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公述人(
氏家和男君) ただいま御紹介いただきました
日本弁護士連合会副
会長の
氏家和男でございます。
私は、
日本弁護士連合会の内部におきまして
教育法制問題に関する
委員会の担当副
会長をいたしております。このたびは、
公述人として御選定いただきまして御
意見を申し上げる
機会をお与えいただきましたことに、まず御礼を申し上げたいと思います。
それから、日弁連は今、政府の施策に協力をいたしましてクールビズを実施いたしております。ノーネクタイで
意見を述べさせていただくことをお許しいただきたいと思います。
日弁連は、御承知のとおり、全国五十二の単位会と、それから約二万三千の会員から成る団体でございます。日弁連の
意思決定機関である理事会において、日弁連の
意見書が理事の全員一致という形で採択をされておりますので、その
意見書に基づいて、
日本弁護士連合会としての
意見を申し上げさせていただきたいと思います。
法律家からの目から見た
法案の問題点というものを大きく三つに分けて申し上げたいと思います。
まず第一点は、
国家による
教育内容統制をもたらすという問題でございます。
学校教育法改正法案二十一条には、
改正教育基本法二条及び五条二項の規定を受けて義務
教育目標規定が設けられ、義務
教育として行われる普通
教育は、ここに掲げる目標を達成するように行われるものとするとされております。この義務
教育目標規定には、伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うことなどが掲げられております。しかし、義務
教育目標規定に掲げられた具体的な事項は、とりわけ我が国と郷土を愛する態度がそうであるように、その内容が多義的であり、国や地方公共団体が、その内容を権力をもって一義的に決定することのできないものが含まれております。
御承知のとおりに、旭川学力テスト事件の最高裁大法廷判決は、
教育は、本来
人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきではないこと、
教育内容に対する
国家的介入についてはできるだけ抑制的であるべきこと、個人の
基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、
子供が自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような
国家的な介入、例えば誤った知識や一方的な観念を
子供に植え付けるかのような内容の
教育を施すことを強制するようなことは、憲法二十六条、十三条の規定上からも許されないとの基準を明らかにするとともに、これらが
教育に関する憲法上の要請であることを明らかにしております。
この最高裁大法廷判決の基準に照らしてかんがみるとき、
学校教育法改正法案の義務
教育目標規定は、
教育現場において、国や地方公共団体が、本来多義的な概念を権力をもって一義的に決することになりかねず、
教育の政治的中立性、不偏不党性、自主性、自律性、公正、適正を害するばかりでなく、
子供や
保護者の思想、信条の自由を侵害することが危惧されるものであります。
とりわけ、この
法案には、これらの義務
教育規定を達成するように行われるものとすると、その
教育課程に法的拘束力を与えるものとして規定されております。これは
法案三十三条などにおいて、現行法には教科に関する事項とあるのを
教育課程に関する事項と変更することにより、文部科学大臣が
教育課程の内容を具体的に定める権限を明確に付与されることとも相まって、多義的な義務
教育目標の内容を、国が権力をもって一義的に決していくことにより
国家の
教育内容統制を
制度的に可能とするものとなっております。そのため、当連合会が、学習
指導要領の日の丸・君が代条項に関して、一方的な一定の観念を生徒に教え込むことを教職員に対し不利益処分を科して強制させるものになれば、最高裁判決が述べる大綱的基準を逸脱し、
教育に対する不当な支配となり、思想、信条の自由の侵害をもたらすことになると警告したところが、この
制度により
現実的な危険を帯びるものとなっていることを申し上げざるを得ません。
また他方で、
学校教育法四十二条に、文部科学大臣の定めるところにより、
学校の
教育活動その他の
学校運営の状況について自己評価を行い、その結果に基づき
学校運営の
改善を図るため必要な措置を講ずることにより、その
教育水準の
向上を努めるとされ、
学校に、自己評価、
改善措置、
教育水準
向上義務が課せられております。加えて、
法案四十三条で、そのような
