運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

2007-05-08 第166回国会 参議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十九年五月八日(火曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  四月二十七日     辞任         補欠選任      島田智哉子君     松岡  徹君      吉川 春子君     仁比 聡平君  五月一日     辞任         補欠選任      福島みずほ君     近藤 正道君  五月七日     辞任         補欠選任      岩城 光英君     岸  信夫君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         関谷 勝嗣君     理 事                 岡田 直樹君                 中川 雅治君                 舛添 要一君                 広田  一君                 前川 清成君                 簗瀬  進君                 荒木 清寛君     委 員                 太田 豊秋君                 荻原 健司君                 木村  仁君                 岸  信夫君                 佐藤 昭郎君                 櫻井  新君                 田中 直紀君                 中島 啓雄君                 中曽根弘文君                 野村 哲郎君                 山本 順三君                 大久保 勉君                 小林 正夫君                 芝  博一君                 津田弥太郎君                 那谷屋正義君                 白  眞勲君                 藤末 健三君                 松岡  徹君                 水岡 俊一君                 澤  雄二君                 山下 栄一君                 鰐淵 洋子君                 仁比 聡平君                 近藤 正道君                 長谷川憲正君    事務局側        日本国憲法に関        する調査特別委        員会及び憲法調        査会事務局長   小林 秀行君    参考人        駒澤大学法学部        教授       西   修君        ジャーナリスト        「国民投票・住        民投票情報室        事務局長     今井  一君        早稲田大学社会        科学総合学術院        教授       西原 博史君        弁護士        日本労働弁護団        会長       宮里 邦雄君        立教大学大学院        法務研究科教授        弁護士      鈴木 利治君        慶應義塾大学教        授        弁護士      小林  節君        上智大学法科大        学院教授     高見 勝利君        専修大学名誉教        授        隅野 隆徳君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○日本国憲法改正手続に関する法律案衆議院  提出) ○派遣委員の報告     ─────────────
  2. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ただいまから日本国憲法に関する調査特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、島田智哉子君吉川春子君、福島みずほ君、岩城光英君が委員辞任され、その補欠として松岡徹君、仁比聡平君、近藤正道君、岸信夫君が選任されました。     ─────────────
  3. 関谷勝嗣

  4. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 御異議ないと認め、さよう決定をいたします。     ─────────────
  5. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 日本国憲法改正手続に関する法律案を議題といたします。  本日は、まず、国民投票運動規制について西参考人今井参考人西原参考人宮里参考人、以上四名の参考人から意見を聴取し、質疑を行います。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございました。  参考人皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査参考にしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いをいたします。  議事の進め方について申し上げます。  まず、西参考人今井参考人西原参考人宮里参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。  なお、参考人方々の御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、早速、西参考人からお願いいたします。西参考人
  6. 西修

    参考人西修君) よろしくお願いします。  御紹介をいただきました西でございます。このような席でお話をさせていただく機会を得ましたことを光栄に存じます。私に与えられました時間は十五分程度という限られた時間でございますので、早速本題に入らせていただきます。  まず、今国会日本国憲法改正手続に関する法律案が成案を得ようとしていることに歓迎の意を表したいと思います。言うまでもなく、憲法第九十六条は憲法改正のための具体的な法律を当然に予定しているのであって、本来、もっと早い段階で実現されているべきでありました。ともあれ、六十年間の立法の不作為状態解消が図られようとしていることは喜ばしいと考えます。  さて、本日は主に国民投票運動規制という側面から意見を求められておりますので、若干の所見を述べさせていただきます。主要な論点は、一、公務員政治的行為適用除外、二、公務員等及び教育者地位利用、三、テレビラジオに対する放送法への留意の三点になろうかと思います。  私の所見につきましては、お手元の今年三月十六日付けの読売新聞「論点」で述べたところであります。当時は、自由民主党、公明党、民主党共同修正が盛り込まれたとする与党修正案、これは昨年十二月十四日付けのものでありますけれども、この与党修正案が提示されていました。その内容を読み、公正性ルールが欠けているのではないかということを指摘したものであります。  ここで、あらかじめ私の基本的立場を申し上げれば、憲法改正のための国民投票は国の最高法規たる憲法改正案に対し国民一人一人がその賛否を投じる極めて重大な事柄であり、一方で、本法案第百条に定められているように憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならず、他方で、国民投票運動を展開するに当たり、その政治的混乱を避け公正さを確保しなければならないというものであります。そのような立場から、与党修正案に幾つかの問題点があることを指摘した次第であります。  すなわち、第一に、同案では公務員国民投票運動へのかかわりが国家公務員法及び地方公務員法で禁止されている政治的行為から適用除外されることが明記され、全く自由とされていました。この公務員には、裁判官検察官公安委員会委員警察官といった特定公務員も含まれます。要するに、これらの公務員一般国民と同じく憲法改正賛否について、組織的な活動をしたり積極的に勧誘したりすることが完全に自由であるという内容でした。しかし、この三月二十七日に提出された与党併合修正、つまり本法案では、公務員政治的行為適用除外本文から外されました。これは、この法案のポイントの一つであります。私の所見に合致するものであって、当然に支持いたします。もちろん、公務員憲法改正問題に関し個人的に自らの賛否の意思を投票行動で示すことは全く自由であります。しかしながら、そのような行動公務員という立場国民投票運動へ積極的に関与するのとは次元を異にする問題であります。  御存じのように、日本国憲法は第十五条第二項で、公務員は全体の奉仕者であることを明記しています。そして、公務員には、政治的偏向を廃し行政中立的運営を図り、何よりも政治的中立性が求められることは最高裁判所が判示しているところであります。  最高裁判所法廷判決、昭和四十九年十一月六日のいわゆる猿払事件判決でございますけれども、同判決は次のように述べています。もし公務員政治的行為のすべてが自由に放任されるときは、おのずから公務員政治的中立性が損なわれ、ためにその職務の遂行ひいてはその属する行政機関の公務の運営党派的偏向を招くおそれがあり、行政中立的運営に対する国民信頼が損なわれることは免れない。行政中立的運営とこれに対する国民信頼を確保するため、公務員政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為を禁止することは、まさしく憲法要請にこたえ、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するためのものであって、その目的は正当なものと言うべきであると。  これが猿払事件の最高裁大法廷判決の、ちょっと抜粋してきたところでありますけれども、私は、憲法改正の是非をめぐる問題はすこぶる政治性の高い問題だと思います。選挙運動は様々な政党があり政党支持者間でチェック機能の働く余地がありますが、憲法改正は賛成か反対かの二者択一を求められます。そのような政治的性格の高い問題に対して、公務員活動を無条件に認めてよいとは考えません。その意味で、本法案において公務員政治的行為適用除外本文から削除したことは適切な措置考えます。  ただし、本法案についてまだ三つの点が懸念されます。  一つは、公務員政治的行為適用除外規定は、本文からは削除されたものの附則第十一条で、この法律が施行されるまでの間に、公務員国民投票に際して行う憲法改正に関する賛否の勧誘その他意見表明制限されることのないよう、公務員政治的行為制限について定める国家公務員法地方公務員法、その他の法令について検討を加え、必要な措置を講ずるものとすると定められていることであります。その具体的中身がはっきりしませんが、もし公務員政治的行為制限を撤廃するようであれば、何のための本文からの削除か分からないという結果を招くことになります。  二つに、地位利用に関する禁止との関連で、従来包含されていた裁判官検察官公安委員会委員警察官といった特定公務員が削除されたことであります。私は、上記特定公務員についても本来的にはその地位利用を禁じるべきだと思います。なぜならば、上記特定公務員は、それぞれ強制力と、その行為には強い影響力があると考えるからであります。  ただ、例えば裁判官については、裁判所法第五十二条第二項で、裁判官は、在任中、政治運動をすることを禁じられています。実際に、裁判官がある法案反対して集会に参加し発言したことが問題になった事案に関し、最高裁判所平成十年十二月一日、同条項は、裁判官の独立及び中立、公正を確保し、裁判に対する国民信頼を維持することの必要性から合憲であるとの判断を下しています。特定公務員の職にある人々には、自らの職の重大性を認識して慎重な行動を求めたいと思います。  三つに、教育者について、学校児童生徒及び学生に対する教育上の地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用して国民運動をすることができない、百三条二項でありますけれども、とのみ定められ、公職選挙法と異なり、違反者に対して罰則刑事罰が設けられていません。  教師には、様々の考え方の持ち主がいます。静穏たるべき学校が、場合によっては父母まで巻き込む騒擾の場と化すのではないかと恐れます。これについては、限度を超せば懲戒処分行政罰の対象になるわけですから、適切な措置を講じることにより、静穏の場としての学校がくれぐれも扇動の場と化すことのないように運用されることを望みます。  第二に、私は、前記「論点」の中で、マスコミ、とりわけテレビラジオ報道の在り方に触れました。昨年十二月十四日の与党修正案段階では何らの規定もありませんでしたが、これも現在提出されている本法案で第百四条が新設され、テレビラジオ放送の業務を行う者は、国民投票に関する放送については、放送法第三条の二第一項の規定の趣旨に留意するものとするとの規定になりました。  このような規定が入れられたこととの関連で、萎縮効果があるのではないかとの反対がありますが、放送法に既に存在している規定留意するということですから、何らの問題もないと考えます。テレビラジオ影響力の大きさにかんがみて、その報道の公平さが最大限確保されなければなりません。  このほか、罰則規定は概して公職選挙法を準用していますが、公職選挙法より構成要件をかなり限定しているように感じられます。その点でおおむね支持できます。  最後に、憲法改正のための法律作りにおいて最も大切なことは、国民に対して何が論点であるかを静かに自由に、かつ深く考え環境を公正のルールにのっとって整えることであります。  以上、私は本法案について、若干懸念するところもありますが、総体的に、公務員政治活動適用除外本文から削除されたこと、放送法への留意事項が新設されたことなどから、支持表明するものであります。  御清聴ありがとうございました。
  7. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、今井参考人にお願いいたします。今井参考人
  8. 今井一

    参考人今井一君) 私は、衆議院の方の憲法調査特別委員会には、参考人あるいは公述人として三回発言機会を与えていただいております。今日参議院は初めてなものですから、本題について語る前に、最初に私の立場について、あるいは姿勢について若干お話をしてから本題に入りたいと思います。  まず、私たちは三年前、二〇〇四年の四月に、真っ当な国民投票ルールを作る会という市民グループを立ち上げました。ここには、九条でいえば、九条改憲派の人もいるし九条護憲派の人もいます。主に弁護士地方議員、それから首長、ジャーナリスト、そういう方々で、どういうルール作りをするのが一番いいのかと、どういう内容がいいのかというのを議論を重ねてきました。具体的な名前を言えば、慶應大学小林節さんとか、少し前に市長を辞められましたけれども、東京都国立市長上原公子さんとか、そういう非常に著名な方々も含めて、名前だけじゃなくて実質的に参加して議論を重ねてきました。あるいは、スイスやフランスに行って、現地ルールについても調査をしてきました。  その上で、二年前の二月二十八日にいわゆる市民案というものを取りまとめて、ここにおられる関谷委員長あるいは衆議院中山太郎委員長に、これを立法府に反映させてほしいということで要請を行いました。それからもう二年が過ぎたということです。今もその気持ちは変わっておりません。だから、今日こうやって直接発言する機会を与えていただいて大変光栄に思っております。  それから、二番目に行きます。陳述要旨の二番ですけれども、これは私個人考え方ですけれども、会としてじゃなくて。憲法改正手続法審議が行われているわけですけれども、この制定についてはこんなふうに考えています。  立法府国会議員が公平かつ合理的な憲法改正手続法制定を怠ったり阻んだりする行為は、国民憲法改正権を侵害するものだと思っています。国会議員がなすべきことは、私たち主権者憲法改正権の行使を具現化する法律制定を阻むことではなく、公平で合理性に富んだルール作り立法のために邪心なく幅広い合意形成に尽くすことであり、個人あるいは党としての改憲護憲姿勢目先選挙戦略等にとらわれる行為に終始してはならないと考えています。それは、ここにおられる議員皆さん方全員がそういうふうにお考えになっていらっしゃると思います。  この間、衆議院から参議院審議が移ってから、インターネットテレビでも今中継ずっと見ることができますので、参議院審議の模様は、私はもうすべて自宅において見聞きさせていただいております。ライブラリーでももちろん見れるんですけど、結構白熱しているものですから、つまらないテレビ見るよりもよっぽどおもしろいので。前川さんが座っていらっしゃいますけれども、前川さんが野党議員であるにもかかわらず、民主党議員なのにもかかわらず、憲法上疑義があるというのはどこなんだと、最低投票率、それを発議者に突っ込んで聞いたり、結構ガチンコでやっていますから、それも聞かせていただいています。つまり、皆さん方真剣度の度合いを肌で感じていますし、今後も目先選挙戦略とか党の、政局とか党利党略にとらわれずに審議を重ねていただきたいというふうに思っております。  それから、本題に入ります。  テレビラジオスポットCM規制についてですけれども、先ほど申し上げた真っ当な国民投票ルールを作る会が市民案を作るときに、もう最初に私たちは、テレビCMについてはこれを法規制すべきだという案を作りました。それには理由があります。一つは、スイスに行って、その調査の結果に基づくものです。  スイスは、新聞、雑誌などに意見広告を出すのは全く自由です。私が現地である国民投票のときに取材をしたときも、これは高速道路の建設のことだったんですが、道路業界人たちは毎日新聞に意見広告を載せていました。一方で、お金の余りない環境グループはほとんど載せられないという状況でした。しかし、CMの場合は一切流れていませんでした。理由を聞いてみたら、マインドコントロール主権者を落とし込む余地があるからだ、可能性があるからだと、だから活字は許しても放送は許さないというのが当局の答えでした。あるいはメディア関係者答えでした。  時間がありませんので、もう一つ理由は後で質疑応答のときに述べたいと思いますけれども、私自身が一九九三年の、先ごろ亡くなられましたけれども、エリツィン大統領が行った四つの項目に関する国民投票エリツィン支持するかどうかとか市場経済に持ち込むかどうかという、その現場に私がいて、私、当時モスクワのアパートに住んでいたんですけれども、ダー・ダー・ニエット・ダーダー・ダー・ニエット・ダーと、朝から晩まで国営放送を使ってダー・ダー・ニエット・ダー、今でもこびりついています。この前、共同通信の当時記者やっていた松島君に会ったら、松島君も頭から離れないと言っていました。それぐらいひどいものです。だから、そういうこともあって、やめた方がいいんじゃないかというふうに考えました。  ここにも書いていますけれども、理想的には、立法府法規制をするんじゃなくて、メディアにかかわることは自主規制が望ましいと思っています。しかし、残念ながら、この間、民間放送連盟あるいは民放労連、この幹部の人たちと会ってみても、自主規制案を作る気配は全くないし、それに着手した気配もありません。自主規制案を提示して、立法府にこれでいってほしいと、だから法規制やめてくれと言うんならともかく、自主規制案を作っていない状態でやめろと言っても、これは筋が通らないんじゃないかというのが私の意見です。  ただし、いったんここで法規制した後、三年の経過期間中にだれもが納得できる自主規制案を労使が一体となって作れば、再度立法府で検討していただけないかというのが私の考えです。  それから、もどき、類似の内容を持ったCMについては、後ほど質疑応答のときに資料も提示して紹介したいと思っています。  公務員法制上の政治的行為制限等に関する規定適用除外ですが、これはちょっと難しい問題なので読ませていただきますが、国民投票運動憲法に関する一般的な意見表明については、公務員政治的行為制限適用除外とする、これは昨年末の時点での自民、公明、民主三党の合意事項でした。公務員主権者として原則自由に国民投票運動に参加できることを、国民投票法制のみならず、様々な公務員法制においても明確に担保し、保障するための適用除外であったと私は認識しています。にもかかわらず、こうした合意形成を壊し、併合修正案が、私にとっては後退と映るんですが、後退を見せたことについてとても残念に思っています。私は、併合修正案事前審査段階で削除された適用除外規定参議院において復活させるべきだと考えています。  そうした意見意見であるんですが、それとは別に、いわゆる労働組合弁護士方々が言っているこの問題についての意見についても私はちょっと一言申し上げたいことがあります。  それは、本来、この問題の抜本的解消というのは、国民投票法の中にどうするか、何を盛り込むかということではなくて、国家公務員法地方公務員法を始めとする様々な法律に記されている政治的行為制限を緩和あるいは撤廃する法改正によってなされるものだと考えています。国民投票運動における公務員政治的行為制限異議を唱える市民議員がその主張のみを繰り返すだけで、前述の法改正を現在強く主張したり、具体的かつ本格的な行動を起こさないことについては疑問を抱いています。  適用除外事項を盛り込めと言うんだったら、併せてそういった運動主張を行うべきじゃないかと。国民にとってはそれが非常に分かりやすいことだと思います。先般、メーデーが行われましたけど、メーデーのときにこれを訴えている集会を見たことがありません。にもかかわらず、この中にそれを、適用除外だけを盛り込めというのはいささかおかしいんじゃないかと、そういう気がしております。  それから、五番、民による民への干渉にも目を向けるべし。  私は、一九九六年の八月四日に新潟県巻町で日本最初住民投票条例制定に基づく国民投票が行われて以来、様々な住民投票現地取材しています。この十年間で住民投票は三百七十件行われています、すべて条例制定に基づくものですが。この中で、最近では少なくなってきましたけれども、本当にひどい、行政とかそういうところからの圧力じゃなくて、民同士がひどい圧力を掛けたりしていることが実際にあります。例えば、五〇%ルールが設定された徳島や岩国では投票に行かせないという、行かないようにしましょうというそういう優しいものじゃないんですよ、行ってはいけないと、これを無効にしてしまうんだと。だから、おれは投票所で見張っているからなと。おまえ来たら、おまえのところの飲み屋にはもう絶対行かないとか、おまえのスナックはもう使わないとか、本当にこういうことが実際に行われているということです。  それから、五〇%ルールが適用されていなかった巻町や、沖縄の県民投票や名護の市民投票でも同じようなことが民同士で行われました。例えば、ある銀行に勤めている若い女性銀行員が、今度投票に行こうねと自分の自由時間に同じ会社の仲間にメールを打っただけで上司から呼び出されてとんでもないとしかられたことがあるんですね。  私が言いたいのは、メディアを法でルールで縛るということだけじゃなくて、こういった民同士の脅しとか圧力とか、これが相当ひどい状態になったときにどんなふうにそれを抑制するのかということについても立法府の方でお考えいただけないかということです。  それはそれとして、しかしやっぱりそういったことをなくす一番のかぎを握っているのは、私はメディアだと思っています。報道者がそういった事実をきちっと伝えて、そういったことはいけないんだ、駄目なんだと、民主主義や市民自治を侵すんだ、損なうんだということを懸命に報道して国民に啓蒙する役割を果たさなければいけないと思っています。  そういった意味で、六番の報道者と国民による監視と批判が重要だということも話したいと思います。  先ほど、公務員法制の問題ありましたけれども、これ、いろいろ危惧をすれば、あるいはこういう可能性もあるんじゃないかといえばもう切りがないんですよね。結局は、国民投票法憲法改正手続法内容だけの問題じゃなくて、それを運用する政府、権力の性向の問題にもかかわってくると思うんです。これをごちゃ混ぜにして論議すると問題が見えてこないと思います。  私は、フランス政府が、最近もサルコジとロワイヤルの大統領選挙が行われましたけれども、〇五年の五月二十九日に行われた国民投票のときの話をちょっとしたいんですが、これ、ポスターは、舛添さんもよく御存じだと思いますけれども、フランスの場合は公共掲示板にしかこういうふうに張ってはいけないんですね。各政党ごとにこれは割り当てられているわけです。こういうものが、これはウイの方ですけれども、こういうふうに、まあこういうのが使われると。公共掲示板に張るというのは、要するにこういう形で張られるわけですね。指定の番号のところへ張るわけです。社会党は社会党、共産党は共産党と。ウイかノンかを張るわけですよね。公共掲示板以外のところに張ったら違法行為になるんです。  ところが、これをごらんになったら分かるように、銀行の壁だとか、それからカフェの壁だとか、大学の構内あるいは横とか、もうありとあらゆるところにウイとノンがべたべたべたと張ってあるわけですね。このことについて逮捕者が出たかといったら、出ていないわけなんですね。だから、同じ日本とフランスで、あるいはよその国も、全く同じルールを適用していても、政府によって逮捕したりしなかったりするわけです。だから、単にルールの問題じゃなくて、それを運用する政府の性格、性向の問題もかかわってくるんじゃないかというふうに考えています。  そういったことも含めて、後の質疑で詳細、細かいことについてはできたらお話をしたいというふうに思っています。  最後に、今日は直接関係ないかもしれませんけれども、ボイコット運動最低投票率についても、インターネットで中継を見聞きさせていただきましたら、発議者の赤松さんの方とか質問者の仁比聡平さんの方から具体的に私の名前が出て、ボイコット運動について言っているのは今井一さんだけじゃないかというふうに言っていただいたこともありまして、もしそういう機会がありましたら、今日、本人が来ているものですから、何か私に質問があれば、最低投票率のことやボイコット運動のことで、どなたでも結構ですので、質問していただければ答えたいと思っています。  以上です。
  9. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、西原参考人にお願いいたします。西原参考人
  10. 西原博史

    参考人西原博史君) 御紹介いただきました西原でございます。本日は、重要な法案審議におきまして意見陳述の機会をお認めいただきましたことを深く感謝しております。  私は、憲法学を研究する者として今日ここに参ったつもりでおりまして、その観点から、憲法改正国民投票の在り方をめぐる幾つかの点について私見を申し述べさせていただきます。  インターネットの中継等々、これまで審議経過をずっと拝見してまいりましたけれども、正直、なお根本的な諸問題について十分な議論がなされていないのではないかという印象をぬぐえないでおります。特に、今日のテーマであります国民投票運動について、基本線において公職選挙法の発想を受け継ぐ枠組みというものは、憲法改正国民投票というものの本質とかなりのずれを見せているのではないかという危惧を抱いておりまして、それらの点についてもなお国民全体を巻き込んだ慎重な審議が必要なのではないかというふうに考えております。  大上段に振りかぶった物の言い方で恐縮なんですけれども、憲法改正国民投票という制度は、日本国憲法国民主権原理の中で極めて特殊な位置を持っております。日本国憲法は基本的に議会制の構造を採用しているわけで、国民一つの意思主体となって決定を下すという場面は憲法改正国民投票の場合にしか想定されていません。その憲法改正国民投票は、代表者を選びあるいは罷免するといった選挙とは本質においてかなり構造の異なるものだということになります。  選挙の場合、人を選ぶために便宜的に投票という手段を用いているという側面がございまして、そこでは具体的な意思を持つ国家機関としての国民という存在が立ち現れてくるということではございません。それに対して憲法改正国民投票においては、国民という一つの団体、実際には有権者団という形で行動するわけですけれども、その国民という団体が特定の意思決定を任務とする国家機関として機能するということになります。そして、国会はその国民に対する提案者としての資格において行動するということが一つの特徴なわけです。  日本国憲法は、議会制の構造にあえて強烈な例外を持ち込んでまで、なぜ憲法改正に当たってだけこうした特殊な意思決定の役割を国民に割り振ったのでしょうか。  これは、この問いに答えを出すことはそう難しいことではありません。憲法改正という事柄の本質上、国会の三分の二という特別多数決をもってなお配慮されていない国民各層の多様な見解による吟味にゆだねなければならないということを考えているからというのが恐らくその答えでしょう。そのため、国民投票の実施に当たっては、ただ国会における発議に向けた審議で明らかになった論点について国民の判断を求めるというだけでは足りず、国民自らがいまだ明らかになっていない論点を発掘し検討をし尽くすということが必要となるわけです。  こうした点を考えれば、例えば政党というものの機能は、選挙の場合と憲法改正国民投票の場合で全く異なるということが明らかになります。選挙の場合には、民意を集約する形で候補者と選挙民を媒介する政党の働きは不可欠なものと位置付けられるでしょう。それに対して憲法改正国民投票の場合、政党を通じて媒介された民意は既に発議過程で配慮済みということになりますから、政党を通じて媒介されていない部分、そして媒介し得なかった多様な見解、多様な利害関係に配慮すると、そしてそれを踏まえた総合的な判断を行うということが国民としての大きな課題となるわけです。  私が最初にこれまでの審議、なお不十分な点があるかもしれないと申し上げたのは、このような憲法改正国民投票というものの日本国憲法の中での位置付けを踏まえた上でのことになります。  以下、今日のテーマであります国民投票運動に関して、幾つかの点で具体的な帰結を御紹介させていただければというふうに思います。  まず最初に、大きな枠組みとして、憲法改正国民投票国民という主権的国家機関の意思決定であるという属性に伴う幾つかの問題があるということになります。  まず第一に、国民投票運動期間の問題があります。与党併合修正案はこの期間を最短六十日まで国会が短縮してよいというか、六十日まで切ってよいという可能性を認めておりますけれども、先ほど申しましたように、国会審議でなお明らかになっていない論点まで検討するという上での国民投票が必要だと考えるならば、六十日というのは明らかに短過ぎるということが指摘できるように思われるわけです。  さらに、この主権的国家機関である国民の意思決定という観点で申しますと、やはり最低投票率の問題というのは一定程度配慮を必要とするのではないかということになります。選挙の場合、投票率というのはあくまで便宜的な選出手続の正統性にかかわる事実上の問題なのですけれども、そこでは例えば棄権する選挙民の自由をも含めた考察が必要になってくるでしょう。それに対して、国民という具体的な国家機関が構成され、そこでの決定が行われるときには、これは最低投票率あるいは参加率の問題は機関決定としての質を持っているかどうか、その点にかかわる問題になってきます。選挙においては定足数という考え方は必要ないでしょうけれども、機関決定としての憲法改正国民投票において同じことが当てはまるわけではないということを考えに入れておく必要があるように思われます。  第二に大きな論点、二つ目になりますけれども、国民投票運動に関して政党というものにどういう役割が期待されるのかという点についても若干の考察の余地がございます。  既に指摘しましたとおり、国民投票運動の中において必要なのは、発議に至る過程の中で必ずしも十分に配慮されていない観点まで取り込んだ総合的な検証作業だということになります。その点において、例えば与党併合修正案百六条四項及び百七条四項に言う政党による賛否意見放送あるいは広告については、それが仮に同時間同分量という一見公平なルールを踏まえたように見えるものであっても、むしろ国民による審議を特定方向に誘導し、効果的な討論を阻害する危険があるのではないかという観点がなお残っております。  特に危惧されるのは、この賛成、反対意見表明が両議院の議長が協議して定めるところにより国民投票広報協議会の活動として行われることです。国会国民との関係においてあくまで提案者としての立場において行動するわけであり、賛否議論をリードする役割までもが国会あるいは国会に付随して活動する政党という存在に期待されているわけではないということを確認せざるを得ないような気がします。そうでありながら、国民投票広報協議会が主要な論点設定の機能まで引き受けようとするのは、憲法改正国民投票における主権的国家機関としての国民活動をむしろ妨げるものとなっているのではないかという危惧があるわけです。  大きな論点三つ目として、狭い意味での国民投票運動に対する制限の問題があります。選挙運動はあくまで候補者が主体になって支持を呼び掛ける運動ですが、国民投票運動は、その本質において国会であれば審議に該当する主権的機関内部の決定作成過程そのものであります。その意味で、国民投票運動という呼び名そのものがある種、場違いの事柄の本質を逸脱したとんちんかんな用語法ということさえ言えるかもしれません。公職選挙法の枠組みを参照したこと、それ自身に一定の問題があるというふうに私が先ほど申し上げましたのはこういう前提に立ってのことであります。  ここでは国民投票運動という言葉を便宜的に使い続けますけれども、この国民投票運動国民という機関内部の決定作成過程そのものであるということからしますと、ここで国民の自由な討論を阻害するような法制度上の規制は極めて不適切であり、また憲法二十一条の表現の自由に違反する疑いが強いということを指摘せざるを得ないわけです。  これは若干私個人の問題を含みますが、私個人の職業上の立場から特に困っているのが、与党併合修正案百三条二項の教育者地位利用による国民投票運動の禁止規定です。私も学校教育法上の学校に勤める教育者の端くれで、その中で大学で憲法を講じて日々の糧を得ているわけですけれども、この憲法の中で憲法改正に係る論点を回避することは恐らく可能ではないように思われるわけです。憲法改正で具体的な論点とされた項目を含む授業内容で、現行憲法が踏まえている論理、踏まえている構造を紹介することすらもが憲法改正反対影響力利用だというそしりを受けかねないわけです。  また、例えばテレビの討論番組に招待されたときに、憲法学を専門とする私は出席が許されるのかどうか。何しろ私の学生との関係では、テレビ画面を通じた影響力というものもあり得るというふうに考えられるわけです。  このような指摘は半分冗談を含んでおりまして、もちろん法案規定がそこまで教育者の自由を制限する趣旨で起草されているということではないと信じております。また、そもそも罰則がないのだから杞憂にすぎないということもある程度正統性を持った言い回しになっております。しかし、罰則規定がないからそれでよいのかというとそうではないわけでして、むしろ罰則規定がないことによって処罰の可否を問う運用の一元性すら確保されないという危惧が生じてきているという、もう一つの現状があります。例えば、私を雇用する学校法人が教育者としての地位利用理由に私を解雇しようとした場合、私は長く苦しい裁判闘争を経ることによってしか自分を守れないということになるのでしょうか。  このようなあいまいな条項でもって教育者の学問研究、及び教授の自由や表現の自由を制限することは、与党併合修正案百条にある適用制限にもかかわらず、やはり憲法違反の疑いを濃厚に持っているということになると思います。  同じ危惧は、公務員による地位利用禁止についても当てはまります。与党併合修正案百九条二項に規定された利益誘導の禁止があれば必要な範囲での地位利用禁止は実効的に保てるはずでありまして、それを超えて禁止規定を置くことは、やはり萎縮的効果を発生させるし、そして主権的国家機関内部におけるきちんとした審議を阻害する役割しか果たさないのではないかという危惧があるわけです。少なくとも、民主党百一条にあるような公務員等政治活動禁止の適用除外条項をきちんと法文化し、国民としての討議が十分に促進されるような法的環境を整えることは必須のことと思われるわけです。  最後に、まとめ的なことになりますけれども、そもそも、今ここで審議しておりますこの国民投票法というものは極めて特殊な性格の法律だということになります。本来、主権的国家機関としての国民の意思表示の仕方は、その機関、国民が自ら決めるべきことであって、その国民に対して提案を行う主体である国会が決めることなのかどうかということにすら本質的な矛盾は実はあるわけです。ただ、もちろん国民自身がそのルールを作ることはできないわけですから、このルール設定は国会の任務とならざるを得ません。ただ、事柄が国民固有の意思決定の在り方にかかわるわけですから、この法案審議においてもっと国民各層の見解が反映されるような形で、そして国民としての合意と言えるだけの実質を持った立法過程の在り方が求められているように思われます。  既に御指摘しましたような点を含め、なお国民としてのきちんとした議論に付すべき論点が数多く残されているように思われるわけでありまして、理性の府としての参議院におかれましても、軽挙妄動に走ることなく十分時間を掛けた、歴史の検証に堪える立派な御審議をいただけるものと切に期待しております。  御清聴ありがとうございました。
  11. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、宮里参考人にお願いいたします。宮里参考人
  12. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 弁護士宮里でございます。私は、主として公務員教育者国民運動規制論点に絞って意見を申し上げたいと思います。  実は、このテーマは私、この参考人に出る前から大変関心を持っているテーマの一つであります。といいますのは、先ほど西参考人も指摘をされた猿払事件、あの猿払事件というのは、総理府統計局事件、徳島郵便局事件、三事件が併合して審査をされて最高裁で判決に至った事件でありまして、私はその総理府統計局事件の刑事弁護人であります。  そういう意味で、かねてから、国公法百二条違反、人事院規則一四―七の公務員政治活動規制は、諸外国の立法例に比べても余りにも広範に過ぎるのではないか、これは違憲ではないかということをずっと思い続けておりましたし、その事件の弁護に当たってもそういう主張をいたしました。この事件では、東京高裁は実は無罪判決を出したのでありますが、最高裁で覆ったという経過もございます。  そういう意味で、とりわけ言論の自由が最大限に発揮されるべきその国民投票の問題において、公務員政治活動規制がどう扱われるかというのは、私の重大なこの法案に対する関心の一つであったわけであります。そういう観点から、今日はその論点に絞って私の所見を申し上げたいと思うのでございます。  総論的なことは既に各参考人から述べられましたけれども、最もこの問題を考える重要な視点の一つは、国民投票運動の意義、性格をどうとらえるかということにかかわっていると思われます。この点については、今、憲法学の立場から理論的な説明がなされました。私も、今おっしゃったことを聞いておりまして、全く同感でございます。  つまり、国民投票というのは選挙とは違う。国民投票と選挙との違いをどう考えるかというのはこの問題を考える重要なポイントだと思います。選挙はその時々の政策あるいはその政策に関連しての候補者の選択であります。しかも、それは選挙が定期的に行われる、臨時にも行われる。国政もあれば地方選挙もある。しかし、憲法改正というテーマは、これは極めて長期的な意味で国の在り方を左右するし、基本的な人権の在り方を決定する。憲法改正内容によっては、場合によっては天皇制の問題も出てくる。あるいは皆さん方の両院制の、参議院を廃止するという問題だって憲法上の議論であります。  つまり、国の統治の在り方や基本的な人権にかかわる最も重要なテーマについて直接、主権者である国民の意思を問うというのが国民投票でありまして、言わばその時々の党派の争いである選挙とは決定的に性格が違うと。やっぱりこの点の認識を持つか持たないか、ここに私は国民投票運動規制の在り方を考える基本的な視点があると思います。どうも国民投票法案を見ておりますと、公職選挙法的な規制の発想を取り込んでいる、持ち込んでいると。そこにそもそもの出発の誤りがあるというふうに言わざるを得ません。  そういう点から、公務員教育者に関する法案規定について少し各論的に論じたいと思います。  私の基本的な立場は、その国民投票というものが選挙とは違う。国の統治や基本的人権にかかわるそういう問題について唯一、国民主権者として直接民主制を行使し得る唯一の機会であると。やっぱりこの点からその国民運動については最大限の自由が保障されるべきでありますし、先ほども議論が出ておりますように、様々、改正の賛否をめぐってオープンな国民議論の場を確保するという点で、公務員教育者についてもその制限は必要最小限、しかも厳格な要件の下にということを基本として申し上げたいと思うわけであります。  実は、その選挙運動国民投票運動の違いというのは私だけが申し上げているわけではございません。私の意見の中に紹介をしておきました。かつて一九五三年当時に、自治庁が憲法改正国民投票法案を作っているのであります。そのときに、この立法の中心であったと思われます自治庁選挙部長の金丸三郎氏が当時論文を発表しておられます。「日本国憲法改正国民投票について」という論文であります。その該当部分を紹介しておきましたけれども、金丸さんも明らかに選挙法的な規制国民投票にはなじまないと、言論や文書による運動制限する必要はないということを明確に述べているのであります。  この選挙運動憲法改正国民投票は性格が違うんだというのは、これは私は憲法から出てくる当然の結論だろうと。そのことを一九五三年当時において指摘された金丸論文は正に達見であろうかと思います。そして、これは今日においても同様のことが当てはまるのではないかというふうに私は思うわけであります。  さてそこで、各論的に百三条一項の、まず公務員地位利用に関する国民投票運動の禁止について申し上げたいと思うわけでありますけれども、まず一つは、この法案ではその国民投票運動を定義しておりますが、これ自体非常に広い概念です。憲法改正案に対し賛成又は反対投票をし又はしないよう勧誘する行為、これは非常に広い概念でありまして、何らかの働き掛けをする行為はほとんどこれに該当するというふうに解釈されるでありましょう。  例えば裁判所法五十二条二号においては裁判官に対する政治運動の禁止がございますが、これは、裁判所法政治運動の禁止ではなくて積極的に政治運動をすることを禁止しているんですね。つまり、積極的にという要件を付しているのであります。そういう点から考えても、今回の国民投票運動の概念は非常に広い、そしてその広い概念を前提として禁止をかぶせているというところに問題があります。  さて、その地位利用概念も私は非常にあいまいな概念だと思います。  確かに法案では、法文ではこれを限定されようという努力をされておりまして、その地位にあるため特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用してという、そういう条文になっております。ただ、これは従来、公職選挙法上の地位利用について言われている解釈をそのまま踏襲したものでありまして、特に地位利用概念について要件が限定されたというふうに解釈することはできないと思います。  それから、私はもう一つ、これは従来余り言われていないことかもしれませんが、先ほどいみじくも今井参考人も指摘されたけれども、つまり、地位利用という問題は官だけではなく民間でも起こり得るんですね。民間、例えば企業ぐるみ選挙などにおいて、職務上高い地位にある管理職が部下に対して地位を利用して投票の勧誘活動をする、こういうことも起こり得るわけです。あるいは大企業と中小企業との間で、あるいは下請企業との間でこういう地位利用による運動というのは起こり得るわけです。  もし地位利用による運動が自由な意思決定に対する阻害であるから許されないと考えるならば、どうして官のみが禁止され民は禁止されないのか。私は、この合理的な理由の説明はできないと思います。ましてや今、官から民へどんどんと業務が移管され、官と民の境がなくなり、官民は著しく相対化しています。  私は、民について規制しろという意見ではありません。官だけ規制するのはおかしい、官を規制するならなぜ民を規制しないか、それは何らかの考え方が前提にあるのかということを言わざるを得ません。私は、基本的には官も民も自由であるべきだと思っておりますので、規制すべきという立場を取りませんが、官のみを規制する合理的理由はないというふうに言わざるを得ないと思います。  それから、確かに公務員地位利用や職権濫用、あるいは勤務時間中の国民投票運動とか信用失墜的な行為というのはあり得ると思います。それは国公法も地公法も、それに、服務規律違反に対しては懲戒規定を置いているわけですから、個別的な問題はもう十分懲戒処分によって対応し得るわけですね。個別的に予想される弊害を理由に一般的な規制を置くというのは、正に角を矯めて牛を殺すたぐいの立法規制ではないかということを言わざるを得ないのであります。  そういう意味で、私は百三条一項の公務員地位利用については反対でありまして、削除されるべきであるという見解でございます。  次に、教育者地位利用についても、今、公務員について述べたのと基本的には同じ理由であると言っていいと思います。  教育者であるがゆえにこれほど広範な規制をする必要は、国民投票運動の持つ重大な性格からないと。教育者についても、先ほど憲法、大学の教授についての具体的な懸念のお話がありましたけれども、教育者についても私は広く主権者の一人として国民投票運動に参加をすべきではないか、参加をしてしかるべきではないかというふうに思います。  それから、先ほどちょっと論点一つ落としましたけれども、地位利用というなら、地位利用というのであれば、やはり実際上考えられる地位の濫用というのは、非常に裁量権限を持っているいわゆる高級公務員について妥当するわけでありまして、すべての公務員規制の対象にするというのは、これもまた本来の規制の在り方から度を越している規制ではないかというふうに思います。  最後に、一般的な国公法上の規制、地公法上の規制がこの国民投票に適用になるのかどうか、あるいはそのような規制を及ぼすべきかどうかという議論であります。  これもいろいろ議論も出ておりますので、結論だけを申し上げますと、私は、三党合意において適用除外がなされたという経過があったように聞いておりますが、正にこれこそ非常に見識を持った対応でありまして、今回、立法者意思として明確に、国公法、地公法上の政治活動規制国民投票に及ばないということを立法上明記するのが望ましいと思います。  国公法、地公法上の政治活動規制、あるいは人事院規則一四―七が国民投票運動にそのまま果たして適用になるのかどうかというのは、多分解釈論上、いろいろな議論があり得ると思います。そのまま適用にならないという議論もあり得るかもしれません。しかし、例えば人事院規則一四―七を見ますと、特定の政策に賛成又は反対することという非常に漠たる行為も入っておりますので、適用される可能性は否定できないと。適用されますと、国家公務員法の場合は刑事罰の制裁もございます。  そういう点で考えますと、この国民投票法という重大な主権者の選択の中にこの公務員、あるいは国家公務員、地方公務員をほとんどほぼ全面的に運動から排除するような国公法、地公法上の規制は排せられるべきではないかというふうに思います。  ここで、ちょっと是非御理解いただきたいのは、よく引用されるんですね、猿払事件判決が。先ほど西参考人も引用されたんですが、最高裁の猿払事件判決は、行政における分野における公務というものは、議会制民主主義に基づく政治過程を経て決定された政策、政治過程を経て決定された政策の忠実な遂行、あるいは政治的な偏向なしにそれをやるという、そこに政治活動規制の法的な論拠を置いているわけですね。  しかし、憲法改正に賛成するかどうかというのは、決定された政策に対するものではありません。正に憲法、先ほどおっしゃられましたように憲法制定の一過程に国民が関与するという問題であります。そういう点で、猿払事件判決政治活動を禁止した論旨は、私は国民投票運動には妥当しないと、ここはよくよく、猿払事件判決がよく引用されますが、私はこれは正しくないとらえ方であるというふうに考えております。  結論的に申せば、適用される可能性がある、疑義のある国公法、地公法上の規定は、明文においてその適用除外国民投票法案の中に定めるべきであるというふうに思うわけであります。  最後に、附則十一条に関しまして、これをどう読むかという問題がありますが、私は国民投票運動において公務員の取扱いがどうなるかというのはこの法案の極めて重要な問題点一つだというふうに思います。国民運動規制の在り方に関する重要な問題の一つだと思います。これを附則にゆだねて先送りをするというのは重要な、憲法改正手続法という重要な立法の在り方として非常に好ましくない、妥当ではないというふうに考えます。  国民投票法が作られるのであれば、この点も含めて審議を尽くして立法化されるべきであるということを附則に関連して一言申し上げて、私の意見を終わりたいと思います。  ありがとうございました。
  13. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  なお、大変恐縮でございますが、各委員質疑時間は限られておりますので、簡潔に御発言をいただきますようお願いをいたします。  質疑のある方は順次御発言願います。
  14. 岸信夫

    岸信夫君 自民党の岸信夫でございます。  本日は、それぞれ各参考人の皆様には、連休明けの大変忙しい中をお越しいただきまして、また大変貴重な御意見を賜りまして、心より御礼申し上げます。  さて、日本国民にとって最高法規であります日本国憲法でありますけれども、制定から六十周年を今年で迎えたわけです。戦後の復興期においても、この憲法の果たした役割というのは大変大きかった、影響が大きかったわけであります。また、経済発展を支えてきたという面もまた一方であるのではないかというふうにも思うわけでありますけれども、一方で、この長い年月の間に憲法に対して様々な意見が出てまいりました。また、各政党の中にも改正に対するスタンスが時代時代によって変わってきていると、こういうこともあるんだろうと思います。  憲法を改正すべきである、あるいは改正すべきでないといった議論が堂々と行えるようになったということ自体は、私は自由な民主主義国家としては大変健全な姿になってきているというふうにも思うわけであります。しかし、今議論されていますように、問題としては、国民がそうした憲法改正についてきちんと自らの意思を示すためのその法律が整備されていないという現状でありまして、この状態が長い間残念ながら放置をされてしまったということでありまして、これは政治の怠慢と言われても致し方ないものだというふうに思っておるわけです。  その状態について、それぞれの参考人の皆様がどのようにお考えになっているかということについて、まずお聞かせいただきたいと思うわけですけれども。  まず、国民主権あるいは基本的人権といった現行憲法の理念自体に対して疑いを持つ国民はいないんじゃないかというふうにも思うわけですけれども、先ほど申しましたけれども、憲法改正の意思を示すための機会国民に与えられていないわけです。あるいは、そこには憲法を改正しないという意思を表明すると、反対の意思表明をするという機会もないんではないかというわけであります。  憲法を守るという立場、守りたいという立場の方にとっては現憲法一つのベストの形である、こういうことだとは思うわけですけれども、その国民の意思を問うプロセスが決められていないという部分については、これはベストとは言えないのではないかなというふうに思うわけです。言わば、憲法自体が自己矛盾を抱えているような中でずっと来ているような状態になっていると思うんですけれども、それぞれの参考人の皆様に、この点について御意見をいただければというふうに思っております。
  15. 西修

    参考人西修君) 済みません、ちょっと論点がはっきりしない面ありますけれども、要するに憲法を守るという立場から、この憲法をどんなふうに考えてきたかというようなことの御質問ということでよろしいんでしょうか。
  16. 岸信夫

    岸信夫君 といいますよりも、その憲法を守りたい、あるいは改正したい、それぞれの意見はあると思いますけれども、いずれにしてもこの国民投票法というプロセス自体が制定されてなかったままずっと来ているわけですが、この状態について皆様の御意見をいただきたいということです。
  17. 西修

    参考人西修君) 私は、やはり六十年間全く憲法改正国民投票法というものが定められてこなかったということについては、私はやっぱり非常に異例な、異常な事態だということを思うわけでございます。  それから、ちょっと今何か憲法の守る、守らないということをおっしゃられたんですけれども、今から六十年前の私は成立過程をちょっと勉強している感じから申しますと、昭和二十一年の六月二十四日でありますけれども、共産党を代表して徳田球一議員は、もう今の憲法は絶対に、この憲法審議することそれ自体が反対であるということをはっきりおっしゃっておられましたし、また八月には野坂参三議員が、今の憲法九条は空文をもてあそぶものである、だから絶対に今の憲法九条のままでは駄目だというようなことをおっしゃっておられたわけでありまして、そういう意味において今の憲法を守る守らないということの原点を考えてみたら、どんなふうかなと。  それから、社会党の当時の森戸辰男先生とかあるいは原彪先生も当時は、例えば日本社会党中央機関誌の「社会思潮」というところで原先生は、今の憲法は不満である、我々にとっては不満である。また、森戸辰男先生は、昭和二十一年の九月発行の「中央討論」誌では、いまだ不十分である、適当な時期をとらえてこれの改正を図るべきだとはっきりおっしゃっておられたわけで、だから、そういう意味において、やっぱり憲法を守る守らないということを、幅広い意味で原点に立ち返って憲法というものを考えていく、そういう意味において、やはり今ここで六十年の中で憲法をどう考えるかというようなことをこういう国民投票法議論になったということは、私は非常に歓迎すべきものであるというように考えるわけでございます。  以上でよろしいでしょうか。
  18. 今井一

