○長島(昭)
委員 後で日中
共同声明の真意については改めて伺いたいというふうに思いますが、そういう台湾が今の平和的な存立を維持しようという中で、台湾側もいろいろな努力をしているわけですけれ
ども、今私は、台湾を
説明するときにこういう言い方をよくするんです。海に小さな舟を浮かべる。その舟は、舟の位置をそのままに保つためには、潮の流れとか風とか波とかありますから、その流れに逆らうような努力を、こぐとか、努力をしていかないとどんどんそれは流されていく。私たちは現状維持、現状維持と言うんですけれ
ども、現状維持だから何もしなければ今の台湾の
立場がキープできるかというと、それはそんな甘い国際環境ではないと思うんですね。
そういう中で、今台湾の中で起こっていることは何かというと、例えば対中貿易。これは二〇〇五年の統計ですが、米ドルにして七百億ドルを超えている。前年比で一六・三%増。台湾の貿易総額に占める比率は二〇%に近づいてきて、ほとん
どもう経済的には相互依存
関係が物すごく深まっている。それと同時に、野党の
国民党の政治家が北京もうでをする中で、台湾の今の指導者の皆さんからすると、何となく、その波にあるいは潮の流れにどんどんと巻き込まれていくんじゃないか、こういうような、彼らからするとすごく微妙な緊張感が今漂っているんじゃないかな、こんなふうに思っているんですね。
そういう台湾と
日本との
関係というのは、ある意味、現状を維持するために何か努力をしなきゃいけないと私は常々思っておりまして、きょうはその
観点からお伺いをしたいと実は思っているんです。
しかも、台湾というのは、
外務大臣が提唱されていた自由と繁栄の弧の中でも、
外務省が発表したあの地図の中には、台湾の地図が何か吹き出しで消えちゃっていたんですけれ
ども……(
麻生国務大臣「消えていた」と呼ぶ)そうなんですよ。それは以前ちょっと御質問したことがあるんです。それは別に意図的じゃなかったと思いますけれ
ども、民主主義あるいは自由主義、価値の
外交という
観点からすると、やはり台湾の存在というのは私は無視できないということがあるんですね。
そこで、きょうの本題に入りたいんですが、気がかりなことが
一つある。それは何かというと、京都に光華寮という中国人の学生寮があるんです。この光華寮をめぐって、その所有権をめぐっての訴訟が、これはもう四十年前に提起された訴訟でありますが、先月の末に、これの最高裁判決が実は上告から二十年ぶりに出たんです。
最高裁に伺いたかったんですが、最高裁判所の方は
外務委員会に今まで
出席したことがないということで、資料提出だけで済まされてしまったんですが、最高裁の方から資料をいただきまして、調べたら、二十年というのは本当に異例の長さでありまして、上告審というのは大体今、平均でいうと三カ月とか四カ月とか五カ月で出る。ところが、これはもう二十年、ある種塩漬けというかたなざらしにされてきた事例なんですが、それが一月の末からぽんぽんぽんと審理に入って、二カ月で判決を出しちゃったんですね。温家宝総理とは余り
関係ないのかもしれないんですが、しかし随分手回しがいいな、こう思ったのであります。
ちょっとそのクロノロジーを見てください。
大臣はもうベテランでありますから
御存じだと思いますが、
日本で一番騒然としたのは、七六年に京都地裁が、中華民国がもともと登記をした物件なんです。(
麻生国務大臣「七七年」と呼ぶ)そうですね。中華民国が登記をした建物があったわけですね。それが寮だった、寮生がいた。その寮生の中には、台湾の
人たちもいた、あるいは大陸から来た
人たちもいた。
まず、一番
最初に、六一年に所有権の移転登記を中華民国の名前で完了しています。その後、六七年に、中国の、大陸系の寮生が入ってきたものですから、中華民国としては、もうそういう
人たちには出ていってほしい、これは我々の所有物なんだからそこからは出ていってほしいということで、その明け渡しを求めた訴訟なんですね。それが六七年の九月六日に提訴されました。
しかし、その後、七二年に我が国
政府は日中
共同声明で
