○古本
委員 先日、証人として国会に守屋さんがお越しになったときに、こうおっしゃっています。
額賀さんとのあれははっきり
覚えておりまして、昔の国防省のアワーが
日本に来たときに、何人かが、神田の料亭だったと思いますけれども、集まったところに私が行きましたら、そこに宮崎さんが来て、それから額賀先生が来てとお答えになっています。
何となれば、このアワーさんなる方が
日本に来て関係者に面着した可能性のある日を
防衛省にお尋ねしたところ、今出てきておるのが、
平成十八年の六月二十六日、訪問先、
額賀大臣、当時長官、それから十八年の八月七日、これは守屋次官、それから同年十二月六日、これは当時の久間長官、明くる十九年七月三日、これは航空幕僚長、そして十九年の七月八日は小池さん、この合計五回は正式にアワー氏が訪ねてきていますと、これは
防衛庁の答えなんです。いいですか。
守屋さんの
答弁をよく聞いていただきたいと思うんですね。額賀さんとのあれははっきり
覚えておりまして、昔の国防省のアワーが
日本に来たときに、神田の料亭だったと思うけれども、会ったと言っているんですよ。したがって、実はこの問題の所在は、アワーさんがいつ来たかなんです。そして、そのアワーさんがいつ来たかを調べると、今申し上げた日にちなんです。
今運行記録が、実は全部、
大臣がおっしゃるように出てきています。この運行記録を調べますと、二十六日の
額賀大臣は、当時長官は、それらしいところには行っていませんね。これは確認しました。それから、八月七日、守屋次官、これは、それらしいところかどうかはわかりませんが、行っていないようにお見受けします。六日の久間
大臣も行っておられません。これはわかりました。
したがって、この二十六日、七日、六日、それぞれ六月、八月、十二月ですが、その前後もあわせて精査をしたところ、実は十二月四日に、言っている本人なんです、この守屋さんが、アワーさんを囲んで飯を食った、そのときに額賀さんが来たと言っているんです。その守屋さんの事務次官車両の運行記録の中に、明確にそれらしいところに行った日があるんです。
したがいまして、国会で証言をなさった守屋さんがうそをついておられるのか、それとも
額賀大臣が残念ながら事実をおっしゃっておられないのか、これは真実は二つに一つなんです。
大臣、どっちが正しいんですか。守屋さんか
大臣か、どっちが正しいですか。