    参考人今井一君) 一年ぐらい前ですかね、朝まで生テレビ!という番組に行ったときに、番組の冒頭で田原さん、あるいはその司会者だったと思うんで、どっちかだったかな、まず最初に今日のパネリストに、憲法改正に賛成か反対か、まずそこから聞きたいというふうにおっしゃったんですよね。  私は、本当にもう次元が低いというか、今そういう時代じゃないんですよ。世論調査を見ても、憲法改正に賛成か反対か聞くだけじゃなくて、じゃ九条はどうかというふうになっているわけですね。大ざっぱに改憲派とか護憲派とかいう時代はもう過ぎたんですね。国会でもメディアの方でもそういった使い方はもうやめなければいけない。第一章改憲派とか第一章護憲派とか、九条改憲派とか九条護憲派とか九十六条改憲派とかですね、条項を添えて言うべきです。余りにも水準が低いと思う。ヨーロッパではこんな議論してませんよ。条項ごとに議論しています。まず、それが一つですね。  それから、これおとといの朝日新聞ですけれども、大阪本社版ですから東京は載ってないかもしれませんけど、堺の人が「憲法を勝手に変えんとって」と言って、「安倍はん わたしら、憲法大好きなんや。」って、これ大阪本社版やからって大阪弁になっているわけじゃなくて、「九条のこと、大好きなんや。」と。ずっと行ってですね、最後の方に「憲法国民が為政者をしっかり監視するためのもんなんや。」と、これはそのとおりですよね。それを気にいらんから言うて為政者が勝手に憲法を変えんとってって、こうなっているわけですよね。  要するに、憲法を勝手に変えんとってと。憲法を勝手に国会は変えられると思っているわけですよね。その程度なんですよ。これは、メディアにも責任があるし、立法府にも責任があるんじゃないかと思うんです。提案しかできないんだと。中曽根さんが先日、スタートは国会が切るけれども、ゴールは国民で決めてほしいというふうに言われたと聞いています。こういう基本的なことを九条護憲派方々あるいは改憲派の方々の中でどれぐらい分かっていらっしゃるのか、そこがまた大切なんじゃないかというふうに私は思っています。  それから、この国民投票法制定に反対するいわゆる九条護憲派方々に、私、二種類あると思っています、それは議員であれ市民であれ。中身にいろいろ不備があるから、こういう手続法だったら駄目だという御主張と、どういう内容であっても、物すごく自分たちにとっていいと、あるいは客観的に見て非常に合理性が高いものであっても駄目だと言う人と二つあるんですよね。あるいは、これは改正の手続法で思惑があるから、安倍さんやその他の人々に九条改憲の思惑があるから駄目だと言う人もいます。  私は、これはおかしな議論だと思うんですよ。これ改正手続法なんだから、改憲の一里塚になって当たり前なんですよ、それは九条であっても八十九条であっても。これ、改憲の一里塚にならない改正手続法なんてあり得ないわけですよね。  それから、思惑があってと言いますけれども、かつて神戸空港の住民投票のとき、それから徳島の住民投票のとき、人吉のダムに関する住民投票のとき、すべて、当時反対した人たちは署名集めをしている人たちに、要するに直接請求で署名集めしている人たちに思惑があるからだと、それは空港反対の思惑があるからだと、吉野川でいったら可動堰反対の思惑があるからだと。思惑があろうがなかろうが関係ないことなんですよね。それを思惑があるからといって反対するんだったら、この現在審議されている憲法改正手続法についてもそういう理由があるから駄目だというんだったら、当時、神戸空港や吉野川や長野の住民投票で住民で決めるべきだと言った人たちは筋が通らなくなります。だからそういうことを言っちゃ駄目だと思います。  最後に、はっきり申し上げておきますけれども、憲法を、九条を、もうはっきり九条と言いますけれども、変えたくない人は主権者です、しかし変えたい人も主権者なんですね。だから、変えたい人も変えたくない人も主権者であって、変えたいという人の主権行使の機会を手続法を制定させないということで奪ってはいけないと思います。  それは、先般行われた東京都知事選挙で、たとえですよ、これ、そうだと言っていません、たとえ石原慎太郎さんが知事になることが誤りだとしても、世論調査で二週間前にどうも石原慎太郎さんが圧勝するということが分かっているからといって石原慎太郎に反対するグループが急に公職選挙法を停止させたり、都知事選挙だけ延期させたりするわけにいかないわけですよね。自分と意見が違う人たち憲法に基づいて、あるいは憲法にのっとった公職選挙法憲法改正手続法にのっとって主権行使をする機会を奪ってはいけないということです。そういうことに力を注ぐんじゃなくて、できるだけ合理的なルール作りに励んでいただきたいと、そういうことです。
  19. 西原博史

    参考人西原博史君) 時間が余り残されていないので簡潔に申し上げますが、これまで国民投票法がなかったことをどう評価するか。これまでなかったことはある意味で言うと、先ほど私が触れましたとおり、国民投票法というものの構造的な難しさからしてまあ無理はなかったかもしれないということはあるかと思います。つまり、本来であれば、国民がどう意見表明するかに関して国会が決めなきゃいけないというところに一種のねじれが存在するわけですから、その部分について国会がためらいを持っていたというのは一つの見識だし、また今回そのためらいを乗り越えて一つの手続法を作るということももちろん一つの見識ということになると思います。  ただ、その場合に立場が微妙なのは、国会というのはあくまで提案者なわけですから、その提案者が手続法を作ったときにどうしても提案、国会の提案が国民に受け入れやすいような構造をつくってしまいがちだという、あくまでこれは意思の問題ではなくて、あるいは思惑の問題ではなくて、構造の問題なんですけれども、そういう国会国民投票法案を作ることのやはり難しさというのがあるわけでして、ここで一番私が強調したいのは、結局何らかの手続的な法規があればよいということでは決してない。やはりそこでは国民に代わって国民の意思表示のための手続を国会が作っているという今の手続がありますので、何らかの手続があればそれはそれでルールでいいんだということではなくて、あくまでその国民として納得できるような国民投票の手続をどうやってきちんと国会国民のために作り上げるか、それが今難しい課題として取り上げられているという認識、これをやはり一番表に置いて御審議を続けていただきたいというふうに思っております。  以上です。
  20. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 国民投票法案の内容をどういうふうなものにするかという問題と、憲法に改正をするか反対をするかという議論はきちっと分けて議論をしていただきたいと私は思います。  私は、個人的に現在の憲法を全体的に見て変えるべきところがあるというふうには思っていない立場です。そのことははっきり申し上げますが、しかしその問題と、だから改憲、この手続法に反対しているとか、そういうことではなくて、非常に重要な主権者である国民に選択を求める極めて重要な法律だからそれにふさわしいルールを作ってもらいたいということを申し上げているわけで、そういう点で言うと、憲法を変えてもらいたくないという立場からは、これはあくまでも憲法を変えるための手続法ですから、変える必要がないという評価に立てば必ずしも必要としない法律ということになります。  しかし、それは国民の間で意見が分かれることも事実です。変えたいという人もあり、変えたくないという人もいるわけですから。しかし、そのルールの問題として考えたときにはそのルールとしてふさわしいものにしなければならないと、先ほどの国民運動規制の在り方についてもそういうことであろうというふうに思います。そこのところは私自身は冷静に分けて議論をしているつもりです。
  21. 岸信夫

    岸信夫君 時間がなくなってしまいましたんで、肝心の規制の部分には入れなかったんですけれども、私も、公選法とはやはり違うべきである、広く国民意見を聴きたいわけですから、国民的な議論を盛り上げるような方向に、是非規制はできるだけ少なく、ただ公平性というものはやはり大切にしていかなければいけないんだろうというふうには思っております。  時間が来ましたので、ここで終わりとさせていただきます。ありがとうございました。
  22. 白眞勲

    ○白眞勲君 民主党・新緑風会の白眞勲でございます。  今日は、四人の方々、それぞれのお立場からいろいろな意見を言っていただきまして、非常に私も参考になったなというふうに思っております。  そこで、まず第一問としまして、第一問ではない、一回ちょっと聞きたいなと思うのは、四人のそれぞれの参考人方々に聞きたいんですけれども、今回、与党の方でこの日本国憲法改正手続に関する法律案、今出されて、今いろいろ議論がなされているわけですけれども、例えば西原参考人の場合は、まだまだ議論は全然足りないよと、もっと条文とか何かを付け加えるべきだし、何だかんだということもあるんじゃないかということなんですけれども、多分そうだと思いますが、ほかのお三方もまだまだ議論は足りなくて、もっともっとこれは条文の付け加えとか削除とか、いろいろなことも手を加えるべきであるというふうにお考えでしょうか。まず、西参考人からお伺いします。
  23. 西修

    参考人西修君) それは、議論はいつまでやってももうそれは当然尽くせないと思うんですよね。  ただ、先ほど申し上げましたように、十二月の段階ですか、民主党意見もかなり入ったと、もう九割以上この百五十一条の中にかなり入っているわけであります。それを踏まえて、これは読売にもちょっと書きましたけれども、どちらがどうこうと申しませんけれども、何かこの一月以降、いわゆる政争の具というふうになってきたというようなことを私の立場から非常に残念に思います。  これは本当に重要というか、いろんなセンシティブな問題もあるわけで、これはもういつまでやってもやっぱり議論が尽きない、やはりいつかどこかで議論を終結しなければいけない、それが今回であったということで、審議時間も結構取られているわけで、これはもうもっともっとやればいいわけですけれども、やはりどこかで終止符を打たなきゃいけない。そういう意味で、民主党意見もかなり入ってきたと。最後、憲法改正の対象ですよね、これを一般の国政のところまで、政治上の重要な問題ですね、ここまで拡大するかどうか、そこぐらい残ったんで、例えば二十歳を十八歳にするとか、いろんな点でかなり妥協がされてきている。  そういうような意味において、私は、いろいろ議論をすれば尽きませんけれども、そろそろやはりまとめていただきたいなというふうに考える次第でございます。
  24. 今井一

    参考人今井一君) 私は、議論は長ければ長い方がいいのに決まっています、それだけでいえば。  ただし、安倍さんがこの秋には集団的自衛権の行使の容認を認めるかも分からないというような解釈改憲の更なる進行がなされる可能性がある段階で、いつまでもこの手続法を制定しないのは、私たちの主権行使が相変わらず阻害されたまま事実上の憲法九条改正がなされてしまう可能性もあるんじゃないかという観点からいえば、集団的自衛権の行使の容認の前に制定をするべきじゃないかというふうに考えています。  この委員会の特殊性を考えたら、この前新聞で委員会審議の時間いろいろありましたけれども、皆さん方は一番御存じのように、しかし国民は全くだれも知りませんけれども、ほかの他の委員会と違って、衆参の憲法調査特別委員会は自民党にも共産党にも均等の時間が質疑時間として与えられているわけですね。そういうことでいえば……(発言する者あり)違いますか。衆議院では、昨日も実は中山太郎さんと会ったんですけれども、辻元さんにも笠井さんにも自民党の議員と同じような時間が割り当てられて質疑をやっているというふうに聞きました。そういうことから考えたら、相当他の委員会とは違って共産党や社民党も、私もいつも傍聴させてもらっていましたけれども、十分な、十分という意味は、絶対量としては十分という意味じゃありませんけれども、相対的に十分な時間を与えられているんじゃないかというのが一つ。  もう一つは、この問題で、さっきも西さんもおっしゃったみたいに、私は、中学生、高校生の試験勉強じゃないですけれども、一月過ぎて二月、三月って、衆議院通過してから急にメディア報道し始めたんですよね。急に国民も興味を持ち始めたわけですよね、メディアがそれまで報道しなかったから。笑ってしまうのは、古舘さんが報道ステーションで、全然国民不在、国民が分かっていない段階でこんなことを衆議院通過させていいのかと言っていましたけれども、じゃ、おまえはいつ取材に来てくれたと私は言いたいです。  例えば、今年の一月二十一日にスポットCMの問題で、皆さんよく御存じのカタログハウスの斎藤社長とか新聞労連の委員長とか当事者をみんな集めて、スポットCMどうすべきかということで、23にも報道ステーションにもみんな取材に来てくれと言いました。どこが来ましたか。自分たちの問題なのにテレビ局はどこも来なかった。取材さえしない。放送しないだけじゃない、取材さえ来なかった。そのくせ、衆議院が通過するや、あるいはその直前になるやにわか取材をして、やれ最低投票率やれ何やら。じゃ、二年前、三年前から我々は、小林節さんらと一緒に、関谷さんも参議院で慶応大学まで行かれましたけれども、そういうときに全く取材に来てない。衆議院通過する、参議院に移ったということになってからですよね。だから、これが日本の今の報道の現実なんです。  ただ、唯一救いは、三年間の経過期間があるからということです。この三年間で、それこそ何か、これ禁句かもしれませんけれども、足らざるところはきっちりこの三年間でやればいいんじゃないかと私は思っています。取りあえずは、あと参議院で十分な審議をしていただいて、もし足らざるところがあるんだったら、それこそ本当に国民的な議論の中で、改正すべきところは三年間の間に皆さん方是々非々で改正していただけたらというふうに思っています。  以上です。
  25. 西原博史

    参考人西原博史君) 御指摘いただきましたとおり、私はまだまだ審議が足りないという見解でありますけれども、これはやはり主権的な権利の行使、あるいは基本的人権の行使にかかわる手続について話そうとしているわけです。  現時点では、例えば公務員の扱い、教員の扱い、一体何が許されて何が許されないのかについて法文上明確な指針が得られない。これはやはり基本的人権を制限、あるいは基本的人権の実現に資するための法律としては、やはりまだまだ法律としての十分な質を獲得しているものとは言えない。だから、やはり最低限、人権制限の要件の明確性などの点について、現段階審議が十分であるという判断は私にはできないかと思います。
  26. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) どこまで議論を尽くせばいいのかというのは、国会の外にいる者にはよく分かりませんけれども、ただ非常に重要な問題で法案に全くない例えば最低投票率の問題、例えば最高裁国民審査法には最低投票率が書いてあるんですよね。最高裁の国民審査よりも国民投票最低投票率が要らないんでしょうか。私はここが非常に疑問に思いますね。  ですから、最低投票率の問題のような問題は、むしろ法案のかなりかなめにかかわる問題であって、ここはどういう議論があったか私は経過はよく分かりませんけれども、この問題はもう一度きっちり議論をしていただきたいというふうに思っていますし、公務員政治活動規制の問題は、今、西原参考人が述べられた点と同意見であります。
  27. 白眞勲

    ○白眞勲君 いろいろな様々な意見をいろいろ拝聴させていただいているわけでございますけれども、西参考人にまずお聞きしたいと思いますが、この配付資料の中にも書いてありますし、また今も西参考人の方からもおっしゃった中に、学校の先生の件について、静穏たるべき場所が扇動の場にならないのかという懸念があるというふうにおっしゃった。  私は、ちょっとそれはどうなんだろうかなというのが私個人としてはあるわけでして、例えば、じゃ先生は何も意見を言っちゃいけないのかといった場合に、子供ですから、子供ですからと言っちゃいけないのかな、学生としては当然、先生はどう思っているのって聞く場合だって私は学校の授業の中であると思うんですよ。そのときに、先生はね、今この公務員何とか法の何条何条によって私はこれから意見を言ったら大変なことになりますよとは言えないと思うんですね。それはやっぱり子供としても何が何だか分からないと思うんです。  やっぱりそういったものについては、西参考人はどうお考えでしょうか。
  28. 西修

    参考人西修君) 先ほど西原参考人が御自分の体験をおっしゃられましたけれども、これは大学の場合と小中学校の場合とやっぱりちょっと違ってくるように思うんですけれども。  大学の場合、私、憲法を講じているわけでありますけれども、いろんな学説とかいろんな学術的な立場から、例えばこの問題については賛否いろいろあって、そしてそれなりに論理的な整合性の中から自分の意見を言うということは、これは私は問題ないと思いますけれども、ただ、これなんかちょっと冗談で、衆議院でたしか小林先生が、小林節参考人がおっしゃられたようでありますけれども、憲法改正に賛成の者だけに単位を与えるとか反対の者にだけ単位を与えるとか、そういうことになったら、これは私は行き過ぎだと思います。  それから、小中学校におきまして、例えば親に賛成なり反対なり、これを持っていきなさいというようなこととか、そういうやっぱりそれなりの分を越えるということはおのずから出てくると思うんですね。そういう意味において、その教場が騒擾になったり、あるいはそこのところが争奪戦になるというようなことを私は憂えているということでございます。
  29. 白眞勲

    ○白眞勲君 そうしましたら、次に今井参考人にお聞きしたいんですけれども、テレビCMについて、スイスの例を出しながら一切禁止なんだと、それはマインドコントロールがあるからなんだよということをお話しいただいたわけですけれども、これテレビ番組につきましてちょっとお聞きしたいなと思うんですけれども、日本テレビの特性としまして、一つは、そのテレビ番組全体を一つの大きなスポンサーが買い取ってしまうということになった場合に、これも当然あり得るわけでして、そういった場合に、テレビ局のそれは自主性かもしれませんが、そこにいわゆる大資本のそれなりの影響力というものがやはりあり得るんではないのかなというふうにも私は思えるわけなんですけれども、その辺について今井参考人の御意見、もしよろしければ、西原参考人も何かうなずいていらっしゃいましたので、もし何か言いたいことがあればどうぞ、西原参考人にもお願いします。
  30. 今井一

    参考人今井一君) 確かにおっしゃるとおり、そこはすごく大事なところだと思うんですよね。  例えば、キャスターが九条、例えば具体的に言いますと、筑紫哲也さんとか古舘さんが、私は九条改憲に賛成なんだとか反対なんだと言うことはもうずっと投票日までないと思います。言わないでしょう。というか、テレビ局、言わさないでしょう。  報道局仕切りでやる番組については言ってはいけないけれども、じゃ、バラエティーはどうなのかということなんですよね。太田光の、太田総理、秘書田中という番組で、もうここにおられる方も何か番組出ていらっしゃる方が何人かおられますけれども、ここは自由に言っているわけですよね、九条を変えるべきだとか変えちゃいけないとかね。じゃ、これの制限はどうなるのかという問題もあります。これを具体的に、これから立ち上げられるであろう憲法審査会で考えていただきたいのが一つ。  もう一つ、白さん、大事な問題があって、実は今の併合修正案では投票日前二週間はスポットCMが禁止ですけれども、必ず九条改正賛成に投票してください、反対投票してくださいというスポットばかりとは限らないわけですよね。二週間前になっても、それのまがいものみたいなものが出てくる可能性があるんです。  これは、二年前の五月二十九日のEU憲法批准の是非を問う国民投票の翌日ですね、ノンが勝ちましたから、これフィガロでこんなのになっていますけれども、実はこの投票日の五日前に、本来やってはいけないのに、フィガロの別刷りの裏面に全面広告でウイというのが出たんですよ。私、びっくりしまして、取材した政府関係者に、これ法律違反じゃないかと言ったら、今井さん、よく見てと、EU憲法批准に賛成とは書いていないと、一つのヨーロッパに賛成と書いてあると。こういうことがスポットCMでも起こるんですよ。だから、私は、もどき、まがいものも二週間前からきっちり禁止しないとざる法になってしまうというふうに思っています。  以上です。
  31. 西原博史

    参考人西原博史君) もちろん、国民主権はお金の主権ではないわけですから、お金の力で投票結果あるいは政治行動が決まるということはふさわしくない。その意味において、スポンサーが番組を支配することによるマインドコントロールに対してはもちろん警戒的でなければいけないというのは御指摘のとおりだと思います。  幸い、日本放送放送法規制の下にあって、やはり政治的な中立性を義務付けられているという基本的な精神はこれはやはりあるわけですから、もちろん、それを例えば何をもって中立とするかは、本当に総務省が決める体制が望ましいかどうかはちょっと置いておくとしまして、その意味において、やはり放送としての中立性を意識せざるを得ないということについては、一つの方向性として意識していいんじゃないかと思っております。
  32. 白眞勲

    ○白眞勲君 宮里参考人、今もう時間もありませんので、この件についてもし御意見がありましたら。
  33. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 私は、基本的には活字メディアに限るべきであるというふうに考えております。あるいは、テレビの持つ非常に、何といいますか、問題の情緒的な訴え方、これが正にテレビの特色ですので、憲法改正という非常に長期的な視野に立った冷静な判断を国民に求める憲法改正というテーマに関してテレビメディアによる運動は好ましくないと、したがって私は認めるべきではないという基本的な考えです。
  34. 白眞勲

    ○白眞勲君 ありがとうございました。
  35. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 公明党の荒木清寛でございます。  まず、西参考人にお尋ねをいたします。  先ほど、公務員の政治行為規制をする規定適用除外をしないということについては評価をするけれども、この附則の十一条についての懸念をお示しになりました。ここは、我々の党も十一条については重視をしたところでございまして、ここは、公務員が自由な意見表明ができるよう検討し、また必要な法制上の措置を講ずると。検討だけではなくて、施行までに自由に意見表明ができるような措置を講ずるという、そういう併合修正案になっておるわけでございます。我々はこのことを、この附則十一条は大いに評価をしておるんですが、参考人の先ほどのお話はこういう附則はむしろない方がいいという、そういう趣旨なんでしょうか。
  36. 西修

    参考人西修君) 私はなくてもいいんじゃないかというふうに、率直に申し上げてそういう立場でございます。  今おっしゃった意見表明でありますけれども、意見表明とは何かということで、公務員といえども、また教育者といえども、意見表明として賛否投票をする、これはもう全く問題ないわけで、ただやっぱり国民投票運動という一つの積極的な賛成か反対かという中に公務員なり教育者なりがそこにもう積極的にかかわっていくということになると、私も一番最初に申し上げた、基本的立場として、国民が正に主権者として自由にしかし静かに深く考える、そういう環境というものを考えるとなれば果たしてどうなんだろうかな。公務員意見表明と、それから積極的に政治行為なり、あるいは地位利用なり、そういったものにかかわってくるということは私は別の問題ではないかなということで、だからといって、公務員意見表明、そういうことを否定するわけじゃないんで、ただそこに一つの区別があるんだということを考えているわけでございます。
  37. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 同じことを今井参考人にお尋ねいたします。  先ほどの参考人の陳述ですと、むしろこの併合修正案の前のこの適用除外規定を復活すべきであると、こういう御主張でした。そういう意味で、我々は、十一条で施行までにいわゆる自由な意見表明を保障するような措置を講ずるという規定を入れたわけなんですが、これでは不十分だという、そういう御意見なんでしょうか。
  38. 今井一

    参考人今井一君) 先ほども申し上げたように、この問題の本質的な解消は、国公法、地公法、あるいはその他様々な、警察法、自衛隊法の中の条文上の問題だと思っています、本質的には、解消するためには。しかし、それをわずかな時間にすべて改正するというのは難しいと思います。で、苦肉の策というか、皆さん方考え出された、立法府の方が考え出されたのが、特に発議者である保岡さん、赤松さんたちだけじゃなくて、併合修正案ですから、これは民主党の方の筆頭理事であった枝野さんたちも同意されたと思うんですけれども、それが適用除外ということにしようというアイデアだったと思うんですよね。これ、本当に知恵の産物だと思っています、抜本的な解消には至らなくっても。これが与野党合意でなされたというのは、本当画期的なことだと思うんですよね。そのことについて理解されている人は余りいなかったみたいですけれども、市民の中には。  でも、是非これを、もう無理かもしれませんけれども、本当は参議院で復活さしていただいて、適用除外項目を、で、衆議院に戻していただいて、中山さんのところでもう一回再可決という形にしてくれたら本当にいいなと私は思っています。万が一それができない場合は、さっき言いました経過期間中の三年間にもう一回戻すという議論をしていただきたい。あるいは、それができないんだったら、極めて具体的にどういう場合だったら違法ということになって、どういう場合だったらならないのかということをかなり具体的に厳密に掲げてくれないと、納得しない人は納得しないんじゃないかと、そんなふうに思っています。  以上です。
  39. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 今井参考人に続けてお尋ねいたします。  先ほど来、テレビラジオのスポットCM規制についてお話がございました。これも我々も悩んだんですが、やはりこのテレビラジオ、特にテレビについては扇情的な影響力があるのではないかと、またこれを使えるかどうかという資金力の差が大きいということで、投票日前十四日間の禁止ということにしたわけですね。  先ほどスイスやロシアのお話があったんですが、こういうスポットCMが、本当にこういう国民投票行動なりあるいは政治判断なりに、そういう情緒的に物すごく影響力があるものかどうなのか、もし先ほどのお話に補足をするところがあれば、ちょっと御紹介をいただければと思います。
  40. 今井一

    参考人今井一君) 私は、得々と語るテレビでやる番組については、これはそんなに問題ないと思うんですよ、理性的認識に訴えていくものについては。しかし、感性的認識に訴えていくものについては、私自身の経験も含めて本当は危ないと思っています。特に、日本人はテレビの視聴の時間が非常に長いです、若い人中心に。  カタログハウスの斎藤駿氏が三日前の毎日新聞にも語っていますけれども、十五秒でやってみたと、自分で。どれぐらい理性的認識に訴えられるものが作れるか。斎藤駿社長は皆さん御存じのようにカタログハウスの社長で、通販生活を出していらっしゃいますね。要するに、彼はもうそこが命綱なんですよね、CMが。CMで、報道ステーションその他にCMを出すことによって企業を経営しているわけですよね。そのプロ中のプロが、やっぱり十五秒で理性に訴えるのは無理だというふうにおっしゃっていますし、私もそう思います。  一方で、やっぱり、フランスの場合はそうじゃなくて、スイスと違って全面禁止じゃなくて、二十日前から禁止なんですよね、皆さん御存じのように。私が逆に驚いたのは、投票日の三日前にシラク大統領が出てきて、これ、そのテレビの画面をそのまま写したものですけれども、延々フランス国民にEU憲法批准に賛成と投票してくれと言ったんですよね。これ、不公平といえばめちゃめちゃ不公平なんですよね。例えば日本で言ったら、九条の改正の発議をして、安倍さんが出てきて、延々、とにかく改正賛成に投票してくれと言う、こんなことがあっていいのかと私は驚いたんですけれども、しかし、この人が出てきて翌日の世論調査見たら、ウイの支持率が減ってたんですね。それがフランス人なんですよ。だから、スポットと長々としゃべるのとはまた違うんですよね。だからといって、今回日本でこういうことやっていいと私は思っていませんけどね。  だから、斎藤さんが言っていることであり私も思うことなんだけれども、テレビはそんなに制限されたら困るって、制限しているんじゃないんです。朝まで生テレビとか、TVタックルとか、NHKの日曜討論会とか、そういった番組を毎日のように討論会をやってくれたらいいんです、ゴールデンタイムで、夜中にやらないで。そういうことをするのはいいんです。でも、スポットは駄目だということを言っているんです。テレビを、テレビでいろいろやるのを駄目だと言っているんじゃないんですよね。スポットはやめた方がいいと、そういうことです。
  41. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 同じく今井参考人にお尋ねいたします。  国民投票運動は全く自由でございますから、もちろん棄権をしようとボイコットをしようという運動も、これはもう全く自由であることはもう当然であります。ただ、そういうボイコット運動を誘発するようなそういう法制度といいますか、そういう仕組みは私は望ましくないと。  そういう意味で、最低投票率の設定については、私は必ずしも同意をしないんですが、参考人の今日の陳述の付記のところにもありましたので、この点、若干お話をいただければと思います。
  42. 今井一

    参考人今井一君) もしかしてそういう質問をしていただけると思って、実はこういうフリップを作ってきました。お手元に配っていないのは申し訳なかったんですが、実は先ほど言いましたEU憲法批准の是非を問う国民投票は、投票率がほぼ七〇%でした。反対が五五、賛成が四五で、EU憲法批准をいまだにフランスはしておりません。それによってシラク大統領は政治の場から身を退いて、そしてサルコジということになったわけですけれども。  このフランスの投票率七〇%で、五五対四五、一〇ポイントの差が付いたというのは非常に明確な民意だと言われたんですね。だれもこれに難癖を付ける人はいなかったんです、さっき私、フィガロのあれを見せましたけれども。七割、いい数字ですよね。五五対四五、いい数字です。一〇ポイントの差が出ました。  ところが、表にしてみたら、こういうことなんですけれども、これ一般化しました。例えば、逆に賛成が五五で反対が四五とした場合、明確な民意なんだけれども、全有権者の中でいったら三八・五でしかないんですよね。もし、最低投票率制の五〇%を設けたらどうなるかといったら、この部分の、青い部分の人がボイコット運動の呼び掛けに応じて行かなかったら無効になるんですね。  今は世論調査が非常に発達していますから、精度高いですよね。二週間前、三週間前にどうやら負けるみたいやいうことになったら、本当に、何というのか、不戦勝という言葉が相撲にありますけれども、要するに土俵に上がらない人が本当は相撲では負けるのに、土俵に上がってこない人が勝つ結果になっちゃうわけですよね、ボイコットすることによって。つまり、無効になって、不成立になって。  具体的に言いますね。例えば、憲法何条でもいいですけれども、そういう発議がありました。本当は賛成五五、反対四五、やったらそうなるのに、ボイコット運動を仕掛けたということで、これ、三八・五しかないから最低投票率五〇に達しないわけですよ。そういうことになったら、まともに議論が行われないからよくないと言っているんです。戦術的にそういうことがあってもいいと思っています。  それから、さっき先生おっしゃったみたいに、個人としても自由だと思います、棄権したり、ボイコットしたり、あるいは呼び掛けるのも別に法的にはおかしくないと思います。私が一番良くないと思っているのは、そのことによって、せっかくの議論の場、国民憲法改正という最も重要な主権行使の機会が非常に貧しいものになってしまうことを非常に懸念しています。  具体的な例を一つだけ言いますと、岩国市では、皆さん御存じのように、先般、一年前ですけれども、厚木基地の艦載機移転の是非を問う住民投票が行われました。これは、その結果については、市長市民、議会がこれを尊重して行うものとすると。法的拘束力はないんですけど、そういうふうな規定があります。五〇%ルールを設定したのは市長自身なんですね。しかし、やってみたら、市長はまともな議論をしたかったのに、片や、これを不成立に持ち込もうというボイコット派が頑張ったものですから、移転賛成か反対かの議論じゃなくて、反対票を投じに行くかボイコットするかどっちかになっちゃって、公開討論会も一切行われなかったんですね。  今、岩国の井原勝介市長は反省されています、間違っていたと。ハードルを設けるんだったら最低得票率制にすべきだったと。これ、皆さんもうお分かりだと思うんですけれども、ヨーロッパではこれを取っているところ多いんですよね。四分の一とか三分の一とか、そういう最低投票率制にすると、例えば三分の一にしたって、これ見たら分かるように、三分の一クリアしていますからボイコット運動する意味がなくなるんですよね。どうしてもハードルを設けるんだったら、そういう絶対得票率制にすべきです。  ただし、最後に言いますけれども、これは憲法九十六条にちゃんと改正の手続を取った上で明記すべきだと思っています。それは、一言で言いますと、三分の二という皆さん方に与えられたハードルは私たちから与えているハードルなんです、簡単に発議できないように。最終的な憲法改正権を持っている私たち立法府がハードルを加えるというのはこれはおかしいと思います。加える提案はしてもいいと思います、自分たち自身が決めるんだったら。それは自分たち国民投票を通して九十六条改正ということに賛成するんだったら、いいです、私は納得します。しかし、私たちに聞かれないで、立法府が勝手に私たちの改正権のハードルを、日弁連が言っているみたいに投票率が三分の二とか全有権者の過半数とかいう形で加えることについては、みんなが納得するんだったら私は賛成だけれども、勝手に私たちに承認を得ないでやるということについては反対します。  以上です。
  43. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 西原参考人は、この最低投票率についてはむしろ設定すべきだという、そういう主張だったと思いますが、これはこの今の憲法の下でも導入できるものなのか、それと、その場合には何%ぐらいということを念頭に置いていらっしゃるのか、お尋ねいたします。
  44. 西原博史

    参考人西原博史君) まず、これは憲法の解釈の問題になるわけですけれども、国民の承認を得るということが単純に投票者の過半数ということ、有効投票の過半数ということになるかどうかはまた別問題というところから多分考えが始まるんだと思います。  そういう意味でいいますと、まず、基本的には、これ存立を前提にして、それを変えるだけの支持が集まるかということに関して言えば、国民の、あるいは有権者の過半数の賛成を得ない限りは改正しないというやり方も十分あると思いますし、その限りにおいて、まず最低投票率が唯一の論点ではなくて、そもそも国民とは何か、過半数とは何かというところから始まる。にもかかわらず、先ほど申し上げましたとおり、やはりそれが単純多数決という方向で動くとするならば、それが質の問題として、やはりきちんとした参加を得た上での決定でなければ意味がない。それはやはり機関決定それ自身の条件あるいは質の問題にかかわってきますので、この部分について最低投票率を全く放置するということが責任を持った手続のやり方だというふうには私には考えられないということです。
  45. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 終わります。
  46. 仁比聡平

    仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。  参考人の皆さん、今日は本当にありがとうございました。  大変テーマが多岐にわたってきているわけですけれども、私の方では今日の運動規制というテーマに絞ってお尋ねをしていきたいと思います。  まず、政治的行為制限の問題で西原参考人にお尋ねをしたいと思うんですが、先ほど大学の教員としての悩みも含めてお話があったわけです。一方で、適用除外にするのか否かという点については、教育中立性という言葉などで教育の本来的在り方と国民投票運動の自由の抵触のような形で議論がされているわけです。  そこで、憲法立場から、国民投票運動を制約すべきか否かということについて、この教育中立性、教育の在り方というのがどのようにかかわるのか、どのように考えるべきなのか、その点をまずお尋ねしたいと思うんですが。    〔委員長退席、理事岡田直樹君着席〕
  47. 西原博史

    参考人西原博史君) 重要な観点だと思うんですけれども、まず、幾つか分けて、場面を分けて考えなきゃいけないと思うのは、大学生に対して大学教員がどういうかかわり方をするのかという問題が一つあります。大学生の場合には、基本的には、先ほど西先生おっしゃったとおり、学生の批判能力というものをある程度想定した上でのことになりますので、例えば、私が憲法改正に私は賛成だ反対だと言ったからといって、学生がそう単純に動いてくれることはないであろう、そこでの学生の意思決定能力というのはそれなりの情報処理能力を持っての上でのことだという前提で考えるべきではないかと思います。  他方、先ほど例に挙がりました憲法改正に賛成しないと単位は上げないよという問題については、これは明らかな利益誘導のケースになりますので、条文でいいますと、百何条でしたっけ、まあ具体的な禁止規定が既に盛り込まれた事柄になってきますので、その地位利用という言い方の中にもいろいろあって、地位利用が実際に利益誘導、そしてそこで強制状態を働かせるようなものになれば、これは地位利用の問題として考えるよりも、むしろ利益誘導等の違反行為の問題として考えることの方が適切だろう。その限りにおいては、少なくとも地位利用規定を除いたとしても、この法律案の中には十分な歯止め、公正さを保つための歯止めが組み込まれているというのが私の理解であります。  それからもう一つ問題になってくるのが、初等中等教育段階における教育者の役割なんですが、これは、もちろん子供、児童生徒との関係において先生が権力性を持つというのが私の個人的な見解ではありますが、しかし子供たちはもちろんここでの国民投票に参加する有権者ではないわけですので、そこでの地位利用がまた具体的な結果に対する変更をもたらすという前提も必ずしも取ることができないということになると思います。また、例えば保護者との関係において地位利用が具体的な利益誘導になる場合には、これもまた地位利用の問題ではなくて利益誘導の問題として考えるべきであろう。そういう形で整理していきますと、結局、地位利用でありかつ選挙結果に影響を与えるもので公正を乱しているものというふうに考えられる領域というのはほとんど考えにくい。  これは、唯一やっぱり考えられるのは、大学の授業の場において能力のある先生が学生に対して影響を与えるという可能性考えられなくはないですけれども、しかしこれは、やはり十八歳以上というふうに選挙権を限っている。これは、やはり一定程度の批判能力、そして自ら判断する能力を持った上でしか国民投票に参加しないという前提の中では、これは影響力行使という形で教員の、教育者の権利を制限することによって何か得られるというよりも、それによって失われることの方がはるかに多いというふうに私は認識しております。  だから、結論としては、教育者地位利用によって何がしかの、地位利用制限によって何がしかの実益が得られるということには十分理解が及ばないということになります。
  48. 仁比聡平

    仁比聡平君 今、西原先生の方から、教員の、教育者地位利用の点について少しカテゴリーも整理してお話をいただいたんですが、この点について宮里参考人にお尋ねをしたいと思うんですけれども、先ほど公務員地位利用の問題について、この弊害が仮に問題とされるなら、高級公務員に限定されるべきという御趣旨の話がございました。今の西原参考人お話も聞いていただいた上で、教育者、教員、学校現場ということを考えたときに、その地位利用投票の公正に、それも国民投票の公正ですね、これを害する場合というのはどんな場合があるのかないのか、いかがでしょうか。
  49. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 宮里です。  私は、国民投票という問題の性格上、懸念されているような弊害というのは一体具体的にどういう場合が想定されるかということを考えても余り具体的なイメージがわきませんね。やっぱり選挙とかそういう問題になってくるとそれなりの弊害というのは場合によってはあり得る。しかし、国民投票という問題の性格上、教育者地位利用が仮にあったとして、そのことによって有権者の国民投票選択においてそれが弊害をもたらすような事態を想定し得るかというと、私はむしろ、それは非常に限定されたケースを考えればあり得るでしょう、あり得るとは思いますけれども、つまりその限定されたケースを想定して一般法規化することによって大いなる抑制効果を持つわけですね。やっぱりそこにこの法案の持っている本質的な問題点があるので、やはり禁止によって得ようとするものと禁止によって失われるものというものを国民投票の性格の重大性という点から私は考えるべきだろうというふうに思います。  そういうふうに考えていきますと、やはり国民投票の持っている重大な意義、それには公務員もそれから教育者も、基本的には主権者として平等に扱われるべきであるという原則を踏まえるのならば、やはり失われる利益を我々は重視すべきであるというふうに思っています。
  50. 仁比聡平

    仁比聡平君 今お二人に地位利用の問題をお伺いをしまして、時間がありましたら後ほどまた触れたいと思うんですが、この地位利用の問題と別の問題として、政治的行為公務員についてはこれは禁止をすると。そうすると、公務員である教員も禁止をされるという制限規定を適用するのか、それとも除外するのかと、あるいは附則十一条、三年間の間にどう見直すのかという議論がございます。  この点で、西参考人宮里参考人の先ほどの猿払事件の最高裁判決についての御議論、大変興味深く感じたんですが、先に宮里参考人に、先ほどの御意見の趣旨を明確にするという気持ちもあるんですが、レジュメの三ページ目のところで御紹介をいただいた、くみするわけではないが、猿払事件の最高裁は何を言っているのかというお話がございました。これに対して、一方で全体の奉仕者という憲法十五条の規定をどう考えるのか。国民投票運動において、この場合は職務の公正あるいは公務の適正、このような言葉で語られているかと思うんですけれども、この問題をどう考えるのかというテーマがございます。  この点について、十五条の全体の奉仕者とはどのように考えるべきものなのか、御意見がございましたら宮里参考人に伺いたいと思います。
  51. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 一般的には十五条の全体の奉仕者の解釈は、公務員国民の全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではないと、とりわけそれは天皇の公務員から国民公務員に変わったという、そういう理解をされていると思うんですね。猿払事件でも、むしろ公務員規制の中心的な規制の論理は、全体の奉仕者論というよりもやっぱり公務の継続性、行政中立性というところに置いているんですよね。  ですから、私は、とりわけ国民投票運動規制関連して全体の奉仕者論を規制の論拠として持ち込むのは論理として妥当性を欠くというふうに思っております。ですから、国民の全体の奉仕者論は、公務員の在り方、つまり公務員の公務という業務の在り方について求められているのであって、国民の一人として憲法改正運動に関してどうかかわるかという、その領域ではこれは私は妥当しないというふうに思っています。
  52. 仁比聡平

    仁比聡平君 その点について、国会審議の中で、組織的な運動によって国民投票運動にかこつけて特定の政治的目的を追求をする、あるいは特定政党支持を拡大しようとするというような活動というのが事例として挙げられることがあるんですが、労働組合の政治的な行為の問題とこのいわゆる国公法、地公法の政治的行為制限の問題というのは、これ別の問題ではないのかと思うんですが、宮里参考人、いかがでしょうか。
  53. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 余りその論点は必ずしも十分考えていなかったんですけれども、例えば公務員労働組合公務員の組織する労働組合活動として、単に雇用労働条件問題だけではなくて、社会的な地位の向上あるいは経済的な地位の向上、これが労働組合の広い意味での団結目的に入るという点は、これは最高裁判所の例えば国鉄労働組合広島地本事件でしたかね、幾つかの最高裁判決労働組合活動は経済的領域に限らないと、したがって、例えば労働組合が組織として決定をして選挙活動をすることも団結権の保障の範囲内だというような判決もあるわけですね。  そういう点で考えると、個人として公務員が行う政治行為、政治的な活動に比べると、団結として行われる場合には、もちろんその行為内容が違いますけれども、団結活動の一環として行われる場合には政治的行為規制という考え方と違う問題が出てくるだろうと思うんですね。  私は、どちらかというと、団結活動として行われる場合には、むしろ憲法二十八条に基づく保護領域がありますのでストレートに国公法百二条の規定はかぶってこないんじゃないかと。ただ、内容によってはかぶる余地はあると思いますけれども、一応そこは、団結活動としての活動個人としての政治的行為というのは分けていいのではないかというふうに思っています。
  54. 仁比聡平

    仁比聡平君 西参考人にお尋ねをしたいと思うんですけれども、先生の方でも、政治的行為制限のこの文脈の中で、無条件に認めてよいとは考えないというお話があったように私聞いたんですが、無条件にというのは、つまり何らかの条件の下では公務員国民投票運動はあり得るというお考えなのかというふうにちょっと反対解釈をしたんですけれども。  ただ、これまでの御意見の中で例示として出ているのは、公務員投票行動で自らの意思を示す自由というお話が出ておりました。この投票所に及んで自らの憲法改正案についての意思を反対か賛成かということで示すというのは、これは投票権そのものであって、いわゆる国民投票運動とはこれは別のカテゴリーではないのかなと、ちょっと私の理解が浅はかなのかもしれませんが感じるんですね。  直接投票所に足を運んで投票をするということ、その自由以外にどのような自由が認められるとお考えですか。あるいは、例示されなくても結構です、どんなお考え方をされるべきだと考えられますでしょうか。
  55. 西修

    参考人西修君) 時間がもうほとんど一分という限られた中で、基本的にどう考えるかということですけれども、やはり前提としての考え方とすれば、憲法十五条の全体の奉仕者ということもあれば、一方において二十一条の表現の自由もあるわけで、両方ともやっぱり憲法に定められているということのバランスの問題に来るんじゃないかなというふうに思うんですね。  それから、公務員のやはり完全に政治行動の範疇に入っていってしまう、これはやっぱり限界があるんじゃないかというようなことで申し上げているわけで、その辺のところですね。やはり、政治的行為あるいは教育者地位利用ということの限界がやっぱりあいまいでありますけれども。  ただ、今までいろいろやっぱり判例の積み重ねもあるんですね。行政実務の積み重ねもあるんですね。そういう中で、どこが許され、どこが許されていないのかというふうなことをやっぱりきちんと仕分していく、そして許されるところは何なのかと。そんなことを考えていくということが必要であるんじゃなかろうかというふうなことで、条件が何かというようなことがそんなところに入ってくるんじゃないかなというふうに思うわけでございます。
  56. 仁比聡平

    仁比聡平君 時間がなくなってしまいました。ちょっと今井参考人とは場外で議論も深めさしていただきたいと思います。  本当に皆さんありがとうございました。
  57. 近藤正道

    近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。  今日は、四名の参考人の先生方から本当に掘り下げた貴重な意見をいただきまして、本当にありがとうございました。大変参考になっておりますし、更に私の質問でその度合いを深めていきたいというふうに思っています。  今ほど仁比議員の方から、公務員、教員の地位利用についての話がございました。公職選挙法規定をほぼそのまま国民投票運動に横滑りをさせて一定の運動規制しているという内容でございます。冒頭にも話がありましたように、国民投票運動という概念もこれも非常にあいまいである、そしてさらに地位利用という概念もあいまいであるということは、これはほぼはっきりしているんではないかというふうに思っています。  とりわけ法律解釈の場合は、明示といいましょうか、はっきり言葉で出していく場合と、黙示で一定の意思表示を認定する方法と二つあるわけでありまして、後者の黙示の場合の例を取っていきますと、国民投票運動というのは一体何なのか、極めてあいまいなものになると。例えば、教員が授業で憲法改正について話をするときに、状況によってはそれが勧誘行為にもなり、あるいは単なる意思表示にもなると。ですから、結局しゃべれなくなると。やっぱり、そこにあるというふうに思うんですね。ですから、こういうあいまいなものを国民投票運動という最も基本的なところに持ち込むのはいかがかというのは、私は極めて説得力があるというふうに思っています。  だから、私もこれは是非削除をすべきだというふうに思いますが、その立場に立った上で、なおかつどうしても削除ができないときには、条文の上で何らかのやっぱり限定をするということも私は考えてもいいんではないか。与党案は地位利用について一定の限定を施したと言っていますけれども、これは従来の地位利用の解釈を単に並べただけで、全く限定にはなっていない。本当の意味でやっぱり限定をきちっとして、通常の意思表明については全く規制の対象ではないんだということをもっとやっぱり明確に私はすべきではないか、そういうふうに考えたときに、地位利用についてもっと絞り込む、言葉の上で絞り込むような、そういう工夫ができないものだろうかと。  その点について宮里参考人にお聞きをしたいんですが、何かいいお知恵か何かありましたらお聞かせいただきたい。
  58. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 制限をする場合には、行為の主体をどう制限するかというレベルの問題と、行為内容をどう制限をするかという二つあると思うんですね。今回の場合の行為の主体は公務員一般です。すべての公務員を包含している。ここが広過ぎるという問題を私は指摘しました。  したがって、地位利用の弊害が最も予想、比較的予想しやすい上級公務員について絞るという方法はあると思うんですね。ただ、上級公務員という条文を書くのはしんどいと思いますので、それはいろいろ、例えば労働基準法には、管理監督者の地位を有する者は時間外労働の規制の対象にしないとか、そういう規定もあるわけで、公務員の中でも管理監督的な権限を持っている者、例えば具体的には行政組織法においてそのことを決めている者を公職選挙法の中に持ち込むと、あるいはこれが技術的な問題であれば、こういう技術的な問題こそ附則において今後検討すればいいと思うので、私はやっぱり行為主体を制限すると。  それから、やっぱり行為内容ですよね。国民投票運動ということで議論していますが、ここで言う国民投票運動は、法案によると勧誘する行為なんですよ。我々、国民投票運動というと組織的、計画的な運動考えがちですが、そうじゃないんですよ。法案は単なる勧誘行為国民投票運動と定義しているんですよね。ですから、ここの定義が余りにも広過ぎるわけで、やっぱりこの定義をもう少し明確化して、もし懸念があるとすれば、濫用のない歯止めを、やっぱり行為の主体と行為内容という両面から要件設定をするということは十分議論されていいのではないかというふうに思います。
  59. 近藤正道

    近藤正道君 そこまでおっしゃるなら、例えばどういう文言がありますか。
  60. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) ちょっとそれは想定外の質問で。  行為主体という、例えば管理監督的な公務員という表現はあり得ると思うんですね。これは法律でも、他の基準法その他にも出てくる用語です。それが何かというのは国家行政組織法の権限に照らして、それの具体化は僕はすればいいと思うんです。それは、その程度は政令にゆだねることは許されるだろうと思うんですね。ただ、少なくとも、公務員一般ではなくて上級の公務員だよということを一応条文化すると。  それから、行為のところは、これ地位利用というのはちょっとあいまいなので、私はやっぱり職務に関連して職務権限を濫用してとか、職務と職務権限というものを条文の中に取り込むことによってかなり限定機能を持つんじゃないかというふうに思っています。
  61. 近藤正道

    近藤正道君 同じ質問について西原参考人今井参考人に。  今まで話がありましたので、条文の上でより絞りを掛ける工夫についてお知恵を拝見したいんですが、いかがでしょうか。
  62. 西原博史

    参考人西原博史君) 残念ながら、私はこの地位利用禁止規定に具体的に何を実現するための意味があるのかがよく分からないので、したがって、実現しなきゃいけないものを目的として、こういう規定の仕方であればよいという回答は持ち合わせておりません。  二、三付け加えますと、今、宮里参考人がおっしゃった点なんですが、例えば、これやっぱり解釈の枠が非常に広いのが気になるわけでして、その意味では、先ほどおっしゃったとおり、例えばどう懲戒処分の対象になるかが分からないことによって結局萎縮してしまうということにこの百三条の根本的な問題があるという見解については、全くおっしゃるとおりだと思います。  解釈の枠という意味では、例えば公務員、内閣総理大臣というのはもちろん公務員ですから、内閣総理大臣が内閣総理大臣としての地位を利用して憲法改正すべきだという発言をすることがこの百三条の条文によって禁止されている、罰則はないけれども禁止されているという解釈ももちろん可能です。それは私が何がしかの発言をすることが禁止されているということと同じ意味でこの解釈の枠内において出てくるわけですね。そうすると、そこで、果たしてそういう解釈まで可能な条文が置かれているということはあっていいのだろうかということが最も気になるということが私の最大の懸念材料ということです。
  63. 今井一

