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参考人(
谷山博史君) 皆さんこんにちは。本日は貴重な時間をいただきまして、招待いただきまして、誠にありがとうございました。
日本国際ボランティアセンターの
谷山と申します。
発言は座ってさしていただきます。
今日私は、
NGOの
立場から
ODAをどう見るかということで
お話をさしていただきたいと思います。(
資料映写)
まず初めに、私
たちNGOの
立場ですけれども、この辺で
理解の食い違いがあると話がなかなか進みませんので少し明らかにしたいと思いますけれども、これは
NGOの連合体であるJANICの
行動指針から取ってきたワードです。ここには幾つか
NGOの
立場を説明する重要な
項目がありますけれども、これは当然、
政府の
立場でもない、そして
利潤追求の
立場でもない、
中立性と
独立性ということを言っております。
同時に、
NGOが出発する
きっかけとして、多くの場合は
途上国で困難な
状況に置かれている
人たちとの
出会いというのがありまして、それが
きっかけになっているケースが多いということもあるんですが、
立場として最も弱い
立場の
人たちの
視点で人間の尊厳を重視するということも
行動指針の中に明確に示されています。
それから、
現地の
人たちとの
出会いという中で、対等な
関係をつくる、パートナーシップをつくるという、これは当然、外から考え方や
文化を持ち込むのではなくて、双方が尊重し合うというそういう
協力関係を示しています。
そして、次に大事なことですけれども、
国際理解教育あるいは
開発教育と言われますけれども、
途上国等々で起こっているもろもろの問題が私
たちの暮らしの
在り方、
経済と密接にかかわっているという
関係を自覚するということを述べております。ですから、その
関連性、問題に私
たちも当事者としてかかわっているんだと、それを私
たちも自覚し、かつ、
教育の中で市民に対しても伝えていくというそういう
立場ですね。
もう
一つは、ただ単に直接相手を
支援するだけではなく、人々が困難に陥っているその
構造を
理解し、その
構造を変えるためにいろいろなところに働き掛ける、
現地の
政府の場合もありますし、
日本の
政府などの
ODA機関の場合もあります。これをアドボカシーと呼んでいます。
そして、こういう
立場から私
たちが問題をとらえる場合に
一つの重要なポイントとして、
資源をどう見るか、
自然資源を始めとした
地域の
資源をどう見るかというそういう
観点があります。
よろしいですか、次。
ここに
グローバライゼーション、今の
社会の
自由競争が加速しているわけですけれども、その中で起こっている新たな
貧困、あるいはその中で生まれてくるいろんな相克ですね、これを静かな戦争という象徴的な呼び方をさしていただいていますけれども、ここで言う新たな
貧困というのは、これまで自然の
資源に依拠して暮らしていた
人たちがそこから切り離されることによって、あるいは、これまで自然を
一つのキーにしながら守られてきた
社会の
システム、コミュニティーの中での
安全保障の
システムが崩れていくことによって生まれる新たな困難、これを新たな
貧困という言い方をしています。
これが
グローバライゼーションの中でかなり起こってきているわけですけれども、
一つの事例として
ラオスを挙げました。
ラオスの中でも
商業植林というのをここで挙げさしていただいていますけれども、
商業植林によって多様ないろんな国からの
投資が入って、住民がこれまで活用していた
資源が切られていく、そういう現象が起こっているわけですけれども、その中で
村人が、その様々な
自然資源あるいは
生活を支える
システムが奪われていくという
状況があります。
同時に、逆に言うと、これらこれまで伝統的に
村人が持っていた
自然管理の
システム、これは持続的に利用するという中で
村人の責任において使われてきたわけですけれども、これを評価していかにボトムアップするかということが
貧困を削減するあるいは回避するための
一つの重要な
視点になっております。
次に、ちょっと写真を見ていただきたいんですが、これは
ラオスの森の様子ですけれども、
資源をどうとらえるかということが私
たちにとってとても重要な問題で、
貧困というのは、ただ単に外から入ってくる
資源が少ない、あるいは
地元に
資源がないということを言うだけではなくて、多くの場合は、元々ある
地元の
資源が有効に活用されていない、あるいはそれが奪われるということですね。それを有効に活用している場合には
十分生活が保障されているけれども、それが崩れた場合に
貧困になるということです。
次、
お願いします。
例えば、
ラオスの森というのは、六〇%以上のエネルギーと
栄養源が森から採取されているといいます。いろんな有用な使い方がされているという例ですね。ここで、
ラオスの農民は、自然あるいは森林がたくさんあるから
自分たちは飢えることもなく豊かに
