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2007-02-07 第166回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十九年二月七日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員氏名     会 長         田中 直紀君     理 事         加納 時男君     理 事         岸  信夫君     理 事         三浦 一水君     理 事         木俣 佳丈君     理 事         喜納 昌吉君     理 事         谷合 正明君                 愛知 治郎君                 小林  温君                 山東 昭子君                 末松 信介君                 田村耕太郎君                 二之湯 智君                 野上浩太郎君                 水落 敏栄君                 犬塚 直史君                 大石 正光君                 工藤堅太郎君                 富岡由紀夫君                 直嶋 正行君                 峰崎 直樹君                 若林 秀樹君                 加藤 修一君                 浜田 昌良君                 大門実紀史君     ─────────────    委員異動  二月七日     辞任         補欠選任      犬塚 直史君     尾立 源幸君      若林 秀樹君     加藤 敏幸君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         田中 直紀君     理 事                 加納 時男君                 岸  信夫君                 三浦 一水君                 木俣 佳丈君                 喜納 昌吉君                 谷合 正明君     委 員                 愛知 治郎君                 小林  温君                 山東 昭子君                 末松 信介君                 田村耕太郎君                 二之湯 智君                 野上浩太郎君                 水落 敏栄君                 尾立 源幸君                 大石 正光君                 加藤 敏幸君                 工藤堅太郎君                 富岡由紀夫君                 峰崎 直樹君                 加藤 修一君                 大門実紀史君    事務局側        第一特別調査室        長        三田 廣行君    参考人        作家       半藤 一利君        東京工業大学大        学院社会理工学        研究科教授    橋爪三郎君        敬愛大学国際学        部助教授     水口  章君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○委員派遣承認要求に関する件 ○国際問題に関する調査  (多極化時代における新たな日本外交について  )     ─────────────
  2. 田中直紀

    会長田中直紀君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  本日、犬塚直史君及び若林秀樹君が委員を辞任され、その補欠として尾立源幸君及び加藤敏幸君が選任されました。     ─────────────
  3. 田中直紀

    会長田中直紀君) 次に、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国際問題に関する調査のため、今期国会中、必要に応じ参考人出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 田中直紀

    会長田中直紀君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 田中直紀

    会長田中直紀君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  6. 田中直紀

    会長田中直紀君) 次に、委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。  地方自治体における国際化施策及び国際安全保障環境の安定に向けた我が国の取組に関する実情調査のため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 田中直紀

    会長田中直紀君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員派遣地派遣期間等決定は、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 田中直紀

    会長田中直紀君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  9. 田中直紀

    会長田中直紀君) 国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会調査テーマであります多極化時代における新たな日本外交について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。  本日は、作家半藤一利参考人東京工業大学大学院社会理工学研究科教授橋爪三郎参考人及び敬愛大学国際学部助教授水口章参考人に御出席いただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  各参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。  本日は、多極化時代における新たな日本外交について各参考人に忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、まず半藤参考人橋爪参考人水口参考人の順でお一人三十分程度御意見をお述べいただいた後、午後四時ごろまでをめどに質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、半藤参考人から御意見をお述べいただきます。半藤参考人
  10. 半藤一利

    参考人半藤一利君) 半藤でございます。  私は、昭和五年、つまり一九三〇年生まれの、私の同級生の言葉をかりれば老廃物の一人でございまして、今日も、このようなところへ来て、お呼びいただきまして話をするというのは非常に光栄なんですが、一体何が話せるだろうかと、実は余り自信がないんでございます。先生方のように、特に一つテーマ研究をしている人間ではなく、市井にあって一人でこつこつと勉強しているだけの人間でございますので、余り参考になるような話ができないんじゃないかと、これはあらかじめお断り申し上げておきたいと思います。  それと、妙なアンケートを今日配らさしていただきましたが、これは回収するつもりはございませんので。後ほど、会長さんの御許しがあれば、一番おしまいのときに、閉会する直前ぐらいに五分ぐらい時間をいただいて解答をお示ししたいと思います。もしよろしければ、それまでに丸を試みにお付けになっておいていただきたいと思います。  これは、よく私が、十三年ぐらい前にある女子大女子大生五十人を相手にちょっと授業をしたことがあるんでございますが、三か月でやめちゃったんですが、そのときに、女子大生歴史認識はどの程度あるんだろうかというので試みに作ったアンケートなんです。これを女子大生五十人に出しました結果、その一番初めの、これ十何年前でしたので、そのときは何年前と書いたか忘れちゃいましたが、とにかく太平洋戦争、これ太平洋戦争と書けば非常に分かりやすいんですが、中にはうるさい人がいまして、大東亜戦争だと言う人がいますし、いや違う、十五年戦争だと言う人もおりますし、アジア・太平洋戦争だと言う方もおりまして、なかなか面倒くさいので妙な書き方をしておりますが、要するに、太平洋戦争中に日本と戦わなかった国はどこですかというアンケートなんです。  そうしましたら、その五十人の女子大生の中の、当然答えはドイツでございます。これはまあ、このドイツだけはもう特に説明しなくても先生方はお分かりと思います。ところが、女子大生の中の五十人のうちの十二人がアメリカとマル付けたんです。これには私もさすがにひっくり返りまして、幾ら何でも今の若い人たち歴史認識というのはひど過ぎるんじゃないかというので、三か月で先生を辞めちゃったんですけれども。  その後、そのアンケートを何か機会あるたびに出しまして、そしていろんな方のお返事をいただいて、たくさんたまっているんですが、もう最近やめまして、回収しないことにいたしました。今日も回収いたしません。どうぞ先生方、勝手でございますが、マルを付けて、一番最後のときに解答を明かしますので、何題ぐらいできたかということで自分で楽しんでいただきたいと思います。  これ、会長さん、最後にお願いしたいと思いますが、よろしくお願いします。  今日は私、何を話そうかと考えましたが、太平洋戦争というものはなぜ起きたのかというところから、外交の問題についてお話し申し上げたいと思います。  歴史にはよくノーリターンポイントという言葉があります。これは、引き返せない、もう国家の政策があるところまで行ってしまって、もはやこれ以上進むよりしようがないと、元へ戻れない、つまり坂道を転げるよりしようがないというポイントがあるわけでございます。それが、昭和日本人、つまり戦前の日本人の場合はどこだったろうかということを考えます。  これはいろんな議論がございます。十六年十一月の二十六日にハルノートが出た時点で、あのハルノートを受諾すればよかったと、あそこまで日本戦争を回避する道はあったと言う方もいらっしゃいます。ところが、あそこまで来ればもう駄目だと、私はその意見でございますが、あそこまで行って今更ハルノートを受諾するというようなことはとてもあの当時の日本ではできないと。  ハルノートというのは、要するに、要点だけ申し上げますと、中国及びフランス領インドシナ仏印から全面的に撤退せよと、これが一つです。二番目は、蒋介石政権を承認せよと、そして日本がつくった、つくったと言うと怒られますが、汪兆銘政権を不承認にせよと。それから三番目が、三国同盟から離脱せよと。この三つなんです、これは一番大事なところは。この三つとものむというわけにはあの時点ではいかなかったから、あの時点ではノーリターンポイントではなかったと、私はそう思います。  じゃ、おまえはどこかと聞かれますと、私は三国同盟を結んだときであると。この三国同盟を結んだときに、もはや日本は引き返せなくなったというふうに言ってもいいのではないかというふうに理解をしております。これは御異論があるかと思いますが。  この三国同盟というのは、もう釈迦に説法ですから余り詳しくは申しませんが、昭和十五年の九月に結ばれました。その昭和十五年という年をちょっと振り返りますと、五月の一日にドイツが、今までしいんとしていたんですが、突然、ヨーロッパの西の方、つまりフランスベルギーオランダなどに攻め入りました。電撃作戦で攻め入ってきまして、ここで第二次世界大戦、第二次世界大戦はもうその前の年の十四年の九月一日のドイツポーランドに侵入したときに始まっているんですけれども、この十五年の五月までは、どちらかというと、宣戦布告しておりましたけれども戦火は交えていなかったという状態であったわけですが、この五月のときにもうドイツが総攻撃を開始しまして、これはもう第二次世界大戦が完全に始まったというときでございます。それで、十四日にはオランダが降伏し、十七日にはベルギーが降伏し、そして六月の十四日にパリが陥落したと、もうヨーロッパドイツに制覇されたという状況であったと。  こういう状況下で、突然と言ってもいいんですが、その年の九月の七日にドイツからリッベントロップ外務大臣特使として、ヒトラーの意向を持って日本にやってきたシュタイマーという特使がいまして、これが日独伊国同盟を結ぼうじゃないかというふうに言ってきたわけでございます。  この三国同盟問題というのは、もう昭和十四年、前の年の十四年は、平沼内閣のときにもう大もめにもめまして、結局、その同盟は結ばなかったといういきさつがあるんですが、それをもう一遍ドイツが蒸し返して持ってきまして、いきなりこれを突き付けたわけです。で、またもめるのかというふうに思いましたら、あに図らんや、あれよあれよという間でこの同盟が結ばれまして、九月の七日にシュタイマーが来ましてから十日ちょっとの、十二日間、十二日ですか、たった後、九月の十九日に御前会議が行われまして、三国同盟を結ぶということが決定してしまったわけです。  この誠にスピードのある決定というのが、実は日本外交上におけるもう大きなる間違った選択であったということになると思います。この間違った選択、つまり、外交的になぜこういう間違った選択をしたかということをしっかりと私たちは学ばなきゃならないのじゃないかと思うんです。  このときなぜ日本日独伊国同盟を、つまり、ドイツはもう既に戦争を始めているわけです。戦争を始めているドイツと手を結ぶということは、ドイツ戦争をしているイギリスと敵対するということです。ないしは、イギリスを後から応援しているアメリカとも敵対するということであるわけです。ですから、このときにアメリカはもちろん物すごい硬化するわけですが、非常に冷静な判断、つまり、常識的な判断をすれば、戦争をしている当事者と手を結ぶなどということは、こちらも戦争に加入するわけでございますから、だからこれはちょっと様子を見ていこうと、こう考えるのが当たり前なんですが、不思議なくらいに、このときに日本外交的決定は三国同盟を結ぶということで、あっという間に結んでしまうわけです。  これは、裏側の中身を通しますと、このときの外務大臣松岡洋右という方が、日独伊国同盟だけではなく、これにソ連を加えると。なぜソ連を加えるかというと、その前に、つまり昭和十四年の、前の年の十四年のドイツポーランドに侵入したちょっと直後ぐらいに、ドイツソ連の間の、つまり、ヒトラーとスターリンの間で不可侵条約独ソ不可侵条約という条約を結んでいるわけです。これが誠に日本から見るとおいしいように見えたんですね。つまり、ドイツソ連は手を結んでいるんだから、そのドイツと手を結ぶことによって日本ソ連も、長年の仮想敵であるソ連もこの仲間に引き入れることができると。そこで、日独伊ソ四国協定を結んで、そしてアングロサクソンの英米に当たると。そうすれば、英米の強力な力に対して日本は十分に抵抗できるという案なんですね。