政府の
承認の切りかえをやりました。先ほど申し上げたように、中華民国から中華人民共和国に切りかえを行いまして、そのために、これは一審が続いている最中の話でしたので、そもそも
承認を失った台湾が訴訟の
当事者になれるのか、それからもう
一つは、台湾が登記してあるんですけれ
ども、寮の所有権は台湾から中華人民共和国に移るんじゃないか、こういうことが争われて、一審が、今
外務大臣からサジェスチョンがありましたけれ
ども、京都地裁で七七年に出て、これは、七七年の判決は、いや、わかった、中華人民共和国に所有権が移転するんだという判決が出たものですから、台湾側が控訴いたしまして、それで八二年に大阪高裁で逆転といいますか、いや、実は台湾の側にあるんだという判決をし、そして京都地裁に差し戻して、また一審も台湾の所有権を認め、八七年に大阪高裁が認め、そして、追い出されそうになっている寮生がそれに対して最高裁に上告した。こういう
経緯で今日に至っているんです。
皆さんも大体おわかりになったと思うんですが、そこで今回、最高裁はどういう判決を下したかというと、まず、一月二十二日にいきなり審理に入るんですが、上告人、これが中国側です、それから被上告人、これが台湾の側を代理している訴訟代理人ですが、この両方にそれぞれの
立場を釈明しなさいという求釈明を行ったんですね。回答
期限は三月九日。
ちょっとこのクロノロジーを見ていただきたいんですが、もうほとんどの
日本人は覚えていなかったと思うんですよ、この事件がこんなに、二十年間も最高裁で塩漬けになっていたのを。それが、一月二十二日に最高裁が動き出した途端、一月二十五日に
外務省の副
報道局長が定例会見で、光華寮事件は民事訴訟ではなく政治的案件だ、こういう言及をするわけですね。
それから、三月二十七日に判決が出ます。判決は、今までの下級審を全部無効にして、ひっくり返したんです。それはどういうことかというと、非常に形式的なところで判決を下したんですけれ
ども、そもそも、中華人民共和国に
政府の
承認が切りかえられた、被上告人である中華民国の訴訟代理人というのは前の中華民国の
政府から授権を受けて訴訟代理していたでしょう、しかし、七二年にその
政府そのものを
日本国政府は認めなくなったんだから、その訴訟代
理事務自体そのものが無効だ、だから、二十年前にさかのぼってもう一回やり直しなさいという判決を下して、二日後に、中国の国営新華社通信は至急電で、
日本の最高裁判所は、台湾当局は訴訟権を持たないと認定し一審の京都地裁に差し戻した、こういうふうに高らかに宣言をしているんです。
これだけ見ると、ははあそうかと思うんですが、今回の判決を、両方の訴訟代理人が提出をした資料を見てみると、最高裁の判決は、まさに中国側の訴訟代理人の出した回答書のロジックそのものなんです。こういうことはよくあるのかと
法律の専門家に聞いたら、そういうことは特におかしいことじゃないと。しかし、中国側のロジックそのものだということは
一つここで確認をしておきたいと思います。
先ほど言いましたように、騒然となったと言いました八六年、八七年のころは、京都地裁が中華民国の所有権を認めた
段階で、当時の駐日参事官だった陸参事官が遺憾の意を表明したり、あるいは当時外相だった呉学謙
外務部長が外相定期
協議の中で不満を表明したり、あるいは当時の最高指導者だったトウショウヘイ氏もこういう判決を下すのはいかがなものかということをたび重なる機会にずっと言い続けた
経緯が実はあるんですね。
そこで、ちょっと伺いたいんですが、きょうは法務省に来ていただいていると思いますが、中華民国が一九七二年当時に所有していた建物だとか土地とかあったと思うんですね。その所有権の移転が自動的にというか、日中
共同声明で
政府承認が切りかわった
段階でその所有権の移転が行われることになった物件が幾つかあると思うんですけれ
ども、その具体的な物件の事例は後で
外務省に伺いたいんですが、その登記の名義人を変更する手続というのがとられたと思うんですけれ
ども、その手続の概要を教えていただきたいと思います。