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2008-02-27 第169回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十年二月二十七日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  二月二十日     辞任         補欠選任         大島九州男君     藤原 良信君      平山 幸司君     中谷 智司君  二月二十一日     辞任         補欠選任         川合 孝典君     舟山 康江君  二月二十六日     辞任         補欠選任         姫井由美子君     牧山ひろえ君      藤原 良信君     平山 幸司君  二月二十七日     辞任         補欠選任         亀井亜紀子君     川崎  稔君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         矢野 哲朗君     理 事                 佐藤 公治君                 広田  一君                 藤本 祐司君                 愛知 治郎君                 加納 時男君                 松 あきら君     委 員                 犬塚 直史君                 加賀谷 健君                 亀井亜紀子君                 川崎  稔君                 小林 正夫君                 友近 聡朗君                 中谷 智司君                 平山 幸司君                 舟山 康江君                 牧山ひろえ君                 増子 輝彦君                 石井 準一君                 佐藤 信秋君                 長谷川大紋君                 橋本 聖子君                 森 まさこ君                 澤  雄二君                 大門実紀史君    事務局側        第二特別調査室        長        今井 富郎君    参考人        明治大学農学部        教授       小田切徳美君        地域生活圏研究        所代表      中谷健太郎君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民生活経済に関する調査  (「幸福度の高い社会構築」のうち、都市と  地方くらし現状課題について)     ─────────────
  2. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ただいまから国民生活経済に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、大島九州男君、川合孝典君及び姫井由美子君が委員辞任され、その補欠として中谷智司君、舟山康江君及び牧山ひろえ君が選任されました。     ─────────────
  3. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 国民生活経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会構築」のうち、都市地方くらし現状課題について参考人からの意見聴取を行います。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、明治大学農学部教授小田切徳美君及び地域生活圏研究所代表中谷健太郎君御両人に御出席をいただいております。  この際、参考人一言ごあいさつを申し上げたいと思います。  大変御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会構築」のうち、都市地方くらし現状課題について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査参考にさせていただきたいと思っています。よろしく御協力のほどお願いを申し上げます。  議事の進め方でありますけれども、まず、小田切参考人中谷参考人の順にお一人三十分程度で御意見をお述べいただきます。その後、一時間程度委員からの質疑にお答えをいただきたいと思います。いったん区切りを付けまして、その後約一時間内ということで、委員間のそれぞれの意見交換を行いたいと存じます。その際、随時、参考人の方々の御意見も伺うこともございます。あらかじめ御承知をいただきたいと思います。  なお、御発言は着席のままで結構であります。  それでは、まず小田切参考人からお願いを申し上げます。
  4. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 明治大学小田切でございます。このような場をつくっていただきまして大変ありがとうございます。  私は、農山村の暮らし実態課題ということでお話をさせていただきたいと思います。お手元に今日の私の話のいわゆるレジュメがございますので、これに沿う形でお話をさせていただきたいと思います。  まず、全般的な話でございますが、実は農山村、今大きな課題を抱えております。このことは当然委員先生方御存じのとおりでございますが、しかし、短期的に申し上げれば、二〇一〇年が非常に大きな一つ節目になるというふうに私は考えております。  二〇一〇年というのは、実はインパクトとしては三つございます。一つは、過疎法の失効でございます。もう一つは、中山間地域等直接支払制度、これは現在第二期対策まで来ておりますが、これが第二期対策を終えて三期対策があるのかどうか、そういう議論のただ中にあります。そして、三番目は、合併特例法がやはり失効します。更に新しい合併対策が登場するのかどうか、それもこの二〇一〇年に言わば一つの決着が付くということだろうと思います。  そして、更に言えば、重要な契機となるのが、御存じのように、日本農山村を支えていたのはいわゆる昭和一けた世代でございます。二〇一〇年前後にこの昭和一けた世代後期高齢者にすべて移行します。つまり、支えるサイドから支えられるサイドに変わっていくのがちょうどこの時期でございます。その意味で、二〇一〇年を節目として日本農山村はこの時期を乗り越えなければ大変大きなダメージを受けることになるんだろうと、そんなふうに考えております。  ただし、それと同時に非常に期待すべき動きも存在しております。まだまだ小さな動きではございますが、援農NPO、農業を手伝う、あるいは森林ボランティア、そういったボランティアなりNPO動きが活発化しております。特に、若い女性がこういうものに盛んに参加しているという実態がございます。それと同じことですが、学生ボランティア活動も活発化しております。私ども大学教育現場にいて、学生が今の農山村を何とかしなくてはいけない、言わばその義憤に駆られているといいましょうか、そういう思いを非常に強めて具体的な行動も起こし始めております。そして三番目は、企業CSR活動でございます。様々な企業社会的貢献ということで一つのターゲットとして農山村を考え始めております。例えば、企業によっては社員総出で棚田の草刈りを始めたような、そんな企業も登場しております。  先ほど申し上げたような負のインパクト、そして今申し上げたような前向きなインパクト、この言わば綱引きがちょうど行われている、そんなふうに考えてよろしいんではないかというふうに思います。  さて、少し細かい話、特にいただきました暮らし実態そして課題ということについて細かい話を次からしてみたいと思います。  今、農山村では四つの大きな変化が訪れているというのが私の考え方でございます。  一つは、空洞化の進行とその広がりでございます。この点は、特にいわゆる中山間地域を念頭に置けば御理解いただけるかと思いますが、その空洞化方向性について私は三つ空洞化という表現をしております。人の空洞化、土地の空洞化、ムラの空洞化、この三つ空洞化が中山間地域に段階的に押し寄せております。  しかし、実はそれだけではなく、この三つ空洞化はいずれも現象面でございますが、それを深部から規定しているのが、私の言葉によれば、誇り空洞化、つまりそこに住む人々がそこに住む誇りと自信と、そして価値を見出し得ないようなそういう状況が生まれております。もっとはっきり申し上げますと、そこに住む親世代子供世代に対して、こんなところに住んでなくて外に出ていけということを露骨に言ってしまうようなそういう実態、これを私は誇り空洞化というふうに呼んでいるわけなんですが、こういったものが農山村に押し寄せてきている、そんなふうに理解しているわけでございます。  ただし、先ほど中山間地域中心にということを申し上げたわけなんですが、最近の傾向、特に世紀の変わり目辺りでしょうか、こういった空洞化農山村のみではなくむしろそのふもと地方中小都市をのみ込み始めているという、そんな実態認識を持っております。これを空洞化里下り現象というふうに私ども呼んでおります。恐らく、現在の空洞化フロンティアは、人口でいえば三万から五万程度地方中小都市、ここが空洞化フロンティアになっているんではないか、そんな実態認識も持っているわけでございます。  その点で、直後に申し上げますように、限界集落の問題、様々議論されておりますが、限界集落の問題だけ議論対策を打ってもほとんど意味がないというふうに私は考えております。むしろ、地方中小都市も含めたこの圏域で、広域の中で議論を展開し、また対策を考えることが重要でないかと、そのように考えるわけでございます。  二番目の変化は、今申し上げましたいわゆる集落限界集落化でございます。言ってみれば、空洞化の起点、スタートラインにこういったかなり深刻な問題が生じているというふうに、この問題は昨今はテレビ、新聞等でも言われておりまして、先生方御存じのとおりでございます。  この限界集落の動向について見ますと、一昨年、国土庁と総務省が共同で過疎地域集落調査を行いました。この集落調査の結果、過疎地域の六万二千の集落のうち二千六百四十余り、つまり四%余りが将来的に消滅可能性があるという、そういう結果が出ておりますが、しかしこの四%という数字は言わば薄められた数字でございます。過疎地域の中にも役場周辺の言わば都市化が進んだ集落も存在しております。あるいは比較的条件がいい集落も存在しております。  そういう意味で、山村部に限定してその数字を見てみれば、これはあくまでもある県の数字でございますが、一二%余り空洞化消滅可能性がある。さらに、この集落の中で地形的に行き止まりという、言わば行き止まり集落を見てみると、その値は三七%まで増加してきます。この限界集落については、最近は水源の里などという呼び換えも行われております。まさに水利の最上流部ということになるわけですが、その最上流部では四割の集落で将来的に消滅可能性があるという、そんな結果が出ているわけでございます。  三番目の変化は、農村地域における農家世帯所得減少でございます。格差問題がこれだけ言われております。当然農村部、その格差が非常に大きくなっているという実態もあるわけでございますが、その数字を改めて確認してみると、我々が思っている以上の数字が出てまいっております。  具体的に申し上げれば、統計的には残念ながら二〇〇三年までの数字しか拾うことはできません。九八年から二〇〇三年までの農家世帯所得減少を見れば、農家合計ではこの五年間で一二%の減少が見られます。そして、実はその減少をリードしているのは副業的農家、かつての兼業農家高齢農家でございます。こういう世帯でのむしろ所得減少が大きい。しかも、農外所得に限定して見れば、その減少幅は二一%。二〇%以上の減少が見られるという、少なくとも農水省の統計はそういう事実を明らかにしているということでございます。そういう意味で、今調査会のメーンテーマであります生活という面においては、その所得において農山村において大きな困難が生じていること、そのことを改めて確認してみたいと思います。  そして、四番目の変化でございますが、今日の中谷さんからも恐らく御発言があると思いますが、市町村合併影響でございます。市町村合併御存じのように農山村を中心に行われているのは先生方御存じのとおりでございますが、その結果生じてきたのがいわゆるマンモス自治体形成でございます。具体的な市町村名を申し上げることは差し控えたいというふうに思いますが、例えばそのマンモス度合い集落の数、それで測ってみれば、集落の数が五百を超えるような市町村日本全国幾つも生まれております。そういう意味では、なかなか市町村の目が行き届かないような、そういった自治体が形式的には生まれているということが言えるんだろうと思います。  その点で、私ども見えづらい農山村という問題提起を行っております。農山村の実態がなかなか見えづらくなっている。どういう問題が起こっているのか、その問題把握すら市町村ができづらくなっている。そのこともあって、国レベルにおいても同様にその問題の焦点をつかみづらくなっているという実態が発生しているんではないか、そのように私は把握しております。  こういった四つ変化がまさに農山村の暮らし生活影響を与えているということでございます。  その上で、それではどうしたらよいのか。少し踏み込んだ論点になりますが、私なりに考えていることを五つほど論じさせていただきたいと思います。  まず第一点目は、農山村における新しいコミュニティー形成論点となっているのではないか、そのように考えております。事実、農山村ではこの新しいコミュニティー形成市町村合併影響も相まってここ数年急速に進んでおります。このコミュニティーは、例えば地域振興会とか自治振興区とかあるいはまちづくり委員会などという、そういう名称で呼ばれていることが少なくありません。  そして、市町村合併影響を受けて特に西日本で顕著であります。広島、島根、山口など、そういう県ではこの新しいコミュニティー形成が最近とみに増しているというふうに考えております。  この意義を一言で申し上げれば、市町村合併によって団体自治広域化していく中でそれを埋める形で住民自治が強化されているということで、私ども仲間ではこれを小さな自治形成というふうに呼んでおります。  その地域範囲でございますが、集落とかあるいは町内会とか、そういった伝統的な範囲だけではなく、むしろそれを乗り越えた広域範囲、例えば昭和合併の旧村とか大字とかあるいは小学校区でこの新しいコミュニティーをつくり上げるという、そんな動きも出てきているわけでございます。もちろんこれは農山村を典型的に申し上げておりますが、しかしこの動きは必ずしも農山村だけではありません。都市部においても、町内会の再編という形でこういった新しいコミュニティーが生まれていることも申し上げてみたいと思います。  こういったコミュニティー性格につきまして、私自身は四点ほどの把握をしております。  一つ総合性でございます。こういったコミュニティーが文字どおり小さな自治、あるいは人によっては小さな役場というふうに呼んでおりますが、福祉から経済からそして教育から非常に総合的な活動をしております。  そして、二番目の性格は二面性であります。特に、これは農山村の新しいコミュニティー特徴でございますが、自治組織でありながら経済組織側面を持っています。  そして、三番目は補完性であります。集落をあるいは町内会を守りの自治の主体とすれば、この新しいコミュニティーは言ってみれば攻め自治、なかなか町内会集落でできないこと、先ほど申し上げた福祉あるいは経済活動、この経済活動の中には、例えばこのコミュニティーがガソリンスタンドを経営するという実態も生まれております。あるいは商店を経営するという実態も生まれております。こういったなかなか今までの集落などではできなかった、そういった攻め試みが行われているということであります。  そして、四番目は革新性であります。こういったことを行うために、その意思決定に様々な新しい試みが導入されております。伝統的なコミュニティー、一戸一票制、一人の世帯から一人が参加するという、そういう特徴があったわけでございますが、そうではなく、女性若者参加できるような、そんな仕組みをつくり上げているのが特徴でございまして、そのことによって先ほど申し上げたような積極的な活動の基盤としている、そんなことを特徴として挙げることができるんだろうと思います。  総じて言えば、住民当事者意識を持って地域仲間と共に手作りで自らの未来を切り開くという積極的な展開でございまして、こういった組織を私は手作り自治区というふうに呼んでおります。こんな新しいコミュニティーが生まれている。こういった新しいコミュニティーを政策的にもいかに支えることができるのか、あるいはその形成を促進することができるのか、第一番目の論点だろうというふうに思っております。  第二番目は、やはり農山村の暮らしを支える経済の再建が必要になるんだろうと思います。  その点で私は四つ経済を提案しております。  一つは、六次産業型経済であります。この六次産業という言葉は最近では一般的な言葉になっておりますが、農林産物を作る一次産業だけではなく、それを加工し、販売する、二次産業、三次産業をも併せ持って経済活動を展開していく。つまり、一掛ける二掛ける三で六次産業ということがしばしば言われております。  二番目は、交流産業型経済であります。グリーンツーリズムというふうに言ってもよろしいかと思います。ただし、この交流産業というのは単なる産業ではございません。これはホストもゲストもお互いに成長するような、言わば社会教育的な側面を持っております。そうであるために、大変リピーター率が高いという特徴があります。大分県の旧安心院町、グリーンツーリズムのメッカでございますが、この特徴リピーター率が高いということでございます。そういう意味で、交流産業型経済は、社会教育的側面を持っているがゆえに、産業としての可能性あるいは二十一世紀のメーンの産業としての可能性さえ存在しているというふうに私は思っております。  そして、三番目は地域資源保全型経済でございます。地域資源活用型経済ということが最近は言われておりますが、それだけでは不十分なんだろうと思います。消費者の今やニーズはその商品に対して共感が持てることが前提となり始めております。共感を持って、そしてその共感の背後には商品物語があるということが重要になっております。その点で、地域資源を保全しているという、そういう物語商品に付与されたときに恐らくその商品が持続的に売れ続ける、そういうことになっていくんだろうと思います。  そして、四番目は小さな経済でございます。私ども農山村を歩いて調査して感じることは、確かに先ほど申し上げたように所得減少しているということでございますが、しかしそこで望んでいる所得は必ずしも多いものではありません。例えばアンケートによって、一月当たりどのぐらいの追加所得が必要ですかというふうなアンケートを取りますと、特に高齢者、六十以上の高齢者は実にささやかな三万円から五万円という、そういう数字を出してくることが少なくありません。これは年間所得に直せば三十六万円から六十万円であります。恐らくこの三十六万円から六十万円という小さな経済をどれだけ多く、そして安定的に農村の中に築き上げることができるのか、言わば小さな経済をどれほど構築することができるのかという、このことが農村部論点となっているんだろうと思います。  実は、同じことは都市オールドニュータウンなどというふうに呼ばれております郊外型団地でも焦点となっております。そこでも同様に、小さな経済をそういう地域において安定的に確立するということが課題となっているんだろうと思います。  この四つ経済を実現することが、恐らく今後の農山村における暮らしを支える前提となるんではないか、そのように思うわけでございます。  三番目の論点でございます。  先ほど申し上げましたように、農山村の空洞化は必ずしも中山間地域あるいは農山村のみでとどまっているものではありません。これは言わばふもと中小都市まで押し寄せてきております。その意味で、地方中小都市地域拠点としての再生というものが論点となっているんだろうと思います。当然、その中心的な都市機能は今課題となっております教育、医療であります。そして、それに加えて日常的な買物で提供されるような商品の提供ということも論点となっているんだろうと思います。  いずれにしても、こういう都市機能を考えるときには、抽象レベルで考えるのではなく、特に若者が残ることができるような、それを支えることができるような都市機能というのは一体何なのかという、そんなことから考えることが必要なんだろうと思います。  そういう点で、私どもよく歩いております例えば中国地方中国山地で見ていきますと、現在中国山地映画館が残っているのは岡山県の津山市のみでありまして、中国地方にはそれ以外数多くの中小都市が存在しております。人口数万人規模の都市が残っているわけでございますが、少なくとも統計で見る限りは、映画館はこれらの地域にはほとんどなくなっているという実態があります。そのために、映画を見るためには広島に出ていく、松江に出ていくという、そういう実態があるわけでございます。  一方では、中谷先生のところもそうだと思いますが、ある山村では小さな映画館が残ることによってその映画館都市から人が来る、若者が見に来るという、そういう実態も存在しているわけでございまして、そういう意味で、たまたま今映画館ということを都市機能として、その代表として掲げましたが、今のように具体的にいかなる都市機能が必要なのか、そういう考察をして、そして地方中小都市にそういうものを築き上げていくということが必要になっているんだろう、そんなふうに思うわけでございます。  そして、第四番目の論点は、暮らし再生体系化でございます。  今申し上げましたように、様々な論点が求められております。あるいは政策対応が求められております。しかし、現場において住民の声を聞くと、安心して、楽しく、少し豊かに、そして誇りを持って暮らす、これが住民願いでございます。例えば、所得増大とか雇用機会増大とか福祉機能安定化と抽象的な言葉で表現されているのではなく、先ほども申し上げましたように、このように安心して、楽しく、少し豊かに、そして誇りを持って暮らすというふうに具体的に住民願いを持っております。こういったことにこたえるような施策の体系化が求められているんだろうと思います。  その点について言えば、今までは市町村のマスタープランは、その少なくない数が都市の大手のコンサルなどが作ったり、そういう意味では思い付き的であったりあるいはごろ合わせ的であったりとか、そういうものが少なくなかったというふうに思っております。その意味で戦略的な体系化が今必要とされている、そして現実に多くの地域はその戦略的な体系化を心あるコンサルと共に考え出し、そして今実践をし始めております。  それを私なりに理解すれば、三つの柱が立っているんだろうと思います。  参加の場をつくる場づくりであります。これは住民参加をしていくような、そういう新しいコミュニティーをつくるというふうに理解してみたいと思います。その点で、先ほど申し上げました手作り自治区の構築、これが一つの戦略として重要になっております。  二番目は、金とその循環をつくるという地域づくりであります。これは地域づくり条件というふうに言ってよろしいかと思います。先ほど申し上げました四つ経済の実現というのがそれに相当します。  そして、三番目は暮らしの物差しづくりでございます。冒頭申し上げましたように、地方の最大の問題、あるいは根源的な問題は誇り空洞化でございます。この誇り空洞化を払拭して、あるいはそれと言わば対抗していくような暮らしの物差しを一人一人がつくっていくことが重要になっていく、その意味では主体づくりであります。  この三つの柱、参加場づくり暮らしの物差しづくり、金と循環づくり、こういうものが今地域づくり現場で実践されております。これは別の言葉で言うと場づくり、主体づくり、条件づくり、あるいは演劇で言えば舞台づくり、シナリオづくり、主役づくり、そのように言ってもいいのかもしれません。いずれにしても、こうした戦略化が求められているというふうに思っております。  最後に、以上の話をまとめる意味で、幸福の経済学というお話をさせていただきたいと思います。  私自身のバックグラウンドは経済学でございます。そのバックグラウンドを基に地域を歩き、分析し、そして様々な政策提言をしておりますが、その経済学の最も新しい潮流の中で幸福の経済学という、そんな議論が展開されております。これを一言で言えば、人々が幸福というふうに感じるのはいかなる条件があったときに幸福というふうに感じるのか。その言ってみれば条件を計量経済学的な手法によって析出するという、そんな研究でございます。ヨーロッパで行われておりまして、特にスイスで実証的な研究が行われております。  その結果は非常に印象的です。人々が幸福というふうに考えるその条件は必ずしも所得ではない、あるいは失業率の大小ではない。むしろ、その地域に対して政治的参加を実現しているのかどうか、そこに尽きているという、そんな結果でございました。それは日本的に言えば住民参加、あるいは先ほどの私の言葉で言えば手作り自治区に参加して自らの未来を切り開いているのかどうかということなんだろうと思います。その意味で、暮らし生活ということを考えたときには、住民がその地域の政治的な意思決定にどれほど参画しているのかということが非常に大きなポイントとなるということをこれらの研究が教えてくれているわけでございます。  その点で、生活と政治そして住民参加、そして先ほど私が申し上げました手作り自治区という、そのことが恐らく本委員会の暮らし生活ということにおいても一つ課題となる、論点となるんではないかと、そのように感じているところでございます。  ちょうど時間となったようでございます。私の意見陳述は以上でございます。  御清聴ありがとうございました。
  5. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 小田切参考人、ありがとうございました。  それでは次に、中谷参考人お願いをいたします。
  6. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) 中谷です。九州から参りました。  先ほど、時分どきだったんで国会の周辺へ行って飯を食ってきましたけれども、相当に緊張しました。四十年ぐらい前は国会を外から取り巻いたりもしていたんだけれども、あのころの方が怖くなくて、今の方が怖いような気がしました。それはともかく。お話しすることは、改めてというのは何もないので、我が由布院村でしょうちゅうを抱えながら若い人たちとしゃべっていることを切り取って三十分だけ御披露ということでお許しください。  四十年近くも何だかんだ村のことをごちゃ混ぜになりながらやってきたのに、すかっと、こういうふうに村をやっていきたい、こういうふうにやろうよということが一言でなかなか言えないんですね。  今、割にはっきりしている言葉はこういうのです。村の命を都市暮らしへ。これは辰巳芳子先生とかあるいは大森彌先生なんかと一緒にひねり出した言葉で、平松知事がお元気だったころに一村一品運動の旗頭にしたんですね。ここまではいいんですね。村の命を都市暮らしへ、そうだと。  ところが、じゃ、ひっくり返して、それじゃ都市にみんな行っちゃうじゃないかと。都市から村に何をくれるんだというときに、都市暮らしを村の命へといっても違うんですよね。何がいいかを、できれば皆様、先生方にお教えいただきたいと思います。都市の力を村の命へでもないし、都市暮らしを村の暮らしへでもないしなどなど、もたもたもたもたしたままに約二十五年が過ぎました。村の命を都市暮らしへという願いをどういうふうに言い換えれば都市の恵みを村の人たちにもたらすことができるのか、結び付けられることができるのか、これからも村の中で酒を酌み交わしながら若い人たちと続く議論です。  そんなことから出てきたのは、集落崩壊ですね。これは小田切先生もおっしゃっていましたが、本当に崩壊しました。私が帰ったころ、四十年くらい前も決して丈夫じゃなかったんですが、大変だ大変だ、もう農家は継がないぞという声は多かったんですけど、でも形はありましたね。形はというと、僕にとっては長老たちがしっかりしていたという程度の話なんですが、何か農村で頑張れば良くなる、あるいは頑張れば何かいい突破口が開けるというような確信がありました。だから、お米の実行組合とかあんなところへ出ても、消防の寄りに出ても、打ち上げだといったらうわっと元気が良くなっていたんですが、最近はちょっと違いますね。  それを突っ込んでいると話長くなりますからやめますが、例えば、私が七十三歳、それで小学校のころから有名な運動神経なしの少年として由布院小学校中で知られていたような人間が牧野組合副組合長とかそういったことを何回も何回もやらんならぬ。牧野組合の役員は何と私の集落では今年は七人になってしまいました。役員じゃない、会員そのものが。七人しか会員がいないと、その上の集落連合みたいなところでやる野焼き、もうすぐやるんですが、この野焼きはどうにもならない。そうかといって火を付けなければ、カヤがぼうぼう生えちゃってその下から若い草が芽を出さない、出さなければ牛を放牧してもえさがない。なければますます輸入に頼る、いやもうそんなことぐらいなら牛をやめよう、それで牛は減っていく。  そういう状況の中で牧野組合をなしにできぬなと言うと、私くらいに役立たぬ人間というのは部落中で本当おらぬと思うんですが、だれでもが認めています、それは。山に登ると途中ですぐ息を上げて座り込んでしまうし、火事だと行っちゃならぬところに私はうろうろ行くので消防も野焼きも非常に迷惑がられていますが、是非出てくれと言うんですね。  これには二つの意味があります。一つは、猫の手でも借りたいから出てくれというのがある。もう一つは、年の順番だから出てくれ。つまり、集落の中の価値観というのは役に立つから出てくれじゃないんですね。そこにおるから出てくれ。年のせいというのは老人がいいということじゃなくて、そこにおるから出てくれということなんですよね。そういう能力主義から存在主義とでも言うんですかね、そういうこと。  だから、今や家の中と村だけかな、余り能力を問われないのは。いや、家の中でもこのごろちょっと私なんぞは能力を問われているんですけれども。そのことが会社とか地域、いろんなところで、勤め先とかいうところでどんどん能力主義が力を蔓延させてきて、そこにあんたがおるからいいやないかと、あんたがおることであんたなりの色を出していけばいいんだという物の考え方がどんどん減っていきましたので、村の中でもなかなか生きにくくなりつつあります。しかし、最後のよりどころじゃないかと思います。仕事場で能力を言うなというのは無理だと思うんですが、集落の中だと能力を言わずにそこにいてくれるということだけで何とかコミュニティーをつくれるような気がしています。  ここの話のときに僕は青年たちと一緒にしゃべるんですけれども、人生の、人生のというか、暮らしの周りに五つの事がある。一つは、一人ですること、一人事。それから二つは、家でする家事ですね、家事。三つ目が仕事ですね、それによって生活費を得る仕事。四つ目が出事。五つ目が大事と呼んでおるんですが。  一人事は、個人の御趣味で、家庭の中にあっても、家庭の中で浮き上がりながらでもおれはこれが好きという、そういったような一人事。これがどこまで自由にできるかというのがあります。  それから家事というのは、やっぱり自分の家庭の仕事ですから、これは仕事があっても帰ってきてPTAに出たり、親戚縁者の付き合いがあったりで、家事があります。  次に仕事というのは、私どものところでいうと役場に勤めたり、私どものような旅館に勤めたりしますが、そういった勤めて働いてお金を得るという仕事があります。  その後にある出事というのがだんだん話が通じなくなって、出事というのは何かいと聞かれるんですが、出事というのはそこの生活圏、そこの領域、そこの集落を保つための出事なんですよね、出事としか言いようがない。  僕らの村では、出事よりも仕事を優先するというのはやっぱりちょっとさげすまれますね。あいつは出事よりも自分の仕事を優先するかと。今日は仕事が忙しいから出事には出らぬでという、これはもうなしですね。それはちょうど家事、家の都合が、子供が、PTAが、運動会があるからというのでそれで仕事には出ないというのと同じように、何かちょっと違っていくんですね。  ところが、ここで出事がぱたっと力を失ってきて、何とその一番最後にある大事、大事というのは自分たちで決められないことです。あるいは自分たちで対応できないことです。台風が来たとか、戦争でテポドンを落とされたとか、そういうことは出事では対処できないんで、村の者が全部集まっても対応できないという大事がある。  これが町村合併でどんどんどんどん膨らんできて、今までは顔見知りが出て前の川を何とかせせっていたのが、今度新しく市になった、市の建設課がしてくれるんじゃという話にどんどん今膨らんでいっていますから、出事は、地方にある仕事、つまり企業ですね、企業も忙しくて出事どころじゃないというふうになってくるし、今度は大事の方に仕事をどんどんどんどん渡してきますから、地域を自分たちの手で何とかするという出事も今すごい勢いで消えつつあります。消えつつあるものの最後のあがきが僕が消防になったり牧野に出たりすることなんで、これは子供たちにもよく見せておいて、どれだけ役立たずの人間が最後の集落仕事に参画していったかというのを覚えていてもらおうと思っています。  二番目、これは村の風景をつくるという、僕冊子持ってくればよかったんですけど、ことをやっています。  これは、御存じのように、行政できっちりとはなかなか決めにくいことのようですね。景観法なんかも通していただいたんで随分前よりもいい方向へ行っているんですが、実際には法令、条例で決めたからこのように風景をしなさいということはなかなか難しいようなので、私たちは、村の風景をつくるというのを自主的な申合せ運動としてやっています。  基本的には、産業の見える風景と風景の見える産業と、この二本立てでやっていますが、この風景論をいろいろやっていますと三十分たっちゃうんでやめますけれども、これがまた由布院の場合は、由布院盆地という、私は名刺にも全部勝手に九州・由布院盆地と名のって大分県由布市とか書いていないんですけれども、韓国や中国へ行くと九州・由布院盆地と言った方がよく話が通じます。村の風景も由布院盆地ということと切って切れないことです。だから、今後もまだまだ合併が続いていくのかもしれませんけれども合併が続いて大きくなればなるほど行政というのは風景論を語れなくなるんじゃないかと。行政が風景論を語れなくなれば、法令も条例も風景を語るのに非常に力を失っていくんじゃないかというふうに案じております。  それから、由布院盆地というと、もう奈良時代から続いた地形ですから、僕ら子供のころからずっと盆地の中で育っていますから、盆地と言っただけで、ああ、ああいうところだと、わっとわくんですね。それによって何が具体的に起こるかというと、食べ物がはっきり分かってきます。おまえのところ何がうまいんだと言われたときに、由布市ですと言うと、由布市の食い物何だというと、もう平地もあれば渓谷もあれば高原もあれば、何がうまいか分からないんですけれども、由布院盆地と言ったら、ああ、スッポン、ドジョウ、カモ、何だかんだ言い出すと切りがありませんからやめますが、そういうふうに非常に生活の糧が具体的になってくる。文化の根っこみたいなのが非常にはっきりしてきます。  そのためにも、村の風景というのは、ちょっと僕らがこれから先も自前でお金を出しながらみんなで申し合わせながらつくっていくテーマで、詳しくはまたいつかの機会に私どもが作りましたパンフを持ってきますけれども、年に一回、秋の天気のいいときにみんなでカメラ持って由布院中を歩くんです。すばらしいと思った風景をどんどんどんどん写真に撮って公民館の壁にぶら下げて、そして建築家や都市計画の人やアーティストを呼んで、どれがいいだろうといって一等賞を出す。おのずから多くの人がこの風景がいいんだなと思っているところに票が集まるという仕掛けです。  三番目、これもちょっと厄介なキャッチコピーなんですが、仲間からみんなへというんですね。  行政を含むいろんな組織活動が、やっぱり仲間づくりというのは非常によく言われているんですが、仲間だけが集まってそれで完成するかというと、なかなかそうでないことが非常にありますですね。ある種の宗教の団体とか、いつぞやは相撲のお部屋もありましたが、仲間の中だけで完全に完結していくとはとても思えない。  生活的にも物が足りなくて、例えば由布院盆地は奈良時代からあったといいましても、塩が取れた歴史は一度もありません。塩なしに村が成り立ったはずはないので、ずっと昔からどんな盆地も外からの交易によって成り立ってきたに違いない。そこで、仲間からみんなへというのは、仲間対敵でない論理をつくりたいんですね。仲間でなきゃ敵かという、それを、いや敵じゃないんだ、みんなだというところに持っていくためにいろいろもたもたやっています。  それは、言わば出会いの場をつくるというようなことであるし、かつて行政が手を付けかけたあの交流人口などという、交流人口の多いものも定住人口に並べて何かの工夫で支えようじゃないかという言葉が一時ありましたが、そんなこともなくなってきております。  仲間仲間で固まってどう外に対決していくか。例えば貿易でいうと、国際競争というような言葉がどんどん押し込んできて、競争は大きく言われるんですけれども協調というのが言われないように、仲間からみんなへという、そのみんなという感覚を育てるために私たちがやっていたのが牛一頭牧場。もう古い話になりましたが、都市の方々に牛を一頭ずつ持っていただいて、それを私たちがお預かりすると。私たちの牧野は都市の人の牛が来て、別荘気分でそこで育つんですね、二年なり三年。  そういったことをやったり、それから映画祭や音楽祭は三十年以上やっていまして、ほとんどそういったのは実行委員も含めて都市の人がやってくれた。これって割に大事で、ゲストが来てくれるというのは当然としても、実行委員あるいは企画する人そのものが都市から来るというのを何かちょっと地方の人は嫌がるところがある。だけれども、そうじゃなくて、本当に、おい、手を貸せという動きをやりたいと。  それで、今人材交換などというものをずっと何十年もやっていますが、今現在の観光協会の事務局長は東京都庁でやっていた男です。もう由布院に来て、この人は東京都庁を辞めちゃったんで論外ですが、八年目かな。その前は静岡県庁とか、その前は加賀の市役所とかいろんなところから由布院は人材をお呼びする。その代わり交換で、こちらの人もあんたのところで預かってくれというようなことをやる。そういった人たちが一つの人材の核になって、その人たちを中心にしながらいろんな文化的な催事やデザインも含めての地域の独自の能力が出てくる。  そういったことでやっているんですけれども、どこかにくっついちゃうとその人はその中に巻き込まれてしまうんですね。例えば農協の指導員にどこからか入ったとか、商工会の指導員に東京からだれかが入った、引き抜いてきたとかいうと、その中にやっぱり埋没してしまう。その中から埋没しながらも自力ではい上がって、あっちにもこっちにも八面六臂の腕を伸ばしていくというのは大変なことなので、そこでいつも失敗するんですね。  僕らが今やりかけているのは、船外機エンジン集団と仮に名を付けているんですが、あれ正式には名前があるんでしょう、ボートの外にエンジンをくっつけますね、ぽいっと外してその船にくっつけるとそっちの船が走るし、あっちの船にくっつけるとあっちの船が走る。船外機集団そのものはどの船にも固定されてないんだけれども、由布院にあることによって、観光協会にくっついたり農協にくっついたり、あるいはアートストックという僕らの運動がありますが、そういったのにくっついたり、その辺に外からのいろんな知恵に入ってきてもらっている。映画祭のファンがいつの間にかカメラを回すようになって、カメラを回す人が由布院に在住のアーティストを撮るようになって、それを応援する人たちが集まってというふうに、自由自在にどこへでもくっついていけるような船外機集団を今つくっています。  それから、そういったものを自由自在にいいじゃないかというふうに認めていく団体も、実は余りトップがかちっとして固定してしまわない方がいい。固定してしまいますと、そこにまた、おまえはおれたちの仲間か、それとも敵かみたいな変な力のばらばら現象が起こるので、何とか力を自由自在な、自由の利くものにできないかといって、今僕らのやっている観光協会というのは由布院では最も大きな民間団体なんですが、それの会長と常務理事というんでしょうかね、それを固めてがっとやっている人たちはみんな四十代前半で、一挙にそうなりまして、その集団のリーダー集団の名前が白雪姫とホビットたちと言うんです。  白雪姫というのは御存じの方もあるかもしれませんが、桑野和泉というのがいろいろ中央まで来てお世話になっていますが、白雪姫をトップに持ってきて、それに頑固な一生懸命付いていく元気のいい若者たちをホビットたち、つまり固有名詞を消すんですね、まず固有名詞を消すと。それに、船外機エンジン集団など付いて、自由自在にあちらにくっつきこちらにくっつきしていっていくと。だから、くっついていった先では桑野和泉も単なるお茶くみだったりするわけですが、そういうふうなことを今努めてやっております。それが小田切先生のおっしゃった新しい集落コミュニティー形成一つの手探りですね。そういった手探りが今行われていると。  それから、風の食卓という、これも今大きな運動としてトップが、リーダーがどこにおるか分からぬような形でやっておりますが、風の食卓というのは、御存じの、思い出される方もありましょうか、NHKの朝のドラマで「風のハルカ」、あれ半年間やっていただいて、あの間に、多分これ終わったらもう由布院はがたが来るぞ、つまりああいうものというのはどんなにすばらしいかというのを全力を挙げてやってくださるわけですから、当然現実の方が放送より悪いんです、どこでも。だから、放送が盛り上がれば盛り上がるほど行ってみようかというので、わっといらした方が何だというんで、テレビほどもねえやというんでがっかりしてお帰りになるというのが大体のパターン。だから、NHKの全国放送とか話題になったものの後を訪ねると大概のところが落ちています。  ということなので、これは大変だといって、NHKの連ドラを協力をオーケーすると同時に私たちが起こした運動が風の食卓。つまり、「風のハルカ」というところで、由布院というのはすばらしい、食べ物のおいしい、風さわやかで畑にも山にもいろんな健康なものがたくさんある、それを家族単位で持ってきておいしいものにして皆さんに提供するというのがテーマ。それが田舎と、あの場合は大阪でしたけれども、結んで家族がどういうふうに展開していくかということであったので、もうポイントは食べ物だと。だから、食べ物をおいしくしようということにかかったわけですね。  これは、長々やっていた運動、私たち映画祭や音楽祭や牛喰いやいろんなことをやっていましたが、三十年やって全国に放映されて有名になっても農業には結び付きませんでした。牛喰い絶叫のような、あるいは牛一頭牧場のような、もうこれぞ農業ということであっても、観光と手をつないで全国へ羽ばたいたマーケットを農業畑に活用しようというような話にならないので、それは農業畑が引っ張るのか、観光畑が引っ張るのか、えっ、どこが引っ張るのというようなことで何かもたもたしてできなかった。  今度初めて可能性が出てきたのがこの風の食卓運動です。風の食卓というのは、もう時間が迫ってきたから簡単に言いますが、風の中から食材を持ってくる、冷蔵庫から持ってこないということです。だから、中国は駄目とかニューギニアオーケーとかそういう話じゃなくて、とにかく風の中から持ってくる。それから、食卓は風の中の食卓、これは冷暖房完備のこういうすばらしいところで食べる、あるいは京都のお茶屋さんで食べるのではない。畑の中、風の吹く中に食卓を持ち出したら食べ物というのはどういうふうになるか。最近有名なミシュランなどは回しげり食らわせろという勢いが今ごろは出ているのは、風の食卓運動。  それから、最後が風の料理人というのがありまして、これが実は一番エネルギーのもとになっています。風の料理人というのは風来坊料理人ですね。今までは地元で取れた地元の料理やから、例えば大分の場合、だんご汁やったらどこどこのばあちゃんが一番うまいとか、そんなことを言っていたんですが、そうじゃなくて、だんご汁を見たら、それじゃイタリアのパスタ作りはどういうことを考えるか、じゃフランスのクレープ作りはどういうふうなことを考えるかということも含めて、わくわくする料理技術、料理技術こそが文化だと思うんですが、文化は必ず外から入ってきて、それを変転を繰り返しながら土地の中に居着いていますから、必ず恐れずに料理の文化というものは外から入るということに踏み切った。  これで三年、四年たつうちに、非常に最初に言いました若者たちが元気付いてきまして、今までどうも農業出身の人は外の人に出会うのは何かちょっと嫌だったみたいですね。それから、三十年もやってきた映画祭や音楽祭や、六十回もやってきた落語なんというものも、何か出ていって、やあやあというほどわしは詳しくねえと。だから、詳しい人が行ってお迎えしようみたいになっていた。食べ物だけです、みんなが堂々と出てきて、うまいのまずいの言い始めたのは。これはきっとうまくいきます。  だから、これから三十年計画で、この風の食卓というのは、初めて農村の人たちと都市の料理人の腕っこきとを結び付けて、そして地域づくり一緒になってやれる、観光も商業も一緒になってやれる唯一の試みであろうというふうに思います。  あと、こういう運動が起こってきたもとは実は由布院の歴史にありまして、由布院は隠れキリシタンの村でしたから、江戸期は何の、何なんだろう、今風に言うと行政的サポート、そういうのが得られなかったんですね。あんなところ一生懸命やると、どんなまたとんでもない、キリシタンが芽を吹くかしれないというんでおっぽり出されて、それが大正のころになって一気に吹いてきたときに、江戸期を立ち遅れてしまった山の中の由布院がどうおまんま食べていくかというときに方向を示されたのが本多静六という、日本の最初の林学博士かな、明治神宮のお庭を造られたりしましたね、あの方です。国立公園も日本で最初に造られた。どういうわけかその人を呼んできて、由布院どうしたらいいかというのを決めて、そのときできた方針が滞在型の保養温泉地づくり。ドイツを見ろと、ドイツに見習え。ちょうど八十数年前、まだ由布院に列車も通ってなかったころです。  その話をずっと私たちは担いできて、まだ熱海や北陸がバスで乗り込んでどんちゃん騒ぎで一晩騒いで帰るという、ああいう歓楽型の観光でうなっていたころも通して、ずっとひたすら滞在型の保養温泉地であろうと努力してきたわけです。もちろん、そんなことがどういうふうに努力していいか分かるはずもなくて、途中で、八十数年の間の四十数年ころに私たち町民三人くらいが自費でヨーロッパを回りまして、これだといって悟りを開いて、悟りを開いてというのは、つまり三人しか行ってないわけだから分からないんですよね、ほかの人は。しようがないから三人の言うことを聞いてくれて、そこから延々と始まるわけです。  さあ、そうやって今日まで来た中で、滞在ということでやっと村と町がつながろうとしています。一泊でどんなにどんちゃんしても、あるいは通過型の観光で何百万人の人がいらしても、それは村を通過するだけですね。村の中に入っていくには最低三泊、できれば五泊。また来たよというリピーター率も含めて、親類のようになっていただかぬと、つまりドイツの場合そうなんです、そういうふうになっていってもらわぬと困る。観光協会の中には親類クラブ運動というのもあって、滞在型に町をつくり変えていこう、一過性のものじゃなくて長いお付き合いをしていこうということになっております。  今、僕らがしゃべっているあれは、キャッチコピーの一つに、天に碧空、地に源流、里に暮らしの知恵が湧くというのがあって、まあみんな一杯機嫌でやっていますから、ごろのいいことばかりやっているんですが。つまり、そういうごろのいい、耳に残る、それで次に会うのが楽しいという会にしないとどうも何にも残っていかないという気がして、専ら趣味は落語というような人たちを集めてやっています。  四十代前半の白雪姫とホビットたちに望みを懸けて、私はおしゃべりをこれでやめます。
  7. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 中谷参考人、ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。     ─────────────
  8. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) この際、委員異動について御報告いたします。  本日、亀井亜紀子君が委員辞任され、その補欠として川崎稔君が選任されました。     ─────────────
  9. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) これより参考人に対する質疑を行います。  本日の質疑でありますけれども、あらかじめ質疑者を定めずに行いたいと思います。質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願いを申し上げます。  なお、質疑に当たりましては、参考人の方々の御意見の確認など、簡潔に行っていただきますよう御協力をよろしくお願いを申し上げます。  それでは、質疑のある方の挙手を願います。  中谷智司君。
  10. 中谷智司