つまり、日独伊国同盟だけで終わったんじゃなくて、裏側外交的なもくろみとしてソ連を入れるということが重点だったわけです。これを唱えたのが外務大臣松岡さん。  時々、私、松岡さんがこれを唱えたからといって、これに近衛首相までが乗っかって、わっしゃわっしゃと喜び勇んで日独伊国同盟を結ぶなどというのはおかしな話じゃないかと。だから、みんなその気持ちになったんじゃないかと時々思うんですが、どうも調べていきますと、みんな松岡さんの弁舌に、弁舌というか、この物すごい決定に従いまして乗っかっていってしまったというところがあるんですね。  つまり、一人の個人の、外務大臣という、松岡という人の個人のこの弁舌とそれから能力と、何といいますか、説得力といいますか、そういうもの、ないしは、上からのわあっとしたその圧力といいますか、そういうもので国家が動くのかなと思っていたんですが、最近の小泉さんの五年間でしたか、見ていますと、ああ、国家は動くんだ、やっぱり、これと。個人で十分に動かすことができるんだなということを私、本当に分かりましたんで、ああ、これは、このときのやっぱり松岡という個人の資質がすごく辺りを圧しておりまして、そしてこの同盟にあっという間に持っていって、日本の国というのは、誠に情けないことですが、これで戦争への道を開いてしまったと。  ですから、個人というものが、政治の中の個人というのがどのぐらいの力を持つのかということが実はずっと疑問だったんですけれども、本当にもう正直言うと、小泉さんを見ていて、ああ、政治の中の個人というのはすごい力を持ってあり得るんだということを思い知りました。したがって、最近は、私、近衛さんだろうが東条さんだろうが、何か日本無責任体制でほとんどだれも責任ないんだというようなこと言っておりますが、そうではなくて、厳密に見ていくと、非常に個人の力というのが働いているんじゃないだろうかということを、近ごろはそういうふうに思いつつあります。  いずれにしろ、この三国同盟を結ぶことにおいて、日本戦争への第一歩を踏み出したと。つまり、外交的決定といいますか決断といいますか、外交的判断というものをこのときに日本は物すごく誤ったというふうに思います。  このとき、ですから、もう少し冷静な人がいれば、戦争をしている国と手を結ぶということは戦争の一味になることだということをなぜ分からなかったんだろうかということを非常に思うわけです。ということは、まあ簡単に一言で言えば、どんどんどんどん国際情勢が変化していると、物すごく国際情勢がもう急激に変化しているときに、日本のその当時の人たちは、残念ながらその認識というものが誠に甘かったと。甘かったというか、どんどん変化していく国際情勢に追い付いていけなかったと。それが、こういうような形で、ある有力な個人の人の説得においてたちまちこういうふうになってしまうんだということになるんじゃないかということを一つの教訓として思うわけでございます。  その次に、この三国同盟を受けまして、翌年の昭和十六年になりまして、四月十六日なんですが、日米交渉というもの、アメリカ昭和十四年の七月に日米通商航海条約というものを破棄するということを言ってきまして、そしてその航海条約は実際には昭和十五年の一月から実行に移ったわけです。したがって、日本アメリカは明治以来の友好条約を破棄されまして、敵対化敵対化はしませんけれども、友好的な国家ではなくなりましたので、これをもう一遍元へ戻してもらおうというので日米交渉が始まるわけです。これが十六年の四月からなんですが。  この十六年の四月の日米交渉を始めている途中で、ドイツソ連戦争をするわけです。ドイツソ連に攻め入るわけです。この瞬間に、日独伊ソ四国協定などというものがもう夢の夢であったと、誠にはかない蜃気楼みたいなことを日本が、日本外交が描いていたんだということになってしまうんですが、ところが、そのドイツの進撃が物すごく華々しかったんです。その物すごく華々しかったばっかりに、ここで皆さんが御存じの言葉なんですが、バスに乗り遅れるなというので日本の世論というのが、とにかく今がチャンスだと、ドイツオランダをぶっつぶし、それからフランスもぶっつぶしているから、東南アジア植民地であるオランダ領インドシナあるいはフランス領インドシナ、というのは今の現在のベトナムですが、これらは主がなくなった、つまり本家がなくなった分家みたいなもので、今こそ日本チャンスだと、乗り出すときだ、チャンスだというので、ここで俄然ドイツ勝利に促されまして、そしてこのバスに乗り遅れるなの掛け声の下に、七月の二日に御前会議をやりまして、そして御前会議決定として南進すると、東南アジアへ出ていくと、このドイツ勝利を奇貨として東南アジアへ出ていくということを決めるわけです。  このときの御前会議決定で、東南アジアへ出ていけば、当然のことながら、イギリスアメリカとぶつかると、ぶつかるから戦争になる可能性がある。それでなくとも、もう三国同盟を結んでまして、そしてイギリスとは準敵国になっているわけですから、今度は正式の敵国になるということが当然考えられる。ところが、日本軍部政府も、もちろん外務大臣も含めまして、このときに、それでも構わぬ、今こそチャンスなんだから出ていこうという外交方針を決めまして、そしてそのときの御前会議の一番最後一行、対米英戦争も辞せずという一行を加えるわけでございます。  これ、当時、アメリカ日本外交電報をもう暗号を解読しておりまして、したがいましてこの御前会議決定というのも、当然、もう暗号電報で言っているのを解読いたしまして、日本が対米英戦争も辞せずと、もうここで覚悟をしているぞということがもう既に分かったわけでございます。このときの結果として南仏印進駐をしていくと。南仏印進駐して、つまり、今のベトナムのサイゴンの方に日本の軍が出ていくと。  これはなぜ出ていくかというと、対米英戦争をもしかするとせざるを得なくなる、そのときにはそのための準備として日本の軍が南ベトナムまで行っておく必要がある、じゃないと間に合わないということで、軍事的な必要があってどうしてもあそこへ出ていくと。ところが、出ていけばアメリカイギリスは黙っていないから戦争になると、だから出ていかない方がいい。いや、そうじゃなくて、出ていかなくとも下手をやると戦争になる、戦争になったときはあそこへ出ていっていないと戦争がうまく進まないと、だから出ていった方がいい、今のうちに出ていった方がいいという、こういう妙な判断で、これはもちろん外交的な、ビシー政府フランスビシー政府との交渉によって、私たち南ベトナムのちょっと土地を借りたいというような形で仏印進駐というのを、許可を得て出ていくわけです。  しかし、これでアメリカはもう完全に日本に、愛想を尽かしたというよりは、むしろもうここで戦争を決意する。つまり、アメリカ自身もここで戦争を決意いたしまして、そして、南仏印へ出ていったのが七月の二十八日なんですが、もうその前から既に外交電報の解読で知っておりましたから、それを待っていたとばかりに、八月一日の日にアメリカ石油を全面的に輸出禁止にするわけでございます。このときの海軍軍務局長の岡という人が、そこまでするとは思わなかったという言葉が残っております。多くの人が、アメリカがまさかそこまでやるとはねというふうに非常に甘く見ていたんですね。  この辺も実に、判断というものが本当に、厳密にぎりぎりのところまで考えて判断したわけではなくて、ドイツの勢いに乗って、ドイツ勝利に乗っかって、そして日本外交を今こそチャンスという妙な言い方で決断をしたといいますか決定をしたという、これも日本の当時の外交の大きな判断の誤りだと私は思うわけでございます。石油を禁止されればもはや戦争であるというのが当時の日本軍部の持っている考え方でした。  なお、ちょっと余計なことですが、当時の日本はどのぐらいの石油を持っていただろうかということを御紹介いたしますと、日本は万が一に備えて本当にもうぎりぎりのところで石油をためたんです。ぎりぎりのところで石油をためていた。備蓄といいますが、もう本当に、日本はいざというときのために苦労苦労を重ねて石油をためました。陸軍は百二十万キロリットル、海軍は六百五十万キロリットル、民間は七十万キロリットル、これが昭和十六年の備蓄です。海軍はこれでどのぐらい戦えるかというと、一年半ぐらいなんです。陸軍はこれでどのぐらい戦えるかというと、一年ぐらいなんです。戦争が起きたとき、物すごく石油を使いますので。  したがって、当時の連合艦隊山本五十六大将が近衛文麿総理大臣に、一年か一年半は十分暴れてみせます、それまでに何とか戦争をやめるように何とか政府で動かしてくださいと言って頼んだという、まあこれを豪語と取る人もいるんですが、それはこの備蓄石油なんです。つまり、六百五十万キロリットルやっとこさっとこためたんです。だから一年半は戦えるという誠に哀れな状況戦争に突入。  つまり、こういう数字というものもちゃんと裏側にありながら、南仏印に出ていけばアメリカはきっと戦争政策の石油禁輸で出てくるよということが考えられながら、日本ドイツ勝利に乗っかって外交を進めたと。何か、日本独自の外交とかなんとか言葉では言いますが、日本外交というのは、少なくとも過去においては何遍も、何かに乗っかって、何かを頼みにして外交方針決定していったということが、一番大きなことはこれなんですが、これ以外にもたくさんあるわけです。こうして戦争というのが、まあ変な話ですが、もう止められないところまで行って、そして始まってしまったということでございます。  僕は、なぜ例の、日本はこんなに外交的に判断を誤ったり、あるいは甘い考え方で、つまりドイツに乗っかったりして、そういうような形で外交を進めてきたのかなということを時々思うわけです。これはもう簡単に一言で言えると思います。  簡単に一言で言えるのは、昭和八年の二月の二十四日、もう皆さん御存じと思いますが、日本は国際連盟から脱退いたしました。この国際連盟から脱退ということは、非常に単純に考えてみんながオーケーしちゃったんですね。だけれども、このとき一番良くないのは新聞なんです。日本のマスコミというのは、このとき本当に悪いと思いました。まだ、脱退すべきか、いや、国際連盟の中で日本の苦しい立場を世界に述べて、そして何とか理解を仰いだ方がいいという意見と、いや、もう日本は独自の外交政策をやっていった方がいいから、あんなところにいつまでいる必要はないんだという意見とがぶつかり合いまして大もめにもめているときに、何と新聞が、全国の新聞百三十二社が一致して共同宣言を発しまして、早く国際連盟から脱退せよと、今の政府は何をしているかと言ってたしなめ、そして脱退のためのかねや太鼓ではやし立てたわけです。これに日本国民は全部が乗りまして、ある程度、全部じゃおかしいんですが、ある程度乗りまして、そして時の斎藤実内閣ですか、斎藤内閣を後ろから押しまして、早く脱退しろ早く脱退しろというので国際連盟から脱退をしてしまったと。  で、この昭和八年以来、国際連盟から脱退したということは、激変する国際情勢から情報がほとんど取れなくなったと。いや、幾らかは入っているんです、入っているんですが、本当の肝心かなめの一番いい情報が入らなくなったと。つまり、日本という国は、戦前の日本帝国というのは、この昭和八年以降、いわゆる国際社会の中の一員ではなくなりまして、自分たち独自の道を歩むという立場を取りましたために、外交的努力とか外交苦労というものを一切しないで済むということになって、これは非常に軍部とか何かにとってはやりやすいんですが、しかし、国家というもの、大きなものを動かすためにこれほどひどいものはないと思います。  このときに、やっぱりとどまっておいた方がいいんだと、とどまるべきだと言ったのが東洋経済の石橋湛山さんであり、あるいは時事新報の伊藤正徳さんですが、「連合艦隊の最後」をお書きになった方ですが、伊藤正徳さんであり、そういう人たちが何とか脱退はやめろと、とどまれとどまれと言うんですが、新聞そのものが、もうとにかく辞めろ、早く脱退早く脱退ということで、結果的には昭和八年の二月の二十四日、松岡洋右、また、ここへまた松岡さんが出てくるんですが、松岡洋右全権が一場の演説をぶちまして、そしてさよならの一言を残してその会議場から退出いたしまして、日本は脱退してしまうという形になったわけであります。  ですから、私、昭和八年から昭和十六年、まあ昭和二十年まででいいですが、戦前の日本を見ると、外交というものはほとんど、ほとんどとも言っていいぐらい、人のふんどしで相撲を取るぐらいしか考えないで、自分たちの独自の判断で、国家というものの運命を背負うぐらいの形できちっとした判断をしたことがないんじゃないだろうかと。いや、そんなことを言うと怒られますが、さはさりながらいろんな判断はあったと思いますが、少なくともその判断とか決定というものは大体間違った判断であって決定であったと、そういうことが言えるのじゃないかと思います。  戦後日本をちょっと考えますと、戦後日本も占領期の昭和二十七年まで、二十六年一杯まで占領下にありましたから、日本外交的努力はありません。それから、それが終わりまして、いよいよ講和条約を結びまして、日本が独立しました。そして、独立した瞬間にもう安保条約が結ばれておりまして、ですから日本は、アメリカの庇護の下に日本国家がまた運営が始まりました。  したがって、ここでもまた外交的な本当の努力というものが、する必要がないという言い方はいけないんですが、余りする必要がなくなったというような形で、日本人はどうも、私、今日まで、本当に今日まで外交的なことで何か大きなものをずっと学んできたんだろうかということを疑っているんです。ほとんど日本外交はあり得ないんじゃないだろうかと。そこまで言ってしまうと怒られるかと思いますが、ずっとここのところの、戦後の日本の、近ごろのと言ってもいいと思いますが、日本外交を見てみますと、何かにおんぶするか、何かとんでもないことを考えて、夢みたいな、蜃気楼みたいなことを頭に描いて、そしてそっちの方の決断をしていくと。日本人は昔から、戦争前からそうなんですが、戦争前の決断一つずつ見ていきますと、何か日本人というのは、起きては困るということは、起きては困ることは多分起きないんだろうというふうにすり替えて考えまして、それが更に一歩進んで、起きないだろう、いや起きないんだというふうに考えると、こうやって大体外交決断をしてきたというふうに言ってもいいかと思います。  もう一番典型的な例は、終戦直前の満州へのソ連の侵攻でございます。満州へのソ連の侵攻というのは当然来ると、当然来るとだれもが思っていたと思います。ところが、いや、来られたら一番今困るんだと、特に陸軍がそう考えた。一番困るんだから多分来ないんじゃないか、多分来ないんじゃ、じゃ来ないんだ、きっと来ないんだ、いや、来ないというふうに、最後はそう決断したんです。ですから、ソ連侵攻に対するもう関東軍のぶざまさ、あるいは大本営のぶざまさというのは、自分たちは来ないと思っていたんです。ですから、当時の参謀次長、参謀本部の、つまり陸軍の一番偉い参謀次長が、我が判断誤てりなんという、その日記に書いているんですが。  つまり、それぐらいに、どうも日本人というのは、外圧が来ると、外圧に対しては、多分そうならないんじゃないか、なっちゃ困るんだ、なっちゃならないからならないんじゃないか、いや、ならないんだというふうな思考の過程を取って、そういうような考え方によって物事を決めていくという傾向が非常に多く見られるということを思うわけです。  ちょうど時間が参りましたのでこれで終わりにしますが、まだ言いたいことはちょっとあったんですが、また後にいたします。  どうもありがとうございました。
  11. 田中直紀

