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杉浦委員 自由民主党の
杉浦正健でございます。
災害特の貴重なお時間をいただきまして質問できる機会をお与えいただきまして、ありがとうございます。
先ほ
ども皆さんに
黙祷していただいたところでありますが、今度の
豪雨災害、
東北から九州近くまで、全国的に大変な
豪雨で
災害を起こしたわけであります。三人の方がお亡くなりになりました。うち二人は私の
ふるさと岡崎市から出たわけでございます。亡くなられた
方々に心から御
冥福をお祈り申し上げますとともに、
被害に遭われた
方々に心から御同情申し上げる次第でございます。
林大臣におかれましては、いち早く
被害地を御視察いただきました。
岡崎市、
幸田町にも足をお運びいただきまして、
実情を、生々しいところを視察していただくと同時に、この
災害の
復旧はもとよりのこと、その
根本原因となる
河川の
整備等に全力を挙げるという決意を御表明いただきまして、
地元の首長、
議員、
関係者は、大いに喜び、また期待申し上げているところでございます。まことにありがとうございました。
今度の、私の
ふるさと岡崎市、
幸田町の
豪雨は、過去の
記録にない猛烈なものでございました。八月の二十九日未明、午前一時から二時までの一時間に百四十七ミリ。その前後も物すごいものでございました。約二時間にわたって
記録的な
豪雨になったわけであります。降り始めの二十八日から三十日までの総
雨量は四百四十七ミリメートルに達したということ、これも
記録的でございます。
私、その後三日間、
被災を受けた
地域をくまなく回りまして、
皆さんにお
見舞い申し上げると同時に
実情を詳しく伺ったわけでありますけれ
ども、私はその日の夜はたまたま東京におったのですが、その雨の量について聞きましたところ、滝のような雨とか、それからバケツをひっくり返したような生易しいものではない。ナイアガラの滝というのがございますが、あそこに
滝つぼに入っていく
観光船があります、その
観光船に乗った方は、ちょうどその
滝つぼに入ったようだと。立っておれない。傘なんかきかない。おまけに、雷鳴、雷の光。雷雲がおよそ十キロ平方メートル、
岡崎と
幸田の上に集結したわけでありまして、すさまじい
豪雨だったということでございます。
お亡くなりになった方お一方は、
浸水地域で、その
地域は
伊賀川に沿っておるのですが、百戸を超える一町内全部が天井近くまで
浸水しまして、亡くなった方は平家だったものですから、逃げ場がないということでお亡くなりになったわけであります。
もうお一方は、
伊賀川沿いの
河川敷内に五十八戸うちが建っておって、これが
大正年代から建っておるということで、
伊賀川
整備の
一つの大きな
問題点だったわけですが、その家が基礎がえぐられまして、三戸が倒壊いたしました。お一人が流されまして、必死になって捜索したのですが、三日後にその方は、
伊賀川から乙川、そして本流の
矢作川へ、それから
矢作川を下って
三河湾の日間賀島というところに漂着されたわけで、痛ましい
事故に遭われたわけであります。
被害、
床上浸水九百二十一棟、
床下浸水千八百八十八棟、これも歴史的な
記録であります。八年前の
東海豪雨のときも私
どもの
地域は大変な
被害を受けておるわけですが、それをはるかに上回るものでございます。
床下浸水千八百八十八戸は、これは届け出た方でありまして、実際にはもっと多い。
災害救助法等の適用を受けまして、
床上の場合は、
見舞金を一戸三万円、五万円差し上げる、それから
固定資産税の
減免措置を講じる、
届け出ろということで、
床上浸水についてはほぼ届けられていると思いますが、
床下浸水については暗数がかなりあると見てよろしいかと思います。
犠牲者を出しました
伊賀川は、市の
中心部、お城をめぐって南北に流れております一級
河川でありますけれ
ども、平時は桜、
伊賀川の桜といえば
桜並木で有名なところであります。
市民の散歩道でありますが、何しろ
掘削河川でありまして、狭い川を掘削したものですから、
大雨が出ると溢水するという常
襲河川であります。
幸田町も
記録的な
豪雨に襲われまして、
広田川が
決壊いたしました。
大臣に
現場を見ていただいたのですが、百四十二ヘクタール、そのところが
