○齋藤弘君 お忙しい中、各
委員の皆様にはわざわざ山形までお運びいただきまして、まずは山形県民を代表して感謝、歓迎申し上げたく存じます。ありがとうございます。そしてまた、このたび、
教育再生に関する諸
法案について私の意見を述べる
機会をお与えいただきましたことについても、重ねて御礼申し上げたく存じます。
私自身、ここ山形で生まれ育ち、そしてまた、現在小
学校五年生の男の子、二年生の男の子、幼稚園年長の女の子ということで、まさに
教育問題はすなわち私自身の問題でもある、そういう立場でございます。きょうは知事の立場として
お話をさせていただければと思っています。
まず、私は、私自身の山形県政を
運営するに当たってマニフェストを掲げました。これは「「助け合い」、「分かち合い」、「育み合う」ふるさと山形づくり」。まさに、助け合い、分かち合い、はぐくみ合うということは、すなわち、山形県が得意とする
地域のきずなということをあらわしているわけですが、これに伴って七本の柱、十四項目にわたってマニフェストを掲げてございます。
その大きな七本の柱の
一つに、「県民と
教師が共に育む
教育立県の創造(助け合い、育み合い)」ということを大きな柱の
一つに掲げてございます。そして、具体的には「山形のよき伝統の継承と革新の創造を担う
人材を育成、輩出します。」そしてもう
一つは「
教師の「質」
日本一のやまがたを創ります。」。こういうことで山形県政を
運営する基本方針といたしているところでございます。
きょうは、大きく三つ、
一つは理念というようなもの、それからもう
一つは本県の現状と課題というようなもの、そして
最後に各諸
法案についての若干の意見を述べさせていただきたいと思っております。
まず、私の
教育に関する基本理念ということでございます。
そもそも
教育は国家百年の計というふうに考えるべきものでございます。したがって、長期的視点から物事を考え、取り組んでいくべきものというように思っています。
このときに、長期的な視点とは何かということでございます。そのときに思い浮かべるのは、インディアンの長老の判断基準ということでございます。インディアンの長老の判断基準というのは、向こう七世代にわたってどう種族が、子孫が生き延びれるかということをもとにして判断をする。一世代三十年といたしますと、ほぼ二百年先のことを展望しながらその判断基準にする、こういうことでございます。
そうしますと、二百年前、二百年後のことを、我々が二百年前の江戸
時代から今を想像するに難しかったことを思うと、これから二百年後を、
価値観とか移動手段などを想像するのも非常に難しい。そうなりますと、七世代向こうのものが何を求めているのか、その
価値観とは何かということを我々も考えて、物をつくり上げていくというよりも、むしろ我々がこれまで生き延びてきた、何百年、何千年も生き延びてきたときに大切にしてきたものを残す、つくるから残す、そういう判断に変わらざるを得ないのではないかと思っています。恐らくはこのインディアンの長老も同じようなお
気持ちで七世代向こうのことを考えるということではないでしょうか。
そのときに、我が山形県を振り返ると、このつくるから残すというふうに考えたときに、
教育の問題というのは極めて大切になってまいります。特に、
自分で生きる道を探るとか、生きていく力をつけるということ、さらには、
自分の
目的や夢を見出して
社会や他のものとかかわる力を養っていくなどということが必要になってくるのではないかと思っています。そうした力を養うときに、山形らしさということを私はとても大切にしていきたいと思っています。
しからば、その山形らしさとは何か。私は二つあるのではないか。
一つは、やはりこの山形の自然豊富な、自然のかかわり合いの中で
子供たちがみずから学び取るもの、自然のすばらしさということを学び取る。時には自然の恐ろしさ、畏怖という念も恐らくは学び取ることができる。自然に触れ合いながら、自然とのかかわり合いの中で
教育を進めていけること。
それから二つ目は、やはり山形は農業県でもあります。食との
関係で
子供たちをはぐくんでいきたい。食卓を
家族で囲めばそこには愛情がはぐくまれる、
友達同士で食卓を囲めばそこには友情が芽生える、
地域のコミュニティーで囲めばそこにはきずなが生まれるといったぐあいに、食を通じて
教育、
地域のきずなということも考えていけるのではないか。そういう
意味で、我が山形県は、今年度食育元年ということを高らかに宣言しているところでございます。
そして、こうした
教育の基本となる基盤というのは、すなわち
教師そのもの、
教師の質ということにかかわってくるのではないか。専門性はもとより、
人間としての魅力というのを
教師そのものが身につける、
地域とのかかわり方、それから自然、文化への関心などについても幅広く
教師というのは身につけるべきではないのか、このように思っています。
繰り返しになりますが、そのためにも、
地域の創造、工夫を生かせるような、
地域の実情に応じた弾力的な
教育制度、
体制というのが必要なのではないかと思っています。