    会長田中直紀君) どうもありがとうございました。  質疑の中でまた続きをよろしくお願いいたしたいと思います。  では次に、橋爪参考人から御意見をお述べいただきます。橋爪参考人
  12. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 橋爪です。  お手元にハンドアウトがございますので、これに従って述べてまいりたいと思います。  今、半藤参考人が過去の歴史に基づきましていろいろ外交の反省すべき点をお述べくださいましたが、私は、今後起こり得る課題について主にお話ししてまいりたいと思います。ハンドアウトのうち最初の部分と最後の部分が特にお話ししたいことですが、頭から順番に御説明していきます。  まず第一番として、日本外交に何が足りなかったのか。一般論として申し上げますと三つあると思うんですが、第一にリアリズムが足りなかった。現実を見詰めるという力が非常に弱いというふうに思います。  日本外交は、外国と仲良くすればいいという理想主義的な考え方に対して、自国の国益を重視しなければならないという現実主義的な考え方と、この二つの間があるというふうに普通理解されるんですが、私に言わせれば、自国の国益を考えて外交を進めるだけでは現実主義ではありません。なぜかと申しますと、もし自国が自国の国益を追求して外交を進めるのであれば、外国は外国独自の国益を追求して外交を進めるわけですから、相互の合意を得るためには、相手国がどのような国益を持っており、どのような国益を重視して行動するかということを十分認識しないならば、自国の国益を実現することすらできないわけです。  しかし、これにもとどまらないのです。というのは、外交は多国的になっておりまして、例えば日米、日中で考えますと、日本が国益を考えて米国と交渉しいろいろな合意事項を実現したい、中国と国益を踏まえて合意事項を実現したいと、こういうことに熱心になる余り、米中関係についての注意がおろそかになるわけです。中国は当然日本以外にアメリカやそのほかの関係国との間に国益を持っており、むしろそちらを重視しているかもしれない。そうすると、米中関係の従属変数として日米関係や日中関係が決まってくるという側面もあるわけですから、これらを総体的にとらえなければいけないわけです。これを連立方程式というふうに表現してみましたが、外交は連立方程式なんです。これを解いていきませんと自国の国益を実現することができない。これが基本的構造なんですね。このことが踏まえられていたのかどうか。先ほどの第二次大戦の例もありましたけれども、それが踏まえられていなかったということではないかと思います。  このようにして、自国の国益を空想的に実現できるものだと考えて外交を進めるのを空想主義というふうに言えば、それは自国の国益を現実世界と無関係に願望として相手国に問い掛ける、北方領土の問題もそうかもしれませんし、いろいろな交渉事でこういう傾向が出てくるわけです。  それに対して、本当のリアリズムは、現実世界を各国国益の均衡の上に見ていくということになります。結果として、究極のリアリストというのは、自国を離れて各国の国益を同等に重視するという立場になることから、一種の理想主義的な考え方に近づいてきます。これは究極のリアリストの姿だと思います。そういう理念というものがこの外交にとっては非常に重要になってきます。  リアリズムについてもうちょっとだけ申し上げますと、外務省にはスクールというものがありまして、スクール文化と呼んでいいと思うんですが、これが大変にリアリズムの障害になっていると思います。  外務省に入省しますと、北米局などを志向する人たちアメリカスクールになり、あとロシアスクール、中国スクールというふうに、担当する国ごとに人間の集団ができて、その相手国に非常に詳しくなる、相手国となるべく仲良くしようと、こういう思考を持つわけです。これはプロの外交官としては失格でございまして、アメリカ外交官なんかと話してみますと、あなたはなぜ相手国を研究するんですか、それは相手国が潜在敵国であるからだと、自国の国益を追求するために、したがって相手国に対してなるべく詳しい情報を取らなければならないんだと。常にこういう姿勢で外交を進めています。外交戦争はメダルの表裏だというのはこういう意味です。この精神が日本のスクールにはないのです。そして、スクールとスクールの連絡がよく取れていないから、米中関係と日米関係が、日中関係がどうなっているかということを議論する場所がない。これが外務省の一番問題点だと思います。  国会ではスクールはないわけですから、是非こういう視点で御議論願えればというふうに思うわけです。  さらに、大事なことは、その相手国の国益を分析するためには専門家を集めて集中的にそういう資料を蓄積していく場所が必要ですけれども、日本には中国研究所というものがないのです。それから、アメリカ研究所というものもないに等しいのです。どっかの大学にあったんですが、別な研究所と統合されてしまいまして、実際には今のところございません。これほど大事な国に関して戦略的な知識を蓄積する場所がないというのは、日本国としては大変致命的なことではないかと思います。  二番目に日本外交に足りなかったものは理想であると思います。  理想というのはなぜ必要かといいますと、自国の国益をカムフラージュし、そして外国の国益と調和させるために、国際社会はこういうコミュニティーを実現しようというふうな、何か人類的なメッセージを述べると、これが二十世紀の外交の進め方なんです。そのためには、自由、人権、豊かさ、民主主義、環境、文化、人間性そのほかという、こういういろいろなスローガンを振りかざすことが多いのです。  我が国が理想を語ったことがあるかと考えてみますと、戦前の大東亜共栄圏というものを思い浮かべます。しかし、これは大変泥縄の産物でございました。大東亜という言葉自身が、来るべき戦争地域が東亜に限られずインドシナを含むと、ではそれよりも範囲が広いので大東亜という名前を付けようと、これは開戦の直前に決まったことです。  したがって、大東亜共栄圏というのは後から言い出したことで、実は日本の国益のための戦争をカムフラージュするもので、当事者も信じていないし、ましていわんや外国を信じさせることはできなかった。でも、この言葉を出しただけ戦前はましだったかもしれない。戦後はこれに代わる理想の言葉というものを日本外交の旗印としてきちんと提出したことはないのではないかと思います。  アメリカはこういう点は大変うまい場合があるのですが、自国の国益と、そしてだれにでも分かる理想の言葉とが結び付いたときに非常に大きな外交パワーとなるわけですね。こういう理念を追求するというのも日本外交の課題であろうと。  三番目、友人が足りない。  日本外交はしばしば孤立を恐れるのですけれども、言わばコウモリのようにアジアともヨーロッパともつかないところを飛び回っているという印象があるんですが、本当に友人をつくっていくという点で欠けるものがあるのではないかと思います。  外交官を例えますと、外交官は相手国の外交官と友人になり、尊敬し合って、そしていい情報を取るというのが仕事ですが、日本外交官は、本国からいろいろな方がお見えになると、その接待などに追われていまして、とにかく雑用が多く、外国の外交官に比べてこういう本務に専念する時間が非常に少ないのではないかというふうに危惧されます。  二番目として、日本外交の幻想ということを幾つかお話ししたいのですが、日本外交はリアリズムを離れて相手国に投げ掛けた幾つかの幻想の上に動いてきたというふうな気がするわけです。  まず、アメリカに対する幻想です。アメリカは占領政策の中で日本に好意を示し、その後も一貫して同盟国として日本の安全を保障してきました。日本国民の中にはアメリカに対する好感度が大変高く、そして、アメリカ日本を好きなんじゃないか、大事にしてくれているのはそのせいではないかというふうにどこか考えている部分がございます。しかし、アメリカにはアメリカの国益があり、アメリカの国益と世界戦略の中から日本の軍事同盟を重視し、日本を防衛するコストを負担していると、こういう構図が明確にあるわけで、この関係を維持していくためには日本側の努力も当然必要です。この努力が足りなかったような気がいたします。  最近の注意すべき傾向としては、日本に対する重視からアメリカはだんだん中国重視にシフトしております。それは、国務省の中の人事や、それからアメリカの主要大学における日本研究科と中国学科の人数や予算の比率というのを見ると大変顕著なんですけれども、今や一対三ないし一対四の割合で中国研究が非常にブームになっております。これがそのまま進んでいきますと、日本の従来のようなアジアでのパートナーという地位を脅かす可能性があります。これは一例でございますが、そういうことにも注意していかなければならないと思います。  二番目は、国連への幻想なんですけれども、国連というのは、日本では国連と訳せますが、中国語では連合国と訳しておりますが、要するにユナイテッドネーションズ、第二次大戦で日本ドイツを相手に戦った連合国と同じ名称を使った国際組織であります。そこには敵国条項もあります。また、戦時には統合参謀本部を作って国連軍を組織するということになっており、集団的自衛権の条項もある。つまり、平和を守るためには戦争を辞さないという組織です。その中心が安全保障理事会なわけですね。  このような戦争も実行できる国際機関が、たまたま冷戦下、米ソの対立によって一度の戦争も起こさなかった、そこで我が国から見ますと平和の機関になったわけですけれども、しかしそれはその本質を変えるものではないのですね。  そこで、九条、平和憲法を持っております我が国がこの国連に加盟するということは、実は憲法上大きな問題があると言わざるを得ないのです。しかし、この議論は十分詰まらないまま国連に加盟したのです。ましていわんや、常任理事国になることについては更に大きな問題があると思われます。この結果、湾岸戦争のときに、国連の要請にこたえるのか、それとも憲法の拘束が優先するのかという議論が起こって、我が国が行動不能になってしまったというのは御承知のとおりですね。  三番目ですが、中国に対してもいろいろな意味での幻想があると思います。  書店には中国関係の書物があふれておりますが、中国の現実に立脚した認識を示しているような書物は非常に少ないと思われます。また、歴史問題のようなタブーが幾つもあり、率直な認識を妨げているという面もあるかと思います。  歴史問題について申し上げますと、これが外交上の問題点になっていると思うんですけれども、私の観察によりますと、中国が歴史問題をてこにして日本外交的圧力を掛けるという傾向はその峠を過ぎまして、これからは緩和していくのではないかというふうに考えております。幾つか理由がございます。我が国としては、歴史問題を歴史の専門家が論じる学術的な問題として両国の学者に預けることができ、そして政治の問題から切り離すことができれば大変よいのですが、そういうことを目標として進めていくべきではないかと思われます。  さて、これらを踏まえまして、我が国が国際社会の中のどのような現実を見据えて外交を進めていけばよいかということについて、私の考えを申し上げます。  一つポイントは、アメリカが覇権国として世界の現実を見据えて行動しているわけですが、アメリカに見えていない部分がある。アメリカが見ていない現実を我々が見て行動するということが、同盟国としてもあるいは世界の中での責任ある国家としても日本外交にとっての重要な事項ではないかと思います。それは環境問題だと思うのですけれども、その前に、一番、日本のファンダメンタルズというところから御説明してまいります。  日本は一九八〇年代に国力のピークを迎えましたが、今下降線をたどっております。この傾向は今後もずっと続いていくと思います。外交資産の基本はその国の経済力を始めとする総合的な国力なわけですから、我が国の国力は今後じり貧になっていくというふうに考えざるを得ません。それは経済もそのとおりですが、政治に関しても、軍事に関しても、また文化に関してもそのようなことが言えるのではないかと思います。  このようなときに我が国の外交を世界にアピールするものにするためには明確な理念というものを掲げる必要があるのですが、それは先ごろ新聞でも問題になっておりましたけれども、切迫する地球環境問題ではないかというふうに思うわけです。これは、冷戦が二十世紀の主たる問題であったのに代わって、二十一世紀の主要な問題になるというふうに私は予想しております。  つまり、これは人類の生存の危機なのですけれども、IPCC、国際パネルがございますが、先ごろの報道で、気候変動は人為的な原因によるのだというふうにはっきり述べました。気候変動の原因は自然的原因によるのか人為的原因によるのかは専門家の間でも意見の差があるところですけれども、パネルが明確に警告を発したわけです。そして、今世紀末の最悪シナリオでの気温上昇が六・三度というふうに修正されました。これは、五・八度に比べて、五年前の五・八度に比べて更にひどい状態が予想されるんですけど、この温度になりますと、食料を始め主要な資源が手に入らず、人類の生存の基盤が脅かされるということになります。これは慢性の状態ですので、その間際になって急に対処したのでは間に合わないという性質の問題です。  我が国がこの状況下でできることはいろいろあると思われますけれども、まず第一に私が重視したいのは、日本の産業構造が省資源型の産業構造であるということです。同一のGNP、GDPを上げるためにアメリカ日本を比べてみますと、日本は二分の一の資源消費で同じだけの国民所得を上げております。アメリカは資源浪費型であり、世界のモデルにならないことは明らかです。もしアメリカ型の資源構造ではなく日本型の産業構造を取るならば、倍の人数の人々が先進国の所得水準を得て豊かな生活を楽しむことができるわけです。そこで、国際的な責務として、アメリカは省資源に、大きな方向にかじを取らなければならないんですけれども、アメリカが自分で言い出すとは決して思えません。そこで、EUと日本が手を携えてアメリカに圧力を掛けていかなければならないわけです。  そして、科学技術に対して集中的な投資をしていくということが必要になると思います。  日本の経済力は相対的に下がっていくわけですけれども、その中で突出した投資を科学技術に対して行わなければ、アメリカに代わる産業モデルを開発することは恐らくできないだろうと思います。その場合、例えばですが、非常に明確な指標として、世界じゅうの人と話せる機械、これは自動翻訳やコンピューターの能力を含みますが、これは非英語圏である日本にとっては非常に有力な道具になりますし、それから、人間の移動を容易にするという点から考えて、地球環境問題で貧困にあえぐ国が第三国に行って労働するという可能性を開く点からも、人間を救う機械となるわけです。  それから、高齢化が進む日本では、高齢者が安心して八十代、九十代を過ごせる完全介護のロボットハウスのようなものを造ろうと。アポロ計画のような感じでよろしいんですが、こういうものを膨大な高齢者市場がある日本が率先して造ると。日本の高齢化が終わった段階で中国が高齢社会を迎えますので、そちらに輸出もできるし、技術移転もできる、世界じゅうで使えると、こういう技術になっていく可能性があるわけです。  人口問題を解決するためには次の世代の少子化ということが絶対命題になるんですが、それはつまり高齢化問題なので、これは二十一世紀の中盤から後半にかけての必須技術になる、例えばこういうふうな訴え掛けをしていくということが大事ではないでしょうか。そして、人口抑制のための国際協力というものが必要です。現在の知識で人口が抑制されるのは二つ。一つは教育水準、もう一つは国民所得です。教育水準が低く、国民所得も低い国の女性がたくさんの子供を産むのです。したがって、一刻も早く経済援助を差し伸べる、手を差し伸べると同時に、教育援助というのは余りお金が掛からないのです。これをアジアといわず世界じゅうに広めていくということは日本の重大な任務ではないでしょうか。というのは、初等教育に関して言えば、日本のシステムは非常に効率が高く、実績があるからです。  さらに、これはその次に述べることとも関係があるのですけれども、国際的な移住を促進するという点も大事ではないかと私は思います。  日本の地方は人口が空洞化して、コミュニティーが維持できなくなっておりますけれども、そういうところに人口を限って、例えば一千万人の外国の方々をお招きしてコミュニティーをつくってもらい、日本人の一員となってもらうと。日本ができるのだからアメリカは三億、五億と受け入れろと、こういう意味になっていくというふうに思うわけです。  具体的に今後の課題とすべきことを幾つか申し上げて、締めくくりとしたいと思います。  まず、安全保障に関してはこのようなことが考えられるのではないでしょうか。  核武装の問題があるわけですけれども、私は核武装というのは賢明な選択ではないと思いますので、今後とも核武装をしないということを是非政治家の皆さんに周知していただきたいと思うんですが。なぜかというと、核兵器というのは本質的に防御的な兵器です。もしこれを使いますと、相手国が壊滅してしまい、占領しても何の意味もないものになってしまいます。ゆえに、冷戦の時代には一回も核兵器は使われませんでした。核兵器を使う場合には、相手国が核を先制使用した場合に限られるのです。日本がしたがって核兵器を持っても、何の意味もありません。  そこで、核兵器を持っているアメリカ同盟関係を結んでいくというのが賢明な選択であると思います。しかし、非核三原則というのは、アメリカ日本に核を持ち込まないという実態とは懸け離れた認識に立っているので、これを非核二原則とすべきではないかというふうに個人的に申し上げたいと思います。  そして、日米軍事同盟を長期間にわたって維持できるための努力を続けていくということが大事ですが、その場合、世界最大の国家となる中国と世界の覇権国であり続けるアメリカとの間の潜在的な対抗関係ということが日本にとっては重要な外交的資産となり、日本アメリカ側に付くことでこの関係をバランスしていくという、アメリカの国益を実現していくという、そういう中で日本の国益を実現するという関係があるのではないかというふうに観察するわけです。  そのような観点から、憲法を改正し、自衛隊ではなくそれを軍隊として公認するということも大事でしょうけれども、中国の危機感をあおらないために、中国に日米共同で多くの直接投資をして中国の国内問題の解決を助けていくと。直接投資が多ければ戦争によって失うものが多くなるわけですから、日本が言わば中国を信頼しているという意味になるので、こうやってバランスを取っていくということが大事ではないかと思うわけです。  二番目の地球環境問題ですが、地球環境の国際会議で必ず挙げられるスローガンは、持続可能な発展、持続可能な開発、サステーナブルディベロプメントということです。この持続ということと発展ということは妥協の産物で矛盾する言葉がくっ付いていますけれども、こんなことはそろそろ無理になってきているというふうに思います。そこで、人類が生存し続けていくためには経済成長が必ずしもできないという、そういう現実がそこまで近寄ってきていると思うわけです。  温室効果ガスを削減するということが絶対的な要請になるので、化石燃料の消費量を削減していかなければなりません。その一番簡単な方策は炭素税です。先進国が一致して一〇%の炭素税を掛けるというのがヨーロッパでしばしば提案されている提案です。アメリカが反対しているために我が国はどちら付かずの態度を取っておりますが、我が国としては、ヨーロッパの提案に賛成して炭素税を一刻も早く導入するということが適切な選択であると信じます。その際、アメリカ説得するということが当然大事になります。炭素税はしかし価格による統制で絶対的な効力がありません。  次の段階で考えられるのでは、エネルギー量の割当て、つまり軍縮に匹敵する熱縮、エネルギー総割当てのような制度が必要になってくると思われます。これも将来を見据えて早めに研究していった方がいいのでありますけれども、詳しいことは余り述べませんが、イギリスのように過去たくさんの化石燃料を使ってきた国はそれだけ重い責任を持って多く削減するというふうな措置をとらなければ、発展途上の中国やインドはとてもこの熱縮に同意しないであろうと思われます。  それから、三番目としては、資源と人口のアンバランスというものが二十一世紀には極端な形で現れてくるということがありますが、これを解決するには、再移住、つまり比較的恵まれた国に多くの人々が移住する以外にあり得ないのではないかというふうに思うわけです。  移住先としてはアメリカという国が恐らく世界じゅうの人が念頭に置く国になるかと思うんですが、このようになるかどうかは知りませんけれども、こういうアイデアは必ず出てくる。必ず出てくるときに、日本はこれに反対するのではなく、決定的な世界の対立、亀裂を防いでいくためには、こういう移住のメカニズムというものを取り入れていったらどうかというふうに提案していってもいいのではないかというふうに思うわけです。  以上、簡単ではございますが、将来に向けた外交の御提案をさせていただきました。
  13. 田中直紀