    参考人今井一君) 御質問にお答えします。  皆さん方、後半の部もそうですけれども、皆さんもう法律の専門家ばかりなんですけれども、私は哲学科出身ですから、ヘーゲルの言葉をかりて、真理は常に具体的な形を伴って現れると。だから、さっき近藤さんもおっしゃったみたいに、法律の中身をどういう項目にするかも大事なんですけれども、あわせて、後でもめないように具体的な事例もきちっと明示するべきだと思います、この場合はどうなんだ、あの場合はどうなんだ、あの場合はどうだと。そうしないといざこざは必ず起こると思います、解釈によって、この法律の。  それからもう一つ、これは直接、今の話とちょっとずれるかもしれませんけれども、これは地位、職権の利用ということからはちょっと外れるかもしれませんけれども、フランスの場合、私が非常に印象的だったのは、EU憲法批准の是非を問う国民投票の問題で、御存じのように、EU憲法の批准ということになりましたらこれ条項だけでも膨大なんですよね。国民はそのことによって自分が失業の憂き目に遭うんじゃないかとか、様々なことで危惧していたわけです。それで、フランス政府は、執行者の方は国民投票の、弁護士とか西原先生や西先生のように法律の専門家、学者六十五人を指名して、昔、今もあるかもしれません、子供電話相談室みたいに、電話で何か疑問や質問があれば専門家がお答えしますという期間を設けたんです、正式に。  ふっと考えると、そうすると、それ政府が任命した学者や弁護士だからEU憲法批准ウイの方に誘導するんじゃないかとこっちはすぐ思うわけですよね。そのことを質問したら、それは大丈夫だと言うんですよ。何で大丈夫と言えると言ったら、最初に電話してきたのは全部ジャーナリストばかりだったと、で、誘導するかどうかチェックしたというんですよね。現にずっと三週間にわたって六十五人が応対したけれども抗議が一件もなかったというんですよね。  つまり何が言いたいかといったら、私はジャーナリストだから言いたいんだけれども、法律で整備をしてもらうのは当然のことなんだけれども、こういう問題はやっぱりジャーナリストの働き、仕事というのがやっぱり問われると思うんですよ。監視していかにゃあかんと思います。そういうことです。
  64. 近藤正道

    近藤正道君 分かりました。  もう一度宮里参考人にお尋ねをしたいと思います。  憲法の九十九条で、憲法尊重擁護義務、公務員にも憲法尊重擁護義務があるわけでございます。そういう意味では教員も公務員憲法尊重の義務を負っているわけでございますが、この公務員憲法尊重擁護義務との関係で、今の運動規制とはどういうふうにかかわり合っていくのかというお話が今日のお話の中でどなたにもなかったように思います。どういうふうにこれ考えたらいいのか、お聞かせいただきたいと思います。
  65. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) これちょっと私もなかなか考え方の整理ができないんですが、ただ、公務員はとりわけて職務上も憲法を尊重しなければならない義務、公務員憲法尊重義務というのは特別に憲法規定されているわけですよね。そういう意味でいうと、言わば公務員の業務に関連して最も憲法の在り方に関して関心を持っている、それが公務員と言っていいだろうと思うんですね。その公務にかかわる根本の法規である憲法の改正の是非というその場面において公務員一般国民よりも特別の強い規制を受けるというのは、憲法が尊重義務を規定したところから見て果たして合致するんだろうかと。むしろ、そういう点から考えると、公務員についても少なくとも国民と同様のレベルの保障、言論の自由の保障があって当然ではないか、それは憲法尊重義務が言わば内在的に求めていることではないだろうかと、私はそういうふうに考えておりますが。
  66. 近藤正道

    近藤正道君 西原参考人にお尋ねしたいと思います。  先ほど宮里参考人の方から猿払事件の最高裁の判決の射程のことについてお話がございました。今回は、公務員、教員の地位利用の問題と同時に、国公法、国家公務員法地方公務員法、教員も国家公務員法に準用になりますから適用になりますが、国家公務員、地方公務員、教員について政治的行為制限、これの規定がいったん除外になったんだけれども、また復活をいたしました。その際に、猿払事件の最高裁判決がいろいろ引用されるわけでありますが、先ほど宮里参考人は最高裁の猿払事件の大法廷判決の射程について、これは決定された政策について忠実に義務を果たしていく、これがこの射程なんだというお話をされました。  この点について西原参考人の御意見をお伺いしたい。この政治的行為制限規定をそのまま今の国民投票運動規制のところに横滑りをさせて果たしていいものだろうか。憲法的な位置付けをひとつ西原参考人から明確にお答えいただきたいと、こういうふうに思います。
  67. 西原博史

    参考人西原博史君) まず、幾つかやはり区別して考えなきゃいけないと思うんですけれども、まず、猿払事件判決において公務の中立性に対する国民信頼というのが一つの根拠とされたことがもちろん挙げられます。その部分が今回の国民投票のケースとどう関係しているのかというのは相当慎重な検討が必要なわけでして、先ほどの宮里参考人への御質問を繰り返す形になりますけれども、要するに、例えば憲法九十九条における憲法尊重擁護義務の問題とはこれは事柄が違うというふうに考えざるを得ない。  もちろん、国会議員憲法尊重擁護義務を負っているわけですけれども、だからといって憲法改正を論じてはならないということになればこれは発議ができないという矛盾に陥りますので、そういう意味ではない。だから、憲法の基本原理の中で憲法改正を論じることは国会議員にもできるし、当然公務員にもできる。その限りにおいては、公務員憲法尊重擁護義務の問題は、公務員憲法改正に関する意見表明を制約する根拠にはならないということになると思います。  また、公務の中立的な執行及びそれに対する国民信頼ということに関しても、これは公務員個人として、あるいは組合として意見表明することによって信頼が揺らぐということとは必ずしも言えないという限りでは、やはり猿払事件の射程の今回は外にあるということで考えていかざるを得ないんだろうと思います。  その限りにおきまして、やはり公務員、正に既に御指摘のとおりなんですけれども、やはり事柄に非常にかかわっているがゆえに知識があり、かつ判断する能力のある立場にある人たちに対して具体的な範囲、具体的な害悪を明示することなく、つまりこういう害悪がこうこうこういう形で生じるからその部分については我慢してよねという規制手法を取らずに、概括的に国民運動規制する、あるいはその政治的行為の禁止を及ばせる可能性をにおわすというだけで、やはり憲法二十一条で保障された表現の自由に対する重大な侵害というふうに考えざるを得ないと私は考えております。
  68. 近藤正道

    近藤正道君 終わります。
  69. 長谷川憲正

    長谷川憲正君 国民新党の長谷川憲正でございます。  お疲れだとは思いますけれども、私が最終質疑者でございますので、もうしばらくお付き合いをお願い申し上げたいと思います。なお、時間も押しておるようですので、できるだけ簡潔にお伺いをしたいと思います。  今日お話しをいただきましたことは大変参考になりました。それぞれ御専門の立場から、また今井参考人のように実体験を通じてのいろいろお気付きになりましたことの御提言、非常に参考になりまして、今日お伺いして良かったなというふうに思っておるところでございますけれど、問題は、こうしていろいろお話をお伺いして、私どもも、ああなるほど、ここはもっと考えなきゃいけないとかもっと勉強しなきゃいけないとか、いろんな思いがあるわけでございますが、現実に今、私どもの目の前に憲法改正の手続法というものが、案がありまして、そして今、私ども審議をさせていただいておりますので、やがてこれ採決になるわけであります。  できることなら、それまでの間にいろいろ法律の案の中身を書き換えてみたらどうかと思うわけでございますが、また私は国民新党という弱小政党におりますので、ポイントはもう与党である自由民主党と野党の第一党である民主党との間でどのような協議がなされ、どのような妥協がなされるかと、その中に皆さん方のような専門的な御意見をどう反映させていくのかと、そのプロセスにあるんだろうというふうに思っているんですが、正直言いまして手詰まりでございまして、私の方もこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないかと頭の中ではいろいろ考えつつもなかなかいい結果が出てこないんですけれども、今日、せっかくこうしていろいろいい御意見を聞かせていただきました皆さんでございますので、まあ本来は私どもの仕事でございますけれども、何かこの参議院審議に対して、こうしたらどうなんだという御提言がありましたら、それぞれ伺わせていただきたいと思います。
  70. 西修

    参考人西修君) 私に求められているのは、この法案、特に国民投票運動規制というような、そういう中からどう考えるかということを私なりに自分で考えてきたということの意見表明をさせていただいたわけでございます。  いろいろ今日の先生方の御意見あるいは参考人方々の御意見を伺ってみると、まず第一に、基本的に何らかの規制を設けるかどうか、これが第一、非常に違うということですよね。第二に、じゃ規制を、まずそういう意味において土俵を、それなりの賛成、反対の土俵をそれなりに設けるか設けないか。確かに、概念的にもう少し詰めなければいけない点もあるかと思います。  まず大きな問題としてきちんとした土俵を設けるか設けないか、概念が、あるいは構成要件があいまいだからもう全く自由にするか、しかしながら、やはりそれなりの土俵の中で、ルールの中でやっていくかどうか、これがまず基本的に違っていたというふうに思うんですね。それから第二に、もし、じゃその土俵をつくるとすれば、どういう土俵をつくるかというようなところが第二の基本的な点かと思います。そういった点で、私が先ほど申しましたように、一番最初に申し上げましたように、これを、相対的にこれを支持するか支持しないかというようなことで、私は相対的に支持すると申し上げたわけでございます。    〔理事岡田直樹君退席、委員長着席〕  先ほど、宮里参考人からは、これは反対だけれども、もしこれを作るとすれば、公務員もいろいろ分ける必要があるとか国民投票運動の定義をもっとはっきりさせるべきだからという、そういうむしろ私よりもはるかに具体的な提言をしていただいて、非常に参考になるんじゃないかというふうに思うんです。  しかしながら、今じゃどう提言するかということになるとちょっと具体的なこと思い浮かばないんでありますけれども、一応、私は、例えば教育者の問題にしましても地位利用にしましても、公職選挙法の中から一応構成要件は絞られてきているんではないか。ただ、これは何といっても初めてでございます。初めてでございますから、やはりそれなりの土俵の中でやっていくという基本的なところ、ここだけを押さえなければいけないんじゃないか。そして、そういう意味において、もちろん全く自由でありますけれども、必要最小限は何なのかということで、私は相対的に見て、一応これは必要最小限での規制ではないか、そういう面で支持をすることができるということを申し上げたわけでございます。
  71. 今井一

    参考人今井一君) 長谷川議員の非常に正直なお申出に敬服しておりますが、せっかくそういうふうに言っていただいたので、私も思い切ったことを申し述べさせていただきたいと思っています。  本当は、先生がおっしゃったみたいに、参議院でもっともっと十分な審議も積み重ねたいという思いも分かるんですけれども、先ほどおっしゃったみたいに、自民党と民主党の理事の間で、恐らくそんな七月、八月、九月と、参議院選挙もあるのに、多分そういうことにならないでしょう。だから、先ほど申し上げたみたいに、経過期間の間に、三年間の間にやれることはやっていただきたいし、改正について、それはもう一切やらないんだと、いったん決めたから改正なんて駄目なんだという姿勢を取らないで、三年の間に改めるべきところがあれば改めるという姿勢を取っていただきたいということが一つ。  もう一つは、これ是非参議院の先生方にお願いしたいんですが、先ほど西さんの方からもお話があったみたいに、これは議論をしてみても、我々やったことがないですから、絶対にやってからいろいろ、ああ、こんな問題もあったのか、あんな抜け道もあったのかと出てくると思うんですよね。  そこで、せっかく三年間時間があるわけですから、私は本当は憲法九条の改正案というのは、自衛隊を自衛軍にする、交戦権を認めないというのを認めると書く、それから集団的自衛権の行使も、これは内閣法制局と安倍さんが決めるんじゃなくて、本当はちゃんと盛り込んで国民に問うということが一番いい姿だと思っているんですが、安倍さんが、先ほど申し上げたみたいに、九月、十月、十一月と、その辺りに態度表明をされるかもしれません、姿勢を、自分の見解を述べられるかもしれません。だから、そのことについては、諮問型、助言型で一度やってみようかと、国民に聞いてみようかということをやっていただいたら、スポットCMがどんなふうに流れてくるのか、公務員教育労働者がどんなふうに動くのか、様々なシミュレーションが行われると思うんですよね。  だから、是非、本番で突然九条改正の是非を問う国民投票に突入しないで、まあちょっと内容的にはハードかもしれませんけれども、集団的自衛権が駄目だったら脳死や死刑制度でもいいと思うんですが、一度諮問型で、私たち日本人、一回もやったことがないもんですから、諮問型で、法的拘束力のない形でやっていただいて検討していただくわけにいかないでしょうかというふうに考えております。  以上です。
  72. 西原博史

    参考人西原博史君) どうしたらよいかという御質問、大変正直な御質問で有り難く思うんですけれども、まず憲法学に属する者として申し上げたいのは、やはり憲法上の懸念のある条文が余りに多過ぎる、あるいは正確に言うと、どうしてもこれは修正の要があると憲法上認められる条文としてやはり百三条の地位利用の問題、これが余りにやはり規制の範囲が広範に過ぎ、かつ不明確であるという点において、法文として成立したその瞬間に憲法違反の状態ができ上がる危険が高いというふうに考えております。なので、まずここの部分は何が何でも修正いただいて、もう一度衆議院に送り返していただかなければ責任ある立法府としての姿とはならないのではないかというふうに個人的に考えております。  それから、同時に、附則十一条の問題にもかかわるわけですけれども、これが例えば国家公務員法等々における政治活動制限を撤廃するという趣旨であればそれはそれでまあ悪い話ではないにしても、しかし、これが具体的にどういう形で次のステップで解釈され、新しい法状況として運用されるのかということがやはりまだこの条文だけでははっきりしていないと。その限りにおいてはやはり公務員政治活動に対する規制国民投票運動と呼ばれるものを妨げる危険性がかなり高いということを考えますと、やはり法文の中できちんと公務員の参加可能性、あるいは国民投票運動にかかわっての可能性というものを明記する、まあ適用除外というのが当面の次善の策かと思いますが、そういう形での明記をしないとやはり公務員の基本的人権に対する侵害の度合いというのはかなり高いということだと思います。  もう一つ、やはりCMの問題はかなり重要な部分を含んでおりまして、これは先ほど申し上げましたように、国民主権あるいは国民憲法改正権なのか、それとも資本の、お金の憲法改正権なのかということに非常に直接的にかかわる部分ですので、これ国民憲法改正権ということを正直に考えた場合のマインドコントロールの危険という部分は十分にここでやはり考えなきゃいけない、二週間というのが本当に適切な時期区分なのかということについてはやはりもっときちんとした議論が必要であろうというふうに私は考えております。  特に、やはり法治国家における立法の意義として、例えば基本的人権に対する侵害の危険がないようなきちんとした防止規定を置くというような部分、ここがやはり立法の中で非常に重要な部分ですので、残念ながら、現段階においてはそれはまだ果たされているとは言えないということを申し述べさせていただかざるを得ないと思います。
  73. 宮里邦雄

    参考人宮里邦雄君) 結論だけ申し上げますと、今日私が指摘した論点も含めて、やはり法案を作る段階でそういう問題は解決して立法化してほしいと率直に思います。  附則を見ると、三年間、施行まで三年なんですよね。三年待とうという話をしているわけですから、もう少し時間を掛けて議論をされたらいいんじゃないでしょうか。私は落語ファンで、私の好きな落語に、死んだ女房が三年後にお化けになって出てくるという話がありますけれども、やっぱり今やるべきことを詰めて議論をした上で法案として誕生させるべきだというふうに思っております。
  74. 長谷川憲正

    長谷川憲正君 大変ありがとうございます。非常に貴重な御意見でございまして、これからの参議院での審議にいい形で反映されることを祈りたいと思いますし、近々民主党から対案が出されるというふうにも伺っておりますので、先生方の御意見がうまく盛り込まれたような対案になりますことも併せて希望して、質問を終わりたいと思います。  ありがとうございます。
  75. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 以上で国民投票運動規制についての参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変お忙しいところ貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)  速記を止めてください。    〔速記中止〕
  76. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 速記を起こしてください。     ─────────────
  77. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 引き続き、両院の在り方及び国民投票の無効訴訟等について鈴木参考人小林参考人高見参考人隅野参考人、以上四名の参考人から意見を聴取し、質疑を行います。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。  参考人皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査参考にしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。  議事の進め方について申し上げます。  まず、鈴木参考人小林参考人高見参考人隅野参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。  なお、参考人方々の御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、鈴木参考人からお願いいたします。鈴木参考人
  78. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) それでは、御質問が二つございますので、まず一、両院の在り方についてからお話をいたします。  国会議員は、参議院議員であれ衆議院議員であれ、憲法前文に言う正当に選挙された国会における代表者であり、憲法第四十三条に規定する全国民を代表する選挙された議員であります。  まず、参議院議員公職選挙法第十条一項二号により被選挙権が満三十年以上とされ、他方、同条同項一号により衆議院議員の被選挙権は二十五年以上とされております。これは、参議院議員に練達、堪能の士を集める、憲法調査会事務局編参議院議員選挙法の制定経過百九ページ、昭和三十五年の書物にこうあるそうでございます。新明解国語辞典によりますと、練達とは練習の結果、その技術や芸事が入神、神に入ると書くんですね、の境地にまで達すること、堪能とは学芸に優れている様子とあります。  参議院議員の被選挙権が三十年以上ということには、以上のような深い理由があるということでございます。  次に、憲法第四十六条により、参議院議員の任期は六年間であります。衆議院議員については、憲法第四十五条により、任期が四年間であり、場合によりますとごく短期間で解散される場合もあることは先生方もよく御存じのところと存じますが、解散により身分を喪失するのであります。この意味で、参議院議員衆議院議員に比較し課題をじっくりと検討することが期待されているものと考えられます。  また、憲法第四十六条により、参議院議員は三年ごとに実施される通常選挙により、本年はたまたま通常選挙が実施されますが、その半数が改選され、残りの半数は引き続き三年間議員として存在することとなっており、継続性が制度的に保障されているものと考えられます。  このような性質から、参議院について良識の府と言われるのであろうかと存じます。  二院制が設けられる場合として、野中俊彦ほか三名編に係る「憲法Ⅱ第四版」有斐閣の七十九ページ以下によりますと、貴族院型、連邦制型、民主的第二次院型の三種があるそうでございますが、言うまでもなく、日本は貴族院型、連邦制型ではなく民主的第二次院型に属するわけでございます。  この書物の八十ページによりますと、民主的第二次院について、J・ブライスという学者のジ・アメリカン・コモンウエルス、アメリカ連邦というんでございましょうか、大分古い本で一九一九年だそうでございます、この著書を引用しまして、貴族制度も存在せず連邦国家でもない単一国家において、一方の院が他方の院の軽率な行動、原文はザ・ヘイストだそうでございます、ヘイストというのは拙速とか速くというような意味ですが、まあこの本を書かれた著者はそれを軽率な行動というふうに翻訳しておられるようです、をチェックし、そのミスを修正するために第二院が設けられるとされております。  参議院は昭和二十二年、一九四七年、憲法施行とともに発足しておりますので、今年で満六十年、還暦に至るわけでございます。この間、参議院議員に就任された多数の先生方が良識の府にふさわしい識見の下に適切な審議を重ねてこられたことと存じますし、これからもそうあるべきであると考えるものであります。  質問が大変難しいんで答えに苦慮したわけでございますが、本日御審議に加わっておられる委員の先生方を始め、参議院議員の皆様が国民の負託にこたえるためますます御活躍くださるよう願ってやみません。  二番目、国民投票無効訴訟制度についてでございますが、まず性質でございます。  国民投票無効訴訟制度は、行政事件訴訟法、以下行訴法と申し上げます、第五条、第四十二条に規定される民衆訴訟を今回の法案において創設するものであります。民衆訴訟は、国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格そのほか自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するものであります。  個人が自己の権利、利益の救済を目的として提起する訴訟を主観訴訟と呼びます。このような訴訟が裁判所法第三条一項の法律上の争訟に該当するのであります。  これに対して、行訴法第五条所定の民衆訴訟は、選挙人たる資格そのほか自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起することができ、その目的が国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟、すなわち行政の客観的公正確保を求める訴訟であることから、講学上、客観訴訟と呼ばれるのであります。法律上の争訟に当たらないことは言うまでもありません。  そして、民衆訴訟は行訴法第四十二条により、法律に定める場合において、法律に定める者に限り、提起することができるとされております。今回の法案は、正に行訴法第四十二条所定の法律に該当するわけであります。したがいまして、提訴権者、提訴理由、提訴期間、管轄裁判所などの設計はすべて立法裁量に属することになります。  今回の法案の提訴期間、管轄裁判所、提訴理由などについてでございますが、今回の法案内容はいずれも立法裁量として妥当と考えられます。提訴期間、これは中央選挙管理会を被告として、九十八条二項の規定による告示の日から三十日以内、管轄裁判所は東京高等裁判所、無効事由としては下記事項があり、国民投票の結果に異動を及ぼすおそれがあるとき、三つに分かれております。  その一が、国民投票の管理執行に当たる機関、ただし第百十八条二項により国民投票広報協議会はその性質上含まれないと規定されております、が国民投票の管理執行につき遵守すべき手続に関する規定に違反したこと。その二が、第百一条、投票事務関係者の国民投票運動の禁止、第百二条、中央選挙管理会の委員などの国民投票運動の禁止、第百九条、組織的多数人買収及び利害誘導罪、第百十一条、職権濫用による国民投票の自由妨害罪、第百十二条、投票の秘密侵害罪、第百十三条、投票干渉罪、これまでの規定について、多数の投票人が一般にその自由な判断による投票を妨げられたと言える重大な違反があったこと。三番目の類型が、憲法改正案に対する賛成の投票の数又は反対投票の数の確定に関する判断に誤りがあったこと、この三つの場合に限って訴えを提起すると認めております。  まず、憲法改正案内容については、国民投票により賛否を問い、その結果により決すべきことでありますので、これを裁判所の審理の対象とすべきものではありません。したがって、国民投票の手続に関して重大な瑕疵、傷でございます、が存在することを無効事由とすることは当然であります。また、法案所定の無効事由についても立法裁量の範囲内であると考えられます。提訴期間、管轄裁判所についても立法裁量の範囲内であると考えます。  念のために、憲法に根拠のある他の民衆訴訟制度と比較したいと存じます。すなわち、全国規模で実施される憲法七十九条二項の最高裁判所裁判官国民審査立法作用に国民が直接かかわる憲法九十五条の住民投票に関する現行法が制定している民衆訴訟との比較でございます。  最高裁判所裁判官国民審査については、審査人としての資格で審査無効の訴訟を提起できるものとされております。今回の法案国民投票無効訴訟に対応する制度でありますので制度設計として参考となりますが、同法三十六条によれば、提訴期間、管轄裁判所などは今回の国民投票法と同様、それぞれ三十日、東京高等裁判所に提訴と規定されております。  同様に、憲法九十五条の一つの地方公共団体のみに適用される特別法に関する住民投票については地方自治法二百六十一条、二百六十二条に規定されておりますが、二百六十二条一項により、公職選挙法中の普通地方公共団体の選挙に関する規定を準用するものとされております。  住民投票無効の争訟については、公職選挙法二百二条、二百三条の投票無効の争訟の規定が準用されるものと考えられます。住民投票無効訴訟については、選挙管理委員会に対する十四日以内の異議に基づく決定に対する二十一日以内の都道府県選挙管理委員会に対する審査申立てを経て、都道府県選挙管理委員会を被告として三十日以内に高等裁判所に訴訟を提起することができるものとされております。住民投票無効訴訟は、本法案所定の国民投票無効訴訟と比較して異議審査請求が前置されている点が異なりますが、訴訟については提訴期間が三十日、提訴先が高等裁判所、ただし都道府県選挙管理委員会を管轄する高等裁判所となっております。  国民投票無効訴訟の管轄裁判所は、全国的に実施される点で最高裁の裁判官国民審査に相当するものと考えられますので、東京高等裁判所を管轄裁判所とする今回の法案立法裁量の範囲内であると考えられます。  以上、雑駁でございますが、私の意見陳述とさせていただきます。
  79. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、小林参考人にお願いいたします。
  80. 小林節

    参考人小林節君) レジュメの順にお話し申し上げます。  まず、両院制の在り方という御質問については、今現状で両院制が期待どおり機能しているかどうかの問題でありますが、明らかに矛盾が起きていると思います。  それは、ここにございますように、二院制を考える以上、それは二つのハウジズがあるわけですから、当然同じものについて違った人々が二度手間であえてやることによって質を高める、これはすなわち慎重審議を志向しているのですが、しかし、実際、政治家は党をつくって権力を握り、自分たちの政策を実現してこの世の中を良くしていこうとそれぞれ違った観点でお考えのはずでありますから、参加することに意義があるとは思っておられないはずでありますから、そういう意味では、やはり速やかに決定して実行していくということを目指す以上、憲法制度の前提にある政党制からいけば、衆参両方で勝とうと思う者が多数を握って一元的に動かしていこうと。すなわち、政党制がある以上は一元、迅速を志向する、この矛盾だと思います。  そういう前提で原点に返りますと、先ほど鈴木先生もおっしゃっていましたけど、参議院って何なんだろうと考えますと、これは英語で言えばリコンシダー、すなわち再考する、そういう意味での良識の府、つまり再考の過程で政策の質が上がっていくであろうという意味であると思うんですね。  実際にそれが誤作動していることを学者の特権で試しに考えてみますと、まず、これはよく言われていることでありますが、衆参両院のそれぞれの選挙制度を全く、今のように似てきてしまうのではなくて全く異質なものにすることによって、選出基盤というか国民世論の切り口を変えてしまう、これが一つの方法でありますが、割と簡単にできそうなことは、両院の定数を同じにすることはあると思うんです。今実際、衆参のサイズが違っているために、それぞれ党に持ち帰ると、当然に党内で衆議院の方が大きくて参議院は小さくなるわけで、党内多数決で必ず、参議院は違った観点を持っていても損な扱いを受ける。これを今行財政改革の時代に参議院のサイズを大きくしろというのは変に聞こえるかもしれませんけど、それは衆議院をダウンサイジングにして二つにならせば済むことであります、これ別に憲法上決まっているわけではございませんので。一つはこれだと思うんですね。  そうすると、政党制と二院制が私は矛盾しない、つまりあとはケース・バイ・ケース、それから事案ごとの、あるいは議員個人の説得力の問題になってくると思うんです。  それから、もう一つなんですけれども、いろんな政党があるんですが、確立された政党の中には良くも悪くも組織政党がありまして、それはある意味で票が読める政党がありまして、そういう政党が決して多数派ではないわけで、国民の中。となれば、衆議院選で消耗戦のような戦いを避けて参議院に特化することによって、参議院で一定規模の議席を確保することに、正にキャスティングボート、すなわち賛否が割れたときの決定権を持つ政党があり得ると思うんですね。それで、それが状況によっては閣外協力するような形にすれば、そういうグループの存在ゆえに参議院の納得を得ないと事は進まないという力学が働く。そういう意味で、現行憲法の範囲内でもまだまだ両院制をきちんと生かす道はあるのではないか。  そういう前提で、今回の法案の扱いについて、私は元々この法案には研究者として賛成しておりますし、いろんなところでかかわらしていただいた経験からしても、よくできているものであると私は思うんです。  ただ、今非常に危惧するのは、国民世論のレベルで何か怪しげな法律が強引に先に進もうとしているという印象、これはマスメディアの責任だろうと私個人に思うんですけれども、そういう状況になってしまったときに、このまま力任せでまた衆議院で起きたような見たくもないような光景がここで起きるということは、もちろん関係する各党にとっても不名誉なことであると同時に、私が心配しますのは、かなりよくできている法、考え得る比較法的によくできているものでありながら、国民投票手続法自体が何かうさん臭いものになってしまう。そうすると、その後に三年間の審議を経て出てくるであろう改憲提案そのものがうさん臭いものになってしまう。これは、恐らくそれでは改憲は実現しないと思うんですね。  そういう意味で、制度上可能な範囲で、ここで正に参議院がリコンシダーをしたという印象を、変な言い方ですけどおつくりになることはとてもこれからの日本の憲政史にとって大事だと思うんです。ですから、限られた時間の中で、これは関谷先生がお考えになることでしょうけど、限られた時間の中で本当に実のある実質審議をここでしていただきたい。その上で、きちんと我々国民大衆にメディアを通して論点が明確に伝わるように振る舞っていただきたい。そして、最終的には、民主主義の原則ですから、正に良識の府の方々がここでマイクを投げるようなことは、どなたのためにもなさらないでいただきたいという気がいたします。  そうしないと、結局、さっき申し上げたように結局、急いだ結果、憲法改正自体が、僕は改憲論者ですけれども、憲法改正自体が実現しないということを本当に心配いたします。万一、それも力任せでできると思うなら、やった場合、運用が安定しない、この国が割れてしまうと思います。それを今修正できるのは正に二院制のメリットでありまして、この委員会でそのハンドルの切替えをしていただきたいと思うものでございます。  それから、無効訴訟につきましてですけれども、これ基本的には私は、専門用語で言いますと、いわゆる統治行為あるいは政治問題、法律用語としての政治問題です。つまり、形式上訴訟の手続には乗るけれども、これは法廷で決着付けるべきものではなくて、国民世論の中で決着を付けて、それが国会の有権解釈に反映する。すなわち、歴史の中で政治で決着付けるべきものであって法廷で決着付けるべきものではないという憲法八十一条の例外規定、例外という学説及び判例があるんですけれども、これは標準的な世界の学説です。  何を言いたいかといいますと、先年、アメリカのブッシュ大統領とゴア前副大統領のぶつかり合いがあって、フロリダの票の数え直しの問題、ありましたですよね。あれは手続的には確かにできるのですが、ゴア副大統領の方がそれをやめましたよね。あれなんです。  つまり、日本はどこかの後進国と違って法治国家でありますから、国民投票手続に関する事実の確認と、その冷静なる司法審査、僕できると思うんです、技術的に、民度のレベルでも。だけれども、事は、憲法改正というのは言わば、最初制定考えてみればお分かりいただけると思いますけれども、法のそもそも存在しない生身の、例えば敗戦国日本あるいは明治維新の日本、力の、力関係の政治の世界から、これからルールの世界に入っていこうという入口で、政治の世界から法の世界への橋渡しの現象ですから、これはむしろ法手続で決着を付けるよりも、本当の意味で国民的合意で政治的決着が付けられるべきだし、そうでない限り、何が心配かというと、その後の憲法生活が安定しない、ここが問題だと思うんです。  そういう意味で、法案に書かれております国民投票無効訴訟のこの仕組みそのものは極めて真っ当なものであると思いますが、あんなものが実際にどんどん出てくる状態になったら、それは政治的敗北である、憲法改正を提案した側の政治的敗北であると私は思います。  ですから、余計なお世話かもしれませんが、むしろ手続法の制定論議の中で不当に国民的亀裂をつくらないことが大事だと思いますし、それから、憲法改正案が説得力あるものが出てきて、それで最低投票率などという、そういうテクニカルなけんかをしなくても、国民はたくさん自然に投票に、この間のフランスの大統領選挙、たくさん出てきて、だれもが納得のいく政治的決着が付く、そういうことが本当に私は重要だと思うんです。  話をまとめますが、そういう意味で、正に衆議院でボタンの掛け違いのような、本当に見たくない現象を見せていただきました。それを何とか、正に再考の府という意味での良識の府、これ言葉に気を付けないと、参議院が良識の府だと衆議院は良識じゃないことになりますので、ですから、再考の府として国政全般に良識を働かせる機関としての参議院でどうぞこのこじれてしまっている関係をきちんと軌道修正して、まずは国民投票法に関する国民的合意、そしてその先の憲法改正論議に平和なテーブルをつくっていただきたいというお願いで結ばせていただきます。  以上でございます。
  81. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、高見参考人にお願いいたします。
  82. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 本日は陳述の機会を賜り、誠にありがとうございます。  早速本題に入らせていただきます。  憲法改正国民投票法制に関する憲法上の論点につきましては、二〇〇五年十月十三日の衆議院憲法調査特別委員会において、また本日のテーマの一部である両院制の在り方にかかわる部分につきましても既に二〇〇六年十一月十六日、同委員会委員会において意見を述べる機会が与えられております。そこで、本日はできるだけそこでお話ししたことと重複しない形で、両院制の在り方に限ってでありますけれども、三点について指摘させていただくことにいたします。  まず第一に指摘したい点は、衆議院解散と国民投票広報協議会委員の欠員補充に関する問題であります。  法案では、国会発議後六十日から百八十日以内で国会が議決設定した期間、国民投票運動が実施され、その間、以下条文の引用でありますが、当該発議に係る憲法改正案国民に対する広報に関する事務を行うため、国会に、各議院においてその議員の中から選任された同数の委員で構成する国民投票広報協議会、ここまでが引用です、が設けられることになっております。この国民投票運動期間中、憲法上想定され得る事態としては、憲法第七条による衆議院の解散が考えられます。一九五二年のいわゆる抜き打ち解散以来、歴代内閣は憲法第七条に基づく解散権の行使について何らの制約も存しないと解しているからであります。  そこで、実際にこの期間中に何らかの理由衆議院の解散が行われた場合、この法案の定める諸規定の運用で十分に賄えるのかどうかということについて、ここで若干検討を試みてみたいと思うのであります。  もとより、法案第十二条は、こうした抜き打ち解散があり得ることを想定し、憲法改正の発議がされた際衆議院議員であった者を協議会委員に充てるものとしております。また、その予備員の資格についても同様の規定が置かれております。さらには、この間に通常選挙が施行されることをも想定し、参議院側の委員、予備員についても当該発議がなされた際参議院議員であったことが要件とされております。こうして衆参の各院から委員十人、予備員十人が選任されることになっております。  この規定の周到な書きぶりからは、広報協議会の活動期間中に衆議院が解散され、現職議員としての身分が喪失されたとしても、それだけでは法案第十二条第五項の委員に事故ある場合又は委員が欠けた場合には当たらず、その職にあって任務を遂行すべきものとしているもののように思われます。広報協議会を国会に組織する以上、この程度の例外はやむを得ない措置かとも思われます。  しかしながら、憲法第五十四条は、衆議院が解散されたとき、解散の日から四十日以内に総選挙を実施することを義務付けておりますので、広報協議会の活動の期間中に総選挙が実施され、そのため当該期間と選挙運動期間との重複が生ずることは避けられないものと思われます。法案第百八条にはこの事態を想定した規定が置かれておりますが、しかし、それは政党その他の政治活動を行う団体に関するものであります。  問題は、広報協議会を構成する衆議院委員の中から相当数の委員が総選挙に、若しくはこの間に実施される自治体選挙に立候補し、選挙運動に入るという事態が生じた場合、この法案規定で十分に対応できるのかという点であります。  そもそも、この任期中に委員が公職の選挙に立候補した場合、公正中立を旨とする協議会委員の職務と、政治的主義主張を鮮明にして自ら積極的に有権者に訴える公職候補者としての立場を両立させることは常識的に考えて極めて困難でありましょう。そこで、委員は自らその職を辞するか、この場合、法案第十二条第五項の委員が欠けた場合に当たるものとして取り扱われることになりましょう。若しくは、職務の遂行は困難だとして、同項の委員に事故のある場合に該当するとし、所定の手続に従って予備員の中から欠員を補充することになるのでありましょう。  ところが、その予備員の大半が選挙に立候補したため衆議院側の委員が完全には補充できず、議事定足数を割り込んでしまうという事態も理論的には想定し得るのであります。この最悪の事態を想定した場合、窮余の一策として、憲法第五十四条に基づいて内閣が参議院の緊急集会を求め、その集会において前衆議院議員であった者で選挙に立候補しなかった者の中から当該委員を選任し、欠員補充することが考えられるのであります。そして、それでもなお欠員補充が利かない場合には、協議会の組織構成に関する法案立法趣旨は憲法改正が発議された際国会内に議席を置く国会議員であった者をもって委員とするものだと解し、参議院議員の中から暫定的に委員を選任することになるのでありましょうか。  もとより、このシナリオは東京直下型大地震よりもはるかに確率の低いものであって荒唐無稽だとのそしりを受けるかもしれません。しかし、これが荒唐無稽であるならば、かつて最高裁裁判官国民審査法の立案に当たって、国民審査と同時に施行される総選挙が無投票となり、国民の関心が薄い国民審査のみが実施される場合を想定し、国民審査の成立要件として最低投票率が設定されたこともまた無稽、無用の立法措置であったということになるでありましょう。  仮に百歩譲って、このシナリオ自体が特段の検証に値しないとしても、しかしながら、今お話ししたことは国会議員若しくは国会議員であった者のみで広報協議会を仕組むことの問題性の適否にはなり得ているものと思うのであります。  本法案問題点として第二に指摘しておきたい点もまた、国民投票運動期間中に抜き打ち解散が断行され総選挙が施行されることになった場合の憲法上の取扱いに関するものであります。  憲法第九十六条はこうした事態が生じ得ることを想定し、便宜上、国会の定める選挙の際の国民投票、すなわち総選挙と国民投票との同時実施に道を開く規定を設けているのであります。  もとより、この規定の解釈として、そこでの選挙とは国民投票を同時に行うべき選挙であるところから、全国的規模で行われる選挙、すなわち衆議院議員の総選挙と参議院議員の通常選挙に限られるとされております。また、そこでの国会の定めるとは、国会憲法改正案の発議を行う際、具体的に指定すべきものとされております。しかしながら、発議後の解散もあり得ることを考えれば、この国会が指定する選挙に関する準則についてあらかじめ法律でこれを定めておくことは妥当であると言えるでありましょう。  この点に関して、本法案国会法第六十八条の五は、憲法改正の発議に係る国民投票の期日は、当該発議後速やかに国会の議決でこれを定めるものとし、その期日は、法案第二条により、発議日から起算して六十日以後百八十日以内においてこれを定めるものとしております。  この規定の書きぶりからすると、投票期日指定の国会議決後に衆議院が解散され、当該国民投票運動期間中に総選挙が実施される場合であっても、憲法第九十六条が規定する選挙期日に国民投票を同時に行う方式は採用せず、先に国会が議決した期日に単独で国民投票を行うとしているもののようであります。これは、与野党が政権の座を争う国政選挙と相当数の与野党が協調して発議した憲法改正国民投票とはその性質を異にすること、両者を同時に実施すると国民が混乱するおそれがあることなどを根拠とした立法措置であるということになるのでありましょう。  しかしながら、もしこの立法措置憲法九十六条に定めのある国民投票と選挙の同時実施を将来にわたって一切封じる趣旨であるとすれば、憲法が予定する同時実施を法律によって封殺してしまうこととなり、少なからず憲法上の疑義が生ずることになるのであります。  そこで、例えば専門技術的な改正のみが発議されていて国民の関心が極めて低い場合、当該憲法改正国民投票を総選挙と同時に実施したとしても国民の間で混乱が生ずるとは考えられず、むしろその方が投票率も高くなることが期待でき、さらに投票に係る経費の節減を考えれば、このような場合、同時実施の方が便宜であり合理的であると言えるのではないでしょうか。  このような場合が憲法第九十六条で想定されている選挙と国民投票の同時実施の例だとしますと、本法案の読み方として、憲法の予定する同時実施は今回の立法措置では諸般の事情を考慮して見送ったが、その点に関する立法上の手当ては近い将来必ず行うということになるのでありましょう。もしそうであるならば、その旨が附則で明記されていてしかるべきでありましょう。そうではなくて、むしろ今の時点で法案の本体にそれを盛り込んでおくことが賢明だと考えるのであれば、法案第二条第一項の末尾に、ただし、発議の日から投票期日の間に総選挙又は通常選挙が行われる場合、その選挙の期日に投票を行うことがあり得るとした趣旨の一文を置くことでひとまず憲法第九十六条との整合性を保持することができるものと思われますが、いかがでしょうか。  第三に指摘しておきたい点は、昨年十一月の衆議院憲法調査特別委員会委員会で既にお話ししたことでありますが、憲法第九十六条で憲法改正の発議要件とされている衆参各院で総議員の三分の二以上の賛成を得るために合同審査会がフルに活動し、それが功を奏することになれば、それと引換えに両院制の存在意義は大幅に失われるであろうということであります。  すなわち、現行憲法の両院制の下で、衆参は同時に開閉し活動するものでありますが、その趣旨は、人的にも物的にも異なる空間でそれぞれ活動を行い、時間の流れの中で同一議案を異なる視点から繰り返し審査することで、いっときの勢いや熱気だけで物事を決めず、広く国民の声を聴きながら、拙速を避け、沈着冷静にその是非を明らかにしていくことにあるのであります。いわゆる勧告権付きの両院にまたがる合同審査会は、この衆参両院を隔てる空間と時間の双方の壁に風穴を空け、その時空間を統合し一元化しようとするもののように思われてなりません。  そのことは、例えば先月二十六日の本委員会における問答からも明らかであります。その席で提案者は、憲法改正原案の審査が凍結される三年の間でも、両院の憲法審査会は合同審査会を開くなどして調査を進め、熟度が高まれば骨子案、要綱ぐらいまでは詰めてもよいとした上で、凍結解除後について次のように述べております。すなわち、三年後もやはり合同審査会を設けて、共通の土俵で両方の共通の認識を整理しながら調査を進めていき、そして、改正原案が出た後の審議も、必要に応じて合同審査会を開き、その場で衆参の憲法審査会の議論の結果を踏まえた成果の整理を行うことで各院で三分の二の壁を突破できる発議案に仕上げていくというのであります。  しかも、これを受けて与党の質疑者は、この合同審査会の活用によって煮詰まった改正原案を衆参で同時に発議し、それぞれの本会議において三分の二で議決するというのが手続的に一番分かりやすいとされているのであります。  しかしながら、憲法第九十六条の下での国会による改正原案の審議は、両議院一致の議決のような簡便な手続を予定しているとはそもそも考えられず、本法案規定するように国会本来の議決形式である先議、後議の関係において、時間の経過の中での慎重な審議手続を予定しているものと考えるべきでありましょう。先月二十六日のこの問答から見えてくることは、合同審査会がフル稼働し、両院で同じ内容の改正原案を同時に発議することができるまでに原案を作成ないし調整する場として審査会が機能している姿であります。  本法案が成立し、その施行によってもしこの姿が現実のものとなるならば、両院制は一院化し、後議の院に改正原案が送付されたときにはもはや審査すべき事項はほとんど何も残っていないのではないかということであります。憲法改正のために両院における三分の二以上の賛成という巨大な壁を乗り越えるためには、衆参を隔てる障壁に風穴を空ける程度のことはやむを得ないといったことは毫もお考えではないでありましょうが、四月二十六日の議事を拝聴しながらいささか危惧の念を抱き、釈迦に説法とは思いつつも一言申し述べさせていただいた次第であります。  御清聴ありがとうございました。
  83. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、隅野参考人にお願いいたします。
  84. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 御紹介いただきました隅野と申します。  本日はこの委員会での発言機会を与えていただきまして、感謝に堪えません。  初めに、本委員会審議されております日本国憲法改正手続に関する法律案につき、全般的な感想を申し述べさせていただきます。  この問題につき、憲法研究者として私は早くから注目してきていますが、全体として手続上も内容的にも審議不十分の感を否めません。憲法改正についての国会としての発議、それに対する国民投票という極めて重要な法案であり、議員立法として提案されているだけに国会として幾重にも慎重な審議を期待したいところです。しかし、安倍内閣総理大臣による憲法改正に対する積極的姿勢の提示、それと結び付いた憲法改正手続法案の今国会での成立への期待表明以来、法案審議は専ら政治的観点から進められ、国会各院の自律的で深い取組がないがしろにされる危険さえ感じます。  内容面では、憲法改正手続に関し、法案国会法の改定と憲法改正国民投票法との併合により大変分かりにくくなっております。また、国民投票権者として十八歳から二十歳未満の者の取扱いについて未準備であり、あるいは公務員等政治的行為制限法規の適用問題について未決着であるなど、これらは当然明確な準備を本法案の中に含ませねばならないと考えます。  さらに、衆参各院に常設予定の憲法審査会をめぐり、憲法改正原案の取組につき、法案の効力発生との時間的関係で不明確さがあり、国民の間に懐疑的感情すら生み出しています。  総体として、この改憲手続法案審議憲法九条の改定を中心とする自由民主党の新憲法草案と深い関連性を持って進められていることに主権者である国民からすれば強い危惧を感じ得ません。そして、今の時期になぜ本法案を急いで審議し、決着させようとするのかにつき、根本的な疑問を私自身持っていることを最初に申し上げたいと思います。  そのような基本的立場に立って、限られた時間ですが、法理論的な若干の問題点を指摘したいと思います。  レジュメの第二の柱、両院制の在り方との関係での問題点です。  日本国憲法は、言うまでもなしに、衆議院参議院の二院制を取り、衆議院の優越性を憲法上に明記し、参議院衆議院と異なる意見表明をする場合、両院関係の問題処理法を定めています。すなわち、憲法六十七条には内閣総理大臣の指名につき、六十条二項には予算の議決につき、六十一条については条約の国会承認について定め、そこでは必要的な両院協議会を定めています。他方、五十九条三項の法律案の議決については任意的両院協議会制の採用を置いています。  ところで、憲法九十六条の憲法改正国会発議については、衆参各院を対等に位置付け、各院の総議員の三分の二以上の賛成による発議を求めています。これは、国の最高法規である憲法の改正については国民の代表機関である衆参各院の独立性を認め、また三分の二という数字に表れているように、少数意見を尊重し、慎重に取り組むことを求めていると言えます。  この憲法改正発議の場に憲法規定に明記されていない両院協議会制を持ち込むことは、憲法九十六条の規定の趣旨に反し衆議院優越の関係に傾く可能性すらあり、憲法論として大きな疑問をもたらすことになります。参議院としては、この点、特に慎重であることが期待されます。  次に、憲法審査会の合同審査会の問題です。  憲法改正手続法案は、国会法の改定部分である百六条の六で各議院に常設機関として憲法審査会の設置を予定しています。この憲法審査会は、百二条の七で憲法改正原案、憲法改正の発議、国民投票法等の審査を任務とします。また、法案百二条の八で、各議院の憲法審査会に憲法改正原案に関し他の議院の憲法審査会と協議して合同審査会を開くことができるとしています。そして、その合同審査会は憲法改正原案に関し各議院の憲法審査会に勧告することができるとしています。ここでの合同審査会の勧告は、ほかの法規の用語例からして法的拘束力を有しないと考えられますが、合同審査会では、衆議院参議院の通常の関係からして事実上衆議院の優越的関係に機能することも考えられます。そのことは、前述したように、憲法九十六条に基づき、憲法改正案の発議に関し衆参各議院の対等関係と自主的な取組が規定されていることを突き崩し、衆参各議院の改憲問題への取組を早い段階から合同の枠に取り込み、考えをまとめ上げ、改憲原案の作成、憲法改正案の発議の促進を図ることが考えられます。それは、憲法九十六条の趣旨に矛盾し、主権者国民国会の各議院に信託している任務にこたえず、大きな問題点を持っていると考えます。  特に、参議院の独自性としては、第一に、両院制による慎重な審議を通じて民意を国政に反映させることであり、また第二に、衆議院と比較して、参議院議員の任期が六年であり、そのため長期的視野と定期的選挙により民意を反映させることができ、そのことが参議院の慣行を通じて形成されてきました。その任務は憲法改正問題に当たっても十分に発揮されることが望まれています。  次に、第三の柱として、国民投票無効訴訟をめぐる問題について言及します。  憲法改正手続法案百二十七条で、国民投票異議がある投票人は、中央選挙管理会を被告として、国民投票結果の告示、九十八条二項の日から三十日以内に、東京高等裁判所に訴訟を提起することができるとしています。この点については、早くに日本弁護士連合会による二〇〇五年二月の意見書が正当に指摘しておりますように、提訴期間が三十日以内ということは明らかに短過ぎると言えます。国民投票結果をできるだけ早期に確定させるためとしても、憲法改正という重要な問題の訴訟対策にとり、時間的に不十分と言えるのではないでしょうか。  また、一審裁判所を東京高等裁判所に限定していることも、国民の裁判を受ける権利、憲法三十二条を地理的に極度に制限し、主権者である国民立場に立つものとは言えないと思います。日本弁護士連合会の意見書が指摘するように、全国の各高等裁判所を管轄裁判所とすることが最低限求められていると言えます。    〔委員長退席、理事中川雅治君着席〕  また、法案百二十八条は、国民投票無効判決が裁判所によって出される事由として三つの事項を挙げています。それらは、主として憲法改正手続上の問題や罰則にかかわっています。しかし、改憲手続としては、国民が注目し監視する事由として、衆参両院における憲法改正等の発議の過程も入ってくることを想定しなければならないのではないでしょうか。ただし、その領域では、国会の議院自律権の問題にかかわり最高裁判所国会の自主性を尊重する判断を昭和三十七年三月七日に大法廷判決で出していることは御承知のとおりです。  また、国民投票最低投票率規定法案に用意されていないことについては、国民投票無効訴訟の対象として争われる余地を持っていることも視野に入れておく必要があるのではないでしょうか。低い投票率で仮にその有効投票の過半数で承認されるとしても、それを主権者である国民の意思表示とすることについては様々な論議と混乱をもたらす可能性があります。そこには、政治的な処理で済ますことのできない法的要素を含んでいると言えます。  憲法改正問題に当たって、法理論上は憲法改正権の限界論が様々に検討されてきました。その点で、二〇〇五年に発表された自由民主党の新憲法草案は、前文の案で、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義等の基本原則は不変の価値として継承するとしていますが、その基本原則のとらえ方自体に対し、憲法学説では多くの批判的見解が表明されています。とりわけ、憲法九条二項を削除し九条の二として、自衛軍の保持と国際平和協力活動への参加等を認める点については、日本国憲法の平和主義原則の改変とする学説が強く出されています。  ただし、これらの憲法改正案国会に発議され国民投票に付された場合に、それらの内容につき司法審査で追及することに対しては、主権者である国民憲法改正権の発動である以上、現行の法制度では裁判所としても容易に対処し難いところがあるでしょう。あるいは、それゆえにこそ国会の衆参各院の憲法改正発議に当たっての役割は極めて重大であると言わなければなりません。その点では、また裁判所機構の今後の変更とも関連し、将来の課題として、憲法改正国民投票の事前に、国会発議の憲法改正案につき司法審査を求める道も検討に値すると思われます。  以上です。
  85. 中川雅治

