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戸枝参考人 おはようございます。私は、NPO法人全国
地域生活支援ネットワークの事務局長をしている
戸枝といいます。きょうは
厚生労働委員会にお招きいただきまして、ありがとうございます。
私は、まずは私の身の上話を聞いていただきたいと思います。
私の母親は重度の
障害者です。
障害としては、片目がほとんど見えていないという状態で片目が弱視ということで、それだけで一種一級の
障害者です。さらに、二十で舌がんをして舌を半分切除するという状態から、放射線治療をしまして、その影響があるのか転移を繰り返すということで、喉頭がんで声帯摘出をしまして、さらに乳がんで乳房を片っ方取るという状態、さらに胃がんで胃を三分の二切除するという状態になって暮らしてまいりました。
さらに、実は私を含め七人きょうだいがいまして、姉、姉、僕、妹、妹、弟、弟という七人きょうだいなんですが、私が三番目で、逆子だったものですから帝王切開で生まれるということで、その後、母親は僕を含めて五人を帝王切開で産むということで、裸になると、もう
本当に体じゅうが切り張りだらけになっているというような母親で、まさに重度の
障害と病気と闘いながら、結局最後は、がんで死なずに
本当に老衰というような形で、寝たままの格好で死んでいるという状態でした。
その母親が、目が余り見えないものですから、歌を歌ったりすることが好きで、いつもコーラスに参加したりということで楽しんでいたのが、声帯を摘出したものですから、しゃべれなくなったということで、すっかりいろいろな楽しみがなくなったり、同時に、やはりそうなったときに訪れる人もいなくなってくるとコミュニケーションがとれませんので、どうしても家にこもりがちになるということになりました。結果としては家でじっとしていることが多くなってきて、最終的には認知症を発症するということで、ただ、厄介なことに、
自分で歩いて外に出られるという状態だったものですから、出かけていっては結構近所の方に迷惑をかけるというようなこともあったんですね。
その際に、家族でどうやって母親の
介護をしていくのかということを、七人もきょうだいがいるわけですが、やはりそれぞれが成人してそれぞれの
生活をしているとしたときに、だれが面倒を見るのかということがなかなかまとまらないということになったわけです。
そのときに、きょうお手元に配らせていただいた、
施設・在宅・
地域支援を定義するということを私
自身強く感じたので、そのお話をさせていただきたいと思います。
まず、母親の
介護を在宅でするとしたときに、だれか家族が
介護負担を背負わなきゃいけない。そこの見通しが七人もきょうだいがいながらなかなかつかなかったということで、結果としては五番目の妹が母親の
介護をする、仕事をしないで
介護をするという選択をしてくれて、最期をみとれたわけですが、今のこの国で、僕
たち、私はまだ三十代ですが、きょうだいが七人もいるようなありさまの家庭というのはほとんどない。
先日も、超少子高齢化
社会が到来するということが新聞等で発表されていましたが、そういった中で、核家族どころか個での暮らし、個人での暮らしを選択していく方がこの日本ではふえていく中で、家族
介護に頼った
福祉では限界が来るということに対して、これは
障害者自立支援法の中でやはり私が一番落ちていると思っているのは、一人で暮らしている
障害のある方がそのまま一人の暮らしを維持できるのかということに対して、とりわけ重度
障害者への
配慮が欠けているんじゃないか。これはもちろん
障害者だけじゃなくて
高齢者の
介護保険も含めて、このままで大丈夫なのかということを思っているわけです。
それで、家族
介護ができない場合に何か選択肢があるのかといった場合には、
施設支援ですね。結局、
施設に母親を入れ切れなかった。母親は、
施設に入れなさいと僕
たちに迫りました。僕が、地元は群馬県の太田市なんですが、愛知県に今暮らしています、愛知県に引き取ると言ったときにも、友達と会えなくなるぐらいだったら
施設で、地元に残りたいとやはり言ったんですね。
そのときに、家族がなぜ
施設に入れ切れなかったのか。やはり、大規模処遇の中で、プライドの高い、
本当に自尊心だけでその
障害と病気と闘ってきた母親が、