    会長田中直紀君) どうもありがとうございました。いろいろ御提案をいただきまして、また参考にしたいと思います。  次に、水口参考人から御意見をお述べいただきます。水口参考人、よろしくお願いします。
  14. 水口章

    参考人水口章君) 水口でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  本日は、私の専門としている中東地域というところより少し離れて、二十五年間外務省の所管である中東調査会というところにいた人間として、反省を含め御紹介をさせていただきたいと思います。  お二人の参考人からは、意思決定のプロセス、それから具体的な政策立案というお話をしていただいたわけですけれども、私は、その基本にある情報の在り方というか、国民をどのような形で意思決定プロセスに加えて外交を推進するかというところについて少しお話をさせていただきたいと思います。  皆さんが、孔子の言葉に、よらしむべし、知らしむべからずという言葉を御存じだと思います。これはちょっと翻訳というか訳が間違っていて、人徳のある人間というものをつくるには、やはり情報がない人間を引き寄せるにはかなり人徳をつくらなければ駄目だというようなそういう形の解釈だと思います。それが日本の社会では、国民は余り知識がないので情報を知らしめることはないということで、知らしむべからずという形になったと思いますけれども、現状、今国際社会のこのグローバル化の中では、しっかりとした形で情報を提供するということが大事。少なくとも、よらしむべし、知らしむべしというような形の状況がいいんではないかということです。  その大きな問題としては、やはり情報過多になっています。こういう情報過多の中では、疑心暗鬼が起こっています。疑心暗鬼を起こした人間をある一定の方向に政策誘導していくということはまず難しいと思います。そういう意味で、明確に平素から情報を開示し、非常に高いレベルで意思決定にかかわってくれる、そういう人物を多くつくるということが日本国家として大事であるということをお伝えしたいと思います。  その際、今までやっているようなEメールとかホームページというような形での情報提供、これは、お読みになっていただくと分かりますが、読みにくいです、分かりづらいです。むしろ、分かりやすく、そして新しい方法として、対話というものを十分に加味した政治参加というようなプロセスをつくれる。そういう意味では、私はここに新しいものを提示したいのですけれども、市民の政治参加のフィールドとして国際情報文化広報センターというようなものを仮称でつくり、国会の皆様のお力で、常に国会の下でそういうものが運営されていく仕組みをつくったらどうかということを御提案させていただきます。  そのことについて、なぜ必要なのかということで、今日御用意させていただきましたレジュメと資料をベースにしてお話をさせていただきます。  まず手元のレジュメをごらんいただいて、その後、具体的な資料で御紹介しますけれども、レジュメ、まず第一の項目のところですが、「新たな時代への認識」ということで、今回の委員会の中でも新たなという言葉が使われておりましたので、私も何が新たなのかなということをちょっと考えてみました。そこで、るる一項目から六項目まで挙げてみたんですが、私は特に注目したいのは四項目めです。  多極化という形で御紹介があったわけですから、二極から一極へというふうな変化、さらにそれが多極へ変わるだろうという認識の中でこの三年間御研究を続けられたんだと思います。私は実はそうは思っていません。はっきり申し上げて、今の例えば中東問題を見ていきますと、中東地域で起こるイラク問題、そしてパレスチナ問題、イラン問題もですね、各コミットメントグループが形成されています。  例えば中東和平問題においても、EUを中心、EU、国連、アメリカというふうな形で議論をする、イラン問題においてはドイツを加えて、安保理常任五か国プラスドイツという形、北朝鮮問題においては中国、日本というふうな形で、問題を解決するそのコミットメントグループを正にアメーバーのように国際社会は組み直してくるんだと思います。ですから、多極というよりはむしろアメーバー的な組替えという、それを意識した外交ということが非常に重要なんだということを御紹介したくて、この一を取り上げました。  ほかの項目に関しては、いろんな先生方が御紹介なさっていますので、あえて言及することをお許しください。  そして、二項目めから、実は私自身がこの国際社会の中で重要であるというものをあえて取り上げてきました。  まず一番目が、先ほど御紹介がありましたような環境問題ですが、環境問題は、御案内のように、やはり生態系のトリレンマという観点から取り上げなければいけない。単純に環境だけの問題ではないわけですね。経済成長、そして資源、エネルギー、食料というような形の解決をするということはかなり難しいです。  現状として、昨日でしょうか、EUの方からも提案があり、世界形態に関する研究を国連環境計画というところで行ったらどうかということでその変革案を提示しておりますけれども、どのような形で低炭素社会というものをつくれるか、これは大変難しいです。そういう意味では、やはりこのトリレンマに対して常に意識を持って皆さんが研究をするということが大事です。  見落とされるのは、そこにも書きましたが、食料の問題、それから資源の問題、これは全部連鎖しています。例えば、環境問題において温暖化が進めば食料問題にもかかわっていきます。我々はエネルギーを供給するためにはいろいろな形で資源にアプローチをしているのですが、そういうところで資源戦争という問題も出てきています。  さらには、資源の問題では、経済発展を遂げるためにはどんな産業を育成するのかという形、例えば省エネ化を推進するためには少なくとも燃料電池をつくる資源が必要になります。貴重資源です。こういうものはどこにあるのか。アフリカや、南アというところが中心になると思いますが、そういうところでの資源争奪の外交戦が起こっているということ、これも我々はしっかりとした形で認識をしていかなければいけないということだと思います。  トリレンマという解決方法で臨まなければいけないということをまず一点押さえたいと思います。  二点目が、余りぴんとこられる方は少ないんではないかなと思いますが、実はその下の方の例で挙げていますけれども、国際テロ、それから移民問題、そういうものの中に出てくるのは何かというと、やはり文化変容というような形で文化が混ざり合う。グローバル化されて国際社会は旅行者が増えるだけではなく、いろいろな形で労働移動が起こっています。そういう中で、それぞれの持っている固有の価値観がぶつかり合うという状態が起こっているということです。  皆さんが記憶に新しいところでは、ムハマドの風刺漫画の問題、ローマ法王の発言問題、そして身近なところでいえば、フランスのパリ郊外におけるイスラム教徒の暴動、そしてつい最近ではイギリスのストロー外相がベール問題を発言したと、これだけでも国際社会の中では大きくニュースが動く状態になっている。これは単にイスラムとキリスト教の社会ではありません。正に国際的な文化というものが混ざり合う中で、衝突が起きないということではない、抵抗というか摩擦が起こるんですという前提が見えています。  ハンチントンの文明の衝突論をいろいろな形で御批判する方が多いと思います。不十分な点は多々あると思います。ただ、その中で重要なところは、少なくとも文明はある部分で対立するんだ、そのコンフリクトをどのような形で解決するのかを早めに考えましょうということです。早めに考えましょうというのは、このトリレンマの問題もこの文化変容の問題も慣性の法則が働いてしまいます。すぐ止まらないです。それがずっと継続されますから、一度そこで政策を打っても、やはりその後大きく影響が続くという、そういう問題があるということを御認識していただければと思います。  文化変容は、実は我々が少子高齢化社会を迎えたとき、FTAでフィリピン、マレーシア、そういうところから看護の関係で人を入れてくる。その中で、現実問題として、御家族の接点としての看護者、その人間たちが今どのような問題を抱えるのか。  全然違いますけれども、少年院のところでの事件、それからつい最近ブラジルで起こっている、日本の、犯罪を犯した人間がブラジルまで逃げてしまう事件。少年院では、今ブラジルの三世がかなりの数、日本の中で拘置されている状態です。これは、日本という社会に移民が入ってきたときどんな障害を起こすのかを一つ症状として出している、今申し上げるような、正にリードタイムとして現れている現象だということを御理解いただければと思います。  三点目に御紹介したいのが、国際介入ということです。これは、イラク問題、アフガニスタン問題を語るときに非常に重要なテーマになってきます。  原則的には、我々は内政不干渉、それから武力行使というものに対しては慎重に、それから領土不可侵というこの三原則は国連の少なくとも憲章第二条で定められているところです。ただ、国連憲章、先ほど御紹介があったように、九章の問題から、集団防衛権の行使という問題が出てくるわけですが、世界は必ずしも良心的な国家だけではありません、良心的な指導者ばかりではありません。そういうときに、我々はどのような対応をするのかという問いが掛けられてきています。  この二ページ目の国際介入のところの(4)のところを見ていただくと分かるんですけれども、力の行使、それから自己の保存、それから同意・要請、この辺は今までの国際法の中でほぼ処理できていました。  例えば、鳥インフルエンザが出てくる。その中で、何とか自分のところに支援体制をつくってくださいという要請が出ることによって国際的な支援活動ができてきていたわけですけれども、たとえ、その鳥インフルエンザに対して要請がない状態、そして、それが非常に広まるような状態になったとき国際社会はどうしますかというような問題が出てくるわけですね。その主権を超えて対応しなければいけない問題がグローバル化された国際社会において存在し始めている、明確にそれが移ってきていると。そういう中では、我々として相手から同意を取るということは大前提ですが、同意がない状態でも動く、そのような覚悟があるかどうかということです。  例えば、その代表的なものとして感染症の問題、今申し上げていた感染症の問題、それ以外に保護する責任ということが言われております、二番目のテーマになりますが。  ルワンダにおいて、少なくとも、このルワンダ紛争は一九九〇年から九四年の間続いたわけですけれども、百日間で何と五十万の人が死んだと言われています。この間、我々は何をしたのかというと、見捨てているわけです。今、スーダンにおけるダルフール問題において、我々は何ができているでしょうか。かなりの方が難民としてその自分の住む安住の地を離れ、また一日一日の人間の尊厳という、そのものを維持することができない状態になっている。国際社会はスーダンの要請がなければ対応できません。国連もしかりです。我々は、人間の尊厳というものを守るために、ある意味では国境を越えて、その国の主権を侵害するようなことがあっても行動しなければいけないという覚悟そのものが要求される時代になりましたということです。  国際法は、ある意味では強制力が少ない部分、そういうものがない国際法が多いです。ある意味では約束事というのが中心になっています。したがって、約束を守らないという国家が出てくるわけです。そういう国家に対して我々はどうしますかということです。  イラク、イランという国において安保理決議はどうなっていますでしょうか、守られましたでしょうか。イランは核開発のカスケードの稼働を止めたでしょうか。こういうことに対して、国際社会に生きる我々として、どのような形で秩序をつくるのかということが問われます。普遍的な価値というものがあるわけでは私はないと思います。それを一方的に押し付けることは間違いだと思います。しかし、我々として維持するものは世界の人々の安心、安全、そこに生きる人々の正に人間の尊厳というものを考えた行動というのが大事なんではないかと思います。  そのような形で、日本が置かれている国際環境というものを今二例で挙げましたけれども、かなり今までのものとは違う状態にある。そういう中で、我々はどのような外交的な課題を処理していくのかということで、三番、四番を用意しました。  三番においては、少なくとも、「足元を見つめる」というキーワードを書きましたように、まず国境、歴史認識、賠償問題、こういうものは処理していません。それから、国際貢献における、少なくとも日本憲法との関係というものも処理していません。  それから、これからの問題として、資源貧国である日本がどのような形で、アジアのエネルギー供給、その需給バランスですね、需給バランスの中で、中国、インドというところの成長との兼ね合いの中で資源戦争を起こさずにちゃんとした形でエネルギー供給が得られるか、そして、食料の自給率が低下する中で、小麦を含めてちゃんとした形で我々の食料が得られるかという問題がある。それから、今少子化の問題で外国人を入れるという現実問題がありますので、この辺は異文化接触が大事だということだと思います。  このような課題を解決していく中で、今まで言われていた外務省改革、日本外交の改革というものを少し並べてみました。  特に、今実施体制のことについては、皆さんが御案内のように、外務省からいろいろと御提案があります。私も、この二番目のところに関しては当然強化されるべきだと思います。外交のネットワーク化、それから外交をする人間の数、質の問題、それから外務省本体、外交とは一体何かというようなところの見極め。私は、この今日の社会においてアウトソーシングは進めるべきだと思います。本体が例えば国際協力による支援活動、ODAですね、ODAを抱え、なおかつ本体が広報文化活動を抱えていくという話になると、外交そのものの、先ほど御紹介があったような、個人個人のレベルが上げられるのかどうか、本体の活動のむしろ強化という問題が大きな問題になっているような気がします。  そのような形で、じゃ本体の活動を強化するには何がいいかということで、今日、そこではインテリジェンスコミュニティーの再編という問題と、パブリックディプロマシーの強化ということを中心に御紹介したいと思います。  そのほかに、私は、日本という国、先ほど御紹介、幻想という言葉がありましたけれども、それは、しっかりとした形で見詰めたとき、中堅国家という言葉が出てくると思います。カナダ、それからノルウェー、そのような国の外交の在り方をもう一度参考にしながら、日本という国が経済大国世界第二位ですというような形の幻想に駆られないような形で本当に何ができるのか。自衛隊の問題もそうです。そういうものから国際貢献の在り方、日本外交の在り方を見直すという意味で、中堅国家というものをしっかりと認識していただければということで書きました。  あと、参考人の中からも科学技術の振興という点に関して御紹介がありましたが、アメリカの大学を卒業する段階で工学部の卒業生、学士資格を取る人は五%しかいません。中国は三五%と言われています。何が違うかというと、イノベーションという問題に関しアジアが中心になるということです。これからインド、そして中国というところが科学技術をどんどん推進する、そういうような状況下にあって、日本もしっかりとした形でイノベーションを行うには、やはりそれだけの科学技術に対する教育面、そして研究に対する援助というのを行わなければいけないということだと思います。  では、今日の本題になります、資料の方をベースにして少し見ていただければと思いますが、多極化時代における外交ということで、先ほども御紹介がありましたように、情報というものは常に流れています。  我々が学ぶこと、学校教育で学ぶことは、むしろ時間変化に影響しにくい基本的な知識というものを詰め込むというような教育を受けてきているわけですけれども、実際今必要なものは、情報をベースにして問題を解決する能力です。この問題解決能力をどのような形で今後の学校教育の中でつくるかは日本の将来にかかわるということで、これは教育問題として別のところでお話をしなければいけない点だと思いますが、実は、そういう問題を解くその基本になる資料、これはどのような形で集められるのかということで、資料の(2)のところを見ていただければいいのですが、情報というのは、ここに書いてあるように、時間がたつというとかなり推測が入ります。リアルタイムで物を見れば間違いないんですけれども、かなりの推測で議論がされてしまうということで、今メディアで多く使われているのは、時間が多くたち推測が多く入っている情報資料を情報のように使っているということです。これを我々はしっかりとした形で修正を行うということを今申し上げたいのです。  二枚目の紙を見ていただければ御理解いただけるのではないかなと思いますが、二枚目のところはインテリジェンスのサイクルを書きました。  基本的に、問題が起こる、先ほど戦争をするかしないかという問題があると。その問題に関して情報を集めるときに、今の日本のやり方では非常に漠然とした情報の取り方になります。戦争するのかな、しないのかな、考えてというような指示の仕方を情報組織に提供します。そうすると、情報組織は非常に無駄の掛かるような形で情報を収集しなければいけません。端から端までです。はっきりとここでは指導者が、国家の指導者でもその組織の指導者も、明確にその情報を集める指示を出すということが大事です。企業はこれができているわけです。  その指示がない状態で動いていきますと、情報を集めるところ、企画、計画をするところが負担が掛かる。そして、情報を集める、分析をするところの主幹業務がどんどん特殊業務という形で拡大をし、その後の修正、語学を直したりデジタル化をすることもできずに、情報分析というところにも非常に時間の掛けられない異様な状態で元の情報を判断する指導者に戻していくという状態。日本の場合は、さらにこの今配布というところに協議というのが入ります。何段階目の協議も入りますから、少なくとも一番インテリジェンスに近い人間が考えた文言ではない状態の文章が入っていきます。  チェイニー副大統領は、逆に明確にこういうことだと。イラクは核兵器を造っているだろうという情報を集めてこいという指示を出したわけですから、当然その情報機関はそれに合わせて集めてくるという形になる、疑わしい情報を集める。こういう意味では、インテリジェンスというのは中立的でなければいけないんですけれども、指示の出し方によっては逆の効果が出てしまうという。今回のイラクの紛争の大きな問題は、そのインテリジェンスの使い方が間違っていたということが明らかになったわけですね。インテリジェンスそのものが間違ったんではないんです。情報、CIAを含めてアメリカの情報機関が間違ったという議論をする方が多いんですけれども、そうではなく、それを使う組織の在り方、その指導者の問題があるということです。  今これ例としてちょっと書きましたけれども、北朝鮮に例えばミサイルがセットされ、それに注入されるような状態がある、燃料が注入されるような状態があると。このときに我々は意思を決定しなければいけないんですけれども、何をベースにして撃つと、我々は北朝鮮が間違いなくミサイルを撃つんだという判断ができるかというと、この基準がない。このように非常にあいまいな状態です。ですから、インテリジェンスは情報が集められないという状態にある。  インテリジェンスの問題、改革が必要なんだということで駆け足で見ていきますけれども、三枚目の資料を見ていただければと思いますが、インテリジェンスコミュニティーという問題に関して大きく、冷戦というものが終えんしましたので脅威というものが拡散し、多様化しています。この中で、今申し上げていたように、各国の指導者がその脅威を絞ることができず、インテリジェンスを動かすときに明確な指示が出せないという状態にある。  それから、先ほど参考人の中からも御紹介があったように、日本アメリカと同じで危機に遭うことが余りありません。ですから、安全保障の概念が非常に弱い。そういう意味で、インテリジェンスのつくり方が非常にこれも鈍いという状態になります。ヨーロッパのインテリジェンス組織の分析をすると、非常にその細やかな体制がつくられているというところの差はアメリカ日本というところを比べれば歴然として見えます。  それから、現状として財政赤字になっておりますので、インテリジェンスの強化ということに関しても問題点が生じる場合があります。  それから、日本の場合はアメリカ型のインテリジェンス、中央集権、大統領制というような中央集権に基づく情報のスタイルと、それからイギリスのような内閣制がベースとした分権制が取られるようなところの情報のスタイルが違うんですけれども、これが混迷している状態です。中央制を取ってみたり分権制を取ってみたり、現状としては全くその両方の形もならない。一番現場でいる外務省、防衛省の各情報を持っている人が官房長官やその上の方々に直接情報を提供するというような段階でインテリジェンスの評価というものがなされないという問題点があります。  そこに書いてありますように、少なくとも、理由のところの二に書いてありますが、情報というものは評価をしなければいけないということだと思います。  理由として、インテリジェンスのコミュニティーが欧米に比べて格差がある。それから、対外的な情報収集にするお金が、機密費とか各大使館にあるお金が不鮮明です。どのような形で本当にインテリジェンスに使われているか分からない。それから、各省庁が縦割りであるというような状態の中でインテリジェンスを動かすということが難しいという形。  改革案としては、そこに書きましたように、予算の切離し、それから情報をどのような形で共有できるか、集団体制による情報評価の仕方。そして、大事な点ですが、大変な多くのお金を使って各省庁が委託研究という形で公益法人に提供しています。これは公益法人のある意味での財源になってしまっているわけですけれども、同じ筆者がいろいろなその報告に物を書くというような状態も見られる、またいろんな委員会に同じ人物が出ているという状態も見られるということで、これは無駄です。そういうところの修正というものを行うということ。それから、中長期の調査計画がありません。  イギリスにおいては、先ほど御紹介があったように、政治心理学という分野が非常に重要です。意思決定はその人の、政治家のどういう気質なのかとか、軍をつかさどる人間はどういう気質なのかというのを分析する。そのときに大事なことは、その要人のプロフィールからそしてその気質を分析するようなデータを集めているということです。日本にはどこにもありません。このような形で政策立案をすることというのはまず不可能です。さらには、そのようなデータに関して、ごくごく限られた方々が今持ち、それを持っている方が何かを語るという、部分的にしか物を語らないという状態になっています。持っているか持っていないかがその人の能力のような形になっている。そうではなく、大事なものは情報を分析する能力なんです。収集する能力ではありません。  そのような点から見ると、次の四ページに示しましたけれども、少なくともパブリックディプロマシーという形で、相手の国の国民それから我が国の国民に対し、外交は今このような認識をしています、このような情報を持っていますということを開示することが大事です。語学が、アラビア語やフランス語や英語や、いろんな語学があります。これをある程度翻訳をし、国民に知らしめる。そして、日本という国の国際社会に開かれた様子をつくらない限り、外国からの投資は起きません。安心、安全である国家ということを強く外国に知らしめない限り、日本というところに多くの観光客は来ません。  このような形で、まず自分たちの考えている、先ほど理念というお話がありました、理念以外に、少なくともこういう行動様式を日本人は取るんだ、こういう意識を持っているんだということを広く発信する必要があるということで、パブリックディプロマシーというものを取り上げてみました。  特に、知日家とのヒューマンネットワークというのができていません。日本に招聘したらそれっきりですね。物すごい数の方が日本に来ています。中国人の留学生も含めれば大変です。そういう方とのネットワークというものをどのような形でつくるのか。例えば、ハーバード大学卒業生は、ハーバード大学の卒業生の名簿を持って各国を飛び回れるような状態です。このような形でちゃんとしたネットワークがあることが、大きく政治を動かすことができるということだと思います。  そういう意味で、最後になりますが、五ページ目を見ていただければと思うんですが、そのような形、予算が非常に少ない、そして日本というものの情報を無駄なく集め、そしてそれなりの加工品を作るということに関して御提案をしたいと思います。  国際情報文化広報センターという言い方になりましたけれども、少なくとも国会というところにおいて、国会図書館を中心にして日本国内の情報を収集し、外国の情報等の分析を行えるようなその収集能力はあるわけです。また、分析能力は、衆参両院の事務方の方々がそのような調査を続けているわけですから、そういう方々のお力というものを使う。なおかつ、各省庁がかかわるそういう方々をベースにして、一つ国会の附属のそういうような広報センターをつくったらどうか、外交にかかわる広報センターをつくったらどうかと。それは、各政党に基本的に情報を戻し、政党の皆様が国民に対していろいろな形での啓蒙活動をする基本的な資料になるということです。ある意味では、国民と国会、国際社会、政府も含めてですが、その橋渡しをしっかりと国会議員の方ができるような情報提供、バックアップをするシステムをここに御提案しているということだと思います。  少なくとも、お読みいただければ、その新しい企画だと思いますけれども、それだけ国際社会は激しい変化をしています。その激しい変化を、今のまんまの縦割りの行政では対応できません。この点だけ御理解していただければと思うんですが、このようなことを実は河野衆議院議長が外務大臣のときに、国際情報センターをつくりましょうというお話を提唱させていただいて、一部動いたことがあります。しかし、現実にはないんです。ないんです。それから国際社会は、グローバル化は物すごいスピードで進んでいます。この点だけ御理解いただいて、是非御検討をお願い申し上げたいと思います。  以上で発表を終わりたいと思います。
  15. 田中直紀

    会長田中直紀君) どうもありがとうございました。  これより質疑を行います。  まず、委員各位のお許しをいただきまして、私から参考人に対し若干の質疑を行わせていただきたいと思います。  橋爪参考人に一問だけお願いをしたいと思います。  「アメリカの行動原理」という本も出されていらっしゃるわけでありますが、これからの日本外交をどうするかの問題の中で、アメリカが冷戦の崩壊で一極支配の状態が出現したと、そしてまた、アメリカの単独行動主義というものが我々感じるわけでありますが、イラク戦争後の世界においてどういうふうになっていくかという点と、それから、アメリカが中国あるいは我が日本に対する、いわゆる先ほどのお話では、最近中国重視へ移っているんではないかと、こういうお話がございました。見てみますと、日本と中国を両てんびんを掛けてアメリカはその都度重視をするような形で双方競い合わせるというような面が非常にあるんではないかと、それに相当両国が幻惑されるようなところもあるんではないかというふうに感じるときもあるんでありますけれども、その辺のアメリカの行動はどういう状況であるかと、この二点だけちょっとお伺いしたいと思います。
  16. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 幾つかの論点ございますが、日本と中国に関していうと、アメリカ日本と中国が本当の意味で合体するということを潜在的に恐れていると思います。それは戦前、戦後をずっと通じてのことです。  戦後に関していいますと、中国が政治力を持っていると、日本が経済力を持っているということでバランスが取れていたんですけれども、改革・開放以後、中国が経済力も持ってきてしまったために日本と中国のバランスが取りにくくなっているということがあると思います。そこで、一つの方法として、じゃ日本にもそれなりの政治力を付けさせようというふうに考える可能性があると思います。最近のアメリカの政策の幾つかはそのように理解できると思います。  次に、アメリカという国の今後の行動についてですけれども、アメリカは十八世紀、十九世紀、二十世紀、理想の国と考えられて、世界じゅうの人がアメリカにあこがれた時期がありました。そして、現在、覇権国です。  問題は、世界じゅうの国がアメリカになれないし、アメリカのまねもできないということで、アメリカの一国の個別利害、国益と人類社会の利益とがそろそろ相反してきているという点です。ですから、アメリカに代わってどこか、別なだれかが二十一世紀の理想というものを提案していかなければならないという、そういう局面であろうと思います。  アメリカが相対的に覇権国からずり落ちていき、国力の大きさを失って、そういう次のレジームにのみ込まれていくと、まあそれには百年ぐらい掛かると思いますが、そういうプロセスがあると思います。
  17. 田中直紀