    ○理事(中川雅治君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  なお、大変恐縮でございますが、各委員質疑時間は限られておりますので、簡潔に御発言いただきますようお願い申し上げます。  質疑のある方は順次御発言願います。
  86. 木村仁

    ○木村仁君 自由民主党の木村仁でございます。  参考人の皆様には、大変お忙しい中をおいでいただきまして、貴重な御意見を賜りまして、大変参考になったことをまず申し上げておきたいと思います。  若干御陳述になったことと離れる部分があるかもしれませんが、二、三点皆様にお尋ねをいたしておきたいと思います。  第一に、この憲法発議の議案の両院における審査についてであります。  小林参考人からハウス・ツー・リコンシダーという適切な言葉を賜りました。私どもはたまに参議院先議という法案もありますので、先議、後議の問題から離れて、参議院は熟慮の府だよというふうに私は考えております。特にこの憲法草案の発議につきましては、憲法上先議、後議の考え方は全く入っておりません。でありますから、参議院議員が提案する場合には参議院先議になりますし、衆議院議員が提案する場合には衆議院先議になります。ただ、提案者の、発議者の手続法案の作り方としてはやはり先議、後議ということがあって、その先議、後議の衆参両院の調整を図るための規定が置かれているということが実情だろうと思います。  ところが、ある衆議院サイドの参考人質疑であったと思いますが、よく記憶いたしませんが、この憲法の草案審議については参議院衆議院同時に並行的に審議すべきであるということを主張された方があります。憲法審査会が両方にできて、そして憲法原案を作るとなりますと、多分同時に両側に、両院に提案することも可能であります。その中でいろいろ審議を重ねて、そして合同審査会の中で議論をしながら両院の結論がちぐはぐにならないような努力がなされると思います。そうでなければ、恐らく憲法改正というのはなかなか難しい過程であろうと思います。  今、隅野参考人はそれに対する全く反対の御意見であったと思いますけれども、この先議、後議の問題、そして同時審議が可能であるという問題についてお考えを一言ずつお願いをいたしたいと思います。
  87. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) 今の先生の御質問でございますけれども、私は、そもそも憲法改正のような重要な問題が、それぞれの院で五十人あるいは百人という多数で提案されるに先立って、現在の日本では、憲法では明示的に政党というものを予定した規定はございませんが、政党によって国会というものが運営されているということは釈迦に説法でございます。  したがいまして、各政党間ですり合わせをするというような作業がなければ、到底三分の二の賛同を得られるような原案が出るということは考えられないわけでございます。また、先生が所属しておられる自由民主党のように院内の大会派であれば、その中で大方の賛同が得られるということで、周到な準備が必要なことと存ずるわけでございます。  そうしますと、主要政党間でおおよそ一致を見て、三分の二という見込みが得られた段階で原案が提出される、それをさらに技術的な点も含めてまとめ上げていくと、こういう過程を経ていくということであろうかと思われますので、合同審査会が両院の独立を損なうというようなことを申しますと、その前に政党の中で十分に議論をし、あるいは複数の政党間で憲法改正案について煮詰めるというような作業そのものも両院の独立を損なうというようなことになりかねないということになりますんで、私は、憲法の改正のような重要な問題について、良い案ができて、そして技術的な問題も全部改正すると、こういう点では合同審査会方式というようなことを適宜活用して、もちろん、隅野先生がおっしゃったように法的な拘束力はないにしても、より良い憲法改正案を導くという点で、私は合同審査会を活用するということが直ちに両院の独立を損なうということにはならないのではないかと考えております。
  88. 小林節

    参考人小林節君) 衆議院参議院はそれぞれ、任期の保障とか解散があるとかないとか、政権を争うとか争わないとかいろいろ事情が違いますので、私は、そのときできるところから議論を始めたらいいという前提で、特に参議院の場合は任期が長く保障されておりますし、そういう意味では落ち着いた議論ができると思うんです。もう議場に入ってきても空気が全然違うという感じがするんです、議員会館へ行っても。  そういう意味では、憲法問題みたいに特に腰を据えた議論が必要なものについては、そのときの、例えば今、舛添先生がおられますが、人材がどっちに配置されているかにもよるんですけれども、できるところからまずはばらばらにお始めになった方がいい、つまり変に始めからまとめようとなさらない方が。それで、方向性が出たところでまとめるために合同審査会は有効だと思いますが、始めはできるところからばらばらに、そういう意味では参議院から始めるのは案外向いているのではないかというのが結論でございます。
  89. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 同時にというか、手続だけで申しますと、法案というのは、サッカーでもいいしバレーでもいいんですが、ピッチの中ではボールは一つなんですよね。ですから、仮に二つ一緒に同時に出したとしても、先に採決して送った方が、送付した方が先議の院になるわけでありまして、ですから、今のこの法案で書かれている先議、後議の関係からいきますと、結局のところ、同じものを出しても、先に採決して出した方が、それが言わばボールになるというか、有効なボールになるわけですね。ですから、もたもたして後議に回った方はそれは扱えないという、それだけのことです。
  90. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 衆参の先議、後議というところはいろいろ積み重ねがあると思いますが、憲法改正問題について一番の基本は、国民がどれだけそれを要望しているのかというところで出発をしないとならないと思うんです。  確かに、政党の中ではかなり改憲志向が強いところもありますが、しかしそれが、新聞の世論調査なんかを見ると必ずしも国民の意向と直結しているわけではない。そこのところをいつも基本に置かないと、場合によったら国民投票で足をすくわれるということもあり得ると思うんですね。  そして、先議か後議か、憲法改正問題についてそれがどう作用するのかというのはそれほど決定的な問題ではないんでないかと。合同審査会で最初からいつも同じペースで衆参が進むというのもちょっと異常なように思います。  ちょっと先議、後議の関係の慣行が理解していない部分が多いものですから、差し当たりそんな一般論で失礼させていただきます。
  91. 木村仁

    ○木村仁君 もう一つお尋ねいたします。  憲法改正が発議される前後から国民投票広報協議会というものが設置されます。これについて、これは公平に賛否両論を国民に示すものであるから各会派それぞれ代表されるように選ぶべきであって、通常の国会のドント方式によって大会派から多く出るということをすべきではないという議論があります。  私は、それは少し違っているのではないかと思います。三分の二という特別な多数決をもって参議院の意思が決定します。三分の二という特別な多数決をもって衆議院の意思が決定します。その両方が合わさって国会の意思が決定するわけであります。そして九十六条には、国民に提案してその承認を受けなければならないと書いてあるんです。承認というのは、自分たちが正しいと思うことを相手に納得してもらうのが承認でありますから、国会は、そういう意思を国会として決定した以上は、この協議会というのはもちろん公平でなければならないけれども、この発議されたものの内容をよく国民に理解していただくことが絶対必要であると、こういうふうに考えます。それを、その時点から違う意見もあるよ、駄目だよというように言うのは国会の存在がおかしくなってくると、そう思います。  例えばある国会で、参議院は菅直人氏を首相として指名しました。衆議院は小渕恵三氏を首相として指名しました。そこで両院協議会が開かれます。十人ずつの代表が出ていきます。しかし、参議院参議院の意思を決定しているわけでありますから、これは菅直人氏を投票した人だけが出席するわけであります。それから、衆議院は小渕恵三氏を決めた人、投票した人だけが委員を成すわけであります。  したがって、三分の二の多数は取れないという関係が実質上成り立つわけでありますが、そういう院の意思というものはそれくらいの重みがあるものだと考えますので、やっぱり広報協議会の任務は、提案されていることの内容を客観的にできるだけ分かりやすいように国民に説明する、もちろん公平でなければいけないと思いますが、それについての感想をお述べいただきたいと思います。  時間がありませんので。
  92. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) 今回の法案では、十二条の三項ですか、反対票を投じた会派から人数の都合で委員が選任されないと、単純にいくという場合に委員が選任されるように配慮すると、こういう規定もありますので、その点は私、先生の御意見どおりでいいと思います。  また、十四条の協議会の役割というものを拝見しますと正に広報ということを所管するということでございますので、会派ごとの割当て人数の委員構成ということで格別の問題はないと考えます。
  93. 小林節

    参考人小林節君) 発議に伴う広報は国会の仕事でありますから、それはもう当然、議席比例が原則だと思います。  以上です。
  94. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 僕は、広報協議会の委員というのは独立した形で構成すべきであるというふうにまず考えております。  その上ででありますけれども、先ほどの話との関係から申しますと、要するに、国会が発議して国民に求めているものは何かというと、賛成か反対なんですね。つまり賛成か反対であって、三分の二以上の賛成か三分の一以下の反対かということじゃないわけですね。つまり賛成か反対か求めているわけですから、これは仮に構成するとしてもイーブンであっていいはずだということですね。
  95. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 広報協議会の在り方について私は直接触れませんでしたが、これも一つの重要なポイントかと思います。  基本のところは、国会で三分の二の憲法改正案を発議したと。しかし、国民はそれとは切り離して独自にイエスかノーかという判断をするわけですから、広報協議会、それなりに苦労して構成員とかあるいは役割、任務を定めていますが、国民立場で、主権者である国民がイエスかノーかを判断するために国会の三分の二の発議ということとは切り離した組織である方がよいと思います。国会の機関として設置されなければならないというそこは理解しますが、やはり国民立場に立ってイエスかノーかを判断できるそういう広報業務が求められているのではないかと思います。  以上です。
  96. 木村仁

    ○木村仁君 私は、九十六条の三分の二という規定を見るたびに大変悲しくなるわけであります。というのは、私どもは国民から選ばれてきた人間であります。その選ばれる過程で一票の格差ということが非常に重要な問題になって、そして憲法上それが違憲であるという訴訟がたくさん出されているわけであります。ところが、私どもは、この発議するときの採決のときには、私は賛成派でありますが、改憲派でありますが、私の一票は反対派の二分の一の値打ちしかないわけであります。これは非常に異常な状態で、民主主義ではないんです。しかし、国民が我々に三分の二を取りなさいと憲法規定している以上は仕方がないことであります。  しかしながら、その三分の二で議決された事柄というのは非常に重いということを指摘して、これはもう時間がありませんので、御意見をお伺いしたかったんですが、終わります。
  97. 松岡徹

    松岡徹君 民主党・新緑風会の松岡でございます。  今日は四人の参考人の皆さん、大変ありがとうございます。さきの前半の参考人質疑、そして今四人の皆さんの参考人意見を聞かせていただいて、やっぱり時間は掛かるなと、もっとしっかり議論をしなくてはならない点がたくさんあるなということを正に今実感をしたわけであります。  今、時間も限られておりますので、いろいろ質問したいところがありますが、的を絞って質問させていただきたいと思います。  先ほど高見参考人からもございましたし、小林参考人からもありました。要するに、両院の存在価値が、今回の国民投票法の手続として行われる発議の過程において、合同審査あるいは合同で発議をするものを決めてしまうということが両院の存在価値そのものをなくしていくことになるんではないのかということなんですが、しかし一方で、すなわち他の一般のといいますか、法律とか議事ではなくて、憲法の改正という特別の性格からすれば、この両院の優越というものはここで論ずるべきではないと。すなわち衆参は同じであると。したがって、九十六条をどういうふうに読むかということは、九十六条そのものが様々な不備なといいますか、解釈のところでたくさんあるというふうに思っておりますし、ただ共通しているのは、権者である国民にひとしく公平に正しく、改正も含めて、あるいはそれ以外の意見も含めてしっかりと反映されるような手続法にしなくてはならないということは基本であるというふうに思いますね。  その上からすると、やはり国会は発議をするだけの役割でありますから、この合同審査というものがそういう視点からすればどういうふうな性格といいますか、どういうふうなものであらなくてはならないのか。単に、小林参考人がおっしゃっていました、どうも政党力学といいますか、というのが当然のように働きますから、恣意的に政治的にそれが働いていく、それがゆがめられていく、国民にどう映るのかということになれば、政争の具になってしまっているんではないかというマイナス面が生まれてくることも事実であります。  本来、そういうことをおいて、先ほど私が申し上げた視点から見て、合同審査というものがどういうふうに設置されるべきものなのか、そこで大事な視点といえばどういうふうな見識をお持ちなのか、それぞれ一言ずつお聞かせいただきたいと思います。
  98. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) これは、合同審査というものは実際にはそのときに国会議員に就任しておられる先生方が担当されるわけでございますので、それぞれの政治的な識見に基づいて運用されるんだろうというふうに思っておりますが、一つ想像で言えることは、衆議院及び参議院で現実にそのときの先生方の基本的な意見がもし一致していないというようなことがあるとすれば、それは恐らく憲法改正発議の機が熟していないと、当然そういうことになるんだろうと思うんですね。例を申し上げますると、衆議院の方では参議院の権限を縮小すべきであると、仮にこんなことをお考えになったときに、その案がそのまま参議院の方で大方の賛同が得られるというようなことは到底考えられないわけです。ですから、基本的に両院で発想が違うというようなものであれば、これは幾ら合同審査会を設けたからといって一致するということはないと、これはもう一目瞭然のことであります。  もしそうではないとすると、先ほども申し上げましたが、それぞれの政党が政策を掲げて選挙を戦って、その結果議席を得て、そして国民の負託に基づいて、憲法のうちこの部分を改正すべきであると、こういう御意見を明らかにした上で、多分この手続法が施行された後の選挙では憲法改正のどの部分を改正するかということ自身を明らかにして選挙が実施されるんだろうと思われます。その上で、衆議院あるいは参議院それぞれ選挙が別でございますので、それぞれの機会にどういうことを政策としてそれぞれの政党が訴えたか、これによって基本ラインが決まる。そういったものが大方の一致を見て、三分の二に達しそうだというところで初めていずれかの院で発議すると。他の院でも発議を前提として原案が出されると。そういうときに、基本的なことではなくて、どちらかというと技術的なことが審査されるということでないかなと思うんです。もし基本的なことが違うんならば、それは審査でないと思うんです。
  99. 小林節

    参考人小林節君) 先ほども触れましたけれども、衆参の定数が不均衡である以上、合同審査会というのは、政治は数でございますから、極力開くべきではないと私は思うんです、良き審査をするためには。  ただ、同じく、一つは数の論理ですけれども、質の論理でございますから、例えば自民党における新憲法草案の策定過程における舛添議員の働きなど、味方から見れば頼もしい決定力で、敵から見ればけしからぬということになるわけでありまして、いわゆる人材の問題でありまして、民主党にも人材はおられますし、そういう意味では、要は最後にまとめに掛かる前にどれほど質の高い議論を我々国民に見える形でしてくださるかだと思うんです。そういう意味では私は、何というか、絶望していません。以上です。
  100. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 二点申します。  一点目は、合同審査会がかつてというか、戦後国会の制度が始まりまして初期のころに大変盛んに行われたという経緯がございます。行われたんですけれども、その当時の議事録を読んでみて分かることは、結局無駄なんですね。というのは、どうせ法案が回ってくるわけなんで、今どうしてやらなきゃいけないのかと、効率を考えてやらなくなったというのが一つですね。それからほかにも、何ですかね、ただ要するに聞きおく、言いおくというだけで、趣旨、目的が今度の法案とはちょっと違うことはあると思うんですけれども、ともかくなぜ従来の合同審査会というのが消えていったのかということの検証というのはひとつ必要だろうと思いますね。  それから、もう一点ですね。もう一点は、今回の場合、勧告権が付いております。この勧告権、要するに合同審査会だけならば余り意味が、それこそ僕にとってはどうでもいいことなんですが、ただ、勧告権を付け審査会というのは、これは少なくともそのそれぞれに合同審査会で決まったことがその両院を縛っていく、衆議院参議院を縛っていくという、事実上ですよ、事実上。そういう意味合いを持っているわけで、この機能をどう考えるかという、これは大変重要な問題だというふうに思います。二院制、つまり一院的な運用になるわけですよね。  なおかつ、その国会に設けられた勧告権を持っていた機関というのは、両院法規委員会という、これも途中で消えましたけれども、最初国会で設置された機関がございます。この機関というのは、実は衆議院の機関でもなく参議院の機関でもなくて、非常に特異な国会に設置された機関ですよね、両院法規委員会です。ですから、その勧告権というものを付けて、両院に対してというか、その勧告を出せるという、そういった機能を持っていたわけですね。  それと同じものを今度合同審査会という形で設けるということの意味ですね。これもやはり十分考えていただかないと、つまり各院の寄り集まりの機関ではなくて、言わば国会独自の機関としてその勧告機能を持ったそういった委員会であったわけですよね、かつてはね、両院法規委員会は。それとの性格の違いをどういうふうにこの勧告権を持った合同審査会というのは考えていくのか、そこは相当詰めてお考えいただかないと、制度設計上非常にまずいんじゃないかというふうに思っております。  以上です。
  101. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 基本的にこの百二条の八につきましては、最初の私の報告でも触れましたように、かなり疑問を持っております。しかも、今指摘もされましたように、百二条の八の二項に、憲法改正原案に関し、各憲法審査会に勧告できる、ここのところがどう作用するのかというところを警戒しないとならないと思うんですね。  やはり参議院の自主性、独自性、そしてそれがそれなりに選挙民、地域と結び付いているわけですから、そういうことを憲法改正問題にどう反映させるのか。何かここの法案の作成過程はつまびらかではありませんが、何となしに衆議院の線でこう来たのではないかと推測してしまうんですが、やはり参議院参議院として今までの蓄積をどういうふうに大事にし、主張していくのか。そういう中で、この各憲法審査会への勧告というところを、場合によったら縛るとかいうことが必要でないかというふうに思っております。  以上です。
  102. 松岡徹

    松岡徹君 時間がありませんので、聞きたいことがたくさんあるんですが、参議院のその独自性といいますかね、良識の府としての役割を、かつては郵政民営化反対の決議が衆参と違ったんですね。その途端何したかといえば、解散して直接国民に聞いたんですね。これは国民投票みたいなものですが、そういったことがあったんですが。  次に、無効訴訟のところでちょっと聞きたいんですが、今回の法令は、無効訴訟の事由として三つほど書かれていますけれども、時間がありませんので聞きたいんですが、もし訴訟が起きた場合のこの憲法の改正案の有効時期というものがその裁判の後なのか、どの時期として判断すべきなのかということがありますし、もう一つは、無効訴訟が起きる場合の無効事由の中に憲法の限界というのが、先ほど隅野参考人もございましたが、憲法の限界のところにまであるのかどうか、それが無効事由になるのかならないのか、それぞれ一言ずつ、できれば聞かせていただきたいと思うんです。
  103. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) 先生の御質問でございますが、憲法改正の効果と国民投票無効訴訟の関係については法案の百三十三条に規定がございまして、憲法改正が無効とされるというような結論になりそうだというふうに裁判所が判断した場合に、憲法改正の効果の発生の全部又は一部の停止をすることができると、こういう規定が設けられておりますので、場合によって、この規定の適用がありますと、無効の裁判の判決が出て、そして無効となると再投票実施と、再投票の結果によって最終的に憲法改正の効果が定まると、こんなことかなというふうに考えております。  それから、済みません、もう一つの御質問は。
  104. 松岡徹

    松岡徹君 憲法改正の限界。
  105. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) 限界ですね。  今回の国民投票無効の訴訟では無効事由を三つに限定しておりますので、逆に言いますと、憲法改正案内容そのものについては裁判所は立ち入らないと、こういう制度設計になっているところでございます。小林先生がおっしゃったように統治問題という側面、しかも国民自らが判断する統治問題ということなので、こういう設計で私はいいんでないかなと思っております。
  106. 小林節

    参考人小林節君) 後者だけですけれども、憲法改正によって国家という土台ができて、そこに裁判所としての存在理由もあるわけですから、裁判所がその土台を問うということは自己矛盾であるという理屈で、大体、改正権の限界を超えた、学問上は限界を超えた改正はしちゃいけないんですけれども、それは政治で決着を付けるべきものとなっていると思います。  第一の論点は、今、鈴木先生がおっしゃったとおりだと思います。
  107. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 第一の論点についてはやっぱり二つ、制度設計としては二つあると思うんですね。つまり、無効訴訟が最終的に決着が付いてから発効されるということもあると思うんですけれども、それと現行法の、これどちらでも立法政策上の問題だと思いますし、それから、ましてやというか、今回の場合にもそういう効力は少ない、停止をする、発効を停止させる、そういった措置を設けておりますので、事実上はそれでいいのかなというふうに思います。  それから二番目の方は、これはもう先ほど述べましたように、要するに基本的に、最終的に裁判所は限界を超えるかどうかというのは一体何を基準にして決めるのということですよね。だから、そもそもやっぱり判断としては難しいだろうし、結局、これは国民が判断したことでありますので裁判所は口出しできないだろうと。ですから、最終的には統治行為なり政治問題という形で一種の決着になるだろうということです。
  108. 中川雅治

    ○理事(中川雅治君) 隅野参考人、恐縮ですが、簡潔にお願いいたします。
  109. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) はい。  憲法改正限界論の問題は理論の問題ですが、しかし、ドイツとかフランスなんかの憲法裁判所的な制度からすれば、それ自身を扱うということもやっているわけです。日本の場合に、この法案の百二十八条はそこを想定していませんが、将来的には、先ほどちょっと将来の課題としてというふうに限定して述べたんですが、しかし、こういうこの法案の無効投票の制度をやれば、国民は必ずそれを使って改正権の限界論を持ち込むと思うんですね。それがまた大きな課題に、これをきっかけになっていく可能性もあるというふうに思います。
  110. 松岡徹

    松岡徹君 終わります。
  111. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 公明党の荒木清寛でございます。  まず、鈴木参考人にお尋ねをいたします。  先ほど冒頭のお話で、この無効訴訟というのは民衆訴訟の一類型であって、他の民衆訴訟の類型と比べても立法裁量として妥当であるというお話はよく分かりました。  ただ、一方で、この無効訴訟は東京高等裁判所にしか起こせないわけですけれども、事柄の重要性から考えると、各地域でこれが起こせないと国民の裁判を受ける権利を侵害するのではないかと、こういう異論もあるわけですけれども、この点はどうお考えでしょうか。
  112. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) これは技術的な問題ということであろうかと思うんですが、御承知のように、これは投票区という制度を設けておりますので、それぞれの投票区ごとに、その投票区の投票に重大な瑕疵があったときにこれを無効とするということによって、全体の他の投票との関係で投票が無効となるかどうか。全体の投票に影響を及ぼして、賛否、結論が逆になると、この場合に限って訴訟を提起することができると、こういうことになっておりますので、多分かなり大多数の方が投票されるところで重大な手続違反が起こったときに全体としての賛否の結論が逆転すると、こういうふうなことになるんだろうと思うんですが、そういったことも考えまして、そんなにたくさんのところでの投票について問題にされるということは技術的に余りないんだろうと。であるとすれば、一か所にまとめるということの方が技術的には適切ではないかなと。  Aの高等裁判所、Bの高等裁判所というふうに分属させても、Bの高等裁判所に来るのは、提訴は自由ですが、結果として、そこの票を全部賛否逆にしても他の票との関係で国民投票の結果に異動を及ぼさないというようなことも考えられないわけではないということでもございますので、一か所でもよいかなというふうに思って立法裁量の範囲内ではないかというふうに申し上げたところでございます。
  113. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 次に、小林参考人には別のことをお尋ねいたしますが、まず二院制を実効化する方法ということで両院の選挙制度を全く異質なものにするという、私も基本的に賛成でございまして、参議院でも選挙制度について各党会派で議論をしているところなんです。  そこで、もし変えるとするとこういう形はどうかという小林参考人にお考えがあれば、この際お聞かせ願いたいと思います。
  114. 小林節

    参考人小林節君) 一番ドラスチックなものは、参議院は全国区一本にしてしまう。そうすると、いろんな者が出てくると思うんです。もう一つ別の考えとしては、地方代表院にしてしまう、アメリカですね。そうすると、知事OBか県会議長OBの集まりになってしまうかもしれません。あるいはそのコンビネーションということを頭の中では考えております。
  115. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 続いて小林参考人にお尋ねしますが、先ほども質疑がございました、この改正の限界を超えた改正というのはどういう場合なのかということについてお教えいただきたいのと、そういう場合に、改正の限界を超える改正が行われないようにする担保として政治的決着ということだけで十分なのか、この点について更に御見解を求めたいと思います。
  116. 小林節

    参考人小林節君) 改正権の限界、弁護士の先生に釈迦に説法ですけれども、国民主権を否定して君主主権にするとか、平和主義を否定して軍国主義にするとか、それから人権保障を奪って北朝鮮のような専制国家にするとか、そういう改正は改悪で憲法違反になります、理論上は。ただ、これ、止める方法は、結局は国会議員の英知に懸かっていると思います。そういう意味で、正に公明党などは人権と平和の党なわけですから期待するところ大なんですけれども、どう書いてあったところで、数の暴力とか、それから敗戦とか侵略とか、そういうことで超えていってしまうことは幾らでもあるわけで、あとはもう人的な予防線しかないと思います。  取りあえず、以上でございます。
  117. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 更に小林参考人にお尋ねしますが、参考人は先ほど改憲論だというふうに明言をされました。報道番組等で、そういう中で参考人憲法論について、改正問題について立場を異にする人と対話をされているということを非常に私は感銘を受けて、そういう試みをどんどん護憲の方も改憲の方もやるべきだというふうに思うんですね。  そういう意味では、護憲立場からは、今回の国民投票法制制定改憲が加速されてしまう、あるいは九条改正に直結してしまう、そういうことで警戒をする声が多いわけですね。そういう意見も私どもにも来ます。そういう声については参考人はどういうお考えでしょうか。
  118. 小林節

    参考人小林節君) 余り心配していません。つまり、今やっているのは単なる手続法の問題ですから、余り深刻に考えずに、比較法的には非常によくできたものができつつあると思うのです。  そして、これが逆に、できてしまえば今度三年間実質審議に入ってしまうわけですから、論点が明らかになりますよね。そうすると、改憲派の良くない中身が明らかになってくると思います、改憲派の中の。それから、護憲派の中がそれとかみ合っていないことも明らかになる。つまり、本当の意味の憲法論議が始まるので、私は、始まればおのずと収まるところに収まる、日本国民、ばかではないと思います。
  119. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 さらに、小林参考人に。  今回の法案の取扱いとして、まだ重要な論点が残っているという見方もあるというお話でした。そういう中で、特に本院に来てからは最低投票率の是非ということにかなり議論がされておりますが、この点についてはどういうお考えでしょうか。
  120. 小林節

    参考人小林節君) 最低投票率というのは、あれ、言わば誤解でありまして、憲法が硬性憲法であるのは、正に衆参両院それぞれの三分の二以上の議員の賛成があること、それプラス国民投票にかけなきゃならない。これ自体、もうすごい厳格なことですよね。それ以上の条件を憲法は何も書いてません。比較法的に、最低投票制のある国は我々のレベルでいうところの憲法事項で、憲法レベルでそれが規定されている。法律事項ではないはずなのですね。それが、最近にわかに、あたかも法律事項で当然入るべきであって、入らないとそれはアンフェアであるというような議論がありますが、これは言わば、何というかしら、誤導ですね、間違った情報で導いているものだと思います。  ですから、それはむしろ参議院の先生方の良識に私は訴えたいんですけれども、最低投票制はないと困るというものではないと思います。と同時に、どうしてもそれがないと駄目だとお考えならば、私は入れればいいと思います。いずれにしても、最低投票制があろうがなかろうが、国民の過半数が投票に来て承認されるようなものでない限り、そんなものは憲法改正として座りが悪いですから。  また、自民党の考えているものが、私が賛成できるかどうかは別として、民主党考えているものが、あるいは公明党の考えているものがそれぞれ決して悪い改憲をお考えと思っていないと思うんですね。まだ議論が煮詰まっていません。ならば堂々と、そういう私のような無体な要求も受けていたって勝てばいい、それが民主主義ではないかというくらいに柔軟に考えております。  以上でございます。
  121. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 次に、高見参考人隅野参考人に同じことをお尋ねしたいと思います。  両参考人とも、この合同審査会の在り方について疑義を呈していらっしゃるわけです。そういう両議院の、両院の自律性を損なうのではないかという、そういう問題提起だと思います。  ただ、いずれにしましても、両議院でそれぞれ総議員の三分の二の賛成がなければ発議できないわけですから、当然、これは改正原案あるいは改正議論のすり合わせが行われるはずですね。ですから、両院をまたいで政党間のすり合わせというのは間違いなく行われると思いますし、そうであれば、この合同審査会といういわゆる法律規定のある公の場でそういう意見のすり合わせをすることを否定することの方が不自然ではないかと私は思うんですね。  それで、この法律も開くことができるという規定になっておりまして、もう最初からこの合同審査会でずっと正に一体化してやっていくという、そういう仕組みではありませんし、それから、合同審査会が各院の憲法審査会に勧告ができると、このことが事実上拘束するんではないかということですけど、合同審査会と各院の憲法審査会は何も上下関係じゃありませんからね、その勧告が事実上拘束するということは私は考えにくいことですから、そういう意味で、ちょっと、それが憲法の想定しているものではないというのはちょっと行き過ぎじゃないかと思いますけれども、ちょっとお二人にその点について更にお尋ねをいたします。
  122. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 要するに、この問題というのは、楽観的に見るのか悲観的に見るのかということの程度の問題かなというふうに私は思っております。  私が危惧しているのは、両院制の持っている本質的な意義が、やはり時間の経過の中で、時間差の中でその議論を深めていくという機能を持っているわけですね。それをやはり、同時間にそろえて、何というかな、先へ先へと進めていくという、そういう言わば手続、つまり手続の方式が少ない。それは一院制の場合はそうですよね、つまりその場で決めるわけですから。結局その方式を今度持ち込もうとしているわけですね。そのところはやはりきっちり、どういうふうに機能するのかということのシミュレーションをやっていただいた上で、その運用等も考えていただきたいということであります。
  123. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 衆議院参議院憲法改正問題の進行の中で、相互の連絡というのは一般論的には考えられると思うんですね。だけれども、そこを合同審査会、しかも各議院の憲法審査会への勧告権、ここになるとかなり、特に憲法九十六条の観点で見る衆議院参議院の独自の在り方というところに抵触してくるんではないかというのをいまだに思っています。
  124. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 終わります。
  125. 仁比聡平

    仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。  今話題になっておりました合同審査会の件についてまずお尋ねをしていきたいと思うんですけれども、先ほどの高見参考人からの冒頭の御意見の中で、この委員会での四月二十六日の審議のやり取りですね、つまり、三年間凍結と言うがその間も合同審査会をやれることを前提にした質疑がありました。その中で、骨子案あるいは要綱、こういったものも作っていくことができるのだ、そして先ほど御指摘ありましたように、衆参同時発議をするのが一番分かりやすいのではないかというような趣旨の発議者からのお話もあったわけです。  この質疑を、高見参考人、聞いておられて、そのような在り方もあり得る法案であるとするなら、両院の一院化という懸念が重大なのではないかという趣旨に私先ほどお伺いをしたんですが、そのような理解でよろしいのか。そのような理解だとすると、憲法上、そのような発議に当たっての、あるいは発議に向けての議論の在り方がどのような問題があるとお考えか、ちょっと確認になるかもしれませんが、まずお尋ねをしたいと思います。
  126. 高見勝利

    参考人高見勝利君) あの日の議事、インターネットで見ていたんですけれども、確かに法案をよく読んでみますと、凍結されている部分というのは成案、改正原案ですか、原案の発議だけになりますので、それ以外のことはできるということですので、提案者が言っておられたように、それ以前のことならばあそこでできるということだと思うんです。  僕が問題にしたのは、いや、それはそれで、だから、多分、合同審査会というか、憲法審査会というのはそういった形で三年間活動するということは、少なくともこの法案には予定しているんじゃないかというふうには感じました。ですから、それは多分、その活動自身はこの法にのっとった活動であるというふうに思います。だから、それが僕、一院制というか、おかしい話になるというふうには考えていません。  そうではなくて、実際にその三年後に憲法改正の原案が衆参同時か、あるいは先議、後議で出てくるのか分かりませんけれども、審査されるそのステップから、そのステップから勧告権付きの合同審査会というのが進行手続の中で機能していくということになってくると、これはもうもはやというか、つまり先議の、さっき申しましたけれども、先議の院が議決、採決してそれで後議の方に回したときには、後議で何が残っているんですかという、そこを問題にしているわけですよ。
  127. 仁比聡平

    仁比聡平君 そのような認識の上で、この法案をもし変えることが高見参考人に可能であるとするなら、どうするべきかという御意見がございますか。
  128. 高見勝利

    参考人高見勝利君) いや、それはちょっと難しい話ですけれども、つまり合同審査会を含む憲法審査会の運用の問題であると思うんですね。  この制度を設けないということになれば、合同審査会ということではなくて、それこそ両院協議会という形で、つまり衆議院参議院それぞれ院の意思が決まっていない段階でそもそも調整はあり得ないという、両院制というのはそういうものだという考え方というのは一つ立つと思うんですね。もし、そういう立場に立って、そもそもその合同審査会というふうな組織というのは、それ国会法上ありますので開けなくはないわけなんですけれども、合同委員会ですか、でも、それと同じような機能を持つものを組み込んだ場合にはどういうふうに機能させるかということで、つまり両院協議会との役割分担というのはどういうふうに考えていかれるのかなって、ちょっとそこのところも分かりませんし、法改正しろと言われたら、ちょっと今のところアイデアがございません。    〔理事中川雅治君退席、委員長着席〕
  129. 仁比聡平

    仁比聡平君 今の同じ点について隅野参考人に、九十六条の趣旨について、各院の独立を他の法律案や条約などとは違う形で規定をしているのだという御意見の趣旨だったと思うわけです。この合同審査会を置く、あるいは両院協議会も同じなのかもしれませんけれども、憲法九十六条との関係で隅野参考人はどのように解釈をされますか。
  130. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 九十六条というのはここのところに来ていろいろ学界でも学説上検討が一層進んでいるように思いますが、やはり国会、あるいは内閣総理大臣の指名、そういうものと区別して九十六条があるという、そこを大事にしたいと思うんです。  つまり、衆議院の優越性ということを抜きに、衆参各議員の三分の二以上の賛成による憲法改正案の発議ということですから、そこは憲法規定に従って、とりわけ参議院の場合にはどう対応するのかということをいろいろと検討をしていかなければならないのかなというふうに思います。  つまり、改憲の問題については、その内容がかかわり、しかも、御存じのように自民党の新憲法草案が作成される過程では参議院の権限縮小という問題もあったわけですから、そういう参議院の存在そのものにかかわることも視野に入れて、どうすれば両院制、そして何よりも日本の民主政治を発展できるかという、そこを基本に置いて対応していくことが重要じゃないかというふうに思います。ですから、先ほどは両院協議会と合同審査会のことだけを触れましたが、かなり広い問題がそこにかかわってくるのではないかというふうに思っています。  以上です。
  131. 仁比聡平

    仁比聡平君 今のテーマについて小林参考人にお尋ねをしたいと思うんですが、衆議院のこの法案の採決に関する感想や、あるいはその発議に至る過程でのそれぞれの国会議員政党の在り方についてのこれまでの御発言を伺っておりまして、国会議員の責任、あるいは政党の責任に対する小林参考人としての大変重い見識が示されているなというふうに思います。なのですけれども、この法案の仕組みということで考えてみますときに、現実に見たくないというふうに小林参考人がおっしゃられたようなそういう事態があり得る、そういう場合は残されるという規定の在り方になっているのではないのか、それは九十六条に反するのではないのかという批判があるのではないかと思うんです。  この九十六条との関係については小林参考人はどのようにお考えですか。
  132. 小林節

    参考人小林節君) 先生の御質問をちょっと僕に理解できなかったんですけど、確認的に申し上げますと、合同審査会という形で二院制の趣旨に反する。つまり、九十六条は例外的に両院対等の規定ですよね。それにもかかわらず、合同審査会をいつでも開ける形で一つにまとめ上げていく。これはずっと考えていたんですけれども、両院制というのは別々の人格であると、だけれども、国会一つである以上、最後はまとめ上げなきゃならないという意味において、やはり別々に歩いても最後はまとめるという結論がある以上、どこかで必要ならば合同審査会という仕組みは私はあってしかるべきだと思うんです。  私がむしろさっき先生が振ってくださったことを奇貨として語らせていただくと、この手続法はよくできていると思うんです、私はそういう意味で。後は使う人々の見識の問題という点で、何で衆議院の議決のときにマイクを投げなきゃいけないのか、それが本当に情けないんです、本当に。そうすると、やはりあれは良識の府じゃないのかなんという話になっちゃうわけでありまして。  ただ、それも、共産党の先生に対してあえて申し上げますけれども、これまで改憲護憲論議を共産党の側が入口で逃げ回ってきたと思うんですね。だから、堂々と渡り合えば、自民党をあんなに独り歩きさせないで、舛添先生なんかはよく理解できると思うんです、渡り合えると思うんです。ですから、もう自民党の学識のある人々とそういうものについて、これは学識の問題だと思います、それから民主党の多数派と共産党とか公明党の人権平和主義で話し合う気風がなかったからあんなことになったという面で、両方に反省していただきたいと思います。
  133. 仁比聡平

    仁比聡平君 私どもの党や私自身も小林参考人の主催された公開討論会などにも参加をしたことがありますけれども、堂々と改憲反対で逃げずに闘い抜いているということを申し上げておきたいと思うんですが。  ちょっと話変えまして、広報協議会なんですが、ちょっとまた高見参考人からお尋ねしたいんですが、国会に置くことの是非について、先ほど独立させるべきだというお話があったように思うんですけれども、その理由についてお聞かせいただけませんか。
  134. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 国会はその九十六条では発議に責任を負っております、憲法改正の発議ですね、発議機関であるわけです。発議機関であって、発議したこと、それで少なくとも国会の仕事は尽きているわけですね。後の手続はこれは第二ラウンドで国民投票という、国民が決める手続に入ります。  その国民が決める手続に入るときに、いわゆる広報ですね、広報に関して、これは基本的に、何と申しますかね、つまり、賛成、反対という形で既に発議において自らの旗幟を鮮明にしている人たちがそれを仕切るということは、これは少なくとも、何というんですかね、そういう機関の持っている、しかもいろんな形で縛りがあって公正中立でなくてはいけないという理念でこの制度が立てられているわけですね。そういう制度を運用するものとして、もちろん国会とは何らかの関係があるという必要はもちろんあるかもしれませんけれども、やはり公正さというのは、これはなかなか担保できない。とすると、少なくとも人的な意味での公正らしさ、公正らしさだけは担保できるような、そういった組織でなければならないというふうに考えています。そのために、ですから国会議員とは独立のそういった委員によって構成される方がよろしかろうということで、もちろんそれは、国会との関係というのは、何ですか、任命とかという形では残ると思いますけれども。
  135. 仁比聡平

    仁比聡平君 今、高見参考人お話を伺っていましても、九十六条の構造といいますか、憲法改正の全体の構造という理解にやっぱりかかわる問題なのではないかと思うわけですね。  先ほど、これの前の参考人質疑で、早稲田大学の西原先生から、日本国憲法は基本的に議会制の構造を採用しているが、憲法改正国民投票は、憲法が議会制の構造にあえて強烈な例外を持ち込んだものだという趣旨の御発言がありました。私、この西原先生のお話は大変理解がいくわけです。胸に落ちるものがあるんですね。ただ、この国会審議では様々な論点において、代表制こそが原則なのであるから、三分の二で発議をするその国会の発議は重いのだという考え方が一方でといいますか、いろんなニュアンスありますけれども、語られるわけです。  この承認の意義と発議後の在り方ということについて、今、高見参考人伺いましたので、隅野参考人に御意見をお伺いをしたいと思います。
  136. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 九十六条について、先ほどもどなたかの御質問にちょっと触れたところですが、また高見参考人の御意見なんかも参考にして補足しますと、九十六条の国会の発議と、それから国民投票における承認問題、ここは区切って考えていくということが基本的に重要だと思うんです。  それはいろいろなことが言えますが、九十六条の中には、言うまでもなしに代表民主制と直接民主制、これが結び付いているわけで、しかも代表民主制は主権者である国民の改正権発動ということですから、そういう点から、例えば広報協議会の場合に、高見参考人が触れましたように、議会が、国会がそのまま議席数に応じて委員を出すというところには大変問題点があるというふうに思います。あるいは、中央選挙管理会なんかを見れば、各党の推薦委員があるのかもしれませんが、一応政党とは独立した選挙管理委員で構成されていますし、だからこの憲法改正国民投票についても政党の、この法案にある広報協議会とは別の委員を構成して、そして何よりも国民がイエスかノーか判断できるように公正にするということが重要じゃないかと思うんです。  この点は、委員の先生たちは欧米の調査を、国民投票などの調査をされたと思いますが、フランスとかイタリアなんかの場合には、正に国民投票国会の発議、いろいろな国によって違いがありますが、そこの二つの段階を分けてとらえているというところは大変参考になるのではないかと思います。  以上です。
  137. 仁比聡平

    仁比聡平君 ありがとうございました。  時間が参りました。これで失礼いたします。
  138. 近藤正道

    近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。  今日は四名の先生方、ありがとうございました。私も、最初に合同審査会のことについて御質問をさせていただきたいというふうに思っています。  先月の二十六日の当院の憲法調査特別委員会における議論、先ほど来から問題になっておりますが、あのときに、公明党の澤先生が質問をされて、それに公明党の赤松先生とかあるいは自民の保岡先生等がお答えになりまして、合同審査会の在り方がかなり論議になったと、こういうふうに理解をしております。  実は、私もあのときまで少し誤解をしておりまして、合同審査会というのは三年の改憲原案の凍結以後、改憲原案が出てきた後の話だと実は私は思っていたんです。改憲原案が三年後出されて、そしてその審議について合同審査会が設置をされる、そして勧告権が行使されると、こういうふうに展開をするものかなというふうに思っておりましたら、これ間違いでありまして、条文も、その後私法制局にもよく聞いたんですけれども、そうではなくて、この三年間の調査期間内においても合同審査会は設置ができるし、勧告権は行使ができると。あれは憲法改正原案に関してということでありまして、つまり憲法改正にかかわりのあるものであれば何でもその調査の対象になると、そういうふうに読むんだそうです。  そうしますと、調査と称してとにかく合同審査会をやろうと思えばやれると、勧告権も行使できると、こういうことなんですね。この合同審査会というのは、正に今回の国民投票法案の一つの妙味でありまして、それぞれ両院に憲法審査会はあるけれども、それを調整する、あるいはつなげる、そういう場。だから、これだけ見ますと、本来は両院の憲法審査会が言わば主たる論議の場みたいなんですけれども、この間の四月の二十六日の論議を聞いていますと、どうもそれが逆転していて、合同審査会の議論がむしろ主になって、そこで基本的なことが調整されて、そしてそれを受けて今度はそれが両院の憲法審査会に下りていく、こういうふうな構図が非常に浮かび上がってきた。  そうなりますと、先ほど高見参考人あるいは隅野参考人もおっしゃったけれども、これは両院制の正に否定ではないか、合同審査会がフル稼働して二院制が事実上否定されるんではないか、こういう思いは本当にやっぱり説得力を持って私は迫ってきたんです。  しかも、あのときの論議を聞いていますと、一体どこから論議を始めるか、どこを調査の対象にするか、どういう方法で練り上げていくのか、これみんなある程度議論して、煮詰まらなかったら合同審査会を開いて、そこで調整をして、そして今度はそこで決まったものを両院に下ろしていくと。こういうことだと、正にここが司令塔だという思いが非常にするんです。私は、ここまで来ますと、やっぱりこれはちょっとおかしいんではないかという思いがしました。  最大の妙味がある意味では最大の言わば欠点というか、になるわけでありまして、ここが正に評価の分かれ目なんです。  そこで、自分で講釈して先生方に聞くのも大変恐縮なんですけれども、改めて合同審査会の何が、なぜ問題なのかということを、高見参考人小林参考人からそれぞれ、両雄でありますんで、簡潔に整理をしてお述べいただければ有り難い。
  139. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 何度も申しておりますように、両院制の持っている基本的な哲学ですね、つまり時間の中で同じものを別の角度から、あるいは世論の反応いろいろあるわけですけれども、そういったものを踏まえながら深めていくというのが本来二院制の持っている機能ですし、哲学だと思うんですね。それに対して、それを打ち破るというところに非常に一番の危機感を持っているということです。
  140. 小林節