    中谷智司君 ありがとうございました。民主党の中谷智司と申します。中谷参考人とは違いまして、真ん中の中に山谷の谷でナカタニと申します。よろしくお願いします。  お二人のお話、本当にそれぞれの立場から非常に楽しく分かりやすく勉強をさせていただきました。私の地元は徳島県でして、徳島県は過疎の集落だとか限界集落というのがたくさんありまして、人口減少や高齢化、地域社会の崩壊が進んで大きな問題になっている地域がたくさんあります。これらの集落に住む方々が誇りを持って幸せに生活ができるような地域づくりをしていかなければならないなと、私も徳島県内を隅から隅まで歩いてたくさんの方々とお話をさせていただいて感じています。これらの地域の方々とお話をしていると、やはり生活が厳しいというようなお話をよく伺います。  しかし、そういった地域の中でもやはり明るく元気に幸福感を感じながら生活をされている地域というのもございまして、徳島県でもテレビや新聞などで何度か紹介されたので御存じの方もいらっしゃると思いますけれども、徳島県の上勝町でいろどりという葉っぱビジネスをしている地域があります。よく、人口が四千人を切ってくると行政のサービスが十分に受けられない、そして高齢化率、六十五歳以上の人数が、割合が四〇%を超えていくとその集落消滅に向かっていくというような話がありますけれども、この徳島県の上勝町は人口が二千四十四人の四国一小さな町で、一九五五年の六千二百六十五人をピークに毎年人口が減り続けています。高齢化率は何と四八%です。数字だけを聞くと、とても幸せに生活をしているように感じられないんですけれども、この町のおじいちゃんやおばあちゃんがとても元気に生き生きと生活をされています。  このいろどりという事業はどういうものかというと、東京や大阪の高級料亭の日本料理に添えるつまもの、よく日本食というのは見た目を大切にいたしますので、お料理の横に葉っぱを添えたりしているんですけれども、これをしているもので、赤もみじや青もみじや松葉やウラジロなどの葉っぱを山で取ってきて、それを販売する事業をされています。ここでは、年商二億六千万円、出荷を支えるのはおじいちゃん、おばあちゃん、何と平均年齢が七十歳の農家百九十軒で、先ほど小田切参考人が小さな経済が回るといいということをおっしゃられていましたけれども、収入も、もちろん少ない方もいらっしゃいますし、多い方においては何と一千万円を超えるような方もいらっしゃると。  それで、この上勝のおじいちゃんやおばあちゃんに私もお会いをしてきたんですけれども、生きがいを持って働いているために、毎日が楽しい、私たちが今回求めている幸せだという言葉も聞きますし、忙しくて病気になる暇がないと笑顔でおっしゃいます。老人医療費も全国平均よりもはるかに安くて、寝たきりのお年寄りもこの町には二人しかいない。  人が幸せを感じる、つまり今回のこの調査会で求めている幸福度の高い社会構築には、地域づくり、自分の居場所、社会に貢献していると誇りを感じながら生活をしていく、そういうふうな社会をつくっていくことが欠かせないと思っています。そして、私はできれば地域の方々がその地域の資産を生かして自分たちがその中で生きがいをつくっていくことが必要だと思っています。  先ほど中谷参考人お話とかも聞いていますと、行政のサポートがない中で由布院はすばらしい地域づくりができたというようなお話をされていましたけれども、お二方、それぞれの立場からで構いませんので、二つ御質問をさせていただきたいと思います。  自ら地域づくりをしていこうということが大切だと小田切参考人もおっしゃられていましたけれども、こういうふうな地域づくりをしていこう、そしてその中に自分が参加していこう、そして自分が居場所をつくろうとしていこう、そういうために私たち政治の世界からこんなサポートがあればきっかけづくりになるんじゃないかというようなことがあれば教えていただきたいです。  それともう一つ、こういうふうな町づくりだとか、それぞれの方が自分の居場所づくりができたら、その後にそれらを持続していく、これも大変難しいことだと思うんですけれども、この地域づくりができた後、あるいはそういうふうな自分の居場所づくりや生きがいづくりができた後にそれを持続していくためにはどういうことが必要か、お二人それぞれから御意見をいただきたいと思います。お願いします。
  11. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 二つの質問をいただきました。まず、一番目の点について二つのことを申し上げてみたいと思います。  行政、政治に何ができるのかということでございますが、基本的には行政、政治の役割は地域を見詰めることだろうと思います。これは実は私ども限界集落を歩きながら感じました。限界集落では言わば地域に対するあきらめ感が漂い始めます。このあきらめ感は、言ってみれば行政から見放された、あるいはだれもこの地域を見詰めていないんだという、そういうことからくるものですから、そういう点では、例えば町役場なり市役所がその地域を常に見詰め続けるような、そういうふうな体制をつくっていく。例えば職員の地域担当制、これは現に今様々な地域で行われておりますが、そういうことが必要とされているんではないかというふうに思います。  一番目の二つ目でございますが、地域づくりには何よりも重要なのは当事者意識であります。今、中谷委員もおっしゃいましたように、自分たちの問題だというふうにその地域の人々が感じるということが一番重要になります。  その際、当事者意識を持つためには、いわゆるワークショップという手法が様々なところで行われて実績を上げ始めております。ファシリテーターというふうに呼ばれるワークショップの司会者が集落なり地域に入っていって、その地域の宝を発見する、そしてその宝を基に計画を作って実践するということがワークショップ、あるいは別の言葉で言うと地元学でございますが、こういうものに対して、特にその司会者でありますファシリテーターに対して支援をする、そういう者の派遣を行政がしていくという、そういうことが求められているんだろうというふうに思います。残念ながら人件費に対する支援というものはなかなか行いづらいという実態があります。そのためにこういった活動も行政的には盛んには行われていないという現実があるんだろうと思います。  御質問の二番目でございますが、地域づくり動き出した地域に対してどのような対応があり得るのかということでございますが、これは私どもステップアップ戦略なんというふうに呼んでおりますが、地域づくりは常にステップアップしていくものだろうと思います。  先ほどの手作り自治区で申し上げれば、手作り自治区自体は非常に素朴に、例えば防災組織としてスタートすることが少なくありません。きっかけが地震であったり水害であったり、特に最近、日本の国土はそういう災害に弱い実態がありますから、そういう中で防災組織としてスタートしていく。しかし、次の段階に至ると、これがイベント組織として、特に若者中心にステップアップする可能性があります。更にそれが成熟化すると、世のため人のために何かできないかということで地域福祉組織としてステップアップしていきます。そして更に力が付いていくと、先ほどのガソリンスタンドあるいは売店のように経済組織としてステップアップしていくという、そういう実態があります。  その点で、具体的にどの段階にそれぞれ地域があるのか、あるいはどの段階に誘導するのかというステップアップを行政があるいは見守るサイドが考えながらそれを支援していくということが特に重要ではないかというふうに感じます。  以上でございます。
  12. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) 地域づくり参画したいと、やろうというやる気を出すためのサポートなんですが、いつもは、サポートしてほしいサポートしてほしいといつも言っているくせに、いざ聞かれるとちょっとおたおたしますね。  漠然と考えていることは、やっぱり助っ人が欲しいというようなイメージですね。お金はあるんだと、いい企画を出せと時々言われるんですけど、いや、いい企画出しても、なかなかそれを企画どおりにやり抜く人材はいても、何というんだろう、地元のあいつが偉そうに何だということになりがちで、何かリーダーとかプロデューサーとかそういう人には、昔から言いますね、所侍、旅坊主って、道を説いたりする立派なことを言う人は、それは所の侍じゃ具合悪いんで、ちょっとやっぱり旅坊主が欲しいという思いは随分ありますね。  だから、それの延長が、さっき申し上げた、うちの事務局長も東京都庁から来ていますし、こっちからもやっているし、いろんなところで人材のやり取りを始めている。これは別の言い方しますと、町内あるいは町外との、内部の人間でない人に入ってきてもらう、その代わり内部もまたそっち行くということで、非常に膠着状態にありそうな地域動きが非常に油が入ったようにスムーズになるというのがあります。それは多少はぎすぎすするんですが、そのぎすぎすに耐えてやるからエネルギーが出るんで、なあなあだけがいいわけでもないと思っております。  ちなみに、今私たちがやりかけている運動はNOCというのがあります。NOC、これは何でも応援クラブというんです。さっき申し上げた船外機エンジンと同じ発想なんですけれども、何でも声掛けてくれ、何でも応援するぜというクラブで、NOC。NOCのドアをいつでもノックということで、まあ駄じゃれの世界ですが、やっていると。  そうすると、なかなか選挙で吹き分かれたとか、おまえ商工会の味方か農協の味方かとかいうことなしに取りあえずは動ける。これは、そういったことの方針に向かって行政の方が、おれは農政の立場だから行かれぬのやとか、おれは立場上行っても仕事の管轄の中に入るからそのことはおまえらに言えぬのだとかいうことじゃなくて、NOC集団にどんどん、つまり地域住民の自由な集団にどんどん行政の職員の人が溶け込んでくださって、そういう活動お願いするとどんなにか町民が張り切るだろうというのが一つあります。  それからもう一つ、持続ですが、これもちょっとあいまいなことしか言えなくて、今、帰ったら張り切って詰めようと思っているんですけど、ずうっと持続していて、例えば映画祭三十年やっているんですが、余り皆さんに詳しくは知っていただいていない。つまりどういうことをやっているんだかよく分からない。牛喰い絶叫大会みたいなことになったんじゃ、まるでただわあっとどなっているだけ以上の情報は伝わっていないと思うんですね。こういうことだと、何十年やっていても、やっている人の当事者は大変大変なんだけれども、そのことにみんなが行って応援してやろうというエネルギーにならない。  つまり、なぜああいう人はああいうことをやっているのか、どういう思いでやっているのかということを明確に残したい。ところが、この明確に残すというのは、記録を残す作業から、それをデザインし、編集し、映像にする場合もありますし、まずはそのデザイン・編集能力が一つ要ることと、もう一つはお金が要る。こういうのはなかなか補助金でも出ないんですね。合併後はもうますます出ない。だから、記録が消えていくんです。三十年や四十年やったというのに何の証拠も残らぬと言っていいぐらい。  この間、フィンランドに招かれまして、ソダンキュラ映画祭という北極圏のど真ん中でやっている、今年で二十二年目という映画祭ですが、膨大な、しかも立派な資料があります。たかが過去のことに過ぎぬ記録に何でこんなに精力とお金を使うのかといったら、それが皆様、世界中にあいつはこんな立派なことをやっているのかというのを認めてもらうための唯一の道具なんで、それをやらなければ未来がないと。  だから、どうも僕らは、まあ由布院は余り補助金頼りではなかったんですが、一般にどうも、補助金は出すが当然、いいことなら出すだろうということにかまけていて、本当に、なるほどこれはすごいことやっているということを有無を言わさぬ説得力で表現するその努力をやってなかったし、行政のシステムの中でも、そういうたかが記録、たかがやってきたことを非常に中央の人やその道のオーソリティーも含めてオーソライズして、オーソライズした記録が出ていくための支援の仕組みはほとんどないと思うんです。  それは、フィンランドは北極圏中に言って、EUをくどいたりアメリカをくどいたりしないとあの映画祭やれないそうで、私たち、湯布院映画祭三十年やっていても、EUをくどくなんていう腹はもう想像したこともなかったんで、そういう資料の脆弱さ、これはやっぱり国際的ないろんな芸術活動も含めてやっていくときに、日本全体の何かそういう情報力、地場発信の情報力は弱まっているんじゃないかというふうに思います。  以上であります。
  13. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他、御質疑のある方、挙手を願います。  長谷川大紋君。
  14. 長谷川大紋