    会長田中直紀君) どうもありがとうございました。私からは以上でございます。  それでは、これより各委員から質疑を行っていただきます。  質疑のある方は挙手を願います。
  18. 愛知治郎

    愛知治郎君 自民党の愛知治郎と申します。  三参考人先生方、本当にお忙しい中お越しをいただき、ありがとうございます。大変参考になる意見を聞かせていただきました。  実は、私は昭和四十四年生まれの三十七歳なんでございますが、戦争というものをやはり知りません。いろいろ研究をして、勉強しておるんですが、先ほどの半藤先生アンケートにもちゃんと答えられないで申し訳ないと思うんですが、実は半藤先生おっしゃったとおりに、いろんな歴史を私なりに今調べて勉強しているんですが、戦前のマスコミ、新聞などの記事も取り寄せて、なるほどいろんなことがあったんだななんて思いながら勉強をしているんですが、残念ながらしっかりとまとまった資料がなかなかない。個人的にいろんなところにいろんな情報をそれぞれ集めるだけで、整理されたものがないというのが実感であります。  私は経験がないのでそれを知りたいと思っているし、多くの若者も、日本は一体、戦争は何だったのか、どういう歴史を歩んだか知りたいと思っている人は本当に多いと思うんですが、それを知る機会として、私はこの前、先日の予算委員会でも取り上げたんですけれども、国立の資料館、歴史資料館のようなものをしっかり造ってそれを展示するというのがいいんじゃないかと御提案をしたんですが、国民がそういった日本歴史をしっかりと知る上で、学んで知る機会というのを担保するのが一つと。  また、橋爪先生おっしゃった御提案のとおりに、これを政治問題ではなくて学術の問題として研究をして資料館を造ると。その過程においてかなり整理をされるんじゃないか。こういった資料館を国家事業として取り組むべきじゃないかと私は考えておるんですが、その点について、そういった取組について、半藤先生橋爪先生、御意見があればいただきたいと思います。  また、橋爪先生にお伺いをしたいんですが、アメリカに対する考え方なんですけれども、アメリカへの日本の片思いというお話ありましたが、面白い数字がありまして、アメリカから日本に来られる方、二〇〇五年の数字なんですけれども、日本に来日されるアメリカ人の数が八十二万人。それで、逆に日本人アメリカに行く数字というのが約五百四十万人であります。二〇〇五年の大体の数字なんですけれども、正に片思いというところではあるんですが。  こういった関係で、アメリカ、中国、いろんな関係、日本は考えていかなくてはいけないんですけれども、特に先ほどの委員長の質問とかぶるところもありますけれども、米中関係、これがどうなっていくかということなんですけれども、橋爪先生おっしゃるとおりに、御意見はもっともだと思うんですけれども、熱縮という考え方、環境の視点で日本は主張していかなくてはいけないと思うんですけれども、現実的には多分この資源をめぐって米中は十分対立するという可能性がある。本当に軍事的な衝突まであり得ると思っていますし、少なくとも緊張関係はできていくんではないかというふうに私は考えているんですが、こういった事態に対処するために日本外交的にどのような戦略を、そしてどのようなスタンスを取っていくべきかという御意見橋爪先生、また水口先生もその点で御意見あったらお聞かせください。  最後に、水口先生、国際情報文化広報センターですか、正にお気持ち十分分かって、そういったものを造るというのは非常に大切なことだと思います。ちょっと時間がなかったと思うので、具体的にこの中身をもう少し補足をしていただきたいのと、先ほど、専門家の方々が情報収集をして、政党を通じて国民という形にありましたけれども、私は外務省に対しても常に広報をもっと徹底しろという話をしているんですが、なかなかやらない。国民に対して直接、国際的状況日本の立場なりをアピールして教えるというか伝えるということも必要だと思います。政治の限界も感じているところもありますし、政治という特殊性もあるので、その点についての御意見もお聞かせいただきたいと思います。
  19. 田中直紀

    会長田中直紀君) では、半藤参考人からお願いいたします。
  20. 半藤一利

    参考人半藤一利君) お話しのことは誠に同感でございまして、というのは、現在非常に日本という国は出版事情が悪くなりまして、もう本当に悪くなりました。一般の人が本を読まなくなりました。そのために、例えば大事な資料であると、例えばですが、近衛文麿の本が幾つかあるわけなんですが、これを今読もうとしても本当に読めないんですね。ですから、国会図書館にはあるんです。ところが、国会図書館だけなんですね、そういうものを全部そろえているのは。ですから、普通の図書館はもう全くそういうものはないと言ってもいい。それで、じゃ新刊を出してくれるかというと、これまず今の出版事情からいうと出ません。ということは、私たちはもう貴重な歴史資料というものを読もうと思ってもなかなか読めない状況であるということが一つございます。  ですから、これはもう是非そういうような形で、何かどこかに一か所へ集めて、歴史何とか館でも造って、そこで行けば必ず読めるというような形にしておきたいと私なんかは思っております。  それから、もう一つ大事なことがあるんですが、個人情報、何といいましたか、保護法ですか、あれが、非常にいい法律なんでしょうが、私たちから見ますと非常に悪い法律なんですね。例えば、防衛庁戦史室というところがございまして、すぐそこの目黒にあるんですが、昔はよく見せてくれた資料があるんですが、近ごろは個人情報保護法の中に入るからといってこれが見られなくなっちゃうという可能性がよくあるんですよ。これは非常に、私たち、これから歴史を学ぶ人たち、これからの人も含めまして、非常に困る形になりつつあるんですね。いや、全部なったわけじゃございませんけど。そうすると、大事なものも、これは死んだ人のものだけれども、これは遺族の許可を得ないと個人情報だから駄目だという形で、遺族の許可を得に行きますと、遺族は大体ノーと言うんですよね。これは上から来ているのかどうか、それは知りませんけれども。そういう状態で、今私たちが資料として戦前のものをきちっと読もうとしますと、本当に容易ならざる状況になりつつあるというのが現実なんです。  ですから、せめて、何といいますか、どこか一か所へ集めていただいて、そこで自由に見せるというような形を取っていただかないと、これは肝心かなめのものが全部消えていくんじゃないかというふうに思います。私は、個人的には私はもう一生懸命集めて、うちにはもうでかい書庫を造って納めておりますけれども、これまた人に貸すと返ってこなかったりしまして、また早い版は減っちゃって駄目なんですが。  ですから、そういう形で、こういうものをやっている人では高木俊朗さんとか、この間お亡くなりになっていますが、ああいう人たちはみんな持っているんですよ。だから、ああいうものをどこか一か所に入れさせてくれれば、非常にその人たちの遺族も喜ぶんじゃないかと思うんです。今、図書館は要りませんと言います、もうそういうのは邪魔だから。だから、せっかくのものを持っている方もどうしたらいいか分からなくて私のところへよく相談が来たりしますが。だから、しばらく持っていてくれませんかと、そのうちにどこかそういうものを造って、そこへ集めれば、まあダブってもいいんですから、そこへ集めればみんなして読めるんじゃないでしょうかというふうに話はしておりますけれども。  是非、そういうものの計画があるなら、早めに造っていただいて、私たちがすぐ死んだらそこへ持っていけば私の資料が全部生きるという形にしていただければ有り難いというふうには思います。
  21. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) まず最初に、国立の資料館を造ったらどうかという御提案ですが、大変賛成できる面と多少懸念される面がございます。  資料を集めるということは、非常に基本ですので、これに国が力を出すということはとても大事だと思います。今は電子的にそれを公開する方法がいろいろありまして、PDFファイルといって写真に撮って電子テキストとして公開するとか、いろいろ方法がございまして、こういう形で資料を集め公開するということが一番現実的かと思います。  そうすると、東京の真ん中にそういうものを置く必要がないので、余り産業がない山間へき地の農村のようなところで村おこし図書館のようなものを造って、おばさんたちが本をこうやってコピーをして司書になってやるというふうに展開できるんじゃないかなというふうに昔提案したことがございますが、そういうやり方でいいのではないかと思います。  展示をするとなりますと、特定のやはり歴史観が必要になりますので、それを国がやるということに対して私、多少懸念がございます。中国にこの手の歴史展示館というのがたくさんあるわけなんですけれども、幾つか見ましたけれども、どれも問題です。それは中国の問題かもしれないんですが、やはり国がやると多少そういう意味で問題があると。ですから、展示資料館のようなものは民間でおやりになったらいいというのが私の考え方です。  次にもう一つアメリカについて、中国に対してどういうふうに行動を取るだろうか、資源をめぐる軍事衝突もあるのではないかというふうな御懸念でした。  私の理解はこんな感じです。何人かのアメリカのその専門家、特に中国に詳しい方に関して今後の米中関係がどうなるかというふうにお尋ねしたことがありますが、関係は深まっていくだろうけれども、日本に代わるパートナーとなることは当分ないだろうと。その理由は、戦略的な対抗関係があることと、イデオロギーや体制の違いから日本に対するような信頼感を中国に持つことができない、こういうふうにはっきりおっしゃいました。ですから、中国に対する研究者は増えていますけれども、そこまで心を許しているということではないかと思います。  逆に、中国の方でいろいろな知識人の方々にお話を聞きますと、自ら望んでどこかの国と対立するとか軍事衝突を起こすというふうなことをおっしゃる人はだれもいない。唯一、台湾問題とか国内の問題というふうに彼らは言いますが、国内の問題に関してはあり得るが、外国とではそれはあり得ない。そのためには自由貿易が必要で、特にアメリカとの良好な関係が必要であるというふうに言ってます。  私の観察も同じで、中国はぎりぎり工業化に成功しましたから、必要な資源を国際市場で十分に購入することができると。むしろ、ひどい目に遭うのはそういう能力のない第三世界の国々であって、中国は第三世界から離陸しつつありますので、本質的には自由貿易体制の支持者である。つまり、アメリカとその点では同盟をしていくというふうに思っております。
  22. 水口章

    参考人水口章君) 基本的には橋爪参考人と同じ考え方でございますけれども、戦争が起こる大きな要因として、やはりその政権の正統性というものを損なうような出来事が起こると紛争が起こります。ですから、例えば中国共産党そのものに対しての批判とか、そういうものが経済的な問題からアメリカ社会の中で高まるという話になると、かなり緊張感が高まる状態があるということを御理解いただきたいと思います。  じゃ、その緊張感が高まる問題として何があるかということを逆に分析すると、今御紹介があったように、ゼーリック氏が言っているように、中国とそれからアメリカとの関係は利害を共有する国家であるという形ですね、非常に経済的にもコミットメントが深まっています。しかし、例えば中国が、南米地域のエネルギーですね、そういうところにかかわるとか、イランというところの今かかわり方を深めてますけれども、こういうところで中国が非常にアメリカ一つ決めた基準を超えて武器援助、それからある意味での経済的な結び付きの強さ、エネルギーが欲しいがゆえにですね、行った場合は、これもまた緊張感が高まるということだと思います。  ですから、答えとしては、台湾問題もそうですけど、アメリカと中国は中期に見て余り大きな問題はない、あるとしたらその権威付けのところを傷付けるようなことがあった場合、あと今申し上げたエネルギーを中心とした問題、それを、アメリカがつくろうという秩序に対しては割と今中国側はコミットメントを深めてますので、そういう形で動くと思います。  それから二番目の、国際情報文化広報センター、舌がそれこそ回らないような名称を付けましたけれども、御質問をいただきましてありがとうございます。  御紹介したかったのは、実は、一定のハードな建物を建ててそこで情報を処理するということではなくて、少なくとも今官庁関係が持っている、霞が関LANという形でつながっていますけれども、外務省が、これは外務省の例で言いますね、外務省が公電、公信というレベルで現地の新聞その他を訳しているわけですね。非常に大きなお金が掛かっています。現地スタッフを使い、なおかつ日本から大学院や大学出た人をそこに入れて翻訳をさせてます。これどうなってますか。全く机の中でしまわれて、皆さんのお手元にも届いてないという状態。じゃ、防衛庁に届いているかというと、これも届いてないんですね。  問題は、そういうような私どもが言う情報資料と言われているもの、情報資料すら限られた人しか触れてない状態、これを広く使えるような環境をインターネット上ではつくれないか。さらには、その情報資料というものからちゃんとした情報をつくるためにはやはり七年とか十年という職人芸が必要なんです、正直言って。そのための人材を育成する必要があります。これは、僕は情報官というふうにここの紙には書きましたけれども、少なくとも十人ぐらいの情報官がいて、日本全体の情報はどうあるのかという評価を常にしながら情報の収集の方向性を定めていくということ。一人三千万円として、十人雇ったって三億です。三億で日本のインテリジェンスは変わるんです。  そういうところでもう一つ申し上げたいのは、じゃ大学はどうなのかということですけれど、残念ながら今国際学部というところの受験生は減っています。なぜかというと、実学志向の学生たちにとっては意味のないものになるわけですね。法学や経済に進もう。そうすると、今後、じゃ国際関係論や国際開発論を学ぶ人がどうなるのか。大学院しかいないんです。これでは困りますね。広く国民社会に、実学を学んだ人も国際情勢に関する知識を有し、それなりに判断できる人を育てると。そして、その中で突出できるような人をピックアップして、将来国家の情報分析ができる人間を育てる。  そういう仕組みが必要であるということで、ボランティアベースですけれども、例えばそういうインターネット上の世界の中で各大学につなげながら人を育てていくということもできるということで、すごく大きな建物のイメージはないんです。むしろ、今までおやりになっている国会の仕組みというものをベースとして、各政党に情報をコンパクトにまとめたものを流していく、それから、どこかのちっちゃな部屋でいいですから、それを評価をする人間たちが常にいるというようなネットワーク社会を考えています。
  23. 田中直紀

    会長田中直紀君) ありがとうございました。
  24. 喜納昌吉

    喜納昌吉君 私は、「美しい国、日本」というのは、日本一国ではなし得ないと思っているものです。なぜならば、もうこの地球上に六十五億人という人類が住み、この文明の浪費というものは、この地球の富がこたえ切れない僕は段階に達していると思っていますね。そして、人類というのは、もう未知なる世界、ジャングルとか海底をほとんど探検、冒険し尽くして、宇宙の神秘までも知り尽くそうとしている段階に達していると思っています。しかし、不思議なことに心の問題、特に民族的に言えばトラウマの問題としては、まだ手付かずというんですか、のような感じがします。    〔会長退席、理事三浦一水君着席〕  そこで、私、橋爪参考人に質問したいんですが、配付資料に含まれている橋爪参考人の著書「アメリカの行動原理」の第十二章の記述の中に、「日本がとるべき戦略」として、なるべく長く米国の覇権を維持させる、米国の足を引っ張るよりも、米国をおだてて、米国になるべく長く現状を維持させた方が日本の利益になるという趣旨のことが書かれております。ならば、沖縄の米軍基地に対しては文句を言わず、米国の希望に従って自由に使わせておくのが得策だ、沖縄は犠牲になれということになるのか、ひとつ説明願いたい。  あと一つ。同じく配付資料にある二度目の小泉訪朝に関する「国交正常化を目的にしてはならない」という文章ですが、その中に、国交正常化とは要するに北朝鮮への経済支援である、北朝鮮にはのどから手が出るほど欲しいだろう、しかし我が国にとっては重要な課題ではないという記述があります。国交正常化とは果たして経済支援だけだろうか。現在の日朝関係のもつれは、本質的にはまあトラウマなんですけどね、戦前の日本植民地時代の歴史問題が片付いていないことに起因しているんではないかということですね。やっぱりそこに目配りしないのでは、余りにも短絡的だと指摘せざるを得ない。この点についての説明及び要するに経済支援だと主張する根拠を聞きたい。この二つですね。  私は、日本こそが二十一世紀に理想を打ち立てる役割だと思っていますので、是非このトラウマという、一つの民族のトラウマ、歴史のトラウマというものをどういう示唆持っているかお聞きしたいです。このこと二点ですね。
  25. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) どうも御質問ありがとうございます。  先年沖縄に参りましたときには、喜納先生のお歌も聞きに行っておりますので、御質問は重く受け止めました。  第二番目の北朝鮮の問題からお答えします。  これは先ほど申しましたように、北朝鮮を主権国家と考えるならば日本は一切介入できなくなるのですけれども、それをならず者国家と考えるのであれば、そもそも北朝鮮の人民を北朝鮮政府が保護していないという状況下で私たちは何かできることがないかというふうに考えていくということです。私はそういう考えから本を一冊書いたこともございますし、北朝鮮にも参りましたけれども、理想を言えば、現在の政権が一刻も早く交代して北朝鮮の人民の方々の苦難を救うような新しい政府ができればいいに決まっているわけですが、これは戦争そのほかの手段を使わない限り簡単には実現できません。  そうすると、じゃ現実問題どういうことがあるかというと、非常に難しい選択になるわけで、例えば北朝鮮に対して経済援助をすれば、一部は北朝鮮の人民の方に回るかもしれないけれども、大部分は軍事費になったり現政権をむしろ強化してしまうことになって反対の効果になると。じゃ、北朝鮮に援助をしなければいいのかというと、それでは北朝鮮の方々が本当に困ってしまうと。  どう転んでも私たちが願っている結果にはならないということで、これはもう本当に政治のプロが現実的にその場で情報に基づいて判断していかなければならないことなんですけれど、私が申し上げましたのは、国交正常化というものを我が国の政策優先順位の上位に上げる必要はないのではないか。もし上げるとすれば、それは北朝鮮の人民が幸せになり、私たちと友好的な関係が樹立されることでしょうけれども、現政権を前提にしたときに国交正常化を上位に掲げるのは問題だという、こういう判断です。これには別な判断も当然あり得るということは重々理解しております。  沖縄の場合はこれより大変難しい問題です。  沖縄に米軍基地があれほど集中している理由は、一つ歴史的な経緯で、日本国が降伏する前に米軍が沖縄を占領してしまったために占領統治が続き、講和条約のときにも一緒に独立できなかったという、そういう歴史的な経緯の帰結です。もう一つは、幸か不幸か、やはり戦略的、軍事的に大変重要な価値がある場所のようでして、アメリカにとってそこを出ていく動機が全くないということです。  では、日本政府としてはこれをどうしたらいいかということなんですけれども、一面でアメリカのその軍事的な要求を十分理解しなければ日米軍事同盟がぐらぐらになってしまい、ということは日本国が独自に自衛力を用意しなければならないというふうになってしまうわけですから、これは取りたくない。しかし一面で、同じ日本国を構成する沖縄の方々が従来これだけの苦難を受け、現状もいろいろなことを堪え忍び、今後もそれを受忍しなければならないということを、じゃ選択しなければならないのか、これも非常に苦しい問題です。ですから、どちら付かずのあいまいなことを政府はやっているわけです。  もし私が政府の当事者であったら彼ら以上のことができるかどうかということは自信を持っては申し上げられませんけれども、少なくともそういう沖縄県民の声というものを十分に考慮した上で、いわゆる政治のリアリズムですか、というものを実現していくということが政治の道ではないかと私は思うわけです。
  26. 谷合正明