    参考人小林節君) 両院制というのは、繰り返しますが、別々に議論して最後は一つ国会としてまとめることでございますから、協議会があることは私はいいと思うんです。特に、憲法改正については壮大なる国民的合意ができないとどうにもならない問題ですから、使えるときに使うことはいいと思います。  そして、むしろこの手続を作ることで争っていただくよりも、憲法って何ですか、国民が権力を縛るものなのか、長期政権が国民大衆を縛るものなのかとか、それから九条規定して歯止めにすべき事項を法律に丸投げにしてしまっていいんでしょうかとか、権利と義務がどういう関係にあるんでしょう、そういうことをむしろ参議院の良識において、もし仕掛けられたら、両院合同審査会で、逆に、つまり衆議院に抑え込まれるとお考えになるんではなくて、説得力で誤解が広がる前に止めるということも、つまり廊下があるということは、向こうからこっちにも来るんでしょうけど、こっちから向こうに行くこともできるわけですから、そういう使い方をお考えになったらいいんではないかと僣越ですけど思います。
  141. 近藤正道

    近藤正道君 是非将来そういうことになりましたら、今、小林先生がおっしゃられたことを常に頭の中に置きながら頑張りたいというふうに思います。  今回、ここの国民投票法案のところで非常に問題になっているのは、憲法九十六条は非常に簡単に作られていると。そこに、九十六条に書かれていない最低投票制度の問題だとか、あるいは両院協議会の問題だとか、あるいは今の合同審査会あるいは勧告権の問題もそうです、そういう書かれてないことをめぐってどうすべきなのかということで今いろいろ争っている。  私は、基本的に憲法は、やっぱり硬性憲法ですから、よりいろんなチェックをはめ込んで、簡単に改正できないように、むしろチェックのところを非常に重視をして、抑制のところを、基本的につくられているなというふうに思うんです。ところが、今議論になっております最低投票だとかあるいは両院協議会だとか合同審査だとか、こういうものは全部憲法に書かれてない。書かれてないことを、言わば僕は与党の皆さんも、民主党案もそうなんですけれども、全部チェックの方向ではなくて議論をまとめる方向で解釈してはめ込んでいる。私は、憲法の基本的な流れ、つまり硬性憲法で簡単に変えさせないようにしているという、こういう流れと私は逆行しているんではないかというふうに思えてしようがないんです。  本質的には非常に抑制的にできているのに、書いてないことを奇貨として、むしろまとめる方向にうまく解釈をしてはめ込むと。ちょっと御都合主義ではないかという私は基本的な思いがあるんですが、私の率直な思い、高見参考人小林参考人、どういうふうにお考えでしょうか。
  142. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 今の御意見、ちょっとよく分からないところがございまして、確かに九十六条は、一応のというか基本的な要件は定めております。ただ、それをどう動かすかについては、やはり今ここで御審議なされております法案法律ですね、法律で決めていく以外ないわけですね、細かいところは。ですから、最低投票率の問題は正にそのとおりだと思います。  これは、私の考え方ですと、やはりこの会議体がそうですけれども、定足数の定めがなくて会議が成り立っているのかどうか、成り立つのかどうか、定足数に定めがなくてそもそも会議体というものの存在というものがその性質上考えられるのかどうか、観念的に。国民審査もやはり同じでありまして、最低これだけの人が投票所に足を運んで投票、票を投じた、あるいは賛成、反対の票を投じたというその目安ですよね、最低限の目安を、つまり成立要件ですよね、可決の要件を言っているわけじゃなくて、成立の要件を言っているわけなんです。  だから、それぐらいは立法というか法律で定めておいて、これは憲法改正について国民の承認があったという、憲法は要求しているわけですから、国民の承認があったと言うためにはどれぐらいの数が必要かということについて書くということは、これはおのずと法律で定めることができるし、むしろ定めるべきであるというふうに考えられるわけですね。そこを要求している。  だから、憲法七十九条で、先ほど最初のところで申しましたけれども、国民審査についてやはり余りにも数が少ない形で罷免というのが成立するのはおかしい。だから、国民審査というのが成立する最低限の投票率、これは定めておきましょうというふうに法律で決めたわけですね。それと同じ発想で九十六条のやはり今法律の整備ですよね、その段階でやっていくというのは当然ですね。  だから、そういうふうに考えていきますと、これはどうなんですかね、別に要件を厳しくしているというそういう話ではなくて、当然その法律で今定めておかなくてはいけないことを実は皆さん議論されているんだろうし、マスコミの方たちやその世論の中、最低投票率ぐらいは設けろというのはそういう趣旨だと理解しています。
  143. 小林節

    参考人小林節君) 九十六条が硬性憲法を定めているにもかかわらず、どうも今の法案審議は改正しやすいように話がまとまっていくと、先生の御観点からいけばそうだと思います。ただ、私は、それは法律事項だから御自由にという観点なんですが、ならば、なおさら今の状況を先生が心配しておられるなら、先生も御専門家の弁護士なんですから、手続論でこんなところで抵抗せずに、むしろ内容論で護憲、例えば先生の政党福島みずほ党首の二十四条の本なんて、私読ませていただいて本当に目からうろこでした。ですから、そういう実質的な護憲論で闘われるべきときではないかと思います。  以上でございます。
  144. 近藤正道

    近藤正道君 今は無効訴訟をテーマとした参考人質疑をやっているわけですから、私が聞いているわけで、そういう言い方はそれはないですよ、それは。じゃ、聞けなくなっちゃうわけですから。  それで、もう一つ、せっかく高見参考人最低投票率の話をされましたんでちょっとお聞きしますけれども、先ほど最低投票率の必要に言及されたときに、こういう形で最低投票率を持ち込まない、設けないで決着させるとこれ無効訴訟の対象になる余地があると、こういうふうにおっしゃいました。この言わば論理をお聞かせいただけますか。
  145. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 僕がそれを言いましたか。
  146. 近藤正道

    近藤正道君 あっ、隅野参考人ですか、済みません、間違えました。
  147. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 最低投票率の問題は、国民投票における過半数の承認、そこの中に既に含まれていると言ってよいと思うんです。この法案は有効投票総数の二分の一以上というふうにしましたが、学説にあるのは有権者総数の半数であるか、あるいは文字どおり投票総数の過半数であるかということですが、投票総数の過半数が今までは学説上は多かったんですが、その場合は必ずと言っていいほど最低投票率を設定するということを言っていたと思うんですね。  しかも、御存じの一九八七年の韓国憲法とか、あるいはロシアの一九九〇年代の国民投票法などでは有権者の過半数の投票率というのを設けているところで、ですから無効訴訟との関係でいえば、やはり憲法九十六条の国民投票における過半数の承認、そこの中に一〇%台、二〇%台で過半数ということにはならないはずですね。国会議員の発議について三分の二という固い、重い枠を置いているわけですから、国民投票における過半数という場合には、やはり最低投票率というのが当然に含まれてくるというふうにとらえています。
  148. 近藤正道

    近藤正道君 時間が押していますので、あと一つ。じゃ、隅野参考人にお尋ねをいたしますが、最低投票率議論がこの委員会でももう本当にしばしば行われておりますが、最低投票率を持ち込んだときの一つの弱点としていわゆるその民意のパラドックス、これをどうするんだという、そういう議論がありまして、それを克服する方法として絶対得票率という、そういうものとの併用を指摘する声もありますが、これについてはどのような所見をお持ちですか。
  149. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 質問の趣旨を十分理解し切れてないんですが、まあ普通に議事録なんかを読んでいてボイコット論とかいろいろなところが出ていますが、基本は主権者である国民の改正権の発動なんですから、そこを信頼する以外にないであろうということで、しかも国民投票として改正権の重要な要素である、そこが極端に低いパーセンテージで成り立つわけはないというふうに思いますね。それゆえにこそやはり裁判所の無効訴訟の中にもつながっていく問題として考えておかないとならないだろうというふうに思います。
  150. 近藤正道

    近藤正道君 ありがとうございました。終わります。
  151. 長谷川憲正

    長谷川憲正君 国民新党の長谷川憲正でございます。ありがとうございます。  今日テーマになっております両院の在り方及び国民投票の無効訴訟等についての御意見、承らせていただきましたし、各委員から適切な御質問が既に続いておりますので、私、そのことを重ねてお尋ねするつもりはないんですけれども、先ほど小林参考人から仁比委員近藤委員に対して入口、手続の議論ではなくて中身で勝負したらどうだという挑発がございましたので、私、両委員とは立場を異にしまして改憲立場にある人間でございますけれども、一言申し上げたい。  それは、手続と中身とは確かに別だという見方もあるんでしょうけれども、現実はそんな生易しいものじゃないと私は思うんですね。だから手続でこういう議論になるんですよ。もし、その改憲の中身について、これ改憲するかしないかということも含めて意見の一致が見ていれば手続でこんなもめることないわけです。しかし、中身に入ったら、現実の政治というのはやっぱり数の力で動くわけです。  例えば、私は一昨年までは自民党に属している国会議員でございましたが、郵政解散の結果、自民党のやはり手続運営に不満を持ちまして自民党を離党をした人間であります。本当に自民党は立派な方々がたくさんいらっしゃって、尊敬する人一杯いるんですけれども、しかし党の運営ということになりますと非常に冷徹なものです。特に党議拘束というものがありまして、党の意向に反したことをした人間は党から追い出されるという現実があるわけです。参議院法案を否決をしても、衆議院を解散をしてひっくり返すわけですから。そういう状況の中で手続論議にこだわったり、あるいは場合によってまあマイクを引きちぎるなんというようなそんなこともういいことでないのはみんな分かっているわけですけれども、そういう事態が発生するということについてもそれなりの理解をしていただきたいなと、これはお願いでございます。  そこで、私、事のついでにお尋ねを申し上げたいと思いますが、そういう形で実際の議会の在り方というのは両院の間の力関係ということももちろんございますけれども、それ以上に実は内閣の立法府に対する現実的な優位ということがありまして、議会がなかなか本来の議会としての役割が発揮できていないのではないかということを私は非常に懸念をしているわけであります。これから憲法論議がますます深まることを大いに期待をしているわけでありますけれども、行政と、行政というか内閣に代表される行政でございますが、そのことと立法のかかわりについて一言ずつ御所見をいただければ有り難いと思います。隅野先生の方からお願いできますでしょうか。
  152. 隅野隆徳

    参考人隅野隆徳君) 行政立法、大変難しい問題ですが、全般的に見れば、二十世紀以来、行政権が拡大し立法議会が権威縮小していくという傾向が国際的に問題になるわけですね。しかし、行政が肥大化する、あるいはそれを構造改革などで小さな政府にしていくというふうに取っているものの、それでも軍事とか外交なんかではどんどん巨大化していくと。その中で、やはり近代憲法の原則を踏まえれば、立法権、立法議会が国民の意向を反映して進めていくということが民主主義の基本であるだろうということは確認しております。  特に、北欧から発展して、オンブズマン制度、議会オンブズマンというのが、やはり行政審議会とかいろいろな傾向を考え、民意の吸収ということをやっていても、結局それ自身がまた固定化し官僚化するということがあって、そこで議会オンブズマンというのが御存じのように欧米でかなり有効に作用し、日本でもそれなりの意味を持っているように思いますから、議会の役割というのはやはり重要で、そこを基本に置くことが近代憲法の原則じゃないかというふうに思っています。  ちょっと一般論で恐縮です。
  153. 高見勝利

    参考人高見勝利君) 二点指摘したいと思います。  一つは、今の御質問の中で一番多分念頭に置いておられることだと思うんですけれども、立法、つまり法律だと思うんですけれども、基本的に、立法過程において、内閣あるいは内閣の下にある霞が関というか官僚機構ですね、その関係が憲法に予定しているような形になっていないんじゃないかという御質問が一つあるわけですね。この問題は大変難しい話だと思うんですけれども、結局のところは、国会がいかに足腰を強くしてそういった立法をコントロールできるかということだと思うんですけれども。  ただ、この問題というのは、またもう一つ政党ですよね。政党で議院内閣と、これ二番目の論点になりますけれども、次、議院内閣制というシステムを日本国憲法は取っているわけですね。そうしますと、結局は国会と言わば内閣との間というのは多数政党、与党、連立の場合もありますけれども、で支え合っていくということになりますよね。そういう中で立法と内閣の間が機能するわけですし、立法自体がやはり政府提出という形に基本的になってくるわけで、それに対してどういうふうに政党とそれから国会がチェックを掛けていくか、あるいは自分たち考え方を通していくかということでもあろうかと思いますし、それから最近ではマニフェスト選挙ということで、むしろ国民を巻き込んだ形での議院内閣制の運用という形にますますなってきております。  そういう中で、やはり一番、僕がずっと憂慮しているのは、参議院とは一体どういうふうにあって、どういうふうな機能を果たしていくのかということをやはり一番考えなきゃいけないと思うんですね。そのことを是非、何というんですかね、そろそろ考えていただければというふうに思っています。
  154. 小林節

    参考人小林節君) 憲法改正に的を絞って話をさせていただくと、憲法というのは一番議会が内閣に対して力を発揮し得る領域であると私は思うんです。釈迦に説法ですけど、憲法って利権にならないじゃないですか。ですから、憲法に何かはまっている先生方というのは、中にマニアみたいな方がおられまして、そういう意味では、利権にならないということは、各縦割りの行政でどこかの省庁が頑張るというようなことが少ない分野でありますから、そういう意味では正に歴史的な政治決断の世界ですから、それこそ議会人が一番得意とすべきところだと思うんですね。  そういう意味で、今回の憲法改正論議を議会が活発になさることによって、先生が懸念なさる力関係も正しき運用先例ができるのではないか。  先ほど先生におしかりを受けた点について一つ言わせてください。  状況認識の違いなんです。つまり、議会で手続論で抵抗するのは手段として分かります。だけれども、そうしているうちに、反対者のいないところで、例えば家庭崩壊も青少年非行も全部憲法が悪いというような、そういう話が何千人集会で全国津々浦々進んじゃっているんですね。私はそうは思っていないんです。むしろ、この国の在り方全部が悪かったんで、憲法のせいではないと思うんです。それを何でも憲法のせいにして片付けようというふうな話が進んでいるのをどうして護憲派の方が止めないのかということなんです。そういう意味で、手続論争と同時に実体論争も活発にしていただきたいという趣旨なんです。言葉じりは御無礼しました。
  155. 鈴木利治

    参考人鈴木利治君) 国会と内閣の関係という大変難しい御質問でございますが、本日御審議いただいている法案はこれ議員立法というふうに伺っておりますが、本来は、立法府というくらいですから、議員立法が八割で政府提案が二割というようなところであれば国会が大いに独自性を発揮すると、こういうことになるんでしょうが、これは、新規の法案を作るときに予算などが関係してくるという法案がどうしても多いんだろうと思いますし、そうなってきますと、やっぱり内閣提出の閣法というのが多いというのはこれはやむを得ないことかなというふうには思うんですが、先生方の英知を結集して議員立法というものを大いに盛んにしていくと。法律ができれば、その法律に従って内閣を始めとする行政府は運営せざるを得ないと、こういうことになっているということなんだろうと思うんです。  釈迦に説法で申し訳ありませんが、じゃ、なぜそれがなかなかうまくできないのかということになってきますと、これはいろんな原因があるわけでございますし、長谷川先生が自ら立法過程で体験された貴重なお話も冒頭承りましたが、そういうことも含めて、しかし、憲法上は、唯一の立法機関と、内閣は法案を提出することはできても、その法案が可決しない限り閣法というものは法律にならないと、こういう仕組みに基本的になっているわけでございますので、大いに国会ここにありということで多種多様な議員立法というものを作っていただければなと、こういう感想でございます。
  156. 長谷川憲正

    長谷川憲正君 大変ありがとうございました。  国会議員としてしっかり頑張ることをお誓い申し上げて、長時間の丁寧な御説明に感謝を申し上げまして、質問を終わりたいと思います。
  157. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 以上で両院の在り方及び国民投票の無効訴訟等についての参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々に一言お礼のごあいさつを申し上げます。  本日は、大変お忙しいところ貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。当委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。(拍手)  速記を止めてください。    〔速記中止〕
  158. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 速記をお願いします。     ─────────────
  159. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) それでは、昨七日、当委員会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。  まず、第一班の御報告をお願いします。中川雅治君。
  160. 中川雅治

    ○中川雅治君 第一班につきまして御報告いたします。  派遣委員は、関谷勝嗣委員長、広田一理事、岩城光英委員、野村哲郎委員、藤末健三委員、水岡俊一委員、鰐淵洋子委員仁比聡平委員及び私、中川雅治の九名であり、昨七日、福岡市において地方公聴会を開催し、四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。  まず、公述の要旨を御報告申し上げます。  最初に、社団法人日本青年会議所九州地区協議会会長植村敏満君からは、国民投票の対象について、国政の重要事項も対象とすべきとの考え方もあるが、我が国は代議制を採用しているので憲法改正に限定すべきである、投票権者の年齢について、世界の多くの国では投票権年齢が十八歳以上とされており、また、現在の社会情勢を考慮して十八歳以上とすべきである、最低投票率に関しては、憲法に明記されておらず、またボイコット運動を誘発するおそれもあるから不要である、公務員教育者地位利用による国民投票運動については、憲法十五条第二項で全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない旨定めていることからも禁止すべきである、国民の多くは情報収集を報道に依存しており、報道が客観的になされないと国民が正確な判断ができない可能性があるので、メディアに対する規制は実施されるべきであるなどの意見が述べられました。  次に、福岡県議会議員清田信治君からは、国民投票法制制定に当たっては、公正、中立、公平な制度を構築すべきである、国民投票運動の自由は十分に保障し、公務員政治活動制限規定適用除外を認めるべきである、広告放送に関して、国民投票の期日十四日前から規制することとされているが、投票日直前は議論は最も活発となる時期であり、このような制限は表現の自由と抵触するおそれがある、投票権年齢の引下げに関して、民法や公職選挙法関連法制の検討に際しては、パブリックコメントやパブリックインボルブメント等の手法を導入して国民意見を取り入れるべきである、最低投票率に関しては、法律の条文に規定できない場合でも政策目標として導入すべきであるなどの意見が述べられました。  次に、西日本工業大学理事・女性と教育の未来を考える会代表梁井迪子君からは、国民投票法制を整備して国民憲法改正の権限を手に入れたと意識できるようにすることは私たち主権者の責務である、投票の対象は憲法改正に限るべきで、一般的な国政問題は国会に託している、投票権者の年齢について、国の未来を担うという観点から十八歳以上とすることが重要である、公務員もまた主権者の一人であり意見を述べる場が必要である、広報については、丁寧にいろいろな媒体を通じて実施する必要があるが、その前提として憲法教育を徹底していくことが重要である、最低投票率は認めない方がよいなどの意見が述べられました。  最後に、福岡大学名誉教授石村善治君からは、憲法改正国民主権の行使としての憲法上の行為であることを強調したい、法案第百二十六条に定める投票総数の過半数による国民の承認に関しては、憲法制定権と並ぶ国民憲法改正権の原則から有権者の過半数とすべきである、最低投票率について、現代の投票行動から見て、低投票率で憲法が改正される状況を避けるためにも定めるべきである、公務員教育者国民投票運動に対する規制については、あいまいかつ広範であり、言論活動に対する威嚇効果、萎縮効果が大きい、資本力や財力に左右される広告放送投票前十四日まで自由に行えるのは問題であり、その意味で、一般国民が直接行う演説、集会、ビラの展示、配布、行進、インターネットの言論活動はより保障されなければならない、立法の不作為が問題になるのは、国民の具体的な人権ないし権利侵害が明白に現存するにもかかわらず国会立法作業を放置している場合であるなどの意見が述べられました。  公述人意見に対し、各委員より、国民投票法制制定に対する公述人の認識、憲法改正がこれまで発議されなかった理由、原則十八歳の年齢要件と関連法律等との整合性、最低投票率を定める意義、導入の是非、公務員教育者地位利用規制意見表明の関係、公務員憲法尊重擁護義務と投票運動との関係、メディア規制の在り方、法案成立後施行まで三年間猶予を置くことに対する公述人の認識など多岐にわたる質疑が行われました。  会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。  以上で第一班の御報告を終わります。
  161. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) 次に、第二班の御報告を願います。簗瀬進君。
  162. 簗瀬進

    ○簗瀬進君 札幌地方公聴会派遣報告、第二班につきまして御報告いたします。  派遣委員は、団長の舛添要一理事、岡田直樹理事、前川清成理事、荻原健司委員、山本順三委員津田弥太郎委員、山下栄一委員近藤正道委員長谷川憲正委員及び私、簗瀬進の十名であり、昨七日、札幌市において地方公聴会を開催し、四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。  まず、公述の要旨を御報告申し上げます。  最初に、株式会社自由広報センター取締役武谷洋三君からは、国民投票法憲法施行の直後に制定されるべきであったと考える、国民投票の対象については、憲法が間接民主制をうたっていることや、ポピュリズムに陥ることを避けるため、憲法改正に限るべきである、また、投票権年齢を十八歳以上とすることについては、少子化の中で若者の責任感が高まると考えられ賛成であるが、教育も必要である、公務員教育者は影響を及ぼしやすい立場であることから地位利用の禁止に賛成であるなどの意見が述べられました。  次に、北海道大学大学院教授山口二郎君からは、行政府による事実上の憲法改正について国会議論してもらいたい、また、国民投票法では公職選挙法規定が準用されているが、人物を選ぶための選挙とは異なるので、一年くらい掛けて幅広い観点から公平に議論できる制度が必要である、さらに、断片的なスローガンやイメージに基づいた憲法改正は避けるべきであり、そのためにはテレビを利用した意見広告ではなく活字メディアを活用すべきである、投票運動で何をしてよく、何をしてはいけないのかをあいまいにしておくと行政府が恣意的に統制しかねないなどの意見が述べられました。  次に、越前屋法律事務所所長・弁護士越前屋民雄君からは、国民投票法制定の機運が高まっている今こそ制定してもらいたい、また、国民投票の対象については、憲法が間接民主制を原則としていることや、諮問的であっても国会に大きな影響を及ぼすことから、憲法改正に限るべきである、投票権年齢を十八歳以上とすることについては、議論が十分とは言えず、慎重な検討が必要である、さらに、憲法に何を加えるべきかを早急に検討すべきであるなどの意見が述べられました。  最後に、弁護士小坂祥司君からは、国民投票で棄権が多い場合には国民の意思が確認できたとは言えず、一定の得票率が必要である、また、公務員教育者地位利用に関する規定公務員政治活動制限に関する規定運動規制としては厳しいのではないか、さらに、無効訴訟の管轄が東京高裁に限られているため地方在住者には不便である、当初案で提訴裁判所が限られていた情報公開法で、最終的には全国の裁判所に提訴ができるようになったことを参考にしてもらいたい、投票率が低かったことを理由とする無効訴訟を認める必要もあるのではないかなどの意見が述べられました。  公述人意見に対し、各委員からは、憲法制定権力の担い手である国民にとって国民投票法制定することの必要性投票権年齢と刑法や少年法の改正との関係、新憲法制定を求める立場から見た憲法問題点、重要問題国民投票のポピュリズム性を懸念する立場から見た憲法改正国民投票の評価、国民の意思を反映するために最低投票率を設定する必要性国民投票において憲法改正の限界を超えることが可能か否か、憲法審査会は憲法改正手続法の公布後三年以内でも憲法改正原案の基本をまとめてもよいとの意見に対する見解、最低投票率を設定することは憲法上疑義があるとの意見や、国民投票法を単なる手続法とみなす意見に対する考え方公務員政治活動制限に関する規定が残されていることに対する見解、テレビを利用した意見広告についての考え方、絶対得票率の設定の是非及び民意のパラドックスを回避できる可能性憲法改正の限界と司法権との関係、郵政解散の実例から見た重要問題国民投票制度の必要性憲法改正議論が深まっていないとする意見についての感想など多岐にわたる質疑が行われました。  会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。  以上で第二班の御報告を終わります。
  163. 関谷勝嗣

    委員長関谷勝嗣君) これをもって派遣委員の報告は終了いたしました。  なお、地方公聴会の速記録につきましては、これを本日の会議録の末尾に掲載することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時十二分散会      ─────・─────    〔参照〕    福岡地方公聴会速記録  期日 平成十九年五月七日(月曜日)  場所 福岡市 ホテル日航福岡    派遣委員     団長 委員長      関谷 勝嗣君        理 事      中川 雅治君        理 事      広田  一君                 岩城 光英君                 野村 哲郎君                 藤末 健三君                 水岡 俊一君                 鰐淵 洋子君                 仁比 聡平君    公述人        社団法人日本青        年会議所九州地        区協議会会長   植村 敏満君        福岡県議会議員  清田 信治君        西日本工業大学        理事        女性と教育の未        来を考える会代        表        梁井 迪子君        福岡大学名誉教        授        石村 善治君     ─────────────    〔午後一時開会〕
  164. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) ただいまから参議院日本国憲法に関する調査特別委員会福岡地方公聴会を開会をいたします。  私は、本日の会議を主宰いたします日本国憲法に関する調査特別委員長の関谷勝嗣でございます。よろしくお願いをいたします。  本日の地方公聴会に参加しております委員を紹介をさせていただきます。  まず、私の右隣からでございますが、自由民主党の中川雅治理事でございます。  同じく自由民主党岩城光英委員でございます。  同じく自由民主党の野村哲郎委員でございます。  公明党の鰐淵洋子委員でございます。  次に、私の左から、民主党・新緑風会の広田一理事でございます。  同じく民主党・新緑風会の水岡俊一委員でございます。  同じく民主党・新緑風会の藤末健三委員でございます。  次に、日本共産党の仁比聡平委員でございます。  次に、公述人方々を御紹介申し上げます。  社団法人日本青年会議所九州地区協議会会長植村敏満公述人でございます。  福岡県議会議員清田信治公述人でございます。  西日本工業大学理事・女性と教育の未来を考える会代表梁井迪子公述人でございます。  福岡大学名誉教授石村善治公述人でございます。  以上の四名の方々でございます。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様方には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございます。  当委員会におきましては、目下、日本国憲法改正手続に関する法律案審査を行っておりますが、本日は、本案について皆様方から広く御意見を承るため、当地において地方公聴会を開会することとなった次第でございます。  皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いをいたします。  次に、本日の議事の進め方について申し上げます。  まず、植村公述人、清田公述人、梁井公述人、石村公述人の順序でお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員質疑にお答えをいただきたいと存じます。  それでは、これより公述人方々から順次御意見をお述べいただきます。  御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず植村公述人、お願いをいたします。
  165. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) 私、社団法人日本青年会議所九州地区協議会会長をいたしております植村でございます。  本日は、参議院日本国憲法に関する調査特別委員会の福岡地方公聴会が開催されるに当たり、公述人として意見させていただく機会をいただきましたことを大変光栄に存じております。  私が所属しております日本青年会議所は、全国で二十歳から四十までのメンバー約四万人が明るい豊かな社会の実現を目指し日々活動し、市民意識変革運動を展開をいたしております。また、私が所属をしておりますこの九州地区協議会には七十七の青年会議所がございまして、約四千八百名のメンバーの皆様とそれぞれの地域におきましてまちづくり・人づくりの事業を展開をいたしておるところでございます。  日本青年会議所内におきましても、本法案に関する意識は高く、私どもといたしましても日本国憲法JC草案を独自に作成をさせていただき、改憲に関する意見も出させていただいておるところでございます。また、改憲に関しましては賛成の立場を取らせていただいている、そんな団体でございます。  日々活動をいたしております市民の皆様と同じ目線である私ども青年会議所、その一人のメンバーとして本日は御意見をさせていただければというふうに思っております。  さて、本日御意見させていただく国民投票法案でありますが、日本国憲法第九十六条に記されているとおり、憲法改正のためには不可欠な手続法であるという観点から述べるならば、至極当然のことと考えておる次第であります。一部には、国民投票法案イコール平和憲法改憲という議論がなされておりますが、議会制民主主義を取る日本国でありますので、改憲議論は、市民の代表であり、かつ民意を国政の場で反映していただいておる代議士の先生にお任せするべきであると考えておる次第であります。そして、その国会意見を受け、国民が判断し、主権を行使するのがこの国民投票法であると認識しておるところでございます。私といたしましては、本法案に関しましては、与党提出の修正案に賛成の立場を取っておる市民の一人でございます。  本法案論点に関しましては多数あろうかというふうに思いますけれども、本日は、五つの論点に関して意見を述べさせていただければというふうに思っております。  まず第一点目といたしまして、国民投票の対象でございます。  先ほど述べましたとおり、我が日本国は議会制民主主義、代議制を取っておるわけでございます。本法案に関しまして一部民主党案に国政上重要な案件に関しましても国民投票にしてはどうかという提案がございましたが、それに関しましては国民の代表である代議士に任せるべきで、憲法改正などの国民に問うべき案件に関してのみ国民投票によって是非を問うことが当然のことと考えておる次第であります。  続きまして二点目でございますが、投票権者の範囲について述べさせていただきます。  国民投票法案の本則によりますと、十八歳以上と定義付けがなされております。これは、現行の公職選挙法や民法などをかんがみまして投票権は二十歳以上となっている点に矛盾をいたすわけでございますが、今回の国民投票法に関しましては、附則として関連法案整備まで二十歳以上とすると記載されていますので、その点に関しましてはこの矛盾点をクリアできるのではないかというふうに考えております。  また、世界各国の選挙権を有する年齢を見ていきますと、約八割が十八歳であるという現状もございます。今の日本国の社会情勢を見ていきましても、十八歳以上の国民に責任と権利を与え、日本国の国民として投票意識を十八歳から醸成していくことも今後国づくりの中で必要なことではないかというふうに感じております。  よって、本案件成立と同時に公選法、民法など関連する法案についても広く議論を行い、変えるべき法案はすぐにでも法整備に取り掛かるべきであると考えております。  次に、最低投票率に関して意見を述べさせていただきたいというふうに思います。  投票率の下限を設けて最低投票率を設定しようという議論があるわけでありますが、最低投票率に関しては現憲法九十六条には記載されていないわけでありますので、現憲法を守るという観点からも必要ないのではないかというふうに考えておる次第であります。  また、最低投票率を設けることによる一番のデメリットとして考えられる点に関しましては、憲法改正反対派のボイコット運動というものが考えられるのではないかというふうに思っております。白票並びに棄権についてもそれは民意の表れであるという観点から考えていきますならば、憲法改正という国民にとって非常に重要な主権行使を投票というその投票数のみで測るのはどうかというふうに考えております。また、世界各国の状況を見ましても、最低投票率を設定している国はわずかであることは皆様方周知のとおりかというふうに思っております。  次に、公務員、教員の地位利用による国民投票運動の禁止という部分につきまして意見を述べさせていただきます。  一国民という視点から考えるならば、公務員や教師といえどもあらゆる運動に対して制限はできないという考えもあるというふうに思いますが、公務員の役割については憲法第十五条二項に、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と既に憲法に記載をされているわけであります。特定の思想を持つ団体や組合等の力をもって国民あるいは生徒や学生に影響を与えることも危惧されるところであるというふうに思いますので、こちらに関しましてはやはり禁止をすべきではないかと、このように考えておる次第であります。  続きまして、広報の在り方、また組織的買収に関する件につきまして御意見をさせていただきます。  国民投票に至るまでには、国民の代表者が議論する代議の場である国会、この場において十分な議論がなされているはずであります。しかし、今の現状をかんがみますと、国会での議論内容とポイントを客観的な視点で国民に対して広報しているかどうかというと、そうではないように一市民として感じるわけであります。やはりこの国民投票という、本当に国民一人一人に問う中では、この広報手段については是非国会の場で更に議論をいただきまして、より広く国民一人一人にこの情報が届くような、そういう施策を是非お願いしてまいりたいと感じておるところであります。  また、マスメディアに対しても私は規制をすべきではないかというふうに感じておる一人であります。なぜならば、国民皆様方はマスメディアからもたらされるある意味一方的な情報や例えば新聞の社説など、そういったものがすべて正しいものとして理解をしてしまう、そういった可能性もあるんではないかというふうに感じておる一人でございます。そういう観点からかんがみていきますと、客観的に判断できる内容報道でなければ正確な判断ができかねるというふうに考えておるわけであります。  また、公選法にあるように、組織的買収に関しましても国民投票法において法整備による規制が不可欠であると感じております。各部において法規制による罰則を定義しなければ正確な民意を測ることはできないのではないかというふうに感じておる次第であります。  まだまだ論点はいろいろとあろうかというふうに思いますけれども、私、この青年会議所という立場から一国民として、五つの点について意見を述べさせていただいたところであります。  戦後六十二年たった今でも、日本国憲法公布六十年たった今でも、GHQ占領政策の中で公布された憲法であるということを忘れてはならない一人であります。この国民投票法というきっかけから、国民一人一人が日本に誇りを持ち、この国を愛することができるような、自国の自国民による自国民のための憲法制定を望んでおる一人であります。それが主権を持つ自立国家、この日本国の戦後レジームからの脱却へつながると確信をいたすところであります。  以上、簡単ではございますが、私の意見とさせていただきます。  御清聴ありがとうございました。
  166. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、清田公述人にお願いいたします。
  167. 清田信治

    公述人(清田信治君) 初めに、与党と民主党の修正協議が決裂したからといって衆議院本会議で採決を強行していいものなのか、一政権の政治的思惑に左右されてはならない重要法案、それが国民投票法案である。  冒頭、思いを凝縮し、指摘させてもらいながら、憲法改正手続を定める国民投票法案は参議院審議、未整備だった国民投票法も早ければ五月十一日に成立する見通しとのシナリオが報道されたことに対して、この公聴会の意義は参議院で十分審議を尽くすことにあり、そのために公聴会がある。その公述の機会を設けていただいたことに心から感謝しています福岡県議会議員の清田信治です。どうぞよろしくお願いいたします。  たかが手続法案、されど手続法案、今国会の論議はこの二つに分かれています。それはなぜか。論議は憲法の中身ではなく単なる技術的な手続法案にすぎないとの考え方と、一方、将来なされるであろう憲法改正、国の在り方を決める重要な意義を持つ改憲への一里塚との考え方に分かれているからです。憲法改正の世論結果は数多く出ていますが、国民心理としてこの世論を分析されたことはおありでしょうか。  私は、この法律が、国会が発議する憲法改正案賛否主権者国民に問い掛ける極めて重要な法案であるとの強い認識から、民意を酌み取り、順序を間違えることなく、公正、中立、公平、平等の制度になることを強く望みます。  しかしながら、残念ながら、今回の国民投票法案は、改憲派からも護憲派からも加憲派からも問題点の指摘が相次ぎ、見切り発車の感あり、生煮えと受け止めてしまうのは、合理性を疑問視する規制基準と制度の不備、附則の多さからではないでしょうか。  以下、問題点、改善点の提言です。  基本は、国民一人一人の意識が的確に反映される制度にその精度を高めることにあります。  一点目は、国民投票運動が正しく民意を反映し、保障されるものでなくてはならないという点です。そのために、公務員への規制の適用を除外すべきです。  今、法治国家と安全神話が崩れている現実があります。私の住む町久留米も例外ではなく、治安にベストを尽くすがワーストの町と呼ばざるを得ません。今も暴力団の内部抗争・発砲・爆破事件で、昨年五月以来、二十四時間、組事務所周辺の住民は警察官に守られています。  そこには、公務員や自営業など職種の区別なく、男女の別なく、子供、大人の年齢区別なく、すべての市民が暴力追放にイエスかノーかという市民運動の現実があり、その成功は、すべての市民の声が反映するかがかぎとなっています。この運動規制する人はだれ一人としていません。  正に国民投票法案も、憲法改正にイエスかノーかという国民運動国民の声がいかに反映されるかが憲法改正賛否のかぎとなります。今、私たちの町久留米が行っている運動と全く同じ中身です。つまり、憲法を変えるかどうかは国民が決める問題、国民の選択が行方を左右する、その明確な意識を持った国民投票法案でなければならない。そのために、選挙と同様に、公務員法上の政治活動規制という選挙法規に関する憲法上の原則が国民投票にも当てはめられた場合、勤務時間外に一市民としての投票運動ができないことは排除しなければなりません。  第九条問題など、マスコミ報道で先行される内容の是非を問う世論調査市民運動などが、現時点では運動の対象が存在しないため規制を受けませんが、憲法改正案が発議されたら規制される。しかも、公務員教育者だけが規制されるおかしさが生まれる。基本的人権が連続維持できなくなる。つまり、人権の否定にもつながります。ましてや、職種によって人格権の否定にすらつながりかねません。政府案にはその問題が含まれていると思います。自由な論議をすることの制限はしてはいけません。だからこそ、公務員政治的行為について制限規定の適用を除外することが妥当だと考えます。  むしろ、広報活動を歓迎すべきではないでしょうか。選挙と国民投票は、投票という行動において同一性であっても、内容は、元々、間接民主主義の代弁者として議員を選ぶ公職選挙と直接民主主義としての憲法改正に関する国民投票の趣旨は全く違います。  憲法遵守を宣誓している公務員憲法問題を公正、中立に提起し論議している教育現場でこそ活発に意見表明運動が起きることが将来にわたって国の健全な発展につながる、そう考えます。  二つ目は、そのためにも、報道機関に対する規制の在り方についてです。  メディア影響力が大きいことは、二〇〇五年九月十一日の衆議院選挙でも明らかになっています。選挙戦術とメディアの強い影響力を実感したところです。一年後の復党問題など、国民は裏切られたとの思いを持つ人も少なくありませんでした。  本日、フランスではサルコジ大統領が誕生しましたが、そのフランスにおいてEU批准を行う国民投票にあって、採択の一年後に実施され、七〇%という高い投票率であったことを加味すると、周知期間の更なる延長を考慮することは有効であると考えます。  三点目は、周知期間の延長と連動した報道機関の規制の在り方、緩和についてです。  法案百五条で、何人も国民投票の十四日前から投票日までは広告放送をすることができない条文になりましたが、国政選挙においてさえ投票日の放送しか規制されていません。国の根幹を決める憲法改正論議は、投票日直前が最も活発な論議となると予想されます。この時期の表現の自由な活動を抑制することにならないか、憲法に抵触しないか、更に議論を深める必要があると考えます。  四点目は、国民投票の対象と投票権年齢に付随した問題についてです。  一つは、政府案では、あくまで日本国憲法第九十六条の実施法で、憲法改正国民投票のみを対象とするという点です。しかし、憲法改正の対象となる問題について、第九十六条の周辺に位置すると考えられることには、必要な措置を講ずる、検討という附則が設けられています。いわゆる問題の先送りと指摘される、憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題についての国民投票制度に関し、その意義及び必要性の有無について必要な措置を講じるという内容です。この附則を外すために、民主党が修正案で出している統治機構に関する問題、生命倫理に関する問題、その他国民投票の対象となる問題として別に法律で定める問題などを参議院で十分に審議する価値があると思うのは私だけでしょうか。検討を附則したのではなく、検討不足とやゆされても仕方ないのではないでしょうか。審議を尽くす中でメディアへの規制が随分と改善されたのと同様、国民投票法案成立過程での説明責任を果たすことにつながると考えます。  もう一点が、投票権年齢に付随した国民投票法案の周辺問題です。  今後、国民投票法が成立したと仮定したならば、公布の日から施行されるまでの間、改正が必要な法案が官僚主導の法案誕生とならないのか心配です。法律を改正すると、それまであったすべての法律を新しい法律の中に吸収合併しなければならないという思いが行政には強く、官僚にしかできない部分と自負があるのも現実です。代表的な民法などの十八歳、二十歳問題など、三十以上の法律改正が必要と聞き及んでいます。既存の法律と改正案との整合性を逐一チェックする主導権も、法制局ではなく、民意が反映できる仕組みをつくるべきです。そうしなければ、法律国民のアイデンティティーを二分する可能性すら十八歳、二十歳問題にはあります。それが国民投票法案の周辺問題です。  問題の是非を問うとき用いられる手法、パブリックコメント、パブリックインボルブメントも取り入れるのも一考と考えます。それが、国会が準備したのではなく、国民のオーダーメードの法律になります。そのことで憲法改正の中身の是非を問う国民意識も高まります。  最後に、期日前投票最低投票率問題に関しての提言です。  国民投票について、投票権や一人一票、立会人を置くなど、選挙を参考にした国民投票法案になっているものの、選挙で改善された投票方法、期日前投票論議が全く起きませんでした。選挙と国民投票の中身の違いなのか。期日前投票の是非とその根拠を参議院で明らかにしていただきたい。  さらに、最低投票率問題についてです。  近年続く選挙での低投票率は、国民という主権者の国家経営に関する委任状と取るのか、政治への無関心、国家への不信、あきらめと取るのか、見方が分かれるところです。この低投票率が最低投票率五〇%論議が生まれた一因だと思います。法律案には定めなくても、政策目標として投票率を決め、実現に向け努力するよう別途定めるなど、国民の注目が集まる制度設計、設計強化をすることも検討の価値があると。私も選挙で低投票率に悩む立場からの提言です。  以上、参議院への期待を込め、問題点、改善点の指摘と提言は、二院制としての参議院の本領発揮、その思いからとどうぞ御了承ください。基本的に、憲法は本来、国家の権力濫用を制限し、国民の人権を保障するという立憲主義の考えが根底にある地方議員からの清田信治の公述を終わります。  御清聴に心から感謝いたします。
  168. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、梁井公述人にお願いいたします。
  169. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 梁井迪子でございます。  本日は、このような機会をいただきましたことを、本当にありがとうございます。  初めに、私の立場を述べさせていただきたいと思います。  私は、大学で児童心理学を専攻し、その中でたくさんのお母さんたち、母親たちと出会ってまいりました。子育てにはもちろん父親や周辺の方々の力が大切ですが、何よりも母親が母親として、また一人の女性として希望を持ち、自信を持って子供と向き合っていけることが大切だと痛感しました。そんな思いから私は女性学の方へ進んでいきまして、福岡市の女性センターの館長を十年近く務めました。一九九九年に、男女共同参画社会基本法成立を前にして私は退官いたしましたけれど、今もそのころの仲間たちと女性の生き方、それから教育の在り方について学び合い語り合っています。その中で私たちは、教育基本法の問題、それから女性の共同参画の遅れている現実、それから働き方の問題、そういうことを、本当に私たち法律ということがどんなに大事かということをみんなで考えております。  本日は、法律の専門家でもないし政治家でもないし、どうだろうかと思ってちょっとちゅうちょをしましたんですが、公述人のうち三人の方が男性だから、あなたが出ないと女性がいなくなるとおっしゃいましたので、あっ、これは大変だと思って、女性として参画させていただくことにいたしました。  個人的には、私は振り返りますと、大学に入学したのが昭和三十年、いわゆる五五年体制が始まったときでした。護憲改憲論争が、私は九州大学ですが、本当にそういう論争の華やかな大学でして、もう非常にそういう論争が盛んなときでした。そういう中で学び、大学卒業をしたのが昭和三十四年、安保改定阻止の国民会議が結成されたときでした。たくさんの女性の団体もこの国民会議に参加しております。その後、大学院、大学教官として過ごしたのは、大学じゅうが揺れ動いた安保阻止の学生運動の真っただ中でした。  今、こうして憲法改正のための国民投票法案について考える場に加えていただきましたこと、この法案が集団的自衛権、すなわち世界の中で我が国の在り方の根幹にかかわっていることを思いますと、何か非常に自分の人生と重ねて運命的なものを感じ、ここはしっかり考え発言しないといけないと思いまして、友人たちとも集まっていろいろ話してまいりました。  そこで、まず憲法についてですが、私たち一般の市民市民感覚として、何か憲法は棚の上にあって私たちの日常生活から遠いもの、絶対的な権威の象徴で、縛られているのは自分たちだというように考えているように思います。学生とずっと出会ってまいりましたが、何か学生と憲法のことについて話し合ったというような記憶が余りないですね。そうではないということ、皆さんがこのたび言われていますように、憲法は政府、国会国民の意思を超えて勝手に動くことができないように、基本的な国のルールを明確にし、縛りを付けておく、そういう役割を持っているものだということですね。  今出されている改正法案では、まず全国会議員の三分の二以上の賛同を得た後に、国民投票で過半数の賛同が必要となっています。これは考えただけでも非常に厳しい条件です。こんな可能性の低い法案を作るよりも、今のままでも、集団的自衛権を含めていろいろなことを上手になし崩しに変えてきたのだからこのままでもいいのではないかという考え方、それから、もうとにかくこの憲法改正憲法を扱うということはいかぬと頭から決めている人たち、そういうような意見を周りでたくさん聞きます。  しかし、この憲法改正国民投票法案をきちんと整えて私たち国民のものに、きちんと国民のものとして国民が手に持っているということを意識すること、国民主権、主権在民を明確にすること、これが、我が国日本主権者は私たちですから、私たちの責務であると思っています。  法案内容一つ一つについては、与党の案、それから民主党の案、そういうものをいろいろ資料をいただきまして検討いたしました。国会で三分の二以上の賛同を得た後、六十日から百八十日以内で周知徹底させてから国民投票にかける。そして、過半数が必要であるということですが、有権者は国の将来を決めるのですから、先ほども皆さんもおっしゃっていましたが、先進諸国と同じようにやはり十八歳以上、国の未来のことですから、先進諸国もほとんど十八歳以上になっておりますし、十八歳以上とすることが大事だと思います。  有権者の中で公務員の広報活動だとかいうようなこともありましたが、私は、公務員も一国民ですから、十八歳以上が有権者になると同じように、公務員も有権者であり、公務員も同じように自分の意見をきちっと述べる場をもっと与えてもらえるようにしないといけないと思っています。  そういう状況の後で、最低投票率、これは決めない方がいいと思います。決めることで出てくるボイコット運動その他、私は非常におかしいと思っています。必要だ、反対だと思ったら、賛成だと思ったら、やっぱり周りの人を誘って選挙に行くべきだと思います。それをしなかったら、私たちのいわゆる民主主義、国民主権ということが覆されるのではないかと、危うくなるのではないかと思っております。しかし、そのためには本当に、皆さんもおっしゃっていましたように、広報は丁寧に丁寧に、大切に上手にいろんな媒体を使ってやっていただきたいと思います。  それから、特にこの期間だけ、たった六十日から百八十日以内だけで、さあ国民投票ですよというのではなくて、国民投票の意味、憲法の意味、そういうことをもっと教育の中からきちんと徹底して教えておくということが前提になると思います。それをした上で広報をきちんと、メディアリテラシーじゃないですけれど、整理していける力を十八歳から上の人、それから高齢者の七十歳から上の人も持てるように、そういう広報手段を考えていただきたいと思います。  それから、テレビラジオだけでなくて、新聞はもうしないでいいというような意見も出ていたように存じておりますが、私はテレビはもう本当に怖いと思っております。非常に、画面の映像の選び方でどんなにでも人の気持ちは動かせます。ですから、私も実は少しそういう仕事にもかかわったことがございますけれど、やはり新聞は不可欠だと思います。新聞できちんと文字を通していろんな意見を私たちは聞かせていただきたい、読ませていただきたい。そして一過性に流れるのではなくて、繰り返し見ることができる、そういう広報手段を徹底していただきたいと思います。  それから、国民投票の対象についてですが、国民投票の対象は憲法改正に限ってにしていただきたいと思います。その他の問題は国会に委託したいと思います。そのために私たち国民国会議員を我々の代表、我々の代理人として選んでいるのですから当然だと思います。  今回の法案、これは余分なことかもしれませんが、今回の法案作成は憲法九条と絡めて論じられています。憲法記念日の話を見ていても、全くこれを一緒にして、国民投票をすればイコール憲法九条が変わるというような、そういう形での報道の在り方を非常に私は危険だと思っております。与えられた憲法を自主憲法にする、そのとき、戦争放棄、戦力不保持の平和憲法と国際貢献や集団的自衛権をどうするか、本当に難しい問題だと思っています。  御存じのように、湾岸戦争の後にクウェート政府が出した感謝のメッセージの中に、百三十億ドルも出し、機雷掃海などをやっている日本名前もなかった、顔が見える国際貢献でないと意味がないというような論争もありました。  それから、私はまた大分前に朝鮮戦争があって、しばらくして韓国に行きましたときに、韓国で国連の墓地に行ったときに非常に胸が詰まる思いをしました。参加した国連軍の外国の旗がずらっと国連墓地に立っていますね。日本の旗はありません。もちろん、戦後の日本の状況ですから、その戦争に参加できなかったこともよく分かります。後方支援もしにくかったことも分かります。しかし、私たち日本は、その間にできないできないと言いながら、実は朝鮮特需で日本の経済発展の土台はそのときにできたんですね。やっぱり今、韓国の方たちと何か心のどこかにわだかまりを持っていかないといけないことの中に、私はやっぱりこういうことをもう少しきちんと、顔の見える国際貢献、顔の見える、そして謝って、戦争の責任も含めて、もう少しきちんとしないといけないと思います。  ドイツは憲法改正を戦後四十回以上もしながら、いかにして周辺の国々の理解を得るかということの努力をしてきたと聞きました。ベルリンなどに行っても、皆さん御存じのように、ホロコーストの人たちの祈念のお墓がとても町の真ん中にたくさん置いてあって、そこが私はもう本当に、ああこういう思いをきちんと表すことが大事なんだなということを非常に思います。  そういう意味で、私はやっぱり国際貢献の在り方ということは本当にもう少しきちんと考えないといけない、国連の在り方も含めて、国連の中で発言力を持つということもやっぱり大事ではないかと思っております。  その後も、北朝鮮の核やミサイルをめぐって日米同盟の在り方、集団的自衛権が問題になっております。憲法改正はこれを変えることと同義語のように唱えられています。  自分の家族や地域を大切にし守りたいと思うように、自分の国も大切にし愛し守っていきたいというのはみんなの共通の思いだと思います。特に女性たち、そして私も母親の一人として、またおばあちゃんの一人として、息子や孫を戦い、戦から守りたいと思います。戦争体験を持つ最後の一人として、ここは本当に考えどころ、正念場だと思っております。  九条の二項については、本当にもっともっと国民的な議論をしていきたい。そしてきちんと、もう少し条件を付け考えていかないといけないと思っています。その上で、国際貢献や集団的な自衛権の問題を私たち国民投票に諮って、国民の総意を測っていただきたいと思っています。  憲法改正まで、国民投票法案が成立して憲法改正案が出されるまでの三年間、具体的な条文だとかについて慎重審議をしていきたいし、国民としてそれをきちんと考え、学び、発言していくのは私たち自身の責任であると痛感しております。  今日はこのような場をいただきまして、本当にありがとうございました。
  170. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、石村公述人にお願いいたします。
  171. 石村善治