本当に満足した状態になるのかということに対して、きょうだいみんなでためらったわけですね。
そういう
意味では、
施設支援の魅力としては、家族にかわって他人がきちんと誠心誠
意見てくださるということに対しては魅力なんですが、やはり選び切れなかった。そうだとしたときに、私
たち家族が欲しかったのは、小さな人数で他人が支えてくれる暮らし、個であっても支えてくれる暮らしということがやはり必要だった。どうしても、これだけ人口が流動化している中で家族
介護だけでは限界がある、そこをよくよく理解いただきたいということ。
もう
一つは、
本人主体の
サービス選択といったときに、母親が、やはり
施設に入れなさいとか、あなた
たちに面倒を見てほしいとか、いろいろなことを言えたとして、
障害のある方の場合、とりわけ
知的障害や場合によっては精神
障害で
自分の自己決定が制限されている方の場合、
本人の思いと、保護者等後見人の思い、さらに
事業所の都合、場合によっては
事業所の都合の背景には国家財政の都合、いろいろなことの中で
本人の人生が決められていくとしたときの、
本当に
本人の思いで
サービス選択がされているのかということに対してよくよく考えていただくとすると、例えば山の中の入所
施設に三十年、四十年入っているという
生活が
本当に御
本人さんの希望なのかということに対して、よくよく考えていただきたいというふうに思っているわけです。
要するに、
サービス選択はだれが主導権を握ってしてきたのか、
本当に
障害のある御
本人さんが希望した暮らしをしているのかということを考えていただきたいということです。
ここで、そういった前提に立って、現在主流になっている考え方として、ノーマライゼーションの理念とエンパワーメントの概念というのを確認していただきたくて、資料で用意しました。
ノーマライゼーションというのは、もう皆さん御承知のとおりに、可能な限り
障害のない人の
生活と同じにすることを
社会として目指すという考え方でありますし、エンパワーメントの概念としては、
障害者には本来一人の人間として高い能力が備わっているのであり、問題は、
社会的に抑圧されていたそれをどのように引き出して開花させるかにあるとする考え方です。
うちの母親が、
障害があっても、父親の深い愛情に支えられて、また僕
たちきょうだいが助ける、また隣人の方から助けていただいて、七人の
子供を産んだ。しかし、重度
障害者だということで、もし母親が何かの間違いで
施設に入った場合に、七人の
子供を残せたでしょうか、また、私がここに存在したでしょうか。そう思ったときに、
障害のある人が
本当に能力がないのか、
社会参加する環境がないのか、そこをよくよくもう一度考え直していただきたいというふうに思うわけです。
その上で、僕は
障害者自立支援法の第一条が大好きです。読み上げますが、「この
法律は、」「
障害の有無にかかわらず
国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる
地域社会の実現に寄与することを目的とする。」と書いてあるんですね。何が好きかというと、ここには、立派な
福祉施設をつくるとか、立派な
福祉サービスをつくると書いていないんですね。
障害のある方がいることを前提とした
社会をつくるとはっきり明記されているわけです。
そういう
意味では、いよいよ待ちに待った法制度がされたということで、私
たち全国
地域生活支援ネットワークとしては、この
法律に期待をし、一貫して支持をしてきたという経緯でございます。
その上で、
施設パラダイス論ですね。
障害のある方の差別が
社会にあるとして、その
人たちに理解のある人だけで処遇をするということが、先ほどの
中島先生の話ではないですが、やはりさまざまな刺激とかさまざまな体験の中で
障害のある方が成長するとしたときに、収容保護主義的な
福祉はもう終わりにしていただきたいということを確認した上で、そのためにはやはり
社会基盤整備をしなきゃいけない。
障害のある方が暮らせる、うちみたいにたまたま七人もきょうだいがいて支えられる、そういう偶然ではなくて、そういう家族
介護がなくてもやれる
社会基盤整備をぜひしていただきたい。今回の
法律が
障害者自立支援法だとしたときに、
地域福祉の基盤整備に重点的に
お金を投入していただきたいということを確認します。
