○伊達忠一君 まさしくそのとおりだと
思います。我々が何ぼ騒いでも、向こうが返還する気がなかったら全くこれは話にならないわけでございますが。そのために
環境をつくって何とかうんと言わせようということで
努力我々もやってきているんだと
思いますけれども。
これは、私は非常に難しい問題だと正直言って思っております。というのは、これはもう去年、今年、二、三年やってきたからこうだという結果ではなくて、これはもう中川副
大臣も御存じのように、我々も道議会でもこれはもう何十年ってやってきたんです。
そして、例えば
地元においても、根室の市立病院なんかへ夜
ロシアの船員がけんかしたりしてけがして入ってくる、それも治療してあげる。そしてまた、それには通訳も必要だ、もうそんなことを一生懸命やってこられたり、我々も、とにかくいろんな問題はあるけれども、コンスタンチンちゃんという、かつてやけどで運び込まれて、この
人たちの治療を全部して元気に治してあげて、我々ちょっと議員の方でやったんですが、金出して、帰りの旅費まで全部やったり。それから、あるときは、飛行機をチャーターして、医療機械、薬持って行って、もうすべてあらゆることをやって、少しでもこの返還の促進につながっていけばということでやってきたんですが。
ところが、むしろ先般、昨年の八月十六日に、いわゆるカニかごの漁船のいわゆる無防備な、この三十三歳、一次産業、今後継者がいないというときに、三十三歳の盛田さんが継ごうといって一生懸命やっているときに、道の規制を少しはみ出たということなんでしょう、それこそ銃撃されて殺されてしまうと。こっちはもう一生懸命、返してほしくて、もう何人と、八人、やけどの
人たちなんかが来ているんです。それで命を金出してまで治してあげて、向こうは殺してくるなんて、こんなこと、私はこのままでいったら本当に、
大臣が言うように、うんなんて言う
環境には私はなかなか難しいだろうと、こう思うんですが、まあこれは粘り強くやっていかなきゃならぬだろうと、こう思っております。
それで、これも
大臣にお聞きしたかったんですが、ちょっと時間の
関係でまた後ほどにさせていただきたいと、こう思っております。
次に、実は、そうかといって、これ返還運動をやめるわけにはいかないと、こう思うんです。ただ、私はこの
予算を見ますと、これはちょっと中川副
大臣にお聞きをしたいんですが。副
大臣、出身でもありますし、自分の選挙区でもありますし、そういうことから随分道議会時代から何回も向こうに行かれて、先頭になって取り組んできた一人でございますから、それこそ、あるときは心の痛む日もあっただろうと、こう思うんでございますが、そういう返還運動をやっていくということになりますと、やはりこれは
予算が伴うことなんだと
思います、これは、
大臣ね。
それで実は、副
大臣も、この基金があるのはもちろんこれはもう我々も分かっているわけでございますが、当時は確かに六億近い、いわゆる金利が良かった時代なものですからあったんですが、今はもう三分の一弱になってしまったということなんです。
それで、これは
内閣府の方もこれじゃ大変だというふうなことでいろいろと、何というんですか、地域
振興啓発
事業費だとか、それから援護
事業費を付けてきたんですが、これにしてみても、要するに両方合わせて四千万ですよね。
そうすると、例えば当時六億の利益があって、それで
事業を組んでいた、返還運動の
事業を組んでいたわけでございますから、それが、これを足しても、四千万足しても、結局もう三分の一ぐらいの
予算になってしまうということは、要するに三分の一ぐらいに何かをへずっていかなきゃ、返還運動をへずっていかなきゃならぬと、こう思うんです。そんな先細りしていくような
状況の中でこの島を返せと言ったって、これはもう、拉致の問題じゃありませんけど、やっぱり盛り上がっていって、向こうに、
ロシアに、いや
日本すごいなということが知らされてやっぱりこれは分かるわけでございますので、この辺を、どうですか、副
大臣、
地元出身として是非ひとつ何とかお骨折りいただきたいと、こう思うんですが。