    公述人(石村善治君) 石村でございます。  私は、福岡大学の名誉教授として、福岡大学に四十年の間、憲法行政法の研究と講義をしてまいりました。その後、長崎県立大学の学長をしておりますが、専門は専ら憲法あるいは憲法の中の言論の自由という問題でございます。今日はこういう場で公述できますことを喜んでおります。  私は、日本国憲法の改正は国民主権の原理に基づくべきであること、それから、今回の参議院に上程されている日本国憲法改正手続に関する法律案は、国民主権の原理に適合しているかどうかということを精査することにすべきだというふうに思っております。  まず初めに、今回の改憲手続法案は、極めて早急に参議院に提出され、参議院審議が進められています。かなり多くの国民は、この改憲手続法案の提出が日本国憲法九条の平和原則、とりわけ第二項の戦力の不保持と交戦権の否認を削除するための改憲に直通しているのではないかと危ぶみ、そのことに大きな危惧を抱いていると思います。  このような危惧は、今回の改憲手続法案提出に当たって、政権与党の改憲方針がまずあって、それに従う形で衆議院参議院審議がなされ、次いで国民の意思はそれに従わされているという印象を多くの国民が持っているからではないでしょうか。この政権与党から議会を経て国民という政治の流れは、国民憲法を改正するという、憲法学的に呼ばれている憲法改正権力の力の方向とは全く逆の方向を向いていると言わざるを得ません。  本論に入ります。  まず第一に、日本国憲法第九十六条による改正は、国民主権の行使としての憲法上の行為であることを確認し、強調しなければなりません。  日本国憲法第九十六条は、憲法改正の要件として国民への提案、その過半数の賛成、国民の名による天皇の公布を定めています。第九十六条第一項及び第二項で用いられている国民という文言は、憲法改正憲法制定と並ぶ国民主権の基本的な内容であることを示しています。憲法改正は、憲法研究者の言う制度化された憲法制定権力の行使であり、憲法改正の諸般の手続は、国民の制度化された憲法制定権力、国民憲法改正権力に最大限に沿うべきもので、それに反するものであってはなりません。  憲法憲法改正の発議権をゆだねている国会は、国民憲法改正の意向を示しているかどうかを十分に調査した上で改憲手続法を制定すべきか否かを判断しなければなりません。改憲手続法案国会提出、審議もそのような十分な国民の意向を調査判断した後、行われるべきであると考えます。  このことは、一九五三年、昭和二十八年、当時の自治庁が、第三次選挙制度調査会答申に基づき日本国憲法改正国民投票法案全六十一条の法案を提出しましたが、政府は、この法案を改正即時断行と誤解されるおそれありとして国会提出を見合わせたことがありました。これは私は、賢明な政策であり、国民憲法改正権力の趣旨に沿うものであったと考えています。  次に、参議院に送付されている改憲手続法案について、大きく五点に絞って意見を申し上げます。  まず①で、投票総数の過半数をもって国民の承認としたこと、法案の百二十六条です。さきの与党案要綱、十八年の五月二十五日では、有効投票数の過半数をもって国民の承認としていましたが、今回の案では、実質的に有効投票数ともいうべき投票総数、賛成投票数と反対投票数の合計としています。しかし、私は、国民憲法改正権の原則に基づき、有権者の過半数にすべきであると考えます。  憲法九十六条一項の「その過半数の賛成」にいう「その」を投票総数と仮に解釈するとしても、第二項は改めて、「天皇は、国民の名で、」という文言を使っている点を重視するならば、憲法改正国民投票は有権者の過半数の賛成をもって国民の承認を得たと解すべきだと考えています。  ②最低投票率の定めがありません。  今回の改憲手続法案には最低投票率の定めがなく、残念なことに、現在の日本の選挙の投票行動から見れば、法案賛成が有権者の二割あるいは三割に下がる、それがいわゆる民意とされる可能性を持っています。これは国民主権の行使、国民憲法改正権の原則から望ましくないこととなります。そのような状況を避けるために最低投票率を定めるべきと考えています。  諸外国に例を見ても、憲法の改正について投票率を定める例は多く見られます。これは、ここにありませんけれども、様々な国が最低投票率を挙げ、さらに、近くの大韓民国憲法などでもそれはあるし、ロシアでもそれは定められています。  ③国民投票運動に対する規制が広範であいまいなことを指摘いたします。  主権者たる国民は、同時に憲法改正の主体である国民ですけれども、憲法改正に関する事項について意見表明、伝達、討論などの言論活動に関しては原則的に自由でなければなりません。それにもかかわらず、この法案では多くの規制が設けられています。  第一に、公務員国民投票運動に対する規制が広範であります。公務員は、その地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用して、国民運動をすることができないという文言がありますが、この文言はかなりあいまいであります。公務員憲法尊重擁護義務を負っておることは言うまでもありません。公務員は職務上憲法に忠実でなければならないわけですが、主権者たる国民の一人として、将来の憲法に対する意見表明の自由まで奪われることはないはずであります。  第二に、教育者国民投票運動に対する規制も広範にわたっております。規制対象となる教育者学校教育法に規定する学校の長及び教員を指しており、具体的には国公私立の小中高校、高専、大学、さらには盲学校、聾学校、養護学校、幼稚園に至る長と教員という極めて広範な国民であります。これら教育者に対して、教育上の地位にあるため特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用してという文言で、憲法改正に対する意見表明を広範囲に禁止しています。教育者主権者としての言論の自由を持っていることは言うまでもありません。特に教育者は、教育内容として憲法に関する知識、情報を学生、生徒、児童に伝える責任を持っています。当面する憲法改正の諸問題についても同じであるはずです。その意味からも、この条項は教育活動に対する不当な侵害となる危険性を多分に持っています。罰則は設けられていませんが、言論活動に対する威嚇効果、萎縮効果が大きいことは否定できません。  さらに、第三に、一般国民国民投票運動に対する規制が多いことであります。組織的多数人買収及び利害誘導罪を設けることによって、具体的には労働組合市民団体や個々の市民運動を極めてあいまいな要件で取り締まることを可能にしています。条文の、もう差しおきますけれども、明示して勧誘するとか、影響を与えるに足りる供応接待とか、その他の言葉が罰則付きで使われております。これまた、国民投票運動に対する威嚇効果、萎縮効果としては極めて大きいと言わなければなりません。元々、憲法改正案という政策の賛否を問う国民投票運動に対して、議会の特定議員を選ぶための公職選挙法活動制限規定や類似の規定が適用されること自体極めて奇妙なことですし、さらに、いかなる場合が買収、利益誘導に当たるのかも明確ではありません。  ここで、一つだけ現地の状況を申し上げますと、住民の署名運動について、この福岡市では二〇〇五年四月、博多湾人工島住民条例制定運動という住民署名運動がありました。八万四千人の署名が集まりましたが、この署名運動は地方自治法の下での住民運動で、この住民運動に関しては地方自治法七十四条の四によって、署名運動に対する妨害威迫活動が処罰の対象となり、多くの住民は署名運動、住民の意見表明について自由な運動を行った経験を持っています。恐らく、この国民投票法案の厳しい規制を見る福岡市民にとっては、この状況は奇異に映っているに違いありません。  ④放送や新聞などの情報活動に対する優遇措置について申し上げます。  第一に、放送や新聞による表現活動に関して直接の規制が除かれたことは望ましいと思います。しかし、本法案では放送、新聞による無料広告が国民投票広報協議会の関与の下で政党及び団体に保障されています。国民投票広報協議会は元々各議院会派の比例的構成とされており、実質的には賛成、反対の双方を同一に取り扱うことになるのかどうか必ずしも明らかではありません。  第二に、放送の有料広告が投票前十四日までは自由に行われるということになっています。一般的に言論の自由について言うならば、各種の言論活動が自由であることが必要でありますけれども、しかし現代の高度情報化社会という巨大なマスメディアを持つ社会にあっては、資本力や財力による言論操作の可能性が決定的に大になっています。その点から見ても、巨大マスコミを通じての宣伝活動一般国民の言論活動とを形式的に同等に自由に扱うことは正しくないと思います。この両者を比較するならば、一般国民の表現の自由を自由にし、そしてマスメディアの自由についてはある程度規制を加えるべきだというふうに思います。  第五の立法の不作為論について申し上げます。改憲手続法を制定しなかったことを指して立法の不作為だとする見解が見られますけれども、立法の不作為の問題になるというのは、これは国民の具体的な人権ないし権利の侵害が明白にそして現存する場合にであるわけです。現在のこの憲法改正手続については、そういう明白、現在の危険というのは存在しておりません。そういう意味から、立法不作為論が成り立つ根拠も理由もないと思っております。  終わりに、このような早急に、しかも私から見れば欠陥の多い憲法改正案の提出は、国民憲法改正権を、内閣あるいは国会国民憲法改正権を無視する、あるいは簒奪していることにならないのかと危惧しております。私は、到底この法案のままでは憲法九十六条の国民主権の原理、国民憲法改正権の行使に違反するものと言わざるを得ません。  私は、以上の理由から、本法案を廃案にして、新たな調査等に打ち込んでいただきたいというふうに思います。  これで私の公述を終わります。
  172. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。  以上で公述人方々の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。  なお、質疑及び御答弁は着席のままで結構でございます。
  173. 中川雅治

    ○中川雅治君 自由民主党の中川雅治でございます。  今日は四人の公述人皆様方から大変貴重な御意見を承りまして、誠にありがとうございました。  それでは、私から質問をさせていただきたいと思います。  まず、植村公述人にお伺いをしたいと思います。  五つの論点という形で大変よく整理をしていただいたというふうに思います。まず、国民投票の資格を持つ範囲をどう決めていくのかということで、十八歳以上というふうにしているわけでございますが、植村公述人も十八歳以上ということで賛成をされておられるわけであります。  ところで、青年会議所の資格は年齢制限があるのかどうかということをお伺いしたいと思います。そして、またこの年齢制限を、こういう形でもし十八歳以上ということになるのであれば、あるいはそれとは関係なくということでもよろしいわけですが、青年会議所の入会資格を再検討されるおつもりがあるのかどうかということもお伺いをしたいと思います。  それからもう一つ、植村参考人からマスメディア規制についてのお話がございました。社説について、もう正しいものというふうに信じてしまう方が多いんではないかというお話がありました。なかなかそこまで規制をするというようなことは私としては大変難しい問題だと思いますけれども、このマスメディア規制について植村公述人はどういうふうなお考えを持っておられるのか、お伺いをしたいと思います。  以上二点について、よろしくお願いいたします。
  174. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) ありがとうございます。  御質問いただきました二点につきまして、答弁をさせていただきたいというふうに思います。  先ほど申し上げましたとおり、投票権者の範囲につきましては、やはり十八歳以上とすることが私は望ましいんではないかというふうに感じております。私どもこの日本国でございますけれども、全世界を見ていきますと、やはり十八歳というこの定義付けが非常に多いという観点からかんがみましても、妥当な年齢ではないかというふうに思います。  あわせまして、やはり民法であるとか公選法であるとかそういった部分に関しましても、是非とも十八歳以上の国民に対しまして権利とまた義務を持たせ、また国民である意識を醸成していくことは非常に大切なことではないかというふうに感じております。  また、青年会議所に対しまして御質問賜りましたが、青年会議所は世界的な組織でございまして、JCI、世界じゅうの青年会議所、約二十二万人ほどおります。その中で、実は二十歳以上四十歳未満と決まっておるわけでございますけれども、是非、この論議と併せまして、もし十八歳以上というふうな、成人の定義付けは十八歳以上ということになるんであれば、併せて、私どももこの点につきましても組織内におきまして議論をしてまいりたいというふうに思う次第であります。  また、マスメディア規制に関してということで御質問を賜りました。  私が一番言いたかったのは、やはり受ける側、一国民としてどれだけの情報を得られるかというところに論点を置きたいというふうに思います。  例えば、新聞社に関しまして、一社のみを取っておる場合、逆に言いますとその情報しかもたらされない、そういった方々もいらっしゃるんではないかと。そういう懸念から、マスメディア報道内容に関しましても、是非中立的な立場において、国民一人一人が自らの判断でこの国民投票に関しまして判断ができるような、そんなしつらえがなければならないのではないかというふうに考えております。  そういう意味におきましては、国民投票に関しまして、是非とも国会の広報協議会で出されたものに関しましてのみを取り扱っていくべきではないかというふうに感じておる一人であります。  私のお答えは以上でございます。
  175. 中川雅治

    ○中川雅治君 ありがとうございました。  次に、清田公述人にお伺いをしたいと思います。  国民投票運動に関する公務員、教員の運動といいますか意見表明というものは基本的には自由であるべきであるというふうに私も思っております。ただ、地位利用あるいは便益を利用したそういう行為に対して規制をしていくという案になっているわけでございます。ただ、罰則はないというふうになっておりますが、こうした地位利用というような見地からの規制、これも完全に自由にしてよいというふうにお考えかどうかということをお伺いしたいと思います。これが一点目。  それから二点目。今、二十歳を十八歳に引き下げるということに関連しまして、清田公述人の方から、三十以上の改正が必要だと、そこは法制局的な官僚的な発想でなくて、民意が反映する仕組みにしていかなくてはならないという御発言があったわけでございます。その仕組みとしてパブリックコメントのようなものを御提言されたわけでありますが、それ以外に何かお考えがおありになるのかどうかということをお聞きしたいと思います。  それからもう一点。最低投票率につきまして政策目標として定めることを考えたらどうかというお話がございましたが、最低投票率を法定することについてはどのようにお考えなのか、お伺いをしたいと思います。
  176. 清田信治

    公述人(清田信治君) 三点ありましたけど、まず一点目は、先ほどの公述で述べましたように、政治的利用と地位利用は別のものであるということで、地位利用をする者については公職選挙法と同じような形の制限が必要であると思います。理由としては、今回の統一地方選挙において久留米市では市会議員が現職で逮捕されました。金八先生のモデルと言われる先生が逮捕された。教え子に買収目的でということですが、実際には地位利用をしたのではないかという部分が今論点になっているんですが、誤解を招くような発言等で影響を与えている。それは地位を利用したという部分。私たちは、一個人としての政治的活動についての制限はする必要はないという部分で、公述したとおりです。  二点目についてですけれども、十八歳、二十歳問題でクリアしなければならないのは、民法とほかの法律との整合性と、もう一点が、十八歳であれば高校教育、大人と子供が混在する形になって、学校の決まりと大人社会の決まりの、そこも整合性が必要となってくる部分、幾らかの部分をクリアすれば、上限年齢が撤廃されたように、高齢者雇用安定法によって何歳になっても働き続ける法律ができたように、上限が上になれば、当然十八歳という意識が高まってきている部分の人たちにも投票権を与えることは、先ほど言いましたように、学校教育内でも憲法等その社会情勢について勉学をしていますから、当然十八歳という部分については私も今後の大きな目標として必要だと思っています。  第三点に、政策目標として最低投票率を定めるという私の主張が出てきたのは、衆議院の論議の中でいったん最低投票率の論議が出ましたけれども、法案には除外されている部分で、何とかその部分を救済というかできる部分があればということでした。しかも、自分、議員ですので、自分の公約として五割以下の投票は本当の選挙ではないという部分をマニフェストで言ってきた部分と自分自身の整合性、それから五割超えれば過半数は民意が反映されたという部分をどこかで担保するという部分で、政策目標としてあくまでも五割という目標を法案に載せる載せないは別に努力していくということが必要ではないかという部分で述べました。  以上です。
  177. 中川雅治

    ○中川雅治君 ありがとうございました。  次に、石村公述人にお伺いをしたいと思います。  御発言の中に、その過半数というのは有権者の過半数にすべきであるという部分がございます。それともう一つ最低投票率を定めるべきだという御発言がございました。その過半数というのを有権者というふうに考えるのであれば最低投票率は要らないように思うわけでございますが、その点を確認したいと思います。  最低投票率を仮に五〇%以上のものとして定めるべきだということでありますと、その投票結果がほとんどの方が賛成していたということになりますと、有権者の過半数に達していても国民の承認が得られないという事態も想定されるわけですね。理論的にはされるわけでございます。そういうことを考えますと、それはどうなのかという、弁護士会の方の御発言には最低投票率を三分の二にすべきだというような御発言もございましたが、そうなりますと、有権者の過半数を超えて賛成があっても国民の承認が得られないという、そういう事態も考えられるというふうに思うので、その点はどうなのかなということが一つ。  それからもう一つは、主権者たる国民の一人としての将来の憲法に対する意見表明の自由、これは公務員であれ教育者であれ、決して奪ってはならないというふうに私も思います。本法案は、もちろんそこまでは規制しているものではないというふうに私は考えております。地位利用をした場合の規制というふうに限定をしているわけでございますが、石村公述人は、地位利用を全く規制しなくてよいと、こういう趣旨なのかどうかということをお伺いしたいと思います。
  178. 石村善治

    公述人(石村善治君) 最低投票率をどうするかという問題ですが、一番基本にあるのは、私考えているのは、憲法改正権力というのは、憲法制定権力と同じように、国民憲法を改正するときには過半数がその意思を表明するということだというのが、これは憲法原則だというふうに思っておるわけです。したがって、私は、最低限は過半数でなければならないと。もしそれが決まれば、そのあとの要件というようなのは必要ではないのではないかというふうに思っております。要するに、有権者数の過半数というのがきちっと作られるべきだというふうに思っておるわけです。  それから、第二番目の地位利用の件ですが、これは具体的な問題として、一体地位利用なのか地位利用でないのかというのは極めてあいまいだと思います。  私なんかは今大学で憲法をやっておりませんが、講義しておりませんが、大学での憲法の講義というときに、一体それが地位利用になるのか地位利用にならないのか。それから、大学の先生のように成人に対して教育をやっている場合と、それからそうでない児童等に対して教育をやっている場合と、地位利用という言葉それ自体が非常にあいまいな形になる。その結果、私はこの法案で一番危惧しているのは萎縮効果、言論の自由の萎縮効果、威嚇の効果というようなのがあって、最初からもうそういう言論をやらないという、そういうところがねらわれているのではないかと思っているわけです。それから、罰則がないとされても、これは行政罰、それからその他の処分というようなのはあり得るわけなので、その場合に地位利用というようなことがいきなり使われる可能性だってある。  そうだとすれば、そういうあいまいな言葉は公務員及び教育者についてもこれは外すべきだと、これも国民投票運動については外すべきだという、こういう考え方を持っております。
  179. 中川雅治

    ○中川雅治君 ありがとうございました。
  180. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 今日は四人の公述人方々、植村さん、清田さん、梁井さん、石村さん、貴重な御意見を本当にありがとうございました。  民主党・新緑風会の水岡でございます。  早速質問に入らせていただきます。まず、植村公述人にお伺いをしたいと思います。  植村さん、先ほど公務員運動規制についてお話がありまして、先ほどの質疑でも多少出てまいりましたが、植村さんは、明確に禁止をすべきではないでしょうかと、こういうようなお話がありました。公務員は全体の奉仕者であって一部のためにあるのではないという、そういうお考えだというふうに承りましたが、私はそうかなというふうな立場でおります。  私、元々公務員、教員でありましたので、私を例に取って植村さんにちょっとお尋ねをするという形を取ってみると、例えば、公務員である水岡俊一が憲法修正について反対を唱えて街頭で叫んでいる、水岡俊一は一人の人間であって、だからこそ心の問題とか精神の自由はこれを侵してはならないという、日本国憲法にこう定めてあるじゃないですか、植村さん、なぜ駄目なんでしょう、こういうお尋ねをしてみたいと思うんですが、いかがでしょうか。
  181. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) 御質問ありがとうございます。  私が一番述べたい点につきましては、投票権者の年齢の問題を一つ例に取って挙げさせていただきたいというふうに思います。  十八歳以上となりますと、先ほども公述人の方からも御発言ありましたとおり、例えば大学の学生でも十八歳以上で、その権利は既にあるわけであります。その方々が、もし教員の方が反対立場でそれを強く信念としてお持ちで、それを教育の現場で自分の主観的なものをこの内容に絡めて出されることに大変危惧をするわけであります。そういった教育が本当に正しい教育かどうか。まさしく、例えば先ほど教員というお話がございましたので、教師という立場は教わる側に対しまして公平中立なものを教えていくべき、そういう地位のある方ではないかなと私は思っております。  そういう観点から考えますと、やはりそういう権限をお持ちの方々に関しましては規制をしていくべきではないかなというふうに感じておるわけでございます。そのために公務員、まあ公務員皆様方すべてになりますけれども、この言い方をしますと、やはりここに関しましては、規制をしていきながら、正しいもの、また中立的なものをすべての権利を有する皆様方に発していくことがこの国民投票法、また憲法改正に関しては非常に重要なことではないかというふうに感じておるために、今回こういった形で意見をさせていただいております。  以上でございます。
  182. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 ありがとうございました。  そういう中にあって、公務員立場はいろいろあるんですけれども、植村さんとしては、じゃ公務員はある程度心の問題とか精神の自由、思想、信条の自由、そういうものは制限される部分があるんだというふうにお考えと見ていいんでしょうか、お伺いします。
  183. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) 先ほど公述の中で述べさせていただきましたとおり、公務員の役割につきましては憲法第十五条第二項に記されております、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」。これを憲法を守っていくという観点から考えますならば、そこは多少の制限があってもしかるべきじゃないかというふうに考えておる一人であります。
  184. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 憲法第九十九条には憲法を尊重擁護していく義務が公務員国会議員等に課せられているという立場からして、公務員が街頭で投票を扇動するような行為はこれはいかがかと思いますが、憲法ってこんなに大切なことなんですよと、こういうすばらしいところがあるんですよということを街頭で言うということは十分に考えられるんだろうと思いますし、そういった辺りでこの問題を白黒はっきり付けるというのは非常に難しい問題だろうというふうに私は思っています。  私、なぜ先ほど例え話をしたかといいますと、実は、内閣総理大臣である小泉純一郎が、参拝しているが、小泉純一郎も一人の人間だ、心の問題、精神の自由はこれを侵してはならないというのは日本国憲法でも認めていると、こういうふうに小泉さんは国会発言をしたわけであります。こういった中身を見ると、やはり個人の自由とか精神の自由、思想、信条の自由というのをどういうふうに規定していくかというのは非常に難しい問題だと私は思ったから改めてお伺いをしたんですが、その点についてはいかがでしょうか。
  185. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) 私も、主権者たる一人の国民の権利というものは必ず守られるべきであるというふうに感じておる一人であります。  本法案内容をかんがみていきますと、そこに関しましてはやはり議論すべき点も残っておるのかなというふうに思いますし、私の先ほどの考えから申し上げるならば、例えばこの法案を通して憲法第十五条第二項に記されている内容を是非先生方に論議をいただきまして、ここがもしおかしいようであれば、是非変えるべきではないかなというふうに思います。また、それをこの法案を通じて国民皆様方に問うていくべき、そんなこの九十六条ではないかというふうに感じておる一人であります。  以上でございます。
  186. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 ありがとうございました。  それでは、石村公述人にお伺いをしたいんですが、石村さんは先ほどの御意見の中で改憲手続法という言葉を使われました。この法案はいわゆる国民投票法案という名前が付いておりますが、石村さんが改憲手続法というふうにあえて呼ばれたというところについて何か思いがあれば聞かせていただきたいんですが。
  187. 石村善治

    公述人(石村善治君) 御案内の中に日本国憲法改正手続に関する法律案についてとあるんですね。これは、私はこれを要約した言葉で言えば改憲手続法案だというふうに思っております。  御質問の御趣旨は、恐らく民主党の案の中に一般的な国民投票法案も入れておるのじゃないかという、そういう御質問、そういうことを含めての御質問なんでしょうか。
  188. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 そこまでは思ってないんですが、ただ、私感じていることを言えば、国民投票法案を制定することに賛成ですかという世論調査日本憲法改正手続法案に賛成ですかという問い方とすれば、これ随分受け止め方が違うんではないかというふうに思っていたんですね。そういう意味で、石村さんが改憲手続法とあえておっしゃったのにはそこに意味があるのかなというふうに感じたのが一番の思いです。
  189. 石村善治

    公述人(石村善治君) 何度も言いますように、私は憲法改正というようなのは憲法制定と並ぶ国民の権力だということで、これはもう最大の尊重をしなくてはならない。だから、一体国民が今憲法改正手続に入っていいのかどうかということをやっぱり一度国会は聴くべきではないかと、少なくともそういう機会を持つべきではないか。例えば、選挙のときの一つの争点として争うというようなことをやるべきではないか。ところが、そういうのも何にもなくてとにかく改正しましょうというのでは、これは国会がイニシアチブを取っているということになるのではないかという、そういう意味であえて改正手続法というところに力点を置いて言っているわけなんです。
  190. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 ありがとうございました。  それでは、梁井公述人にお願いをしたいと思います。  梁井さんは、やはりこの法案というのは慎重審議をしていただきたい、それはまた国民主権者たる国民の責任として十分に論議をしていかなきゃいけないという、こういうお話がありました。それで、私もそれは全く同感なんですね。  御意見を伺いたいのは、梁井さんとしてはこういった問題を国民に問うて、国民で十分な深まりのある論議がされる中で進めていかなきゃいけないとすれば、六十日から百八十日という日数は短過ぎるんじゃないでしょうかというお話もありました。梁井さんとしてはどれくらいというのが少し頭の中におありなのか、聞かせていただきたいと思うんですが、いかがでしょう。
  191. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 私はよほど緊急なことというようなことは、この場合、憲法ですからないと思っているんですね。ですから、六十日というのは余りにも短いのではないかと思っています。最低百八十日ぐらい掛けて何が問題点なのか、何を変えようとしているのか。三分の二まで、国会を通るまでに、国会を通して私たちはその論議を見聞きすることができるわけですけれど、直接国民に周知して論点を整理していくにはやはりそのくらい掛かるのではないかと。まあ百八十日あればいいかなと思ったり、その前に国会審議されている間に私どもがどのくらい、また同じようなそれぞれの問題点をほかの人と共有しながら考えることができるか。これは国民の資質を問われるのかなというふうに考えております。
  192. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 ありがとうございました。  これまでの国会、様々な国会審議の中で法律案、いろんな法律制定をされてきましたが、やはり長いものであれば二年近くも掛かって論議をされる、国会の中で論議されるだけでもそれぐらいの時間が掛かっている法律があるということからして、私たちも本当にもっともっと時間を十分に取りながらやっていかなきゃいけないんじゃないかなと、こういうふうに思っているところであります。  そこで、ちょっと観点を変えて梁井さんにもう一つお伺いしたいんですが、先日の五月三日を迎えて制定六十年が過ぎました。この六十年間の間に結果的には発議はされてこなかったという事実がございます。これ、なぜ発議がされてこなかったのか。例えば、これは手続法がなかったからだということをおっしゃる方もいらっしゃるし、いやそうじゃないというふうにおっしゃる方もいらっしゃる。梁井さんとしてはその点についてはいかがお考えでしょうか。
  193. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 私は非常にずるいやり方をやってきたのではないかと思っています。やはり、国民の中でこのまま中途半端なままに自衛隊が体質を変えていったりする、それから海外派遣がああいう形で、後方支援という形でこれから先どんどん問題が進展していくときにどうなるのだろうかと。それからまた、一方で、北朝鮮の問題だとか、テポドンが日本の上を通っていくときに私たちはどうしたらいいのだろうかとか、そういう日米安保の問題も含めて、もう非常に、やはりこの六十年間の中でも今ほど新しい状況が加わってきたときはないと思います。それですから、一般の国民の中に、市井の本当に私たちの周りのおばさんでさえも、このままだったらどうなっていくか分からないねと。だから、やはりそういう話題が出ているときだからこそ、国民投票はするべきだと思っています。  だから、六十年間なかったからまだいっときほっといていいんじゃないかというのはおかしいし、何が何でもこの法案を頭から反対する、この法案の提出そのものを頭から反対する、九条を守るためにという方たち、まあこれは言い過ぎかもしれませんが、九条の一項、二項の戦争放棄というようなことが通らないと初めから危惧していらっしゃるんじゃないかななんて皮肉に思ったりします。  私は、平和憲法はみんなのものだと思って、みんなが大事にしたいと思っていると思います。ただ、それをどのような形でやっていくかについてはまだまだちょっと急いではいけないなと思っています。
  194. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 最後に一つ
  195. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) 時間が来ておりますが。
  196. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 一つだけ。
  197. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) はい。
  198. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 清田公述人に最後にお伺いしたいんですが、先ほど公務員運動制限のことがございました。  私、国会審議の中で、憲法第九十九条に、憲法を尊重して擁護していく義務が公務員にあるし、国会議員にもあるじゃないかという話をしたときに、国民にあるいは子供たちにもっと憲法を尊重したり擁護していくという、そういう取組を私たちはしていなかったんじゃないのと。改正ということの方が先に出ちゃっていて、それをもっともっと国民のものとすることに私たちはもっと努力しなきゃいけないんじゃないかという質問をしたことがあるんですが、その点については清田さん、どうでしょうか。
  199. 清田信治

    公述人(清田信治君) 先ほどの植村公述人関連の質問だと思うんですが、先ほど言った公務員地位利用というのが、実は自分は投票行為依頼という部分の地位利用は禁止すべきという部分で述べたということをまず誤解のないように言いながら、学校現場では、憲法論議について賛成、反対の材料を当然提供する、それは当たり前の憲法学習だと思うし、先生の考えを披露しながら皆さんの考えの未来の選択をする材料にする、これらも当然行われるべきだというふうに考えています。
  200. 水岡俊一

    ○水岡俊一君 ありがとうございました。
  201. 鰐淵洋子

    ○鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子でございます。  本日はお忙しい中、公述人の皆様、大変にありがとうございました。また、貴重な御意見を賜り、心より感謝を申し上げます。  まず初めに、そもそも論になりますが、この国民投票法案の必要性について植村公述人と梁井公述人にお伺いしたいと思います。  憲法第九十六条には、国民憲法を改正することができる、そういうふうに示されておりますが、具体的な手続の内容が書かれておりません。憲法改正は、主権者である国民の持っている大切な権利でありまして、そしてその権利を行使する、その手だてがこの国民投票法案であると思っております。ですので、慎重な審議を重ねる中で、この国民投票法案をしっかりと成立させていきたいと私は思っておりますが、その上で、先日も憲法記念日を迎えました。私たち公明党といたしましては、国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義、この憲法の三原則はもう普遍の原理としてしっかりと堅持すべきものである、このように考えております。  その上で、特に、先ほどもお話が上がっておりますが、平和憲法の象徴であります第九条は、しっかりとこの戦後の日本の平和と経済的発展を支えた重要なところでもございますので役割は大きいものであると、そのようにも認識をしております。しかし、憲法制定されまして六十年がたちまして、先ほどもお話が出ておりましたが、国内外の情勢が様々変化する中で、この六十年間たって今の憲法でいいのかどうか、この国の形を表す憲法でございますので、この憲法に関しまして、国民の皆様も含めて憲法論議をしっかりと進めていくことも重要ではないかと思っております。  その上で、現行憲法に関するこの御認識と、あわせてこの国民投票法案の必要性を植村公述人と梁井公述人にまずお伺いしたいと思います。
  202. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) それでは、レディーファーストで梁井公述人、どうぞ。
  203. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 特にレディーファーストでなくてよろしいんですけれども。  私は、やはり先ほどの水岡委員お話にもございましたけれど、むしろ遅きに失したと、時代の変化に余りにも付いていっていないというふうに思います。  現実に、戦争だとか、それから環境問題も含めて国連の支援活動だとか、そういうものの必要性というのをもう非常に切迫して解決しなきゃいけない問題が出てきている中で、やはり国民投票憲法そのものを私たち考えるという機会を今ここで延ばしたら、本当にだれかが好きなように決めていくのに付いていかないといけなくなってしまう。私たちの、私たち憲法なんだからということで、国民の権利をより明確化するということにおいて国民投票法案をきちんと整理していくということの必要性は私どもの周りではみんな感じております。これをちゃんとしないといけないと。  そして、その中身については、ちょっと、もう少し急がないでゆっくり考えてほしいよねというのが考えです。
  204. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) ありがとうございます。  この必要性に関しましてということでございますので、憲法について多少述べさせていただければというふうに思います。  先ほども公述の中で述べさせていただきましたとおり、戦後、GHQ支配下の中で制定をされたこの日本国憲法でございます。内容を見ていきますと、第九条、本当にすばらしい、世界に誇るべき内容があろうかというふうに思いますが、今の国際的な流れをかんがみていきますと、本当にこのまま武力を持たずにしてこの国の未来があるのかということも私は議論すべきではないかと思っておる一人であります。  そういう意味におきましては、是非これからこの国民投票法をきっかけに、自ら自国民が自国民のための自国民による憲法制定して、そして初めて自国に誇りを持てる、そんな国民になれるんではないかというふうに考えておるわけであります。その誇りを持つ中で、是非この国の在り方、また憲法の在り方についても議論国民皆様方と深めていくこと、その中で十分議論を尽くして憲法九条の問題につきましては国民投票にかけるべきではないかというふうに考えておるところでございます。  そういう観点からかんがみますと、手続法と私は思っておりますが、この憲法第九十六条に記載されております国民投票の是非に関しましては、私は必要不可欠な手続法であるというふうに考えておる一人であります。  以上でございます。
  205. 鰐淵洋子

    ○鰐淵洋子君 ありがとうございました。  では、石村公述人憲法の専門ということでございますので、現行憲法に対する御認識を、時間限られておりますが、御意見いただきたいと思います。
  206. 石村善治

    公述人(石村善治君) 今の問題についてですか。
  207. 鰐淵洋子

    ○鰐淵洋子君 現行憲法に対する御認識で。
  208. 石村善治

    公述人(石村善治君) 御認識。
  209. 鰐淵洋子

    ○鰐淵洋子君 はい。
  210. 石村善治

    公述人(石村善治君) 日本国憲法三つの特徴を持っておるというふうに私は論文、著書に書いております。  一つは、日本国憲法の絶対平和主義というのは、これは憲法の世界に冠たる先駆性を持っておるということであります。それから第二番目は、日本国憲法は、アメリカの憲法とは違って社会権を保障したいわゆる自由主義経済一方ではない社会国家的な内容を持った憲法、これは憲法二十五条以下の憲法ですが、それが第二番目。それから第三番目は、明治憲法で十分に保障されなかった近代的な人権、それから民主主義といったようなものを保障する近代的憲法の性格と、そういう三つの性格を持っておって、この中の一番中枢にあるのが絶対的平和主義だというふうに思っております。  憲法としてはそういうふうに理解しておって、憲法の足らざるところは、我々の日常の生活の中であるいは裁判を通してあるいは様々な運動の中で改めていくべきではないかというふうに思っておるわけです。
  211. 鰐淵洋子

    ○鰐淵洋子君 ありがとうございました。  続きまして、植村公述人と梁井公述人にまたお伺いしたいと思います。  この法案が成立すれば直ちに憲法改正につながってしまう、こういった一部の御意見があるわけでございますが、この法案が公布されまして、その後に国会で衆参両院におきまして憲法審査会が設置をされます。三年間は憲法改正原案の審査は凍結をされるということになっておりまして、その間にこの憲法に関する調査等が行われまして、憲法を改正するかしないかも含めてここで慎重な審議をまたしっかりとしていくということになっております。  この際、最初はこの原案のところでは二年間の凍結になっておりましたが、我が党としましても慎重審議をしっかりと、憲法を改正するのかしないのかも含めてしっかりと時間を掛けて議論をしていきましょうということで、三年間ということで主張させていただきました。この点に関しまして何か御意見がありましたらちょうだいをしたいと思います。
  212. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) ありがとうございます。  その長さに関しましては国会の場で是非御議論いただきたいなというふうに思うんですけれども、それでもその周知徹底する手法に関してがやはり一番重要ではないかなというふうに思います。  先ほど述べましたように、この広報の手段、広報協議会の在り方等に関しては、広く国民皆様方にその情報が伝わるようなしつらい、仕組みを是非お願いをしたいというふうに思っておるわけであります。三年必要であればやはり三年必要だというふうに思いますし、二年でよければ二年でいいんじゃないかというふうに思っています。  ここに関しましては、先ほど言いましたように、私どもこの日本国は議会制民主主義を取っている関係上、代議である国会議員の先生方にそれを託しておりますので、是非ともその国会の場で十分に議論をしていただいて、その内容を是非幅広く国民皆様方にお知らせをいただきたいというふうに感じております。  以上でございます。
  213. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 今おっしゃいましたように、これが、一応国民投票法案が通ったとして、それからあと三年間あるわけですね。そして、三分の二以上の国会の、もう与党、野党を問わず、全国会議員の三分の二が賛同しなければ改正法案投票にかからないわけですね。これは本当に時間が掛かることだと。先ほどもおっしゃいましたように、法律一つ変えていくのにどれだけ時間が掛かるかということをおっしゃいましたが、そのとおりで、私はそういう意味では非常に楽観視しております。きっと熱烈な討論が国会でなされるし、またそれに関連してメディアでもそのような議論がなされていくし、私たちの周りでも是非そういうものを材料にしながら自分たちで勉強会をしていく、それは三年どころかもっともっと掛かるのではないかと思いますので、これが早急だとか急いでいるとかいうようなことは余り考えなくてもいいのではないかと思っております。  しかし、やはりこの国民投票法案はきちんと決めておかないと根幹が揺らぎますから、いけないと思っております。
  214. 鰐淵洋子

    ○鰐淵洋子君 ありがとうございました。  最後に、植村公述人と梁井公述人にまたお伺いしたいと思いますが、先ほどから最低投票率の件で、設けるかどうかということで御意見等もございました。特に参議院審議におきましても、これがもう一つの大きな課題として審議がされているところでもございますが、先ほども申し上げましたが、やはりこの憲法は国の形を表すものでございますので、国民の皆様も、もしこの憲法を改正するとなったときに、それに対して投票しないというその可能性は低いのではないかなと私は個人的には思っておりまして、ですので、この最低投票率を設置することよりも、先ほどから御意見出ておりますが、幅広く国民の皆さんにも周知徹底をして、この国民投票運動を盛り上げて活性化をしていくというか、そういった取組が重要ではないかと考えております。  改めて、この最低投票率の設置についてと、国民の皆様に広く周知徹底をしながらこの国民投票法案を盛り上げていく上での具体的な御提案なり御意見がありましたら、改めてお伺いしたいと思います。
  215. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) ありがとうございます。  やはり私も先ほど述べましたとおり、最低投票率必要性はないというふうに考えておる一人であります。申し上げましたとおり、私ども、この民主主義の中では賛成、反対、棄権、これは認められる権利じゃないかというふうに思っております。その中で、投票行動を取ってのみそれを測るということ自体、私はおかしいんではないかというふうに思います。白票並びに棄権ということも、ある意味これは投票行動と取られるわけでありますので、それよりも一番危険視しておりますのは、やはり憲法改正反対する皆様方のボイコット運動、こういったものがなされることがより民意を測る上では私は危険ではないかなというふうに感じております。  そういう意味におきましては、投票率を設置することよりも、先ほど委員からも御意見いただきましたとおり、幅広くいかにして国民の皆様一人一人にこの情報を中立的な立場でもたらしていくのかという、その手法に関してが更に重要なところではないかというふうに感じておるところであります。  以上です。
  216. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 今最低投票率につきましては、植村さんがおっしゃったのとほとんど同じ意見です。私はみんなで投票に行こう、こういう問題だからということを私たちももっと言わないといけないし、それから、そういうこの重要性をもっともっと政府もそして公務員の人も含めてみんなで必要性を話していかないといけないと思います。  全有権者の過半数というようなこともちょっとおっしゃいましたが、私はそれは非常に無理なことだと思っております。もう最初から国の行方、自分の生き方を棄権する人は仕方がないと、もう私の暴論ですけれど、私はある意味で、やっぱりできるだけたくさんの人に投票してもらうような努力を私たちがするべきだと思っていますし、それでもどうしてもしたくない人は、お任せという人は出てくると思います。  以上が私の意見です。
  217. 鰐淵洋子

    ○鰐淵洋子君 ありがとうございました。  本日の皆様の御意見を基に、引き続き審議をさせていただきたいと思っております。本日は大変にありがとうございました。
  218. 仁比聡平

    仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。  四人の公述人の皆さん、本当にありがとうございました。あわせて、皆さんの日ごろからの御活躍に心から敬意を申し上げたいと思います。  最初に、植村公述人にお尋ねをしたいんですけれども、私、今回の地方公聴会での皆さんの御意見も拝聴をしておりまして、国民議論国民的な関心が急速に高まっているなということを感じているわけです。その中で、青年会議所の中でも御議論があっているのかなと思ってお伺いをしてきたんですけれども、今回のこの国民投票法案ですね、改憲手続法案、この内容あるいは国会の中でどんなことが検討課題になっているのかと、その一端は今日もそれぞれの御意見の中で出ておりますけれども、こういった言わば争点ですね、これが国民の皆さんの中によく知られているというふうにお感じですか。その点をお尋ねしたいと思います。
  219. 植村敏満

    公述人(植村敏満君) 先ほど委員の方からもございましたとおり、少しずつこの世論喚起がなされて議論が始まってきているのかなと、国民の間でも少しずつ始まってきているのかなというのを私どもも日々の活動の中で感じさせていただいておるところであります。  私ども青年会議所としましても、先ほど申し上げましたとおり、日本国憲法JC草案というものを作成をさせていただいて、独自にいろんな形で意見を出させていただいておるところでございます。  私も、今回、この公聴会に臨むに当たって、ある程度の知識は新聞報道等いろんなメディアの発するもので知り得ていた部分はございましたが、論点がこれだけ多岐にわたるということは私自身も知りませんでした。本日、この資料をいただく中で、更に気付いた部分も多数ございます。そういう意味におきましては、まだまだ国民皆様方に深く浸透はしていないのかなというふうなところも見受けられますので、そこに関しては是非皆様方の、先生方のお力添えをいただきながら、幅広く国民皆様方にこの論点についても広報をお願いをしたいというふうに感じておるところであります。  以上でございます。
  220. 仁比聡平

    仁比聡平君 ありがとうございます。  私も今、植村公述人おっしゃっている様子はよく分かる感じがいたしまして、それだけに国民の皆さんとのキャッチボール、総意を酌み尽くす参議院での慎重な審議が私は必要だというふうに思っております。  それで、梁井公述人にお尋ねをしたいんですが、今の参議院審議に対する期待をまずお尋ねしましょう。いかがですか。
  221. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 今の同じ問題ですね。
  222. 仁比聡平

    仁比聡平君 はい。
  223. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) はっきり申しまして、衆議院を通ったというようなことがありましても余りぴんとこなかったですね。今回こういう役目をいただいて、改めて、ちょうどもうゴールデンウイークは家におりましたし、いろんな資料を改めて、小六法も開きましたし、勉強しました。それから、テレビでいろんな憲法問題が論じられたり、それから新聞でも出ていますけれど、その中で出てくるのは、本当に、集団的自衛権の問題だとか自衛隊の問題だとかはずっと出るんですが、この国民投票法案のことの、今おっしゃったような具体的な公務員の在り方も含めたり、十八歳以上というようなことも含めたりのそういう部分については本当になかったですね。  私は、ああ、やはりメディアの、そういうテレビだとか討論会だとかのテーマにこういう問題を挙げないで、ぽんと集団自衛権だけで出してしまうということの危険性をすごく感じました。もっと私たちは冷静に、国民投票法案とそれからそういう第九条をどうするかということは実は本当は一つではないというふうに思うんですね。だから、そこをもう少しきちんと理解できるような広報やそういうものを求めていく必要があるし、やっていかないといけないと思いました。
  224. 仁比聡平

    仁比聡平君 梁井公述人の先ほどの御意見の陳述の中で私大変印象的だったのは、九条二項をどうするのかという件も含めて、その件も含めてもっと国民的な議論を行うべきだというところに御意見の柱があるんではないかと思うわけです。  それで、この法案との関係で、国会が三分の二以上の多数をもって国民の皆さんに改憲案を発議した後の、発議をされて六十日ないし百八十日間というその国民投票運動が行われるという期間がありますですよね。この期間の国民投票運動、平たく言えば国民的な議論といいますか、この議論がどのようなものであってほしいか、お一人の国民として、主権者として、あるいはこれまで女性の立場で様々な活動をしてこられたと思うわけです。その中でどんな国民的な議論を行うべきであると思うかという点について、梁井公述人の御意見をお尋ねしたいと思うんですが。
  225. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 私は、やはり最初のその三分の二まで今考えましたらほとんどできないんじゃないかというくらいに、全国会議員の三分の二が賛同して初めて発議されるわけですね。その途中にどれだけディスカッションがきちんと冷静に国会の中で行われるか、それをまず私たちは見たいと思いますね。  そして、その後に、そういうところで論じられた方々がやはり全国に散らばって、なぜああいう発言をしたのかということをその途中でお話しされ、結論が出る前にやっぱり話していただきたいと思います、反対立場の人も、それから通した人の方もですね。そして、三分の二以上の人たちがいかにして一緒に憲法改正のこの案を納得したのかということをお話しいただいて、それを私どもが判断して賛成か反対かしていくわけですから。それには、やはり今の市会議員の選挙だとか町会議員の選挙だとかと同じ程度に、小まめな地域密着型のディスカッションの場というようなものをつくっていただきたいと思います。
  226. 仁比聡平