生活できるんだという
発言をしています。
次、少し急いで行きますけれども、そんな中で、
ラオスの森林戦略二〇二〇というのがありますけれども、
商業植林を進めていこうという計画があります。二〇二〇年まで五十万ヘクタールを
商業植林で
開発するということですけれども、様々な国から
投資が入っているわけです。
次、
お願いします。
こんな中で、いろんなケースがありますから一概には言えませんけれども、見えないところで、ココナツ植林と言いながら、有用な、本来であれば保護林とされるべき、あるいは
村人が使っていた森が伐採されると。伐採した後に植林されているというケースもありますし、こうした伐採によって木材が切り出されるという事例があります。
元々は、
ラオスの
政府は、こうした
村人がこれまで森を管理、そして利用していたということを認めています。そして法律でも認めていますので、森の管理の仕方をコミュニティーにゆだねると。ここに書いてあるのが土地森林委譲
政策です。これ、
村人が
自分たちで森の使い方を決める、ルールを決めると、そして
政府に登録するという形で
資源を守り、
村人の
生活も支えていこうという、そういう方針がありました。それが、急激なグローバル化によって相克が起こっているという現象です。
例えば、次、
お願いします。
ラオスの法律では、森林法では、プランテーション、
商業植林は荒廃林か農地しか対象にしてはいけないという定めがありますけれども、実際に、じゃ、荒廃林というのはだれが決めるのか、その定めがないと。そして、荒廃林だということであったとしても、実を言うと、
村人はそこからいろんなものを使っているという、そういう事実もあります。
実を言いますと、つい最近、先ほど
ラオスの
首相がいらっしゃったと聞きましたけれども、この
商業植林によって有用な木材が不正に伐採されているケース、あるいは
村人の本来持っている登録した森林共有権というものが不当に侵害されているケースも起こってきているということを踏まえながら、一時的な中止を発表しています。これは
ビエンチャン・ポストに発表されておりました。これは
一つの英断だと思います。そして、森林戦略に関して、そういう問題が起こらないように見直すということを発表していらっしゃいました。
次、
お願いします。
元々そこにある
資源を
現地の
人たちが有用に使い、かつ持続的に使うという
一つの形として村落共有林、
社会林業という考え方がありますけれども、これはJVC、
日本国際ボランティアセンターが行っている村の共有林づくりの事例であります。これですね。これは法律にのっとってやっておりますけれども、手続として、
村人がいかに、
自分たちがこれまで使っていた森の有用性を改めて
理解し、かつ持続的に管理できるような法律を作る、森のいろんな利用の仕方も
自分たちで区分して決めると。そして、これ、村の入口に森林区分の地図を
自分たちで出すと。それによって一応権利を
政府に保障してもらうということなんです。
次、
お願いします。
復興の過程で様々な
投資、
ODAが入るわけですけれども、カンボジアがその復興がうまくいっていると言われている
一つの例です。和平合意がなされて以来、もう十五年
たちますけれども、その中で、ここ四、五年は急激な
経済成長が進んでいます。特にプノンペンなどは、もう
経済が活況を呈しているのを目にすることができますけれども。
ただ、その中で、負の現象というのが出てきていまして、これを私
たちはしっかりと見る必要があります。土地の高騰あるいは投機ですね、それから
政府による強制立ち退き。これまで貧しいといえば貧しかったけれども、すべての人が土地を保障されていたという中からどんどん格差が生まれてきているという現象です。
例えば、JVCが、私
たちですね、活動しているカンダール県オンスノール郡では、二十四村の村を対象にして
調査したんですが、七割の共有林が売却され、六割の農地及び灌木林がやはり売却されるということが起こっています。
それから、特に先住民の
生活の保障であった森林あるいは共有地というものもかなり切り崩されているという現象があります。しかし、法律としては土地法さらには森林法というとてもいい法律があるわけです。そして、先住民の土地の共有も認められているし、森林の共有あるいは持続的な利用というものも認められているわけですけれども、問題は、それが実際には執行されていないということが指摘されています。それは、行政のガバナンスの問題になってくるかと思いますけれども、例えば司法と行政が独立していないと。
村人が土地を奪われたときに訴えるわけだけれども、それが正当な手続で認められないというようなことは報告されています。
そして、一番下に書いてありますけれども、
経済開発が人権尊重、民主化進展、良い統治、市民
社会の成熟などと
連携しない場合には弱い
立場の人々の
状況がますます悪くなるということが言えると思います。
次、
お願いします。
様々な問題が起こっているということの事例です。
次も
お願いします。
このような
状況になってきますと、
