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越智敏夫君
新潟国際情報大学の
越智です。きょうはここに呼んでいただいて、どうもありがとうございました。
私の専門は政治理論、政治思想で、特に市民あるいは市民社会という概念を
中心に研究しています。
きょうは非常に簡単なことだけをお伝えしたいと思います。レジュメを準備しましたので、それに沿ってお話ししたいと思います。
最初に
一つだけ、前置きみたいなものなんですが、この
国民投票法案というものについて、一部の
議論として手続法なんだという言い方がされますけれ
ども、それは非常に問題が多いと思います、個人的には非常に気に入らないというか。手続法だからこれはニュートラルに決めることができるという
議論が時々されるんですけれ
ども、当然、手続法とはいえ、というよりは、どのように改憲をするかというその
方法を決めること自体非常に政治的ですし、それをいつ出すかというようなものを、改憲したい側はなるべく早く手続法をつくろうとか、阻止する側はつくらないでおこう、その政治の中にあるので、手続法だから事務的に決めていいじゃないかという
議論そのものは僕は非常に問題が多いと思います。
そして、その中身ですけれ
ども、これは非常に簡単で、どこまで簡単に改憲できるか、あるいはさせないか、その幅があって、そのどこにこの手続を決めるかということだと思います。具体的な
内容はこれまで三人の方もいろいろおっしゃっていますので、僕は
基本的な
憲法に関する
考え方というか改憲に関する
考え方を市民政治あるいは
国民主権という
観点から
考えたいと思います。
「結論」といきなり書きましたが、
基本的に
国民投票法は、なるべく
憲法を変えにくくするべきだと僕は
考えます。
国民投票法の
内容次第で簡単に改憲できたりできなくなったりするわけですけれ
ども、今の
日本国憲法を変えるルールとしては、なるべくそのハードルを高くする、
憲法を変えにくくする
投票法案にしておくべきだと思います。
理由は
三つです。
そこに
三つ書きましたけれ
ども、まず、政治学の目的というのも大げさですが、人類は痛い目に遭っているわけで、何で痛い目に遭っているかというと、権力に痛い目に遭っているわけですよ。五千年とかそれぐらいかけて何とか権力をコントロールする知恵を人類は見つけてきたわけです。政治学は、そうした権力の暴走、絶対権力が出現するようなことだけは避けたい、それは二十世紀に入ってもナチズムなりなんなり、いろいろなところで権力の暴走というのは見えるわけで、そういうものをコントロールする知恵を何とかつくってきました。
当然それは、例えば権力分立のように、権力を一人の人間に任すとまずいから
三つに分けましょう、
法律をつくる人間と執行する人間と判断する人間の
三つに分けましょうとか、あるいは、権力を
国民国家で一個にするとまずいので中央と地方に分けましょう、そういうふうにいろいろ分けていきます。その中でいろいろな知恵が人間もついてきて、例えば権力を
三つに分けたとしても、ある人間を信頼することは危ない、どんなにいい人でもそれは危ない、だから任期を決めましょう。例えばアメリカの大統領のように、どんなに
国民の支持が高くても八年以上はやらせませんとか、そういう時間の安全装置とか、いろいろな安全装置としてそうした権力分立とか任期の問題を人類は編み出してきたわけです。
その中で、そうした編み出したものをまとめる、国家構成、
憲法は、コンスティチューションは小文字で書けば骨格とかそういうふうに訳されますけれ
ども、そうした安全装置の総体として
憲法というものを人類は何とか手にしてきたわけで、こうした一種の安全装置の総体としての
憲法をどう変えるかということ自体は慎重にあるべきだろう。安全装置そのものを簡単に変えていくと、本体そのものの破壊される危険性は高まるわけですね。
そういう意味で、安全装置の総体としての
憲法、特にそこに
基本的人権というものが入っているのは、その安全装置としての
憲法は
国民一人一人のためだけではない。つまり、
基本的人権というのは、我々市民一人一人の権利を守るというだけではなくて、その市民によって構成される国家そのものも人権を
基本に構成した方が安定する、そういう一種の功利主義的な、国家のためでもあるという側面もあるので、なるべく人に迷惑をかけない安定した国家をつくるために、そうした
基本的人権を
基本に据えた
憲法というのはいじるべきではないと僕は
考えます。
先ほどちょっと任期の話をしましたけれ
