○土肥
委員 民主党の土肥隆一です。
今まで通告しておりました
質問を全部撤回しまして、けさ書きかえて、手書きの
質問状を
地理院の担当者に送りました。そうしたら、もう変更できませんと言われまして、そんなことはないだろうと言って、なぜなら、もう私が最後ですから、法律の一条一条を挙げてどうだこうだ言うのではなくて、私の率直な経験それから感想を申し上げたいと思うのでございます。
私が
国土地理院の院長初めスタッフの
皆さんとお会いしたのは議員
生活初めてでございまして、
測量法などというものがあることも知りませんでした。ただ、
測量ということをいえば、伊能忠敬、今
大臣もおっしゃいましたけれども、並外れた人物が江戸末期に登場しまして、一八〇〇年、五十歳になって、まず蝦夷地に行く、北海道に行く。そうなると、私は、北方領土は行ったのかなとか、そんな感想も持ったり、すごい人だ、こう思うわけでございます。
その一派が、その伝統をくむ
国土地理院がおいでになったんだろうというふうに構えておりましたら、何と内容は非常に科学的な、衛星を使った、あるいはナビの援用でありますとか、そういう
技術的な話なんですね。これもまたさっぱりわからないということでございまして、私はもう一度、
日本の
測量の問題について自分なりに
考えたんです。
私は、三十年ほど前に、兵庫県の山村の
土地を一万坪買い求めまして、そこで身体障害者の施設を開所したわけでございます。一万坪を田舎で買いますと、百五軒ぐらいの地権者がいらっしゃるわけですね。皆目わからない、だれがどこで住んでいるのかというようなこともわからないわけでございまして、一人の担当者が一年かけて一軒一軒訪ねていって売買の契約をしてきたという経験をいたしまして、これは一体何事なんだ、どうしてこんなに不毛な努力をしなきゃいけないかということを
感じたわけでございます。
そこで、やっと施設ができましたら、一昨年のあの台風二十三号で土砂
災害に遭いまして、危うく私どもの障害者が七、八人亡くなるところでございました。昔の農業用の堰堤が、小さい石で組んだ堰堤があったらしいんですね。それが全部崩壊して、崩れてきたわけです。そんなものが山の上にあるなんて、当該市町村の担当者も、そんなもの聞いたことがない、見たことがないという話でございます。ですから、
地理とか
測量というのはやはりきちっとしなきゃ人命にかかわるということを強く
感じました。
もう一つは、最近のことなんですけれども、ここはもう
場所を言いませんが、あるお寺の境内地がございまして、ずっと一般の参道があるんですね。その横に空き地がございまして、だれの
土地かわからないわけです。そこを公園にしようかという話がありましたときに、中に住んでいらっしゃる方がいるんですね。どういう登記をしたのかということもわからない。その方
たちがそういう動きを見てこのお寺のお坊さんを憎みまして、前を通るとにらみつけるというんですね、檀家じゃないようでございます。だから、この
日本には
測量あるいは地権をめぐってのトラブルがいっぱいあるんだなというふうに
感じているわけでございます。
今の
国土地理院が伊能忠敬の伝統をくんでいらっしゃるだろうと勝手に思っておりましたが、要するに、地上にはい
つくばって
測量して、一つ一つ確かめていった、伊能忠敬がそれをしたわけですね。伊能忠敬の
測量は第十次に及んだと。今回は、
国土地理院は第六次の
基本測量長期計画というのを発表していらっしゃるわけでございまして、
調査室でつくっていただいた資料を見まして、よくわからないんですけれども、いずれにしても、営々として
日本の
測量事業を担ってこられた。
もう一度、この歴史、
地理院がおつくりになった「
国土地理院概要」というのがある。よく見てみますと、伊能忠敬が江戸
時代にやった研究というものは、今日の
地理学というか、あるいは暦学などに基づいて、相当な民間のサイドでの知識が凝縮しているわけですね。そういうことを
考えると、この年表によりますと、一八六九年に民部省に
地図掛ができるわけですが、その二年後、七一年に兵部省陸軍参謀局に間諜隊を設置しまして、そこへ籍を移したようですね。
これは院長、どういうことでこの兵部省に置くことになったんでしょうか。
地理あるいは
測量という点からいって、そんなに軍事的な要素はないんじゃないかと思うんですが、その辺ちょっと御
説明いただけませんでしょうか。