    長谷川大紋君 自由民主党の長谷川であります。  お二人の参考人、今日は御苦労さまでございます。  小田切参考人にお尋ねをいたします。  参考人の、「地方再生 新政権に望む」、「誇り空洞化」、その欄に、地方は三位一体改革の名の下で地方交付税が一方的に削減された、そしてこのことによって小さい農村は予算が立てられなくて悲鳴を上げておるというふうに書いてあります。小さい農村ではなくて、私は茨城県でありまして、茨城県三百万の人口で一兆円以上の予算規模を持っておる県であります。しかし、これだけの予算規模を持ちながらも予算を組められない状況に陥っております。そのために、県は、県の職員、大幅に給与をカットして予算を組むような今状況になっておるわけであります。  それが、新年度になりますと、政令都市を含めまして約三十府県等々で給与の削減が行われようとしておるわけであります。このような状況になりますと、社会福祉の予算を削って予算をつくっていかなくてはならないような状況になっております。そうしますと、セーフティーネットであるべき社会保障さえも削らなくてはならない。その反面、例えば東京、二十五、六区あるんだと思いますが、二十二区におきまして中学生まで医療費が無料、あるいは児童手当等々もそれに上積みされておるような話を聞いておるわけであります。そうしますと、集中するところには集中をいたしまして、豊かなところは更に豊かになる、こういう状況が起こってくるのでなかろうか。  これを解決するためには、先生、解決する策があればいいんでしょうけれども、私は、一日も早くこの三位一体改革で削られた地方交付税というものを元に戻さないと、県レベルでも、もちろんそれ以下の町村はやっていけなくなってしまう、近々のうちにやっていけなくなってしまうのでなかろうかと思いますが、先生はどのようにお考えでありますか。
  15. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 長谷川委員のお考えと私全く同じでございます。  地方の不況的な状況、特に農山村は言わば底割れ状況だというふうな実態認識を持っております。それはもちろん、農林業の不振あるいは公共事業の縮減ということもございますが、それと同時に、やはり地方交付税の削減のいわゆる一二%ショックなどというふうに言われたインパクトが非常に強いものがあります。その点で、地方交付税を拡充する、少なくとも元の水準に戻すということは最低限しなくてはいけない論点だろうというふうに私自身も思っております。  その上に、さらにそれでは地方の財政的な偏在をどうするのかという課題が残るわけでございますが、昨年、いわゆるふるさと納税の議論がございました。私自身も総務省のその委員会に参加して、ふるさと納税についての議論をさせていただきました。最終的には寄附で行うということになったわけですが、この仕組みに私は大変賛成しております。  その寄附で行うというものに対しては、言ってみればその地域住民、寄附を差し出すサイド住民の、言ってみれば志ある資金が流れていくというふうに考えております。先ほど申し上げましたように、地域を見詰めるというのは単に行政だけではなく、例えば外の地域から、例えば農山村であれば都市から見詰められている、都市から応援の声が上がっている、そのこと自体が、そのこと自体で元気になるという実態もありますし、そのことを訴えている首長もおります。その意味で、志がある資金を志とともに地方に流れるような、そんな仕組みをつくることが私は重要だというふうに思いまして、そのふるさと納税の議論に参画してその方向性をサポートしたというふうに考えております。
  16. 長谷川大紋

