うわけです。また、海洋資源の活用というのも今後重要性を増してくる。そういったところで新しい雇用が将来多く生まれてくるというふうに思います。 というわけで、私は将来に関しては非常に楽観的にとらえております。私は、人間の合理性を信じております。問題は人間
活動
によって解決できると信じております。そういった一般的なコメントを今の御質問に関連する形で述べさせていただきました。
市川一朗
51
○
委員長
(
市川一朗
君) ちょっと速記止めてください。 〔速記中止〕
市川一朗
52
○
委員長
(
市川一朗
君) 速記を起こしてください。
紙智子
53
○紙智子君 それじゃ続けさせていただきます。 この構想をまとめた当時の
尾身
大臣
が、二〇〇二年ころですけれ
ども
、
沖縄
に優秀な先生が来るかどうかのかぎは、給料にもよりますが、情報格差をなくすことだと思います、
沖縄
で情報が収集できず、社会に取り残されてしまうのではないかと心配される教授、先生方が多いということを雑誌で語っておりましたけれ
ども
、こういう心配はなくなったと言えるのでしょうか。
シドニー・ブレナー
54
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 今の質問を明確に理解できたか分かりません。
尾身
大臣
がおっしゃったことが明確でないのかもしれませんが、その情報ギャップというのはどういうことでしょうか、
科学
に付いていけないというのはどういうことでしょうか、そういうことなんでしょうか。
科学
というのは日々学習を続けなければならないというものです。少しでも手を抜けばすぐに遅れてしまうんです。特に、近年、
科学
というのが急速に、また
技術
というのが急速に
発展
をする時代になっています。ということは、常に継続的に自らの更新を図らなければならない、そして最新の情報を入手しなければならないと言えます。将来の
科学
にとって
一つ
問題となり得るのはその点です。つまり、そういった情報をいかにうまく把握して、そしてそれを社会の中で活用していくかということです。これは
世界
的な課題であります。 私がこれまでに学んだことは、
人々
は情報を収集するということ、また、それを配布するということについては功績を認められるけれ
ども
、情報を整理するということについて十分に功績を認められていないと思います。我々の
研究
機関
、その情報を整理するということにも力を入れていきたいと思っています。情報が利用可能な形に整理していきたい。そうでないと、そういった情報は埋もれてしまう、どこかのコンピューターの中に埋もれて活用されないということになると思います。
紙智子
55
○紙智子君 先生は、二〇〇五年の整備
機構
発足式で、最も優秀な若者を引き付けることができる
大学院大学
にしたいと、
日本
は構造的な問題から本来の潜在力を発揮していない、全く新しく始めることで我々のやり方がスタンダードになるようにすると述べられております。
日本
の構造的問題とは具体的にどういうことを言っておられたのか、それは現在変わったのか変わってないのかということについてお聞きしたいと思います。
シドニー・ブレナー
56
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 私の知る限り、基本的なところはまだ変わっていないと思います。 今でも若い
研究者
に十分な地位が与えられていない。例えば、アメリカのアシスタントプロフェッサーあるいは英国のレクチャーシップというような地位が十分に提供されていないというふうに感じます。彼らが自主的な独立した
研究
をする
機会
が少ない。様々な助手としての
仕事
はありますけれ
ども
、そうすると、教授の言うとおりに
研究
をしなければならないということなんですね。
世界
の多くの
機関
で、また特に
日本
の
機関
において、その学部間、部門間で非常に強固な壁があって縦割りの組織になってしまっていて、その学部の中だけで、その部門の中だけで
研究
をするというようになってしまっています。必要な相互作用が生まれないということになっています。
人々
が新しい
アイデア
を生み出すために協力するということが十分になされていないと感じます。
紙智子
57
○紙智子君 ありがとうございます。 では、
沖縄
の
振興
ということにかかわってですけれ
ども
、
沖縄振興
法の中でこの
法案
、位置付けられて進められているわけです。 それで、
沖縄