    仁比聡平君 そういう国民議論の中で、公務員も一国民として同様に意見を述べるべきだという御趣旨だったのかなと先ほど思ったんですが。
  227. 梁井迪子

    公述人(梁井迪子君) 学校の先生もいいと思います。十八歳以上の子供たちはもう、今大学におりますけれど、みんな結構大人です。そして、別に先生がおっしゃったからといって投票行動に即結び付けるということはほとんどないと私は思っております。それからまた、例えば会社の社長が言われたから社員が入れるという時代でもありませんし、夫が入れろと言ったから妻はマル書いたというような時代でもありません。もう少し国民を信じていただきたいと思います。
  228. 仁比聡平

    仁比聡平君 教員、教育者あるいは公務員の問題について清田公述人に、時間がないのでちょっと端的にお伺いしたいんですが。  先ほど植村公述人からも、教師は公平中立であるべきだというようなお考えが示されたわけです。教育中立性あるいは公務の公正、適正ですね、これがどうあるべきなのかというテーマなのだと思うんですけれども、私は憲法を語ることが教育中立性や公務の適正を害することはないのではないかと思っていますが、清田公述人、いかがでしょうか。
  229. 清田信治

    公述人(清田信治君) 私もそのとおり、当然だと思っています。  すべての材料を学校で提供することこそ中立平等な大人になっていく、一方的な批判や中傷も含めた様々な論議をする中で未来を育てるというのが学校の役目だと思いますから、個人的な考えが様々ある、例えば国会議員の先生はこんな考えがありました、皆さん、どう思いますかというようなディベートをしていく中で自分の生き方を見付けるということは、学校教育にとって当然必要な部分だと思います。
  230. 仁比聡平

    仁比聡平君 それでは、石村公述人にお尋ねをしたいと思います。  幾多の論点についての御意見はしっかり受け止めて審議に反映をさせていただきたいと思うんですが、今ほかの公述人の方にもお伺いをした国民投票運動、この自由の憲法上の性格について、石村公述人の御意見の中で、憲法改正権力の力の方向というお話もあったわけですが、そもそも、発議後の国民投票運動の自由というのはどんな憲法上の性格や価値を持っているものだと石村先生、思われるでしょうか。
  231. 石村善治

    公述人(石村善治君) 日本国憲法の中で言論の自由を国民のすべてに保障しておりますから、これはいかなる個人にも保障されるべきであると。しかし、その中で主権者としての発言というのは、これは国民投票あるいは憲法の改正そのものについての意見表明だと思うんです。単なる言論の自由のもうちょっと質的には高い要素を持っておる、そういう言論表明だと思います。  したがって、これは最大限に、そういう憲法に関する議論は最大限の自由を保障すべきであるというふうに思っております。それが一番基本のところにある考え方です。
  232. 仁比聡平

    仁比聡平君 その中で、運動規制教育者そして公務員という形で与党案にはあるわけですが、この教育者については清田公述人に先ほど伺いましたので、石村公述人に、公務員の特に政治的行為、この問題についてお尋ねをしたいんですが、そもそも公務員憲法を語ることが政治的行為に当たるのであろうか。  憲法は政治的な法だとよく言われます。政治の在り方について国民が手を縛ろうとするわけですから、これは政治的であるのは当然だと思うんですけれども、これを、その憲法を語ることが政治的だと言ってしまうと、公務員は一切憲法について物が言えないということになってしまいはしないかと私は思うわけですね。石村公述人はいかがでしょうか。
  233. 石村善治

    公述人(石村善治君) これは憲法尊重擁護義務という中ではっきりと憲法の尊重擁護義務を公務員は持っておるわけですね。そして、それは自らの公務を執行するに当たっての擁護義務であって、そして主権者としても公務員は言論の自由を保障されなければならないわけなんです。したがって、公務員としては憲法尊重擁護義務を果たすためにも、これは業務にかかわるものでない基本的なものについては自由な発言が保障されてしかるべきだと思います。
  234. 仁比聡平

    仁比聡平君 ありがとうございました。  残念なんですが、時間が来てしまいましたので、私の質問はこれで終わらせていただきます。  本当に皆さん、ありがとうございました。
  235. 関谷勝嗣

    ○団長(関谷勝嗣君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。本委員会を代表いたしまして、重ねて厚く御礼を申し上げます。  また、本地方公聴会のために、御多忙な中、種々御尽力を賜りました関係者の皆様にも、この場をかりまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。  これにて参議院日本国憲法に関する調査特別委員会福岡地方公聴会を閉会いたします。(拍手)    〔午後二時五十四分閉会〕      ─────・─────    札幌地方公聴会速記録  期日 平成十九年五月七日(月曜日)  場所 札幌市 札幌プリンスホテル    派遣委員     団長 理 事      舛添 要一君        理 事      岡田 直樹君        理 事      前川 清成君        理 事      簗瀬  進君                 荻原 健司君                 山本 順三君                 津田弥太郎君                 山下 栄一君                 近藤 正道君                 長谷川憲正君    公述人        株式会社自由広        報センター取締        役        武谷 洋三君        北海道大学大学        院教授      山口 二郎君        越前屋法律事務        所所長・弁護士  越前屋民雄君        弁護士      小坂 祥司君     ─────────────    〔午後一時開会〕
  236. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) ただいまから参議院日本国憲法に関する調査特別委員会札幌地方公聴会を開会いたします。  私は、本日の会議を主宰いたします日本国憲法に関する調査特別委員会理事の舛添要一でございます。よろしくお願いいたします。  本日の地方公聴会に参加しております委員を紹介させていただきます。  まず、理事から紹介いたします。  自由民主党の岡田直樹理事でございます。  民主党・新緑風会の簗瀬進理事でございます。  同じく、民主党・新緑風会の前川清成理事でございます。  次に、委員を紹介いたします。  自由民主党の山本順三委員でございます。  同じく、自由民主党の荻原健司委員でございます。  公明党の山下栄一委員でございます。  次に、左へ参りまして、民主党・新緑風会の津田弥太郎委員でございます。  社会民主党護憲連合の近藤正道委員でございます。  国民新党の長谷川憲正委員でございます。  次に、公述人方々を御紹介申し上げます。  株式会社自由広報センター取締役武谷洋三公述人でございます。  北海道大学大学院教授山口二郎公述人でございます。  越前屋法律事務所所長・弁護士越前屋民雄公述人でございます。  弁護士小坂祥司公述人でございます。  以上の四名の方々でございます。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございます。  当委員会におきましては、目下、日本国憲法改正手続に関する法律案審査を行っておりますが、本日は、本案について皆様方から広く御意見を承るため、当地において地方公聴会を開会することになった次第でございます。  皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。  次に、本日の議事の進め方について申し上げます。  まず、武谷公述人、山口公述人、越前屋公述人、小坂公述人の順序でお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、これより公述人方々から順次御意見をお述べ願います。  御発言は着席のままで結構でございます。  まず、武谷公述人にお願いいたします。武谷公述人
  237. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) 御紹介いただきました武谷でございます。  連休に入る直前、全く突然に公述の要請がございました。私は学者でも弁護士でも、またその道の専門家でもない、一介の市井の徒にすぎません。公述人としての資格、見識に私自身疑問なしとしませんけれども、あえてずぶの素人の常識論を開陳させていただくことによって、かえってこの種地方公聴会に草の根の声なき一つの声を届ける初の機会となればそれなりに開催の意味もあるのかなと、そのように考えまして清水の舞台に立たせていただいた次第であります。したがいまして、学術的、法理論的な末節にわたる議論はする意思も能力もないことを最初に、冒頭にお断りをさせていただきたいと存じます。  それともう一点、この憲法問題に長い長い時間を掛けて真摯に文字どおり御尽瘁され、敬愛してやまない中山太郎先生を始め、調査特別委員会の諸先生の筆舌に尽くし難い御労苦に対し、私は心からなる敬意と感謝を申し述べ、本題に入らさせていただきたいと存じます。  まず、私は、怒りから述べさせていただきたいんでございます。  本来、この国民投票というのは、そもそも六十年前、憲法の施行あるいは公布と同時に、あるいは少なくとも間を置かずに整備されてしかるべきものであったと。ないこと自体がおかしい。余りに遅きに失した感をぬぐえません。  申すまでもなく、憲法九十六条には憲法改正条項があるわけでございまして、にもかかわらず、これまで実際に憲法を改正するための手続、これは改憲の是非や賛否とは直接的に関係のない中立的なルール、あくまでも日本国憲法第九十六条の実施法と、そういう位置付け法律がなかったと。このような立法府国会国民に対する不作為、怠慢に対して、一介の市井の徒ながら自主憲法制定を長年悲願としてきた私といたしましては怒りを禁じ得ないと同時に、ここにようやく愁眉を開いたかと、そういった感慨を覚えるところでございます。  この上は、憲法が還暦を迎えた今年二〇〇七年が戦後憲法史に画期的な一ページを開く年となり、新生日本建設の新たな指針、理念、理想の骨格を示す骨太な設計図であり、また、日本民族の歴史や伝統、文化が染み込んだ国柄を映す鏡としての新憲法が、日本人の英知を結集し、日本人自らの手によって一日も早く制定されんことを願ってやまない次第であります。  本題に入らせていただきますけれども、今回の憲法問題調査特別委員会での審議で、自民、公明の与党と民主党が対立した最大の争点というのは、法案の対象を憲法改正に限定するかどうかということであろうと思います。結局は、憲法改正への限定を主張する自民、公明の与党に対して、民主党は対象拡大を要求し、最終的に両者の溝はうずまらなかったと。結局、三党合同修正ができなかったことは大変残念に思う次第であります。  私は、せっかく自民、公明、民主の三党が営々と協議を重ね、昨年末には大筋で共同修正が可能な状況が生まれつつあったにもかかわらず、衆議院での採決直前になって、一転、民主党は一般的国民投票を含む修正案、つまり憲法の改正の対象となる問題を統治機構、生命倫理に拡大すると、そういう提案をしてきて、これを丸のみしなければ採決には応じられないというかたくなな強硬姿勢に一変し、これが対決法案と化してしまったことは驚きを禁じ得ないところでございます。私には、日本の議会制民主主義は名ばかりで、党利党略が相も変わらず国家的大事をそっちのけでまかり通る国会と、失礼ながら国会議員の未熟さを嫌というほど思い知らされた感が深いのでございます。  蛇足ながら、政党に信をおかない無党派層が増大するのも、こういった国会国会議員の姿を見ますとき、むべなるかなという感慨も持つ次第でございます。  私は、二つの理由から民主党案に対して異議を唱えるものでございます。  憲法前文には、日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する、つまり間接民主制を高らかにうたっておりますし、一般的な政策に対する国民投票は、日本の統治原理である議会制民主主義そのものを崩壊というか形骸化させるということにつながることが第一点でございます。  それともう一点は、過去の歴史を振り返っても、大衆の圧倒的な世論を背景にした事柄が後世になってどうだったのかという、安保騒動なんかは典型的な記憶に新しいところでございますけれども、私は大衆迎合主義、ポピュリズムの横行を招くと。一般の心理におもねって、いつぞやございましたように消費税のアップなんかは典型的でございますけれども、そういったポピュリズムに陥るということが、こういう国民投票に、実施に持ち込めば政治的な混乱を招くことも含めて反対でございます。民主党の方は間接民主制との整合性の確保あるいは諮問の段階にとどめるんだとか、いろいろおっしゃっているようでございますけれども、そうした小手先の対応で本質的な問題性が解消されるものではないと考えます。  住民投票もあるじゃないかと、こういうことを言いますけれども、これはやはり首長というものと地方議会というのは両方とも公選でありまして、言わば二元代表制を取っていると。どちらも住民の代表だということでございまして、首長と議会の意見がねじれるという、対立するときが生ずる、その場合に賛否を問うことも時には必要になってくると思うんです。  あえて私の立場から申し上げますと、これは参議院選挙を意識したと、あるいは自民党、与党との争点を明確に国民に示すといった、言ってみれば憲法という国家のもう最大事のことの、心をむなしくするような、気持ちから懸け離れた術策に私は走った行動ではなかったのかなと厳しくあえて言わせていただく次第でございます。  また、投票年齢についても異論がございまして、今回ちょっと唐突に感じたんですけれども、十八歳ということで共同修正がなされたようでございます。それのためには公職選挙法や民法の改正も伴う法制上の措置が必要になってくるわけでございましょうが、私は、これは考えてみました。一つは、少子化という、文明国というか先進国にもう時代の趨勢として避けられない趨勢があると。国家社会の担い手である人々がいや応なく減少していく時代に、十八歳で一人前の大人にするとみなして差し支えないと考えます。  昨日でしたか一昨日でしたか、新聞にも載っておりましたけれども、サミットの参加国で十八歳に選挙権を与えていないのは日本だけだと、十八歳で一人前というのは世界標準だとありました。それと、投票行動に参加することによって若者の社会的責任感や、国家や地域社会とのかかわりが深まるということも大いに期待したいところでもございます。  しかしながら、一抹の危惧の念をぬぐえないのも正直なところでございまして、あえて申すと、若者の幼稚化と。また、近年の利己主義の蔓延や自己愛、自己中心主義の増殖と、これは国家社会という公とのきずなや連帯感の希薄化など、そういったものの様々な懸念から、適正なやっぱり判断ができるのかといったことでございます。  したがいまして、私は十八歳に下げたのは賛成でございますけれども、言ってみれば有権者教育とか有権者予備軍の教育ですね、特に憲法については学校の講義に取り入れるぐらいの熱意ある予備知識、予備講義の必要性を痛感するところで、教育のその点の充実を望んでいるところでございます。  時間があっという間になくなってきましたのではしょりますけれども、国民投票の期日については、私は、国会の発議後六十日から百八十日以内で、国会の議決した日に実施するという今度の案、期間が短いという声が一部にあるようでございますが、この国民投票法が通ると、憲法九条を始め安全保障や環境問題など、国の内外の情勢がその後の三年間の間にいよいよ深刻に、新しい憲法の在り方や制定を求めてくることが必至の状況が想定されますので、そうしますと、明治憲法制定時に全国各地の政治結社でいわゆる私擬憲法がほうはいと提案されてかんかんがくがくの議論が巻き起こりましたように、既に国会の発議の段階で機は熟しているわけで、投票日まで二、三か月もあれば十分だと考えるわけでございます。  また、国民投票の成立要件、最低投票率を設ける、これについてもいろいろ異論、議論があるようでございますが、私は投票総数、つまり賛成票と反対票の合計数、白紙は無効と、こういう過半数を母数とする定義に落ち着いた点は良識ある決定だと考えております。  最低投票率規定すべきとの主張も当初根強くありましたけれども、改憲を阻止する立場に立つ人はひたすらボイコット、棄権運動を仕掛けて不成立に持ち込む戦術、これは多数決をもって主権者の意思とみなす民主主義そのものの否定状況を誘発しかねないかということを強く懸念するところでございます。  次いで、公務員国民投票運動規制について。これも大きな対立点の一つだと思いますけれども、確かに憲法改正に絡む国民投票運動は一般の人を選ぶ公職選挙運動とはその性格、重要度において格段の相違、異質性が存することは論をまたないところであります。しかしながら、国民投票運動とは、憲法改正に対し賛成又は反対をし、又はしないよう勧誘する行為であります。  特に、教育者は、学校児童生徒及び学生に対し、教育上の地位を利用して、特に憲法改正の是非について影響力や便益を行使しやすい立場にあるのは事実であります。現に、私流に申せば護憲信仰者とでも称すしかない、学理、学説の紹介、解説などそっちのけで、知識や判断能力いまだ未熟な学生に対し自説の押し付け、洗脳に終始するアジテーターまがいの教師、教官が多数教育現場に存在することは、これまた厳然たる事実であります。  他方、表現の自由、学問の自由、政治活動の自由、その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならないことも、これまた言わずもがなでございます。  したがいまして、与党、民主党両案とも、公務員等教育者地位利用による国民投票運動は禁止する、罰則は設けないのあいまいかつ抽象的一般定義で終わって、今なお公務員投票運動についての規制については対立したままになっていると認識しております。  ですが、私は、ひっきょう、この地位利用の判断基準だとか、一般的な政治活動国民運動との境界線、規制は適度か過度か等々、明確な定義はしょせんこれは困難でありまして、法令や規則では到底縛り得る性格のものではございません。ですから、あえて罰則は設けないという附帯事項をよくよくかみしめて、個性と品位ある独立自往の日本人として、国家国民の責任ある構成員の一員として、国家、民族の過去、現在、未来に深く深く思いを致し、この歴史的な国民投票運動に参加すべしというのが私の結論ならぬ結論であり、希望であり、願望であります。それゆえ、規制については、細々と文言をもってそれこそ規定しても実効は上がらず、附則は簡素、簡潔をもって旨とせよとあえて申し上げたいと思います。  広報について、なかんずく放送規定についてでございますが、できるだけ詳細に論点、争点を周知させる意味から、また国家的、歴史的な一大壮挙で、快挙であることにかんがみて、無料広報を充実させ、団体広報については期日を含め私は原則自由とすべきではなかろうかなと思います。余り公選法のような細かな規制はかえってしない方がよいと、そのように私は選挙を見るたんびにもこれは痛感しておりますが、特にこの国民投票法については、その点は細々とした附則は付けないでいただきたいと、このように希望いたします。  最後に、あっ、もう時間が参りましたですね。いったん切ります、それじゃ。
  238. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) ありがとうございました。  次に、山口公述人にお願いいたします。山口公述人
  239. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 北海道大学の山口です。  私はお配りしたレジュメに沿ってお話をしてまいりますが、大きく三つ論点についてお話をいたします。第一は、憲法論議そのものについての疑問であります。第二は、国民憲法制定権を実現するという観点から、国民投票法の基本的な理念についてお話をします。そして三番目には、具体的な、特に与党案に対する疑問を申し上げたいと思います。  まず、現在の憲法論議についての疑問から始めたいと思います。  私は、今、日本の自由と民主主義あるいは立憲主義というのは大変な危機状況にあると思います。例えばテロと暴力の横行、先日は長崎市長が射殺される、あるいは昨年は加藤紘一代議士の実家が放火されるといった政治的な自由を脅かす大きな事件が次々と起こっております。あるいは、経済社会の変容の中で、人間の尊厳というものが戦後日本で今ほど軽んじられているときはないと思います。  大変失礼な話ですけれども、安倍首相は一体このような問題についてどういう認識を持っておられるのか。テロと暴力によって自由と民主主義が脅かされているということに対する危機感が私には伝わってまいりません。  それから、立憲主義の問題、これも大変な危機状況にあると思います。内閣は、集団的自衛権の在り方について従来の解釈を変更すべく、有識者懇談会なるものを発足させました。  集団的自衛権そのものについての議論をこの場でするつもりありませんけれども、ともかく戦後数十年の間、日本の基本的な政策として蓄積、定着をしてきた事柄について、首相のお気に入りの人物を集めた懇談会なる会合において数回議論をした程度でこの基本的な枠組みを変更できるのか、もし変更できるとすれば、これは行政府による事実上の憲法改正であります。このような手法がまかり通るのであれば、我が国には立憲主義などない、日本人は憲法なるものを持つ意味はないと断ぜざるを得ません。このような自由と民主主義の危機状況、あるいは立憲主義の空洞化が進んでいる状況において、一体憲法論議にどういう意味があるんでしょうか、私にはさっぱり分かりません。あたかも沈み行くタイタニック号の船上で舞踏会を催している、それが今の憲法論議ではないでしょうか。  この問題については、正に国権の最高機関である国会議員皆様方に十分考慮していただきたい。特に、行政府による事実上の憲法改正に等しい所業について国会としてどのようにとらえるのか、しっかりと議論をしていただきたいと念願しております。  次に、国民投票法の在り方について、基本的な理念の点について私の考えを申し上げたいと思います。  国民投票法そのものが必要かどうかということについていろいろと議論がありますが、私自身は、今すぐ憲法改正をする必要はないとは思いますけれども、国会の多数派が憲法改正という問題を日程に上げると、そのために国民投票法という手続をつくるというふうに望むならば、それはそれとしてつくること自体けしからぬということにはならないと思います。あたかも入口にバリケードを張って改憲を阻止するというような発想を取るべきではないというふうに考えております。  しかしながら、憲法制定権力というのは国民の基本的人権の最も重要な土台であります。したがって、この国民憲法制定権力を具体化するために、国民投票法の在り方については十分慎重な議論が必要であります。そしてまた、この国民投票法は正に憲法附属の法律でありますから、憲法そのものについて国会の三分の二以上の賛成が必要であるという趣旨を考えれば、国民投票ルールについても、国会の単なる過半数ではなくて、超党派的な合意というものが必要であるというふうに政治的な議論としては思います。  まず、憲法改正の発議という問題から考えてみたいと思います。これは正に国民自身の意思の発露でなければなりません。だとすると、憲法改正を発議できるのはやはり国民を直接代表する国会でなければならない、内閣は憲法改正の発議の権能は持たないというふうに解釈すべきではないかと思います。  それから、憲法論議の在り方なんですけれども、この点は今回の国民投票法をめぐる議論の中で最も欠けている論点ではないかと思います。  後でまた触れますが、国民投票法の具体的なルール作りについては公職選挙法がかなり準用されているわけであります。しかしながら、代表者を選ぶ選挙と憲法を改正する投票とは全くその内容が異なるわけであります。選挙においてはやはり具体的な人を選ぶという要素がかなり強いわけでありまして、言語化できない、あるいは論理的な思考に乗らない人間のイメージとか人柄とか、そういった要素が有権者の判断の基準になることは不可避でありますし、それは一概に否定すべきことではないだろうと思います。しかし、憲法改正というのは正に論理だけの世界であります。したがいまして、この論理的に考えるということを可能ならしめるような国民投票制度をつくり出す必要があります。  近年、特に一般的な選挙においてはイメージを操作するという戦略が重要性を増しております。このこと自身、私は一概に否定できないし、また批判をしてもなかなか食い止めることはできないというふうに思いますけれども、単純なスローガンによって国の命運を左右するような重要な意思決定を人々が誘導されるということは何としても避ける必要があるというふうに思います。  したがって、国民投票運動における具体的な意見の宣伝の在り方についても、一般的な選挙とは全く違った観点からその規制の方法を検討すべきであります。たかだか十五秒とか三十秒のテレビのコマーシャルによって憲法改正についての立場を宣伝、唱道するというのは誠に危険極まりないことだというふうに思います。これは、賛成、反対、両側に当てはまる話であります。  それから、もう一つ憲法制定権力との関係で考えなければならないのは、国民の意思というものをどのように定義するかという問題であります。  私は、憲法というのはやはりそう容易に変えられるべきものではない、憲法というのはやはり時代を超えて、あるいは政権の担い手が入れ替わることを超えて、長期間正に国政の土台として持続すべきものだと考えます。また、日本国憲法の大半の条項、基本的人権、あるいは民主主義を基調とする統治機構、こういった事柄はこれはもう万古不易の政治的な原理であって、そもそも改正の余地がないものだろうと思います。正に、多数の国民がどうしても憲法を改正したいという意思あるいは意欲を持ったときのみ改正はあるべきであります。  したがいまして、国民投票の成立要件についても私は一定の下限というものが必要であるというふうに考えております。やはり、実質的に国民のごく一部の人々の意思によって憲法が変更されるということがあれば、これは憲法そのものの正統性を損なう結果になると考えるからであります。したがって、少なくとも過半数の投票というものが国民投票成立の要件となるべきではないかと思います。  棄権運動の憂慮という論点もありますけれども、大勢の国民国民投票を棄権するということは、すなわち憲法改正は必要ないというふうに判断しているということであります。仮に国民の多数がどうしても憲法を改正したいと願っているならば、ボイコット、棄権を呼び掛ける運動があっても、そんなものは国民を説得することにはならないわけであります。したがいまして、私は国民の実数というものを基本的な認識の枠組みとして、多数の国民が参加をするということをもって国民投票の成立要件とすべきだと思います。  それから、次の論点として、国民投票における国民の権利行使の在り方についても考える必要があります。  先ほど申しましたとおり、憲法制定権力は基本的人権の土台であります。あらゆる人権の基盤であります。したがって、これに対する制約は最小限にとどめるべきであります。この点でも、国民投票制度と具体的な人を選ぶ選挙の制度とは根本的に異なるはずであります。また、憲法改正をめぐる国民投票運動においては、正に議論を行うことが最も重要であります。したがいまして、公平な議論を可能にする、あるいは長い時間を掛けて幅広い視野から一人一人の国民がじっくり考えるということを可能にする、そういう討議の民主主義というものを可能にするような制度づくりが求められております。  このような観点から、特に与党案の国民投票法案に対して幾つかの疑問点を提示したいと思います。  第一は、運動期間の問題であります。  やはり憲法について考え、最終的な結論を出すためには、ある程度の時間が必要であります。例えば、通常国会の会期は百五十日となっているわけであります。そのことを考えてみても、百八十日というのは決して長くはない。やはり一年ぐらい掛けて憲法についてしっかりと議論をしていくということが必要であります。一時的な国民感情のぶれみたいなもので結論が出るということを防ぐ意味でも、時間を十分取るということには意味があるわけであります。  それから次の問題点としては、公務員、教員の地位利用禁止にかかわる規制の問題があります。  これは大学の教師をしております私にとっては誠に切実な問題でありまして、例えば大学の中で、大学の施設を使って憲法改正についてどちらかの立場集会を開く、そこで例えば私が演説や講演を行うと、これは教員の地位利用になるのかならないのか、現在の国民投票法案を見てもその辺りが全く判然としないわけであります。そういう意味で、私は、公務員、教員というのも正に主権者の一部でありますから、ほかの一般の国民と同じように、国民投票運動において十分権利を保障すべきであるというふうに考えます。  それから次の問題点として、国民投票運動中の、特にテレビの宣伝の問題があります。  先ほど申しましたように、断片的なスローガンとかあるいは映像のイメージとか、そういうものによって憲法改正についての態度を形成する、選択を下すということは何としても避けなければなりません。その意味では、私は憲法改正というものとテレビの有料の意見広告というものはそもそも切り離すべきだ、なじまないというふうに考えます。テレビの宣伝というのは、先ほど申しましたように、本質的に、数十秒という本当に短い時間の中で極めて単純化されたイメージのみを伝えるのが本質であります。これは論理をきちんと考えるという憲法改正にはなじまない情報伝達手段と言わなければなりません。したがって、憲法改正の発議から投票までテレビの宣伝は禁止すべきである、憲法改正をめぐる論議はすべからく活字メディアを媒体として行うべきであるというふうに考えます。  それから、最低投票率については、先ほど申しましたとおり、少なくとも全国民の五〇%以上という規定を置くべきだと思います。  国民投票全般について、先ほどの地位利用の問題等々、何をしていいのか、何はしてはいけないのかということが余りにもあいまいにされておりますと、結局その法律を運用する行政当局の裁量によって制約を受けるという結果になります。例えば、公務員地位利用をした場合、刑事罰はないけれども行政罰はあり得るとするならば、やはり公務員は安心して自由な国民投票運動はできないということになるわけであります。正に、主権者主権者としての権力を行使するというときに、行政権力が裁量によってその主権者行動を統制するなどというのは、国民主権とは相入れない誠に倒錯した事態でありまして、この点についてなるべく明確なルールというものを作る必要があるというふうに考えます。
  240. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) 意見陳述時間が超過していますんで、おまとめください。
  241. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 以上であります。
  242. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) ありがとうございました。  次に、越前屋公述人にお願いいたします。越前屋公述人
  243. 越前屋民雄

    公述人(越前屋民雄君) 私は、弁護士として日ごろ憲法より下位の法律を駆使して、市民の皆様あるいは企業の紛争の解決に当たっている者でございます。  紛争解決に当たって、事件によっては当該の法律の解釈等について上位規範である憲法の条文、価値観にさかのぼって考えねばならないこともあり、日ごろから現行憲法の理想がどのように実現されているのか、憲法を取り巻く社会環境等に関心を抱いておりました。  本日は、このような席にお呼びいただき、意見を述べる機会をいただいて、私のような者でいいのかという気持ちとともに心から感謝しているところでもあります。  憲法が施行されて六十年になりますが、今日まで改正手続法は制定されておりません。なぜ改正手続法が制定されなかったのかという点について言えば、この点について、これは国会立法不作為であるという考え方もあろうかと思います。しかし、私はそう思いません。  改正手続法が制定されるに至らなかった理由はどこにあるか。それは、我々国民が現行憲法を心から誇りに思い、その価値観が政治的、社会的、国際的に実現されることを強く希望してきたものであって、これを改正する必要があるとは考えてこなかったにすぎません。我々国民は、今振り返って考えれば、国会に対して改正手続法を早期に制定すべきであると考えたこともないからであります。改正手続法を制定しなかったことをもって立法不作為だとして、これを理由に手続法の改正を急ぐべきだとの主張は私は正しくないと思います。  また、改正手続法が制定されなかった第二の理由は、憲法の条項、例えば九条についてその改正を検討することについて言及しただけで、声高に憲法尊重擁護義務に違反するのではないかとか、あるいは閣内不一致ではないかと直ちに政治問題化する状況の中では、改正手続法の制定を言えば直ちに憲法改正の意図あるものと推測されることを恐れ、改正手続法の制定をにわかに言い出せない雰囲気もあったかと思います。  私は、以上のように立法不作為という考え方は取りませんが、それにしても、憲法改正の是非、またどのような内容に改正すべきかの議論と切り離して、今のうちに速やかに改正手続法を制定すべきだと考えます。この意味で、憲法改正の中身が決まってから入れ物を作ればよいとの考え方にはくみしませんし、それでは文字どおり中身の賛否をめぐる激しい対立の動きが改正手続法の制定を混乱させ、困難にするのは必至だと思います。  本法の衆議院参議院審議が拙速であったのかどうかという点でございます。  この点について私は格別拙速とは思いませんが、平成十八年五月二十六日、議案提出から、平成十九年四月十二日、特別委員会の修正議決に至るまでの審議過程の中で、特に与野党間の協議、妥協の過程が我々国民にとっては必ずしも可視的ではなかった面があるのは残念と言わざるを得ません。しかし、だからといってもっと審議に時間を掛ければよいとも思いません。与野党とも法案提出前に調査、検討に相当な時間を費やしておりますし、かつ与党案は野党民主党意見を最大限に取り入れて修正されたものであるからであります。私は、改正手続制定の機運が高まっている今こそ、思い立ったが吉日の思いで審議を進めていただきたいと考えます。  個別の問題としては、論点が多岐にわたっているため、その全部について言及することはできませんので、以下、主要な論点であります国民投票の対象、投票権者の年齢、最低投票率を設けるべきか否かに絞って意見を述べたいと思います。  まず、国民投票の対象についてでありますが、もちろん、本改正手続法はその対象を憲法改正問題に限定しておりますが、これに加えて一般的な国政の重要問題についてまで広げるべきかという問題があります。私は、結論として、憲法改正国民投票の対象にはこれを含めるべきではないと考えます。  その理由は、何といっても憲法改正のための国民投票憲法九十六条を実施するために憲法が直接求めているものであるのに対し、一般的な国政の重要問題についてはそうではありません。また、その法的効果も顕著に異なるものがあります。  民主党主張は、一回の投票手続で国政の重要問題についても国民意見を聴くことのメリットを示し、国民の意思を端的に国政に届けることができるというメリットもあって、確かに魅力的な面はあります。しかし、何といっても現行憲法は間接民主制を基本としております。国政上の重要な問題についても国民投票の対象とした場合、たとえその法的効果が諮問的、勧告的だとしても、郵政民営化をテーマにした衆議院解散の例を持ち出すまでもなく、その効果は立法担当者に対し事実上強力な力を及ぼすことは必至であり、このようなことを国会を唯一の立法機関と定めた現行憲法が想定しているようには思えません。  私は、以上の理由から、改正手続法は国民投票の対象を憲法改正問題に限るべきと考えます。  本改正手続法は、その附則十二条でいわゆる予備的国民投票について必要な措置を講ずるものとし、改正の是非、どのように改正するかについて国民の意思を公権的に知ろうとするもののようです。しかし、これは聞こえはいいのですが、実際にはどのようなテーマを国民投票の対象にすべきか、どのような文案で提案すべきかということ自体が問題となり、かつその内容を改正案としてどう具体化していくのかということが全く見えてこず、附則ではこれらを一括して憲法審査会の検討にゆだねることとなっています。この附則十二条は正に妥協の産物であって、それゆえに本改正手続法の純化を害しているものと考えます。  次に、投票権者の年齢についてでありますが、本法案では国民投票投票権者の年齢を十八歳に引き下げております。  提案者は、できるだけ多くの国民憲法改正手続に参加できるようにと考え、また諸外国では十八歳としている国が多いことも併せ考えたものでありましょう。しかし、与党案は元々二十歳であり、民主党案は十八歳となっていたのでありますから、本法案の十八歳は与党が民主党の賛成を得るために妥協したものであることは明らかであります。  その結果、本法案では附則三条一項を置いて、公選法、民法等の法令について必要な検討、法制上の措置を講ずることとせざるを得なくなりました。この必要な措置によりますと、民法上の成人の年齢は十八歳とすることになるのでありましょうし、公選法上の投票権者の年齢も同じく十八歳とすることになるのでしょう。さらには、三十有余の法律で定められている成人についての二十歳を維持するのか、十八歳とするのかを定めねばならないことになります。しかし、これはいかにも唐突な話と言わざるを得ません。民法、公選法、その他の法令においても、成人の年齢を二十歳から十八歳に下げるべきか否かについては十分な議論がなされていない状況にあると思います。結果的に改正手続法を通すために、民法、刑法その他において二十歳をもって成人としていることの当否を検討する機会を奪うことにもなりかねないと思います。  私は、個人的には現時点での成人は二十歳が適当だと考えますが、仮に、より多くの国民、特に若い人々を憲法改正の事業に参画させたいとの考え投票権者の年齢を十八歳とすることが妥当だとしても、法案においては投票権者の年齢を二十歳としておいて、附則で国に対し期限を定めて投票権者の年齢を十八歳に引き下げることの検討を義務付ける方が慎重な検討の時間を確保できるのではないかと考えます。  次に、最低投票率の問題であります。  できる限り多くの国民の意思を反映させるべきである、それはそうでありますし、また、余りに少ない人数による改正は望ましくないということは明らかであります。したがって、最低投票率を設定しなくてよいのかということが問題になります。  私は、要件としては有効投票の過半数でよいというふうに考えます。その理由ですが、確かに私自身も、最低投票率の定めがあってもよいのではないかという考え方自体には引かれるものがあります。しかし、何といっても憲法九十六条は、国民の承認について最低投票率を確保すべきであると考えていれば、それを規定したはずであります。だからといって、憲法の解釈としては、改正についての国民投票の要件として最低投票率を設けることは、加重の要件を加えることになるから憲法に違反するとまでは考えません。憲法は、最低投票率を設定するか否か、有効投票の過半数でよいとするか否かを定めることは、国会の裁量、つまり立法事項であると考えていると思います。  私は、棄権した人々は、自分の判断を投票に参加した人々の意見の帰趨にゆだねたものと考える面もあることから、憲法の改正という国家の在り方に関心を持ってこれにかかわり、賛成、反対意見を表示した人々の中で改正を是とする人が多いのか、逆に少ないのかによって成否を定めるのが妥当と考えます。  また、ボイコット運動のことがあります。ボイコット運動国民の表現の自由に基づく一種の意思表示であるとの考えもあり得ることであります。しかし、この考え方は、国民はひとしく国政に関与して国家の在り方を決定していくということこそ国民としての権利でもあり、義務でもあるという民主主義の根本から考えますと、不適切な考え方と言わざるを得ないと思います。  最後に、私は、憲法改正の入口ともいうべき本改正手続法を慎重な審議を確保しつつ速やかに成立させ、その上で、制定後今日までの基本的人権の深化、多様化、国際社会において日本が責任ある役割を果たすために現行憲法に何を加え、何を修正すべきかという実質論をオープンに議論できるような環境をつくっていただきたいと希望するものです。  以上です。
  244. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) ありがとうございました。  次に小坂公述人にお願いいたします。小坂公述人
  245. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 私は札幌弁護士会に所属する弁護士です。札幌弁護士会では、約二年ほど前に憲法委員会という委員会がつくられました。私はその中に参加しまして、憲法の問題、改正の問題、さらにその手続の問題、こういうものについて委員の皆さんと一緒に研究をしてきました。その上で、今回は私自身の考えを述べさせていただきたいというふうに思います。  二〇〇七年四月十三日、憲法改正国民投票法案が衆議院で可決されました。しかし、それは全野党の反対を押し切って、与党である自民党と公明党の強行採決で可決されたものであります。このようにして衆議院を通過したこの法案は、しかし、後に述べるように様々な問題点を抱えています。もっと議論を尽くして解消すべき問題点があると考えています。しかし、それをしようとせず、結論を急ぐ、数を頼んで押し切るというやり方が、個々の条項についての検討の甘さ、不十分さを招いていると言わざるを得ません。  この採決につきまして、私の所属する札幌弁護士会は、同日、廃案を求めるとの会長声明を出しました。これは資料の後ろにくっ付いておりますので、ごらんください。この声明も、そのような検討が不十分な規定のまま強行採決で衆議院を通過させたことについて、立法府としての責任を果たしていないと強く批判をするものであります。  また、これも資料として付けましたが、二〇〇七年四月二十九日の北海道新聞でありますが、道民世論の調査結果を発表しております。この法案に賛成する人は三二%という結果となりました。一年前には五五%の賛成があったのですが、大幅に減少したという報道でありました。しかも、反対とした人の約七六%を見ますと、審議が不十分であるということを理由としているというふうに考えられます。このことをよくお考えいただけないかと思います。  参議院議論をするに当たっては、いま一度憲法改正国民投票とはどうあるべきかという原点に立ち返っていただきたいのです。第一に考えなければならないことは、いかにこの手続において国民の意思を反映できるようにするかということです。そして、国民の一人一人が自分の意見を持って投票できるようにするには、何よりも国民同士が自由に議論し、意見表明できることが必要であります。それが民主主義を基本原則とする国の憲法改正の在り方だと考えます。憲法改正国民投票法を作るにしても、このようなことが意図されていなければなりません。そのためには、時間を掛けて慎重にも慎重な議論がなされるべきです。拙速は絶対に許されないと考えます。  今、強行採決までしてそれを急いで成立させなければならない理由はないと考えます。このような不十分な内容立法を強行することは、将来に必ず禍根を残すことになるというふうに考えます。  実際の法案について幾つか述べさせていただきます。  まず一つ目です。最低投票率あるいは絶対得票率の定めを置くべきではないかということです。憲法九十六条一項の規定は、「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」としています。  憲法国民投票憲法改正の要件とした理由は何でしょうか。国会は選挙を通じて国民から選出された議員から成っているわけです。その国会両議院のそれぞれ三分の二以上の賛成で憲法改正案が可決されたとしても、なお国民投票を行えというのが憲法規定なのです。日本国憲法は、ここで改めて国民の意思を直接確認する必要があると、そう考えているからです。したがって、そこで行われる国民投票国民の意思を正しく反映するものである必要があります。  そう考えると、この国民投票の過半数の賛成はどんな形であってもよいということにはならないと思います。棄権者が余りに多い場合には、仮に投票した人の中では賛成が過半数であったとしても、それをもって国民の意思確認ができたとすることには無理があると思います。最低投票率あるいは絶対得票率を定めるべきであるという議論はここから生じてきます。  日弁連が二〇〇六年八月二十二日に出した意見書では、最低投票率と絶対得票率を併用すべきであるとしていました。そして、最低投票率を定めるときは投票権者の三分の二とすべきであると、こういう意見を出していましたが、このように一定の投票数の確保は必要であるというふうに考えます。  これに対しては、憲法九十六条が最低投票率や最低得票率を定めていないのに法律でそのような規定を入れるのは憲法九十六条違反だと、こういう主張があります。また、最低投票率を定めると、不利になる可能性のある側がボイコットを呼び掛けて投票を成立させない、そういう運動をする危険があるという指摘もあります。  しかし、改正案の発議に国会の両議院のそれぞれ三分の二以上の要件を設けている、更に国民投票を要求している憲法九十六条が、国民投票に限っては低い投票率でも構わない、それでも過半数でもよいとしているとは到底考えられません。やはり国民投票で過半数を得たと呼べるだけの内容を求めていると考えていいのではないでしょうか。したがって、最低投票率や最低得票率を設けることは憲法九十六条の要請にこたえるものでありこそすれ、憲法違反であるとは考えられません。  また、ボイコット運動可能性については、一つ考え方としては、棄権することも国民の側の一つの意思表示だという考え方があるでしょう。そのような運動に賛同する人が多かったということ自体が憲法改正の発議が民意を反映していないということを示すという考え方もできると思います。また、ボイコット運動についての議論は、原子力発電所の設置など、こういうところで行われた住民投票を例としているようですが、ここでボイコット運動をしているのは推進派でありまして、反対派の意見表明機会を奪うために行われていたわけです。憲法改正国民投票法では、賛成する側も反対する側も自らの意見表明する機会は与えられています。このような状況の中でだれがボイコット運動を行うのか、そこを考える必要があると思います。ボイコット運動自体がどのようにして起こったかという事情を考えないで抽象的にボイコット運動の問題を議論することは危険だというふうに考えます。憲法改正のための国民投票最低投票率を定めている国もほかにはあります。この定めが民意を問うことに逆行するかのような議論は、それから考えても一面的に過ぎるというふうに思います。  また、最低投票率ではなく最低得票率を考えた場合には、ボイコットの問題はなくなります。民意の反映についていかに工夫するか、まだまだ議論が十分ではないということを示すものであると考えます。  二つ目は、投票運動の自由を制限してはならないということです。  憲法改正は、国民の一人一人が直接の利害を持つ重要な事柄です。したがって、その賛否についての意見表明、討論の機会はだれに対しても最大限保障すべきであり、活動の制約は、国民投票制度の趣旨からどうしても必要なもののみに限られるべきです。  法案では、公務員及び教育者について、地位を利用した投票活動の禁止が盛り込まれました。しかし、どのような場合に地位を利用したというのか非常にあいまいなままであります。そのような状態公務員教育者が、今自分がやろうとしていることがこの規制に当たるのか当たらないのか、それを常に考えながら活動しなきゃいけないということになります。そういう萎縮効果が非常に大きいところがありまして、この規定には賛成できないのであります。  よく言われる、改正に賛成あるいは反対投票をしなければ例えば成績を不可にする、あるいは公務員であれば何らかの申請を許可しない、あるいは受け付けない、そういうような行動はこれは余りにも非常識なことでありまして、このような規定を設けなければ排除できないというものではないと考えます。  それからもう一つの問題ですが、今回、衆議院を通った法案の中には、国家公務員法地方公務員法政治活動の禁止規定についての規定が、以前の法案には適用しないというそういう明示の条項がありました。ところが、今回、衆議院を通過した法案についてはその部分がなくなっております。当初、国家公務員あるいは地方公務員法のその政治活動禁止の規定を適用しないと明示した条項を入れたのは、やはりこの条項があることによって公務員投票活動が自由に行えなくなる、そういう強い規制になってしまうことを恐れてのことではないかと思います。今回の与党案では附則十一条を設けて、「必要な法制上の措置を講ずるもの」としました。しかし、実際に検討した結果果たしてどうなるか、ここはまだ分からないところであります。  公務員は、先ほどの地位を利用したというそういう活動の問題、それからさらに、この政治活動禁止の条項の問題、この二つの規制がある。それを気にしながら活動しなければいけないということになります。これは非常に大きな抑制効果をもたらすことになる、そこのところを危惧いたします。  附則十一条を設けたことについて、公務員による自由な意見表明制限しないよう、法施行まで政治的制限に関する公務員法等につき検討することを附則に明記したと、こういう説明をされました。しかし、これが問題であれば、なぜ最初のときにあった国家公務員法地方公務員法規定を適用しないというふうに明示した条項を外してしまったのでしょうか。そこは非常に私には疑問に思えます。むしろ、この部分は、そのような明示をすることによって初めて、政治活動に対する、こういう投票活動に対する抑制がなくなるのではないかというふうに思われます。ここは検討していただけないかというふうに思いますし、もしこのような状態のままであれば、国民の基本的な運動の自由を奪うものとして憲法違反のおそれさえあるというふうに考えます。  それから、国民投票無効訴訟についてでありますが、この点に関しては訴訟という専門的な手続にかかわるものです。ですから、本来は専門家などの意見を十分聴いた上検討し、議論をした上で法案が作られるものだというふうに考えるわけでありますが、このところが十分であるというふうには思われません。  まず、訴訟提起の期間です。結果が告知された、それから三十日以内に訴えを起こさなければならない。これは公職選挙法の例に倣ったものと思われますが、しかし一議員の当選の有効、無効を確定しなければいけないと、そういう迅速な期間の要請と、憲法改正が有効か無効か、こういう重大な問題を議論するこのときの期間とが同じであっていいものでしょうか。普通の一般の行政訴訟でも六か月の提訴期間があるのです。それから比べても余りにも期間が短いというふうに言わざるを得ません。  もう一つは、提訴裁判所が東京高等裁判所に限られているということです。これは全国民の関心のあることであります。その問題となる訴訟について東京高裁にのみ訴えを起こさなければならないとなれば、地方に住む私たちのような国民はどうなるのでしょうか。その負担、そういうものを考えますと、事実上は私たちはできないというに等しいことになると思います。ここは非常に問題な規定であります。もっと検討がなされるべきであろうと思います。  一例を挙げれば、情報公開法が制定されたときがありましたが、このときにも当初は裁判所が非常に限られておりました。これに対しては非常に反対が起こりまして、最終的には各地方の裁判所で提訴ができるようになったわけでありますが、そういうことは十分可能ではないかと思います。この点については更に検討をしていただきたいというふうに思います。  それから、投票無効の訴訟の内容でありますが、現在のこの法案でありますと非常に形式的な部分のみに限られております。しかし、投票無効、この国民投票自体の無効を争う訴訟として果たして十分なのかどうか、ここが議論されるべきではないかと思います。  例えば、公職選挙法では条文そのものには規定はないのですが、投票の平等、一票の重みを問題にした訴訟というのが実は行われておりました。最高裁でも、議員定数が不平等であった場合にこれを違憲とする判断が出るということもあります。これは公職選挙法を一応形式的に基にして行われた訴訟でありました。  例えば、今回の国民投票がもしなされたとして、最低投票率が定められず、非常に低い投票率で出た結果、これを憲法要請する国民投票に合致しないということで投票無効の訴訟を起こすということはあり得るのではないかというふうに思います。こういうこともやはり検討しなきゃいけないだろうと。  それからもう一つです。改正の限界という問題がありましたが、これを超えた改正案が出され、そしてそれが賛意を得たといった場合に、果たしてそれが許されるものかどうか、これを議論する場は一体どこにあるのかというふうに考えられます。  憲法は違憲立法審査権を与えています、司法にですね。ですから、それを審議する場がなければやはりおかしいのではないか。そして、その憲法改正の限界を超えるかどうかを議論する一番適切な場は、実際に国民投票が行われたその後ではないか、そういうふうに思われます。それ以降になって果たしてそれを争う場がどこにあるかというふうに考えますと、今ここの、この場で考えていくべきではないかというふうに思います。  以上のとおりで、私の意見を述べさせていただきたいと思います。  幾つか問題点あると思いますので、更に審議を続けていただきたいというのが私の意見であります。
  246. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) ありがとうございました。  以上で公述人方々の御意見の陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。  なお、質疑及び御答弁は着席のままで結構でございます。
  247. 岡田直樹