    谷合正明君 私は、外交ということで大使、特命全権大使の在り方について関心を持っております。  参考人、どの参考人の方でもよろしいんですが、お答えいただければと思うんですが。外交というよりも、システムとして外交を構築していくという話もありますが、要はやはり外交は人が左右するという側面もございます。  その外交の主宰者となる者は、例えば外交官でありますとか、まあ国会議員もそうでありましょうが、今であればNGOもありましょうが、一つ星となるような、百何十か国に日本は大使館を持っておりまして、そこに特命全権大使というのがおります。しかしながら、現状としては、相手国の言葉が分からないであるとか、そういう大使がいるだとか、あるいは開発途上国なんかではODAが一つ外交のツール、武器になっておりますけれども、そのODAも、ただ単に要請主義ということで右から左へ通しているだけの現実もあるんじゃないかなと。大使がすべて無償資金だとか円借款の案件を見るわけでありますから、そういう意味では大使というのは非常に大きな力を持っていると思っております。  また、今回の外務大臣が施政演説の中で、日本外交基軸として四つ目の基軸、自由と繁栄の弧ということを発表されました。これは中央アジアの諸国を念頭に入れられていると思うんですが、あそこは旧ソ連ということでなかなか、新しい国が誕生して、そこで専門家が少ないという現実もございます。実際に大使となり得る人材がいないんではないかと。  あるいは、アフリカに今大使館を増やしていると。これは中国とのいわゆる安保理の理事国入りめぐっての教訓から、反省から大使館を増やしたんでしょうけれども、増やしたからといって、実際大使館のある国でも票がひっくり返っている国もあるわけでありますから、そういう意味では大使は一体何をしているのかなという思いも率直にあるわけであります。  そういう意味で、民間出身であれ、外務省出身であれ、能力ある大使がもちろん大使になるべきであると思っておるんですが、その大使をつくるのにはやはりコストと時間が非常に掛かると思います。それはやっぱり国家百年とまではいきませんが、国家のいわゆる計としてしっかりと長期的なビジョンを持って育成していかなければならないと思っております。  そもそも、大使はどうあるべきなのかというところも議論になると思います。そのどうあるべきなのか、役割といった面、あるいはどう育成していくのか、こういったところに御意見持っていらっしゃる参考人がいらっしゃれば、どなたでも結構なんですが、お答えいただければと思います。
  27. 水口章

    参考人水口章君) じゃ、身近にいた人間として少しお話をさせていただきます。  どういう形で育成したらいいかというところからまず御紹介したいのですけれども、現状において、語学ができるからその大使がいいという形ではないと思います。語学ができることによって、先ほども御紹介があったように、その国に対する偏見や思い入れが入ってしまうことがあります。大事なことは、やはり客観的に情勢を見れる、分析をするということがまず第一点。  それを取るための手段として何があるかということですけれど、今、日本状況からいうと、先ほども紹介があったように、人との触れ合いによって情報を取るという手段しかないです。これは、ある意味でうそを言うかもしれません。それをちゃんとした形で判断できる状況というのは、公開されていた情報をベースにしっかりと自分が、この人はうそを言っているなとか、情報を過剰にしゃべっているなということを判断できる人間にならなければいけないということですね。  じゃ、そういうようなことができる外務省職員というのを今何人挙げられますかという話になると、これは外務省だけではなくて、日本全体として見たら非常に限られた人物しかいません。したがって、それは、外務省の大使をどう育てるかということではなくて、日本の今後の国家の在り方としてどのように国際情勢を分析できる人間たちを育てるかということになります。人事院のもちろんその在り方もあるわけですけれど、先ほど申し上げた教育の問題もあると思います。    〔理事三浦一水君退席、会長着席〕  情報というものは、何かすごくインテリジェンスの話になると非常に遠い社会の話、どこかの組織、CIAの組織をすぐ浮かべる方がいますけれど、そうではないんですね。企業においても、それから我々が例えば大学院に行こうとか大学に進学しようといったときの意思決定プロセスは全く同じです。ですから、逆に言うと、問題を解く力というものをつくる。そして、逆にオールジャパンで、オールジャパンでそのポストを募集するということが大事だと思います。  ですから、危機に当たって、今私は大変な危機に日本があると思います。安全保障の問題にしても、先ほど御紹介があった環境問題においても、エネルギー問題においてもいろんな問題を抱えています。危機においてベストな体制をつくるというのは官僚社会からではないと思います。すべての分野からそのポストを募集し、そこにちゃんとした方、分析能力がある方を配属するような人事体制をつくらない限り、今の縦割りの官僚体制は破れませんし、日本国際情勢に関する情報は取れないと思います。
  28. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 特命全権大使のことについて、少しだけ申し述べます。  日本外交史で非常に残念だなあと思うのは対米開戦の宣戦布告通知の遅れということなんですが、前日に、書記官が南米に転出するというので大使館を挙げてパーティーをやり、それで寝込んでしまって翌日に電報が来たという有名な話がございます。まず、こういう状況下で大使館を挙げてパーティーなどやってはいけないわけですね。次にもっと大きな問題は、電文が入ってきたときに、内容は分かっているわけであれば翻訳する必要があったのかどうか。特命全権大使というのは国家を代表しているわけですから、国務長官に会いに行って我が国は開戦すると言えば、アメリカからだまし討ちキャンペーンをあんなに張られるということはなかったのではないかと、こういう主張を読んだことがあります。私は、外交慣例には通じておりませんが、多分そうなんだろうと思います。  その上で感じることは、例えばイスラム諸国の何とかの大使のパーティーなんていうのに行きますと、イスラムの大使がもう何十人とおられていろいろ歓談されているんですが、その後、自由討論になりましたときに、皆さん学位をお持ちです。例えば、ケンブリッジとかオックスフォードとかケネディ行政学院とか、そういうところの同級生だったりなんかして、国際関係論とか何だとかという基礎知識や、外交プロトコルはもちろんですけれども、認識枠組みが一致しています。そして、アラビア語で話しているけれども、ちょっと切り替わって英語になっても全く問題がないと。そういうコミュニティーの一員だけど大使をやっているという感覚があるんですね。  我が国の大使というのは、ほとんど学位をお持ちでないんです。外交試験で、下手をすると大学三年で名誉の中退かなんかしちゃって行くものですから、修士号、博士号、大学院の経歴が一切おありにならない。そういうコミュニティーの一員という感覚じゃなくて外務省職員なんですね。これで外交官ができるのかなと思います。むしろ、そういう別途のキャリアの、国際的な教養、常識のある方を育てていくということも国策のために大事ではないかというふうに、お話を聞いて伺いました。
  29. 半藤一利

    参考人半藤一利君) 一言だけですが、ここに、これお手元にあるんでしょうか。これ、私、国連次席大使の方と対談をしておるんですけど、この方の話を聞いていて、これに出ていない話なんですが。というのは、日本外交官は、一つは忙し過ぎるというのは、まあだれでも言っていることなんですが、それよりも何よりも、何か非常に、本省の方にだけ目を配っていて、本省から怒られたり、何か問題とかそういうのがあったりするのだけを気にしていて、誠に裁量が、もう自分の裁量で何か物を運ぶということができない人たちばっかりであると、これを非常に強調されていました。ですから、もう少し緩やかに大使の、自分たちの裁量で何かができるような形にしておかないと、永遠にこれはもう日本は、水口先生のおっしゃる情報的にはもう何にも取れないと。もう本当に向こうの人とお付き合いもできないから、これは本当に何にも取れないということを盛んに言っておられました。  それからもう一つ、ちょっと違う話なんですが、水口先生が先ほどおっしゃった話で、情報というのは幾ら集めてもこれは全然ナンセンスだというのが戦前の日本なんですね。これお話がありましたけれども、中国に対する情報はもう山ほど参謀本部に集まったそうです。もう本当に中国の、だが、だれも読んだ者がいないと。だれも読んだ者がいないで、ただ集めただけだと。ただ、集めてしまうと、もうそれで満足してしまって、もう分かったという形になりまして、日本の参謀本部の人たちもそれから外務省の人たちにも中国通とかソ連通とかたくさんいたんですが、この人たちは全く何も知らないと。これがもう全然、この戦前日本の外務官僚及び情報に関する日本人のだらしなさといいますか至らなさであると。これをよっぽど直さないと、情報に対する日本人の関心といいますか、情報の分析力というものをきちっとつくらないことには永遠にこの問題は解決しないということを、実はこれは昔の参謀本部の人に取材をしたときに彼が盛んに言っておりました。  ですから、要するに、私たちは情報というものが何であるかということに関して勉強が全くしてないと。ですから情報というのは何だということをもう一遍最初からやり直さなければ駄目だと。つまりノイズと情報、つまり雑音と情報というのが全然違うんだということすら分からないということをしきりに言っておりました。  ですから、これからの日本はその点においてはもう少し勉強をし直さなきゃいけないということを言っておりましたので、ちょっと付け加えておきます。
  30. 水口章

    参考人水口章君) いいでしょうか。一点だけ。  今御紹介があったように、日本の社会において、情報という言葉と情報資料という言葉の区分けができておりません。インフォメーションという言い方はあくまでも情報資料です。もうそれは垂れ流しの状態です。それをちゃんとした形で付加価値を付けるということが情報です。その付加価値が付かない状態で物事を判断しているというのが今の日本の在り方です。メディアが特にそうですね。自分の裏情報もちゃんと取れず、そのものをしゃべっているという状態になっている。で、そのインフォメーションを国民が理解し、あの指導者はひどいという批判をするというような構図になっています。  ですから、評価をするに当たって、その行動やその現象を評価するに当たって、しっかりとした情報をつかむということがどれだけ大切かということが日本社会に分かっていないということが一点あると思います。この点だけは、何かの折にも是非御紹介していただければと思います。
  31. 田中直紀

    会長田中直紀君) ありがとうございました。
  32. 大門実紀史

    大門実紀史君 本日はありがとうございます。  もう日本外交がいかに駄目かと、どこが駄目かというのはよく分かりましたけれども。直接外務省に聞かせたい話が多かったような気もしますが。ただ、どこが駄目か、何が足りないかというのはお話を伺ってよく分かりますし、今までも再三指摘されてきたことが多いわけですけれども、なぜそうなってしまうのかと、何か根本的に日本外交あるいは外務省に問題があるんじゃないかと思っております。理想がない、戦略がないのも一つの現象であって、そうなってしまう何か根本的なものがあるんじゃないかなと私ずっと思っていまして。  ちなみに、私思うのは、日本は本当に今、自立した国なのかと。もう政治外交から経済まで、結構アメリカのもう一つの州だと言われるような事態になっていると。チャイナスクールの話も出ましたけど、私も知っている方いますけれども、あくまでアメリカに抱かれた中でチャイナと仲良くしているようなところがありますから。やっぱり自分の、自分は自分、頼れるのは自分しかないとなると自分の頭で考えて戦略も理想も出てくるんじゃないかと思うんですけれども。  そういう点で、まあ私の考えとは別に、何か根本的なものがあるんじゃないかというふうに思うんですけれども、その点、三人の方のお考えを聞かせていただければと思います。  もう一つは、これもいろいろ考え方分かれるかも分かりませんが、いずれにせよ、アメリカ後の世界といいますか、アメリカ中心の世界の後、ポストアメリカの世界も日本は想定しておく必要がある、見ておく必要があると思うんですが、この点も、三人の方のお考えあればお聞かせいただきたいと思います。
  33. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) お二つ質問ございました。  最初に、なぜ日本外交が駄目なのかという点です。  ずうっと駄目だったわけではなくて、明治期の外交はなかなか優れていたというふうに思います。なぜ優れていたかというと、その人材が、江戸時代の藩が存在していた時代の常識に従って行動しているからではないかと。藩というのは日本の構成部分ですけれども、法律と統治権と軍隊があって、潜在的には他の藩と戦争ができる単位です。したがって、一種の国際関係なんですね、藩と藩の関係は。それで、薩長もそうですし。そういう意味での国際関係というか現実感覚のある人が、その関係を世界に透写して、欧米列強というのはそういうリアリストであろうというふうに考えて、適切に行動していったと。実際に命を懸けて戦った人たちが多かったわけですから、そういう意味でも、ただの外交官よりもパワーがあったという点があるかと思います。これがだんだん外務官僚になってきたことが一つの原因かなというふうに考えております。  欧米の外務官僚と我が国の官僚は多少違いまして、欧米の外務官僚は、絶対王政の時代に絶対君主に雇われるというタイプの外交官が多かったわけです。この人たちは、その国の国民ではなくてもいいので、有能な外交官はヘッドハントされて、A国で外交官をやってみたり、B国で外交官をやってみたり、いろいろするわけです。そういう特殊専門職なんですね。我が国の外務省の職員は、中国の外交官になったりアメリカ外交官になったりという可能性を始めから考えていない、何か専門職ではあるけれども、やっぱり官庁の職員というところがありまして、そこがちょっとやっぱり文化が違うというふうに思っております。  二番目のポストアメリカの世界は大変に難しい問題ですけれども、従来の歴史で見ますと、覇権国に挑戦する覇権国が出てきて覇権国が交代していく。これはイギリスからアメリカになったのがそうなんですけれども、この次がなかなか想定できないわけです。ソ連がそれをやりまして解体したというのを中国も見ていますから、同じようなことはやらないだろうと。後継する覇権国がいないまま覇権国の力が弱っていった場合にどういうことが想定されるかというと、やはり多国間ネットワークのようなそういう枠組み、集団指導のようなものだと思います。そのアイデアというのはまだ出てないんですけれども、日本がイニシアチブを取ってそういうものをつくっていくという可能性はあると思います。
  34. 半藤一利

    参考人半藤一利君) 今の橋爪参考人がおっしゃったとおり、明治維新、幕末から明治の時代、それから大正ぐらいまでの時代の日本外交官というのは非常に優秀だと私は思います。これはもう本当に驚くほどきちっと、国際人でもあったし、国際感覚もあったし、視野も広かったと思います。ところが、昭和外交官が駄目になったとさっきも私ちょっと申しましたが、昭和八年以来もう全然駄目になったというのが率直な意見です。  そういえば、昔、朝鮮半島で閔妃を暗殺をしましたですよね、日本の軍隊が、そういう時代、日清戦争の前ですが。そのときに小村寿太郎が朝鮮に謝りに行くと。そのときに、どうやったらこれ納得してもらえるだろうかというようなことで悩んだときに、勝海舟のところに聞きに行っているんですね。それで勝海舟が、もう死ぬ直前なんですが、彼は病床にいたんですが、何も悩むことはないんだと、世界の人間と同じことをやればいいんだと。世界の人間と同じことは何かといったら、誠実に謝れと、もうそれ以外にないんだと、余計なことをしなくてもいいんだということを勝海舟は言って、それで小村寿太郎は、そうか、それだけでいいのかというので行って、無事これを解決したんですね。というような話がちらっとあるだけでも、昔の外交官は本当に非常に誠実でしたですよ。まともに、うそをつかないでよその国の人と会いましたよ。  昭和外交官はうそつきが多いです。これは本当、うそつきが多いんですよ。戦前の外交官なんか特にうそつきが多いですが、戦後の外交官も何かうそつきが多いんじゃないかという気が、要するに誠実さを失ったんですね。ですから、誠実さを失うと国際人として認められないんですよ。これはよっぽどしっかりと日本の教育といいますか、こういうのはどこで直したらいいのか分かりませんが、そういう形をもう一遍つくり直さないと、永遠にこれ、日本外交は駄目だということになるんじゃないかと私は思います。
  35. 田中直紀