の歴史の中で、自然
科学
の
研究
と
沖縄
の
産業
とをしっかり結び付けた成功例として
沖縄
県が歓迎しているものにウリミバエの根絶というのがあります。亜熱帯地域の農業ということで虫との闘いが本当に大事で、ニガウリとかスイカとかキュウリなどのウリだけでなくて、トマトやピーマン、パパイヤ、マンゴーなどに付くハエで、この被害が非常に大きくて、被害を受けた果実についてはもう売り物にならないし、人間の食用にならないというので大きな打撃を受けていたわけですけれ
ども
、
沖縄
の当時病害虫の
技術
センター
が
研究
をし、実験をし、殺虫剤を散布するのではなくて不妊のウリミバエを放すことで根絶をしたということで、非常に、何というんでしょうか、
沖縄
の
産業
とのかかわりでいっても成果として評価されているものなわけです。 それで、
研究
成果をすぐに実用できるということが必ずしもいつもそうではないわけですし、それにとらわれずに自由に行うということも大事だと思うんですけれ
ども
、大きな視野で見たときに役に立つということがやっぱり大事で、
ブレナー博士
は、こうしたことに対する、ウリミバエでいいますとどのように評価をされるのかなということと、それから、今後期待される
大学院大学
の
可能性
として
沖縄
の地域特性を生かした
研究
分野
、先ほ
ども
お話
しになっていて、環境
科学
が加わったという話もありましたけれ
ども
、どういうことが期待できるのだろうかと思いますので、それについて
お話
しいただければと思います。
シドニー・ブレナー
58
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 数多くの質問が今の
一つ
の質問に含まれていたと思います。すべてにお答えできるか分かりませんが。
一つ
根本的な考え方として、我々が見ているものは
一つ
のスナップショットであるわけですね。つまり、
施設
を造ると、それに対して
活動
があると、そのある一瞬の
状況
をとらえて考えがちなんですが、すべてこういった
活動
というのは流動的に常に動いているものなんですね。 例えば、
大学院大学
の学生が様々な変化をもたらすかもしれない。
大学
自体が何かをするというのではなくて、学生が変化を生み出すかもしれない。そういった変化を生み出すために必要な十分な
活動
のレベルを維持するということが重要だと思うわけですね。 分子生物学の
研究所
、私がかかわったところですね、長年全く無駄だと批判されました。そこから何も生まれてこないと。分子生物学ではだれも治癒していないではないかと言われたわけですね。でも、だれも殺してもいないではないかと私は反論していたんですが。時間の経過とともに、五十年取り組んできた後、分子生物学というのは様々な
領域
の基礎になっているわけですね。製薬会社にも分子生物学の
研究
部門が置かれるようになったと。
一つ
の
研究所
でそれをやったからというのではなくて、社会的な運動につながったからこそそういった分子生物学が
世界
的に活用されるようになったと言えるわけであります。 そういうわけで、今非常に大胆なコンセプトの下に
取組
を行っているわけであります。
日本
がそういったものに取り組んでいるということは非常に称賛に値することだと思います。それは必ず時の経過とともに結果を生むものと確信しております。
紙智子
59
○紙智子君 もう
一つ
お聞きします。 知的クラスターの形成ということを政府は言っているわけですけれ
ども
、今、
日本
の国内では余りこの知的クラスターということでは成功しているというふうに、そういう例がまだ余り生まれていないというふうに思うわけです。 それで、
沖縄
で知的クラスターを形成していくというために必要な
条件
といいますか、あるとすればそれはどういうことでしょうか。
シドニー・ブレナー
60
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
)
一つ
の必要
条件
と申し上げるのであれば、やはり
人々
がリスクを取ることが必要になると思います。
日本
は、お国柄としてリスクを回避される傾向がある。
日本
の
方々
はリスクを余り取りたがらない。しかし、
科学
的な
研究
は継続的なリスクの連続です。うまくいくかどうかいつも分からないのです。うまくいくと分かっていたら
研究
など必要ありません。リスクがないということです。私
たち
