○水岡俊一君 個々人の指導に生かしていきたいという
思いは分かります。
ただ、私は、恐れながら経験者の一人として申し上げるとすれば、その全国学力・学習
調査の結果として出てきた個票、それを見て、ああ、こういうことだったのか、だからこういうふうにこの子には指導をしていかなきゃいけないななんていうことを思って指導ができるかというと、これはできないです。
言葉が少し正確ではないかも分かりませんが、できないというよりは、する必要がないんです。なぜか。そんなこともう既に分かっているからです。この
調査で出てくるような結果は、日常的に子供と接していてそのほかのいろんな形で酌み取ることができていて、既にその対応はやっているんですよ。それを中学三年の十月に、小学校六年の十月に個票をいただいて、そういった分析を見ても、もう既にやるべきことはアイ・エヌ・ジーなんですよ、やっているんですよ。そして、残されたその学年の終わりまでの時間はもうそんなにないんです。
教育課程はびっしり決まっているわけです、そしてたくさんの課題があるわけですから。
そういったことで、実際に今個々人の指導に生かしたいという
思いは、僕は限りなく反映しにくいんだろうというふうに思うので、この七十七億円、来年は六十数億円ですか、本当に必要なのかということは是非、行財政改革で厳しいと言っている中でありますから、
大臣にももう一度お
考えをいただきたいと、こういうふうに思っているところであります。
それから、ある意味で私は
大臣に期待を申し上げているのは、
渡海大臣はやっぱり
科学者ですよね。やっぱり、
科学的にどう物事をとらえるかということで論理を組み立ててこられました。これまでの
国会答弁を聞いていてもそうであります。例えば、
文科省の定数増の論理はまだまだ不十分じゃないか、それを財政当局に認めさせるための様々な論理をもっと
科学的に
構築していかなきゃいけないというお
考えを恐らくお持ちだろうというふうに私は思っているわけですね。
そういった観点からすると、是非とも、先ほどからの
木俣さんのお話にもありましたが、学力とは何なのか、ゆとりとは何なのか。
つまり、学力が下がってきたと判断したのは何によって判断したのか、それは本当にそうなのか、あるいはその学力とは私たちが次の時代を担う子供たちに求める学力と言えるのかどうか、あるいはその学力がもし落ちたとしたらそれはゆとりのせいなのか、ゆとりとは何だ、ゆとりをやったからその学力が落ちたのかということをもっともっと
科学的に私は
考えていただきたいというふうに思うんですよ。
今や大きく政治を左右しているのは世論ですよね。そして、世論を大きくリードしているのはマスコミです。やはりマスコミの力が大きい中で、ややもすると問題の本質を見逃してしまって、ゆとりが駄目だから授業数を増やそうではないか、あるいは教える時間、教える内容を増やそうではないか、そのことで学力が上がると期待をする、学力が上がると期待をしたその学力とは一体どんなことか、その期待をした学力で大学生は分数ができるようになるのか、大学生で分数ができるようになることが
日本の
文部科学省としての大きな期待なのか、その辺りは非常に
専門家として是非マスコミにも世論にもきちっとした
考えを示すべきだと私は思うんです。
だから、大学生で分数ができない、あるいは小数ができない、それは小学校や中学校でやってなかったのか。違うんですよ、やったんですよ。やったんだけれどももうそげ落ちちゃった。
つまり、そういう勉強の中身でしかなかったという批判は、これは甘んじて受けなきゃいけないだろうと思うんですね。
だから、まあ理科のお話が出ましたが、恥ずかしながら私は理科の教員でありますので、理科のことについていろいろ論議をされるとなかなか恥ずかしい
思いをするわけでありますが、例えば
科学に対する興味が少ないという事務総長からのお話があった。それはやっぱり理科の実験が少ないんじゃないかというお話、これは正にそのとおりだと私は
思います。私、自分自身は実験大好き人間だったんですね。ところが、やっぱり学校現場にいる中で、理科の実験をたくさん子供たちと
一緒にやりたいと思っていてもできない事情があるんですよ。前にもこの
委員会でお話をしました。本当に一日の学校の授業の中でそれはできないことの方が多いんですね、そういう要因が多いんです。それは私がサボっていたというか、私に力がなかったかもしれません。しかし、一時間理科の授業をやった、その後に、小規模校でしたから、私はすぐ着替えて
技術・家庭科を二時間教える、そしてまた帰ってきて違う学年の理科を教える。そういったことからすれば、実際に十分間の授業の間のこの時間に準備をして、子供たちに安全で楽しい実験をさせるということが本当に今の
教育課程の中でできるのかということを、是非
大臣を始め
文科省の
皆さんにはよくよく見てほしいと思うんですよ。
我々の求めるのは何なんだと。それは一部の門外漢の声の大きな人の
意見に流されることなく、しっかりと現場を見た、そういった観点から是非お願いをしたいというふうに思っております。
さて、学力テストの話にちょっと戻りますが、四十三年前に学力テストはなくなりました。なぜなくなったか、
大臣、もうお聞きになっているというふうに
思いますし、もうこれ以上私が細かく言う必要はないと思うんですが、いろんな要因がある中で大きな問題点として挙げられたのは、いろんな準備をする、テストをするからそのテストに掛ける準備をする、そういったことが本来的な
調査の目的にもなっていないし、あるいは本来的に子供たちの学力を上げようとするための現象としては思えないということでありました。
また、もっと言えば、机間巡視をしながら子供の点数を上げるために
先生がここ間違っているよと言わんばかりに指を指したり、あるいは成績が振るわない子たち、あるいは手に障害を持っていて書くことが遅れてしまって点数を獲得できない子供の答案を抜いてしまったり、あるいは欠席をさせたり、そういうことが起こってしまうから全国学力テストは四十三年前に止まったはずなんですね。
ところが、今年復活をした。同じことが起きやしないかということを再三再四にわたって私たちは言いました。しかし、これは絶対大丈夫です、
文科省の
方々は通知でもしっかりと指導をしますと、こういうふうにおっしゃった。
時間がないので、もう私続けますが、ここで本当はそういった実態があるかどうか、
文科省の方、
情報が入っていますかと聞きたいところなんです。恐らくは、いや、余り聞いておりませんとおっしゃるだろうと思って私は言うんですが。
実は、私の手元には幾つか
報告が上がっております。
日本の
中国地方で、ある県のある町の
教育委員会が通知を出しております。
平成十九年度全国学力・学習状況
調査実施にかかわっての依頼。見出しのことについて
取組をよろしくお願いします。ついては、別紙様式により、
平成十八年度末に配付した問題集の活用について取りまとめをし、
報告をしてほしいという文書がある。そして、この文書の中身を見ますと、四月二十四日の
平成十九年度全国学力・学習状況
調査に向けて、各小中学校では
実施体制を整え、先日配付いたしました問題集、各小中学校で作成した問題をまとめたものなどを活用し、
計画的な
取組を実践していただいていることと
思います。いろいろありまして、対象児童生徒への指導については、先日配付した問題集を取捨選択し児童生徒にやらせること。いろいろあります。そして、最後に注釈が付いている。どういうことが書いてあるか。今更点々点々、今更点々々という
考えを捨てる。日々、児童生徒に力を付けるチャンスであるので、二十四日までの期間を有効かつ
計画的に活用すると、こう書いてある。
こういうペーパーが実は私のところに手に入っているんですが、
文科省はこれについて
調査を、こういう資料、
報告を聞いておられるのか、あるいはおられるとしたらどんな感想をお持ちなのか、ちょっとお聞きをしたいんですが、これは
大臣、あるいは局長でも結構です。