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参考人(
福井康佐君)
福井でございます。
本日は、お招きくださいまして誠にありがとうございます。
衆議院で二回、
参議院で一回こうしてお招きいただいたことは大変光栄に存じております。
私は、
国民投票及び直接
民主制を研究している者でございます。三月下旬に欧米十か国の
国民投票の運用の実態を研究した成果をまとめまして、「
国民投票制」という本を出版しております。本日は、これまでの調査研究に基づきまして、比較
憲法ないしは比較
政治制度という視点から、このたびの
国民投票法案についての
幾つかの
論点をお話ししていきたいと思います。まだ中にはほとんど触れられていない
論点もあるかと思います。
それでは、お手元のレジュメをごらんいただきまして、まず最初に、初めに
憲法改正国民投票の特徴という点を御説明申し上げたいと思います。
日本国憲法九十六条が
規定する
憲法改正国民投票は、御承知のとおり
議会が
発議する
国民投票です。これは、比較
憲法的に見ますと、近い
制度としてはアイルランド、北欧諸国の
国民投票がございます。
そこで、これらの国の運用でございますが、まずここでは
議会が
投票案件、
改正案件についてのコンセンサスを形成して
国民に提示する形を取ります。多くは
議会の多数派が強行する形ではなく、少数派と協調し、
投票案件を形成し、実施のための細目を決定する形を取っております。例えば、アイルランドは、最初のころは多数派が自派に有利になるような
選挙制度をつくるために
憲法改正を強行しようとしたのですが、二回とも失敗しているわけですね。それ以降は
議会全体で協調して
憲法改正を行おうと、そういう方向になっております。
日本も、もし実施する場合になっても、少数派と協調し、
投票案件を形成して実施のための細目を決定する形になるのではないかと思われます。例えば、具体的に申し上げますと、
投票の案件の、
改正案件の態様を決定するとか、例えば三択にするとか文言をどうするかとか、そういう問題でありますとか、あるいはその実施日をどうするか、総
選挙と同時に実施するとかそれを回避するとか、そういうことは、やはり三分の二で実施するわけですから、
与野党間の協議があってこそ初めてできるのではないかと、そう
考えております。
日本の場合は、特に
両院の三分の二の
賛成による
発議でございますから、逆に言うと、三分の一の勢力に拒否権を与えていることになります。その
意味でも、なおさら
国民投票法の
制定及びその後の
改正案の
審議、さらには実施の細目の決定については
国会内でのコンセンサス形成が重要になっていくのではないかと、そう
考えております。
それでは、次に個々の
論点に参りたいと思います。
一、成立
要件と
最低投票率。これまで
参考人の先生方からもいろいろお話しになったんですが、私ちょっとまた別の視点から申し上げたいと思います。
まず、
憲法九十六条は、
発議要件、それから成立
要件、国政
選挙と同時に実施することができることという三点のみを
規定しているわけです。そうすると、残りの
部分は、
江橋先生もおっしゃいましたように、オープンな
規定でございまして、
国会の裁量で細目を決定することを
意味します。つまり、逆にいいますと、上記三点については明文で
規定されている以上、強い
意味を持つのではないかと
考えております。
しかしながら、上記三点以外がオープンな
規定であるからといって、全くどのように
規定されてよいというわけではございません。今申し上げました
発議要件、成立
要件から見まして、硬性
憲法である以上、やはり慎重な
憲法改正が求められ、つまり漸進主義的な
改正がやはり基本姿勢ではないかと思われます。さらに、
国民主権の原理からは、
憲法改正国民投票において
国民の
意見を
改正案作りに反映させ、また
国民投票を盛り上げて、高い
投票率の下で
賛成、反対を決定するように盛り上げていくべきだろうと、そう
考える次第です。
そうすると、次に
最低投票率という話が当然出てくるわけなんでございますが、確かに三〇%ないしは四〇%の