    長谷川大紋君 ありがとうございました。
  17. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他。  松あきら君。
  18. 松あきら

    ○松あきら君 小田切先生、そして中谷参考人、両先生、本当にお忙しい中、遠くからまたお出ましをいただきましてありがとうございます。公明党の松あきらでございます。どうぞよろしくお願いいたします。  まず小田切先生、私は地域活性化対策本部のメンバーでありまして、全国の高齢化率、六十五歳以上の方が五〇%を超える過疎集落実態調査、これを私も行わせていただきましたし、また、地方議員が私どもは三千名おりまして、その三千名の議員がまさに対面をしてアンケートを取りまして、いろいろな状況を、まずその実態を知ることが大事であると、つまりそうした地方が全体的に底上げをして活性化をされなければまさに日本再生はないという思いでございまして、調査をさせていただきました。  調査結果によりますと、二十世帯未満の限界的な規模の集落が四一・二%、住民の七割以上が六十五歳以上の高齢者集落は三七・二%と、先ほど先生にもお伺いしましたけれども、私どももここまで行ったんだなということで、本当に過疎化が進んだその原因も、高齢化が七三・七%、後継者不足七二%、農林水産の衰退五四・二%と、こういうことになりました。  やはり、非常に頑張っていらっしゃる方は、限界集落という言葉は私ども余り使うべきではないんじゃないかと。やはり過疎集落でないと、限界というと何かもう限界を超えちゃって自分たちはここから先ないのかという、やっぱりそういう配慮も私どもはしていかなきゃいけないんじゃないかと思いまして、過疎集落というふうに呼ばせていただいているんですけれども、その方たちも、野生動物による農作物の被害とか、荒廃地が増えちゃって、本当に国土保全という面から見ても大変な状況なんですね。  本当に今、長谷川先生が御質問なさったように、最終的に言えばそうした地方交付税の問題であるとか、もちろんそういうものをしっかりと、交付金なりあるいは税ということの対策、結局はそこへ行き着くのだとは思うんですけれども、しかし、そうは言うもののなかなか簡単に、じゃ分かりました、それを増やしましょうというわけにはいかないところが本当に難しいところだなと私自身も思っております。  特に、地方自治体のうちの人口十万人、つまり五万世帯未満の中小の市町村に過疎集落が八割以上集中しているんですね。そうすると、そこが過疎対策をしなきゃならないんですね、その小さな市町村が。それがやっぱり大きな課題であると私は思っているんですけれども、このような小さな自治体に対する支援、簡単に言えばもちろんお金の対策なんですけれども、例えば若者が残れるような機能、先生、これも大事とおっしゃいましたけれども、そういうようなことも含めた支援策というのがあるかどうか、それをお一つまず伺わせていただきたいと思います。
  19. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 小規模町村対策ということになりますが、そういう議論になるとすぐ市町村合併という議論になるんですが、私はこれ以上の市町村合併には賛成しておりません。  これは松委員もおっしゃいましたように、いわゆる限界集落が発生している中で、先ほど来繰り返しておりますが、その地域を見詰める目というのが重要になっている。それが合併の結果希薄化しているというのが実態でございます。その点で、先ほど申し上げたように、地域に漂っているあきらめ感が合併を通じて加速されたという実態を私ども実感しております。その点で、合併ではない対応がやはり必要なんだろうというふうに思っています。  しかし、当然、小規模町村の中には、職員数も十分いない、あるいはその職員の専門性も余り高めることができないという実態もあるのは事実でございます。それはまさに、例えば現行の仕組みでいえば広域連合なりの、小規模町村が連合体を組むことによってその言わば弱点を補完するような、そういう仕組みをつくり上げることによって、あるいは更に活発化することによって十分私は補完できるんではないのかなというふうに思っております。  いずれにしても、今の中山間地域あるいは過疎地域で重要なのは、行政がきちんと地域を見詰め続けるということだろうと思います。そのための仕組みを是非つくり上げていく必要があるんではないか。そして、更に言えば、実は見詰め続けること自体には余りお金が掛からない。職員が一週間に一回集落を訪問する、現にこういうふうな発想が平成二十年度のある県の予算の中で仕組まれようとしております。集落見守り隊なんという言葉も生まれようとしております。あるいは、そこにNPOが加わるという、そういう発想もあり得ると思います。そういうことを考えることが必要ではないかというふうに私は思っております。
  20. 松あきら