浸水いたしました。我々の
地域でも有数の
美田であります、米どころでありますが、一面泥の海になりまして、米はほとんど全滅だろうというふうに言われておるわけであります。
この川の
決壊は九十年
ぶりだそうであります。今生きている人ではだれも知らない、九十年
ぶりということでありますが、
幸田町でも
床上、
床下浸水、それから
農地その他の
浸水、
道路の
損壊。それから、
岡崎も
幸田もそうですが、水路の一部
損壊は数知れぬものがあります。橋が一本落ちました。
このような
災害を生じた
原因でありますけれ
ども、これは
記録的な
豪雨だ。大体、
災害対策、
排水等は時間五十ミリを想定してやられておるようでありますが、その三倍の
豪雨ですから、雨がもちろん
原因でありますけれ
ども、同時に、
河川とか雨水の
貯留池とか、さまざまな形の
インフラ整備がおくれておるというのは、もう根本的に
一つ事情として言えると思うわけでございます。
岡崎市は、僕の小さいころは
人口七万でございました。
合併地域を入れて現在は三十七万。川はそのころとほとんど変わっておりません。
改修計画を進めておりますが、全部
改修が済んでおりません。
都市化がどんどん進む、
農地が減る、林地が削られるという
状況でございまして、それから
工場も、トヨタさん初めさまざまな
工場が立地するという
状況であるにもかかわらず、その
治水対策という点では、もちろん一生懸命やっておるわけですけれ
ども、まだその
計画の半ばというところでしょうか。
例えば
広田川については、
整備計画がありまして、今まで三十年やってまいったんですが、やっと川の半分、西尾市から
岡崎市へ入ったところまでの
整備しかできていない。それから上の方、そのはんらんしたところに至るまでの
整備計画、
遊水地をつくる
整備計画があるわけですが、それまでには、今のままのペースですと早くて二十年かかるのではないかというふうに
地元の
人たちは言っておるわけであります。
伊賀川についてはまだ
整備計画がありません。この水害を機に急遽検討を始めたところでございます。
それから
鹿乗川、これは私の住まいがあるところなんですが、これも
計画があるわけですけれ
ども、まだ道半ばと言っていいと思うわけでございます。
都市化が急激に進むというのはいたし方ない面でありますが、そういった
インフラが同時並行して進まない。
鹿乗川というのは、私が小さいころ、
水泳ぎをし、魚をとる、僕なんかは
ポンツクと言っていましたが、
ポンツクをする遊び場だったわけですが、一時は
下水道みたいになりまして、今は
下水道がかなりよくなって清流を取り戻しつつありますけれ
ども、大量の
排水を
矢作川、それから
三河湾に流す機能は昔のままでありまして、いろいろな努力をしておるところでございます。
堤防が壊れました
広田川のあの
田んぼのところは、
大臣もごらんになったところは、
江戸時代は菱池という天然の
遊水地でありました。その下の方の
新田という部落を
中心とするところは、昔は
アシ原だったところを
新田を切り開いて
美田にしたという
地域であります。
明治になってから、
人口がふえて米が足りなくなったということで干拓をいたしまして、今の
美田にしたわけなんですが、川よりもあの
美田地帯は低い。沼だったわけですから、池だったのですから。常時
ポンプで
排水している、そういう
地域であります。その池の面積は六十ヘクタールなわけですが、そういう自然を変えた。もともとそこに
遊水地があるから下の方の洪水が守られていたというのを
田んぼに変えたということに根本的な
原因の
一つがあるわけであります。あそこが
決壊しなければ恐らく、その下の方の
岡崎、南部のどこかで
決壊をして
都市部が相当の
被害を受けたんじゃないかということを
地元の
方々は口々に申しておるところでございます。
そこでお伺いしたいんですけれ
ども、今までの
河川、
伊賀川とその
支流、
小呂川というのが源流になっているんですけれ
ども、それから
鹿乗川、
広田川とその
支流のうち
砂川、
占部川は別に一級
河川に指定されておりますけれ
ども、これらの川の
改修計画とその
実施状況について
国土交通省の方から概略を御
説明願いたいと思います。今後どれぐらいの年月と費用を要するかということもあわせて言っていただければありがたいと思います。