経済成長を進めるだけでは問題が
解決できない、あるいは
経済成長一本やりで進めることによって問題がますます深刻になるということのケースです。
次、
お願いします。
ここには
タイの事例が簡単に書いてありますけれども、これは
一つの事例であります。
タイの農民、特に独立小農民ですね、これまで土地を持って耕作していた
人たちの
状況が悪化しているということの例ですけれども、
タイは九五年にWTOに加盟し、その後、二国間の自由貿易協定、FTAなどを進めているわけですけれども、その中で、農地がどんどん企業買収される、あるいは農産物価格がますます下がることによって借金に農業収入が追い付いていかないというような現象もあるようです。
ここで見ますと、土地なしの農家の数が、九〇年代、ここでいうと九五年に八十万戸であったものが二〇〇五年には百五十万戸に増大している。それから、一方で、農作物の輸出というのは、九五年の時点で四千百三十億バーツであったのが、ここでいうと、年度でいうと〇一年ですね、二〇〇一年には六千八百五十億バーツに上がっている。だから、輸出価格、輸出量というのはどんどん増えているわけですけれども、じゃ農民はどうかというと、所得は下にありますように減っているわけです。さらに、借金が増えているということが見て取ることができると思います。
次、
お願いします。
この現象に対して、まずは、
自然資源の見方ということを先ほど言いましたけれども、これがまずは、様々な
社会保障、公的な
社会保障が満たされていないところでは住民にとっては最も有効な
生活の
安全保障になっているということですね。
そして、
自然資源の利用あるいは管理のメカニズムをいかにこれまでの住民主体のものを
政府がくみ上げていって公的な
システムにしていくかという課題が出てくると思います。
そして、これはただ単に
自然資源というだけではなくて、
自然資源を守るために、これまで成立していた
社会の助け合いの仕組み、あるいは
資源の
地域循環の、
経済ですね、そういったものも認めながら、いかにそれを、その輪を、
経済の輪をボトムアップで広げていくかという
視点が逆転の発想で必要になってくるのではないかというふうに
NGOは思っています。
そして、同時に、そのような
地域資源、住民が依拠していた
地域資源が失われた場合はこれはどうするか。当然、それに拘泥するだけではますます
状況が悪くなっている中で立ち行かないわけですけれども、そのときに当然公的な意味での
社会開発の
支援が必要になってくる。これは
ODAの
社会開発面における重要性の指摘であります。
そして、この
地域資源の問題と紛争の問題の
関係についてもまだ十分に研究なされ尽くしていませんけれども、私
たちにとって重要な
観点です。研究者の間では豊かな
資源ののろいというような表現がされているといいますけれども、
資源が豊かであるがために逆に
国民生活は貧しいという統計的なデータがあるそうですけれども、これは
一つにはガバナンス、
資源がだれのために使われて、いかに公正な透明性のある使われ方をしているかということの証左でもありますし、同時に、それが公正に使われていない、あるいは分配が十分に底辺に行き届かない場合には、これは紛争の種になるということの表れでもあります。
これらのことを考えながら、
ODAに関して三つのひとつの効用というものをここでは定義いたしました。
一つには、
ODAは将来の地球の保証であると。地球
社会において人あるいは自然、生命体が共存できるための
ODAという考え方。そしてもう
一つには、国境を越えた保障ですね。実際には、そうはいいながら生命も維持できないような
状況に陥っている
人たちもいます。その
人たちに対する福祉
支援としての
ODAです。そしてさらには、この
グローバライゼーションの進展、さらに
日本のように
資源を海外に依存している、そういう
状況の国においては当然それによって起こる問題に補償をすると、国境を越えて補償するという、そういう
観点も必要になってくるんではないかというふうに思います。
そして、時間が余りありませんので、済みませんが急いで行きますが、
ODAを考える上での課題ということで幾つか定義さしていただきました。
一つは、
ODAの戦略性です。
先ほど言いましたように、相手国
政府のガバナンスをどれだけ
ODAを
支援する側が関与できるのか、介入できるのかという問題です。その場合には、ポジティブリンケージ、介入することによって
資源の利用が公平にされるように働き掛けていく方法もあれば、ある場合には、それが見込まれない場合にはネガティブリンケージでストップするという、そういう両構えの介入の仕方、考え方があります。これは
支援する側の責任でもあるわけですね。それを戦略性と言うわけです。これは、
ODAのいわゆる財政に対する直接
支援にも
関係してくる課題だと思います。
もう一方で、OOF、アザー・オフィシャル・フローとのすみ分け。基本的に
ODAは
経済というよりも相手国の福祉あるいは