    ○松あきら君 ありがとうございました。しっかりと私ども対策を取っていかなければいけないというふうに肝に銘じさせていただきました。  それでは、続けて中谷参考人にお尋ねを申し上げます。  申し訳ないことに私はまだ由布院をお訪ねしていないんですけれども、東の軽井沢、西の由布院と、一度行きたいなと。テレビも、私も、朝ドラをやっておりましたし、非常にあこがれの由布院でございます。  先ほども映画祭やあるいは音楽祭のお話も、大変御苦労されているお話も伺いましたけれども、これも本当に今や大変に由布院の映画祭、音楽祭、有名でありまして、これをまねてほかの地方でも、例えば映画祭や音楽祭で町おこしをしたいというところも出てきているというふうに私は伺っているんですけれども、由布院においてはこの事業というのはどういう位置付けにあるのかなと、また継続していくための方法論というか何かおありなのかなということが一点。  それから、先ほどドイツで、多分高級温泉保養地のバーデンバイラーの御訪問だと思うんですけれども、まさに自費で行っていらして、非常に大きな示唆を受けたというお話を伺いましたけれども、滞在型ということでこういうふうにしていかなければいけないというお話だったんですけれども、そのほかにもこのバーデンバイラーを訪問して何か示唆を受けられたことがおありになったらお聞かせいただきたい。  二点よろしくお願い申し上げます。
  21. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) 若い人たちがいろんなことを引き継いで元気にますますやっていくにはどうしたらいいかということは言えて、これは行政の職員の方にも言えると思うんです。どんどん入ってきて、どんどん元気に一緒に町づくり運動あるいは催物運動をやる、あるいはやり続けるためにはどうしたらいいかと。  特別の方法はないと思うんですが、とにかく顔見知り、なあなあ社会でない人をそこのコミュニティーに迎え入れる。古い言葉で言うとまれ人というんですかね、神様に近いようなとんでもない人たちを迎えるときにどきどきわくわくしながらお迎えするんで、ふだんのハイアラーキーが壊れちゃう。みんな、おまえもおれも同じ実行委員でゲストを迎えんならぬやないかという体験が、非常にコミュニティーの心をカルティベートするというか、耕してくれて、いい状況がまず最初に用意できると思います。  それから、思い切ってやるべきは、ゲストをお呼びするだけじゃなくて、実行委員そのものを外からお呼びできるか。そこで大体多くのところが失敗するんですね。よそ者が来て何か自分たちがやりたいようなことをやると。そんなの言いなりにならぬぞというんで、まずよそ者を実行委員会のメンバー、主要メンバーに組み込んでいって、一緒に腕組んでやろうぜという体制になるのが二番目の難関かな。  そんなことがありまして、しかし後は、一時面白くても、こぼれていく。どこでこぼれるかというと、自信がないんですね。だから、映画といったらとんでもない評論家のような人が来ますし、音楽といったら何だかバッハのどうのこうのと言われてしまうと、みんな自信なくなってびりびりっと引いてしまうのが、早くて三年、遅くて四、五年ですかね。  だから、そこの瀬を越えさせれば、何か後はずるずるずるずる何十年もやっちゃうんで、越えさせるために僕がぼんやり考えているのは、触媒というようなイメージなんですが、僕のおじきは雪の研究をやっていたんですけれども、最初に人工的に雪の結晶を作るのがどうしてもできなくて、零下の温度の宇宙と同じ水蒸気の状況を作っても雪にならない。ところが、そこにウサギの毛をぽんと入れると、ウサギの毛の先にぱっと瞬間に雪ができる。そのウサギの毛の状況によって雪の形があれだけ変化が出る。つまりどういうことかというと、触媒自体、ウサギの毛自体は雪を作ろうという意思も能力もないんですよね。ないんだけれども、ウサギの毛がそこにあることによって雪という結晶ができる。とんでもないものができるわけです。  僕らの村の中でも、村の行政の職員もそうだし、それから、さっき言ったようなNOCみたいなことを言って気楽に飛んで歩いている青年たちもそうですが、そんなとんでもない玄人というかベテランがおるわけはないんです、人口一万ぐらいの村に。だけれども、一緒に触媒として接触してくれよ、触媒として接触していると、おまえさんのいた結果としての結晶と、いなかったときの結晶は明らかに違ってくるので、それはおまえが作った結晶でないかもしれぬけれども、おまえがおったことによって出てきた結晶というのは、それはなかなか面白いぜというふうなストーリーで、役立つから出てこいじゃなくて、存在としておればそれが、おまえが結晶になるんだと。  例えば、観光課の人たちに、由布院これだけ何十年掛けて年間百七、八十億の観光売上げがあるんですが、観光課の人が旅館を回ることはまずないんですね。それで、おまえ台所に来いよ、板場に言ってあるからと言うと、とんでもない、台所へ行ったらあの白い服を着た板場の邪魔になるし、私ら料理も何も分からぬと言って遠慮するんですけれども、中に一人だけ、そうかいと言って来ているのがおると。十年も来ていますと、もう課は変わっているのに何か料理の方の通みたいになって、つまり料理に関しては彼が触媒になって行政との間をつないでくれた。  ですから、その後いろんな催物があって、各旅館から料理人が六十人も出てきてだあっと歓迎パーティーというのをずっとやるたびに、何となく、何の料理もできない、余りうまいまずいもよく分からぬような役場の職員が時々冷やかしに来て、調理場をのぞいて歩いただけの触媒作用によってなかなか面白い結晶体を生み出して、その結晶体が基になってさっき申し上げた風の食卓運動というのも順調に今伸びていっていますので、何か能力がある者が参加するというイメージを変えまして、触媒としてそこにおるだけということがなかなかその人の人生を別の結晶体を生むように持っていくというふうに考えて、おだてたり、あおったり、一緒に酒飲んだりしております。  ドイツの温泉につきましては、これはもう長くなりますからあれしますが、この間、三十年ぶりに家族を連れてドイツへ行きまして、僕ら前行ったときはただで、サーバス・インターナショナルという、北欧のソ連域から追われた人たち、チェコなんかの革命で追われた人たちを温かく迎えようという運動体がヨーロッパにずっと広がっていた一番ヨーロッパが豊かだったころにお邪魔して、そしてチェコの避難民じゃないけれども日本の避難民だというような訳の分からぬことを言ってずっと入っていきました。二泊まではただなので、それでずっと五十日くらい、非常に厚意の、心の温かい方々の家庭をずっと回って歩いた。  そのことが私たちの、ドイツの温泉へ行ってどうする、療養するという以上に、人様をお迎えするというのは何だこれだけのことかと。例えば、私は晩御飯しか用意できないからもうそれで勘弁してと言う人もおるし、私は朝御飯だけすると言う人もおるし、何にもしないけれども、おしゃべりだけするからおいでよというふうに届け出てあります。人材バンクですか、ああいうふうに届け出て、名前ごとにたどっていくと可能外国語とその人が提供できるものとが書いてあるので、そこへ電話して、こういう者だけれども、よろしかったら寄るしと。  条件一つだけあります。二泊以上しないということ、それからもう一つは、まくらカバーとシーツを持ってこい、まくらカバーとシーツさえ持ってくればうちは迷惑掛からぬと、そういうシステムですね。たったそれだけのことでいいんだと。観光大産業をどう計画するかみたいなことでなくていいんだというのが非常によく分かって、それが滞在型のドイツ温泉の後を追っかけている私たちの四十年のよりどころになっています。
  22. 松あきら

    ○松あきら君 ありがとうございました。
  23. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  その他質疑のある方。  大門実紀史君。
  24. 大門実紀史

    大門実紀史君 本日はありがとうございます。  農山村、限界集落の問題は国会でも議論になっているところでございます。農山村がなぜこんなここまでの事態になったかという点でいくと、先ほどもありましたけれども、自然にそうなったわけではなくて、やっぱり国の政策とかいろんなものがあってこうなってしまったんだと思います。一言で言えば、効率化というような名前で農業もあるいは地方の財政も市町村合併も進めてしまうというようなところの結果、こういう事態を招いているんだと思います。  ですから、私も、交付税の問題だけではなくて、農業の問題、農業政策を根本的に変えないとなかなか事態は打開できないと思うんですけれども小田切先生の提案の中で四ページに、新しい地域産業構造の構築ということで四つ経済、これ大変面白いなと興味あるんですけれども、これをやるためにも、ベースにある農業の問題を何とかしなければ、なかなかこれだけでは難しいんじゃないかと思うわけです。  その点でお聞きしたいのは、特に中山間地の農業の問題を、農業をどう再生するかという点でいくと、これから国としてどういう手当てをしなきゃいけないかという点を聞かせていただければというふうに思います。  中谷参考人の方は、私は由布院に行ったことございます。ただ、リゾート滞在型ということでいくともうちょっと安くならないかなと、亀の井さん含めてですね、思ったり、ちょっと高いですよね、由布院の旅館というのは。その辺は是非協会で御相談をいただきたいと思いますが、その上で、今政府は観光立国ということでむしろ外国の人を観光客増やそうというようなことを中心にいろいろやっておりますが、私は本来、日本人が日本の国内をもっと旅行できるようにすべきではないかと思ったりするんですが、中谷さんの思われる今の観光行政、こういうところが足りない、あるいはこうすべきだというのがあればお聞かせいただきたいというふうに思います。
  25. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 大門委員からの御質問に対して二つのことを申し上げてみたいと思います。  一つは、先ほども具体的な制度の名前を出しましたが、中山間地域の直接支払制度、これの継続が是非必要だろうというふうに思っております。  私は、地方対策の基本は格差是正的な発想と内発的発展的な発想、この二兎を追うこと、これを両立させることが重要だろうというふうに思っておりますが、実はその具体的な姿が中山間地域等直接支払制度であるというふうに考えております。委員御存じのように、集落協定を作って、その交付金の半分は集落の中で話し合ってそこで必要なことに使っていく、そして半分は自らの農業経営の条件不利性の補てんのために使う。言ってみれば、先ほど申し上げたように、格差是正と内発的発展の両者を追い求めた制度がここにあるんだろうと思います。  そういう意味で、中山間地域の農業そして農村の維持発展のためには、二〇一〇年の直接支払制度の二期対策の終了に伴って、三期対策の継続はどんなことがあっても必要なものだろうというふうに思っております。加えて言えば、これは恐らく日本が世界に発信できる農業農村政策モデルというふうに考えております。  それから二番目に申し上げたいことは、先ほど四つ経済ということを申し上げました。委員御指摘のとおりに、確かにこれは農林業が基礎となるべき経済であります。そういう意味で、農林業がきちんとしていなければこの四つ経済もできないわけでございますが、一方でこの四つ経済が農林業を引っ張るという発想も必要ではないかというふうに思います。農産加工から直売をする六次産業、さらに農林業によって環境が維持されている、そのことを消費者に向けてきちんとアピールするような地域資源保全型経済等々の動き、これが先行することによって地域の農林業が引っ張られて活性化するということもあり得るし、あるいはそういう現実もあるわけですので、そういうふうな発想もまた必要ではないかというふうに考えております。
  26. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) 値段のことですが、仰せのとおりなんですけれども、でもちゃんとねらいもありまして、多くの日本の観光地ががたがたになっていったのは値下げ競争の結果だと私は思っているんです。めちゃくちゃな投資をした挙げ句に、その投資の結果、状況もわきまえずにたちまち値下げをすると。  値下げというのはどういうことかといいますと、自分のところが滅びるだけならそれはその企業家の勝手ですけれども、その地域全体を引きずり下ろすんですね。だから、例えば我が社が三万五千円だったら、我が社が二万五千円にすると二万五千円のところはたちまち圧迫されて更に一万五千円にせねばならぬなどなどなどになって、これは、値下げというのは一軒の宿屋の問題ではなくて地域が人の領分に平気で自分のシェアを落としていくと。だから、アメリカが駄目なら中国へ行こうかみたいな発想に近いような、弱いところにどんどん紛れ込んでいくという形でもありますので、そこのことはひとつ御理解をいただきたいと。そのおかげで私どものところは高さを保っておりますからつぶれる宿屋が少ない。  それから、次回は、フローラハウスという農家がやっている五千円の宿とか、私たちが指定管理者になって町から受け止めた七千円の由布山荘とかいうのを今必死の思いでやっております。自分のところの三万五千円の宿屋をやるよりも七千円の宿屋をやる方がはるかに大変。まあその話はそれでいいとしまして。  国内は、実はあれなんですね、やっぱり国内の旅行を今見ても、日本で平均泊数は一・八か九、二泊まで行っていないと思います。これはもう話にならぬ数でありまして、一回の旅行に要する日数が三日、四日となることが国内の観光を盛り上げていく一つの方策。そのためには、お休みの取り方とか、会社での有給休暇が実際に取れるのかとか、制度だけあるんじゃなくて、そういったことの後ろ盾もありますが。  今度は、私たちの努力目標としましては、滞在型生活観光圏という、生活観光と私たちはつかまえていますけれども、滞在型になってきますと、そこから近くのあちこちに生活観光の領域がずっと伸びているんです。その間はどんどん御案内しますと。だから、我が家でお泊まりになったら、夕御飯はどこどこで召し上がって次の日はあそこへいらしてというふうに、ちょっとした、コンシェルジュを更に踏み込んで積極的にするような、そういうシステムが要るだろう。それは、各旅館がやると同時に、地域地域を結ぶためには、例えば由布院は冬季、臼杵という有名なフグのおいしいところと結んで、おととしでしたか、一冬間バスを借りて走らせて、私たちはその借金を今もまだしょっているんですけれども。  つまり、地域から地域への観光を結ぶようなときにこそ行政のシステムが地域連携というような形で伸びていくといいんですが、そこがなかなかうまくいかないので苦慮しています。つまり、行政というのは、行政の中に使うことには割に理解があるんですけれども、行政の外に結んでいくということには余りいいメニューがないようであります。  だから、それと相まって、私たちは各旅館の中に御案内室というのをつくって、お互いがいろんなお客さんを近辺にまき散らしていく、転々転々と旅行してお帰りになるんじゃなくて、ある一つのスポットの中心にいてその周辺をずっと温めて知り合いになって、あわよくば自分がその村の準村人になると、そういったところにまで努力していきたいと思っています。
  27. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他、質疑がある方。  舟山康江君。
  28. 舟山康江

    舟山康江君 民主党の舟山と申します。  実は、私は埼玉県で生まれまして、それで今山形県の小国町という本当に山の中に住んでおりまして、まさに都市暮らし地方暮らしを両方経験する中で、まさしく今、お二人の参考人の方々から伺った話というのは本当にそのとおりだなというふうにいろいろとお聞きいたしました。  例えば、やはり私は埼玉から山形の小国町に行って、いろんな本当に意思決定の過程で女性参加若者参加が少ない現状、そしてどの組織も大体同じメンバーでかなり高齢の方がトップでというような、そんな仕組みというのを目の当たりにしましたし、また、マスタープラン作りなんかも、ちょっと有名な人を呼んで形式的なものに終わってしまっていること。あとは、生活の中では、やっぱり出事というんでしょうかね、そういったものが多くて、かつてはやはり仕事よりも出事を優先していたものが、どっちかというと、いや、今日は仕事で行けないからという形になって、共同作業というのが随分成り立ちにくくなっているような現状も今見ているところであります。  そういったなかなか地方の難しいところも感じつつも、でも、やっぱり私は、都会にない、すばらしいものがまだまだどうにか残っているのが地方、田舎なのかなというふうにも思っているところであります。やっぱり環境という面では、都会ではもう緑がなくなりビルになって空気も汚れてという中で地方にはまだ残っておりますし、やっぱり食べ物なんかはおいしいし、人情なんかもまだまだ、おせっかいという側面もありますけれども、まだまだ温かい人情が残っているしと、そんなような気がしています。  私は、地方の今厳しい現状をどうするかという中で、やはり自ら住民参加で、そして誇りを持ちながらいろんなことに取り組めるといった可能性もまだまだあるのかなというふうに思っています。  一つの例として、実は日曜日に地元のある町で町長選挙があったんですけれども、非常にこの町長選挙が面白かったというのは、二人の候補者がいて非常に対照的な公約を掲げていました。一人は、かつてその町にあったお城を再建して温泉保養施設を造って人を呼び込むんだというような公約を掲げて、もう一人は、今あるものを、今この町にある財産を利用してみんなでつくり上げていこう、みんなで考えて売り込んでいこうといった非常に対照的な主張をされていたんですけれども、結局、あるものを利用してもっともっと魅力を磨いていこう、自分たちでつくっていこうと言った人が町長に当選したというのは、私は、何かこれからの地方の生き方の一つの事例、何かいい事例になるのかなというふうに感じました。  いずれにしても、私は、農村の持つそういった、あるものを磨いていく、今すごく、まだまだ残っているものを磨いていくという意味では、その価値というのはたくさんあると思うんですけれども、なかなか目に見えにくい、貨幣価値に換えにくい。やっぱり都市、都会と地方でどちらが、先ほど大門委員もおっしゃっておりましたけれども、どちらが効率的なのか、どちらがもうかるのかといった視点でいえばやはり都会だという意味で、ここ数年やはり地方に交付金も行かなくなった、地方には目が届きにくくなった、人も物もお金もどんどん減らされてきたというような実態があると思います。  私はやはり地域社会というのは農業、農村と一体的に存在しているというふうに思うんですけれども、そのまさに農村の持つ価値、農業の持つ価値というのはなかなか目に見えにくくて、今農業というのは、物、例えば米なら米の需要供給バランスでしか価格が決まっていないんですけれども、まさに先ほど中谷参考人がおっしゃっていましたけれども、値下げ競争、とにかく安ければいいという方向がいろんなことを壊してきてしまったような気がします。私は適正価格があると思うんですけれども、そういった意味で、中山間地域、直接支払もそうですし、農業政策の中でやはりそのほかのヨーロッパ的なデカップリングみたいな支援も必要なのかなというふうに感じています。  そんな前提の中で、私はもう一つ、ヨーロッパと日本を比べてすごくヨーロッパですごいなと思うのは、地域社会がまだまだ豊かだというふうに思っているんです。  お二人の御指摘の中でも、食、食べ物をキーワードにというか、食べ物で新しい経済を動かしていこうというふうな方向は私もかねてからずっと思っていまして、いろんなところで発言はしているんですけれども、食と農と観光をうまく結び付けて地域の魅力を発信していくということがヨーロッパでは当たり前に行われているような気がするんです。  例えば私の知っている事例では、イタリアなんかは各地方都市が、地域ならではの名物というんでしょうか、そこに行かなければ食べられないものがたくさんあると思うんです。日本だと一番いいものは東京とか大阪とか大都市に行きますけれども、ヨーロッパなんかはいいものはその地域に寄って、その場所に行って食べに行く、それが当たり前のような流れになっていると思うんですけれども日本でも是非そういった食と農と観光というその結び付きが、いわゆる地域の資源の再構築というんでしょうか、魅力の再発見ということにもつながると思いますし、それが地域活性化にもつながって、また都市農村の相互理解にもつながるんじゃないかななんて思うんですけれども、なかなかヨーロッパのようなそういう方向に行かないのは、何がネックなのかな、何が違うのかなというところを常に考えているんですけれども、その辺、お二人の御意見をお伺いできればというふうに思っています。  よろしくお願いします。
  29. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 私は舟山委員と完全に実態認識あるいは課題認識を共有化しております。  まさにそうであるがゆえに、地域づくりにおける暮らしの物差しづくり、物差しをつくり上げていくということが大変重要だろうというふうに思っておりまして、これは相当の努力が必要だろうというふうに思っています。言ってみれば、都市的価値観に非常に流されやすい日本において、そうではない、地域それぞれの価値観を自らが物差しとして持っていくということは、やはりこれは運動として起こしていく、その運動を支えるような政策を展開していくということが必要になってくるんだろうというふうに思います。  その点で、暮らしの物差しづくりの一つの大きな柱はやはり委員おっしゃるように食だろうと思います。委員もおっしゃったイタリアはまさにその典型的な事例でありますが、しかし、日本でも最近、御存じのように農家・農村レストランの動きが活発化しております。ある調査によれば、直売所の四割でレストランを併設しているという調査結果もございまして、そういう意味では、新鮮な食材を使って、そしてその土地独特の食を供給するような基盤が今ようやくでき始めている、そんなふうに私は考えております。
  30. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) 全く本当にいずこも同じなんだなという感慨がありました。  ただ、観光についての基本概念が一般的には何かちょっと特殊なもののように言われていますが、私が興味を持っておりますのは、二、三年前に亡くなったスイスの映画監督でダニエル・シュミットという人がおるんですけれども、大変地味な面白いスイス映画、撮影所のないスイスでスイス映画を作り続けて亡くなった人です。その人がこういうことを紹介してくれたんですね。アルプスにあることわざらしいんですけれども集落の中の希望、夢というかな、善意ともいう、何かちょっと元の言葉が分からないんですけれども、その集落の中の希望を決定するのは集落の外の希望だと。ダニエル・シュミットはそれを、自分はスイスに生まれた、スイスの中を決定するのはスイスの外の非常に強烈な国家たちだと。それから、スイスの中を美しく、気持ちよくするために努力をすることを自分は怠って、映画というスイスの外の列国に対してどんどん訴えていくという方を選んだ。なぜかというと、スイスの中を守ったのではスイスの中に生きている自分の家族を守れない、スイスの中に生きている自分の家族を守るためには、スイスの外でスイスを囲んでいるドイツやフランスやイタリアやロシアやいろんなところの列国に住んでいる人々のその希望を育てて、きちっといいものにしない限りはスイスの希望は守れないと、こういう意味のことをおっしゃっていたんですね。  僕は、それは非常に、前の商売が映画だったこともありますけれども、後の商売が観光だったので、非常にこれは面白いと。観光地というのが自分のところの魅力をぱっぱかぱっぱか何か申し上げて、うたい上げて、うわっと来たらそれで今度は自然を壊されてお手上げというようなことに比べると、このダニエル・シュミットが言っているアルプスのことわざというのは非常に何か的を射ておるような気がしまして、だから、それは国防論にまでなれば同じことが、日本を守るために外にどれだけ武器じゃなくて夢を育てるかというようなことにもなるんでしょうけれども、そういったことが非常に大事。  集落崩壊というのはもちろん環境崩壊に至りますが、環境が崩壊するあるいは風景が崩壊するということ以上に怖いのが、実は希望が崩壊していくということだと思うんですね。やっぱりダニエル・シュミットが言った、希望が大事だから、ここの村の希望はこの村の外の人たちがどのようにすばらしい希望を持っているかによってここの村が決まるという同じ言い方ですれば、やっぱり集落崩壊、その中で希望が崩壊していくというのをどうやって守るかということが非常に積極的な命題になって、経済政策とか補助金政策のときに最も大事に目を留めていただきたいところですね。そこで人間が生きていく、それがすばらしいじゃないかということが守られないと、委員のおっしゃったように、何かお金が、なきゃ困るんだけど、もうあればそれでとにかくいけということになってきた。  特に、この五、六年がひどいんです。その五、六年がひどいとなぜ言えるかといいますと、由布院に入ってくる資本、資本家、資本家と言っていいんですかね、企業資本が五、六年前まで、六年前まで、つまり私がやっていたころは、入ってくるときに、いやもう郷に入らば郷に従え、皆さん方がいかに自然や歴史を大事にしてきたかというのはよく分かっていますから、皆さんと気持ちをそろえて、乱開発はいたしません、一緒に手を握ってやりましょうと言ったのが六年前、僕がやっていたまでの外資の入り方です。  僕が辞めた後、辞めたからじゃないんだろうけど、急にいろんなことが変わりましてから、手のひらを返すように、入ってきて悪いんですか、私たちは資本主義の経済の原則にのっとって日本国の憲法を守ってきちっとここに入ってきているんですよ、悪いんなら裁判でもしてくださいという雰囲気に変わってきました。その五、六年前が何であったのかは皆様方の方が御存じだと思いますけれども、そういう大きな変化が起こっているということを集落崩壊の話と一緒に、希望の崩壊と一緒に報告しておきたいと思います。
  31. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  その他、質疑のある方。  石井準一君。
  32. 石井準一

