○市村
委員 民主党の市村でございます。
三十五分いただきまして、この
科学技術大学院大学についていろいろ議論をさせていただきたいと
思います。
私は、今日の
沖縄と言われている場所は、江戸時代の琉球、そして薩摩との関係、明治以降における国民国家
日本という中での
あり方、第二次
世界大戦中の大変不幸な出来事、戦後の占領、返還、そして今日ということにかんがみますと、いわゆる琉球の文化、今日における
日本という国民国家の文化、そしてアメリカという文化を融合させつつある場所、いろいろ不幸なこともあったわけでありますが、そういうふうに積極的にとらえるべきではないかと
思います。
今日、そこにこうした
大学院大学をつくろうというふうに話が持ち上がっているということは、この
大学院大学は大変使命を帯びた機関でなければならないというふうに私は
思います。しかも、これだけのお金を国がつぎ込む。これは国民の税金でありまして、これだけのお金をつぎ込むのであれば、先ほどからありますように、加藤
委員もおっしゃっていましたが、やはり覚悟を持ってやっていくということが原点になければならないというふうに思っております。
そこで、先日私も視察ということで、二回目になりますけれ
ども、現地に行ってまいりました。最初のときは何もない、本当にここにつくるんですよというだけのところでしたが、この間参りましたときは、第一号館、メーンの場所が七割ぐらいでしょうか、完成をしているという状況でありました。すばらしい
環境で、すばらしい
施設であります。
私は、最初この話を伺ったときは、まずは人じゃないかと私はいつも思っておりますので、そういう
施設だけつくって本当にうまくいくのかなと。先ほど議論にもありましたけれ
ども、本当にうまくいくのかなという
思いもありますし、実は今でもそういうふうな
思いを持っておるんです。だからこそ、きょうはここでさまざまお話をさせていただく中で、
政府の覚悟、国の覚悟というものをより固めていただきたいと思うわけであります。
まず、これはすばらしい仏だと
思います。しかし、ここに魂を入れていかなくちゃいけないということであります。
そこで、私が
一つ議論したいのは、実はこの
沖縄科学技術大学院大学学園法という、この十四文字の中に学ぶという字が四回出てくるのでありまして、この学というものは一体何なのかということが大変重要だというふうに思っております。
実は、私もこの学ぶという字を大変大切にしてきておるわけでありますが、私
自身の経験の中で最も印象に残った
授業というのは、残念ながら
学校での
授業じゃないんです。もちろん
学校の
授業も、楽しい
授業、大変ためになる
授業がたくさんありました。ところが、私が今でも一番記憶に残っている
授業は、一年浪人しまして学習塾に行っておったわけでありますけれ
ども、そこでの
授業でもないんです。何かというと、
授業が終わった後に、その
先生がプライベートにやってくれた
授業というか時間があったんです。
何をやったかというと、論語の輪読です。まさに論語の最初は何か。「学びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや。」と始まるわけであります。そして、その学ぶという字の解説に何とどれだけ時間をかけたかということなんです。学ぶとは何だということに時間をかけたんです。
まずは、学という漢字はどういう漢字なのかということなんですね。学という漢字は、本当はもともと学の横には父という言葉がついていたんです。今、父がのけておるんですけれ
ども。結局、あれは社で
子供たちに父親が、この場合の父親は長老なんです、長老が教えているというか語っているわけです。
日本では、「学」に「まなぶ」という字を当てました。これはまねぶ、まねるんですね、まねるということから来ております。すなわち、新しい、新規なものは当然大切なんですが、なかなかそう簡単に新しいものがぽんぽんぽんぽん出てくるものではないということだと
思います。
例えば、先日、
同僚議員のパーティーに行きますと、改める会だと言うんですね。改めるというのは、改革するというだけじゃなくて、年を改めるというように、単に変えるんじゃなくて、また原点に戻ってもう一回スタートだと。こういう
意味でもある。
すなわち、新しいものがぽんぽんぽんぽん出てくるわけじゃないんです。やはり先人が得た知恵、そういう本当にいいものに学んでいく。そして、そういう学びの心を持てるように長老たちが、これは現代的にはお母さんでもお父さんでもいいと
思います、いわゆる大人が
子供たちにそういう学ぶという気持ち、学ぶとは何ぞやということを教えていくことだというふうに私は思っておるわけであります。
それを忘れているのが今日の
学校じゃないかと私は思っています。
学校なんですよ。学ぶところ、
学校というところが、まさに学という言葉を用いながら、学ぶということの何であるかということがまだ学ばれていないというふうに思っていまして、そのことを教えてくれたのが、浪人中の、
授業ではなくてその後の
先生の志でやっていただいた時間だったというわけであります。
ですから、今回、学園と名づけたのは、ひょっとしたら、放送
大学学園だからこれも学園にしようかなという
程度の話かもしれません。そうじゃないと信じたいわけですが、とにかく、この法の十四文字の中に学が四回も出てきているということを私は大切に考えていかなければならない。
特に、せっかくつくるんですから、そうした魂を持ってほしい、学ぶとは何ぞやという魂を持ってほしいと私は思っているわけでありますが、
大臣から一言、私は、
大臣の
思いを受けとめたい、国の決意も覚悟も決めてお話をいただきたいと
思います。
〔三井
委員長代理退席、
委員長着席〕