さらに、ノーマライゼーションの原理の八番目を見ていただいて、ノーマライゼーションの原理の中には、支え手である家族、さらに職員の環境水準もノーマルにしなければいけないという考え方が入っています。
今回、
障害者の
自立支援法で、居宅
介護事業所ですね、
地域の中の重要な支え手になるホームヘルプ等をしている
事業所の単価がやはり低いということで、一部
地域では、介助者が確保できないという形で
地域生活を断念する
障害者が出てきています。居宅
介護事業所が大幅な減収になっているという現実の中で、例えば通所系
サービスなどには従前額の九割
保障という話が上がってくる中で、なぜ居宅
介護系
事業所にはそういったことがないのか。やはり居宅
介護、ホームヘルプが
地域支援の一番重要な基盤だとしたときに、一定の
配慮が必要ではないかということを、単価の見直しとともに、ぜひお願いしたいということです。
さらには、
地域基盤整備をすると、どうしても差別が起こる。
障害者の環境整備をする場合に、とりわけ精神の方の基盤整備は
本当に難しい。そういう
意味では、
自立支援法とあわせて
障害者の差別禁止法の制定をしなければ進んでいかないという実感を持っていますので、ここもあわせてお願いしたいと思っています。
障害者の
自立支援法に関しては、私
たちが理解していることを資料の図三としてまとめています。
まずは、入所
施設の
生活を
地域に戻していくときに、昼間の活動と夜の活動を切り分ける。とりわけ、長年
障害のある方を
施設に預けてきた親御さんからすれば、一遍に
施設を出されるのかという不安感が今日本じゅうであります。これは、まずは昼間の活動だけでも出るということがやはりノーマライゼーションの原理から考えても適当かということでいけば、まず働く場所へ出す、その上で、
本人が生き生き働けるようになったら住む場所も普通の状態にするということを進めていく。
さらに、暮らしの場、日中活動の場、余暇、
社会参加
支援を組み合わせる、ケアをマネジメントされた
生活になるというのが
自立支援法の概念だとしたときに、この
地域の
生活支援センターですね、ケアマネジメントをする機能がすごく重要になる。今回、
自立支援法では、残念ながら相談
支援体制が個別給付に入っていない、地方に任されている。これでは大きな市町村格差が出ていて、例えば、
DPIの日本
会議なども言っているように、小さな自治体ではやはり相談
支援の体制を確保できないとか、イレギュラーにたくさんの
支援が要る重度
障害者への長時間
介護の
配慮ができないとか、そういった問題が起こっている。やはりそういったところには一定の
配慮が必要なんじゃないかというふうに思っています。
さらに、「個別
支援計画でソフトの
福祉が動く!」というところでは、
自立支援協議会というところで、いろいろ組み合わせた
サービスが適切に動いているということを調整するのがこの
自立支援法のかなめだとしたときの、やはりここを動かしていく装置としての相談
支援体制ですね、ここをよくよく
配慮いただきたいということをお願いしたいと思っています。
最後に、全国
地域生活支援ネットワークとしての要望事項を皆さんにお配りしています。この中で、先ほどの説明にあわせて、とりわけ重度
障害者への
配慮を強くお願いしたいと思っています。
私が住んでいる地元の愛知県は、全国でも数県しかない、入所
施設支援と
地域の居宅等の
支援の
障害のある方の一人当たりの費用が、
地域支援ですね、居宅等の
支援の方が厚いという、珍しい、
地域福祉が
充実した県であります。その県で、
障害のある当事者の方や保護者から、ケアホームの単価が低いと。さらに、ホームヘルプを入浴や排せつなどに個別に入れないと
生活ができない方への
配慮が、このホームヘルプを入れるということが十九年末への経過措置なものですから、このままでは重度
障害者の
地域生活の見通しが持てないということで、やはり入所
施設支援じゃないとだめなんじゃないかという声がかなり上がっています。
そういう
意味では、ここの
配慮をしていただかないと、
自立支援法なのに入所
施設支援に戻るというようなことになってしまいますので、特段の
配慮をお願いしたいということを申し添えておきます。
障害のある方が
本当に
地域社会の中で一員として暮らせる
世の中に、この
法律をばねに、きちんとした財政措置でしていただけるように祈念して、話を終えたいと思います。ありがとうございました。(拍手)