    ○石井準一君 小田切参考人中谷参考人にお聞きしたいんですが、今、道路建設、道路財源の件で国会では大きな議論がされておるわけでございますけど、やはり限界集落に対する道路網の整備、また由布院に対していろいろな交通体系の整備の中で、それを受け入れるだけの時間、準備をしながらそういうものが整備されてきたと。  千葉県においてはアクアラインがよく引き合いに出されるわけでありますけど、アクアラインが完成した後の後背地の整備、その他の土地利用計画がいまだに明確でないという考え方の中で、やはり道路が、交通体系が地域に与える大きさというものをどのように認識をしているのかなと。  そして、よく、日本、観光立国、そしてまた千葉県は観光立県を標榜しておるわけでございますけど、なかなかその観光の資源、魅力そのものが住んでいる私たちには逆に見えない部分もあるわけなんです。そうしたことを考えたときに、交流人口、流動人口、そうした中で、道路ができることによって静かな地域が治安の面で非常に脅かされていると。開けっ放しで農作業に今まで出られたんですけど、空き巣や軽犯罪の事件が多くなってきたと。昔は、よそ者が入ってくると、だれもが気を付けなさいという連絡がそれぞれの地域や作業をしている方々に回ったわけですけど、そうした本当に静かに暮らしたい方々の生活が脅かされてきているということも大きな問題点ではないかと思うわけです。人生八十五年体制という、これはやはり政治が大きな責任や義務の中で構築をしていかなければならないわけですけど、都市型の高齢化社会の在り方とか、農村、いわゆる漁村ですとか中間、そうしたところの在り方というのはどう考えていくべきか。  そしてまた、不幸なことにイージス艦と漁船のあの事故がありました。国民が今一番関心を持っているのは、あの地域の人のつながりです。思いです。あれだけやはりマスコミが毎日、テレビの画面等で映しておると、まだまだ日本というその地域の良さ、思い、つながり、そうしたものを非常に感じ取った一面もあるわけなんですけど、そうしたものを今後生かしていくためにも、そうしたやはり集落だとか地域の魅力を引き出していく、それを残していく大きな責任を感じるわけなんですけど、その辺の認識をお聞かせいただければ有り難いなと思うんです。  以上です。
  33. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 大変難しい問題だと思いますが、これも二つ申し上げてみたいと思います。  一つは、私は先ほど申し上げたように、格差是正、あるいは均衡ある発展、これと内発的発展を両立させることが地方対策の基本だろうというふうに思っています。その点から見ると、私はまだ道路整備というのは必要とされている地域が数多く残っていると思っております。これはむしろ交流人口の方から説明するのが分かりやすいかなというふうに思っておりまして、その点で石井委員と同じ考え方であります。  先ほど申し上げましたように、今後の、地方産業の大きなもの、今後の地方産業として期待されるものとして交流産業というものがあります。やはり外から人が来なければ地域が残らない、あるいは外から人が来ることによって、その外の目で地域を評価することによって先ほどの暮らしの物差しができていく、そうなると交流というのは本当に重要だろうというふうに思います。その点で道路整備はまだ必要な地域が残っているんではないかというふうに思います。  今、石井委員は、むしろそのことによって、外から人が入ってきて治安の悪化ということもおっしゃいました。確かにその側面はあるんだろうと思いますが、しかし一方では、そうすることによって地域が残って、そのことによって日本全体の国土全体にくまなく人の目が行き届くというのが重要だろうと思います。と申しますのは、実は中山間地域、いわゆる限界集落の問題の一つに、ごみ、産廃の不法投棄の問題、これはかなり深刻な問題ですが、存在しております。そういうことがないためにも、日本の国土の大部分を集落が覆うという、そういうふうな住み方もまた重要だろうというふうに思っております。  二番目に申し上げたいのは、そうした道路と同時に、やはり公共交通の問題であります。残念ながら公共交通が十分ではない、あるいはむしろ脆弱化しているという中で集落の限界化が促進されているという実態がございます。その点で、道路整備、必要なところは今後も続けていく、と同時に公共交通をきちんと維持していくという、ここもまた重要ではないかというふうに思っております。  以上でございます。
  34. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 本来ですならば、約一時間をもって参考人委員間の質疑の展開というふうな予定だったんでありますけれども、まだまだ意見のあられる委員が多くいらっしゃるようであります。ですから、このまま参考人委員との間の質疑というふうな展開にさせていただこうかなということで御協力をいただきたいと思います。  質疑のある方、挙手を願います。  澤雄二君。
  35. 澤雄二

    ○澤雄二君 公明党の澤雄二でございます。  今日は小田切参考人、それから中谷参考人、本当にありがとうございます。  小田切参考人一つ質問をさせていただきます。  最後に、終わりにといって、幸福の経済学から考えるというお話をしてくださいました。いかなる条件があれば幸福と感じるのかというと、その答えは所得ではありませんと。失業率でもありませんと。実は政治的に参加しているか、どれぐらい参加をしているかということが実は指標としてナンバーワンですと。政治的な意思決定にどれぐらい参加しているかということが大事なんだというお話だったと思うんです。  私は今、昔風でいうと東京都下の多摩市というところに住んでいまして、多摩ニュータウンで有名な町であります。町の六割がニュータウンなんですけれども、実はこの多摩市は、何年か前に、リクルート系の雑誌の調査によると、住民の政治参加度というのが全国一の自治体に選ばれました。それは、自治基本条例というのを全国に先駆けて制定をしたと。つまり、町づくりは市民とともにあるべきだと。その基本的ルールを定めたのがこの自治基本条例。だから、そういうことを定めたということが高い評価、点数になったのかどうか分かりません。それから、この調査そのものがどれぐらい信頼度があるかということもよく分かりませんが、ただ、ランクナンバーワンでした。  最近の調査だと、ラスパイレス指数も全国一だという余りうれしくないのもあるんですが、そこに住んでいて、確かに大きな不満はありません。緑も豊かであります。私の住んでいるところは六割が緑ですし、それから自然の蛍も歩いて五分行けば見られるという、イタチとかタヌキもいるという。何を言っているのかよく分かりませんが、舟山先生、東京にもそういうところがあるので。それでも霞が関から三十分弱で高速では着いてしまうというところでありますけど。そういうことを聞きたいんではなくてですね。  それで、小田切先生が下さった資料の五ページ目に終わりにというのがあって、その下に表があって、中山間地域住民経済的水準のグラフがございます、表がございます。  これは、先生はそんなに大きな額を望んでいるわけではないという数字で示されているんですけど、それにしても不十分が六八・五%ですよね。十分が三一・五。この三一・五というのも、本当にこんなたくさんの方が満足しているのかなというのもちょっとよく分からないところはあるんでございますが、ただ、こういう中山間地域住民でこういう生活をしている方たちが本当に政治への参加度が一番幸せを感じることなのかどうかというのは、私は自分が今全国一だというところに住んでいて感じるのは、本当にそれが幸せ一番なのかなということの疑問なんですけれども、それについてちょっとお答えいただけますか。
  36. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 澤委員おっしゃるように、この表は小さな経済を実証するために用意させていただきました。  御覧のように、月当たりどのぐらい追加所得が必要かというところでは余り多くありません。ただし、その前提として経済的水準は十分かという問いに対しては、御指摘のとおり、年齢階層を問わず、あるいは性別を問わず、約七割が不十分だという回答であります。その意味で、中山間地域経済的な苦境がここのアンケートの中から浮き彫りになっているというふうに私も思っております。ただし、同時に、それではどのぐらい得られたら十分かというアンケートに対してはさほど大きな金額ではない。ということを考えれば、追加所得として、やはり先ほど申し上げたように、三万から五万、多くとも十万、つまり大きな幅を持たせたとしても三十六万から百二十万程度なんだということをこの表から是非申し上げてみたいというふうに思います。  その点で、それだけで十分なのかというふうに問われれば、例えば先ほど申し上げた生活交通の問題が大変深刻であります。あるいは、地デジに典型的でありますように、情報通信の問題もやはり今後大きな課題となるんだろうと思います。そして何よりも医療の問題が課題となるんだろうというふうに思います。  その点で、やはりそういった生活を支える機能を支えた上で、その上で住民参加を遂げることによって幸せに生きていくという生活が実現できるんだろうというふうにも私は考えております。
  37. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  その他、質疑あられる方の挙手を願います。  犬塚君。
  38. 犬塚直史