ども、例えば総理大臣なり大統領なり政治家なり、ある問題があったとしても、いざというときは
国民は選挙で落とせるわけで、この人はだめだと思えば落としてしまえばいい、参議院だったら六年、衆議院だったら最長四年という安全装置で。それが
憲法にはないですから、実際、今の
日本国憲法だって、もう戦後何十年ずっと使っているわけで、そういう安全装置の改変というのは慎重にあるべきだろう、つまり、なるべく変えにくくするべきだろうと思います。
二つ目の
理由は、これは
日本国憲法のもう少し具体的な特徴に入っていきますけれ
ども、
日本国憲法というのは非常に抽象的なんですね。ほかの
憲法に比べても、表現が抽象的なところが多い
憲法だと思います。よく言えば普遍的な
内容が語られているわけで、そういう
憲法を変えるというのは、これまでの戦後の、俗に言われる解釈改憲、九条を見てもわかるように、あの九条のもとでこういう国ができているわけで、それがいいか悪いかというのは当然また別問題ですけれ
ども、現実的に、九条の文言から現在の自衛隊というものを生む、そういう戦後政治が具体的にあるわけですね。
それは抽象的な表現をどう現実の政治のプログラムの中に入れていくかという中で起こってきたことですけれ
ども、こういう抽象的な
憲法を変えるということは、一層その解釈改憲の幅は広がるだろう。つまり、
憲法を変えたからといって、これまでここまで解釈してきた政治家の皆さんが
憲法を変えたからこれからは解釈改憲の幅を狭めますということはあり得ないんですね。だとすれば、その解釈改憲というものは一層広がっていくだろうと思いますし、個人的に非常に気になるのは、現在の
憲法の
議論、改憲の
議論の中で、
国民をコントロールする、
憲法によって
国民の義務であると。そういうものは政治思想の中ではやはり認められないと思うんですね。
憲法というのは、先ほど言ったように、人間、一人一人の市民が国家をどうコントロールするか、その目的が最大のものだと思いますので、そういう中で、
憲法の
基本機能というか、人間が国家をどうコントロールするかというものが消えていってしまう、それは問題だと思う。
ですから、それを再確認する、つまり、市民、
国民が国家権力をどのようにコントロールするか、その武器としての
憲法というものを再確認するためにも、
憲法というのはなるべく変えにくくするべきだろうと思います。そうでなければ、はっきり言うと、
憲法の改定というか、それは一種の疑似クーデターを、ちょっと物騒な言葉ですけれ
ども、疑似クーデターや疑似革命という意味を持ってしまいますので、そういうものを簡単にそのときそのときの
与党ができるようにするべきではないだろうと思います。そうしなければ、今後の日本政治の混乱というのが起きるのではないかと思います。
三つ目の
理由ですけれ
ども、これは今言ったことと関連するんですが、今、こういう手続法が出てくる政治の流れがあって、議席のバランスがあってこうなっているわけですけれ
ども、そのときそのときの
与党の案が通りやすい改憲の
方法というのは、一種の改憲の応酬みたいなものを生む可能性があるわけですね。
つまり、十年後、二十年後には議会内のバランスがどうなっているかわからないわけで、例えば社民党が政権をとる、あるいは
民主党が政権をとる、そうなったときに、この前の
憲法は問題があったから、あるいはこの前の改憲案は問題があったので、今度は新しくつくりましょうと。そういうふうに、政治は一寸先はやみだといいますけれ
ども、そのやみの中で何が行われるかわからないわけで、今は
公明党と自民党が
与党でこういう改憲が正しいと思いますと出して、では、次の政権はやはりまずかったからもとに戻しましょうと、そういうふうに国の構成、国家構成に関するものが各政権ごとに変えられる可能性が出てくるわけですね。
そういう現在の議会バランスだけではなくて、将来の議会がどうなるかを
考えたときに、今そのハードルを下げて、そのときそのときの
与党の案が通りやすいようなものにすること自体は、今の
与党だけではなくて、将来の日本の政治を
考えたときに、改憲そのものを毎回政治的なイシューにしてしまうという問題が出てきて、別に改憲をイシューにすることが悪いということではないんですが、そのことによって他の重要な政策の
審議等ができにくくなる、簡単に言えば混乱すると思いますので、そういう政治における時間の観念を
考えれば、現在の多数派は将来少数派になる可能性もあるので、そこでさまざまな改憲案が常に
議論されていくような状況は避けるべきだと思います。