学校の
教育活動その他の
学校運営の状況に関する情報を
保護者、地域住民その他の
関係者に対し積極的に提供するものとして、
学校に情報提供義務が規定されております。
しかし、
教育水準の
向上といっても、地域や
学校の実情に応じてその目標とすべき基準は異なり得るものであります。それを
法案では、文部科学大臣が定める基準で一律に各
学校が自己評価、自己点検・
改善を行って
教育水準を
向上させることを求めることとなり、国の
教育内容統制を
制度的に可能にする
制度となっております。こうした問題は、地域や
学校の実情に応じた対応が肝要であって、文部科学大臣が一律に定めるべき問題ではないものと思います。
第二点として、国、都道府県
教育委員会による市区町村
教育委員会と私立
学校への監督・統制強化の問題を申し上げたいと思います。
地方教育行政組織法の
改正案では、国、都道府県
教育委員会による市区町村の
教育委員会
委員に対する研修などに関する
指導・助言
制度が設けられ、また法令違反、懈怠による生徒の
教育を受ける権利侵害の場合の措置内容を示した是正要求と、緊急に生徒の生命、身体を保護する必要の場合に従う義務を伴う指示の
制度が、文部科学大臣の権限として新たに設けられております。
しかし、これらは実質的に国の
地方教育行政への影響を強化するものであり、
教育の地方自治原則に照らし不適切であり、また
教育の地方分権化の流れに逆行するものと言わざるを得ません。
これらの
改正については、昨年の
教育基本法改正の審議中に問題となった必修単位の未履修問題が是正要求の
制度との
関係で、いじめ自殺の問題が指示
制度との
関係で、それぞれ契機になっているものと考えられます。しかし、未履修問題に関しては、従前から
文部科学省も把握していた問題でありながら適切な問題の指摘を行ってこなかったことによるものであります。いじめ自殺の問題は、当連合会が二〇〇六年十二月八日に表明したように、
子供の個性や発達に応じたきめ細かな
教育を困難にしている
教員の多忙さや、国連子どもの権利
委員会から再三指摘されている
学校における過度の競争的な
教育によるストレスの問題などが原因の
一つとなっているものであって、政府から独立した
子供の人権保障を
確保する機関の設置などが早急に求められているのであって、国の
地方教育行政への介入強化によって解決される問題ではないものと考えます。
また、
地方教育行政組織法の
改正案では、都道府県知事が私立
学校に関する事務を執行するに当たり、都道府県
教育委員会に助言、援助を求めることができる
制度が新設されております。文部科学大臣の
指導、助言、援助下にある都道府県知事が、私立
学校の
学校教育に関する
専門的事項について、都道府県
教育委員会の助言、援助を得ながら実質的な介入をなし得る権限を付与するものであり、私立
学校の独自性、自主性、自律性を制約することになる懸念があります。
第三点として、
免許更新制による統制強化により
教員の自主性、自律性に萎縮
効果をもたらす問題を指摘させていただきたいと思います。
教育職員免許改正案では、教
員免許状の有効期間を十年とし、有効期間満了前に文部科学大臣の適合認定を受けた三十時間の免許状更新講習を修了した者について免許
管理者が免許状の更新を行うとし、更新制を採用するとともに、免許
管理者が免許状更新講習受講の必要性の有無を認定する
制度も併せて採用しております。また、教
員免許状の失効規定に分限免職の処分を受けたときを加え、
教育公務員特例法に、任命権者が児童生徒、幼児に対する
指導が不適切であると認定した
教員に対し、新たに
指導改善研修を設け、
指導改善研修中の者は免許状更新研修を受講できないものとしております。そして、これらの
改正の理由について、
教員の
資質の保持と
向上を図るためとしております。
教育職員免許状の更新
制度に関して、二〇〇二年二月二十一日、中教審答申は、
教員にのみ更新制を導入することに慎重な
姿勢を示しておりました。二〇〇六年七月十一日の中教審答申は、一転、免許状更新
制度の導入を
推進するとしましたが、更新
制度は不適格
教員の排除を直接の目的とするものではなく、
教員としての日常の職務をこなし自己研さんを努めている者であれば、通常は更新されるものとしておりました。
これに対し、今回の
改正法案による
教育職員免許更新
制度は、先ほど申し上げましたとおり、更新制と
指導不適切
教員の
指導改善研修や分限
制度が連動するものとされております。しかし、二〇〇二年、二〇〇六年の中教審答申をいずれも変更し、このような
免許更新制度を設ける必要性、その立法事実がどこに存するかは全く明らかにされておりません。