貧困削減といったものに使われるべきだというふうに思いますけれども、OOFとはまた別のすみ分けがあるんではないかということをはっきりさせたいということがありますけれども、しかし、当然、海外での
経済活動に関与する企業への
支援だとすれば、理念においては人間の
安全保障という意味において整合性がなされるべきだろうというふうに思います。
そして、パフォーマンスですけれども、これら現場
レベルでこうした
地元にある
資源を有効活用し公正さを保つ、ガバナンスにも関与していくとなると、大変な時間と労力が必要となってくる、そして専門性が求められる、そして現場
レベルでの
連携が必要とされる。そうしたときに、なるべく実施機関の権限を現場に落としていくことが必要だということになります。そして同時に、特定の分野ごとの縦割りの
ODAではなくて、
地域の総合的なニーズにこたえるという意味での現場主義、そして現場でのマルチのプログラムというものが求められるわけですけれども、これが新しいJICAにおいてどこまで実践されるか、これがとても重要なポイントだというふうに思います。
そして、プロセスにおいては、御存じのように、OECDのパリ宣言に表れたようなモニタリングの指標、これをどう公開して、それを
日本においても
国民に説明し、あるいは指標に満たされていないランク付けがされた場合に、十分に上位にならなかった場合でも、改善の
視点を示しながら改善をしていけばいい。そこに、公開性において信頼を獲得していくことが必要だろうと。それは、相手国に対してガバナンスを求める以上、こちら側もガバナンス、そして透明性を求められるということの表れです。
そしてもう
一つは、問題が起こってから
解決するのはとても大変です。それに対して、プロセスにおいて様々なアセスメントのガイドライン等々をしっかり作る、そしてそれも公開していく、そのプロセスにおいて住民なり関連する
NGOの参加、
協議を重視するということを書かれております。
次に、ちょっと
視点が変わりますけれども、平和国家としての
資源を生かした
国際協力ということを、非軍事の
視点に立つ
NGOとして是非進めていただきたいというふうに思っています。
これは、理念として
日本国憲法の前文に示されたものを実際に
ODAが実現していくことによって、国際平和
協力の分野で
日本が独自性を発揮するという、そこに期待を
NGOはしております。
そのときに、対テロ戦争、九・一一以降、重視されるようになりましたグローバルセキュリティー、ここに
ODAが使われるようになった場合に、人間の
安全保障と相入れないケースも出てくるんではないかと、それを懸念するわけですけれども、それを回避するような仕組みをつくる必要がある、十分にそのガイドラインを示す必要があると思います。
そして、原則としてドゥー・ノー・ハームですね。してはいけないことをしないということから
自分たちをチェックする必要があります。そして、
技術論としては、紛争影響評価をしっかり実施機関もつくる。これは、
ODAだけではなく、
NGOも当然です。やってはいけないことをやることによって、
現地の紛争、亀裂、対立、緊張を高めてしまうというケースが復興直後の復興
支援開発にはよく起こることです。そして、実施体制としての現場主義がこれに
関係してきます。
次に、非軍事の
支援の強化によって軍事
支援の国際的なプレッシャーを超克すると書いてありますけれども、いろんな意味で軍事的な
支援に
日本が求められるところがあると思いますけれども、それをいかに別の平和
支援によって超克するかということを私はここで指摘したいというふうに思います。
この
関係においてもう
一つ触れておきたいと思いますのは、アフガニスタンにおける地方復興チーム、PRTの問題です。
これは、
一つのアフガニスタンにおける事例ではありますけれども、この軍による人道復興
支援、しかも民間との
連携による人道復興
支援というのはアフガニスタンで始められたものです。それがイラクでも行われるようになり、それがほかの
地域でも進められていく
可能性があります。そのときに、アフガニスタンの事例、起こっていること、結果を慎重に分析して、今後の
日本の対応を考えていただきたいというふうに思います。
一つには、軍事作戦と人道復興
支援が混同する、そのことによって人道
支援のスペースがどんどん狭められるというのが
現地で活動している
NGOの心配、懸念です。そして、
NGOの声明では、このようなことを指摘する声明が幾多も出されております。
もう
一つは、
ODAを軍事的な目的に使うことへの批判というのも、
現地で活動しているイギリスやヨーロッパの
NGOの連合体が共同声明を出しております。これは、
現地の
状況で、いかに軍による活動が人道復興
支援と言いながらも、どうしても軍事的な作戦と切り離せないと、そういう実情をしっかり
理解する必要から出てきているわけです。
次に、済みません、進み方が早くて申し訳ありません、あと少しです。
その中で、これらの課題、
NGOが考えている課題の中で、
政府と
NGOはどう
