○前川清成君 そうであれば、ちょっといいか悪いかの話はこの後残された時間でやりたいんですが、
小津局長がおっしゃったようなすみ分けを考えるのであれば、二百九十二条の二は
被害者の
心情を述べると、それがはっきり分かるように書くべきではないかなと。で、三百十六条の三十八については、事実認定や
法律の適用に関する
意見ですよと、
心情等は含まないんですよ、あるいは、
心情も含めてもいいけれ
どもこうこうこうなんですよと、その
範囲をはっきりと書かなければならないと私は思っています。その点でもちょっと、どうなんでしょうか、この
法律の立て方がいいのかどうかなと私は思っております。
それで、この点も、
心情を述べる
機会というのも、この
小津局長がおっしゃったように、二百九十二条の二というのは最近できた条文です。昔はなかったんですね。
この、何度も引用しますが、二木さんはお嬢さんを亡くして、
被告人の方は、母親や婚約者が情状
証人としてやってくると、
被告人はこんないい人ですと言う。それだったら
自分も、私の娘はこんなにいいやつだったんだと言いたい。そこで、
検察官に是非
証人にしてほしいというふうに申し出た。言わば、
心情を申し述べる
機会を与えてほしいと、こういうふうに
検察官に申し出た。しかし、
検察官は取り合ってくれなかったというのがあるんです。
実は、新しい
制度、くどいようですが、新しい
制度をつくらなくても、前々からそういう可能性はあったわけです。その点について、いやいや、そんなこと言うても
証人やったら反対
尋問受けるやないですかと、そんなんつらいですと、こうおっしゃるかもしれないけれ
ども、
現行の二百九十二条の二であっても、四項で反対
尋問的なことを受けるおそれもあります。そこで、まあ先ほどの話ですが、やはり
制度だけではなく運用の問題があるのではないかと思っています。
で、残された時間で是非やりたいのは、ここで
法律の適用まで
被害者に
意見を述べていただくのが本当に正しいのかどうか。午前中、上川さんは十分な問題意識がなかったようですけれ
ども、これから市民が
参加をして
裁判員制度が始まります。そんな中で
被告人は、
被告人はこれは無罪か
有罪かまだ決まっていない。むしろ無罪であると推定されるべき存在です。しかし、
被害者の方は、犯人がだれであるかはともかくとして愛する人を失った。
被害者であることは間違いない。そこで
被告人と
被害者の間には質的な相違があります。その質的な相違を無視したままにその
被害者が
法律の適用まで述べてもいいのだろうか。私は、事実について
被害者に述べてもらってもいいけれ
ども、求刑までやるというやり方が
裁判員制度の実態を何ら検証しないまま突き進んでいいのかどうかは疑問に思っています。
ローマの格言で、ローマでなかったかもしれません、なんじは事実を語れ、されば我は法を語らんというのもあるわけで、当事者に求めるべきは、私はむしろ事実、
心情等の
意見発表とする、そういう
制度設計の方がむしろ適当ではないかなと、こう思っているんですが、いかがですか。