    会長田中直紀君) ありがとうございました。  水口参考人、ありますか。
  36. 水口章

    参考人水口章君) 基本的に、今御紹介があった、先ほどの御質問とも兼ね合う外交官の気質という問題はあると思いますけれども、もう一つ私はもう大きい問題として、評価なき日本社会ということをお話ししたいと思うんですけれども。  何事も、目的、目標、そしてそれにおける実施計画、そしてそれが終わった後、自後評価という形で評価をしていく社会というのがある目的を達成するためには必要なんだと思いますけれども、日本外交政策の一つ一つ、例えば文化政策でもいいですし、それから北朝鮮政策でもいいですが、そういう評価が出てこない。やった、やれた。で、本人たちはやりましたから、当然ながら良かったという話になってくるわけです。  ですから、気質がどうあろうが、成果が上がればいい。結果より成果ですね。その成果というものをちゃんと評価をしていく社会というものをつくらない限り、今の日本の官僚制社会は変わりません。ですから、政策評価というものをちゃんとつくれるシステムというものをやはり官僚の中につくることだと思います。  官僚の中につくることはおかしいという、第三者評価を入れろという形かもしれませんが、官僚は非常に知識が豊富ですから、第三者では分からないような形で自分たちの評価をちりばめてしまいます。ですから、少なくともこれから定年というものを迎える方の中に、各省庁の中にそういう方がいますので、カウンターになるように、例えば外務省の政策に関しては外務省が一番嫌っていた省庁の方を、その政策評価をさせるとか、そういうようなことを組み合わせることによって初めて各省庁の政策、コストパフォーマンスも含めてですね、そういうものが見えてくるので、そこでは費用の削減という問題までつながってくるんだと思います。  答えとしては、評価なき社会が問題であると。  それから、もう一つの御質問いただいた、今後のアメリカの衰退という形で、橋爪先生からも、世界をリードしている国が、スペイン、ポルトガル、そして今御紹介があったイギリスアメリカと替わってきましたという御紹介がありました。ラッセルという形でどこかの国が雪を踏んでいくのと同じように、だれかが先頭で踏んできたという社会認識で今まで我々は国際学を見てきたわけですけれど、むしろもうそういう状態ではなくて、横になって、今御紹介があったように、前に進んでいかなければいけない、ネットワークとしてやはり手をつないでいかなければいけないということだと思うんですね。  ですから、ここでは、先ほど申し上げた、自分たちがどの辺まで前に飛び出して歩いているか、雪を踏んでいるかとか、どれだけ後れているかということをしっかりとした形で全体を見る力、まあ先ほど申し上げた情報力ですけれど、それがないと、列から切り離されて自分だけが後れてしまう可能性があるということだと思います。
  37. 田中直紀

    会長田中直紀君) これより自由に質疑を行っていただきます。  質疑のある方は挙手を願います。
  38. 加納時男

    加納時男君 加納時男でございます。  半藤参考人橋爪参考人に、短い質問ですけど、一問ずつ伺いたいと思います。  まず、半藤先生の方ですけれども、今日のお話で、日本外交ノーリターンポイントハルノートじゃなくて三国同盟ではないかという御指摘がありました。確かに、三国同盟は結ばないという選択があり得たわけでありますので、ここでの決断が私は非常に重要だったのは同感でございます。  お話の中でも触れられたんですが、もうちょっとさかのぼって、私はどうも国連脱退というのが非常に大きな出来事だったような気がしてならないんです。確かに、国連脱退しかあのときはないんだということだったんだろうかというのはいろんな議論がありますけれども、日本を非難する決議が、日本を除く言わば全会一致といいますか、残りの国が全部それを支持したわけでありますから、もうここではやっていられないということで抜けたわけでありますけど、このことは予測できたことなんですね。ですから、日本ノーリターンポイントというのは国連脱退であったということは考えられるのか、考えられないのか。  また、今日のお話の中で松岡洋右が盛んに出てきました。先生のお書きになられた、お話しになられた文献、読ませていただいたんですが、その中で、松岡洋右というのは、豪放らいらくといいますか、豪快な人でびくともしない人だと思われがちだけど、実はそうじゃなくて、小心者であって、日本で非難されるんじゃないかというんでニューヨークに、日本に戻らずにニューヨークの方へ行っていたと。で、日本でメディアがかなり歓呼の声を上げたというのでびっくりして日本に戻ってきたというくだりがたしかあったような気がしますけれども。  さて、そうすると、私の質問なんですけど、この松岡洋右をそこまで走らせたものは一体何だったのか。  当時の日本の意思決定のプレーヤーというのは、幾つかあると思うんです。まず軍部、そして官僚、政治家、それからメディア、知識人、そして何よりも、その上にというか、卓越した存在として天皇がおられたわけであります。こういった中で、天皇はこの松岡の行動については非常に御不快に思われていたという手記も一部では、私は読みましたけれども。さて、そうなりますと、一体全体なぜここまで松岡が走れたのかというのは、私はどうもどうしても分からないんですけれども、松岡さんというのは小泉さんだったからだという不思議な説も今日伺って、それもそうかなと、説得力があるんですけれども、なぜなのかというのはよく分からないんですね。教えていただけたらというのが一つ。  橋爪先生に伺いたいのは、先生のお話の中で持続可能な発展、サステーナブルディベロプメントというのは一種の自家撞着じゃないかと言われたんですが、実は私も、実はこの問題自分のライフワークみたいに追求してまいりまして、国際会議等で盛んに言ってきたのは、三つのもののサステーナビリティーを求めていく。発展途上国も含めた経済の成長、それからエネルギー等の資源の枯渇から守ること、資源の持続性、そして気候変動を防止し環境が持続すること。資源、環境、そして経済の三つがサステーナブルであるということは、一見相互に矛盾しそうなんですけれども、これを解くかぎがあると、それはディカーボナイゼーション、炭素離れであるということを、これは自民党の政策にもなったわけでありますけれども、ディカーボナイゼーション、炭素離れをやっていくんだと、これでこの三つが同時に実現できるんだ。その方法は今日はもう細かく申し上げませんけれども、一つは省エネルギー技術の開発と普及。  省エネルギーというのはファッション、そのときの人気取りでやるんじゃなくて技術だと、その意識がなくても結果的に行動の取れるもの。例えば、空気を熱源としたヒートポンプとか、それを使った高効率の給湯器、空調機というものを閣議決定でこれは大幅に増やすことに日本はしたわけですけれども、こんなようなことが実は世界で普及していくと解決可能に大幅に近づくし、勢いは小さいけれども、ポテンシャルは小さいけれども再生可能エネルギーを活用していくこと、それから化石燃料をクリーンに効率的に使うこと、そして原子力の平和かつ安全な活用と、この四つをやっていけばこれは解決ができるんじゃないかということを世界に対して日本は発信しているつもりでございます。  先日も、日本、中国間でいろんな対話を私も参加してやっておりますけれども、日本、中国間、中国が経済成長したら環境が駄目になる、資源がなくなるとよく言いますけれども、私はそんなことはない。これは日本と中国の間に、一つ端的な例言えば、GDP当たりの例えばエネルギーの使用量というのは九倍の差がある。ということは、中国のエネルギーの効率利用を図ると大幅にCO2も減るわけであります。こういうことを、例えばさっき申し上げた省エネルギー技術をやって、あるいはあそこは石炭が六割を占めていますから、それを原子力、天然ガス等に転換をしていく、こういったことで持続的開発は可能だと。  願望かもしれませんけれども、そういうことで我が党もやってきているつもりなんですけれども、これについては先生の御見解、伺いたいと思います。
  39. 半藤一利

    参考人半藤一利君) 松岡さんのことでございますが、なぜこの人がこんなに力があったのかということ、これはなかなか難しい話なんです。ただ、簡単に申し上げますと、この方は満鉄の副総裁をやっておりまして、満鉄の副総裁のときに非常に満州に対する資本、こっちの日本の本土の資本が入っていくことに対して物すごく力があったわけですね。そのために、財界からも後押しが物すごくあったということ。  それから、もう一つ言うと、この方がいわゆる満蒙は日本の生命線であるということを初めて言い出して、満蒙問題というものの最高の専門家になったんですね。そのために、外務省の中ではもうどんどん出ているんですけれども、外務省というよりむしろ日本政府の中で満蒙問題というものの、特に陸軍なんですが、満蒙問題というものの突破口としてのこの松岡さんの力というのを非常に利用したんですね。そのためにどんどんどんどん重要視されていったのがまずスタートだと思います。  実は、人間的にとにかく物すごく弁舌の巧み、立つ、そしてもう一つ言うと、長州なんです。長州出身なもんですから、長州陸軍人たちと物すごく仲良くなりまして、この長州陸軍の後押しがずっとありまして、ということがもう一つあるんです。これとこの満蒙問題、満蒙問題の専門家ということでまず出てきました。その上に、人間的に物すごく押しの強いという人だったんですね。ですから、これもそういう意味では、もう本当に希有な人が一番悪いとき出てきちゃったというふうに言えるんじゃないかと思います。  で、この人が実にインチキな人だと。インチキな人という言葉は変ですが、一番典型的なのは、ドイツへ行きまして、ヒトラーと会って、要するに早くシンガポールを討ってくれよと。シンガポールを討ってくれというのをまさか自分でオーケーと言うわけにいかないから、日本へ帰ったら必ずやるからなんと言って、途中でソビエトへ寄りまして日ソ中立条約を結んできてというようなことを、派手なことをやって日本へ帰ってきた後で、ドイツソ連を討ったわけですね。  そしたら、途端に松岡さん、自分で中立条約を結んでいるのに、今こそチャンス、満州へ攻め上がろうと、満州からシベリアへ攻め上がろうといって、ソ連討つべしとやるんですね。そんなまさかというんで、みんなびっくりして、これ止めたわけです。  そしたら、今度はそのヒトラー言葉を思い出して、おれは今日から南進だと、それじゃ南進だというんで、シンガポール討とうと、シンガポールやっつけちゃおうというようなことを言い出すんですね。これもみんなもうびっくりしたと。そんなばかな、昨日まであんた北進じゃなかったか、いや今日から南進、天才は豹変するんだと言って、いけしゃあしゃあとして言うような人なんですね。  ですから、そういうような人ですから、方針なんか何にもないんですね。その場その場のことでくるっくるっと変えていくような、非常に巧みな人だと思います。  だから、一番困ったのは、困ったって、一番この人を嫌ったのが、お話しのように昭和天皇ですね。昭和天皇の「独白録」というあの本がありますが、あの中に、松岡ヒトラーに買収されてきたんじゃないかというような言葉もあるわけです。そのぐらいもう信用がなかったということです。  ですから、ついこの間、靖国問題で出てきましたね、忘れちゃったけど。あの方のメモの中に、昭和天皇が、松岡と白鳥までがなというふうな言葉があって、あれが靖国神社に祭られていることに対しては非常に不快感を持たれたというふうに新聞は報じました。私は不快感だと思いません、むしろ悲しみを持たれたと思いますけれども、そういうような言葉として出てくるというぐらいにこの松岡さんという人が、これがなぜ外交のトップに立って、昭和十六年の七月までですか、ああ八月までか、トップに立っていたのかなというのが私はむしろ不思議でしようがないんです。ですから、その当時の日本は何を考えてたのかなというふうに思わざるを得ないんですが。
  40. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 加納議員からの御質問で、持続可能な発展というものについて三つの政策を考えているんだけれども、これで日本はいけるのではないかというふうなお話でした。持続可能な発展というのが大変いかがわしい概念であるというのは、最近私がますます思っていることです。何かというとここに落ち着くんですけれど、それほどもう生易しい話ではないというふうに思います。  今御提案いただいた政策は基本的に正しいですし、それを各国が採用することはとても大事だと思いますが、しかしそれでも間に合わないような気が私はいたします。  まず、資源ですが、再生可能な資源と再生不可能な資源がありますが、再生不可能な資源は当然枯渇していきます。また金属とか回収、リサイクルできる資源も多いんですけど、それにはエネルギーが掛かります。ですから、終局的にはやはりエネルギーの問題にもなるんですね。そのエネルギーの大部分がまあ炭素系のエネルギーなんですけれど、これを縮減しないでくぐり抜ける方法が今のところないです。こういう問題がまずあります。  次に、人口は止まらなければならないんですけど、当面止まる見込みがなく、どんどん増えていきます。これを途中で止めようと思いますと、普通の方法ではなくて、最後の手段は、中国が行ったような一人っ子政策のような、そういう政治の介入にあります。これは相当大変なことですけれども、ある時期、選択肢の一つに挙がってくるかもしれません。  それから、炭素税ではなくて熱縮のような、エネルギー資源の総量を制限していくという選択肢もあるときに出てくるかもしれません。この資源の総量を規制したときに果たして経済、付加価値の面で経済が成長していけるのかどうかというのは、いろいろ試算をしてみないと分からないけれども、未知数の問題ですね。仮に経済が成長できなくなったといたしますと、ケインズの考え方からいって雇用の問題が起こってくるわけで、経済が成長しないときに雇用が拡大できるかどうか、社会が安定的に営めるかどうかというのは、その経済学が存在しないために全く分かりません。むしろ、その経済学をつくるべきではないかと思います。  そういうフロンティアがいろいろあります。ということから、私は全く楽観できない状態ではないかというふうに思っております。
  41. 富岡由紀夫

    富岡由紀夫君 民主党の富岡由紀夫と申します。  まず、橋爪先生にちょっとお伺いしたいんですが、先ほどのお話の中で、日本外交にリアリズムが足りないというお話で、本当にそうだと思っております。日本の国益だけじゃ駄目だと、相手国の国益も多角的に見なくちゃ駄目だというのは、まさしくそのとおりだと思っております。  それとともに、やはり理想も持たなくちゃいけない、哲学を持たなくちゃいけないというお話で、国益と理想が結び付いたらこれは最高の外交になるというお話なんですけれども、そのとおりだと思うんですけれども、この理想の中に私は、先生のお話だと環境問題とかエネルギーの、省エネの問題を御提起されていらっしゃるんですけれども、やはり私は、日本の置かれた立場として、平和の理想を求めるというのも考えてはどうかなと思っているんですけれども、要は、日本は世界で唯一の被爆国でありまして、平和憲法という、九条という、そういうのも持っておりますし、これを生かさない手はないと私は思っておるんですけれども、その理想について、そういった平和主義をもっと主張していけばいいというふうに私は思っておるんです。それを追求したときに、多分ほかの国も、日本に賛同してくれる国がどんどん出てきて、そういった輪も少しずつでも広げることができるんじゃないかなというふうに私は思っております。  そういったときに、やったときに、その理想を、平和主義を理想にしたときに、国益との間に本当にうまく調和ができるかどうかというところが私は問題なのかなというふうに思っております。要するに、日本は平和を求めて、それが世界を平和にすると、それが国際貢献だというふうに私は大きく考えているんですけれども、その国際貢献と国益のバランス、これはどういうふうに見たらいいのかなと思っております。  この二枚目に脱ODAというお話ありますけれども、ODAの目的の一つとして、いろんな国益のところも今議論されておりますけれども、そういった国際貢献の部分もやっぱりODAの中では私は重要な意味を持っているというふうに思っておりますけれども、その日本が理想とする目的の中に国際平和というか、そういうのを追い求めていると、その中で日本は国際貢献というものも、日本の国際貢献の中にそういった平和主義を私は入れるべきだというふうに思っているんですけれども、その辺と国益との調和はどういうふうに考えたらいいのかというのをちょっと整理して教えていただければというふうに思っております。  あともう一つ、国連について、これは常任理事国入ってもしようがないと、もうそもそも国連に入っていること自体が九条に違反しているんだというお話ありますけれども、要は国連から脱退した方がいいのかというふうにお考えなのかどうか、その辺のところも併せてお伺いしたいなというふうに思っております。  あと、それともう一点、半藤先生にちょっとお伺いしたいんですけれども、先ほどのお話の中で、あといろんな質問の中で、日本の戦前のマスコミの影響が非常に大きかったというお話がありました。まあ、ある一人の影響も大きいし、そういったものもありますと。そのときに、国民というのは、やっぱり日本国民も非常に民族意識というのが私は強い国民だと思っておりまして、何か一つ大きな出来事があれば、まあ大きくなくてもちっちゃなきっかけでもあれば、感情的になって、非常に何というんですか世論が危うい方向に行かないとも限らないというふうに思っております。  その中で、マスコミがさっき言ったような形であおり立てて誘導したり扇動したりいろんなことをする可能性が、まあ今までもあったし、これからもあろうかと思うんですけれども、その辺のところは今の日本のマスコミがそういう危険性はないのか、私は非常に疑問を持っているんですけれども、そういったところで半藤先生は今の日本のマスコミの在り方についてどういうふうに見ていらっしゃるのか。あれを大丈夫だというふうに見ているのか、それともやはりそういう危険性をはらんでいるというふうに見ていらっしゃるのか、ちょっとその辺のところをお話しいただきたいなと思っております。  あと、是非私は、そういう戦前の同じ歴史的な過ちを繰り返さないように、何重にもその防波堤というか歯止めは設けておくべきだというふうに思っておりますけれども、いろいろと最近は、その防波堤となっていたのかどうか分かりませんけれども、それがどんどんいろんな法案が改正されたりして少しずつ崩れているんじゃないかと、外堀がどんどんどんどん埋められているんじゃないかといった議論もありますけれども、今の国のいろんなそういった状況も踏まえて、二度と戦争を起こさないようにするにはどうしたらいいかといった意味で危機感をどういうふうにお持ちなのか、ちょっとお話をいただければというふうに思っております。  以上です。
  42. 田中直紀