連携していくかということを簡単に
お話しいたします。
一つには、
政府との
協力といった場合に、
政府との
連携、そして
政府による
NGO支援ということがありますけれども、これにはいろいろなスキームがこれまで考え出され、実施され、そして今は、新たな
NGOとの戦略的な提携、活用に向けた五か年計画というのが外務省によって出されております。ここで
一つ指摘しておきたいのは、これが
政府の
事業の担い手としての
NGOの位置付けを明確化すると、そういう前提に立っている戦略になっていることですね。これに対して
NGO側は、
NGOというものの
自主性、
独立性をいかに発揮しながら
政府と
連携するかということを考えた場合に、ただ単に補完の位置付けになってしまうんではないかという不安があることがあります。
一方で、様々なスキームが多様になり、そして柔軟化することによって、それぞれの
状況に応じて
NGO側が選び取りをし、
自分たちの組織においても
現地の活動においても負担が少ない有効に使えるものが、選択肢が増えるんではないかという期待もあります。
一方で、
NGOを
支援するということと
NGOを活用するということは別だということを、
政府側と、
NGO自身も明確に区別して
理解する必要があるということがあります。
そして、今、
NGOの中で指摘されているのは、
NGOの組織
支援としては、コアファンドといって、特定の
プロジェクトではなくて、組織に対して三年なら三年
支援を付けて、それを評価する
システムを三年後に活用して、継続して
支援するかしないかを決める組織
支援の形態があります。これは特に
日本の
NGOの中で、ネットワーク
NGO、重要な
役割を持っていながら弱い部分ですけれども、これに対する
支援としては
一つのモデルになるんではないかと、研究の課題になるかというふうに思っております。
一方で、重要なのは
NGO側と
政府、
ODA実施機関等が、いかにその組織
文化を相互に
理解し合って信頼性を高めていくかという課題です。これに関しては、先行的にインターンシッププログラムが進められていますけれども、この
成果の上に、より長期的、より包括的なインターンシップ、交流を積み重ねていく、その中で、当然
NGOの経験者が
政府の中で実際の職を得る、逆に
政府の経験者が
NGOの中に職を得る、そういう相互の交流が進んでいくというふうに考えています。
最後に、
NGOと
政府とのこれまでの対話の経験ですけれども、様々な対話をこれまで実践してきました。外務省との定期
協議、その中には
連携協議部会もあれば、
政策における
連携あるいは
協議をする部会もあります。あるいは財務省との定期
協議、JICAとの定期
協議、JBICとの定期
協議なども積み重ねられてきました。これはとてもいいことだと思いますし、この
成果を十分に発揮しながら次に行く必要がありますが、
一つは、ちょっと済みません。
それ以外の形の
協力、
連携においては、例えば
ODAの戦略
会議、あるいは今行われている有識者
会議などに
NGO側からの専門家が参加する仕組みができています。この両方の
会議にJVCの職員も代表として参加しておりました。
あるいは、もう少し個別的になりますけれども、各国の国別
援助戦略をつくるに当たって、大使館、在外公館から
日本の本部での双方における
NGOと外務省側との
協議が事例としては進められています。
そしてもう
一つ、例えば地雷廃絶キャンペーンのように、国際キャンペーンにおいて海外の
政府と
NGO側が整合して、地雷廃絶条約を実現するというようなケースがあります。これは、今はクラスター爆弾において
NGOと
政府のイニシアチブがどう
連携できるかということが求められていまして、
日本でも地雷廃絶キャンペーン
日本委員会がクラスター爆弾において
政府に申入れ、あるいは
議員の方
たちとの
協力を進めようとしています。
最後です。この対話の課題ということなんですけれども、
NGO側は
政府と様々な分野で対話をしていきたいと思っています。その場合に、
NGOは
ODAの影響を受ける
現地の市民の代弁者の
立場に立っているわけです。しかし、本当に代弁者の
立場に立てるかどうかというのが重要です。この場合に、それを保障するためには、
協議の場が透明でなければいけないということですね。ここに書いてありますのはFPIC、フリー・アンド・プライアー・インフォームド・コンサルテーション、事前に情報が公開されていて自由に議論ができる場がなければ私
たちは密室で
協議をすることになって、それは
現地の
人たちからの
理解が得られないということです。
そして、
協議、様々なケースがありますけれども、それが形式的なものに陥らないためには、例えば外務省との定期
協議においても評価を行う、あるいは、すべての回とは言いませんけれども一年に一回は
議員の
人たちとの共同の場を設ける、あるいは外務省とは別に議会との
NGOとの定期
協議などの場も設けるという様々な課題が考えられると思います。
以上です。長くなりました。