    ○犬塚直史君 まず、小田切参考人に伺いたいんですが、ここに出ている小さな資金循環についてですね。  地域を回っていると、信金、信組とかあるいは国金に頼って何か自分のアイデアを実現しているという人はまずいない。結局、最後に頼っているのはサラ金という実態だと思うんですね。もちろんサラ金は、さっきおっしゃったワークショップにおけるファシリテーターの役割を果たしているわけではありませんので、その辺り、例えばマイクロクレジットみたいなことを国内でどういう形でやっていったらいいのか、何か事例があったら教えていただきたいと思います。  そして、中谷参考人にお伺いしたいんですが、時間のことなんですけど、今国内旅行は一泊二日とか、海外旅行は、例えばハワイなんかは日本は大体ほとんどみんな四泊六日、海外でも西海岸の人たちは七泊九日というようなパターンなんですけどね。  しかし、今お話伺うと、滞在型保養温泉地で三泊から四泊というのをこれから力を入れておられると言うんですけれども、よく考えると、都市の家族関係を村のバカンスで支えるといいますか、例えばフランスなんかだと有給休暇が最低でも五週間から六週間ありまして、それをどうやって使っているかというと、例えば夏に四週間、冬に二週間、家族と一緒に使うと。どうやって使うか。もうそんな長い間ホテルに泊まるわけにいきませんので、大体田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのところに行くか、あるいはキャンプに行くと。そうすると子供と親の非常にいい思い出が大体みんな持っていると。つまり、都市の家族関係を村のバカンスが支えているのかなと、そんな感じがしないでもないんですけれども。  これから国内旅行を、そういう休みが取れるような環境にするのは立法府の仕事かもしれませんが、しかし、国内はやっぱりそういう滞在型よりももうちょっと長い取組、キャンプとか、本当に安い料金で風の食卓を満喫できるような、本当に家族が一緒に滞在できるような、長い間、そういう取組が必要かと思うんですけれども、その辺は由布院では今どのように考えておられますか。
  39. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 委員おっしゃるように、日本農村においても、バングラデシュなどで行われているマイクロクレジットの試みというのは大変重要であり不可欠なものとさえ私は考えております。地域づくりを行うにしてもその資金が不足している、そしてお金を借りるときには残念ながら十分な信用力もないわけですので借りることができないという、そういう問題が存在しております。  そういう中でどういう事例があるのかということなんですが、新潟県の村上市に都岐沙羅パートナーズセンターというNPOがございます。これは今年度までの県の資金を背景にした町づくり事業、町づくり活動に対する支援事業を行っているNPOでございまして、つまり地域住民が計画を立てて、それに対して公開審査の下にそこに資金を流すという試みなんですが、実はこの村上市の信用金庫がそこで選ばれた活動に対して特別なローンをつくっております。つまり、NPO地域活動を言わば認定して支える、それに対して信用金庫が特別なローンをつくってそれを支えるという、そういう仕組みができ上がっておりまして、これが一つのモデルではないかというふうに思っております。  NPOによる地域支援活動の支援、さらに支援ですね、そしてさらに、それを金融機関が何がしかの形で支援するようなそういう動き、これをモデルとして全国に広がれば大変望ましいというふうに私も考えております。
  40. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) 一言で言うと、とにかくお休みがゆっくり取れないかなというのは確かにありますね。それはもう本当にヨーロッパの場合はあきれるほどございますからね、三週間ぐらい。  それと、これはちょっと自分で言いながら矛盾しているなと思うんだけれども、食べ物に関しての欲望というのかな、そういうのが、イタリア人なんかはあんなに食いしん坊と言われながら、実は食べるものの種類は割に少しですよね、それで十分満足なさるんですね。試しに日本のどこかの旅館にいらしたら、もうちまちま、ああだこうだ、ああだこうだ言った挙げ句に満足なさらないと思う。  それで、食習慣も今後変わってくるでしょう。つまり、おいしい、おいしいものを探して歩くことから、もっとフレッシュ、フレッシュ、わくわくというような総合的な体験に変わってくる今そのはなだと思います。それが僕らがやっている風の食卓運動という、風の中での食卓で食べるといったら食味が変わるんじゃないかという提案でもあるし、山形の鶴岡のアル・ケッチアーノの料理なんかは誠に乱暴なものですが、あれは面白い。ああいう面白さに目覚め始めてきているんで、次第に民間の環境的な整備はできつつあると思います。  ただ、それが法令的に、有給休暇の取り方や何かが実際に取れるかどうか、法令はあるんですけれども、実際に取れるかという話がなかなか一つ難しいようです。  それと、何か楽しみなのは、昔は戦前から戦後間もなくくらい、大体、主に戦前ですが、入湯滞在というのは非常に元気だったんですね、木賃宿と言われるようなものから始まって軽井沢の別荘滞在まで、つまり安いものから高級までいろんな人が遊んでいた。お米提げていって、そしてまきだけ買わせていただいたらあとはただというような、そんなことまで含めて非常にそういう歴史はあったので、むしろ一泊になってきたのは戦後の大衆ツーリズム時代が起こってからで、朝鮮戦争のあのころから後なので帰っていく可能性は十分あると思います。  それから、最近の例で面白いのは、京都に、御存じでしょうけれども、町家というのが大変今盛んになってきています。滞在していただいて、泊まっていただいて、あれはもう既にある町のお家をちょっとお借りするんですね、そしてそこをもう宿屋にしちゃうと。ところが、これがなぜ面白いかというと、今までは一生懸命お国も応援しておられた民泊とかグリーンツーリズムとかいうものでさえも実は許可がなかなか難しくて、保健所の許可は厚生関係だとか、じゃ宿泊業になってきたらじゃ国交省だとかいうふうにいろんなところへ行って、窓口が農政になっただけで、えっ、グリーンツーリズムは農政がやるんだったら、それじゃ観光課は知らないぞみたいな変なことが今もまだあります。  そういったことは、実は町家では、さっと何か問題解いているんですね。あれは一日賃貸契約という形式でやっているんですね。宿泊業じゃないんです。一日だけ賃貸契約するから、避難所が二か所要るとか、何とか階がどうとか、ややこしいことはもう一切なしなんですね。  アメリカの人が始めた手法ですが、ここ二、三年ですが、これが本当に確定してきたらいろんなところで三日賃貸契約、一週間賃貸契約というのが出てくると、これまたどうなるのか、旅館業法がでんぐり返って保健所チェックのシステムまで大波食らうと思うので喜んでばかりはいられないかもしれないんですが、そんなことも含めて非常に可能性はあるというふうに信じております。
  41. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  佐藤信秋君。
  42. 佐藤信秋

    佐藤信秋君 お二人とも本当にありがとうございます。  実は交流産業と、こういう小田切先生のお話で、ちょっと農泊とか見ながら思い付いたというか思い出したんですけれども、新潟で山古志村で地震がありました。小林幸子さんが随分応援してくれたというので、今衆議院議員になっていますが、前の村長の長島さんが田んぼを、棚田なんですね、棚田を一枚小林さんに差し上げた、貸したのかな。それで、小林さんは田植と稲刈りに行く、あとは地元の人が管理はしてくれたりしているんですが。  そこで、実は、先ほどの交流産業、こういう観点からいくと、小田切先生に、私自身はそれが一般化して田植、田んぼと限りませんけれども、田植や稲刈りの時期に一週間とか十日とか、我々のような、私ももう六十で実は団塊の世代で、大体友達がリタイアして田舎に住もうと思うと住めない、奥さん反対と、実際行ってみたらやっぱりうまくいかないと、こういう例が多いんですね。そういう意味では、十日とか二十日とか、都会から田舎へ行って田植、稲刈りをする。そうしたことが実は組織として、あるいは行政としてやり得ることだろうし、どこかでやっていないかなという思いがあります。小田切先生に事例を御存じであればと思います。  それから、中谷参考人、ごめんなさい、お久しぶりでございます。大分以前に由布院に二、三回行ってお話もさせていただいたりしたんですけれども。  今みたいな、私が申し上げたようなやり方というのが、観光産業と言われる産業と、実は私はコラボレートするんじゃないか、でき得るんじゃないかと。反対の極というんじゃなくて、由布院の風景を考えると、由布院の近くにそうした田んぼでも畑でもいいんですけれども、自分の田んぼ、畑があって十日ずつ行く、しかし二泊か三泊は豪華に中谷さんのところで過ごさせていただくと、こういうことが成り立ち得るんじゃないかなと実は先ほど来のお話で思ったものですから、お二人に一点ずつお聞かせいただければと思います。
  43. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 具体的な地名を挙げることはできませんが、今、佐藤委員がおっしゃったように、交流から準定住、そして定住というステップアップ、それに応じて、例えばオーナー制から貸し農園、これは市民農園法がサポートしておりますが、そして農地を借り入れて実質上農業者になっていくという、そういうふうなステップアップをしているような、そういうふうな事例も幾つか出始めております。  そういう意味で、ここでも必要なのは、いきなり定住をねらうのではなく、段階を経て定住に至るような、そういう意味で中を刻んでいくという考え方、多分二地域居住という考え方もその一つ試みだと思いますが、そういうことが特に重要だろうというふうに思っております。
  44. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) どうもありがとうございます。  全く観光という仕事と、それからそういう保養、あるいは家族連れの滞在をもってよしとする仕事は矛盾しないばかりか、それをぐっと融合させようという運動が八十何年前の、本多静六さんと一緒になってドイツ、ドイツといって夢中になった以来の願いですので、なかなか完成はしませんが、筋はそこへ向けてこれから後も若い人たちもずっと追っかけていき続けると思います。そのためにあれだけの盆地の田んぼも必要だし、あの盆地の水もどうしても守りたいので、花水樹運動ということもやっていまして、何か別の部屋に置いてきたんですが、こんな花水樹運動の何十年にわたる歴史を記録もしております。  それで、一つ面白いのは、やっぱりドイツというのは、温泉はわいていますけれども、基本は温泉療養あるいは治療なんですね。限りなく医療に近い治療なので、日本で言う温泉療養という、本当に療養かなというようなものと相当違う。  そういったところが実は今後大きな柱になってくるんじゃないかというので、国に造っていただいています厚生年金病院というのが指定管理者制度で全国一斉になくなろうかというときに、国会議員の方々のお力であれをとどめていただいて、由布院に厚生年金病院が残ったんですね。これが非常に大きな力に今後なっていくと思います。あの田んぼの中で、そして、クアハウスという言葉をドイツのように使わないで、クアオルトという、治療するためのその領域全域という、盆地全域というような意味の指定をしていただいて、あれが一つの精神的なよりどころになって、八十何年前の祖父たちの夢が具体的に厚生年金病院を中心にした医療、あるいは保養という村を形成していくと思うんです。  これが、年金病院は地方の病院ですからいろんなことは設備はありますけれども、基本的には心臓循環系で、社会復帰をするための長い期間をあそこで療養したいと、即社会復帰できないから。そういうリハビリテーションホスピタリティーなので、一つ地域を滞在型に守っていくのには大きな象徴になると思います。それを大事にしながら今後もやっていきたいと思います。
  45. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 増子輝彦君。
  46. 増子輝彦

    ○増子輝彦君 民主党の増子輝彦でございます。今日はありがとうございます。  まず最初に、小田切先生にお聞きしたいと思います。  この二〇一〇年問題、私も全く同じ認識でございます。と同時に、日本は高齢少子化にもう入っているわけでありまして、これから人口減少というのは避けて通れないという大きな課題がございます。  そうしますと、農家で今、顕著なことが二つあると思っているんです。一つは、やはり高齢化がどんどんどんどん進んでいるということ、若い農業後継者は極端に少なくなっております。ここに一つ問題があると思います。と同時に、農業後継者にお嫁さんが極めて少ないと。舟山さんのような方は大変貴重で有り難い存在でございまして、都会から農家に来ていただくということはもう大事に大事にしなければいけないんですが、現実に三十、四十、五十代でお嫁さんをもらえない農家の後継者というのは非常に多いんですね。この問題もやはり解決していかなければならないと思っているんですが。  そこで、日本人口減少の中で、先日も農業後継者からある質問をちょうだいしました。このまま人口減少を受け止めて、日本はそのままの自然体でこの国がやっていけるのかどうかということ。もう一方、しからば、減少した分を外国人からの労働者や様々な国々からの人たちを受け入れる多様な国家として生きていきながら、人口を維持するべき努力をして今と同じような日本というものを保っていくべきなのか。どちらが本当に我々にとって幸せなんでしょうという実は大変重要な質問をちょうだいいたしました。  私はその中間的な考え方を回答として答えたんですが、人口が減り続けていく日本の中で、そのまま自然体で日本という国があるべき姿がいいのか。当然、農家をやっていく人たちも減少していくわけですが、あるいは経済力も落ちるんだと思うんです。そういう形で自然に、また人口、出生率も自然に増えていくことを待つべきなのか。あるいは、他民族、ほかの国からどんどんどんどん人を受け入れて、現在の人口に近い形の中で人口を維持しながら今のような経済力を持っていく努力をすべきなのか。この点についてのお考えをお聞かせいただければ有り難いと思います。  それから、中谷参考人、本当にいろんなすばらしいお言葉もいただきまして、大変参考になりました。  私の地元福島県二本松にかつてニコニコ共和国という実は独立国をつくって、随分一時は活発にたくさんのお客さんに来ていただいて、みんな温泉街が張り切って頑張っておりました。しかし、これはなかなか持続できないという問題点がございます。やっぱり日本人の一つの特性なのかもしれませんが、新しいもの新しいものを求めて観光地や様々なところに行くという傾向もございます。  そういう意味では、今、別な方向性を求めてこの温泉地はやっているんですが、先ほど、滞在型の温泉地といいますか、四日ないし五日ぐらいいてもらえば本当の良さが分かるということのお話をいただきました。それも確かにそうなんですが、なかなかそういう時間的な余裕も取れない中で、しかし滞在をしていく中で自然と触れ合って、おいしい食事を、豪華なものではなくてもいいんですが、おいしい食事もしていく中で、それだけで本当に全国のこの温泉地や観光地がやっていけるのかどうかという考え方が少し、まだ私には回答が出ないんですが。  そこで、最近、日本にもカジノを造ろうという動きが実は出てまいりました。バーデンに私も行ってまいりました。あそこにも実はカジノがございまして、少しだけ私も楽しんでまいりましたけれども、観光地だけではなくて、日本にカジノという、ある意味では娯楽性を持った健全なカジノ的なものの建設というものを考えたときに、温泉地も保養地も含めながら日本でそのような存在があることが、果たしてどういう観点から中谷参考人はお考えを持っているかということも少しお聞かせいただければ有り難いと思います。  以上です。
  47. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 回答する前に申し上げますと、これだけ多くの質問をいただいて感激しております。ただ、私自身の緊張感が維持できるかどうかというのがちょっと自信がなくて、その点であるいは言葉が整わないかもしれませんが、お許しいただきたいと思います。  確かに、少子高齢化、このシミュレーションをすると、日本全体の人口規模は極めてミゼラブルになる。しかも、これを地域的配置をしてみると地方部は軒並み崩壊状態になるという、そういうシミュレーション結果が出てまいります。私自身は実はこの段階でもう思考停止になっておりまして、つまり、その段階で何をするのか、外国人をそこに呼び込むのかどうかという議論よりも、むしろそこに歯止めを掛けて出生率を高めていく、安心して子供が産める、そして安心して子供が育てられる、そういう農村地域コミュニティーを強化することによってつくっていきたい、あるいはそのことのための政策を提案してみたいということに力を注いでおりまして、残念ながら委員御質問の問いに対しての直接の回答は出てきません。  ただ、一つだけ申し上げたいのは、特に農村部においては、いわゆるお嫁さんというものは非常に大切な意味を持っております。妙なことを申し上げるようですが、その地域の価値観をある意味で再発掘する、あるいは発掘するというのは外の目だろうというふうに思っています。そのために二地域居住とかあるいは交流ということの重要性を我々は主張しているんですが、そこまでもいかないまでも、実は、外から婚姻で入ってくるお嫁さんはまさに外の目を持った方々でございまして、その点で農村部はお嫁さん方を大切にすることによって、その方々に地域の資源あるいは地域の宝、文化を発掘してもらうような、そういうふうな位置付けを与えるべきではないかというふうに考えております。そういう努力をすることによって、子供が育ちやすい、子供を産みやすい、そんな農村社会が最終的にはでき上がっていくのかなと、あるいはそれを様々な形で支援していきたい、政策提案の面で支援していきたい、そのように感じております。
  48. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) ニコニコ共和国とは懐かしくて、僕何度かお邪魔しました。宇佐にもそれに似たようないろんな試みがあったんですけど、やっぱり失敗しました、邪馬台国という。  それで、滞在して限りなく親類クラブのようになって時々来ますよという形が近いのは、イタリアでもフランスでもそうやって昔は王侯の領地として育った田舎がいっぱいありますからそういう習慣が残ったんだろうと思いますけれども、僕らの滞在型というのは、途中で元気のいい近代化の波を食らって会社単位で来るのがお得意さんだというふうになった時期がありますので、そのときに何かどんちゃん型、楽しもうという歓楽型というのが強く芽生えましたですね。ヨーロッパはもちろん王侯貴族の町でありますから更に盛んでありますけれども日本で今カジノをやったらいいかどうかということについては、私は余り、どっちとも言いづらいですね。  ただ、私が願っているのは、観光地というのは、長い間、戦後の大衆ツーリズムの間には非日常を用意するものだというふうに言われましたですね。普通のものじゃ面白くないとか、とんでもないようなフランスのロココ調のホテルができたりとかいうふうに日常でないものを扱うと。だから、日常でないものですから、山の中へ行ってもマグロの刺身とか、こういうふうになるわけなんですが、僕らが願ってきたのは、実は非日常じゃなくて日常なんだと。滞在のお客様に満足していただくということは日常を用意することなんであって、非日常を用意したのでは滞在のお客様はたまったものじゃない。  それじゃ、どんな日常なんだというところからがあいまいになるんですが、僕らは何かとても望ましい日常、おれは考えてみたらこんな暮らしをしたかったんだよな。御家族と一緒にいらしてくださったら、おれは家族と一緒にこんな暮らしをこそ本当はしたかったんだというふうにしみじみと思えるような日常、それを用意するというようなところに大きな柱を立てれば、あとはカジノのデザインとかスケールも含めてあらまほしき観光地のシステムというのは創造できていくんじゃないかというふうに思っています。
  49. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございました。  その他。  橋本聖子君。
  50. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 小田切参考人そして中谷参考人、今日のすばらしいお話いただきましてありがとうございます。  中谷参考人お話をお聞かせいただいて、すごく十数年前を懐かしく思っていまして、亀の井別荘さんに一度泊まりたかった一人として、今日ここでお会いできるのを楽しみにしていました。  私はちょっと、アスリート時代の話なんですけれども、長い期間由布院で合宿をさせていただいたことが数回ありまして。バカンスではないんですね、アスリートというのは大体最低でも同じ場所に二週間の滞在、そして長くて一か月のベースキャンプを張るんですけれども、スケートの選手のときは大体北海道がそういうベースキャンプで、自転車のアスリートの時代は大体本州、四国、九州というところが多かったんですけれども。たまたま自転車の理事長が由布院に別荘を、ハーブガーデンの近くに別荘を持っておりまして、そこで別荘を借りて長期滞在、お金も掛かりますのでなるべくそういう節約をしながら、食材は自分たちで練習が終わった後に直売所に行きまして用立てて、そして交代で自炊をしてというような、そういうような生活をさせていただいた経験があるんですね。  北海道も読めない地域がよくあるというんですけれども、大分も、由布院の近くも地域余り漢字が読めないというんですか、面白い場所がたくさんあったのを今思い出しまして。由布院から出て耶馬溪ですとか、今思い出したんですけれども、耶馬溪ですと、あっちの方に上がっていって、そしてミルクロードを通って阿蘇山の方に向かって、そして熊本へ行って往復してくるというのが大体一日のコースなんですね。長いときで一日二百キロぐらい走るんですけれども、そういうようなのですごく懐かしく思っているんですが。  アスリートというのは、これが本来の人間の姿なのかなと思うんですけれども、習性としてというよりもそうしなければいけないんですけれども、長く滞在するというのはやはり自然にその町に溶け込まなければいけないんですね。その順応性がないアスリートとすごくある人では、全くそこのキャンプをしていても成果が全然違うということで。  でも、そう考えると、ずっといろんなところにベースキャンプを経験してきて、ドイツにもよくキャンプはしていたんですけれども日本でいうとやはり由布院という町は、こちら側が順応しようしようというふうに思わなくても、自然に溶け込む雰囲気を持っている町だなというのが物すごくアスリートのときに印象に深く残っているんですね。それは、先ほど参考人からのお話の中に、やっぱりそれだからこそあのときに肌で感じるといいますか、本当にいやすい、滞在できる地域なんだなというふうに思ったのは、そのままの由布院の良さをいかにそのまま伝えることができるかということに尽くされているんではないかなというふうに思ったんです。  便利であるからこそいいということではなくて、やっぱり今はどこに行っても同じような雰囲気になってしまっているので逆にいづらい部分があるんですけれども、由布院の場合は、その本当の町の良さ、温泉リゾートの元々の本当にすばらしさというのをいかに魅力あるもので普通に提供するかということに努力をされているからこそ、普通に感じるすばらしさというのがあったのかな、溶け込めたのかなというふうに思うんですけれども、さらに、これからは、今すばらしい由布院を更にもっと発展をさせるということは、更に自然でいかなければいけない、自然体でなければいけないということが本当のテーマなのかなと今感じているんです。  いろいろなこれから地域おこしをして、観光と食とそういった環境というようなものに触れ合う町づくりということは全国各地でなされてこようとしているんですけれども、それを最先端を行く由布院としては、これからもっと由布院のすばらしさ、自然体でいくために努力をしなければいけない部分というのはどこなのかなということをちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  51. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) どうも本当にありがとうございます。  やっぱりスイスの話じゃないけれども、由布院の中のことは由布院を見詰めてくださっている皆さん方の希望で決まりますので、私たちも、これからも皆さん方の希望をどれだけ真剣に膨らましていくか、それにこたえられるかということが中心になってくると思います。  ただ、一つだけうれしいのは、若い人たちがやっぱりすっかりその気になっている。非常に何か結束力が強くなっています。変な言い方ですけれども市町村合併に大反対を上げてやって、つまり敗残の者たちが非常に何か自分たちで、自分たちがやらなきゃ。今まで、行政にお願いする、今度はどこにお願いするというような気分が一応はあったんですよね。一応はあって、それがしてくれないからというのが一種の不満分子でもあったんですけれども、ぽいぽいとよそに行かれてしまったのが逆に裏目に出てというのかな、じゃおれたちがという気分になって、盆地全体を何か大事にしていこうという運動が起ころうとしていますので、何かちょっといい気分かなと。その先頭に立っているのが女の人たちが続いていますので、これもひょっとするととてもいい傾向かなというふうに思っています。
  52. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ありがとうございます。  予定された時間もほぼ迎えておるようでありまして、委員におかれましても、また参考人におかれましても覚悟のほどがあろうと思いますので、最後の質疑にさせていただこうと思います。  藤本祐司君。
  53. 藤本祐司