はいつもリスクを取らなければいけない。これを試みてみよう、やってみよう、うまくいけばすばらしい、失敗したらまた違うことをやってみようという態度が必要です。そのような考え方、環境が必要です。 先ほどの発表でも申し上げましたように、変えていく風土が必要です。みんながリスクを取る必要はないんですが、何人かがちゃんとリスクを取っていくことが必要です。クラスターとはそういうものです。
人々
がリスクを冒して
アイデア
を何かに関して進めていくこと、そうすることで世の中変わるかもしれないのです、うまくいけば。でも、その前にはいろんな失敗も想定しておかなければいけません。でも、失敗というのが
日本
では余り許容されないのではないでしょうか、ほかの国に比べると。ですから、私
たち
が学ぶべきは、失敗はしたけれ
ども
、その失敗から学んだ、ですからまた再びやってみようと、そういう態度が必要です。 ですから、
沖縄
ではある意味余り
開発
が進んでいない、ですからそうしたことに余りとらわれない住民性があるかもしれませんので、ある
分野
ではリスクをもっと取れるかもしれません。
紙智子
61
○紙智子君 ありがとうございました。
山内徳信
62
○山内
徳信
君 私は社民党・護憲連合の山内
徳信
でございますが、今日はもう既に各政党の代表の方からたくさん、細かい質問までございましたから、私はちょっと角度を変えて、先生と
文化
論とかあるいは環境論とかあるいは
沖縄
の歴史について少し申し上げておきたいと思います。
最初
に、この
学園
法案
が
衆議院
から参議院へ送付されてまいりました。当初この構想が打ち上げられたときに、一体どうなるんだろうと、このことは。私は、琉球
大学
の敗戦後の建設に向けての動き、あるいは
沖縄
大学
とか国際
大学
とか、そして北の名護市にできました、名桜
大学
ができるわけでございますが、そういう
大学
ができる背景には必ずいろんな
人々
の建設的な、あるいは将来への夢を含めた動きがありました。
沖縄
といいますと、アメリカ軍の基地の七五%が現在もありまして、いつも基地問題で重苦しくて、
沖縄
の青少年
たち
も基地におびえ、米軍におびえておるという
状況
があるわけです。そういう
状況
の中で、重苦しさから解放され、やはり
世界
につながる、国際社会につながるようなそういう構想の
学園
の
法案
がついにできて、ここまで来て、今日は
シドニー
・
ブレナー博士
をお迎えをして、博士の構想だとかあるいは
目的
とかをこの場でお伺いできますことを私は沖北の
委員
の一人として大変感謝をしております。感激いっぱいでございます。 そういう感謝の言葉を申し上げてから、もう余り難しい質問はよしておきまして、今
学園
が立地しようとしておりますところは非常に自然の豊かな、山紫水明、非常に自然の残っておる恩納村でございます。そこに
学園
を建設をしていくということはある面では地の利を得ておると、こういうふうに思っております。 そこで、博士の
研究
されておる専門
分野
とは少し違うのかもしれませんが、
沖縄
はかつて琉球王国と言われたところです。その琉球王国の時代から今日まで、
沖縄
の人は
世界
に羽ばたいていって、
世界
の
中心
は琉球であると、
沖縄
であると。私は今でも読谷村の青年
たち
の新年の集いでは、
世界
の
中心
は読谷であると、こう言うんです。こういうことを申し上げるわけでありますが。 それで、そういう
世界
観を持っていた
沖縄
の象徴的な城は首里城でありますが、首里城を訪問された、あるいは観光として見学に行かれたことございますでしょうか、お伺いいたします。
シドニー・ブレナー
63
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) いえ、ちょっと観光などの時間は
沖縄
に赴く際ございませんで、残念ながら首里城は見ておりません、訪れておりません。
山内徳信
64
○山内
徳信
君 観光はやはり単なる表を見るという営みじゃなくして、観光は
文化
なんです、
文化
。先生の専門的な
研究
されておるのも
文化
なんです、大きい概念で見ますと。是非、日々
御苦労
が続いて、とてもそういう一般的に言う観光をする時間はないんだろうと思いますが、首里城行かれなくても、
学園
が建設されようというところから少し北の方に行きますと、きれいな石積みのホテルがございますね、万国津梁館というんです。そこは行かれたことございませんですか。
シドニー・ブレナー
65