次に、山形県の置かれている現状と課題について若干述べさせていただきたいと思います。
山形県は実践の山形。
教育三大県、理念の長野、施設の福岡、そして実践の山形、こう言われてまいりました。実践の山形というのは、昭和の初期に今で言う全国統一テストのようなものが行われた、徴兵
制度絡みだと伺っておりますが、これでは常に全国一位でありました。しかも、あらゆる教科において一位でございました。そんな
意味で恐らく実践の山形ということが言われてきたのではないのかと思います。
しかし、その実践の山形も、最近では随分影を落としている嫌いもございます。
まず
一つは、構造的な問題です。これは全国共通であります。
少子化の進展に伴ってさまざまな課題への対応が必要となってきます。我が山形県でも小中
学校の統廃合が進んでおりまして、小
学校区という、本当に
地域のコミュニティーの単位とも言えるものが衰退してきているという事実がございます。
地方では、まさに小
学校区というのがそこに生きる
人たちの共通のコミュニティーの単位だということも言えるかと思います。したがいまして、
教育再生会議でも話題になったと聞いております
教育バウチャー
制度による
学校の選択の余地がないのが地方、そして山形であります。一市町村で一小
学校、一中
学校という計画のところもありまして、小規模な市町村
教育委員会がそもそも弱体化してきているという課題もございます。
次に、少人数学級についてでございます。
我が山形県は、「さんさん」プランと称して、二十一人から三十三人程度の学級編制でやるということを全国に先駆けてやってまいりました。ただ、これもコインの裏表があるわけでございまして、この学級編制に伴う
教員の増ということが課題になります。
そしてまた、目いっぱい
教師の方、
教員に働いていただいているわけですので、むしろ
教師そのもののゆとりというのがなくなってきているという状況にもあります。今現在、果たしてこの「さんさん」プランというのがどの程度
効果があるのかということを一生懸命考えて、その検証、評価を行っているということでございます。
続きまして、各
法案に対する意見でございます。理由等もございますが、時間の制約もあるということですので、七つの
法案について簡単に申し述べさせていただきたいと思います。
一つは
学校教育法でございます。
幼稚園、小中
学校に副校長等の職を置くことができるとすることについては賛成でございます。ただし、これは新たな職の給与体系の
整備とか新たな定員措置がなされることが必要になってくると思っています。
次に、
地方教育行政の
組織及び
運営に関する
法律の
改正についてでございます。
教育委員会は、学識経験者の知見を活用し、活動状況の点検、評価を行うこととするについては、これは反対であります。まさに
教育委員会そのものはレーマンコントロールという立場にあるわけでございますので、その機能を発揮すること自体が重要でございます。屋上屋を重ねる必要はないということであります。
次に、市町村は
教育委員会の共同設置等の連携を進めて
教育行政の
整備充実に努める、これについては条件つきで賛成したいと思っています。これは、共同設置などにより事務
体制がかなり効率化されるということがあります。しかし、その設置に当たっても、各
地域の実情に応じた配慮が必要だというふうに考えています。
続いて、文部
大臣の是正、改善の指示、さらには、文部
大臣は講ずべき措置の
内容を指示して地方自治法の是正の要求を行うものとする、この二つについては反対の立場でございます。これは地方六団体が一貫してきたことと私も当然のことながら考えを共有しているところでございます。むしろ、
教育委員会に当事者意識と
責任を持たせるということの方がより重要なのではないかと考えているところでございます。
最後に、知事が私立
学校に関する事務について助言、援助を求めることができるとする
法律でございますが、これについては賛成いたしたく存じます。
ちなみに、本県山形県においては、平成十八年度から知事の事務である私学
振興を
教育委員会が
補助執行しているという実態が既にございます。児童
生徒の安全
確保に関する情報提供なども速やかに伝達できるようになった
効果がございます。
済みません、もう
一つございました。
教育職員の免許制についてでございます。十年間の有効期間を定めるということでございます。
そもそも
教員の免許制については、先ほどの私のマニフェストでもうたっております。ただし、この十年間の有効期間というのはやや長過ぎるのではないのかという感じを私自身は持っております。
時間をオーバーしてしまいましたが、
最後に、やはり
教育というのは、欧米においても
学校ではなくて家庭で行われるというのが常識化しているわけでございますので、
学校の、特に
教師の質
向上ということはもとより、家庭での
教育ということを改めて我々としては
教育再生ではなく
教育新生という立場から見ていく必要があるのではないかと思っています。
取り急ぎ以上でございます。ありがとうございました。