    会長田中直紀君) では最初に橋爪参考人、よろしくお願いします。
  43. 橋爪大三郎

    参考人橋爪三郎君) 富岡議員から御質問をいただきました。  平和が我が国の外交理念になるのではないかと、簡単に言うと第一の質問はこういうことだったかと思います。平和というのは大変大事なことですし、世界で唯一の被爆国であるということも我が国固有の体験なんです。でも、そのことから直ちに平和が我が国の外交理念になるかというと、少しちゅうちょするところがあります。  まず、被爆国としての体験ですけれども、このことは実は世界に熟知されて、そのためにもう核兵器を使うのはほぼ不可能であると、核保有国の多くがそう思って、実際に核兵器を使わないという、そういう形で広島、長崎の大きな犠牲が世界平和のために生きているというふうに思います。  ただ、じゃ我が国がその平和憲法を持ち、軍隊を持たないという選択をしたことがそのとおりに文字どおりに外国に理解されているかというと、では日米安保条約は何だと、アメリカは核武装をしているではないかと。アメリカは核の傘を日本に提供しているから日本は軍隊も持たない、また核兵器も持たないで済んでいるんじゃないかと、こういうふうに見られてしまうわけです。現在の国際政治というのは、基本的にリアルポリティクス、リアリズム、つまり軍事バランスが平和を保つんだという考え方に主に立脚しておりまして、外交官もまた学者もこういう考え方で考えていくのが普通です。その常識とちょっと合わないところがあるんですね。  そこで、私が申し上げたかったのは、じゃ戦争をどうやって防いでいくのかと、軍事バランスの考え方だけでいいのかと。軍事バランスが崩れて戦争が起こるときには必ず紛争、対立があると、その紛争、対立は経済とか資源をめぐる解決不可能な矛盾だと。これを解消していくために最大限の努力をするという方が具体的であって、日本のように平和にやりましょうといってもまねできない外国が一杯あると。こういうふうな考え方から、平和というのを表に出さず、その代わりに人類が共存できる二十一世紀という方が分かりやすいというふうに考えた次第です。  ODAに関して言いますと、これは社会インフラを公共投資のような形で国際移転して、現地で私企業が育ってください、産業革命をしてくださいという、こういう考え方なんですけれども、全然そうなっていなくて、無駄遣いだと思います。現地で必要なのはそういうことじゃなくて、そもそも教育ができていないとか農業の基盤もないとか、いろいろそういう問題なんですね。ですから、ODAのような枠組みはいったんやめて、むしろ戦略的に地球環境問題と人口問題とか、そういうことに焦点を絞ったシステムに組み直すと。  また、ODAは、日本は守備範囲があって、アフリカや南米というのは守備範囲外なんですけど、教育であればどこへ出ていっても大丈夫だと。こういう意味での組替えが必要だというふうなことです。  国連に関しては、出発点は申し上げたようなことだったんですけれども、その後性質がだんだん変わってまいりまして、国際的なコミュニティーに変わると。特に国連総会やその下のいろんな組織はそういう考え方でできております。  ですから、私の提案は、国連の本質は変わっていないとすれば、むしろ憲法の方を変えて、国連と調和する形にしておいた方が日本国家としての行動はやりやすいのではないかという、そういう御提案です。
  44. 半藤一利

    参考人半藤一利君) 新聞、マスコミの問題です。本にも書いたんですけれども、ちょっと申し上げますと、マスコミ、日本の新聞、まあ言論は軍部の台頭に対してかなり厳しく立ち向かっていたんです、これは昭和の初めぐらいは。それが、昭和の六年の満州事変のときに言論がひっくり返っちゃったということになるんですが、これはもう本当にそのとおりにひっくり返っちゃったんですね。それで、むしろ陸軍の言うとおりのスローガンのとおりに報道を始めて、そして勝った勝ったで国民をあおったと。  なぜそういうふうになったのかという非常に大問題があるんですが、例えば朝日新聞というのを一つ挙げますと、東京の朝日新聞は、昭和六年の九月十八日の満州事変の第一報があったときから、くるっと返って、もう軍部と結託したんですね。これはいろんな話があるんですけれども、軍部の方が上手で、張作霖爆殺事件が昭和三年にあった、そのときにマスコミがもう総スカンで軍部に刃向かったというので、あれじゃ駄目だと。今度はマスコミの対策をうんと上手にしようというので、軍部の中に情報局、情報部をつくったりしまして、マスコミの偉い人たちをみんな呼んでのべつ飲ましていたんですね、機密費で。ですから、東京の方のマスコミの人たちは幹部クラスがみんなもう、軍部と結託と言っちゃおかしいんですけれども、軍部と仲良くなっていたという状態だったんです。ですから、東京の朝日新聞も、当時は東京日日新聞ですが、くるっと返ったというのは、これはまあ分かるんですが。  大阪の朝日が、これかなり厳しく頑張ったんですね。これは私たち新聞の縮刷版なんかを読むと東京ばかり出てくるんですが、大阪の方はないんですが、ちゃんときちっと大阪で見ると、かなり軍部に対してこれは大変な謀略じゃないかということで対抗したんです。  ところが、在郷軍人会が反旗を翻し、反旗というか、反対派が声明を発しまして不買運動を始めたんです。この不買運動は当時特に奈良県がすごかったんだそうですが、不買運動でもう大阪の朝日新聞は本当に参っちゃったんですね。それで、二十四日だと思いますが、十八、十九、二十、二十一、二十二、二十三、大体一週間頑張ったんですが、軍門に屈してやはり軍部の言うとおりな報道を始めたといういきさつがあるんですね。以来、マスコミは不思議なぐらいに、軍部に刃向かうんですけれども、軍部から何かちょっと変な不買運動のにおいをかがせられるとたちまちひっくり返ります。  それに対して日本人が、踊らされてといいますか、踊らされてという言い方は悪いんですが、まあ一種の踊らされて、ぱあっと流れるという傾向を示す。私はこれを熱狂してはいけないよというふうに教訓として言ったんですが、必ずしも昭和の十年代の太平洋戦争が始まるときに、日本人がみんなして熱狂したかと、熱狂はしてなかったんです。熱狂はしてなかったんですが、集団催眠にかかっていたと、そういうふうに言い直した方が私最近は正しいんじゃないかと思いました。日本人はみんなそういうふうに思い出したんですね。  ですから、要するに中国戦線が収まらないのは英米が後ろにいるから、日本の理想を実現できないのは英米がいるからだということで新聞が書き立てるものですから、もちろん雑誌も書き立てたんですが、それで集団催眠にかかっていたというふうに理解した方がいいんじゃないかと思います。  では、なぜこういう集団催眠に掛かるのかというと、これちょっと長くなりますけれども、簡単に申し上げますと、私たち、近代日本というのはスタートのときに尊王攘夷なんですよね、攘夷運動なんです。攘夷だったんです。ところが、攘夷のつもりでやったんですけれども、薩英戦争をやって薩摩が負け、下関戦争をやって長州が負けというような形で、攘夷はできないと、開国だと。開国というのは、仕方ない、やむなく開国だと、いずれ攘夷するために開国だというのが西郷隆盛の言葉ですけれども、そんなつもりで開国したんですね。  したがって、攘夷の精神というのはじゃ日本人の中から消えたのかというと、僕は消えないんだと思います。近代日本のスタートの中には、日本人の精神の腹の底の中には攘夷というのがあり続けたんじゃないかと私は思うんです。ですから、太平洋戦争が始まったときに、日本のインテリの人たち、もう大抵のインテリ、名前をうんと挙げても構いませんが、その攘夷の精神の発露だといってみんな書いています。亀井勝一郎さんなんという方は、正に幕末のペリーが来たときのあの敵討ちだというふうに書いているんですね。そのぐらいに当時の日本人はみんな攘夷の精神だったんです。攘夷の精神を発露したんですね。だから、それを持っていますから、何か外圧が来ると日本人は比較的早く集団催眠に掛かるといいますか、その攘夷の精神が動くんでしょうね、早く動き出すんです。で、太平洋戦争という変な戦争に、変なじゃない、ばかな戦争をやったわけですが。  戦後は、私、全然、少しは学んだんで、それがなくなって日本人は集団催眠に掛からないんじゃないかなと、これからは冷静になってくるんじゃないかなと思いましたが、そうじゃなかったですね。松本サリン事件、あのときに、私、日本のマスコミも国民もみんな河野さんを犯人としてわあっと流れました。あれを見て、ああ、日本人はやっぱり集団催眠に掛かりやすいんだと、これ、マスコミの一方的な報道によってたちまち催眠に掛かっちゃうんだということが、まだ残っているんだということがあれで思いました。最近でいえば、もう先生方御存じの郵政改革のあの選挙ですが、あれで、ああ、本当にやっぱりもう一遍やっているわというふうに思いました。したがいまして、いつでも日本の国民の中には、外圧が来ると集団催眠に掛かるということは常にあるんじゃないかというふうに思っていた方がいいんじゃないかと思います。  そこで、最後のお答えになるんですが、じゃ、これからの日本はそういうような傾向がどんどん出てくるんじゃないかというお話ですが、私は出てきていると思います、もう既に。私なんかのような何でもないような男のところにおっかない人からどんどん抗議が、抗議というか、手紙が来たりして脅しを掛かっていますから、おまえは何でそんな余計なこと言うのかとか、そういう。私は今日の橋爪先生と違って、私は平和論者の、平和論者って、憲法九条を守る論者なものですから、私のうちへやたらに変なのが来ます。ですから、そういう形ではどんどんどんどん掛かって、一種のきな臭いような形になっていると思いますが、でも、日本人相当学んでいますから、それほどもう一気に昔のように流れていくとは思いません。まだ信じています。  以上でございます。
  45. 水口章

    参考人水口章君) 今の御質問と兼ね合ってお話のあった、国民全体が先ほどから申し上げているように情報の処理がうまくいかないということから出てくるお話だと思います。  初めの御質問でODAのお話が出ていましたので一点御紹介をしたいのは、トリレンマを解決する方法の一つとして今EUが進めているのは、例えばEU域内の外国人労働者をどういうふうに受け入れるかというテーマがあります。先ほど、文化変容で非常に難しい問題があるんですけど、受け入れます。二日前にEUの副委員長が二千名の人間を入れるという形を言っています。この二千名をどういうふうに入れるかというと、アフリカで職業訓練をしてある一定のレベルの人間を入れる。この職業訓練というのは非常に重要なことになります。教育です、先ほど橋爪先生からお話出た。教育による技術援助、そして国へのリターン。で、受け入れたときには送金を認めますから、それは逆に言うと各国の豊かさになります。貧困の対策になります。そして、一定の期間過ぎた場合、その国から出てもらいます。そうすると、技術移転でその国が発展するというやり方です。  ですから、橋爪さんから御紹介があったように、単純にODAを進めるというやり方ではもう国際社会はない。日本はまだそれを続けている。これは、EUのその今申し上げたようなものを事例として研究していただければ、新しい政策はつくれると思います。  それから、二点目なんですけれど、マスコミが一方的に流れてしまう、情報に国民が流れてしまうという問題についてちょっと言及したいんですが、今この瞬間で世界が一番注目しているニュースというのは、恐らくアメリカの誤爆を、イギリスの、二〇〇三年の三月の開戦のときに、アメリカ空軍が二機、イギリスの四台の戦闘車両を攻撃したというニュースが流れています。  ここで問題は、その情報をイギリスはマスメディアに流してテレビに流れています。ここがポイントなんですね。公的な、公的な利益とは何かと。イギリスの考え方では、被害者というものに対して十分に情報を提供するものが公的な利益だと思う。でも、アメリカや国際社会において、例えば軍事作戦が二〇〇三年から起こるわけですから、その映像が全部映ってしまうと、軍事的な作戦とかアメリカのコードが見えてしまいます。飛行機の、どういう対応をしているのか見えてしまいます。ですから、アメリカとしては情報を開示させないという形でブレーキが掛かったんだと思います。イギリス政府はしばらくそれをブレーキを掛けていました。  今言いたいのは、公共の利益とは何ぞやという判断を国民ができるかどうかなんです。ここが、私はこう思っているのに、なぜあの人たち政治的にやってくれないのというふうに詰め寄ってくるわけですよね。というのは何かといったら、その公共の利益を判断する材料を政府が出してないということです。ある意味で、意思決定プロセスの中の参加という形で国民を入れることによって、これが今国際社会における安全という定義です、危機リスクというのはこういうことですということをちゃんとした形で国民全体に知らしめれば、今みたいな国論が分かれるような議論にはならない。  でも、先進国、民主主義の先進国であるイギリスですら、これからです、恐らくここ数日、議論が分かれるところだと思います。それを見て我々はどういうふうに世論というものが形成されるか、我々は世論をつくるときにどのような形で情報というものを社会に提供するかという研究になると思います。  以上です。
  46. 半藤一利

    参考人半藤一利君) それじゃ、済みませんが。
  47. 田中直紀

    会長田中直紀君) どうぞ。
  48. 半藤一利

    参考人半藤一利君) それじゃ、会長さんのお許しを得て、このアンケートの御解答だけ申し上げます。
  49. 田中直紀

    会長田中直紀君) じゃ時間、四時までということで。
  50. 半藤一利

    参考人半藤一利君) それで、別に私は回収いたしませんので、どうぞお持ち帰りくださいませ。  ただ解答だけ申し上げます。よろしいでしょうか。御自分でお付けになっていただいて。  一番は、要するにこれは先ほど申しました、ドイツでございますから、これは。  二番目は、cの七〇%です。ただ、これ、ちょっと問題がありますのは、ここの死傷者の数は一九六四年三月の厚生省の発表なんですが、その後どんどん増えておりまして、一九七六年の引揚援護局の発表では二百四十万になっているんです。ですから、これだと今二百十何万しかないんですが、まあ二百二十万ぐらいなんですが、今二十万増えて四十万になっておりますので、そうすると、七〇%より少し減るかと思いますが、いずれにしろ七〇%近くでございます。  それから三番目は、日本人の海没者ですが、これは潜水艦でやられた輸送船からそのまま沈んだ方です。亡くなった方は十八万人、bです。  それから、日本人の捕虜は、八月十五日前と書いてあるのは、八月十五日後というと、シベリアの抑留が入っちゃうので分からなくなってしまいますので、十五日前、つまりシベリアの抑留の捕虜は入れませんということで、そうすると五万人ということです。  それから次の、日本本土以外の外地での戦没、戦死者のうち遺骨が戻っていないのというのは、これは四の百万人以上です。正式に言いますと百十五万人です。私は、これ、戦後の日本政府は何をしていたのかと本当に思います。本当に戦死、戦没者の慰霊ということをおやりになるなら、むしろこの遺骨を早く戻すのが当然やるべき仕事ではなかったかと、そういうふうに思います。  それから次の、ゼロ戦の片道飛行距離は台湾までです。約千キロ走りますから、往復で二千キロ走ります。  それから、日本軍の一日のあれは、bの六合です。  それから、陸軍大将と二等兵の俸給の比較は、一対百でございます。ちなみに申し上げますと、太平洋戦争中です、大将は五百五十円、月です。それから二等兵は六円、将校になりますと七十円というふうに二けたになりますが、兵隊さんは大体一けたちょっとです。  ちなみに、ちょっと私、二十年のときの総理大臣の給料を調べたんですが、分からないんですが、これ、どなたかお調べいただけると有り難いと思います。二十一年の総理大臣の給料が三千円となっているんですが、一遍にこんなに高くなったのかなと思います。  それから、昭和天皇が飾っていたのはリンカーンです。これもちょっと面白いかと思います。  それから、太平洋戦争と命名したのは、初めは日本海軍なんです。  日本の命名の仕方は場所かあるいは相手という、例えば日露戦争、日清戦争は相手、ないしは上海事変とかノモンハン事変というふうに場所になるわけなんですが、そこで海軍が、場所で日本海軍太平洋戦争と命名しましたら、日本陸軍がそれは駄目だ、大東亜戦争とすると。先ほど橋爪先生の大東亜の話がございましたが、あの時点で大東亜戦争とすると。これは、裏側にはソ連を相手にやるということも含まれていたようでございます。  以上でございます。
  51. 田中直紀

    会長田中直紀君) どうもありがとうございました。  予定の時間が参りましたので、本日の質疑はこの程度といたします。  一言ごあいさつ申し上げます。  半藤参考人橋爪参考人及び水口参考人におかれましては、長時間にわたり大変貴重な御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。おかげさまで有意義な調査を行うことができました。  各参考人におきましては、ますます御活躍をされますことを祈念申し上げ、本日の御礼とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後四時二分散会