最低投票率を設けることは、
憲法改正の正統性を確保するという
意味からでは確かに説得力はございます。しかし、比較
憲法的に見ますと、成立
要件としての
投票率というのはほとんどどの国も明文で
規定されているわけなんですね。
世界じゅう見たわけじゃありませんから何とも言えないところなんですが、私の見た範囲内ではほぼ明文で
規定されております。三〇%の
投票率で実際六〇%の
賛成であるとすると、全有権者の三〇掛ける六〇で一八%足らずの
賛成で
憲法という根本法規が
改正されることは、確かに正統性という点では問題があるということもできます。しかし、私が今申しましたように、
最低投票率を設定することは、私は九十六条の明文に反し、さらに実際に
憲法改正に
ハードルをちょっと掛け過ぎているのではないかというふうに
考えます。
さらに、
幾つかのそれ以外にも運用上の
問題点がございます。
まず第一に、先ほど来おっしゃられていますように
ボイコット運動が発生しやすいこと、実は、これは実例がございます。例えば、イタリアとイギリスに実例があるんですが、特に大政党及び有力な
政治家による呼び掛けは、
ボイコット運動としての
影響力が高くなります。
イギリスの場合、一九七三年に、北アイルランドの
憲法上の地位を問うための
国民投票、これは国境地方の
投票、ボーダー・ポールと言っておるんですが、それを実施した際にカトリック系の住民がほとんどボイコットしまして、
投票率五八・六%、六割近いですね、
賛成率九八・九%という驚異的な数字にもかかわらず、一方、当事者であるカトリック系の住民がボイコットしたということで何のためにやったか分からないという形になっているわけです。そういう実例もございます。それから、近時のイタリアの
国民投票ではこの
ボイコット運動がかなり効果を上げておりまして、五〇%という
投票率の
要件があるにもかかわらず、最近はもうほとんど二十数%、三〇%台になっているわけでございますね。そういうわけで、かなり実は
ボイコット運動というのは、実際に
投票率にかけると効果が高くなるということを御指摘させていただきたいと思います。
ただし、
投票率という点から見ますと、比較
憲法的に見ますと、必ずしも低い
投票率が良くないことだと思っている国ばかりではないわけでございまして、スイスのように、比較的
国民投票を多めにやっている国でありますと、低い
投票率は
国民が
賛成していると見て評価している国もございます。それから、アイルランドやフランスのように、低い
投票率で成立しても正統性にはさほど疑問が生じていないという、そういう国もございます。
それから、次の
問題点としましては、これは大きな
問題点だと思いますが、
最低投票率を設定しますと
民意のパラドックスが発生します。
これはこういうことでございます。仮に
最低投票率を四〇%に設定しますと、例えば人権を追加する場合、公明党の主張されるように加憲で人権を追加するような場合ですと、異論が少なくて、例えば
投票率が三五%で
最低投票率を下回って、
投票率の八〇%の
賛成があったとします。そうすると、三五掛ける八〇ですから、有権者に占める割合は二八%になります。一方、
投票率がぎりぎり四〇%を満たして、
賛成率が六〇%で成立したとします。その場合は二四%になるわけですね。実は、否決されている方が全体の割合が高いという
投票率が発生することになるわけです。今この点については
国会で御
議論されていないんではないかと思いまして、御指摘さしていただきたいと思います。これもイタリアにはっきりとした実例があるわけですね。四九・六%で
賛成率が九一にもかかわらず、ほかの回に比べると高かったにもかかわらず不成立という例がございます。
第三に、ほかの
選挙への影響が予想されます。三〇%台の
投票率では
民意反映が十分ではないということであれば、そうすると、知事
選挙や首長
選挙、
補欠選挙はどうなるんだという話は当然出てくるわけだと思うんですね。この点も
是非御
議論していただきたいと思います。
二番目として、
国民投票運動に入りたいと思います。
まず、
憲法上の根拠としては、従来、
選挙につきましては