教員の
資質の保持と
向上は、
教員に自己研さんの
ゆとりを保障し、自主性、自律性を尊重した下での研修や
教員相互間での協力などによって実現されるものであるものと考えます。
改正法案のような
制度は、
教育の本質的要請を破壊しかねない弊害を伴うものであります。
旭川学力テスト事件の最高裁大法廷判決は、知識の伝達と
能力の開発を主とする普通
教育の場においても、例えば
教師が公権力によって特定の
意見のみを
教授することを強制されないという
意味において、また、
子供の
教育が
教師と
子供の間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、
教授の具体的内容及び方法につき、ある程度自由な裁量が認められなければならないという
意味において、一定の範囲における
教授の自由が保障されるべきと判示しております。すなわち、
教員が自主的、自律的に
子供との直接的な人格的接触を通じて、その
専門性を発揮できる
教育の条件が保障されることが、
教育の本質的な要請に照らして肝要なことであるということを最高裁判決も当然の前提としておるのであります。
しかるに、任命権者による
教育改善研修認定、免許
管理者による免許講習免除認定などが実施されれば、十年の任期制に等しい免許の更新のために、
教員は
子供との直接の人格的な接触の中での自己研さんに励み、
教育の本質的要請にこたえることをおろそかにし、免許更新に備えての準備に腐心し、任命権者や免許
管理者の意向をそんたくして自己保身を図ることになりかねません。
教育免許更新制度が
教員に与える萎縮
効果は、
教育の本質的な要請を破綻しかねず、その弊害は計り知れないものであると考えます。
また、旭川学力テスト事件の最高裁大法廷判決は、憲法二十六条の趣旨について、自ら学習することのできない
子供は、その学習要求を充足するための
教育を自己に施すことを大人
一般に対して要求する権利を有するとの観念が存し、
子供の
教育は、
教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、
子供の学習する権利に対応し、その充足を図り得る立場にある者の責務に属するとしております。
しかし、先ほど述べましたように、
教員への萎縮
効果や身分安定志向の助長を招くことが容易に予想されるところでは、
教員が
教育現場で
子供と直接向き合い、直接の人格的接触を通じてその
子供の学習要求にふさわしい
教育を実施するというよりも、免許
管理者や国が一義的に定めた
教育課程を実施することが
教員の最優先課題となってしまい、
子供の学習権充足に資することとはほど遠い
教育現場となることが危惧されます。
今、
教育現場に様々な問題があることはだれしも承知していることです。しかし、そこで起きている問題は、国の
教育に関する統制権限を強め、上意下達、指示、是正等をなし、
教員の免許を十年の更新制にすることで解決できることでしょうか。
学校現場の主役は
子供たちであります。
教育は、
教師の一人一人の
子供たちとの直接の
人間的接触を通し、それぞれの個性に応じて行われるべきものです。一部の
子供だけ伸びればよいというものではありません。一人一人の
子供が、それぞれの
能力に応じて成長、発達できるようにしなくてはなりません。親が、
学校にそして
教師に期待しているのも正にこのことではないでしょうか。
今回の
法律改正がなされると、
子供と真剣に向き合い、情熱を傾けて
子供の
能力を引き出そうとする
教師がいなくなってしまうのではないか。そして、
子供と向き合わず、免許
管理者や国の意向ばかり気にする、それこそ
子供にとって
指導不適切な
教員が増えていくことになるのではないかと危惧されます。法という形ばかり急ぐ余り、実りある成果のないどころか、混乱だけをもたらすことになりかねないと思います。
教育関連三法につきましては、
法案の審議が進むにつれ、国民各層から問題が指摘されております。今、正に国民的な議論がなされようとしているのではないかと。これはもう本当に正常な動きになろうとしているのだと思います。政府は、この流れを真剣に受け止め、
子供たちが何でもがき、父母
たちが何でもがき、
教師たちが何で苦しんでいるのか、本
改正法案が本当にこれらの問題の解決に役立つのかどうか、十分な議論が深められる必要があります。
この問題の解明がない中で、法という形だけで問題解決ができるかのように表面だけを取り繕うことは極めて危険であります。せいては百年の大計を誤ることになりかねません。その影響の大きさを考えるとき、
教育こそ最も拙速を避けなければならない分野であります。このような状況下において、余りにも慎重な……