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松岡徹君
大臣の今の認識についても、私
たち、私自身も異論はございませんが、もう一歩深めていただきたいという
思いで改めて
質問をさせていただきたいと思うんですが、この
国民の
規範意識がここまで高まってくるというのはどういう背景なのかということをやっぱり見なくてはならぬだろうというふうに思うんです。
すなわち、義務を果たさず重大な結果、
事故を起こしてしまった、それに対する責任は余りにも軽過ぎるという
国民の
規範意識はあると思うんですね。それによって被る
被害者の
思いというものもしっかりと
思いをはせなくてはならないというふうに
思いますし、同時に、そういったことを求める
国民の
規範意識のもとは、こういった
事故がなぜ予防できなかったのかということもあろうかと思うんですね。そういう
意味では、
事故を起こした、すなわち
運転免許を与えられて、当然のように
注意義務、あるいは今
大臣がおっしゃったように車というのは一つ間違えば凶器でありますから、だからこそ
注意義務というものが課せられるわけでありまして、その
注意義務を果たさない、そしてその結果起こした
事故というのは、当然のようにその結果に対する責任を負うことは当たり前のことであります。
その結果に対して、余りにも、今の
刑法の
処罰の
内容からすれば、
被害者の
状況、
被害者の
人たちの
思いからすれば、あるいは他の
刑法の
処罰の
内容から見ても、現在の
処罰規定では余りにもバランスが悪いということだと思うんですが、そういう
意味では私は、
被害者の方が思うことの中に、まずそういったことによって
事故を起こした責任をどういうふうに
科刑をしていくのかということについては今回提案されていますけれ
ども、もう一つ
思いをはせるならば、
被害者の
思いとすれば、その
事故を被って生活が破壊されるという場合がありますね。例えば、自分の父親があるいは自分の愛する人が
事故によって失われる、人生が狂うんです。そのときそのときの生活が変わります。そこの家庭の
子供たちの環境も変わっていきます。正に単なる自分の身内、愛する人を亡くすだけではなくて、これからの生活を破壊されてしまうというこの
思いをどう酌み取るのかということなんですね。だからこそ、
被害者をどう救済するかという視点が同時になければならないというふうに
思いますし、そして
国民の
規範意識の中には、だれもがこういった
事故に遭いたいと思っておるわけではありません。
そういう
意味では、
故意犯か
過失なのかということの判断もあろうかと
思いますが、そういう
意味ではなぜこういったことが予防できなかったのか。そういう走る凶器、しかしその凶器というべき
自動車、車の
社会というのは私
たちの
社会にとって必要なものであります。そういう
意味では我々は、
国民の意識とすれば、今回の刑
法改正で重大な
事故を起こした加害者に対して重罰を科す、それで直接の
被害者でもない加害者でもない
国民がほっとするというのは、またそれだけでは足らないと私は思うんですね。
逆に言えば、私
たちは、そういった意識が客観的に見れば加害者になっているんではないか。すなわち、交通
状況というものを私
たちの
社会の、私
たち自身も
社会の一員でありますから、そういう危険なものを
社会がこれからも必要とするならば、当然のようにそれを安全になし得るようなシステムあるいは交通環境というものを整えなくてはならないと思うんですね。そういった声にも私
たちは声を上げなかったら、重罰化さえすればいいんだというふうな
国民意識は、私はこれから最も必要とするモラルを高めていく点でもやっぱり大事な視点だと思うんですね。そういう
意味では、我々自身も加害者にならないためにもその三つの視点をやっぱり認識として受け止めるべきだというふうに思うんですが、改めて
大臣、いかがですか。