憲法四十七条に、
選挙区、
投票の方法その他の両議院の議員の
選挙に関する事項は
法律でこれを
定めると
規定しておりますが、
国民投票運動の場合は、むしろ根拠
規定は九十六条になるのではないかと。そうすると、公職
選挙法的な規制が本当に、むしろ原則的に当てはまらない運動になるのではないかという点を御指摘さしていただきたいと思います。
まず、具体的な問題になりますが、戸別訪問はどうなんでしょうか。戸別訪問は解禁すべきなのでしょうか。
通常の
選挙運動と異なりまして、買収又は利益誘導の可能性が低くなります。そうすると、してはいけないという
理由の中にはプライバシーないしは平穏な生活を乱すという
理由がございますが、それ以外には戸別訪問を規制する合理的な
理由が見いだしにくいのではないかというふうに
考えます。
三番目として、これも
是非御
議論いただきたいんですが、
通常選挙と同時に実施した場合、
混乱が予想されると思うんですね。
衆議院選挙、
参議院選挙と同時に行う可能性は明文に
規定されていますが、この場合、
通常の
選挙運動と
国民投票運動の区別が付きにくいことが十分予想されます。
選挙運動の規制は、現在、公職
選挙法はかなり厳しいわけですから、一方、私が主張するように
国民投票運動の規制がある程度緩く、戸別訪問、文書配布、運動方法などが厳しくないとすると、一方で厳しい
選挙規制と一方で緩い運動が並立するということは大変区別が付きにくくて、
混乱するのではないかということが
考えられると思います。
そして、三番目に、公平な情報の提供という点について申し上げたいと思います。
私は、基本的には
国民投票運動については規制を掛けるのではなく、むしろどれだけ盛り上げるかという点に
議論を集中させるべきではないかと思います。
国民から見ますと、
改正案件についての公平で十分な情報提供が必要なのではないかと、求められるのではないかと思います。例えば、これは
是非改憲されることについて申し上げたいんですが、九条を
改正する場合、
改正に
賛成する側がその
意味と将来の影響について十分に主張、立証する必要があるのではないかと思うわけです。例えば、海外への派兵の可能性、徴兵制、例えば軍法会議のようなものを
設置することになるのであるかとか、そういうことはやはり
国民に九条の
改正後の射程範囲を十分に知らせるべきではないでしょうか。これは
是非お願いしたいと思います。
次は、ページをめくっていただきまして、情報提供がだれが行うかという問題がございます。
国民投票広報協
議会が行うとすると、その構成において公平らしさをどのように確保するかという問題が出てきます。また、
国民投票においては、
通常、政府から
投票案件についての賛否両論を記したパンフレットが提供されます。その
内容、つまりステートメントを決定するのは賛否の各陣営なのか、あるいは第三者がその両方の
意見を聴いてその
論点がかみ合うように作るのかという問題を
是非御
議論いただきたいと思います。
最後に、十四日前からの放送禁止について申し上げたいと思いますが、諸
外国の運用を見ますと、多くの
国民投票は、
投票の直前に
投票者が態度決定をします。その際にテレビコマーシャルというのは随分
影響力が大きいわけなんですね。そうすると、この規制は
国民の情報獲得にとって私はむしろマイナスに作用するのではないかと
考えております。
従来御
議論いただいているように、コマーシャルを金で買うことによって資金力の差が出ることに対する懸念が御指摘されております。アメリカでは確かにコマーシャルの強い
影響力が指摘され、資金力の多い方が
投票結果が有利になるのではないかということが指摘されています。ところが、実際はコマーシャルはネガティブキャンペーンに対して強く作用しているんですね、実際は。これは従来、
国民投票・直接
民主制では
投票者は
現状維持志向が強いからだと説明されています。
最後になりますが、
憲法改正を
発議する際は、余りネガティブキャンペーンを恐れずに、むしろそれに打ちかつほどの説得力を提示して
国民投票に挑むべきではないかと。その点を御指摘して、私のお話を終わらせていただきたいと思います。