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) ええ、行ったことがあります。はい、参りました。
山内徳信
66
○山内
徳信
君 そこは、万国津梁という言葉は、万国に、アジア、具体的には当時の朝鮮半島、中国、東南アジア含めて、
日本
本土含めて、そこの
中心
は当時の琉球、今の
沖縄
であると、こういうふうに言われておるんですね。それからあやかって万国津梁館というあの立派なホテルの名前になっているわけです。 したがって、その近くに立地するこの
学園
は、私は、万国津梁というこの発想と同じように、やはり
沖縄
の
自立発展
だけに貢献するものではなくして、国際社会に、
世界
に羽ばたいていくようなそういう学問、そういうものに貢献をしたいと、この
二つ
が大きな
目標
になっておるわけですね。 したがって、是非、この万国津梁館に行かれますときには、そこの関係者に少しお尋ねしてみたら面白いと思います。そうすると、博士が今進めていらっしゃる国際社会に貢献できるようなという、
分野
は違うのかもしれませんが、やはり根っこの方で国際社会に貢献できる、
沖縄
というところに造るけれ
ども
、
日本
はもとより
世界
に通ずるような、そういう国際的なやはり学問や
技術
その他を育てていきたいと、こういうものに相通じていくんだろうと、こういうふうに思います。 どういうふうな、私の今
文化
論を申し上げたんですが、博士のお気持ちを伺っておきたいと思います。
シドニー・ブレナー
67
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) 私の考えでは、
科学
ではある意味矛盾する気質を持った人間が必要です。ある
段階
では、非常に素直にオープンな考えを持っていて幅広い関心を抱かなければいけない、いろんな
アイデア
をいろいろと考えられる、いろんな方向で考えられる人が必要です。しかし、ある
段階
では、一方向に決めてひたすら真っすぐにそれを追求し、自分の考えを証明しなければなりません。場合によってはれんがの厚い壁も乗り越えなければいけないわけです。両方できる人は数多くありません。この
二つ
の極端な相矛盾する気質を併せ持った人は少ないのです。しかし、それが必要なんです。 したがって、広範な視点と、それから、何かこれと決めたらばそれに重点的に取り組める人、で、重点的に取り組めて初めて成果が出るのです。これが最も重要な特徴の
一つ
、性格の
一つ
だと思います。 まあ学生は気付いていないかもしれませんけれ
ども
、彼らは貢献しているのです。この惑星で人類が今までつくってきた最大の宝、すなわち私
たち
の
世界
における合理性、合理的な考えのシステムづくり、それに
科学
は寄与をしてきたわけでありまして、
研究者
はそれを意識する必要があります。この国がどうとか、この都市がどうとか、あるいはこの時代がどうということではありません。時代というのは連続的なものです。ですから、どこで
研究
をやっていても関係ないのです。
世界
につながっているからです。そして、
世界
の中から私
たち
は確固たる地位を確立していくつもりです。それが私の考えです。
一つ
だけ追加して申し上げますと、私がこのポストに就く前、いつもノーベル賞を受賞して後悔したことがあるとすれば、OISTの、
基盤整備機構
の
理事長
になってしまったわけですけれ
ども
、果たしてそれで良かったのか分かりませんが、とにかくこのポストに就任する前に
沖縄
の歴史に関する本を読ませていただきました。非常に興味深いものがございました。琉球王国など、それから独立した
文化
を何世紀にもわたって持っていたということは、狭い知識ながら知っていたんです。そして、アメリカの植民地になりかけたこともあると。ペリー提督が来た際が一回目、それから大戦後が二回目、危うく植民地になりかけたということも知りました。
沖縄
は
日本
の一部でありますが、独自のアイデンティティーを持っています。それは、歴史あるいは地理的な位置によって
規定
されているものであります。それを評価すべきであります。実際にそこで
研究
をすることになる
人たち
もそのことは非常に高く評価するだろうと思います。 今の一般的な御質問に対してこれ以上付け加えることはありませんが、ただもう一点だけ強調したいことがありまして、過去の、二〇〇四年からのこれまでの経緯を振り返りますと、
日本
はこういったことを成し遂げてきたのだと、
日本
の国民、
日本
の政府は自分
たち