    ○藤本祐司君 民主党の藤本でございます。  今日は小田切さん、中谷さん、本当にありがとうございます。大変参考になりました。  質問というよりは、何か半分意見みたいなところになってしまうんですけれども、私も前職、四年前まではシンクタンクにおりまして、十五年ほどいわゆる地域経営とか地域振興という、特に観光を中心にやってきたものですから、ちょっとそこでまた中谷さんにも何度か実はお目に掛かったことがありまして、由布院にも、亀の井さんにも泊めていただいたこともあったんですが、ちょっとお聞きしたいことと意見を申し上げたいと思います。  次いでと言ってはなんですが、今週末、我々の仲間で大分出身の足立信也さんという人がいまして国政報告会がありまして、実は今日のメンバー三人が大分へ行って由布院に泊まらせていただきますので、また由布院の中をじっくり見させていただこうかなというふうに思います。  先ほど、地域活性化の話でいろいろなキーワードといいますかが出てきて、よそ者、若者、そして女性、もう一つ変わり者というかばか者というんでしょうかね、そういう方々がうまく溶け込みながらやっていくということが一つのある意味地域活性化の触媒効果というか、そういうところにつながっていくのかなというふうに、これはもう昔から、昔からというか、何年か前から言われていますので、それがまさに実態として由布院としてはうまく回っているのかなというふうに思いました。これは感想でございますが。  あと、大門さんが亀の井さん高いというふうな話がございましたけれども、実は私はホテルの経営にも携わったことがあるものですから、そこから申し上げると、あれだけのホスピタリティーというのは決してきっと高くないんじゃないかなというふうに思いまして、選択肢いろいろある方が楽しいし、あれだけ非常に、何というか、手間も掛かっているなというふうに思いましたので、事、亀の井さんに関しては、何か十年ぐらい前から余り価格が変わらないので逆に私としては心配をしているんですけれども、大変評価をさせていただいているところでございます。  それと、増子さんのカジノの話があったんですが、カジノについては、基本的に私はちょっと心配なのは、リゾート法と同じように、カジノやりますよというと、あっちこっちでうちもカジノ、私もカジノということになってしまうというのがちょっと心配だなというふうに思っておりまして、由布院にカジノがあったら多分似つかわないというのでカジノを導入することはないと思うんですが、少し人気が落ちてきている、あるいは評価が低くなってきてお客さんが少なくなっているところがあちらこちらでカジノ、カジノ、カジノというふうになったときに、そのパイを吸収できるかというとなかなかそこはできないだろうし、本来の魅力というのは全く無視してしまって、カジノという非常に短絡的に持ってくることになりがちであることをちょっと懸念をしておりまして、カジノがいけないということではないんですが、若干そこのところはしっかり、地域が自分の魅力は何かというところを考えた上で導入をするということが重要なのかなというふうには思いました。  それと、先ほどから休暇の話が出ているんですが、ただ、観光立国の話は、海外からということと同時に、あれは国内観光も振興しましょうという中身なんですが、休暇というのは、例えば長期休暇のお話、先ほど犬塚さんからあったんですけれども、長期休暇を取れるようにどんどんしていくと、何かむしろまだ日本の旅行というのはツーリズムが成熟していないのか、海外へ行ってしまうんじゃないかと。むしろ、長期休暇というよりも休暇をどうフレキシブルに取れるのかというような柔軟性のあるようなものにした方がいいのかなとちょっと思ったりもするんですけれども、その点についてちょっと中谷さんにお話をお聞きしたい、質問したいと思います。  それともう一つは、後継者育成の話で、アグリツーリズム、私もイタリアのアグリツーリズムちょっと見に行ってきましたけれども、どこへ行ってもワインと生ハムと豚肉料理しか出てこなくて、何軒行ってもずっと同じものを食べ続けなきゃならないという、そういうところから見ると、日本の方が随分と食文化というのは多様性があるのかなというふうには思いましたが、イタリアのアグリツーリズムも、フランスなんかもそうだと思いますが、基本的に日本グリーンツーリズムと言い出したときには農作業とか農体験という、農業体験ということが前面に出てしまうおかげで、むしろそこで取れたものをどう食べるのかという、そこで例えばワインだとか生ハムだとか、そこで作ったものをどう提供するのかというのが多分イタリアとかヨーロッパのアグリツーリズムなので、そこのところは日本の農業とうまくかみ合っていけないのかなというふうに思います。  ちょっとそこは小田切さんにも話を聞きたいと思いますのと、あとやはりイタリアなんかは、後継者育成というか後継者が戻ってくるための一つの施策になっている。要するに、農業だけをやっているのはちょっとなと言いながら、やっぱり少し、いわゆるホテルというか旅館というか、日本でいうと、宿泊といいますかホスピタリティービジネスといいますか、そういうところの色を付けていくとアグリツーリズムが発展しているというような、イタリアなんかの印象がありましたので、ちょっとそこら辺り、もし御感想があればと思いました。  もう一つ、たくさん言って申し訳ありませんが、小田切さんが先ほど、道路は必要で、交流人口を増やすためには道路が必要だというふうに言われましたが、観光地として評価の高いところは決して、交通の便利なところの方がむしろ少ないと。温泉地なんかでも、日経新聞なんかの評価をやったときに、人気ある温泉地トップテンはほとんど交通が不便なところ、ワーストテンというのは大体新幹線の駅があるところというふうに相場が決まっておりますので、むしろ道路ができる、交通が便利になってしまうと安心してしまいまして、もうこれで大丈夫だというところで創意工夫がなされないんじゃないかなというところがあるので、必ずしも道路整備と密接な関係があるとは私は思えないので、ちょっとそこのところ、もし御意見があれば教えていただきたいと思います。  最後なんですが、行政のことで、黒川温泉なんかは特にそうだと思うんですけれども、十数年前に調査へ行ったときに、黒川温泉の発展した理由は何ですかと言ったら、行政に頼らないとか行政の方々から全く支援をもらわないことだのような話をされたことがあるんですが、組合費が高くて自分たちでやっているという、多分そういう自負心があるんだろうと思うんですが、その辺のサポートという点でバランスが難しいのかなというふうには思うんですけれども、ちょっとその辺り、中谷さんにもお聞きしたいと思います。  済みません、いろいろあって。
  54. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 質問順にひとつ答弁を願いたいと思います。
  55. 中谷健太郎

    参考人中谷健太郎君) いろいろ御配慮ありがとうございます。  二十室の宿屋で百人でプチ農協のようなことをやっておりますので、百人、いつまでやり続けられるか分かりませんが、力を入れているのは加工、農産物を加工しないと、料理だけに使うとそこでストップしてしまいますので、農協さんがもったいない、もう売れない、持って帰ってくれと言っているのを何とか展開しております。  それから、百人はそのまま置いておきますと老人ホームになりますので、どんどんどんどん土地の中に店を持って展開して、ばらばらに卒業生が出ていくような仕組みを三十年ぐらいやっております。そんなことが唯一の楽しみで、実際やっていると経営はもう大変です。  それはともかく、カジノに関しては、ファミリー旅行が世界的には大手なんですよね。日本の中でも、会社単位お遊び旅行というのも余り増えてきておりません、最近は減る方向にありますので。どういうことがそういう旅の楽しみを、つまり家族旅行の中にカジノがどれくらい踏み込めるかというようなことがあると思います。  それから、休暇については、なるほど、これは今日初めて指摘されまして、長期になかなかならぬでしょうけど、なったらそのまま海外へ行かれるというのは確かにありますね。それは今まで考えていませんでした。こちらが十分海外と拮抗できるだけの長期滞在システムをつくってならいいんですが、なしのままだと確かにおっしゃるようなこともありましょう。しかし、経済人というのは不思議なもので、そうなったら、また慌ててしゃにむに今度は外国に対抗する長期滞在型の宿がそれをきっかけにしてできるかもしれません。  農体験は、実はドイツでもイタリアでも十四、五年前までは随分盛んだったんですけど、何となくやっぱりどちらにも人気が悪いというか、お客様にも余り、もうしんどいよ、暑いからやめようということだし、やってもらっている方も、何か下手なブドウの取り方されてわやじゃというようなことがよくあるみたいで、ここ十四、五年は、品物でどうぞ持って帰ってくれとか、もっと面白いのは、うちとあんたのところは親戚だから、よそに売っていないうちのワインをあんたのところに何百本年間送るからというそういう契約で、マーケットを通さない契約システムがこの農体験を通して都市農村に結ばれているということの方が面白いかというふうに思います。  それから、やっぱりイタリアは、そういうのを支えているのが第三のイタリアと言われるシステムがありまして、多分小田切先生なんかの方がお詳しいと思うんですが、そういう地域連合体の中で、行政の職員や職員組合や地域のそういう銀行さんまでまとめ込んでの何か独特の動きがありますので、ちょっと二十五年くらい前に完成したようなシステムですが、これが非常に、行政とはまた別の自由な動きをしているので、面白い存在だと思います。  自動車道路は、私は、ちょっと困る場合もある、もちろん便利はありますが、困る場合も。私らの身辺でいいますと、スーパーマーケットなんかはとんでもないところにできてくるので、生活圏が拡散していくんですね。大体二十五分ですか、歩いて二十五分半径が暮らすには老人も含めて快適だというふうに言われていますが、二十五分どころか、もう延々車で突っ走らないと身辺に商店がなくなるということが、ちょっとマイナスの方としては気になります。  それから、遊歩道などを一生懸命やってやっと造っても、今度は町村合併によってぼんと市が大きくなりますと、私らのような小さな由布院という町で、潤いのある町づくり条例審議委員会とかいうのをつくって、わっせわっせ何十年もやってきたんです、ここはもう車を通さぬようにしようとか。市になりますと、そういうのは形の上では残りますが、審議委員その他が全部市から来ますから、ええっ、何で由布院だけそんなところに自動車通さぬのというような話になって、あっという間に自動車が通ったりするんですね。だから、歩道は大事に大事にお考えをいただきたいというふうに思います。  それで、行政は、もう一生懸命仲良くしますから出てきてほしいと。もう本当に、どこか直接の行為が実らなくても、何か触媒になるだけで必ず大事な存在、今後ともに大変大事な存在になっていくと思うし、若い人たちは勇を鼓して、今、市会議員に挑戦しております。どうぞかわいがってやってください。  ありがとうございました。
  56. 小田切徳美

    参考人小田切徳美君) 私は、直接お尋ねされた二つの点についてのみお答えさせていただきます。  順番を入れ替えて道路から申し上げますと、少し先ほどの回答は道路整備が必要だということを強調し過ぎたのかもしれません。私が申し上げたのは、高速道路が必要だということでは決してありません。まさに私たちが歩いているような中山間地域では、国道でありながら離合さえもできないような、そういうふうな道も本当に少なくない。そうであるために、それが一つのネックとなって交流活動が十分展開できないという事例も現実に存在しております。そのことを申し上げたかったということで御理解いただきたいと思います。  それから、地域の食文化が地域活性化と今まで直接結び付いていないというのは、これはまさに本当にそのとおりでございまして、恐らく地域サイドにとっては、いわゆる田舎料理についての自信がなかったんだろうと思うんですね。それを外の目で、よそ者の目で評価するようなことが多くはなかったんだろうと思います。そうであるために、それを改善したりあるいはアレンジしたりという、そういう努力に徹底的に欠けていたんだろうと思います。ところが、先ほど申し上げたように、交流活動を通じて外の目が入ることによって、この料理はおいしいねという声、それに対して、いやいやこれは田舎料理ですよと、こういうやり取りが続くことによって改めて食文化を再評価するような、そういう時期に今来ているというふうに思います。  その一つの証左といいましょうか現象が先ほど申し上げたような農家レストラン、農村レストランの動きでございます。少し前までは農業農村で唯一の右肩上がりは直売所だというふうに言われていたのが、最近では農家・農村レストラン、これが恐らく唯一の右肩上がりの動向だろうと思います。この農家・農村レストランが日本においてもこれだけ広がりを持っているというのは、いよいよ食文化が地域づくり地域活性化と連携をし始めたということで、まさに新しい局面に入ったということで我々は注目しております。
  57. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) どうもありがとうございました。  以上で参考人に対する質疑を終了させていただきます。  小田切参考人及び中谷参考人、本日は大変御多用のところ、長時間にわたりまして質疑にお付き合いを賜りまして、心から感謝を申し上げたいと存じます。ありがとうございました。  本日お述べいただきました御意見は今後の調査参考にさせていただきたいと思います。本調査会代表しまして心より厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  次回は別途御連絡をさせていただきたいと存じます。  本日はこれでもって散会をいたします。    午後四時三分散会