○重野
委員 説明を整理しますと、結局、過疎過密という概念からしますと、過疎
地域における学校の状況というのはマイナスに振れてくる、逆に、都市部の人口がどんどんふえている、あるいは児童数がふえている、そういう
地域における
部分というのはプラスに振れるということだろうと思うんです。
しかし、私は、実態に合わせて単位費用を変えていくということは、現状をどういうふうに持っていくのかという思想に乏しいと。つまり、現状を追認し、それに合わせて予算を組んでいくということになり、現状をどうするかという方向性というものがその限りにおいては見えてこないんだな、こういうふうに言わなければなりません。
であるとすれば、
地方の過疎
地域における状況というのは、加速することはあっても、それに歯どめがかかり、反転、上向いていくという展望というのはこの限りにおいて見えてこない、こういうふうに言えると思うんですね。
それがこの間続いてきて、私どもが小学校に行っていた
時代、今はもう臼杵市に
合併して臼杵市となりましたけれども、その前は野津町だったんですが、野津町というのは五つの村が
合併して野津町になった。その五つの町に、僕らの
時代というのは間違いなく全部に小学校があり、全部に中学校があった。今進めている学校の統廃合が進めば、将来、野津町に小学校は一校、中学校も一校になる、こういう状況なんですね。
これもその限りにおいては、私どものそういう住む町において、学校がふえてくるあるいは今の学校数が維持できるという展望はほとんど見えてこない。その結果、どういうことが起こっているかというと、小学校の子供
たちが大きなかばんを持って一時間も歩いて学校に通学しなきゃならぬ。そういう現状です。
歩いて学校に通うということが、いかなる教育的見地から見て効果があるのかないのかなんていうのは私はよくわかりませんけれども、やはり歩いて学校に通う距離というのは適正なものがあるんじゃないか。
そうすると、野津町に一校の小学校となるというときに、今一番人口が多い、昔の野津市村なんですけれども、そこと他の村の、私の村の一番端の距離は、それは一時間どころではないです、もっと時間がかかるんですね。この町の者は十分か十五分でほぼ皆行ける、これはどうなるのかということが、その
地域において問題として出てくるんですね。
そして、機械的に、昔のある小中学校を
合併後、廃校になった学校の跡地はどこもそのままです。もうグラウンドに草はぼうぼう生えて、そこに昔の校舎が建っておる。本当に、幽霊屋敷じゃありませんけれども、そんな姿があっちこっちに出てくるわけですね。だから、この学校再編の過程の中で、そういう
部分もどう加味されて新たな学校の配置というものがなされるのかという点、これは真剣に議論しないと問題があると私は思うんですね。
そういう
意味では、学級数、学級の定員がこういうふうな形でマイナスに振れてくるということは、ずっと追っていくと、そこに行き着くんですね。そこら辺も踏まえてやはり財政的な措置というものが同時になされていかないと、
地方の子供と町の子供というのは何でこんなに差があるのと、こんなことを言う子が出てくるかもしれない。それほど今の人口の減少傾向のもたらす現実というのは厳しいものがあると私は思うんですね。
そういうものに対する認識、あるいはそういうときにどう対応していくのかという思想、それはどういうふうに思っているのか、それを聞きたい。