の将来のためにこういった
取組
をされてきたのだと、皆さんの夢を成し遂げるために私
たち
はお手伝いをしているにすぎない、
沖縄
に全く新しい、全くこれまでと違うものをつくるという夢を
実現
するお手伝いをしているにすぎないと感じます。
山内徳信
68
○山内
徳信
君 最後に
一つ
、博士の、外から見た人の
沖縄
というのをお伺いしたいんですが。 実は、フランスのナポレオンがエルバ島でしたか、そこに島流しをされていたときに、当時、イギリスの大航海者がおりまして、バシル・ホールというのがおるんです。彼が当時の
沖縄
を見て、
沖縄
の
人々
の生き様を見て、イギリスに帰りながらナポレオンに会いまして、当時の
沖縄
の話をするんです。この地球上にそんな国があるのか、想像できないと。やはりナポレオンというと、ああいう、何といいますか、戦争が好きといえば戦争が好きな征服欲のある人でしたから、彼から見ると、当時の琉球王国はもう想像できなかったと言われておるわけです。 そこで、イギリスとかオーストラリアとかアメリカの生活をされた博士の立場から、この今の
沖縄
というのはどういうふうに映っておるんでしょうか。あるいは、やはり少なくとも、基地の島とも言われておるわけですが、それを乗り越えていく、やはり私は新しい学問の動き、
科学
の動き、学問であり
科学
だからこそ、
科学
や学問や
文化
には国境という壁はないわけです。そういう意味で、
沖縄
県の恩納村の山紫水明、自然豊かな
場所
に立地をする、そしてこれは同時に、
日本
全体のために、あるいは国際社会のために大きく貢献をしていく、するために
努力
する、その
基盤
をつくるために博士は
沖縄
に来られた。その博士から見て、今の
沖縄
の現実あるいは将来への
可能性
を含めて、お考えを少しお聞かせいただきたいと思います。
シドニー・ブレナー
69
○
参考人
(
シドニー
・
ブレナー
君)(
通訳
) まず、私は非常に小さな町、南アフリカの小さな町で育ちました。決して先進国、先進的な社会ではありませんでした。そして、私が
科学
に関心を持ったのは、非常に若いときでしたけれ
ども
、本を読むことによって
科学
に関心を持つようになったわけです。
人々
に刺激を与えるのに最も重要なことの
一つ
は
世界
のことを学ぶ
機会
を与えるということです。本を読んだり人から話を聞いたりして
世界
のことを学ぶというのが重要だと思います。私もそれによって大きな
可能性
が広がりました。非常に不思議な夢のような人生でありました。
科学者
になるとは、南アフリカの小さな町で育っていた子供には想像も付きませんでした。 もちろんその後、欧州、米国、英国、いろいろな国で過ごしてきましたけれ
ども
、実は
沖縄
のようなところというのは
世界
中にあるんです。つまり、
開発
がそれほど進んでいないというような特徴を持っているところというのはたくさんあるわけです。そして、その歴史というのはその土地に大きな
影響
を与えるというのはあると思うわけですね。ただ、我々の力ではできませんが、そこのところは必要に応じて変えていかなければならない、
世界
が変化するのに合わせて変えていくべきところは変えていかなければならないと思います。
一つ
だけコメントしたいと思います。
沖縄
に来てどう感じるかということですが、
沖縄
に国際空港があってほしいというふうに思います。
沖縄
に来るのに関西とか成田を経由して、いったん北に行ってまた南の方に戻るということをしないで済むようになればどんなにすばらしいだろうかと思います。そういうわけで、
沖縄
というのはもっと
世界
のいろいろな地域とつながっていく必要があると思います。我々のこの
大学
ができることによってそういった国際的なつながりが増えていくかもしれないと思います。この地域の中でのそういったつながりも強化できるのではないかというふうに考えております。 以上でお答えとさせていただきます。
山内徳信
70
○山内
徳信
君 ありがとうございました。 終わります。
市川一朗
71
○
委員長
(
市川一朗
君)
参考人
に対する
質疑
はこの程度にとどめます。 この際、一言御礼を申し上げます。
ブレナー参考人
には、長時間にわたり大変有意義な御
意見
をお述べいただき、誠にありがとうございました。
委員会
を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手) 本日はこれにて散会いたします。 午後二時四十九分散会