    ○岡田直樹君 自由民主党の岡田直樹と申します。  本日は、公述人の皆様には様々な角度から貴重な御意見を伺い、誠にありがとうございました。また、国会国会議員に対する厳しい御指摘というものもいただきました。重く受け止めてまいりたいと思います。  最初に、山口公述人にお伺いをしたいと思います。  資料に、憲法制定権力は基本的人権の土台となる最も重要な権利とお示しをいただいています。私は全く同感でありまして、主権者である国民が自ら基本法である憲法を定めるあるいは改める権利は最も重要な、これより大いなる権利はないと、そういうふうに思うわけであります。  そこで、お伺いをしたいわけですが、日本の歴史上、日本国民がこの憲法制定権力を行使したという実例があるでしょうか。大日本帝国憲法はとてもそうしたものではないと思います。日本国憲法の成立過程についてはいろんな御議論もあろうかと思いますが、日本国憲法の成立のとき日本国民はどの程度憲法制定権力を行使し得たかという点についてお伺いをしたいと思います。
  248. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 日本国憲法制定過程においては、当然その占領軍の圧倒的な影響下において憲法制定されたということは事実であります。  ただし、国民が自由な選挙によって選んだ衆議院憲法審議をしておりますし、その過程である程度の修正なども行われたわけであります。したがって、全面的に憲法制定権力を行使したとまで私も申しませんが、部分的に当時の状況としてはある程度国民の参画もあったというふうに考えております。
  249. 岡田直樹

    ○岡田直樹君 私も全くなかったとはもちろん申しません。ただ、それは今、山口公述人おっしゃったように、部分的あるいは限定的あるいは追認的な行使ではなかったかというふうに思うわけであります。日本国憲法制定によって初めて日本国民がこの憲法制定権力を十全な形で持つことができたのではないかと、そして、それは憲法の九十六条に国民投票という制度をもって明確に実現をされるべきではないのだろうか、こういうふうに思うわけであります。  しかし、日本国憲法において初めて国民はその制定権力を持ちながら、いまだ一度も行使をしていない。その背景には、この六十年間具体的なルールがなかったということが大きいと思います。凍結をされてきたと言ってもいいかもしれないと。今こそこの憲法制定権力あるいは国民投票権というものを国民の主権として確立をする必要があるのではないか、我々はそういう立憲主義的な立場からもこの国民投票法案というものが求められておると、こう思うわけでありますが、これについて山口公述人の御意見を承りたいと思います。
  250. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 私、先ほどの意見陳述で申しましたように、国民投票法そのものは不要だとか、これを作っちゃいけないという議論は私は一度もしたことはないわけでありまして、過去のいわゆる五五年体制の時代においては、実際問題として国会の三分の二以上の多数でもって改憲を発議するという状況がなかったわけで、国民投票議論もなかったわけですが、今国会のかなり多数の党、政党が、方向はともあれ、ともかく憲法改正をまともに現実的に考えるというふうにおっしゃっているんだから、それはそれで国民投票法を作ることはおやりになればいいと。  ただし、先ほど言ったように、やっぱり国民憲法制定権力を最大限具体化するという観点から、しっかりとした制度設計が必要だというのが私の基本的な立場です。
  251. 岡田直樹

    ○岡田直樹君 ありがとうございます。  その制度設計の一つに、先ほどから武谷公述人や越前屋公述人も御指摘になりました投票権者の年齢ということが一つあると思いますが、大変重いこの憲法制定権力、その具体的な現れである国民投票権をだれが持つべきか。  この点については、確かに自民党の中でも当初は二十歳以上というのが大勢、大勢というよりも多数を占めておったというのが素直なところだと思います。私も、十八歳以上に引き下げることがいいことかどうか、越前屋公述人も先ほどそのように御指摘になりました。最初は迷いがあったわけでありますが、やはり山口公述人も御指摘になっております憲法制定権力に対する制約というものは最小限にとどめるべきと、また、世界の大勢も十八歳以上という観点から、これは公職選挙法とともに国民投票権も十八歳以上とすべきなのではないかというふうに考えを改めた次第であります。これに伴って、公選法や民法の見直しという問題もございます。  もう一つお伺いしたいのは、これに伴って刑法や少年法という問題も発生をするわけでありますが、自由には責任が伴い、権利には義務が伴うと、これが道理だと思います反面、刑法や少年法にはそれぞれの立法の趣旨があって、そうした趣旨も尊重せねばならないと、こういう要請もあると思いますが、この点について四人の公述人の方から順次御意見を承りたいと思います。
  252. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) 私も当初は、十八歳というのは、ええっ、こんなに日々幼稚化していっているように見える、私からの、年配から見るとですね、そんな中にあって、あえて引き下げるというのはいかがかと思いましたが、先ほど申し上げましたように、やっぱり少子化がどんどん進んで国家や社会の担い手が減少していくと、いや応なしに。こうした時代の趨勢を考えましたときに、やはり早くから国家や社会とのきずなや連帯感というものを自分なりに深めて、そしてその責任を背負うという覚悟や姿勢、こういう人を若い人たちに求めたいと。そのためには、私はやはり教育が絡んでくると思います。  例えば、今の憲法論にしても、余りにもその憲法制定時の政治、社会状況、食うや食わず、空虚と廃墟と、その虚無の中で、その日住むに家ないような状況の中でGHQにいかに、マッカーサー・ノートに全部これは書いてありますよ、今の憲法九条の原案はですね。だから、そういったことも十分授業の中で教え込むと。講義の中に、カリキュラムの中に組み込むぐらいのことを考えて、そして十八歳の方々にも十分、これは十八歳といったら大学生ですから、私はそういうふうに持っていくべきでないかなと、かように思います。
  253. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 私も十八歳投票権は賛成でありまして、以前から選挙権の年齢を十八歳に引き下げるべきだということを私も主張してまいりました。もちろん、そういう意味での権利の主体ということになれば、責任、義務という点でもバランスを取る必要があるわけでありまして、民法、民事上の責任能力、それから刑事上の責任主体という意味での法律整備というものをこの際進めていく必要があるのではないかというふうに思います。
  254. 越前屋民雄

    公述人(越前屋民雄君) 我々一般の国民にとっては、十八歳というふうに言われると大変戸惑いが正直なところあります。また、長年、日本の社会では成人を、二十歳をもって成人とするという考え方が根強くありまして、格別それを不都合というふうに考え議論したということはありません。せいぜい選挙権の問題を、年齢を引き上げるべきかというようなことは議論したことはありますが、そこへもってきて、いきなり十八歳ということで大変戸惑っております。  ただ、民法等は、御存じのように、権利義務を取得するための法律行為、様々な事柄を自分の意思に基づいて決定する能力ありやなしやということで検討した結果のこの二十歳でありまして、これが各それぞれの立法がそれぞれの趣旨を持ってそう定めているところでありますので、将棋倒しというように一列にどんどんどんどんとこうしていくのがいいのかといえば、やはりそうではなくて、立法の趣旨によっては二十歳をもってけじめを付けねばならないということがあれば、それはそれでそういうことを考えねばならないのかなと。基本的な公職選挙法、民法はそれでいいかなと。だけれども、ほかの法律についてはドミノ倒しのようにあってはならないのかなというふうに考えております。
  255. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 私は、成人をどう考えるか、それぞれの立法考え方によってやはり違いが出てきてもこれはいいのではないかというふうに思います。ですから、今回その改正法、投票法案で十八歳に投票権を与えるというふうにしたから、ではほかの法についても全部同じに十八歳にしなければいけないかと、必ずしもそうは考えないというのが私の考え方です。  やはり、それぞれその考え方立法趣旨、特に、例えば少年法とかそういう問題にしても、どういうところから例えば規制が必要と考えるか、そういうものによって変わってくると思いますので、今回十八歳にしたということで、附則にありますけれども、短い期間で果たして変更できるかどうかという問題もあると思います。ですから、それぞれの法律についてはどれが妥当なのかじっくり考えるべきであろうというふうに思います。
  256. 岡田直樹

    ○岡田直樹君 ありがとうございました。  終わります。
  257. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 民主党・新緑風会の津田弥太郎と申します。本日は大変御苦労さまでございます。  最初に、武谷公述人にお聞きをしたいと思うんですが、先ほど市井の徒にすぎないというふうにおっしゃったんですが、武谷さんは自由民主党の北海道連の事務局長をされておられ、二年前の衆議院選挙にも自由民主党公認で立候補をされている方だというふうに認識をしているわけでございまして、そういう面では非常に自由民主党を代表した御意見をお持ちの方であるということも踏まえながらお聞きをしたいというふうに思うわけでございます。  先ほどの陳述の中で、新憲法制定することが必要であるというふうに申されました。新憲法が必要であるというふうにおっしゃっているわけですが、あえて現行憲法のどこに一番問題があって新憲法制定する必要があるという点でのベストワンをもし挙げるとすればどの部分がベストワンになるでしょうか。
  258. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) 道連、自民党北海道連の事務局長という名を語らぬ方がいいだろうというふうに参議院事務局から示唆を受けたもんですから、正直に申し上げまして、そういう兼務している会社の名前を使わしていただきました。  御存じのように、事務局長という仕事は、こういう思想的な、あるいは自ら演説をぶったりそんなことをするんでなくて、いわゆる党務全般にわたる庶務、雑務をこなす仕事でございますから、ずぶの素人に全く変わりございません。ただし、私は、それとは別に、憲法問題については幼少のころから父の影響もあって関心を持ち続けてきたと、こういうことを冒頭に申し上げたわけでございます。  で、一つだけと。一つだけということは、私が不思議でしようがないのは、例えば朝日新聞なんかにも、ばかりじゃございませんが、先ほどにも議論が、なぜ急ぐのだとか時間をもっと掛けて議論を尽くせと、こういう議論がたくさんあるんですね。例えば朝日新聞の四月の十四日には、世論を見渡すと、憲法についてどうしても改正すべきだと多くの人が考えている論点は、今のところない。時間は十分にあるのだ。参院は法案を廃案にした上で、四月の十四日ですね、参院は法案を廃案にした上で、参院選の後の静かな環境の中で与野党の合意が得られるよう仕切り直しすべきであると。この論調、非常にあるんですよ。北海道新聞なんかも、もうほとんどこの論調なんですがね。  ところが、私、不思議でしようがないのは、北朝鮮の拉致問題、あるいはもっと国際的に見れば九・一一テロですね。従来の戦争の概念なり安全保障の環境というものが激変したということなんですよ。核を持ち、弾道ミサイルを持ち、生物化学兵器を所有して、そういう脅威が眼前に迫っている中に、当然のことながらこの憲法九条、ここのその戦争放棄と戦力不保持ということですね、これはもう極論言うと、防衛をするなと言っているに等しいぐらいに私には聞こえるんですよ。したがって、悠長なことを言っていられないというのが私の心境でございまして、大体この法案国民投票法案が通ったとしても、三年間は実質スタートはできないわけですよ、改憲への。この間の三年間で憲法残って国滅ぶという事態にならなければいいがなというぐらいな私は懸念を持っております。
  259. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 分かりました。つまり、憲法九条を一番に挙げられているというのが一番最大の理由だということでございます。  次に、もう一点武谷公述人にお聞きをしたいんですが、先ほど、間接民主主義を取っているという建前である以上、いわゆる憲法改正のためだけの国民投票にすべきであると、その他の部分は入れるべきではないという理由一つとして、ポピュリズムに流れ過ぎる嫌いがあるというふうにおっしゃいました。国民投票そのものはポピュリズムに流れないというふうにお考えになっていらっしゃるのかどうか、その点、お伺いしたいと思います。
  260. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) 私は、国家国民の根本規範ですよね、戦後六十年、還暦を迎えて一度も改正、一言一句も改正していない、こういう言ってみれば国民の最も重大な憲法という問題と、例えば解職権だとかいろんな請求権だとか住民投票ございますよね、それと同一にはできない。もちろん、民主党さんの案では諮問の段階にとどめるんだと、その結果をもって決定権は全くないんだというようなことでございます。しかし、住民投票の場合、先ほど申し上げましたように二大代表制を取っていますんで、両方とも直接に住民から選ばれているという性格がある。やはり、何といっても国会の権威、それから国会議員の権威、国会の形骸化、根本的に定めている政体としての議会制民主主義、これが崩れていくと、私はそういう懸念をぬぐえないんです。そういう理由からでございます。
  261. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 続いて、越前屋公述人にお聞きをしたいというふうに思います。  実は、今から十七年前、PKO法案の地方公聴会の際にも、ホテルは違いますがこの札幌で、越前屋弁護士も御出席をされて、山口公述人出席をされて、その私は議事録をちょっと拝見をさせていただきました。  大変、越前屋公述人は、このPKO法案について憲法違反であるということを強く主張をされる陳述をされておられます。その姿勢は今もきっとお変わりにはなっていないだろうということを前提にしながら越前屋公述人にお聞きをしたいというふうに思うわけであります。  特に、この最低投票率の問題についてであります。つまり、憲法というのはある意味では最後のとりでという意味でもあるわけでございまして、様々な法律があっても、最後は憲法に違反しているのかいないのかということが常に問われるわけであります。その憲法を改正をするというのは、相当にしっかりした、国民の多くの意見というものがしっかり反映をされるということが大変重要であるというのは恐らく越前屋公述人は、前回のPKOのときの発言を見ても、当然そのようにお考えではないのかなと思うわけでございます。  つまり、一般の法律改正の場合には国会においては過半数で成立をいたします。しかし、憲法改正の場合は三分の二の賛成がなければ成立をしないということになっているわけでありまして、だとするならば、国民投票にかける場合にも、一般の公職選挙法上における投票総数の過半数ということではなくて、当然一定の最低投票率というのが設定をされるというくらい厳しい、つまり硬性憲法の性格を考えるならば、そのような厳しい条件が付いた上でも改正が必要だという意見が多数であるならば、これは大いに改正すべきだというような判断でいらっしゃるのかなというふうに思ったんですが、ちょっと違う御意見を述べられたんで、その辺についてもう少し詳しくお述べをいただけますでしょうか。
  262. 越前屋民雄

    公述人(越前屋民雄君) 趣旨は憲法改正に当たって可能な限りの多くの国民の意思に基づくことが望ましい、必要だということについては私は津田議員と全く共通の認識でありまして、今後の運営についてもそうあるべきだと。  ただ、その国民の承認があったかなかったかということについて言えば、憲法がもし、最低限の国民の意思を確認したい、そういう意味で最低投票率あるいは最低得票率というものを考えているならば、僕は当然、憲法は自らそのことを定めたのでないかと思うんです。定めていないところを見ると、憲法がその辺、熟慮していなかったのかというと、そうかもしれませんし、まあそんなにそこは詰めて考えなかったのかもしれないけれども、やはり憲法はそれなりに国民の意思をそんたくして決めるんだと。  ただ、何をもって国民の承認があったかなかったかということは、それは国会の、国会議員方々の健全な考え方、良識といいますか、そういう点にやっぱりゆだねているんだろうと、僕はそういうふうに思いまして、それで、有効投票の過半数ということで国会の皆さんが判断されるなら、それはそれで一つ国民の意思の集約の仕方としてはあり得るのかなというふうに現時点では考えております。
  263. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 それでは、時間がなくなってまいりましたんで、先ほど小坂公述人から国民投票無効訴訟についてお話がございました。  特に、この改正の限界という問題、つまり、先ほど新憲法を作るべきだという御意見がございました。つまり、憲法改正という問題と新憲法を作るんだということというのは、果たしてこの改正の限界ということに該当するのかどうかというのは大変重要なところになるだろう。つまり、この国民投票法案がもし成立をしたとしても、何でもかんでもできるんだということには必ずしもならないのか、それとも何でもかんでもできるのかということについて、小坂公述人と山口公述人にその見解をお伺いしたいと思います。
  264. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 私は改正には限界があるというふうに考えます。ですから、何でもかんでももちろんできませんし、全面改正というのも文面としてはあると思います。ただ、全面改正のその文面がどういう内容を含んでいるか、それが今の憲法の基本原則に抵触するようなものなのかどうか、もし抵触するのであれば、それはやはり限界を超えるというふうに考えます。  ですから、今の憲法学の学説の通説的な見解もやはり限界があるということですので、そこは改正手続そのものを単に形式的にやればいいというのではなくて、本来の改正手続の在り方から考えれば、やはり限界を超えることはできないというふうに考えます。
  265. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 ありがとうございました。
  266. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 私は政治学者で憲法学者の議論とちょっと違うところがありまして、もちろん基本的な人権とか民主主義というのは絶対に改正できない規範だと思いますけれども、それは学者が言っているだけの話で、国民がこんなもの要らないと言ったら、やっぱりそれはそういう憲法ができてしまうわけですよね。  だから、そこは、何といいましょうか、制度でもって歯止めをつくるというより、やっぱり国民がきちっと今の民主主義を守るという意識を受け継ぐように、我々のような学者も政治家の皆さんもやっぱりきちんと世論をつくっていくということが大事だというふうに思います。
  267. 津田弥太郎

    津田弥太郎君 終わります。
  268. 山下栄一

    ○山下栄一君 今日は、地方公聴会、参議院として二回目でございます。先日は、名古屋そしてまた仙台で地方公聴会が行われたわけでございます。今日は、この北海道札幌と福岡でも公聴会が行われておるわけでございますけれども、こういう憲法を真正面に据えた国民の皆さんの御意見をちょうだいするということは極めて重要な、特に憲法記念日直後の時期でもございまして、意義を感じるわけでございます。  今日は、連休直後で大変慌ただしい、お忙しい中、休み明けにお出ましいただきました公述人皆様方に心から感謝申し上げたいというふうに思います。  先ほどもございましたけれども、明治憲法また日本国憲法制定のときには、国民が直接参加して意思を表明するという機会がないままに、ほとんどないままに憲法ができ上がっておるわけでございます。そういう意味で、国民主権ということは高らかにうたい上げられた理念でございますし、極めて重要な理念でございますが、余りまだまだ身近に感じられない。直接国家の意思を、また自治体の意思を決めるのは我々住民であり国民なんだという、そういう意識はまだまだ弱いように思うわけでございます。そういう意味で、憲法制定権力、先ほども山口先生おっしゃっておりましたけれども、それは国民にあるわけで、国民が直接この主権を行使する機会としての憲法改正国民投票手続、これが極めて重要な法案審議に位置付けられるというふうに思うわけでございます。  そういう意味で、今日は二点お話お聞きしたいと思うわけでございますけれども、一点目は、憲法調査会という組織を国会法を改正して今回の法律で設置すると、そこで憲法改正の原案を……(発言する者あり)憲法審査会、済みません、憲法改正の原案を審議するということになっておるわけですけれども。それは、その組織そのものは公布後設置されていくわけでございますし、公布後初の国会召集日、臨時国会になると思いますけれども、今年じゅうには設置されるというふうになっていくわけですけれども。しかし、今回の附則で、ただし憲法改正議論そのものは、施行は三年後でございますので、その間はやらないと、こういうことになっておるわけでございます。しかし、非常にこの憲法改正をどうするかということの中身の議論がいよいよ始まるという、そういう状況になりつつあるわけでございます。  そして、特に、この施行前でも、この手続法、今回の憲法国民投票法法律が成立した後、施行前でも、この憲法審査会で、場合によれば例えば原案の基本となるようなものをまとめてもいいのではないかと、こういう意見もあるわけでございます。原案そのものの審議は施行後三年後以降だけれども、その施行までの間に憲法審査会も設置されるんだから、そこで憲法改正原案をまとめるということもあり得るというふうな議論もございますが、この点に関する御意見を今日公述人の皆さんにお伺いしたいと思います。武谷公述人から。
  269. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) 大変極めて、一部に批判のある拙速を避けた、手順を踏んだ私これ今回の国民投票法案だと思っているんですよ。  原案の審議の開始は、実質三年これ凍結ですよね。先ほど、あれたしか明治憲法のときには七年間ですか、伊藤博文や井上毅が諸外国まで出向いて憲法の在り方を探求しましたね。その間に、全国の有力な政治結社、特に藩閥政府に対抗する結社は私擬憲法というものを盛んに出したわけですよ。ですから、この三年の凍結の期間にそういった現代版私擬憲法がたくさん出て、そうして、そうすることによって、憲法の成立過程だとか、いわゆる日本国憲法の歴史の基礎知識や常識、そういうものがおのずと体得されてくるんでないかと思うんです。そのベースに立って議論が深まると。  ですから、この三年間というのは非常に慎重な私措置だなというふうに考えて、妥当だと実は思っています。それぐらい、国民的なやっぱりなるべく多くの合意を得るためには、いろんな立場に立つ人もある共通の知識の共有というものがどうしても必要だと、そういった意味で賛成でございます。
  270. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 憲法改正という公約を出して国民から選ばれた国会議員の方が国会の構成を憲法審査会という形で決定されるという、それは国会議員の自律の問題なんで、どうぞ御自由にとしか私は言いようがありません。  ただ、問題はやっぱりその審議の中身ですね。先日、NHKのテレビ日本国憲法制定過程を検証する番組があって、その中で、当時の衆議院が芦田均小委員長の下で憲法審議をする小委員会をつくって、非常に真剣な議論をしてきたということが紹介されておりました。私は、やっぱりそういう意味での後世の批判に耐える憲法論議をしていただきたいと思います。  実は、五年ぐらい前に衆議院の当時の憲法調査会で参考人で呼ばれて意見陳述をしたことがありますけれども、正直申しまして、最初から最後までずっと通して話を聞いてくださった委員というのはごく少数でした。そういう意味で、要するに、憲法が大事だと皆さんおっしゃるんだったら、やっぱり大事なものは大事な扱い方をしていただきたいというふうに思います。
  271. 越前屋民雄

    公述人(越前屋民雄君) 今の御質問の趣旨、いかにも僕分かり切ってはおりませんが、要は、この改正手続法が施行される前に憲法審査会で改正原案について調査、研究することがどうかというような御質問の趣旨のように思いましたが。  当初、この法律案を見ましたときに私が感じたのは、やはりこの改正手続法という問題になると、じゃ、どこかの勢力が憲法改正を志しているのかと、あるいはどういった内容考えているのかということで憶測を招くことがあったり紛糾したりするから、憲法改正の展望とは切り離して、改正手続についてクールダウンして議論するんだと、そのために三年間設けているのかなというふうに僕は当初理解しました。  だから、そういう趣旨だから、ちゃんと作りましょうやと、そしてもう少し時間を掛けて議論しましょうという形に僕は理解しましたから、憲法審査会を設置したって、改正案を、原案を発議するのがこの憲法審査会の役割というふうに僕は思っているんですが、発議はしないと、だけど、討論し議論調査することはいいのでないかということがどうかと言われれば、法案の受け取る印象からすると、あれ、どうなのかなと、いや、それはいかがなものかというふうに思っております。  むしろ、先ほど武谷公述人がおっしゃったように、私擬憲法なり、あるいは各政党が、あるいは様々なNGOの団体が憲法草案なるものを活発に発表して展開していく中で、国会の方はいま少し沈着冷静でいる方があるいはいいのかなというふうに考えております。
  272. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 私は、このような常設の審議会という、そういう組織を設けること自体が国会の持つ会期制から考えて妥当かどうか疑問を持っております。  したがって、そういう意味では審議すること自体にもちょっと疑問があるということなんですが、少なくともこの三年間期間を置くとしたこと自体に、その経過を考えれば、投票法案が成立したら直ちに憲法議論を行うと、こういうこと自体を避けようということでこういう経過期間を設けたという、そういうことがあったと思います。ですから、少なくともその間は、こういう議論をすること自体は憲法審査会としてはやはり避けるべきではないか。むしろ、それぞれの政党や、そういうところが憲法議論をもっともっとすると、そういう形で進められるべきではないかというふうに思っております。
  273. 山下栄一

    ○山下栄一君 憲法調査会はもう今も設置されておりまして、五年間、各それぞれの院で二〇〇〇年から五年間議論をしてきたわけでございまして、その報告も出ておるわけでございます。  この憲法審査会を新しく設置して、そこで三年後以降は原案の審議審査をできる状態になるわけでございますけれども、元々この憲法改正国民投票法案の修正案として三年間の間はこの改正原案の審議は凍結だ、憲法審査会は調査に専念するんだと、憲法改正原案の提出や審査は行わないということでございますもので、その趣旨から考えましたら、やはり原案をまとめるというようなことはやるべきではない、私は特にそういう面では消極的な考え方でございますけれども、中にそういうこともあってもいいのではないかという議論がございましたので、今日公述人の方にお聞きした次第でございます。  あと、ちょっと時間がございませんけれども、もう一点は、この最低投票率につきまして、それを設けること、そのこと自身がもう憲法上疑義があるという、こういう考え方も既に言われておるわけでございますけれども、先ほど既に小坂公述人は別に何にも問題ではないというお話もございましたが、あとお三方、そういう投票率を設定する法律を作ること自身は憲法上疑義があるということにつきましてのお考えをお聞きしたいと思います。
  274. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) 憲法上どういった疑義があるかというようなのは、私、学者でもその道のプロでもございませんので分かりませんが、最低投票率を設けなければ無効だというふうな考え方は、やはり、もしもそういうことであるならば、日本の戦後の六十年間に培った民主主義の熟度とは一体何だったんだろうと、私はそのように考えるんですよ。  繰り返しになりますが、三年間の百家争鳴の憲法論争の中で共通の知識、認識の共有、そういうものがなされた状態の中で私はこんなばかげた低投票率なんかは想像すらできないわけでございまして、国民をばかにしたと言ったらちょっと言い過ぎでしょうけれども、やはり戦後民主主義の中でこれすらできないようでは、マッカーサーの言うような日本人は十二歳のまだ子供かということになりかねないと、そんなふうに個人的には思います。
  275. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 具体的な国民投票の成立要件とかルールについては立法にゆだねられているというふうに私は理解をしておりまして、この最低投票率があることが違憲だとか、あるいは逆に設けなきゃ絶対に駄目だという議論ではないというふうに思います。  私は、専ら政治的な正統性という観点からあった方がいいというふうに考えております。
  276. 越前屋民雄

    公述人(越前屋民雄君) 硬性憲法であるということがよく言われまして、それに加えて最低投票率を設けることはより成立を困難にさせるんだというようなことに、論理を発展すればそうなるんでしょうけれども、私自身は最低投票率を定めたからといって直ちに憲法に違反するというふうには考えません。それはやはり、先ほども述べましたが、国会議員の判断に信頼して憲法はその要件を定めた、与えたものであろうというふうに考えておりまして、法律事項といいますか国会の裁量事項であるというふうに考えています。
  277. 山下栄一

    ○山下栄一君 ありがとうございました。
  278. 近藤正道

    近藤正道君 社民党の近藤正道でございます。  今日は四名の公述人の先生方、大変貴重な御意見を披瀝をいただきまして、ありがとうございました。これからの特別委員会の論議の中で是非生かしていきたいと、こういうふうに思っています。  時間がありませんし、私の質問したいと思っていたことはもう出ておりますんで、山口公述人と小坂公述人、お二人に絞って質問をさせていただきたいというふうに思っています。  まず、山口公述人でございますが、冒頭に、現在の憲法論議の状況について大変危機的であると、こういう認識を示されました。しかも、総理大臣が次の参議院選挙の争点に憲法改正を据えるということを御発言になったり、あるいは国民投票法案の早期制定を再三にわたって言及されるという、こういう状況がある中でお聞きしたいのは、国民投票法案というのは単なる手続法であるという議論がよく行われます。山口公述人は、憲法論議の現状とかあるいは最近の総理の発言等を踏まえながら、この国民投票法案は単なる手続法であるという議論についてどういう御意見をお持ちでしょうか。
  279. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 安倍首相は政治家として御自身の見識なり信念を述べるというのはこれは当然のことなんで、どうしても憲法を改正したいということであれば、参議院選挙でそれも訴えるというのはそれは御自身の選択だと思います。  ただ、やはり憲法改正ルール、手続というのは申すまでもなく国会の三分の二という非常に高い要件が課せられておりますし、国民投票法というのは正にその憲法改正にかかわる憲法附属の法律ですから、やっぱり形式上は一般の法律であっても憲法と非常に密接な関係があるというふうに考えるべきですね。しかも、憲法改正という非常に国政上重大事についての意思決定を行うルールですから、やはりその時の多数派がすれすれの過半数でこれを決定するというのは、実定法上は問題ないんですけれども、やはり立憲主義、民主主義の観点からいえば望ましくない。やはり競争のルールですから、なるべくたくさんの人が納得して共有できるというものを作り上げる努力を最大限すべきだというふうに思います。
  280. 近藤正道

    近藤正道君 もう一つお尋ねをしたいと思います。  国民投票における国民の権利行使の在り方について、山口公述人お話しになられました。そして、できる限り、これは憲法制定権力にかかわることであるんでできるだけ自由に行われるべきだ、規制は最小限度にとどめるべきだと、こういうふうにお話しになりまして、国民投票法公職選挙法は根本的に異なる、したがって公職選挙法規定国民投票法案に横滑りさせるべきではない、したがって公務員、教員の地位利用規定を設けるというのは問題がありますよと、こういうお話をされました。  ところが、今回の国民投票法案、与党案はこれだけではなくて、公務員、教員の政治的行為制限についても原則罰則規定を設けるという規定を、まあいろいろ紆余曲折はありましたけれども、今の段階では残しているわけですね。これ、三年掛けてこれから調整をすると言っておりますけれども、原則刑事罰を伴うそういう規制を残しているんですが、このことについてどういうふうな御意見をお持ちですか。
  281. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) これは失礼ながら党利党略の反映であるというふうに私は考えております。  新聞報道によれば、公務員や教員の労働組合憲法改正運動にかかわって要するに護憲の側で動くということは大変にうっとうしいというか邪魔くさいと、そういう観点から公務員に対する規制を復活させたというような報道を私は読みました。これがもし事実であるとすれば、やはり憲法をある種私物化する議論であるというふうに思います。
  282. 近藤正道

    近藤正道君 小坂公述人にお尋ねをしたいというふうに思います。  ポイントを絞って発言されておりまして、その中で、今参議院でも大きな議論になっておりますテレビの有料広告のことについての御発言がございませんでした。小坂公述人主張の傾向からいけばこれについても一定の問題意識をお持ちではないかと、こういうふうに思っておりますんで、このテレビの有料広告についてどのような御所見をお持ちなのか、お聞かせをいただきたい、こういうふうに思います。
  283. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 意見表明に関しては可能な限り自由にすべきだというのが私の基本的な考え方です。ただ、やはりそれは議論に資するものである必要があると。少なくとも、ちゃんとした理由なり、ここがこうだから賛成する、反対すると、そんな形の議論がどんどん起こされるべきであるというふうに考えるんです。  しかし、テレビの広告というのは、実際にごらんになってお分かりとは思いますが、せいぜいが十五秒から二十秒程度の非常に短い時間、その間に一体どういうものが出されるかといいますと、キャッチフレーズとかイメージとか、そういう形でのものでしかないわけです。果たしてそれを見ただけで一体どんな議論なり、どういう物の考え方ができるかといいますと、余り実際上意味がないのではないかと。それだけじゃなくて、イメージで逆に一方の方に引きずられると、そういう危険もあるということから考えますと、むしろそういう広告は全面的に禁止を考えた方がいいのではないかと。いわゆる広告を出すこと自体、これテレビですと非常に財力が問題になりますので、そういうところでの不公平が生じるという危険もあります。そうやって、実際にその議論に資するものになるかどうかという点では余り益するところがない。普通の選挙でいえば、連呼といいますか、人の名前をずっと呼んでそれを繰り返すというのと余り変わらないところがあると思います。  ですから、こういうものが果たして必要だろうかという疑問はありますので、これは全面的に禁止することを考えてよろしいのではないかと。もちろん、ほかの、実際は討論番組とかそういうものをすること自体は問題ないんですが、いわゆるテレビのコマーシャルといいますか広告というのは規制してよろしいのではないかと私は思っております。
  284. 近藤正道

    近藤正道君 最低投票率のことについてお尋ねをしたいと思います。  今日は、四名の公述人のうち山口公述人、越前屋公述人、小坂公述人三名とも、この最低投票率を設けるか設けないかということは憲法事項ではないと、これは国会が自由な裁量の中で決めることができるという立場を明確におっしゃって、その中で小坂公述人と山口公述人最低投票率設けるべきだと。つまり少数の人たちの関与で憲法の改正をやっていいのか、憲法の正統性の問題に言及されたわけでありますが、小坂公述人は、最低投票率お話だけではなくて、最低投票率あるいは絶対得票率の定めを置くべきであると、つまり最低投票率だけではなくて絶対得票率という二つを提起をされておりますね、あるいはという形で。なぜ最低投票率だけではなくて最低投票率あるいは絶対得票率というふうに提起をされたんでしょうか。その辺の背景、理由についてお聞かせいただけますか。
  285. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 最低得票率だけを問題にした場合ですと、ほかの公述人の方からも御指摘がちょっとあったような、例えばボイコット運動などが起こる、そういった場合に、一定の賛成があってもそれが投票自体が無効とされることによって結論が出てこなくなってしまう、そういう危険があるというそういう御指摘があったと思うんですね。最低投票率の場合にはそういう可能性があることは理論的には否定できないと思います。  ただ、そういう心配がもしあるとすれば、やはり少なくともこれだけの投票があった場合、賛成があった場合、その場合には成立をしたというふうに見るべきでないかと、そういうふうに考え余地もあるのではないかというふうに思った次第なんですね。少なくとも、その程度の最低、絶対得票率に当たるような数字があった場合には、これは賛成多数と考えてもよいのではないかと、そういう見方は一つ考え方としてあるのではないかと。そして、これはボイコット運動などがもし起こった場合に、それを、そういうことによる弊害を除くことができる一つ考え方ではないかと、そういうふうに思って提案した、お話をさせていただいた次第です。
  286. 近藤正道

    近藤正道君 そうですか。  参議院参考人質疑の中で、ある憲法の専門家が、最低投票率は非常に有効だけれども、いわゆる民意のパラドックスという弱点があると、こういうお話をされていました。今の絶対得票率というのは、この民意のパラドックスを克服する、そういうねらいもあるんでしょうか。
  287. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 民意のパラドックスというのは、御存じと思いますけれども、実際の得票率が高い場合でも逆にそれがボイコットなどによって不成立とされてしまう危険があると、そういう議論だったと思うんですけれども、その点に関して言えば、実際に絶対得票率が決まっていればその点の心配はないだろうというふうに思います。  ただ、もう一つ考えておきたいのは、その民意のパラドックスという問題なんですが、もう一つ私なりにちょっと考えているのは、投票の成立要件、つまり国民投票を行ったと言えるだけのものとして果たしてどの程度の、つまり選挙に参加した人がどの程度いるべきなのか、そういう問題と実際の得票がどうだったかという問題を果たして同列に考えていいのだろうかという疑問を持っています。  ですから、まず憲法改正国民投票と言えるだけのものが成立するために必要な要件として最低投票率というのは考えるべきではないか。その上で、その上で初めて賛成が多数なのか反対が多数なのか、そこが問題にされるべきではないかと、そういうふうに考えますので、民意のパラドックスというのは、確かに数字的には問題として出てくるのですけれども、やはりそれはちょっと問題のとらえ方が少し違うような印象を持っております。
  288. 近藤正道

    近藤正道君 ありがとうございました。  最後の質問でありますが、無効訴訟の中で、無効訴訟の対象をどこまで拡大をするかと。今の与党案だと、憲法の改正の限界を超えた場合にはこれは対象にならないというふうになっております。つまり、改正には限界があるけれども、限界を超えたか超えてないかは、それは国会、あるいは最終的に国民の判断に任せるべきだと、裁判所はこれに関与すべきではないという、そういう立場なんですね。しかし、この今の憲法最高法規性といって、最終的に最高裁判所憲法の適合性に対する最終的な判断権持っているんですが、この憲法の改正の限界についてだけ裁判所はタッチしないと、こういうふうにはどこにも書いてない。私は、これおかしいと思うんですけれども、御意見ありますか。
  289. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) やはり違憲審査権があるわけですから、本来裁判所が、その前提となるその訴訟要件は別として、判断を持ち込まれて、判断しなければいけないという立場になれば判断するべき事項であろうというふうに私は思います。  憲法裁判所というものがある国では、例えば国会の方で改正の発議がなされたときに、それがそのまま投票に付されないで、その憲法裁判所の審査を受けて問題がない、そういう前提になって初めて審査に付されると、そういう手順踏む国もあるわけです。ですから、この投票法案の中にそういう訴訟の部分を盛り込んでもこれは憲法に違反するものではないと思いますし、むしろ必要かなと思っているところです。
  290. 近藤正道

    近藤正道君 ありがとうございました。
  291. 長谷川憲正

    長谷川憲正君 国民新党の長谷川憲正でございます。私が最後の質疑者でございますので、もうしばらくお付き合いをいただきたいと思います。  国民新党と申しましても北海道では余りおなじみがございませんので、一言だけ党の紹介をさしていただきたいんですが、一昨年のいわゆる郵政解散の後に、当時私どもは自民党に所属をしておりましたけれども、民主主義のルールを守らない自民党に愛想を尽かしまして、前衆議院議長の綿貫先生を代表にして新しくつくりました政党でございます。したがいまして、私どもの立場は保守政党でございまして、憲法の改正、必要があればすべきであると思いますし、手続法も必要があれば作るべきであるというのが基本的な立場でございます。  しかしながら、やはり今申し上げましたように民主主義のルールというものはとても大事なものであるわけでございまして、これをこの憲法論議あるいは手続法の議論機会に民主主義の議論が深まるのなら結構でございますけれども、逆の方向に動くようなことがあってはならないという意味で、今日も公述人の皆様から党派を超えた合意が必要だとかいうような御意見がございましたけれども、私ども強くそのことに感銘を受けている次第でございます。  今日、公述人の皆さんからお話をお聞きした中で、ほとんどはもう今までの質疑者の皆さんの方から質問が出ておりますのでほぼ尽くされたわけでありますが、不思議なことに一点だけ、皆さん方の提起された問題の中で当方から質問がなされていない事項がございます。それは、この手続法の対象、国民投票法とも言われておりますけれども、憲法改正以外のテーマについて国民投票の対象にするのかどうかという議論、特に武谷公述人と越前屋公述人がこのことにお触れになりましたので、一言お尋ねを申し上げたいと思います。  私は、この今回の国民投票の対象を憲法改正に絞るというのは御見識だというふうに思っている者の一人でございます。しかしながら、あえて触れさせていただきたいんですが、郵政解散ということを申し上げましたが、あのときには郵政民営化法案というのは国会で否決をされたわけです。日本憲法国会法の手続によりますと、もうあれで終わりでございまして、その後は、衆議院に持ち帰って三分の二の多数で再議決をするか、あるいは両院の間で協議会をつくりまして妥協案を探るということに手続が定まっているわけですが、時の総理大臣の小泉さんは、衆議院を解散をしてもう一度国民の皆さんに本当に郵政の民営化がいいのか悪いのか問うてみたいと、こうおっしゃったわけであります。  私は、もし仮に今後ともそのようなことが行われるおそれがあるとするのであれば、私はやっぱり憲法改正以外のテーマについてもきちんとした国民投票法というものを作っておくべきだと。ルールを作らないで、何が争点になっているのか分からない、国会の代表を選ぶべき選挙でいわゆるシングルイシューを問うというのは正に私は憲法違反だというふうに思うわけでございますけれども、武谷公述人憲法は間接民主制、議会制民主主義というものを基本に作られているものであって憲法改正以外の問題についての国民投票というものは必要ないというふうにおっしゃいました。今の点と併せて、更に何かお話がお聞きできれば聞かせていただきたいと思います。
  292. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) これは私の自民党の事務局長の職責を離れた個人的な見解として申し上げさせていただきますと、民主主義のルールという観点から見れば大いに疑義があった郵政解散ではなかったかと、かように思います。しかしながら一方で、小泉総理・総裁が誕生してから一貫して、郵政解散という、郵政を民営化するというのは彼のもう根本的な政策中の政策と申してもいいテーマで、それを選んできた経過もあるわけですね。  先ほど、論理が大切だ、ルールが大切だ、そういうことを言いますけれども、果たして日本人というのはルールや論理、そのファジーな境界線を巧みに、民族的な知恵といいますか、ある面ではこれはあいまいさかもしれませんが、そうやって事を解決してきたのが日本人の知恵ではないのかなと。ですから、一刀両断、刀で大根を切るように明快に是か非かと、この事件は是か非かというふうに私は論ずることは、それは十人十色、様々な考えがあるでございましょうが、そういう民主主義のルール、論理、しゃくし定規と言ったら言い過ぎですけれども、それだけで物事が動くとは限らないのが生きた社会だろうと、かように思っている次第であります。
  293. 長谷川憲正

    長谷川憲正君 ありがとうございます。  私も全く同様に思います。物事はしゃくし定規に考えるだけではいけないのでありまして、正に民主主義のルールというのも、形ではなくて、それをいかに柔軟に、正に民主主義の本旨に基づいて運用していくかということがとっても大事だというふうに思うわけであります。  そういう点からいたしまして、引き続きちょっとお尋ねをしたいんですけれども、小坂公述人の資料を拝見をいたしまして、北海道新聞のアンケートの調査が出ておりますけれども、ほかのものを見ても、非常に多くの国民の皆さんが拙速を避けろと、今回の議論につきましてはですね、いうようなことを言っていらっしゃる、そういう方が多い。これはなぜなのかというふうに考えたときに、やはり国民の皆様の中で憲法をどう改正すべきなのかあるいは改正すべきでないのかという議論がなかなかまだ深まっていないということから、自分自身が結論が持てないものですから、このことについては手続法であっても慎重にという御意見の方が多いのかなと、こんなふうに感じるわけであります。  そういうことを考えますと、大変これから先困難な道のりがあると思うんですけれども、憲法についての開かれた議論、特に九条についての開かれた議論というものが必要なのではないかと。今の九条に従えば、戦力は保持しないということになっているわけでありますけれども、いったん国が危機に瀕するときに国土の防衛というのをどうするのか。今の自衛隊に、軍ではない自衛隊にやってもらうのか、アメリカに守ってもらうのか、それとも憲法を改正して軍というものを持つのか、もし仮にそういうことになったときには国民一人一人が本当に体を張って国を守るというそういう覚悟があるのか、よく議論されておりませんけれども徴兵制の必要があるのか、そういうことも含めたきちんとした議論をしないと、私はなかなか議論というものは先へ進まないんじゃないかというふうに思っているわけでございますが、この点についての御感想をお四方にそれぞれお聞きをさせていただきたいと思います。
  294. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) それでは、小坂公述人から行きましょう。
  295. 小坂祥司

    公述人(小坂祥司君) 憲法改正についての国民意見が定まらない、これはそのとおりだと思います。新聞なんかで改憲自体は容認するという比率は結構あるとは思います。では、実際にどういうところを改憲するのか、変えるのか、そういうことになってくると、これはもうばらばらであります。九条に関しては、むしろ改憲をしない方が多い結論が出ていると思います。ですから、もっともっと、具体的に憲法のどこが問題で何を変えなきゃいけないのか、そういう議論はしなければいけないと思います。単純に古いからどうこうとか、そういうイメージなりムードだけで変えるというような風潮はもう変えるべきであろうというふうに思います。
  296. 越前屋民雄

    公述人(越前屋民雄君) 長谷川先生から世論調査のことがお話ありましたが、慎重にやった方がいいのか拙速にやった方がいいのかというふうに問い掛けがあれば、それは慎重にした方がいいというような答えが来るのは明らかでありまして、どういった設問の仕組みでされているかということがきちんと検証されなければ、私は一般に世論調査等の数字だけをうのみにするわけに多分いかないのかなと思います。  それから、もうちょっと内容を詰めて、つまり九条の問題等でよく議論してからというようなことも、まあそうかなという気も満更しないわけでもないんですが、この九条の問題について議論したときには、恐らく日本は文字どおり国論を二分するような大変深刻な対立状況に立ち至るのでないかと。そういうときに、じゃこれから手続法、改正の手続法を決めましょうというときに果たしてまともな議論になるのかと。いや、僕はならないと。むしろ、内容がまだはっきりしない、各党いろいろなことを言っている、国民もいろんな考え方はある、そういったまだまだ未成熟なときに、冷静なときにきちっと改正手続法を議論して決めておくべきだと、その方がより内容的に優れたものができるのではないかというふうに僕自身はそう考えています。
  297. 山口二郎

    公述人(山口二郎君) 一般的な世論としては憲法改正必要という人が多数ですが、やはり具体的にどこをどう変えるかということについては国民は必ずしも明確な意思を持っていないということはもう世論調査等で明らかだと思います。  私は、憲法論議が深まらないというのはそんなに不幸なことではないと思うわけでありまして、現状の憲法で実はそんなに大きな問題がないということの表れというふうにも思うわけですね。今日は実態的な話をする場ではないのでこれ以上申しませんけれども、やはり国民投票法を作って、参院選で争点にして、更に三年間議論をやってという、その政治家の皆さんの憲法認識というものとそれから国民憲法認識というものはやっぱりかなりずれているというふうに思います。
  298. 武谷洋三

    公述人(武谷洋三君) 一言で言えば、自らの手で憲法を起草し、議論し、そして国会で通したという成立過程でない、GHQから与えられたものであると。これはもう成立過程で明々白々な事実でございます。その点が、関心を持たない一つの私は要因になっているだろうと。  しかし、改正すべき論が多いというのは、やはり先ほども申し上げましたように、もう目の前に北朝鮮によるやりたい放題の領海侵犯、拉致事件、核、ミサイルの脅威というものを、この目に見える、眼前に迫った脅威というものが改憲論の一つ主張の核心部分ではないのか。  そのほかに憲法と現実の乖離がひどくなってきたと。言い換えれば、現実に憲法が付いていけなくなっている部分がたくさんあると。よく言われているように、私学の助成なんというのはこれははっきり、憲法八十九条ですか、これは公の支配に属さない教育事業に対して公金を入れちゃいかぬともう明記されているわけですね。明白なこれ憲法違反だと私は思うんですよ。  そのほかにも、まあこんなものは序の口で、医療技術の進歩、クローン技術だとか生命倫理に関する問題だとか、地球環境の深刻化に伴ういろんな義務やそういう問題。それから、IT社会の進展に伴って個人情報をどう管理し保護するかという新たな、そういう制定なんかも求められていると。幾つもあるわけですね。  だから、やはり幾ら硬性憲法とはいっても、現に同じ占領下にあったドイツは何回となく憲法を現実に合わせて改正しているわけでございますし、やはり自らの英知を結集して論議を尽くした上で、自らの手で自らの憲法を書くということの過程をしない限り日本人はある面で真の独立国とはたり得ないんでないのかなと、こう思っております。
  299. 長谷川憲正

    長谷川憲正君 ありがとうございました。  憲法そのものをどうするかということについての意見がいろいろと広範にわたりますので、そういう中で今私ども目の前に手続法の制定という問題を抱えているわけでございまして、非常に苦労をしておりますが、なるべく大きな合意をつくるようにこれからも努力をしていくことをお誓いを申し上げまして、質問を終わらせていただきます。
  300. 舛添要一

    ○団長(舛添要一君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。本委員会を代表いたしまして、重ねて厚く御礼を申し上げます。  また、本地方公聴会のため、多忙な中、種々御尽力を賜りました関係者の皆様方に、この場をかりまして厚く感謝申し上げます。  これにて参議院日本国憲法に関する調査特別委員会札幌地方公聴会を閉会いたします。    〔午後三時十二分閉会〕