以上の
三つの
理由で、
憲法はなるべく変えにくくする。つまり、ハードルを上げて、硬性
憲法の特質は守るべきだと思います。
あとは各論なんですが、レジュメの二枚目に書いたようにいろいろな問題があります。ここでは二点だけ
考えを述べさせていただきたいと思います。
一つは、
公務員による運動というところです。
きのう、おととい、本当に毎日変わっていて、
修正案等がマスメディアで報道されるのも本当にここ一週間ぐらいというのも個人的には気に入らないんですが、どういう
議論がされているのかというのが余り報道されなかったので、そこも問題だとは思うんですけれ
ども。
きのう等の報道では、例えば罰則
規定は設けない、そういうことが言われていますけれ
ども、
基本的に、
憲法の九十九条には、
公務員というのは
憲法を守らないといけない、大臣も含めてですけれ
ども公務員の
憲法遵守義務というのがあるんですね。ということは、
公務員というのは改憲に立場上
賛成できない。つまり、
公務員は現在の国家構成を認めた上で
公務員をするというのが前提ですから、そこで
公務員に運動を禁止するというのは、僕は二重、三重におかしいんじゃないか。言ってしまえば、
公務員というのは
憲法改定には
反対しないといけない立場ではないかという
考えもあり得ると思います。
これは、
意見陳述者は
委員の皆さんには質問できないということなんですけれ
ども、本当は質問したいところで、そもそも
発議はだれがするのか。つまり、内閣総理大臣というのは、まさに
公務員として
憲法を必ず守る、
憲法遵守義務の最も強い人が内閣総理大臣なわけで、責任内閣制のもとでその
発議をだれがするのかというのは非常に気になるところです。
それで、
発議そのものだけではなくて、
公務員の運動の
規定というのはやはり問題があるかなと思います。
もう
一つは、これも他の
意見陳述者の方が言っていることですけれ
ども、最低
投票率の問題です。
これは本当にさっきから言っているように、ハードルをどこまで高くするかということで、最低
投票率を高くすれば当然
憲法は変わりにくくなるわけで、それを取ってしまえば
憲法は変わりやすくなる、その
一つだと思いますが、個人的にはこの最低
投票率は設けるべきだと思います。
どうしてかというと、そもそも日本の議会は
国民の
意思とずれが大きいんですね。簡単に言えば、死票がたくさんあるわけです。御存じのように、小選挙区制になって以降、一層ずれがあります。つまり、
国会の中の
議員の割合、
与党、
野党の割合と
国民の
投票行動には致命的なずれがあるんですね、今の選挙の結果。ということは、
国民がどういうふうに思っているかということを、
議員の方を前にして言うのは申しわけないんですけれ
ども、体現していないんです、今
議員は。すごくずれが大きいわけです。
特にこういう改憲というシングルイシューのどうしますかというようなものに関して聞くときに、
議員の三分の二が
発議に
賛成したんだから、それは
国民の
意思を体現しているとは言えないと僕は思うんですね。ですから、そこでは
国民の
意思を確認するための何らかのハードルをつけるべきだ。つまり、
国会議員と
国民あるいは市民の
意思のずれがある以上は、改憲案を
国民投票で
国民に問うときには何らかの形でまた別の安全装置をつけるべきだろう。それは、最低
投票率なり絶対得票数なり、そういうものに結実させるべきだろうと思います。
新潟の大学で教え始めて僕は七、八年なんですけれ
ども、
新潟は、御存じのように巻の
住民投票がありました。原発を住民がとめるということをやったわけですけれ
ども、あの
住民投票を研究していて思ったのが、何をするにも時間がかかるということなんですね。では、どうしますかといって、いきなり
投票するかどうかとか、そういうのはすぐ決まらないわけで、あの巻の皆さんは、
賛成派、
反対派いろいろありますけれ
ども、本当に
議論をして、暴力を生まないで
議論の中でああいうルールを決め、特に自主管理
投票等を行って時間をかけてその結論を出したわけで、それはローカルコミュニティーがそういう問題で政治を勉強していく例だと思います。
この
国民投票というのはよく
住民投票と比べられますけれ
ども、はっきり言うと、現在の
国民投票の
議論は巻町に比べれば全く実がないというか、巻町の皆さんの
議論の方がよっぽど民主的だったなと思います。ですから、もっと時間をかけて
議論していただきたいというのが僕の最終的な
意見です。
どうもありがとうございました。